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このブログをどうしていこうかなと、ずっ~と悩んでいるもう何年も。年賀状と同じに、めんどくさくなってきているのが、一番の理由。だからこの11月から12月が悩み時期で今年の11月は20周年でもあったし、けじめをつけるならちょうどいいし、とか。今年の夏は暑かった。だからというわけでもないだろうが、自分の老化現象を自覚している。わたしの生き方は最後まで這ってでも動いて、自分のことを自分でしたい。という目標のため(かなり)努力して、足腰の身動きは支障がないし痛いところもない。ただ、もともと胃腸が弱い。2月ごろから調子が悪くなっていて、3月に胃の内視鏡検査、5月に生涯初の腸内視鏡検査をしたが一応健常とのこと、神経性かともいわれてしまってる。自分のことではないことで神経を使っているからかもしれない。夫が急に衰えたこと、娘、孫の不如意など。我が身じゃないのでコントロールできないことだから、仕方がないなのに無駄に気を使ってしまうの。家族とてひとりひとりは個人であるから、それぞれなんとか努力せよ、というのがわたしの考え。だからほっておけばいいのだが、そうすんなりいかないのが家族のゆえん。高度な医療のおかげで(社会的経費は莫大で国家は破綻しそうだけど)長生きできる時代になった。しかしその道筋は個人的にかなり苦渋に満ちている気がする。こんなことアップしていると、胃が痛くなるからやめましょうか(笑)都心でもこんな鄙びた神社があります
2023年12月18日
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なんと19年~~~~!!!!!始めたときは62歳、実際に孫も3歳だったし、「ばあチャル」というハンドルネームは違和感なかったね。むしろ、さっそうと受け入れる気持ちだった。しかし、振り返ると若かったんだねえ、気持ちも体力も。その時と少しも変わらないつもりの81歳になった今、やっぱり同じように「年経ると」「何々がしづらい」という冠をつけているんだから世話ない。おかげさまで19年間、たいした病気はしませんでした。副鼻腔炎の手術(しなくてもよかったのかも)と「子宮脱」で子宮を摘出したこと(何年も治療していないで早く摘出すればよかったのだが、決心がつかなくてやっと去年に)だけ。あ、そうそう、ブログを始めて1年目に右手首骨折しました。2003年伊豆地方の大台風被害、湯河原も酷くて片付け中に滑って転んで。それなのに左手でパソコン打つ情熱があった。もちろん夫の仕事の手伝いは待ってくれなかったから。そう、ささやかな自営業で忙しかったなあ~、それもすごい励みだったのかも。娘のところの3人孫の小さいときの手伝い、実母92歳と姑105歳見送りもすっかり終わって、本当に自分たちのことだけすればよくなって、コロナという疫病蔓延に身動き取れなくなったのだね~。ま、動けるうちにちょっとした旅行に行きたいのだけど、ということがだけが残っている現在。終活もしてます。といってもシンプルなもので、不動産の書類整備、通帳は極小にまとめ一覧表にというだけ。お墓は決まっているし、戒名料が高いので葬式は出来るだけシンプル(低予算で)に。延命治療はなし、わたしが先に逝ったら、夫は施設に(残った予算の範囲内で)いれてくれればいいと。後は「実家の片付け」つまり今使っているものの後始末ですが、出来るだけ少なくしてるつもりだけど、4年前の引越し整理からは増えているでしょうねえ。足したり引いたり人生これ、仕方がないです。そしてネットツールはパスワードノートにまとめてあって、娘か息子に解約削除してもらうのですが、このブログ(と、ブクログ)これをどうするか?まだ決めていません。咲きました ガーデンマム去年の秋に鉢盛セットで購入時 残ったのは上のガーデンマムとシロタエギクですこれも、もうさんざん畑庭をやったのだから、切り花だけにしようと決心したのに、鉢物に手を出してしまいました。ベランダ狭いのにね…。
2022年11月13日
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6月末は傘寿誕生日でした!(ま、自分が一番驚くけど)わたしのように昭和二けた生まれぐらいまでは上の世代に「還暦、古希、喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿」と律儀に席まで設けて祝ってきたもの今じゃ、そんなこともありませんし、それを不満にも思いません人生100年時代まあ、自分のことを考える、いい機会になるくらいに思ってますこのブログ始めた動機は「大好きな本について好きなことを言いたいだけ」だった宿題でもあるまいにきっちり「読書感想文」を書くつもりもなく読み終わって「ああ面白かった」「案外つまらなかった」と思うだけでよかったので気軽に始めたブログ、当時は予想もしていなかったけど読んでくださる方があり、コメントをくださる方があるではありませんか世の中には本好きの猛者もたくさんいらっしゃるということもわかりそして、本に関する情報も多く入ってくるようになり本好きが一層本好きになり、読書量も増えていったのであり読書感想も嬉々としてやってしまうのでありましたそれに読書データベースになってるのは便利だしやはり、継続のもようです 笑
2021年07月01日
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仕事も家事も対等にこなす「イーブンカップル」が増えてきた。フルタイムで働きながら勉強やゆとりの時間を捻出するには、仕事観や家庭像を共有したうえで、家事育児分担を工夫することが必要だ。どんなコツがあるのだろうか。(日経電子版11月16日の記事「仕事も家事も夫婦で対等 分担決めすぎず、地域で助け合い」から)今の世、自ずとそこがうまくいかなければ、家庭崩壊(離婚)に至らないまでも、ギクシャクしている家庭(夫婦)は多そうですね。「イーブンカップル」老後生活にもね、それがないとうまくいかないと思う。わたしの理想なんですよ。でも、思い通りにはなりませんねえ。我が家の敵さんもお世話(名もなき家事)してもらって当たり前と、ややもすると思っていて、相変わらず改善しておりません。先日も出かける用事があって、昼食が間に合わない、普通は外食してもらうのですが、コロナが怖いということで帰るまで待っている。で、カップラーメンにしてやりましたわ。
2020年11月18日
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高校受験や大学受験の孫たちがいます。親(娘)がいるのですから、わたしたち祖父母は口出しすべきではないとはわかっておりますが、いろいろ大変だということを、愚痴こぼされると気にはなります。中3の孫娘、とにかく勉強が嫌い。まあ、そういう場合その子の学力にあった普通高校に行くようになりますね。きっと半ばで嫌になって退学ということになるのが目に見えるようで、親も気が気でない。まあ、その親からして勉強に向いていませんでしたけどね(笑)ところが、絵を描くことが好きな孫娘、デザイン勉強をやりたいといってるらしい。でも、そんな世の中で通用する才能があるかわからないことに進むなんて、親が理解できないのも無理がありません。でも、それを聞いた夫の一言「やらせてみたら」という外野のアドバイスに、娘はしぶしぶ孫娘に問いかけました。すると一晩考えた孫娘「やりたい」と真剣に言ったそうです。それから「デザイン塾」「勉学塾」を掛け持ちで忙しくなった孫娘。娘の報告では生き生きと、いい顔をして頑張っているそうです。わたしたちもうれしくなりましたよ。しかし、3人の子供のいる娘家族、それでなくても出費を抑えたいところで、受験費用も大変らしいです。それを助けるのはわたしたちが娘の教育に失敗することだといつも悩みます。けれども口出ししてしまったのですからねえ。得意顔の夫を見ながら複雑なわたしです。*****わたくしの亡き両親は自分たちがつつましく暮らして、子供たち3人にそれぞれに(集合住宅の一部屋)遺してくれました。高度成長期のいい時代でもあったでしょうが。ですから今住んでいる東京は両親の遺産。売りに出している家は夫婦で努力した結晶。それには物語があるのですが(笑)さておいて多少ゆとりがあるからといって、無制限に親が子にお金をかけるのは、悪影響がある条理です。甘え上手な弟が何から何までやってもらい、母が一人になり体が弱ると娘のわたしたち姉妹が悲しくなる仕打ちを(世間によくあるケチで欲張り)しました。わたしも妹も自立精神旺盛のつもりですが、やはり我慢できませんで喧嘩しましたね。恥ずかしい限りですが。そんなこともあってわたしは息子・娘に(特にお金についても)つい厳しくなってしまいます。ま、わたくしたち夫婦も子育てが完ぺきだったわけではありません。いろいろ失敗をしております。自分たちも至らないところがいっぱいだったというわけです。
2018年12月04日
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断捨離のようなモノやコトの整理が進んでみると、こころにゆとりや余裕が出てくるからおもしろい。自分は誰かさんのように家にモノを溜めていず、ごちゃごちゃにしていないで整理整頓、物事や事務的にもキチンと処理していたのだ、というのはとんでもない思い込み、自信過剰であったということです。何事も見直しをするということが大切なのだと。(って、自分のばかさ加減を披露しているのだろうが・・・)具体的に言えばこの家のいらないものは処分し、ガランとスッキリした家の中、広々と暮らしてみると、昔の田舎の家みたいで心地いい。嫌だった農作業(菜園ライフ 畑作り 笑)をやめて、残ったわずかな庭木の手入れと下草刈りをしていると、それは何の苦もなかったのだと思うのだから不思議。むしろ楽しいの。ええっ!?わたしはいったい何をしたかったのか?どこで間違ったのだろう?もともとここは別荘のつもりで作ったのであって、東京の小さなマンションが定住地であった。ま、その時は事務所でもあったのだけど。そこが、古くなって建物ごと建て替えになり、工事は2年はかかるので、みな様どこかに仮住まい。うちは幸いここに移ればいいと、とりあえず住民票を移した。数多くの銀行や契約している諸々の住所変更もしなければならなかった。それがいまだにここ。戻すのが面倒だったのもある。家財道具も2軒分ダブってその時はゴミ屋敷の様相だったけど、2年たって東京が完成した時にそれは解消した・・・はず。でもね、結婚50云年、捨てられない当初からの使い勝手の悪い家具やら、大量の本やら、食器やら、ま、整理整頓、キチンと置いてはあったのだけど、何せ二人には使い切れない。それに、夫はここのほうがゴルフに行くには都合がよい。夫思いの(自分で言うか)わたしも喜ぶことならと(笑)ずるずると。年年歳歳、去年の出来事。いろいろ身体の不調はでる、運転はできなくなる、これは少々便利なところへ行かねば、わたしが困ることになる。それで今回の決心。予定に通りにいろいろ進んでくるにしたがって、もう一度方向を少し変えてもいいかなと、ゆとりが出てきたのもほんとうだ。どうも、一度決めたことはきちんとしなければ気が済まない性格が、融通が利かないことになるときと、それだから物事が進むだというときもあるのじゃないか。ミカンの花の芳香がただよい、五月晴れの元、茶摘みに精を出していらっしゃる姿を見ながら、贅沢な思い。さあ、わたしも若芽が伸びすぎたボケの枝でも掃いましょ。
2018年04月29日
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キャンプやテントの遊び心の話です近所で庭を一面芝生になさっているお宅がある。あれは手入れが大変なのよね。横浜で建売に住んでいた時、初めての庭経験、舞い上がって芝生を植えたのだけど、だんだん草の方が多くなってしまって、手が付けられなくなってしまったものだ。そのお宅は今のところご主人が熱心に手入れをしていらっしゃるので、順調のようだ。と思っていたら、ある日、青いテントをふたつも張ってる光景をみた。何をするのかと思っていたら、子供たちが大勢、テントに出たり入ったり遊んでいて楽しそう。きっとテントの中でお昼やお八つを楽しんだのでしょうね。そのあとテントはたたんで芝生の上、はだしでボール遊び。こどもたちはさぞ満足したでしょうね。水撒き、間の草取り(監視しているわけじゃないけど 笑)ご主人が(つまりお父さんがお子様のために)熱心かつ丁寧になさってというのが、遊び心の真髄じゃないかと思いました。女(お母さん)だとそうはいかないような、一面芝生の庭は見栄えはいいし、素敵だけど、それにテントを張ったり、遊びまわられたら台無しだと思うのではないか。けだし、奥さんは(お母さんは)芝生のために何かしている姿を見かけませんから。似たような経験を我が家もやりました。庭やベランダでの食事のためのテーブルやいす。鉄製だと風情がないから木製にしたのだけど、雨ざらしにしていると塗料が剥げる。わたしも一度ぐらいはでやすりをかけて本格的にオイルステン塗りましたけど、鼻炎のわたくしシンナーには弱く、根を上げていまやモノははげちょろけ。これって男の仕事ですよね、はい例によってズボラなうちの夫はしません(笑)おまけにベランダで朝日を浴びて朝食だ、海風受けて昼食だと乙なこと言います。誰が準備するんですか!夫は運ぶだけでも嫌がりましたよ(笑)となると、どこで食べても同じ。結局はダイニングテーブルで・・・。だんだんお茶だけでも外ではしなくなりました。今では断捨離のおかげでダイニングテーブルは友人宅にいってしまって、そのはげちょろけの外用テーブルで食事してるんですけどね(爆そういう遊び心、女には向かない。わたしに向かないだけ?う~む、ゆとりがないなあ・・・。
2018年04月24日
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ひとつ前のブログに書いた「なんとない不安」っていうのは結局のところ、「介護はしたくないなあ」という自分本位のエゴなのである。親の介護もつらいし、夫婦介護もつらい。その大変さがまず頭に浮かんでしまい、避けたい、やりたくない気持ちなのである。親は子より先に老いるし、病気になる。夫婦もお互い様、老いが来るし、いつ病気になるかわからない。「健やかなるときも、病めるときも、ともに・・・」う~ん、わかっちゃいるけど、つらいことは嫌だ。さんざんこれまでに日常の面倒を見てきたと思う。それを「もっとやれ」ということだ。本人は「しれっと」しているにくさ。度量がないけどね、不公平が嫌いなんだ。とは言っても夫婦を全うしたいなら、やるっきゃない。ならば、出来るということを幸せに思って、喜んでやりなさいということ。
2018年02月20日
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大きな運動公園が近くにあって、そのサッカー場、野球場の周りを5周すると5000歩というちょうど良い歩きができるので、その日も夫と歩いていた。5周したところで友人に出会ったので、わたしだけその友人と会話。夫は先に車へ戻ろうしてか、友人とわたしの50m先、駐車場のへの植栽垣根に隠れた。その近くで犬の散歩していた女性が「誰か男の人が倒れている!」と叫び、わたし「誰かしら?」とひとごと。友人は「ご主人じゃない!?」走り寄って、わたしの仰天したこと!夫が頭から血を流して倒れているというか、延びている。脳震盪か、なにかの発作か!と頭真っ白状態のわたしかすかに「失敗した」と聞こえたけれど、朦朧状態で大量の血だまり。で、とっさに「救急車」と、スマホ出せども「119番」が思い出せない。ちらほら集まってきた人に「救急車何番でしたっけ?」と聞いてもだれも答えてくれない。(教訓 1 後で思ったけど、なんで、みんながみんなパニックになっちゃうの?)管理棟に走ってくれてた友人が戻ってきて、やっと番号を教えてくれ電話。勿論「消防署」は適切な対応で「意識があるなら頭部は出血が多いので、患部をきれいなタオルか何かで止血して待ってください」ティッシュは持っていたけどハンカチすら持ってなかった。携帯とガギだけの身軽さで歩いていたのだ。(教訓 2 これからは散歩の時、いくら近くでもタオルハンカチぐらい持っていけ)ようやく落ち着いてくれた人垣から、きれいなタオルを渡してくださったり、救急車を誘導してくださり、まあ、お世話になった次第。脳神経外科に運ばれて検査さいわい頭の表面に盛大な裂傷多々、擦過傷あちこちだが、頭蓋骨や中身は大丈夫のようだ。骨折もなかった。その転倒事故した運動公園を下ると我が家なので、救急車に寄ってもらったから困らなかったが。(教訓 3 保険証も財布も携帯していなかったのは高齢者として失格)夫はゴルフに行くのに車の免許証は携帯していても、保険証はもっていかないアホだった。まして散歩だという油断があった。わたしも持っていなかったけど(汗後で考えた(その時のことがフラッシュバックするのよね)車に救急用具を積んであったのに(三角巾とかあったからね)わたしはすっかり失念していたり、管理人さんも管理室に救急用具があるだろうが、持って来てくれなかったり。(教訓 4 運動公園だ、当然怪我や何かあるだろうに、訓練がなされてなかったのか?)なぜ夫が転倒したのか?つまずいたのではなくて「脊椎管狭窄症」による症状だった。突然歩けなくなるという症状を、本人もわたしも理解していなかったということ。(教訓 5 病状はしっかりと把握しておかなくてはならない)能天気な夫もすこしは懲りたろう。まあね、本人は痛くて、お酒も飲めずさんざんだが、わたしはよい教訓をもらった。姑や両親が高齢になってから、何度も転んでおおごとになっていたけれども、不思議にその場に立ち会っていなかったのよね。あとから話を聞くのと、実際経験するのとでは、大きな大きな違い。わたし自身の心得も必要だけれども、その場の適切な行動とは何かを教えられた、夫の転倒事故でもあった。
2017年02月06日
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先日脳のMRI検査を受けたしばらく前から「頭が痛くて」「ドカンと音がして」「冷や汗をかいて」「心臓がドキンとして」目が覚める現象が起こっていたので、これはもしかして脳梗塞の前兆か?心筋梗塞の前兆か?かかりつけ医さんにお願いして紹介状を書いていただきしかるべき大きな病院へ、結果 「何もわるいところ、ありません」ほっとしたけど「それでは、何だったのでしょう?」お医者さん「わからない」(そこが問題なんだが 笑) でも、心配なことがすぐ調べられて精神的な安心感が有り難い 来月で健康保険がいわゆる後期高齢者医療制度のほうになる肉体の衰えが顕著になり、老いの自覚を自覚する日々だ 曽野綾子さんも『老いの才覚』で75歳ラインは実に妥当な線引きだと書いていらっしゃるまあ、これがほんとの老後生活しかし、わたしを含めて老齢人口の人口比率が高い昨今 高齢者が高齢者の健康保険をカバーするったってこうぽろぽろ悪いとこが出てくるのでは保険、そのうちに破たんするのは必定曽野さんも書いてらっしゃるようになるべく保険に貢献するよう、健康寿命を保つように努力せねばと思うのだけど流れてくる現象は止められず、わが身がかわいいのもほんとう!
2016年05月30日
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わたし73歳、健康保険の分類では前期高齢者むかしのわたしなら「完璧な老人だな」と思っても不思議ではないのだけれどなってみるとそんな気がしないからおもしろい人間なんて勝手なもんだそれに今や、見た目年齢不詳が多い頼もしい限りで...わたしがどう見えるかはこのブログでは示せないけれども若いときと変わらないで本を読んでそのはなしが出来る楽しさがうれしいいくら超高齢社会になっても行き着く先は死であるので「終活」だの「断捨離」だの、やっぱり気にしてしまうのは行きつく先への時間が迫っているのがわかっているのだこれから迎える「死を考える」はそれまでの「生を考える」と同じだから残りの時間を愉しく有意義にしたい精神的なものを見つけたいものだそれで思い出すのは『更級日記』全文を読んではいないが(今度読もう)古文の教科書の例文やあらすじで見ると更級日記の作者は、十代の頃から物語の世界に魅せられ特にそのころ流行の「源氏物語」を耽読夕顔や浮船のような翳ある、たおやかな女性にあこがれていたが実際に宮仕えして現実を知り、ロマンチシズムも覚め結婚し息子が生まれると現世に幸福をもとめるともに来世の幸運も望みお寺詣でにもいそしむ若いころ物語の世界にあこがれたように老年になればなったで極楽往生を夢見るのであったわたしは物語の世界にあこがれるみずみずしい日記にものすごく共感したのであったが後半の仏教に入って行くあたりはわからない時代が下がった現代ではすんなり宗教には行かない宗教は荒っぽく言えば「終末思想」に縁どられていると思う地獄や極楽、最後の審判、神の加護現世で「よいおこない」や「祈り」をささげれば救われるという思想もっといってしまえばおどしでもあるそれがいやだなと思うしかし人間は何らかの精神的支えがないとやっていかれないのもほんとう
2015年02月25日
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わたしって、熱しやすく冷めやすいわな毎日書こうと思う傍からサボりまくり千葉の館山に行って房州の沖海を見東京に少し滞在して帰ってきてからは秋口ゆえ、農作業に追っかけられいい季節なのに頭が沈殿してるま、ネタも浮かばないのかもちょっと思いついては忘れるようになったこの頃いざ、パソコンに向かって楽天を開いているうちに「なんだっけ?」となるんじゃなる前は(前期高齢者にね 笑)そんなこと絶対にしない!と思っていたんだけどもねおとといの夜NHK立花隆さんの「臨死体験・ドキュメント・死ぬときは心はどうなるか」をちょっと興味持ってみたのだけれど、そのなかで立花さんは70歳過ぎたら死がもうすぐそこに来ていると思っているとおっしゃったふむふむわたしはそれも忘れそうだなあ、と思ったわけ断捨離をしているくせにな(だんだん言葉がぞんざいになってきた傾向)断捨離の次は遠くに住んでいる会いたい人に逢っておくということがありそうだがほんとうに逢いたい友人っていたかなあ若いときの友人たちは思い出の中で覚えている方がいいこともあるよ今さら会って「からだのどこそこが悪い」などと言う話はつまらない断捨離の離の心境かなまいまのところこの「断捨」の物の整理だけでも大変な作業であることに間違いはないからあら大事な「こころ」について語るのを忘れたわまたこんど
2014年09月16日
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義姉(83歳)が高齢者集合住宅いわゆる個室型老人ホームに入所して3か月そういう施設入所は自分たちの将来にもあるので興味津々になって訪ねてきた義姉は義兄と自死という衝撃的な別れをしたので田舎のことゆえ、長く住んでいたそこに住み続けるのは針のむしろ、表を歩けないし、今までのご近所お付き合いも無理まして思いの残る家に閉じこもってばかりいると運動不足のうえ、気鬱になるという思いを抱えていた気落ちからも体力が衰えころんでばかり、骨折頻々になってしまったそれならばそこを離れないといけないと弟である夫が「お姉さんは趣味も多く、旅行好きでホテルや旅館に泊まるのも好きだし見知らぬ人にも気安く声を掛けられるしすぐ友達になれるしきっといきいきと集団生活ができるよ」などアドバイス、大いに勧めて義姉もあちらこちらの施設見学し比較検討していたこの一年であったのだった義姉のこども長男も長女も賛成しというか長女は喜んで勧めていた自分もお姑さんをみており心配で駆けつけること多く、体力の限界だった娘といってもアラカンだものさて、引っ越してからの義姉の電話は不満話もあって「止めようかと思った」とか、、、わたしたちはどんな様子かと恐る恐る尋ねたともいえるところが素敵な暮らしをしているではないの部屋の広さもあり、バストイレも合理的に作られ食事は併設のレストランに3食行くので「女にとっては楽よ~~」とのたまうプールが併設されているので腰椎にヒビがはいった義姉には最適のリハビリができるらしいおまけにその建物は駅に近いのだしシャトルバスが繁華街に連れて行ってくれるもう、大好きな旅行は無理かもしれないけど麻雀友達も出来油絵も再開したという短歌の会も見通しがついてその晴れ晴れとした顔をみてわたしたちは嬉しかったのであると同時にわたしたちの10年後の見通しもついたような
2014年04月02日
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高齢社会自分たちもそうであり、なお高齢家族に囲まれて考えなければならない一つは経済のこと姑の経済的側面がどうだったか書いてみよう支える子供たちも高齢化してきていろいろ悩ましいのである105歳の姑は32歳(1941年)の時に夫と死別中耳炎から脳炎になったという、今なら助かる病気ちなみに1941年はわたしの誕生年つまり、72年間未亡人(明治生まれだからそう言う)で3人の子を戦中戦後の混乱期に育てたということわたしたちが結婚した時に姑は55歳会社に勤めていたのだったがちょうど定年というか臨時雇い(今のパートタイマー)なので会社は辞めなければならなかったそれから5年はいろいろの仕事をしていたけれど60歳になって隠居したいと言いだした(今ならちょっと早いかな)姑はある県の名家出身で(つまり土地持ち)実家から土地だけ貸してもらえ(未亡人になって窮迫しているのに遺産放棄していたのよね)そこに子供兄弟で小さな家を建ててあげたそれも若いわたしたちには物入りだったがそれからずっと兄弟で姑への仕送りが続いた年金も救済措置の時代の人で最低額しかもらえない70歳ころまでは姑も内職で補っていたのだがところがしばらくして長男、事業失敗、夜逃げ同然生活次男の夫にどっとのしかかってきた長女(義姉)も協力してくれ、なんとかかんとか乗り切った85歳になって姑は一人暮らしが不安になり隠居所もたたんで(それでもそこで25年間過ごした)姑の意思で軽費老人ホームに入所いまなら普通だがそのころは先取な考えだったのでわたしたちは姑の理性に感心してしまったと同時に正直ほっとしたものだま、軽費といっても費用はかかるので仕送りは続けるのだか、、、そのうちに長男もなんとか立ち直りきょうだい皆でそれぞれ出来る範囲で負担つまりうちも少し楽になって、それから早20年だけれども、姑長生きし過ぎ(笑7、8年前大たい骨骨折で寝たきりになりもうダメかと思っても心臓に水が溜まっても入院しても肺炎になっても、どうにか治って退院してしまうのよね併設されていた特別養護老人ホームにいるのだけれども待っている人がたくさんいるのではないか、と気にはなるし(笑それに80歳長男はデイケアに通う身になり、アルバイトももうない83歳長女は高齢者用住宅に入所してしまったもちろん、うちも含めて皆年金生活ふたりとも負担だろうな、と思えど我が家だけでというわけにもいかない仕送り費用の問題だけではない見舞いに行くにもそれぞれ遠隔地・老齢大変な労力、交通費もかかるになってきたのであるこれからどーなることやらこうしてながなが書き出してみてわたしの本音が出ているなとわかる(笑次男である夫ばかりがなぜ、こうも責任を負わなければならないのか特に義兄はずるいよ~~~とも思うそれは夫も言っているが義兄の性格的お気楽さが原因先に歳とって、ボケたもの勝ちというところかな(笑夫が姑のために一族の古い墓石を新しくたのはもう10年前になる準備整っているのにね、頑張る姑いえいえ、頑張ってね「おかあさま」「あなたはこどもたちを立派に育てましたよ」というのも本音
2014年03月28日
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今朝、早く救急車のサイレンが近づいてきたこの辺もあちこちに高齢者が住んでいるのでとくに早朝だと「どこのお宅かな~」と気になる案の定、家から下の方にあってよく見えてしまう(笑お宅高齢の母と息子の二人暮らし家庭しばらくしてストレッチャーで救急車に乗ったのは老婦人のほう息子さんが車で後を追う常日頃の見えてしまうご様子は息子さん(中年らしいが)が日中働いているようでタクシーで病院通いしたり、ヘルパーさんも来ているらしい足のご不自由な老婦人だった(おつきあいの薄いのもここの特徴)あーあ、ひとごとではない我が家だって老夫婦の二人暮らしなんだいつそんなことがあっても不思議ではないきのう、夫とちょっと離れた城下町へ買い物に行った銀行に用事のあったわたしが書籍売り場で待っている夫を探したとき文庫本のところに「あ~、なんだか老人が立ってるな」と思ったのが夫なり~~~(ショック!笑そういうわたしだって前期高齢者今朝も朝食の時その話をすると「もうどーみても熟年夫婦にはみえないね」「完璧な老夫婦だ!」と、76歳と72歳のふたりして結論するに至ったしかし末っ子のわが夫係累には105歳の姑から始まって、義姉83歳、義兄80歳その妻77歳が夫に深ーくかかわっていて(責任まとめ役、ね)絶えずいろいろ気にかかっておりゆっくりのんびり歳取ってもいられないのもほんとう(汗
2014年03月26日
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少々思うところがあって「ブログの基本情報」を下のように改めました大好きな本を読みながら、老後人生をおくっています感動したり、勉強になったり、しみじみしたり本の中のフィクションやドキュメンタリが、現実と響きあって豊かな世界が広がればうれしい~~~ところでこの「ブログの基本情報」ってどこに出るのでしょうね?探しましたがわかりません(どなたか教えて 笑「思うところ」とはひよこさんのブログへのコメントにこんなようなことを書いたので、、、ひよこさんのブログは整合性があって続いているのが好もしいですそれはアップ数じゃなくて、ひよこさんの人生の流れがわかるからですいいこともわるいこともユーモアをまじえてさらさらっと流れていきますわたしのはブツブツと切ってしまっていますねそれはちょっと卑怯でもあり、興味薄にもなりますわねでも、それはわたしの本意ではないのですがひよこさんのを拝見して思いました 反省しましたよ反省したというのは大げさで思い直したぐらいです(笑なんでしょうね、持ち味でしょうかね単なるマネではしかたありがありませんがあれ言いたくない、これ恥ずかしいってが多いのがわたしです
2014年03月25日
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朱鷺こさんの本日のお題「どうどう巡りNO2」を読んでひらめいたというか、灯りがともったようなけっこう、このブログをアップするのは手間暇がかかり、めんどくさい作業いったい何のためにやっているんだろと気力落ちすること、たびたびところが朱鷺子さんのモノが捨てられないブログを拝見ぎゅうぎゅうに詰まったモノの山に囲まれて暮らしているがなぜ、捨てられないのかを軽快に語ってくださる朱鷺こさんの持ち味でもあるがそのひとこと、ひとことがおもしろいわたしはうむ、うむ、なるほどな~ とえらく感心してしまったたとえその後、朱鷺子さんが断捨離なさっても朱鷺こさんのそのブログは残るではないかそして、alexさんのコメント>そう言えば>このブログ>スペースをとらないので>想い出箱>整理箱>として、便利かもに同感した「読書感想」でも「思い出」でも「事情」でもアップしておけば残る、写真があってもなおいい自分のための自分の場所なんだ!
2014年03月20日
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あまたあるブログでの語りはほんの一部分の表現そしてブログは匿名その人自身を語るブログのうちでも世間一般の事象について語っていても日本の中の出来事でもまた、世界のニュースにおいてもいいかげんなことをお気楽に言ってみたりあるいはまやかしを言っているかもしれないそのような悪意や目的を持っていないとしても普通の(善意の)ブログ個人だって心の中は複雑に絡み合っているきょうはこう言い、あすはああ言うかもしれないもちろん、ブレないことにはこしたことないがそんな堅固な思想がおのおのにそなわっているとは限らないというのはあたりまえだけれどもねけれども、わすれてしまってその人の全表現や人格のように思ってしまいがちそれを大勢の人が見てなにを思うかわからないそういう怖くさがブログにはあるというようなことをこのブログの日付のごとくにおととい思って書いたのだけれどもなんだかあたりまえのことを理屈っぽく言ってるわしかし、こうして言葉にしてみると自分の考えがまとまってボケ防止にはなるような気がそれが大事(笑この理屈っぽい言いようで子育てをしたものだから「めんどくさ~い うるさ~い おかあさん」とこどもたちに嫌がられたことを強烈に思い出したわ!
2014年03月01日
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USAの国籍、永住権をとって日本における住み家やなにもかも売り払ってアメリカはマイアミに移住した同年齢の知人夫婦その移住の話が出た時には「永住権をとってとは思い切ったことをするねぇ」とわれわれは興奮しただが、1年もしないうち、日本に帰ってきてしまったのでおどろいたその夫婦のこれまでは南アメリカのアメリカに近いある国に住んで貿易の仕事をしていただからもちろん夫は英語やスペイン語が話せたしそこで暮らせるだけの基礎はあっただろうに日本が恋しくなったのか、60代になって日本に戻って、東京のど真ん中にマンションを買い夫は日本の旧友と再び交遊を取り戻し妻は下町の実家や家族と和気あいあい落ち着いて暮らしていたと思ったただ、二人の息子がいるのだが息子たちはアメリカで教育を受けてやはりアメリカ以外では暮らせなくなっていた隠居には子供のそばと思ったのか息子二人は現地で日本人でない人と結婚して子供(孫)もありそんなこともあってアメリカ移住を決心した息子たちが近くに住んでいるというところに家を買って、車も買っていざ、老後を楽しもうとしていたらしいしかし、再び日本に帰ってきてしまい今度は下町に中古のマンションを買い、一から家財道具を揃えていろいろ大変だったろうなぜ故そんなことをしたのか答えは夫婦の思いの方向性が違っていたということま、普通はよく話し合ってそういうことは決めるが片方に片方が押し切られたまず、アメリカの国籍、永住権をとったのは夫のみ夫は地の利もあってゴルフ三昧だったらしい(初めからその狙いかあ)妻はゴルフはしない、そして英語は片言、車の運転も出来ないひとりさびしく~~~孫子が近くにいるといってもアメリカだもの日本のようにべったりではないだろうと想像がつく妻が「わたしだけ日本に帰る!」といったかどうか夫婦の危機がおとずれ、夫が折れたものと思う(夫の愛情?!)が永住権や国籍はアメリカで日本に住む夫はどうよ前置きが長くなったがわたしがその知人の妻ならばどうするかまず、そのスペイン語圏にいるうちにスペイン語はもちろん、英語が出来るようにしていたねたとえば日本人の悪い癖その時にその国の日本人社会でこと足りてサボっていたとしても現在この世界状況ならば、アメリカに移住したのだからこれ幸いと英語をマスターするように努力するね惜しいではないの!さびしいなんて言ってられないと思うわたしの観察するところ、東京の下町育ちってシャイで臆病というか狭くて頑固なんだよね、気風がいいのは下町でだけ友達がたくさんいるからこんなこと言いたくないけどもう帰ってきちゃったんだから優しく迎えてあげるけどもね(っていうのが日本人のだらしなさだなぁ)
2014年02月14日
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今、自分のブログを少々手直し、立て直しをしているま、気まぐれと言えば気まぐれなんだが、やる気が出たもので(笑なぜなんだか自分でもわからない、この「やる気」(笑ブログを始めてはや10年、いくら更新が間遠といっても膨大なものわたし、自分のブログはほとんど読み返さないというか、こそばゆくて、恥ずかしいので読めなかったんだわ「なんだかめんどくさいなあ、やめようか」なんて思っててそれなら消す前にと(そこまで深刻に考えてなかったような気がするけど)ちらちらと読み返してみたそうしたら、自分のブログがいとおしいくなった一生懸命語っているではないの(うぬぼれよ)惜しい~ってなって、じゃ、やるか!って(単純!)であれ~~「やる気」が出たら「やる気」になったじゃないってこと
2014年02月12日
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一番身近な他人との調整がだんだん難しくなってきた。 おたがいやりたいことが違っているのは当然なんだけど、相手に合わせるということができなくなって来て、きっぱり、にべもなく「それは嫌だ」「行かない!」と言われてしまうと、わたしもむっとするようになった。 それで別居を…(笑)というわけではないが別住居を作ってしまおう。 と、急に用意したのではなく、建て替えになっていた東京のマンション一室来春仕上がるのを、貸すかどうするのか、話し合っていたのでその結論。 年金生活の中でお金が持ち出しになって心細くなるだろうし(夫が)、二ヶ所の家管理は大変だ(わたしが)。 わたしはお金は残さなくていいと思う。葬式代(始末代)を取り除けてぎりぎりまで使いたい。子供に残すことはないと夫が思わないらしいところが嫌になる。 二ヶ所暮らしの大変さは20年やってきているからわかっている。こういうわけだから協力は無しと思う。今後、向高齢でわたしが出来るかどうかわからない。 田舎暮らし、晴耕雨読はあこがれているうちが花。畑というものは難しい。おいそれとはいかない、そこが楽しいのだろうが、雑な協力者(夫)にわたしはすこし嫌気がさしている。 晴れた日、ゴルフに興じている人を尻目に、草取りなんかしていられるかい! それも死にそうだと思うから好きにさせておいたのに、ついにガンの数値が下がってしまった。喜んでおりまするもちろん(笑) しかし、そ、となったら今度はわたしが好きにさせてもらう。 夢の図書室作ってしまおう!! まえにブログで話したよね。それ。 で、思ったのだが東京に用事がある方ホテル代わりにいかが(笑) わたしがくっついていて、だれでもというわけにはいかないけれども(笑) それにしてもおたがいわがままになった。年をとって頑固になるというのはほんとうだ。
2009年10月20日
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みなさまはご自分の過去ブログを読み返すほうですか? わたしはなかなか読み返せません。なぜって、なんだか自分の排泄物のようで恥ずかしいのですよ。 そういえばわたしは日記というものが続いたためしはなく、まして読み返すほど溜まったことはないし、もうみんな破棄してます。 唯一このブログが6年分も残っているのです。まあ、日記といえるかどうかですが。 それで恥を忍んで第一回めあたりを読んでみたのですよ。素朴でういういしくて懐かしかったですね。でも、読書感想はともかく、感情を入れているのはやっぱり恥ずかしくむずがゆい。 第一日目にジェームス・ヒルトンの『チップス先生さようなら』とシュトルムの『みずうみ』の題名をあげて 「両方とも自分が青春時代に読んだので、思い出を語っているその主人公が、今、老いているという認識がなかった。淡々と語る淡い恋や生き生きとした人生、光の中の青春時代。ほのぼのとした情景がやたらに美しく感銘深かった。でも語っているのは老いたるひと。今ようやくわかるようになった。そして現実。」 少しも変わっていませんね。成長していないということは若返った?はずはありませんね。 はじめサイト名を「晴耕雨読」としていましたが、都会でのこじゃれた生活もいいなと思い「こじゃれば日記」に、そして「やっぱり読書」に落ちついているところです。 静かな老境の心ではじめたのですが、そんなことはない!忙しさはつのるばかり、成長はしないわ!悟りなどとてもとてもですね。 でも「ばあチャル」というハンドルネームは気に入ってます。せめても。 ブログをしていてよかったことがたくさんあります。 やっぱり本好きの方達にこんなにもたくさん知り合えたことがそうですが、いまはそれに加えてコメントを頂くのが何より嬉しいというここちですね。
2009年04月26日
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最近とみに働きの減退を感じる。 筋肉の衰えは物を運ぶのでも動かすのでも、自分自身を移動させるのでも大変になってきて、家事が思うように出来ない。自分の家の家事は何とかというのが事実。 また度忘れということも増えて、仕事はもちろん家事に差しつかえる事が出てきた(認知症か?)。 そんなことは考えても見なかったという時代(若さ)を惜しんでも仕方がない。現実はいかにして乗り切ってやっていくか、だ。 隠居、ないし楽隠居という言葉が死語になって久しい。また現代はそんなふうに大家族のうちでそれが許される、あるいはお金持ちで人に頼める例は少ないのが普通だ。 だいたい60代は悠々自適生活が出来る。ところが70代にはいってくると、上記のように身体的衰えが邪魔をするようだ。80代はなお維持が難しくなってくると見た。 わたし、永久にとは欲張らないがなるべく自己管理、家庭管理能力を維持したいなーと思っている。 ところがここへ来て「家事・家庭管理能力」を維持することが、やろうと思っているだけではどうも出来ないのではと見えてしまった。 つまり娘のところに手伝いにいって病気になってしまったのがショックをだったのだ。孫を公園に遊びに連れて行くと寒くて死にそうになる。階段を上ったり降りたりの掃除で動きすぎると腰や膝が痛くなる。買い物の荷物が持てない。などなど家事切り盛りの大変さを挙げたらきりがない。 今後、自分たちのことだけするとしても、きっと出来なくなる時が来るとはっきりわかってしまった。その時を出来るだけ後に伸ばすにはどうしたらいいんだろうか? 無理をしないというのが一番いいのか?でも、人間やってないとますます出来なくなるというのが持論。ややかっこよいことを言えば、怠けるといことが苦手なわたし。頭の切り替えが難しい。 切り替えといえば、二人暮しでの夫の手助けも(ありがたいし、してもらわなければ成り立たないのだが)なんか気に入らないのがまた困るな。 単調な仕事が嫌いなのでやっつけ仕事をする。たから雑だ。台所仕事をすればべたべたあちこち汚す。その掃除でわたしの仕事も増える。 菜園作りにしても、畑を耕して畝を作ってくれるのだが必ず曲がる。それが気持ち悪いわたし。 そんな気難しいことを言っていると、それこそ「熟年離婚」じゃなくて「老年離婚」でもしないとならないよね(笑) 介護付き施設を探すかな~と頭をよぎる。しかし、そこが気に入るかどうか自信もない。 わたし頑固になってきたのかもしれない。くわばらくわばら。
2009年04月07日
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当地に完全移住してきて半年以上過ぎました。 ここは海と山がある温暖で有名な、昔からの別荘地です。ちょっと奥に入ると温泉地でもあります。みかん畑に囲まれていて散歩道にはこと欠きません。 おいしい空気とおいしいお水、農協に行けば取れたての野菜が買えます(ああ、いえ、わたしの庭が畑です)魚屋さんも港直行のお魚、珍しいものが新鮮です。 昔からの別荘地ということでヨソモノも「あら、そうなのね」とさらりと受け入れてくれるのでもあります。 もちろん地元人たちだけの以心伝心、伝播はすばやく、ヨソモノが知らないだけなのですが。それで困る事はありません。 と、いいことずくめのようですが、住民票を移してみてその国民保険料の高さにびっくり、町の財政逼迫がみえてしまいました。 そうなのです。ここも温泉地、観光地のさびれが、過疎化に拍車かけているのです。わたしたちヨソモノリタイヤ組みがすこしばかり来ても焼け石に水です。 めったに人の通らないみかん畑の細い農道もみんな舗装してあり、街灯も街のようにいっぱいあります。人口にみあわないお金のかかりようですね。そのほかにもいろいろ訳はあるでしょう。 わたし達にしても、何をするにしても車にたよっている生活では、先のこと(後期高齢)を考えるといずれ立ち行かなくなりますし、また戻ろうかとも考えてしまいます。 だからヨソモノは…、といわれてしまいそうです。 あまやかなここの空気も、珍しく今日はとても冷たかったです。畑に霜も降りました。
2008年12月07日
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もうじき師走だからって言うわけじゃないけど、とにかくせわしない日々を過ごしているのだなーと思う。昨日や今日のことではない、ここ10年に渡ってである。何でだろうと箇条書きにしてみる。* 自営業の手伝い(定年後の事業) 事務一般、事業ってさまざまな仕事がある(また申告の時期!)、アシスタント(門前の小僧的手伝い)* 仕事場と畑の家との往復 毎日ではないけど、定期的に行ったり来たり片道2時間半* 二つの場、建物の管理(掃除や整頓整理) 大掃除の季節だ、磨くものやら、掃うものが多くなる、(アウトソーシングはまだもったいない)* 二食事の仕度、片づけ(朝食は夫) 忙しい時外食にしたりお弁当にしたりしたけれど、味濃く量多し、メタボが心配でほとんど家食* 家計管理(通帳管理、支払などもろもろ)* もちろん洗濯、衣服の管理もある* 年相応の健康管理にて病院通い(が多くなった、去年は夫が大変だったし)* そうそう、30坪の畑だって重労働、楽しみもあるけど* 老親(姑98歳、母88歳)とのつきあいがある(直接介護していないから、ありがたいけど)* たまに「孫」関係のつきあいもある、つかれる* だから趣味は読書とブログのみ(しばらく旅行にも行ってないなー、畑の家との往復が旅行とも言えるけど?)* そして年令のため動作がのろくなりオーバーワークで忙しいのかも(認めたくはないけど)プライバシーぶちまけちゃったがほんとうのこと。でもこうやってあげてみると悠々自適には程遠い気がする。第一遊んでない気がするのはどういうことだ。楽しみは三度の食事と少々の晩酌だけだなんて、思ってた中老後の生活ではない。パートナーも古希、仕事はおいおい無くなるだろう。東京との行ったり来たりも減るだろう。そして家事分担合戦が落ち着くところに落ち着いて、ほんとの「晴耕雨読」になるのも近いかも。しかし、正真正銘の老後でもあるよ、複雑…。
2007年11月29日
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ここのところ寒気団が入り込んで、通常の冬らしい寒さだ。作物や樹木にとって有難いというか、困ったなーという状態が解消されるかもしれない。植物にとって適当な寒さを経ないと、成長がよくないのは常識だから。我が畑も人参大根がふとり、小松菜の新芽のところが食べきれないほど早世してびっくりしている。わけぎも一旦枯れるのだが、枯れずに成長著しいし、葱の「ねぎぼうず」ももう出てきてあわてている。今年の冬はかぶ、だいこん、にんじん、キャベツ、下仁田ねぎ、小松菜、サニーレタス、そしてえびいもが大豊作で食卓が大いに潤い大満足だった。つまり、素人畑は充実の時を迎えている。全く何も出来なかったわたしが。振り返ってみると、よく出来たなあーという手仕事や趣味が多くあったと思う。編み物もそのひとつ。昨日のブログで3番に挙げたが、今後出来るかしらん。一生のうちには気力根気充実の潮時ってあると思う。娘が小学校4年から6年まで着た編み込みのセーター
2007年02月26日
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おお、まあるい月だこと、と思いカレンダーを見たら「十六夜」だった。 そして暗くなると海に月影が美しい。私の年齢は紅葉して落ちなんとする葉っぱ、あるいは落ちている途中の葉っぱと思う。落ちる時間が長いか、くるくると回ったりして、変化に富んでいるかはまだわからない。でも、確実に落ちているのだからそれを自覚することと、しないこととの意識の差はそのうちに歴然と。感傷なり。
2006年10月08日
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「そよ風が背の高いポプラの葉を揺らしていた。」今読んでいる本ののなにげない一節に郷愁をよびさまされる。外国に小説を読むとよくポプラの木が情景描写に出てくる。どんな木かわからないけどポプラという名前から長らく憧れていた。これがポプラの木だ!とひらめいたのは岩手の牧場。晴れてたのか曇っていたのか、鉛色の空に灰緑色。おいでおいでのように、ぴらぴらと葉が震えている木が数本。同行の人に確かめたらそれがポプラ。その印象的な場景が忘れられない。それから思い出す。「グリン・グリーン」の歌を。「♪ある日~パパと~二人で~語り~あったさ~」「♪グリン・グリーン」「♪グリン・グリーン」「♪ある朝僕は目覚めて そして知ったさ この世に辛く悲しいことが あるってことを」「♪グリン・グリーン」「♪グリン・グリーン」私はこの「グリン・グリーン」がポプラだと思っている。晴れた日のポプラの葉のそよぎも美しい。おとといは父の十三回忌法要の集まりだったけど、日常のなにげない時に思い出すことが多くなったと思う。
2006年10月02日
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alexさんの最近のブログ『「遊牧の哲学」 私の遊牧民度 』 『灰になったあなたの手に残るもの』を拝見していると共鳴するものがある。確実に老後(隠居)を迎えるにあたって、これからどういう姿勢で暮らそうかということをしみじみしみじみ考えているからだ。alexさんの文章は論理的で教養が詰まっているのだが、私のは感性のみで言っているだけだけれど。その姿勢のひとつ「物」について、alexさんの『「遊牧の哲学」 私の遊牧民度 』へのコメントにこんなことを書いた。「そぎおとしたいものとそうでないもの」 人生の先輩(母、姑)の最終章に付き合っていて習うことは、物(金)を持ってるだけでは何にもならないということです。それをどう使うかのかの頭脳(知恵)が必要だなーとつくづく思います。遊牧民ならさぞかしいい方法が伝承されているでしょうね。コメントの意味は、持ち過ぎていると思われる物の有効活用法があればいいなーという気持ち。遊牧民は移動するのだから、合理的に物を持つ伝統があるのではないかと思って。今私は膨大な「物」に囲まれて生活しているなーと思う。母たち(母、姑)もそうだった。「物」とは生活に必要の物もあり、ぜいたく品など余分な物、思い出の物などもあろう。しかし、母たちは身一つも扱いかねるように老いて、ほとんど物がいらなくなってしまった。(使えなくなってしまった。)なのに必要最小限がわからない。選べない。まわりが手伝うが本人の思い通りにいくはずもない。だから、そのような状態になる前にシンプルにしておいたらどうだろうか、ということが私の頭に浮かぶ。母たち(母、姑)も予感があったのか、「そうしたい、そうしなければ」と言っていたではないか。でも間に合わなかった。救いは姑が十数年前老人ホーム(個室)に入る時も大々的に整理してそれはえらかった(習うことが出来るかなーとその時は思った)のだが、十数年経つとびっくりするくらい増えている。(たとえば着きれないほど大量の衣類。捨てられなかったのだとか)ああこう書いてくると、困るのはまわりであって本人は涼しい顔かもしれない。私がそうであってもいいのかも。シンプルライフ、簡素美にあこがれるんだけどなー。とりあえず積読本をどうにかしなければならない。読むしかないか。
2006年09月29日
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約一ヶ月ほど留守にした畑、盛夏という時期もあってものすごく草ぼうぼうになってしまった当然なりものは壊滅状態、予測していたとはいえ呆然自失。いい加減にしてはいなかった畑なので惜しい、やめちゃおうかなと気弱になった気を取り直して猛然と草取りに励むが、一日や二日で済むはずがない。はたして私には読書以外でやめてしまったあるいは休止している趣味は多い例えばアートフラワーはセンスがなかったので興味を無くしたり、刺繍は目の病気をしたなど仕方なくやめたものはいい。しかし編み物、水彩画は好きなのに何やらこのごろ手をつけていない。あきっぽいのかさにあらず、徹底的にやらないと気がすまない性格、いったん滞るとやる気を無くす悪い癖「継続は力なり」と畑だけは続けたいだけど、読書とブログはよく続くよな~
2006年08月28日
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畑つくりも5年にもなると本格的になってきた。「晴耕雨読」が目標ではなかったのに成り行き上そうなった私としては目を見張っている。やれば出来るのだ。前列きゅうり、その向こう枝豆、奥ジャガイモ前列下仁田ネギ、向こういんげんリタイヤ後の暮らし老後の暮らしを、どんな風にしようかと考えている人は多いだろう。夫と私もその時期がきて怒涛の流れでこうなった。「怒涛」なんておおげさな!と思うかもしれないが、長年ローンを払い暮らしてきた、閑静なと冠がつく郊外の住宅を売り払って、この畑のある家の土地を手に入れた。子供たちのふるさとである土地を離れて悪いとは思ったが、自分たちの選択でそうした。思い出は心の映像でというのが私の考えだけれど、子供たちには心外だったかもしれない。東京の事務所のことと差額があるので自営業で働いた。働くために東京の事務所があるのだからおかしいのだが。それももう7~8年、そろそろ仕事もボランティアに移行してる。当然と思う68と64だもの老醜をさらすわけにはいかぬ。さて、趣味に生きるも自立した生活が基本。ひとりも二人も生きるには生活があり家事雑事はしないわけにはいかないが、先輩たちを見ているとその「家事雑事」が出来なくなってくる。どんなやり方がいいのだろう?生活範囲の縮小か(あくまでも自立の姿勢)、援助を受けるのか(老人ホーム等施設)、なりゆきまかせ?とすると隠居生活の夢はひろがる、楽しみが残っている?
2006年05月27日
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ふと思ったことだから後で気が変るかもしれないが、読んだら必ず感想を書くのはしばらく止めてみよう。読書感想を律儀に書くのがめんどくさくなった。3年近く続けてきたら私の読書感想の傾向も定まって、新鮮味が薄くなったし(あくまで私の能力の限界のこと)、自分も厭きてきたし、自分に対するあらすじや感想の思い出しの意味も少なくなってきた。ほんとに便利になって、読了した本の内容を忘れてもネットで検索すれば、流通している本はネット書店であらすじや読者の感想でわかり、ホームページやブログで個人の感想も見られ思い出せる。ネットの霊験あらたかである。ただし、本を読むのが嫌になったわけではないので何を読んだか、面白かったかつまらなかったかぐらいは書いておきたいから、読書感想風ブログは止めたくない。自分のパソコン上だけでは続かないだろうと思うから。ひとまかせである。読書感想風ブログにて「晴耕雨読考」のカテゴリーで人生最終章の生きかた暮らし方を考えてみたい。もう最終章は何ページか進んでいるのだけれど。これまであんまり書かなかった私の身辺雑事雑感がふえるかもしれない。このごろ密かに考えてきたことを告白する。(大げさ!である)
2006年05月20日
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昨日、築地魚河岸で料理のために、おだしの材料を買出しした。すなわち昆布、削り節、煮干そして海苔各種など、何ヶ月に一遍かまとめ買いするのが慣わし。ついでにお昼もそこでするのが楽しみなのだが、よく行っていた場内の鮨屋はこのごろいつも長蛇の行列。諦めて違うものにするが、今回はちょっとハズレ。あんまり雑誌やTVなどで取り上げて欲しくないんだけど…とジコチュウになる。お決まりの玉子焼きも買って、かさばる昆布、削り節、煮干や海苔のビニール袋をさげて、よろけるように歩いていたら、どこかで聞いたようなお声がする。携帯電話片手にきれいなおねえさんって、顔が会っても気がつかなかった。通り過ぎてつれが「桃井かおりさん!」と言ったんで「ああそうか、その声、しゃべりかたそのまんま」と振り返ってしまう失礼をしてしまった。雑踏で芸能人、俳優さんに会ったとしてもどうってことないのだけれど、普通の人っぽく見えてなにかしらオーラがある人に会うと嬉しくなるものだ。おかしいかなー。そのかさばった荷物を郵パックで送ってしまい、銀座を通って地下鉄に乗るのだが、その「銀ブラまがい」がまたいいというか懐かしい。昔の職場もビルが建て替わり有名ブランド店になってしまったり、知ってる裏通りのお店も無くなってしまったけど。やたらきれいになった銀座だけれど、あいかわらずの人出は活気がある。白人系外国人の観光客も多かった。そんなひとごみをだまって歩くのが私は好き。へんかなー。で、田舎の町にひっこんでしまうと出ては来れるが気軽ではない、と考えてしまうのだ。つれは下町に住みたい(人形町とか)なんてほざいているし。なんてことないんだけど都会の喧騒が好きなんだ、懐かしくてね。
2006年05月16日
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