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名古屋の真ん中、栄のとある民家の軒下で羽化後間もないアブラゼミを発見。時期としては少し早いかな?梅雨の真っ直中、雨が降ったり止んだりの悪天候それを知ってか知らずか、雨露凌げる場所にて悠然と羽を広げる、脆くも美しいその姿。そういえば子供の頃、トンボや蝉の羽化を見たいが為徹夜の覚悟で眠い目こすりつつ頑張ったっけなぁ。何十年前だっけ? がはは。未だに興味は尽きんがね。純白の新成虫。まさに生命の神秘やね。自宅隣の建物の壁に貼り付く得体の知れぬ生命体。ぱっと見、ヒルに見えるんだけどなんじゃこれは?こんなに長いのがおるのか?と、気が付くとこの個体の他にも多数貼り付いていてびよよん、と伸びきったものもある。その長さ二十センチ程あるものも。気色悪い。これは神秘の対象外ね。採り集めて皿に載せ、イカそうめんの代わりにちゅるちゅるしたろか。うはは。ヲシテネ。
2008/06/29
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★アブの受難★アブって奴は実に不快な野郎だ。白昼堂々、人様の頭の周りをぶんぶん飛び回りやがって隙あらば血液などちゅうちゅう戴こうってえ寸法だ。「目には目を」なんて言葉があるがだからって崇高な人間様がアブごとき腐れフンドシ野郎を捕まえちゅうちゅうやるわけにはいかない。そこで今回ここに紹介するのが“元流アブ撃退法”である。この場合、手網若しくは素手にてなるべく傷付けない様生きたまま捕らえるのが好ましい。ところが人々は、あのぶんぶんという羽音を聞くとどうも蜂と混同するらしく、おののき身を縮込め成す術も無くなる様である。しかし、ここでハッキリ断言しておこう。あんなものは恐るるに足らん、蠅や蚊を大型にしただけのもの言うなれば、虚勢を張りイキがる単なるチンピラである。にも関わらずこれみよがし「俺は蜂だ!」と言わんばかりにぶんぶんとやる精神が癪に触るわけで実際、体色など蜂に似せ擬態している種類もあるようだが要点さえ押さえてしまえば識別は容易わたしに言わせれば「全てお見通し」なのである。よってぶんぶんと迫り来るアホウに対し私はなるべく素手で捕らえるようにしている。捕らわれてしまってから慌てても文字通り“飛んで火に入る夏の虫”後の祭りである。捕らえた蜂モドキはまず、あのぶんぶん小癪な羽をむしり取る。更に手足をもぎ取る。そして仕上げにちゅうちゅう血を吸う為に備わり突起している管をも引き抜く。これにて生きたまま放置するわけであるけれど日向に置いてしまうと暑さによりあっけなく死んでしまうのでそっと優しく日陰に置いてやるのである。さあ。皆さんもやってみよう。そして身じろぎひとつ出来ぬアブ殿に耳を傾けてみよう。ぷ、ぷ~ん 弱々しく儚げな羽音が聞こえるはず。え?残酷過ぎる?わっはっはっ、あたしゃ、ちくとも思いませんよ。しかし、アブにゃ生まれ変わりたくねえなぁ・・・★蜻蛉男★雲一つ無い青空を背に悠然と飛び回るトンボの姿を見かけると童心に帰り網を振り回したくなる。あの透き通った小宇宙のような複眼とカラフルな体色スマートなプロポーションはまさに自然が創り出した芸術品である。小学生の頃の話である。その日も手網を片手に自宅より程近い小川に出向きトンボを追いかけていた。狙う獲物はギンヤンマ。素早しっこくなかなか手強い相手である。汗だくになりながら網を振るも難なくかわされかわされもはや無理かと諦めかけたその時である。どこからともなく現れた雄雌つがいのギンヤンマ。二匹はつながったまま水面近くをゆっくり飛びつつ時折、水際に群生する葦の根元に止まり一つ一つ丁寧に卵を産み付けている様子である。わたしは獲物を狙う肉食動物の如く息をひそめ気付かれぬ様慎重に間合いを詰める。飛んではとまり、とまってはまた飛び立つ彼らをじっと見据えここぞと見極め全霊をかけ手網を振る。「やった!」と、勢い余って水没した手網の中には色鮮やかな二匹の芸術品。手にしたそれらを眺め、尿漏れしそうな程に嬉しい。いや、実際に二、三滴は漏れたかもしれない。何しろ憧れのギンヤンマが、しかも雄雌つがいで手中に在るのである。苦労の末、獲得した本物にはショップ等でソツ無く買い求めたそれとは全く違う味わいがある。こういった達成感や感動は子供にとってかけがえのない宝ではないだろうか。ところでこの、ギンヤンマ及びその近似種はオニヤンマやシオカラトンボ等雌が尾先を水面に打ち付け産卵するタイプと異なり尾先に備わった、丁度猫の爪を細くした様なそしてその湾曲をより緩やかにした形状の、鋭い産卵管を水面に浮かぶ水草や葦の茎等に差し込み産卵する生態を持っている。当時それを知っていたわたしは「どれどれ」(※注1)と観察すべく雌の尾先を自分の人差し指に当てがってみる。すると雌は我が指に尾先を這わせ産卵出来そうな場所を探している様である。と、その時 ぶすっ と嫌な感触。見ると産卵管が突き刺さっている。そう、つまりわたしは指先とはいえ体内にトンボの卵を産み付けられてしまったのである。「ひっ、ひいぃっ!」まあ、その後、約一週間程痒みが治まらなかったのみで何てことなかったのだけれど、大好きなトンボとはいえ気持ちのよいものではない。あの時わたしの体内に産卵された卵はどうなったのだろうか?やはり孵化することなく死滅してしまったのだろうか?いやいや、もしかしたら今だヤゴ(※注2)のまま体内を泳ぎ回っているかもしれない。※注1:「どれどれ」 いわゆるエロ博士がニヤつきながら 「どれどれ、ほうほう、ふむふむ、 ここは、こうなっているのかぁ」 とやるようないやらしい意味合いではない。(エロ博士)※注2:ヤゴ トンボの幼虫のこと今シーズンのオニヤンマ毎年一度は捕獲しないと気が済まない、オニヤンマ。こいつは雄だが、雌だと更に大きい。ヲシテネ。
2006/09/06
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本日、昼過ぎに起床。パラパラと新聞に目を通していたら“ アニマルセラピー ”なるものの記事が掲載されていた。以前から、老人や自閉症の子供等の、心理的、社会的、生理的な問題部分に働きかける、その効果の程は話に聞いていたがその分、人間社会が世知辛く荒んでいることの表れでもあるように思う。か弱く、損得勘定が無く、汚れ無き魂を持つ動物達に触れ心が癒されるわけである。このアニマルセラピー、行動が予測しやすく表情豊かで親しみやすい犬、猫、ウサギ、ハムスター、小鳥類等が活動の主に使われているらしいが個人的に行う場合なら嫌いでなければ、蛇、トカゲをはじめとする爬虫類等でもよいだろうしマニアックな人ならコウモリなんかでも構わないと思う。人間にも性格があるように動物にも育った環境等により形成された性格が有るがそれに加え更に、しっかり躾(しつけ)が施されているか否かこれが活動に使われる動物としての向き不向きの判断材料として挙げられている。その記事に記載されていた適合条件とされる10項目を人間であるこのワタクシに当て嵌め考えてみた。(1)キャリーバッグに入れて移動中も鳴いたりしない。 自分は狭い所は苦手であり、ことに満員電車等に於いては イライラすることが多く、しばしばわめく。(2)みだりに排泄しない。 我慢出来ないと、立ちションする。 それも出来ない場合はペットボトル等を使用。 (お茶のペットボトルは本物と間違い易いので注意が必要)(3)屋内で飼育されている。 出なくても平気。 いるときはずっとウチにいる。 昨夜降った雪も、結局見なかった。(4)健康診断を受けている。 大きなお世話。 会社の健康診断もずっと出てなかったけど 指定日に欠席した場合 強制的に実費で受けなくてはいけなくなったので 一昨年前から受けるようになった。(5)おおむね生後8ヶ月以上。 クリア。ヨワイ38歳。(6)できれば不妊、去勢済み。 嫌だ。(7)人込みの中でも落ち着いていられる。 人込み嫌い。見られている様な気がして挙動不審になる。(8)他の動物に対しても落ち着いている。 この歳でいまだに小僧にメンチきられる。 ま、知らん顔するけどね。 しかし、あんまりしつこいとねぇ・・・ がるるる。(9)「お座り」「待て」が出来る。 犬ではない。他人に指示され抑圧されるのは嫌いである。 よって、しない。(10)予防接種を受けている。 インフルエンザのは受けた、しかし感染、発症した。以上の様な具合である。どうやら自分はこの活動には適していないようである。しかし、何だかどれも人間の都合に合わせて枠に押し込められている様で、扱われる動物が少々可愛そうな気もする。彼らは、見知らぬ人々にいじられ、果たして幸せなのだろうか?まぁ、加減を知らん子供にいじりたおされるよりは動作も緩慢な、湿布と仁丹の香り漂うご老人方々の方がかかるストレスも軽いだろうが・・・うーん、俺も癒されてるんだろうなぁ。しかし、自分ばかりでなく、たまには癒してやらんとね。ランキング押してね!
2006/02/05
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★サナギマン★小学生の頃の話である。決して美味いなどとは思わないのだけど少々大人振ってコーヒーなんぞ飲んでいた。 当然インスタント。苦いので砂糖タップリそして粉末のミルクを瓶から振り入れたのだけど蓋の締めが甘かったのかシケってる様でダマになった塊が幾つも転がり出る。それを溶かしてやろうとスプーンで掻き回すのだけどもこれがなかなか溶けない。まぁいいやと、カップを口に運び、それをコーヒー諸共含む。そしてその塊をサクッと噛み砕いたつもりだったのだけど何故だか“プチュッ”と妙な感触。慌てて吐き出して確認したものの原因は分らず。そこで今だコーヒーに数個浮かぶ塊これをスプーンでカップの縁に押さえ付け、砕いてみることにする。そうして砕いた中から思いがけなく現れた物体それは熱いコーヒーにより“蒸し状態”になった小さな昆虫の蛹だった。単なる塊と思っていたそれは虫が作った繭だったのですね。後に色々調べてみたけど結局、その昆虫の正体は判らず終い。しかし、あのコーヒーに浮かんでる姿は時折テレビで見掛ける“ゲテモノ食材”さながらだった。さほどマズくもなかったですがね。★便所コオロギ★その日、近所を流れる小さな川で魚を手網ですくおうと腿まで浸かり遊んでいた。その川には木で土台の組まれた古い橋が架かっていて自分は何の気なしに川に浸かったまま身をかがめ、その橋下に入った。その時、橋の裏側に自分の頭が擦りそうになったのだけど何故だか木でできている筈の橋がザワザワと波打った気がする。急に暗がりに入ったせいで幕がかかった様だった視界も程無く慣れてくる。 目を凝らしてみる。そこで見た光景・・・それは橋の裏側にびっしりひしめき合う通称“便所コオロギ”と呼ばれる昆虫の大群だった。この虫、ジメジメした風呂場や便所などでよく見られることからそう呼ばれてるらしい。正式名は“カマドウマ”後ろ足を見ると、なるほどバッタやコオロギの類いと見てとれるが、成虫になっても羽が無く柔らかそうな丸まった背中に、謎を秘めたマダラの体色。どう見ても清潔な雰囲気ではない。しかも大群となると見るもオゾマシイ。自分はちびりそうになりながらも、彼らを刺激しない様、気を遣いそして、橋下から転がり出た。
2006/01/10
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ヤモリを飼育している。といっても特に珍しい特殊なものではなく今年の5月頃、会社前の道路で蠢いていたのを捕獲したものだ。その時、切れてしまった尻尾も今ではすっかり伸びて元通りになっている。こいつの餌となるのは小型の昆虫等で暖かい時期は比較的容易に調達できたのだけど涼しくなってくると少々難しくなる。そんなこんなで仕事帰りの道すがら爬虫類専門店へ餌用コオロギを買いによく通った。ここ最近は冷え込みが厳しく、一応昆虫飼育用の温室ヒーターはあるものの、乾燥が怖いのでそこには入れていない。したがって現在はほとんど活動休止状態、冬眠状態で餌も食わない。だから今は店へ行く必要もない訳だけど そこで出会ったニシキヘビ、そいつにときめいてしまった。それほど高価でもなく、大型にもならず性格もおとなしい餌も数日に一回と飼育コストもかからない。「ボールパイソン」触るとボールの様に丸まることからそう呼ばれているらしい。なにしろその愛くるしい、つぶらな瞳にやられてしまったのだ。しかし、ひとつだけ心に引っ掛かってる部分がある。 それは餌。そう、先程述べた通り手間もコストはかからない。だけども、この餌がどうも引っ掛かかるのだ。彼らが食すのは冷凍マウス。平たく言えば凍結された子ネズミちゃん。(子ネズミちゃんイメージ)それらはきちんと整列してビニールにパックされ必要に応じて一匹づつ取り出しては解凍しまるで今の今まで生きていたかの様な状態にもどしてから与えるのだけど、その並んでる姿、保存されてる様が異様でいただけない。餌として大量生産された量産品、そういった感が拭い去れない。それなのに、細かく精巧に、目、鼻、口、耳等々が備わっている。それらは紛れもなく、見、嗅ぎ、食し、聞く器官であり本来はそれぞれの役割を持ってるもの。しかし元々こうなる運命ならこれらのパーツは必要ない訳でいや、確かに冷凍されるまではその手足で歩き走り回っていただろうが、なんともその姿を見ると哀れというか儚いというか、申し訳ない気持ちになる。また、それを日々扱うことによって慣れてしまいそういった感覚がなくなっいくのも恐ろしいので躊躇しているのだ。まあ、そんなこと言い出したらヤモリが丸呑みにしてるコオロギだってそうだし、自分も肉やら(は、あまり食わないが)魚やらを食うわけだから同じなんだけど、ネズミちゃんは哺乳類ということもあってその形態がより人間に近い。いや、決して命の大きさに優劣があるとかそういうことではなく・・・ うーん、困った。なにしろ、目、鼻、口、耳、手足、ましてやヒゲなど付いてないツルンとした、それでいて栄養価は変わらず命も宿っていないそんなものが開発されたらいいなぁ、と考える次第であります。「ヒバカリ」というマイナーだが日本の田園に生息する小型の蛇がいる。その名の由来はそいつに噛まれるとその毒により「その日ばかりの命」というところからきているらしい。実際には毒はないのだが。このブログを立ち上げる際、日記ということで「その日ばかり」の想いや感情を綴っていこうかとこの名を拝借したのだけど、始めてみるとそれとは程遠いなんだか分からん言いたい事を勝手に書きなぐって行く場所になりつつあるし、今後どういった方向へ行くやら・・・ まあいいか。
2005/12/15
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今日、仕事の配達先の若者と話していたら以前勤めていた会社で、商品の整理をしてる際巨大な蜘蛛に出くわしたという話を聞いた。「ははん、なるほど。アシダカグモだな」そう思った。しかし詳しく聞いてみるとどうやらそんな生易しいシロモノではなさそうなのだ。彼曰くその化け物は、体だけでも7~8センチ足は人間の指程の太さがあり、それを拡げると自動車のハンドル、つまりおよそ30センチ程にまで及ぶという。その形態はメジャーな外国産毒グモであるタランチュラとは違いすらりと伸びた長い足で目にも止まらぬ速さで走り回るらしいのだ。(巨大蜘蛛イメージ 煙草の箱との比較)当然だが、日本にはそんな巨大化する種類は生息していない。彼から聞いた特徴から察すると前述のアシダカグモの系統と推測されるが日本最大種である彼らでも、目一杯足を拡げたところでせいぜい10センチ程度、あるとすれば外国種だが果たしてそんな化け物みたいな種が存在するのだろうか?そういえば、自分が勤める会社の従業員が以前倉庫の便所で同様のモノを目撃したという話を聞いたことがある。それを聞いた時は、「単なる見間違えだろう」位にしか思わなかったが、その倉庫というのは港に程近い場所に有り隣りが外国からコンテナを運んで来る会社らしいのでそれらに紛れ込んで渡来したとすれば合点がいく話ではないか。もしそのお化け蜘蛛が、日本の暑さ寒さに適応、繁殖しそこらで普通に見掛ける外来種として定着してしまったらどうしょう。何を隠そう、俺はクモが駄目なのだ!あんな気持ちの悪い生き物はない。あのいやらしい形態・・・生きていても何の価値もない! 俺は断言する!ああ、痒い、痒い・・・自分が中学生の頃住んでいた借家はその昔、屋根裏でカイコを養殖していたという古い木造家屋で玄関や勝手口には土間があり、地獄に通ずるかの様にぽっかり開いた床下の闇から奴等がよく這い出てきたものだ。奴等が障子の上を走ると、カタカタと不気味な足音がする。皆が寝静まった静寂の中、その音が聞こえると自分は敏感に眠りから覚め、そちらへ目をやる。すると、大概子供の手の平位のやつが貼り付いているのだ。そうなるともう寝てなんぞいられない。眠気も何処へやら、真夜中のハンターと化すのだ。なにしろ素早い奴等、一発で仕留めなければそこらの隙間に入り込んで、何処へ行ったか分からなくなる。しかし、あのオゾマシイ姿を見ると、どうも冷静さを欠き自分は度々パニック状態に陥りたかだか数センチの標的が貼り付く障子に、椅子を投げ付け破壊したり、ライターの火に殺虫剤を吹き付け火炎放射の様にして襖を焦がしたり(良い子は真似してはいけません)とんでもない格闘を繰り広げたものだ。だから、もしそんな巨大な化け物が不意に目覚めた枕元に居座っていたり、慌てて入った便所の中ホッとし、目を上げた天井に貼り付いてなぞいたらそれこそもう、修理不能。壊れちゃいますよ、私は。(壊レルノ図)
2005/12/14
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