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イラク軍の指揮下で活動しているPMU(人民動員軍)の施設をアメリカ軍が12月29日に空爆した目的はシリア東部からイラク西部にかけての地域をアメリカ軍が支配し続けることにあるのだろうが、それはシリア、イラク、イランを分断し、殲滅するというネオコンの戦略に合致している。 イラクのサダム・フセイン政権を倒して親イスラエル派の体制を樹立、シリアとイランを分断した上で両国を殲滅するという戦略をネオコンは遅くとも1980年代には立てていた。そこで、フセインをペルシャ湾岸産油国の防波堤と位置づけていたジョージ・H・W・ブッシュやジェームズ・ベイカーと対立、イラン・コントラ事件やイラクゲートが露見する一因になっている。 ソ連が消滅する直前、ネオコンの中心メンバーのひとりであるポール・ウォルフォウィッツはイラク、イラン、シリアを殲滅すると口にしたという。これは欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の元最高司令官、ウェズリー・クラークが語っている。(ココやココ) ソ連が消滅した直後、国防次官だったウォルフォウィッツは国防総省のDPG草案という形で1992年2月、この3カ国殲滅を含む世界制覇プランを作成している。そのベースを考えたのは国防総省内部のシンクタンクONA(ネット評価室)で室長を務めていたアンドリュー・マーシャルだが、執筆の中心がウォルフォウィッツだったことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」と呼ばれている。 ソ連が消滅したことでアメリカが「唯一の超大国」になったと認識、ネオコンは誰にも遠慮することなく単独で行動できると考え、国連も無視するようになった。国連中心主義を打ち出していた細川護熙政権が潰された背景でもある。 ウォルフォウィッツ・ドクトリンはアメリカが世界の覇者になったという前提で、残された従属度の足りない国や潜在的ライバルを破壊し、力の源泉でもあるエネルギー資源を支配するという作業に取りかかる。そのドクトリンに基づいてナイ・レポート(東アジア戦略報告)が押しつけられ、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていく。 クラークによると、2001年9月11日の攻撃から6週間ほど後にアメリカの国防総省ではシリア、イラク、イランに加えてレバノン、リビア、ソマリア、スーダンを殲滅する計画を立てている。レバノンはイスラエルにとって戦略的に重要な国であり、リビアはアフリカ支配の要。ソマリアは交通の要衝であると同時に資源国でもある。スーダンも資源が注目されていた。 すでにロシアが曲がりなりにも再独立に成功したことでウォルフォウィッツ・ドクトリンは破綻しているのだが、予定通りに世界制覇を実現したい勢力はロシアを再び属国にしようと必死。それによってアメリカの支配層は自らの立場をさらに悪くしている。 支配層はカネ儲けが大好きだが、目先のカネ儲けだけのために動いているわけではない。チェスにしろ、将棋にしろ、囲碁にしろ、初心者は目先の駒や石に囚われるが、そういう人は勝負に勝てない。長期戦略や中期戦略に基づいての短期戦略であり、目先のカネ儲けだ。 遅くとも20世紀の初頭からアングロ・サクソンの支配者たちは世界を支配するため、ロシアを制圧する必要があると考えていた。そのために東ヨーロッパを支配しようとする。これが彼らの長期戦略。 そこで制海権を握っていたイギリスはユーラシア大陸の周辺部分(内部三日月地帯)を支配し、内陸国を締め上げていくという戦略を打ち出した。その三日月地帯の上にイギリスはサウジアラビアとイスラエルを作り上げている。東端に位置している国は日本だ。 この長期戦略はその後も継続され、ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその理論に基づいている。今もその戦略を放棄していない。 対抗上、内陸国は鉄道を建設してきた。シベリア横断鉄道はそうした目的で建設されている。現在、中国が一帯一路を打ち出し、ロシアが鉄道、道路、そしてパイプラインを建設している理由もそこにある。 非ネオコン系のシオニストは「大イスラエル」を目論んでいるが、これは内部三日月地帯を寸断する可能性のあるシリア、イラク、イランの連携を殲滅するというネオコンの考えと矛盾しない。 もし、2020年にドナルド・トランプがこうした長期戦略に反する政策を強行しようとしたなら、それは命がけになる。
2019.12.31
イラク政府の下で活動している義勇軍の基地をアメリカ軍が12月29日に空爆、死傷者が出ている。この義勇軍はPMU(人民動員軍)に所属、その施設5カ所がターゲットになった。そのうち3カ所はイラク、2カ所はシリアにある。当初、UAV(無人機、ドローン)で攻撃された模様と伝えられたが、F-15戦闘機が使われたようだ。 この攻撃についてアメリカの国防総省は27日にキルクーク郊外にある軍事基地へミサイル攻撃したことへの報復だとしているが、27日の攻撃を実行したと名乗り出た組織は存在しない。 本ブログでも繰り返し書いてきたが、アメリカ軍はシリア東部からイラク西部にかけての油断地帯を占領、シリアで敗走したジハード傭兵をそこへ集めて戦闘集団を再編成していると言われている。 その地域は2015年9月30日にロシア軍がシリア政府の要請で介入するまでサラフィー主義者を主戦力とする武装集団のダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)に支配されていた。 ダーイッシュは2014年に売り出されたが、その出現は2012年8月の段階でアメリカ軍の情報機関DIAによって警告されていた。 その報告書はシリアで政府軍と戦っている主力をサラフィ主義者やムスリム同胞団だとし、戦闘集団としてアル・カイダ系のアル・ヌスラ(AQIと実態は同じだと指摘されていた)の名前を挙げていた。そうした武装勢力をバラク・オバマ政権は支援、それを危険だと警告したのだ。そうした報告を受けた上でオバマ大統領は反シリア政府軍への支援を続けた。 ダーイッシュの戦力が2014年に急拡大した一因はサダム・フセイン時代のイラク軍将兵が合流したからだとも言われている。ネオコンの作戦に従い、2003年3月にアメリカ軍は属国軍を引き連れてイラクを先制攻撃してフセイン体制を破壊したのだが、その結果、親イラン派が実権を握った。親イスラエル派の体制を築こうとしたネオコンの思惑は外れたのである。 そこで2007年頃までにアメリカの支配層は方針を転換する。ジョージ・W・ブッシュ政権はシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを最大の敵だと定め、スンニ派と手を組むことにし、スンニ派であるフセイン体制の残党と手を組んだとされている。 その流れを受け、オバマ大統領は2010年8月にPSD-11を出し、ムスリム同胞団を使って中東から北アフリカにかけての地域を制圧しようとした。そして始まったのがムスリム同胞団を中心に繰り広げられた「アラブの春」だ。これは地域に破壊と殺戮をもたらしている。 そうしたアメリカの作戦に抵抗している勢力のひとつがPMUだ。
2019.12.30
リビアは2011年にNATOの空爆とアル・カイダ系武装集団の地上攻撃によって破壊された。ムアンマル・アル・カダフィ時代にはヨーロッパ諸国より生活水準の高く、教育、医療、電力料金は無料で、農業は元手なしで始めることができる国だったが、今は暴力が支配する破綻国家だ。 その破綻国家を統治する組織と国連が認めているのはファイズ・サラージをリビア大統領評議会議長とするトリポリのGNA(国民合意政府)だが、ハリファ・ハフタルのLNA(リビア民族軍)がGNAを凌駕する力を持ちつつある。 ハフタルはCIAが1960年から保護していた人物で、彼に従う武装グループはアメリカで軍事訓練を受けていた。そのハフタルの勢力は今年に入ってからムスリム同胞団を殲滅するという看板を掲げて戦っている。 ムスリム同胞団は歴史的にイギリスとの関係が深い。1948年にエジプトの首相を暗殺した後、創設者のハッサン・アル・バンナが殺され、メンバーの大半が逮捕されて組織は壊滅状態になった。それを1951年に復活させたのがCIAとMI6だ。 エジプトは1952年7月にクーデターで王制から共和制へ移行し、ガマール・アブデル・ナセルをはじめとする自由将校団が実権を握ったが、その背後にはムスリム同胞団がいたと言われている。 アメリカは自由将校団を使ってコミュニストを押さえ込もうとしたようだが、イギリスはクーデター政権を倒そうとする。アメリカとイギリスとの間で対立が生じたわけだ。その際、アメリカはナチス親衛隊の幹部だった人物や数百名の元ゲシュタポを治安対策のため、エジプトへ送り込んだ。 そうした中、1954年にムスリム同胞団はナセル暗殺を試みて失敗し、逮捕を免れた同胞団のメンバーは国外へ脱出する。その多くはサウジアラビアへ逃げ込んだ。この暗殺計画の黒幕はイギリスだとみられている。 バラク・オバマ大統領は2010年8月、中東や北アフリカを侵略するために自国が主導する軍隊ではなく、ムスリム同胞団をはじめとするジハード傭兵を使うことにした。 エジプトもムスリム同胞団によって一時期支配された。その体制を転覆させたのがアブドル・ファターフ・ア・シーシー。現在の大統領だ。このシーシーは10月23日と24日にロシアのソチで開かれたロシア・アフリカ首脳経済フォーラムでロシアのウラジミル・プーチン大統領と共同議長を務めている。ロシアとエジプトは接近しているのだ。 ハフタルのLNAを支援するため、そのエジプトがF-16戦闘機でトリポリやミスラタを空爆しているとする情報が出てきた。捕虜になったLNAの空軍幹部がそう話しているのだ。その幹部によると、フランスの専門家チームが偵察、通信傍受、兵站活動を指揮しているともいう。 それに対し、トルコがGNAを支援するため、軍隊をリビアへ派遣するという話が出てきた。リビアのカダフィ体制を崩壊させた後、侵略勢力は戦闘員と武器/兵器をシリアへ運んだ。当時、侵略勢力の中にはトルコも含まれていた。そのトルコがシリアから戦闘員と武器/兵器をリビアへ戻すのではないかとも言われている。
2019.12.29
ロシア、中国、イランの海軍が12月27日から4日間の予定でインド洋とオマーン湾において軍事演習を始めたと伝えられている。 イギリスやアメリカにはユーラシア大陸の周辺部分を支配して内陸部にプレッシャーをかけ、中国やロシアを制圧するという長期戦略がある。その戦略をロシア、中国、イランの3カ国は揺さぶっている。 アメリカはインド洋から太平洋にかけての海域を一体として扱おうとしている。2018年5月に太平洋軍をインド・太平洋軍へ名称変更したのもその現れだろう。太平洋の拠点は日本、インド洋の拠点はインド、ふたつをつなぐ役割をインドネシアが担うという構図を描いているようだ。 この戦略で重要な役割を果たしている拠点にディエゴ・ガルシア島がある。イギリスが不法占拠、それをアメリカが使っている島で、ICJ(国際司法裁判所)は同島を含むチャゴス諸島をモーリシャスへ返還するようにと勧告しているが、無視されてきた。 軍事演習が始まった27日、安倍晋三政権は海上自衛隊の中東派遣を閣議決定したという。年明け後の2月に駆逐艦「たかなみ」を派遣するようだ。自衛隊がアメリカ軍の指揮下にあることを再確認させることになるだろう。
2019.12.28
拘留されていた刑務所の房で死亡したジェフリー・エプスタインが生前、何をしていたのかは明らかにされそうもない。かつて同じ場所に入っていた人物によると自殺は不可能だとというが、ウィリアム・バー司法長官も自殺だとしている。エプスタインの事件はもみ消すということだろう。 エプスタインは1980年代の後半からイスラエルの情報機関に雇われていた人物で、未成年の男女(主に女性)を欧米の有力者に提供する一方、その現場を記録、それを利用して脅し、コントロールしていたという。 イスラエルの情報機関へエプスタインを紹介したロバート・マクスウェルはミラー・グループを率いていた人物で、自分自身もイスラエルのスパイだった。エプスタインはマクスウェルの娘、ギスレインと結婚している。 エプスタインは私立大学のクーパー・ユニオンとニューヨーク大学を共に中退したが、1974年、有名人の子弟が通う予科学校のドルトン・スクールに教師として雇われた。雇ったのは校長だったドナルド・バー。バー司法長官の父親だ。 ウィリアム・バーはCIA出身だが、ドナルドはCIAの前身であるOSSに所属していた。情報機関に所属すると、基本的にそこから抜けることはできない。抜けるには死ぬか、敵対して追われるしかない。 バー長官はFBIのトランプに対する違法捜査を調べているようだが、司法システムを揺るがすことはしない、つまり適当なところで幕を下ろすとみられている。情報機関の暗部にメスを入れることもないだろう。エプスタインの犯罪を明らかにするとバー長官自身もまずい情況に陥るだろう。 エプスタインは1976年に学校を解雇され、大手投資会社のベア・スターンズで働き始める。教え子の中に同社の会長だったアラン・グリーンバーグの子どもが通っていた縁だという。そこで顧客だったシーグラムのエドガー・ブロンフマンと知り合う。 エドガー・ブロンフマンはイスラエルの情報機関と深い関係にあったと言われ、父親のサミュエル・ブロンフマンは酒を売る傍ら、スキャンダルを使って有力者を脅すということをしていたと言われている。 サミュエル・ブロンフマンの密造酒仲間で仲が良かったというルイス・ローゼンスティールも同じことをしていたとされているが、そのローゼンスティールと親子のようだったと言われている人物がロイ・コーン。 後にコーンはドナルド・トランプの顧問弁護士になるが、赤狩りの時代にはジョセフ・マッカーシーの法律顧問を務めていた。犯罪組織のガンビーノ・ファミリーのメンバー何人かの法律顧問にもなっていて、そのひとりがジョン・ゴッチだ。
2019.12.27
年明け後の1月22日18時45から明治大学駿河台キャンパスの研究棟4階第1会議室(東京都千代田区神田駿河台1-1)で「テロ帝国アメリカの実像に迫る」と題して話す予定です。 予約が必要とのことで、名前、所属、会員の有無、Eメール、電話番号を記載し、2日前までにEメール(apc@cup.com 宛)で申込んでください。主催はアジア記者クラブ(APC)で、資料代は一般1500円、会員1000円、明大生無料とのことです。APCのURL:http://www.apc.cup.com/ 「テロ帝国アメリカの実像」を簡単に語ることはできませんので、今回はウクライナを舞台にしたアメリカ支配層の内紛を中心に限られた範囲で話したいと思います。 アメリカやイスラエルの情報機関(CIA、モサドなど)、ネオコン、ナチス人脈、その背後に存在する巨大資本などがどのように関係し合っているかが中心になりますが、西側の有力者に未成年の女性を提供(人身売買)していたとして逮捕されたジェフリー・エプスタインの話も交えるつもりです。エプスタインはイスラエルの情報機関に雇われていた人物で、その情報機関は未成年者と関係した有力者を脅し、操ってきました。
2019.12.26
安倍晋三政権は12月23日に東京電力福島第1原子力発電所が生み出す放射性物質トリチウム(三重水素)を含む汚染水に関する報告書案を公表した。名古屋大名誉教授の山本一良を委員長とする「有識者会議」なる集まりが出したのだという。 保管できる敷地が2022年末には限界達することから、薄めて海に放出するか、蒸発させて大気へ放出するか、ふたつを併用するかの3案を示したというが、希釈は「安全」や「科学」と同じように、水俣病の時にも使われた戯言だ。放射性物質の総量に変化はない。 しかし、原発事故の直後から官僚や電力会社は汚染水を海へ放出させる方針だったように見える。彼らは事故前から冷却水が循環しなくなった場合にどうなるかを正確にシミュレーションしていたようで、放出するしかないと最初から考えていた可能性が高い。 9月10日に原田義昭環境相兼原子力防災担当相は福島第1原発から出た汚染水を海に放流する必要があるかもしれないと述べている。それは既定の方針で、世間の反発を見るために環境相が口にしたのだろう。汚染水を保管しきれないことも確かだが。 原子炉内の状態は明確でないが、炉心が溶融してデブリ(溶融した炉心を含む塊)が落下していることは間違いないだろう。その一部が地中へ潜り込んでいる可能性もある。福島第1原発の周辺は水の豊かな場所である。その水がデブリを冷却、汚染水となり、補足されていないルートを通って海へ流れ出ていることも考えられる。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、イギリスのタイムズ紙はこの原発を廃炉するまでに必要な時間を200年だと推定していた。その推測も甘い方で、数百年はかかるだろうと考えるのが常識的な見方だ。廃炉作業が終了した後、10万年にわたって放射性廃棄物を保管する必要もある。日本政府は2051年、つまり34年後までに廃炉させるとしているが、そんな話を信じろという方が無理だ。 福島のケースでは炉心が飛散していないと言う人もいるが、事故の翌日、2011年3月12日には1号機で爆発があり、14日には3号機も爆発、15日には2号機で「異音」がり、4号機の建屋で大きな爆発音があった。そして建屋の外で燃料棒の破片が見つかるのだが、この破片についてNRC(原子力規制委員会)新炉局のゲイリー・ホラハン副局長は2011年7月28日に開かれた会合で語った。発見された破片は炉心にあった燃料棒のものだと推測できるとしている。マンチェスター大学や九州大学の科学者を含むチームは原子炉内から放出された粒子の中からウラニウムや他の放射性物質を検出した。 また、医療法人の徳洲会を創設した徳田虎雄の息子で衆議院議員だった徳田毅は事故の翌月、2011年4月17日に自身の「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いていた: 「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」 飛散した放射性物質により、相当数の人が死んでいる可能性がある。事故当時に双葉町の町長だった井戸川克隆によると、心臓発作で死んだ多くの人を彼は知っているという。セシウムは筋肉に集まるようだが、心臓は筋肉の塊。福島には急死する人が沢山いて、その中には若い人も含まれているとも主張、東電の従業員も死んでいるとしている。 事故で環境中に放出された放射性物質の放出総量はチェルノブイリ原発事故の1割程度、後に約17%に相当すると発表されているが、その算出方法に問題があるとも指摘されている。 この計算の前提では、圧力抑制室(トーラス)の水で99%の放射性物質が除去されることになっているが、今回は水が沸騰していたはずで、放射性物質の除去は困難。トーラスへの爆発的な噴出で除去できないとする指摘もある。そもそも格納容器も破壊されていた。 原発の元技術者であるアーニー・ガンダーセンは少なくともチェルノブイリ原発事故で漏洩した量の2~5倍の放射性物質を福島第一原発は放出したと推測している(アーニー・ガンダーセン著『福島第一原発』集英社新書)が、10倍程度だと考えても非常識とは言えない。
2019.12.25
シリア軍とロシア軍の航空機がホムスからアレッポへ抜ける幹線道路でイドリブを横切っている部分に沿い、空爆を繰り返している。地上部隊による攻撃の準備だとも見られている。イドリブへの攻撃をシリア軍やロシア軍は8月31日から停止していたが、再開された。 停戦の4日前にトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領はロシアでウラジミル・プーチン露大統領と会見、30日にはトルコ領へ逃げ込もうとした戦闘員らをトルコ軍が押し戻すということもあった。 その際、見捨てられた形になった戦闘員はエルドアンを「裏切り者」と罵り、大統領の写真を焼いて抗議している。その後にトルコ政府はロシア政府と何らかの交渉を行ったのかもしれないが、ジハード傭兵たちの以降に沿うような結論には達しなかったのだろう。 伝えられているところによると、12月19日にトルコの情報機関が派遣した人びとがハイアト・タハリール・アッシャームなどの戦闘集団の幹部と会談、トルコとロシアとの話し合いは不調に終わったと伝えたようだ。その直後からシリア軍による攻撃は始まっている。 シリアでは政府軍によるイドリブ制圧が順調に進んでいると伝えているが、作戦がこのまま進むとジハード傭兵など反政府軍の戦闘員はトルコへ逃げ込む可能性が高く、そうした人びとをどう扱うかはトルコ政府にとって大きな問題になる。 トルコ政府によると、イドリブから8万人以上がトルコへ流れ込みつつあるのだが、すでにトルコにはシリアからの難民が約370万人がいる。その難民が生活しているキャンプを管理している武装グループは反政府軍で、トルコ政府はさらなる難民の流入でコントロールできなくなるとヨーロッパ諸国に警告している。さらなる支援が必要だという主張だろう。
2019.12.24
シリア議会はロシアの2企業と9月に結ばれた石油開発に関する契約を承認した。その2企業とはマーキュリー社とベラダ社で、開発されるのは北東シリアの油田地帯とダマスカスの北にある天然ガス田を含む3地区だと伝えられている。 アメリカの国防総省は自国軍がシリアを占領し続ける理由としてダーイッシュ(イスラム国、IS、ISIS、ISILとも表記)から油田を守るためだと11月7日の記者会見で主張した。つまりシリア北東部の石油を盗み続けるという宣言だ。中東に限らず、ラテン・アメリカ、アフリカ、東南アジアなどで資源を奪ってきた欧米支配層にとって、略奪は自然な行為なのだろう。 ジョージ・W・ブッシュ政権が2003年3月にイラクを先制攻撃したのはネオコンの中東戦略に基づいている。本ブログでは繰り返し書いてきたが、親イスラエルの好戦派であるネオコンは1980年代からサダム・フセイン体制の打倒を主張していた。イラクに親イスラエル体制を樹立、シリアとイラクを分断した上で両国を潰し、中東全域を支配するというプランだ。 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、ネオコンの中心グループに所属するポール・ウォルフォウィッツは1991年の段階でイラク、シリア、イランを殲滅すると語っている。(3月、10月) その年の12月にソ連が消滅、翌年の2月に国防総省のDPG草案として世界制覇プランを作成した。その当時の国防長官はリチャード・チェイニーで、作成の中心は国防次官だったウォルフォウィッツ。そこでウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。 このドクトリンをベースにして、ネオコンのシンクタンクであるPNAC(新しいアメリカの世紀プロジェクト)が「アメリカ国防の再構築」という報告書を作成、2000年に発表した。 この年の選挙で大統領に選ばれたジョージ・W・ブッシュはPNACの報告書に基づく政策を推進、2001年9月11日の攻撃を利用してイラクを先制攻撃し、フセイン体制を潰す。 2011年春にはバラク・オバマ政権がムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を使い、リビアに続いてシリアを軍事攻撃、殺戮と破壊を繰り広げ、石油を盗み始める。 シリアより1カ月程前に侵略を始めたリビアでは2011年10月にムアンマル・アル・カダフィ体制が崩壊、カダフィ自身は惨殺された。リビアではNATO軍が空爆、地上のアル・カイダ系武装勢力と連携していた。 2011年9月11日以降、アメリカの支配層は「アル・カイダ」を「テロの象徴」として利用、その象徴として「オサマ・ビン・ラディン」を使っていた。オバマ政権はそのオサマ・ビン・ラディンを2011年5月に殺害したと発表、とりあえず「テロの象徴」を消し去っていた。 カダフィ体制を破壊した後、戦闘員と武器/兵器をアメリカはシリアへ運び込んで、バシャール・アル・アサド政権の破壊に集中しようとする。リビアと同じようにアメリカはNATO軍を使おうとするが、ロシア政府が立ち塞がる。侵略は認めないということだ。西側の政府や有力メディアが嘘だと発覚しても執拗に「化学兵器話」を宣伝するのは、軍事侵略の口実を作りたいからにほかならない。 NATOと「アル・カイダ」との関係が広く知られた後、新たなタグが現れる。ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)だ。アメリカ軍の情報機関DIAがオバマ大統領に対してアメリカ政府の政策がサラフィ主義者を助け、彼らの占領地域を生み出すことになると警告していた2012年、CIAやアメリカの特殊部隊はヨルダン北部に設置された秘密基地で戦闘員の訓練を始めている。 当時の戦闘員は100名程度だったと言われているが、売り出された2014年に入る頃には数十万人へ膨れ上がっていた。サダム・フセイン政権時代に軍の将校だった人びとが親イランの新体制に対する報復としてアメリカと手を組んだと見られている。トルコなどからも戦闘部隊に合流している。 この戦闘集団はイラクからシリアにかけての占領地域で石油を盗掘、トルコのBMZという会社を経由してARAMCO(サウジアラビアの国有石油会社)がEUへ売っていたとする説が流れている。BMZはレジェップ・タイイップ・エルドアンの息子、ビラル・エルドアンが大株主のひとりだ。アル・カイダ系のアル・ヌスラはエクソン・モービルがEUへ販売していたという。 シリア政府からの要請を受けたロシア政府は2015年9月末から軍事介入、ダーイッシュは敗走してその支配地域は急速に縮小、16年にはトルコがアメリカの侵略連合から離脱してロシアへ接近する。 アメリカは新たな手先にクルドを選び、そのクルドはダーイッシュを引き継ぐ形でシリア北部を占領。レバノンのアル・アクバル紙によると、クルド勢力は石油をイスラエルの実業家モティ・カハナに売っているという。 イスラエルへの石油密輸を進めているのはロビー団体だと言われているが、中心的な役割を果たしているのはトルコ駐在アメリカ大使のデイビッド・サッターフィールドだとも主張されている。 この人物は国務省に埋め込まれたイスラエル情報機関の協力者だとも言われ、2005年にイスラエルによるアメリカ国防総省に対するスパイ事件が浮上した際、その名前も出てきた。
2019.12.23
アメリカのドナルド・トランプ大統領が2020年度の国防権限法(NDAA)に署名、ロシアからEUへ天然ガスを運ぶパイプライン、ノード・ストリーム2の建設に参加した企業に対する制裁が始まった。そうした企業のひとつでパイプラインを敷設しているオールシーズは法律的な問題などをクリアーするため、作業を中断している。 オールシーズはスイスの会社だが、そのほかロシアのガスプロム、ドイツのユニパー、ウィンターサル、オーストリアのOMV、フランスのインジー、そしてアングロ-ダッチ・シェルがプロジェクトに参加している。 パイプラインはすでにほぼ完成、後戻りはできないと言われているので、NDAAは嫌がらせの域を出ないと見られている。そうした嫌がらせがEU諸国などにどのような影響をもたらすかは不明だ。 本ブログでも繰り返し書いてきたが、ノード・ストリーム2やロシアから黒海を経由してトルコへつながるタークストリームをアメリカが潰そうとしてきたのは、ロシアとEUが天然ガスによって結びつきを強めることを阻止するためだ。 アメリカ政府は2014年2月にウクライナでネオ・ナチを使ってクーデターを実行して政権転覆に成功したが、軍事的な締め付けだけでなく、ウクライナを通るパイプラインを押さえることにあった。 ネオコンの計算では、ウクライナを通るパイプラインを押さえることでEUとロシアとの関係を断ち切り、EUへはアメリカのエネルギー資源を売りつけ、ロシアのマーケットを奪って経済を破綻させることができるはずだった。 ところが、ロシアはネオコンが想定しなかった行動に出る。中国に接近し、今では「戦略的同盟関係」を結んでいる。そうした関係が実現した一因は2014年9月から12月にかけて香港で行われた反中国運動、いわゆる「雨傘運動」が影響しているだろう。この運動の背後でアメリカやイギリスの情報機関が暗躍したのだが、これによってアメリカに対する警戒を中国は強めることになった。 ロシアと中国は鉄道、道路、そしてパイプラインで結ばれつつある。ロシアのエネルギー会社ガスプロムは天然ガスをヤクーツクから沿海地域のウラジオストックへ運ぶパイプラインを建設しているが、12月2日には中国への分岐点であるブラゴベシチェンスクまでが完成し、中国への天然ガス供給が始まった。そのネットワークを朝鮮半島の南端まで延ばすのがロシアの戦略で、アメリカはそれを阻止しようしている。
2019.12.21
ウクライナゲート アメリカ議会では民主党がドナルド・トランプ大統領に対する弾劾を叫んでいる。いわゆる「ウクライナゲート」に絡んでのことだが、この疑惑は2014年2月にバラク・オバマ政権がネオ・ナチを使ってウクライナの合法政権を転覆させたことに端を発する。 民主党が問題にしたのは、すでに本ブログでも書いたが、トランプ大統領が7月25日にゼレンスキー大統領へ電話した際、ジョー・バイデンが2018年1月23日にCFR(外交問題評議会)で行った発言を話題にしたこと。バイデンはウクライナのクーデター政権に対し、10億ドル欲しければ検事総長のビクトル・ショーキンを6時間以内に解任しろと恫喝、実際に解任されたと自慢したのだ。その際、バイデンは「ウクライナを支援する欧米諸国や国際機関が同国の腐敗問題に取り組む中、同国の検事総長が汚職捜査に消極的だとして解任させようとした」と主張している。ブリスマ疑惑 しかし、ショーキンは宣誓供述書の中で、解任の理由は天然ガス会社ブリスマ・ホールディングス(本社はキプロス)を捜査していたことにあるとしている。 ジョー・バイデンの息子、ハンター・バイデンは2014年4月から同社の重役を務めたが、エネルギー産業に詳しいわけではない。しかも検事総長を解任しろという圧力は2015年終わりから16年初めにかけての数カ月に及んだという。トランプがゼレンスキーへ電話する前の今年2月の初めにはハンターに対する捜査を再開する動きがあったとも伝えられている。 問題のブリスマは2002年に創設された。創設者のひとりであるミコラ・ズロシェフスキーは2010年からエコロジー資源大臣を務めているが、検察当局は彼をマネー・ロンダリング、脱税、汚職の容疑で12年に捜査を開始。その年にズロシェフスキーは大臣を辞めた。 捜査が進めば起訴される可能性があったが、2014年にクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権は倒されてしまう。その年の終わりにズロシェフスキーは国外へ逃げ出す。資産はイギリスの当局に凍結されたが、2016年にその凍結は解除され、17年に帰国した。ズロシェフスキーが国外へ逃亡している中、ハンター・バイデンは雇われたわけだ。 ブリスマの重役としてハンター・バイデンは高額の報酬を得ていたのだが、ウクライナのアンドリー・デルカチ議員によると、バイデン前副大統領もブリスマからロビー会社を介して90万ドルを受け取っているという。つまりブリスマ疑惑では創設者のズロシェフスキーだけでなく、バイデン親子も容疑者に含まれているわけだ。有力メディアの世界では、この疑惑をウクライナゲートが隠している。ロシアゲート ウクライナゲートの前、民主党や有力メディアはロシア政府が2016年に実施されたアメリカの大統領選挙に介入したと叫んでいた。いわゆる「ロシアゲート」だが、これはすでにFBIによる不正行為が追及される展開になっている。 ロシアゲートの出発点は外部に漏れたヒラリー・クリントンの電子メール。2016年3月にウィキリークスは民主党の幹部やヒラリー・クリントンの不正行為を明らかにする電子メールを公表、7月にはヒラリーを起訴するに十分な証拠を公表していくとジュリアン・アッサンジが発言する。実際、7月22日に公表したのだ。 この電子メールによって、民主党の幹部が自党の候補者選びでバーニー・サンダースの足を引っ張り、既定の方針通りにヒラリー・クリントンを選ぼうとしていることが判明した。当然のことながら、サンダースの支持者は怒った。 それに対し、民主党側はサーバーがGuccifer 2.0にハッキングされ、その黒幕はロシアの情報機関だと主張。それがウィキリークスへ渡されたというシナリオだ。 アメリカの電子情報機関NSAの技術部長を務めた内部告発者で情報機関で通信傍受システムの開発を主導したウィリアム・ビニーが指摘しているように、NSAはすべての通信を傍受、保管している。もしロシアゲートが事実なら、FBIは必要な証拠をすべてNSAから入手できるからだ。 また、コンピュータの専門家たちは早い段階から技術解析などで作り話だと指摘されていた。例えば、IBMのプログラム・マネージャーだったスキップ・フォルデンは転送速度などの分析からインターネットを通じたハッキングではなく、内部でダウンロードされたと結論、その分析内容を公表している。 実は、民主党の内部で電子メールをダウンロードしたのではないかと言われている人物が存在する。DNC(民主党全国委員会)のスタッフだったセス・リッチだ。 この人物は7月10日、つまり電子メールが公表される12日前に射殺されている。警察は強盗に遭ったと発表するが、それに納得できないリッチの両親は元殺人課刑事の私立探偵リッチ・ウィーラーを雇って調査を始めた。 この探偵によると、セスはウィキリークスと連絡を取り合い、DNC幹部の間で2015年1月から16年5月までの期間に遣り取りされた4万4053通の電子メールと1万7761通の添付ファイルをウィキリークスへ渡したとしている。この発言はウィラーガーが雇い主に無断で行ったことから問題になり、その後、探偵から情報は出なくなった。 トランプが大統領に就任した2カ月後の2017年3月、アダム・シッフ下院議員が下院情報委員会で前年の大統領選挙にロシアが介入したとする声明を出し、「ロシアゲート」なる茶番劇の幕を上げた。 シッフが主張の根拠にしたのはイギリスの対外情報機関MI6(SIS)の元オフィサー、クリストファー・スティールが作成した報告書。根拠が薄弱だということはスティール自身も認めている代物だ。このスティールに調査を依頼したのはフュージョン、そのフュージョンを雇ったマーク・エリアス弁護士はヒラリー・クリントン陣営や民主党全国委員会の法律顧問を務めていた。CIA疑惑 トランプを引きずり下ろすためにFBIの幹部が根拠薄弱の話を利用して不正捜査した疑惑が強まっているのだが、その背後にはオバマ政権でCIA長官(2013年3月から17年1月)を務めたジョン・ブレナンがいると以前から指摘されていた。 現在、FBIの不正捜査疑惑はウィリアム・バー司法長官の下でコネチカット州の連邦検事ジョン・ドゥラムが捜査中。そのドゥラムはブレナンの電子メールや通話履歴を含む関連文書を調べ始めたという。 この話はニューヨーク・タイムズ紙が伝えたのだが、この新聞も支配層の意向に従って情報を流してきた。そのメディアがこの話を伝えたことは興味深い。支配層内部の権力抗争が激しくなっているのかもしれない。
2019.12.20
NATO(北大西洋条約機構)を世界展開させる動きがあるようだ。この軍事機構をアメリカ支配層は支配の道具として使ってきたが、それを知り、危険だと考えたシャルル・ド・ゴールは大統領として1966年にフランス軍をNATOの軍事機構から離脱させ、その翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出している。 1949年4月に創設された当時、NATOの目的はソ連軍の攻撃に備えることにあるとされていたが、その内部に存在する秘密部隊は参加国内でアメリカの支配システムにとって好ましくない人物や組織を潰してきた。 1991年12月にソ連が消滅すると、活動範囲は広がる。手始めにユーゴスラビアへ軍事侵攻して99年5月には中国大使館を爆撃。この大使館爆撃は「誤爆」とされたが、情況から考えて、計画的な攻撃だった可能性が高い。 さらにアフガニスタンでの戦争に参加、アメリカ主導軍が先制攻撃したイラクでは軍事訓練、2011年春にリビアで戦争が始まるとアル・カイダ系武装勢力と手を組んで軍事的にムアンマル・アル・カダフィ体制を破壊、カダフィ自身を惨殺した。このリビアは現在、暴力が支配する破綻国家だ。 中東から北アフリカへ活動範囲は拡大したわけだが、さらに太平洋へ出てオーストラリア、インド、日本と結びつこうとしていると言われている。日米安保やANZUSとの合体だ。 この太平洋に存在するふたつの軍事同盟は1951年9月にサンフランシスコのプレシディオ(第6兵団が基地として使っていた)で結ばれた条約によって誕生している。ANZUSに参加しているのはオーストラリア(A)、ニュージーランド(NZ)、アメリカ(US)のアングロ・サクソン系の国々。日米安保は言うまでもなく日本とアメリカの同盟だ。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、イギリスやアメリカにはユーラシア大陸の内側を沿岸部を支配することで締め上げるという長期戦略がある。 地政学の父と言われている地理学者のハルフォード・マッキンダーが1904年に公表した彼の戦略によると、西ヨーロッパ、パレスチナ、サウジアラビア、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ内部三日月帯、そしてアメリカやオーストラリアを含む外部三日月地帯を想定している。朝鮮半島の外側にある日本も外部三日月地帯の一部とされている。 その日本では徳川体制が薩摩と長州を中心とする勢力に倒され、明治体制が始まった。1872年に琉球を併合、74年に台湾へ派兵するが、この派兵を進めたひとりが厦門のアメリカ領事だったチャールズ・リ・ジェンダー。この人物は1875年まで日本の外務省で顧問を務めた。日本を離れたのは1890年。その年から1899年まで李氏朝鮮の王、高宗の顧問を務めたという。当時、朝鮮では興宣大院君(高宗の父)と閔妃が対立していた。 明治政府は1875年に朝鮮半島で軍事的な挑発に出る。李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ軍艦を派遣したのだ。結局、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させ、無関税特権を認めさせたうえで釜山、仁川、元山を開港させることに成功した。 1894年に朝鮮半島で甲午農民戦争が起こり、閔氏の体制が揺らぐ。それを見た日本政府は「邦人保護」を名目にして軍隊を派遣、その一方で朝鮮政府の依頼で清も出兵して日清戦争につながった。 この戦争に勝利した日本は1895年4月、「下関条約」に調印して大陸侵略の第一歩を記すことになる。この年に三浦梧楼公使を含む日本の官憲と「大陸浪人」が閔妃を含む女性3名を惨殺している。日本の裁判で三浦公使たちは「証拠不十分」で無罪になり、三浦は枢密院顧問や宮中顧問官という要職につく。 その一方、中国では義和団を中心とする反帝国主義運動が広がり、これを口実にして帝政ロシアは1900年に中国東北部へ派兵、対抗するためにイギリスは1902年に日本と同盟協約を締結した。その日本は1904年2月に仁川沖と旅順港を奇襲攻撃して宣戦布告、日露戦争が始まるわけだ。 この戦争で日本に戦費を用立てたのはクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフ。その融資に絡んでシッフは日銀副総裁だった高橋是清と親しくなる。クーン・ローブはアブラハム・クーンとソロモン・ローブがニューヨークで設立、経営を任されたのがロスチャイルド家と近いジェイコブ・シッフだった。 明治政府が始めた日本のアジア侵略はイギリスの世界戦略と密接に結びついていると考えるべきだろう。関東大震災後、日本の復興資金調達で重要や役割を果たしたJPモルガンはイギリスのロスチャイルドがアメリカでのビジネスのために設立された銀行。1933年から34年にかけてフランクリン・ルーズベルト政権を倒してファシズム体制を樹立するためにウォール街の住人はクーデターを計画したが、その中心はJPモルガンだった。 ジョージ・ケナンやズビグネフ・ブレジンスキーの戦略も基本的にマッキンダーのそれと同じだ。 NATOをこの戦略を実行するための主力にしようと目論んでいる人たちがいる。アメリカの世界支配システムが揺らいでいる現在、そのシステムを支える柱としてNATOを考えているのかもしれない。 明治維新の前、イギリスは中国(清)に対して侵略戦争を仕掛けている。1840年から42年にかけてのアヘン戦争や56年から60年にかけての第2次アヘン戦争だ。イギリスは中国全土の制圧と略奪をこの時から目論んでいるが、戦力が足りない。そのイギリスの支援を受けた日本がアジア侵略を始めたわけだ。イギリスの戦略はアメリカに引き継がれた。NATOの動きはそうした歴史と重なる。
2019.12.19
アメリカでは2020年度の国防権限法(NDAA)を上院が下院に続いて可決した。宇宙軍の創設などが注目されているようだが、その法案の中にロシアからEUへ天然ガスを運ぶパイプライン、ノード・ストリーム2の建設に参加した企業に対する制裁が含まれていることも話題になっている。 ロシアとEUが天然ガスによって結びつきを強めることをアメリカの支配層は阻止しようとしてきた。天然ガスはパイプラインで運ばれているが、その主なルートはウクライナを通過していたことからウクライナを完全な属国にしようと目論む。それが2014年2月のクーデターによる政権転覆だ。 バラク・オバマ政権のネオコンは2013年11月にウクライナでクーデター計画を始動させた。キエフにあるユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)でカーニバル的な反政府の抗議活動を開始したのだ。12月には50万人が集まったという。 広場で活動が始まる前日、ウクライナ議会ではオレグ・ツァロフ議員がクーデター計画の存在を指摘する演説をしていた。その計画はアメリカのジェオフリー・パイアット大使を中心に準備され、11月14日から15日にかけて会議が開かれたとしていた。 その準備の一環として、2013年9月にポーランド外務省がウクライナのネオ・ナチ86人を大学の交換留学生として招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたって暴動の訓練をしたとポーランドで報道されている。 クーデターにより、アメリカはクリミアや東部地域の制圧に失敗したものの、とりあえずパイプラインをコントロール下に置くことはできた。が、ロシアは中国との関係を深めて戦略的な同盟関係を結ぶ一方、トルコやバルト海を経由して運ぶルートを建設。新たに建設されたバルト海のルートがノード・ストリーム2だ。 このパイプラインはほぼ完成、アメリカにも輸送を止めることはできない。今回の法案は嫌がらせの域を出ず、EUとアメリカとの関係を悪化させるだけだろう。相対的だけでなく絶対的にも自らの力が落ちていることを認識せず、恫喝(狂人)政策を続けてもアメリカは自らの立場を悪くするだけである。
2019.12.18
アメリカの捜査機関FBIがクレジット会社に対して顧客の消費や金融に関する情報を提供するように求めていたことを明らかにする文書が公開された。情報機関と同じように捜査機関が個人情報を集めていることは有名な話だが、それに関連した文書が出てきたことは意味がある。 電子技術の進歩は監視技術を発展させてきた。何らかの事件や出来事を調査する際、カネの流れを追うのは基本だが、国民の動向を監視する手法でもある。電子マネーになればカネの流れを支配者が容易に把握できるようになり、口座を閉鎖するなどして「懲罰」を課すことも簡単にできる。 アメリカではDARPA(国防高等研究計画局)も監視技術を開発してきた。1990年代にはさまざまな個人情報、例えば学歴、銀行口座の内容、ATMの利用記録、投薬記録、運転免許証に関するデータ、航空券の購入記録、住宅ローンの支払い情況、電子メールに関する記録、インターネットにおけるアクセスの記録、そしてクレジット・カードのデータも集められ、分析されてきた。 さらに、スーパー・コンピュータを使って膨大な量のデータを分析し、「潜在的テロリスト」を見つけ出す技術の開発も知られている。どのような傾向の本を買い、借りるのか、どのようなタイプの音楽を聞くのか、どのような絵画を好むのか、どのようなドラマを見るのか、あるいは交友関係はどうなっているのかなどを調べ、個人の性格や思想を洗い出そうというわけである。図書館や書籍購入の電子化、スマートテレビの普及などもそうした目的に沿うものだ。 GPS付きの携帯電話やIC乗車券が個人の動きを追跡する道具になることは言うまでもないが、街中に張り巡らされた監視カメラも進化、顔認証機能で追いかけることもできる。盗聴器とセットになっているカメラもあり、街中での会話も盗聴される危険性がある。 こうした監視体制の強化は1970年代から警告されていた。アメリカ上院で設置された情報活動に関する政府の工作を調べる特別委員会の委員長だったフランク・チャーチ議員は1975年8月にネットワーク局NBCのミート・ザ・プレスという番組に出演、そこでアメリカ政府の通信傍受能力はアメリカ国民に向けられる可能性があり、そうなると人々の隠れる場所は存在しないと発言している。 支配層が監視体制を強化しようとしていることは明確だった。それにもかかわらず、大半の人びとは反対の声を上げなかったのである。日本は特にそうした傾向が強く、個人的な経験で言うと、政治家は論外として、記者や編集者、学者、活動家も関心を示さなかった。 そうした中、1970年代の終盤、監視システムに興味を持ち、実際にアメリカで動いていた日本人がいる。原田明夫(法務省刑事局長として組織的犯罪対策法(盗聴法)の法制化を推進)と敷田稔(後の名古屋高検検事長)だ。
2019.12.17
イギリスでは「道化」とも呼ばれているボリス・ジョンソンが率いる保守党が12月12日に実施された総選挙で勝利した。そのジョンソンは選挙に先立ち、さまざまな公約をしている。 EUからの離脱が前面に出ているが、それだけでなく、NHS(国民保健サービス制度)へ毎年340億ポンド以上を支出、新たに40病院を2030年までに建設、5万人以上の看護師の教育支援、2万人以上の警察官増員などが含まれている。 しかし、この中で実現しそうなのは、というか実現する気のありそうなのは警察官の増員位ではないかと見られている。必然的に不満が高まり、混乱が予想される。警察官の増員が実現するだろうと言われているのはそのためだ。 そうした不満の受け皿が存在すると支配層にとって面倒なことになる。ジェレミー・コービンが率いる労働党はその可能性があったが、これまでも有力メディアから中傷攻撃を浴び、今回の選挙を受けて彼は党首を辞めると表明した。トニー・ブレアのような人物を新しい党首にしようと支配層は考えているはずだ。 マーガレット・サッチャーの後継者と言われたブレアが労働党の党首になったのは1994年6月。1980年代に親イスラエルから親パレスチナへ軸を移動させていた労働党を親イスラエルへ引き戻し、サッチャー流の新自由主義を導入することになる。ブレアはイギリスとアメリカの連携を強める政策も推進したが、同じことを次の労働党の党首も求められるだろう。 不満の高まりはスコットランド、北アイルランド、ウェールズの独立問題を再燃させる可能性もある。スコットランドが独立した場合、北海油田の収入は90%がスコットランドへ入ると言われている。 独立運動には歴史的な背景がある。イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズの連合は支配層の都合で決められたのだが、その背後では住民の虐殺があり、その記憶は消えていない。 ウェールズは13世紀にイングランドの支配下に入り、1536年に統合された。スコットランドは1707年に、アイルランドは1801年にはアイルランドを飲み込んでいる。 その間、1649年にイングランドでは国王チャールズ1世が処刑され、地主や富裕な商工業者に支持されていた独立派のオリバー・クロムウェルが実権を握って独裁体制へ移行した。 ピューリタン革命だが、実権を握ったクロムウェルは騎士派(王党派)との戦いで手を組んでいた水平派を次に弾圧する。水平派は小農民や職人層に支持されていた。 それと並行してクロムウェルはアイルランドを侵略、住民を虐殺している。アイルランドの人口は虐殺前の1641年に147万人だったが、52年には62万人へ減っている。50万人以上は殺されたのだが、残りは「年季奉公」や「召使い」として売られたと言われている。事実上の奴隷だ。
2019.12.16
イギリスで12月12日に実施された総選挙は保守党が「地滑り的勝利」だと伝えられている。この結果に疑問を抱いている人もいるようだが、ひとつの結果は出たと言えるだろう。その結果を受け、労働党のジェレミー・コービンは次の選挙までに身を引くと表明した。 2016年6月にイギリスではイギリスのEUからの離脱、いわゆるBrexitに関する国民投票が実施され、52%が離脱に賛成しているが、その後、混乱が収まらなかったことから、今回の選挙をBrexitの信任投票だと位置づける人が少なくない。 しかし、勿論、選挙はそれだけにとどまらない。その結果によって国のあり方は少なからぬ影響を受ける。新自由主義を継続して富の集中と貧富の格差拡大を進めるのか、アメリカと共に侵略戦争を進めるかといったことを決めるものでもあった。 そうしたこともあり、アメリカやイギリスの情報機関、その手先である有力メディアは2015年9月にコービンが労働党の党首に選ばれて以来、露骨な彼に対する誹謗中傷を繰り広げてきた。「反ユダヤ」だ、北アイルランド過激派を支持している、コミュニズムに共鳴している、ロシアのスパイだと行った具合だ。日本にもこの宣伝を真に受けている人がいるようだ。 2016年に国民投票が行われた際、ジェイコブ・ロスチャイルドやジョージ・ソロスのような富豪は有力メディアで離脱すると不利益を被ると主張していたが、王室の周辺からは離脱に賛成する声が聞こえていた。 イギリスでBrexitを支持する人が少なくないのは、EUの非民主的な性格も影響している。堀田善衛はEUの前身であるECについて「幹部たちのほとんどは旧貴族です。つまり、旧貴族の子弟たちが、今ではECをすべて取り仕切っているということになります」(堀田善衛著『めぐりあいし人びと』集英社、1993年)と書いているが、1993年のマーストリヒト条約発効に伴って誕生したEUも基本的に同じだ。 イギリスがEUからの離脱へ進み始めた一因はギリシャの財政破綻にあるだろう。その大きな原因は第2次世界世界大戦や軍事クーデターによる国の破壊だったが、西側の有力メディアは年金制度や公務員の問題などを原因だと宣伝していた。 破綻のベースは戦争やクーデターなのだが、直接的な切っ掛けは2001年に通貨をドラクマからユーロへ切り替えたことにある。通貨の発行権を失ったギリシャは財政問題に対応できなくなったのだ。 本ブログでも書いてきたが、本来、ギリシャはその財政状況から通貨の切り替えはできないはずだった。財政状況の悪さを隠す手法をゴールドマン・サックスがギリシャのエリートに教え、それを可能にしたのだ。 その手法とは、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)などを使い、国民に事態を隠しながら借金を急増させ、投機集団からカネを受け取る代償として公共部門の収入を差し出すというもの。国を借金漬けにした後、「格付け会社」がギリシャ国債の格付けを引き下げて混乱は始まる。 そうした操作が続けられていたであろう2002年から05年にかけてゴールドマン・サックスの副会長を務めていたマリオ・ドラギは06年にイタリア銀行総裁、そして11年にはECB(欧州中央銀行)総裁に就任する。ECBが欧州委員会やIMFと組織する「トロイカ」がギリシャへの「支援』内容を決めてきた。その「支援」とは危機の尻拭いを庶民に押しつけ、債権者である欧米の巨大金融資本を助けるという緊縮財政だ。 西側支配層が目論んでいることを理解していたギリシャ人は「支援」を拒否、2015年1月に行われた総選挙では反緊縮を公約に掲げたシリザ(急進左翼進歩連合)に勝たせ、7月の国民投票では61%以上がトロイカの要求を拒否した。トロイカの要求に従うと年金や賃金がさらに減額され、社会保障の水準も低下し続け、失業者を増やして問題を深刻化させると考えたからだが、勝利したシリザは国民を裏切る。こうした情況を見たイギリス国民はEUからの離脱へ向かい始めたのだ。 Brexitを推進している支配層はイギリスとアメリカとの関係を強めようとしている。EUを動かしている政治家や官僚はアメリカに飴と鞭、つまり買収と恫喝でコントロールされていると見られているが、エネルギーやウクライナの問題でEUはアメリカの命令に従っていない。アメリカの支配システムは崩れ始めている現在、アングロ・サクソンの団結を強めようとしているのだろう。明治維新以来、日本を支配してきた勢力だ。 ヨーロッパにはNATOというアメリカの支配しすてむが存在している。そこからも不協和音が聞こえてくるが、それでもアメリカはNATOを使ってヨーロッパをコントロールし続けるつもりだろう。
2019.12.14
イギリスの労働党が本来の姿を取り戻したのは2015年9月のことだった。労働者の立場から発言、戦争に反対し、イスラエルによるパレスチナ弾圧を批判するジェレミー・コービンが党首に選ばれたのだ。 コービンは西側の有力メディアから「反ユダヤ」だと批判されているが、これはメディアが侵略、破壊、殺戮、略奪を支持する帝国主義者だということを示しているにすぎない。1994年7月から2007年6月まで労働党の党首を務めたトニー・ブレアは親イスラエル派の好戦派で新自由主義者だった。 イスラエルが出現してからイギリスの労働党はイスラエルと友好的な関係にあったが、1980年代に入って情況は変わっている。イスラエル政府によるパレスチナ人弾圧に対する批判が高まり、パレスチナ側へ軸が移動していくのである。 決定的だったと思えるのはサブラとシャティーラのパレスチナ難民キャンプにおける虐殺。ベイルートのキリスト教勢力、ファランジスト党のメンバーがイスラエル軍の支援を受けながら無防備の難民キャンプを制圧、その際に数百人、あるいは3000人以上の難民が殺されたと言われているが、イギリス労働党の内部でもイスラエルの責任を問う声が大きくなったのである。そうしたイスラエル批判はアメリカとの関係を見直すことにもつながった。 そこでアメリカのロナルド・レーガン政権はイギリスとの結びつきを強めようと考え、メディア界の大物を呼び寄せて善後策を協議した。そこで組織されたのがBAP(英米後継世代プロジェクト)だ。アメリカとイギリスのエリートを一体化させることが目的だが、その特徴のひとつは少なからぬメディアの記者や編集者が参加していたことにある。 そうした中、目をつけられたのがトニー・ブレア。1994年1月に妻とイスラエルへ招待され、3月にブレアはロンドンのイスラエル大使館で富豪のマイケル・レビーを紹介された。その後、ブレアの重要なスポンサーになるのだが、言うまでもなく真の金主はイスラエルだ。 米英の親イスラエル人脈にとって好都合なことに、労働党の党首だったジョン・スミスが1994年5月に急死、その1カ月後に行われた投票でブレアが勝利、党首になったのである。 レビーだけでなく、イスラエルとイギリスとの関係強化を目的としているという団体LFIを資金源にしていたブレアは労働組合を頼る必要がない。そこで国内政策はマーガレット・サッチャーと同じ新自由主義、国外では親イスラエル的で好戦的なものになる。これが日本でも評判になったニュー・レイバーにほかならない。ブレアがイラク侵略のために偽情報を流した理由はここにある。 ブレアはジェイコブ・ロスチャイルドやエブリン・ロベルト・デ・ロスチャイルドと親しいが、首相を辞めた後、JPモルガンやチューリッヒ・インターナショナルから報酬を得るようになる。 このブレアと全く違う政策を進めようとしているコービンをアメリカやイギリスの情報機関は引きずり下ろそうと必死だ。攻撃には偽情報も使っているが、その重要な発信源のひとつが2015年に創設されたインテグリティ・イニシアチブ。イギリス外務省が資金を出している。「偽情報から民主主義を守る」としているが、この標語は正しくない。その実態は偽情報を発信して民主主義を破壊するプロパガンダ機関だ。
2019.12.13
シリア市民防衛(SCD、通称「白いヘルメット」)の創設者で、イギリスの対外情報機関MI6の「元」オフィサーと言われているジェームズ・ル・ムズリエが死亡したのは11月11日のことだった。自殺とされていたが、ここにきて他殺説が強まっている。 トルコでの報道によると、ル・ムズリエは2階の窓から傾斜のある屋根へ出て10メートルほど歩き、7メートルほど下の道路へ落下している。当初、妻は夫が睡眠薬を飲んで午前1時半から2時半の間にベッドへ入ったとしていた。死んだのはその3時間から4時間後。死んだ時に着ていた服は寝る前と同じで、腕時計も外していなかった。 ル・ムズリエは2013年3月にトルコでSCDを編成、訓練を始めたとされているが、そのメンバーがアル・カイダ系武装集団と重複していることは早い段階から指摘されていた。そうしたことを示す動画や写真の存在するのだ。 その前年、2012年の8月にアメリカ軍の情報機関DIAはバラク・オバマ政権が支援している武装勢力はサラフィ主義者やムスリム同胞団が主力だとする報告書をホワイトハウスへ提出している。その中で政府軍と戦っている戦闘集団としてアル・ヌスラ(AQIと実態は同じだと指摘されていた)の名前を挙げ、オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるとも警告していた。その警告が2014年にダーイッシュ(イスラム国、IS、ISIS、ISILとも表記)という形で現実なったのである。 DIAの報告書がホワイトハウスへ提出された2012年8月、オバマ大統領はシリアに対する直接的な直接的な軍事介入のレッド・ラインは生物化学兵器の使用だと宣言した。12月には国務長官だったヒラリー・クリントンがシリアのバシャール・アル・アサド大統領は化学兵器を使う可能性があると語っている。 そして2013年1月29日付けのデイリー・メール紙には、イギリスの軍事関連企業ブリタム防衛の社内電子メールにオバマ政権がシリアで化学兵器を使ってその責任をアサド政権に押しつける作戦を大統領が許可したという記述があるとする記事が載る。(同紙のサイトからこの記事はすぐに削除された) 実際、3月にアレッポで爆発があって26名が死亡、そのときに化学兵器が使われたという話が流れた。シリア政府は侵略軍であるジハード傭兵が使用したとして国際的な調査を要請、それに対してイギリス、フランス、イスラエル、そしてアメリカは政府軍が使ったという宣伝を展開する。 そうした中、イスラエルのハーレツ紙は攻撃されたのがシリア政府軍の検問所であり、死亡したのはシリア軍の兵士だということを指摘してシリア政府軍が使ったとする主張に疑問を呈した。国連独立調査委員会メンバーだったカーラ・デル・ポンテも反政府軍が化学兵器を使用した疑いは濃厚だと発言している。 その後、アメリカをはじめとする国々は化学兵器話を繰り返すが、その「情報源」としてSCDは利用されてきた。 2015年9月末にシリア政府の要請でロシア軍が攻撃を始めてからジハード傭兵の支配地域が急速に縮小、武装集団が撤退した後の建造物でSCDと隣り合わせで活動していたことを示す証拠などがジャーナリストのバネッサ・ビーリーやエバ・バートレットらによって確認されている。 そうした事実が明らかにされたこともあり、ロシア外務省の広報官を務めるマリア・ザハロワは11月8日にル・ムズリエをイギリスの対外情報機関、つまりMI6に所属していたと指摘、「アル・カイダ」と彼がどのように関係していたかを明らかにするよう求めたわけだ。アメリカなど侵略勢力にとってル・ムズリエは自分たちにとって都合の悪い話を知りすぎた人物であり、その死は好都合だっただろう。
2019.12.12
ロシアのウラジミル・プーチン大統領とキエフ体制のボロディミル・ゼレンスキー大統領が12月9日にパリで会談した。ホスト役はフランスのエマニュエル・マクロン大統領で、ドイツのアンゲラ・メルケル首相も同席している。すでにゼレンスキー政権はロシアとの関係修復に向かっているが、問題はネオ・ナチとその後ろ盾であるネオコンだろう。 アメリカのバラク・オバマ政権は2013年からウクライナの合法政権をクーデターで倒す工作をはじめたが、14年2月の初めにビクトリア・ヌランド国務次官補とジェオフリー・パイアット駐ウクライナ大使との電話での会話がインターネット上に公開されている。その中でヌランドは話し合いでの解決を模索していたEUへの不満を「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」という表現で表した。 現在、ウクライナの戦闘を終わらせる工作を進めているフランスとドイツに対してもアメリカのネオコンは同じことを裏で叫んでいるかもしれない。 ウクライナでは今年7月21日に議会選挙があり、ゼレンスキーが創設者にひとりとして名を連ねる「国民のしもべ」が全体の約6割、254議席を獲得している。選挙期間中、ゼレンスキーはロシアとの関係修復を訴えていた人物で、議会選挙の直前にウクライナ東部にあるドンバス(ドネツクやルガンスク)における包括的な停戦でロシア政府と合意している。 ゼレンスキーがコメディアンとして出演していたテレビ局のオーナーであるイゴール・コロモイスキーはウクライナ、キプロス、イスラエルの三重国籍を持つシオニストで、2014年2月のクーデターではネオ・ナチ系武装組織アゾフ大隊に資金を提供していた。 クーデターの実態を知ったクリミアの住民は命からがら逃げ帰り、3月16日のロシアとの統合を求める住民投票につながる。80%以上の住民が参加した投票の結果、95%以上が加盟に賛成したのだ。その迅速な動きを西側の有力メディアは今でも批判している。 クリミアはクーデターで倒されたビクトル・ヤヌコビッチを支持する人が多い地域のひとつだが、ウクライナの東部や南部は総じて同じ傾向が強い。 南部の港湾都市のオデッサでも住民はクーデターに反対する行動を起こすが、5月2日にクーデター政権はネオ・ナチのグループを使ってそうした住民を虐殺した。この虐殺にコロモイスキーは関与したと言われている。 虐殺は4月下旬に開かれたクーデター政権の幹部による会議で話し合われたと言われている。出席したのは大統領代行、内相代行、SBU(治安機関)長官代行、ネオ・ナチの指導者であるアンドレイ・パルビー。そしてコロモイスキーもオブザーバーとして参加していた。 会議の前、4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問、その2日後にクーデター政権の大統領代行がウクライナ全域の制圧作戦を承認している。4月22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問、それにタイミングを合わせるようにしてオデッサに対する工作が話し合われたのだ。バイデンも反クーデター派住民の虐殺に関与した疑いがある。 それに対し、ドンバスではウクライナのクーデターに反対する軍人や治安部隊員が合流してキエフの送り込んだ戦闘部隊と戦い始めた。キエフ政権やその後ろ盾であるアメリカはふたつの可能性を考えていたのではないだろうか。ロシア軍が出て来なければ簡単に片付く。出てくればNATO軍を侵攻させて一気にロシアを制圧する。 しかし、ロシア軍は出てこず、ドンバスの反クーデター軍を潰すこともできなかった。もっとも、シリアでの戦闘でロシア軍はアメリカ軍より強いことが判明しているので、NATO軍とロシア軍がウクライナで衝突したならNATO軍は惨敗、核兵器を使用することになった可能性が高い。 クーデター後、キエフの街はネオ・ナチの武装集団が跋扈、ウクライナの経済は破綻。ウクライナ西部の親欧米派の住民もロシアとの関係修復を願うようになった。そしてゼレンスキーが選ばれたわけだ。 コロモイスキーも現在は戦争の継続を望んでいない。クーデターを利用した略奪は一段落、天然ガス会社ブリスマ・ホールディングス(本社はキプロス)も手に入れたとみられている。ビジネスでカネ儲けするためにはロシアとの関係修復が必要だと考えているのかもしれない。 言うまでもなく、このブリスマの重役としてバイデン前副大統領の息子、ハンター・バイデンが名を連ねていた。高額の報酬を得ていたのだが、ウクライナのアンドリー・デルカチ議員によると、バイデン前副大統領もブリスマからロビー会社を介して90万ドルを受け取っているという。 ブリスマのスキャンダルによって、バイデン親子だけでなくコロモイスキーも追い詰められることになり、ゼレンスキーはコロモイスキーから完全に自立できるかもしれない。
2019.12.11
ひとりのサウジアラビア空軍少尉がアメリカのフロリダ州にあるペンサコーラ基地で3名のアメリカ兵を殺害、8名を負傷させ、犯人の少尉も射殺されたと伝えられている。そのサウジアラビア軍将校はその基地で訓練を受けていたという。犯人の名前は公式発表されていないが、事件直後にはモハマド・アル・シャムラニという名前が流れていた。そのサウジアラビア軍の将校はその基地で訓練を受けていたと伝えられている。 この事件の詳細は不明だが、サウジアラビアの体制が揺らいでいることは本ブログでも書いた通り。そうしたことが反映した事件なのかもしれいない。 サウジアラビアを揺るがす事件が9月14日に引き起こされている。18機のUAV(無人機。ドローンとも呼ばれる)と7機の巡航ミサイルでサウジアラビアのアブカイクとハリスにあるアラムコの石油処理施設が攻撃されたのだ。9月28日にはサルマン・ビン・アブドラジズ・アル・サウド国王から最も信頼されていた警護責任者のアブドル・アジズ・アル・ファガム少将が射殺され、その翌日にはイエメンのフーシ派軍がサウジアラビアの3旅団を壊滅させたと発表している。 9月14日の攻撃についてアメリカのマイク・ポンペオ国務長官はイランによるものだと主張、モハメド・ビン・サルマン皇太子のほかイギリス、フランス、ドイツの政府も同意していたが、フーシ派は自分たちによる攻撃だとしていた。それまでに彼らは段階的にミサイルの飛距離を伸ばしていたこともあり、フーシ派の主張が正しいと見られている。 アル・ファガム少将はジェッダにある友人の家で個人的な諍いから殺されたとされているが、実際は宮殿で殺されたとする情報がある。殺害の黒幕はビン・サルマン皇太子で、イエメン情勢やジャマル・カショーギ殺害の真相を国王へ伝えたので殺したともいう。 イエメンではスーダン軍がサウジアラビアのために戦ってきた。その兵力は1万5000名ほどだったが、ここ数カ月で1万名を引き上げたとスーダンの首相は発言している。イエメンをサウジアラビアが制圧するという計画は破綻しているのだ。 またビン・サルマンは新自由主義を信奉しているが、その政策も当初の思惑通りには進んでいない。もっとも、新自由主義とは強大な私的権力に利益をもたらす仕組みで、導入した国は破壊されるものだが。 現在、サウジアラビアは財政赤字に陥っているが、その大きな原因は戦費の増大や石油相場の下落にあると見られている。両方ともアメリカ政府の政策に基づくものだ。 原油相場はバラク・オバマがアメリカ大統領だった2014年半ばから暴落している。その年の9月11日にアメリカの国務長官だったジョン・ケリーとサウジアラビアのアブドラ国王と紅海の近くで会談しているが、その会談でも相場引き下げについて話し合われたという。相場を暴落させる最大の目的はロシア経済を破綻させることにあったと推測されているが、これは失敗に終わった。傷ついたのはサウジアラビアやアメリカの石油業者だった。 ビン・サルマンが皇太子になれたのはドナルド・トランプとの関係だとされているが、皇太子はすでに国王の信頼を失ったとも言われている。皇太子の主導した政策がことごとく国家体制にダメージを与えているからだ。アル・ファガム少将の殺害はその影響かもしれない。 国王の信頼を失った皇太子はイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相やアメリカの傭兵会社に頼らざるをえないと言う人もいるが、ネタニヤフの立場は揺らぎ、イランに対する核攻撃の準備をしているという噂もある。ペンサコーラ基地の事件はサウジアラビアとアメリカとの関係を難しくした。そうした中、皇太子の弟であるハリド・ビン・サルマンが注目されている。
2019.12.10
タレク・ハッダドというニューズウィークの記者が12月6日に辞職した。リークされたOPCW(化学兵器禁止機関)の手紙に関する記事の掲載を編集部に拒否されたことに抗議しての行動だ。 本ブログでも書いたように、OPCWの幹部はシリアでの化学兵器使用に関する報告書を作成する際、アメリカ政府に都合よく調査結果を改竄していたことがウィキリークスが公表した電子メールなどで明らかになっている。 その前には、化学物質が入っていた筒状の物体は航空機から投下されたのではなく、人の手で地面に置かれていたことを証拠は示していることがOPCWで専門家の中心的な存在であるイラン・ヘンダーソン名義の文書で判明していた。 シリア政府軍がドゥーマで4月7日に化学兵器を使用したという話はSCD(シリア市民防衛/通称白いヘルメット)やアル・カイダ系武装集団のジャイシュ・アル・イスラムが流したもの。本ブログでは繰り返し書いてきたが、SCDは事実上、ジハード傭兵の医療部隊である。 その当時、すでにシリア政府はロシア政府のアドバイスに従い、化学兵器を廃棄していた。つまりそうした種類の兵器を保有していなかったのである。現地を調べた西側のメディアも化学兵器をシリア政府が使ったとする話を否定する報道をしている。 例えば、イギリスのインディペンデント紙が派遣していたロバート・フィスク特派員は攻撃があったとされる地域へ入り、治療に当たった医師らを取材、その際に患者は毒ガスではなく粉塵による呼吸困難が原因で担ぎ込まれたという説明を受けている。毒ガス攻撃があったことを示す痕跡はないという。 また、アメリカのケーブル・テレビ局OANの記者も現地を調査し、同じ内容の報告をしている。ロシア系のRTは西側の有力メディアが化学兵器の被害者だとして報道した子どもとその父親を取材、やはり化学兵器が使用されたという話を否定している。 しかし、アメリカ、イギリス、フランス3カ国の軍隊は2018年4月、OPCWが調査を行う前にシリア政府が化学兵器を使用したとして100機以上の巡航ミサイルでシリアを攻撃しているのだ。 この攻撃を正当化する話を流したSCDを創設したのはイギリスの元軍人で傭兵会社に所属したこともあるジェームズ・ル・ムズリエ。2000年に退役した後にオリーブ・グループという傭兵組織の特別プロジェクトの幹部になるが、この組織は後にアカデミ(ブラックウォーターとして創設)に吸収されている。その後コンサルタントの仕事を経てSCDをトルコで創設したのだが、この組織へはCIAからも資金が入っている。 そのル・ムズリエは11月11日にトルコで死亡した。自宅のバルコニーから転落したとされているが、他殺説もある。その3日前にロシア外務省はル・ムズリエと「アル・カイダ」との関係を正確に説明するように求めていた。ロシア政府は彼がMI6の仕事をしていたともしている。そこで、何ものかによって口封じのために殺されたのではないかというわけだ。この人物が深く関係している化学兵器の話をアメリカの有力週刊誌は掲載を拒否したということである。
2019.12.09
ロシアのエネルギー会社ガスプロムは天然ガスをヤクーツクから沿海地域のウラジオストックへ運ぶパイプラインを建設しているが、そのうち中国への分岐点であるブラゴベシチェンスクまでが完成、中国への天然ガス供給が始まったようだ。 経済発展に比例して中国の天然ガス需要は増え、その輸入量は近い将来に日本を上回ると見られているが、そうした需要の増加があってもロシアからの供給システムが整備されれば、アメリカに依存する必要はない。 ロシアとしても中国という巨大市場を獲得できればヨーロッパに気兼ねする必要がなくなり、ヨーロッパはロシアとの関係を悪化させればアメリカに対する従属度が高くなる。ドイツがアメリカの圧力をはねのけてパイプラインの北方ルートであるノードストリーム2の建設を進めている理由はそこにあるのだろう。ロシアの制圧を長期戦略として持つアングロ・サクソン系支配層はロシアの再属国化を目指して軍事的な圧力を強めているが、そのロシアは脅しに屈しない。 本ブログでも繰り返し書いてきたが、すでにアメリカ支配層は核戦争で脅しているが、それでもロシアは屈しない。中国も同じだろう。些細な刺激で全面核戦争が勃発する危険性が高まっているのだが、そうなった場合、ヨーロッパは消滅する。日本も同じだ。アメリカは生き残るつもりらしいが、それは無理だろう。EUの内部でアメリカに対する不信感が高まっても不思議ではない。 そのヨーロッパにはNATO(北大西洋条約機構)という軍事組織が存在する。創設の目的はソ連の軍事侵攻に備えることにあるとされたが、当時のソ連には西ヨーロッパへ攻め込む能力はなかった。何しろドイツとの戦闘でソ連の国民は2000万人以上が殺され、工業地帯の3分の2が破壊されていたのだ。創設には別の目的があった。 NATOが創設される前、破壊活動を目的とする秘密部隊がすでに存在していた。その源は第2次世界大戦の終盤、ナチスと戦っていたレジスタンに対抗するために設立されたジェドバラだ。 その秘密部隊は1948年当時、西側連合秘密委員会(CCWUまたはWUCC)に統括されていたが、NATOが作られるとその中へ入り込む。1951年からはCPC(秘密計画委員会)の下で活動することになった。1957年にはSACEUR(欧州連合軍最高司令官)の命令でCPCの下にACC(連合軍秘密委員会)が創設され、秘密部隊を指揮するようになった。 NATOの全加盟国に秘密部隊は設置されたが、名称は別。中でも有名な部隊は1960年代から80年代にかけてテロ活動を繰り返したイタリアのグラディオだろうが、1961年に創設されたフランスのOAS(秘密軍事機構)もそのシステムに組み込まれていたと言われている。 OASはその年の4月にスペインのマドリッドで秘密会議を開き、CIAの代表を交えてアルジェリアでのクーデター計画について討議している。アルジェリアの主要都市を支配し、パリを制圧するという計画で、それにはフランス軍の将軍4名が参加していた。 そうした動きを知ったアメリカのジョン・F・ケネディ大統領はジェームズ・ガビン駐仏アメリカ大使に対し、必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝えるように命じている。結局、クーデターは4日間で崩壊してしまう。 1962年1月にOASの幹部は逮捕され、5カ月後にOASは休戦を宣言する。クーデターを阻止したド・ゴールはフランスの情報機関であるSDECEの長官を解任し、その機関の暗殺部隊と化していた第11ショック・パラシュート大隊を解散させた。 しかし、ジャン-マリー・バスチャン-チリー大佐に率いられたOASの一部は納得せず、8月にパリでド・ゴール大統領の暗殺を試み、失敗している。暗殺計画に加わった人間は9月にパリで逮捕された。一方、フランスでのクーデターを阻止したケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺されている。 その3年後の1966年にフランス軍はNATOの軍事機構から離脱、翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出す。そのSHAPEはベルギーのモンス近郊へ移動した。ド・ゴールはNATOがヨーロッパをアメリカが支配する仕組みだと見抜いていたのだろう。 そのNATOがここにきて揺らいでいる。アメリカとEUの利害対立が強まっていることに加え、アメリカ支配層の内部で抗争が激しくなっているからだろう。そうした不協和音を示すとみられる映像も流されている。
2019.12.09
今から39年前、1980年12月8日にジョン・レノンがマーク・チャップマンに射殺されたと言われている。銃撃時にチャップマンはレノンの右側にいたのだが、レノンは左から撃たれたとして、別の銃撃者がいたとする説を唱える人もいるのだ。銃撃後にチャップマンはその場から逃げようとせず、その場でJ・D・サリンジャーの小説『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいたという。(Lisa Pease, “A Lie Too Big To Fail,” Feral House 2018) 当初、チャップマンはレノンのファンだとされたが、イギリスの弁護士でジャーナリストとしても活動していたフェント・ブレスラーによると、実際はトッド・ラングレンのファンで、福音主義(キリスト教原理主義)の信者だともいう。(ファントン・ブレスラー著、島田三蔵訳『誰がジョン・レノンを殺したのか?』音楽之友社、1990年) チャップマンはホノルルの銃砲点で38口径のリボルバーを購入した後、1980年11月にジョージア州アトランタで弾丸を受け取り、ニューヨークを経由してハワイへ戻り、シカゴで過ごしてから12月6日にニューヨークのラ・ガーディア空港へ到着、そのままYMCAのホステルへ入り、翌朝にはチェックアウトして別のホテルへ移動、そして8日の朝を迎えた。その間、チャップマンを誘導していたのがアトランタの保安官事務所で働いていたダナ・リーブス(ジーン・スコットという偽名を持つ)だと言われている。 レノンが殺される前の月にはアメリカの次期大統領を決める投票があり、ロナルド・レーガンが勝利した。副大統領になったのは共和党の候補者選びでライバルだったジョージ・H・W・ブッシュ。CIAの好戦派はブッシュを支援していた。 レーガンは1981年1月に大統領となるが、3月にジョン・ヒンクリーに銃撃された。この銃撃犯の兄、スコット・ヒンクリーは副大統領の息子であるニール・ブッシュの親友で、夕食をともにするほどの中だった。銃撃の日も食事をともにしていたという。レーガンが殺されたなら、言うまでもなく、副大統領のブッシュが大統領になる。 本ブログでは何度か書いたが、この当時、世界情勢は緊迫していた。1970年代の終盤、ジミー・カーター大統領の国家安全保障補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーはソ連をターゲットにした秘密工作をアフガニスタンで開始、1979年12月にはNATO理事会がパーシング2ミサイル572基を1983年にNATO加盟国へ配備することを決定している。 それに対し、核戦争を懸念する人びとは反戦/反核運動を始める。レノンが生きていればそうした運動に参加した可能性は小さくない。そうなると運動はさらに盛り上がったことだろう。レノンの死後、1981年10月に西ドイツのボンで開かれた反核集会には約30万人が集まったというが、レノンがいれば参加者はそれを遙かに上回っていたはずだ。 すでに1980年10月にレノンは5年ぶりのシングル「スターティング・オーバー」を、また11月にはアルバム「ダブル・ファンタジー」をリリース、政治問題、社会問題に対しても行動を起こそうとしていた。つまり支配層に彼は警戒されていただろう。 レーガン大統領は1982年にNSDD(国家安全保障決定指令)55を出して一種の戒厳令プロジェクトであるCOGを承認、憲法の機能を停止させる準備を始める。これは核戦争を前提にしたものだったが、1988年に大統領令12656が出され、その対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更された。つまり支配階級が国家安全保障上の緊急事態だと判断すれば憲法の機能を停止できるようになったのである。2001年9月11日の出来事がそれだと考えている人も少なくない。 COGが承認された1982年、レーガン大統領はイギリス下院の本会議で「プロジェクト・デモクラシー」という用語を公の席で初めて使った。ベトナム戦争にしろ、ラテン・アメリカでの秘密工作にしろ、アメリカには「侵略」というイメージがついていた。そこで「民主主義」というタグをつけて侵略することにしたと言える。その後、「人道」や「自由」といったタグも使われるが、そのタグを受け入れ、飛びついた人は少なくない。 1980年代にアメリカの支配層は支配システムを作り替えた。ファシズム化だ。COGにしろプロジェクト・デモクラシーにしろ、そうしたファシズム化の一環だが、そうした計画にとってレノンのようなスーパースターは邪魔だったはずだ。
2019.12.08
未成年の男女を欧米の有力者に提供する一方、その証拠を利用して脅し、コントロールしていたというジェフリー・エプスタインが拘留中に死亡したのは8月10日のことだったが、この死についても、彼が行ったとされる犯罪、その背後にある情報機関の工作、その情報機関を動かしている私的権力についての調査は進んでいない。 エプスタインが死ぬ前日に同房者はほかへ移動、問題の瞬間における監視カメラの映像は利用できない状態で、彼が死んだ時に担当の看守ふたりは過労で居眠りしていたとされている。 この説明が不自然だということもあり、口封じの為に殺されたと考える人は少なくない。シリアのバシャール・アル・アサド大統領も11月14日にロシアのテレビ局のインタビューで、エプスタインはアメリカやイギリスをはじめとする各国要人の秘密を知りすぎていたので殺されたと語っている。 それに対し、アメリカの公式見解では自殺とされ、ウィリアム・バー司法長官もその見解を支持している。長官は存在しないはずの監視映像を調べたらしい。 他殺だということになると実行犯は誰なのか、なぜ殺したのか、その背後関係はどうなっているのかといったことを調べざるをえなくなる。少なくとも報告しなければならない。現在、アメリカでは権力抗争が激しくなっているが、そうした調査は権力システムそのものを揺るがすことになる可能性が高く、避けたいだろう。 エプスタインの死因がどうであれ、彼の行っていたことは調べねばならないのだが、その調査が真剣に行われるようにも見えない。すでにビル・クリントン、ドナルド・トランプ、イスラエルの首相だったエフード・バラク、ハーバード大学のアラン・ダーショウィッツ教授、そしてイギリスのアンドリュー王子などの名前がエプスタインの「友人」として挙がっているのだが、それだけではないだろう。アサド大統領が言うように、アメリカやイギリスをはじめとする各国の要人だ。 すでに本ブログでも書いたことだが、エプスタインは今回と同じ容疑で2005年に逮捕されている。少なくとも未成年者に対する性的な犯罪であり、人身売買とも言えることが行われてきた。重大な犯罪のように思えるが、処罰は軽かった。 その時に事件を地方検事として担当したアレキサンダー・アコスタによると、エプスタインは「情報機関に所属している」ので放っておけと言われたという。 エプシュタインだけでなく、彼の妻だったギスレイン・マクスウェル、そのの父親であるミラー・グループの総帥だったロバート・マクスウェルはイスラエルの情報機関のエージェントだったと言われている。 その情報機関は「モサド」だと言われることが多いが、かつてイスラエル軍の情報機関の中枢にいたアリ・ベンメナシェによると、ロバート・マクスウェルはイスラエル軍の情報機関に所属、娘のギスレインやエプスタインも同じだという。(Zev Shalev, “Blackmailing America,” Narativ, Septemner 26, 2019) このロバートは1960年代からイスラエルのために情報活動を続けていたと言われ、イラン・コントラ事件やソ連消滅の際にも名前が出てくる。そのロバートはソ連消滅の直前、1991年11月にカナリア諸島沖で死体となって発見された。 若い女性や男性を提供し、その事実を恫喝に使うという仕組みはエプスタインの前から行われていた。前任者と考えられているのは赤狩り時代にFBIのJ・エドガー・フーバー長官とジョセフ・マッカーシの間に入っていた弁護士のロイ・コーン。立場はマッカーシーの法律顧問だった。後にトランプの顧問弁護士になる人物だ。 コーンは禁酒法時代に密造酒で大儲けしたルイス・ローゼンスティールと「親子のように」緊密な関係にあり、犯罪組織のガンビーノ・ファミリーのメンバー、例えばジョン・ゴッチとも緊密な関係にあったとされている。 ローゼンスティールの同業者で親しい間柄だったのがサミュエル・ブロンフマン。その息子であるエドガー・ブロンフマンもイスラエルの情報機関とつながっていた、あるいは動かす立場にあったと言われている。 エプスタインの事件は強大な私的権力が世界を操る仕組みを暴く突破口になる可能性がある。フランクリン・ルーズベルトの定義によると、私的権力が世界を操るシステムはファシズムであり、民主化するためにはそのシステムの実態を暴き、破壊しなければならない。 エプスタインの犯罪行為を3年前にアメリカのネットワーク局ABCは知っていたことが明らかにされている。アンドリュー王子やクリントンらとの関係を強要されていたという女性の告発を聞いていたのだ。その告発者は裏づけになる写真を持っていたという。その告発は握りつぶされた。私的権力が世界を操るシステムを揺るがすような「報道」は許されないのだ。 ウォーターゲート事件で活躍したカール・バーンスタインは1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」というタイトルの記事をローリング・ストーン誌に書いた。ワシントン・ポスト紙では書けなかったということだろう。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) その記事によると、20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、そのうち200名から250名が記者や編集者など現場のジャーナリストで、残りは、出版社、業界向け出版業者、ニューズレターで働いていた。また1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとCIAの高官は語ったという。 しかし、その後、有力メディアの所有者は一部に集中、プロパガンダ色は濃くなっている。2001年9月11日以降、そうした傾向は強まり、今では「報道」から事実を探し出すことが難しくなっている。 偽情報を流しているわけだが、そうした実態を明らかにする情報を潰すことにも熱心だ。そうした作業を彼らは「ファクト・チェック」と呼ぶ。 そうした有力メディアが封印してきたアメリカ支配層の悪行を明らかにしたウィキリークスは攻撃されてきた。その創設者のひとりであるジュリアン・アッサンジはイギリスで拘束され、重大犯罪の容疑者が収容されるベルマーシュ刑務所へ入れられている。その重罪犯罪とは、アメリカの支配層にとって都合の悪い情報を公表したことだ。 その刑務所でアッサンジを尋問しているアメリカ人は国防総省、FBI、CIAに所属している人びとだと言われ、BZ(3-キヌクリジニルベンジラート)という薬物が使用されていると伝えられている。これを使うと幻覚を生じさせ、現実と幻覚を混乱させるほか、昏睡、物忘れなどを含む意識障害、あるいは運動失調症を引き起こすという。 現在、アッサンジは法廷で自分の名前を言うこともままならない状態のようで、検察官がアメリカ大使館員の指示に従っている光景も見られたと報告されている。そうした状態のアッサンジを速やかに入院させるべきだとする嘆願書を80名以上の医師がイギリスの内務省に対して提出した。 アメリカの支配システム下では、「言論の自由が危ない」というような脳天気なことを言っていられる状態ではない。むのたけじが「新聞・放送・出版・写真・広告の分野で働く800人の団体」が主催する講演会の冒頭で「ジャーナリズムはとうにくたばった」と語ったのは1991年のことだった。
2019.12.07
12月に入り、アメリカの無残な医療制度を取り上げた記事を目にした。(ココやココ)アメリカの医療制度が大きな問題を抱えていることは有名な話で、2007年に公開されたマイケル・ムーアのドキュメンタリー映画「SiCKO」でも描かれている。公教育と同じように、医療制度もアメリカでは破綻しているのだ。 そうした中、バラク・オバマ政権が医療保険制度改革を打ち出すと、日本では「リベラル派」と見なされている「ジャーナリスト」はそれを褒めそやしていた。が、これは私企業の保険に加入することを国が罰金付きで強制した制度にすぎない。 保険会社のカネ儲けにとっては改善かもしれないが、庶民にとっては改悪。医者にかかる必要のない健康な人や富裕層には問題が見えないかもしれないが、貧困層にとっては地獄。 そのアメリカでは臓器の移植が進んでいる。広域暴力団の中で最大の山口組に属す後藤組を率いていた後藤忠政(本名:忠正)が2000年から04年にかけてロサンゼルスにあるUCLAの医療センターで腎臓の移植手術を受けたのもそのためだ。強大な犯罪組織の大物でも入国できるのがアメリカ。 アメリカでは貧困層が血液や臓器を売っているようだが、密売も盛んなようだ。臓器密売は国際的なネットワークもあり、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷で検察官を務めたカーラ・デル・ポンテの著作で(Chuck Sudetic, Carla Del Ponte, “La caccia: Io e i criminali di guerra,” Feltrinelli, 2008)、また欧州評議会のPACE(議員会議)のメンバーだったディック・マーティの報告書でも指摘されている。 臓器移植の盛んなイスラエルではパレスチナ人の「死体」から家族の承諾を得ずに臓器が取り出されている。「新鮮な臓器」を調達するために殺しているという噂もある。こうした噂はアメリカでも流れているようだ。経済的に医療を受けられない人びとは富裕層にとって臓器ストックのようなものになりつつあるのかもしれない。 世の中の出来事は全て神の予定に従って起こっているという教義を信じている人びとにとって、貧者の臓器を取り去って富者へ移植することも神の意志なのだろう。
2019.12.06
中国での戦争が泥沼化していた日本軍は1941年12月7日(ハワイ時間)、守りが堅いと言われていたハワイの真珠湾を奇襲攻撃した。 その直前、アメリカ政府は日本に対する石油の輸出を禁止していたと言われているが、フランクリン・ルーズベルト大統領はその当時、日本に対する石油の禁輸は「日本をインドシナへ駆り立てる」として消極的で、1937年より前の日本に対する石油輸出量は維持するとしていた。それに対して財務省は石油代金の支払い方法で日本に圧力を加えていたという。(岩間敏「戦争と石油(1)」石油・天然ガスレビュー、2006年1月) そうした中、日本軍はアメリカと戦争を始めたわけだが、その直前に行われた日本側の試算によると、アメリカと戦争を始めてから3年目には石油が不足すると見通されていた。ところが、石油がそのように劇的に不足することはなかったようだ。 その当時、全世界における石油生産量の約半分はアメリカが占めていた。1941年6月にソ連へ向かって進撃を開始したドイツの場合、アメリカのスタンダード石油から石油の供給を受けている。日本とアメリカとの間で戦争が始まったことでドイツへ石油を直接売ることが難しくなったスタンダード石油はベネズエラにあった支社からスイス経由でドイツ占領下のフランスへ売り、そこからドイツへ運んでいたという。 ドイツの戦争は1938年10月1日にチェコスロバキアのスデーテン地方を占領したときに始まるという見方がある。9月にドイツのミュンヘンでスデーテン地方の帰属を巡る英仏伊独の首脳会談が開かれ、ドイツへの割譲が認められることになったことにともなう動きだ。その時、ポーランド軍がチェシン・シレジアへ、またハンガリー軍がカルパティア・ルテニアへ侵攻してくる。ただ、この見方を採用するとポーランドを犠牲者として描くことが難しくなる。 それに対し、ドイツを警戒していたソ連はイギリスやフランスに対し、ドイツとの国境線まで軍隊を派遣すると提案したのだが、受け入れられなかった。そうした対応が1939年8月23日の独ソ不可侵条約につながるという考え方もある。 その年の5月11日にノモンハン付近で満州国警備隊と外モンゴル軍が交戦した。日本側は関東軍が陸軍省と参謀本部の方針を無視して戦闘を継続、外モンゴル軍との相互援助条約に基づいて派兵されたソ連軍と衝突する。8月下旬にはソ連軍の機械化部隊が攻勢、日本軍は大敗した。その頃、ドイツとソ連が不可侵条約を締結する。そして日本軍の目は東南アジアへ向く。 1941年6月にドイツ軍約300万人は東へ向かって進撃を開始した。西部戦線に残った戦力は約90万人と言われている。西側は手薄になった。この非常識な作戦はアドフル・ヒトラーが主導したものだ。 ヒトラーは不可解な命令を出すことがある。例えば、1940年5月下旬から6月上旬にかけてイギリス軍とフランス軍34万人がフランスの港町ダンケルクから撤退したが、その時、ドイツ軍に対して追撃を止めている。その命令がなければイギリス軍とフランス軍は壊滅していた可能性が高い。 1941年12月に入る頃、ルーズベルト政権は日本軍がアメリカの利権にかかわる「どこか」を攻撃すると予想、マレー半島へ日本の艦船が近づいていることに注目している。その周辺を日本軍は狙っていると考えるのが常識的な見方だったが、実際は12月7日に真珠湾を奇襲攻撃したわけである。 アメリカ軍やイギリス軍は太平洋で日本軍と戦ったが、ソ連へ攻め込んだドイツ軍とは戦っていない。そのドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入する。 その段階ではドイツ軍が優勢だったが、11月になって戦況が一変した。ソ連軍が反撃に転じ、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲されてしまうのだ。1943年1月に生き残ったドイツの将兵9万1000名は降伏する。それまでアメリカやイギリスはソ連とドイツの戦いを傍観していた。 スターリングラードでドイツ軍が敗北した後、アメリカとイギリスは慌て、1943年5月にワシントンDCで会談、7月にアメリカ軍とイギリス軍はシチリア島に上陸した。ハスキー計画である。ハリウッド映画で有名になったノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月だ。この際、ドイツ軍のアーウィン・ロンメルは有効な対応策を立てたが、ヒトラーに拒否されたという。ヒトラー暗殺が試みられたのはその翌月のことだ。
2019.12.06
香港では学生と見られるグループが石や火炎瓶を投げ、建造物を破壊、交通機関を止め、中国系メディアのオフィスを襲撃し、洋弓で矢が射ると行った状況になった。そうした中、70歳の街路清掃人が投げられた石があたって死亡し、反中国派に抗議する57歳の男性、リャン・チーチャン(梁志祥?)が可燃性の液体をかけられ上に火をつけられて大火傷を負っている。 火だるまになった男性は体の28%を火傷して入院。回復しつつあると言われているものの、10日にわたって意識がなかったという。男性に火をつけたのは20名余りの反中国派で、すぐに現場から逃走した。 破壊活動は香港経済に大きなダメージを与え、市民から支持されているようには見えないが、11月24日に実施された区議会選挙では、「民主化」を掲げる勢力が議席の約8割を獲得したという。この勢力と破壊活動を続ける学生は別だと認識しているのかもしれない。 そうした香港にウクライナのネオ・ナチが現れ、話題になっている。ナチス、あるいは白人至上主義を誇示するような入れ墨をしたヨーロッパ系の人間がアジアに現れれば目立つ。にもかかわらずウクライナのネオ・ナチが香港を訪れ、その時の写真をインターネット上で公開しているということは、自分たちと香港の反中国運動が連携していると宣伝したいのかもしれない。
2019.12.05
アメリカとロシアとの間で核戦争が始まる可能性が高まっていることを懸念する発言をミハイル・ゴルバチョフが西側の有力メディアに対して行っている。(ココやココ) 軍事的な緊張が高まっていることは事実だが、その原因は脅せば屈するというアメリカ支配層の考え方にある。その相手が脅しに屈しない場合、脅しはエスカレートしていく。現在のロシアや中国がそうした相手で、ヒラリー・クリントンは脅しを全面核戦争まで引き上げていた。 そこでロシアとの関係修復を訴えるドナルド・トランプが出てくるのだが、脅せば屈するという考え方を放棄しない勢力はトランプを潰しにかかった。ロシアとの関係修復という当初の方針を彼は捨てたように見える。 何をしでかすかわからないと相手に思わせれば、自分たちが望む方向へ流れを持って行けるという「狂人理論」を最初に打ち出したのはリチャード・ニクソンだと見られている。 ニクソンは1953年1月から61年1月までドワイト・アイゼンハワー政権の副大統領だった。大統領に就任して間もない段階でアイゼンハワー泥沼化していた朝鮮戦争を終わらせようとしたが、その際、新大統領は中国に対し、休戦に応じなければ核兵器を使うと伝えたとされている。実際、その年7月に休戦は実現した。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017) このやり方をニクソンはベトナム戦争の際に使っている。北ベトナムに対する核攻撃の計画を1969年10月から11月の期間に作成したというのだが、このやり方を現在のアメリカ支配層、特にネオコンは信奉している。イスラエルの国防大臣などを務めたモシェ・ダヤンも似たような考え方の持ち主で、イスラエルは狂犬のようにならなければならないと口にしていたという。 ゴルバチョフがソ連の大統領に就任する直前からジョージ・H・W・ブッシュやネオコンを含むアメリカの勢力は軍事的な緊張を高めていた。本ブログでも何度か書いたが、1980年代の前半にアメリカとソ連は全面核戦争の寸前まで行っている。アメリカの好戦派はソ連を核戦争で脅していたように見える。 そうした圧力の中、牧歌的な欧米信奉者のゴルバチョフはソ連解体への道を歩き始め、1991年7月にはロンドンで開かれたG7首脳会談に参加している。呼び出されたと言うべきかもしれない。そこでゴルバチョフは新自由主義を導入するように言われたが、それが何を意味するかを理解した彼は拒否した。 G7の翌月にソ連ではクーデター騒動があり、ゴルバチョフは失脚、西側の傀儡だったボリス・エリツィンが実権を握り、12月8日にソ連解体を勝手に決めている。 そうした事態を想定していなかったソ連は対応できず、1990年代の惨状を招くことになった。国の資産は略奪され、大多数の国民は貧困化、貧富の差が拡大して街は犯罪が横行する。その一方でクレムリンの腐敗勢力と手を組んで巨万と富を手にした人たちが出現する。いわゆる「オリガルヒ」だ。 そうしたソ連解体作業の中心にはジョージ・H・W・ブッシュなどCIA人脈と結びついたビクトル・チェブリコフをはじめとするKGB人脈が存在していたと言われている。クレムリンの腐敗勢力の中心にはエリツィンの娘であるタチアナがいた。 ソ連の消滅でアメリカは唯一の超大国になったと考えたアメリカの好戦派は潜在的なライバルを潰し、資源国を制圧する戦争を始める。アメリカ支配層は誰に気兼ねすることなく侵略、破壊、略奪を実行できるようになったと考えたのだ。必然的に国連も無視するようになる。国連中心主義を打ち出していた細川護熙政権が潰されたのはそのためだ。 勝利の喜びに酔いしれていたアメリカ好戦派に冷水を浴びせることになるのがロシアのウラジミル・プーチン。自分たちの操り人形だと考えていたプーチンが反旗を翻したのだ。そこでアメリカの支配層はロシア、そして中国を再び核戦争で脅している。核戦争の危機を本当に感じているなら、ゴルバチョフはアメリカを中心とする西側支配層を非難、対峙しなければならない。
2019.12.05
ボリビアでエボ・モラレス大統領が11月10日に「辞任」したのは同国軍の最高指揮官だったウィリアム・カリマンから「最後通牒」を受けてのことだった。12日に上院の副議長だったヘアニネ・アニェスが「暫定大統領」を名乗るが、これは軍と警察が彼女についたことで実現したわけである。この大統領辞任は軍事クーデター以外の何ものでもない。 本ブログでもすでに書いたことだが、クーデターにはカリマンのほか、マンフレド・レイェス・ビラ、レンベルト・シレス・バスケス、ジュリオ・セーザ・マルドナド・レオニ、オスカル・パセロ・アギレ、テオバルド・カルドソ・ゲバラといった軍幹部が参加しているが、いずれもアメリカが手先になる軍人を育成するために創設した治安協力西半球研究所(WHISCまたはWHINSEC)で訓練を受けている。この軍事施設はかつてSOA(南北アメリカ訓練所)と呼ばれていた。今回の軍事クーデターの黒幕はアメリカ支配層だということだ。 モラレスは今年10月20日に実施された選挙で大統領に選ばれた。その結果を受け入れたくないアメリカの支配層が軍事クーデターを仕掛けたのである。そのアメリカ支配層に選ばれたのがキリスト教系カルトのアニェスだった。先住民の伝統的な儀式を「悪魔的」と表現、その先住民を都会から追い出して乾燥した高原地帯へ追いやるべきだと主張していた人物でもある。 この「暫定政権」はクーデターに抗議する先住民を虐殺、中央銀行から金塊や現金を持ち出している。アメリカは解体された直後のソ連、リビア、ウクライナでも金を盗み出していた。どこへ運ばれたかは不明だが、おそらくクーデターの背後にいる私的権力だろう。 少なからぬ人が指摘しているが、アメリカがクーデターでボリビアを再び支配しようとした理由のひとつは電池を製造するために需要が急増しているリチウムにある。その資源はボリビア、チリ、アルゼンチンにまたがる地域に存在、ボリビアだけで埋蔵量は世界全体の5割から7割と言われている。電池自動車の実用化が進んでいる中国がボリビアとの関係を強めていた一因はそこにあった。 「暫定政権」はイスラエルとの国交回復も打ち出している。モラレス政権はイスラエルのパレスチナ人弾圧に抗議して関係を断ち切っていたのだ。 ボリビアでは1980年7月にも軍事クーデターがあった。そのスポンサーが麻薬業者だったことから「コカイン・クーデター」と呼ばれているが、その計画を作成したのはナチス時代のドイツにおける政治警察ゲシュタポの幹部だったクラウス・バルビーだと言われている。バルビーはアメリカ政府によってラテン・アメリカへ逃げていた。 アメリカはウクライナのクーデターでネオ・ナチを使っているが、ボリビアのケースを見てもわかるように偶然ではない。アメリカの支配層にとってナチズムの信奉者は仲間なのだ。シオニストと同じように。
2019.12.04
メキシコの麻薬組織が西側の巨大銀行と結びついていることは西側の有力メディアも伝えてきた。2008年の金融破綻、いわゆるリーマン・ショックを処理する際に麻薬資金も重要な役割を果たしたと伝えられている。UNODC(国連薬物犯罪事務所)のアントニオ・マリア・コスタによると、麻薬取引で稼いだ利益3520億ドルの大半が経済システムの中に吸い込まれ、いくつかの銀行を倒産から救った可能性があるという。 しかし、それ以上に深く関係しているのはCIAである。アメリカ政府が主張する「麻薬との戦争」は「テロとの戦争」と同じように、侵略する際に使うタグのバリエーションのひとつにすぎない。 サリナス・デ・ゴルタリ家はメキシコの麻薬カルテルと関係が深いが、その一族に属すカルロス・サリナス・デ・ゴルタリは1982年から87年にかけて予算企画大臣、88年から94年にかけて大統領を務めた。その期間にNAFTAに署名してアメリカ支配層のために尽くしている。 1980年代にCIAはニカラグアの革命政権を倒すため、アメリカ支配層の傀儡だったソモサ家の手先である国家警備隊を中心に「コントラ」なる武装集団を組織した。 その革命集団は「サンディニスタ」と呼ばれるが、その名称は1920年代から30年代にかけてアメリカ軍と戦ったニカラグアの英雄、アウグスト・サンディーノに由来している。 アメリカ大使のアーサー・レインは1933年にサンディーの暗殺を計画、アナスタシア・ソモサ・ガルシアというアメリカの手先として働いていた人物が実行することになった。 1934年2月にソモサ配下の国家警備隊がサンディーノを拉致のうえ射殺し、サンディーノ支持者やその家族も殺害。1936年にソモサは実権を掌握、その翌年には大統領に就任した。そしてソモサ家の独裁体制が始まる。このソモサ家はイスラエルなる国が出現する前、シオニストを支援していたことでも知られている。 ロナルド・レーガン政権でコントラを支援する秘密工作を指揮していたのは副大統領だったジョージ・H・W・ブッシュ。その息子、ジェブ・ブッシュはスペイン語が流暢だと言うこともあり、工作で重要な役割を果たした。つまり、麻薬取引に関係していた可能性が高い。 そのジェブが親しくしていたひとりがカルロス・サリナス・デ・ゴルタリの兄、ラウル・サリナス・デ・ゴルタリ。1990年代には「麻薬の親玉」と呼ばれていた。メキシコにおける麻薬カルテルの中心的な存在だったということだ。ふたりの父親、ラウル・サリナス・ロザーノも麻薬カルテルの中心にいた。この一家とはジョージ・H・W・ブッシュも親しかった。 本ブログでは何度か指摘したが、ジョージ・H・W・ブッシュはエール大学に在学中、CIAにリクルートされた可能性がきわめて高い。エール大学におけるCIAのリクルート担当者と親しくしていただけでなく、父親のプレスコットが仕事の関係でアレン・ダレスと親しかったのである。 ベトナム戦争の際にCIAは東南アジアの山岳地帯で栽培したケシを原料とするヘロインで儲け、アフガニスタンで秘密工作を始めてからはパキスタンからアフガニスタンにかけての山岳地帯へケシの主要産地を移動させ、やはりヘロインを主に生産して売りさばいてきた。麻薬取引の中心にはCIAが存在している。
2019.12.03
ウクライナは2020年の終わりから21年にかけての時期に破産するだろうと言われている。それを前提とすると思われる動きも見られる。 2014年2月のクーデターで排除されたビクトル・ヤヌコビッチ大統領は国の破綻を避けるため、ロシアに接近していたが、それに怒った西側の支配層はヤヌコビッチ排除に乗り出した。クーデターの実行部隊はネオ・ナチが主力だが、そのネオ・ナチを動かしていたのはバラク・オバマ政権のネオコンだ。 西側の支配層がウクライナを破綻させる理由はいくつかあるが、そのひとつはカネ儲け。国の破綻は大儲けのチャンスだ。1991年12月にボリス・エリツィンによって消滅させられたロシアはその後10年にわたって略奪され続け、大多数の人びとは貧困生活を強いられた。その一方、クレムリンの腐敗勢力と手を組んだ西側の支配層は大儲け、その支配層の手先になったロシアの一部も巨万の富を築き、「オリガルヒ」と呼ばれるようになる。 そうしたロシア国内の略奪グループの中心にはエリツィンの娘であるタチアナがいた。この人物はウラジミル・プーチンが2000年に解雇するまで大統領顧問を務めている。アル中状態で執務できなかったと噂されている父親に代わり、タチアナがクレムリンを仕切っていたとも言われている。 ロシアを食い物にしてきたタチアナ人脈の中で最も重要な人物だとも言われているのがアナトリー・チュバイス。ソ連が消滅する直前からエリツィンの側近として経済政策を策定、その背後にはハーバード大学教授のジェフリー・サックスがいた。この教授はジョージ・ソロスの友人としても知られている。サックスの下で働いていたソロスの友人、エゴール・ガイダルはエリツィンの側近になる。 エリツィン時代にチュバイスとガイダルに命令していた人物がラリー・サマーズ。ハーバード大学教授、世界銀行の主任エコノミスト、財務次官、財務副長官を経て1999年7月から2001年1月まで財務長官を務めている。その後ハーバード大学の学長に就任した。サマーズがロシア工作のために雇ったデイビッド・リプトンとジョナサン・ヘイはCIAのエージェントだ。 プーチン体制になって略奪グループの力は弱まったが、この人脈が消えたわけではない。現在でも経済、金融の分野では大きな影響力を維持していると言われている。「プーチン後」を懸念している人が少なくないのはそのためだ。 2014年2月以降のウクライナではエリツィン時代と似たようなことが引き起こされた。ウクライナ国民の資産は略奪され、国外へ持ち出されたのだが、そうした流出に使われたパイプの中にフランクリン・テンプルトン投資というアメリカの会社が含まれている。この会社を設立した人物の息子、ジョン・テンプルトン・ジュニアはバラク・オバマの選挙キャンペーンに多額の寄付をしていたことで知られている。 略奪されたカネをフランクリン・テンプルトンなど経由で国外へ持ち出し、そのカネでウクライナの資産を安値で買い占めようというわけだ。他の国でも同じだが、この仕組みの中で重要な役割を果たしているのがIMFである。 そうした不正行為をウクライナの議員が明らかにしはじめている。不正行為の舞台のひとつがオバマ政権で副大統領を務めたジョー・バイデンの息子、ハンター・バイデンが重役を務めていたブリスマ・ホールディングスという天然ガス会社だ。 その不正行為の捜査を検事総長として率いていたビクトル・ショーキンを解任させたことをジョー・バイデンは2018年1月23日にCFR(外交問題評議会)で自慢した。これをドナルド・トランプ大統領はウクライナのボロディミル・ゼレンスキー大統領との電話で口にしたのである。それをアメリカの民主党や有力メディアは問題にしている。 ウクライナ側の説明によると、検事総長を解任しろという圧力は2015年終わりから16年初めにかけての数カ月にわたったという。圧力をかけてきたのはアメリカ大使館で、その工作の黒幕はオバマやジョージ・ソロスが関係しているNABU(ウクライナ反汚職局)だという。 西側の支配層はウクライナを乗っ取るため、土地の私的な所有を認めるように要求している。ウクライナを破産させ、「担保」という形で奪おうとしているのかもしれない。ウクライナを完全な属国にできれば、第2次世界大戦の前にポーランドを含む中央ヨーロッパの親ナチ派が目論んだインターマリウムも現実味を帯びてくる。
2019.12.02
中曽根康弘が内閣総理大臣だった1985年8月12日、日本航空123便が群馬県南西部の山岳地帯に墜落して乗員乗客524名のうち520名が死亡した。その10年後、1995年8月27日付けのスターズ・アンド・ストライプ紙は、この墜落に関する詳細な記事を掲載した。日航機に緊急事態が発生した頃、アメリカ軍の輸送機C130が大島上空を飛行していた。その乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づく記事だ。 その記事によると、123便の異常に気づいたC130のクルーは横田基地の管制から許可を受けた上で日航機へ接近を図り、墜落した詳しい場所を19時20分に報告している。運輸省に捜索本部が設置されたのはそれから25分後の19時45分であり、アメリカ軍が通報していたなら、日本政府は捜索を始めた時点で日航機の墜落地点を正確に把握していたはずだ。 輸送機からの報告を受け、厚木基地からアメリカ海兵隊の救援チームがヘリコプターで現地へ向かい、20時50分には現地へ到着、隊員を地上に降ろそうとするのだが、このときに基地から全員がすぐに引き上げるように命令されたという。日本の救援機が現地に急行しているので大丈夫だということだった。 遠くに航空機が現れたことを21時20分に確認したC130のクルーは現場を離れたが、日本の捜索隊が実際に墜落現場に到着したとされているのは翌日の8時半になってからだ。 その墜落があった頃、日本航空の株価は大きく値上がりしていた。2000円台で推移していたものが1984年から急に高くなり、事故の直前には8000円を突破していたのである。兜町では「中曽根銘柄」だと言われていた。田中角栄が脳梗塞で倒れたのはその翌年だ。 某大手証券の事情に詳しい人の話によると、株価を10倍にした上で700万株の時価発行増資を行うというシナリオが生きているので、墜落事故で相場が終わることはないということだった。実際、事故で5000円を切るまで急落した株価は10月あたりから再び急騰、1987年には2万円を突破している。 中曽根政権が進めていた私有化の一環として日本航空を1987年に「完全民営化」することになっていた。つまり株式を市場へ放出するのだが、その翌年に700万株の時価発行増資を行うというシナリオになっていたという。そのための株価操作だったとも言えるだろう。 その一方、日本航空は超長期のドル先物予約をしている。ドルを買う契約をしたのだが、円高が確実視されていたことから為替取引のプロたちは「クレージー」と言っていた。損が発生することは間違いないからだ。利益を得るのは金融機関。その代償が株価を引き上げてからの時価発行増資だと考えるのが常識的だろう。
2019.12.01
中曽根康弘が内閣総理大臣に就任してから1年後の1983年11月、ロナルド・レーガン政権は戦術弾道ミサイルのパーシングIIを西ドイツに配備した。NATOがこのミサイルを西ヨーロッパに配備すると決めたのは1979年12月であり、ソ連は警戒を強めていた。ソ連政府は西側が先制核攻撃を準備していると疑い、1981年5月にKGB(国家保安委員会)とGRU(参謀本部情報総局)にRYAN(核ミサイル攻撃)作戦を始動させる。 そうした中、内閣総理大臣となった中曽根は1983年1月にアメリカを訪問した。その際にワシントン・ポスト紙のインタビューに応じ、日本を「巨大空母」と表現して問題になる。 同紙によると、中曽根首相は「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべきだ」と発言、さらに「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」とし、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語ったのである。 この「不沈空母」という表現を誤訳だと騒いだ人もいるが、本質的な差はない。中曽根は日本をアメリカの空母、つまりソ連を攻撃する拠点にすると宣言したのだ。その時にソ連はアメリカからの攻撃に神経をとがらせていた。そうした情勢を知らなかったとするならば、日本政府に情報を収集する能力がないことを意味し、もし知っていたそうした発言をしたなら戦争を始めるつもりだったということになる。 中曽根の挑発的な発言から3カ月後の1983年の4月から5月にかけて、アメリカ海軍は千島列島エトロフ島の沖で大艦隊演習「フリーテックス83」を実施する。この演習には3空母、つまりエンタープライズ、ミッドウェー、コーラル・シーを中心とする機動部隊群が参加した。3空母の終結は尋常でない。 演習では空母を飛び立った艦載機がエトロフ島に仮想攻撃をしかけ、志発島の上空に侵入して対地攻撃訓練を繰り返したともされている。 米ソ両軍は一触即発の状態になったのだが、この演習を日本のマスコミは無視した。後に筆者は著名な「軍事評論家」にこの演習について質問したのだが、その演習について質問することは「政治的だ」として回答を拒否された経験がある。 この艦隊演習の4カ月後、8月31日から9月1日にかけて大韓航空007便がソ連の領空を侵犯している。NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)が設定したアラスカの「緩衝空域」と「飛行禁止空域」を横切っているが、NORADは反応していない。 その後、航空機はカムチャツカを横切るのだが、その直前にアメリカ空軍の偵察機RC-135とランデブー飛行したと言われている。カムチャツカではソ連側の重要な軍事基地の上を飛行したが、ソ連側の交信記録によると、カムチャツカを横断する際に機影が一時レーダーから消えている。 さらに領空侵犯機はソ連側の警告を無視して飛び続けした末にサハリン沖で撃墜されたとされている。通信の傍受記録を読むと、ターゲットになった航空機はモネロン島の上空で右へ旋回しながら降下したと戦闘機のパイロットから報告されているのだが、レーダーの記録を見ると左へ旋回している。この撃墜を利用してレーガン政権は大々的な反ソ連キャンペーンを展開した。 軍事的な緊張はその後、さらに高まる。その年の11月にNATO軍は軍事演習「エイブル・アーチャー83」を計画、核攻撃のシミュレーションも行われることになっていたのだが、これをKGBは「偽装演習」だと疑い、ソ連へ全面核戦争を仕掛けてくるのではないかと警戒したのだ。ソ連側は応戦の準備を始めた。 この時期、アメリカはソ連に対する攻勢を強めていたが、その始まりは1979年7月にエルサレムで開かれた会議だと考える人もいる。出席したのはアメリカとイスラエルの情報機関に関係した人びとだ。 会議の主催者はイスラエルのシンクタンクで情報機関との関係が深いとされているジョナサン研究所だが、その名称は1976年7月、ウガンダのエンテベ空港襲撃の際に死亡したイスラエルの特殊部隊員、ヨナタン・ネタニアフに由来している。 ちなみに、ヨナタンの弟は現在の首相、ベンヤミン・ネタニヤフ。ふたりの父親であるベンシオンはウラジミール・ジャボチンスキーの秘書だった人物である。 その会議が開かれた頃、ジミー・カーター大統領の国家安全保障補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーはアフガニスタンで秘密工作を始めていた。アフガニスタンを不安定化させ、ソ連軍を誘い込み、そのソ連軍をサウジアラビアやパキスタンの協力で編成したジハード傭兵と戦わせようとしたのだ。その目論見通り、1979年12月にソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ軍事侵攻した。 こうしたアメリカの戦争に中曽根は日本を引きずり込もうとしたのだ。核戦争が始まらなかったのは運が良かったからにすぎない。
2019.12.01
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