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一年に5~6回しか書かなくなってしまったブログ。一時期は毎日のように書いていたのになぁ~。楽天でブログを書き始めたのは、セミリタイアを始めた頃。セミリタイア中は、学校に行ったり、家を建てたり、庭いじりをしたり、母の様子を見るために日本とアメリカを行ったりきたりした。その間に、子供たちは学校を卒業し、巣立っていった。一人は結婚して一人はしばらく家がよいと先月戻ってきた。愛犬がなくなり、そしてそれから5年近く経った2週間ほど前に同じコーギー犬2匹が我が家の家族に加わった。今はトイレ訓練に明け暮れている。そして、来年の3月にはついにおばあちゃんになる!楽天のブログでも、人は入れ替わりして私が始めた頃から残っている人は数人。いつも何かが変化していく。それが人生なんだろうな。でも、変わっていないものもある。何時もいつも心の中で思ってきたこと。個人個人が幸せにならなければ世の中は平和にはならないという思い。変形性股関節症の方は、軟骨はぜんぜんないそうなのに、いまだ痛み止めは必要ない。だけど、骨密度はものすごく悪く手術したいと思ったとしても、手術が出来るような状態ではないらしいので、現在は骨密度を上げるべく薬を飲んでいる。人生何が途中で起こるかわからない。予定どうりには進まないのかもしれない。そこで、予定どうり物事が進むのを待っていたら、人生が終わってしまうかもしれないと思い、以前から色々な人に作るようにと勧められていたHPをやっと作った。私の人生も秋、次に来るのは冬。でも私以外の春を迎える人々に幸せの種を蒔くことはまだ出来るかもしれない。そんな気持ちでブログもこちらで再開することにした。そして、作ったHPがこれまだ、完全には出来上がってないのだけれど、私の顔を見たいと思う人は一度訪ねてみてくださいませ。それから、Face bookもやっているので、よかったらお友達になってくださいませ。
2012年11月07日
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今週は下の娘が夏休みで、毎日会いに来てくれた。下の娘は普段は忙しい。遊びに来ることがあっても、すぐに帰るのが常だったし、一月に一度くらいの食事会の時にゆっくりと来ていたけれど、用意や後片付けで忙しい私は、あまりゆっくりと話すことは無かった。だけど、この夏休みはなぜか私と過ごすことにした模様。本当は我が家のほうが涼しいから、涼みに来たと言っていた。月曜日は皆でおすし屋に行った。火曜日は私は用事があったのだけれど、それでも朝会いに来てくれた。水曜日は世界で一番大きいといわれているSD動物園に行った。SD動物園は、先日いとこの子供が遊びに来ていたときにも行ったのだけれど、周りきれず、この間見れなかった動物を見に行った。でも、やっぱりまだすべては見れていない。今日木曜日は、日本スーパーまでお買い物に連れて行ってくれた。買い物の目的はたことうめぼし。たことうめぼしを買うためには車を30分以上走らせないといけない。(運転したのは娘だけれどね。)結局他にも色々買いたくなって一杯買っちゃった。そして二人で過ごした娘の夏休みの閉めは、うにいくらが大好きな下の娘のためにうにといくら丼。特に何か話すわけではないけれど、なんだか一杯話をしたって感じで嬉しかった。明日はインドから出張を終えて帰ってくる上の娘のために”お帰りなさい食事会”をするから、下の娘も又やってくる。最後の家族そろっての食事は上の娘がインドに行く前(6週間前)だったから、久しぶりの食事会。上の娘が好きなたこと梅干も手に入れたし、喜んでくれるかな?我が家の男達(全員アメリカ人)が好きなものは、基本的に女達とは違う。私は皆が好きなものを考えて、色々な違う料理を並べるはめになる。だから、いつも前日から用意したり、朝から作ったりする。私は又バタバタしているのだろうけれど、それでいい。家族は全員私が主催する食事会を楽しみにしているみたいだから。食事を作ることが出来る。そして、皆で会食をする。私には、なぜかそれがとびっきり幸せな出来事に思える。
2012年08月24日
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足の状態が悪くなってから、車の運転をやめている。膝が突然ロックして交通事故でもおこしたら回りの迷惑になると思うので、様子を見ている状態なのです。普段のお買い物(食料品)も娘達が運転してくれるので、ほとんど自分では運転しないけれど、時に近場のスーパーだけは行くことも。ま、そこまでは5分もかからないから安心。実は、歩いても5分くらいだけれどね。だから、私の運転は今のところ、だいたい2、3週間に5分ほどの運転だけ。この状態で、又運転できるのかしらと思うこともあるけれど、先日日本から帰ってきたときに3ヶ月ぶり位で運転したけれど大丈夫だったから、又乗り出したら運転できるでしょう~。車の運転をやめてわかったことは、運転できないと不便ということではなく、私は本当に恵まれているということだ。食料品のお買い物は娘が同行してくれる。(重いものを持ってはいけないからね)誰かがどこかに誘ってくれた場合に、”あ、ごめんね、車運転しないから、行かない”と言うと、車を回してくれたり、その人が都合で迎えにこれないときは、わざわざ送り迎えしてくれる人を探して迎えに来てくれたりする。車で30分も1時間もかかる所から、わざわざ知り合いが我が家に会いに来てくれる。そして、会いに来てくれるときに、お買い物で必要なものが無いかどうかまで聞いてわざわざスーパーによって、もって来てくれたりする。足が無かったり遠かったりして会いに来れない人は、股関節に関する色々な情報をわざわざ調べて、送ってくれる。本を買ってくれた人もいた。こんなことが続いている。こうなると、足の調子が悪いのも、特に悪いことではないと思える。いや、負け惜しみではなく。大体今まで生きてきて、表面的に誰もが悪いと思える出来事でも、後で振り返ってみると実際は自分のためになったありがたい出来事だったなんてことは多々あるからね。きっと今回も結果OK、勘違いかもしれないけれど、勝手にそう思おう。*****膝がロックしたような状況にならない限りは痛みは少ない。痛み止めはお医者様にもらったのがあるけれど、まずのまない。だって痛みは我慢できる痛みだし、のむと痛みがなくなるので動きすぎて次の日に痛みがくるから、のまない。要するに、怠けていれば痛みはほとんどない。でも、階段を毎日何回も行ったり来たりするので、それはきつい。最近は階段を利用する回数を減らすように頭を使うようになった。ま、こんなことでもないと頭も使わないから良かったかも。もともと貧乏性だから沢山動きたいし、歩きたい。そこで少しでも長く歩けるように最近は筋肉をつける運動をしてる。毎日シャワーはやめてお風呂に入っている。お風呂で筋肉を伸ばすべくマッサージをしている。効果出るといいなぁ。
2012年08月15日
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やっと、夏らしくなって来たカールズバッドです。お久しぶりです。外は晴れています。なんだか晴れているだけでウキウキするから不思議です。日本の暑い夏を考えると申し訳ないくらい、家の中にいると涼しいです。2年ぶりに日本の夏を迎えている母のことを思います。クーラーを入れると足が冷える、でも上体は暑い。そんな母のために、体を冷やすタオルのようなものを送りました。これが結構涼しいらしく、暑さをしのげるかと少しホッとしています。私は相変わらずお仕事のお話を色々と頂くのですが、今は歩けるようになるのが、先と思っておとなしくしています。もちろん、歪んでしまった腰や、進行性の病気は治らないだろうけれど、痛みが少しでもなくなればと色々と試しながら、頑張っています。解決策の中には手術もありですが、いまだ先延ばしを勧められているから(人工関節は長くもたないらしい)、人工関節がベストとは限らないのかもしれないと思っています。ま、そうは言っても膝がロックする状態を見たことのある人は全員が全員、"早く手術をしたほうが良い”と言います。何しろ、激痛だし、見た目気持ち悪いからでしょう。実際人工関節にしても、動く方向によっては股関節は脱臼するらしくその方向には動かさない癖をつけなければいけないそうだし、脱臼すると痛いそうです。それなら、今の私と同じです。おかしな話ですが、膝がロックするのにも慣れてきて、その状態から、元に戻すコツみたいなものを覚えました。まあ、元に戻すのに長いときは1時間ほどかかるときもあるのですが、早いときは10分ほどで戻せるようになって来ました。何を言っているかわからない人のために少し書きますと、膝がロックしたような状態になり膝をのばせなくなっている時、股関節が突然脱臼しているのか足の長さが5センチほど変わります。少しでも動かしたら、激痛です。座り方が悪かったりすると、そういう状態になることもあります。これが良く起こるのがトイレから立つ時です。人に見せられない格好の時が多いです。こちらは避けようがないけれど、他にもある動きをすると必ずそうなるという動きを見つけたのでその動きは避けるようにしています。必ずといってよいほど、膝がロックするので。相変わらず長く歩くことはできず、歩くことに関してはスーパーに行くのが精一杯。もしも2日続けてスーパーに行ったり、掃除をしたりすると、膝のロックが起こるので、お掃除ルンバを買いました。もっと早く買えばよかったわ。ルンバは私が納得するようなお掃除はしてくれないけれど、非常に助かっています。だから、今では私はルンバのアシスタントをやっています(笑)。膝がロックするようになり、急激な痛みを何度も経験して、最初のうちは気がめいる日もあったんだけれど、この体験から色々な事を学びました。これも私の人生に必要なものだったと思っています。足が悪いと沢山の不都合はあるものの、日常生活に困っているほどではないので、手術をするかどうかはもう少し考えてからにしよう思っている今日この頃です。又報告します。
2012年08月11日
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皆さん元気でしょうか?とりあえず生きてます。幸せです。日本では2ヶ月の滞在の間に、母の引越しを済ませました。結局、2ヶ月間、引越しの荷物詰めと片付けで終わりました。チョー疲れた!小さな所への引越しで、荷物を処分できない母にとっては辛い選択となりました。すぐにはもって行く荷物を決めれないという母のために、結局引越しは2回に分けての引越しとなりました。最初は、日本に帰るなりの引越しになったので、パニックに陥っていた母でしたが、今では引越ししてよかったと思ってくれているようです。親戚の近くに引越し、叔母がちょくちょく顔を出してくれているので私も以前より安心です。長い間売れなかった家も、買値の半分以下ですがやっと売れました。戻ってきたお金は、最初に入れた頭金にも満たなかったけれど、残りのローンもその中から全額返せたので、ありがたかったです。あまりありがたくなかった出来事としては、今回の引越しで、私は悪かった足をもっともっと酷くしたようです。せっかく、"歩ける!"コールで少し元気に歩けるようになっていたのに、とっても残念!!とにかく、今は、動きすぎると膝が酷いことになるので、掃除もサボりっぱなしという感じです。動きすぎると言っても、普通の人の動きすぎるの範囲ではなく、老人の動きすぎるの範囲です。何せ、40歳の頃から、私の右足は最低でも70歳以上の人の足だったのですから。結局仕事も出来ず、又一から出直し。今回ばかりは、いくら"歩ける!”と掛け声をかけても歩けないのです。じっくりと足を見てみると、長さが違うだけではなく、右の足を長い間かばってきたせいか、筋肉が減っています。膝を立てると、膝はそろわないし、背中は伸ばせません。しゃがむことも出来ない。無理をして、足をまげて靴下をはこうものなら、後で大変なことになります。そんなのだから、車の運転も控えています。ありがたいことに、みなさんが会いに来て下さるので、運転しなくても今の所不便を感じていませんから心配しないでね。日本で相当無理をしたみたいです。みんなに会ったときよりも、ひどくなっています。"いったい私がどんな悪いことをしたの?”何か罰でもあたっているのかと思うような痛みが来るのだけれど、実際は、罰ではなくカルマ。生まれつき骨が足らないのもあるんだけれど、思い起こせば、何度か事故で右の腰を強く打撲しているのです。若い頃は出てこないけれど、特に運動もしなかったので、筋肉は萎え、その上しらずしらず右足をかばっていたから、どうも、骨盤が歪んでしまったようです。それも相当歪んでいます。最低でもあと8年痛みと付き合ってくださいとアメリカでも日本でも言われています。これはひどくなったら手術をする前に車椅子に乗る可能性はあるけれど、また手術をしたら歩けるようになるということだと私は認識しています。中には、先に手術をしたほうが良いという人もいます。そうなると、70代で車椅子に乗る可能性があるということです。ま、それまで生きていたらの話ですが。ま、車椅子は特に嫌ではないのですが。とにかく病名は骨盤のゆがみではないですが、骨盤のゆがみだと、自分で納得したので、この問題(足)に関して1年ほど解決に向かって取り組むことにします。ま、数十年かけて歪んだのだから、1年で解決するかどうかわからないけれどね。それで駄目なら、早めの手術という解決方法もありかなと考えています。それにしても、日々の生活に制限はあるものの、生きて色々経験できているし、まだ歩けているのだからありがたいし、幸せです。
2012年06月25日
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新年になり、もうすぐ半月も経とうかとしていますが、とりあえず、あけましておめでとうございます。2012年は、巷ではマヤのカレンダーが12月で終わっているから地球は破滅するとか、今の災害はその前触れなどと色々言われていますが、個人的には、振り出しに戻る年であるので、又一から蒔きなおしと考えています。今年はよって、種を蒔きます。さて、8年後の豊かさと力を学ぶ歳に豊かさを手に入れることができるかしら?*****私は覚書のところに、人は、一部を見て、全体を判断しやすい。 一部で全てを把握している気になり、判断を誤る。と書いています。そして、また人は、何かにつけ自分と他人を比べる。 自分と言う人間は唯一のものであり、 それだけで価値のあるものなのに。 とも書いています。さらには、とかく、人は人を批判したがる。 自分が人から批判されないくらい 立派な人間でもないのに。 とも書いています。もしもこれらのことが認識できなければ、大変なことになると常々思っていましたが、それを表すような、興味深い記事を見つけたので、皆さんと共有したいと思います。呪いの時代に日本はどうなっていくのだろう?となんとなく考えたりしたことはありますが、日々の生活に満足しすぎて、なかなか行動に移せない私が居ました。私は人には行動的であるとよく言われますが、実際は、恥ずかしがり屋の愚図なのです。でも、この記事を読んで、自分の行動や思考を振り返るとともに、何か私にも出来ることがないのか、真剣に考えたいと思いました。*****2月中旬に日本に帰ります。今回は、日本から他の国にも行く予定ですが、時間が会う方は、是非会って遊んでくださいね。
2012年01月11日
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久しぶりの楽天。母がアメリカ滞在中のせいか、な~んとなく忙しいような忙しくないようなで、なかなか楽天に書き込むこともなく、他の人のブログをのぞきに行くことも、ほとんどなく、日々の用事に追われながら、時間だけが流れていく。諸々の事情から、半農主婦、ロングステーハウスのおかみさん、その他のことをやりながら、日本とアメリカを、時には不本意にも往復しながら、色々な方に迷惑をかけないような仕事はないものかと暗中模索してきたセミリタイアの8年間程の時間を考える。"あなたはどうしたいの?”そんな質問を投げかけると、実際返事に困り、どうしたいのかわからない人が多い。母もその一人だ。さて、その質問を自分に投げかけてみれば、誰かにかける迷惑を極力少なくしながら、"母が困った時や何かがあった時には、すぐ飛んでいける状況を作っておきたい。”である。一番の理由は、出来るだけ親戚に迷惑をかけないため。人に迷惑をかけない人生はありえない。けれど、それを極力少なくしたい。そして、自分の人生は不幸の連続と思い続けている感じを(私が)受ける母に安心を与え、幸せだと思える老後の生活を提供したい、である。母がおそらく一番望んでいることは、私と時間を過ごし話を聞いてもらうということだという印象を強く受けるが、その望みを叶えるには、母がアメリカに住むか、私が日本に住む以外に方法はない。(あるいは家族全員で他の国に移住するか!)母の気持ちや、家族の気持ち、移民法を含め諸問題を考えれば、結局、私がアメリカと日本を往復するというのが一番の方法だとしか考えられず、いつでも飛んで行けるように、家で出来るパートのような仕事しかしなかった。我が家では収入を得ることが出来ない家事は、仕事だと認められていない雰囲気があり、食卓にのせるための私が育てているオーガニックの野菜作りも趣味になるし、自宅で焼くパンやケーキも趣味の一環である。家にいるのだから、掃除は当たり前だし、洗濯も当たり前なのである。私が思うだけではなく、その証拠に"僕は仕事があるから”と主人に口癖のように言われる。ところが、その仕事からの収入は1円ももらっていないので、生活費(食費、外食費、主人のビール代、日用雑貨、外出費等)とアメリカと日本往復の費用を出すたびに、自分の老後を考慮すれば"収入源が他にも必要”という気持ちにはなる。ところが自分らしいというか、私は物欲が特にないし、健康な体と住む場所、そして食べる何かがあればそれで幸せと思ってしまう。人に迷惑をかけたくないから定職には就けないと思ってしまうせいなのか、この仕事は世のためになるかしら?と思ったりするせいなのか、タダの怠け者のせいなのか、今の現状に8年もの長い時間なんだかんだと言いながら、甘んじていたわけだ。だけど、ちょっと流れが変わって、もしかすると身動きが取れない時も出る可能性もあるが、ある程度自由に受ける事が出来るお仕事の話がやって来た。最初話が出た時は、自分の為ではなく、ある人へのアドバイスだった。自分に戻ってきた時に、じゃあ、”やるわ”と言ったものの、数日して、本当のところは、キャリアチェンジのような気がして、少し躊躇する気持があった。だけど、ドンドンと自分が動く前に動き出し、基本的には今までやって来たことの総結集のような仕事であると気がついたので、やりなさいというメッセージだなと受け止めることにした。話が出たのが、10月末。最初のミーティングが今月7日。覚悟したのは、2011年11月11日11時11分。来週の火曜日は、ここサンディエゴで活躍されている方々のランチミーティングにゲストとして参加させていただくことになった。さて、いったい何のお話が舞い込んできたのでしょう?答えは次回ね~。周りの人を幸せにしながら、生きがいになれば言うことなし。
2011年11月17日
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久しぶりです。書くことは沢山あるのに、なかなか書けずにおりました。母の滞在延長許可出まして、もう少しアメリカにいます。日本に帰るのは、2月初旬です。家族は全員元気にしています。アメリカに戻ってきてから、上の娘の結婚式無事済みました。毎日半農主婦をやっています。半農主婦をやりながら、最近はお菓子とパン作りに凝っています。実は何かをはじめたい。だけど、ちょっと無理があるから、今出来ることを楽しんでいるのです。そんな感じで時間だけがたち、自分も年老いてきたという感じがする今日この頃です。医療費の高いアメリカ。物価が高い日本。破産しそうなアメリカと日本。日本に住む母。アメリカに住む私の家族。年老いていく母。老後が近い私たち夫婦。これから、どうするのが一番ベストなのか?そんなことを最近よく考えています。どうしたら良いのかなぁ~。
2011年09月26日
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久しぶりです。ゆりの花の香りがする部屋で書いています。贅沢な気分です。いえ実際贅沢なんだと思います。そう感じられる心があって良かった。なんとなく、ここに来る余裕がありませんでした。それは、時間の余裕だったり、心の余裕だったりです。こんなに遠くに離れているのに、日本の震災のことも影響しています。”半農主婦”で忙しくしていました。(自家製オーガニック野菜、毎日食べてます。)そして、こんなことを考えていました。世間では大人で通っている人でも、尊敬されている人、えばっている人でも、親の前に出ると、親にとっては子供ですから、子供に戻るという経験をしますよね?私は子供の頃は、母と一緒にいたことがなかったけれど、大人になってから、母と数回違う家で住んだので、この大人になってから、子供に戻るという経験を数回しています。子供に戻るっていう言い方は、変かもしれないですが、大人になってから親と一緒にいるということは、私にとっては、気分的に、子供に戻るという感覚なのです。いえ、子供に戻されるといった方が良いかもしえません。ご存知の方も多いでしょうが、2月に母をアメリカに連れてきました。母はこちらに来てから、言葉も思い出し、毎日話をするし、庭にも出るし、サプリのおかげか、とても元気になりました。1時間ほど歩いての外出まで出来るようになりました。(私が、日本に戻った時の母とは別人のようです。)それは、私にとっても、とっても喜ばしいことです。以前の経験もあるので、私なりに多くの時間を取り、後悔のないように過ごそうと努力しているのですが、時々母にとっては、十分ではないという感覚を覚えます。私が知らない母を発見することも多々あります。時々、"あの~、私もう孫がいてもおかしくない歳なんですけど”って言いたくなるくらい、子供として扱われています。毎日毎日、人間力を試されている気分です。日々見聞きする、世界中での災害、人災も私に人間として、自分の置かれている位置というのかなぁ~そんなことを考えさせられるきっかけになっているようです。自分を振り返ることが多くなった感じがします。時間(人の命)はいつまであるのか、実際のところわからないので、後悔しないように、今の時間を大切にしようと努力しています。誰のことも傷つけないように。誰の言葉にも踊らされないように。いつでも自分の感情には自分で責任を取るように。でも、自分の感情の責任を常に自分で取るというのは結構難しいよね。やっぱり、人間力を試されているのかもしれません。母としての自分。子供としての自分。妻としての自分。そして、20年後の自分。今ここにいる自分。明日は来ないかもしれない。その時に後悔しない生き方をしていたいよね。いつも人に謝らないといけないことはないようにしておきたいよね。たった一人ぼっちになる音のない時間が私はなぜか大好きです。自分と向き合うことが出来るからかもしれません。今は夜中しか、そんな時間がありません。だから、時々夜更かしをします。叱られます。子供ですからね。
2011年06月27日
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あたりまえのことがあたりまえでなくなった日本から、思いやりの心が世界に広がっている。色々な国から人々が援助に駆けつけてくださり、助け合いの心が動く。あたりまえのことがあたりまえでなくなった人達の生活を見てあたりまえのことに感謝する人が増えているという。地震と津波の被害およびその後の生活は想像を絶する。氷点下の地域で、着のみ着のままで身内を探す人がいる。すべてを失い、そして命までも失いそうな人達の映像を見るたびに祈ることしか出来ない自分が情けないけれど、祈りにはパワーがあると聞くから、私は遠くから祈り続ける。色々な国から人々が援助に駆けつけてくださり、助け合いの心が動く時、世界はどうして、今の心を忘れずに仲良く出来ないのかという思いが浮かぶ。あたりまえのことがあたりまえでなくなった人達の生活を見てあたりまえのことに感謝するようになった人達がその心を今後も忘れずに持ち続ければ、世界は今よりもっと良くなるのではという思いが浮かぶ。そうでなければ、震災で亡くなった方々や、苦労を強いられている人達は報われない。そんな風に私は思う。どんなにひどい出来事の中にも光はある。その光は私達一人一人の心の中にあり、日本から広がっていく、そう私は信じていたい。一人じゃない僕たちに出来るチカラいっぱいのコト
2011年03月17日
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誰かが見ている。そして、誰かを通して、そっと手を差し伸べてくれている。そんな風に感じることが人生には、多々あると思う。これから起こることを感じ取ったり、相手の心の中が手に取るようにわかることもあると思う。何か悪いように思える出来事でも、きっとこれは意味のあることだと思えることも多々あると思う。そうでない人もいるとは思うけれど、私はそうだ。私は”来る者拒まず去る者追わず”主義なのであるけれど、来る者と言うのは、たいてい私のもとへ遣わされた者であると感じる。もちろん人は、自由意思で来たり去って行ったりするわけなんだけれど、その人が、私にとって困った人であったとしても、やはり、遣わされてくる場合もあるような気がする。だって、人は人間関係の中で人成りを学習していくのだから。話が横にそれた気がするので戻すと、誰かが見ていて、誰かを通して、そっと手を差し伸べてくれている。そんな風に感じることがあった。タイミング良くと言うのか、シンクロと言うのか母の心配事を解消できる出来事が今日決まったのだ。多くの人に言えることだと思うけれど、人は時に、どうしようもないことで悩んだりする。母の場合は、アメリカに半年行くのは嬉しい。しかし、家を半年留守にはしたくない。と言うものだった。常に”もしも”と考える母は、家を閉めきっていれば、着物や洋服が湿気て駄目になる、から始まり、ほこりがたまる、湿気で家が傷む、ゴキブリが家に入ってくるかもしれない、泥棒が入ったらどうするか、など色々起こりえる限りのことを思いつくままに並びあげてはストレスを感じるのである。その上悪いことに私が帰った後、桜の季節に主人が友達と日本にやってくることになったものだから、近所に迷惑をかけないかと母の不安は募るわけだ。どうしようもないことで悩むのは私の母だけに限らず多くの人に見受けられ(もちろん私を含め)ストレスになる。そして、これらのストレスは、たいてい身近な人々に伝染したりする。そして、とっても面白いと思うのだけれど、伝染しなければ、ストレスを感じているものはストレスを感じない者に対して、ストレスを感じさせるべく知らない間に、ストレスを感じさせる状況を作り出すのである。(そのよい例は夫婦喧嘩)まあ、そんなことはどうでもいいけれど、ストレスを感じている母を見ているのに忍びない私は、自分がストレスと言う名の伝染病にかかる前に、これらのどうしようもない悩みを解決する方法がないものかと考えてみた。すると、3日ほど前に◎子さんが”アパートを変わろうかと思っている”と言っていたのを思い出し、留守番してみる気がないかメールしてみたら、本日電話があり私たちがいる間に引越ししておいたほうがいいだろうということで、13日に我が家の2階に引越ししてくることになったというわけ。しかも、◎子さんが今いるところは3月の末まで残しておかないといけないのに!!これがどう転ぶのかは今のところはわからないけれど、とりあえず今のところは、三方丸く収まったので、”めでたしめでたし”で”ありがたい出来事”だと思える。変な人って思う人がいると思うけれど、こんな感じでトントンと、問題がすぐに解決したりすることがある度に、やっぱり誰かがどこかで見てくれているのね、なんて思う私がいるんです。
2011年02月04日
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航空券を購入した。予約OKだったんで、買ったんだけど、決算が済んで席は自分で取ってくださいとのことだったんで飛行機会社の座席表に(ネットで)行ったら、取れる席はなし。あわててコールセンターに電話して聞いたら、旅行会社が取っている席はあるから、早めに行けば大丈夫だと言う。う~ん、オーバーブッキングでなければいいんだけれど。普段あんまり不安を感じない私でも、今回ばかりは、年老いた母も一緒に連れて行くし、e-チケットもまだ届いていないので、ちょっと不安。でも、もしかしてアップグレードしてくれるかも?!なんて、期待しちゃダメかしら?どちらにしても、16日にアメリカに帰る。と言うより、とにかく関空までは行く!飛行機に乗れたらアメリカに帰る。一度しか掃除されていない家に帰るのはちょっと恐怖でもあるし、入国の時に、問題があるかもしれないけれど、(基本的にグリーンカードの人間は3か月以上国を離れてはいけないことになっているらしいから)とにかく、野菜の種を蒔く時期までに帰れるのは嬉しい。もちろん、家族に会えるのも嬉しいですよ。なんかつけたしって感じですが。(笑)会いたいと連絡をくださったのに、お互い都合が合わなくて会えなかった人達、ごめんなさい。また、来るからその時遊んでね!
2011年02月01日
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12歳のころ、祖母の若い写真を見つけて、”おばあちゃんにも若いころがあったんだね”と言ったのを覚えている。18歳のころには、22歳の人を見て”おばさん”と感じたのを覚えている。19歳で25歳の人から付き合ってと言われた時私にとってその人は確実に”おじさん”だった。10代のころ、たった数年の違いでも私にとって、年上の人たちは、おじさんであり、おばさんだった。近い将来、自分が到達する歳なのだと頭ではわかっていたはずなのに、感覚的には理解していなかった。いつの間にか、私は母が私を生んだ年を越えて、私は娘を産み、来年には娘が私が娘を産んだ年齢になる。年は確かに取ったけれど、頭の中ではそんなに時間がたったなんて感覚はない。感覚はないけれど、私はおばあさんと言われてもおかしくない歳になった。そして、年上の身内と接する度に、老化しているその姿は自分の未来の姿なのだと痛切に感じるようになった。平均寿命まで生きるとしても、残されている時間は今まで生きてきた時間よりは短い。生まれてきた限りは、みんな同じゴールを目指して生きている。私には、多くの人が考えている土に帰るというゴールではなく、あるがままを受け入れることを学ぶというのがゴールのような気もする。私は一瞬一瞬を生きているだろうか?私は今を生きているだろうか?私は私を大切に扱っているだろうか?あなたは一瞬一瞬を生きているだろうか?あなたは今を生きているだろうか?あなたはあなたを大切に扱っているだろうか?人生なんて、過ぎてしまえばあっと言う間だ。ぐずぐず言ったり、言い訳したり、後悔したり、不安がって無駄にしてしまうにはあまりにも短い。*****家が思うように売れないので、家を売るのは一旦停止して、母をアメリカに半年連れて帰ることにしました。母の6か月の観光ビザの面接は昨日無事終了。2週間ほどで送られてくる予定。後は家の耐震検査をして、アメリカにいる間これから、どうするか考えることに。庭の花が咲く前で、野菜の種を蒔ける間に家に帰りた~い!!!*****
2011年01月21日
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日本に戻ってきて、最初の2週間はバタバタと母のマンション探しや、家の片づけをした。家は売れそうにはないが、相場を知っておくのは大切だと思ったし、突然引越しになってバタバタと母をせかしながら片づけるのには無理があると思ったからだった。そして毎日延々と母の話を聞いた。特に片づけが一段落してからは、母は新聞を読む時間も惜しんで私に話をした。その延々と続く話が同じ話でも楽しい話ならいいのだが、子供のころから数えると何千回と聞いた同じ昔話が多い上に、繰り返されるから、滞在後1か月にして、私は実際疲れてしまった。実際母の昔話に付き合わされる人は、全員疲れると私に話す。その人の娘に、そう言いたくなるくらいなのだからどの程度のものなのか想像がつくと思う。人間関係で一番難しいのは家族だ。だけど、自分は人間として愛が足らない。聞くのではなく,もっと優しく聴いてあげればよいのではないかと反省し愛想のない自分がいることを謝った。すると、私は他人には優しいが、母には厳しいと言われ、本人はどれだけ人に優しいかという説明を受けた。(実際、母はとても優しい人である。)母に批判されたと私が感じたその日、私は母がなぜ昔話を繰り返すのか理解できるけれど、なぜ昔話を聞ききたくないのか生まれて初めて話をした。そして、しばらくして私は関西を後にして、東京に行った。東京に行った時、私のストレスは最初の頃に会った知人に愚痴という形で出た。どうして、昔話ばかりするのかという愚痴が出た。聞きたくないからどうすればいいのかと愚痴った。愚痴は本人に絶対に伝わらないということを前提に出すのは、とってもいいことなんだけれども聞かされたほうは、たまったものではなかっただろう。後味はとても悪かった。その上、母を裏切ったような気分さえした。母は私が外出したり、一緒に時間を過ごさないことに関して昔からとっても嫌がる人であった。だから、本人も認める短気な性格に怒りが生じた時、時には矛先が私にではなく、他の人にむけられることさえあったくらいだ。まるで恋人が嫉妬に狂うかのように。だけど、考えてみればそれは母が甘えられて、我儘を言えるのは私だけということなんだろう。関西に帰ってくると、母は昔話をあまりしなくなった。昔話をしても、少なくとも恨み節ではなくなった。そして、常に過去に生きていた母が、今この時間を楽しめるようになったのである。そして、私の耳も当然のように聞く耳から聴く耳へと変化した。これから、ボケて行ったら昔話をまたするだろう。でも、ボケて話されるのはボケないで話されるより数段良い気がする。その時は、まあ聴く耳でなくても聞く耳でいいかな?*****さて、今年もあと3日ほど。新年は今年は母と二人で日本で迎えることになりました。今年は色々と考えさせられた年でした。あなたの今年はどんな年だったでしょうか?新年もよろしくお願いします。
2010年12月28日
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あと5日したら、San Diegoから日本に帰る。母には内緒にしていて、驚かそうと思ったのに、一年に数回しか出かけない母が、私が日本に到着する日に限って同窓会でお出かけだということで、仕方なく日本に行くことを白状した。12月の中頃に帰って来ると思っていた母は大喜びだった。少しは夏の暑さ負けも治って元気が出てきたようで、安心した。ここのところ何をしていたかと言うと、母をアメリカに呼べたとして、ヴィザが切れた後にメキシコはどうかということになったので、参考までにとメキシコの知り合いのゲストハウスを見に行ったり、今年5月に結婚した娘が、来年5月に結婚式をすると決めたので、その時に着る娘のウエディングドレスをちくちくと縫っていた。日本から帰ってくるのは、その頃になる可能性もあるので、ドレスが決まらないと何も決まらないという、コーディネータの話で、日本に行く前までに縫い上げるべく、ちくちくと縫っていたのだ。本当は、来年帰ってきたときに、庭で野菜を育てるべく庭の手入れもしたかったけれど、そこまでは手が回らなかった。他にも掃除やら、主人の為に保存できる食事作りなど、しておきたいことは山ほどあるけれど、とにかく、何をさておき、ウエディングドレスは仕上げないといけない。しかし、私は洋裁など習ったことはない。すべては独学だ。考えてみれば、私は多くのことを独学で学んだなぁ~。型紙はいつも自分で作るんだけれど、今回は型紙を作らずに既製のものを使おうとして、結局余計手間がかかった。洋裁をするなんて、何年ぶりだろう。しかも私はプロではないから、足らない頭をひねりながら想像力を働かして仮縫いしながら作るのである。ドレスを作りながら、高校時代のことを思い出した。家にはわりとお金があったはずだったけれど、私がもらっていた一月のお小遣いは1000円で、それで学校のノートから鉛筆、学校に通う靴まで買えと継母に言われていた私は、学校の制服以外に洋服が欲しくて、お小遣いをためて買ってきた本を見て、見よう見まねで型紙を作り、布を買えるようになったら、洋服を縫った。その当時は、何故洋服を買ってもらえないのだと不服に思ったものだけれど、今考えてみると、実は有難い出来事だったという見本みたいだと思う。そういうことがなかったら、きっと私は今娘のウエディングドレスを縫っていない。とにかくどんなデザインが良いのかわからないからと、ウエディングドレスを見に行き、娘に試着させた時あまりにも嬉しそうな娘を見て買ってあげると言ったのに、娘は"大変でなければ、お母さんに縫ってもらいたい”と言った。試着したような美しいドレスは、どう考えても作れないと思うよと言ったけれど、子供の頃からお母さんは洋服を縫ってくれたから信頼していると煽てられ、ちくちくと縫うことにしたのである。着物の打掛をドレスの上に着るので、その下に着るドレスを縫って欲しいと言う。(アメリカではお色直しがないので、パーティ用にドレスを下に着たいらしい)日本にいれば常識はずれということになるのかもしれないが、とにかく彼女の結婚式であるし、ここはアメリカで何でもあり~のだから、それも、また面白いと私は白打掛の着物をほどいて縫うことにしたのである。ところが、着物は柄あわせがあるのでデザインは限られるし、布の幅は狭いし、ボリュームを出すために裏が張ってあるし、本当に大変だった。ある程度は仕上がったけれど、正直自分ではあまり納得出来ていない。いや実は、ほとんど納得出来ていない。プロが見れば、本当の出来損ないだ。いや、素人が見ても出来損ないだろう。でも、お金を節約するために、縫ってくれと言ったのかな?と思っていた娘はお母さんが縫ってくれたと、大喜びしてくれた。本当にありがたい。恵まれた私だと思う。”ここがね、ちょっとこうで、(云々)やり直ししたほうが良いかしら?”と言うと、家族全員が"どうせ、誰もそんな細かいところは見ないから大丈夫、それって誰も気が付かないのに、自分だけが気にしているにきびのようなもんだ”と慰めてくれた。後、仕上げの飾り(コレも自分で作る)をつければドレスは出来上がる。日本に行くまでに仕上げるぞ~!!!
2010年10月23日
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自分が選択した多くの事柄が積み重なって、その人の人生を作り上げると私は信じている。自分で責任を持って選択していけば、自分の人生に起こる出来事に対して納得しやすい。とは言っても、思いがけないことは常に起こる。納得できないことが起これば、そこにある選択肢の中からベストだと思える選択をすればいい。納得できないと自分で思いながらも、文句をたらたら言いながら、そこに鎮座するとすれば、そこには、必ず隠れたメリットがある。そんなことを言うと、お叱りを受けるかもしれないが、実際、心理学の研究結果でそう出ている。本人は幸せを感じてはいないだろうが、そこには、何かしらのメリットがあるのである。体の痛みでさえ、その体を持つ人が信じるところの、人生を送れるようにとのメッセージであると証言する人もいる。そう言う事に気づくことが出来れば、どんな状況であれ、人生は有難いものになる。自分が目の前に見ているものは、自分で選んだ結果である。How simple is that!!と言っても、納得できない人も沢山いるでしょう。私も、昔は納得できなかったし、今でも納得できなくて、人のせいにしたくなることがあるから、よくわかる。私に関して言えば、昔は納得できないと、人のせいにしていたが、今は納得できないと、自分の感情に責任を取るようになった。保護下にある子供時代とは違い、選択肢はいくつもあるんだから。12歳で母親と別れ、13歳で身内からの詐欺にあった時欲に絡んで、貯金を全額預けた私が悪いと祖母に責められた事に始まり、21歳の時には、生活費を家にいれれなくなった父に代わり、学校を辞めて、祖母の生活費と弟の学費を稼いだ。まあ、他にも色々あったけれど、そんな人生に対して、"私は恵まれた人生を送ってきた”と叔母に話すと驚かれたが、本当にそう思う。なぜなら、そんな人生が今の私を作り上げたからである。5歳になる前に、生まれたこと自体が悪いと信じていたのに、今私は、私が大好きだからである。今日まで生きてきて、多くの人や多くの出来事から、色々な学びを与えていただいたが、どうもまだまだ続くようである。今、私は手放すことの大切さを学んでいるようだ。痛みは手放す事ができた。今回は自分が一生かかって溜め込んだもの及び貯めこんだものを手放すということを学ばなくてはいけないんだと思う。さて、母の件で、どの選択肢を選ぶかと模索していたが、やっと、少し答えが見えてきた。自分の老後は、、、その時になったら考えればいい。その時になれば、またいくつかの選択肢が必ず用意されているのだから。
2010年10月06日
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ここのところ、私は自分にとって、これだけは出来るなら、しないほうが良いと思うことをやっている。それは、ネットで不動産を見ること。昔は建築家になりたかったぐらいだから、家を見るのは大好き。だから、見だすとPCから離れられなくなる。とても悪い癖である。生産性がないから、後でたいてい無駄な時間を過ごしたと後悔する。それなのに、特に最近は母の次の住処(親戚の側)を捜す目的もありその悪い癖がヒートアップしているのである。おそらく介護が必要になれば私は日本に住むことになると思われるのでそのついでに、将来は日本に住みたいという主人と私が住む家も見ている。それなら、私達が日本に戻って今売りに出している家に戻り、母親と一緒に住めばいいじゃないかと言うことになるが、その売りに出している家に戻るのは嫌で、今はまだ日本に住みたくないと主人が言う。じゃあ、母をアメリカに呼べばいいじゃないかと考えるが、私がアメリカ人にならないと無理で、しかもなったとしても、母が年を取っているからちょっと永住権を取るのは難しいらしい。それに、現在は永住権が取れるまでに時間が相当かかるらしい。しかも、アメリカの病院代は恐ろしく高い!(保険がないと、風邪薬を処方してもらう為に医者に行って2万円以上)母は年を取っているから、なるべくなら一回の引越しにしてあげたい。そうなると、親戚の側に主人と私の3人が将来住めるところを捜すのがまっとうだと思うけれども、その場所で私達は老後を過ごす予定はない。それなら、私達が老後を過ごしたいと思うところに家を買うのが、一番いいのじゃないかと思うけれど、そうなれば私は母と一緒に今すぐ住まなければいけなくなる。なぜなら、何かがあった時に飛んできてくれる親戚が近くにいないから。大体、そういう理由で今の家を売りに出すことにしたのだし、、、、私の日本国籍は将来日本に住むなら失くすことは出来ない。ところが、それ以前に日本にちょっと長い間、母のことで日本に滞在すれば、今度はアメリカの永住権を失くす可能性もある。私は永住権申告はもうすでに2回やった。もうその面倒なことと言ったらない。弟は?とよく人には聞かれるけれども、面倒をみるなんて彼の辞書にはないのは知っている。申し出があるかどうかはわからないが、あれば受け入れるけれど、あてにはしていない。今売りに出している家が来年の4月までに売れなければ、買った値段の3分の1くらい(涙)で引き取ってもらい、母を親戚の家の近くに移動させるか、(この場合は2度引越しになる)いったん売りを引っ込めて、私が売りに出している家に家族と別れて住むか、どうせそうなるなら、売りに出している家を引き取ってもらって、私達が見つけた将来住みたい田舎の家を買って、そこに母と住むかを決めなければいけない。アメリカでこれから家族を作っていく娘たちのこともあるし、来年結婚式をすると言っている上の娘のこともあるし、一人で何も出来ない(しないと言ったほうが正解か)主人のこともあるし、母の生活費のこともあるし、自分の老後のこともあるし、考えなければいけないことは沢山ある。あ~あ、宝くじ買おうかなぁ~。他に何か良いアイデアないかなぁ~。ということで、考えても考えがまとまらないから今日もネットで家を見て、日本に行くまで現実逃避。*****で、日本には10月末か11月の初めには帰ります。よろしくね~!半年ほど居る予定なので、時間のある人は遊んでくださいませ。ちなみに、”○○を買って、持ってきて”のお願いは今回は応じられません。ごめんなさい。頼むほうはほんの少しでも、頼まれたほうは数人分になるため今までは、スーツケースはいつも頼まれたものだけで、自分のものは着替え一日分くらいしか入れられませんでした。また、年齢的にも多くの荷物を持っての移動が辛くなってきました。今回は日本滞在が長くなるのと、余計な出費をおさえる為に滞在中必要になる洋服を持って帰りたいので、どうかご理解のほどよろしくお願いしますね。
2010年09月27日
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今日の出来事ではないのだけれどね。あなたはあなたの愛する人に明日も会えると思っているでしょう?その当たり前が崩れたときに、人は嘆き悲しむよね。それなのに、私達は目の前にいる大切な人を毎日、本当に大切に扱っているでしょうか?ちょっと、考えてみてください。”ねえ、話聞いてくれる?”そう坊やに言われるたびに、"後で忙しくなくなったらね”とある両親は言っていたそうです。でも、坊やはある日、交通事故で帰らぬ人に。家族の悲しみはどんなだったでしょうか。きっと、話を聞いてやればよかった。とかああしてやればよかったとか、そう思ったに違いないでしょう。人が愛するものを失った時、どれだけ泣き続けるかは、自分の後悔の量と比例する。そんなことを聞いたことがあります。本当かどうかは人それぞれ違うかもしれないし、依存の量にも比例しそうな気もします。あなたの目の前にいるその人を大切にしてください。万が一何かがあった時に、後悔しないように。だから、腹が立っていても決して、捨て台詞で別れない様に。そして、”ありがとう”を伝えるのを忘れている人には覚えている間に伝えておいてくださいね。なぜこんなことを書くのかと言うと、娘が交通事故にあったからです。”交通事故にあったから、今日の家族でのお食事会は参加できない”とのんきな電話をしてきた位ですから、動揺はしません。運転席側を車体を上げた、大きなトラックにぶつけられたんです。娘は直進、相手はブリンカーを出していなかったから、まさか曲がるとは思っていなかった娘は直進して、ぶつけられました。窓ガラスは粉々、体に小さなガラスが一杯当たり、腕や顔には小さな傷が沢山出来ていました。直進していた娘は、近寄ってきた車に気づき、とっさによけ命拾いしたのだと思います。相手には、どうも娘の車が太陽の位置と、車体を上げているため、坂道で見えなかったようです。相手は上りで家のドライブウェイに入ろうと、ドライブウェイに気を取られていたとか。娘は下りでした。相手の車は無傷、娘の車はボロボロ。助けられる命もあるんだなっとも思いましたけれど、こういうことを経験するたびに、人間、本当に何時何が起こって明日はもう会えないということがあるんだと再確認します。神様に感謝です。(こんなことを書きながら、最近の子殺し、親殺しのニュースが脳裏に浮かぶのは何故なのでしょう。そんなことをしても後悔しない人が増えているから??)
2010年09月06日
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私には、不思議と嫌いな人はいない。昔とても若い頃は正直言って嫌いな人もいた。もちろん私が好きになれない嫌いな行為と言うのはある。でもだからと言って、その人を本当に嫌いにはならない。私のそれは、大恋愛中の人達が、相手の嫌な行為を黙認するのとはちょっと違う。だって、大恋愛中の場合は、相手の行為を誰かから指摘されたら、その人の為に必死に弁解するでしょう?周りから、「あの人癖があるね~」「よくあんな人と付き合えるね」「私はあの人とは絶対に付き合えない」とか言われる人でも、私はありがたくお付き合いをさせていただいている。ただし、自分のペースでだけれど。時には、わかっていて利用されっぱなしになる時もある。そういう関係の場合でも、相手の気持ちしだいでどんなに厚意を尽くしていたとしても、嫌われることになる時もある。飼い犬に手を噛まれるって、こんな感じかもしれない。時には、何もしていなくても、こうして欲しいと言っただけで、嫌われることもある。今回はこのケース。しかも言ったのは私ではない。何を言ったかって?「自分の犬の世話をきちんとして欲しい。それが出来ないなら、出て行ってもらわなくてはならない。」そう、言ったのは主人。彼女が犬を連れて我が家の1Fに入居したいと言ってきた時私は主人に「きっと揉めることになるからやめたほうがいい」と言った。でも、彼女が超美人だからか、彼女に決めたのだと思う。男なら当たり前だろう。決めた限りは、犬が家の中でマーキングを始めて滑って私は頭を打ちそうになっても、そのたびに私が片付けた。マーキングをやめさせる手段として、私は散歩の提案をし、食事を与える権利をもらい、しつけをまかせてくれないかと頼んだ。でも、結果、彼女は犬を自分の部屋に一日中閉じ込め、庭にしか出れないという方法を選んだ。庭の糞は毎日片付けるという約束だったが、しないので、それも私が黙ってやっていた。夜中にガレージのドギードアから犬がお忍びで入ってきて、声をかけたら逃げていったと言う話を可愛いと思い何気なくしたら、ガレージのドギードアから犬が家に入れないように、彼女はドギードアも閉めた。よって、うちの年老いた猫は外に出れなくなった。結局、猫のトイレが外からガレージの中に置かれた。そして、彼女が家にいるときは、部屋から出してもらえる犬は彼女の知らない間にガレージに忍び込んでマーキングをし始めた。ガレージはペット達のトイレと化してから、数ヶ月がたった。ガレージは主人のテレトリー。あとは想像にお任せ。主人がそのことを言ってから、彼女は私達を避けている。犬はますます部屋に閉じ込められて、彼女は食事だけ与えに帰ってきて、そのまますぐ出かけてしまう。そんな行動に犬がかわいそうだとは思うけれど、私達が犬と関わりを持つのを嫌がっているのがわかるから、とやかく言うつもりはないし、私達を嫌うのも彼女の自由だから、どうのこうの言うつもりもない。だけど私が悲しいなと思うのは、彼女が心理学者になる勉強をしていて将来カウンセラーになる予定だからだ。勉強の一環で、ボランティアでカウンセラーをしていた時も相談者に、「聞く耳を持たないなら、準備が出来てから出直して来い」と言ったと話していた。私は、精神を病んでいる人の相談に何回ものったことがあるが、その中の数人が病院で、「先生に’あなたは頭がおかしいんだからね!’と言われてとても悲しく傷ついた」という話をしてくれたことがある。病気だと言うのは本人もわかっている。だけど、助けてもらいたいから病院に通うのであって、罵倒されるために行くわけではない。"頭がおかしい”と言って、何が解決するのだろう?先生のストレス解消?!精神科の医者や認定されたカウンセラーになるために沢山勉強しなくてはならないから、そこにたどり着くまで相当の努力をしたのだから、それは大変素晴らしいことだと私は思う。もちろん、そんな先生ばかりではなく、素晴らしい先生も沢山いらしゃるだろう。だけど、嫌な人とのコミュニケーションを上手に取れないで、怒ってしまったり、相手をなじってしまったりする人達が先生だとしたらどうやって患者さんたちの傷ついた心を治すことができるんだろう?来るもの拒まず去るもの追わずがモットーの私ですが、余計なお節介で一言、言いたくなっている私がいます。もちろん、経験は知識より勝ると言いますから、余計なお節介はしません。だけど、考えると、患者さんになるだろう人達の気持ちが痛いほど伝わってきて、悲しい気分になってしまいます。
2010年08月31日
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Mちゃんの、我が家での滞在は今朝で終わりました。彼女は日本からお迎えに来てくれた、お父さんとラスベガスに行きました。いいなぁ~!私も行きたいなぁ~。去年我が家に遊びに来てくれたときは、犬が怖かったMちゃんですが、今年は修学旅行で行ったオーストラリアで犬になれたらしく、犬に対する恐怖心が消えたと言うので、犬のストリートフェアに先日、行きました。このワンちゃんはパグです。バイクに乗っています。ちょっとお疲れ気味のようです。*****さてさて、先月の19日から、足の為に始めたダイエット。アイスクリームを食べたり、寝る直前に(なぜかいつもお腹が空く)バナナを食べたりすることもあったけれど、とりあえず落とそうと思った4キロちょうど減りました。太ももは3センチ減り、ウエストにおいてはなんと10センチ減り、(いったい今までどんなお腹しててん!)今になって考えると、本人は隠しているつもりでも、実際は隠れてなかったのですが、今まではぶかぶかのT-シャツでお腹を隠しているつもりでした。それが、今ではT-シャツをジーンズの中に入れれる!!!でも、やはり全体的に見るとお腹はしまってないんです。でも、それでも運動せずにここまで痩せれたのはすごいと思います。足の調子も良くなったので、ダイエット2ヶ月目は、お腹引き締め運動を始めます。頑張れ!そのうち、ここに引き締まった(他の人の)肉体美を載せますから。後3キロ減ったら、独身時代の体重になります。それに挑戦するつもり。3キロ減は一番痩せていたときの体重ではないけれど、それ以上痩せたらコンドは痩せすぎだと思うので、あとは、引き締めながら、今の超簡単なダイエットをゆっくりと続けるつもりです。足の為にもね!そして、足の筋肉をつける運動を始めます。生まれつき足らない腰骨をサポートする為にね。そして、旅行に行ける様に。痛みがあって、飛行機に乗るのが本当に億劫だったのが、最近では、飛行機乗れるなぁ~と思うようになって来ました!日本の皆さん、すらりとして日本に帰るからね~。お楽しみに!
2010年08月18日
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去年来ていた女の子が今年も我が家にホームステイしている。仮にMちゃんとしよう。去年、私があまり歩けなかったのを覚えていたらしく、今年、私が階段をすいすいと上るのを見て驚いたMちゃんは、私に"声まで違うよ”と言った。*****日曜日(8日)サンドショーに、娘夫婦がMちゃんと私を連れて行ってくれた。その時、実は会場まで、10ブロック歩かなければいけなくなった。娘は心配して、何度も"大丈夫?”と聞いてくれた。今までは、1ブロック先のスーパーに行くのに、痛みが出て、足を引きずっていたし、娘は私を車椅子つきのカートに乗せて押してくれたこともあるから、心配するのも無理はないよね。でも、なんか不思議な自信があって、会場まで歩けた。会場についてから、帰り道で迷惑をかけないようにとみんなが作品を見ている間、途中で一人で休憩。そして帰りも、時間がかかったけれど歩けた!!次の日、きっと痛くなると覚悟していたけれど、痛みがほとんどなかったので、オーシャンサイドのピアにMちゃんを連れて行った。そして、このピアの先頭まで歩いた。10年ぶりくらい。(この写真はピアの途中)2日続けて歩いた報告を聞いた主人は麻薬でも始めたのか?なんて冗談を言いながらも、とても嬉しそうだった。*****自分では意識していなかったけれど、痛みがある=どこにも行けないと言う図式が出来上がっていたのかもしれない。体に関してはあまり明るい未来を想像していなかったかもしれない。だから、声にそれが出ていても不思議じゃないよね。足に負担をかけないようにするには、もう体重を減らすしかない!と思い始めたダイエットで体重が大幅に減る前に、思いがけず痛みが楽になったけれど、ダイエットはもうしばらく続けるつもり。だってね~、軽くなればなるだけ、足への負担も減るし、なんたって、お腹周りが少しすっきりしてきたんだもん♪ウフフ、声が変わるのも無理ないわね~。
2010年08月11日
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状況を受け入れられるからなのか、何を聞いても驚かない性格のせいなのか、それとも、感情をコントロールしたり、解決策は?と考える癖があるからなのかそれともただ単に、冷たい人間だからなのか、、、、、わからない。ま、いいけど。母が気分が悪くなって、私に電話をしたらしい。(きっと、指がふるえて掛け間違えたのだと思うが)何度かけても、”現在使われておりません”になり、最終的に 近所の人が日本時間の7時前に電話してくれた。と、冷静に主人に話し、これからの母の介護に関する解決策を話していたら、(私がどうしたいかと言うのがないので、)"お前には感情はないのか?”と言われてしまいました。でもね~。”こうしたい”と言うのがあったところで、所詮無理な事だってあるわけで、解決策にならないことを動揺し、延々と話したところで誰の助けにもならない。と、私は思うんですが、、、、やっぱり冷たい?*****話変わって、ダイエット途中報告実は、私にとって、とても巣晴らし事が起こったんです!!主人も、子供達も驚いていて、私も生きているのが本当に益々楽しくなってきました。私の日記を時々読んでくれている人や、知り合いは良く知っていると思うんだけれど、私は足が悪く、その上リュウマチで、歩けば痛みが出るし、夜など、足は痛いしだるいしで、寝ていても寝返りすると、痛みで目が覚め熟睡できない常態だったんです。”病は気から”と言うから、自分なりに体にいったい何が言いたい?と聞いてみたりしてたけれど、一向に返事はないし、痛みは消えず(笑)とにかく、自分自身に"歩ける!”と言い続けて、杖なしで歩けるようになった話を昔ブログに書いたことがあるのを覚えている人もいると思うけれど、痛みは消えなかったのです。それがね、今回体重を落とせば、足の負担が減って少しは痛みが減るかもと思い、始めたダイエットに当たって、一緒に取っているビタミン剤のおかげだと思うんだけれど、3日目くらいから、足の調子がなんとなくいいのに、気がついたんです。今では、心配する上の娘とスーパーまで歩き、びっくりされ、心配する下の娘と公園の中を一緒に歩きびっくりされ、階段をうめきながら上ってこないから、主人にびっくりされ、朝、手のこわばりが少なくなって私もびっくり!!もちろん、今までだって気分の良いときは、スーパーまで歩いていたのよ。でも、行く途中で足を引きずり始め、帰り道では痛みが出てたわけ。痛みもなれるし、それなりに上手にお付き合いできるようになるけれど、痛みがない生活は、本当に快適!!痛みのない生活が当たり前なら、”痛みがない”というのがどれだけありがたいかはなかなかわからないと思うけれど、本当に痛みがないと言うだけで人間は幸せなのよね。で、肝心のダイエットですが、体重(2キロ)落ちました。最低目標まで後2キロだけれど、もう少し痩せてもいいかも。今日は、ビタミンでこんなに調子よくなるならと、デトックス(毒だし)に挑戦中。このまま足の調子がよければ、ダイエットに必須の運動も始められる可能性大。"旅行に行きたいと言うけれど、そんな足で、どこにも行けないよ”一緒の旅行に興味がなさそうだった主人。”ぎゃははは、心配ご無用。一人で行きまんがな。一人で!!!”夢は広がる~。白昼夢よ~!うひゃひゃ楽しい~!
2010年07月31日
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本日、日本での知り合いが我が家にやってきた。22日にアメリカに一時帰国すると知っていたし、アメリカ滞在中に我が家に来る予定になっていたので、連絡もなしに突然来てもびっくりはしない。もしも、アメリカに帰ってきているのを知らなくても彼の性格をよく知っているから、びっくりしなかっただろう。それにしても、遠くから車を走らせてきてもしも私達が家にいなかったらどうしたんだろう?ちょうど夕食前だったので、あわてて量を増やしてみんなで食事をした。そう言えば、日本にいる時も、よくお腹を空かせていたっけ。"家庭の料理っていいね”"みんなで食べるということがご馳走だね”私は黙って聞いていたけれど、なんとなく心が痛くなった。一人暮らしならしかたないとしても、最近ではみんな忙しいから、家族でさえ、一緒に食事をしない人は沢山いるだろう。両親は忙しいし、子供だって忙しい。テーブルに並んでいるのは、ご馳走かもしれないがなんとなく、寂しい食卓のような気もする。そんなことは慣れっこで、一緒に食事をする大切さなんて、考えたこともないかもしれない。家族がいても、コンビニで買ったお弁当を、毎日のようにどこかで、食べる人もいるかもしれないなぁ~。遊びたい盛りの、子供がティーンの時に、食事は必ず一緒に食べるという、暗黙の了解に対して”今時食事を一緒にしている家族なんていない”と言われたことがあったっけ。みんなで食べるということがご馳走。本当にそう思う。そして、”そのご馳走”から、会話が生まれ、心が育つのだと思う。
2010年07月25日
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昔知り合いが体質を変えるために1週間ほど断食をした。断食をして、浣腸もしたらしい。太っているのは、体質に問題ありで、まずはデトックスらしい。その人は100キロ以上あった体重を30キロ以上落とした。普通ダイエットは必ずリバウンドするので、ダイエット業界は、常に儲かるらしいが、その人は、普通に食べているのに、今もその体重を保っている。そうか~、要するにデトックスが必要なんだ!とは思ったし、うわぁ~すごいとは思ったけれど、私はそんな辛い思いは出来ない。一週間も食べない?!水だけの生活なんて出来ない。考えただけで、めまいを起こしそう。まあ、私は最初からその人の体重の半分だし、減らしたいのは脂肪だけだし、と色々言い訳をし、この10年間好きなものを好きなだけ食べていた。10年前のカロリーを計算して運動をするというダイエットでも良いけれど、リバウンドする経験をしたからあまり意味がないと思い、今回は知り合いがやったのに近い体質を変えることからやってみようかと思って、とりあえず、昨日からダイエットを始めた。ちなみに浣腸はしてません。下剤も飲んでません。でも、ビタミン剤は取っています。さてさて、1ヶ月でどのくらいお腹の脂肪が取れるかなぁ~?*****アメリカ時間の本日20日、結婚記念日でした。毎年あまり外食しない私達が、外食する日です。でも、今年は外食せず、私が料理しました。そして、今年はなんと主人からプレゼントがあったんです!自分の記憶に残っている限りでは、(結婚記念日に)主人からプレゼントもらったことがありません。私の誕生日でさえ、忘れるくらいですから。まず一週間ほど前に、ランの花をもらいました。今日は、2階の窓から庭を見てごらんと言われて見ると、お庭に大きなシャベル!そして、手袋(庭仕事用)。そして"あの手袋の後ろにもまだプレゼントが隠れているんだ”という主人。いったい、何だろう?と思うでしょう??小さくて高価なものかなんてね。あるいは、大きくて高価なものの鍵とかね。そんなことは、ありえないと知っていながらでも、階段をおりて庭に出て、プレゼントの近くに行くまで一人で夢が見れますね。これが楽しいプレゼント。宝くじがはずれるまで、ワクワクしながら見る夢と同じです。見つけたものは、腰に付けるポケット付きの花きりバサミでした。私が普段欲しがっていたものをしっかりと覚えていてくれたんですね。それとも、庭の手入れ頼むよっていうサインでしょうか?
2010年07月21日
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もう今から10年ほど前、アメリカに遊びに行く前、”夏に行くから水着になるのに、そのお腹はないだろう~”と言われ、食べるものに注意し運動もして4ヶ月で8キロ痩せた。(独身のときの体重に戻ったのよ)だけど、"病気じゃないの?"とみんなに心配され、"食べろ、食べろ”と口を開けば言われ、結局、旅行中の外食で一度に元の体重に戻った。あほらし、もう2度とダイエットはしない!中年なんだもん。お腹に脂肪がつくのは"当たり前””腰の骨が足らないから、これから年も取るし絶対に体重は増やさないように。出来る限り痩せてください”と言われても、”おいしいもの食べたいし、、、”と真剣に受け止めなかった。それでも、普通に生活していると増えも減りもしない体重を歩くことで痩せようかと思い、去年の1月1日より、毎日1時間歩いたけれど、2日目に足に痛みが出だして1週間目についに立てなくなってしかたなく止めた経験もあり。でだ。独身時代の平均体重から今の所6キロオーバーなんだけれど、(一番痩せていたときからは、12キロオーバー)全体的に太っているのではなく、お腹の辺りだけが異様に大きくなった気がするわけ。いや、実際ズボンのサイズが大きくなっている。こうなってくると、いくらおしゃれ心がなく着たきりすずめの私でも、洋服を着ること自体に対してますます興味がなくなってくる。(でも裸でいると、もっと気味が悪いだろうから、洋服は着ている)そうなってくると、老化現象でどんどん汚くなっている私はますます、その汚さに加速がつく。そして、汚くても、外に出ないからいいやと思っているから、ますます汚くなる。そのうち、外に出るのも恥ずかしくなるかもしれない。で、とりあえず4キロ落とそうと決めました。
2010年07月15日
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ブーツ(我が家の猫)が我が家にやってきたのは今から約5年ほど前、義父が亡くなった時だった。人嫌いだったブーツが突然知らない人ばかりの家にやってきたわけだから、どんなにストレスだっただろう。ブーツはその当時でさえ、主人が”おばあさん猫だから、1年は持たない”と言っていたから、私は心配で、庭に飛び出したブーツを毎夕方、家の中に入れる為に、数時間かけていたのを思い出す。(アメリカでは、野生動物に食べられちゃうこともあるから)だんだん、我が家の人間にもなれて、その上ラッキー(我が家の犬)が意外と弱虫だとわかってからは、自分から家に帰ってくるようになった。新しい家に引越ししてからは、二匹で並んで階段に寝ていたこともあったっけ。絶対にラッキーよりも早く逝くといわれていたブーツはラッキーが逝ってから、この2年間私を慰めてくれている。人間嫌いだったブーツは、ひざに乗ってくる様になった。(私だけだけど)姿が見えないと、”お母さんどこ?”というように、にゃ~ごにゃ~ご。”ここに居るよ”と声をかけると不思議と静かになる。ブラシをかけてあげると、ゴロゴロ言っている。庭に出ると、一緒に庭に出てくる。初めて猫を飼ったけれど、可愛い顔の猫ではないけど、愛おしい。最低でも19歳(捨て猫だったので記録があるのは18年ちょっと)のブーツは去年の12月、歯と顔のほっぺの手術をして、命拾いしている。元から痩せていたブーツだけれど、今ではガリガリ。ちょっとぼけも始まっている感じ。今年の暮れにはきっとブーツは居ないと主人は言う。5年前にもそんなことを言っていたから、まだまだ大丈夫な気もしないでもないけれど、でも、年齢的なことを考えたら、心の準備はしておいたほうがいいね。天国に行くことになったら、ラッキーが迎えに来てくれるかな?
2010年07月12日
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車の中の鍵に指紋がついているはずだから、それを警察に持っていったらどうか?と言ったのは、下の娘。日本的考えなら、そういう発想が出てもおかしくない。ところが、ここはアメリカ。盗まれた鍵で犯人が我が家に侵入、そして、私が殺人に巻き込まれない限りは、捜査はなしだと言い切ってもいいでしょう。警察が、盗難現場に来たときでさえ、車のビン番号を聞いて終わりだったそうですから。”警察は犯人なんて捜さないよ”とアメリカ人は言います。大きな事件が多いアメリカでは、保険金が出る車の盗難に対しては、レッカー会社に報告をして終わりだそうです。と言うことは、盗難にあったほうは悔しい気持ちをどうしたらいいのか?もうこれは事態をそのまま受け入れるしかない。娘は保険金をもらいましたが、もちろん、それだけでは買えないから、足らない分ローンを組んだようです。前の車の借金もまだ少し残っているし(私にだけど)車の保険金は少し新しくなったので、高くなったしよけいな出費にストレスを起こしていました。結婚したばかりの娘が、ストレスを感じながらでも、婿とふたりで車を購入するにあたって、意見の違い(新車でスポーツタイプが欲しい彼と中古でガスマイレッジがいいのが欲しい娘)で喧嘩したり、相手をなじったりせず、これからの生活の予算を立て直し、話し合いで、お互いに譲り合いながら、お互いにある程度の我慢をしながら合意に至ったのを見ると、最悪に見えることでも、やはり、決してそれだけではなかったと思えます。日曜日に買った車は、ピッカピッカでしたよ~。
2010年06月30日
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車が崖から落とされる。う~ん、なんだか映画のシーンのようでしょう?もちろん、映画だから車には人は乗っていない。だから、誰も怪我はしないわけだ。だけど、その車が撮影用ではなく、誰かの所有物で、崖から落とされたら、人は乗ってないから怪我はしないけれど、傷つくものが必ず出てくるよね?そんなこともわからない人がこの世の中にはいるんだよなぁ~。自分が愉快なら、かまわないわけか?簡単に書くと、結婚したばかりの娘から「車が盗まれた」との電話があったのは日曜日の朝。昼には、家(我が家と彼女たちの家)の鍵も一緒に盗まれたから鍵を付け替えたほうがいいかもと我が家に娘は婿と一緒にやって来た。話を聞くと、土曜日の夜、パーティーに招かれ参加。そこには、彼女が今まで会ったことのないティーンを含め人がいっぱいいたらしい。パーティー会場の家の持ち主が、未成年者は参加禁止だと言ったけれど、パーティ主催者は帰らなくてもOKと言い、すったもんだがあったらしい。とにかく、ここアメリカでは、誰かがパーティーをやっていると、友達の友達はみな友達って感じで、呼んでもいないのに勝手に来ることもあるらしい。しかも、うわさが流れ、今流行のフェイスブックにこのパーティーのことが書いてあったとしたら、、、なんとなく、どうなるか想像つくよね?人の家を借りパーティーを主催した人。絶対に仲良しだけしか呼ばないという約束ならOKと家を貸す約束をした人。そして車を盗まれた娘。それぞれが責任を感じている様子だが、主催者は次のパーティーの企画を家の持ち主に、車が盗まれた翌日(日曜日)には話しているらしい。しかし、家の持ち主は、もう2度と家を提供する気はないとのことだ。3人とも友達だ。それぞれの思いが交差している。盗んだのは、ティーンではないかと私は思っている。何しろ、ほとんどが年下だったと言う話だし、33メートルほどもある崖から車を突き落としたわけだから、こちらもティーンがやったのなら、なんとなくわかる。娘が一番心配していたのは、”仕事場の駐車場のパスが盗まれていないか”だった。娘はスーパーハイセキュリティのダイヤが山ほどあるビルの中で働いているからだ。今日(月曜日)仕事を休んで発見された車を見に行く娘に付き合った。パスと車の鍵はあったけれど、家の鍵と家の所在地が書いてある書類だけがなくなっていた。車を崖から突き落とすくらいの人間のことだ、何をたくらんでいるかわからない。安全の為、鍵をすべて取り替えた。2006年製の車でした。
2010年06月15日
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普通の家庭では、旦那さんではなく、奥さんが怒るだろうと思うことが先週末起こった。ところが、うちでは主人が怒る。主人を知っている人なら、わかるだろうけれど、まあ、こんなことは我が家では普通。そして悪いことに、同じ日に主人が欲しがっていたものが他の人に渡ってしまったとわかった。どういうことかというと、その日、主人は私が渡したお金を落としたらしい。そして、彼の欲しがっていたものは、娘婿が引越しでいらなくなった電化製品で、10日ほど前の食事時の会話で出た物だったんだけれど、主人以外は主人が購入すると言わなかったので確定ではないと思っていて、娘婿は予定どうり他の人に売ったってわけ。で、怒る。なぜか冷静だった私は、”もう済んでしまったことなんだから、忘れたら?自分が疲れるよ。”と言ったら、まずます怒った。”もう二度とこの話はしないでくれ!”と言うのは主人。でも、たいていその話をまた出してきて、そのことについて返事すると、また怒る。要するに、怒って、何かにつけ、私が悪いと言うことにしたいわけだ。まあ怒るのは良いとしよう。自分の思いどうりに行かなければ、誰だって面白くはない。気分が悪くぴりぴりしている時は、何かにつけ腹が立ち、いちゃもんをつけると言うのは、誰にだってよくあることだから。だけど、それが何日も続くと、私だって影響され、憂鬱を感じる事がある。それが今朝だった。このままではダメだ。そんな時は、なるべく感謝するべきことを考えるようにしているんだけれど、今日は朝からどんよりした天気で、天気に左右されたのか、なんだか感謝したくない気分で、”お金落としても文句言わない女房なんだから、逆に感謝してよ!”ってふと思う。おっといけない!(夫いけない、ではない。)で、家の掃除を終え、洗濯物を取り入れ、夕食の下ごしらえが済んでから、庭に出て咲き終わった花や枯れている花を無心で片付ける。この無心というのが、いいのよ♪ そして、なんにしろ綺麗になるのがいいのよ♪だって、心も晴れるんだもん。週末準備完了。
2010年06月05日
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まず、裁判所というのは勘違いだったらしく、役所の中にある特別に作られた祭壇でした。間違った情報ですみませんでした。*****いつもi-フォンを手にしている彼といつも携帯を手にしている娘に”あなたたちは結婚しても二人で何かするのではなく、仲良く並んで二人で小さな画面で何かしていそうね。”と私は言っていたのですが、本当に役所で簡単な結婚式の順番を待つ間、二人で並んで画面見てました。今風の夫婦なんでしょうか?本当に簡単な結婚式だったけれど、二人とも、誓いの言葉を言ったときに本当に嬉しそうでした。その後、一人増えた家族で昼食会。おすし屋さんに行きました。そして、疲れたから掃除したくないという娘に重い腰を上げさせるために、私は娘の家に行き、彼が引越ししてこれるように掃除と片付けに。彼は、応募していた会社で3次面接まで進んでいて、後は報告だけ(採用か採用でないか)だったのが、急遽電話だけれど、第4次面接もあるらしいとちょっと不安を感じながら面接の準備をするべく家に帰ったのでした。そして、ちょうど片づけが済んだ頃に、彼から電話。”仕事決まったよ”(私が思っていたとおり)条件の提示だったのでした。去年不景気の中、彼が働いていた会社もどんどん縮小し、大勢の人間が首になり、彼もその一人だったわけですが、結果的に、自分が入り込みたかったフィールドに入れたわけで、彼も大喜びしていました。カードゲーム製作者からネットゲーム製作者になるようです。(日本でも彼が作ったカードゲームが売っているらしい)で、またまた夕食に集まり、タイレストランに。(彼はカレーが大好き)”もう結婚したんだから、泊まっていってもいいよ”という主人に、”近いから大丈夫”と帰って行った彼を見て主人が私に一言 ”今風の夫婦なんだろうか?”とにかくダブルでおめでたい日になりました。よかった。よかった。
2010年05月21日
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今週の木曜日、上の娘は結婚する予定。と言っても、結婚式は後回しだそうな。結婚式を望んでいるのは、どちらかと言うと彼の方らしい。娘は”彼がウエディングドレスを着ればいい”などと言っている。去年のクリスマスに婚約した彼の家の契約が5月末で切れるから一緒に住もうという彼の申し出に、正式に結婚しないと一緒には住めないと娘。それを聞いた彼のお母さんが、私も彼女に賛成ということになり急遽、籍だけいれることになった。でも、アメリカでは、と言うかカリフォルニアでは、簡単な式を裁判所であげてからでないと入籍できないらしい。で、木曜日には裁判所に行く。アメリカって、何でも裁判所なんだなぁ~。会計は二人一緒にするらしい。(ジョイントアカウント)以前も書いたけれど、私は賛成だけれど、主人はその事についてよく思っていない。(彼は解雇されてから、PCで仕事はしているものの、現在求職中)私は二人が喧嘩しても何とかやっていきそうだと思っているけれど、主人はすぐに別れると思っている様子。まあ、大体すべてにおいて、私は何でも信じる方で、主人は何も信じない方だから、思いの違いは理解できる。入籍するだけだけれど、私は簡単な式に参加するために裁判所に行く。主人はあまりのりきじゃなかったけれど、ちょうど裁判所の近くに行く用事があったので、一応参加する。本当の結婚式は、ハワイなら参加してもいいと言っている。(相変わらず、すべてにおいて自分中心な主人。だけど、これでも本人の中では妥協していると私は思います。)でも、彼はボタニカルガーデンでしたい様子。いつになるのかわからないけれど。私から見れば、二人とも子供のように感じるけれど、娘は私が結婚した歳で結婚するから、私もきっと子供だったに違いない。結婚して、特に最初の一年は、ああでもない、こうでもないとパワーストラグルを何度となく繰り返すことだろう。それを乗り越えて、素敵な夫婦になってもらいたい。*****電源が入ったり入らなかったりの7年目のPCは今の所つけっぱなしにして動いています。だけど、数回つけっぱなしでも動かない時があったので上の娘が結婚する彼にPCを選んでもらってPCを購入。何台も今までに購入したけれど、一番長く使ったPCでした。今度のPCのメモリーは3Gで、ハードディスクは750G。いったい何に使うの?って感じだけれど、動画を見るにはいいかも。お値段は一番最初に買ったハードディスクが1.6Gの約1/4。PCは本当に安くなったね~。新しいPCは今週届く予定。楽しみ!
2010年05月17日
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”嫌だよ~””無理だよ~!””疲れたよ~!”と言っているかのように、カタカタと音をたてながらシュ~ン、キューンなど聞きならない音もたてる。時には、音さえ出さない。黙りこみ作戦のように。ついには、電源も入らくなり、もう駄目かと思いながらも何度も試してみると、急に電源が入る。何の話かと言うと、私のPCの話。あわてて、バックアップしようと思ったら、CDの出し入れが出来ない。手動でやろうと思うと、一度PCを消さないと駄目らしい。一度消すと、次に動いてくれるのはいつなのか予定が立たない。それどころか、もう動かなくなるかもしれない。仕方なく、自分のメールに添付ファイルで大切な物だけ送ったけれど、ソレをいつ見る事が出来るのか~。(笑)(PCは主人のもあるんだけれど、、、、、ね、見れないわけよ)PCは私の生活の一部。親に電話するんだって、PCから電話する。友人と連絡を取るのはメール。ちょっぴり仕事もPCでする。何か調べ物をしたい時には、グーグル。昔は何か調べたいと、図書館や本屋さんに行ったもんだけれど、今はネットで色々な情報を手に入れられるから、とっても便利よね。テレビを昔から余り見ない私にはPCがない生活はもう考えられない。さっき、PCがうんともスンとも言わない時でさえ、動かないのを忘れて、”次のPCは何処で買うか?ネットで調べよう~。”と思ったくらいだからね。ああ、それにしても今、動いていてくれてよかったわ。
2010年05月07日
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春は英語ではSpringそして、スプリングと言う言葉には、はねる、跳ぶという意味もある。私は春になると、なんとなくウキウキしてスキップは出来ないけれど、スキップ気分になる。去年よりは足の調子が悪いようだけれど、それでも、庭に出たくなる。これは私の庭(一部ですが)庭に出て、草引きなんぞ始めれば、足の痛さや時間を忘れて、自然の不思議と戯れてしまう。私の瞑想時間。強い陽が当たらない所はこんな感じどんな場所でも、その場所にあった植物がある。その植物が好きな場所と言うものがある。土だって違えば、陽の当たり具合の好みも違う。込み合っているのが、好きなものもあれば、込み合えば、育たないものもある。その植物にあった条件だとよく育つ。間違えた場所に植えれば、栄養を与えようが、注意して見ていようが、手遅れになれば育たずに死んでしまうこともある。どんなに良い条件の所に植えたと思っていても、空や、土の中から時々害虫がやってくる。害虫と言うのは人間がつけた名前で本当は彼らにも役割があるのだと思ったりしながらも、植物を守るために、小さい時は特に注意しないといけない。あっという間に、食べられちゃったりするんだから。もう大きくなったから大丈夫なんて思って、ほったらかしにしていると、時々手をつけられないくらい害虫がついて、苦労する。なんだか、人間を育てるのと同じじゃない?自然と戯れると、生き方がよくわかる。家の中では去年買ったランが咲き始めました。何もわからずに育てていたのですが、茎が3本に別れて、最終的には23個ほどの花が咲くようです。凄いでしょう? こんなの見るのは初めてです。花も普通の大きさ以上です。お店では、横から出る脇芽はカッコが悪いから切り落とすのかな?庭で咲いた花にお礼を言ってから、家のあちこちで飾っています。とっても良いエネルギーを出してくれるんです。お花を見て怒る人はいないものね。いや、いるかもしれないなぁ~。時と場合によってはね。で、これは、私が飾っているお花の中の一つ今年は2月とっても暖かかったので、庭のお花は2月から咲き始めました。ココの所、2月より寒い?と思う日があるのだけれど、お花たちは寒さに負けずに頑張って咲いてくれています。春から秋にかけて、花が咲いている間は、私の大好きな季節です。貴方の好きな季節はいつですか?
2010年04月24日
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先週、家が売れそうなので、日本に行くぞ~と意気込んでいたら、今週になって”チョット、検討されております”と不動産屋から連絡があった。500円の物を買うのに、相当悩む私なのに、この家を買った時は、大根を買うように、特に何も考えずに買ってしまったから、こう言う事があると大変勉強になる。要するに、希望価格をこちらが受け入れたので、現在リフォームするのに、どの位かかるか調べているそうな。と言う事は、その金額が大きすぎればやめる可能性もある。リフォームと言うのは、個人の趣向で費用はいくらでもかかるものだから、どの位のリフォームを考えているのかこちらサイドではわからない。最初の話では、リフォームに費用がかかるから、380万値引きしてくださいだったのになぁ~。最低限のリフォームなら、そんなにかけなくてもとっても綺麗になるはずだけど、キッチン総入れ替えで、もしも場所も移すとなると、もうそれだけで相当かかるしなぁ。今回売れなかったら、長期戦になりそう。ネットで見ていると、長期戦になっている家は山ほどあるし。まあ、長期戦は長期戦でもOKなんだけれど、今のどうなるかわからない常態というのは、予定が未定で、計画をたてられないから、チョットもどかしい。(実際、家を売る事で、諦めた事がいくつもあるんだよね)日本に送らないと行けない荷物も、日本に行くなら一緒に持っていこうと思っていたけれど、長くなると困るので、明日送ろうかと考えたり、、でも、送ったとたん、日本に帰る事になったら3万円ほどもったいないと思ったり。380万の値引きに応じたのに、3万円でビビるな!って感じだけれど、だって値引きしても家を売ればローンがなくなる分、とっても楽になるんだよね。話は変わるが、私達が家を(近所の人の話では)騙されて買った時、近所で、相当噂になっていたらしい。売主さんもたいへん喜んで、近所の人に話していたんだとか。どうりで、近所の人達は私達の事をよく知っていたわけだ。金銭的には、近所の人が言うように、不動産屋さんに騙されたのかもしれないが、(この不動産屋さんは、酷い経営ですぐに倒産した。)私はこの家に(私は3年だけだけど)住めて良かった。母が住みたがっていた格子戸がある家だったし、主人が気に入った書院作りのある日本家屋だったし、叔母を一時期引き取る事もできたし、弟が仲間を連れて帰って来ても全員宿泊する事ができたし、なによりも、その前に住んでいた鉛筆のようにのっぽで狭い3DKの家から6DKという広い家にその3DKの家賃と同じようなローンで住めたのだし、その上、今まで考えなかったような事も考えさせられ、経験させてもらう事ができたしね。そう考えると、何も損などしていないから、騙されてなどいない。だって、人間は色々な経験をするために生まれてきたんだろうから。まあ、なるようになる。そして、そこにはキット何かの理由がある。新しい出会いかもしれないし、新しい学びかもしれないし。やっぱり、荷物は明日送ろう。
2010年04月14日
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それにしても、最初から買値を大幅に下回る売り出しだったので、380万の値下げは、私にとって大きくどうしようかと思ったのですが、何度も足を運んでいただいて気にいっていただいている様子なのと、やはり、長くなると売りにくくなることを考慮し、季節も良いので(笑)希望価格でお受けしたいと思います。これは、不動産会社の担当者からのメールに対して私が書いた返事である。(コピー、ペイストしました)日本の不動産が高くなっているのか、安くなっているのか、私にはわからない。でも、確実に言えることは、近所の人が口をそろえたように”騙されて買わされたんだよ”と言うくらいだから、買った値段では、どう転んでも絶対に売れないということ。だから、低く設定したんだけれど、、、、思わず、どの位損をしたのか計算したら、結局、毎月家賃を払って住んでいた計算になった。その家賃の合計は、古いマンションなら、楽に買える値段だけれど、頭金として入れた分は全額戻ってくるから悔しがる必要はまったくないと思うことにした。現在母は私の日本の家に住んでいる。一人暮しには広すぎるし、日本家屋なので寒い。渡り廊下には木枠のガラス戸が沢山あるし、洗濯物は2階に干しに上がるので、危ない。私達が日本から去って、母が一人になる時、親戚の近くのマンションの方が、安心で暖かくていいのでは?と私は思ったが、体が自由に動く間、便利さと広さそして、家に惚れこんだ母には決心がつかないようだった。一軒家なら、カーテン越しに人が歩いているのが見える。マンションはドアを閉めたら誰も見えない。同じ一人ボッチでも、寂しさが違う。年老いてからの引越しは、ソレが引き金になってボケるから早い方が良いと周りから言われていたけれど、私は母の意思を尊重して来た。だけど、体の自由がだんだん少なくなり、母はついに引越しする決心をしたのである。で今年に入ってしばらくして、家を売りに出した結果が最初に書いた文章である。ただし、引越しの時期の条件を出したのでそれを相手側がOKしてくれたらの話しになるけれど。おそらく95%くらいは契約になる可能性があるので、昨夜はネットで母によさそうなマンションを探していたら眠れなくなって、今日は寝不足。スーパーや病院に近いというのが第一条件。そして、暮らしを楽しめる場所がいい。あまり一人ぼっちを感じない所がいい。そんなことを考えながら、同居する時のことも考えて探す。(弱くなったら、一緒に住んであげたいから)家が本当に売れる事になったら、来週には日本に帰る。家の買い替え、家の片付け、そうじ、引越しだけでなく、引越し先の地理に母が詳しくなるように、探索する時間も必要だ。これを老人と足の悪い私がやるんだから、3ヶ月は欲しい。ふだん、一人で過ごす事が多い私と主人だけど、私が3ヶ月もいなくなると、同じ一人ボッチでも、寂しさが違うだろうな。誰も食事やおやつは作ってくれないし、洗濯、掃除してくれないのだもの。
2010年04月06日
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本日、”我家に滞在していた人”からメールがあった。その人を送って行った日曜日から、普段の生活に戻った心地よさはあるものの、心の中では時々、どう言う理由であれ、困っている人間を最後まで助け続けなかったのは、厄介なことを避けようとする自分のエゴではないかとちょっぴり自責の念にかられていた。普段過去を余り振り返らない私だけれど、今回は”もう済んだ事”と言う家族に対して、私の中では、簡単に済んだ事にして素直に喜べなかった。受け入れた限り、関わりを持ったのだから、他に私ができる事はなかっただろうか?とか次に頼ってきたらどうするべきか?とか今回の出来事から何を学べばいいのか?とか自問自答した。完全に頭から、消し去る事が出来なかった。だから、普段余りココに来ないくせに、ココに書いて、吐き出さなければいけなかった。自分を正当化するためにね。”自分が出来る事はやった”と自分を言いくるめる為に。私が非常に心配していた”ある事”は、全く別の展開を見せて、うまく行きそうなメールだった。これで、その人は生きていける。屋根のある所で眠れる。人生をやりなおせる。なんだか、肩から大きな荷物をおろした気分。今日は、とってもすがすがしい気分。よかった。よかった。本当によかった。神様ありがとう。
2010年04月01日
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私はどの宗教にも所属していない。無神論者かと言えばそういうわけでもない。世の中の仕組みをよ~く眺めていると、それが神様なのかどうかはわからないが、偉大な何かが働いているというのを感じないわけにはいかない。それは例えば、自然の中で見つける事のできるバランスであったり、心を運ぶ身体を作る時に、間違えることなく自分の役割を知っているすべてのDNAが書き込まれた一つの細胞だったりする。それらの、奇跡としか言えないような出来事が、私に神様と呼べる偉大な何かの存在を感じさせる。宗教に所属していない私でさえ、神様の存在を感じるのだから宗教に所属している人はさぞかし神様を敬い、神様の教えに従う立派な人が多いと思いたいけれど、そんな人ばかりではない。自分の宗教を信じる余り、違う宗教をけなしたり、そのために戦争したリ、宗教を楯に国を治めたり、、、どの宗教も、どのように生きるかというような教えであって、最終的に行きつく所は”愛”ではないのかと私は感じている。すべての宗教の勉強をした事がないから、はっきりと言い切る事は出来ないけれど、昔、色々な宗教の教えの引用を比べた本を読んだ時にも、どの引用も、愛に繋がっていたような記憶がある。愛とはいつくしむ心である。要するに大切にする心である。相手を受け入れる心である。だけど、宗教に所属するしないに関わらず何かを信じて自分のためや人のためにお祈りはしても本当にわけ隔てなく、人をいつくしむ心を持っている人は少ない気がするんだけど、、、、もちろん私を含めて。(私は自分の為には祈らないけれど)人の為のお祈りは、しないよりはした方がいいだろうけれど、宗教の教えを普段人に説いている人達が、人の悪口言ったり、人をけなしたり、見て見ぬ振りをしたり、厄介なことから逃げたりしても、信者って言えるんだろうか?実は、こうやって、宗教と信者の事について書いているのは、心理分析すると、本当の所、自分が我家に滞在していた人の面倒を最後まで見なかった罪悪感を、ぬぐおうとする行為なのだ。
2010年03月31日
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普段の生活に戻った朝は静かだ。一人でコーヒーを入れ、自分のPCの前にいつものようにゆっくりと座りコーヒーを飲みながら、メールチェックをする。お金がなく住むところがないとか、お金があっても、とりあえず無料で他人の家に住むと言う意味(寄食)がホームレスだとすれば私は今までに1年を越す長期の人も含め、10人前後のホームレスの面倒をみた。その人に家庭があったとしても、その本人がそこに帰るのを拒否し、屋根のある所で眠る事ができなければ、その人はホームレスである。自分がよく知っている人や、お世話になった人が、”しばらく面倒をみてください”と頼んできたら貴方はどうするだろうか?深いお付き合いでない場合は、どうだろう?チョット考えて見て欲しい。身内、親戚に限らず、そういう人が貴方の目の前に現れる可能性だってあるのだから。面倒を見る人との人間関係にもよるかもしれないが受け入れるにはある程度の覚悟がいる。まあ、10人程度と数は少ないものの、経験していくうちに、私は色々な事を学ばせていただいたから、スピリチャル好きで、魂の勉強をしたいあなたなら頼ってくる人を受け入れるのもいいかもしれない。(笑)冗談はさておき、一つだけ覚えていて欲しいのは、受け入れれば、生活が変わる事に対しての責任は受け入れる側にもあると言う事だ。それさえわかっていれば、必要以上にストレスがかかってくる事はないだろう。誰かを居候として受け入れた時、生活は確実に変わる。だから、その覚悟がないなら、良い人ぶって、受け入れようと夢にも思わないことだ。いったん受け入れれば、人にもよるだろうけれど”すみませんが、出ていってください”と言わなければいけない日が来る可能性が非常に高いという事も同時に覚悟するほうがいい。何故なら、そう言われる方も嫌かもしれないけれど、言う方も非常に不愉快でありストレスを感じるからだ。話を元に戻そう。ホームレスは我家に来た時点でとりあえず居候となる。私がいままで受け入れた人達の中には、こちらから”居候してもいいよ”と申し出た人もいる。だけど、今回は相手からお願いされるいつものパターンだった。その人と知り合ったのは2年ほど前で、会った回数もわずか。家族構成や本人のことも深くは知らなかった。最初は3日間のお願い。その人にも言ったけれど、私は引き受けたら3日では絶対に出て行けないと何故か確信していたから、付き合いもさほど深くないので、どうするべきかと今回は初めて家族会議にかけた。時期が来て”出て行ってください”と言うのは辛いし長年面倒を見る事が出来ないだろうから、冷たいかもしれないが変な期待を持たせずに、最初から断るべきかと思ったからである。私達も、家をいつ売りに出すかと考えているくらい、生活に余裕があるわけではないから、長くなるとやはりきつい。家族会議では、本人がそう言っているなら、(3日後に行く場所がある)3日間だけ面倒を見るべきだろうと言う答えになった。ホームレスのシェルターに送り込むのは、年齢的にも出来ない。その人は3日目に出て行けなかったし、その日延期のお願いもされなかったので、私はとても厳しい事もその人に言った。でも、滞在中は、その人が食べたそうなものを、出来るだけ作るようにした。自分のメールチェックはその人がPCを使っていない時にしたので、時には夜中になることもあった。彼の便宜を計る為、主人に代理でお願いもした。最後には主人はその人が、我家の車を使用するのを禁止した。結局、数週間で”出て行ってください”を言わなければいけなくなった。そして昨日、その人が次ぎの場所に移るまで、2日間お世話になる人とおち会う場所まで、送って行った。次ぎの人が現れるまで時間があったので、しばらく一緒にいたのだけれど、”道路が混むから、もう行って下さい”の言葉でさよならをした。Hugしてあげたくなったけれど、私はしなかった。帰り道、主人と私は無口だった。その人のコレからのことを御互いに考えているようだった。”僕達は僕達ができる限りのことをした”と自分の心を確認するかのように主人は言った。*****日記更新してないからと心配してメッセージくれた人達ありがとう!!!コレからはチョクチョク書くようにするわね。
2010年03月29日
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専業主婦になって、そろそろ7年。その間に、娘達の難しい時期をこなし、今は夫婦二人。専業主婦と言っても、主婦だけやっているのではなくチョコチョコと、色々な事もやっているんだけれど、私の中では、専業主婦の範囲。以前は朝起きたら、夜中に寝るまで、とにかくやる事が多くて、手術で入院した時には、コレで大威張りで休める!と思うくらいだった。それでも、入院中、携帯にかかってくる電話で仕事をして、病院にお願いして、退院の日を早めてもらったっけ。仕事、お母さん、妻、子供の役をすべてこなしていたその時の、私の仕事量から考えると、今は、時間が有り余っている。時々やる事が山ほどある時があって、それをこなした時、一日にこんなに沢山の事が出来るんだと自分で再確認して、ビックリすることがある。でも、それって要するに、それほどほとんど毎日、ボケーと過ごしているということじゃないのか?毎日以前の2倍以上寝ているし、時には3倍も寝ている時もある。それでも、外に仕事には出ない。それなりの理由があって、仕事を外に探してないのだけれど、、、とにかく時間は以前よりあるのに、何かをしていると言う感じがない。パンを焼いてみても、手の込んだ料理をしていても、念入りに掃除をしても、淡々としているだけである。つまんないわ~。そう久し振りに感じる、昼下がり。
2010年02月20日
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私の相棒は私より5つ年上で、そろそろ残りの人生を考えた方がいいのではないかと私は思っている。ところが、彼はいつまでも元気でいれると思っているのか淡々と毎日生き、殆ど予定がない。予定を立てても未定であり、たとえ決定しても、覆す。言い換えれば、瞬間瞬間に生きている人間で、とっても素晴らしいといえば素晴らしい。だけど、周りにいる人間は結構振り回されたりする。私はと言うと、死ぬ前にやって起きたい事、俗にいうバケットリストを作るのに忙しい。”君はいつも死ぬ事を考えている”コレは主人の言葉。要するに、彼は今この瞬間を生きるのに忙しく私は死ぬ準備をするのに忙しいのかもしれない。実は、私は死ぬ事を考えているのではなく、私達全員が毎日死に向って生きているのだから、死ぬ時になって、走馬灯のように色々思い出しては、”ああ、こうしたかった。あの時、ああすればよかった”と後悔することなく、満足して死にたいわけ。もちろん、家族と言うものがあるので、”では、今日から一人で3年間の放浪の旅にでます”とか”5人の子供をもらい育てます”と宣言するのは難しいだろう。でも、子育てという大事業を済ませて100%とは言わないけれど、自由の身になったのだから、残りの人生を人に迷惑をかけず、やりたい事をできるだけやって、有意義に生きたいと思うわけ。もちろん、主人のように瞬間に生きていれば、いつ死がやって来ても、後悔しないのかもしれないけれど、やはり老い仕度と言うものは必要だと思う。まあ、そんな二人の間で(今の時点で)一つだけ決まっている事と言えば将来は日本で老後を向えるということ。(ただし、コレも変更の可能性はあり)何処で暮らしを楽しもうかと話あうが、サンディエゴのように天候の良い所を日本で探すのは難しい。冬が暖かくて、夏涼しい所で、サーフィンのできる海があって、山が近い所という主人の要望を聞き入れると伊豆半島がいいかな?と思うのだけれど、伊豆は結構物価が高いらしい。みなさん、お勧めはありますか?
2010年02月10日
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たった二人きりになって、さぞかし寂しいかもと思っていたら”一週間に最低1回は家族そろっての食事の日”が未だに続いています。先日は、我家に子供達が来るのではなく、私達が招待され、子供達が食事を作ってくれました。そして、昨日は上の娘のボーイフレンドも顔を見せてくれ、にぎやかな食事会になりました。私の子供の頃からの夢は”家族で食事をする”だったのです。だから、娘達が独立してからも自然と続いている食事会、本当にありがたく感じます。そんな我家で最近話題になっているのが離婚のお代です。何故?実は、この間日記を書いてから、なんと5人の人から離婚したとか、離婚するぞ~!と言う話を聞いたのです。その中の一人は、相手が浮気し、その相手が浮気相手と駆け落ちしたのに、お金を払わされます。二人で築いた財産を分けるためだそうです。相手が悪いので、ずいぶん割り引いてもらったのだそうですが、それでも1000万ですって!もう一人は家庭内暴力で牢屋にほりこまれた人。(保釈金を払ったのですぐ出て来ましたが)家庭内暴力があったかどうかは本人達のみ知るですが、(どう考えてもそういう人には見えないけれど)奥さんが警察に電話した時、彼女は相当酔っ払っていたそうです。そして、”もう我慢の限界だから離婚する”と言っているのは、奥さんではなく、牢屋にほりこまれたご主人のほうです。でも離婚すれば、彼は奥さんと結婚する前から住んでいた家を手放して、お金を払うか、家をそのまま奥さんに渡す事になるでしょう。要するに離婚はお金がかかる。だから、婚前契約書は結婚する前に絶対に作るべきだ。とコレからいつか結婚するだろう娘達に力説する主人。(実際、主人が作り、私はこの契約書にサインしています)いやいや、結婚とは信頼関係を結びますという約束事。離婚する時の事を考えて、契約書を作るのは相手を信頼していないという事。まして財産なんて買ったばかりの借金だらけのマンションのみ。よって、作る必要なしという私。そんな私にも娘を守る為だと力説する主人。離婚はしないから契約書はいらないと言う上の娘。結婚はしないから、私には関係ないと言う下の娘。まあ色々見聞きして来ましたから、色々あることは私にはわかります。カリフォルニアの法律は日本の法律と違うし、飽きれば、すぐ別れてしまうアメリカでは、私物のある人は、それらを守るために結婚する時に離婚の時の事を考えておくのは、賢いのだと思います。契約書を作らずに結婚した人達に、離婚すると高くつくから、我慢を選ぶ方が賢いと言う人もいるのも確かです。実際アメリカには離婚破産する男性もいます。さて、私が最近思うのは、どちらにしても御互いに結婚する時に娘が言うように”離婚はしない”と覚悟を決めたほうがいいだろうということ。(まあ、普通は誰でもそう思って結婚するのでしょうけれど、、、。)だいたい、いつでも離婚できると思えば、嫌な事が続いた時に、お互いに歩み寄る努力を止めてしまう。文句ばかり出て、アラばかり目だって感謝の気持ちなんて浮かんで来なくなる。人間なんてそんなもんだと思います。離婚できない、離婚しないって決まっていたら色々御互いに工夫して仲良くやって行く努力するしかないし、あるいは、一緒にいながら、自分で楽しくなる事を捜すでしょ?選択余地はないんだもの。まあ、結婚して万が一離婚する事になっても、その時はきちんと御互いに、相手が一人で生きていけない時は、面倒を見る覚悟をするって言うのが、結婚することだと最近思ったりします。(ま、契約書がある場合は、そうならないでしょうけれど。)ま、そうは言っても、あきらかに長期間に渡り(肉体的、精神的に)ひどく傷つけられている場合は、すがりつかず、損得勘定ではなく、離婚のお代も考えずに、速やかに新しい人生を見つけた方がいいですね。関係を解消できただけでありがたいですよ。あたらしい人生を開くチャンスを得たわけですから。最近の討論会(?)でそう感じる私です。まあ、離婚ってそれぞれの事情があるから、一言で”こうだ”とは決して言いきれないものがありますけれどね。主婦のつぶやきでした。
2010年02月04日
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人は色々な物に執着する。何かにしがみついて、そして、苦しくなる。大きな物だったり、大好きな人だったり、苦労して手に入れた物だったりしたら、手放すのに、勇気がいるかも知れない。私はどちらかと言うと、執着心は少ないほうだと自分では思っている。だから、苦しくなることが少ない気がする。”この家に住めなくなると考えただけで寂しいだろう?”と私に聞いたのは主人。”え? あんなに、苦労して建てたのに、売るの?”と不服そうなのは子供達。(取らぬ狸か?)”自分で建てたのに、愛着はないの?”と聞く知り合い達。”今は売り時ではない。景気が戻ってきたら売ればいいのじゃない?”と言う多くの人達。家だけ例にしても、こうした質問が出て来る。”こんな広い家に誰が住むの?”と自分でも驚いた家は、確かに住み心地はいい。でも、別にこの家に執着してはいない。この家に住めなくなると考えても特に寂しくはない。苦労して建てたからと言って、(感情的に)売れないということはない。愛着はあっても、それにしがみつくということはない。お金に執着して、現状を甘くみたくない。10年間夢を見て、自分で設計図を描き、その家を建てる努力をし自分が驚く位の夢の豪邸を、自分達で建てる事が出来た事、しかもその家にわずかな間でも住む事が出来た事、それ自体が大変嬉しいから、私には執着心はない。だけど、そんな私が執着心と対決しなければいけない時がある。それは、引越し前の荷物詰めである。私は、引越しするたびに必ず自分の執着心を試さていると感じる。ありがたい事に、何度も経験させていただいたから執着心と付き合う方法を学ばせてもらった気がする。引越しとは、心の棚卸でもある。埃をかぶった思い出と共に溜め込んだ物を今一度、本当に必要かと試されるのだ。もう一度読もうと思ってとっておいた本の数々。役に立つと思って切り取った記事の数々。使いもしないのに、場所を占領している食器の数々。子供達が捨てると出したのを、寄付しようと思ってとっておいたままの洋服の数々。言い出せばきりがない。荷作りをしながら、荷物を片付けるのではなく思い出にひたり、時間ばかりが過ぎて行く経験のある人は沢山いるだろう。必要でないけれど、捨てれないものも確かにある。引越しのたびに、毎回思うのだけれど、捨てて移動しても何故か物は必ず増える。人は2,3日の着替えと、食べていけるだけのある程度のお金があれば実は本当にそれだけで幸せであるはずなのに、そのほうが身軽でいられるのに、物は増えるのである。捨てた分だけ新しい物が入ってくるのである。それは、物だけとは限らない。人や新しい仕事だったりする事もある。コレから引越しをしなければいけないのは、実は私だけではない。コレを今読んでいる貴方へ、必要ない思い出も、一緒に捨てて行きなさい。コレから作る新しい思い出を入れるスペースが必要だから。貴方の目の前にあるのは、輝いた未来だけなのだから。
2010年01月22日
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お正月気分を味わう事もなく、いつものとおり時間が流れた。そんな感じのアメリカの新年、もうすでに6日目に突入。やはり、新年は日本で迎えるのが私は風情があって良い。*****去年は、占い的に言えば多くの人にとって、色々膿が出る年だったそうです。私もそのせいかどうか、ずいぶんと色々考える所がありました。去年は、30年以上私を知っている友人が、初めて(私が)弱音を吐くのを見たと言う程の自分でも理解出来ない、落ち込みがちな気分を経験したんです。更年期によるホルモンバランスの崩れだと思う事にしたんだけれど、だから落ち込みがちでも良いとはなかなか思えない自分がいて何とかしようと思いたち、去年後半は大学申し込み最終日に飛び込みでクラスを申し込み、若い人達と半年学校に通いました。そのおかげか、また元の私に戻ったような気もします。ああ、よかった。去年の暮れに、何にもつまづいていないのに線路で倒れ、手にひびが入った母は、その後風邪を引いて寝込んだそうです。去年の末、娘がちょうど日本に旅行に行ったので、様子をしっかりと見てくるように話しておきました。その娘が今年4日に帰ってきたので、様子を聞くと、、、やはり、足元がふらつき一人で買物に行くのは少し無理がありそうです。介護を申し込んで、買物に一緒に行ってもらえば?と前々から母に話すのですが、それをしたら最後、人に頼ってしまうからとなかなか介護を頼んではくれません。母は今月で75歳。”まだまだ若いわよ!ひとりで大丈夫よ”と私は色々な人に言われるのですが、何度も手術の経験のある母は普通の人より血の流れが悪いんですね。まあ、口だけは、いつまでたっても達者なんですけど。まあ、頭がボケてないと言う事で喜ぶことにします。前々から親戚が近くのマンションに引越ししておいでと母に言ってくれていました。階段のある家は危ないので、私もそれが良いと思っていたのですが、本人は、それほど乗り気でなかったのです。ところが最近やっと本人もその気になったので、親戚の近くに引越しさせようと思っています。マンションって暖かいから、母には良いと思います。そして、私は日本に帰って一緒に住むことも考えています。(予定は未定で決定にあらずですが、、、そういう予定で最近は物事を進めていました。)足が悪いので、どれだけ助けになるかどうかわからないけれど、まあ、一人ぼっちよりはいいでしょう?主人が一緒にすぐ来る事になれば、この予定は変更の可能性ありですが。どちらにしても、引越しの手伝いをしなければいけないから、しばらくは日本に戻る事になると思います。どちらにしても、マタマタ引越しです。私は占いで引越しの星を二つも持っているのです。やはり、宿命でしょうか?でも歳をとると引越しも疲れます。日本の引越しも、アメリカの引越しもこなさないといけない。というわけで、今年は、いつの間にか増えてしまった本の片付けから始まりました。持っている物が少なければ、身軽でいれます。人生はとっても楽になります。それとも、私は未だに地に足がついてないだけでしょうか?2010年、大きな変化の中で色々な事が動き始めそうです。
2010年01月06日
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特にキリスト教信者ではありませんが、夢あるイベントと言う事で、メリークリスマス!私はクリスマスの時期が大好きです。クリスマスと言えば、弟。毎年のように書いていますが、25日生まれの弟を思い出します。そして、毎年、街にあふれる恋人達のことを考えたりします。世界の平和を握っているのは実はこれから家庭を築くかもしれない恋人達であると私は思っているので。2000年!なんて言っていたのが、ついこの間のように感じるのに10年、あっという間にすぎました。この10年振り返って思うのは、とりあえず自分が考えていた事は、ほとんど叶ったって感じです。ありがたいです。今年は色々と感じる所が多い年だったと思います。でも、とりあえず今年の学びもクリアしたような気がします。さて、来年はどんな年になるのでしょうか?どんな年になるのか、今からワクワクしています。みなさんもワクワクしながら新年をお迎えくださいね♪来年もヨロシクお願いします。
2009年12月23日
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引き寄せの法則、久し振りに思い出した。娘が日本に友達と旅行に行った。旅行に行く前に、電車の駅まで送りに行った時娘の友達が、自分の電話は日本で使えるものだけれど、受けると高いから絶対にかけて来ないでと冗談ぽく笑った。電話番号知らないから、かけれないわと答えた私。それから、21時間後、母から電話あり。娘からの伝言で成田で友達と離れ離れになったので友達に電話をして、離れ離れになった所で待っているからとその友達に電話をするようにと言われた。電話番号は?と聞く私にパニックになりながら、知らないと答える母。夜中の2時半にそれしか伝えられなかった私。とにかく電話番号を探し、娘の友達に電話すると、なんと電車の中で、もうすぐ日暮里だと言う。トイレから出てきたら、電車が来ていて、物凄い人だかりで、娘が電車に乗っていると思って飛び乗ったらしい。電車の中を探したけれど、娘は乗っていないと言う。もう日暮里まで来たから日暮里に来るように言って欲しいと言う。(でもどうやって?)長距離のフライトで二人ともきっと疲れていただろう。判断も確かに鈍るだろう。そこに御互いに不安もあるしね。一分でも早く、目的地に着き休みたいという気持ちもあったに違いない。早い話が、母とそしてその友達と数回電話のやり取りをして、結局、その友達の荷物と共に、成田で待っている娘とその友達が成田で再会したのが、最初に私に母から電話があってから、3時間ほど後。待っていた方も、戻った方もお疲れ様だったね~。(私も疲れたわ~)行く前から、何かあったらどうしようと不必要に不安がっていた娘と電話はしないでと言っていた友達。”引き寄せたナ”って思った私。ポジティブだろうが、ネガティブだろうが、思った事は引き寄せられる証明みたいじゃない?それにしても、送って行った時に、電話の話を聞いてなければ電話してと言われても、いったい何処に電話するのかわからなかっただろうから、神様の御計らいかもね?!友達の電話番号を娘は自分の携帯(国際ではないので家に置いて出た)に登録してあるらしく、かけようがなかったし、電話番号を教えても、公衆電話から繋がらなかったんだとか。(これすべて、母から聞いた事)何日かしたら、電話するつもりだけれど、さてさて、二人はこの出来事から何か学んだかなぁ~?まあ、まだ学ぶどころじゃなく、疲れ切って寝てるよなぁ。せっかくの旅行、この事件で気分を害することなく御互いに許しあって、楽しい旅行にして欲しいなぁ。目が覚めたら、こう言う事件があると、後で笑い話になる一生残る思い出になるから、いいのよ。って思える心の余裕が出てきますように!!
2009年12月23日
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久し振りです。昨日自然治癒力のおかげでベッドにくくりつけられていた体が、少し自分の意思で動かせるようになり、時間を取り戻すべくココしばらくサボっていた日記を書きたくなって書いていたら、、、、消えた。しかも終わりの頃に。ガクッ。で、もう一度挑戦。挑戦して書くほどのことかって?わから~ん。長いから、読むなら覚悟して読んでね~。*****今年日本国内で12人の母親が逮捕されたのです。何で逮捕されたのか、もうご存知の人もいると思いますが、知らない人は、虐待?殺人?と思った人もいるでしょうね。だって、最近そう言う事件も多いし。詳しくはココ簡単に言うと、母親、又は夫婦で子供の下着姿や裸体の写真を販売したんです。記事には、”簡単に金もうけができた”と容疑を認めたとあります。もう、考えられない!!!皆もそう思うでしょ?そう思うよね?お金のためなら、今の母親は子供を売るような事をするのか~!!!!どんな事があっても、子供を守るのが母親の仕事ではなかったのか~!!!!とっても、悲しい。*****ラッキー(犬)が亡くなったあと、余りフレンドリーではないが、存在するだけで、心を和ませてくれたブーツの顔が腫れた。ブーツはおばあさん猫。ラッキーが死んだ時に、ラッキーをこよなく愛していた主人が”なんでお前じゃないん?”と思わず(?)言ってしまった位おばあさん。実際年齢はわからないけれど、どんなに少なく見積もっても18歳。2日ほど様子を見ていると、食欲がない。動物は人間と違って痛い時、騒がないでじ~としている。その姿は本当にけなげ。病院に連れて行くと言う私に驚異の目を向ける主人。自分も歯が時々痛いのに、その値段の高さからいくら勧めても、歯医者に行くのを躊躇しているから、気持ちはわかる。実際、動物病院って、物凄く高いのよ。診断してもらって、歯が悪くなっているのがわかり、手術に耐えられるか検査してもらって、そこまでが4万円。手術に耐えられるのがわかって、歯を3本抜いてもらって12万。実際、ほっぺの細胞までが腐っていたらしく、ほっぺも少し切り取って、縫い合わせた。病院に連れて行かなければ、きっと今頃死んでいたと思う。命ってお金で買えると常々思っているけれど、今回もそれを経験。*****妊娠しているのに気がつかなくて、トイレで生み落としたなんていう話を聞いたことがある人いるでしょ?アメリカでもテレビでそう言う番組をやっていた時”信じられない・どうして?”と娘と話していた事がある。今回、実際に生むまで気がつかなかった子(と言っても成人だけど)の話を聞いた。いやぁ~、実際あるのね。びっくりだけど。その子は娘の高校時代の同窓生なんだけれど、お腹が痛くなって、救急病院に行ったらしい。救急病院でストレチャーに寝かされ、検査を待っている間に、赤ちゃんが生まれた。泣き声を聞いても、何が起こっているのかわからなかったとか。思いあたる赤ちゃんの父親からの結婚の申し込みも断り、一人で育てる事にしたらしい。現在赤ちゃんは、早産(8ヶ月)だったため、入院中。仕事は3ヶ月お休みをもらって今は休職中だけれど、3ヶ月したら、仕事に出る予定らしい。そして、実は私はこの赤ちゃんの行く末を案じている。今回この出産劇を起こした本人は、超お金持ちの子供だったからか、それともほったらかしにされたからか、とても我儘。とにかく、自分の思いどうりにならなければ気が済まない。で、思いどうりにならなければ、泥酔かお酒が飲めなければ鬱状態になる。(今の先進国での世の中、こう言う人多くないかい?)日本で頻繁に最近起こっている幼児虐待が起こらない事を祈っているのは、恐らく私だけではないような気がする。*****そして、最後は我家の台所事情。心配おかけしていましたが、主人は元の職場に10月から再就職させていただく事が出来ました。再就職させていただいたのは、10分の1以下だから感謝です。でも、我家の台所事情はよくなりそうもありません。何故なら、建替えた家の固定資産税が10倍以上に跳ね上がったから。これは、計算違いでした。この家に住み続けるには、どこかからお金を持って来ないといけません。日本の家は母が住んでいるから現金化する事が出来ないし、あちこちで家のローンが残っている、本当にひどい状態の私達。現在景気が悪化しているから、不動産売却の時期ではないと散々色々な人にアドバイスをいただいたのですが、夫婦二人になるとこの家は大きすぎるし、色々考えて今の家を売却する事にしました。とドラマチックに書いてみましたが、実は、、、、、計画どうりなんです。(ま、景気の悪さは予定にはありませんでしたけれど)最低2年は住みたいねって言っていましたが、2年半住めたしね♪景気が悪いので、すぐ売れるかどうかわからないけれど、不動産屋さんに言われたとおりの値で売りに出す予定です。売れるかなぁ~?*****お金お金お金。若い時は、なくても苦にならないけれど、年老いてからは、あれば便利な物。お金お金お金。絆を薄くすることもあれば絆を強くすることもある。お金お金お金。ある者は、それで命を買い。ある者は、それで命を売る。お金お金お金。ある者は夢を買い。ある者は魂を売る。お金はエネルギーだけど、それを扱う人によって意味が変わってくる。でも、たった一つ言える事は、お金で100%の幸せを買う事は出来ないって事。*****ココまで読んでくれた人がいたら、お金に関する感想を書いてね。ありがとうございました。
2009年12月18日
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久し振りに長い長い日記を書いていたのに、やってしまいました!消えちゃったんです。もう、夜も遅いのに~。あ~あ。久し振りにがっかり。また明日思い出して書きます。(涙)
2009年12月17日
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最近、子供達はなかなか大人にならないと聞く。パラサイトシングルと言う言葉から考えても、子供は昔の子供と比べてずいぶんと楽をしているなぁと思うのは私だけだろうか?我家にも成人に達した娘が住んでいる。我家では、わずかな家賃を車の保険代も含めて少しはもらっている。一週間に1回の掃除をするという約束も基本的に守ってもらっている。私は、子供達がアルバイトを始めた頃から、お小遣いをあげるのをやめた。高校を卒業した時には、洗濯するのをやめた。やってあげるのは簡単だけれど、私は嫌われる方を選んだ。彼女達は言わないが、もしかすると、パラサイトペアレンツと嘆いたいたかもしれない。何もかも親にやってもらい、お金だって家に入れないお金持ちの子供達と比べれば、親の家に住んでいるのになんとひどい待遇!!パラサイトペアレンツだ!という不満が出てきても不思議ではない。人間、何でも当たり前になると不満が溜まったりするものだ。食事はずーと作り続けた。お弁当だって、殆ど作った。だけど、家賃を払っているからなのか、自分達から”お皿を洗いましょうか?”などと、けなげな事を言う事も少なく、洗う時は、食器洗いに入れるというのが定番。そして、仕事を持っている彼女達は、、、、、そう、当然疲れている。とっても疲れているのだ。しかしだ。一人で住んでいれば、そんな甘い事は言っていられない。親として、甘やかす事はいくらでも出来る。だけれど、それは愛ではないと私は思っている。彼女達が家にいてくれれば、私も話し相手がいるし、寂しくない。大勢で食べる食事は、いつだって一人で食べる食事より楽しい。彼女達が家にいれば、私だって彼女達に甘える事も出来る。だけど、私は彼女達が家からでて行けるように、準備をして、手助けをして、その気にさせた。そして、いよいよ巣立ちの時が来た。年内中に、二人とも家を出て行く。上の娘が抵当流れのコンド(アパート)を買ったからだ。抵当流れと言っても、彼女の経済力で買える所だから、私達が今住んでいる所と比べたら、治安もさほどよろしくない。そして、そのコンドに住むためには、色々やらなければいけない事がある。銀行ローンを組む事から始まり、電気やさんに連絡する、水道屋さんに連絡する。家電を購入するために、値段の比較をする。家電を買って配達してもらう。家電などは、自分の好きな時に持って来てはくれないから、自分の都合を相手に合わせなければいけない。住む前から、ストレスの山が立ちふさがる。その上、長年かかって貯めたお金が次から次へとでて行くから、娘のストレス度は高くなる。治安がよくない所に住むのだから、今までのように、ぼーとしていてはいけない。自分の身を守るために、常に注意していないといけない。スーパーは何処にあるのか調べないといけない。会社までの通勤時間も長くなるから、もっと早起きしなければいけない。お弁当は誰も作ってくれないし、どんなに仕事で疲れて帰って来ても外食で毎日お金を使いたくなければ、自炊しなければいけない。そして、当然自炊すれば、食器を洗わなければならない。食器洗い機を使いたければ、食器を沢山買わなければいけないだろう。楽をするためにはどうすればいいのか、今まで以上に頭を使うようになるだろう。泣きたくなる事もあるだろう。誰も慰めてくれない時もあるだろう。辛くて死にたいと思う事だってあるかもしれない。Welcome to my world!!!だけど、そういう一つ一つの出来事をこなして、経験を積み、色々な感情を経験してはじめて、人の心の痛みに今まで以上に寄りそう事も出来るようになるだろうし、人は少しづつ、大人になって行くのではないかと私は思う。ああ、それにしても主人と二人だけでは、家の中が静か過ぎて、寂しくなるだろうなぁ~。
2009年10月25日
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誰でも、愛を疑いたくなる時があるかもしれない。この世に本当の愛などないと思う時があるかもしれない。生活を共にする家族でさえ、親子や夫婦で価値観の違いを感じるかもしれないし、個人の思い込みはあるだろうし、お互いに依存しあったり、執着しあったり、嫉妬しあったり、パワー争いもするだろうし、相手に対する期待もあるから計算違いにショックを受けたり、損得勘定もある程度働くから、純粋な愛などないと感じるかもしれない。その上、親子であろうが、夫婦であろうが不運にも自分の存在価値さえ失ってしまいそうな時もあるかもしれない。そんな事が度重なれば、大人になっても、上手に人と渡りあっていけなくなる事さえある。人は愛に不信を感じ傷ついた後に、心を閉ざしてしまう。その心を開くには、愛されているという信頼感や、安心感が必要なんだ。以前ライオンのクリスティンが野生にもどされてから、元飼い主に一年ぶりに再会した時の動画を紹介した。何故この動画はこんなにも世界中で話題になったのだろう。もしかすると、奇跡のような場面を目撃した私達が種を越えた純粋な愛を感じ取れるからではないだろうか?残念ながら人間同士ではなかなか最後の授業に見られるような純粋な愛に出会う事は、普通に当たり前に生活していては無理なのかもしれないと思うこともある。私達の多くは、命は永遠ではないと頭では理解していても明日自分や自分の大切な人が死ぬわけがないと思いこんでいるから、相手を本当に愛する事をおろそかにするのかもしれない。愛が信じられなくなった時、これを見てほしい。愛と奇跡は存在する。私の心の中にもこんな素晴らしい愛を育てたい。*****実は、この間60分テレビ番組で見たのです。で、youtubeで探してみたんです。最後の”これ”だけは見てね♪きっと今日一日だけでもHappyになれるよ♪
2009年09月29日
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毎日、アメリカ保険制度についてニュースをやっている。保険のない人の為に、日本の国民健康保険のような物を作りたいオバマ氏。それに反対する人達。毎日喧々囂々とやっている。資本主義にどっぷり浸かった関係会社を含めプライベートの保険会社はもちろんの事、医者や一番保険が欲しいであろう老人も反対している。保険が出来ると、年よりは命を助けてもらえないとか社会主義だとか、色々言っている。我家は、保険のことで何処の国に住むのがいいかと以前から考えていた。最終的には以前から日本と考えてはいた。アメリカの失業率は現在の所9,5%位らしい。と言う事は、10人に1人は失業しているということ。そして、失業している人達に保険はない。(実際には、勤めていても、保険のない会社は沢山ある。)我家も同じ船に乗っている。収入があれば、プライベートの保険には入れるけれど、私達の年齢では1ヵ月に約10万前後らしい。病気をしても病院に行けない。こんな思いをしている日本人はPCなど使っていないだろうから、今これを読んでいる人はその不都合さを実感する事は難しいと思うがどうだろう?プライドのせいか主人は失業保険をもらう気持ちはない。で、その結果、この間の主人の言葉になった。”持っている物をすべて売り払って身軽になって生活しよう。”どちらかと言うと、持てる物はすべて持っていたい主人にしては珍しい言葉だと思いながら聞いていた。しかし、いつものことだが(執着心からか)こうしたらどうだ?ああしたらどうだ?と話はコロコロと変わる。コロコロと話を変えながら、毎日、サーフィンだ、水上スキーだ、バイクライドだと、我家の経済状態を深く考えず、テレビの前で笑いながらビールを飲む主人と一緒にいると、何か考えているんだろうか?と思いながらも彼は本当は偉大な人なのだという気がしてくる。こんな状況で、今を楽しめるなんて凄い。話が横にそれてしまったが、保険制度さえ整えば持てる物をすべて売り払って現金に変え、借金をなくし、固定資産税の少ない所に引越しをして、つつましく生きて行けば収入がなくても、アメリカに住み続けることも可能かもしれない。だけど、保険がなければ、老人になりつつある私達には本当に厳しいものがある。痛みに耐えていかなければいけないのだから。さて、喧々囂々の保険制度。やはり、資本主義が勝つんだろうか?
2009年09月13日
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