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V・フランクルは、ユダヤ人であるのでユダヤ教徒でした。もちろん、ユダヤの神を信じていました。しかし、彼は決して宗教で「ロゴセラピー」を構築しませんでした。彼は、強制収容所から解放された後に、彼の両親も妻も強制収容所内で死亡した事を知り絶望しました。「それでも人生にYesという」が彼の信念でした。彼も私のように何度も死に直面し、不思議な偶然で生き延びていました。そこに不思議な何かの力、意志を感じています。普通なら、宗教を信じている者なら、それを「神のご意志」と表現するところでしょう。けれど、彼はそれを神の力だとは言わず、宗教で縛ろうとはしませんでした。世界中に多くの宗教が存在し、様々な名前で呼ばれる神がいます。この宇宙が存在する限りそのエネルギーの源となるものが存在するのは確かです。それを「神」と呼ぶならば、間違いなく存在するに違いありません。そうでなければ、宇宙も我々も存在しないからです。そして、その「神」が創り出した宇宙や生命には一定の秩序・法則が存在しています。人間の叡智を遥かに超える意思があります。 人間になど理解し得ないものが、そこには存在するのです。 それをなんとか理解しようと様々な宗教が生まれてはいますが、「最終的に到達すものは同じなのでないのだろうか?」と、V・フランクルは言いたかったのではないでしょうか?V・フランクルは、収容所から解放された後に再婚しています。その女性はキリスト教徒でした。ユダヤ教徒の彼がキリスト教徒の女性と結婚することもその現れのような気がいます。 近年、「旧統一教会」や「オウム真理教」その他の新興宗教に妄信してしまい家族を巻き込んで社会問題になっています。それは、人々は心の救済を求めている証拠でしょう。私は、宗教を否定しませんし、そうした心のよりどころは必要なのだと思います。だって、みなさん年始は初詣に行きますし、冠婚葬祭は神事で行いますから。ただ、信じることは、本人の心の問題で他者に押し付けるべきものではありません。例え親子でも、心は別、生き方は個々のものです。自分が本当に良いと思ったものを愛する人にも知って欲しい、信じて欲しいと思うのは当然ですが、全く同じ生き方ができないように、同じ感じ方ができないように人それぞれ心が求めているものは別なのです。てすから、押し付けるのでは無く、否定するのではなく、心の信じる者を尊重することが大切なのだろうと思うわけです。これは、私の個人的宗教観になりますが、もし「全知全能の神」ならば、お金は絶対に必要無いと思います。なので、金銭や奉仕を強要する宗教は、その宗教指導者の考えが反映されているだけであり、世俗的宗教なのではないかと思うのです。ルターのキリスト教の宗教改革時の免罪符なんて良い例ですよね?日本語に「自由」という言葉には、心身すべての自由に使われます。しかし、英語には「Free」受動的自由と「Riberty」能動的自由のふたつの自由があります。やはり、どんなに心身が自由でも心が何かに縛られていたら自由とは言えませんよね? どんな時でも、心は自由であるべきだと思います。V・フランクルは、何か大きな力のようなものが人を生かしていると語っていますが、それを敢えて神とは語っていません。彼のロゴセラピーが、万人が受け入れられるものとして確立したかったからだろうと私は思っています。だからこそ、私も腑に落ちます。 私も「生かされている」と思っています。ただ、フランクルのように「人生にYes!」とは言えないところが未熟なところであり、まだ生かされてしまっている所以でしょう。深夜、突然の腹痛にトイレに駆け込み何時間も吐き気と痛みと闘う度に、まだ楽にしては貰えないのかと思うことがあります。が、守るべき命と、使命がある限りまだ私は生かされるのだろうと思っています。20代の頃に癌になって以来、終活もするべきか?と思いつつ、思った以上に生かされ続けて来ました。今また、そろそろまた癌になるかも?との気持ちが大きくなっています。20代の頃と違い、余命の方が長くてなってしまった。しかし、何度もそろそろかな?と思いながらも、まだ生きていますのでこればかりはわかりません。なにしろ、生きているのではなく、生かされているのですから。さて、私の「生きる意味」は、なんなのでしょう?歴史上の偉人と呼ばれる人物たちも、おそらくは自分の「生きる意味」が明確だった人はそれほど多くは無く、歴史が過去の人が検証し、評価しています。我々の凡人の人生も歴史の礎の一石くらいにはなれでしょうか?我々が愛するペット達も当のペット達は、生きている意味なんて考えないでしょうが、存在そのものが飼い主の癒しであり、唯一無二の存在です。そして、死してなおも愛おしく、心の支えにもなります。我が家の小太郎も、前の飼い主さんが亡くなって、我が家に来ました。小太郎も子猫の時に保護された保護猫らしいので、野良ネコであったであろう小太郎の母猫の存在にも感謝です。どんなものも、どんな人も、この世に存在するすべての命は、未来の誰か、何かのために、その言葉、その行動、その存在が必要なのでしょう。. 私の存在も、誰かの未来のために必要であると信じて明日からまた頑張ろうと思います。
2024.10.25
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世界保健機関(WHO)が、発表した2000年~2019年の20年間の「世界の死因トップ10」は、1位は 虚血性心疾患2位は 脳卒中3位は 慢性閉塞性肺疾患(COPD)4位は 下気道感染症5位は 新生児疾患6位は 気管がん・気管支がん・肺がん7位は 認知症8位は 下痢症9位は 糖尿病10位は 腎臓病でした。 それに対して、日本の厚生労働省「人口動態統計月報年計(概数)の概況」(令和元年2019)によると、日本での死亡原因は1位は 悪性新生物(腫瘍) 27.3%2位は 心疾患(高血圧性を除く) 15.0%3位は 老衰 8.8%4位は 脳血管疾患 7.7%5位は 肺炎 6.9%6位は 誤嚥性肺炎 2.9%7位は 不慮の事故 2.9%8位は 腎不全 1.9%9位は 血管性及び詳細不明の認知症 1.5%10位は アルツハイマー病 1.5%です。世界的にみても死亡原因の上位に、「戦争」はありません。ほぼ病死であり、日本に於いては「老衰」が3位にランクイン!!日本が高齢化するわけです。これは喜ばしいことなのか?最後まで健康で長生きしているなら良いんですけれどね。また、2019年の世界の自殺者ランキングで、日本は、25位(G7では一位)です。日本の死因ランキング7位に「不慮の事故」とありますが、この中に自殺者が含まれるのでしょう。自殺率が高いということは、幸福率が低いことの現れです。尚、みなんさんが好きな韓国も自殺率世界4位です。見た目の華やかさで幸福度は図れません。さて、前回お話したようにドイツの精神科医のV・フランクルは、著書にて「それでも人生にイエスという」と語っています。彼は、ナチスドイツの政権下、有名な強制収容所生活で動物以下の扱いの中、家族を失い、過酷な強制労働を経験して生き延びた人です。人としての尊厳を侵害される究極の精神的圧迫生活の中でも、フランクルが人生を肯定できたのはなぜでしょうか?精神科医である彼は、「ロゴセラピー」としいう理論を確立しています。「ロゴセラピー」の主軸となるのは、人の主要な関心事は快楽を探すことでも苦痛を軽減することでもなく、「人生の意味を見出すこと」です。「人生の意味」を見出している人間は、どんな苦しみにも耐えることができる自ら実証してみせました。人は、必ず生まれて来たからにはその生に意味があります。今は、苦しい経験をしていたとしても、それは未来に待っている人のため、未来で果たすべき役目のためなのです。決して、生きる目標は、成功や賞賛、富を得ることは幸福には繋がりません。それは、果たすべき役目を為す中での副産物なのだということ。これは、近年の大谷翔平選手の活躍を見ていると納得できなくもありません。昔から「金は天下のまわりもの」といいのすが、富はそれを求めて追いかければ追いかけるほど逃げていき、自らの役目を果たすことに全力を尽くすことで後からついて来るものです。それらは、普遍のものではなくある日、突然、失うことも有り得ます。幸せは、心で感じるものであり、他者から、どう見ても幸せなだと思える状況に居たとしても、本人が満足できず、幸せを、幸福感を持てなければ、その人は不幸なのです。昨今、若い子たちの間で「リア充」という言葉を使っていますが、ある種の幸福度を示す言葉として使用されています。「リア充」とはリアル(現実)が充実しているという意味であり、恋愛が上手くいっている事を示しています。確かに、親の保護下にあり、最低限の衣食住に困らない学生であれば、恋愛は人生の最優先事項であり、それが上手くいっていることによる幸福感は間違いないのでしょう。 しかし、それが未来に渡って続く可能性は低く、親の保護下から離れた後は、物理的生命維持活動の方が優先される可能性が高いわけです。また、「リア充」こそ「幸せ」と思い、子供を抱えながら恋愛し、交際相手に我が子が虐待されるのを止められないような親になって欲しくありません。ですから、生徒たちには、恋愛以外にもリアル(現実)を充実させるものを見出して欲しいと思うわけです。
2024.10.23
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誰もが一度は、考える疑問。人は、いずれ死ぬのになぜ生きるのか?自分の生きることに何の意味があるのか?そして、意図せずこの世に生まれて来たのに、必ず訪れる死を恐れます。こんなことを考える動物は人間だけなのでしょう。過去の希望をはるかに超える大規模自然災害や第三次世界大戦、AIに人が脅かされるかもしれない未来への恐怖。人類は、科学の発展により、過去のどの時代よりも便利で快適な生活環境を手に入れました。その見返りとして、どんどん時間に追われるようになり、精神が脅かされやすくなっています。「世界一幸せな国」を自負していたブータンの国民は、かつて、一様に「雨風をしのげる家があり、食べるものがあり、家族がいるから幸せだ」と語っていました。しかし、SNSが発達し、他の国の豊かさを知った時に、ブータンの国民は自分たちの国の貧しさを知り、幸福感を失ってしまったそうです。科学の発展により、過去のどの時代よりも便利で快適な生活環境を創り出せるようになったのに、近年の気候変動や大規模災害により、その生活もある日一瞬にして奪われる危機感も否ません。人の幸福とは何なのでしょう?人は幸せになるために生まれてくるのではないのでしょうか?幸せになれないのに、なぜ生きなければならないのでしょうか?私は、20代で子宮体がんになりました。初潮を迎えた頃から体調が悪く、貧血も酷く、自律神経失調症であり、思春期特有のストレスから知らぬ間に子宮内膜症になっていました。それに気づかず学生時代を生き抜き、社会人になってからも原因不明の生理不順と腰痛に悩み続け、ある日、布団が血の海にとなり、出血多量で緊急入院、なんとか一命をとりとめて検査したところ癌(がん)が見つかりました。子宮体癌です。(子宮体がんと子宮頸がんは大きく違います。子宮頸がん=ウイスルの感染状態が続くことで発生。子宮体がん=卵巣ホルモンのバランスのくずれが要因。 子宮がんについては、また別にお話したいと思います。)そして、子宮を摘出して初めて出血の原因が、子宮内症であったことが判明。(発がん原因は、内膜症と知らず、生理不順為のの出血を止めるために処方されたピルが原因とのことでした)ここまで、原因不明の体調不調に苦しみ、人より自分は心身共に弱い人間なのかと悩み続けた挙句、癌だと判明。当時の癌は、ほぼ死に直結する病いでした。しかし、私は、嬉しかったのです。なぜなら、自分の不甲斐なさには理由があったと知れたからです。初めて自分を肯定する「言い訳」が出来たからです。 未婚で、処女で子宮を失っても悲しさより安堵感が上回りました。そして、これで生きる苦しみから解放されるかと思しました。しかし、当時の抗がん剤が私には合わず、副作用が酷いので、抗がん剤を中断することになり、余命5年を受け入れようと思いました。にもかかわらず私は死にませんでした。5年経過しても再発しなかったのです。 なぜ、私は死なないのだろう?いや死ねないのだろう?と少しがっかりしました。 5年間、いつ死が訪れても良い覚悟で20代を生きていたのですから。考えてもみて下さい。「私、余命5年なの。」という小説や漫画のヒロインが、最後に死ぬからその小説、漫画は成り立つわけですよね? 私は、生き延びた喜びよりも、「私の覚悟をどうしてくれる?」と思ってしまったわけです。しかし、私には私を必要とし頼ってくれる生徒たちがいました。「先生に今死なれたら困る」と言ってくれる彼女、彼らがいました。だから、全力で生徒たちに自分ができることをしてあげようと思ったわけです。 私の影響力が、言葉が、想いが、この子たちの中にひとつでも残るなら私が生きた証となるだろうと。 そして、10年経過し、もう死なない?と思って結婚したら、その後、再び癌になりました。今度は卵巣癌です。元々、私は卵巣ホルモンのバランスのくずれが要因で発症する子宮体がんでしたので、卵巣のホルモンバランスは悪かったわけです。正確には境界性悪性卵巣腫瘍という抗がん剤も放射線も効きにくい癌でした。しかし、またもや10年が経過しても再発も転移もなく生きています。今回は、周りの臓器との癒着が酷く、小腸と大腸の一部切除した為に後遺症が残り、外出もままならなくなりました。 気圧の高低差にも激しく影響されるので、台風発生時などは起き上げるのもつらいほど地球の重力に押しつぶされそうになります。日々、生命を維持するのに精いっぱいな生活になりました。それでも、まだ死なない、いつも死は身近なのに。そう、神がいるとするなら、神がまだ死ぬことを許してくれないのです。まだ、生きよ!と言われています。きっと、人はそれぞれに生まれた時に背負った使命があるのでしょう。その使命を果たさぬ限り、まだこの世で頑張らねばならないのでしょうか? 次回は、「それでも人生にイエス(Yes!)という」著書で「人生の意味」を説いているドイツの精神科医のヴィクトール・フランクルの「ロゴセラピー」の視点から考えてみたいと思います。
2024.10.21
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我が家の金魚ピンポンパールの金太が16年目にして虹の橋を渡りました。元々は4匹いたピンポンちゃんたちでしたがすぐに3匹となり、合宿中に2匹が☆になり金太だけ一匹状態で頑張ってくれてました。先月末に☆になって、昔のブログを振り返ってみたところこの写真を載せたのが2008年でしたので16年生きたことなります。初めは、直径3センチくらいのピンポンちゃんでしたが金太を網ですくい上げたところ、ずっしり重く直径10センチくらいのデカ金魚になっていました。真ん丸なのでなかなかの重さでした。そして、しばらく金魚水槽は、水草と貝だでしたがついに新人さん3匹を投入。5代目金太・トト松・ちゃ太郎です。3匹合わせて「きんととちゃん♡」我が家の金魚の名前は、代々これです、笑投入時は、ちょっと状態が悪かったので塩浴にてトリートメント中。3日間、5%の塩水で塩浴して貰い、4日目から換水して徐々に濃度を下げています。あんまり長く塩水にすると水草が枯れちゃうのでね。本格的に塩浴するなら敷石も水草も入れていない容器でしないとですが念のためのトリートメントなので金太の愛用していた水槽で実施しました。今のところ3匹とも元気です。ブログをしばらくお休みしていた間に熱帯魚のメイン水槽もえらいこっちゃになりました。メイン水槽にはカラシン系の熱帯魚やエビが住んでます。二酸化炭素を添加しているので水草がすぐにぼ~ぼ~になっちゃいます。ヌマエビのレッドファイヤーはたった10匹から増えに増えて100匹以上。水草を間引きして二酸化炭素の添加を控えめにして水草は落ち着いたかと思っていたら今度は、グッピー達に白点病が蔓延(*_*)ネオンテトラやトランスルーセントも混泳しているのになぜかグッピーだけ☆落ちる状況で塩浴は無理だし、とりあえずカプサイシン投入!!少し落ち着いたようでも、やはり完全撲滅は無理。もう、全滅覚悟でヒコサンZ投入!!!なんとか落ち着いたようです。でも、大人のグッピーはほとんど落ちてしまいほぼ子供たちだけになりました。その子供たちが成長して来てまた子供を産んでいるので血が濃くなりすぎないように新しい個体を数匹入れました。これで、新世代が上手く育って良いサイクルをしてくれると良いんですけれどね。
2024.10.20
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人類は古来より、環境に適応し変化し、進化して来たとされます。私は、発達障害問題を考えているうちに、子供の頃に見た「機動戦士ガンダム」というアニメに「ニュータイプ」という進化した人類が登場していたのを思い出しました。私は、大人になってからは、そうしたアニメは、あまり見ていませんので、この超人的(エスパー的存在)についてアニメの中での定義はわかりません。しかし、子供の頃の私には、なぜか印象深く、それだけが心に残っています。もしも、人類が進化の過程で手に入れた能力を持つ者をニュータイプ人類(新人類)と呼ぶならば、その環境に適応をするために変化してく者はニュータイプと呼ばれても良いのなのではないでしょうか?発達障害と分類されてしまう者の中には、このニュータイプ(新人類)に値すると考えられないのでしょうか?もちろん、発達障害と診断される者のレベルや特徴は様々なので、全ての発達障害者をニュータイプ(新人類)と呼ぶのは過言でしょう。ですが、明らかにエジソンやダ・ヴィンチ、スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツを障害者と呼ぶのは、凡人の横暴のようにも思えます。今は、多様性の時代と言われています。マイノリティの人々の権利を重視し、尊重することが善とされる傾向にあります。私個人としては、マイノリティの方の為にマジョリティが侵害され、我慢を強いられるのはどうかとは思いますが、それでもマイノリティの方の人権・権利は守られるべきだと思います。発達障害とされる人々は、この「障害」という言葉で差別され、卑下されることもあります。ニュータイプかもしれないマイノリティの方々を守るためにもこの「障害」という名称はなんとかならぬものかと常々、思っています。前回でも申し上げた通り、せめて「神経発達症」に改めて欲しいです。それと同時に、ニュータイプの方々の才能を守る為に、日本の戦後から代わり映えしない教育制度を改革すべきだと思います。なぜなら、優秀な人材こそが国の宝だからです。今の学校制度では、発達障害の傾向がある子供たちはクラスに馴染めず、いわゆる不登校になる可能性が高いです。友達とのコミュニケーション下手で、自分の興味を優先しがちな傾向があるので、周囲の学習ペースを合わず、特定の科目の授業についていけなくなる可能性もあります。数学の先生に「この子は馬鹿で教えられない」と言われた発明王のエジソンも、学校には適さないと小学校を退学になった「窓際のトットちゃん」の黒柳徹子さんも、文字の読み書きが困難で台本のセリフを読むのに苦労したディスレクシアという発達障害であったトム・クルーズも、辛抱強く見守り、励まし、その才能を信じ続けてくれた母親の存在があったからこそ、その才能を発揮できたに違いありません。しかし、全てのニュータイプの子供が、周囲の大人や環境に恵まれているとは限りません。現代は、オンライン授業や個別支援のシステムを構築する技術があります。昔では不可能だった教育制度を作ることも可能です。学校やクラスに違和感を覚える子供たちが義務教育課程で学校からドロップアウトしてしまうと、社会から逸脱したように思えてしまうのをなんとかしなければなりません。こうした生徒でも自宅や別室からオンラインやバーチャルで授業に参加できるようにするとか、飛び級制度を導入するとか、現代の生徒に適した教育制度に変革すべき時なのでは無いでしょうか? ひとりの教師が見られる生徒数には限りがあります。それでも、やはり生徒ひとりひとりとじっくり話す時間が必要のように思います。子供たちも両親や親族以外の信頼できる大人の存在は必要です。将来的には、学校もメタバースのようなバーチャル空間を活用して、コミュニケーションの練習をする事もできるでしょう。いささか、発想が飛躍してしまいましたが、いずれにしても、戦後からの義務教育制度や学校制度は見直されるべきであり、今や少数派と言い難いほど多くなっている発達障害者に類する子供たち、その中に多く存在する才能を秘めた人材が埋もれてしまわないように早急に対応して欲しいと願います。発達障害の傾向がある者の多くは、障害者ではありません!!才能あるニュータイプであり、それがひとつの個性であり、場合によっては社会や世界を変えるほどの才能なのです!!どうか、発達障害を持っている皆さん!! 発達障害と診断されたお子さん発達障害かも?グレーゾーンと言われた、お子さんを持つ親御さん!!それは、個性です。才能です。決して卑下せず、諦めず、才能を磨いて下さい。皆さんは、ニュータイプなだけなのですから。
2024.10.18
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前回までに、私が発達障害を「障害」と呼びたくないとお話しました。皆さんご存じの著名人・有名人の中には、発達障害の方も多く、その傾向が顕著だった偉人もいます。今回は、そんな著名人・歴史上の偉人の事例を通してお話させて頂きたいと思います。近年の著名人でその傾向が顕著と言われているのは、スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツ、イーロン・マスク、ウィル・スミス、トム・クルーズ、黒柳徹子etc…、(敬称略)歴史的偉人には、アインシュタイン、エジソン、モーツアルト、レオナルド・ダヴィンチ、坂本龍馬、織田信長がいます。有名な発明家のエジソンの母は、エジソンの学校の数学の先生に「この子は馬鹿で教えられない」と言われたそうです。「窓際のトットちゃん」で有名な黒柳徹子さんも、小学校を退学になった話は有名です。発達障害の一つである学習障害のディスレクシアである米俳優のトム・クルーズは、知的発達には問題がないものの、文字の読み書きが困難でした。俳優デビューしてからもセリフが読めないことに悩んだほどでしたが、それを克服して今では世界中で知られる名俳優になっているのは周知のことです。いずれの場合も、辛抱強く見守り、励まし続けてくれた母親の存在があり、適した学習支援があったからこそ、克服しただけでなく、その才能を発揮できたに違いありません。「発達障害」が疑われている著名人の中の多くは、自らで発達障害を公表しているわけではなく、発達障害の傾向が顕著だとされています。いずれにしても、人類に多大な影響と功績を残し、歴史を変えた人々ですね。これらの人を障害者と呼ぶべきなのでしょうか?脳の障害と言われていますが、常人と脳の働き方が違うので障害と呼ぶことに違和感を覚えます。障害と呼ぶとマイナスイメージが強く、そう呼ばれるお子さんと親御さんは、マイナスのレッテルを貼られた気分になるのではないでしょうか?「障害」とは、物事の達成や進行の妨げとなること、または妨げとなる原因のこと、と定義されます。確かに現代では「発達障害」の傾向があると、拘りが強かったり、興味関心に偏りがあったり、空気が読むことが苦手だったりするので、社会で活動をする上で妨げになる事もあります。それでも、発達障害の傾向が顕著だったにも関わらず、社会に大きく貢献し、社会や歴史を動かし人類に多大な功績を残した多くの著名人たちのことを考えると、やはり「障害」という言葉が適切なのか?と思ってしまいます。社会を大きく前進させ、貢献しているその能力はもはや障害なのではなく、むしろ才能ぶべきなのではないでしょうか?その才能を開花するには、その偏った能力と社会の理解との乖離を乗り見え、違和感を感じながらも耐え抜かなければならないのでしょうか?今の日本では、そうした才能は開花しずらい環境であることを不登校者数が示しています。優秀な人材は国の宝です。国家を挙げて早急に対処すべきなのではないてじょうか?まずは、「発達障害」ではなく、「神経発達症」と正式に改めて欲しいと思います。次回は、障害ではなく異なる言葉を捜してみたいと思います。生きづらさについて考える 第五回 (新人類?) につづく
2024.10.16
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前回お話した通り、日本での学校や社会で生きづらさを感じる大きな要因に「発達障害」が大きく関係しています。そこで、今回は「発達障害」ついて深掘りしたいと思います。一般的に「発達障害」は、生まれつきの脳機能の発達の偏りによる障害と言われています。(私は、「脳機能の発達の偏り」という定義よりも「生まれつきみられる脳の働き方の違い」と定義したいです。)まず、真っ先に言っておきたいのですが、「発達障害」の傾向がある者の多くは、単なる障害ではありません!!それは、ひとつの個性であり、場合によっては才能なのだと私は思います。今回は、そのことについて、多くの方に知って欲しいと思います。政府広報オンラインHPには、『発達障害は、広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害など、脳機能の発達に関係する障害です。発達障害のある人は、他人との関係づくりやコミュニケーションなどがとても苦手ですが、優れた能力が発揮されている場合もあり、周りから見てアンバランスな様子が理解されにくい障害です。発達障害の人たちが個々の能力を伸ばし、社会の中で自立していくためには、こどものうちからの「気づき」と「適切なサポート」、そして、発達障害に対する私たち一人ひとりの理解が必要です。』と説明されています。しかし、発達障害と定義されるものは、子供の頃にはわからず、大人になってから疑われるケースも多いようです。第4回で触れますが、過去の偉人や現代の著名人にもそうした人が多く見受けられます。『神経発達症(発達障害)は珍しいものではありません。特性のあらわれ方や程度は、人それぞれ。大人になってから明らかになることもあります。』沢井製薬の大人の神経発達症(発達障害)より同サイトによると大人の発達障害以下のようなものです。『神経発達症(発達障害)は、生まれつきみられる脳の働き方の違いによって、コミュニケーションや対人関係など、日常生活に困難が生じる状態です。神経発達症(発達障害)には、ADHD(注意欠如多動症)、ASD(自閉スペクトラム症)、学習障害(発達性学習症)などがあります)。神経発達症(発達障害)の特性のあらわれ方は、その人や生活環境によってさまざまで、複数の神経発達症(発達障害)を併せ持つこともあります)。』さすが、製薬会社のHPです。「脳機能の発達の偏り」ではなく「生まれつきみられる脳の働き方の違い」としてし、「障害」という言葉を使用せず「神経発達症」としています。私は、長年、塾講師・家庭教師として子供と密に接して来ました。その間にも、この子は?と、思う者が多々おりました。保護者からグレーゾーン(障害判定が曖昧の者)として相談を受けることも度々ありました。今でこそ、この分野の研究が進んでいますが、以前は、発達障害の原因は、親のしつけの問題と言われている時期もありました。しかし、今は研究も進み、近年の調査では、神経発達症(発達障害)の特徴を持つ人は珍しくなく、身近にいることがわかってきました。(日本では、10人にひとりの割合だそうです)それだけ多くの人が持っている特徴を「障害」と呼んで良いのか?との疑問が生じます。次回は、私が「障害」とは呼びたくない理由を具体的にご説明したいと思います。生きづらさについて考える 第四回 (障害?才能?) につづく
2024.10.14
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今や、30万人が不登校。小学生の約60人に1人、中学生の約17人に1人が、不登校の見えない大きな要因に「発達障害」と呼ばれる生きづらさを抱えて生きているのでないかと感じています。なぜなら、通常学級に籍を置く児童のうち、「発達障害」の可能性がある児童は、約10.4%ともいわれているからです。大人の発達障害を含めると、日本では、発達障害の傾向がある人は、約10人に1人といわれています。えっ? と思いませんか?発達障害は、生まれつきの脳機能の発達の偏りによる障害と言われています。得意・不得意の特性と、その人が過ごす環境や周囲の人との関わりのミスマッチから、社会生活に困難が発生しやすくなるのです。しかし、10人1人がそうであるなら、それって障害なの?と思いたくなります。ということで、長年子供たちと接して来た立場から、この問題について考えていきたいと思います。次回は、発達障害とは?についてお話したいと思います。生きづらさについて考える 第三回3 (発達障害) につづく。
2024.10.12
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長年、子供たちに勉強を教えてきて感じるのは、今の学校制度に対しての子供たちの違和感です。不登校数は増加の一途をたどっており、ついに30万人に達したとされています。文部科学省の2022年の発表しによれば、小学校では約60人に1人、中学校では約17人に1人が不登校になっているそうです。不登校と聞くと、「いじめ」が真っ先に連想されますが、それは、不登校原因のわずか0.3%に過ぎないのです。では、その他の大きな要因はなんなのでしょうか?決して、能力が無いわけでも、性格が悪いわけでも無いのに、むしろ、十分な理解力があり、優れたものを持っています。また、素直な性格な者ほど学校へ行きたくないと、クラスに居ることが辛いと感じてしまいがちです。そんなお子さんの多くは、人の悪意に敏感で、傷つきやすいハートの持ち主だとか感じます。そもそも、一軍、二軍、三軍・・・というクラス内ヒェラルキー、「隠キャだ」「陽キャラ」と言う言葉が当たり前に使用される昨今。明らかに差別以外の何ものでも無いですよね?SDGsや、多様性が叫ばれているこの時代ですが、子供たちの世界の方は、まだまだシビアです。社会で生きていく中で、生きづらさを感じる原因として、ジェンダーレス、身体的障害、人種差別等tec…目に触れやすい多くの問題があります。しかし、今回は、他者には目につきにくく、精神的に生きづらさを感じやすい「発達障害」という問題について5回に分けて、取り上げていきたいと思います。次回、『生きづらさについて考える』 第二回 (脳機能の発達の偏り)につづく。
2024.10.11
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ミルキーが亡くなってしまいすミかり落ち込みつつさらにコロナの追い打ちでやる気をなくしていましたが、こんな放置ブログでも見て下さっている方がいるのでボチボチ再開しようかと思います。以前は、画像中心でしたが、素材置き場のサーバーも消滅してしまいそちらの方でも気持ちが萎える要因でしたので今回は画像より文章中心になるかもしれません。それでも、見て下さる方がいるならばと再開を致します。今回は、私の病の経験や、教育者としての経験からどなたかのお役に立てることがあればと思い病と教育のことを中心に書こうかと思ってます。また、画像はInstagramの方に載せていますので宜しければ、そちらをご覧ください。
2024.10.08
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