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「生き残るためには、中国に本気を入れて戦う!」「爆発する中国の内需を掴め!」「日本企業の次の成長戦略として、中国の巨大な消費パワーを取り組む必要がある」日経ビジネスが、「気が付けば 中国は世界の工場」という特集を組んで、「世界の工場」が流行語となったのは2000年のこと。あれから9年。「『工場』から『市場』へ」が最近のキャッチフレーズだ。そして、今回、日本経済新聞出版社から満を持して発行されたのがこの本。中国人に売る時代!昨夜は、北京帰りじゃんすが東京に慣れるまでのじゃんすさんに教えてもらって、著者・徐向東さんの出版記念セミナーに参加してきました。面白かったのは「中国の若者のニーズをうまく掴んだ『韓流』の成功」、日本の家電企業を追い越したサムスンに学べ。考えさせられたのは、「日本にいる中国人は今の高い給料に安穏とせず、早く中国に帰って、市場を開拓すべきだ」。参加者には、年配者が多く、若い人が意外と少ないのが印象的でした。。。。本は、いろいろな事例が詰まっていて面白そうです。今日の帰りの電車で読みます!(行きは新聞読みます^^)さあ、今日も頑張るぞぃ!<今日の走り>1100×6周今日は3周目まで全力疾走。疲れたけどいいトレーニングになった感じ。汗があふれ出ました。紅葉は早くも終わり。濡れ落ち葉がちょっと滑りました。
2009年12月01日
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今朝の天気予報、どのチャンネルも「黄砂、黄砂、黄砂」。「黄砂にご注意ください」いつから日本でも天気予報に黄砂が登場するようになったのだろう?私が北京で黄砂を初体験したのは、2003年3月20日。http://plaza.rakuten.co.jp/chinary/diary/200203200000/自転車も衝突するくらい目の前がまっ黄色に染まった黄砂は後にも先にもそのときだけだった。その後、黄砂の影響について日韓中モンゴルで話し合うシンポジウムに参加したこともあった。けどその後、地域を越えた協力はいまいち進んでいないとも聞く。が、黄砂は今日またやってくる。---今日の走り:今日も30分。昨日売り尽くしセールに出ていた心拍計を3,800円で購入。胸に巻く本格的タイプ。走行中アベレージ146位。これからいろいろ分析してみよう。(益々マニアックになっていく恐れ)。
2008年03月03日
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今回の参拝に関する政府の立場が、なぜ外務省サイトにはあって、官邸サイトにはないのか? と思って官邸サイトを探索していたら、こんな報告書を見つけた。追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会 報告書 平成14年12月24日http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tuitou/index.html「内外の人々がわだかまりなく追悼の誠を捧(ささ)げるにはどのようにすればよいか、議論する必要がある」小泉首相が01年8月13日、初めての靖国参拝の際に出した談話(最近のコメントとのトーンの変化にも注目!)の中で述べたのを受けて、 福田康夫官房長官(当時)のもとに設置された「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」が1年かけてまとめた報告書。3年経った今もサイトにはこうして残っているが(たまたま見つけたけど、今はどこからもリンクは貼られていない? ※)、議論は宙に浮いたまま。私はこの報告書には日本の目指すべき良い方向性が書かれていると思う。同時に反対意見も併記されてもいる。是非、多くの人が読んで、ここから議論を始められたらと思う。せっかくの報告書、埋もらせておいたらもったいない。※内閣官房のサイトからリンクあり。
2005年10月25日
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このところかなりバタバタ続き。以下、その後の靖国諸々に関してメモ書き。外務省のサイトの目立つところに、「靖国参拝について」というバーナーが張られ、そこをクリックすると、靖国神社参拝に関する政府の基本的立場と総理・外相の過去の発言がまとめられている。ここでは、靖国神社が主張する東京裁判の否定やA級戦犯の名誉回復などを政府が支持していないことを明確にしている。同時に、東アジア共同体にまで言及していることにも注目か。町村外相は外務省として政府の立場をサイトでPRしていることを、サンデープロジェクトに出演した際にも話していた(首相の参拝は、当日朝8時に秘書官宛ての電話で知ったとも)。だが、外務省の英語サイトには英訳があるものの、在中国大使館のページにリンクも中訳もない。 ※26日朝に再び見たら、25日付けで中国・韓国語訳(それぞれ大使館へのリンク)、英語ページへのリンクが加わっていました。それよりなにより、当の首相官邸のサイトにも関連説明がないのはなぜだろう?外務省が外に向けて説明する前に、首相は国内に向けてきちんと説明する必要があると思うんだけどな。。。。ところで、首相の使者かと報道された奥田経団連会長。靖国神社崇敬奉賛会の常務理事に名前を連ねている(アエラ05年7月25日号)。山口・商工会議所会頭、北城・経済同友会代表幹事などと名前を連ねているので、きっとそういう枠があるんだろう。具体的な関わりについてはまったく分からない。過去の新聞を検索してみるも、ほかの情報は見つからない。
2005年10月25日
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靖国参拝問題に関して、数々のコメント・トラックバックなど頂き、ありがとうございます! おかしいぞ! 違うんじゃない! という意見は大歓迎です。今後ともよろしくお願い致します!結婚式裏話シリーズも書きたいところですが、今日は、コメントで頂いた死生観について。「日本人は、死んだら皆が仏様になると思っている。死んだ後も罪を許さない中国とは死生観が違う」「心ならずも戦争に殉じた若者たちが祀られている靖国神社に参拝して、二度と戦争を起こさないと誓う。そのどこが悪いのか、分からない」とは、小泉首相の言葉。この言葉に共鳴し、「確かにそうだよね。その通り!」という日本人は相当多いだろう。では、靖国関係者の次の言葉はどうだろうか?「合祀までのいきさつは個々人ですが、一度祀られたからには、ひとりの神様になられたのです。元帥も大将も、一兵卒も女性も児童も、平等に『英霊』として祀られている。利己心を超えて、世のために人のために尽くすことは人として当然のこと、そんな生き方を学ばせてくれるところが、靖国神社なのだと思います」(所功・靖国神社総代、京都産業大学教授)(アエラ 05年7月25日「A級戦犯「合祀」の謎 後世の「大問題」 決めたのは誰 靖国神社」」)さらに、「戦犯者は戦後、釈放と同時に復権できたと解釈できる。亡くなった方々も国内法的には犯罪者ではありません。同じA級戦犯で、生きている人たちが大臣にもなっているので、当然亡くなった方々も名誉が回復されていると思います」(靖国神社・大山晋吾広報課長)(出典、同上)A級戦犯を、死人に罪なしとして、神様仏様として祀り、そこに首相が参拝する。それに対して、それは日本の文化だという主張。一方、被害者心情に配慮すべきだという声。最近の議論はこの対立かのように見える。しかし、靖国の関係者の言葉を聞くとそれだけの問題ではないように思う。A級戦犯は神様ということは、それすなわち名誉回復なのか?名誉回復ということは、生前の行為を認め、当時の歴史観、価値観を肯定にすることにならないのか? 首相が「平和のために」参拝といっても、その意図は取る人によって変わり得てしまう。戦争責任や国家神道などを含めた戦前の清算、その議論がまだまだ必要なのではないか。私はそう思う。
2005年10月21日
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参拝のタイミングについて様々な憶測が飛んでいる。有人宇宙船「神州6号」が五日間の飛行から帰還する日に重なった参拝の日。中国は「全中国人民への挑発」と批判。しかし、大きなデモによる民衆の反発の動きはなし。メディアもトップ記事では報道せず、抑制している。人民日報など党機関紙だけでなく、普段は売上のためには煽りの見出しも厭わない大衆紙も大きな報道をしていないことから、メディアに対して、関係機関から指示が出ていることは確実。これに対して、昨日、TBをもらったbeijing architectureさんは、神舟6号帰還と靖国参拝には両国の間でなんらかの裏取引があると感じるようになりました。(靖国参拝とかけて神舟6号帰還 そのこころは、、、裏の外交? beijing architecture)という。はたして、「適切であると判断した結果ですね」(17日夕 在首相官邸)と首相がいう、この決定は、どうなされたのか? 日本の新聞を見てみると、靖国神社に対して首相側から参拝の事前連絡はなく、当日の9時過ぎに神社が首相周辺に問い合わせて参拝予定を知った、首相側は「今回はだれにも事前に知らせなかった。申し訳ない」と神社側に釈明したと、18日の読売は報じている。いっぽう、在北京の企業では週末から予想されていたと聞く。在中華人民共和国大使館から「(緊急)反日デモに関するご注意」というEメールが私のメールボックスに届いたのは参拝から23分という早さでもあった。事前に中国政府に対して水面下の通達あるいは「裏取引」があったのか?あったとするなら、神州6号の報道により、中国国内では反日報道を抑えると同時に、日本でも、「有人飛行なんかやるなら、経済援助なんか止めろ」という世論を抑える効果もあり、日中両政府にとって、デメリットを最小限に止める絶好の日ということで駆け引きをし、事務方が首相に提案していたというような予想も成り立つだろうか。うーん、憶測は深まる。ただ、秋季例大祭に合わせたということであれば、関係者がXデーの最有力候補として周到な準備をしておいただけ。参拝日の決定は、前例に基づく首相の独断。神州6号とは偶然の一致。中国でのメディア対策は、大金を注いでいる慶事を優先、国内の混乱を防ぐ意図に過ぎないとも考えられる。そもそも、中国国内で大規模なデモは起きなくても、「全人民への挑発」で、日本に対する不信感は深まり、将来への影響は否めず、このタイミングで参拝して良かったということにはならない。不確実な情報に基づき、誤解を深めるようなことは謹んで避けたい。読売が社説で書くように、首相は「もっと丁寧に内外に説明を」すべきだ。また、それを暴く調査、報道にも期待したい。ーーー昨日の朝日の夕刊「窓・論説室から」に、読売が今年6月に「社論を変えた」という話があった。昨朝のエントリーに重なる内容もありおもしろい。
2005年10月20日
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中国メディアは、今回の靖国参拝に関して、「中国政府は日本に抗議しています」という姿勢をアピールすると同時に、「日本でも反対が多い」ということを強調している。たとえば、権威あるCCTVの夜7時の新聞聯播。17日は、神州の帰還をメインに伝えながら最後に阿南大使を外交部に呼んで李外相が抗議文を読む姿を放映した(これは考え抜かれた報道だと思う。)。18日は、終わりから二つ目で、外相会談延期のニュース、続いて日本各界から首相参拝に対して強烈な批判があることを伝えた(→原文)。このなかで、大手新聞各紙も社説で批判とある。と、これを聞いて、思う。ん? そう言いきってしまってよいのか? と。そう思って、大手5紙の社説を読み比べてみる。すると、確かに……。産経は参拝支持だが、その他はすべて批判の立場。産経の発行部数を鑑みれば、中国の報道は間違っていない。そのなかで注目したいのは読売。世間の印象とは意外と違うのではないかという感じがする。けど、読売の事実上のオーナー渡邉恒雄氏は、靖国神社参拝反対の立場である。「反対どころか、僕は拝みもしないし賽銭もあげない」「東條は許せない。というより、あの軍というそのもののね、野蛮さ、暴虐さを許せない」「みんな軍隊のことを知らないからさ。それにかつ見込みなしに開戦し、敗戦必至となっても本土決戦を決定し、無数の国民を死に至らしめた軍と政治家の責任は否めない」「(首相は靖国に)行くべきではない」「僕がそういう意見だというのは小泉さんも知ってますよ」「独占スクープ 渡邉恒雄」(「田原総一郎責任編集 オフレコ!」VOL.1 2005年)でこう語っている。しかし、一方、朝日が今朝報じた世論調査では、「首相靖国参拝、賛否は二分 中韓との関係「心配」65%」という結果。世論調査の結果を見ると、中国・韓国という外圧のファクターが相当大きいように思う。中国・韓国の批判に従うのは癪だから参拝支持! という声と、中国・韓国との関係が大事だから参拝反対! という声。本末転倒。どうも感情に流されて、靖国の本質が理解されていない気がする。戦没者を慰霊するのに靖国が本当にふさわしいのかどうか。出来れば自ら一度ゆっくりと訪れてそのことを考えてみるといいと思う。読売 [首相靖国参拝]「もっと丁寧に内外に説明を」朝日 靖国参拝 負の遺産が残った 日経 これが「適切に判断」した結果なのか毎日 靖国参拝 中韓の反発が国益なのか産経 首相靖国参拝 例大祭にしたのは適切だ
2005年10月19日
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お金が欲しいよ~! と子供がお母さんに泣きつくように、日本の各省庁も「予算概算要求」というのを作ってお金をたくさんもらおうと頑張っている。論文に関連して、外務省の「2006年(平成18年)度予算概算要求」を見ていたら、「世界に発信する機動的外交」と題する重点項目があって、ここにこんなことが書いてあった。対中パブリック・ディプロマシー35.5億円(19.5億円)先の反日デモに見られるように中国における対日感情の問題がクローズアップされてきており、中国国民の対日理解促進をより戦略的に重点的に行っていくための方策を強化する。 中国向け情報発信強化 ソフトパワーを用いた文化・人的交流こりゃ、いいぞ、大賛成。予算をがっちりとってそれをうまい形で実行に移して欲しい。中国政府は、海外に向けたPRに関してかなり本腰をいれていて、いろんな研究や実験もしている。これに関する書物も結構ある(これはまた別途紹介予定)。でも、日本はお国柄の違いもあってか、海外に対するPRは消極的で、昨今それに対する批判も高まっていた。日本人も中国人も、お互いがお互いを知らなすぎる。これ、私の強い思い。ゆえに、まずありのままの日本を知ってもらうインフラを整えて、PRの機会をたくさん作ることは大賛成。靖国だけに振り回されない日中関係にするためにも、まずはお互いのことを理解すること、これ大事。ちなみに、調べてみたら、読売新聞が9月24日朝刊で、日本への理解、アニメ活用で…中国への情報発信強化へとして報じている。なお、外務省の予算資料はここからダウンロードできる。。以下、中国関係をメモとしてもうちょっと抜粋。世界に発信する機動的外交 戦略的な情報発信とパブリック・ディプロマシー(対市民外交)の強化<情報発信能力の抜本的強化による「攻め」の広報(インターネット戦略の抜本的革等)>・外務省ホームページの内容の充実化、中国語・韓国語を含む多言語翻訳6.9 3.9・外務大臣等の記者会見記録の作成及び会見記録を英訳して発信するための経費0.3 0.1その他、総額7.3 4.1<対中パブリック・ディプロマシーの推進> ※ 他項目の本件関連予算の合計・中国向け情報発信の強化(インターネットを通じた中国語による日本紹介、報道関係者の招聘、対中広報番組の作成、日本語教育支援等) 18.6 8.1・ソフトパワーを用いた文化・人的・知的交流の強化(音楽イベント、各種招聘事業、留学生支援、歴史共同研究等) 16.9 11.3総額35.5 19.5
2005年09月30日
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言動不一致。一言で言えばそんな印象の8・15首相談話。果たして日本の大手メディアはこれをどう評価したのか?大手5紙の社説を読み比べてみた。簡単なコメントと気になったところをちょっと抜書き。一応、私の評価が高い順に並べてみる。(あまり時間がないのでとりあえずUP。あとで修正を加えるかもしれません……。)首相は言葉より行動で示せ(日経新聞)今回読んだ社説の中で一番歯切れがいい。まず、談話を評価しつつも、「どんな言葉を並べてみても行動が伴わなければ、人々の心には響かない」と釘をさす。東条合祀については明確に反対。首相の靖国参拝について、当面自粛を主張。「しかし、その靖国神社に戦死したわけでもない東条英機ら戦争指導者が祀(まつ)られているなら話は別である。日本人の中にも東条合祀に強い違和感を抱く人が少なくない。日本が過去の戦争のけじめをあいまいにしていると誤解されるような行動はとるべきではない。日中、日韓関係の悪化を懸念して、最近では自民党内でも首相の靖国参拝自粛を求める声が増えている。」「日本にとって日中、日韓関係は日米同盟関係に次ぐ重要な二国間関係である。重要な二国間関係を損なってまで靖国神社に参拝する必然性や合理性がどこにあるのかを首相はもっと説得力のある言葉で国民に語るべきである。それができないのなら、当面、靖国神社への参拝は自粛した方がいい。 」社説:戦後60年談話 首相は言葉の重み忘れずに(毎日新聞)談話は評価、でも、本当なの? という思いをぶつけているところは日経と近いが、いかにも社説という感じ?!しかし、自社さ政権時代の村山談話とほぼ同様の歴史認識を、首相が自らの政権の認識として発表した意味は大きい。自民党総裁としての小泉首相が示したそれは、政府見解としてより重みを持つのはもちろん、村山談話に批判があった自民党内でも無視することができない認識になるはずだ。 [小泉首相談話]「軍国主義への回帰はあり得ない」(読売新聞)事実を淡々と解説しているが、読売の主張はあまり述べられておらず、歯切れが悪い。国民的意見の割れる問題で、大新聞の弊害か? 「しかし、日本が戦前の軍国主義に回帰することなど、あり得ない。日本は通商国家であり、国際社会の平和を前提にして国家の存立がある。議会制民主主義が定着し、“軍部の独走”など考えられない。国民意識も成熟しており、そうしたことが許されるはずもない。」「しかし、首相は靖国参拝自体を撤回したわけではない。」61年目の出発 首相談話を生かしたい (朝日新聞社説)朝日は中国寄り、という批判に、「いやいや、そんなことないんだよ」と弁明するのに一生懸命という感じで非常に切れ味が悪い。なぜ中国や韓国からそれほどまでに批判されなければならないのか。この春の反日デモなどの激しさは、逆に日本人の間に反発の気持ちを生んだ。 日本がまた軍事大国化し、他国を侵略することなどあるはずがない。過去の非を追及するのもいい加減にしてほしい。そんな憤りが、中国や韓国に対する批判的な見方や、うっとうしいと思う感情を醸し出していく。 ナショナリズムが暴走することの危険は、それをあおる愚とともに歴史が教えるところだ。他者の存在を受け入れ、思いやり、言い分に耳を傾ける寛容な心なしにその流れに歯止めをかけることは難しい。 小泉首相はきのう、戦後60年の談話を発表した。植民地支配と侵略を反省して改めてわびるとともに、「内外すべての犠牲者」を追悼し、中韓はじめアジア諸国と協力していく決意を強調した。 賛成である。戦後50年の村山首相談話を否定しようという動きもあるなかで、その歴史認識を引き継ぎ、未来志向を打ち出した点を評価したい。近隣国との連携なくして、世界化の時代は生きていけないのだから。 同時に、大事なのは実践であることを強調したい。首相の靖国参拝や不用意な発言があれば、この談話はたちまち単なる紙きれに帰してしまう。 ■【主張】靖国神社 広く国民が参拝する場に(産経新聞社説)靖国が国民に浸透しつつあり、時代の流れはこっちにあると主張、なのに今日の小泉首相にはがっかり、そんな感じか? 主張と異なる談話の本筋の部分は完全に無視。客観的表現を装っている印象。「小泉首相は戦後六十年の談話を発表した。一方的な謝罪に終わった戦後五十年の村山富市元首相談話を踏襲しながらも、「国策を誤り」など当時から批判の強かった表現は避け、アジアとの「未来志向の協力関係」を訴えた。村山談話が出された自社さ政権時代とは内外の状況が大きく変わっている。もっと小泉色を出してほしかった。 靖国神社は、政治や外交とは離れた慰霊の場である。そこへ行けば、国民のだれもが自然な気持ちで国のために亡くなった先祖を思い、お参りできる社として、いつまでも栄えることを願いたい。」
2005年08月16日
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昨年の8月15日、私は初めて靖国神社を訪れて、「靖国で思う」を書いた。北京でアジア杯を観戦し、抗日記念館を見て、南京で大虐殺記念館を訪れ、上海を経て戻った東京の夏。1年前のことなのに随分昔のことのように思う。今年は北京で迎えた8月15日。正直言うとこのところプライベートでバタバタしてまだニュースをあまり深く追えていない。でも、「解散したら15日に参拝する」日本の有識者の間でそんな見方があると聞いて複雑な思いを持っていたので、とりあえず15日の参拝を見送った首相の決断を評価したい。北京のぐっちさんが「小泉さんが"誠意ある謝意罪"と中国新華社が速報。」と書いているように、中国はこれを大々的に報道。中国首脳部の安堵の思いも感じとれる。ただ、小泉首相の個人信条については益々理解出来ずに頭の中が混乱中。参拝見送りは選挙にどう影響するのだろうか?ところで、朝日新聞広告局制作の早稲田大学の広告サイトにある「戦後60年」―「脱亜」の転換を(大日方 純夫)という小論はなかなか面白かった。慶応の創立者・福澤諭吉が主張した「脱亜論」は今年120周年なのだという。首相が慶応経済卒業だから云々というのはあまりに短絡的ではあるけれど、外交においても、既成概念を取っ払った構造改革が必要だとは言えようか?ともかくも首相が、15日の談話で述べたように(首相官邸サイト)、「過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築」するために、これを機会に、まずはこの120年の歴史を今一度見直してみたい。※追記日中歴史共同研究委、来年初めにも発足 (2005年8月16日14時5分 読売新聞)
2005年08月15日
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夏休み~♪ 海の日もおわって、日本の学生はウキウキ気分、一方お父さんは通勤ラッシュに子供まで混じってきてウザイな~、そんな季節でしょうか?しかーし、季節感に乏しい北京。ここに4年近くもいると、そんな日本の夏も、敢えてじっくりと思い出してみる作業をしなければ、思い出せなくなってしまっています。日本にいたときには、毎年楽しみにしていた恐れ入谷の鬼子母神、朝顔市も気付けばもう終っちゃってるし、隅田川の花火大会にいったてはいつなのかその情報すらないし……。でも、それじゃ悲しすぎる~、というわけで、せめても夏を感じられる行事!というわけで、夏休みの宿題です。そ、そこのあなた! え~~~~、とか言わないように。我こそは! というあなた、一緒に挑戦してみませんか? 締め切りまで2ヶ月ちょっと。まだまだ時間はありますよ~。◎日本人の中国語作文コンクール(日中交流研究所)「中国語と私」「日中相互理解を深めるためにはどうしたらいいか」400字原稿用紙×4枚まで締め切り 9月30日(金)※募集要項(PDF)はこちらへ。◎若手研究者の登竜門 東亜懸賞論文「アジアは一つになれるか?」A4 40字×30行 10枚 年齢35歳以下(国籍・職業不問)締め切り 9月末日必着※詳細は『東亜』(露山会) 03-3581-0401◎「歴史を鑑とし、未来に向かう」投稿(人民網)募集期間 7月25日~9月25日※詳細はこちらへ。
2005年07月26日
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『当前中日関係和形勢教育 活頁文選』(紅旗出版社、2005年4月、71千字、82P、6元)(当面の中日関係と情勢教育文選ー未製本版ー)おー、こんな本が出版されていたんだ。日曜日、王府井の書店で発見。それにしても、いまどきこんな本を売るかというくらい表紙も何もないまさに未製本版で、その緊急ぶりがよく分かる。Googleで検索してみると、4月25日付で、新華社から書籍紹介記事が配信されており、ヒット件数557件(でも、どんどん頁を進めていくと全然関係ない内容になるから、このヒット件数はあてにならないかー)。その新華社電によると、出版の目的は、「多くの党員と青年学生が、中日関係の歴史・現状および我が国の日本の政策を理解し、新時代の時事政治と当面における情勢教育をさらに強化するため」。(→関連リンク(中文))内容は、反日デモを受けての、国家主席、首相、外相、外交部などの発言公安部の談話党機関誌などの関連論壇など目新しい内容があるわけではないが、こういう冊子を党直属の出版社が公に緊急で発行したという事実に、中国首脳部のこの問題に対する姿勢が見て取れるように思う。しかし、曲がりなりにもこの分野を専門のひとつにしている身としては、今ごろこの本の出版について知ったなんて、不勉強振りを暴露するばかりで反省。
2005年07月12日
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7月7日。彼女は日本語の勉強をしながら、私は中国語を勉強しながら、ふと、私は彼女に、「今日、何の日か知ってる?」「知らない~」毎日の予習復習で精一杯の彼女はこちらの話をまるで聞いてない。ふぅぅぅ~。でも負けじと話を続ける私。「今日、メディアじゃずいぶん騒いでるよ。1937年の今日さ~」七夕なんていうロマンチックなことをすっかり忘れていた私は、何故か中国人である彼女に盧溝橋事件について語ってしまった。ばかップルだな。ああー。 ………ところで。元新聞記者でお友達のチベット☆OK牧場さんのブログに、7月7日にリニューアルされた「中国人民抗日戦争紀念館」への突撃(?!)ルポがあった。メディアでも大きく取り上げられていたので私も是非初日に行ってみたいと思っていたのだが、野暮用で結局行けなかった。しかし、チベット☆OK牧場さんによると、個人客は受け付けておらず、入れてもらえなかったのだとか……。うーん、何でなんだろう???個人客が入れないんならそれもちゃんと報道して欲しいですね。。。。ちなみに4年前の7月7日は盧溝橋事件65周年でしたが、とても静かで観客も少なかったのを今でも覚えています。週末もし時間がとれれば私もまた行ってみたいと思います。96年に初めて訪れて以来、もう5回以上行っていますが、いつも色々なことを考えさせられる場です。
2005年07月07日
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「中国残留孤児の国家賠償訴訟、原告の請求棄却 大阪地裁」このニュースを読んで胸が痛む。実は私が中国にここまで魅せられている理由のひとつに日本で暮らす「中国残留孤児」と呼ばれる人々、その2世・3世との交流がある。「涙の対面」小さい頃に母親が見るワイドショーを横目で見ながらそんな印象しかなかった残留孤児。そんな彼らが、自分のすぐ隣にいたんだ! と気付いたのは大学に入ってからのこと。92年に東京都洋上セミナーという交流プログラムで、中国を訪れていた以来興味を持っていた中国。大学に入って何かしらその中国と関わりたいと思っていたところに、キャンパスで勧誘していた一サークルのビラを見て心躍った。それが日本に永住した残留孤児の日本語学習をサポートする支援を行っていたサークルだった。毎週水曜日と土曜日。家から2時間ほどかかる日本語教室。ここに大学4年間、そして就職後も出来る限り通いつづけた。ボランティアで教えた日本語。でも実際教わったのは私のほうで、「外国人」に冷たい日本の制度や人々を彼らを通じてたくさん知った。一方で、彼らの頑張り、明るい笑顔、家に招いてごちそうしてくれる餃子に舌鼓をうち、励まされた。「ボランティア」という偽善的なイメージや固さはまったくなく、ただただ楽しくて楽しくて毎週通いつづけた。ここでの出会い、経験が今の私に大きく影響していることは間違いない。北京に来て4年目。私はこの異国の地で多くの中国人にお世話になり、楽しい時間を過ごしている。もう長らく連絡をとっていないけど、昔、一緒に勉強した彼らは日本で元気に頑張っているだろうか?何か自分に出来ることはないだろうか? もうちょっと真剣に考えてみよう。久しぶりに胸がきゅうっとなった。※私の先輩で、94年から大学を卒業した今もずっと活動を続けている「いちょう団地駐在員」さんも忙しいながら楽天日記を更新中(更新楽しみにしてますよ~!!!)。活動を続けていくなかで、中国残留孤児に限らず、多文化を背景に持つ多くの子供や大人たちと、日本語教室に限定しない幅広い楽しい活動を続けています(→多文化まちづくり工房)。私も一時帰国時には顔を出して一緒に飲むのを楽しみにしています。でも最近はとんとご無沙汰で申し訳ありません! でも、きっといつか……。
2005年07月06日
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とりあえずメモ書き。日中、あるいは日中韓の共同研究がまとまるのはいつだろうか.....?日韓歴史共同研究報告書の公開について(6月1日)(日本外務省サイト)「2002年5月より3年間行われてきた日韓歴史共同研究が5月31日に終了したことに伴い、本日、同共同研究の成果である報告書を公表します。この公表は、共同研究委員会の事務局である財団法人日韓文化交流基金のホームページを通じて行われます。 」第13章 近代日韓間の相互認識の「相互認識」東アジア・イデオロギーと日本のアジア主義(古田博司)から読み始めたところ。
2005年06月02日
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「小泉とは仲が良いんだけど、靖国参拝には反対しているんだ。そのことはよく分かって欲しいんですよ」中国の市政府の役人とのビジネスの席で、60代の日本人経営者の言葉。「いやいや、国家は国家。ビジネスはビジネス。まずは契約をもとに具体的なスケジュールを組みましょう」というのは中国側。しかし、「そうは言ってもね、私の世代にとってはね、他人事じゃないんですよ……」と日本人経営者。お互いに困った顔で収拾がつかない。ビールを飲みながらの昼食の席で通訳を務めた私。いろいろな思いが交錯した数時間だった。
2005年05月30日
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疲れた。でも将来につながる充実の一日だった。12時半、両親と弟が北京に到着、彼女と初対面。私も知らない間に彼女が用意していた花束を渡すと母は感激の涙。ホテルに案内し、ばたばたしている間に、時間は刻々と流れる。16時、言葉の通じない彼女と家族に後ろ髪を引かれながら、大学経由、釣魚台国賓館へ。金属探知機による荷物検査。国賓館の中は北京とは思えないのどかな風景。18時、町村外務大臣登場。計20名の宴席。北京に住む日本人の生の声を聞きたいとの大臣の希望により急遽決まったという。大臣の奥様、大使夫妻、高島報道官、公使、日本外務省幹部など10名。それに、北京在住研究者、留学生、特別行政法人の代表者が計10名。1~2分の自己紹介をして、なんていう段取りもあったが、「まずは喉を潤さなきゃ」という大臣の一声で、雑談から入り、場が和むにつれて、本題の今回の騒ぎの話へ。私が話したのは、北京在住日本人の感じる日本での伝わり方との「温度差」。中国の学生との関係のなかで、彼らの中に本音と建前が存在する話。そして、メディアの影響力の大きさ。SARSやアジアカップ、今回の騒ぎで日本人の間に嫌中感情が広がるなか、親中派が「非国民」といわれ、自由な意見が拒まれるような雰囲気についてなど。歴史問題について、日本側が考えるべき点も多いのではないかということをもっと訴えたかったが、それには時間がちょっと足りなかった。ほか参加者の具体的な提案に聞き入ることも多く貴重な時間だった。果たして北京在住日本人の思いがどこまで伝わったか分からない部分もあるが、ぜひとも今後もこういう機会がいろいろな場面で増えていって欲しいと思う。今日の大臣夫妻、外務省関係者などのコメントを聞いてやはりかなりの温度差を感じたから。ほかにも書くべきことは、いろいろあるが、たくさんありすぎて一度には書ききれない。たとえば、温家宝の日本重視の姿勢に日本政府が率直に応えてこなかったことに対する反省のコメント。日中文化交流に対する実態の理解不足と今後への積極的姿勢。歴史認識の共通認識に関して、自身のデモ体験などなど。夜も更けてきた。明日は彼女のお父さんも北京にやってくる。今日の記録はまた改めて。ちなみに町村大臣は今日深夜11時過ぎの飛行機で北京を発つそうで今ごろは飛行機の中か。大臣との2ショット写真はいろいろな意味で今後の思い出にしよう。このBlogの日記も今日で88888を超えた。中国では縁起のよい末広がり。今日という日が明るい未来を導いてくれることに大いに期待。
2005年04月18日
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今日はこれからビッグイベントが二つ予定されている。ひとつ。わが家族(父母と弟2人)が揃って北京へ。彼女と空港へ向かいに行く。明日には彼女のお父さんも秦皇島から北京にやってくる。もう一つ。訪中している町村外務大臣との面会の機会に恵まれそう。18時から釣魚台(迎賓館)のホテルにて。どれくらい直接話せる時間があるのか不明だが、北京在住日本人の率直な思いをぶつけたい。そういえば、金曜日。領事部長との情報交換会の様子がNHKで放送され、そこに私が写っていた、と高校の同級生からのメール。もっとも私はただいただけである。NHKのほか、TBSも取材にきていた。今日が未来につながる良き思い出の日になって欲しい。
2005年04月18日
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「日本人は本当に親切。優しい。お世話になった」日本に留学し、日本の企業に働き、日本でマンションを買い、10年以上滞在した後に仕事に関係で北京に戻ってきた中国人。「このことを私はもっと中国人に伝えたいと思う」そう熱く語った。教育関係の仕事をバリバリされているその方は、「中国語うまいですねーとよく言われるんですよ」というとおり、身なりも話し方も日本人以上の日本人だった。実は私の周りには結構こんな人がいる。でも日本のテレビでこんな話がニュースになることはまずないだろう。「犬が人を噛んでもニュースにならないけれど、人が犬を噛むとニュースになる」私もまた中国で中国人の親切に感謝している。このことを日本の人に伝えたいと思うのだが。夕飯を現代城の近くの湖南&広東料理屋で食べながら。
2005年04月13日
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反日デモが繰り広げられた土曜日、私は14時くらいにはオフィスを出てデートのつもりが、野暮用が済まず、結局7時過ぎまで現代城にいた。その間、友人から刻々と電話で伝わってくるデモの様子はすでに書いた通り。オフィスを出る直前に、このブログをみたある日本の新聞社から、「留学生のことを心配しています。現状はどうですか?」という問合せがあったので、現状をそのまま伝え、あまり過激な報道で煽ることのないように切願した。その後、タクシーを拾って、日系会社が多く入居している発展大厦の近く、燕砂へ。、そこがデモ隊の攻撃の的になったことを後から知ることになるが、その一帯もこの時間帯には日常と様子は変わらなかった。ただ土曜日の割に車が渋滞していたのは交通規制の影響か?彼女と服装市場の一角の食堂でミニ火鍋。中国人の彼女はデモのことを全く知らなかった。「過去は過去」なんでそんなに騒ぐのか分からないと彼女はそう言う。国家は国家、個人は個人とも。しかし、私は一日本人として、もっと考えるべきことが多くあるように思えてならない。投石など一部のヒートアップした行動にはもちろん賛同できないけれど。いずれにしても、日本人は日本にだけいるわけではない。日本は日本だけでやっていけるわけではない。中国に限らないが、他国との相互理解ということを日本人はもっと考えるべきであると思う。日本のメディアを見ていると、在外日本人の空気感がどうも伝わっていないなとやはり思う。深夜。人民大学の寮に戻る。寮の入口に、「使用日貨可恥」(日本の商品を使うことは恥ずべきである)という張り紙。果たしてこのビラがどういう経緯で張られたのかは分からない。翌日にはこの張り紙は剥がされていた。
2005年04月10日
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ラッシュの電車に乗りなれた人の洗練されたマナーそれに対して雑然とした雰囲気の昼間の電車これって北京も東京も一緒だなと最近つくづく。東京にいた頃、朝晩のラッシュ時と昼間の山手線の雰囲気の違いを感じていた。ラッシュの電車は、乗りなれた人だけが乗ることが前提。プレーヤーはみなプロ意識をもっていて、たまにしか電車に乗らない「アマチュア」は跳ね除けられてしまう厳しい世界。暗黙のルールに反したら、周囲の不機嫌・白い目攻撃。最初はなんだこのおかしな世界は、と思う。しかし、誰しもいつの間にかこの仲間に組み込まれ、気付かないうちに自分も攻撃の側に加わっていたりする。北京は、東京よりもさらに地方からの上京者も多く、電車に乗りなれていない人も多い。歴史も浅い。だから、「列に並ばない」「降りる人が済む前に押し入る」以前はこれが北京の地下鉄のルールかと思っていた。しかし、最近朝のラッシュ電車を使うようになって、北京でもやはり昼間とラッシュ時の電車の空気は違うことを発見。東京のラッシュ電車は精神的に疲れることもあったが、北京では、東京とは比べ物にならない昼間の雑然さに疲れることも多いせいか、むしろ快適にも感ずる。加えて北京では、朝の山手線に漂っているようなぎずぎすとした空気がまだ感じられない。「プロ」(ネクタイをしたエリート?)同士の思いやりがまだある。しかし、このほんわかムードはいつまで続くだろうか。ラッシュ時の洗練されたマナーは慣れてしまえば便利で気持ちいいけれど、それが当たり前になってしまうのは、ちょっと寂しかったりもする。北京人の「ぎすぎす」の予兆を感じて、不安になる。
2005年01月16日
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「食欲の秋」は中国には存在しない?食いしん坊の私は毎年この時期になると、必ず、「おいしいもの食べましょう!」をあちこちで連発する。でも、中国人はそんなことを思わない....のかも知れない。と、そんな疑問に気付かせて下さったのは、語言大学時代の元同級生で、シンガポールに住んでいる日本人・豆蓉さんからの一通のEメール。「ご記憶にあるかどうか・・・黄老師の授業で『秋天来了、Zhe意味着~~~』の例文を発表したことを私はよく覚えています」な~んていうメールを頂いたからである。ちなみに語言にいたのは、2002年2月から7月までなのに、何故、自分が秋の話をしていたかはまったくに記憶にない。きっと、時期も関係なく、やっぱり「食欲の秋」の話がしたかったのだと思う。で、これまた自分では覚えていなかったのだけど、豆蓉さん曰く、「私は大いに納得し同意していたところ、黄老師は「はぁ?」と言って『収穫の秋、又は紅葉の秋』と言うべきだ、と言いましたよね」とのこと。「中国の先生方は時折彼らのロジックに合わないことを外国人生徒が発言すると拒絶することが多かったですよね。あの時に(食欲もスポーツも読書も日本人の考えなのかぁ)と思い知ったのです」「まだまだ知らない外国の人々との論理性の差を考えます」というのである。わあ、おもしろい。自分ではすっかり忘れていた(いや、きっと理解していなかったんだ、きっと 恥)ことを教えてくれた元同級生に感謝!そして、もちろん、恵みの秋にも感謝!(これも理由はわからないけど)。もし、中国人に、もし「食欲の秋」の意識がないなら、普及させよう! きっと同意してくれるはず!...?うん、今年もおいしいもの食べるぞぃ。----★追加メールの転載とお名前を出すことを許可いただきました。その際に、頂いた情報を以下に追加します。「総合の捷径の深緑色(中冊)の42ページ7-2です。「我愛秋天、因為秋天意味着~~~」の~~~を埋める問題でした。前回も書きましたが、黄老師は収穫とか紅葉最美的時期とか、大きな範囲で皆が理解できることを言わなければいけない、と言いました。個人の意見はいけない、とそんなことも言いました。食欲の秋、は日本において大きな範囲で皆が当たり前のように理解することなのにぃ、と私は思ったのでした。その時のだーれんさんはぽけっとしていました(笑)。」(註:苗字→だーれんに変えました)やっぱぼけっとしてたらしいです(笑)。
2004年09月29日
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「署名(および拇印)証明書」なるものをもらいに北京領事部(三元橋・南銀大sha2階)まで行ってきた。1通130元(約1820円)。日本国内に住所がないと「印鑑証明」がとれないため、それに変わるものなのだが、なんでこうもバカ高いのか?印鑑証明と違って、担当係官の面前で署名をし、拇印を押すため(拇印は押さなくても可)、機械で自動発行できる印鑑証明とは手間がまるで違うことは確かだ。が、それにしても高い、高すぎる。他国の手数料は調べてないが、世界共通価格なのかもしれない。しかし、中国では、日本語の堪能な中国人が執務しているわけで、その給料は世界共通ではもちろんないはず。やっぱり納得いかない。ちなみに、住所を証明する「在留証明」は1通90元。日本の戸籍もしくは有効な運転免許証と、居留証、パスポートの提示で即日発行してくれた。----昼:留学生食堂で魚を食べて8.5元夜:火鍋@建国門 *出張者と---※気になるニュース日本通の王毅氏が駐日大使に。「謹んで職責を尽くし、国の恩に報い、人民のために、積極的に切り開いて恥ずかしくない仕事をしていきたい」。相互理解が深まることを期待。「王毅氏の駐日大使着任 中日関係の改善に期待」(人民網日本語版14日付)http://j.people.com.cn/2004/09/14/jp20040914_43378.html
2004年09月14日
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「標記の面接試験の結果、あなたを平成16年中国政府奨学金留学生候補として中国政府に推薦することに決定しましたので、お知らせします。 なお、留学生への採用の最終決定は中国政府が行い、その結果については、文部科学省から別途通知します」「平成16年中国政府奨学金留学生の面接結果について(通知)」というこの通知は4月7日付だった。が、その後、今日まで「別途通知」がない。中国の新学期である9月まであと1週間。すでに6月2日の日記で書いたように、留学生事務室の先生からは「内定」を聞いていた私は、そのうち来るだろうと、安心しきっていた。が、さすがに遅すぎる。昨日やっと、文部科学省に電話を入れた。すると、「ちょうど今、中国大使館で、今年の奨学生の壮行会があって出掛けていて、戻りが18時ごろになってしまうんですよ。お急ぎですよね? 今日中にお知りになりたいですか?」非常に丁寧な対応。だが、担当外で、事情をご存じないのだろう。これだけ待たされていたら、もはや一刻を争うものであるはずがない。しかも、壮行会って。。。。私は招待されなかった。その日の夜は人と会う約束があったので、今日の朝、改めて電話を入れた。名前を言うと、「あっ、すでに中国に留学されている方ですね」とリストを手元に持っているようだった。「最終通知をまだ頂いていないのですが……」、そう切り出すと、衝撃の事実が(笑)。・8月6日付で中国政府より、通知があった。・そのなかに私の名前、及び大学名(中国人民大学新聞学院)がある。・しかし、送付すべき書類は、新規に留学する人が必要なビザ申請書類だけだった。・なので、すでに留学している人には、通知しなかった。・あわせて、中国政府からは、各大学から通知する旨、言われていた。つまり、日本滞在者には8月6日以後、数日の間に通知書を送ったが、私のようにすでに留学をはじめている者に対しては、文科省からはノーアクションだったということである。さらに、「昨日、壮行会があったと聞いたのですが?」というと、「中国にいらっしゃる方には、旅費の支給もないので、通知しませんでした」という。なお、私は8月8日に北京を離れて上海へ出かけてしまった。6日は金曜日であったことから、留学生事務室が翌週、私への連絡を試みたのかどうかは、知るすべがない。文科省の担当官の対応からすると、新任なのか、あまり勝手が分かっていなかったようでもある。途中で、「何か書類が必要なのでしょうか?」と逆に問われた。「いや、要りません」と答えるべきところなのかも知れない。が、商社勤務時代、役所の文書主義で苦しんだ経験もあり、「別途通知する」と通知されている以上、それを求めるのが筋だと思い、「では、作って送ってください」とお願いした。その後、「何を書いたらいいんですか?」「どちらに送ったらいいんですか?」「これから作るのでだいぶ時間が掛かるんですが……」と、投げやりな対応になっているようにも感じられた。結果オーライではあるけれども、何ともすっきりしない幕引けである。ただ文科省に同情すべき点があるとすれば、この奨学金は、中国政府の主管であり、文科省はあくまで中国政府の依頼により動いているという点である。教訓:果報は寝て待つな。でも、まあ、よかった、よかった。---「横浜。新城。幸福。」横浜のコットンハーバーのCM。このきれいな中国の女性は誰?http://www.cotton-towers.com/others/tvcm.html---夜:ワタミ 商品開発力に感心。--東京ガスの下請け会社が来訪。マイツーホーにADSL用のアダプターをつけてくれた。これで我が家のADSL復活。弟のPCが使えるようになった。
2004年08月25日
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中国関係、ちょっと目にとまったニュースの「視点」を3本。「平和の祭典の陰で」日経新聞8月22日朝刊2面、宮本明彦・編集委員による「風見鶏」。4年後の北京五輪を前に、「根強い反日感情が、台湾をめぐる愛国主義、民族主義と渾然一体になりかねない」にも関わらず、「日本国内の関心は驚くほど低い」と嘆いている。昨今の台湾海峡の緊張関係を紹介した後で、「戦争や戦闘が、必ずしも『合理的な判断』によって起こるものではないことは明らか」として、「事例は違うが」と断った上で、89年の天安門事件を例に挙げている。さすが編集委員というべきか、筆は勇ましく、「日中にせよ、米中にせよ、経済の依存関係がこれだけ深まっている時に、あえてこれを根底から覆すような椿事(ちんじ)が起こるはずはない、とする説もある。これが本当であれば、世界の安定に政治の出番はない」と読者を奮い立たせる論説だ。この手の主張は今後たくさん出てきそうだが、筆の主は何を望み、読者に何を求めているのか? そこに思いを致すことが大切だと思う。騒ぎを起こして得するのは誰なのか。--------同じく日経新聞、23日朝刊3面。クレジットなし。対中貿易が今年、「対米」を逆転する「公算が大きくなった」と報じている。対米20兆円(とみられる):対中21兆円(に迫る勢い)「とりわけ日本からの輸出の伸びが著しい」という。「日米中の経済は『三角関係』の形で、相互に影響を及ぼすことになりそうだ」と占っている。日経らしい記事。-----24日TBS はなまるマーケットのなかでのニュース。北京の古い町並み「胡同」を巡る開発と保存の攻防に関するニュース。開発派の後海のバーの経営者や、それに困惑する老人へのインタビューなど。すでにあちこちで言われていることで、目新しい内容はない。何故このタイミングで報道されたのか?………夜は上野で中華。日中折衷とはこのことか。日本の気候には、日本風のさっぱり中華が似合うのかも。
2004年08月24日
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「やっと切符が取れて疎開先の長野に着いたら、そこで日本は負けたんだよ、戦争は終わったんだよと聞いたんです」1920年生まれだというが、とても80歳を過ぎているようには見えなかった。戦後しばらくこの話は笑い話のようで人には話さなかった。でも今は語らねばならないと思う、という。このページを見てくれている大学の大先輩に招待券を頂いて、「日本の戦争」シリーズという映画の上映会に行ってきた。東映が制作した5本もの。(1)日韓併合への道(30分)(2)朝鮮半島 植民地支配の実態(28分)(3)太平洋戦争への道 中国大陸侵略(30分)(4)太平洋戦争と東南アジア(29分)(5)太平洋戦争と沖縄(35分)「今はヨン様ブームの韓国ですが、10年前に撮影に行ったときには、どこに行ってもずうっと監視役がいて、最後まで信頼してもらえなかったんです」「日本人にはつらい映像がたくさんありますが、すべて真実です。目を背けずに見てください」監督のことばである。「日本の1億人は戦争を知らない世代なんです。私のような戦争を知っている世代では最近、『これはいつか来た道』という思いが強く、不安でいっぱいなんです」とは主催者のことば。---アエラの最新号(8/30)「20代の『ガチ』ナショナリズム」8月15日に靖国を参拝にしに来た若者の声を取り上げている。「石原都政を動かすマッチョ」「おれ、テレビで勇ましく言ってきたけれど、やっぱり中国との関係を考えると、この局面を悪くしたら心配だよ」石原知事は野中広務・自民党元幹事長にそう言ったという。----午前中は都庁へ、情報公開制度を利用。----夕飯:鶯谷・哲学堂 にんにくトマトラーメン(850円)
2004年08月23日
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「終戦」記念日の今日、靖国神社を初めて訪れた。都営地下鉄の九段下の駅のホームには一目で参拝に向かうと分かるお年寄りの姿が目立った。駅のエスカレーターの前では、「英霊に敬意を表し、東京裁判の真相を問う」と書かれた封筒を渡された。3万円もする本の広告だった(「英霊に敬意を表して」通常4万5000円のところを特別価格だそうだ)。右翼の街宣車もあったが、午後3時頃という時間帯のためか、想像していたほど騒がしくはなかった。境内に入ると、目立つのは遺族と思われるお年寄りの姿。それに混じって若者の姿も少なくなかった。デジカメを手にしている者も多い。歩きながら耳に入ってくる会話を聞いていると、いわゆる参拝ではなく、「どんなものか自分の目で見てみよう」という私と同じ考えの人が多かったようだ。拝殿の手前にはNHKがカメラ1台を据え付けて、数人の記者が待機していた。私は、参拝は遠慮して、遊就館(ゆうしゅうかん)という記念館へ。入場料800円(学生500円)。無料で配られているパンフレットには、「靖国神社の神さまのことを永く世に伝えるために、明治15年に創立された日本初の軍事博物館です」とある。玄関を抜けるとすぐに目に入る大きなゼロ戦がこの博物館の立場を象徴しているように感じた。この博物館の目的は、「一つは殉国の英霊を慰霊顕彰すること」とある。そして、もう一つの目的は、「近代史の真実を明らかにすること」だそうだ。「わが国の自存自衛のための戦い」を主張する多くの展示が並べられており、思わず「戦争ってカッコいいな」と思わされてしまう「英霊」の立場から見た歴史がそこにはあった。しかし、空襲や食糧難、家族を失った庶民の苦労や悲しみはここにはない。ましてや、中国・韓国をはじめとした被害者への思いやりは微塵も感じ取れない。博物館内で上映されていた「ドキュメント映画」「私たちは忘れないー感謝と祈りと誇りをー」(企画・制作:「日本会議・英霊にこたえる会」、後援:靖国神社)を見ていて、私は何ともいえない気持ちになった。映画のメッセージは「国難に殉じた英霊たちへの感謝と祈り」である。これは私も理解出来る。だが、「英霊にこたえる」ことは、彼らの行為を無条件に正当化するなのだろうか? 彼らが守ろうとした国内外の一般庶民の気持ちにはどうこたえるのか?彼らに思いやりを寄せることこそが彼らの気持ちにこたえることになるのではなかろうか?これだけ豊かになり、民主主義国家を誇り、中国の言論統制を批判する日本の「靖国」で、ここまでの一方的な主張をしていることの悲しさ、情けなさ。私はここ数週間で、北京の盧溝橋、南京の虐殺記念館、そして靖国神社を立て続けに回ってきた。中国の展示は、中国から見た視点である。そこには日本人として同意できないものもある。だがどちらの記念館も、未来の友好と平和がメッセージとして強調されている。一方、靖国のほうは、願わくばアジアの解放戦争を捲土重来といった勢いである。ここに空しさと悲しさを感じずにはいられない。お互いがお互いを理解して分かり合うことは何と難しいことか? 新しい未来を作っていくために、日本と中国・韓国などが共同で歴史記念館を作ることは出来ないだろうか?日本が目指そうとしている未来は、靖国のいう未来なのだろうか?私は今日、靖国のあまりに庶民観を無視した展示を見て、ここに政府関係者が公に参拝することについて、恐怖を感じた。----朝、フジテレビの政治討論番組『報道-2001-』で、石原都知事と桜井よしこ氏が、中国の反日問題と日本の歴史教育について語っていた。曰く、中国は江沢民の歴史教育の成果によって、若者の間には、反日による愛国心が根付いた。曰く、日本の歴史教育は戦後50年以上、東京裁判史観によって歪められたことで、愛国教育がなされてこなかった。私の理解が間違っているのかもしれないが、彼らは、要するに、中国のような愛国教育を日本ですべきという主張をしているように聞こえた。竹村健一氏曰く、「こういう番組がこれまで日本には少なすぎた」「桜井さんはテレビ向きだ。繰り返しこういうことをテレビを通じて教育すべきだ」。----靖国の博物館の最後に置かれていた感想ノート。「感動した!」系コメントに混じって、偏った展示に対する辛辣な批判、皮肉も目立った。そうしたコメントには「そんなこと言うなら、ここに来るな」という書き込みがあったが、そうではないはずだ。両者の対話が何より大切なのだ。お互いの主張を一方的にぶつけ合う「ケンカ」ではなしに、未来を見つめた対話。その重要性を改めて思う。----昼は新宿で北京で知り合った方々とランチ。ご馳走になってしまいました。ご馳走様でした!夜は、学生時代からの友人たちとの飲み会。楽しかったー。
2004年08月15日
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◎決勝前夜の会場付近を散策夕方になって明日の会場となる工人体育場に足を運んだ。地下鉄を降りるとホームにはすでにいわゆる「ダフ屋」がいた。チケットの値段は敢えて聞かなかったが、数枚のそれと思しきチケットを掲げ、値段交渉する姿があった。外に出ると、さらに多くのダフ屋。だが、会場までの道のりで見かけるチケットの数はさほど多くなく、余ったチケットを買い取るための札束の数のほうが多かった。高級車で乗り付けてチケットを売りに来ている姿も複数目にした。会場は工人体育「館」と体育「場」が隣接してあって、明日の会場は後者だが、先に通りかかった「館」にもチケット売り場があり、そこには「2000元チケットだけあります」と張り紙があった。日本円にして3万円。買おうとする人の姿はなく、売り場の周りにはダフ屋が群がっていた。 実は私ははじめて行く体育場(「館」には日中友好30周年コンサートで行った)。会場敷地内には中には入れないのかと思っていたら、いとも簡単に入れた。公安の車が目立つ。警備員のミーティング風景もあった。これも明日のためか、と思っていたら、今日これからイラン対バーレーン戦があることに後から気付いた。何と言うか「自意識過剰」である。体育場のチケット売り場付近をうろつきながら、ダフ屋と客のやりとりを一時間ほど眺めていた。一番多いチケットは400元。200元はたまに耳にしたが数が少ないようだった。800元チケットもかなり見かけた。それがいくらで売られるのか、買う気がないのに冷やかすのは恐いので、あまり聞き出せなかったが倍近い値段になっているようだ。どこからともなくテレビ朝日の取材クルー数人も現れた。しばらくするとカメラの周りは人だかりになった。寄って行ってみると日本人が取材に応じていた。会場付近で初めて私がそれと認識した日本人だった。カメラの周りには人が集まるので、レンズの向こうは実際よりも「熱い」世界になる、ここに映像の恐さがあるななどとふと思ってみたりもした。結局チケットを買うのは諦めた。会場付近を散歩(5元で路上で売られているDVD屋を見つけ、女子十二楽坊を衝動買い)。------◎思いがけないお誘い留学生楼に着くと、明日帰国午後に帰国するという日本人留学生と遭遇。とんかつのばんりさんへ。食べ終わった頃、携帯を見ると一通のショートメール。見れば、登録していない番号だったが、クラスメートの中国人女子学生からだった。「昨日は掲示板に誕生日のお祝いありがとうね。明日はサッカーの試合どこで見るの?」普段あまり話したことのない子だったので驚いたが嬉しかった。それで「改めて誕生日おめでとう!でもまだどこで見るか決めていないんだ」と返事した。すると、「もし行くところが決まったら、良かったら私も仲間に加えて。いっぱいの人で見たら盛り上がるでしょ。」思わぬ誘いに嬉しかった。「もちろん!歓迎、歓迎!でも、日本人の友達の多くが帰国しちゃっているんだけど、聞いてみるよ」それから数人の知り合いに電話をかけた。みんなチケットが手に入らず明日の行動を決めかねていた。それでその様子を彼女に伝えると「分かったわ。私、今回の試合は『特殊』だと思うの。出来れば日本人の友達と一緒に試合をみてみんなの思いを理解してそれを後で観戦記にまとめたいんだ」こういう申し出は簡単そうで、実はすごく勇気のいることだ思う。こういう仲間に出会えて私はとても幸せだ。私は知り合いに頼んで合流させてもらうことにした。チケットは手に入るか分からないがまずは一緒に会場に行ってみることにした。彼女はもう一人友達を連れてくるという。明日の待ち合わせの時間と場所をさっそく決めた。明日が「お互いの好き嫌いを超えた新しい何かを生み出すいい機会」になればよいと願っている。そして、周りの中国の友人たちもそれを支えてくれているように思う。日本チーム頑張れ! 中国チーム頑張れ! --------◎大使館から知り合いに電話しているなかで、日本大使館から注意勧告のようなものが出ていることを知った。要は出来る限り目立たないように家でおとなしくしてください、ということだ。言うことは理解できるし、無用な騒ぎを起こさないということは私も同感だ。だが、何かが違うとも思わずにはいられない。http://www.cn.emb-japan.go.jp/jp/ryojibu/eoj040805.htm------◎「よりよい未来へ」最近楽しみに拝見しているメルマガ 「開発区之森」提供<チャイナ・ウォッチング>で、上海在住の有留さんが書いていらっしゃることに非常に感銘を覚えたので、許可を得て以下に引用させて頂きます。中国の歴史教育を問題視する前に、ちゃんとわが身を振り返ってみてはどうだろう。重慶の人たちがいっているように、重慶爆撃のことも含めて、ちゃんと日本人を教育する必要があるのであり、それを自主的にできないところが私には歯がゆくてならない。人にいわれる前に、やるべきことをやる。それがちゃんとした大人の国のやることだと思うのだが・・・いずれにせよ、今回の騒動も含めて、摩擦が起きることは国が生き物である以上仕方のないこと。大事なのは、そうした摩擦を恐れずに、冷静に対処し、またそこから未来に向けての教訓を学び取ることだと思う。明日の決勝戦で何事も起きないことを念じつつ、試合後両国が何らかの貴重な教訓を得て、それが両国関係のよりよい未来につながることを心から祈りたい。詳細は、www.kaihatsuku.com/Extra/shreport/index.htmをご覧ください。また長くなるので、これ以上の引用は避けますが、有留さんは「日本と中国の関係改善・強化を真剣に考える人たちには、はたして何ができるのだろうか」という問いを投げかけ、それに対して「墓地か慰霊塔に選手一同(あるいは代表)が献花してはどうだろうか」という提案をされています。これは非常に具体的で実現可能な、そして効果のあるひとつの方法であると感じました。お互いをお互いを貶すのではなく、未来に向けた建設的な一歩を踏み出したい、その責任は日本にあると思います。*なお、メルマガの最新版はホームページ上では、読めないようです。しばらくしてからお読みいただければ幸いです。
2004年08月06日
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スポーツと政治、日本と中国、中国の国内事情……。アジアカップの日本戦を巡る今回の騒動は、様々な要素が事態を複雑にしている。けれど、史上初の日中対戦をスポーツとして、大いに楽しむことで、そこからお互いの好き嫌いを超えた新しい何かを生み出すいい機会に是非したいと願っている。現段階で何より大切なのは「決勝戦で最優先されるべきは現地の平和」(南京どんぶりさん)であり、また「中国側はホスト国として紳士的態度であるべきだ」(りん じゅず さん )と私も思う。そもそも、私はこのアジアカップの存在を、重慶に住むネット友達の高校生から聞いて初めて知った。「日本選があるから見にくればいいのに。みんな楽しみにしているよ」。そう言われて貴州に行く前によるつもりが、日程が合わずに断念。今となっては惜しいことをしたなと思っている。私一人の力でどうなるものでもないけれど、日本人と直に接したことのある中国人が増えれば、事態は変わるのではないかという思いがある。ちょうど今も見ず知らずの中国人からチャットで呼びかけがあった。「日本人は中国を蔑視している。だから中国人は日本人が嫌いだ」会話の内容から、イメージで語っているだけで、何の知識も持ち合わせていないことが明白だった。「あなたにとって、愛国と反日は同じことなの?」と尋ねたら、返事が返ってこなくなってしまった。でも、彼は私が日本人だと知っていて、語りかけてきたのであり、日本人と話すことに興味を持っているのだ。私はこういう中国人と真摯に会話を交わしたい。親中派、嫌中派という言い方が私は好きではない。「お隣の中国」ではなく、「お隣の中島さん」だったら、好きでも嫌いでも、近所付き合いをしなくちゃいけない(最近はそうとも限らないか...笑)。そろそろ好き嫌いを超えた大人の付き合いがしてみたい。たまには喧嘩もするけど、信頼し合えるいい関係。それを築くためにビジネス交流に加えて、今回のスポーツ交流は絶好の機会のはず....だと思うんだけど。----「反日」と歴史について考えたいと思って、盧溝橋に行った。一昨年の7月7日以来、4,5度目かな? 前回と変わらず人の数は少なく、静か。10人ほどの高校生と思しき日本人の団体のほかは5人くらいの中国人だけだった。歴史について、抗日博物館についてなど思うところは項を改めて。-----パソコン不調。画面がこんな感じ。 突然、画面が乱れて、再起動してもしてもしばらくは直らない。その後、気まぐれのように復活。これを今日は3度ほど繰り返している。以前にも何度かあったが、今日は回数が多い。原因は何なのだろう?---8日朝の上海行き飛行機(半額)を予約。12日に上海から日本へ。9/10まで滞在予定。
2004年08月04日
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