ピラティス・初心者一般 0
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今年もハロウィーンの季節がやってきました。 日本の季節行事に比べるとアメリカのハロウィーンは地域色があまりありませんがああ、またこの季節がやってきた、という感慨があります。 今から15年前、私が大学に通っていた街、ニューハンプシャー州のキーンではパンプキンの数ではギネスブックに載るという、フェスティバルが今も行われています。棚にのせられたパンプキンの数は膨大です写真はCountry LivingのHPからお借りしました。デジタルの写真データはこのときのものはありません。テクノロジーは速いスピードで発達していますね。 このハロウィーンをかわきりに、サンクスギビング、クリスマスとアメリカの一連のホリディーシーズンが始まります。 心が温かくなる、ハートウォーミングな気分になる時でもあります。
2009.10.30
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10月の半ばから名古屋にもCIRQE DE SOLEIL のドラリオンが来ています。皆さんはこのアクロバットサーカス、CIRQE DE SOLEIL をごらんになったことはありますか?CIRQE DE SOLEIL の中の1つサルティンバンコはアメリカからのご縁です。アメリカでのお知り合いの娘さん夫婦はこのサルティンバンコのアクロバットの出演者でした。その縁でショーの後バックステージへも招待してもらいました。衣装やウオーミングアップをするところを見学しました。ピラティスのマシーンもちゃんとありましたよ。その後、彼女たちはCIRQE DE SOLEILをやめて自分たちのアクロバットグループを作りました。Seven Fingersと言います。 写真からはその臨場感は十分伝わりませんがオリンピック選手にも負けじとおとらぬすばらしいパフォーマンスです。極限のハイパフォーマンスなので、30代半ばまでが限度だそうです。彼らいわく、40代のアクロバットをする人は見たことがないそうです。そうでしょうねえ!これはフィットネスとは違います。今回、デラリオンが名古屋に来ているのでなつかしく彼らのことを思い出しました。
2007.11.08
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のはもう4~5年ほど前の話、今年はキャンプにいけませんでした。それは、日本ではなく、カルファルニア州、レイクタホの近くです。この、シエラ山脈ではキャンパーが熊におそわれるので食品を車などに入れず、サイトの備えてある食品庫に入れるよう指導されています。しかし、この巨大なクーラーはその食品庫に入りませんでした。ふたの白い部分の右下が、くまの爪あとです。チェスナットは何も関係ありません。ちょっと爪あとは見にくいかなあ?夜中にテントの外でゴソゴソ音がするのでのぞいたら何かいるではないですか外に出ようとして、止められました。なんと熊が私達のクーラーをあけて、物色しています。ギネスビールとチョコレートを食べて、行ってしまいました。こちらへ襲ってこなくてよかった!!日本の山歩きには、鈴を携帯されているのをみかけます。そんなのもいいのでしょうね。
2007.08.18
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先日のブログではフロントガーデンをご紹介しました。今度は庭の中の方へも行ってみましょう。わっ!庭を荒らしているのですか?いいえ、ならしています。この小さいブルトーザーみたいなのは、ボブキャットといって小回りのきく土ならしや運ぶための機械です。マイハズバンドの仕事にはとても役立つもので、自分たちの家の庭でも大活躍しました。その結果ここも、少しスロープになっていますが、地面の高さが整いました。そして2年後には植物も育ち、やっと楽しめる庭になりました。ここまで長かったなあ。週末何をしたの?と聞かれ、「ガーデニング」と答えていた時期は相当長かったように思います。この家の庭は荒れた状態から始めたのでいつまでたってもきれいにならず、最初はたいへんでした。途中から手入れの効果が目に見えるようになり、今では外で、植物を手入れしていたカルファルニアの乾いた暖かい気候が、懐かしくさえあります。日本でも、またお庭作りをしたいですね。
2007.03.11
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梅の花がきれいに咲いて、春がもうすぐそこまでと感じられるようになりました。実は私は、ガーデニングが大好きです。アメリカの家の庭は大きいので1年中結構いそがしかったのです。どのように、その庭を造っていったのかお見せしようと思います。これは、このうちを買ったばかりのころ、玄関の前なのにひどい状態でした。なので大きく構造から変えることにしました。その1年後です。夫がこの壁と階段そして階段をのぼりきったところにあるベンチを作りました。彼はその道のプロフェッショナルです、ストーンメイソンと言ってガーデニングの専門分野です。私はこれらの植物を選び、植えました。ここは黄色、オレンジを使ったエリアです。この家の庭はエリアごと単色の花が咲くようアレンジしました。カルフォルニアは暖かいので咲く花や植物の種類が多くガーデニングにはとても楽しいところです。そのなかでもこの部分は結構気に入ってます。 現在、マイハズバンドはこの家や貸している人などにも会うため、渡米中です。私はこの庭がどうなっているかとても気になります。
2007.03.08
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12年間のアメリカ生活のうち9年間、西海岸のサンフランシスコべイエリアですごしました。フィットネスの仕事をするにはここはパーフェクトなところです。人々は活動的でパーソナルトレーナーからセッションを受けたいと思っているし、私達プロのためのワークショップはいたるところで行われていて、学ぶ機会はふんだんにあります。 ある日、自分が働いているジムである男性にオリエンテーションの指導をしました。そして、続けてパーソナルトレーニングをしたいといわれます。この方は新聞のコラムを書かれる人とのことですが、私にはどなたかもその時はわからず、トレーニングを続けていました。 ある日、同僚が,「Hiroko!あなたは有名人ね」 はあ?「Jonがあなたのことを、コラムに書いたわよ」ということで、以下 紙からの引用です。 Jon CarrollThe Diet Waltz: Step ThreeIn July, I began to work with a personal trainer. I took to calling my gym Hiroko‘s House of Pain. Strength training taught me to distinguish between various types of pain, and to believe in good pain. Also, the name made me laugh just enough so that I showed up for every appointment. I did not always want to go to the gym. I did anyway. Afterward, sometimes, I had steak and potatoes and a salad. It did not feel like a diet. 引用終了 なんと、Jonが有名なコラムニストであることを、不覚にもこのとき初めて知ったのです。このときから、“Hiroko`s House of pain.”はわたしの周りの人たちで知られたフレーズとなました。このフレーズをあえて日本語にすると、“ひろこの痛みの館”・・・まあ言ってみれば、ぼくはしごかれているんだ。みたいなことでしょうか。その後パーティーなどでも「ああ!あなたが、Hiroko`s House of pain のあのHirokoさんですか」という調子で、私の知らない人が私のことをかなり知っているという感じです。メデイアの力はすごいですね。そして、物書きのクライエントには気をつけましょう。
2007.02.07
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新しい年を迎え、“日本の危機”にどう立ち向かうかとか、日本人論、愛国心についての議論が盛んです。いったい、どの位の私達日本人が「私の日本人としてのアイデンティティーはこれです」といえるでしょうか?正直、義がある、美意識があるなどは古い価値観で新しい考え方に比べると進歩がないと思われています。これからの私達はどうしたらいいのでしょうか? 私はおばあちゃんっ子で、明治42年生まれの祖母の影響をうけ育ちました。両親も昭和7年生まれですので、私自身バリバリの戦後育ちとはいえ、20~30代の人に比べると古い日本の価値観は自分の中にあると思います。アメリカで大学卒業直後の今から11年くらい前、アメリカでの資格や経験が浅く、仕事をするのに認めてもらえず困ったことがありました。そこで考えたのは、自分に何ができるかということです。できることは、時間を守る。まじめな気持ちで仕事に取り組む。といういたってシンプルなことでした。でもこれだけは守ってやっていこうと思いました。ところが、アメリカの人々から思いもかけない多くのほめ言葉をもらいました。「時間に遅れてこないインストラクターはあなただけよ」(本当かな?) 「直前のキャンセルや変更が横行しているのに、あなたは1度もしない」などです。よく考えてみると“日本人の価値観” 正、義、美をを基本とするところで動いていたのかもしれません。これしかないからワラにもすがるおもいで。またこの価値観を認めてくれたアメリカ人が、本当に多いことには驚きました。そしてこういう価値を誇ってもいいのだと自信をもたせてもらいました。 きっと日本でなら誰も気付かせてくれなかったでしょう。このことはいつまでも忘れないし、覚えておきたいと思っています。
2007.01.07
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めでたく大学を卒業し、マイハズバンドと私はカルフォルニアに移ることにしました。フィットネスの仕事をするには最適のところです。 北回りのコースをとりました。 私も彼も車を持っていたので、その中に詰めるだけの荷物をつみこんでの移動です。3000マイルというと何キロになるのでしょうか、確か1週間かけたように覚えています。ニューヨークのマイハズバンドの実家に寄ったくらいでひたすらドライブしました。でもいろいろな景色が車窓からみられ楽しかったです。 こんな感じの風景を楽しみました。 カルフォルニア、セントラルバレーです。 ゴールデンゲートブリッジが見えたときはもう少しと安心しました。途中大きなトラックに追いかけられたりして怖かったこともありましたが、車も故障せず事故もなくカルフォルニアでの生活に移ることになります。
2006.11.17
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英語が話せた上で大学へいきました?とも聞かれます。 いいえ ひどいものでした。TOEFELという大学に入学するための英語検定でどうにかという程度。私にとって、英語はいろいろな人とコニュニケーションをする手段としての興味が大きいのです。 大学の寮で最初のミーテイングのとき、アジア人は私だけ!あとは、み~~んな白人!!緊張しました こんなこと人生で初めて!! 英語もあまり話せないし。これは、その後の“こんなこと初めて”の始まりでしかなかったのです。 ボストンやニューヨークへ行けばいろいろな人がいますが、ここは田舎!日本人は単一思考だといわれますが、ここでもそうです。そして、学生は違うことや、異文化に興味がないのです。がっかりでした。それはヨーロッパからの人へも同じで、私はフランス人や南アメリカの人達とよく一緒にいました。先生や、町にいる大人はもっと私たちに興味を持ってくれました。その後、日本へ行ったことのある人達に会ったりするのですが。日本人の学生の中には都会へ移っていく人もいました。でも、この小さな大学は英語がいまいちの私にはちょうどよかったのです。最初は、体育とか、美術など英語がだめでもいいのを主にとり、3ヶ月もしたら授業も日常生活も大丈夫になりました。楽しくなりましたよ。 困ったのは、教授をファーストネームで呼び捨てすること。これは、2年くらいできませんでした。みんな呼び捨てで教授を呼んでいるのです。すっごいカジュアルだなーと思いました。 がこれは、ファーストネームで呼び合って、お互い個人として認めあいましょう、教師、生徒というのは上下関係ではなくここは学びの場、という民主的な考え方なのだとわかりました。わかっても、日本人の私にはしばらくどうしてもできなかったです。
2006.11.16
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アメリカに住んでいた時も、日本へ帰ってきてからも どうしてアメリカへ来た(行った)の?とよく聞かれます。本音は退屈していたということですが、ちゃんと考えるともっと違う社会、文化が知りたい。 英語がちゃんと話たい。フィットネスを勉強したい。と、とっても欲張りでした。行ったのは、ニューハンプシャーにある小さな学生の街です。 ボストンから車で2時間北上、キーンと言う街です。ニューイングランド地方は自然の美しい、古いものを大事にするところで、どんなトラデイショナルなことが見られるか楽しみでした。でも、やはり新しい国です。あまりありません。ヨーロッパからの入植者についてはいろいろ美術館とかあります。 これはキーンではありませんがニューイングランドの街はこんな感じです。キーンで撮影されたジュマンジ1995年に公開されたジュマンジ(ロビンウイリアウズ主演)はロケ地はキーンでした。小さなカレッジタウンは映画関係者で賑わい、人々は興奮していました。多くの学生がエキストラで出演しましたよ。私は行ったばっかりでそんな余裕は無しでした・・・・・ 私はマイハズバンドとこの大学で知り合ったので、今でもキーンのことは時々話します。目のさめるような紅葉や自然の美しさと共にとても懐かしいです。
2006.11.15
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