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私は人に未練を残さないタイプ。男女問わず、一度別れた人物とは、その後一切のかかわりを絶つタイプです。恋愛感情とかも、一切残してきませんでした。そういう意味で「未だに忘れられない人」、とかも居ないです。そんな私が、今朝すごいリアルな夢を見て激しく動揺しました。舞台は高校時代。明け方の校内。まばらな生徒。明るみ始める空。上昇するエレベーター。誰かを探して走り回る私。やっと探し当てて、立ち止まったその視線の先には、実在する男性。(高校時代の姿、だったと思う、私も彼も。)やさしい笑顔と、力強い腕。腕を組んで歩いて、2人は校内のエレベーターに乗り込んだ。彼が、エレベーターの中で、私を包み込んだ。そして、彼に身を任せて爪先立ちになる私。そこで目が覚めた。あり得ないのに、スチュエーションが、温度が、感触が、やたらと現実味をおびていて、体に残っていてびっくりした。心臓がバクバクいっていた。なんじゃこりゃ!本当に夢か?!真剣に、悩んでしまった。なんなんですかね?でもひとつだけ、思ったのは、(夢を見てから気づいたことなのだけど)、彼は、私の過去の人物(しかも男性)の中で唯一、あの当時私がもっと賢かったら、上手に付き合えたなら、もっと大事にしてあげたかったなぁ、と思える人物だということ。彼は、高校1年の冬から高2の夏にかけて付き合ったけど、うまくいかなくなっちゃった相手です。しかも、当時、実際は手を繋いだことしかないのに、なんであんな夢見たんだろう。彼はいまごろどうしているだろう。会えるあてもないけれど。会っても世間話で終わるだろうけど(笑)私の、潜在的な想いが、にわかに目覚めたのかと思った。でも、明け方の、旦那とおはるちゃんの寝顔みて、ひどい寝相でいびきかいてるのみたら、ありえね~(笑)と我に返った。だけど、何かあるのかな?・・・このさい、暑中見舞いくらい、出してみようかなぁ。とか思ってしまう私は、やっぱりまだ、夢の微熱に冒されているんだろうな。夢って、厄介だな~
2009.07.09
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(先日の日記は削除しました。)MAXまで落ち込むと、人って不思議とそこから違う世界を見つけられるような気がします。真っ暗闇から見上げる空が途方もなく高く、明るいように。おそらく、地面に座り込んだらまずやることって、寝転んででも、膝を抱えたままでも、とりあえず上を見上げることかも。いままでと違う自分に、無理してなろうとは思いません。だけど、無理をしなくてもそうなれる時まで、ゆっくり待ってみようと思います。人と自分を比較してるうちなんて、やっぱり駄目ですね。私は私と思えているときのほうが、人は誰よりも可愛く、美しく、格好いい。私は私でいたいです。どんなときも。きのう、削除したあの日記を書いたあと、私はお風呂に入って、読みかけていた『ナルニア国物語~カスピアン王子の角笛~』の最後の章を読み終えて、おはるちゃんの隣にそっと寝そべったら、おはるちゃんは安らかな表情ですやすや眠っていて、寝ぼけながら、汗ばんだちっちゃな2本の腕を私の首と肩にのせて、おでこをぴとっと私の胸にくっつけました。あまりの温かさに緊張の糸が一気に切れ、涙が溢れました。そのとき思いました。私が自分を誰かと比較して落ち込むなんてことしてたら、この子はどうなるんだろう。私は堂々と、この子の母親でいることが、最大の誇りなんじゃないか。この子が生まれてからずっと、そう思ってきたじゃないか。それでいいじゃないか。これからもずっと。勝ち組だ負け組だなんて、こだわっていたのは、実は私のほうかもしれないな。壊して、直して、その繰り返し。人生なんて一生自分探しの旅なんだ。私はまだ何も見つけてないのかもしれないし、見つけていても気づいていないのかもしれない。明日はどんな一日だろう。いろんなことに引きずられるように落ち込んだ昨日とは、きっと違う風が吹く。そう信じて、自分を信じてみよう。私のまわりを見渡せば、みんないつも力をくれる人たちばかり。この人たちを裏切れない。だから私は私になるために、明日もゆっくりと歩いていこうと思います。
2008.05.22
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オフワールドで生きることに専念した、もうひとつの理由。私は、自分の立ち位置がわからなくなりそうだった。何かがずれている気がした。何かに息切れしていることに、気づいていたけど、自分は自分に何もしてやれないまま、時間が過ぎていた。早い話・・・、つまりはこういうことなのかも。母としての自分。妻としての自分。嫁としての自分。友達といるときの自分。そして、ときに、1人になりたいと思う自分。母、妻、そして嫁、人付き合い、これ全部いっぺんに今、こなしてるんだよなぁ・・・と冷静に考えたら、ちょっと、気が遠くなってしまった。いや、みんな普通このくらいはねぇ・・・?とわかってはいても、なんとなく。どうも、釈然としないものが、ずっと私の中に流れていて。これでいいんだろうか?おはるちゃんの見ている私って、本当に親として正解なんだろうか?妻として、手抜きしてるなとか思われてないだろうか?主婦だからと言って、家でテレビばっか見てるわけじゃない。近所の奥様方とランチばっかりしてるわけじゃない。私は日がな一日のんびりしてるわけじゃないけど、どうあがいたって、外で仕事している人たちのほうが、「忙しい」という理由が明確だし、なんていったって「仕事」してるんだし、仕事のあとは自分の自由時間もあるんだろうし、いいよなぁ・・・って。主婦は、楽じゃないですね。家にいるから、家が「職場」だし、子どもも居れば時にはバトル勃発で「戦場」にもなるし、旦那が帰ってくればそれなりに「あ、こいつサボってたな?」と思われないように、身なりを整えて、部屋も奇麗にしておかなきゃならない。しかも「家」だから、自分のくつろぎの時間も作りたい。でも自分の時間なんて、全くと言っていいほど取れない。そんな中でも、外の世界を知るために、新聞だって読んでいる。友達との会話や、付き合いの中で私なりの刺激を受け、なんとか自分の生活への潤滑油にしようとしている。それを、どんなふうに見るのかな、と思って。まわりの人が。ふだんはそんなこと気にしないで居られるのに、なんでか、そんなことを考え続けてしまった。ぶっちゃけ、ちょっと「うつ状態」っぽかった。わからないけど、私のこの一ヵ月半の状態に名前をつけるとするなら、そうだったと思う。でも、ある人のひと言で私は、かなり救われた。バイト時代の同士であり、恩師のような、仲間。「主婦ってさぁ、すごいよな。毎日料理作って、子どもの面倒見て、家事全般やって。しかもその積み重ねで、いずれはそれを自分の子どもに教えられるようになるんだぜ。結婚するとき、親にいろいろ教わったろ?それが、いずれはあなた自身も出来るようになるんだよ。すごいことだと思うよ。」↑普段、酔っ払うとただのウザいオヤジに変貌する人の言葉とは思えなかった(笑)彼も1人の父親だから。その人にそう言われた私は、ものすごく自信がついた。いや、彼とってもいい人なんだよ?(笑)その隣には旦那も居た。飲み会での席だったけど、旦那も真面目にその話を聞いていてくれた。いつも思う。「それでいいんだよ」という言葉は、人間にとって、最大の救いなんじゃないかと。実際それで何度も自分を持ち直してきたから。私はいつも、おはるちゃんに、私に関わってくれる人たちに「それでいいんだよ」と言ってあげられる人間でいたいです。心のバランス取るのって難しいですね。結局は、時々うとましくも思える「人」との係わり合いの中で、人は救われるものなんだ。ネットの世界でもきっとそれは同じだと、私は信じたいですね。1人で生きていける人なんて、絶対いないんじゃないかと思う。だからもっと大事にしたいと思います。人と関わる存在の、「自分」のことも。みんな、自分を大切に。そんなふうに思って過ごしていました。
2008.03.13
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なんとか元気にやっていま~す!おはるちゃんも今日で1歳と4ヶ月を迎え、ますますパワーアップしております。その成長の模様は、後日写真を交えてご報告させてくださいね!これは必ず★☆今回の日記ではちょっとお願いがございます。別サイトの話で申し訳ないんですが、ご興味ある方だけでいいので、新連載中の小説の、ご感想をいただけたらと思います。別館のBBSに直接書き込みするのはちょっと躊躇するな・・・という方はこの日記にコメント残してくださってかまいません。もちろん直でも大丈夫です。よろしくお願いします。「君想うたび、雨が降る」↑別サイトはこちらです。小説を公開しています。「BOOK」というところをクリックすると読めるようになっています。どうぞお気軽にお立ち寄りください。レビューや感想をお待ちしています!(※絶対にないとは思いますが、念のため・・・。作品や作者についての誹謗中傷は固くお断りします!)
2007.10.02
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思い立ったが吉日!ということで、さっそく更新始めました。前回とは違い、完成版を公開するのではなく、少しずつ更新、という形をとりたいと想っています。なので、ストーリーの大枠だけ決まっていて、あとは登場人物の名前も、台詞も、即興でつなげていくという・・・かなり、私としてはダイナミックな書き方をしてみるつもりです。詳しくは、別サイトをごらんください。まだ、題名も仮のものです。作品名は、『グラデーション』物語は、ちょっとダークな場面から、スタートです・・・。こちらのHPの、BOOKというところをクリックしてみてください。応援よろしくお願いいたします。レビューを書く、という欄から、レビューを下さるととても励みになります!もしくは、BBSでも、感想版でも、よろしかったらコメント残してくださいね。前作の『BLUE RAIN』も、パワーアップして完結しています。改めてお読みになりたい方がいらっしゃったら、ぜひこちらもどうぞ★現在、猫パンチ!!!と、向こうのHPのと、2つの名前を持っている状態ですが、HNも、いずれどちらかに統一しようかな・・・と最近考え中です。宣伝ばっかりですみませんが、これからもどうぞよろしくお願いします~~~★「君想うたび、雨が降る」私の別名・別サイトはこちらです。小説を公開しています。どうぞお気軽にお立ち寄りください。
2007.09.24
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小説の、新連載を考え中です。前回は、完成版をいきなり公開したので、なかなか読者が定着しなかったように思います・・・。なので次回は、連載という形をとって、細かく更新していこうかな、と。ストーリーの大枠が決まりました。なんとか、形にできそうな気がします。また頑張っていこうと思います。別サイトでの連載開始をしたら、またお知らせしますね!ぜひ読みにいらしてください。よろしくお願いします。★お知らせします★『雨が降るたび、君想う。』別名で、サイト運営をしています。こちらで以前紹介していた小説を掲載しています。現在、アワードの投票受付中です。応援よろしくお願いいたします。
2007.09.21
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前回日記の内容で、誤解招いてたらごめんなさいです・・・。違うんです(何がっ)大事なものは何なのか、私ももうこの年になればわかるから、それを無理やり捨てたりはしません。ただこうして時々、何かを、誰かを、遠ざけたくなるのは、意地悪でもなんでもなくて、大げさに言えば、私が自分を律するための手段なのです。「冷たい奴」と感じた方、そうかもしれません。でもこれが私です。ただ、大事なものを、守りたいだけなんです。これからもどうぞよろしくお願いします。
2007.09.13
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むむむむむ・・・・。またです。何もかもばっさばっさと捨てたい気分です。またやってきました。身軽になりたい周期が!も~~~~~いまの自分に合わないな、と思ったものみんな!自分の身から、遠ざけたくなってきました。私の中で細胞がそういう反応を起こしているのでしょう。わかりやすい方法としては、リンクや、詩、トップページの情報など、かなり減らしました。ごめんなさい。申し訳ありませんが、そういうことです。私はやっぱり、自分の見渡せる範囲のものしか持たない主義のようです。いつこのブログを消滅させたい気持ちになるかも、今のところわかりません。でもまあ・・・そうならないように気をつけます(笑)ここは私の成長の場でもありますから・・・。時々こういう行動起こします。こんな私でもいい、と思った方だけ、これからもどうぞよろしくお願いします!★お知らせします★『雨が降るたび、君想う。』別名で、サイト運営を始めました。こちらで以前紹介していた小説をたくさんの方に読んでもらおうと思ったからです。ランキングにも参加していきたいと思います。
2007.09.13
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今年どうしても気になった映画、「ひめゆり」。私はそれを見に行った。誰と待ち合わせるでもなく、ほんとうに1人で会場へ向かった。Coccoちゃんが歌うから、とか、そんな理由じゃなかった。(もちろん会いたかったけれど)この映画には何かある。私の前に何度もやってくるハードルのように、「ひめゆり」というキーワードがいつもいつも、頭をよぎっていたから、これは行くしかない、行くべきなんだろうと思いました。映画の上映。 おばぁ達の壮絶な戦場での体験は、私なんかの想像をとっくに超えていました。 バラバラの手足や脳みそが飛び散った光景。友達の死んだ姿。 壕の奥の、吸い込まれるような、冷え切ったような闇。ぽっかりと口を開けている壕の映像は、不気味だった。しかし、実体験を語るおばあたちは、その壕の中へ入っていくのだ。いったい、どんな思いで・・・?壕の中の遺品。刻まれた友達の名前を見て、はじめて、戦争のおぞましさ、怖さを認識したのだといいます。戦場に居るときには、横たわる死体をたくさん見ても、「ああ、この人たちは死んでしまったのだな」と思うだけだったとか。まるで自分が血も涙もないような人間になってしまったのかと、錯覚したのだそうです。今も戦争を語りつづけるおばあたち。ごめんなさい。はじめて沖縄に行ったとき、観光気分で「ひめゆり」資料館の前に立っていた、このおろかな私。戦争がこんなにすさまじく、生き残った方たちが今も闇をさまよい続けていることを知らずに、私は生きてきました。本当にごめんなさい。第二部は、トークでした。 ステージに椅子。監督、ひめゆり学徒生存者の島袋さんと宮城さん、そしてCoccoちゃん。。 服は黒だった。 Coccoちゃんの隣で、ひめゆり学徒生存者の島袋さんがマイク越しに「私はここまで生きてしまった」と言った。 Coccoちゃんはそんな、島袋さんの手を握り首を振って「そんなこと言っちゃだめ」と涙ぐんだ。 以下、Coccoちゃんコメントより。「痛みがわからなくてもいい、Coccoたち実際見たわけじゃないし、体験していないし、受け入れられるわけがない。 だからこの映画を見ても自分には痛みがわからないって思っても、そんな自分をダメだと思わないでほしいわけ。絶対に自分を責めないで欲しい。今日ここへ来てくれたっていう、みんなの勇気がね、Coccoには嬉しいわけ。Coccoだって泣いたのは終わりの『別れの曲』が流れてきた時でよ。あぁ、やっと終わるって、もう見ないでいいんだ、もう息していいんだって。 おばあたち、もう話さんでいいよ、と思ったし・・・Coccoも弱虫だからよ。映画のあいだ辛くて辛くて、早く終わってって思った」 第三部は、ミニコンサート。 「今日はおばぁ達の為に、沖縄の歌をいっぱい歌います。おばあたちが東京に来て、沖縄の思い出がないとさ」と言っていました。「みんな、今日は楽しい気分で眠ってよ?」とも言っていました。一曲目は、ガーネット。その次は「だんだん沖縄民謡パブみたくなってきたな(笑)」といいながら、てぃんさぐぬ花・安里屋ユンタ、じんじん、・・・次々に歌い上げてくれました。「(Coccoは)ギター下手だろ?」と笑を誘い、縦笛も吹いて、あえなく失敗。「笛も下手だろ?」と言って笑っていました。そして、「ひめゆり学徒隊」がまだ元気だったころ。まだあんなに無残な戦争に巻き込まれていく前の、少女だったおばあたちが、好んで歌っていた歌。「お菓子と娘」これもCoccoちゃん歌ってくれました。涙が出ましたね・・・。おばあ、辛い想いいっぱいしたから、もうこれからは、ただ笑っていてくれればいい。そんな想いでこの曲を探しあてて、自らカバーしたんだそうです(CDに収録されています)。 Coccoは最後にジュゴンの話をしてくれました。「最初は親子だと思われてたのが、実はラブラブカップルだったようで。Coccoそれですごい幸せな気持ちになってから・・・でも裸で海なんてすごいな」帰ってきてくれたジュゴンのために、飛行機の中で唄ができた、といって、すぐにレコーディングをしたそうです。「ジュゴンの見える丘」を最後に歌ってくれました。今回は、Coccoちゃんが主役なのではなく、あくまでも映画が主役でした。だから私は、ただCoccoがいるから浮かれて見に来たな?と思われたくなかった。またそういう気持ちを表にちょっとでも出すのがイヤだった。だけど、中には居たな。ツアーTシャツとか着てる人・・・な~~んて1人でぶつくさ思っていたけれど、そこまで、ひた隠しにする必要もなかった(笑)あら、じゃあ前回ツアーのリストバンドくらいしてっても良かったかしら?なんてあとから思いました(笑)結果的に、そう思わせてくれるような内容の、ステキなライブでした。Coccoちゃんのライブは、たぶん、あの映画を観て鉛のように落ち込んだであろう、私たちの心ふっと和らげてくれるためにあったのかしら・・・。とも思いました。うれしかったです。ありがとう、Coccoちゃん。戦争を経験された方たちの人生は、戦争後のほうがもっとずっと長く険しい。まるでリアルなテープレコーダーのように、記憶が張り付いて、未だに眠れない日々が続いているのだろうと思います。忘れられるわけがない。身を裂かれるような別れ、むごい現実、理不尽な、不正確な情報にまみれていた戦争の日々。「天皇陛下、万歳」といって死んでいく人は、居なかったそうですみんなお母さんに会いたい、家族に会いたいと言って息を引き取ったんだそうです。戦争、もう繰り返して欲しくない。望んでる人なんて、1人も居ないでしょう?戦争を経験して、今日現在まで生きてきてくださった、生存者の方々、私たちはしっかりと見つめたいと思います。平和が、続いていきますように。祈りたいと思います。本当にありがとうございました。
2007.08.20
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私は小さな頃から、終戦記念日が近づくと、戦争のことを想う。そんな生やさしいことじゃ済まされないのはわかってる。でも、最近はとくに、せめて何か将来、私の子どもに向けて語れるものが無ければ・・・と思う。今年は、どうしても気になる映画があった。それは、「ひめゆり」子育てに夢中でなかなか会場に行けなかった。でも、もうそんな言い訳さえも私のなかで通用しなくなって、それじゃ許されないと思った。ひめゆりを観る会のチケットを申し込んだ結果、私は見事に当選。これはなんとしても行かなくては、と思ったのです。ひめゆり学徒隊生存者22人が、ただ事実を語る。フイルムの中、紛れもない事実がそこにはあった。目を背けたくなるような話、映像、モノクロ写真の可憐な少女たち、そして現在の姿。生存者の方々、一人ひとりみんな凛として、とても美しくて、きれいな歳のとりかたをしている。でも、その人生は、過酷というには余りあるほど、すさまじいもの。気がつけば私は、話に耳を傾けながら、肩を震わせて泣いていた。まだうまくかけそうにありません。ごめんなさい。もう少し考えがまとまったら、この日記は新たに書き直したいと思います。この会場に来て実際に話をしてくれた、お二人生存者の方、柴田監督、そしてCoccoちゃん。本当にありがとう。私にはいま、それしか言えません。この日記をお読みのかた、ごめんなさい。もう少し待ってください。必ず感想、書きますね。
2007.08.16
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★お知らせします★『雨が降るたび、君想う。』別名で、サイト運営を始めました。こちらで以前紹介していた小説をたくさんの方に読んでもらおうと思ったからです。ランキングにも参加していきたいと思います。サイトのトップでずっとご紹介していましたが、ここで公開していた小説を別の方法で。。。とずっと考えていました。別名ですが、運営者は私です。よろしかったら、感想を残してください。詩集も追加しました★
2007.06.19
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私が、大事な友人を失ったとき、もう戻れないかもとおもっていたとき、私の父がこういいました。「そのうちにね、神様がちゃんとバランスをとってくれるから大丈夫」別に宗教的な話でもなんでもなく、ただ父が呟いたこの一言を、私はずっと信じてきました。内容は前にここで話しましたかね・・・。まあそれは置いといて。こじれにこじれまくった結果、友人と、メールでさえ連絡を取らなくなってから一年半。何気なく、本当に何気なく1通の葉書を送りました。私が引っ越したことのお知らせと、あと、娘の名前の下にカッコ書きで生年月日を書いただけのもの。まあ、人生の節目の報告くらいは・・・と思って、届けばそれでいいや~と思っていた矢先。なんと、この友人から電話がかかってきました。もう普通に。何事もなかったかのように。お互い、同じくらい怒って言い合ったし、どっちが悪いということでもないので、私も、昔のように話していました。幸い、この日から実家に帰る予定だったため、時間さえあればいつでも会おうよ!と言うと彼女も快諾。実に5年ぶりに、ランチをともにしました。「アンタがお母さんだなんて嘘みたい。びっくり」と言って、わが子をあやしてくれるではありませんか。夢を見ているかのようでした。彼女にも娘が居て、今や小学3年生。割り算と持久走とイラストが得意な、可愛い女の子に成長していました。3歳くらいまでの記憶しかないため、これまた夢を見ているかのようで。そして、喧嘩別れした当時、情緒不安定だった彼女にも離婚後新しい相手が現れ、それでだいぶ元気になれたのだといいます。表情も明るくなり、しっかり、母の顔をしていました。今回の帰省中に、我が家にも遊びに来てくれました。その光景を、私の父も見ていました。「ね。だから言ったでしょ。ちゃんとバランス取れるように、うまく出来てるんだ。これから元通りになっていくと思うよ。もう大丈夫だね」と、父がまた言いました。私の失われた時間が戻ってきたかのようです。まるで、ちびまる子ちゃんのまるちゃん&たまちゃんのような友達だったから。こじれてからも、ずっと友達だと思ってきたから。小学校時代、中学校時代の私を語れるのは、彼女しかいない。子ども時代から彼女の存在を消してしまうと、あとは、思い出したくない記憶だけが残ってしまって、実は今まで私も辛かったのです。とにかく、なにはともあれ、彼女の方から連絡をくれたということが、まず嬉しかったのです。これからゆっくりと、ブランクを取り戻していきたいと思います。お父さんありがとう。と思いました。人生で迷ったときいつも力をくれるのは、お父さんの言葉です。ホント。めでたし、めでたし♪
2007.06.08
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暑くなってきましたね。すっかりご無沙汰でごめんなさい。ここ何日か、私はいろんなことを考えていました。元気です。もうすぐやってくる、嬉しい日のことで、私のあたまはいっぱいです。それは、おはるちゃんの誕生日。もう、こんなに嬉しいことだなんて。思いもしなかった。一年前、私は、大きなお腹といっしょに、唄いながら、いっぱいいっぱい、待ちわびていました。わが子に会える日を。会いたくて、たまらなかった。会えたときは、涙が止まらなかった。あの日のことは、絶対に、一生忘れない。生まれたてのおはるちゃんと一緒に、うれし泣きしたあの日。おはるちゃんをはじめて抱っこしたあの日から、一年が経とうとしています。私はこの子のお母さんになれてよかった。授乳や夜泣きでヘトヘトだって、そんなのはかまわない。だって、ものすごい確率で、私のもとにやってきてくれた。そのことを考えるたびに、今でも胸が震えるから。まだ、ママとは呼んでくれない。だけどきっともうすぐ。その日が来たら私きっと、うれしくて泣いてしまうだろうな。おはるちゃん、親ばか丸出しで、バカじゃんこいつ、って誰かに言われてもいい。それでもいいんだ。私はおはるちゃんが生まれてきて、毎日、かわいくってかわいくってたまらなくて、それで私も楽しくて、生きてて良かったな、と思えるんだよ。子守唄が歌えない日には、かわりにいつもこう唱えているんだよ。ママはここだよ。ずっとおはるちゃんと一緒だよ。パパも、おじいちゃんもおばあちゃんもみんな、みんな、おはるちゃんのまわりにいる人はみんな、おはるちゃんが大好きなんだよ。だから大丈夫。ママはずっと、おはるちゃんのママだよ。誰にも代わりなんてできない。いっぱい泣いて甘えて、くっついてていいんだよ。おはるちゃん、大好き。生まれてきてくれて、ありがとう。お誕生日もうすぐね。おめでとう。おやすみなさい。・・・私は幸せ者だ。こんなふうに思えることが純粋に嬉しくて。嬉しくてたまらないのです。
2007.05.29
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遠くに行くわけじゃないけどもうすぐまた、自分の生活環境が変わる。そのことに対する不安?はないけれど、進む覚悟みたいなのは、やっぱり必要だと思った。約2年前、この街に移り住んだときのような、途方もないほどの、先の見えない息苦しさは、今度はない。だからただ流れにのって進めばいいと、思っています。ここ何年かで、私を守るもの、守りたいもの。手放したくないもの。それがなんなのか本当にわかったから、ちょっとくらいなんかあっても多分、私は笑っていられると思います。大切なもの、傷つけられる意外は、多分。自然と言葉が出てきた~~♪こんな歌を、歌ってみようかなぁ。(メロディーをつける才能があったらいいんだけど、無いっす)********************************************私はこのでこぼこ道を往くよともに歩く横並びの仲間が青空からの太陽が絶えない限り見失ってもまたやってくる光本当のホンモノなら少しの間離れても見えなくてもいいやどこかでそっと照らされているって知ってるからどこへ行っても心をちゃんと持って繋がる糸なんかないよそれでも平気だってどこまでも行けるんだもの戻ったっていいんだもの広がるこの道をただ歩くだけ道しるべはもう探さない背中を押している今の見えない力だけを信じようか闇に吸い込まれない強さを光射す方へ引力がいつも向くように変わらないものはなくても離れないものがあるさ大丈夫それだけで生きていける私は今日も私はこのでこぼこ道をただ進んでいこう
2007.01.19
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別に悲しい話じゃありませんが、(むしろスッキリする話♪)最近、いろいろと捨てたいものがあります。モノもそうですが、モノだけでなくって、なんだかもう、うっとおしいものや、いらないと思う「関係」、つながり、失礼かもしれないけれど、携帯電話の肥やしになってしまっている、メモリも何軒も消去・・・。してしまいました。サッパリサッパリははぁ~。もういいや。もういらないや~~♪と思うものをバッサバサと捨てていくときって、かなり気持ちいいなぁ。これからまだ出てくるかなぁ、そういうものが。何年かにいっぺん、こういうサイクルが訪れます。服とか、いっぱい集めたペンとか、写真とか。引越しが近いせいもあるかしら。でもでも。こんな中でも、捨てたくないもの、残しておきたいもの。もう、それだけにしよう。まだまだこの手に抱えるものは、必ず増えていくから。古くから大切なものも、新しく加わるであろう大切なものも、どっちも大事にしていきたいから。抱えきれないものとは、サヨナラしよう。責任もって見渡せる範囲のものだけ、きちんと持っていたい。そう願う、今日この頃です。というわけで、このブログの「フリーページ」も、減っていくかもしれません。だけど別に心境の変化でも何でもない、ただの「整理」ですから、あんまり気にしないでくださいね☆そしてまた新たに湧いてきたものを、ここに残していこうと思っています。改めまして、これからもどうぞよろしくお願いします★
2007.01.11
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小学1年生。私は担任のスズキ先生が怖くて、よく泣いている子だった。小学2年生。担任の先生は優しいけれど、私は時々お腹が痛いといって、学校を休む子になった。友達の輪に加わっても、いつも浮いてしまうタイプだった。小学3年生。担任教師は意味もなく、小さな私に暴力をふるった。私はクラスで孤立。図工の時間、スケッチブックに似顔絵を描く友達もいなかった。先生が怖くて怖くて、私の体調不良は続くばかり。他の同級生の男の子が、この教師の肩の高さから体育館の床に叩きつけられて、前歯を折られたのを、今も覚えている。小学4年生。担任は女の寡黙な先生に替わった。でも・・・何もしてくれない先生だった。小学校5年生。私は初めて、クラスの男子相手に立ち向かった。ずっと言えなかったひとことを、学級会議で、泣きじゃくりながら。「もうやめて」と。いつも、母が背中を押していてくれていたから、私は、強くなれたんだ。小学6年生。私はいままでにないくらい、友達に囲まれて、笑って卒業できた。ちゃんと笑って、6年間ありがとう、が言えたんだ。中学生。高校生。大学生。そして今の私。今の私になるまでに、超えなきゃいけない壁がいっぱいあった。だけど、超えてよかった。ずっと続いていた、理不尽なイジメも。今では私の試練だったと、言える。言えるようになった。つい最近のこと、なのです。イジメで自殺。そんなニュースが相次いでいて、私は、自分の過去を思い出すより、わが子の未来が心配になった。お願い。いじめないで。目の前にいる仲間を。友達を。クラスメイトを。大事にして。一度ついた傷は、なかなか消えない。机に彫られた中傷・罵声がずっとずっと残るのと同じくらいに。心にずっと在り続ける。背中を押してくれる仲間がいたら、たくさん、たくさん頼って、甘えて。「辛いよ」ってSOSを出しまくって、とにかく、声をあげてほしい。心に溜めないで。1人で悩まないで。「死」に向かわないで。弱くてもいいんだから。ちゃんと伝えて。お願い。死なないで。学校も、担任の先生も、気づいたら、隠さないで。見てみぬふりをしないで。お願いです。命は、みんなひとつずつしかないんだから。やさしくなろう。もっと友達と話そう。ちゃんと、気持ちを伝え合おう。暴力じゃなくて、中傷じゃなくて。できるはず。どれだけの子が今、苦しんでいるだろう。それを思うだけで、私は眠れなくなる。自分の過去じゃなくて、今、苦しみの真ん中にいる人達の心が、命が、心配です。お願いだから、1人にならないで欲しい。わが子を目の前に私は、自然と涙が出てきてしまいました。少なくとも、私はなにがあっても、この子を守りたい。そう思いました。
2006.11.08
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「志あれば 事遂に成る」という言葉があります。この言葉、大好きです。私の父が、高校受験を控えた私に言ってくれた言葉です。私は当時、シンプルに、「願えば叶うってことか??じゃ願ってみよう」と解釈し、この頃から自分の「なりたい未来」についてよくイメージするようになりました。こんなだったらいいなぁ~~~あんなこと起こったらいいなぁ~~~あの子がこんな風に思ってくれてるといいなぁ~~~自分にとって良いこと、良い出来事を気持ちよくポンポンと想像していく、はじめはそのくらいのこと、だったかもしれません。でもね、不思議と、それが形になりやすい。イメージしてるときとしてないとき、そりゃしてるときの方が格段に!これに気がついたのは、大人になってから。ほんのつい最近のことのような気がします。そして、さらに。この力が、自分の求めるモノや、仲間??を呼び寄せる力に、変わってきている!?そうなのか??そうなんじゃないのか??だったらすごいな・・・。と、ふと気がつきました。ルカの街並さんの、この日記を読んで。私、ガラにもなく真剣に考えてしまいました(笑)この日記に書かれている出来事は、本当です。(ご紹介いただいてありがとうございました!!)「思考が介入しなかったら、気がつかなかったでしょう?」と、ルカさんに言われて、改めて・・・すごい出来事だったんだ・・・と鳥肌が立ちました。私の日記にも、時々、そんなことを書いているときがあります。これも最近気づきました。沖縄で、Cocco本人に会えた話。武道館のチケットがすんなり手に入った話。あの子どうしてるかなぁ~と思ったら、ポストにハガキが舞い込んでいた話。欲しいなぁと思っていた情報が、絶妙のタイミングで舞い込んできた話。実家に連絡しようと思ったら、母がその日突然やってきた、とか、バレエスクールを探していたら、入社した会社にバレエ大好き人間がいてすぐに習えた、とか、何年か前に、真珠のネックレスとハワイ旅行が当たった話(こりゃクジ運か?!)大学時代、ホームステイに行ったら、そのステイ先の家の部屋が、ほぼイメージどおりだったこと。「志あれば 事遂に成る」を信じて、第一志望校に入学したことも?!直感的に「あ、いまこの場所にあの人がいる!」と思って信号待ちの人並みを見やると、そこにその人がいて、声掛け合ってそのままお茶を飲みに行った、なんてことも。もう・・・きっと忘れてしまったような部分にも、たくさん埋もれているんだと思います。ルカさんごめんなさい。全部洗い出せませんっっ(爆笑)これ全部、私が願ったことで。ささいなことなんですけども・・・・。ブログ始めてからは、誰かが、私が知りたいなぁと思ったことをとっても詳しく書いていて、同じことを想っていて。それに触発されて、どんどん、どんどん知りたいことが増えて、行ってみたい場所が増えて、会いたいと思う人が増えて、自分の幅がぐんぐん広がっていくのがわかります。シンクロって、すっごいなぁ・・・。なんだか、てんで的外れな話題からずいぶん脱線したような気もしますが、そんなことを考えていました。すごいなシンクロって。それを産むこのブログも、人の輪も。そんな中に、私もいるんだ。何人の人と手をつないでいるんだろう?地球何周分も、その輪は続いていたりして。はぁ~~~~~~・・・・・。運がいいのか、研ぎ澄まされているのか、嗅覚がすごいのか(笑)私にはちょっと、まだまだ計り知れない力が、あったりして?!ふだん使っていない引き出しがバタバタっと開きそうな、そんな気がしています。自分の中でまだデータが整理されてない状態で書きましたが、こんな感じ。また1つ、面白いことを発見しました。ルカさん、ありがとうございました。もっともっと、シンクロの波に巻き込まれて、引き寄せ合って、仲間を増やしていきたいなぁ。と思いました♪
2006.10.11
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振り返っても進んでも眩暈がするほどの長い道のり遠く続いていくこの道のはじめからずっとあなたは居たような気がするやっとの思いでさがしたやっとの思いでつかんだでもそれは私だけで、実はずっと隣を歩いて居てくれたのかもね。あなたにとって私もそうかな空気をまとうようにやわらかに軽やかな足取りで時にはくるくる回りながらひらひら舞いながらそれでも間違いなくこの足で足跡を残して。大丈夫この道は続くよ歩いていこう歩いていくよ。手をつないで。
2006.08.25
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子育てをするようになって、早くも!?3ヶ月が経とうとしています。そう、おはるちゃんはもうすぐ3ヶ月。毎月2日がくると、生まれた日の写真を見て、「いまもちっちゃいけど、さらにちっちゃかったんだ~!大きくなってるんだなぁ」って思います。顔なんてまっかっかだったし、チャイルドシートなんてベルトが意味ないくらい手足がちっちゃくって、縮こまったカブトムシを乗っけてるみたいだったのに。「顔がしっかりしてきた」「首がすわってきた」「まとめて眠る時間が長くなってきた」「手足が太くなってきた」「声がよく出るようになった」「目でしっかりと私を追うようになって、見えないと泣くようになった」本当に、小さな小さな成長です。赤ちゃんって、「生きることに一生懸命」でウソがなくって、まっすぐでかわいいなぁと思います。多少寝られない夜が続こうとも、何のその!!この子の「生きるため」の欲求はなんとしても満たしてあげないと。まだ、誰かの力なしでは何もできないんだから。授乳を終えたあとの、満腹な表情。夢を見ているのか、時折笑顔になる寝顔。ミルクを飲むとき、一心不乱に握り締める両手と、まっすぐな目。この子は、無償で、本当に純粋に、私なんかを「母親」として、信じている。守ってやらねば。これから何があっても、腹が立っても、私が思い通りに出来なくても。本当に、心からそう思う。子どもが犠牲になる事件。ニュースで毎日のように流れている気がする。というか、実際にそうだと思う。どうして?とうしてなんだろう?「赤ちゃんをトイレで産み落として放置し、羊膜がついた状態で死亡させた。容疑者は“死んでくれてよかった”と供述。」「子どもを放ったまま映画を観に行き、母親が帰宅したらうつぶせになって死亡していた。」「お風呂で熱湯をかけ、病院に運んだが父親が治療中の息子を病院から無理やり連れ戻そうとした」耳を疑ってしまう。どんなに子どもは辛かっただろうと、自然と涙が出てきてしまう。でもこんな事件が、本当にどこかで起きている。前にもどこかに書いたかもしれないけれど、親(大人)にもいろんな状況や事情があると思うが、「精神的に不安定だった」「親もまた、自分の親から虐待を受けていた」とか・・・。そういうことも含めて考えたとしても、正当化されてはならないと思うし、子どもが犠牲になるのはもう、これ以上勘弁してほしいと思う。私も、身勝手なことを書いてますね・・・(ごめんなさいボキャブラ不足なもので)。けれど、子どもが犠牲になる事件を防ぐのは、我々大人しかいない。大人が守ってやらなくて、誰が守るんだ?と思う。そんなニュースの数々。テレビをつけているとおはるちゃんの耳にも入っていきます。だからこそ考えずにはいられません。少なくとも、私は、全力でわが子を守ります。
2006.08.24
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よく、私、昔の話をここでするときに、こう書いてると思う。「恋愛に関してはろくな思い出がない」と。今となっては全て時効だし、帳消しになってるからいいんだけど・・・それでも時々、ふとした瞬間に思い出すことがいくつか。「また会いたくて、切ない」と思う人がいるとか、そういうんじゃない。むしろ間逆。忘れたいのに、忘れられないことのほうが多い。覚えていたくないのに、繰り返し思い出す。ひどい傷跡。必要とされなかったことの、辛さ。「お前みたいな女、必要ないんだよね」と、午前4時の電話で言われたことがある。大学1年の秋。そもそもこの人との出会いは、高3の春の、体育祭。二人三脚なんて、しち面倒くさい種目に当たった上に、相手は、クラス同じでも顔もわからないくらい、印象の薄い男だった。憂鬱だった。だけどその人が当日欠席。その代わりに補充メンバーとして加わったのが、彼だった。付き合うようになるまでのいきさつは、よく覚えてない。でも、文化祭での、私の吹奏楽のステージを見に来てくれて、それからだった。文化祭の打ち上げの翌日に告白された。それから私は、彼が全てになった。いつも一緒にいたいと思って、ずっとそばにいた。でもあっけなく、3ヶ月後に。世の中はクリスマスで浮かれているという、非常にやりきれない時期に、別れを切り出された。もうヤケクソで受験勉強して、受験当日に体調を崩し、推薦受験は見事敗退。でも同じ大学を一般で受験し、合格してからもう一度、彼とやり直そうと思ったけれど、無理だった。きっと私が、うっとおしかったんだろうな。結局大学に入っても、その思いは引きずったまま。一方的に想ってた。だけど連絡先は知っていたし、誘えば応じてくれて一緒に海にも行ったから、私はいつかまた、やり直せるものと思っていた。だけどもう、彼は走り出していた。違う相手との恋を、もう、とっくの昔から育んでいた。そのことを、冒頭に書いた、真夜中の電話でもろに言われた。じゃあなんで、私の誘いに応じるのか、訊いてみた。思いもよらない答えが、返ってきた。「その他大勢のうちの1人としてだよ。だいたいお前といてもドキドキがないし。中学時代してた恋愛のことを思い出すほうが、まぁまだときめく感じがするよな。っていうか、・・・」この先の言葉が、冒頭の、とどめの一言でした。私はじゃあ、一体なんだったのか。全部幻だ、って言われたほうがまだ楽だった。私なんて、死ねばいいのに。と思った。死ねなかったけど。時々、あの気持ちを思い出す。とくに、激しい雨が降って、部屋に1人でいると思い出す。ちょうどあんな夜だったから。そう。この出来事以来、「何かを失う」ということに関しては、ものすごく心が敏感に反応するようになった。ちょっとした物事の変化、人の顔色。こういうことがよからぬ方向へ動いていく感じは、誰よりも早く察知できてしまう。こんなこと、ふだんはずっと忘れているし、今なんてあの頃に比べたら天国のような日々なのに、・・・・。なんで思い出すんでしょう??自分でもわかりません。まぁこの後も、ストーカー男には遭うし、合コンをすりゃ「アイドル研究会」のヲタ連中と当たるし・・・(苦笑)ほんと、旦那さんありがとうって感じです(笑)。あなたのおかげで、今があるんです。ホント・・・。突然書きたくなった長文日記、読んでいただいてありがとうございました。
2006.08.01
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「夢」・・・って、いろんな意味を持つ言葉なんだなぁと思った。寝ているときに見る夢もそうだし、将来の目標もそうかもしれない。それに・・・実現しなくても、あえてずっと見続けていたい夢があっても、いいんじゃないかと。私はそういうのが好きだ。例えば、「空とぶホウキで世界一周!」「海底神殿に住みたい!」みたいな・・・。そんな叶いっこない夢が、一個くらいあったっていいじゃないか。と私はいつも思う。Coccoちゃんはたしか、「オーロラの下で、裸で踊りたい。でも実際それやったら寒くて死んじゃうわけで(笑)だからこれはこっこがずっと見ていたい夢」と言っていた。純粋にステキだなぁと思いました♪夢っていう言葉について考えさせられたというか、はっとした出来事があった。この前、実家に帰る途中、父ちゃんの車の中で他愛もない会話をしていたときのこと。あれこれ、ど~しようもない話まで、喋り倒す娘に父はひとこと。「お父さんの夢は、ほぼ叶ったなぁ」私はびっくり。え。何のことを言ってるんだろう。お父さんの夢ってなんだろ??と思いながら私はこう言ってみた。「だって私ピアニストでもバレリーナでもないよ?別に何にもなってないし(笑)」「ああ~そうじゃなくって。いまそうして普通に、ごく普通に生活してるでしょう?それがいちばん難しいことなんだよ。だけどお父さんはアンタたちに、そういうことを望んでたんだ。結婚してから何かあって精神的に辛いとか、暴力振るわれたとか、相手の家族に何か言われたとか。そういうのがないからいいんだ。」「お父さんの夢って、そういうことだったの?」「そうだよ~。普通がいちばん幸せだって。」ほほ~・・・。そうだ、そういえば私のお父さんは、私に「将来は○○になれ!○○大学を出て、こんな家に嫁いで・・・」とか一切言ったことなかったなぁ。弟にも。「今勉強しておかないと後悔するぞ」は言われたけど(笑)私も弟もいっぺんに大学生になった頃、うちの家計(ふつうの家だけど・・・)は火の車だったに違いないのに、それで私らに文句言ったところも見たことないし・・・。不平不満は五萬とあったと思う。そのはずなのに、それでも今、子どもに向かって「普通がいちばん」と言い切れる父は、すごいと思った。母とは超ぶつかり合ったけど、それはそれでいろんなことを学んだし。最近はお互い丸くなったもんです(笑)私もいつか、そんな親になれるだろうか~・・・・(笑)道のりは、ものすごい険しそうですネ~。
2006.04.28
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というか、高校時代の恩師の「送別会」があるのですが、う~~~ん。悩んでます。行くって返事しちゃってから、悩んでます。吹奏楽部時代の顧問の先生が、昨年度末(3月)で私の母校を去ったそうです。実に、12年の月日。長かったでしょうね。その先生に会いに行く、という目的だけなら大いに喜んで参加したい。私の背中を押してくれた、かけがえのない存在だから。前の顧問と折り合いが悪く(←ぶっちゃけ大嫌いでした)、精神的に追い詰められた状態で高2の春で部活を退部して、目標を見失った私を、その次の春に顧問としてやってきて、部活に呼び戻してくれた先生。私も私で逃げるように辞めたから、最初は居場所がなくて。それが原因でいざこざが起きるたびに、いつも私をかばってくれた。多分、先生が母校に赴任してきて、初めて話した生徒は、この私だったんじゃないかなぁ。2年前にも、この先生を交えて飲み会があった。私は先生の隣の席を陣取ってベラベラしゃべりまくっていたけど、同級生とは、あまり話せなかった。「卒業後10年も経てば何かが変わるだろう」と期待してた2年前の私も、バカだったかもしれない。でも・・・変わらないもんなんだねぇ。女ばっかりだから特に、なのかも。あの頃、部活に復帰して「出戻り」扱いだった頃と、そんな変わらなかった。だいたいみんな優しいから口には出さないけれど、空気が変わってない。まるで変わってない。同じだった。20名近くいる同級生の、誰の結婚式にも出てないし、私も呼んでないし(笑)誰が結婚した、子ども産んだ、なんて話し、私はまったく知らなかった。でもこの10年の間に、他の子同士では濃密すぎるくらいのやりとりがあって。2年前私は、みんなが持ち寄った写真の中で、それを目の当たりにしたんだっけな。後輩からすれば、我々の代は全員、親しそうに見えるかもしれないけれどねぇ・・・。いろいろあったのよ~そんなこともあって、もう大半あきらめがついてるからいいんだけど。私の背中を押してくれた恩師に会うためには、いつもこのモヤモヤを乗りこえないといけない。自分の近況は、いま私のこの姿を見ただけで、みんなに伝わるでしょう。それはいいんだけど、それ以外に、話すことって・・・?あるのか??という状態。こう思うの、私だけか??ああ、憂鬱・・・。部活で得たもの、大事なものはたくさんあるけれども、それより大事なものがまだまだあるから。贅沢は言ってらんないですけどね。この「送別会」の、私にとっての目的は、自分の中だけで決めて、腹をくくっていこうかしら??もう、大人だしね・・・。それにあの頃のことをとやかく言う人は1人もいない。だけど、間違いなく「場の空気」がそう言ってるから。・・・でもそれに耐えても、行く価値はあるかな・・・。大恩人の先生に会えるもの。難しいです。なんか、古い知人の集まる場所に出ようとすると、いつもこういう気持ちになるのはどうしてなんだろう?????会いたい人がいる。だけどそれ以上に顔を合わせたくない人が、もっと多い。高校時代がとくに難しい。イジメられてた小学校時代も、嫌だな~~~(苦笑)大学時代と、前の職場の仲間(意外にも女性率90%)とだったら、いっさい悩まないのに~~。いま気づいた。私、あんまりこの部活が好きじゃなかったのかもしれないなぁ~。(かといって顧問の先生ラヴだったわけじゃあないですが・・・笑)長いこと引きずって、バカかもしれませんが、けっこうトラウマになっています。(とくに)女性が4人以上集まる場所って・・・拒否反応起こします。ホント。まあでも結局は冒頭で言ったように、先生にお会いするために、行くんじゃないかなぁ~(笑)まとまらない日記で申し訳ないっす!!失礼しました~~~☆
2006.04.19
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最近ふと思い出したこと。「早く大人になりなさい。」「ゆっくり大人になりなさい。」私の親は、私にずっと後者の言葉を言い続けました。どっちがいい、悪いではなく。でも・・・「私は早く大人になれ!って母親に怒られ続けた」という友人が過去にいたのを思い出しました。その子は、私が「感覚的」な人間なのに対し、ものすごい現実主義な子でした。昔から。その「価値観の違い」に驚いては、どうしてだろう?と。「私、こんなにのほほんとしてて大丈夫かなぁ?(汗)」と、我ながら思うこともあったり。う~ん。彼女とは家庭環境も全く違いますが、もしかしたら、いちばんは親の言葉がけの違いなのかしら?と感じずにはいられなかったです。彼女は高校卒業後早々に仕事を見つけ、自分で預貯金をし、何種類か夜間専門学校に通ったりしていました。それだけでなく、ヒマさえあれば習い事で余暇を埋め尽くすようなタイプ。すごいなぁと思う反面、「どうしてそんなに頑張るのだろう」「ひとつに絞ればいいのに」「体大丈夫かなぁ」と思っていました。でも、当の彼女が言うには、「親が昔、あれもダメ、これもダメって言ってたから、その反動かも(笑)何か見つけてきても、やらせてもらえなかったし。」私は、彼女が大人になってから「自分探し」をしていたんだと気づきました。自分の力で、必死だったんだ。私の場合は、小さい頃から親が寄り添って、何でもやらせてくれた方だけど、(大人になってからはもちろん自分でいろいろ探してきてはやってみたけれど)彼女の幼少時代はそうじゃなかったんだろうな。苦しかったろうなぁと思いました。はじめは自分で見つけてきたもの、だとしても、それが誰かの手によって与えられたものだったら、それををこなすことの方が、自分で見つけ出し、作り出すことよりも何倍も楽。教えられるわけでもなく、自分から飛び込んでいく力。彼女はその力を、自分で手に入れようともがいていたんだなぁ。このことを思い出すたびに、尊敬する気持ちと、彼女の苦労を同時に想い、非常に考えさせられます。私は多分、おはるちゃんには「ゆっくり大人になりなさい」って言うと思う。その過程で、親だから出来ることを、全て・・・ではなく、「土台」の部分を作ってあげる、その手助けだけはしてあげたい。それからあとは、先回りせず、子どもが「自分で気づく」のを待てる親でありたい。(こりゃ難しいかな・・・??)・・・というか、せめて、子どもが自分で考え抜いて出した答えを、出来る限り受け止められる存在でいられたら。(うう、これも難しいぃ~!!(笑))いわゆる子どもの言いなり・ご機嫌取りではなくって。成長の芽を摘み取らないように、気をつけたいです~。出産予定日まで、2ヶ月切りました。信じられません(汗)たまごクラブ「新生児お世話ブック」を読んで、夏川りみの「胎教CD」聴いてガンバリマス!!
2006.04.12
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散りゆく姿その花びらも空を染めて最後のヒトヒラまで風に乗って夢心地な音色と少しの淋しさと涙を湛えて今何処を舞うのでしょう桜吹雪。あなたが、会いたいと願う人には会えましたか?**************************************花見がしたい!!酒が飲みたい!!ドンチャン騒ぎがしたい!!ああ、せっかく久々に詩なんか書いたのに、ドンチャン騒ぎとか言ってる始末・・・(笑)「酒場の雰囲気」だけで酔った気になれてしまう私。酒がなくてもドンチャン騒ぎできる自分って得だなぁと思います(笑)今年はそれでいこう!!!これはね~、2004年。私が前に住んでいた、神奈川県のとある場所。この日はたしか2年前の今日。午前中仕事をして、その後旦那と花見に行きました。本当にきれいでした。もう散り始めていて、時折風が吹くとまさに桜吹雪。こんなに桜の綺麗な場所が近くにあって幸せでした。あ、このヤル気のない後姿はワタクシです(笑)同じ日。どこぞのコーギーちゃんが間近に寄ってきたので、一緒に撮らせてもらいました。かわいかったですよ~。人懐こくて、笑ってるみたいなワンちゃんでした。うちのココ(ダックス)もいいけど、コーギーもいいなぁと思いました。あ、それとこの服。腹のデカイ今も着られるのでお気に入りです(笑)こんなに桜の色とマッチしていたなんて、いま写真を見直して改めて気づきました~。ああ~春だなぁ。
2006.04.06
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まったく・・・・。もう嫌だよ私(苦笑)先日の「本音爆発」日記から、一週間?まぁもうどうでもいいか。ちょっと発ちましたが、あれから非常にうっとおしいメールが来まして。最悪です。不健康なエネルギーだと思うんだけどなぁ。「友達ならわかってくれると思ったのに」って。はっきり言って笑っちゃうんだけど(笑)この彼女にとって「友達」って、どこいらへんぐらいまでのことを言うのよ??友達だったら、全ておんなじ♪おそろい♪じゃないとダメなんですかね?100%なんてありえないでしょ??理解不能です。小学生じゃあるまいし(あ、小学生に失礼かもしれない。ゴメン)。悪いけど、もう30手前の大人なんですよ?我々。だったらもう、わからないこと、受け入れられないことが多少あったって、折り合いつけてやっていけばいいんじゃないのか?と思うんですけど。ちょっとこじれたらメールで「さよなら」だって。お手軽な世の中になりましたね。ふざけてるな~と思いました。また彼女は言いました。「自分は最低人間。だから変なオトコしか寄り付かないのよ!」って。「一生そんなこと言ってれば?」と思いました。1人で拗ねてるだけですね。バカバカしい。もともと合わないと思ったけれどもう放っておきます(笑)胎教にもよろしくないし~。文句タラタラでごめんなさい。このへんにしときます。
2006.04.04
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私の、妊娠判明直前の日記をおぼえている方!多分いないと思います(笑)ですが・・・まぁちょっと、当時こじれた事件をここに書きました。たしか9月最後か、10月の初め?あ、なんか嫌な内容なんだろうな、と思った方。予感的中なのでここまでにしといた方がいいです。スミマセン。お戻り下さい。最後までお読みになって、「気分を害したじゃないか!」と抗議されても、今回限りは保障できませんので悪しからずご了承下さい。この話がなんのことだかわかる人もここを見ていますが、今日は書きますから~~!!あの話、こじれっぱなしです(笑)というか、手の施しようがないのでこの5~6ヶ月放っておきました。相手からも音沙汰なかったし、もういいかな、と。ところが・・・このままではいかん!という状況が、目の前に迫ってきました。最近、彼女に当たり障りのない手紙を書いてみました。我々2人が絡んでいる、共通の友人の結婚式が年の瀬にあるのです。私はこのとおりのサッパリな?性格なので、別になんてことなく、「みんなして会えたらいいな」という気持ちなのですが、こじれっぱなしの相手が、どうもそうはいかないようです。当時、ぶっちゃけ恋愛関係でひと悶着。「同じ男を奪い合う~~!!」とか、そういう問題じゃなく。その彼女が、「同じ相手」をもう10数年近く追いかけている。そこまで一途なのはすごいな、と思う。でも反面、見るからに望みが薄く、彼女がどう見ても辛そうなので(それ以前に、ズルズルいってる第一の要因はその「男」がいっこうにはっきりしない点にあるので)・・・その様子を少なくとも6~7年見てきた友人として、ちょこっと忠告というか・・・。「世の中男はひとりじゃないのよ」的なことを交えて、言ってみました。そしたら、すごい剣幕で切れられまして・・・。彼女も私に対して「怒っている」というよりは、ショックだったようで。自分のしている恋を「応援できない」と言われればそりゃ、凹むよな、悪かったな、と思いつつ。でも待って。この恋を自ら選んで長年断ち切らないのは彼女自身だし、だったら、彼女も彼女で「アンタと○○(共通友人)には相手がいるからいいわよね。」「どうせ私はお邪魔虫でしょ?」と。私らにひがみを言うのも違うんじゃないかと思うわけで。(これは相当言われましたよ~。)「私に相手がいないからって、2人が彼氏や旦那の話するの、遠慮することないのよ」なーんて言いつつ、女3人で会ったときずっとふて腐れてタヌキ寝入りしたこともあったっけねぇ。あなたは、じゃあどうしたいのよ??と。そんなにひがむなら、新しい出会いを何としても探しなさいよ!と思うのは、私だけでしょうか??本人の問題でしょうけどね、これは。今回書いた手紙への返事も、前とさほど変わってなかったです。「私が諦めて前に進むか、(・・・それはできそうもないから)アンタが心から応援してくれないと困る」という内容・・・。はぁ・・・結局また私に押し付けて・・・。「譲れ」ということですか。ずっとこの繰り返しですよ。いやだなもう(本音)。自分でここまで固執するのだから、別に他者の応援なんて関係ないようなきがするのですが・・・。(本音パート2)彼女が全部悪いわけじゃないですし、共通友人も、私も「あの男に原因があるのは間違いない」と思っています。(だって本命の彼女居るんですよ?この人!でもその彼女との関係もグダグダだとか。もともと甲斐性無しなんじゃないかと・・・)が、当の彼女本人にそれが見えていないのか、知ってて断ち切らないのか。そこにも充分原因があると思うのです。その問題にカーソルをあてようとすると、一触即発!!なわけです。「私の好きになった人、悪く言わないで!!」と。いや・・・でもね(汗)こちらとしても、長年それを見てみぬフリをして、友達として?腫れ物に触るような付き合いをしてきたわけです。私も確かにおせっかいババアだったと思います(笑)。それを反省して、「もうこの問題に触れるのはこれっきりにしよう」と思いました。自分がなんとかしようとか、これっぽっちも思ったわけじゃないんですが、あのときは、・・・辛そうな彼女を見ているのに耐えられなくなった。それだけがホントに、本心でした。でも、私のその気持ちすらも、彼女には正確に伝わってない。私に会えば、傷つくものと思っている(←よく考えりゃ失礼な話よコレ。そんなつもりないのに~)それほどに、彼一色に染まっている彼女。何度も言うように、これは彼女の問題なので仕方ないですが。いちばん可哀想なのは、このゴタゴタに巻き込んでしまっている友人・・・。でも早かれ遅かれ、いつかはこういう展開になると。我々も予想がついてました。でもここまでこじれるとはね。申し訳ないけれど、ちょっと病的な気がします。今まで、彼女に同じように関わってきたこの共通の友人は、私のことを責めずにいてくれます。いや・・・それだけでほんと救われてます。感謝してます。ありがとう。ごめんなさい。当の彼女は「猫パンチ!!!が来るなら結婚式には出ない」張りの意見だそうで。オイオイ・・・。我々の問題は彼女の結婚には関係ないんだから、・・・と言ったらまたこじれるんでしょうか。・・・こじれるでしょうね(苦笑)だから言うつもりはないですが。「呼ぶ呼ばない」は主催者側の決定することなので・・・。私だったら多少こじれた相手が会場にいても、式には出ますけどね。絶対。だってもう、・・・オトナなんですよ。学生じゃないんだからさ~(と言ってみる)。女同士のグダグダな揉め事が、いちばん嫌いです。同じような経験されている方には本当に申し訳ないんですが、(ぶっちゃけ私も過去に似たような経験しました。それでも4年くらいでしたが。)・・・これはもちろん、この問題に対してだけの、私の意見です。どうか、気分害さないでください。
2006.03.28
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完結しました・・・。↓こちらから読めます。↓「BLUE RAIN2」思いがけず書き始めた話が、「2」まで続くとは思いも寄りませんでした。でもまぁ、多分「3」は書けないと思いますね・・・。ぜひ、読んでいただけたら幸いです。お気づきのように、「1」では、手紙の文章にホンモノの画像を用いていましたが、ごめんなさい。「2」では力尽きました・・・。ほんとスミマセン(汗)でもテーマは変わりなく。相変わらず超アナログな2人のやりとりです。「夢から出た話」ですが、夢物語ではなく、書いているうちに自分の過去や、現在、実際に起こったこと、理想も、ごちゃまぜになって出てきたことに、ものすごい驚いています。「1」では、主人公2人の世界を、なるべく閉じてしまいたかった。逆に「2」ではちょっと、広げてみたくなりました。でも、どちらも「帰る場所」「戻る場所」がちゃんとあって。お互いの家族、生活の背景がはっきりと見えて。それだけは変わらなかったです。そう、私が「恋愛」とか、付き合う相手を選ぶときにいつも基準にして考えていたことは、これだったのかもしれません。本人同士の話の中から、どれだけお互いの「家族」「家庭」が見えるか。いつもいつも「いつかこいつと結婚するんだ!!」なんて考えてたわけじゃないけれども(笑)「結婚」を自然と考える年齢になったときに、意識したのはお互いの家庭環境。実際、切り離しては考えられないから、これは本当に大きいです。もちろん、最大は「付き合ってる本人がどれだけ好きか」、ですけれどね♪でも、いくら好きでもそういうまわりのものを排除したままでは、相手が見えてこないです。それに、料理もそうだけど、きっと恋愛も「粗熱」があるままだと、うまくいかない気がします。(↑なんだこの主婦的な例えは・・・汗)「愛(恋)だけじゃ、飯は食えんよ」なんて、何かのドラマで言ってたような記憶があるのですが、今になってなんとなく、意味がわかります(笑)だけどほんの少し夢も見ていたいような。現実的にものを考えなきゃいけないときと、別にそこまでしなくてもいいときと。これからも、そのバランスは保って行きたいなぁ・・・。なんて考えました~(笑)話が逸れまくりましたね。スミマセン。この話を書くことは、私自身がいろんなことをこうやって考える(考え直す?)チャンスだったのかもしれません。ハハハ。自己満足(汗)とにかく普通すぎるくらいの、普通の話かもしれませんが・・・ぜひ、ちょろっと目を通してみてください★
2006.03.22
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あの小説の「2」が・・・なんと書けてしまいまひた(汗)自分でも、ぶったまげてしまいました。でもね・・・前を書き上げた時点で、「あ~あれも書きたかったな。こういうことが起こったら2人はどうするだろう?」とか・・・。いろいろ考えていました。設定は、前の作品の約2年後、です。そう考えると私・・・前編で、ものすごい大間違いをしておりました!「1」のほうで、父と息子がお酒を酌み交わすシーン・・・。あれは・・・あの時点だと柊は、まだ19歳(大汗)法に触れてるじゃないのっ!!!やってしまったぁ・・・。でもまぁ、うちでちょろっと飲む程度なら、みんなやってるんじゃないかしら~♪なんて(笑)私なんて、高校時代の合宿で顧問にビール飲まされましたから・・・・おおっと。いけない。このくらいにしとかないと、ヤバいっすね(汗)ではでは。今後もまたよろしくお願いします!!
2006.03.15
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今日はいい天気たっぷりお散歩してまいりましたでも・・・膝に負担がかかってちょっと痛い(汗)昨日までにお伝えしていますとおり、例のものが書き終わりました~!すごいですよ・・・自分にとっては。なんと構想から物語完成まで3日・・・。だけど1回出力して読んでみたら、アララ・・・誤字が、脱字が・・・というわけで、あと2日はパソコン入力&訂正に費やしたという・・・それにしても快挙です!!ただ、「夢の中から出た物語」としか書いていませんが、いちばん、自分のその夢の中で印象的だったのが、父+3人兄弟、空の向こうにいる母の存在、自営業、お店の名前、雨の日。そして自分とよく似た主人公の女の子が、その家族と出会い、少年(青年?)と強く魅かれあう。そのシーンが特に、強烈に出てきたのです。プロ&セミプロの人から見て、完成度とか専門的なことを言われると多分ボロクソなんだと思いますが、達成感だけは一人前・・・ハハハハ(汗)このブログ自体自己満足の世界なので、これでいいかなってことで(笑)とりあえず、こんな作品です。ここからツリー状に、下のフリーページに続きます。ふっと突然第二部を思いついたりするかもしれませんが、そのときはまたご報告いたします☆・・・ではこれから実家にて、母にみっちり編み物教わってきます!!(笑)
2006.03.11
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こんなアホなタイトルでごめんなさい(笑)超特急で、書き終わりました。フリーページの、はるか下のほうでめんどくさいかもしれませんが、もしお時間がありましたらどうぞ☆こんなに短期間でお話を書いたことは、初めてでした。しかも今までだったら途中で投げ出すことのほうが多かった。というよりも今までは多分、構想や設定の時点で無理があったんでしょうね。今回はまったく、違和感ナシでした。なのにカレンダーの日数と同じ数だけの段落ができました(笑)これって、製本したらどのくらいの長さなんでしょう。本当に、私と、私の周りにいる人達と共通点が多いキャラたちです。自分も含め、その人をそのまま書いているかのような錯覚にさえ陥りました。でも学校の名前や、お店の名前は架空のものですから~。夢の中から出たお話。前編とおして、私も改めて読んでみようという気持ちです。読んでくださった方、ちょっと読んでみようかなぁ?と思ってくださった方、ありがとうございました☆
2006.03.10
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先日の「お告げのような夢」(←大げさなんだから・・・)から生まれたストーリーの前半戦を、フリーページに載せてみました。ストーリー自体は、今日中に完結しそうなのですが、まだパソコンの下書き修正が終わってません(笑)今週中には全ストーリーが、読めるようにしたいと思います。「BLUE RAIN」よかったらどうぞ。お楽しみください☆
2006.03.08
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すっごいリアルな夢を見ました。ストーリー仕立てなんです。超びっくりしました。あまりにも印象的だったので、(もう夢の中で全ての人物の名前と、それぞれの生活背景がわかったくらい!)それをそのまんま小説にでもできそうです。自分は登場しないんですけどね(笑)まぁ自分に似ているキャラが主人公でしたよ。別に特別ドラマチックー!とかいうわけでもないんですが、あまり風化しないうちに・・・と思って、へたくそですが、いま頑張って文章化しています。ものすごいスルスルと書けています。そのうちアップしますね。うひょー!こんなことって滅多にないですよねー。
2006.03.06
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柔らかいその手が廻り回る光をつかもうと宙を舞う頃瞼に降りるまどろみは小さなあなたをかわいい夢へと誘うでしょう夢を見なさい描くその世界はきっと私も届かないあなたの自由な世界よ鈴の転がる音とかわいい笑い声風にそよぐ花と入道雲大きな樹の下で猫と寄り添ってあなたは真綿のように幸せを抱きしめてそして傍に私が居るといいなきっときっとそんな世界で自由にあなたはその目に焼き付けるのでしょういいのよ。夢を見なさい誰もジャマをしないあなたの世界がいつも色とりどりでありますように***********************************************ベビーベッドの置き場所、どこにしようかなぁーなんて、ちょっと気の早いことを考えていたらふっと詩が浮かびました。赤ちゃんって、どんな夢を見るんだろうね。
2006.02.23
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風が波を運んでくるのか波が風を連れてくるのか海が空を照らすのか空が海を眩しくするのかそこには全てが溶け合ったような景色が広がっていた自然は嘘をつかないそのままの姿でいつもそこにある少しずつ形を変えながら砂浜もよく見ると真っ白じゃなかった珊瑚 貝殻 星の砂 潮風そして誰かが置いていった想い私もここに足跡を残そうきっとすぐに消えてしまうけれど。************************************「きっと、私たち沖縄人はすごい自惚れていたんだと想う。海は青いものだと想っていたし、砂浜は白いものだと想っていた。無償の愛で島を支えている珊瑚礁を、愛でることも知らなかったんだよ。たぶん珊瑚は、血を流しながら島を守っていると想う。だからやさしくしたい、この島を傷つけないようにやさしくしたいの。東京にも他の土地にもやさしくしたい。どの土地も地元の人にとってかけがえのない愛しい場所だから、傷つけないようにやさしくしたい。そして沖縄人が沖縄を守らなきゃいけない。そう想ったんだ」Coccoちゃんはかつて(2001年春)、「SWITCH ~SPECIAL ISSUE~/Cocco-Forget it、Let it go-」という、自伝のような本の中で、こう語っていました。(曲やアルバムの名前の由来なども語っていましたが、一部省略しました)私が沖縄をここまで好きなのは、Coccoを含む、沖縄の人たちの、島を愛する気持ちに惚れこんでいるから、なのかもしれません。Coccoちゃんのこの想いを知っていたから、Coccoちゃんが2003年からゴミゼロ大作戦を敢行したこと、沖縄のために歌おうと立ち上がったことは、全然、突然なこととは思いませんでした。一部、「偽善行為」「単なるエコノミー活動」とか言ってバッシングする輩もいましたが、そんなのとんでもないことです・・・。「校庭100周すれば、誰かが1周くらい付き合ってくれるかもしれない。そのためにはやっぱり、自分が動かないとダメだと想った」「第三者の文句を言う前に、目の前にあるゴミを拾ってから」「知らないことは、罪だと想う。だから(物事の現状を)まず知って、行動すること」こんな誠実な人、他に、どこにいるでしょうか?観光地に限らず、やっぱり今自分の住んでいる街も、育った街も。大事にしていかないと・・・。どこの土地に行ったって、ゴミをポイポイ、吸殻をホイホイ捨てる人の気は知れないんですがねー。沖縄に行くたびに、たくさん癒してもらってます。だからそのお礼に・・・なんていうのは変だけど、絶対に汚さない、傷つけないこと。これだけは守ってます。そんなことを考えながら、久々に絵を描きましたー(笑)
2006.02.03
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眩暈がするほどの気が狂いそうなほどの青くまぶしい空に手を伸ばして歌いたい蒼を横切る鳥のように自由にこの両腕が翼にかわるまで私はあとどのくらい膝を抱えていればいいんだろうあとどのくらい眠ればいいんだろういつかあなたと永遠に離れずに居られるようになったとききっと照りつける太陽にも目をそらさずに笑えるようになってうなされる夢も見なくなって、光に満ち溢れてもうこれ以上闇が生まれなくなったらこの体なんて形をとどめてなくても私は生きられるはず。いっそ見えないものになりたい。でも1人きりはイヤだからあなたの隣を吹く風になりたいそして、歌いたいあの蒼を横切る鳥のように自由に**************************************何もかも消して、新しく生き直すことができたら楽なのに。ひきずっているもの、吐き出したいもの、手放したと思ってもまだ残っているもの、ずっと遠ざけていたいもの。そういうものがまだまだ、多すぎる。もっと身軽でいいのに。今度遠くへ旅するときは、誰にも告げず、何も持たずに出かけたい。誰も寄せ付けずに。だけど、ちぐはぐな自分がいくつも存在する。身軽がいいと思うクセに、昔を想い、ノスタルジィに浸る。1人は嫌なクセに、人の輪から逃げたい自分がいる。何がしたいんだろう。ここで。今日は、アタマの中がぐちゃぐちゃです。肝心なものがいくつも抜け落ちたこの世界で、時々、息が苦しくなる。・・・・昨日の日記の内容もそうだけど、ニュースや新聞で目(耳)にすることに、つい一喜一憂してしまう。2006年=「愛」の年なんて、嘘だ。そんな気がしてしまうのです。
2006.01.13
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昨日の夕方。よくニュースで、大都会24時!みたいな特集があるじゃないですか。「家出少女・路上に座り込む少女の心の内を取材しました」っていうような、アレです。今日もやっていたので見ました。最初は、「なんだコイツら・・・また流行りのプチ家出か。・・・日本の将来は大丈夫か??」と、思っていたのですが、そうさせているのは、大人なんだなぁ、ということがなんとなくわかりました。年齢を聞くと、15歳~17、18歳。彼女たちはみんな家庭に居場所がなくて、「街の路上で、仲間といる方が安心」だと口を揃える。それを聞いてもまだ「お前らが甘えすぎてるからちゃうんかい!!」と毒づいていた私ですが・・・(スミマセン)「うちにはお父さんがおらんねん。」「離婚して、オカンがな、オカンの彼氏と住んどんねん。」「そいつな、父親らしいことなんもせえへんくせに、説教たれるときばっかり父親面しよる。大嫌いやねん。はよう死んだらいいのにって毎日思ってる。」「その男の連れ子もおって、その子も家族としていっしょにおるんやけど、明らかに私への態度と違うんや。ほんまに帰る場所がない」全部、違う子の発言です。キーワードは家庭内不和、父親不在・・・。それによって居場所を無くして彷徨う子がこんなにいるなんて。しかも、こんな路上にいる未成年を食い物にする大人も居て・・・。年齢を(明らかに違反と)知ってて雇うキャバクラ、買春目当てで近寄ってくる奴ら。なんだか淋しいですね。大人の都合で心をズタズタにされてしまった女の子たち。取材陣と話して打ち解けると、普通のあどけない顔で笑う、その笑顔が余計切なかったです(モザイクかかってたけど・・・)。何もわからなかった私は、これまで「路上にいるヤツみんな家帰れ!!」と思っていたけど・・・帰る場所がないなんて。家庭内の平和と、父親の存在って、本当に大事なんだと思いました。私の家には、小さな頃から、帰ると必ず母がいました。父親も毎日きちんと仕事して、まっすぐ家に帰ってくる。夫婦仲はとても良いです。家族が家を空けたときも、置手紙とおやつがちゃんとあって。だから淋しい思いなんてしたことなかったですね。それが普通だと思っていました。でも、それはとても幸せなことだったんだと気づかされます。前回の日記に書いた「彼女」のような家庭もあるのです。もっと複雑な家もあるでしょう・・・。そんな中、何事もなく「普通」であることが、どんなに大事か。旦那の育った家庭も、私の家と同じく円滑で、両親の仲がとても良いです。私と旦那の価値観がほとんど同じで、一緒にいて楽な理由は多分、ここにあるような気がします。テレビを見ながら、自然と、生まれてくる子どものことを考えました。この子のためにも、私達夫婦は、何があっても離れてはいけない。この子に絶対淋しい思いをさせてはいけない。思い通りにいかなくても、時には派手に叱っても、ハード面で贅沢できなくても、いつも両サイドに、私達がいてあげよう。例えば、ちょっと悲しい内容の絵本を読み聞かせするときは、必ず大人が子どもを背後からすっぽりと抱いて、手を握って。安心しきった環境で行う・・・という話も聞いたことがあるし・・・。そうだ。いつも戻れる場所があるっていう、安心感を与えてあげたいな。そう思いました。悲しい笑顔の少年少女が、これ以上増えることがないように。子どもを持つ親としての責任。もっともっと真剣に考えていかなければ、と痛感しました。
2006.01.12
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・・・をあけてしまったのかもしれません。原因は年賀状。古い友人に何年かぶりに送った年賀状の返事が原因で、いろいろ悩んでおるわけです・・・。彼女の返事はこうでした。「(私とのことは)全て忘れようとしていたから、ハガキ来たのもなんか複雑」という言葉(まぁこれは覚悟していたので良しとします)と、よそよそしい敬語で終わる白々しい文章で埋め尽くされた便箋2枚。そして、そこまで書いておきながら、何故だか知らないけど、彼女の新しい連絡先と、子どもの近況と写真、それと「私で助けになることがあればこちらへ連絡ください」の言葉が同封されていました。もうこのこと考えるの嫌だったのでずっと書くのやめてたんだけど、バカバカしいくらい長い日記を、今日は久々に書こうと思います。こうなった原因も、そこで語りましょう。お願いですから、「そこはアンタが悪い」って、思う箇所があっても言わないでください・・・自分でわかってます(汗)。とりあえず今日は、吐き出すだけです。原因はどっち、とかいう生易しい問題ではなさそうなので、自分のこと棚に上げて書きます。不快な表現もあることでしょう。お許し下さい。先に謝っておきます。こんな自分も、もう嫌です。*************************************彼女とは、小学校時代からの付き合いでした。はっきり言って大親友(だとお互い思っていたはず)です。気づけば小学校低学年~同じクラスだったんですが、高校とか別だし、それでもよくまぁ・・・10何年間も付き合ってこれたなぁと、今となっては思います。彼女(私も同じ年だけど)が20代突入とほぼ同時に、会社の同期の男の子どもを身篭り、早いうちに結婚したのです。それからもしばらくは、順調だったんですよ。彼女の家庭も、私達の仲も。ちっちゃい乳飲み子(女の子)を連れて、よく私の家にも遊びに来てくれました。かわいい子です、とっても。だけど、どんどん歯車が狂いだし、3年前の彼女の離婚、私の結婚をきっかけに、全てダメになりました。誰のせいでもなくって、ただ単に2つの出来事の時期が重なっただけの話。わかってるんです、私は。そのことは痛いくらいに。でも彼女は、私を責めました。「なんであんただけ幸せになれるの」的な言い方もされましたよ。昼ドラの世界ですよ、まるで(笑)当然彼女は、私の結婚式には来ませんでした。仕方ないけれど、ほとんど一方的なドタキャンですね。これに関しては、もっと方法がなかったものかと思うところですが・・・。淋しかったけれど「うつ病&パニック障害で式を台無しにするかもしれない」とか本人が言い出す始末だったので、今となっては「呼ばなくて正解だったな」と思います。もうこれは、根が深くてですね・・・うんざりするくらい。彼女の実家がどうも訳ありな家庭だったのは(物心ついた時から父親不在)小学校時代からうっすらと気づいていましたが、・・・それから比べると我が家は順風満帆で、申し訳ないくらいでした。だけど子どもの頃って、そういうのゼンゼンわかんないんですよね。同じ学校に通って、机並べて、休み時間と放課後いっしょに遊べば友達で居られたし、ずっとずっとその先も一緒に居られるような気がしてしまうもので。でも中学卒業あたりで、私はやっと、彼女の家族構成の「異常さ」(こんな言葉使ってごめんなさい)と、その心の闇に気づいたのです。でも私にはどうすることもできませんでした。時に、わけもなく泣き出す彼女を一晩泊めてあげたり、理由も聞かずにカラオケで憂さ晴らしする、くらいのことしか、できませんでした。それが、友達だと思っていました。連絡をとらなくなって、3~4年。私と彼女の距離は、いまや途方もないくらいにひらいてしまっていると思います。今すぐ埋めようなんて思えないほど。だけどそれを覚悟で、今年久々に、年賀状を送ってみました。その年賀状は非常にあたりさわりのない内容です。前のことを蒸し返す?つもりは全くなかったんですよー(泣)でもその後の、彼女の行動(答え?)が、まったく読めないのです。冒頭に書いたとおりの返事が来ました。???不可解です。ちぐはぐなんですもの。訳がわかりません。私はいったい、彼女に対して今後どうすりゃいいんですか。どういうメッセージなんでしょう、これは。忘れてほしいんだろうか。繋がっていてほしいんだろうか。もしもこのまま繋がっていたら、私の存在自体が、彼女にとって嫌味になりはしないだろうか?彼女の存在自体が、私の悩みの火種になったりはしないだろうか?かといって、完全に消し去ることなんて、お互いに出来るはずもないのです。結局は・・・私がハガキを送らなきゃよかったことなんでしょうけどね(笑)だけど、どちらがどちらを苦しめたのでしょうか??(結論・・・お互いさま、だと思います。)そんな中で、1つだけどうしても許せないこと。彼女はずっと、自分の離婚を、実の母親と子ども、家庭環境のせいにしています。病気もそのせいだと。まるで自分に何も非がないかのように、まわりばかりを責め続けるのです。私も責められましたよ。「アンタ幸せでいいよね、私は子どもなんて産まなきゃ良かった」と。私は彼女が、自分は不幸だと決め付けないかぎり、彼女のことを「不幸な人なんだ」と思うのは・・・絶対に避けようと思っていました。そんな権利なんてないし、人は、誰かの幸せを勝手に決められないものだと思うからです。でも、これからは、それが出来るかどうか、はっきり言ってわかりません。彼女の言動を思い出すたびに、悪夢を繰り返すきがするのです。こんな彼女に私が言えること、できることは何一つ、残されていないような気がするのですがね・・・。ぐるぐるとアタマの中を回り続けるのです。ハガキを送ったことで、これだけ苦しいということ。相手の真意が読めるようで読めない私は、もう彼女の前に姿を現すことすら許されない気がします。結論は出てる気がするのですが・・・とりあえず、いま、返事はするべきなんでしょうか?ほっとくべきなんでしょうか??ほ、ほっとこうかな・・・(ボソッ)うわードロドロだ・・・。もう消え去りたい(汗)ごめんなさい。読んでくださった方、ありのまま書きました・・・。意見でも励ましでも、あったら嬉しく思います。
2006.01.10
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今日、21時からフジテレビで、本田美奈子.さんのドキュメントを見ました。絶句しました。だって、壮絶すぎて。生々しくて。自分がテレビの前でお茶飲みながら、コタツに入ってぬくぬくしながら見てるなんて申し訳ない!と思うくらいでした。ボイスレコーダーに残された数々の言葉。声。ナースステーションで歌った「アメージング・グレース」。美奈子さんが歌詞をつけるはずだった曲と、その映像。本当に笑顔の写真ばかりでした。自分が辛いときに、なんであんなふうに誰かを気遣ったり、心配したりできるんだろう?どうして、つきつけられた現実を誰か(何か)のせいにしたり、卑屈になったりせずに真正面から闘えるんだろう?私には、眩しすぎて、怖いくらいだった。本当に、天使だなぁと思いました。無責任なことは書けないけれど、もうなんだか・・・・。痛ましくて、悲しすぎて、美しすぎて。見ていて、私のほうが励まされてしまいました・・・。美奈子ちゃん、ありがとう。なんだか、言いたいのはそれだけです。本当にステキな人です。私は、忘れません。・・・・うう、なんかすごい切ない(泣)
2005.12.16
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ぼくらは魚。ただ無心に泳いでいるだけに見えるでしょ?でも・・・実は。本当にそうなんだ得意げに見えてもただ波の流れに乗って漂っているんだ。気ままに水中スイングなかなか気持ちいいもんだよ。目的を見つけるまではこれでいいじゃない。漂う時も、たいせつな時間。目的ができたらまた忙しくなるから、今はのんびりのんびり。今日も、虹色の水中散歩。**********************************昔々の海には今よりももっとカラフルでおもしろい魚が泳いでいたんじゃないかなぁ。なんて思いつつ私には表現しきれません(笑)この絵を描きながら、スイミーのお話を思い出しました。大きな怖い魚を追い出した、小さくて賢い魚たちの話。あのお話しが好きで、国語の教科書に載っていたときはとっても嬉しかった。色鉛筆で、赤い魚を書き足して、さらに巨大な魚を描いた。あの教科書、どこへやったっけなぁ?
2005.11.18
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もう今更、私が書かなくても全国皆が知っていることだと思うのですが、本田美奈子さん、亡くなりましたね・・・。急性骨髄性白血病・・・。今年1月に、入院したというニュースを聞いたときもショックでしたが、「でも白血病って、治療は簡単ではないけど、治るでしょう?」って。絶対いつか復帰されるものと思っていました。治ると、信じて疑いませんでした。なのに、・・・・なんで??ニュースで知った当日(おととい)に書こうと思ったのですがあまりにもショックで、書けませんでした私・・・。特別大ファン!!というわけではなかったんですけど、でも、何かの折に名前を耳にするたびに振り返っては、テレビに釘付けになる・・・そんな存在でした。どこのテレビ局の番組を見ても、「前向き」「ひたむき」「努力家」「人の悪口を決して言わない天使のような人」「抜群の歌唱力」。誰の口から聞いても、全てすばらしい評価で一致。こんな人っているでしょうか?あと、とってもカワイイ人だと思っていました。妖精みたいな表情をして、本当に楽しそうに歌う人。舞台女優になったときいたときは驚いたけれど、実際演じる姿は、ものすごい存在感・・・。歌も半端じゃなく上手になっていてビックリしました。クラシックの楽曲を歌う綺麗なソプラノの声、大きくてキラキラした目、細い体全体で歌を表現しようとする姿。「なんでこんな綺麗なんだろう」と思って、涙が出てきました。「なんでこんな綺麗な人、神様は連れて行っちゃったんだろう??」バカだなぁ私。気づくの遅すぎたよ・・・。私が9歳の頃から、この人は歌手なのに・・・。もう、映像でしか見られないじゃん・・・・。本気でそんなふうに思いました。ステキな人だなぁって。強烈に覚えている彼女の曲が一曲だけあります。「ONE WAY GENERATION」この曲は・・・ドラマの主題歌にもなったんですよね。昨日の夜中、寝付けなくて目がさめたときに、この曲のメロディーをはっきりと全部思い出しました。アップテンポで、踊りだしたくなるような曲。歌番組で、カセットテープに撮ってたくさん聴いたなぁ。彼女の歌、これから本気で聴いたら引き込まれるだろうな、と思いました。ご冥福を、お祈り致します・・・。
2005.11.08
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目の前にあるものが全てだったあの頃の記憶をまだ小さな姿も見えないあなたが思い出させてくれてる風に乗って流れてくるかわいい花の匂い遠くの公園でブランコが揺れる音古ぼけたオルゴールの音色まで私は覚えていたんだ。乾いた夕焼けと、右手のぬくもりと、ほつれるまで抱きしめたぬいぐるみ。影が伸びる、帰り道も。あの頃。幸せに包まれてた。私は誇らしげに今だって、つまずいたってヒザの傷も隠さずに立っていられるのはその記憶のおかげ。だから私にも、きっとできるはず。歪んだ世界もまだ知らない青みがかった無垢なその眼を私は守る。守っていけるはず。たくさん泣いて、笑いなさい。もうすぐ会えるあなたを私の記憶を編んでやさしく やさしく包んであげよう。そっと繋いであげよう。気の遠くなるほどの、晴れの日に―小さな命へ。
2005.11.07
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もうヤケクソです。ごめんなさい。それでも日記は自由ですから!(なんの自己主張・・・汗)読みたくない方はスルーしてください。文通の友人(女性)と、問題勃発です・・・。どうしたらいいんだ・・・???ずっとなんとなく、合わないまま付き合ってきたから、そのツケがまわってきたような気がします。相手のやりたいほうだいにずっと我慢を重ねてきた私。でも、相手もどっかしら辛かったと思うんだけどね・・・。詳しくは書けないけれど、問題は価値観のズレ。夫婦間で言うなら「性格の不一致!」(なに書いてんだ私・・・)お互い頑固で譲れないものがあるからね・・・。私も頑固だし(笑)おせっかいおばさんのように、人のすることにいちいち口を挟むのは好きじゃないんですが・・・今回ばかりは私のほうが耐えかねてしまって。本音ぶちまけレターを送ってしまったのです。それでも、やんわりと・・・(したつもりなんですが・・・)。その伝わり方が悪かったようです。ダメだね・・・どんなに気をつけても傷つけてしまう。だけど、それ以上に、もうイライラが収まりません。私以上に、彼女のほうが言いたい放題書いてきてます。読んだ手紙を・・・今すぐ葬り去りたい気持ちです。ここ読んでる友人もいるけど、もういいや。許して・・・・(汗)はっきり言ってもう、アウトです。彼女に対して。でも・・・彼女と私だけの問題ならいいんだけど、他に巻き添え食ってしまう仲間がいるので・・・いかんともしがたいのです。なんで本音言うとこじれるんだろう、女友達って・・・。超うざいです。(←友達が、じゃなく、「こじれること」に対して、です。誤解しないでください)ここ何年か人付き合いに自信なくしていたけど、もうこれで余計に・・・。文通ですらうまくいかないなんて。もう会っても意味ないんじゃないかな?なんて思います。11月に、会う予定だったんですよ彼女と・・・。私はイライラで済むけど、もう1人の友人に、かわいそうなことしてしまった・・・。ごめんなさい・・・今日はもう、家でおとなしくしてます。おとといから引き続き、ダメダメです。・・・・ちょっとクールダウンしたいと思います。
2005.09.29
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今日は話し出したら止まらなそうです。最近思ったことについて。いきなりですが、(・・・気を悪くなさらないでくださいね。)私には、超超超キライな類のアーティストがいます・・・。名前は言わないですが、だいたいが女性で、かなりメディアへの露出度は高い場合が多いです。生理的に、拒絶してしまうんですかね・・・。あからさまに他のアーティストのマネをしている人、根本的に歌が下手なのに売れている人、その人「らしさ」がまったく感じられない人、または逆にそれが強すぎる人、声が耳障りで仕方ない人、商業的な戦略に踊らされている感じがする人、自分が書いた歌についてやたらとアレコレ説明しようとする人、挙げればキリがないんですが、街に出ればいつでもどこでも、そういう人たちの歌がイヤでも聴こえてくる。それで、さらに悔しいことにやたらと覚えちゃったりして・・・(笑)こないだ、無意識に口ずさんだ自分に、超嫌気がさしました。ごめんなさいネ。こういうネガティブ批判話は普段めったにしないんですが、今日はいろいろ思い出してしまったのです。とくにバンド時代、もう何を聴いてもイライラしてた時期があったんです。しまいには「歌詞の入ったもの」全てがうっとおしくなって、自分の書く詩もイヤになって全部捨てて、それまで持ってたCD全部売りに行ったことも・・・。私は、手垢のつきまくった言葉、後でとってつけたような言い訳、飾り立てた文句、ダラダラとやたら長い説明など・・・作為的な匂いのするもの、大嫌いです。それが必要なときがあるということも、わかっています。でも、拒絶してしまうんですよー。この頃は映画サントラや、英詩の歌、クラシックばっかり聴いていました。で、・・・今になって思えば、そういう人達の持つ「作為的」な(私にはそう見えた)部分がイヤだったんだな、と。そしてまた自分の書いていた詩もそうなんだな、誰かのマネだったんだなって思って。(今もこれはあるでしょうね・・・プロじゃないんだし)ものすごい怖くなって。表現することが全くできなくなった時期がありました。ボーカリストにとって、かなり致命的な状態でした。そして、最近になってふと思いました。別に私は何の評論家でもないんですけど、私は結局、自分の持ってる言葉で、自分のメロディーで、「言いたいことはこれなんだぁぁぁ」というのを余計な説明なしに、やってのける人が好きなんだなぁと。こっちはもうそれを納得せざるを得ないくらいのパワーで。「そ、そうか」と頷いてしまうような。これに気づいたときに、フシギなことに私の持ってた「これはこうしなきゃいけない」みたいなくだらないいくつもの持論が、真っ向から覆されました。ああ、だから苦しかったんだ。私はもっと自分の言葉で、自分の思ったように表現していいのね!と。(当然、人を傷つけないように気をつけながら。)結局は、小心者のくせに超頑固なんです。常に、自分が動く基準は自分でありたい。まわりがどう言おうと、どう思われようと。なんて・・・超臆病者の私だけど、そう思います。その思いをさらに強くしたのが、この本。やっぱりこの人との出会いが私を変えた、とおもいます。興味を持たれた方、ぜひ一度手にとってみてください。・・・・よくわかんない文章、読んでくださってありがとうでした♪
2005.08.27
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きのうは、ラッセンの絵を見に行きました。自転車で5分くらいで行ける場所に、展覧会が来ていたのです。星座をモチーフに描かれたイルカの絵・・・「Zodiac」がとっても素敵・・・ポストカードでも買って帰ろうかしらと思っていたら、来場特典で、限定ティースプーンと、ポスターをもらっちゃいました♪ラッキー!!そのポスター見てたら、久々にぽっかりと言葉が浮かんできましたー。**********************もうすぐ、夜が来る。1つ星 キラリあなたが照らすのは誰?私はここ。光はちゃんと届いてる。深い蒼の影から控えめに輝きだした南の道標。でもね私にははっきり見える。何万光年でも。どんなに昔の光でも。不思議。この目に映る。今日生まれた星を数えるあいだにきっと私は眠りにおちて。流れ星みたいにキラリ目をとじる。1つ星。次に会うのはもういちど、暦をめくってからよ。あしたも、またあなたを見つけるから。
2005.08.02
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昨日の日記から一転して、ちょっと今日はダークです・・・。やばいなぁ。実は、昨日のあの連絡を受けてから、すごく悩んでしまって。ずんずん落ち込んでしまって。確かにいい流れ!!なんだけれど、これじゃ説明会の日まで、気力が持つかどうかわかりません。ごめんなさい。あんなこと昨日は書いたくせに、はっきり言って、今の自分にはそれほど勇気がないのです。「現場代行」、私にとってすごいプレッシャーです・・・。まだ住んで間もない街で、旦那も不在の状況の中、けっこうめまぐるしく、いろんなことがおきる。一瞬でそれをYESかNOか判断しなきゃいけない状況や、逆に、結果が出るまで待ち続けなければいけないこともある。私が気づかないところで、私に関わる重大なことが起きている場合もある。自分のその時その時の選択で、その後の毎日がガラッと変わってしまうことだってある。なんかいっぺんに、そういうのが怖くなってきてしまって。昨日は6時台にお風呂に入り、夕ご飯も食べずにずっと考えていました。本当は「もう寝ちゃおうかな」と思ったけれど、結局夜中の1時まで、何も出来ず、眠れず・・・。昨日の夕方、母に電話をかけました。上記のようなことをうだうだと語る娘に、母はひとこと「まぁとにかく、ちょっと帰ってらっしゃいよ。」この言葉で、だいぶココロが軽くなったけれど、ある種もやもやは残ったまま。なので、研修先の旦那に、短い手紙をかきました。電話じゃ、そう長くも語っていられないので・・・。今まで一緒に働いてきた仲間たちの「手」を、こっちから離したくないと思っているし、いつか戻りたかった場所のはずなのに。どうして勇気が出ないんだろう。今までと、全く間逆の立場の仕事だから?仕事自体が見つからなくて、苦しんで泣いてた自分も過去にいるのに。あの傷みを私は忘れたの?どうして今、こんなに悩むことがあるんだろう?
2005.07.12
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今日は七夕ですね。これは小浜島、細崎の写真。2003年4月。ポツンと映っているのは、私。海で、水面の下にある自分の両足を見つめながら、貝殻を探していました。いつの間にか、旦那が撮ってくれたようです。この写真、今までの沖縄写真の中でいちばん好きです。夜は満点の星空でした。***************《星の河 月の船》天の河隠す雲寂しさ隠す心のよう。涙のような雨もそっと地面を濡らすのでしょう。会えたらいいのに。せめて今日の夜くらいあの人に、姿が見えるように雲をかきわけ私を照らしてください。膝を抱えて、見上げる空。月の船があれば、あなたのそばまで行けますか?寂しいなんて、今は口が裂けても言えないもんなぁ。私は今日、誰と話そう?
2005.07.07
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私はきっとまだ旅の途中。実は、何も手に入れてないのかもしれない。本当に欲しいものを見つける旅だとしたら、終わりなんてみえるはずもないし、いまこうして立ち止まっているのもひとつの方法なのかもしれない。だけど、私の足は進みたがってる。教えて。どこまで行ったら楽になれるのだろう・・・。**********眠い・・・。最近つねに眠い。なんなんだろう?とりあえず山ほどやることはあるのに、動けません。体調のせいじゃなく。思考回路と、体で、やってることがバラバラです。私は本当に、もうすぐ旅立つんだなぁ・・・。人ごとのように思っておりますです。ハイ。
2005.06.20
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あの木の下に置いてきた夏の想い出あれから指折り数えたら両手でもたりないほどの夏がすぎた。今でも思い出せる。私の夏はいつも夕焼けの匂いがする。木の葉のざわめきも、長い帰り道も、鳥の影も、空の澄んだオレンジも私を一瞬であの頃に呼び戻すから。もうすぐそこに夏が来てる。幼い頃の夕焼けは、とってもとっても大きくて。どこまでも走っていける気がしてた。**********ちかごろ、よく見る夢があります。最近会えないけれど、懐かしいひとたち。電話ひとつで会える人も、何年か前、虹の橋を渡って遠くへ行った人もその中にはいるんだけど、ここ何日か、懐かしい人達が続けて登場する。夢の中で私の前にいきなり現れて微笑んでいる。そして、その人に会えたのが嬉しくて、私が号泣する夢。リアルに覚えてるのが、私自身の「戻ってくるの、ずっと待ってたんだよ」というセリフ。この声で目が覚めた日があった。これはいったい何を意味してるんだろう???
2005.06.16
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空を横切るひこうきぐも消えてしまうと知っていても私は息をするのも忘れて見ていたよ透明な空に放たれた白い線はどこまで昇っていくのだろうもうつかまえられないかもしれない糸の切れた風船のように私もいつしか漂ってたどりつくのは何処だろう?**********このドタバタな時期。10枚もの絵を仕上げた日。画用紙を塗りつぶしながら、私は、その下に敷いていた何日か前の新聞広告にふと目を奪われた。これから私の目指したいことと、ぴったり重なる広告記事があった。たしか、・・・前もこんな感覚だった。これまで私がいた職場の、求人広告を目にしたときも。2年と半年前。あれはまだ挙式も済ませていない、年の瀬だった。なんでかわからなかった。でも・・・「どうしてもこの場所に行ってみたい」その気持ちが私の背中を押したんだ。今回も・・・。今私が持っているものが、ひとつも無駄にならない。そんなふうにピンとくる感覚が、あの時と全く、同じだった。「出会いには時期があるのかもしれない」だとしたら、もうこれは「行け!」というサインだとしか思えない。よし。新しい扉をノックしよう。
2005.06.13
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今日はなんと、10枚もの絵を描きました。といってもポストカードサイズですが・・・。これはそのうちの、一枚です。絵の具を塗ったくりたい衝動は今日も続き、(笑)いろんなことを思い出しました。もともと技術なんてないくせに、何をためらっていたのか。私は。うまくやろう、成功させよう、キレイに見せようという思いがあって。「失敗から学ぶ人でありたい」なんて気持ちとはまったく裏腹な状態でいたことに気づきました。なんで勝手に自分を縛っていたんだろうなぁ。下手でもいーや!!思いっきり描いてやるー!!!中学時代、美術部に居た頃みたいに。・・・そんな気持ちを思い出した1日でした。
2005.06.09
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