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競馬好きの友人に触発されて、競馬でいかにすれば勝つことかを考えてみた。つまり投資した金額に対して、それと同等かそれ以上にする方法はないかということです。以下の投稿は、馬券を買うことをお勧めするものではありません。トータルで利益が上がる方法はないか、神経質者の観察力、分析力を活用して試行錯誤を行うとこう結果になるという事例の紹介です。私のやり方は過去の結果を徹底して分析することから取り掛かった。大数の法則に基づいて、投資金額よりも回収額が多くなる方法を確立することです。私の検証作業のやり方は次のようなものです。1日36レースあります。例えば、中山競馬場、阪神競馬場、小倉競馬場などのように全国3か所で、それぞれ12レースずつ実施されることが多い。36レース×20日間のデータをとったのです。合計で720個のデータになります。私は、投票対象として、単勝(1着になる馬を一頭当てる)、馬連(1着と2着に入る馬を当てる。着順は逆になってもよい)、馬単(同じく1着と2着の馬を当てる。その通りの着順が求められる)、枠連(例えば16頭立ての場合8つぐらいにグループ分けされている。1着と2着に入るグループを当てる)、3連複(1着、2着、3着に入る馬を当てる。順不同でも構わない)を調べた。それ以外にも馬券の買い方はいろいろとあるが、配当が悪かったり、確率が悪く調べる気力がわかなかった。この検証作業は大変時間がかかった。条件をたった一つ変更すれば、また一から720回の検証をしなければならなくなるのだ。そうした作業を、条件を変更して何度も行ってみた。でもそれを続けなければ、自分に合った勝てるルールは永遠にできない。幸い神経質性格で、食いついたら離さない性格なので、根気よくチャレンジしてきた。結論から言えば「馬単」の検証結果が一番良かった。検証結果に基づいて、720個の「馬単」の配当の金額別分布表を作ってみた。その結果は以下通りとなった。1000円まで13.5%、1000円から2000円まで18%、以下3000円まで15%、4000円まで5.8%、5000円まで6.6%、6000円まで6.1%、7000まで5.8%、8000円まで3.6%、9000円まで1.6%、10000円以上の高額配当になるもの24%となった。この中で、1000円以下の配当では、当たり回数はある程度確保できるが、回収額が少なく、やればやるほど損失になる。10000円以上の高額配当は1つでも当てれば、凡ての損失を取り戻せるのだが、闇夜に鉄砲を撃つようなもので、ほぼ当てることは不可能だと判断した。1000円から3000円までの分布帯は比率も高く見込みがありそうに思えた。特に1500円から3000円台に狙いをつけて投票すれば利益が残ることが分かった。しかし実際に検証してみると、その配当帯にオッズ(人気)が集中しており、最終利益にはなっても最大9つのオッズの全部に投票することになり、結局は経費倒れになることが分かった。トータルで利益を出すことは無理だった。これも不発に終わった。配当の価格帯を上げて、オッズ数がおおむね4つ以下で、トータルでプラスになるものはないか。するとかろうじて、その条件に見合うものがあった。それが5000円台の当たり馬券であった。この価格帯をさらに詳細に調べ上げたところ、20日間720回で46回の当たり馬券があった。率でいうとわずか6.3%であった。(46回÷720回)この時の合計配当額は、251260円であった。さらに検証を続けた。5000円台の当たり馬券で、オッズが3つ以内に収まるかどうかが気になった。検証の結果はかなりばらつきがあった。0回から最大9回まであった。平均すると1レース3.5回であった。5000円台のオッズを全部購入すると、1日36回のレースで、12600円であった。(3.5回×36レース×100円 投票単位は最低額の100円として検証した)ということは20日間のトータル経費は252000円となる。費用対効果はほぼ同じであった。これでは挑戦する意味がないと判断した。別の要素を組み合わせてパフォーマンスを向上できないかと考えた。46回の当たり馬券を向上することはもはや不可能に近い。反面252000円の経費を削減していくことは可能かもしれないと考えた。そのためには、エントリーする馬券を効率よく選択する事が必要になる。5000円台にくる可能性が低い馬券は最初から除外できないかと考えた。人気が高い馬が、1着2着3着に入着する可能性はかなり高いことが分かっている。1000円までの配当が13.5%、1000円から2000円まで18%もあるのだ。この二つだけで31.5%もあるのだ。仮にこれらが選択対象から外れると、残り68.5%での勝負となる。720回×68.5%=493回での勝負となる。勝率が上がり、経費がかなり下がるのです。ではどうして選択対象から外すレースを決めるのか。これは非常に難しい。よい提案があれば教えてもらいたいところです。とりあえず私は、馬単で5000円台で入着する時、馬連や3連複のオッズはどうなっているか調べた。すると、馬連の1位のオッズは6倍から8.9倍以内、馬単の1位のオッズが8.4倍から16.4倍、3連複のオッズが7.9倍から21倍に収まっていることが多いことに気づいた。46回の当たり馬券のうち、実に20回はこの条件に当てはまっていた。この条件を使ってエントリー除外のレースを判断することにした。この条件で選別するメリットが大きい。1日36レースのうち、約28レースは除外できるのだ。つまり大きく経費の削減ができるのだ。しかも勝率が向上する。この条件で勝負が可能なのは、1日あたり8レース程度だった。多くても10レースに絞れる。その代わり46回の5000台の当たり馬券のうち26回はあきらめるしかない。残りの20回の当たり馬券にかけるということになります。つぎに5000円台に入るオッズは平均すると3.5回だった。収支はどうなるか。一つの投票に対して100円しか賭けないやり方です。経費は、1日あたり、3.5回×100円×8レースで2800円である。10レースとすると3500円の経費となる。これを延べ20日間おこなうと56000円から70000円の経費となる。先に紹介した20回の当たり馬券というのは、20日間の中での当たり回数です。平均すると1日1回ぐらいです。当然当たりがこない日もあります。逆に2つの当たりがある日もあります。平均当たり馬券を5500円とすると、回収額は110000円となる。しかしこんなうまい話があるでしょうか。どうも疑心暗鬼になります。ではこれを半分の10回の当たりとみると、回収額55000円となります。ここらあたりが損益分岐点となります。これ以下の場合は競馬をしないほうがよいということになります。土曜日と日曜日に16レースから20レース(56回から70回)の投票で、1回当たればよいということです。できれば2回当たれば申し分ない。これ以外に問題になるのは、馬券を購入できるのは出走1分前までです。しかしこのオッズはレース1分前までどんどん変化しているのです。いかにレース直前で多くの人が投票しているのかよく分かる。50倍台のオッズがレースが終わった後、よく調べてみると40倍台に落ちていたということが発生する。当初の狙いからずれてしまうのです。これでは目標管理ができなくなる。それをできる限り防止するには、エントリーはスマホで行う。出走3分前に条件の確認を行い、2分前から1分前までに手早く投票を行うことが欠かせない。それを過ぎると無情にも締め切り時間になりはじかれてしまう。この確率論に基づいた投票が吉と出るか凶と出るか紙一重のところだと感じている。そうはいっても宝くじよりは相当の確率が期待できます。友人にこの方法を説明したところ、そのやり方は邪道だと言われた。友人は競馬新聞を丹念に見て、軸馬を決めて流しで買っているので話がかみ合わないのだ。友人は競馬をこよなく愛していて、昔から楽しんでいる。そういうのもありかなと思っている。仮説を立てての検証作業はいくらでも工夫の余地が出てくるので、結構面白いものです。あまりにものめりこむことだけは避けながら、確率の世界を極めて楽しみたい。実際に買わなくても、土日楽しむことはできます。
2021.04.05
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本日で200万アクセスを達成しました。9年と3か月目での達成となりました。私の予想よりも随分早かったです。始めた当初は10人から15人くらいのアクセスしかありませんでした。その期間がとても長かったです。現在アクセス数は、1000人を下回ることはほとんどありません。現在は平均すると1500人くらいかと思います。熱心に読んでいただいている皆様のおかげです。本当にありがとうございました。厚くお礼を申し上げたいと思います。ただ200万アクセスの達成は、通過点と考えています。今度20年間で1000万アクセスの達成を目標に設定したいと思います。とりあえず300万アクセスの達成ですが、2年半後を予定しています。このブログにアクセスされる方は、さまざまな問題を抱えながら、神経質性格を活かして、実りある人生を送りたいと願って、日々試行錯誤を重ねておられる方であると確信しております。森田理論学習の醍醐味は、神経症を克服するだけではなく、まさにこの点にあると確信しております。私はこのブログを通じて、微力ではありますが、精一杯の応援をさせていただきたいと考えております。さらに自分も成長していきたいと考えています。若い時は対人恐怖症でのたうち回っていました。でも今となっては懐かしく思い出すことができます。森田理論学習のおかげです。若い時に挫折し絶望の淵をさ迷ったとしても、終わりよければすべて良しということだと思います。この道より我を活かす道なし。この道を命のある限り愚直に進む。
2021.03.28
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世の中には珍しい同好会があるものである。ワイン好きの人が1か月に1回集まって高級ワインを味わうという会がある。会員の紹介があったので特別に参加させてもらった。正式メンバーは固定されているので、今回限りの参加だと言われた。一人2000円から5000円程度出して、高級ワインを1本だけ買う。一人では無理でも、人数が集まれば高級ワインを味わうことができるのだという。買い求める人は順番制になっているという。そのワインを開けて試飲して、感想を述べあうのである。そして評価をおこなう。歴史、産地、生産者、原材料となるブドウの種類、醸造法、ワイングラス、貯蔵などにやたら詳しい。それから、個人が今後期待しているワインについて意見を述べる。現在所蔵しいているワインを紹介する。普段飲んでいるワインの特徴を紹介する。ワインにまつわる情報や知識を拡げながら、素敵なワインに出会えることを夢見ているのである。決してワイン好きな人が、心ゆくまでがぶ飲みするような会ではない。そのため3時間ほどで終了となった。華やかな香り、柔らかな酸味、まろやかな渋みを味わいながら、至福の時間を過ごそうというのである。そういえば、集まっている人はなんだか雰囲気が違う。これは場違いなところに来たと思った。話がかみ合わないので聞くばかりである。ここに集まっている人たちは、生き方や考え方が精錬されているように感じた。普通の人を寄せ付けないオーラ、人間味を醸し出しているように感じた。私は今までワインは好きではなかった。1000円以下でコルクもついていないようなワインばかり飲んでいたため本物の味が分からなかったのだ。ワインは、ビール、清酒、焼酎、高級ウィスキーの足元にも及ばない飲み物だと思っていた。ポリフェノールが豊富で体によいので、我慢して飲むものだと思っていた。それは間違いだということがはっきり分かった。その認識はすべて払拭された。現在は、2000円程度の赤ワインを少しだけ飲んでいる。特にアメリカ産で「アポテックレッド」というワインが気に入っている。やや甘口で、今までのワインと比べて口当たりが全然違う。私の好みに合ったのだろう。原料のブドウは、メルロー、ジンファンデル、シラー、カベルネ・ソーヴィニヨンを混ぜ合わせて作っているようだ。フランスのボルドー地方では、このメルローとカベルネ・ソーヴィニヨンが主力だそうだ。友人に聞いたら、ワインは種類が多いので、飲み比べて自分に合うワインを見つけるのが楽しいと言われた。しかし予算もあるのでなかなか高級ワインには手が出ない。先日なんでも鑑定団に、1本が450万円と鑑定されたワインの出品があった。それが作られたのは、たしか1987年だった。醸造したのは、神の手を持つと言われたフランスのアンリ・ジャイエという人だった。フランスの東部ブルゴーニュ地方でブドウ栽培と醸造をされていた方である。すでに故人であるが、どんどん価格が高騰して幻のワインと言われている。この地方で作られるワインは、ピノ・ノワールという品種である。しぶみが少なく、柔らかな酸味、華やかな香りがするという。その中でも、アンリ・ジャイエは、化学肥料は一切使わない。それは葡萄の根が地中深く伸びていかないからだという。年5回土に酸素を送るために耕している。良果を得るため収穫量を制限している。そのために徹底した間引きをおこなう。不良な果実は絶対に使わない。その結果2割程度は廃棄している。選りすぐりのブドウを低温深漬し、自然酵母でゆっくりと熟成させている。そのアンリ・ジャイエが次のように語っている。「単なる飲み物に過ぎないと考えてワインに近づいてはならない。ワインは私たちの生き方であり、人生を彩る楽しみの一つなのだから」ブドウ栽培とワインの醸造に真剣に関わることで、人生を謳歌し、生きがいを見つけてきたと言いたいのであろう。本物は違う。本物の生き方は多くの人に大きな感動をもたらすということだと思う。私たちも森田理論学習によってそういう人間になりたいものです。
2021.03.23
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本日はつりさげひな祭りから依頼があり、1年ぶりにチンドン屋興行がありました。文章だけではわかりにくいと思います。you tubeだと、どんな様子か少しは分かるかと思います。ためしに検索してみてください。ピンクの帽子をかぶっているのが私です。アルトサックスを吹いています。
2021.03.20
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堀紘一さんの話です。少数派の意見を無視するようなことがあってはならない。少数派の意見を尊重するということは、まだ誰も考えつかないようなアイデアを他に先駆けて実行に移せるのだから、それが当たれば先行者利益で大儲けができる。私は、少数派の意見を尊重するために、会議で何かを決める時には「全会一致は否決」というルールを採用している。反対意見が出ないような提案は最初から否決する。誰か反対する者がいない限りは可決にならない。反対意見というのは、今から採用しようとしている案の問題点を述べるわけだ。そしてそれとは違った見方をした案のよさを主張する。何か物事を決めようとする時には、提案された案の欠点をすべて理解し、他の案のよさを捨てるという意思をはっきり持ち、確認しあわないと、後になってから、「ああ、やっぱりうまくいかなかったなあ。何か違ったやり方をしなければ」と朝令暮改につながっていくし、後悔することになる。そういうことを防ぐために反対意見ほど大切なものはないという考え方である。反対者がいて、議論を闘わせ十分納得したうえで議決する、という手法だ。(人と違うことをやれ 堀紘一 三笠書房 166ページより引用)この考え方はとてもユニークであると思う。また理にかなっている。しかし他人と対立することを嫌う人が多い。一般的に自分の意見に反対する人はイヤになって排除しようとするケースが多い。またこのやり方では、議論ばかりが多くなり、いつまでも方針が決まらなくなる。この変化の激しい世の中、早く決断して行動力を発揮することが成否を分けることもある。だから反対者や反対意見は排除する。あるいは抑え込んでしまう。全会一致ですべての物事を決定することは、平和的でみんながハッピーになれるという考え方である。合理的な考え方であるが、これで果たして後悔することはないのだろうか。森田理論の立場から言えば、「全会一致」の考え方は問題があるといわざるを得ない。森田では「両面観」という立場をとっている。私はこれを拡大して「多面観」とみている。物事は一面からばかり見ていては、事実を見誤ってしまうという考えである。円錐柱は真上や真下から見ると丸に見える。真正面から見ると三角形に見える。様々な角度から見ることで初めて、丸型でもないし三角形でもないことが分かる。正確に判断して方針を出すためには、あらゆる角度から検証しないと見誤ってしまうということです。方針を決定するときは、決して反対意見、別の見方、リスク、予想される問題点を軽々しく取り扱ってはならないということです。意見がまとまらなくて、決定するのに手間取っても、また仮に方針の決定に至らない事態に追い込まれても決して無視してはならないのです。田原総一朗さんの「朝まで生テレビ」では、意見の対立する論者をそれぞれ同数参加させている。喧々諤々の議論を見ているうちに、事実が明らかにされて、視聴者の意見がまとまってくるということだ。一方的な論者ばかり参加させていると世論操作を行うことになる。これは間違った方向に、国民を洗脳していることであって、あってはならないことだ。全体主義の国はすべて「全会一致」になる。反対意見を述べる人は、追放されるので、無理やり同調させられているのである。自由を奪われている。これは民主主義とは言えない。全体主義の国は、一部の特権階級の人がその国の富をすべてわがものにして、贅沢の限りを尽くそうというやましい考え方から出発しているようである。1割の富裕層と9割の貧困層から成り立っている。全体主義の国家体制は、反発する人や反対意見を抹殺するので、根強い民衆の反発を招く。権力や力の衰えたときには、反乱に発展して、その体制は簡単に崩壊する。一時は飛ぶ鳥を落とすような勢いを見せるが、いずれ崩壊していくのが歴史の示すとおりである。反対意見にも耳を傾けて、より良い方向を模索することかより大切である。森田理論では、「精神拮抗作用」と「欲望と不安の関係」の説明の中に、両面観の考え方が盛り込まれていると思う。精神拮抗作用は、人間には、ある考えが浮かぶとそれを打ち消すような考えが同時に湧き上がってくるようになっているというものです。神経症になると打ち消す方の考え方にとらわれて、本来の目的を失ってしまう。手段の自己目的化が起こり、それが葛藤や苦悩の原因を作り出している。森田理論で説明されている、「欲望と不安」の関係もそうですね。欲望が発生すると、必ず不安も発生する。欲望が大きくなれば不安も大きくなる。それは常に正比例しています。欲望が増えてくれば、不安の数も増えてきます。神経症に陥る人は、いつの間にか本来の欲望を忘れる。あるいは意識して簡単にあきらめてしまう。エネルギーのある人は不安の排除に専念する。エネルギーのない人は気分本位になって逃避の道を選ぶ。本来は第一優先に欲望の追及を考えるべきなのに、不安を取り去ることを唯一で絶対的な目標として認識してしまうのです。森田理論は背反する対立した事象に対して、反発しあうのではなく、事実関係を精査して、調和を目指している理論です。その両方に視線を向けて、注意深くバランス・調和を取りながら生活していきましょうという理論なのです。決して自分の考えた通りに事が進まないということです。
2021.03.03
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昨年12月20日、広島の世羅高校が、全国高校駅伝で男女とも優勝を果たした。その日はテレビで観戦した。下馬評としては女子は、鹿児島の神村学園と仙台育英高校が優勝候補だった。男子は、佐久長聖と仙台育英が優勝候補の筆頭で、世羅は二番手と紹介されていた。そんな中で男子は10回目の優勝だった。女子は2回目だった。勝因を分析してみた。いづれもケニアからの留学生が男女とも1名入っている。二人の活躍なしでは優勝はなかったといえる。現在は強豪校といわれるほとんどの高校にケニアからの留学生がいる。日本人だけのチームでは優勝することはほぼ不可能となっている。そのやり方はおかしいという人もいるが、優勝を目指している学校はどういう選手を留学させるかが戦略としては重要になる。世羅高校もずいぶん前から受け入れている。太いパイプができており、卒業後は日本語をマスターして実業団選手として活躍している。さらに世羅町民とっては、世羅高校の活躍は誇りであり、物心両面での援助を惜しまない。陸上競技部のOB、OG、卒業生などと一体となって応援している。その中には、実業団の監督や選手、大学の監督や選手も多数含まれている。宿舎の賄、1周2キロのクロスカントリーの専用練習場の清掃や整備は近所の人たちのボランティアである。次に監督やコーチによる選手の指導、目標の立て方、他校の分析などが重要になる。選手同士は、お互いライバルとして切磋琢磨し、能力の向上に取り組んでいる。スーパースターがいるだけでは、全国制覇は無理なことが分かっている。選手同士の一体感を作り上げることを目標にしている。京都のコースの研究、当日の気温、天気、他校の動向などの情報も有効だ。またサポーターが沿道に立ち、目標タイムとの誤差の情報を選手に伝えている。男子の場合、今回は2時間1分台が優勝するための条件だと思われていた。選手たちは世羅高校自身が5年前に出した大会記録2時間1分18秒の更新を目標としていた。この目標を共有化して、マスコミのインタビューに公開していたのが印象に残っている。全国の舞台に立つことで満足していたわけではなかったのだ。結果は記録更新はならなかったが、2時間1分30秒だった。記録の更新に今一歩だった。どこにどんな選手を配置するのかは、監督やコーチ、選手自身の腕の見せ所になる。男子の場合、京都の都大路では7名でタスキをつなぐ。他校ではレギュラーになれる力があっても、控えに回る選手が多数出る。そういう選手が裏方として役割を果たすことが大切になる。控えに回った選手が、やる気をなくしてはチームは一体になれない。県大会などは、控え選手を積極的に起用している。1区10キロ。ここは全国の高校長距離界のつわものがそろう。何しろ5キロを13分台で走る選手が10名以上もいるのだ。これはとてつもなく早い。ちなみに私の高校時代は20分くらいだった。これでは5キロ区間で2キロ以上離される。1区で離されては優勝には届かない。飛び出していく選手もいるが、それを追いかけていくと最後に失速する。先頭集団にいて、優勝候補の仙台育英や佐久長聖の選手に離されないことが目標になる。最後まで後ろについて、余裕があれば最後で初めて勝負するという戦略だ。これが達成できれば1区の責任は全うできる。それと7キロから先は急な登りとなる。ここで踏ん張る力が必要になる。。後半の坂に備えて力を温存できるかどうかがカギとなる。世羅高校は1区を何とか9位で通過した。ここを想定通りに通過したことが勝因の一つとなった。2区と5区は3キロと短い。ここはスピードランナーを起用する。最初からエンジン全開で走り抜ける必要がある。ペース配分よりも一人でも抜いて順位を上げる戦略になる。ここはいずれも区間5位と予定通りであった。一番重要な区間は3区と4区だといわれている。いずれも8キロ前後だ。ここに一番力のある選手を起用することが優勝条件だ。3区は全体的に登り坂になる。馬力のある選手の起用が欠かせない。世羅はここにケニアの留学生を置いた。他行の有力校もここにケニアの留学生をあてていた。世羅高の留学生は予定通りの走りを見せて2位に55秒の差をつけた。優勝がほのかに見えてきた瞬間だった。次の4区は下りになる。3区の次に最重要区間になる。スピードが求められる。またコンスタントに1キロ2分45秒から50秒のラップを刻む選手が求められる。世羅はキャプテンを配置して万全を期した。ところが現実は腹痛を起こして、横腹を抑えながら走っていた。ここでさらに差を広げる戦術だったが想定外のことが起きた。スピードに乗らなかった。誤算に終わる。区間13位に終わり、仙台育英などのチームの逆転優勝の可能性が残された。6区と7区はいずれも5キロである。6区は下り、7区は平たんなコースとなる。いずれも練習で身につけたペース配分を確実に守る走りが求められる。世羅は6区14分41秒で全体6位、7区は14分20秒で全体3位だった。仙台育英高校に14秒差まで追い込まれたが最後はなんとか逃げ切った。レースを振り返ってみて思うことは、目標を明確にして、それをチームで共有化して、全員が一枚岩となって取り組むことが何よりも大切であることを教えられた。私も生きる勇気をいただいた。
2021.02.03
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私が尊敬している元外交官馬渕睦夫氏と水島総氏の対談です。題は「アメリカの大株主 ディープステートの世界民営化計画」です。時間は1時間です。内容を簡単に紹介します。アメリカの大統領選挙が混乱の内に終わりました。トランプ大統領が、ディープステートから国民主権の政治体制に変えようとしていましたが、圧倒的な反対勢力の前に再選はかないませんでした。国民の支持だけではダメだったのです。今後の国際情勢は、アメリカのディープステート(国際金融資本)と中国共産党による世界の覇権争いに移っていきます。現在のところは、浸透工作に長けた中国共産党が、多少有利かなという状況です。いずれにしろ、今後の世界は、国民を無視して、全体主義、グローバル化、自由化、規制緩和、民営化、移民、植民地化がどんどん進んでいくでしょう。問題は、覇権争いが一段落したとき、世界中の人々が幸せをつかんでいるかどうかです。多分1割の富める人と貧しい生活を余儀なくされる9割の一般国民に二極分化されてしまうのではないでしょうか。情けないことですが、これが近い未来の現実です。日本は、土地が奪われ、あるいは合法的に買われ、国民健康保険が破綻し、国民年金が大幅にカットされることが予想されます。これは彼らの狙いです。その利権を外資が手ぐすね引いて狙っているのです。日本は、もともと食料の自給率が心もとないのが現状です。対抗手段の軍事力は、ほとんどアメリカに依存しています。自分たちで日本を守るという考えは全くと言っていいほど持っていません。これから考えられることは、結局日本は、覇権国に支配される国になってしまうということです。その時、私たちの生活はどうなるのでしょうか。残念なことですが、多分悲惨なことになるでしょう。最悪、日本という国は主権国家として存在していない可能性があります。この討論番組では、この問題を馬渕睦夫氏が分かりやすく分析されています。これを見ることである程度の世界の流れが分かります。今は、事実をつかむ時だと思います。無知ということだけは避けたいと思います。正確な情報をつかむ努力をしないと、後の祭りということになります。国会議員のほとんどが親中派という状況の中で、森田先生がいわれた事実を正確につかむことは怠らないようにしたいと思います。国際情勢、日本の政治・経済に関心のある方はぜひご視聴ください。自信を持ってお勧めする番組です。
2021.02.01
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今日は森田先生が大変評価されている西郷隆盛の一生を紹介してみたい。1827年 鹿児島市で誕生1833年 7歳で儒学を学び始める。1844年 18歳で薩摩藩の仕事を始める。1850年 24歳で陽明学を学ぶ。1852年 26歳で最初の結婚をする。1854年 28歳で藩主島津斉彬に見いだされて江戸に行く。妻とは離婚。1856年 30歳で篤姫の輿入れ準備に奔走している。1858年 32歳の時藩主島津斉彬死亡。僧月照と錦江湾で入水自殺を図ったが、一命をとりとめた。1859年 33歳の時藩命により奄美大島に潜居する。島の娘愛加那と結婚。2児を設ける。1861年 11月21日35歳の時藩主島津久光より召喚状が来る。1862年 しかし藩主島津久光の命令に背く行動により、今度は沖永良部島に流罪となる。1864年 38歳の時藩より召喚状が来る。7月禁門の変で長州兵を撃退している。1865年 イトと3度目の結婚をしている。3人の子供を設ける。1866年 40歳の時、坂本龍馬の立会いの下で薩長同盟を結ぶ。1868年 明治元年 42歳の時勝海舟と江戸城無血開城を決めた。1871年 45歳の時、廃藩置県を断行。1873年 47歳の時、陸軍大将になる。朝鮮問題が発生。閣議で決定した朝鮮派遣使節が中止になった。すべての役職を辞して鹿児島に戻る。1874年 48歳の時、私学校を作る。1875年 49歳の時、吉野開墾社を作る。農業に従事している。1877年 51歳の時、西南戦争が起きる。鹿児島の城山で自決する。波乱に満ちた短い生涯であった。最後は新政府と西南戦争で戦い国賊扱いされても仕方がないところであるが、明治天皇をはじめ、政治家、財界人、文化人、民衆から圧倒的な支持を集めている。前アメリカ大統領のトランプさんとよく似ている。1889年 憲法発布の大赦で罪を赦されて「正三位」を追贈されている。1898年 上野に高村光雲作の犬を連れた浴衣姿の西郷隆盛の銅像が建てられた。鹿児島の城山にも西郷隆盛像がある。山形県鶴岡市には「敬天愛人」の碑がある。「南洲翁遺訓」という本があるが、これは庄内藩有志によって作られた。当時庄内藩は幕府派に属しており、討幕派の薩摩藩とは敵対関係にあった。庄内藩はこともあろうに、江戸の薩摩藩邸を焼き討ちにしたのである。その後庄内藩はそれ相当の報復を覚悟していたという。ところが官軍の総大将の西郷隆盛は、きわめて寛大な処置をとり、敗者に恥辱を与えることをしなかったのだ。これに感激した庄内藩はいたく感動して、以後西郷隆盛に指導を仰ぐようになった。この本は西郷隆盛に指導を受けた人たちが、西郷隆盛から聞いた人生訓、政治家、指導者、リーダたちの心構えのことを書いている。
2021.01.27
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現在「第1回企業向けビデオセミナー 働く人のメンタルヘルスと森田療法」と題して、you tubeで北西憲二先生の講演の動画がアップされています。ご覧になりたい方は、公益財団法人メタルヘルス岡本記念財団のホームページにアクセスしてみてください。告知がないせいか、まだ100人足らずの人しか見ておられないようです。視聴期間が1月18日(月)12時までとなっています。私も全部は視聴していませんが、大変分かりやすい内容です。取り急ぎご案内いたします。
2021.01.16
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みなさま、新年あけましておめでとうございます。昨年はコロナウィルスの感染拡大で大変な年でした。昨今では変異種が問題になっていますね。なんとか早期に収束して、平穏な日々に戻ることを祈るばかりです。それとアメリカの大統領選挙の混乱に見られるように、世界の政治、経済の情勢が混迷の度を深めてきました。どちらが大統領になるにしても、中国を含めて内乱が起きるように思えてなりません。さて、私のこのブログは今年で9年目に入ります。昨年は1年間で延べ42万人のアクセスがありました。1日あたりでは1000人強です。建設的な助言をいただきながら、暖かく見守っていただいた読者の皆様には感謝いたします。本当にありがとうございました。今年前半には、一つの節目である延べ200万人のアクセスは達成できそうです。夢としては、そこは通過点で、今後20年で1000万アクセスを目指したいと考えています。1年で約40万アクセスが続くと仮定すると、20年で800万アクセスになります。1000万アクセスは決して非現実的なことではないと思っております。達成できれば、少しは森田理論が多くの人に伝わるのではないかと考えております。大きな目標を持って、実践目標は小刻みに頑張ってまいります。そのためには1にも2にも投稿内容が大切になってきます。内容が悪ければアクセスする人はすぐにいなくなってしまいます。さらに精進していく覚悟です。さて、森田理論は、神経質性格者の方にとって、人生観確立のために一度は真剣に学ばなければならない哲学であると考えています。学んだ方が神経質な人にとって、絶対にプラスになる理論となっています。それを「分かりやすく具体的な例を織り交ぜて解説する」「日常生活への応用や活用方法の提案を積極的に行う」「森田理論をもとにして政治、経済、外交、国防、日本の自立、安全保障、食料問題、環境問題にも言及していく」をモットーとして、今年1年を楽しみながらさっそうと駆け抜けていきたいと思っております。一人でも多くの人に森田理論を深めていただいて、素晴らしい人生観の獲得のお手伝いをさせていただきたいと願っております。今年もどうぞよろしくお願いいたします。東洋の地中海といわれています岡山県牛窓の海です。オリーブで有名です。向こうに見える島は小豆島です。瀬戸内海は穏やかな新年を迎えています。
2021.01.01
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中国新聞の11月1日の記事に次のようなものがあった。大阪大学のM教授らの調査によれば、「コロナウィルスの感染は自業自得だと思う」と答えた人の割合は、米国では1%だったのに対し、日本では11.5%もいたという。逆に「コロナウィルスへの感染は自己責任ではないと思う」と質問した場合、外国人は60~70%の人がその通りだと答えていた。日本人では29.25%だったという。これが何を意味するのかを考えてみたいと思います。日本ではコロナウィルスへの感染の防止のためには、自らの力で万全を期してくださいということになります。基本的には、国民の総意として、コロナウィルス感染は自業自得ということです。国や地方公共団体は感染防止のために、自宅待機、リモートでの仕事や授業の推進、移動禁止措置、業務自粛の要請を行います。コロナウィルス感染拡大の防止のためです。ただし、それらに応じた人たちに対して、手厚い粗利補償、生活保障は行いません。廃業や倒産する個人商店や中小企業が発生しても、それは運が悪かったとあきらめてくださいということになるのです。日本の銀行は以前は護送船団方式といって、つぶれる銀行は他の銀行が手を差し伸べて絶対につぶさないという方針を持っていました。つまり助けあい、相互扶助の精神が貫徹されていたのです。企業でも、終身雇用制で個人の生活を生涯にわたって守っていくというのが日本の良さでもあったのです。会社に入ることは、愛社精神をもって、家族の一員になる事だったのです。田舎では、共同体としての活動が自分たちの生活を守るという側面がありました。治水、水利利用権、農作業、屋根の吹き替え、山野の保全、葬儀、子育てなどは地域全体が協力し合っていました。現在は自由で束縛のない社会、経済、生活への要請にこたえて、助け合い、相互扶助、共同体の維持という日本式の精神はほぼ解体されました。田舎でさえも、隣近所の人とは人間関係は希薄になっています。自己の責任で他人に迷惑をかけないようにして、自由自在に好きなことに取り組んでください。葬儀も葬儀会社に頼んで行ってください。焼香にだけは行きますからという風潮です。これでは都会のマンション暮らしと変わりません。マンション暮らしで隣の人とかかわるのは、騒音、ごみ処理などの迷惑行為があった場合に限られています。今や多くの人が横の人間関係を断ち、個人の殻に立てこもって生活するようになりました。その生活を破壊する場合には、激しく抵抗を見せる。それ以外は「隣の人は何をする人ぞ」というスタンスで、基本的には無関心を装います。こういう殺伐とした生活を益々加速させる社会になろうとしています。最後には人間が人間を騙し、攻撃する社会に変貌しつつあるように感じています。「今だけ、金だけ、自分だけ」という閉塞的な社会になりつつあります。そういう目的を持って行動している人たちを、常にウォッチしていないといつの間にか取り込まれて抜け出すことができなくなる。自分の生活がどんどん破壊されてしまう。常に後ろを警戒していないと、いつ襲われるかもしれないという社会が目の前にまで迫っているのです。群れる事を忌み嫌う人間に将来はあるのでしょうか。多くの人が森田理論を学習することで、人間関係の在り方を見直してほしいものです。
2020.12.13
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現在you tubeで「心のビデオセミナー」が放映されています。講師は元斎藤神経科院長の斎藤直己先生です。演題は、「森田療法による不安の付き合い方」です。1、森田療法と不安の成り立ち2、症状解説(パニック症)3、症状解説(社会不安症と身体表現性障害)4、症状解説(強迫症)放映期間 12月7日(月) 12時までご覧になりたい方は、公益財団法人メンタルヘルス岡本記念財団のホームページにアクセスしてください。第8回心のビデオセミナーをクリックしてご視聴ください。
2020.12.05
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ただいま公益財団法人 メンタルヘルス岡本記念財団の提供によりビデオセミナー開催されています。you tube配信です。今回は、慈恵医科大学の舘野歩先生の講話です。題は「パニック症 うつ病に対する森田療法」です。 期間は10月26日(月) 12時までです。関心のある方は、是非ともご視聴ください。
2020.10.24
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現在you tubeのテレビ番組で、元大使の馬渕睦夫さんが、「これからの日本の未来を語る」と題して重要な提言をされています。題は「草奔掘起 緊急講演会」です。時間はちょっと長いのですが、2時間28分ほどです。日本の政治、経済、外交、安全保障、国民の暮らしに関心をお持ちの方は、参考になると思われますので、ぜひとも視聴されることをお勧めいたします。
2020.10.18
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森田先生のところに入院すると、読書は20日ぐらいたってから許された。備え付けの本は、主として植物などの事実を述べたもので、小説類は1冊もなかった。(形外先生言行録 135ページ)その中で私が関心があるのは、森田先生が「古事記」を読ませていたということです。森田療法と何か関係があるかもしれない。早速調べてみた。古事記は、日本の国の始まりを書いた神話です。天上に住んでいる天照大御神が、孫の「ニギギミノミコト」を人間世界に送り込まれた。これを天孫降臨という。これが3000年続いている万世一系の天皇制の始まりである。神道の面白いところはいくつかある。その一つに、天皇は権力は持たないが、権威は持っているというのがある。人々が畏敬の念を持って、頭を垂れるほどの権威を持っているのだ。そういう意味では、日本人は「心のふるさと」というものを持っている。西欧や中国では、絶対権力者が同時に権威を持っている。これが日本では国の始まりの時点から、別々になっているというのだ。これが大変大きな意味を持っていることに今回の学習でよく分かった。天皇の存在は、権力者の暴走を諫める役割をもともと持っているのだ。それが日本人の行動様式の基盤になっているのである。次に、天照大御神は、先祖をお祀りし、稲作を行っている。種もみから苗を育て、田植えをして、稲刈りをしている。カイコを飼い、絹糸を生産し、着物を織っていた。日本の神様は、もとも自給自足を基本としていたのだ。この伝統行事は、現在も皇居で行われている。天皇が田植えをされて、稲刈りもされる。収穫物は、11月23日の新嘗祭で、天照大御神に供えられて、その後共食される。さらに、日本では八百万(やおよろず)の神様がいるという。つまり多神教なのです。他の神様を排除していないというのが大きな特徴です。外国では、一神教です。宗教が異なれば、結婚しようなどと言う気持ちにはなりません。つまり自分たちの生活圏から排除したいという欲望に駆られてしまうのです。この神様は、横並びで平等であるという。支配被支配とは無縁な関係にある。さらに、この神様はみんな仕事を持って働いている。働くことは神事なのである。神道では、それぞれが違った役割を持ち、役割を立派に果たすことで、人々が助け合う社会を目指している。注連縄(しめなわ)というのは、もともとくつろぐ場所と働く場所を区別するものなのです。働くということは、苦痛なものではなく、他人の役に立つ行為であり、喜びなのです。農作業、漁業、道具や生活必需品の制作、商人の仕事を通じて、能力を高め、精神的な修行をしているのです。仕事によって満足感と人生観を獲得しているとみているのです。現代の社会は、労働は労働対価を得るために我慢して耐えると考えます。そして、すぐに得か損か、見返りがあるかどうかを求めます。もともと日本で伝統的に伝わってきた労働に対する考え方というのは、見返りを求めず、献身的な行為のことだったのです。そして人々が手を携えて、楽しむものだったのです。こういう考え方というのは、欧米のグローバリストたちにとっては、理解しがたいのです。権威を持つ人と権力者が分離している。権威者が権力者をけん制している。自給自足を基本にしている。国民や国家が豊かになることを希求している。労働することは自己を成長させて、周りの人たちを豊かにするものだと考えている。グローバリストたちにとって、そういう考え方が全世界にはびこることは許しがたい事なのです。こういう考えだと自分たちの儲けにならないからです。この人たちは、国境を無くして、全世界の富を独占したいという欲望が暴走しているのです。自由貿易、規制緩和、民営化、紛争や戦争を推進することが、自分たちの利益に合致するものだからです。そういう人たちが全世界の人口の1割はいるといわれています。問題は後の9割の人たちは、その人たちの犠牲の対象にされてしまうということです。そういう仕組みが20世紀の初頭に、イギリスやアメリカで作られました。この考え方が、21世紀に入って容認されるということは、人間にとっては不幸なことです。人類の将来にとっては、どこかで修正されるべきものと考えます。そうしないと人類は滅亡するしかないと思います。以前地球上で欲望が暴走して、自ら滅亡を招いた人間というバカな生き物がいたと語り継がれる日が来るかもしれません。この考え方を見直すことができるとすれば、日本的な考え方です。その源流は古事記や日本書紀にあるのです。「古事記」の精神を再評価していきたいと考えます。そしてそれを引き継いでいる森田理論の考え方を世界に発信していきたいものです。
2020.10.11
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最近友人から本を読むのならkindleがよいと紹介されました。試しに使ってみました。その内容を説明したいと思います。スマホにkindieをダウンロードしました。次に読みたい本を検索します。内容を確認して、読みたければ購入します。市販のものより安いものが多い。0円の本もあります。例えば、「神経質に対する余の特殊療法」(森田正馬)は無料でした。昨日は「国際ニュースの読み方」(馬渕睦夫)を購入しました。3時間で読み終えました。読みたいと思ったらすぐに手に入ります。送料もいらない。しかも割引価格になります。つぎに、使い勝手ですが、紙ベースの本と比べて格段に良いと思います。第一、読み終わった本が増えていきません。沢山の本をダウンロードして、ライブラリーに保存します。読みたい本を表示させて、好きな時に好きな本を読むことができます。待ち時間や移動時間が有効活用できます。本好きな人は、ここはと思ったところは、付箋をつけられていると思います。これに関してはブックマークという機能があります。この印が付いたものは、マイノートを表示させれば、付箋のついたページだけを表示さて読むことができます。それから、大事だと思うところは、マーカーなどで印をつけられると思います。印をつけておきたい場所は、ドラッグすると、黄色、水色、ピンク、肌色などに色付けされます。これもマイノートを表示させれば、その部分を簡単に見ることができます。後で読み返す時は、このマイノートでポイントを押さえます。私はブログに投稿する文章を書く時は、それらの部分からヒントを得て書いています。紙ベースの時と比べて、ほとんど内容に差はないように感じています。さらに難しい言葉は、その言葉の解説が入ります。それから黒字に白文字表示ができます。これが目に優しい。文字サイズは好きなように拡大できます。視力が落ちてきた人には重宝です。次に、本の表示は、普通1ページが表示されています。1ページに表示された文章は少ないのですぐに読むことができます。読み終わったら、指で右にドラッグすると次のページに移ります。その画面で、ダブルクリックすると連続したページに移行しますので、前後のページにすぐに移動できます。その時のページ数も確認できます。さらにスマホに9分割表示もできます。これを上にスクロールすると、自由自在にページを飛ぶこともできます。ブックマークのついたページやマーカーのついたページにすぐに飛ぶことができます。この部分をクリックすると、1ページの拡大画面になります。目次から読みたい章への移動もできます。途中で中断して電源を落としても、立ち上げるとその部分が出てきます。現在読みたい本は、「怒らない禅の作法」「言い訳」「古事記」「脳はバカ 腸はかしこい」「グローバリズムを超えて自立する日本」「私の財産告白」などです。まだまだいろんな機能があるのだろうと思いますが、今わかっていることは以上です。役に立つと思われた方は試してみてください。
2020.09.26
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ピーク・エンド法則とは。最も感情が動いたとき(ピーク)と、一連の出来事が終わった時(エンド)の記憶だけで、ある経験について全体的な印象が決定されるという法則です。つまり、途中でどんなに苦しい事、悲しいことが連続していたとしても、一つの感動体験とそれらを乗り越えて、最後に到達した地点によって、それまでの葛藤や苦悩はすべて清算されてしまうという考え方です。終わりよければすべてよしということです。これは2002年ノーベル賞を受賞した、行動経済学者のダニエル。カーネマンが提唱している理論です。具体的な例で説明しましょう。ディズニーランドなどで人気のあるアトラクションでは長時間の待ち時間があります。2時間とか3時間になることもあるそうです。考えただけでうんざりします。順番が来て、やっとお目当てのアトラクションに乗れました。しかしその時間はたったの5分間ぐらいなものです。待ち時間に比べて、楽しみの時間が少なすぎです。大きな不満が残るのではないかと考えられます。ところが実際には、お目当てのアトラクションに乗れたという結果と満足感によって、長い待ち時間という精神的・肉体的な苦痛は相殺されてしまうのです。ハッピーな気持ちになれるのです。考えてみれば不思議ことですが、それが事実です。これと同じように、私たちは症状は千差万別ですが、それぞれ神経症で苦しみました。幸運なことに、その途中で森田療法に出会いました。さらに生活の発見会という自助組織に関わることができました。葛藤や苦悩の末にやっと光明を見つけ出したようなものです。森田で救われるかもしれないと思った体験は、人生の転機となりました。感情が大きく揺さぶられるピークの体験を一度は持つことができたのです。ところが、そのまま人生が好転したわけではありません。紆余曲折の連続でした。人生を投げ出してしまいたいと思うことも何度もありました。ところが人生の第4コーナーを回り、ゴール地点が見えたころ、森田理論に関わってきて、この人生でよかったのだと思うようになりました。つまり波でいえば、いったんピークをつけて、またずるずると下降して来た運勢が最後にまた上昇して、ついに以前のピーク地点を追い越していたというイメージだと思います。理想通りの人生を歩んできたといっても過言ではありません。もしピーク・エンド体験がなかったらと思うと、ぞっとします。神経症を抱えながら、森田との出会いもなかった。自助組織とのかかわりもなかった。森田理論の深耕体験もなかった。自分の人生は最後まで神経症との格闘の歴史であった。人間に生まれたことは、最大の不幸を背負ったことだった。こうして人生の最終章を迎えた人に比べると、自分はなんと幸せな人生だったことかと思わずにはいられません。運命とは言え、森田と出会い、森田でもまれて、最後には富士山頂に到達することができた。これは望外の喜びであったと思えるのです。つらいと思いながらも、目の前の一歩を踏み出し、歩き続けることで、気が付いてみるととんでもないところに到達していたという気持ちです。森田理論を学ぶ機会に出会えたこと、一緒に学ぶ仲間に出会えたことに感謝したいと思います。そしてその受けた恩恵は必ず後世に伝えてゆきたいと思っております。
2020.09.17
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先日の集談会で大変興味深い話を聞いた。その方は郷土の歴史研究会に所属して様々なことを研究されている。その中に、赤穂義士の大石内蔵助の妻の理玖と三男大三郎の墓が広島の国泰寺にある事を知られた。兵庫県の赤穂市にあるのならば納得できるが、なぜ広島にあるのか疑問に持たれた。興味と関心が高まってきたのだ。早速国泰寺に出向き、本堂と墓を確認されている。写真を撮られ報告書に載せている。寺もさることながら、墓も立派なものだった。そのあとが凄い。さらに好奇心に火が付いたのだ。広島市立図書館に何度も足を運んで半年余り研究された。苦労の連続で投げ出したい気持ちが常にあったそうだ。それでも何とかA4用紙8枚のレーボートにまとめ上げて、歴史研究会で発表された。その内容が素晴らしい。疑問がすべて解き明かされた。感動した。まさに神経質性格のなせる業である。報告書の中に大石理玖と大三郎の詳しい年表を作られている。大石家の家族図も作られた。大石理玖さんは、1669年に兵庫県豊岡で出生。18歳で28歳の大石内蔵助と結婚。その後5人の子供を設けた。1701年浅野内匠頭が松の廊下で吉良氏を切りつける。即日切腹をさせられた。2年後の1703年赤穂浪士の吉良邸襲撃事件が起こる。長男の主税は大石内蔵助とともに討ち入りに参加。妻理玖さんは討ち入り前に離縁させられて、子どもを引き連れて豊岡の実家に戻っている。その後、実家の石束家の家運が傾いてきた。生活できなくなったのである。その時、浅野内匠頭の親戚筋であった広島藩主の浅野吉長が手を差し伸べた。大三郎には1500石旗奉行次席に取り立て、妻理玖には隠居料100石を与えた。このようにして、大石内蔵助の妻理玖、三男大三郎の墓が広島に存在しているのである。赤穂浪士の事件がなければ、赤穂市に墓があるはずだ。この方は、その後国泰寺の来歴、浅野家の家系図、妻が離縁されたときの状況、赤穂浪士の遺児の処罰と赦免、次女の大石ルリや理玖の兄の石束毎明の生涯についても調べられている。さらに討ち入りに参加しながら、引き上げの際に姿を消した寺坂吉右衛門信行についても言及されていた。興味と関心に弾みがついて、どんどんと広がっていったのである。一つの小さな興味や関心を膨らませていくことが、森田理論のめざしているところであるが、まさにその実践の過程を目の前に示してくださったと思うのである。ちなみにこの方は強迫神経症を克服して、日々森田的な生活を送られている。
2020.09.12
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プロ野球のファンの人で、ひいきのチームが負けるとイライラして不機嫌になる人がいます。負け試合を振り返って、監督や選手の批判を始めます。選手の采配や、チャンスに凡退した選手をこき下ろすのです。辛辣な解説者や評論家のようです。それでも憤懣やるかたない不快感はどうすることもできません。その日のプロ野球ニースは見る気にもならない。次の日の朝刊も見る気にもならない。次の日も不快な感情でいっぱいで生活や仕事、対人関係に悪影響を及ぼしています。ストレスを発散するはずの野球観戦が、逆に自分の精神状態を混乱させている。この問題はどのように考えたらよいのでしょうか。こういう人は、ひいきのチームが勝って、存分に快の感情を味わいたいのです。ところが勝負事には負けることもあります。しかし負けてしまうと、不快感という不利益をまき散らすので、決して受け入れることができないのです。ましてやイライラや不機嫌な精神状態は、同時に身体面の不調も招いてしまうのでなおさら許せないのです。スカパーを契約して全試合を見ている人や年間指定席券を買って球場に出かけて応援している人などは、その傾向が強いと思われます。かわいさ余って憎さ100倍といった感じです。これは境界性人格障害を持った人とよく似ています。過剰に誉めたかと思うと、気に入らないことがあると、手のひらを変えたようにこき下ろすのです。感情の起伏が激しすぎて、人間関係がすぐに壊れてしまうのです。そんな不快な感情に振り回されるのが嫌なら最初から観戦などしなければよいと思うのですが、試合のある日は朝から楽しみにしているのです。これは勝てば何とも言えない至福の心境に至ることを神経細胞が覚えているからです。これは脳の快楽神経系(エーテン神経)にきっちりと埋め込まれており、たびたびその快感を味わいたいという神経の仕組みが出来上がっているのです。この状況は程度の差はありますが、一種のプロ野球観戦依存症といわれるものです。依存症には、ご存じのように、薬物、アルコール、ギャンブル、パチンコ、ニコチン、ネットゲーム、買い物、仕事などいろいろあります。最初何気なく始めたことが、得も言われぬ快感になり、しだいにのめりこんでいくというものです。そのうちそれなしでは生きていけなくなる。最悪の場合、自己破産、家族崩壊、刑事沙汰、精神的・身体的不具合を起こします。いったん依存症に陥ると、そんなことは分かっていても、自分の力で抜け出すことは大変難しい。もがけばもがくほどアリ地獄の底へと落ちていく。それはドーパミンなどの神経伝達物質がエーテン神経を刺激して、快楽を得続けるというシステムが常時作動しているからです。もしこれを遮断すると、精神的にイライラしてじっとしていられなくなる。不快、不安、焦燥感が襲ってきて、それを解消するために、また依存対象に手を出していく。そして、さらにのめりこんでいくようになる。エスカレートして使用量が増える。アルコール依存症になると、医師の指導の下に回復を目指すことになる。断酒会に入って仲間同士で励ましあう。その時は完全にアルコールは絶つそうだ。一滴でもアルコールを体内に入れると、脳が目覚めて元の木阿弥になる。プロ野球観戦依存症はそこまで行きつくことはないと思うが、その心理的メカニズムは他の重篤な依存症に近いという事を自覚しておくことが必要だと思います。
2020.08.24
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森田先生は、好きだった酒と煙草を止めたといわれている。これをすんなりと止めることができたわけではなかったようだ。習慣になっていて、理知的に抑制しようとすると「度を過ごしさえしなければ、さほど悪いことはあるまい」などと言う自己弁護に負けてしまう。煙草を止めるきっかけとなったのは、肺炎の時の咳と、呼吸困難の苦しさを思い出すようになってからである。肺炎の時の呼吸困難は死を予感させるのである。(森田全集 第5巻 400ページより要旨引用)森田先生は死を予感するようになってやっとニコチン依存症と決別できたのだ。現在依存症といわれているものに、アルコール、ギャンブル、薬物、ニコチン、仕事、投資、ネットゲーム、風俗、買い物、グルメなどがある。これらは本能的な欲望、刺激的、快楽的な欲望が暴走して、自分の意志の力では制御できなくなっている。車でいえばブレーキが壊れた車を、坂道でアクセルをふかしている状態である。この状態では理性で制御できないし、無力である。一旦弾みがついてしまうと、ますますのめりこみ勢いづく。またある時止めようと思いついても、イライラなどの禁断症状で悩まされる。最後に解雇、自己破産、家庭崩壊、精神錯乱、健康破壊、逮捕などで強制的に中止させられる。新聞やテレビ報道などに及ぶと親族にまで悪影響が及ぶ。依存症さえなければ、まともな生活が送れたのに、取り返しのつかない人生に陥ってしまう。後で悔やんでも悔やみきれないのだが、あとの祭りである。最悪の結果を招く前に手を打つ必要があると思う。私は以前パチンコ依存症になりかけた。湯水のようにパチンコに財産を使っていた。寝ても覚めてもパチンコのことが頭から消えることはなかったのだ。幸い借金をしてまでのめりこむことはなかった。知り合いは、友達から借金したり、キャッシングに手を出している人もいた。夫婦でのめりこんでいる人もいた。そういう人は最後には悲惨な目にあっていた。私の場合は、妻の強制力が役に立った。その時は反発していたが、今は感謝している。最後には貯金が底をつき、毎日こずかいを1000円しか持たしてもらえなかった。また借金をすること自体が嫌な性格だったことがよかったと思う。こうなれば手も足も出ない。それでも500円だけパチンコをするという日もあった。つまり物理的に不可能という状態に追い込まれて、仕方なしに遠のいていった。最初はパチンコ屋の前の道は避けるようにしていた。3か月、6か月と経つと、別にパチンコをしたいという気持ちが希薄になっていることに気が付いた。今ではなんとお金の無駄使いをしていたのかと思う。今ではパチンコやスロットをやりたいという欲望は全くない。今振り返ってみると、依存症になった時は自分の力では乗り越えることはできないと覚悟を決めることだ。そういう傾向のある人は、自分一人で行動してはいけない。信頼できる配偶者、友達、先輩などと行動する。自分は抑止力が壊れているのだから、他で補いをつけるしかない。また依存症の人たちの自助組織もあるので参加することが有効だ。公的機関やNPOなどの助けを借りることも考える。依存症になると、少しぐらいはいいだろうと考えることが、命取りになるという事を肝に銘じておくことだ。一滴のアルコールが悪魔のささやきともなるのである。神経症の人は依存症とは関係ないような気がするが、時々依存症の人をみかける。脳の問題なので誰でも陥る可能性があるのだと思う。
2020.08.04
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文化庁メディア芸術祭漫画部門で賞をもらわれた漫画である。描いた人は素人の漫画家、田中宏明氏である。内容は、北海道小樽の小児精神外科医の高橋義男さんの医療活動を取り扱っている。実際には高橋医師の下で奇跡の生還を果たした家族のありのままの生活を描いている。すべてドキュメンタリーである。高橋医師は、脳に障害を持って生まれた子供たちにリスクを冒しながら、可能性のある手術を提案し、同意があれば難手術を引きける。手術が終わった後も、その子供たちを暖かく寄り添い、社会に出るまで面倒を見ている。診察室には感謝の手紙、子供たちの写真でいっぱい張り付けてあった。涙なしでは見られない。実はこの漫画を描いた田中さんの次男は水頭症で生まれてきた。髄液が脳内に充満して脳を圧迫していた。放置すれば知的障害、精神障害、運動障害を引き起こす。さらに早死を招いてしまう。これには髄液を抜くポンプを一生涯取り付けるシャント手術がある。手術自体は比較的容易だという。しかし不具合が起こりやすくメンテなどの手間がかかる。もう一つは内視鏡手術がある。脳に内視鏡を入れて、髄液の通り道を作る手術だ。これは難手術になる。成功する確率は格段に落ちる。脳内の血管や神経を傷つけると、重い後遺症が残る。もし手術に失敗すれば即死につながる。田中さんは内視鏡手術を選択して、高橋医師もそれを引き受けた。幸い手術は成功して、後遺症も残らなかった。現在田中さんの次男は17歳になるが、普通の人と同じような生活ができるようになった。高橋医師は薬害ヤコブ訴訟の原告団を応援して、国や製薬会社と戦った。そのせいで、手術設備のある病院を追われることになった。復帰を願う嘆願書が5万通も集まったが、すぐには覆らなかった。田中さんもその扱いに疑問を抱き、自分が趣味で取り組んでいた漫画で、高橋医師のことを知ってもらいたいと決意した。これが大反響を起こしたのだ。漫画の中に裂脳症で生まれてきた子供のありのままの生活を描いた作品があった。裂脳症とは脳が半分しかない病気である。きわめて重篤な病気である。放置すると植物人間としてしか生きてはいけない。高橋医師は髄液を抜けば、脳が成長してくることにかすかな望みを持っていた。そして手術後、刺激を与え続けて状況が少しでも好転することに期待を寄せていた。両親も奇異な目で見られることに耐えながら、懸命に刺激を与え続けた。その成果が出た。その子は現在27歳になる。車いすでの生活です。言葉はしゃべれません。ところが脳が成長して、人の話が理解できるようになった。自ら考えることができるようになった。自分の気持ちは端末に手で打ち込んで伝えている。言葉を理解することも、自分の気持ちも伝えることができないといわれていた子供がここまでできるようになったのです。そして今では家族と笑いながら生活している。高橋医師の口癖は、「思い切ってチャレンジしてみませんか」という言葉だそうだ。そしてその子が社会に出るまでは、いつも気にかけて見守っている医者だった。他人に「かくあるべし」を押し付けることの多い私にとっては衝撃的な話であった。何度も涙が止まらなく出るという番組であった。以上、逆転人生より紹介しました。
2020.07.15
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森田先生のところに入院していた人で陸軍大尉の人がいた。読書恐怖という神経症のために、職を辞し、その後根岸病院の看護人をされていた人である。森田先生は、一番残念なことは、神経症のために職業を捨てる人です。病気が治ってのち、あとから取り返しがつかない。神経症の患者で、私のところへ診察を受けに来る人には、私は職業を辞めさせない。これは私の大きな人助けだと思っている。普通の医者は、この同じ患者に対して、必ず休学させたり、職を辞めさせたりするのが常である。(森田全集第5巻 341ページより引用)私も対人恐怖症で苦しいときなどに仕事を辞めて楽になりたいと思った。しかし、家族の生活がかかっていたので、辞めることができなかった。毎日針の筵に座っているようで、苦しかった。仕事は上の空で、イージーミスも多かった。疑心暗鬼で、人間関係も悪く、見るからに暗い顔をしていた。ただ、今考えると、超低空飛行ではあったが、墜落はしなかった。これが肝心だ。大きな意味があると思う。一旦墜落してしまうと、再度飛び立つのに莫大なエネルギーを使う事を後で知った。下手をすると永遠に飛び立つことができなくなる。そんな時、集談会の仲間たちが、親身になって私の話を聞いてくれた。私の場合は1か月に一回では少なかった。毎土曜日に読書会があったので、そこで相談するのを励みにしていた。今はメールなどがあるので、可能な限り利用されたらよいと思う。この時ほど仲間のありがたさを感じたことはなかった。ピンチになればなるほど、寄り添ってくれる人がいることで救われる。そこで心に残り、役に立った言葉があった。・今は波のどん底にいるが、波は必ず上昇してくる。それまでみんなで支えていくから、安心してほしい。・こんな非常事態なときに、仕事を辞めるとか、離婚するとか、死んでしまおうなどという重大な結論を出してはいけない。それは難局を乗り越えるまで封印しておくこと。・時間を味方につけよう。時間の経過がきっとあなたを助けてくれるはずだ。それを信じて我慢して待とう。・今のあなたは「月給鳥」になりなさい。家族が生活するエサを獲りに行くという目的は忘れないようにしなさい。その目的が果たされれば十分です。神経質者はまじめで責任感が強いので、それでも普通の時の6割ぐらいはできています。それだけできれば合格点ではありませんか。国家試験だって、6割できればおおむね合格ですよ。人に助けられて、なんとか仕事を辞めることも、離婚することも、自殺することもなかった。紆余曲折があったが、今となっては、懐かしい思い出にすぎない。神経症で蟻地獄の底にいるときに、人生の将来を左右する重大な決断をすることは、気分本位の態度以外の何物でもないと思う。後で取り返しのつかないことをしたと後悔するようになる。
2020.07.09
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5月23日、コロナ後の政治、経済、外交、日本の自立を考える経済討論会が、you tubeにアップされています。題名は、経済討論 「ウィルス後の恐るべき未来」時間は3時間30分です。すでに25万人以上の人が視聴しています。討論者の紹介(それぞれに日本の未来を語るにふさわしい人と判断いたしました)司会 水島総 映画監督 脚本家 日本文化チャンネル桜代表取締役田村秀男 産経新聞特別記者安藤裕 衆議院議員 「日本の未来を考える勉強会」代表金子洋一 元参議院議員藤和彦 経済産業研究所上席研究員渡邉哲也 作家 経済評論家田中秀臣 上武大学教授
2020.06.04
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面白い話を聞いた。恥をさらし、忍び難きに耐えて、会社勤めを継続して生活費を得てくる。そんな生活を40年継続した人は、人生の勝利者である。さらに70年以上生き延びた人は、100%人生の成功者である。その過程では死ぬほどつらいこともたくさんあっただろう。しかし、延命できてここに到着したことの重みは大きい。大きな痛手を負ったとしても、命を粗末にしないで、自分を護り通したあんたは偉い。山本五十六は次のような言葉を残している。苦しいこともあるだろう云い度いこともあるだろう不満なこともあるだろう腹の立つこともあるだろう泣きたいこともあるだろうこれらをじっとこらえていくのが男の修行である。男は人間に、修業は修養に置き換えて読んでください。ちなみに修養とは、森田理論を学習し、実行によって神経質性格者の生き方を確立することである。ここで大事なことは、実践・実行によって精神の働きを体得することです。不安なこともあるだろう怖いこともあるだろう違和感を感じることもあるだろう不快なこともあるだろうそれらをあるがままに受け入れて、生の欲望に邁進することが神経質者の目指す道である。
2020.05.31
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今日は情熱大陸で放映された魚食普及人の上田勝彦さん(55歳)を取り上げてみたい。どんなことをされているかというと、漁師に対して魚の神経締めや鮮度保つための下処理のやり方の指導、道の駅などでの魚の販売方法の提案、主婦の人に対して魚料理の講習、見向きもされていない魚の調理方法の開発などである。依頼に応じて全国を飛び回っており、予約は数か月先まで埋まっているという。元々は水産省の官僚であったという。自由を求めて転職されたのだ。魚は鮮度が命だといわれる。そのために船に乗り込んで神経締めで一瞬で締める方法を漁師に指導されている。カワハギなどは船上で下処理をする方法を指導していた。言われたとおりにすると、魚は新鮮で包丁の食いつきが違ってくるという。山口県の阿武町の漁師の依頼に応じて、船に乗り込んで荒れた海で指導していた。漁師も今まではそんなことは知らなかったという。感謝されて、上田さんがやってくると、自然に人の輪ができて夜は宴会が始まる。そこで出される料理は、上田さん自身がまかない料理を作る。番組ではぶりのあら炊きを作ってふるまったがこれが絶品であった。道の駅で地元でとれた魚が売られていた。のどぐろが5匹入って900円。サザエが10個入って1000円という安さだった。そのために、阿武町の道の駅には人だかりができるという。これに対して、町のまちづくり推進課との打ち合わせでは、安売りして行列ができても漁師にはメリットはないという。適正な価格で生産者を支えていくという視点を持つ必要があると指摘されていた。上田さんは、魚を通じて生産者、加工・流通業者、小売業者、飲食店、家庭のみんながハッピーになれる道を絶えず考え続けているのだ。主婦の人への魚を使った料理教室にも感動した。まず魚を使ったみそ汁の作り方です。水にみそを溶かしていく。次に下処理をした魚と根菜類の野菜を入れる。ここで初めて火を入れるのだそうだ。この工程が一番よいといわれていた。次にサワラを使った混ぜご飯の作り方です。サワラは前日の夜下ごしらえをして流水で洗い、水気を取っておく。ご飯が炊きあがるとサワラ、塩、日本酒、ゴマ、青物野菜を入れて混ぜる。すぐに蓋をして3分間待つ。これで十分に火が通るそうだ。試食してみるとおいしいと評判だった。これに刺激を受けて魚料理に挑戦してみますという主婦の言葉が印象的だった。次に北海道根室の水産加工場に飛んだ。ここではモズクガニという灰色の蟹がたくさん獲れるが、見た目が悪くてどうも売れそうにないという。その蟹を横浜の自宅に送らせて、すりつぶしてスープを作っていた。味見は息子の協力を仰いでいる。というより一緒に料理法の開発をしているのだ。その息子(中学生か高校生ぐらい)が心憎いことを言っていた。お父さんをどう思っているかという質問に対して、「親としてよりも、人間として尊敬している」というのだ。しかも父親の目の前で堂々というのが素晴らしい。将来りっぱな人間として成長するのが目に見えるようだった。
2020.05.27
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5月22日 13:30 ~ 5月25日 12:00 の期間限定で、you tubeにアップされます。今回は「森田療法の克服体験談」2例です。公益財団法人メンタルヘルス岡本記念財団の創始者である岡本常男元理事長の胃腸神経症の克服体験談が含まれています。https://www.youtube.com/user/mentalnobuメンタルヘルス岡本記念財団のホームページからもすぐにアクセス可能です。興味のある方はぜひご視聴ください。
2020.05.23
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国民栄誉賞に輝いた衣笠祥雄さんが亡くなる3か月前に単独インタビューに応じた。その内容がyou tubeにアップされている。その話から森田に関係するものを3点紹介したい。衣笠さんは当時の根本監督に呼ばれて次のように言われた。「衣笠君、君は野球を職業としているだろ。プロフェッショナルだよね。プロなら何か売り物があるだろう。君の売り物はなんだ」当時の衣笠さんには何もなかったそうだ。必死になって考えた。そして長打力を売り物にしよう。三振を恐れずにフルスィングすることを心掛けよう。そのために寸暇を惜しんで素振りを繰り返した。衣笠さんは、日本歴代7位の504本のホームランの成績を残されている。私たち神経質者の売り物は何だろう。生の欲望が強い。感性が鋭い。自己内省ができる。粘り強い。人生という舞台で、これらに磨きをかけて、これを売り物として勝負すべきではないのか。これらの特性を意識しないで、刹那的、刺激性の強い他から与えられる欲望を追い求めるばかりというのは如何なものか。感性が強いという事を、心配性で精神的に苦しいからと言って、発揚性気質に性格改造しようとするのは如何なものか。自己内省で自分で自分をいじめているのはどうしたことか。自分の存在、もともと持っているもの、強味などに光をあてて、育てていく態度を持ち続けることが肝心なのではないか。監督から、「痛かったらすぐに言ってくれ。永遠に休ませてあげるから」とも言われたそうです。監督はそんな選手は全く使うつもりはないという事を明言されていたのです。プロ野球の選手はケガや故障がつきものです。デットボール一つ受けただけでも。引退に追い込まれる場合があります。だから少々の痛みがあっても試合を休むわけにはいかないのです。衣笠さんは骨折などの満身創痍の状態でも試合に出ていた。休みたい、療養に専念したいという気持ちはいつもあったが、仕事は休まなかった。他の選手が鵜の目鷹の目で自分のポジションが空くのを待ち構えているのです。その選手が大活躍してレギュラーに定着してしまうと、自分の居場所はなくなるわけです。私たちは神経症に陥ると、日常茶飯事、仕事、付き合いなどには目が向かなくなります。1日24時間頭の中で神経症と格闘しています。神経症でいくら苦しんでいても、時間になれば起床する。身支度をして会社に行く。ぼつぼつ仕事に手をつける。最低限の付き合いはこなす。買い出しをして食事を作る。後片付けをする。神経症で苦しいので会社を休む、日常茶飯事は家族に依存する。外食に頼る。付き合いはしないという事になると、「永遠に人間をやめてしまう」ようなものです。その方が一見安楽な人生のように思われますが、人間としての当然の生き方を放棄しているので精神的に自滅してしまうのです。森田は心身一元論ですから、身体面でも病気を招いて、どうにもならなくなるのです。最後に衣笠さんはインタビューワーに次のように質問されていた。スポーツは誰に向けてしていると思いますか。観客に向けてでしょう。観客の中でも誰だと思いますか。子供たちですか。そうなんですよ。それを忘れてはいけないのです。プロのスポーツ選手は子供たちの手本にならなくてはならないんです。あの人のようになりたい。だから頑張るんだ。そう思ってくれるような選手を目指すことが大切なのです。一流選手になって年俸を吊り上げることが最大の目標になってはいけないのです。私は34年も森田理論学習に関わってきた。それで大切なことが分かった。森田を生活の中で活かしているその姿を現在神経症で苦しんでいる人たちに見せていく。苦しんでいる人たちが、ゆくゆくはあの人のようになりたいと自然に思える。口数は少ないけれども、そういう生き方が自然にできている。そういうところを目標にして努力されている人はすごい。そういう影響力を持っている人、近寄りがたいオーラを放っている人に魅力を感じます。数は少ないのですが、世にも珍しい人が確かに生活の発見会の会員の中におられるのです。まさに感動ものですね。生きる勇気をいただいております。
2020.05.04
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4月24日13時30分より4月27日12時までの期間内で、森田療法入門講座がyou tubeで見れます。you tubeの検索画面に「心の健康セミナー」と打ってもらえばすぐに出てきます。今回は、森田療法入門講座 ~不安・うつから回復する手立てとは~中村敬先生(東京慈恵会医科大付属第3病院 院長)時間は1時間30分です。大変分かりやすい内容となっています。ぜひご視聴ください。
2020.04.25
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今日は「逆転人生」という番組の中から投稿してみたい。香川県さぬき市で介護シューズを製造・販売している十河孝男さんという社長さんの話である。元々は大企業の下請けとして、ルームシューズ、トラベルポーチ、旅行用スリッパなどを作っていた。バブル景気崩壊後は、大企業から受注減、コスト削減を突き付けられて、瀕死の会社だった。介護シューズを製造するきっかけは、介護施設を運営している人から、入居者の転倒防止用の靴を作ってもらいたいと依頼を受けたことだった。介護施設では高齢者が転倒して、ケガ、骨折、寝たきりになるケースが絶えなかったのである。その数全国で毎年8000人に上っていたという。十河さんは介護シューズに会社の将来をかけることにした。まず、十河さんは、介護施設に出向いて入居者の歩き方を注意深く観察した。すると入居者は筋力が落ちていて、つま先から着地していることが分かった。普通の人がかかとから着地しているのとはえらい違いだった。それで廊下に引っかかったり、ちょっとした段差につまずいて転倒していたのだ。そこでつま先をそり上げて地面に引っかからないシューズを作り上げた。試着してもらうと、つまづきにくく履きやすいととても評判がよかった。勢いづいて、1995年5月介護シューズのカタログをつくり、全国1500の施設に送付した。ところが一向に注文が来ない。よい商品なのになぜか。カタログを送付した施設に片っ端から電話してみた。するとカタログはそのまま捨てられていたことが判明した。中小企業の商品など見向きもされていなかったのである。そこで十河さんのとった戦略は、5足の介護シューズを直接介護施設に送付した。不要なら着払いで送り返してもらう。気にいったら定価の半額でそのまま買い上げてもらうというものだった。これが効を奏した。見本を送付していない施設からも、注文が舞い込むようになった。そして使用した人から感謝の手紙も数多く寄せられるようになった。これが励みになったという。手紙は朝礼で社員に披露した。そのうち、左足がむくんで、左右同じ靴が履けないという相談が寄せられた。それに類する悩みを抱えた人が、利用者の一割程度存在していることが分かった。十河さんは、その人たちの悩みに応えるべく、左右の靴巾、ベルト、靴底の高さが違うシューズを作ることを思いついた。個別対応のシューズを作ることになったのだ。これはパーツオーダーシステムと言うそうだ。左右違うサイズの靴は、手間がかかり、無駄が多く、対応している会社は十河さんの会社だけだ。当初社員15名程度だった会社は、今や約70名の会社に成長した。私はこのテレビ番組を見ていたく感動した。それは森田理論を実際に活用するということの見本を見た思いをしたからだ。入居者の実態を実際によく観察してヒントを掴まれたこと。困難に出合ったときも、視点をかえて、実際に行動に移されたこと。そして、一人一人のニーズに対応したシューズを作るシステムを作り上げられたこと。観察、気づき、発見、工夫、実行、反省、改善が継続できている。まさに森田的である。私たちも実際の生活の面で、この人の生き方を活用していきたいものだ。
2020.01.14
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今日はとても温かく春の陽気でした。参拝者が例年になく多かったです。
2020.01.01
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新たな気持ちで新年をお迎えのことと思います。今年一年一日一日を大切にして充実した年にしていきたいものです。昨年を振り返れば、自然災害の多い年でした。私の田舎でも3年前の土砂災害の復旧工事は手付かずの状態です。無残な山肌をその当時のままにさらけ出しています。大型台風や豪雨よる土砂災害は今年も発生する可能性が高いようですね。それに南海、東南海などの巨大地震も心配ですね。できる限りの備えをして、なんとか命だけは生き永らえるようにしたいものです。さて、このブログはほぼ毎日投稿してきました。これは今年もぜひ継続していきたいと思っています。今年は8年目に入ります。10年間はぜひ継続してみたいと思っています。できれば生涯にわたって続けたいという気持ちにもなっております。昨年一年間は約37万人の方のアクセスがありました。1日当たり約1000人近くの方がアクセスしてくださいました。日記を見ると1年目3万人、2年目8万人、3年目198000、4年目421000、5年目724,000、6年目1090000、7年目1460000人でした。この数は私のモチュベーションの維持に役立っています。読者のみなさまには、大変感謝しております。ただ現在のところは1000人から1500人程度でそれ以上には増加しなくなりました。改善を加えないと1500人以上にはならないと感じています。次のステップに移行していかないと、森田理論学習の大衆化は難しいと思っています。森田理論の大衆化のためのヒントがありましたら是非ともお知恵をお借りしたと思っています。どうかよろしくお願いいたします。森田先生は神経症の治療として1919年に森田療法を確立されました。そして長らく神経症治療として活用されてきました。多くの成果を上げてきました。ところが昨今では薬物療法、カウンセリング、認知行動療法を初めとする他の精神療法に押されて、その活用の幅はどんどん縮小傾向にあります。私は森田の考え方を現代によみがえらせるためには、神経症の治療としての活用だけでは限界を迎えると考えています。人間の生き方、人生観の確立、夫婦や会社や学校での人間関係の在り方、国と国の付き合い方、子育ての在り方、教育問題、強欲資本主義の改善、人間と自然との共生などに多くのヒントを与えてくれているのが森田理論であります。これらの問題は、精神科医やカウンセラーの守備範囲以外の領域かもしれません。しかし森田理論は、その方面で大いに活用の道を探る時代に突入していると考えています。このような方向で森田理論を活用することを考えてみたとき、とてつもない無限の可能性を感じるのです。森田理論は、理論として普遍的で一貫性を持ってると考えています。森田理論は、日本全国の人、世界各地の人が、全人類の貴重な文化遺産として、学習して応用すべきものとなるのではないかと考えています。そのためには森田理論の考え方がもっともっと身近なものとならなければいけないと思います。分かりやすい本も必要でしょう。SNSやyou tubeなどで積極的にとり上げることも必要になるでしょう。森田療法は確立から今年は101年目を迎えます。100年を一つの節目と考えたとき、森田理論の次の活動のステップに向けて、幅を広げていかなくてはなりません。そうしないと、次の新しい時代は開けてこないと思っています。ゆくゆくは英語版なども付け加えて、世界各国の人に森田の考えを紹介していきたいものです。森田理論の素晴らしさを感じている人は、手を携えてその普及のために協力していきましょう。以上が年頭にあたり私の決意表明です。
2020.01.01
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今までこのブログのアクセス数は毎日1000人程度だったが、最近急増している。閲覧者の報告によると、11月18日 1438名11月19日 1766名11月20日 1769名11月22日 2007名11月23日 1820名7年前に始めた当初はわずかアクセス数は20名足らずであった。隔世の感がある。一旦ステージが変わってくると、よほどの失態がない限りそのステージ内にとどまるように感じている。閲覧者が増えればいいというものではないが、森田の考え方が日本中の人に認知されるように、微力ながら投稿し続けることが私の当面の目標です。読者の皆さんで森田理論の素晴らしさに気づいた方は、ぜひとも森田の考え方を日本中に広めていこうではありませんか。そして自助組織の生活の発見会の会員が3万人を超えるような時代が来た時、日本や世界の欲望の暴走に歯止めがかかるのではないかと考えています。
2019.11.24
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森田正馬先生は読書好きであった。日記によると、読書には「精読、通読、通視の三通りの読み方あり。通読は疎粗略に読み、通視は所々必要なるところを読むものなり。雑誌、毎月凡そ30余冊を通視す。読書ははじめて昨年10月(1925年)より記録することを試みたり。此の1年間、79冊、1か月平均6冊半、総頁数凡そ20030頁、一日平均64頁なり。電車、汽車、人を訪問して待つ間等には常に雑誌又は小冊子を読む。病気の時は読書すること一つの楽しみなり。平常読みたき物を買い集め置きて、病気するとき、片端より之を読む。長く病むときは30冊許りも読みたり。常に枕元に書を起きて、不眠には読書を楽しむ。2時、3時迄も読むこと稀ならず」79冊のうち文芸書が32冊にのぽる。次いで精神医学、医学、心理学などの専門書が17冊である。この中に「二葉亭全集」がある。全三巻で、平均700ページの大冊である。正岡子規については、作品そのものよりも、病床の身にありながらも創作活動に情熱を傾けたその生き方に注目していたという。森田正馬の身の回りの世話をしていた田原あやさんによると、「森田先生は、熱があって、床についておられても、何かをなさっていらっしゃいました。40度位の時には「漫画でも学べる」といって漫画を読まれ、38度の時には寝たまま勉強をされ、37度の時には、普通に起きて、仕事をなさいました」と述べている。さらに「先生は、時間も、1時間たりとも無駄にされませんでした。40通の手紙も20分で処理され、返事を書かれました。「だれでも返事が貰いたいから手紙を出すんだ。返事はすぐに出さねばならない」と言っておられました」森田正馬のノートには、手紙、毎日23通書く。大正14年発信1005通とある。大変な作業を日々淡々と継続されていることに驚いてしまう。ふつう体調の悪い時には、憂鬱で何も手につかなくなるものだが、森田正馬は寝込んでしまうということはなかった。体調に応じて臨機応変に、今の自分ができることに精いっぱい取り組まれていたのである。64歳という短い生涯ではあったが、その中身を見てみると、普通の人の2倍も3倍も充実の人生を送られているように感じる。
2019.11.16
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好きなことをやれる体力を死ぬまで保ち、病気を予防するにはどうしたらよいのか。長野で暮らす医師の鎌田實さん(71歳)は、バランスのとれた食事とともに、スクワットなどの「筋活」と、かかと落としなどの「骨活」を勧めておられる。鎌田さんは3年前から実践し、骨密度は若年成人平均比で130%になったという。まず「筋活」初心者には、両手の反動を利用したスクワットが適している。両足を肩幅に広げて、爪先は真っすぐ前を向けて立つ。両手を頭上に上げた姿勢から開始する。気を付けの姿勢になるまで両手をゆっくり下ろしながら、膝を曲げる。太ももが床と平行になるまで、お尻をつきだし、5秒間キープする。手をゆっくりと頭上に上げて、最初の姿勢に戻ってから手を下ろす。これを1回として、1セット10回を1日3セット行う。テレビを見ながら隙間時間にやってみるのがよいそうだ。注意点は、背筋を伸ばしたままで、膝が爪先より前に出ないようにすることです。次に「かかと落とし」は、椅子の背などにつかまり、かかとを床に着けたまま、爪先をゆっくり持ち上げ、2秒間保つ。2秒間キープしたら、かかとをドーンと落とす。難しいことはない。これを1回として、1セット10回を1日3セット行う。「かかと落とし」は、骨を再生する骨芽細胞に刺激を与え、骨密度を上げる効果が期待できる。また、爪先を上げることで、すねの前の筋肉を鍛えて、転びにくくなるという。鎌田医師は、「僕は80歳までイラクの難民キャンプで子供たちの診療をしたい。85歳で大好きなジャズを聴くため、地下にあるライブハウスの階段を下りたい。93歳までスキーを楽しみたい。そのために必要なのが、筋活と骨活とバランスのとれた食事です」と言われています。(中国新聞 2019年8月23日より要旨引用)私は獅子舞を踊るために、机に手をついたスクワットを毎日20回行うのが習慣化しています。習慣化してくると苦にならなくなりますが、そこまで持っていくのが、大変だと感じています。
2019.11.05
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最近は駅の構内、バスの待合場所などではほとんどの人はスマホや携帯画面を見ています。外国や宇宙人から見ると異様な光景に見えるかもしれませんね。最も電車の4人掛けの席では、スマホがあるおかげで気まずい思いをしなくてもすむ場合もあります。会社などで同じフロア―で仕事をしている人でも、メールで用件を伝えるということも今や当たり前です。集談会の幹事同士の連絡もほとんどスマホで行っています。スマホ一つで世界のあらゆる情報にアクセスできます。ゲームも音楽も思いのまま楽しめます。フェイスブック、ツィッター、ライン、インスタグラムなどでは友達も作れます。世界中の人とつながることができるのです。今後はますますスマホが生活必需品になりそうです。家でも夫婦の会話はなく、それぞれがスマホと向き合って、それぞれの世界に向き合っていることはないでしょうか。友達と会話し、ゲームをし、ユーチューブを見ています。wi-hi環境があれば好きな映画も通信料を気にすることなく見ることができます。カラオケの練習もスマホ一つで自由自在です。友達とは無料のラインやスカイプで話をしています。株の取引き、お店の支払いもスマホが欠かせない時代です。こうなるとみんな知らず知らずのうちにスマホ中毒に陥っているのではないでしょうか。スマホなしでは生活に支障がある。スマホがないと生活が楽しめないという状況です。また生活費のうちに通信費が夫婦で1万5千円から2万円近く占めているのも問題です。ある新婚夫婦では、妻が夫がスマホに夢中になって自分の話を上の空で聴いているのを不満に思っていました。あるとき、自分の困っていることを相談したとき、「そうなの、困ったね」と他人事のように聞き一向にスマホから目を離そうとしません。相手と目を合わせないで、自分の仕事などを続けながら、相手の話を聞くことは、相手からしてみると自分のことをないがしろにされていると感じます。自分のことは大切にされていない、無視されているのだと感じてしまうのです。ついに堪忍袋の緒が切れた妻は怒りを爆発させました。夫もそれに応戦して、夫婦げんかになりました。しばらくは口もきかなくなりました。妻としては、新婚なので、もっと夫婦の会話を楽しみたいのです。夫が話し相手になってくれないと寂しいのです。それをスマホが邪魔をしていたのです。でも「私と一緒の時はスマホばかり見ないでほしい」と言っても、夫はそういう習慣になっているので、うろたえてしまうのです。何もすることがないときは、スマホと遊ぶことが習慣になっているのです。これはアルコール依存症、ギャンブル依存症、ネットゲーム依存症などと何ら変わりません。依存症になると、どんどんと依存対象にのめりこみ、たとえそれから逃れようとすると精神的にイライラして頭が狂うような状態を招いてしまうのです。「過ぎたるは及ばざるがごとし」という言葉がありますが、便利で楽しいからといって、やりすぎは問題があります。適度に利用することが大切です。スマホにはありとあらゆるソフトが詰め込まれているので、誘惑が絶えないというのが問題です。
2019.10.29
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樹木希林さの座右の銘は、「おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きればよい」だそうだ。この言葉は、森田で学習したことが多分に含まれているような気がする。「おごらず」・・・「欲張らず」と言い換えてもよいと思う。欲望を無制限に追い求めるような生き方は、どこかに無理がある。森田では「生の欲望の発揮」をことさら重視しているが、それが唯一無二の考え方だと理解しているとすれば、それは美しき誤解である。森田で本当に言いたいことは、最終的には欲望と不安の調和をとる生き方を勧めているのである。車のアクセルを踏み込まないと前進することはできない。アクセルを踏み込むことがまず重要である。でもカーブに差し掛かったときは、今度はブレーキを踏み込むことが、重要になる。人生はアクセルとブレーキをその場の状況に応じて、臨機応変に使い分けることなのである。そうすれば欲望の行き過ぎが適度に調整されて、無理がなくなる。「おごらない」人になれると思う。「人と比べず」・・・人の優れたところと自分の劣っているところを比較することは、百害あって一利なしだと思う。自分で自分を嫌ったり、否定していては苦しい人生になる。人と比べるということは、自分に「かくあるべし」を押し付けることにつながる。完全、完璧、理想を押し付けて、その世界に引き上げようとしたり、現実の自分を否定していると葛藤や苦悩が生まれてくる。これが神経症の発症の大きな原因になっていることは、森田理論を学習した人は、よく理解しておられることと思う。ただ、人と比較することは、デメリットばかりではない。人と比較することで自分の現状がよく見えてくるという面がある。事実や現状が正確に理解できれば、自分の問題点や課題が見えてくる。そこから、自分の取り組むべき課題や目標を明らかにして、努力していくことは大切なことである。ですから、「人と比べる」というのは、比較して劣等感で苦しむために活用するのではなく、自分の課題や目標を見つけるために刺激として利用するという方法もあるのだ。「面白がって」・・・神経質な人は好奇心が旺盛である。興味や関心があることはできるだけ手を出してみる。すると弾みがついて、どんどん心身共に活動的になっていく。そうしないと、自己内省力が表面化してくる。思いつくことや考えることが内向きになってくる。ネガティブなことばかり考えて、自分を責めるようになる。「平気に生きる」・・・これは2つの意味があると思う。一つは、他人の思惑に振り回されるのではなく、「自分はどう考えているのか」「どうしたいのか」「どういう気持ちなのか」を最優先する。他人中心的な生き方ではなく、自分中心の生き方を押し通していく。自分の素直な気持ちのままに、前向きに生きていくことだ。もう一つは、自分の生活で必要な日常茶飯事は、他人任せにしないで淡々と自分でこなしていく。凡事こそ丁寧に真剣に向き合って生きることである。雑事、雑仕事といわれているものに真剣に取り組むことで、幸せが近づいてくる。いくら経済的に恵まれているからといって、他人に依存する生き方は精神的には地獄の苦しみとなる。この2つを平々凡々と実行できるようになりたい。「平気に生きる」ということは、無理のない当たり前の生き方のことなのだと思う。樹木希林さんは優れた役者であるとともに、それ以上に日常茶飯事、子育て、他人との付き合いに力を入れられていた。それはお母さんそっくりな子供の也哉子さんの発言内容を聞けばすぐに分かる。ほぼ母子家庭だったとはいえ、樹木希林さんは優れた教育者でもあったのだ。
2019.10.23
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現在100歳を超える日本人は7万1238人に上るという。一つの市ができるぐらいの数である。私は敬老会シーズン、あちこちの敬老会で演奏活動のお呼びがかかる。そこで最高齢の人を尋ねると、どこに行っても100歳以上の人が一人や二人はいる。90代なんて星の数ほどいる。もっとも元気な人以外は敬老会にはやってこない。その大半は女性である。10人のうち8人ぐらいは女性である。100歳以上の人が一つの市を作れば、市長をはじめ市の幹部はほぼ女性で占められるだろう。女性の長生きの理由はよく分からない。一説によると女性は生理があるので、血液が常に新しいものに切り替わっているからだと聞いたことがある。なるほどそういうことか。そこで私は二か月に一回は血液検査で血を抜いてもらうことにしている。それから女性は食事作り、掃除、洗濯に関しては、幾つになっても自ら行っている。つまり日常生活をきちんと行うことによって、生きがいや張りを作りだしている。それが習慣になっているという男性はあまりいない。男性は定年退職すると、ぬれ落ち葉状態でボッと生活している人も多い。人に依存し、時間をつぶすことを目的としているような生き方をしているような話もよく聞く。こういう人は、身体の筋肉が衰えてくる。脳も廃用性萎縮を起こしてしまう。いくら長生きがよいからといっても、寝たきりになったり、認知症を患っては夢も希望もない。人様に迷惑ばかりかけて申し訳ない。私の場合は、75歳まではマンションの管理人の仕事を続けたい。その後は、ファイナンシャルプランナーの仕事をしてみたい。その中でも金融資産運用設計の専門家になりたい。一人一芸を活かした慰問活動はずっと続けたい。仲間とのカラオケは月2回は続けたい。ここでは男性2人、女性二人のグループを2つは作りたい。自給生活の一環として家庭菜園に精を出したい。このブログは生涯学習として続けたい。今考えていることはこんなところだ。仮に90歳まで心身共に健康で生きたいと思うと、気持ちとしては95歳から100歳ぐらいまでを目標としていなとまずいと聞いた。その理由は、90歳を目標地点としてしまうと、脳の緊張状態が80代の後半で緩んでしまうのだそうだ。80代の後半になって、もうすぐ90歳だ。目標の達成はほぼ間違いないと思った人は、脳が活動をゆるめてしまうのだ。一旦弛緩状態に陥った精神を再び、緊張状態に引き戻すことはとても難しい。「まだやり残したことがある」「今度はあれに挑戦してみたい」「今手掛けていることをもっと深めてみたい」「あれを食べたい」「あそこに行ってみたい」「カラオケを歌いたい」「異性と話をしたい」「自分の体験を他の人に伝えたい」「自叙伝を書いてみたい」などなど。こういう気持ちを持って80代後半に突入した人は、90歳でも身だしなみに気を配り、比較的元気で乗り越えることができる。その兆候はすでに60代から始まっているのだという認識は持っていたほうがよいと思う。最後に、サムエル・ウルマンの「青春の詩」を紹介しておこう。 年を重ねるだけで人は老いない。 理想を失う時に初めて老いがくる。 歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。 苦悶や狐疑や不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも 芥に帰せしめてしまう。
2019.10.20
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オーストラリアのブローニー・ウェアは、終末期ケアで多くの患者を看取ってきました。そして「死ぬ瞬間の5つの後悔」という本を書いています。多くの人はどんなことを悔やみながら死んでいくのか。これが分かれば、対策が立てられるかもしれません。1、友人と連絡を撮り続ければよかった。2、あんなに働きすぎなければよかった。3、勇気を出して、本当の自分の気持ちを表現すればよかった。4、もっと幸せを求めればよかった。5、他人が期待する自分ではなく、自分自身に忠実な人生を生きる勇気があればよかった。(生活の発見誌2019年9月号 1ページより引用)これに触発されて、私が後悔はしたくないことを考えてみました。・他人に振り回されて、自分の素直な気持ちを表現することができなかった。自分中心ではなく、他人中心の人生だった。人間関係はいつも対立的で、防衛的だった。・仕事に対して興味を持つことができなかった。やりがいが持てなかった。仕事をすることは生活のためとはいえ苦痛そのものだった。・夢や目標のない人生を送ってしまった。2番目の仕事ですが、自給自足の生活なら、別に生活費を他で調達することはありません。ところが今の世の中は、それでは生活していくことはできない。分業制で人のためになる仕事をして、その対価を得て生活を維持しなければなりません。自分のためではない仕事、組織に属して、指示命令に従わざるを得ないのです。それが1日の3分の1の時間を占めているわけですからとても無視することができないわけです。仕事を面白くするためには、自分から積極的に主体的に取り組むしかありません。それは仕事の中に問題点、課題、目的、目標、改善点、改良点、アイデアなどをいかに多く見つけるかだと思います。これはどんな小さいことでも構わない。そういうものが発見できると、意欲が高まります。また実際に頭で考えたり、動いているうちに弾みがついてきます。森田では雑事、雑仕事などに丁寧に取り組むことをお勧めしています。小さなことを丁寧に取り扱っていると、気づきや発見はいくらでも出てきます。このことを「凡事徹底」と言います。NHKのプロフェッショナルという番組を見ていると、その道の達人というような人は、ほとんど「凡事徹底」の名人のようです。3番目の夢や目標のある人生についてですが、こんなことを言うと、いきなりエベレストに登頂するというようなとてつもない大きな目標を口にする人がいます。そんな夢や目標を持てる人は素晴らしいと思います。でも一般的には最初から壮大な夢や目標は持ちにくい。小さな夢や希望をたくさん持つことが肝心だと思います。仕事、家族、人間関係、日常生活、趣味、習い事、集談会、地域活動などに分けて、それぞれにささやかな希望や目標を設定してみるのはどうでしょうか。達成すれば自分にご褒美をあげる。仲間と祝杯をあげる。人生はそんな繰り返しのほうが断然面白くなると思います。そんな人生を送ることができれば、死ぬ真際になって、素晴らしい人生だったと感謝できるのではないでしょうか。さて、最も大きな問題である人間関係については明日投稿します。
2019.10.11
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林成之さんは、人間の最大の3つの本能について説明されている。「生きたい」「知りたい」「仲間になりたい」ということである。「生きたい」は、一旦この世に生まれたものは、できるだけ長く生きたいという欲望を持っている。衣食住、安全を確保したい。危険はできるだけ回避したい。自由を獲得したい。よりよく生きたい。できれば夢や希望を実現したい。生の欲望の塊ということですね。「知りたい」は、疑問点、問題点、未知のことは、その原因やからくりを理解したい。人間は、赤ちゃんのころから、好奇心が強く、知識欲が旺盛なのである。それが文化や文明を大きく花開かせたのでしょう。「仲間になりたい」は、家族、仲間、学校、会社、社会集団に所属して、仲間と楽しく、親しく交流して生活をしたい。人間は孤独や孤立を恐れる生き物なのだ。この3つはいわれてみれば、誰でも納得できることだ。林さんは、これ以外に第2段階の2つの本能について説明されている。これがとても面白い。「自己保存」と「統一・一貫性」というものです。「自己保存」というのは、脳は自分を守ろうとする。自然や他人の脅威から自分の身を守ろうとする。これが強く出ると、自己中心的になる。自然を人間の都合に合わせてコントロールしようとする。他人と利害が対立すると、他人を蹴落としてでも勝とうとする。一旦自分のものにした所有物を何が何でも守ろうとする。一旦獲得した地位や名誉などに固執してしまう。安定した生活を獲得してしまうと、それを失うことを恐れるようになる。変化を嫌い、現状維持にエネルギーの大半を注ぐことになる。「統一・一貫性」というのは、誰でも自分が身につけた「先入観」「かくあるべし」「信条」「信念」「持論」「スタイル」「宗教」「価値基準」にことさら固執してしまうことだ。自分のスタイルと違うものや異なる人は、避けようとする。排除しようとする。例えば、人間は、自分と反対の意見を言う人を嫌いになります。冷静に考えれば、意見が違ったからといって、その人のことまで嫌いになる理由はないはずです。ところが脳は自らの意見と異なるものを「統一・一貫性」にはずれるために拒否し、また「自己保存」が働くことによって自分を守ろうとするため、相手の意見を論破しようとすることがあるのです。(脳に悪い7つの習慣 林成之 幻冬舎新書参照)これらは人間が持って生まれた本能ですからどうすることもできません。これらはプラスに発揮されれば、味わい深い人選につながります。マイナス面が露骨に表面化すると、自分の心身を傷つけ、他人と摩擦を抱える原因となります。人間には森田理論で学習したように、ある考えや欲望が浮かぶと、それを制御したり、ブレーキをかける考えも同時に湧き上がってくるようになっています。私たちの心がけることは、生の欲望に沿って興味や関心のあることにはどんどん挑戦していく。ただし、行き過ぎには十分に注意する必要があります。元々備わっている「精神拮抗作用」活用して、バランスのとれた生き方を目指していく必要があるようです。
2019.10.10
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今日は学校教育について考えてみました。私たちは6歳になれば誰でも小学校に通うようになります。小学校が卒業するとすると中学校に進学します。そしてほとんどの人は高等学校へ進学します。そして相当数の人が大学に進学します。人よりより安定した職業につくことが最終的な目的となります。誰もこれを疑うこともなく、随ってきたと思います。常識になっているのです。でもその常識がもし間違っていたら大変なことです。その教育の中身はほとんどいっしょです。今まで先人が蓄えてきた知識をできるだけ多く覚えさせることが主流です。いわゆる暗記教育です。数学や物理なども暗記科目といわれているのです。自分で創意工夫、発見、思考することは、ほとんど軽視されてきました。実際には一人の先生が教壇に立ち、20人ぐらいの生徒に同じことを教えていきます。私たちのころは約50人の生徒に同じような教育をしていたのです。普通の教育はその人の段階に応じて、一対一の教育が当たり前だと思うのですが、そんなことを言うと笑いものにされてしまいます。この教育の本質は選別教育なのです。そのような教育に耐えることができない生徒は、目をかけるようなことはしなかったのです。落ちこぼれとして、切り捨ててしまったといっても過言ではありません。すそ野を広げてピラミッドの上位に食い込んでくる人をどれだけ多く輩出するというのが、基本的な日本の教育の実態です。だから学校教育には、多くの人がストレスを感じるのです。本来個々の生徒は、能力、興味、関心も違うと思うのですが、金太郎あめのように同じ教育をしています。どうして個性を無視した一方的な教育方法が今も旧態依然として続けられているのでしょうか。それは日本が明治維新を迎え、西洋列強に早く追いつき、さらに高度経済成長を達成するという目的達成のためには、不可欠な教育方法だったのです。国民全体が、ある程度の教育水準をつけて、均一で柔順な人間を数多く輩出する必要がありました。そのためには、その人特有の個性を育て、すべての人が人生を謳歌するために必要な個別教育は必要とされなかったのです。むしろそういう人間を育て上げると、社会に対して反抗的な人を作りだしてしまうという危険性が大だったのです。その名残が依然として現在も続いているのです。変革しようと思っても、がんじがらめで手の施しようがないのです。それではどんな教育が必要なのでしょうか。国語、算数、社会、歴史、理科、体育などの基礎教育は大切だと思います。小学校で教えているような教育は国民すべての人が身につける必要があります。その上で、中学以降で教えるような、英語、語学、古文、現代文、漢文、倫理、公民社会、数学、化学、物理、地学、宇宙、生物、日本史、世界史、地理、運動、音楽、絵画、演芸などを高度に学習するのは選択制にしたらどうでしょうか。自分の興味のもてる分野を選択して学習していくのです。興味や関心を持つ人が専門教育として学んでいくのです。ヨーロッパなどではそれと並行して、その人に合った職業教育も盛んに行われています。インターネット社会では、教科を教える先生の必要性はなくなるとみています。その分野に特に特化している人がある程度確保できれば、インターネットを通じた学習が主流になるでしょう。教えることの得意な人が教えるので、今までよりも、分かりやすく面白い授業が可能となります。スカイプなどを利用した双方向の授業になるでしょうから、質問なども自由にできます。これを地域ごと、県ごと、国ごとに行うのです。これからの学校教育はガラッと変わっていくでしょう。今の資格取得専門校の授業は、その人のレベルに合わせて、ITやネットを活用した個人を重視した教育になっています。中学以降は、その人の関心や興味のある分野を早く見つけることが大変重要になります。これを小さいときに見つけて打ち込んだ人の人生は光り輝いています。それからファイナンス能力、人間関係の在り方、子供の育て方、身体の仕組みと健康、職業の種類の把握と技能訓練、自然との共生、自給生活、時にはサバイバルゲーム、地域の活性化、自分の将来像などは人間として必須の学習内容になるのではないでしょうか。私はこの中に森田理論学習を入れる必要があると考えています。特に神経質性格の人は、自分の人生にかかわることですから、必須の学習項目になると思います。こういうふうに考えると、学習するということは大きな楽しみになるのではないでしょうか。
2019.10.08
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人生で成功するためには、どれだけ勝つかではなく、負けをどれだけ少なくするかにある。これは株式のトレードで生活している人から聞いた話だ。どういう意味か説明してみたい。尚これから紹介する話は、株式投資を勧めるものではありません。森田理論の学習に参考になることがあるので、投稿しているのである。決して安易に株式投資に手を出さないでもらいたい。さて、最も才能のあるトレーダーでも負けることは頻繁に発生する。どんなに優れた手法を駆使しても、200回トレードをして、勝率が30%ぐらいに落ち着いてくるという。つまり70%は損失を出しているのだ。それでも200回のトレードが終了してみると、トータルでは利益を出している。それを可能にしているのが、優秀なトレーダといわれている。どうしてそんなことが可能になるのか。その大きな要因は、自分の許容範囲内で確実にロスカットをしていることだ。たとえば投資金額が100万円だとすると、2%のマイナス2万円のところで自動的に損切りができるように対策をとっている。そしてそれを確実に、機械的に実行している。この損切りの方法はトレーダーによっていろんな考え方があるという。いろんなやり方があるが、優秀なトレーダーはすべて損切り名人である。これは間違いない。損切りしないトレーダーはプロのトレーダーとは言わない。つまり自分の判断間違い、見込み違いという事実は直ちに素直に認めているのだ。そしてすぐに対処している。それを無視して、言い訳や希望的観測などで損切りを先延ばしすると、その後大きな問題が生じるという。我々も見習いたいところだ。トレードでは自分の思惑通りに利益が延びた場合、どのように対応するかという面も重要である。しかしトレードにおいて一番大事なことは、自分の思惑が外れた場合、いかに素早く損切りができるかにかかっている。損失を少なくして、資金をすぐに引き上げることが肝心だという。。そして勇気をもって新たなトレードを仕掛ける。そしてまた思惑が外れれば損切りをする。その繰り返しである。勝った負けたと一喜一憂している暇はないのだ。200回のトレードで、勝率30%の手法があるとする。プロのトレーダーの勝率はこの程度のものだという。この手法は模擬トレードで検証作業をきちんと行えばある程度確信が持てるようになる。模擬トレードは200回の検証作業でほぼ結論が出るそうだ。これは最初に自分が決めたルール通りに厳密に丁寧に行う必要がある。検証作業で勝率のよくない手法は本番では使えない。トレードすればするほど損失が拡大していくからだ。本番で使える手法は他人から教えてもらっても身につかない。試行錯誤しながら、自分で掴むしかない。これによると、140回は思惑外れのトレードとなる。70%は負けである。その負けを素直に認めていかに損失を抑えるか。これが肝心だ。これを本番で淡々と実施していくことになる。仮に1回あたり100万円の資金で200回のトレードを行うとする。マイナス2万円の時点でロスカットすると、その額はマイナス280万円の損失となる。残り30%の60回が多少なりとも利益が乗っているトレードとなる。その中には、5000円ぐらいしか勝っていないトレードも当然ある。勝っているといっても玉石混交なのだ。ここであきらめてはいけない。自分の信じた手法をどこまでも貫き通すことが肝心だ。普通負けてばかりだと、自信を無くして、一旦自分が信じた手法を投げ捨て、儲けが出そうな新しい手法に頼ろうとする。これが最も資金を失うやり方だそうだ。でも200回もトレードをしていると、こんなに利益が延びてもいいのだろうかというのがある。これが200回の内、20回程度発生してくれればよいのだ。200回のトレードから見ると約10%の確率となる。例えば1回あたり14万の利益が出たとすると、トータルで見ると280万となる。これは高い確率で十分にあり得ることだそうだ。これで勝ち負けトントンである。私が聞いたトレーダーの実態はその以上の結果になっているようだ。あとは残り40回の勝ちトレードの中身がどうなっているかが問題だ。でも残り40回で多少なりとも利益が出ているのだから、トータルでは勝てるということだ。トータルで勝つということが肝心なのである。個々のトレードの勝ち負けはだれにも分からない。よくこの株を買えば必ずもうかるという人がいるがインチキであるという。こうしてみると優秀なトレーダーは、エントリーした後は損切りを確実に実行して、損失を最小限に抑えているということだ。そしていつまでも思惑違いのトレードに執着していないのだ。株式市場の目まぐるしい変化に反旗を翻すようなことはしない。変化と闘うのではなく、サーファーが大波を捕まえて疾走するように、変化の波をとらえて上手に乗っかって疾走することを考えている。変化に抵抗することは無駄だと思っているのだ。間違いは素直に認めて、新たな気持ちで再エントリーしている。利益が出てうれしいとか、損が発生して落ち込むということはないそうだ。自分が決めたルールを淡々と冷静に執行することだけだという。そしてトータルで利益になればよいという。一般的に株式投資に参入する人は80%は1年以内に撤退を余儀なくされている。つまり命より大切な財産を湯水のように失っているのである。残り20パーセントの内、15%はトントンであるという。そして最終5%の人が利益を伸ばしている。過酷な弱肉強食の世界である。一旦虎の子の資金を失った人は、再び株式市場に参入することはない。儲けようという気持ちが先走っている人はほとんど失敗する。自分の手法を確立して、損失を最小限に抑え込み、淡々とトレードを繰り返している人の中にしか勝者はいない。株式トレードで生活している人は、汗水たらして生活している人から見ると、嫌悪感を覚える人がいるかもしれない。それは不労所得で生活している人だからである。株式トレードは果たして世の中に役に立つことをしているのかという気持ちの人もいる。しかし、実際にトレードで生活している人からは、人生の奥義を教えてもらっているように感じるのである。これは別に株式トレードに限らず、プロ野球で大成した人からも同様である。イチローさん、王貞治さん、落合博満さんなどの話を聞いていると、野球のこと以上に、人生そのものを語っているように感じるのである。どんな仕事であれ、その道を極めた人からは、森田理論で学ぶ大切なポイントが幾つも含まれているように感じている。
2019.10.07
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昨日、今日と老人ホームの慰問活動、発表会、カラオケ大会が続きました。写真は仲間が傘踊りを披露しているところです。私は昨日は腹話術をしました。持ち芸の一つです。今日は昔懐かしい曲をアルトサックスで披露しました。仲間は三味線、日本舞踊、ササラ踊り、南京玉すだれ、どじょう掬い、手品、フラダンスなどをしました。老人ホームはどこでも楽しい興業を楽しみにされています。需要に追い付かないほど依頼があります。それが私たちの生きがいとなっています。
2019.10.06
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玉置妙憂さんの夫は57歳の時大腸がんになり、3年後に転移しました。夫は一切の治療を拒み、それから2年後になくなったそうです。僧侶で看護師の玉置さんは、最後の半年間は夫に寄り添ったそうです。そこで人間がこの世から消えて亡くなる過程をつぶさに見ることになったそうです。それを「死にゆく人の心に寄りそう 医療と宗教の間のケア」(光文社新書)から紹介してみましょう。亡くなる3か月くらい前から、世の中の出来事に興味がなくなります。テレビ、新聞などは見なくなります。そのかわりに、昔の思い出話をするようになります。人間は誰でも亡くなる寸前は、自分の一生が走馬灯のように駆け巡るといいます。昔の思い出話をするということは、自分の一生の「まとめ」をしているのではないかと思われます。自分はこれまでどんなことをしてきたのか、その結果はどうだったのか。自分の身の周りの人との人間関係はどうだったのか。自分なりの総括をしているのでしょう。肉体維持のための食欲は次第になくなります。病院などでは、食事がとれなくなると点滴をして補う場合があります。これから死を迎える人にとっては、吸収できず、体がむくむだけだそうです。周りの人は少しでも長生きをしてもらいたいという願いからなのでしょうが、本人にとっては苦痛となります。自然の摂理からみると問題です。またこの時期は、だんだんと眠ることが多くなるそうです。このころの眠りは、熟睡ではなく、浅いレム睡眠で夢をたくさん見ているそうです。昔の出来事が次々と夢の中に出てくるのでしょう。夢の中で総括作業を続けているのでしょう。亡くなる1か月前くらいから、血圧、心拍数、呼吸、体温などの維持が難しくなってきます。自律神経の機能がだんだんと衰えてくるのです。これは自然に起こることなのです。亡くなる2週間前から1週間ほど前になると痰が増えてくるそうです。まだ免疫細胞が働いてくれているのでしょう。これも何もしなければ2日か、3日ぐらいで自然に消えてしまいます。自然と免疫細胞もその活動を停止してしまうのでしょう。それで本人は楽になります。ここで、点滴をしていると、免疫細胞が勢いづいて、痰はどんどん増えてくるので注意が必要です。身体の自然に任せることが肝心です。亡くなる24時間前になると、尿が出なくなり、顎を上下に動かす呼吸になります。そして心臓停止が起こる前には、血圧が急に低下して、筋肉が緩みます。それまで出なかった尿などが一挙に出て、自分の身体の中を空にしてから亡くなっていくのだそうです。老衰などで亡くなる場合も、このような経過をたどります。自然に身を任せていると、このような過程をたどって、比較的楽に幽体離脱が完了するのではないかと思われます。
2019.10.06
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今日は、「木を植えた男」(あすなろ書房)という絵本を紹介しょう。この絵本に出てくるエルゼアール・ブフィエという人が木を植え続けた主人公である。この人が木を植え続けた所は、フランスのプロヴァンスというところである。この地方は気候が激しく、アルプス山脈から吹き降ろす冷たい北風で有名なところだ。当時海抜1300mほどのところは、どこまで行っても草木はまばらだった。つまり人を寄せ付けない不毛の荒地だったのだ。そんな過酷な不毛の地になぜ移り住んだのか不思議に思った。エルゼアールは、羊を飼育しながら、その地に一人で住んでいた。元々は、ふもとに農場を持っていて、家族とともに暮らしていた。ところが、突然一人息子をなくして、間もなく奥さんも亡くなった。そこで世間から身をひいて、まったくの孤独の世界にこもり、犬と羊と一緒に、ゆっくり歩む人生に、ささやかな喜びを見出したという。でも、ただのんびり過ごすよりも、なにか人のためになるような仕事をしたいという気持ちを持っていた。そこで思いついたことが、この不毛の土地を緑豊かな土地にすることだった。水もなく土地は死んだも同然のこの不毛の土地に生命の種を植え付けることを思い立ったのだ。1910年代から1940年代にかけて、毎日仕事の傍ら、荒れ地に木の実を植え続けたのだという。ドングリ、カシワ、カエデ、ブナなどである。するとどんな変化が起こったか。不毛の荒れ地が、ゆっくりと時間をかけて、緑豊かな森へと変身したのだ。そして風が種をまき散らし、水が再び湧きだしてきた。小さな実践の積み重ねがその土地を魅力ある土地に変えた。次第に若者たちが、この地に移り住むようになった。柳は芽を吹き返し、小さな牧場や菜園が次々に生まれて、生きる喜びがよみがえった。キャベツとバラの花、ネギと金魚草、セロリとアネモネの花で彩られるようになった。小鳥や動物たちも住みつくようになった。そして不毛の荒れ地を命あふれる緑豊かな森へと作り変えてしまったのである。これは報酬もなく、途方もない長い年月を費やしながらの挑戦であった。こうゆう人こそまた人間に生まれ変わってきてほしいものです。彼は大地がゆっくりと変化していくのを見るだけで十分に幸福でした。エルゼアール・ブフィエ氏は、生涯この地に住み続け、満ち足りた気持ちで89歳の生涯を閉じた。最後にこの本の一節を引用しておきたい。人びとのことを広く深く思いやるすぐれた人格者の行いは、長い年月をかけて見定めて、はじめてそれと知られるもの。名誉も報酬も求めない、まことに奥ゆかしいその行いは、いつか必ず、見るもたしかなあかしを、地上にしるし、のちの世の人びとにあまねく恵みをほどこすもの。
2019.09.23
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徒然草に「仁和寺の法師」というお話があります。これは学校の授業で聞いたことがある人も多いでしょう。あらすじを簡単に紹介しましょう。仁和寺の法師が酔っぱらって,調子に乗り,側にあった足鼎(あしがなえ,三方に脚が付いた金属製器具で,お湯を湧かしたり,食物を煮る為に用いました)を無理やり頭に逆さまに被ってふざけて踊っていた。そこに居合わせたものも、大いに喜んで楽しんでいた。ところが余興が終わって、足鼎を頭から抜こうとしたが、鼻や耳が引っかかって抜くことができなくなった。宴は急に興ざめしてして、みんなどうしたらよいかとうろたえました。そのうち、首の周りは傷ついて、血が垂れ、次第に腫れてきた。息も詰まってきたので、周りの者が、足鼎をたたき割ろうとしたが、簡単には割れない。また足鼎を叩くと、音が響いて我慢できなくて後ずさりする有様だった。都の医者に見せたけれども、「こんな治療法なんか知らない」などと言われて追い返された。ある者が、「例え耳や鼻が切れてなくなるとしても、命だけはどうして助からないことがあろうか、いや助かるだろう。ひたすら力を精一杯入れて引っ張りなさい」と言う。意を決して、わらの芯を首の周りに差し入れて、首もちぎれてしまうぐらい引っ張ったところ、耳や鼻は欠けて穴が開いたものの、足鼎は頭から抜けたのであった。当人は、辛くも危うい命を拾ったが、長らく寝込んでしまったとのことである。私はこの話を聞くとぞっとする。自分の軽率な行動が招いた結果とはいえ、適切な対応策が見つからない。打開策がないまま時間だけが過ぎていく。こうなると不安や恐怖で精神錯乱状態に陥ってしまうのは時間の問題だ。この法師の場合、唯一の救いは周りの人が近くにいてくれることだけだ。何とかしてくれるのではないかということだけが希望の光だ。しかし現実問題として、励ましてもらうだけでは、どうにもならないことが多い。危機的状況が、肉体的にも精神的にも自分を追い詰めていく。これは突発的な命にかかわる出来事に遭遇して、対応策もなく、一瞬のうちに身体的、精神的にパニックに陥ったのである。周囲の人の援助が全く期待できない場合や救助が遅れるような場合は、すぐに生命の限界を迎えてしまう。私の人生を振り返ってみても、小学生のころ海でおぼれてしまったことがある。友人が助けてくれて間一髪助かったことがある。森田ではどうすることもできないことは、受け入れるしかないというが、それもつらいことである。命の危機に直面することは日常たびたびあることではない。でも自分の軽率な行為で、イライラして心の危機に直面することは多々発生する。例えばガンなどと診断されれば、誰でも冷静ではいられなくなる。私は心の危機に陥ったときに必ずすることが2つある。一つは、マーラーの巨人という曲をすぐに聞くことにしている。確か25分過ぎからの部分に自分の心を癒してくれる効果があるのである。この曲に何度助けられたことか。自分に寄り添ってくれるのである。それから、テレビ番組をDVDに落としてある映像を見るのだ。何点か持っている。この中でも、プロジェクトXの瀬戸大橋の建設の現場監督をされていた杉田さんの話である。杉田さんは過酷な環境の中、奥さんをがんで亡くされ、残された2人の幼い子供たちを懸命に育てておられた。そして難事業の瀬戸大橋も完成された。その祝賀会の華やかな席に杉田さんの姿はなかったという。それから伝説のプロ野球のコーチである高畠導宏氏をモデルにした、「フルスィング」というドラマである。高畠さんはプロで数多くの有名選手を育てて、引く手あまたの伝説のコーチであった。その高畠さんが、プロ野球のコーチから福岡県の高校の教師に転身された。しかし夢半ば、甲子園を目指す中で、ガンで倒れて亡くなった人だ。その生きざまに共感する。ちなみに「甲子園への遺言」講談社という本は、高畠さんのことが詳しく紹介されている。私は、心の危機に陥ったときは、一人静かに、マーラーを聴き、これらの映像を見るのである。その人たちが、「人生を簡単にあきらめるなよ」と教えてくれる。最悪の状態でも命を奪われることはないという気持ちになる。いつの間にか勇気が湧いてくるのである。心に危機に陥ったときは、その苦しみを吐き出せる人を持っていることは一番大切である。私は集談会の中で見つけ出した。それに加えて、自分に寄り添ってくれるものを用意しておくことをお勧めしたい。何もしないでくよくよと悩んでいるよりも、心の危機に陥ったときに、普段から助けとなる音楽やDVDのようなものを常に用意しておくことは、人生においては大いに役立つことがあるのだ。よかったら皆さんもぜひ実行してみてください。
2019.09.21
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徳島県池田高校で社会科教師、野球部監督を務められた蔦文也さんという人の生きざまを紹介したい。蔦さんは徳島商業で全国大会に出場されいる。1回戦敗退。自分のせいで負けたといわれている。その後同志社大学に進学。ところが第2次世界大戦のさなか。学徒動員されて、神風特攻隊に所属していた。仲間の多くは戦死している。蔦さんも爆弾を積んで、出陣予定だった。ところが乗る飛行機が不足して、終戦を迎えて、なんとか生き延びることができた。その後、プロ野球の東映フライヤーズにピッチャーとして入団。つかいものにならず1年で退団。故郷池田町に戻り酒をあおる生活を続けていた。1年後、池田高校に職を得て、野球部監督となる。自宅を開放して合宿所としていた。指導方法は、最初はスパルタ指導だった。これがのちに、選手の個性を活かす、のびのび野球に変化していったという。当時は選手も少なく、試合では負けてばかりだった。負け続けた期間はとても長かった。その間野球部解散の話も出たそうだ。それでも何とか甲子園出場を果たしたときは選手11名しかいなかった。さわやかイレブンといわれていた。その後、畠山投手、水野投手が入ったころから一躍池田高校の名前が全国に知れ渡った。甲子園で春夏連覇を達成したのだ。金属バットを振り回す積極打法はやまびこ打線と呼ばれていた。3連覇をかけた大会では、清原選手、桑田選手を擁するPL学園に完敗した。その試合の後、蔦監督はそっとつぶやいたという。「この子たちにとっては負けてよかった。もし勝って3連覇でもしていたら、有頂天になって、この子たちの将来に悪影響を及ぼしていただろう」その後、池田高校で定年退職を迎えたときには、全国の野球強豪校からオファーが殺到した。蔦監督は、それらをすべて断って池田町で住み続けた。蔦監督の人生は、決して順風満帆ではなかった。苦難に満ちた人生だった。やっと最後に少しだけいい思いができた人生だったような気がする。それは、どんなにつらくても人生を投げ出さなかったからだ。私たちも苦難の人生で、もう人生を投げだしてしまいたいと考えることがある。そんな時は蔦さんの生き方を見つめてほしい。YOU TUBEで「知ってるつもり 池田高校野球部 蔦文也」がアップされている。最後に蔦文也氏の言葉を紹介しておきたい。わしの野球人生は負けからの出発じゃからね。でも、負けることが不名誉であるという考え方は全然持っておらん。負けることで、人間がダメになる。そのほうがかえって不名誉なことだ。成功ちゅうのは、失敗したものだけが到達できる特権だ。
2019.09.20
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今日はイメージトレーニングについて投稿してみたい。バスケットボールの選手を2つのグループに分けて次のような実験を行いました。決まった回数のフリースローシュートを毎日10日間練習するグループと、その実地練習を5日間、イメージトレーニング練習を5日間交互に実行するグループです。そして11目に実際に両グループでフリースローシュートのテストをしてみますと、両者の成績が同じなのです。つまりイメージトレーニングも実際の練習と同じ効果があったのです。テレビなどで外科医の先生方は、大きな手術前に手術場所をイメージしながら切開し、腫瘍を取り除き、縫合するまでイメージトレーニングを行っています。これで本番では緊張することもなく、スムーズに進めることができるようになります。特に経験不足の若い医者の場合は、このイメージトレーニングは格段の効果があるという。ガン患者にも、通常のガン治療と並行して、イメージトレーニングを行うことで、生存期間が4倍にも延びるという報告もあります。日本ではあまりなじみがありませんが、アメリカ、カナダなどでは、がん闘病中の人の多くがイメージトレーニングを知っており、実際に実践しておられます。伊丹仁朗先生のところでは、「熱帯魚」のイメージトレーニングを行われています。まず椅子に座って、背もたれに体をあずけ、目をつぶって体の力を抜いて全身をリラックスさせます。この時、よいイメージを思い浮かべてやろうと力むとよくありません。リラックスしてきたら、次のような順番で徐々にイメージを広げていきます。最初はまず、自分が広い海を前にした砂浜に座り海を眺めているという光景を思い浮かべます。目の前にはコバルトブルーの広い海、気持ちよく吹き付けるさわやかな風、青い空、足の裏にあたる温かい砂粒の感触、海風のいい香り・・・。そういうイメージを実際に五感で感じ取るような気持ちで、頭の中に浮かべていきます。やがて気持ちが落ち着き、楽しい気持ちになってきますから、今度は体の中に体の中に青い海が広がってくるようにイメージします。血液というのは海水の成分に似た構成になっていますから、その海の中を無数の色とりどりの熱帯魚が病気やガンを発見し、エサの代わりにどんどん食いつぶしていくのです。熱帯魚がすべてのガンや病気のもとを食べてしまった後は、青く美しい海が広がっています。あとで、このイメージを絵にかいてみるのが効果的だそうです。またイメージを紙に書きだして、毎日口に出して読みあげることも大切です。他人に公言することもよいかもしれません。イメージトレーニングは、資格の取得、夢や目標を達成したいと思っている人にも役立ちます。脳はそういうよいイメージを何度も繰り返して反復していると、無意識の部分に刷り込んでしまうという現象が起こるのだと思います。コツは、「こうなったらよいのに」という願望ではなく、「こうなるんだ。こうなっている」という具体的で明確なイメージを持つことです。実際に資格を取得したり、夢や目的を達成した自分の姿を明確に思い浮かべて、それを反復して脳に刷り込ませるのです。現実的でリアリティのあるイメージは、簡単に脳の無意識の部分に刷りこんでしまうという特徴があるのです。(ガンを退治するキラー細胞の秘密 伊丹仁朗 講談社参照)
2019.08.23
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薬物依存の人、風俗依存の人、ネットゲーム依存の人、ギャンブル依存の人、アルコール依存の人は、元々人間に備わっているといわれている精神拮抗作用が機能しなくなっている。これは正常な人でもちょっとしたきっかけで依存症に陥り、次第にのめりこんでゆき抜けられなくなる。快楽神経が一旦活性化すると、脳がその快感を覚えている。次第に依存を繰り返すようになる。暴走を繰り返すようになるのだ。暴走を始めると、悪いことだからやめようと思っても、自分の意志の力では制御できなくなる。ブレーキの効かなくなった車を運転しているような状態になりとても危険である。これには、耐性と離脱現象が絡んでいる。最初は少しだけの依存で済んでいたのだが、次第に効き目が弱くなり量が増えていく。またその時点でやめようとすると、精神的なイライラや混乱が引き起こされていく。それを抑えるためにまた依存度を加速させてしまうのである。依存なしには生きていくことができなくなってしまうのだ、最初は、興味本位、ストレスの発散、生きづらさの解消で深く考えることもなく手をつけたものだ。それがこんなことになり、自他ともに苦しむようになるのだ。そして経済的な破綻、家族の崩壊、社会から排除されることになる。特徴としては、すべての分野に依存が及んでいる人はまれである。多くの分野に依存している場合も、メインの依存症を抱えている。神経症で苦しむような人は、心配性で不安に取りつかれるような人だから、制御機能が働き、依存症に陥ることはないと考えがちだが、現実は違うようだ。神経症という面では、制御機能が働きすぎる。(反面目の前のやるべきことや生の欲望には無頓着になっている) そこでは、不安や恐怖が実態以上に肥大化している。その大きな精神的な葛藤、苦悩、生きづらさを解消するために、依存症につながる快楽で埋め合わせをせざるを得ない状況に追い込まれている。だから、神経質性格者は様々ある依存症と無縁だとはいいがたい。むしろ神経質者が依存症を抱えると2つの大きな症状で苦しむことになる。神経症と依存症は全く人種が違うと考えるのは早計である。一旦依存症に陥った人は、ブレーキの壊れた車を運転しているのだという認識を持つことが大切である。多少なりとも自己統制力が働く人は、そういう場には絶対に近づかないという姿勢を崩してはならない。そして依存対象から次第に遠ざかっていく。でもこれはとても至難の業である。次善の策としては、第3者と一緒に行動して、失われた制御機能を果たしてもらう。自分一人の単独行動はとても危険である。配偶者や親しい友人と行動することだ。その人たちの忠告は素直に聞かなければならない。そして依存症仲間とのつきあいは依存に拍車をかける。普段の生活では距離を保つことだ。現在依存症からの回復に向けての医療の介入もあり、それぞれに自助組織もある。最終的には依存症回復のための医療に頼る。また自助組織に参加して、お互いに情報交換して助け合う。なにも恥ずかしがることはない。これは依存症という脳の病気なのである。治癒すればまともな社会生活が可能となるのだ。神経質者の場合は、ストレスや生きづらさの解消のために、森田理論を学習して、その対応方法を学んでいくことも大切である。ストレスがなくなれば依存症からも回復しやすい。何よりも早く取り組まないと手遅れになることを肝に銘じることが大切である。
2019.07.30
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「人の命は腸が9割」(藤田絋一郎 ワニブックス)という本がある。これによると、私たちの腸には2万種類、1000兆個の腸内細菌が住んでいるという。驚くべきことですが、これは事実です。腸内細菌の組成は生後1年ですでに決まってしまい、一生を通じて変化しないという。腸内細菌の多くは日和見菌だそうだ。続いて多いのが悪玉菌。一番少ないのは善玉菌で10%以下だそうだ。ちなみに、悪玉菌にはウェルシュ菌、ブドウ球菌、大腸菌などがある。善玉菌にはビフィズス菌、乳酸菌などがある。興味深いことに、腸内細菌叢は毎日の生活習慣、食事内容、ストレスなどによって、その数とバランスにはわずかな変化が生じる。ここで森田理論で学習しているバランスが出てきました。ストレスでいえば、アメリカやロシアで宇宙飛行士の腸内環境の変化は詳細に調べてある。それによると、宇宙飛行士は過度の不安と緊張状態にさらされている。飛行前から悪玉菌が増加している。飛行中も異常なほど善玉菌が減り、悪玉菌が増加している。これは、ストレスを受けると、腸のなかで「カテコラミン」という神経伝達物質が放出されます。これに刺激されると大腸菌などの悪玉細菌が増殖を繰り返し、腸内に炎症を引き起こす。悪玉細菌の増殖はうつや不安障害などの精神疾患を引き起こすことも分かっている。我々が陥っている神経症も悪玉菌の増殖に影響を与えている。この絶妙なバランスがわずかに崩れるだけで、ガンなどの身体疾患やうつ病などの精神障害を引き起こすという。というのは、日和見菌は善玉菌が少し増えれば善玉菌に協力し、悪玉菌が少し増えれば悪玉菌に協力するという特徴を持っているからだ。日和見菌は優柔不断な菌だ。そのせいで、腸内環境のバランスがとれていれば益々健康になり、バランスが崩れていればどんどん不健康をおびき寄せてしまうのだという。腸内が悪玉菌優勢で、最大勢力の日和見菌が悪玉化していれば、例えばダイエットに励んでも「ちょっとしか食べていないのに太る体質」から抜けることはできないという。では腸内細菌(日和見菌、悪玉細菌、善玉細菌)のバランスをとるためにはどうすればよいのか。藤田さんの実践をいくつか紹介してみたい。1、食物繊維の摂取量を増やす。「食前キャベツ」をとる。2、日本古来の納豆や味噌などの発酵食品を毎食とる。3、砂糖、レトルト食品、コンビニ弁当は食べない。4、白米、パン、麺類など白く精製した主食を抜く。玄米食にする。5、必須アミノ酸をとるために週に2回は肉を食べる。6、マーガリン、フライドホテト、ショートニングは食べない。7、殺菌剤、抗菌剤など腸内細菌をいじめるような薬剤の使用を止める。8、下痢止め、下剤、抗生物質は極力飲まない。9、過度なストレスをため込まない。笑いのある生活を心がける。以上9つを実践するだけで、腸内環境は見事に整い、太らない体が築かれるうえ、免疫力も高まり、病気をしにくい体へと変わっていくはずだといわれています。詳しい説明は、この本に載っています。興味のある方はご覧ください。
2019.07.27
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昨日の臨床心理士さんのお話の続きです。守、離。破、立派という話があった。武道、華道、茶道、舞踊、将棋、囲碁などを始めたときは、まず型を学ぶことが大切である。型を身につけないと、型なしになる。型がないと次に進むと破れかぶれになる。型は長い歴史の中で、先人の極意が詰まっている。素直な気持ちで型を身に着けることが肝心です。これだけでも相当な努力と時間が必要になります。型が身について、免許皆伝になると、先生のもとから離れていく。人に教えたり、客観的な立場から自分が身に着けた型を眺めるようになる。その先に行くと、身につけた自分の型に創意工夫を加味して、元の型とは違う新しいものを生みだす。そして自分流の派を立ち上げて、師匠として後進の指導に当たる。森田理論学習の場合も、最初は型を理解していく段階がある。森田理論の全体像がよく分かるようになると森田理論を客観的な立場から分析してみる。生活面に応用できるようになると、理論からは一旦離れる。そして森田を元にした自分なりの生き方の極意をそれぞれの立場で作り上げていく。その確立された人生観を周囲の人たちにも伝えていく。その他に印象に残った話があった。あるがままというのは、放っておくことではない。そんなことをすると、畑は草ぼうぼうになる。症状はほったらかしにしておいたほうがよい。しかし日常茶飯事や仕事は、イヤイヤ仕方なしにでも、手をつけていかないといけない。努力即幸福というのは、努力すると幸せがやってくる。目標が達成できるということではない。成功しなくても、目標の達成ができなくなっても、努力している状態に、命の発現がある。努力しているときは、試行錯誤しているときです。思うようにいかなくてイライラします。でもそういう時は一心不乱になって、命が光り輝いているのです。そういう努力している状態を保っているということが、人間が生きているということです。生きがいを感じていることが大切です。それは幸福以外の何物でもありません。
2019.07.18
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