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さてさて、孫娘、しばらく休学するという...祖父母というものは孫に目がないから、特に頑張っている孫には応援する。老骨に鞭打ってもやるよ。この4カ月はなんだったんだろうと、もうがっくり!せっかく頑張って入学したのに...本人にとってはしかるべき理由があるのだろうけど、1年先2年先に復学するとしても、わたしたちには次がない、もうできないということは、若者にはわからないのだろうけど。しかたがない、もとの老夫婦生活に戻る。でも、ホッとしている部分もある。わたしたちも無理っぽく頑張っていたからね。つまり「老若、したいことと、出来ること」のはざまでやっていたのだ。何事も無駄ではないのだけれど...。娘、誕生日にこんな感謝をしてくれたのだけど
2023年08月04日
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辻邦生・水村美苗共著『手紙、栞を添えて』3度目の再読。辻邦生氏の作品を読み続けているので、気になって。おふたりの文学に対する博識がものすごいのだけれど、書簡という形式からくる親しみやすさ、解りやすさが、本好きの心をゆさぶる。今、読書中の作品は『夏の砦』まだ前半なので、言い切れないが『廻廊にて』をより深く説いていくような小説に思う。その前に『作品集 1』の短編も読んでいる。ま、それだけでも辻氏の思想にどっぷりつかっているという感じ。「遠い園生」 作者19歳のセンシビリティな作品。離婚して去っていく母と少年。そして、父とのかかわり。母との別れの姿が切ないが、困惑してるだろう父と雪遊びに興じる、幼いゆえにほのぼのとしている描写がういういしい。「城」 遠景として見えている城跡に、行ってみようとしても、行く計画につねに故障が起こる。作家らしい主人公のなかなか書きあげられない小説との、相乗効果が面白い。何かをなす、ということのエネルギーはどこからくるのだろう。「影」 これは労災じゃん、なぜそんなに忖度して身をすり減らすのか(怒!)と現代の頭は思うけど、ふた昔も前なら、こんな風なしがらみは当たり前のこと。影とは良心の呵責に追いかけられること。「人間の精神(意志、欲求、知能、判断、記憶)の力はランプのともしびのよう。ランプのまあるい周りにしか届かない。」は真贋だ。「ある晩年」 あるべきところにあるべきものが収まるのが、幸せに感じる初老の法律家。愛人の女性とその息子にすら、冷静に対峙してしまう。だが、息子の死事故によって、愛人が息子との突然の別れに精神の病にたおれるのを目の当たりにすると、不条理を受け入れ、心を開くが…。「旅の終わり」 イタリアのある街で知り合ったジュゼッペ家族との交流。国木田独歩の「忘れ得ぬ人々」のような。「蛙」 ボッシュという画家の絵「手品師」が題材。わたしは知らなかったのでウエブで検索。世の中、寓意に満ちた絵画は多い。でも、そんなところにいる蛙にびっくり。「異国から」 パリ、スペイン、シチリア、チロル、フランスの田舎シャルトルと小説のような紀行文のような、作者の姿と心が見えるような素敵な文章。読み返したくなる。『鎌倉駅、徒歩8分、空き室あり』越智月子辻氏の作品を読んででいる合間なので、むしろ肩の力が抜けたようになり、骨休めになった。しばらくこの作品のようなライトノベル(とわたしは思っているのだが)を敬遠していたが、読んでみるとこれもいいものだ。ピーマン食べて酷暑を乗り切ろう!!
2023年07月30日
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『鎌倉駅、徒歩8分、空き室あり』越智月子鎌倉市の隣にあたる区や市の2か所に、随分長い間住んだ。子育てのほとんどの期間を過ごしたといってもいい。だからなじみ深い、思い出深い古都、散歩地なのだ。それもどっぷり昭和、ちょっと前の鎌倉。今や超観光地。でもちょっと道を曲がれば、住人は普通の生活をしているんだけどね。そんな住人たちをシェアハウスなどといった今流行り感覚で描いている。中年以上の女性たち5人の暮らし。シェアハウスのオーナーも、飛び込んできた住人たちの事情も、ことさら珍しくないけど、壊れそうで壊れないようにストーリーが展開していくのがいまどきありそう。ただ、珈琲とカレーライスの薀蓄が饒舌だなあ。さてこの本は小鳥の鳴き声がところどころに、興趣を添えてくれる。「ケキョ、ケキョ、ケキョ…」がウグイスの別鳴き方くらいは知っていたが、「ツツピー、ツツピー…」がヤマガラ「ツピ、ツピ、ツピ…」がシジュウカラそして「チョット、コイ。チョット、コイ…」がコジュケイわたしのなかで鳴き声と鳥の名前が一致した!25年前のスケッチ タワーがまだ前の古いもの。
2023年07月29日
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辻邦生作品 全六巻20年ほど前の七夕祭りのブログ笹飾りもなく、短冊も書かない、お祭り。いや、お祭り気分の日だった。朝8時30分、不在者投票に夫と連れ立って行く。ついでにクリーニングも出して、取って来て。10時。神田免許センターに運転免許の更新に行く。この頃運転してないし、ばあチャルの年齢から、もうどうしようかなと思った。が、せっかく一生懸命取った免許、もう一回は(ゴールドなので)更新しておこう。11時半に無事終わる。ひさしぶりで神保町古本屋街へ出る。また今日はやけに蒸し暑いのよね。なのに美味しい天ぷらそばを食べて大汗かいてしまった。お腹か出来たら、さあ古本屋めぐり。と思ったら、一番始めのお店でほしい本に出会ってしまった。「辻邦生作品集全6巻」その時は括ってあったのでわからないが、ちょっと古そう、でも6冊で2,200円は安い。心を残して他のお店をぐるぐる。中学の時からおなじみの三省堂で欲しかった文庫(これは新しいもの)2冊を購入、1,827円を支払う。(昨今の文庫本はお高いのだ)「死の散歩者」キャロリン・G・ハート 900円「プレイヤー・ピアノ」カート・ヴォネガット・ジュニア 840円「むむっ!!」最初の古本屋さんに取って返して、「辻邦生作品集全6巻」を見せてもらう。1972年発行。モスグリーンの布張り、箱も擦れてはいるが渋い色に、白抜きの繊細な西洋画がある。あの、豪華な全集モノが流行っていた時代!私は知ってるよ!思わず「下さい!」って言ってしまった自分がいた。それがお祭り、たいしたことないんですけどね。でも、6冊の豪華本は重かった。よる年波の私には応えたね。手豆ができてしまった!日ざしは暑いし。「辻邦生作品集全6巻」は処女作「城」から初期中短編の作品の数々、読んでいないものばかり、楽しみだ。「回廊にて」「夏の砦」「北の岬」「見知らぬ町にて」「嵯峨野明月記」「安土往還記」「パリ日記」などなど。お陰様で買うはずの中古文庫本は今度の機会に。新中古文庫本「萩原朔太郎詩集」300円も購入。たぶんこのあと昼寝よ。こんな風に無邪気に喜んだのに(昔のブログはこんな風に牧歌的)、なんという怠慢か、永らく本棚を飾っていたこの作品集を読み始めた。コメントでも話題にしたが、もう後がない年齢になったので。けど、読んでみて処分せずに残しておいてよかった‼と思う読書感想だから正解だった。ところで、このブログの自動車免許返納の話題は早すぎるよね、その時わたしは63歳になったばかりだから。今(82歳)から思うと、はやくから自分を老人に見立てたのですね。そんなふうにわたしの世代は早く大人になりたい、「ろうたけたい」願望が強いのでもあります。もう後がないといいながら、しぶとく生きている。
2023年07月18日
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『廻廊にて』辻邦生♪時の過行くままに♪ 歌詞ではないけれど時の魔術師、辻邦生作品、しっとり読みました。1962年から雑誌に発表、近代文学賞を受けて、読み継がれた古い文学作品。20世紀初頭、大戦と大戦のはざまにパリに留学した画学生が、ロシア人亡命者の娘、同じ画学生「マーシャ」の人生に惹かれ才能があるのに寡作だったマーシャの残された日記や手紙で生きた証を辿っていく。デラシネの行き交うパリ、芸術を成す人は極小、浮かんで消えていく芸術家。しかし、その人の辿ってきた道と心模様の奥深さは、成すとなさざるとにかかわらず、その過程こそ真髄なのだと。いってみれば「いま、ここ」が大事なんだ、という思いは仏教の教えに通じる。ヨーロッパという地形でみれば、国境、人種、言葉のモザイク状態で、権勢によって境目が移動する。その中で翻弄されている人々が、現在でもどんなに多く居ることか。それはウクライナ侵攻のニュースに触発された現在の知覚だけれども100年前とも変わらないのだと、そこに普遍性を見た。成すことが出来なくても、そのたどる道もその人間の本質でもあると、「時のたっていくこと」を言い尽くしているような作品。入り組んだ構成の文学らしい文学作品。30年前、女子学生に人気がある作家と聞いた記憶が…、この作品で納得した。寄宿舎でマーシャの親友となったアンドレの中性的な魅力がなんとも秀逸なので。
2023年07月13日
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『水の眠り 灰の夢』『ダーク』(ミロ・シリーズ)『猿の見る夢』と、桐野夏生の作品ばかり続けて読んでいました。『猿の見る夢』が未読で、他は再読。『水の眠り 灰の夢』ミロの義父が週刊誌の記者だった若かりし頃の話。昔の感想にも書いたが、わたしと同時代、感覚がどんぴしゃりで、面映ゆい気持ちで読んだ。作者は小学生だったのだから、よく調べて描いているのがわかる。『ダーク』「村野ミロシリーズ」がこれで完結ということ。その後の桐野さんの作品の風格が確立された感じ。作風の出発点となったのだと改めて思いますね。昔読んだときは「どうなっちゃったのミロ!?」とあきれた思いがだったが、逞しく悪くなっていく毒の過程が、そうだ、そうだと納得のわけは、時代が追いついたのだと思う。『猿の見る夢』スピーディーで面白く読んでしまう。2013年~2016年にかけての作品だから、ミロスリーズから始まった数々の作品群を経ての本。ここまでくると失礼ながら手練れが安心して読めるように思う、それが心地いい。心地いいと言えば、芽吹きの緑陰が恋しい
2023年07月02日
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大学生の孫娘と暮らして3カ月経ちました。初めはどうなることかでした。小さいころのように遊びに来て泊まるのとは違うのです。30年近く夫婦だけで暮らしていた所に寄宿するのですから、慣れないうちはお互いの気配がとてもとても気になりました。都会の狭い住まい、二人用にと間取りを選んだ2LDKマンションのLDKについた3畳ほどの畳部屋を使ってもらってます。時間帯の違う老人と若者が暮らしたら、どんなことになるか?リビングが不夜城になりました!夜更かし(夜中まで起きている)している孫娘、早寝(20時)のわたし、夫だって22時には寝ます。老人は早起きですから、(夫やわたしは3時頃には目が覚めて、本を読んだり、TVをみたりして部屋で待ってます)6時にはLDKに2人が出動、(わたしたち夫婦の生活サイクルを変えないという約束がしてあったので)生活音と、TVの大音量が朝早くから鳴れば、孫娘は耳栓とアイマスクでしのぎます。当然食事時間の違い、食事の内容・量も違います。ほっておいてと娘は言いますが、それが出来ないのが祖母サガです。わたしたち夫婦は結構肉類や揚げ物が好きなので、1人分余計に作っておいて、勝手に好きな時間に食べてもらうことにしました。ところがあんがい、小食な孫娘、わたしたちよりもあっさりしたものが好きというか、たくさん食べられないことがわかって、びっくりしました。で、前よりもあっさりした食事内容になりました。(わたしたちの健康にも良いか)先日、水道使用量の検針員から「水漏れとかありませんか」と注意されてあらまあ!!もちろん光熱費が増えるだろうとは思っていましたが、問題になるとは思ってなくて。風呂嫌いの夫ゆえ、(浴槽に浸かりたい)わたしもシャワーで済ませていた水道使用量が、若者の風呂好きに合わせて毎日浴槽に湯を張っていた結果、一気に上昇したのでありました。結局水は無限あるのではないので、夏は一日おきにシャワーのみということで落ち着きました。それぞれ3人が折り合って暮らす日常が、知恵と工夫で刺激的なことは請け合いです。こんなのが増えた。アロエベラのステーキ、さすがこれは不評でした!
2023年07月01日
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ジェイムズ・ジョイス『若い藝術家の肖像』詳しい注釈が付いているが、よほどの根気が必要、途中で注釈は飛ばすことにしてやっと読み終わる。そうして読んでみると、わたしの知識の無さなのか、なんだごく普通の成長記だなあと思ってしまった。印象深かったのは、主人公が娼婦通いにはまり、罪の意識に苦しめられ、カトリック教会で神父の説教を聴くところがすごい。罪が永遠に許されなくて永劫苦しむ「地獄での永遠の罪」という脅しの描写が圧巻!松本清張『混声の森』桐野夏生『顔に降りかかる雨』桐野夏生『天使に見捨てられた夜』桐野夏生『ローズガーデン』そういえば、桐野さんは松本清張さん系だったなあと、ストーリをすっかり忘れてしまった「ミロシリーズ」を読み直す。やっぱり面白い~。氏の作品の40冊以上は読んでいるが、初期の作品群はみずみずしくて好きだ。*****今月も日常生活が慌ただしく過ぎた。ひょんなことから高山市にも旅行。古い街並みもよかったが、市内の飛騨国分寺にて、1250年ものの大イチョウにすっかり憑りつかれた。
2023年06月02日
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まだまだあった、読み残しの清張作品。文庫本にて楽しむ。『美しき闘争』(角川文庫)と『蒼い描線』(新潮文庫)昭和時代を感じるのはおもしろいし、しかも古びていないところがすごい。両書とも熱海や箱根が舞台、そしてストーリー展開によって、日本全国縦横に旅する、その土地土地が目に浮かぶ。『美しき闘争』(角川文庫)1962年雑誌に連載、1984年カドカワノベルズ刊行『蒼い描線』(新潮文庫)昭和33年7月から週刊誌に連載、昭和34年(1959年)に光文社から刊行巻末解説。ほんとうにほんとうに清張さんの作品は多いのだ。清張さんはわたしが児産みが一段落して(笑)子育て真っ最中の1972年ごろから、文藝春秋社の全集を買って読んでいた。カッパノベルズなどで同時進行に読んでいなかったのだからというわけで。特に全集の最初の巻数は清張さんが選んだ(傑作と思われたかどうか?)ばかりだったので、傑作集のような限られていたのものだったのだね。その後、文藝春秋社の全集は続巻を出したようだけど。両書とも女性の出版業界における編集者が主人公、働く女性をめぐる描写の昭和なのが、かえって面白い。ストーリ展開の調査旅先地名も描写も、わたしが行ったことがある、住んだことがあるところが多い。知った土地名だからか、なお深いなあ、なつかしいなあと、わたしが年とって経験していることも悪くない。山口瞳『血族』山口氏の作品と言えば、サラリーマンの明るい哀愁ものと思っており、このような自伝的作品とは思いもしなかった、失礼してたよ。佐藤愛子『血脈』つながりでおしえていただいていたのだが、グズグズしていてやっととりかかり、新鮮さに瞠目した。だいたい履歴なんていうのは興味ある人物でも、面白くもないのが多い。日経の「私の履歴書」シリーズも大概そう。もちろん、その波乱万丈なゆくたてにもよるのだけれども。 『血脈』の方はその一族の突拍子のない人物像が縦横無尽に異な行動をするのだし、小説仕立て、愛子ワールドだからおもしろかったのだけどもね。山口氏のは謎解き風、一章ごとのまとまりの文脈でたたみかけるようでいて、冷静沈着な文章がうまい。一家の古いアルバムに、兄と自分が同じ月数の赤ん坊の姿で写っているのに、双子ではない?そりゃ子供の頃にこのアルバムを見れば怖いだろう。なんだろうね、わたしたちの世代は山口氏のような文章術に好感を持つのかな。*****わたしの日常では、二番目の孫娘が我が家に寄宿して大学に通学することになった。これで2人でうち倒れていることの心配なくなったが、それよりも生活雑事、忙しさ倍増のほうがしっくりするのかもしれない。まあ、現代大学生の風景でも楽しめるかいな。
2023年04月24日
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ジェイン・オースティン『分別と多感』...理性的なふたりの人間同士なら、ほんの数時間集中的に会話をすれば、ほんとうに共通の話題は語り尽くしてしまうだろうが、恋人同士となると話は違う。恋人同士のあいだでは、少なくとも二十回は同じ話をしないとどんな話題も終わらないし、話し合ったことにすらないのだ。(501ページ)昔を思い出してなるほどと思った一節。イアン・マキューアン『甘美なる作戦』なかなかおもしろい、読めば読むほど「ジェイン・オースティン」だけれど。木田元『哲学散歩』哲学の発祥地、アフリカや中東の治安不安定さ、そしてギリシャからスペインまでの斜陽、文明はどこへ行くのか。哲学の思索経路や歴史はわかったような、わからないような、だったけど、昔読んだヨースタイン・ゴルデル『ソフィーの世界』より身近な気がしたのは、日本の学者の作品だからかも。*****ブログはしばらくこのかたちで。ベランダのさくら「ピンクマーガレット」
2023年03月29日
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1.『贖罪』イアン・マキューアンに続いて2冊目のマキューアンもの 2.『アムステルダム』認知症で終わった前作、奔放な女性の認知症で始まるこれ、ちょっと凝り過ぎじゃないかと思う、ストーリー。3.『ノーサンガー・アビー』オースティン『贖罪』のエピグラフに引いてあったので、未読なれば読む。マキューアンがらみの、というところだがオースティンさん、小説を創っていくおもしろみを満喫させてくれる。4.『ひとはなぜ戦争をするのか』それぞれ超一級の専門家、アインシュタインとフロイトとの一回きりの往復書簡で、戦争に走る人間のサガを解剖する。しかし、年代は第一次世界大戦後、第二次世界大戦前の1932年。この冊子が再編されたのが2016年、まさかの2022年~2023年の今「ロシアが戦争をしかける」にヒントがあるのかどうか、ご名答とは言えないわ。そして5.木田元『哲学散歩』を読み始めているのだが…。
2023年02月28日
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今月は家の設備の付け替え、置き換えに翻弄された~~まず、夫の部屋の照明器具の蛍光灯が切れた。いわゆる天井に張り付いている照明器具。カバーをがばっと外して蛍光管を替えるもの。夫はもうそういうことができなくなっているのでわたしがやっているが、こちらだっても脚立に乗っての苦しい作業。で、ペンダント式の照明器具にしてLED電球をつけようと。にわか電気工事屋になって、蛍光灯照明器具を外すわたしの大奮闘。まあ、(初めての経験だから)大変な思いをして外し、他の部屋(リビング)のペンダント灯を「引っ掛け埋め込みローゼット」にカチッとハメ終えたときは大汗。ところが、こんどはその外してしまったリビングの灯りを、「LEDシーリングライト」にしようとネットで購入したのはいいけれど、その器具ちょっと重かった。作業途中でにっちもさっち行かなくなって、ついに息子を緊急呼び出し(自宅ワーク中でよかった~)事なきを。初めからそうすればよかったという話。もう、夫婦でこういう作業はできなくなったのねえ、との感慨だ。そりゃ、しょうがないんだけどね。つぎに、電子レンジ(1999年製造だからよく持ったでしょう!)と電気ケトルがこわれた。やはりネットで購入。電気ケトルは燃えないゴミに出すのは易いが、電子レンジは相当重い。二人で何とか置き換えて、古いのが部屋の隅に鎮座している。粗大ごみに申し込んであるが、マンションの粗大ごみ置き場まで運ぶのに、また息子をよぶのかなあ(笑)これが苦戦して、リビングダイニングに付け替えた新しい照明器具
2023年02月27日
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もう二月半ば、時の過ぎるのが速いよ。こころを痛めていることは「ウクライナ侵攻」がもう一年経って、つらい人々が大勢いること。トルコ、シリアとんでもない大地震の被災、地被災者のこと。大局がそうでも、まあ日常のことはなんとか、かんとかして暮らしていくしかありません。『贖罪』イアン・マキューアン古典的な作品を好むわたしも、やっと現代的なイアン・マキューアンにはまりました。といっても21世紀初めの作品なので、遅れているといえば遅れてますけどね。で、やっぱり圧倒されました。長年読書をしてきて、本好きなのに、作家になりたいとは思ったことはないのですが、マキューアンの文章を読んで「書きたいなあ」と思わされたことは思いがけないです。まず、ヒロインたちの住む家(お城みたいな館です)の描写がなんともいい魅力。もちろん原文がいいのでしょうか、魅せられてしまいました。そしてプロットも小憎らしい。おとぎ話の要素とミステリーの要素、そしてホラー、ゴシック、、すべて満載。そしてあっけないカタルシスと余韻。「第一次世界大戦時」のルポルタージュ風の章は、現代のウクライナ戦争があるだけに臨場感がありました。大体、ヒロインが作家を目指している、作家になったらしい。というところがなんとも、興深いですかね。つまり小説好きを手玉に取ってまわしてるようなものですよぉ(笑これぞイギリス文学の骨頂かもしれません、と思いましたね。ところで、エピグラフに引いてあるオースティンの『ノーサンガー・アビー』読んでない、読まなくっちゃ。
2023年02月17日
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『クレーヴの奥方』ラファイエット夫人恋は時間が過ぎれば冷めるもの、まして不倫の恋愛は害あって益なしと知ってる女性の、わかっているのにも求めてしまう恋の苦しさを、これでもかこれでもかと描いています。はじめは少々イライラもさせられるほどで、両思いなのに結ばれない、結ばれようとしない自制心の苦しみ、そんなに苦しむなんて無駄…とか、ヒロインの拒絶行動が、恋愛をいやがうえにも盛り上げているのじゃないか、とうがった見方までしてしまう。今や女性自身で考える自律が普通のことですけど、17世紀の女性の作家が16世紀のフランス宮廷を背景にしての状況ですから、先駆的でもあったのですね。なるほど、不倫の恋愛の苦しみ、究極の恋愛を描いたフランス心理小説の古典、なのだと。むかしむかし高校の教科書に堀辰雄『美しい村』の序曲が題材として載っており、その文中に『クレーヴの奥方』と、ラディゲ『ドルジェル伯の舞踏会』が引いてあり、なぜか興味を覚えやみくもに読んで、わかったのかわからなかったのか、それから幾十年。今回読んでみてヒロイン(クレーヴの奥方)が熟女のように思っておりましたのに、16歳の設定でびっくり、高校生年代ではありませんか。だから高校生の頃ってそんな姿を、若さゆえの老成を、理解しようとしたのかもしれません。
2023年01月30日
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大雪のニュースは盛んなれど、東京はいい天気が多くて申し訳ない気がする。が、晴れてても寒く、散歩していると心臓が痛くなって、またまたぎょっとしてしまう。運動しなけりゃ、心臓弱る、すればしたで心配になる、どうすりゃいいのよ、と今日も散歩が終わってホッとしたところ。そういう状態はこのごろ多く散見させられる。キッチンで料理をするのに、天井の灯り、流し元の灯り、換気扇フードの灯り全部点灯していても、「えらい暗いなあ~」となって、もしかして「白内障が進行したのでは?」と眼科に。「はい、両目ともあります」はしょうがない。でも、視力は矯正できる範囲、眼鏡作り直して、点眼クスリを処方されて様子見。夫に言わせりゃ「まだ、いい方だよ」先日、久しぶり(3年ぶり)、銀座の画廊での個人展に行った。友人何人かとで午後の時間をお茶して少し歩いたのだが、翌日腿が痛くなり、腕が痛くなり、「えっ、コロナか?」とドッキリ。いやいや、筋肉痛で、かかとの少しある靴とハンドバックを持ったためで、ほんと情けないでござんした。
2023年01月28日
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『聖母の鏡』原田康子あのベストセラー『挽歌』作家の晩年の小説。ひさしぶりにグングン引き込まれたのは、構成力と筆力の確かさだと思う。50代終りの女性と50代半ばのスペイン人男性との恋愛。そうか、『挽歌』の怜子が蠟(老)熟して『聖母の鏡』の顕子(あきこ)に現れたのではなく、新生していたのだった、と。それはそうだ。姉妹編というところもあるが、蠟熟というより、その芯のところは変わらなく、心の叫びを、繰り返しわがままと言えるまでに表現している。やはり『挽歌』があれだけ読まれたのには、うなづける作家の真髄。1997年に上梓されているから、今流行りの「蠟熟女の叫び小説」の走りかとも。この小説に描かれている情緒溢れるスペインの田舎村の情景が美しいこと!今でこそ、日本人も知っている気分になっているよね。
2023年01月22日
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『砂の女』安部公房上梓された1960年代よりも、1980年代に再見された安部公房氏の作品、カフカの『城』を思い起こすシュールな作品という斎藤美奈子氏の解説(『日本の同時代小説』岩波新書)にうなづく。「塔の高みか砂漏斗の底か」というのは私見。読了前作『パルムの僧院』との対比なればの感想。つまり、ファブリスは塔の上で、『砂の女』の男(名前は仁木順平)は砂にうずもれるあばら家で自己の自我をみつめ、他者(女性や身近な人々)との関わりにあれこれ悩むのだから。1980年代ならず、2023年代の今も古びていない、自我自意識と他者、共同体との闘い。(と言ってしまっては古臭いかも)他者他人とうまくやっていくのに、どうしこんなに苦労するのか、という古今東西共通の悩みは、時代が経っても、日本の最近の小説のように優しい文章になっても、変わらない。わたしなどはこういう硬質な文章のほうがしっくりするのかもしれない。ドナルド・キーン解説「われら20世紀の人間が誇るべき小説の一つである。」なるほど、20数か国に翻訳され、一時はノーベル文学賞もといわれた、というのも納得。
2023年01月16日
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『パルムの僧院』スタンダール 下巻に至って、いよいよファブリスとクレリアの純愛か、叔母のサンセヴェリーナ公爵夫人の盲愛・偏愛によるファブリスの不幸か、となります。貴族ファブリスは恋のつまらないさや当てで、旅芸人の男を殺してしまい、当時(17~18世紀)のイタリア公国は「お手打ち」はおとがめなしなのだが、専制君子の大公の虫の居所によって、ファルネーゼ塔という監獄にいれられてしまったのでした。美魔女とでもいうのでしょうか、宮廷の男性という男性を惹きつけてやまない貴族の娘のジーナ叔母(サンセヴェリーナ公爵夫人)は政治的手腕も長けていて、おまけにモスカ伯爵というもっと辣腕の大臣を巻き込み、監獄からファブリスを助け出すというが良かれと、あらゆる手を尽くすのです。でもそれは「いらんこと」でした。獄舎の監視将軍の純真で魅力的な娘クレリアにひとめぼれ、浮気なファブリスも「これぞ真なる恋」と開眼。しかし、叔母もクレリアも愛するファブリスのために他者と結婚するという、スタンダール・ワールドの流れ、手に汗握る展開が続き、大団円で終わります。と、さもあっさりと書きましたが、恋の駆け引き、宮廷政治の陰謀やら、当時の小公国専制政治のあらましなど、読むのに苦戦したところもありました。昔読んだ中央公論社「世界の文学」の『パルムの僧院』がわかりにくかった記憶があったので、この新潮文庫改版はわかりやすくなっているのかな、と思っていましたが、何のことはない同じ大岡昇平氏訳だったのでした。つまり、この文庫の初版を見ると、昭和26年(1946年)に訳されているのですね。道理で監獄の塔の高さが尺や寸で表されていますもん、感覚わかりませんけどね。でも、さすがスタンダール研究者の作家の珠玉の翻訳には違いない、とは思います。
2023年01月10日
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あけましておめでとうございますみなさま、お健やかにお過ごしのこととおもいますわたしは新年早々大失敗いたしました。元日、おせちにお屠蘇で愉しく祝った後、2時間ぐらいたってからウオーキングがてらご近所の神社へ「初参り」と、これはごく普通のことなんですが…実は家庭医から認知症予防には「ダラダラ歩きではなくはや足で歩きましょう」とアドバイスを受けていて、いつもゆっくりの夫を叱咤して2キロばかりわたしのスピードで歩かせました。ところが、そののち、神社の階段に並んでいる時に夫が貧血を起こして倒れかかってしまいました。わたしひとりでは支えられなくてもたついておりましたら、列のすぐ後ろに医学的知識のある女性がいらして(多分医師)すばやく的確に、大事(階段から落ちる)になるまえに処置してくださり、また、まわりの皆様、救急車をよんでくださったり、お水を買ってくださったり、それはほんとうに感謝でした。とてもあたたかかい気持ちになりましたのです。でも、元日の救急搬送は本当にご迷惑で恥ずかしい。アルコールの後の運転は大禁止ですが、運動も禁止ですよね。わたしには普通の歩きでも夫には急激な運動になるということに気が付きませんでした。どうも「……ねばならない」がわたしの欠点でして。介護のイタイ勉強という年明けでございました。*****ここ2年、既製品おせちのお重にしておりましたが、今年は全部手作りでと頑張ってみました。家族の評判はよかったですよ。わたしも長年の経験上一番うまくできたと思いまして、年の功かなと。でも暮れの二日間にわたる手間は疲れましたけどね。このお重、可愛いでしょ。姑から引継ぎました。百年ものですから。
2023年01月03日
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『パルムの僧院』(上)スタンダール上巻を読み終わり、いよいよ佳境の下巻を読んでいるのだが、どうも年を越しそうなので忘れないうちに。主人公のファブリス・ヴァルセラ・デル・ドンゴは北イタリア・パルム公国、デル・ドンゴ侯爵の二男にして、出生の秘密あり。時はナポレオンの遠征時代、フランス軍はミラノに入城、疲労困憊している軍中尉ロベールはデル・ドンゴ侯爵夫人の館に宿泊したというところから始まる。ミラノの郊外コモ湖のほとりグリアンタのデル・ドンゴ侯爵城で、ファブリスは16歳になった。吝嗇な侯爵の父親に冷たくされるのは事情があるからで、ずばりフランスはスタンダールだね。ともかく夢見がちな少年はナポレオンが再び遠征したと聞くと、イタリアの生家をとび出してワーテルローへはせ参じるのである。戦いの場で世間知らずのおぼっちゃん、どうなる?優しいばかりの母デル・ドンゴ侯爵夫人、盲愛の叔母(父の妹)に囲まれて、ファブリスは幸福の追求=冒険談と恋愛遍歴。とどのつまり、やんちゃをやってはしりぬぐいをしてもらい「可愛がられる人生」をゆく。叔母ジーナ(アンジェリーナ=コルネリア=イゾダ・ヴァルセラ・デル・ドンゴ・サンセヴェリーナ公爵夫人)の愛がすごい。だって、そのために金持ちのサンセヴェリーナ公爵と形式的結婚(?)、パルム公国の大臣モスカ伯爵を恋人にしてファブリスを助けるのだよ。また当時のイタリアロンバルジア公国、パルム公国の貴族の生態やら、地勢的事情を書き連ねたストーリーは、ロマンチックに尽きるけれど、ヨーロッパは地続きなんだなあと今さら思わされた。ま、そんな風に上巻は終わる。*****イタリア旅行でミラノに行った時「どこ観光しようか?」と夫から聞かれて、ふとコモ湖が頭に浮かび、だけれどもその時は、昔読んだ『パルムの僧院』ストーリーはうっすらで。それからも30余年、やっと読む気になったというわけで、思い出のコモ湖の写真。ミラノから電車でコモまで行き、船で対岸に渡った場所。ですから、この写真の場所がコモ湖のどこかも、舞台かどうかもわかりません。とても景色の美しいところでした。主人公ファブリスはコモ湖に特別情熱を持っているように書かれてあります。
2022年12月27日
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『みずうみ』川端康成読んでびっくり、ストーカー、未成年者との不純行為、置き引き。しかし、そこは川端康成の佳麗な文章で、書かれたのが昔も昔1954年なので。ま、現代でなくとも警察沙汰になるような、一人の男のモノローグ的な小説。「桃井銀平」それがこの男の名前だからして、なんだかすごいなあ。で、銀平さんが軽井沢の古着屋でズボンやワイシャツ、セーターを、おまけにレイン・コオトまで、置き引きしたハンドバック中のお金で買いこみ、着かえるところから始まる。「置き引き」としたけれども、要は妙齢の気になる女性をストーカーして気味悪がられ、女性が投げつけたハンドバックを持ってきてしまったのだ、ということが明かされていく。女性の後を付けていく趣味(?)の始まりは、教え子との恋愛での戯れに始まったとか。その不道徳きわみない、彼の行動や想いが独白風「意識の流れ」となって綴られていて、だけれども、そんじょそこらのだれかれには書けないだろう、美麗というか、シュールというか、許せねえけども川端康成文学だねえ。
2022年12月14日
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『大地』パール・バック(再読)第一部「大地」は祖父ワン・ロン(王龍)が小農から逞しく賢く、大地主にはい上がっていく物語。広大な中国の大陸的ともいえる強い生命力を感じ取るところが、『大地』の主題として印象に残っていたわたしは、第二部第三部はすっかり忘れてしまっていたのが再読時。記憶漏れの第二部「息子たち」では裕福な大地主になった王龍の3人の息子それぞれの生き方、特に軍人になってある地方を侵略統治する三男ワン・フーの個性的な頑固さを中心に描かれる。第三部「分裂せる家」は孫の世代、ワン・フーの息子ユアン(王淵)が主人公。父親に溺愛されるのだが、子供時代はおとなしくいじけたように成長する。優柔不断ながら、祖父の土に対する愛着を持つ。ひょんな(女性がらみ)ことから国家罪として死刑になりそうになるが、一族からかき集めた賄賂で逃れ、アメリカに6年留学する。農業を学ぶ留学中、そこでもメアリーという恩師の娘との恋愛にも煮え切らない。帰国後も自国の発展途上のあり様(1920~30年ころ)を見て、相変わらず悩み通しのユアンだが、あれよあれよという間にメイリン(美齢)という自国の女性とハッピーエンド、まるでハリウッド映画みたいな終わり方であった。さて、三代にわたる中国男性たちの物語だが、あなどれないのは登場する女性たち。「大地」のワンロンの最初の妻アーラン(阿蘭)の超寡黙で働き者、彼女の功がなければ小農家から脱出できなかったね。でも、大地主となりて第二夫人、第三と手前勝手なワンロンなのであった。しかし、晩年は献身的な第三夫人、リホア(梨花)と土を愛する質素な生活を送るしあわせさ、それも誠実な神様みたいなリホアあってこそ。「息子たち」ワンフー(王虎)の第一夫人もしかり。第二夫人の息子ユアン(王淵)を我が子のようにやさしく包む頼もしさ。彼の恋人メイリン(美齢)もアメリカ時代のメアリーも、頭の良い素晴らしい女性に描かれている。アメリカ人のパール・バックが両親ともども長きにわたって、中国大陸に住み暮らし、深い理解をしたからこそ中国女性の(東洋の)我慢強い誠実さを描きとったのだ。
2022年12月10日
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若い頃読んで記憶がおぼろげになってしまった、外国文学をもう一度味わいたいと再読していて、まだ残っているのを思いつくまま書き連ねると『レ・ミゼラブル』ユゴー『モンテクリフト伯』デュマ『魅せられたる魂』ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』ロマン・ロラン『パルムの僧院』スタンダール『大地』パール・バック『白鯨』メルビル『クレーヴの奥方』マドレーヌ・ラ・ラファイエット『ドルジェル伯の舞踏会』レーモン・ラディゲ『愛の妖精』ジョルジュ・サンド『ベラミ』モーパッサン『チボー家の人々』マルタン・デュ・ガールなどなどというわけで、この中のパール・バックの『大地』を読みつつあり、4巻の(一)を終わったところで、「あれ?こんなに通俗小説ぽかったけ?」と。恐れ多くもノーベル文学賞作家です、もっと重厚だったような気がしていたのですけど。ストーリー展開はまあまあ面白いですが、記憶っていい加減です。体力と気力がいつまで続くかわからないけど、こうしてぼちぼち再読本も進めていくつもり。
2022年11月24日
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なんと19年~~~~!!!!!始めたときは62歳、実際に孫も3歳だったし、「ばあチャル」というハンドルネームは違和感なかったね。むしろ、さっそうと受け入れる気持ちだった。しかし、振り返ると若かったんだねえ、気持ちも体力も。その時と少しも変わらないつもりの81歳になった今、やっぱり同じように「年経ると」「何々がしづらい」という冠をつけているんだから世話ない。おかげさまで19年間、たいした病気はしませんでした。副鼻腔炎の手術(しなくてもよかったのかも)と「子宮脱」で子宮を摘出したこと(何年も治療していないで早く摘出すればよかったのだが、決心がつかなくてやっと去年に)だけ。あ、そうそう、ブログを始めて1年目に右手首骨折しました。2003年伊豆地方の大台風被害、湯河原も酷くて片付け中に滑って転んで。それなのに左手でパソコン打つ情熱があった。もちろん夫の仕事の手伝いは待ってくれなかったから。そう、ささやかな自営業で忙しかったなあ~、それもすごい励みだったのかも。娘のところの3人孫の小さいときの手伝い、実母92歳と姑105歳見送りもすっかり終わって、本当に自分たちのことだけすればよくなって、コロナという疫病蔓延に身動き取れなくなったのだね~。ま、動けるうちにちょっとした旅行に行きたいのだけど、ということがだけが残っている現在。終活もしてます。といってもシンプルなもので、不動産の書類整備、通帳は極小にまとめ一覧表にというだけ。お墓は決まっているし、戒名料が高いので葬式は出来るだけシンプル(低予算で)に。延命治療はなし、わたしが先に逝ったら、夫は施設に(残った予算の範囲内で)いれてくれればいいと。後は「実家の片付け」つまり今使っているものの後始末ですが、出来るだけ少なくしてるつもりだけど、4年前の引越し整理からは増えているでしょうねえ。足したり引いたり人生これ、仕方がないです。そしてネットツールはパスワードノートにまとめてあって、娘か息子に解約削除してもらうのですが、このブログ(と、ブクログ)これをどうするか?まだ決めていません。咲きました ガーデンマム去年の秋に鉢盛セットで購入時 残ったのは上のガーデンマムとシロタエギクですこれも、もうさんざん畑庭をやったのだから、切り花だけにしようと決心したのに、鉢物に手を出してしまいました。ベランダ狭いのにね…。
2022年11月13日
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50幾年かぶりに再読したのは『挽歌』原田康子50幾年前に読んだ時期は、ものすごいベストセラーになってから10年も経っていたのだけど。とにかく若いときに読んで、ベストセラーだからというわけではなく作品が印象深かったことは確か。証拠に、この新潮文庫、昭和平成令和超えて71刷だ、永らく読まれてきているのだから。わたしの好きな桜木紫乃さんが登場して、なお有名になった釧路市がK市ということも、当時は気にしていなかったといってもいい。なにしろ外国の街のように思ったのだから、といおうか、そういう読み方をした。まるでフランスの心象、心理小説を読んでいるようだったから。まず、導入部のところ なんのお祭りなのだろう……。家々の戸口に国境が立っている。国旗の出ていない家のほうが少ない。わたしの家と道路ひとつへだてた小学校の国旗掲揚塔にも、大きな旗があがっている。その大きな、真新しい旗も、軒先や門にくくりつけられた、赤の褪せた旗も風が吹くとかすかに揺れた。わたしはなんとなく、この晴れきった真昼に街中の物音が絶え、幾千の、幾万の旗だけがひそかに鳴りつづけているような気がした。 しかし 、本当はそうではない。繫華街のほうから街のざわめきが聞こえてくる。自動車のクラクション……(後略)ヒロイン怜子が窓から見る街、祝日(お彼岸なんだけど)の旗(国旗)がはためく風景、その描写にシュールさを感じ、見知らぬ外国の街のように思ってしまったのだが、今読み返しても新鮮だ。そしてありふれた三角関係のストーリーの運びが、現実離れしているのが特徴なのだったと思う。*****読み直して面白く思ったのは、桜木紫乃さんのペンネームがヒロイン伶子の相手「桂木(かつらぎ)さん」に似た発音の「さくらぎ」さん。登場する「ホテルロッテ(ロッテ屋敷)」は『ホテルローヤル』を思わせる。それから、TVドラマ倉本聰さんの「北の国から」の「じゅんくん」の印象的な初恋の相手が「れいちゃん」。『挽歌』の怜子も「れいちゃん」と呼ばれていて…おお!と 笑
2022年11月12日
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本に呼ばれているような気がして、未知の本を手に取ることがある、書籍店で、図書館で。読んでみて当たる(おもしろい)ときもあれば、そんなでもないときもあるが、引き込まれて読了した。そんな一冊。『ブラック・リバー』S・M・ハルスアメリカの北モンタナ州で、長年にわたり刑務所で刑務官を務めた60歳のウェズリーの来し方と、現在を交錯する切ない物語。余命いくばくの妻が奏でて欲しいと望む、夫の得意なフィドルが弾けないわけは、刑務所勤めの時の暴動で酷いけがを負ったから。妻が亡くなって5日めに、その勤めていた刑務所のあるブラック・リバーに18年ぶりに戻るウェズリー。そこには妻の連れ子と、その義理の息子に贈与した自分の家がある。なぜ、モンタナから隣のワシントン州に18年も住んでいたのか?なさぬ仲の息子との苦しい行き違い、刑務所での暴動事件の爪痕など、次々と明かされるストーリーが凄まじい。読んでいて苦しくなる。また、武器社会のアメリカならではの暴力なのかとも思い暗澹となる。抑えた語り口。はじめ作者は男性と思っていたが、女性作家だったので驚く。おかしい言い方だがアメリカらしい作品の一つ。
2022年11月08日
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いくらなんでもこれはまずい、10月のアップロードは一回だけ。どうしちゃったの?元気?と思う方もありやなしや、でございましょうか。さて、本を読むスピードが落ちましてね、しかも好きなフィクションではなく、珍しく歴史考察本で、先日やっと読み終わりました、本の題名は『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子)「ロシアのウクライナ侵攻」が起こって10か月、TVでは軍事専門家の方々が理路整然と解説なさいますが、現実の戦争ですよ、気が重くなります。それではと中高生向けの「1930年代の日本の戦争歴史」講義をまとめたこの本を、「日本の過去の戦争」ならと手に取ったわけです。(中高生向けとはいえ立派な中高年向けなのですが)感想はざっくりとブクログにアップしましたが、やはりそんな簡単に考えをまとめられませんね。ますますいろいろ思い惑っておりまして、わたくしなどが何出来ましょうとブログを書けないのです。それにこう年齢を経ると日常生活で、いっぱいいっぱいでもあります。掃除洗濯、三度の食事、名もない家事の数々、事務的処理を一手に引き受けている身としてはね。これは夫が散歩の折、買い物をしてきてくれたものです。夫は安くて新鮮で美味しそうなものを選ぶのがうまいのですが、なにせ量の加減が解らずすぐ冷蔵庫が満タンに。その処理もとい、料理るのにパズルのごとく工夫してというわけで、それも忙しい日々に加算でございます。まあ、まあ、楽しく腕の振るいがいがあり、食事は楽しいのですが…。先日、後期高齢者健康診査の結果がでまして、夫は太り過ぎ、わたしは見た目普通なのに中性脂肪が多めになっておりました。これはちょっとやばい!のんきな夫を戒めつつ、世話をしつつ、世界にも目を向け考え、ゆっくり行くしかありません。
2022年10月29日
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『あした死んでもいい暮らしかた』ごんおばちゃま『フランス人は10着しか服を持たない』ジェニファー・L・スコットわたしとしては珍しくハウツー本。こういう本は本屋さんにて立ち読みで済ませていましたが、図書館から借り入れるという気軽さから。両本とも今流行りのミニマル、シンプルライフ、断捨離などのエッセイ風指南書ですね。そしてブログから本に、というところも同じです。『あした死んでもいい暮らしかた』作者は60代のお方だそうですが昭和の香りが満載で、80代のわたしでも先輩の言かなと思うような風です。ただ「あした死んでもいい」というフレーズがドキッとするのは80代だからでしょうか。1章から3章までの「身辺整理、片づけ、暮らしの整え方」が実利的な方法、4章~6章は暮らし方の指南と心構え」という内容。お決まりの「ものを減らし片付けること」を「ものを抜く」と言ってらっしゃるのが、珍しいというか、独特で「へええ~」と思いました。5章「お金の使い方」=「お金はなるべく使わない」ですが、お金を使わないのが目的ではなく、シンプルに暮らしたら「使わなくなる」の方が素敵です、だってあの世に持っていけませんもの。『フランス人は10着しか服を持たない』こちら執筆当時30代らしい方、アメリカ人。アメリカの大作家ヘミングウェイも『移動祝祭日』でフランスはパリを祭り上げている印象的な文章があります。そりゃ、パリに留学・ホームステイすれば、しかも昔貴族のお家に、シックな大人な生活に。20代のアメリカンガール学生はカルチャーショックでしょうし、あこがれでしょうと想像します。アメリカに帰って学生生活が終わり、本格的に人生を歩み始めたとき、その経験がよみがえり、ふたたびめざめ「シックとはどういうことか」というブログを書き始めたのです。わたしとしては「10着しか服を持たない」に興味津々。それは大げさな表現だったのでしたが、たしかにからだはひとつ、着きれない服はいりませんね。そこにシックなセンスが加わればなおさらです。洋服がからだにまといつくような、伝統と歴史が長い欧州は特にパリ、大人の女性(マダーム)の雰囲気は、わたしのようにちょっとした観光旅行でさえ、見抜きましたもの。書き手の彼女がアメリカに帰って、人生経験しつつ、パリでの生活を消化したからこそ、このエッセイが出来たのでしょう。
2022年10月02日
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つい先だって銀座に用事があり、恐る恐る(そればっかり、笑)出かけました。銀座シックスで食事し、そうなれば蔦屋書店を素通りにはできなくてのぞいてしまいました。亡くなった歌舞伎俳優の中村吉右衛門をしのぶ「播磨の本棚」ブースがあり、歌舞伎関係はわからないのだけど、愛読書の中にスタンダールの文庫本『赤と黒』『パルムの僧院』が目に留まり、ああ、鬼平ばかりじゃないんだと…。つい、わたしも再読したかったので『パルムの僧院』上下巻をゲットしてしまいました。まったく~再読ばかりしていると新刊本を読む時間が無くなるというのに~。その銀座通りに長い列ができていて、何事?と思いながら帰ってきて、TVを見、「ああ、iphone14の新発売日だったのね」と、疎いわたし。実は私のスマホが壊れてしまいまして。3年目のandroidですがディスプレイが突然暗くなってしまたのです。娘に言ったら「iphoneの方が壊れないよ」と根拠があるのかないのかのたまう、という状況だったのです。う~ん、機種変更するか(買い替えか)どうか、でも、わたしはどうも慣れたandroidが好きと、結局ドコモの補償制度を利用ました。つまり同じ機種の同じバージョン。でもそこからが大変!バックアップしてある何やらかにやらを再セットする手間は機種変更と同じじゃないか!まあ、まあ、半分ドコモショップさんに助けてもらいましたが、増やすもんじゃありませんね、アプリ。家の中もスマホの中も断捨離しておかないと。PCも同様ですね。(ああ、わたしのPCそろそろ5年目なんですよ、順調なんですけどね)いろいろのことをにシンプルにするのって、なまなかなことではできません。オステオスペルマム
2022年09月24日
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『君たちはどう生きるか』吉野源三郎もう、出かけないわけにはいきませんね。そんな時に本屋さんにもつい寄ってしまいます。目についた本がこれ。前に記事にしましたが、その時は手元に本がなく、40年前の読後記憶で書きました。今回改めて再読してみて、古びていない素晴らしい作品であると再認識しました。この岩波文庫(1981年初版)は原作1937年の初版を(旧字体旧かなづかいはなおして)採録したものでした。わたしが昔読んだのはたぶん原作を現代風にした児童文学でしたよ。中学(1956年)教科書のもその線に沿っていたのでしょう、そういう時代でした。なんでも現代風にするというような。だからといって『君たちはどう生きるか』の真髄は伝わっていましたけど。つまり14歳のわたしのこころに響いていたから。しかし、今回本当の原作を読んでみて、1930年半ばから1940年にかけての昭和時代(わたしや夫が生まれたころの戦争の足音が高い時代)が彷彿と浮かんでくる名作です。中学生が自我に目覚めるときの教育的場面ばかりが響くのではありませんね。現代にも通じてくる普遍的なメッセージがあるんです。巻末の丸山真男さんの回想録にも、原作のまま中学生に読んでほしいと望んでいたとありましたが、さもありなんです。読み直してほんとに良かったです。
2022年09月23日
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『スタッキング可能』松田青子この作品2013年に上梓されているのですけど、まだまだ今どきが「わかる、わかる」「そうなのか」と新鮮だったですね。「スタッキング可能」は会社で働く女子社員の嘆きっぽい独白、オフィス模様。「マーガレットは植える」女の子の不如意な暮らし、昔なら乙女な嘆き。「もうすぐ結婚する女」ずばり、マリッジブルーに絡めた期待と不安の風景。松田青子さんの初期の作品でしょうか、作風が出ています。ぼやいたり嘆いたりなのですが、なんとなくおかしみがあるのです。小品の間に挟まれている「ウオータープルーフ噓ばっかり」の3編が特におもしろいなあ、TVドラマ「家政婦は見た」の家政婦協会の事務所(畳のくつろぎ部屋)での会話が思い出されます。クスクス笑ってしまいました。こういうの好きです。
2022年09月19日
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『持続可能な魂の利用』松田青子一人の女性が子供・少女時代からおとなになるまでの防御的自己確立の軌跡と言おうか。男性たち(作者はそれをおじさんの目と言う)からの幼児時代の小さなセクハラ(例えば写真撮らせてと近ずく)や、混んだ電車中での痴漢経験、夜道の怖い思いなどが、自意識過剰な防御の習い性になり、おとなしめの女性に。派遣社員として働く会社でのある男からの巧妙なセクハラもどきいじめに合い、離職させられ精神を病む。そしてそれから脱出、自立するまでをヒロイン「敬子」を中心に、様々な女性のシーンにことよせて、ファンタスティックに描いている。小説の設定は現代なのに、わたしの昭和時代と変わらないんだね。高校時代の混んだ都電での痴漢(後からわかったのだけど、犯人は母校の先生だった。もちろんうやむやに)夜道で変なもの見せられたり(蹴とばしてやればよかったのに)就職すればしたで、暗黙の27歳定年制、男性たちのある種のうわさばなしで辞めていった人が何人いただろうか。とただ、ただ愚痴っているのではいけない。この世からある一定の男性(作者の言うおじさん)が消えればいいのか、解決策はファンタジーではいけない。言っていくしかないんだね。この世は半分は女性だから。作者は「おばちゃん」という言葉も言う、そう「おばちゃん」は強い、「ばばちゃん」はもっと強いよ。さてさて、ネタバレになるけど小説によると、縮小しなければ成り立たない世界の中で「国をたたむくじ引き」を一番に引き当てたのが日本なのだと。いまの日本のありさまをみていると、作者の皮肉、秀逸だね。(いやいや、そんなこと許せないけど)
2022年09月12日
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『あたしたち、海へ』井上荒野中学からの仲良し三人組が私立女子高でいじめに巻き込まれた。発端は三人のうちのひとりが、正義感から女王様気取りのクラスメイトに反発反抗した。女王様は仲間を募って巧みにいじめてきて、その生徒は転校を余儀なくされる。残った二人はかばいきれず、忸怩たる思い、おまけに身代わりのようにしていじめられるのだった。そして…。井上荒野さん筆の精緻を究めたいじめの描写は読むのがつらいくらい。しかし、構成が三人の高校生、有夢(ゆむ)瑤子(ようこ)海(うみ)の視点や、いじめる張本人(ルエカ)の言い分、母親、父親、担任立場からもみていて、冷静な目で巧みに描かれ「うまいなあ」と小説そのものに好感を持った。読後、「そう来たか!」と心に温かみが広がったのだけれど。
2022年09月07日
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8月は3冊『戦争は女の顔をしていない』スベトラーナ・アレクシェーヴィッチ『敦煌』井上靖『非色』有吉佐和子*****小説や文学を読む、空想に花を咲かせ、ここではないどこかに行き、浸るのは楽しい。けれども今に思いを寄せてしまうと現実は苛烈で複雑怪奇だから、重く深い読後感になる。井上靖『敦煌』は中国西域でのちょうど1000年前の空想物語。都から遠くかつ広いゆえに宋時代の中国が統治しきれない西域、群小民族の覇権争い。現代のウイグル自治区の様相を思い浮かべてしまう、のと同時に、映画やTVシルクロードドキュメンタリーの映像記憶があるから、やすやすと思い浮かべるイメージが、なお空想を馳せさせて面白く且つ意義深く読んだ。有吉佐和子『非色』これも人種差別の現代にも通じる考えさせられる小説なので、目を見開かされる思いをした。差別は色にあらずという内容。有吉佐和子氏の50年前の作品なのに、ちっとも変っていない差別ある現代が虚しいと同時に、それこそが人間的の、いや、哀しいが動物的な矯められない習い性かもしれないと。*****この夏は「焼きとうもろこし」に凝った。圧力鍋で8分蒸して、醤油につけてグリルで焼くだけの簡単なやり方なのに、これがめっぽう、うまい。最初は自家畑で採れたての、味の良いとうもろこしを友人にいただいたのがはじまり、それからハマってしまい、八百屋で二日おきに二本買ってきて、毎日「焼きとうもろこし」おかげで歯が痛くなったのは当然だね。頂いた自家畑のトウモロコシ「蒸しとうもろこし」と「焼きとうもろこし」欠けているのは味見したから
2022年09月02日
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『戦争は女の顔をしていない』スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ第二次世界大戦、ナチスドイツとソ連が戦い、ソ連の100万を超える女性が従軍したという事実。それも医師とか看護婦だけではなく、武器を取って男性と同じように戦ったのだ。なのに戦後その事実を隠さなければならないほどに、白い目を向けたソ連という国。戦後3~40年経ってやっと語りだした従軍体験、掘り起こしたのがスヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ。その話し言葉で語る文章の数々を読み終わり、著者の最初の文面に戻ると、胸が迫ってくる。苦しくなる。「女たちの」戦争にはそれなりの色、臭いがあり、光があり、気持ちが入っていた。そこには英雄もなく信じがたいような手柄もない、人間を超えてしまうようなスケールの事に関わっている人がいるだけ。そこでは人間たちだけが苦しんでいるのではなく、土も、小鳥たちも、木々も苦しんでいる。地上にいきているもののすべてが、言葉もなく苦しんでいる。だからなお恐ろしい……女性たちが語る話は、戦争だから、爆撃、壮絶な負傷、死屍累々の凄まじさ、人間の尊厳ぎりぎりの戦争の、のっぴきならない様相。でも感性豊かな語り口に呻吟させられる。加えて、キーフ、クリミア、ドンバスの地名が戦いの場として登場するではないか。ソ連の国として一緒に戦ったウクライナに、ロシアの侵攻がある現在を思い遣れば、暗澹たる気持ちになる。何ということだ!平和ボケさせられていたわたしたちを目覚めさせた、ウクライナ侵攻の遠因がほの見えるようだ。スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチはウクライナ生まれベラルーシ育ち、つまりウクライナ人とベラルーシ人の両親、そして著書はロシア語で書かれている。
2022年08月13日
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6月『罪と罰 3』ドストエフスキーこれが最後かなと思いながらの再読、最終巻『あちらにいる鬼』井上荒野映画化で本屋さんの目立つところにあったので。『おばちゃんのいるところ』松田青子気になってる、好きになりそうな作家『アルプスの少女ハイジ』ヨハンナ・シュピリなぜ、TVの学習塾コマーシャルに『ハイジ』のアニメが使われるのか?長年不思議だったけど、わかった!まさに「ハイジの修行時代と遍歴時代」だから。子供の頃に読んだときは、物語の展開が面白くて印象的だったけど、(例えば「夢遊病」とかクララが歩けるようになるあたり)まさに成長物語、なかなか面白い、ヨハンナ・シュピリもそれを意識して書いたという。7月『きたきた捕物帖』宮部みゆき宮部みゆきさん時代物の集大成のような、失礼ながら、これならいい。氏のミステリーは好きなのだが、時代ものは苦手だった。長く連載して、主人公「北一」の成長をみたい。『草々不一』朝井まかて変な言い方だけど、山本周五郎と池波正太郎を混ぜて、藤沢周平を振りかけて、なお、なんともいえない、いい味を出している文。解説の人選もいい、作者が選んだひとなのだそうだから当然。好きなのは「紛者」「春天」『らんたん』柚木麻子ロマンスとミルクとバターの味。『茗荷谷の猫』木内昇文明開化から戦後の高度経済成長期までの、庶民のゆくたてが…。森鴎外、夏目漱石から内田百閒、果ては永井荷風の心意気を加味した文学的な楽しみを見つけるように読んだ。81歳の誕生日に娘よりのプレゼントこんなことはめったにない 笑
2022年08月01日
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『おばちゃんたちのいるところ』松田青子タイトルがなぜ「おばちゃんたち」なのか幽霊は女の人ばかりなの!?ほのぼのがうまいなあ~どれもいいけど、「菊枝の青春」「番町皿屋敷」の本歌取り、青春ものになってる。昭和バブルの頃は近距離なのに、モノレールが盛んに作られた。でも、使わなくなるとお荷物になって、取り壊すのにも時間がかかって、いつまでも橋脚とか残っているのよね。商店街や道路の邪魔、それあるある、だ。「ないとさみしい。でも全部なくなってしまえば、ないことがわからなくなって、きっとさみしくなくなる。」片付けの基本だね。「いちまい~にまい~さんまい~」の声が聞こえる。
2022年07月31日
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柚木麻子『らんたん』明治大正そして昭和の太平洋戦争後まで、キリスト教系女子学園創設にかかわった女性たちの物語。「河井道」という聡明な行動力のある明るい女性を中心として、たどる道筋はなんと健気なんだろう。作者の筆はきら星をちりばめたように、次々と女性たちを紹介していく。親友の「一色ゆり」はもちろん、歴史に名を残した人々を。津田梅子、若松賤子、大山捨松、村岡花子、伊藤野枝、広岡浅子、犬養道子、石井桃子、柳原白蓮、平塚らいてう、神近市子、市川房江、加藤シズエ・・・男性も、新渡戸稲造、有島武郎、徳富蘆花、白洲次郎・・・災害と戦争という中での経験にもかかわらず、ランタンのともしびが灯るような、女子学園で過ごしたことがあるなら、きっと思い当たる雰囲気が、平明で温かい文章でつづられる。今もこうなんだろうか?と懐かしむ。*****この頃の猛烈な暑さと、世の中の閉塞感にぐったりしており(まあ、年齢からくるのかも知れないが)しばらく読後感は後回し、と思っておりましたが、この本はおススメ!と、つとめてアップしました。4回目ワクチンも無事済み(なんで高齢者はいつも副反応がないんでしょ 笑)ホッとしていたら、コロナは攻勢をかけてきて、よけいうっとおしい日々。あちらこちらで具合不都合な友人たちの話(骨折や小さな病気)を聞いて、人生ほんと、「よいなこっちゃ」ないですよ。
2022年07月23日
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『あちらにいる鬼』井上荒野1970年の初め、瀬戸内晴美氏が出家するというころ、『かの子繚乱』やなどの作品を夢中で読んだ頃が懐かしく、面映ゆく読んだ。なぜかと言うと、チャプターに年代がきちんと示されていて、その頃の自分もついでに思い出してしまうからだ。『いづこより』は半自叙伝の作品、中心をなす不倫相手の作家が誰ともわからなくてもどうでもよく、そんなこと詮索しなくても、突き刺さる作品と感じただけでよかった、わたしの30代(主婦子育て真っ盛りを普通に過ごしていての)それから晴美氏が寂聴さんとなり、マスコミをにぎわしても、それは横目で見ていたのだけど、モデルが誰だとか、やはり興味がなかった。井上荒野さんという作家は興味がありつつ未読、いっきにいろいろなことがわかった。井上光晴さんだったのか(でも作品は知らない)と、荒野さんの作家力にますます興味が湧いて、魅せられてしまったことなどだ。この作品の魅力は文庫本解説の川上弘美氏のが秀逸。
2022年06月19日
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Internet Explorer11のサポート終了のこと。15日までと勘違いして、一昨日14日に慌てて夫のPCを設定し直しました。わたしのPCは購入時にもうMicrosoft Eedgeになってましたから、関心がなかったのですが、「はた?」と気が付いて 笑というのも「お~い、ボタンがどこかにいってしまった!」と時々騒ぐ夫ボタン=アイコン自分がデスク上をあちこちやたら触って移動させたのにねその度に調節するのはわたし文字倍率を大きくしているのですが、それも触って変えてしまい、戻せない出困るってる。まるでわかってませんパソコンの使い方なのに超高級(FMV Windows7で高価だったのでそう思う)のPCを欲しがり、使っているのでか(?)11年もたっても壊れません。いや、この頃は昔のようにすぐトラブル起きませんね。もうバッテリー交換しなくてはならないのですが、高級ですからモニター画面も超きれいですし、何せ使えて、使い慣れていているから「いい」と言っていて、そういえばEdgeに変えるとわからなくなるからと拒否されていたんでしたっけ。というわけで、アップグレードも滞りがちな Windows7のネット環境を整えるのに半日騒ぎましたのが(わたしだってそう詳しくなく、サラッと出来るわけではない)おとといのことでした。鉢植えのネモフィラ一輪 いつ群生を見に行けるのでしょう~
2022年06月16日
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『罪と罰 3』ドストエフスキーさて、この複雑で面白いたくさんの登場人物たちとラスコーリニコフというトンデモ青年の物語を読み終わって、思い上がり青年の無謀な殺人は、本人の罪だけでなく、家族はもちろん、周りの人たちをも否応なく巻き込む複雑なストーリーになるのだなあ、と。(名作なれば)世界中の読者も「これは何なのか!あれは何だったのだ!」と懊悩するのだよ。主人公の名前ラスコーリはロシア語で叩き割るの意味だそう。さすが主人公…、名に恥じない!?似たようなことは現実世界にもあった、ありますね。それを19世紀に予言したドストエフスキーは偉い。トルストイもそうだけど、その他大勢のロシア近代文学者の作品はとても奥深くすごい、近代文学の祖ですよ。その発祥の人々の国!!と言っていてもしょうがない。物語のご本人さんが反省したのだから、その後どうなるのはわからないけど、一応終わったと思いたい。しかしこの作品、読みどころが多くてね、3回ぐらいでは読み切れないのもほんとう。
2022年06月12日
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『罪と罰 2』ドストエフスキー3回目なのにすっかり忘れているから、やっぱりおもしろいなあと読み進む。忘れるからと、第1部と第2部はあらすじを追って書き出したが、何のことはない『罪と罰 2』巻末の「読書ガイド」に、翻訳者の亀山先生が第1部と第2部のあらすじを完璧にまとめてくださっていたのだ。第3部と第4部は最後の『罪と罰 3』の巻末にあった(それも忘れていて)。この文庫本がある限り、そこを見ればよい、ということで、ここからはラクをしよう。第3部の感想もうろうとして母と妹に再開し、妹ドゥーニャの犠牲的婚約の話が面白くないラスコーリニコフなんだけど、自分の罪にもおびえて複雑。そりゃそうだ。でも、妹アヴドーチャ(ドゥーニャ)がすごい美人で、だから家庭教師先でも追いかけられ、お金目当てで婚約したルージンにも執着されるのだが、嫌気がさして彼を振りそうな時に、ラスコーリニコフを献身的に看護してくれた人のいい友人ラズミーヒンとも速攻、恋に落ちるとは…、都合よすぎ。しかしそこがまた面白くさせ、うまいのかもね。ラスコーリニコフはちょっと変人。殺人を疑われていると知りながら、予審判事ポルフィリーや警察官にちょっかいを出すのだもの。幽霊や悪夢を見てしまうのも当然。過去雑誌に「犯罪の研究」の文章を発表していたのをバレるなぞ、SNS時代じゃないのに、わかってしまうのは昔の斬新なリアルかな。第4部の感想スヴィドリガイロフがラスコーリニコフの前に登場。妹ドゥーニャを子供の家庭教師なのに追いかけて困らせた張本人。この人もおかしな人、不思議なことを言う人で物語を複雑にしている。登場人物多数なのに皆がみな、個性的で饒舌で、長い長いセリフ。策士策に溺れる、じゃなくて小説家小説に溺れて、読者読みに溺れるというところ。妹ドゥーニャのしみったれ婚約者ルージンをみんなでやっつけるところは痛快。しかし予審判事ポルフィリーとの息詰まるやり取りは真に迫ってすごい。ソーニャとの邂逅は唐突感を抱くのだけど。
2022年06月04日
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『罪と罰 1』ドストエフスキー第一部あらすじ7月の太陽が照りつけるペテルブルグの街中を、元大学生ラスコーリニコフは歩いている。彼は殺人計画を立てていて、そのターゲット金貸し老女アリョーナの居室を下見の目的で訪れるのである。はたして実行できるのか、神経質にびくびくしている様子が描かれる。いよいよ金貸しアリョーナの部屋に着き、古い銀時計を質草に金を借り、また訪れると予告して去る。幾ばくかのお金を手にして居酒屋に寄るラスコーリニコフ。そこで、マルメラードフという飲んだくれの元役人に出合い、酔いに任せたおしゃべりで彼の家庭事情を聴かされる。再婚した妻の病気、子沢山、そして前妻との実娘ソフィアの稼ぎ(売春)に頼る生活。ラスコーリニコフは酔っぱらったマルメラードフをそのアパートまで送り、貧困にあえぐとても悲惨な生活状況をつぶさに見る。自分の下宿に帰ったラスコーリニコフは母からの手紙を読む。仕送りが途絶えた事情、妹ドゥーニャの家庭教師先での災難、ルージンという男との婚約を知る。しかし、その婚約は母や妹の貧困脱出の打算が見え、暗澹となる彼。ラスコーリニコフは、自身の非力、むなしさに悲嘆・無気力で自堕落になっている様子、そして金貸し老婆を殺さなくてはいけない、という極端な思想に走る狂気的状態が描かれる。いよいよ、息詰まる殺人実行の描写で、第一部は終わるわたしの感想ラスコーリニコフが殺人を実行するまでにどうして至ってしまうのか?あまりにも唐突で、ちょっと理解できなかった。ストリーが進むにしたがってわかるのだろうか。それはむしろ、酒場で知り合ったマルメラードフという飲んだくれの独白。どうしようもない哀れな自虐話の内容。母親からの手紙の内容のおぞましさ悲惨さ。母・妹が彼に期待し犠牲に走る心理。それを知り怒り不甲斐なく思うラスコーリニコフ、そんな別物語が潜んでいるのを感じるのは、読む視点が変わったのだ。第二部あらすじ夢中で下宿に帰って死んだように眠っても興奮冷めやらないラスコーリニコフ。そこへ突然の警察からの呼び出し状にぎくりとする。ドキドキしながら警察を訪れ、別件「不払い下宿代の催促だったとだった」と知る。警察の事務官ザメートフにラスコーリニコフが「自身が父親の早世による貧困で大学をやめざるを得なかった事情、下宿屋の娘との婚約、死別したために借金になってしまった」事情を語り、書類にサインするも、警察では「金貸し老婆殺人の話題」が飛び交っていて、精神が持たず失神してしまう様子。そこから彼の罰が始まる。下宿で寝込み、友人ラズミーヒンや医師のゾシーモフたちが親身に介護するも、抜け出してアリョーナのところから盗んだものを隠したりする。妹の婚約者ルージンが下宿に来れば喧嘩したり、警察事務官ザメートフと危険な会話をしたり、街をさまよい懊悩する。そのさなか、マルメラードフの事故死に遭遇、母から送金されたなけなしの25ルーブルをマルメラードフの残された家族にあげてしまう。下宿に戻ると田舎から出て来た母と妹ドゥーニャが待っていた。わたしの感想あらすじを忘れていたからなのか、ジェットコースターのように変化にとんだ展開に驚く。さすが犯罪ミステリー小説の古典だ。それから、スラブ人のというか、ロシア人の極端な性格、熱するかと思いきや、氷のように冷める上がったり下がったりの行動の満載に圧倒される。『カラマーゾフの兄弟』もそうだったが、ドストエフスキーの骨頂だ。
2022年05月31日
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このところブログをアップしておりません。年齢が年齢ですから、あちこち故障は起きますが、今のところたいしたことではありません。日本の健康保険制度はりっぱなもので、だから皆様長生きなのね~ 笑趣味の会新しいグループが発足、友達関係が楽しくてラインなどにハマって楽しんでいます。それが忙しくてというわけでもなく、でもリアルな関係の方がいいのかなあ。日常生活が忙しいのもあります。家事全般をきちんとやろうとすると、悲しいかな、若いころのスピードがありません。もう、つれあいの協力は限界だし、むしろ世話がかかります 笑読書は好きですから手放せませんが、もうのんびり読もうかと。読み返したいと本棚に残してある本がまだまだたくさんあります。まあ、古典的な名作が主なのですが。新しい作家の本も読みたいのですけれども、図書館などで借りだすと、期限があるので追いかけられるようなそれも苦になります。今はドストエフスキーの『罪と罰』何回も読んでいるのにストーリを忘れています。今どきなかなか意味深い作品の気がします。じっくり読んでいきます。むかしアップした角館の新潮社記念館こういう旅行が出来なくなった…3月半ばだったけど、こんなに雪が…
2022年05月25日
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『路上のX』桐野夏生いよいよ日本もつけが回ってきたのか。みんなが中流という夢が覚めてみれば、こんななんだよという小説。『OUT』の貧困は女性たちが中年でバイタリティーがあり、まだしも希望をにじませた。負の時代はまだ若かった。ここでは若き女性といっても、高校生くらいの十代が生きていくのに、貧困と破綻のスパイラル。必死さがすさまじい状態なので少しも希望がない、でも絵空事ではない。と、桐野さんの小説は激しくて、ひたひた押し寄せてくるものに脱力感だ。
2022年05月08日
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『今度生まれたら』内館牧子時々吹き出しながら読んだ、この小説の主人公は2017年に70歳となる、わたしの5こ下、まあ似たような時代を生きたわけ。OLが腰掛で25日のクリスマスケーキにならないようにコンカツ(お見合い多し、たまに職場結婚)して寿退職し、専業主婦になるのが一般的でした。振り返ってみれば専業主婦が花の時代だったかも、なんのかの言っても平和な時代に家庭を営んでいたのですね。ヒロイン夏子さん、新聞のインタビューに答えて、コメントが記事になったのを見たら、「佐川夏子さん(70)が…」と載っていて(70)という活字に老いを意識、ショックを受けたという出だし。わかりますう「高齢女性(80)が行方不明…。」という記事を見て「あらあら大変!お年寄りが…」と他人事のように思ってて、しばらくして「あれ?同い年じゃないか」とがっくりしますものね。そんな風に相変わらず筆達者にお書きになっている、柳の下にどじょうの三匹目がいるかもの本でした。
2022年05月07日
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『世界の三大宗教』並木伸一郎「眠れないほどおもしろい」というサブタイトルは陳腐だけど、とても分かり易くためになったことは請け合いです。中学や高校歴史の教科書の副読本にいいのではないでしょうか。キリスト教、イスラム教、そして仏教、が劇的な変遷を経て現在に至るということコンパクトに要領よくまとめてあります。今までに読んだ流布されているそれぞれの解説書もいいけれど、こうして並べられるとよくわかります。違いがということではなく、宗教の寄ってくるところの道が同じなのだなあというのが一つ。それから、私見ですがどうもキリスト教もイスラム教も同じ神の認識を中心に信じているらしいし、仏教の神も姿がない(悟りだから)同じ神と言っていい、ということが分かったのが奥が深いなあ。簡単明瞭に説明されていますが、それぞれの詳しい歴史や名称は忘れても、なんだかすっかり安心して、神社仏閣をせっそうもなく参る日本人ですよかったわ、と思います。
2022年04月30日
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『うつくしが丘の不幸の家』町田そのこ高度経済成長期の集合住宅団地群が一段落すると、今度は一戸建て住宅団地(「なんとかが丘」だの「何とか台」ね)が郊外のあちらこちらに散らばりました。日本では一戸建てでも隣家とぴったりくっついているのが普通。「隣の芝生は青く見える」というTVドラマが流行りました。そう‼いわゆる「ダンチ」と呼ばれている集合住宅群よりも、隣のことが気になる世界でもありました。わたくしも横浜の外れのそういう住宅地で子育てをしましたから、にやにゃしながら読みました。町田そのこさん、うまいですねえ、その一戸の家に住む人たちの変遷、まつわる幸不幸がよく活写されています。幸不幸といっても実に平和な世界だったのですねえ、とつくづく思います。
2022年04月27日
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「だれも信じていないはずの出来事が起きる。」昨日読み終わった町屋良平さんの最新作『ほんのこども』の一節です。(P237)なんとなく近々の「ロシアのウクライナ侵攻」の驚愕?憂慮?を想起してしまいます。予言的ととってしまいそうです。まあ、文学は普遍性が感動を与えるものですから。その続きの文章はこうですだれも信じていないはずの出来事が起きる。出来事が世界を圧倒し、信じるためのフィクションが戸惑う。物語の現実性が、現実の物語性とぶつかって、ありえてはいけない場が山脈のようにうるうる浮きあがる。こんなのは物語の空中交換が孕んだ悪辣の延命というか、そののびた大地で果たされる妄言の現実化といった、フィクション化された現実の間隙をつく自暴自棄と憎悪のまざった歴史的忘我なのでは?なんだかわかりにくい文章で、ほとんど全編このようでしたから読むのに苦労(時間がかかり、図書館借り出し期間ギリギリ)でしたが、妙に惹かれてもいくんです。わたしは文間から立ち上るものを読むのが好きですが、そんな余裕がないくらいびっしりと書かれた文面、よーし読みこなしてやれって! 笑ストーリ展開は、語り手の友人あべくん(主人公?)は成長過程に虐待児だったので、長じて暴力的に生きるのですが、そのあべくんの志向(嗜好)がホロコースト関係の書を読むのを好み、語り手も彼を知りたくて同じように読んでいき、哲学するように、あべくんを読み解いていくのです。しかも、私小説にして書きたいという、書き手(小説家)という設定ですからややこしいのでした。傑作なのかどうか、わかりません、でも、ぼんやりわかればいいんじゃありません!?ところでこの本の前に深緑野分さんの『ベルリンは晴れているか』を読んだのですが、それぞれの本のカバーイラストを描いたのが同じ小山義人さん。何とも言えないぞわっとした印象をうけます。何を読んでも「現況」を連想してしまうループにはいってしまったのか!と思っています。
2022年04月26日
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『ベルリンは晴れているか』深緑野分昔読んだ中村正軌氏の『元首の謀叛』 以来の日本人が書いた「東西時代のドイツもの」。あれは東西の壁が崩れるころの話。これはその前も前、第二次世界大戦後のドイツはベルリンでの連合軍統治(米ソ英仏)時代が舞台の歴史ミステリー。その後ドイツが二つにベルリンが二つになったわけだけれど。まず評判通り、資料読みこなしの想像力と活力にあふれた本だった。それはいいのだが、ヒロインのドイツ少女アウグステの冒険活躍を単純に楽しめないように、ミステリーの背景のドイツ敗戦処理に暗躍するソ連赤軍(秘密警察)情報局が、なんだか今現在を彷彿させるようで、ロシアのウクライナ侵攻状況を身近にしている時も時、妙な納得で読んだ。しかしこと、ヨーロッパばかりではない。地球上どこでも、人間が何世紀にも辿って生きていく歴史は、なんと複雑にして怪奇、縺れにねじれてほどけないのは趨勢なんだ。
2022年04月24日
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