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平成28年8月22日(月曜日) (妻の記録) 7時にタクシー予約、出かけてすぐに携帯コール夫が高熱にて意識不明、タクシーの中でも走りたい思いで到着。天井を見ながらしきりにチンプンカンプンな話をしている。高熱のための幻覚症状なのか、手を伸ばして何かを引き寄せようとしたり、起き上がろうとする。私の存在がわからないようだ。8時過ぎ、熱も下がり正常となり、話もできるようになる。11時過ぎ、看護師長来室、ホスピスへの転院、明日10時と決定。8月6日救急車にての搬送、それ以降の急激な体調の変化、わずか2週間でホスピスへの転院となり、いささか当惑せり。自宅にいてはどうにもならない状況であればこれも致し方なし。かえってふたりで過ごせることに感謝すべきと心鎮める。午後6時15分4度目の入院の際に担当看護師となったIF看護師来室、珍しく夫がいろいろな話をして楽しむ。勤務明けのIFさんは延々と続く夫の話に付き合ってくれた。久しぶりにおしゃべりしているのを嬉しくながめていた。夜勤はWさん、最後の夜は彼女で安心。主治医来室、「急な転院となり申し訳ない」と言っていた。S病院での最後の夜、私は病院に泊まった。平成28年1月19日入院、4度の入退院を繰り返えし、通算104日を数えた。夫は夕方になって、看護師との長々のおしゃべりをするほど元気を取り戻した。それまではベッドにあっても始終、私の動きを目で追っているのがよくわかるくらい落ち着かない状態だった。明日の転院のために荷物をまとめている私を見つめ、それに気づくと私は笑顔を向けるが夫の表情は硬いまま不安げであった。そのような状態の夫を一人残して帰宅することができないと思った。ホスピスは寝巻は持参することになっている。その準備もしなければならない、明日からは私もいっしょにホスピスでの生活になる。妻の着替えや洗面道具も必要だ。日中の看護師はいつも暖かで優しくケアしてくれるSさん。そのような不安げな夫と忙しく荷物をまとめる私の様子に「奥さん、泊まったらいかがですか、お布団用意しますよ、だから片付けはゆっくり、やってください。」と声をかけてくれた。更に「これからは下着の取り換えが大変になるから前開きの下着が便利な事、街ではなかなか手に入りにくいが院内のコンビニにあるはずだから今日のうちに購入したらいいこと、寝間着の準備ができなかったら今着ているの寝巻を着て転院後に返していいのだから・・・」などと細かな転院のアドバイスをしてくれた。おかげでS病院での最後の夜をゆっくり過ごすことができた。風呂敷を斜めたたみにして紐を作り、夜は互いに手首に結んで休むことにした。夫が何度か紐を引き、それに反応すると安心したように表情が緩るみ、私も笑顔で応えた。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 25, 2017
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平成28年8月21日(日曜日)午前6時15分起床、 おしっこが少なすぎという事だったがどうなっただろうか、血圧は少しは上がっただろうか。いてもたってもいられない心地で、朝の用事を済ませ、洗濯物を整理し病院への荷物をまとめ、ヘブンリーブルー、カリフォルニアローズ(ダブルインパチェンス)に水やりする。午前8時に車を予約して病室へ。昨日より、元気に迎えてくれたので嬉しかった、ひとまず安心.、熱も37℃台に落ち付く。痛みもあり血圧も相変わらず高くならず心配なり、でも元気、私に心配かけまいとして元気そうに振舞っているのかな~。眠剤を使わなかったから眠りが浅かった模様なり。 午後12時6分、病室を移動し、一人部屋437号。主治医より病状について説明を受ける。敗血症になっており進行中であるとのこと。敗血症のその最後は突然訪れることもあるとのこと、今元気でもたった半日であなたが逝ってしまうかもしれない怖い病気であること。夫が問いかけました。 「先生、今年いっぱいは大丈夫でしょうね」医師は首をかしげました。(このことは夫にとって大きなショックでした。ホスピスへ行ってからも『首を傾げられたのがショックだった。それからは元気が出なくなって、今年いっぱい持たないと思うようになってね。 大丈夫、大丈夫と思えなくなってしまったの』首を傾げた医師の貧しい人間性を憎みました。夫の悲しそうな顔が今でも目に浮かんできます。なんとしても気持ちの収集が付きません、はっきりしているのは余命が最初の宣告より短かくなったという事。どうして私たちは人生の最後にこうした過酷な仕打ちを受けなければならないのだろう。一生懸命真摯に生きてきたではないか、二人とも本当に誠実に生きてきたのにどうしてこんな仕打ちを受けなければならないのだろうか。何が不足だったのだろうか、何が間違っていたのだろうか。「悪いことしたら罰が当たるんだよ」幼い日々に祖母に言われた言葉が思い出されました。午後2時30分、悪寒と発熱を繰り返し、痛みも緩和されず苦しんでいる。私は少し気持ちが落ち着いた。気持ちが少し整理されたわけではないが涙がひとまず止まったというところだろうか、でも、ちょっとの刺激が加わると涙腺が壊れ、そこからまた涙が流れおちそう。外は霧雨、風はすでに冷気を含み、秋も間もなくやってくる。寝息を立てて眠っている。痛みがあってもこうしてまどろむことができるのは嬉しい。余命が短くなったとはいえ、どれくらい生きられるのだろうか?来室された看護師長さんに「夫の誕生月が10月なのですが・・・」眠っている夫の傍らから病室の外に出てそっと話しかけました。「何日?」「28日です。」彼女は悲しい表情でした。午後3時50分下着、寝間着取り換え、点滴管の取り換えを終えて、少し楽になった様子に見える。穏やかな様子を見ると安堵する。点滴のお陰で痛みも少し和らいだという、腰が少し曲がりにくくなり肩甲骨の方も痛くなってきたという。この日の記録はここで止まっています。後日、ボイスレコーダーに記録を残すときにも思い出そうとしましたが何も思い出せませんでした。夜8時まで病室でどのように過ごしたのか、夫の様子を記したメモもなく、私が帰宅後にレターを書いた様子もありません。この部分だけすっぽり抜けてしまっています。私の思考回路も感情をつかさどる神経細胞も記録する意欲も意思も何もかにも硬直したまま時間が過ぎてしまったようです。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 24, 2017
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平成28年8月20日(土曜日) 記録(午前7時30分)朝6時45分 S病院より電話あり。「40℃の熱が出た、ふらついて倒れて擦り傷ができた」 急ぎS病院へ。体が熱いとても熱い、体中がとても痛いとのこと、A医師(主治医が不在中の担当医師)は高熱は腸閉塞の症状の時出るとのこと、熱さましの点滴をする。排便ありとのこと。朝6時半ごろトイレに行こうとしてベッドから起き上がりカーテンの外に出た所で倒れる。病床向かいのIさんが気づいてくれて看護師に連絡してくれる。一人では持ち上げることができず男性看護師とベッドへ、頭が朦朧としている状態に見受けられた、血圧下降、発熱40℃、8時50分A医師、薬の飲みすぎを防ぐために張り薬の量を増やすとのこと、レントゲン検査は病室にて撮影予定、血圧降下、発熱は脱水症状によるという。9時40分頃 回診、看護師長も一緒、背中の痛みが激しいと訴える。時間がおかしくなっている、「8時を過ぎたのにどうしてmawakoが居るのか、早く家に帰りなさい」といい、時間感覚がおかしくなっている。ポカリスエットを美味しそうに飲む、9時50分レントゲン撮影、ひざの傷を確認、これだけの傷なのでかなりの衝撃があったと思われる。頭を打たなくて本当によかった。10時、少し寝息を立てている。10時15分A医師来室、カテーテルを挿入し尿を取るようにする。背中の痛みは腸閉塞の原因以外に腎盂腎炎の場合もある。という。11時50分オキノール散剤を飲む。体温37℃、高い。氷枕は嫌いだという、下着汗だく、着替え断る14時10分張り薬2倍にする。これは痛み止めの張り薬、急に悪寒する。夜中に時々こうなるという、ブルブル震えている。背中が痛み出して悪寒が走る。かなりの震えである。それでもナースセンターにコールしない。いつもだからという、深呼吸して苦しさに耐えている。ブルブル震えだす、ナースセンターに連絡。電気毛布を入れてもらう。15時00分 嘔吐あり。A医師来室、尿に細菌がありこれが発熱の原因とも考えられるが、腸閉塞による発熱も考えられる。鼻チューブによる処置を提案されるが積極的に応じる意思をしめさず。薬を倍にしたので眠りが増すことが考えられる。午後5時 妻から夫へのレター (帰宅時に枕もとに置いてくる)今朝びっくりしてとんできました。大変だったね。今日も辛くて大変な一日でしたね。熱が出たうえにあちこち痛くて本当に辛いね。私も辛いけれどあなたの方がどれほど辛いだろう。痛みを調整して腸のコントロールができれば少しは楽になると思うのだけれど。眠気が強くなったそうですがたっぷり眠ってください。私の夢を見て眠ってください。vabi,mariちゃんと一緒に遊んでいる夢を見てください。可愛かったね。私たちをどんなに癒してくれたことでしょう。あなたと喧嘩してして私がしゃべらなくなると「vabiちゃん、おかあちゃんが怒っているね、怒らないでと言ってあげて」なんて喧嘩の仲裁を頼んだりしてね。mariちゃんはそんな時には頼りにならないけれど、mariちゃんも可愛かったね。17時50分頃心地よい寝息を立てて眠っている。これも薬のせいかな?いずれにしても眠れれば体を休めることになり、私にとっては嬉しい光景なり。帰宅後午後9時5分 妻のレターその後いかかですか、H婦人がお電話くださいました。日中お寄りくださったそうです。ありのままをお話ししました。「何もしてあげることができなくてごめんね」と言ってくださいました。ありがたく嬉しい気持ちになりました。早く体が楽になるといいですね、苦しそうな様子だったので帰るのが辛かった。ず~っとず~っと一緒に居たかった。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 23, 2017
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平成28年8月19日(金曜日) 午後3時(ベッドの傍らで妻が想いを綴る) 昨日よりは元気でいるか思って出かけてきたが昨日より一層辛そうな情況なり。何もできないなんの役にも立てない自分の無力さに全く元気が出ない。私が居ても何もならない、そう思うと寂しくて寂しくて半日を過してしまった。辛いんだね、どうしたらいいんだろう、死ぬのは誰にでも訪れることだけれどどうしてこんなに苦しまねばならないのだろう。どうして私ではなくてあなたなのだろう。私が苦しさを代わってあげられたらどんなに嬉しいだろう。辛いあなたの気持ちになれるのはどうしたらいいのだろう。あなたと私を入れ替えベッドに横たえてみた。きっと私もあなたがそばにいてくれるのをどんなに力強く想い幸せを感じることだろう、それでも肉体の苦痛からは逃れることはできず、きっと身の置き所のない時間を過すだろうな~。あなたとあたしを入れ替えてみてもただそれだけのことで少しも苦痛は変わらない。それをわかっていながらあなたの痛みを分かち合いたいなどと言っている私は偽善者の何者でもない。それができないことを十分わかっているのに言葉だけであなたへの愛のメッセージのつもりでいる。言葉ほど真実を覆い隠すものはないように思ってしまう。言葉が真実を伝える役に立たないなら、何をもって私の真実をあなたに伝えることができるのだろうか。苦痛によって引き起る不安や恐怖を少しでも感じることができたら少しでもあなたの心の不安や恐怖を共有できるかもしれない、一緒に感じることしか私にはできません。「mawakoもこの痛みや辛さ苦しさを一緒に感じてくれている」そんな思いを持ってくれたら私の存在も役に立つかもしれません。そのような想いであなたを見つめています。妻の想いを記録するつもりであったのが、書いているうちに夫へのレター風な書き方になってしまったが、辛そうだったので引き出しに入れたまま帰宅する。8月19日 午後4時4分 (夫の病の様子、妻の記録)昨日より便通なし、ストーマ交換も変化なし、きれいなまま。頭髪を蒸しタオルで拭く。少し寒気あって体を拭くのをやめる。今日は朝から少しの寒気在り。痛みを我慢すると寒気から熱っぽい状況になる。張り薬の交換3日目いまだ薬効なし。3目だというのに排便がない。「食べないのだから出ないのでは? レントゲンを撮っているのだから状態をわかっているのでしょう、だから医師は処置を必要としないのでは?」などと夫と会話する。寝巻にも伝わるくらいに下着が汗でびっしょり、「これなら寒気するのは当たり前」と着替えを促がすが激しく拒否せり。「病人の気持ちがわからない」「心配している私の気持ちがわからない。」そんなことを言い合いながら気は沈んでいく。体を動かすことさえ大儀なくらい、体の状態が辛いのかと思う。きっと傍にいてうるさいのが嫌で疎ましくさえ感じるのだろう。傍にいると安心だから、幸せだからというのは私のひとり勝手。夫は私の存在が今は疎ましくうるさいだけかもしれない、傍らにいて浮かぬ顔をしている私は何の役にも立っていない。どのように過ごすのがいいだろうか。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 22, 2017
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平成28年8月18日(木曜日) PM 3:40体が重い、心が重い、そして口が重くなる。この日、たった3行のレターでした。そして、これが夫の最後のレターとなりました。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 21, 2017
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平成28年8月17日(水曜日) AM 6:45前日、苦しそうな情況を見ながら帰宅してきたので心配で寝不足の朝を迎えました。「お腹が張って苦しいですか、体のあちこちが痛んでいますか、かゆくて不快ですか、」と声にならない言葉を口の中で問いかけながら、目に見えない夫の様子をいろいろ思い浮かべては何の力にもなれない自分を情けなくなってしまいまいた。夫は私に心配かけまいとして時々、嘘を言います。「痛みが少し楽になったよ」「痛みは治まってきたよ」と言うのですが、その表情がその嘘を証明してくれます。その都度、私は黙って手を握り、笑顔を向けて応えます。「あ~良かった、安心して帰ります。また、明日」その朝はヘブンリーブルーの花が開き、蔓がかなり上まで伸びてしまったので、その様子をお知らせいようと写真を撮りました。出かける頃には雨になりそうです。8月17日 AM10:05 (妻が来室するのを待ちながら書いたというレターです。)ガスも便も昨日午後で止まり、腹の痛みがぶり返しています。痛みのコントロールも腹のコントロールもほとんどできていないように私には思われます。便が出ないと背中の痛みよりも腹の痛みの方がきついです。一日中痛みが治まらないので顔の表情もついきつくなってしまいます。でも病院に長くいる間にたくさんの患者さんを見ましたが私よりもず~っと辛いだろうと思われる表情の人々も多かった、それを思うと私もこれしきの事でへこたれてはいられないと自らを励ましています。今日は、久しぶりの雨ですね。気温が高くないので過ごしやすいような気がします。病気による様々なことを我が事として受け止めてくれているのは有難いけれど、mawakoは疲れ果てていることでしょう。病気になるということは病人本人だけが苦しむのではなく、家族、知人、多くの人々に心配や迷惑をかけるという事、病気にならなければそのことになかなか気づけなかったと思います。私の現在は言ってみれば予定通りの進展で医者も大して驚かないのでしょう。mawakoも落ち着いて生活することを心がけてください。8月17日 PM6:20夕方、看護師長が来室「S病院を退院した後は速やかにホスピスへ入院するべく手続きを取っておきたい」という申し出があった。私としてはホスピス入院はもう少し先のことかと思っていたが、考えてみればmawakoとふたり、自宅でゆっくりするのは良いが、いざ私の具合が急変するかもしれないと思うと、その恐怖感には押しつぶされそうになる。看護師長がそのように考えてくれているのであればそれに従うのが今の私たち二人にはベストかと思う。mawakoも安心できればこんないいことはない、自然と私の行く路線が用意されていく、周囲の人々の善意で私なりにmawakoとふたり相携えていく道があるという、こんな有難いことはない、しかも夏が過ぎ寒さに向かう折、ホスピスへ入院できると生活も安定して気持ちも落ち着いたものになるだろう。mawakoもそれでいいよね。よろしくお願いします。ホスピスへの入院希望者は多く、すぐ入院できるわけではないらしい、今の段階からその順番待ちに登録しておきたいという病院側の配慮でした。すでに夫の病状は自宅療養は無理なことであり、ホスピスへは転院という形で手続きを進められることになりました。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 20, 2017
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平成28年8月16日(火曜日) AM 8:29(今日、順調でも・・・不安と恐怖、鎮痛剤の副作用)朝6時に排便しました。大量ではないけれどある程度の便とガスが出たので安心しました。この後も順調に続いてくれることを願っていますがどこかでまたガスも便も止まってしまうことを恐れています。先日来、体のいたるところに痒みが出てあっちもこっちもかゆくて治まらなかったのですが、昨日の痛み止めの薬の副作用を見て納得しました。鎮痛剤の副作用としてどちらも痒みが出るとなっています。やむえませんね。夫の病状は安定せず、朝の排便が良くても、その快調さは次を約束するものではありませんでした。夫がいつも口にした「今日が最良に日」はすでに「今、この時が最良の時」に変わってきておりました。次に起き来る状況に恐怖を抱いて時を過ごしていました。夫はそのような不安と恐怖にありながら、医療者へ辛さを訴えをすることをせず、妻にも言わずに過ごしていることがありました。体の痒みの辛さもその原因が自分で納得してから妻に話しました。病気になる以前から体の痒みがありましたので「今に始まったことじゃないから」と言うのを私はそのまま受け取っていました。医療者へは事細かに体の変調を訴えてほしいと私は言い続けていたのですが、夫はそれをしませんでした。入院当初から些細なことで医療者への負担をかけたくないというのが夫の基本的なスタンスでした。が しかし、一つ一つの患者の訴えに丁寧に応えてくれるという信頼感が薄らいできているという事を夫の言動の端々に感じることがありました。(自宅のすべてが私を待っていてくれるように思う)毎晩遅くなるので疲れるでしょう。何か変わったことはありませんでしたか。入院して10日経ちますがいつ退院できるだろうか、入院を繰り返すたびに辛抱ができなくなります。早く自宅に帰ってmawakoとふたりしてゆっくり眠りたい、そればかりを望んでいます。やっぱり我が家というものはいいものですね。普段住んでいる時は汚れや痛みばかり目についたのですが、こうして離れていると我が家のすべてが私を待っていてくれるように思われます。もちろんmawakoがいるということが前提で、もしいなければ家もまた殺風景で味気ないものになるでしょうね。やはり家にとって最も大切なのは人間であり夫や妻と言った家族とセットで考えるとき、はじめてイキイキとして呼吸を始めるものなのですね。ひたすら退院を待っていました。とにかく我が家でゆっくりしたい。余命告知の患者であれば、決して良くなるはずはないのですが、それでも患者は何とか復調し、体が少しでも良い状態になることを望みます。しかし、薬の効果もなし、腸の改善もなく、何の変化も見られない状況が続くと医療者への信頼はもはや失われるばかりです。自分を救う道が医療者からあたえられるという期待は持てなくなっていることがわかりました。「医者にとっては困った患者なんだよね・・・・・」「外科としては何もすべきことない」と言われて退院したのですから・・・期待しても仕方のないことなのです。でもせめて痛みだけは緩和して欲しいと強く願いましたが、それさえ期待に応えてもらえない状況でした。そうした思いはせめて長年連れ添って生きてきた妻とゆっくりしたい、心だけでも平穏に保って生きていきたい、夫の願いでした。妻から夫へ PM9:40(夫の痛みは日々辛くなってくる。)痛みますか、便は出たでしょうか、おなかの張りはどうでしょうか。あれもこれも心配がいっぱいです。傍にいて辛そうなあなたと接すると私も沈んでしまいますがこうして帰宅するとなお一層あなたのことが思われて、切ない気持ちです。何もしてあげられない、笑顔のプレゼントさえできない一日でした。「心配かけてごめんね」と言わせてしまうほど元気の出ない一日でした。「ごめん」と言われるのが一番悲しいです。「心配してくれてありがとう」と言ってくれた方が何かあなたのために役立っているように思えて嬉しい。夫の体の痛みは少しも良くならず、体に障ることさえ嫌がるようになりました。それでもこの頃は日中のトイレは自分で歩いて済ませ、洗顔も髭剃りも自分でやりました。夫はいつも背筋をピンと伸ばして歩く人でした。頑張ってまだ夫の背筋は伸びていました。そのように歩くことで自分を鼓舞していたのです。体の苦痛はどんなに頑張っても分かち合うことはできませんが、せめて夫の痛みを我が痛みとして感じたいと思いました。どんなに痛いだろう、どんなに苦しいだろう、どんなに体がだるいだろう、腹が張って腸閉塞かと不安に思い、心を痛めているだろう・・・・等々、夫のそのような様々な想いを私の中に取り込み一緒に痛みを感じたいと思いました。痛みそのものは体感できませんが、わが心で夫の想いを一緒に感じたいと思いました。それしかできません。そして「妻はこの辛さを感じてくれていると思ってください。」「妻だけはこの痛みを感じてくれる、辛さをわかってくれると思ってね。」と、語り掛け精一杯の笑顔でその日も病室を離れました。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 19, 2017
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平成28年8月15日(月曜日) AM 8:07今朝も快晴。mawakoの朝はどうだった?よく眠れましたか。疲れた体を引きずるようにして帰る姿を見て毎晩心を痛めています。そんなことを言いながら眠剤を飲んですぐ眠りに入ってしまうのですから我ながら薄情なのかな~。それで昨夜はmawakoに言われた通り、尿漏れパンツに尿取りパットという厳重なガードのお陰で小便に悩まされることなくよく眠れました。mawakoに感謝です。今日あたりからこの4人部屋にも入院患者が入ってきて、また賑やかになるでしょうね。私は部屋のベッドが満床になっても一向にかまわないけれどmawakoは気を遣うことが多くなるので疲れることでしょう。病人より傍らで世話する方がず~っと疲れると思います。それなのにmawakoは私の傍にいるだけで幸せだと言ってくれる。それがどんなに嬉しいことか、なかなか言葉ではうまく伝えられませんが甘えさせてください。夕方 6:54終戦記念日も暮れました。昨日、今日と便がそれなりに出たので昼食から半分程度食べるようにしましたが食べると腹が張り、痛みが強く出てくるので辛い。ストーマ交換、点滴管の差し替えなど細々忙しくしているうちに一日が終わった。便が出ない苦しみがわかっているので少しでも出てくれると本当に救われる思いがします。今回の入院は短くて済むような気がしていたので無情にも日が経っていくと情けない気がしてきます。それでも夕方、薬剤師が薬(鎮痛剤)の説明に来てくれましたが、その話によると鎮痛剤の服用量としてはまだ私は多い方ではないという事、もっと痛みに対応して薬を増量しても大丈夫と確言してくれたので安心というか気持ちが楽になりました。mawakoも同様だったようで笑顔になっていたので嬉しい気持ちになった。とは言いながら、健康の時に、腹を壊して腹痛に襲われトイレに何度も通い、何とか痛みから逃れようとする、そのような痛みが朝から晩まで常時続いているのだから我ながらよく耐えていると思う。そうやって私なりに頑張っているけど、mawakoにはこれ以上ないというくらい世話をしてもらって有難い。今日の頭髪の手入れなど有難かった、どうもありがとう。夫は最初の入院時の入浴で風邪を引いて以来、病院での入浴を拒み続けました。そのため、しばらくは看護助手の人達が清拭をしてくださっていましたが、それさえも断わり私が毎日、夫の体の清拭をしました。フエスタオルを6本ほど洗面所で熱いお湯に浸し、熱湯をくぐらせ蒸しタオルのようにできるだけ硬く絞る。これはなかなか大変ですが慣れてくるとだんだんアイデアは出るものです。火傷するほどの熱湯でなくともゴム手袋を使って絞れるくらいの熱さなら苦労はありません。後はそれをビニール袋に包んで病室に持ち込み、ポットに入れてきた熱湯を洗面用の桶にいれ、ビニール袋の蒸しタオルをその中に入れておくと十分すぎる熱さがキープされます。そのようなタオルを使って体全体を拭く作業を毎日行いました。その時には床ずれができていないかも丁寧にチェックするなど心がけました。頭髪も同様にタオルを使ってマッサージしたり髪の油分を取るなどの手入れをしました。夫は更に几帳面なほど家にいたころは足裏のケアを特別念入りにする人でしたから、いつもつるつる状態になるように保湿クリームでマッサージなどもしました。こうしたお世話は少しも苦にならず、私にとってそれは嬉しいことでした。頭から足のつま先まですべてのケアをできることで私も夫も安心し、幸せの時間でした。そして、タオルやバスタオル、着替えをした下着類など大きな袋が朝夕の私の荷物でした。夫が言う「疲れた体を引きずるように・・・」というのはないのです。大きな荷物なので引きずってしまうのでした。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 18, 2017
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平成28年8月14日(日曜日) PM6:58 からの続き今、こうして書いている傍らにmawakoが横になっています。とてもいい情景です。安心して嬉しく、心が静まっていく心地がします。退院したら毎日2人で寝て暮らそうか。美味しいものをこれまでもずいぶんいただいてきたけれどこれからも美味しいものを用意してください。うまいものを食べてゆっくり休ませてもらう毎日がいいね。ここまでくれば私にはもう急がなければならないことはないのだから、どこまでもゆっくりさせてほしい。生来の怠け者にとってはこれが一番のご馳走のようです。mawakoも付き合って静かで穏やかな日を過してください。そんなことがどれくらい続けられるかわからないけれどそれだからこそ、毎日、一日一日を心ゆくまでのんびり、ゆっくり過ごしていきたいと思う。ふたりで寄り添いながら暖かな毎日を生み出していきましょう。。私たちは間もなく退院できると思っておりました。夫も私も退院したらホスピスへ行くまでの期間をゆっくり自宅で過ごしたいと思っておりました。その期間は決して長くはないと覚悟しておりましたが、その期間は住み慣れた自宅での生活が二人に残されていることを信じておりました。今夜は「〇〇八幡宮」の宵宮ですね。「八幡さんの祭りが」済むと夏が終わり、涼しくなります。1カ月後の「●●八幡さん」の祭典が住むと本格的な秋です。今の私はmawakoに叱られるけれど、1年後を想うことはありません。1カ月単位でしか先が見えないというのが本音です。また泣かせるようなことを書いてごめんね、でも弱気で言っているのではなく、一日、一日がとても貴重な時間なのです。朝、mawakoが病室に顔を出し、夜、病室を去る。どちらの時もmawakoは私に笑顔という最高のプレゼントを贈ってくれます。その時「あ~生きているというのはいいものだ」としみじみ思うのです。いつまでもmawakoの笑顔を送ってくれ!それが私の生きているという証であり、歓びなのだから。7時を回ったらもう外は闇です。季節が確実に時を刻んでいきます。北海道の夏はあまりにも短いから夏の終わりはひとしお寂しさを感じますね。だからこそ、これからの寒い季節に向かって二人手を取り合って暖めあって生きていきましょう。珍しくセンチになって若い頃(学生時代)二人で冬道を寄り添って歩き通した頃を思い出しました。若いという事、若い時というものはいいものだね。二人でいるだけで嬉しくて怖いことなど感じなかったんだから。ただ、「神田川」の唄(結婚してからだよね)を聴きながら、幸せな只中にあることが本当にとても怖いものだと強く感じたものでした。画像は、夫の好きだったサフィニアレッドの成長記録、 そろそろ切戻した方が綺麗に再生できるので思い切ってカットすることにします。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 17, 2017
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平成28年8月14日(日曜日) AM7:42洗顔を終えたところです。体の調子は相変わらずの状態です。出たというほどではないけれど僅かながら水様便のようなものが出ました。夜中3時に排尿した時に気が付いてこれでたくさん出ればいいがと期待していたのですが今、現在にいたるも増えていないのでがっかりです。入院当初は1週間という予定でしたが早くも1週間以上経過していまだはっきりした道筋が見えてきません。焦っても仕方がないので成り行きに任せるしかありません。腰を据えて日々を送ります。長くなって大変ですがmawakoも付き合ってください。ただ自分の事を大事にしたうえでね。今朝の食事も箸を付けませんでした。これで4食から5食欠食したことになります。さすがにおなかが空いて体に力が入らない気がします。さっぱり腹に入れていないのにかかわらず結構腸が張って痛くなってくるわけで、これらのガスがスムーズに出てくれると楽になるのですが、昨夜8時からモルヒネ系鎮痛剤をこれまでの1カプセルから2カプセルに増やして服用しましたが今のところ痛みが治まったという実感はありません。痛みのコントロールを最優先しているという医師団の説明ですが今のところ著しい成果を得ているというには至っていません。腸のコントロールと痛みのコントロールがうまくよい方向へ進んでくれることを祈って毎日を送っています。mawakoの方、今朝はどうですか、昨日は寝不足のようでしたから心配していました。PM6:58 心配かけましたが PM2:30排便を確認することができ、大安心です。1週間以上(8日間)排便がなかったのでさすがに気がもめて「やはり、ダメなのでは、腸閉塞になって・・・」と弱気で話したところ、突然、mawakoがパジャマをまくって「大変!大変!」と叫んだのでした。mawakoの祈りが見事に届いたように思いました。ありがとう、その後はまた、便が止まった状態が続いているけれどもガスが少し出ているようです。順調に回復するように願わずにおられません。私は、夫の腹と腰・背中の痛みが少しでも緩和されること、排便が順調にあることをひたすら祈りました。夫は癌の痛みの中でも骨の癌の痛みが一番きつく、「耐えられないらしい」と日ごろ言っていました。その痛みが自分のものとなったのですからどんなに辛いことだったでしょう。その痛みにじっと堪え、その辛さから逃れるように必死でこの日は長いレターを書き続けました。夫は「痛い、痛い」と泣き叫けびたかったでしょう。想いを文字に託すことで平常心を保とうとしていたのではないかと思いました。画像は、マイガーデンの3色混植のサフィニアの成長記録、1回目の切り戻しを終えて、順調に2回目の再生も順調です。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 16, 2017
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平成28年8月13日(土曜日) AM7:53お盆で土日と連休という人が多く町中は賑やかでしょうね。今朝、下剤を飲んでから皮肉にもガスも便もまったくでなくなりました。朝の食事も控えめにということを言われたので思い切って一切手を付けませんでした。腸の状態が入院した当時の状態に戻っているのか、そうなるとまた、飲むのも食べることもストップして振り出しに戻ることになるのかな~。3分粥などほとんど量的には僅少なものなのにね。mawakoの方はどうですか、ゆっくり休めましたか。今朝も快晴ですから外に出て水やり仕事でしょうか、窓から入る風は結構冷たいようですがどうですか。先刻、主治医が来室、これから出かけ、しばらく病院は休むということです。ガスが出るようになれば安心だけれどもそれまでは食事を控えて少し体を動かすようにということでした。また、mawakoと一緒に病棟を回ろうか。あまり無理しないようにという注文もついているからなかなか難しいね。(主治医の休暇中は他の医師に引き継ぎ、医師団として痛みの緩和、腸の治療に当たることになると説明を受ける)平成28年8月13日(土曜日)PM 7:10今日も暮れました。S病院の入院は毎度最初は楽観的見通しが告げられるものの、最終的には難渋して悲観的な現実がもたらされます。今回も同様で初期の見通しでは早くに退院のめどが立つと思っていたのに。mawakoの言うようにどんでん返しというか、昨日も今日も強烈な下剤を飲んでもガスも便もまったくでないという状況が続いています。午後、病棟の看護師長に面会を申し入れたところ、早速対応してもらうことができた。私たちの放射線照射は避けて、ホスピスの緩和ケアで最後を締めくくりたいという考えに対して全面的な賛意を表してもらった。病棟スタッフという立場を離れ広く患者の立場に立って率直な意見を頂戴しmawakoと二人大変安心できた。看護師長としてだけでなく、人間として信頼し、私たちの話を聞いてもらい、看護師長の考えも聞かせてもらえて本当によかった。mawakoと二人、目を赤くして感動した時間だったね。この先、苦しいことに変わりはないけれど、私にはmawakoという絶対的な支えが必要なのでよろしくお願いします。主治医が進める放射線治療をはっきりと断ることに二人の方針を固めることができた。夜7時35分になりました。mawakoがベッドで横になっているけれど起こして帰りの仕度をしてもらわねばなりません。残念だけれど「mawako起なさい」そして十分に気を付けて帰ってください。自宅に戻ってももう暗くなっているので、ドアをロックをしてチェーンをかけるまでは決して気を抜かないこと、本当に約束だよ。こんばんはゆっくり休めるといいね、また明日。10時過ぎに逢えるのを楽しみにしています。平成28年8月13日(土曜日)PM 9:00 (帰宅して 妻からのレター)今日の看護師長さんとのお話、本当によかったね。あなたの説明もとても良かったのでよく理解してもらえたのだと思います。これでまず安心。ふたりで決断したのならどんな結果になっても悔いることはありません。でも病室に戻ってから「やはり、長生きはできないのだな~」とあなたの呟きを切ない想いで聴きました。「まだまだ先があるのだから放射線治療もあるよ」いうアドバイスを期待しましたか?、だんだん追い詰められた来た感じですが、何とかそういう気持ちをプラスの方向に舵を切って生きていきましょう。ふたりで今日は幸せだったと思える一日にしましょう。私は今日、少し元気が出なくて心配しましたか? ネットで調べたら不安が広がって眠れなかったのです。それにあなたも辛そうだったでしょう。でも今日も幸せでした、一緒に時間を過せたのですから。この頃の私たちはだんだんと追い詰められた日々を過ごす状況でした。じっと天井を見て何も言わない夫の様子が辛いことでした。何かを考えていたのかもしれません、何かを感じ、思いを巡らしていたのかもしれません。痛さをじ~っと我慢していたのかもしれません。そんな時、黙って手を握り、笑いかけました。 そしてそのことでとても幸せになれました。健康な時の幸せを基準にして「幸せ」を求めたら、少しも幸せではなくなっていた状況でしたが、多くの日々の中で味わった幸せと今を相対的に捉えることはせずに私たちは「今日一日の中の幸せを求めて生きていました」このような私たちの状況は客観的には少しも幸せな情況とは言えないのでしょうが、私たちはその一日の中の幸せを支えに生きました。私たちにとってはベッドの傍らで時間を共有できる、それさえも大きな大きな幸せでした。二人で放射線治療を受けない決断をしましたが、やはり少しは不安もありました。そして看護師長さんに話を聞いてもらい私たちの決断を固めることもできました。こうして最終ステージの道筋を決めていく、そのことも二人にとっては幸せの決断でした。今日の画像は2016年7月15日の「花宇宙」を彩った花たちです。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 15, 2017
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平成28年8月12日(金曜日) AM7:53今日は快晴ですね。気持ちのよい青空に吸い込まれそうだね。ヘブンリーブルーは元気?バビ、マリは大丈夫(バビ・マリの鉢に植えこんだカリフォルニアローズのピンクラッフルの事)昨夜は遅かったからバビ・マリも水切れで疲れていたのではないかと心配していたんだよ。バビ・マリはともかく肝心のmawakoはどうしてる、元気に目覚めることができたかい、なんとか眠れたろうか、昨日のmawakoの感情の激しい起伏を案じていました。私の方、相変わらず便もガスも出ませんでした。7時40分ごろ医師が来室、便が出ない旨伝えたところ「それでは下剤を飲むことにしましょう」ということになり看護師がすぐ持ってきて今飲んだところです。結果、どうなることか待つほかありません。昨日の脊椎転移、放射線照射の話など、私なりにいろいろ考えてみましたが少し相談しておきたいことがあるので話を聞いてください。mawakoも話したいこと、相談したいこと等あるんじゃないか、あったらゆっくりきかせてね。病状がどんどん進んでくると「頑張る」と言っても何をどう頑張ればいいのか判断に迷います。それでも商売人根性というか「お金」の心配をあまりしなくとも済みそうなのでまず有難いことの第一です。mawakoのような精神的な悩みに比べればあまりにも現実的で叱られるかもしれないけれど夢や希望だけでは生きていけないのだから現実には背を向けることはできないしね。例えば1.私の余命は後どれくらい残されているのか、2.ホスピスへ入院するまでに現実としてどんな状況を通らねばならないのか、3. ホスピスでの緩和ケアというものがどういうものであるのか、4.入院期間にもよるけれどホスピスの入院費用はどれくらい見積もり、予定しておけばよいか。以上のような私に関する現実問題のほか、遺るmawakoのために私がしておかねばならないことは何かないか、そのようなことをぼんやり考えています。mawakoのお願いについて私のボイスを遺すことのほかにもっとやっておいて欲しいことはないだろうか、遠慮なくいって欲しい。写真や声や香り等他の人には考えが及ぼないようなmawakoの発想に私は舌を巻いているのですがもっと現実的なことで私にやって欲しいことを冷静に考えてみてください。(以下略)なんでもふたりで知恵と経験を存分に活かして生きていこう。よろしくね。8月12日 PM6:05 夫のレター(下剤の薬効なし排便なし、食事制限の指示あり)今朝は便を出すために下剤を服用したのにもかかわらず、今のところ排便なし、レントゲン画像も少しガスがたまっているので夕食を一口、二口でやめるようにとの医師の指示に従って果物のシャーベット状のものを食べるだけにとどめた。排便がこの1年間を通して私の大問題となってしまうなど且つては考えられなかったのに。(放射線治療を受けないことにふたりで合意する)処置室でパウチ交換した後で今後のことについてふたりで合意できたので落ち着きました。正直あちこちの病院を渡り歩くことは避けたい。鎮痛剤で脊椎の癌の痛みを押さえてもらえれば一番有難いけれどそう簡単にはならない気がしています。(医療側との関係に多少の後悔もあれどベターな道筋と思う)このような状況に至っても我が事であれば堪えないわけにはいかないけれどmawakoを道ずれにすることが本当に心苦しい、厄介ではあるけれどとことん付き合ってください。頼みます。mawakoが言うとおり、病院との付き合いが全然なくて今回の事態を経験したので、戸惑うことが多かったね。医師や看護婦との関係、病院自体の在り方など、入院してみて初めて分かることが多かったし、4度の入院を繰り返す間にこれらを全体的に信頼してきたことを多少反省しています。しかしよく省みればこういう道筋を取るしか方法はなかったし、やはり、ベストとは言えなくともベターなことだったと思っています。これからの自ら開けてくる道を歩こうと自分に言い聞かせています。(癌患者漂流とならずホスピスを終の住処にできる見通しに感謝)ふたりで何度も繰り返すけれどこれまでがあまりに幸せだった分、今回の私の状況は二人にとって極めて過酷な最終ステージとなりました。それでもおかげで癌患者漂流と言われるような事態に陥ることなく終の場としてホスピスに落ち付けそうなのでこんな有難いことはないと思っています。私の病気を傍らで見守りながら多くを学んでください。そしていずれ訪れるmawakoの最終ステージにこれまでの経験を生かしてください。(妻とのくつろぎの時間を過ごす)今夜もmawakoは8時まで病室にとどまってくれるというので気持ちが楽でゆったりしている。ずいぶん甘えていると思う。午後、ベッドに寝そべりながらたわいないお話をしたけれど楽しかったね。私の耳が不自由でなかったらモット小さな声でもおしゃべりができたのに残念、4人部屋の3人が退院して一人になったので自由がきいたけれど、夕方、一人入院してきたのでまた耳の不自由さを味合わなければならない。私のベッドに並んで暫しおしゃべりした後、mawakoが寝息を立て30分近く眠ったように思う。とても気持ちよさそうな寝息だったので、隣に横になりながらとても安心しました。これからも疲れたら今日のような体制で休むことにしましょう。画像は2016年8月13朝撮影のvabi・mariのプランターに植えた「カリフォルニアローズピンクラッフル」とメインガーデンの「ヘブンリーブルー」です。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 14, 2017
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平成28年8月11日(木曜日)PM4:00そっとカーテンから身をくぐらせると、向かいベッドのSさんと目が合ってしまう。「お騒がせしました。」小さく一言、私は病室を出る。医師の声は病室全体にも聞こえるくらい大きかった。夫が耳が遠いことを承知してのことだったのかもしれないが、ベッドの端に立ったままで話す医師の態度に不快感を持った。聞く相手の気持ちに配慮しない想像力のない傲慢な医師の態度に思えた。病棟を一回りして戻ると、その私を待っていたかの様にSさんが話しかけてきた。「実は兄嫁も入院しています。背骨の癌です。医者は完治すると言って今治療中です。ですからご主人も大丈夫です。元気を出してください。」夫は私を探しに行ったのか、トイレにでも行ったのかベッドにはいなかった。(妻のメモより)PM3:30担当医が病室に来て話したのです。「背中の痛みの原因は脊髄への転移です。放射線治療がいいと思います。決心がついたらすぐその治療を受けるための手続きに入ります。」いつもは病状についての説明は病棟のナースセンター内の個室でした。今回のように病室でこうした結果を告げられることは初めてでした。ですから病室に来られて「MRIの結果ですが・・・」と切り出された時、こうした内容を告げられるとは思いませんでした。夫の辛そうな表情に何も言えず、そっとカーテンを引いて私はその場を去ったのでした。夫が戻り、ベッドで待つ私に語り掛けました。「どこへ行っていたの、心配したよ。」そしてぽつりと言いました。「どうして今朝、あんなに僕に対してご機嫌だったのかな」反応しない私にさらに言いました。「何か、その前に嬉しいことでもあったのかな?」私は医者への不信感が膨らんでいました。「これでようやくこの患者から解放される、あとは放射線治療のある病院への転院をすればこの患者との縁が切れる」彼はこの解放感で身が軽くなるほどの気持ちを味わったに違いない。彼にとって嬉しいことだったに違いない。私は自分でも信じられないほどの悪意の感情一杯に医者への不信を膨らませていました。でも私の気持ちは夫には話しませんでした。「そのように悪く考えることはやめなさい、そういう考えは恥ずかしいことだよ」と言われるに違いありません夫は悪意で人の考えを推量することを嫌い、自らを戒めている人でした。 PM 6:59 夫がベッドで書いてくれたレター 「辛い一日になりましたね。背中が痛むと言って前々から訴えてきたのに、取り合ってもらえず今となって脊髄への転移を告げられるなんて、ちょっと文句の一つも言いたいところだけれど早くにわかっていればとも思うけれど、今までわからなかったから精神的に助かっていたのだとも言えます。いずれにしても私の苦痛が増すにしたがってmawakoにかけてしまう気苦労と労力は計り知れないものになって行くこと,mawako同様心が張り裂けるような想いで心患っています。狂うほどの辛さの中から心を整理し、これからの絶望的な壁と相対していく覚悟を固めようとしているmawakoの心根を本当に尊いものに思い感謝しています。mawako、涙を振り払って私を支えてください。助けてください。入院しているわずかな日々の間にずいぶん日が短くなってしまいましたね。暗く寒い日の到来を思うと心細くなって困ります。私の人生もmawakoを伴侶に得て春夏秋と快い季節を過すことができましたがやがて厳しい冬を迎えようとしています。人の運命とはいえ誠に苦しい最後を生きなければなりません。できる限り自らを失うことなくmawakoを支えに生ききろうと思います。今夜は8時まで傍らに寄り添ってくれること本当に安心して落ち着くことができます。重ねて礼を言います。 ありがとう。(すべての見舞客の退室の最終時刻は8時)妻から夫へ PM 7:31 今日はたくさん涙が出ました、今も頭も心もぐちゃぐちゃです。一つ一つ整理します。そして気持ちを落ち着けます。泣いてなんかいられない段階にきているのですから。今夜は遅くまで一緒に居られてよかったです。これからもできるだけ一緒に居たい、体の調子が悪い時には自分で判断して無理しないしないようにします。少しでも長く一緒の時を過ごしたいの、あなたと一緒に居る時が一番安心します。本当に私も文句言いたい気持ちですよ、結局は病気と真剣に向き合っていくのは私たち二人だけなんだと思いました。これからふたりで頑張ろうね。これで良いのだ良かったのだと言えるように過ごしましょう。明日も元気に出てきます。今日たっぷり泣いたから家に帰ってももう泣かない。大丈夫です。(妻、7時50分退室 予約しているタクシーで帰宅、病院から自宅までは10~15分)画像は2008年8月の「花宇宙」です。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 12, 2017
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平成28年8月11日(木曜日) 午前6時45分 妻から夫へおはようございます、昨夜はどんな様子でしたか、痛みませんでしたか、よく眠れましたか。私はよく眠れました、「mawako助けてくれ~って」叫んでもわからないほどにね。9時40分を少し回りました。ヘブンリーブルーは朝、既にしなしなと萎びた状態になっていましたので葉水をたっぷり、さらに水もたっぷりやったので元気に過ごしてくれそうです。昨日、医師の説明を聞きながらXdayが私たちのもとに着実に近づいているのだと実感しました。最初はその実感から逃れてようともがいていたというのが私の実態ですが、もう逃れられないこの現実を二人どのように乗り切っていこうか、その思いの方が私の中にしっかり生まれるのを意識しました。そのような気持ちが私を奮い立たせ、何とか涙の栓をコントロールをしているようです。しっかり最後まで生きようね、それでなければ50余年の歳月をふたりで生きてきた時間が無意味になるからね。良い時間を与えてもらえたそんな感謝の気持ちをもって50余年の時間の存在を有難く思っています。今日は医師からどのようなお話があるでしょうね、MRIの結果に期待しましょう。平成28年8月11日(木曜日) AM7:58 夫からのレター昨日は医師からの話があったにもかかわらずmawakoが日ごろに増して気丈に振舞ってくれ私を元気づけてくれましたが本当のところ大きなダメージを受け取ったはずです。また一晩泣き明かしたのではないかと案じていました。昨日のレターで約束違反だと指摘されておりましたがまさにその通り返す言葉がありません。違反には罰則が科されます。私は現在こうして病気で苦しんでいるけれど、この後もmawakoの死ぬまでの苦しみを代わって背負っていくことで約束に報いたいと思います。きっとmawakoが死ぬとき(言葉が悪くてゴメン)苦しまずに楽に逝けるからね。病院内にいるとお盆だ夏休みだと賑わっていますが別世界のようです。指折り数えると今年初めての入院から延べ100日間近く病院暮らしをしたことになります。入院するために生きているのか、生きるために入院するのかわからなくなってしまいます。入院すれば入院したでその期間中、mawakoを煩わすこと絶大であり、自宅に戻れば戻ったで朝から晩まで心配とお世話をかけ、安らぎのんびりする日が一日とてないことを本当に申し訳なく想い、その献身に対して頭を上げることができないほどです。mawako ありがとう、 mawako ごめんなさいを繰り返すばかりです。共に生きることを約束してきてからの50年余り、mawakoは辛い想いを多く思い出しますか、私は自分本位で生きてきたせいでしょうか、あまり苦しかった辛かったことより、むしろ楽しかったことを多く思い出します。(以下略)夫のレターは珍しく二人の今までの生活を懐かしみ思い出し、楽しく明るく綴ってありました。文中の多くに「・・・・楽しかったね」「・・・・・嬉しかったね」「・・・・感動したね」と具体的な思い出が溢れていました。これは自分が昔を思い出し懐かしむという以上に、妻を励まし、慰めたいという夫の想いだったのではないかと思います。そして彼のレターを明るく楽しく、心弾ませたのはもう一つは、開口一番、次の夫の言葉でした。「今朝ね、先生に廊下で会ったらね、先生がとってもご機嫌、きっとMRIの結果が良かったんだね」日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 11, 2017
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平成28年8月10日(水曜日) 午前7時57分、mawakoおはよう、今日も一日良い日であるといいね。私は朝食、洗面を済ませたところ、mawakoは外で花たちの世話でもしている頃でしょうか。こう書きだした夫のその日のレターです。ガスも便も出ない事への不安、「ガスと便が思うように出なければ食事を止める」」と主治医に言われて「もう少し様子を見てほしい」と懇願したと、ガスも便も出ない事への不安が綴られています。また、「腸閉塞の状態は今のところよい状態であるが悪い状況への病変はわずか一日で変化することがあると言われ、どうも不安定の状況が続いて先の見通しが立たないのが辛いところです。入院した以上、焦らずに医療に任せるほかありません。また突然手術だなどと言われることも覚悟していかなければね。今のうちできるだけ体を休めておいてください。」と手術への覚悟も綴られています。更に夫にとってはいつも苦痛のタネの点滴針の差し替え、昨夜もそれがうまくいかず大変だったことが詳しく書き連ねその辛さが読む私にも伝わってくる切なさでした。夫の血管はすでにボロボロになっているのでしょうか、看護師泣かせのことでした。(詳しくは中略)「昨夜は体が痛む中長時間と言ってお20分ほどなのですがとても辛くて心細かった。男の癖に情けない話だけれど点滴がつなげられないということはなんとも困ることなのでね。心の中でmawako助けてくれ、mawako何とか力を貸してくれと言って叫び続けていました。しかも痛み止めの点滴があまり効かないので身の置き所に窮するような状態、さらに点滴のせいで1時間おきにトイレに駆け込むようなつらい夜でした。とてもmawakoが恋しくてmawako!mawako!と叫んでいました。mawakoの心の耳に届いたでしょうか。」よほど大変で心細かったようです。前夜、このように辛い夜を過し、疲れ、寝不足の夜が明けた今日はまた、主治医からの話で辛い一日となりました。8月10日水曜日 3時55分 主治医との面談● 救急搬送入院時には腸閉塞の状態であったが現在はレントゲンの結果、 正常な状態に戻っているとみられる。● 痛みの件については背中、腰の痛みは癌性の痛みと考えなければならない。 点滴によって痛みが和らぐという状況であるということは点滴治療は自宅では できないので今の痛みをコントロールする方法を検討する必要がある。 入院中に飲み薬を使って痛みを止める処方に切り替えなければならない。 麻薬系、モルヒネ系の薬になるが副作用については薬で対応できる。 吐き気止め、便秘薬、吐き気は1週間我慢すればよくなる。 モルヒネ系の薬を使う効果を高めるためには薬を併用する。 副作用予防の薬も生じるが服用・管理が重要となる。 この薬は外来患者の飲む薬である。● 腰の痛みの原因を知るためにはMRIの検査を行う。● 播種が大きくなりそれに伴う腸閉塞の手術はできない、● その場合の処置としては腸内の洗浄をチューブによって行い点滴に よって生命維持を図る。同じく8月10日 午後6時今日はいろいろあった一日で疲れました。いろいろということの一つはガスも便も思うように出ない事、ガスについてはそれなりに出てきてくれて安心だったけれど便が出ないのが心配のタネ。二つには医師からの話、医師の話は別紙mawakoが要約してくれた通り。先が明るい話ではないので私はつかみどころのない不安感に襲われて自らの弱さを痛感した。その点、mawakoの方が顔を上げ、メモを取り医師の話に動じるふうもなく毅然として終始。さすがに吾がmawakoと感心した。いつも思うことだが、普段は強そうな様子を見せないのにいざという時、本当の窮地に立たされた時には極めて冷静に対処する強さを持っているので本当に心強い、私の確かな支えである。MRIの経験はすごい大騒音の狭いドームの中に20分近く閉じ込められた。この検査報告が明日にでももたらせられるのか、なんとなく気が重い。今夜からモルヒネ系の鎮痛剤を朝8時と夜8時、一日2回の服用することとなった。これで体の痛みが解放されれば有難い。何とか良い結果が欲しい。今日は忙しい忙しい一日であった。mawakoは元気を装っているが私以上に気をもみ心配し疲れ果てたはず。今夜は休んでゆっくりくつろいでほしい。夕方4時50分 医師の話ちょっときつかったね。でも仕方ないね、現実から逃れられないね、私は大丈夫よ、しっかりするからね、天井をじ~っと見ているあなたの様子にやりきれない想いでした。死を感じて怖いですね。そんな辛い思いをしているかと思うと切ないよ。体が引き裂かれる思いがします。二人の幸せが近い将来閉じられると思うともったいないと思ってしまう。もっともっとふたりで生きたかったのにね、これから残された二人の幸せの日々を積み重ねていこうね。病気になってからいつも思うの、「決して離れるな決して離さない」って言ってくれたのに私を遺して逝ってしまう。これは約束違反だよ、叫びたくなります。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 10, 2017
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8月9日火曜日 午前6:54分、mawako!おはよう。まだ床の中だね。もう少しゆっくりなさい。私の方はいつもより早く洗面を済ませてきました。洗面所もトイレも空いている時間帯を利用しようといろいろ気を使っています。今朝は背中と腹の痛みがきつくて痛み止めについての考え方が病院側となかなか折り合いがつかず、少し、つらい時間を過ごしています。mawakoはよく眠れただろうか其ればかり案じています。十分に食べて、たっぷり睡眠をとることを考えてください。 昨夜、レターを書いた後「星の王子さま」を完読しました。相変わらず、わかったようなわからないようなどうもあいまいな読後感ですっきりしません。この作者がこの作品に込めている気持ちはおおよそ検討が付くのだけれど、mawakoが「星の王子さま」を読んでいると自然と涙ぐんでしまうと言っていましたが私もなぜかしら最後の方を読んでいうちにへんに哀しい泣きたいような気持ちになりました。私も亡くなったら星のひとつに帰ることになるのだろうか、そしてmawakoを見守り、mawakoが星を見上げることになる?しかし、私はそれを望まない、私はmawakoの胸の中に生き続けるつもりです。そうすることによってmawakoの生活を応援し続けていきたい。見守り続け良き道を示してあげたいと思う。 夜 10:10 夫へ今日は痛くて辛かったね、私も辛かったです。今日も「星の王子さま」を読みました。私が好きなところは「羊の話」「バラの話」「狐の話」あなたは星になるのではなく私の胸の中に住むのですから、星を見上げてあなたを想うことはありません。 あなたが希望するようにあなたは私の胸の中で生き続けてください。私にとってもそれは最大の望みであり、生きる力になってくれまます。「死者と共に生きる」それは錯覚であり、そうしたことはあり得ないと思われるでしょう、しかし、この感覚と想いは大切な人を失った者でなければ実感できないでしょうし、理解しがたいものだと思います。死者の魂の居場所を二人できめる。それは私たちのあまりにも当たり前の「ふたりの生前の約束」でした。この日の記録(夕 6:11)昼から3部かゆの食事開始、なんども経験済みの食事だが一向に食欲がわかないという、食事の楽しみから遠く、まずい食事、久し振りに食したせいか腹の具合が落ち着かない。医師来室、「ガスと便が順調に出ていることを確認するまでは食事を控えめにしてください」とくぎを刺される。なんとなく復調できるように思っていたが、良い方に行くかどうかわからず万事慎重に運ぼうと夫はいう。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 9, 2017
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8月8日(月曜日) 朝6時30分 妻から夫へ暑い夏の日が明けました。今朝は6時起床、ぼ~っとして一晩扇風機をかけていたのに相変わらず2階は30.4℃、そんな暑さの中でぼ~っと過ごしました。ただただ寂しい(中略)再び、うつらうつらして8時過ぎまで眠ったようです。扇風機にスプレーしたあなたのプールムッシュ(フレグランス)の香りを心地良く感じていました。この香りをあなたの香りに決めてよかった。便が出たかな、背中や腹の痛みはどうかな、私が行くのを待ってくれているかな、今日も一日一緒に過ごしましょう。今日もとても暑そうです。8月8日(月曜日)AM10:10 夫のレター昨夜はmawakoにゆっくりしてもらいたくていつもより早く帰宅してもらったが休めたかどうか気になっていた。今朝は10時になっても来院なく、10時15分になっても見えないので何かあったのかと急に心配になって落ち着かない。疲れがたまり心配が高じ一人寂しさに耐えられなくてゆっくりできなかったのでは?心配かけまいと思っても病気という奴はどうしようもない。自分でコントロールできないので心配のかけどうし、ゴメンね。 本日の記録 レントゲン撮影、便が出ず、ガスが2回くらい、腹の張りは無し、主治医診断、水は飲んでも良し、看護師はレントゲンの結果、良くなっているという。8月8日(月曜日)PM6:20 夫のレター今日も一日が暮れました。毎日私の腹の調子が良好に回復するように切に願っています。正直言って今回の入院は私にとって大変落ち込む状況で心身共に堪えました。したがって入院が少しでも短く済んでくれるとありがたいですがどうなるでしょうか、mawakoも私以上にショックが大きく疲れがたまっていることと思います。早めに帰ってもらいましたがどうぞ体を休めてください。バナナとメロンが大量にストックしてありましたがmawako一人で食べきれるだろうか、バナナはともかくメロンは大好物ですから大いに召し上がれ、そして元気を得てください。このレターノート、毎日毎日、私の気持ちを表現しているつもりですが、私のように頭でしか物を見、考えることができない人間には人の心を打つような感情表現が難しいようです。しかし、それでも私としてはその時々の想いを精一杯書き表しているつもりです。このレター綴りを一言で表現するならmawakoに対する「お礼とお詫び集」と言えます。mawakoありがとう、たくさんのありがとうを受け止めてください。mawakoごめんね、数え切れぬほどのごめんねを受け入れてください。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 8, 2017
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妻の記録昨夜8月6日、夜9時前から痛みがひどくなり、このままでは朝を迎えることに不安が膨らんできました。便が出ず腸が張り、痛みが激しく腸閉塞の症状と夫は自己診断し、病院への連絡を決断、夜9時、救急車を頼んでS病院へ搬送してもらいました。市内の何か所かに消防署(出張所)があり、家からすぐ近くの消防署にも救急車は配置されており、すぐ対応してくれました。「夜なのでサイレンは鳴らさないでお願いします」「そうはできないのですよ、できるだけご近所に迷惑かけないようにしましょう、家の前に出て手を振って居場所をお知らせください」と、焦っている私にも親切な対応でした。玄関で待っている夫と連絡を取りながら、救急車を待って道路わきに行ったり来たり、病院への荷物の確認、携帯電話、玄関の鍵、財布などのバックの中身の確認、家中の窓、出入り口の施錠の確認、電気器具の消し忘れの点検、「落ちついて、落ちついて」と呪文のように唱えながら超スピードで動き回り、救急車を待ちました。救急車到着、「S病院へ願いします」と言ってすぐ発車かと思いましたらなかなか動きません。はやる気持ちを押し沈め、救急隊員にゆだねた安心感で少し余裕が生まれました。救急隊員(たぶん3名が同乗していたような気がします)の方たちの様子から医療スタッフの状況確認をしていることがわかりました。ずいぶん長い時間、待ったように思いました。その間に夫は車の中で大量に嘔吐しました。ようやく相手側の病院の受け入れ態勢が整ったということでS病院への搬送となりました。8月 7日(日曜日) 午後7時20分 夫の記録始めて救急車に乗って運ばれました。救急車の中で大量に吐き、病院で医師の到着を待っている間に便が少しずつ出始める。医師曰く「救急車で来たというのでたいへんだと思ってきたのに」と。レントゲンの画像は今すっきりしないけれど入院をして点滴をしてその結果、よい方に変わるか、悪い方に変わるか少し様子を見ましょうとのこと、病棟で落ち着いてみたら便とガスが大量に出ていてほっとしたというのが正直な心境。入院に必要なものを手早く整え、救急車を手配してくれたmawakoに感謝、有難し、私はただただオロオロするばかりであった。とりあえず6階病棟に入院、付き添いという希望に沿ってくれてmawakoが一晩中、仮眠にて傍らで過ごしてくれる。夜大量の便が出てからは痛みが和らいだ。mawakoが病室に泊まれるようになったというのでつい「良かったね」と言ったが、付き添い用のベッドはなく、私のベッドの傍らで一晩中、明かすことになりこれは大失敗だった。早く帰宅してゆっくり休んで翌朝、出直してきてもらうのがベストだったと気づいたが後の祭り、mawako本当にお疲れ様、気が利かなくてごめんね。夜が明けて入院一日目、昨夜の救急車で大量の嘔吐、さらに揺れる救急車の刺激もあってか、大量の排便もあり、心身ともにひとまず落ち着き、レターを書き留めるほどになりました。8月 7日(日曜日) 午後6時30分 妻の記録朝、6時半に病院を出て自宅に戻る。入院の準備不足の物を点検し不足を整え1週間ほどの準備は大丈夫と思う。再び10時半に病院へ。昨夜は痛みが和らぎ少し眠ったようだ。3時過ぎ6階病棟より4階の外科病棟に移動、今後の経過次第でまた手術かと心配する夫、早く帰宅して疲れをとるようにとの夫の言葉に従い6時帰宅する。妻から夫へのレター 8月7日PM10:12あなた、こんばんは! どうしていますか。眠れていますか便は出たでしょうか?腹や腰の痛みはどうでしょうか、今日は昨日よりもず~っと顔色が良かったので一緒に居るのも安心でした。今日も8時までず~っと一緒に居たかったのですがあなたに追い出されてしまった。傍にいると眠れないということもあるからね、帰宅したら2階は33.9℃ 窓を開けて扇風機をつけていますが今でも33.1℃です。痛みがなくぐっすり眠れるといいですね。おやすみなさい。4回目の入院となりました。「外科的治療は何もできません」と退院時に言われていたのですが、他の病院へは行かず「S病院へ・・・」と言ってまた、外科病棟の住人となりました。「主治医の先生もお困りになるだろうな~」と私は思っていました。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 7, 2017
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8月6日(土曜日)PM12:41 夫のレターここ3日ばかり二階の床に寝てばかり、今朝は3時半ごろから腹が痛んで眠れなくなり、朝起きだす元気も出ませんでした。朝食前には何とか起きて洗顔をすませ、朝食も摂りましたが、その後はまた布団に逆戻り、昼まで床の中でした。起きだそうと思うのですがマットに根が生えたように体を起こすことができないのです。mawakoが常に「寝ていなさい」と言ってくれるのでつい甘えてしまうのです。ただ今朝の腹の痛みは腹全体のものなので、この後腸閉塞にならないようにと切に願っています。朝食後、mawakoも添い寝してくれているけれど心配で眠れないのでしょうね。体調が少しでも楽になってくれればうれしいのだけれどどんどん悪くなっていくようで我ながらこの先が案じられてなりません。訪問看護師の件、余り決めつけないで是々非々で対応しようと思っています。先日外来の時には院長も看護師もいつでも連絡をくれてもよし、緊急の時は予約なしで来院してもよいと言ってくれていたのでこれからはできるだけ直接病院と交渉してみませんか。それから星の王子さまの件、これは負担にならないので是非実行しようと思っています。ただこう寝てばかりでは約束を果たせなくなります、その時には勘弁してくださいmawakoに心配ばかり掛けてmawakoの方が倒れはしないいかと心配しています。PM7:16 妻から夫へのレター今日は辛く苦しい一日でしたね、本人にとっては本当に辛く苦しいことなのだと思うのですが苦痛は何の協力のしようがありません。「今日が最良の日、これから痛みは辛くなる」と、先日言われたことを今日も考えていました。 でもきっとまた痛みが緩和され穏やかに過ごすことができる日がきますよ。そのためにお医者さんに診てもらっているのですから、9日にも病院へ行くことになったのですから何とか解決策が得られればいいですね。私の体調は心配ありません。あなたの食欲の事を心配しています。今日のお昼寝は一緒に寝たので安心してぐっすり眠れたようです。イビキでうるさいほどだったのですね、だからあなたも少しは安心してくれたでしょう。私もできるだけあなたの傍で過ごしたいと思います。食事の仕度とヘブンリーブルーの水やりだけの仕事ですからたっぷり時間がありますから、今夜は便が出るといいね、おなかがあれだけ鳴っているのに変ですね、おまじないのキッスが効いてくれたら嬉しいなー。・・・・・・夜9時 119番に電話 救急車を依頼する。画像は2005年7~8月にマイガーデン「小さな花宇宙」彩った花たちです。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
July 6, 2017
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私たちは夫婦ともに「日本尊厳死協会(一般財団法人)」に入会しておりました。「命のある限りあらゆる手段を使ってでも生きたい、生きて欲しい」その願いも尊重されねばなりません。しかし、一方、チューブや機械につながれて、なお辛い闘病を強いられ、「回復の見込みがないのなら、安らかにその時を迎えたい、迎えさせてあげたい」そうした願いもまた尊重されねばならないと思います。現代の医療では回復の見込みがなく、すぐにでも命の灯が消え去ろうとしているときでも、生かし続けることが可能なのだそうです。例えば人工呼吸器をつけて体内に酸素を送り込み、胃に穴をあける胃ろうを装着して栄養を摂取させる方法など、延命措置の方法は様々あるそうです。生きている限り、呼吸している限り、目の前に在ってほしい、そうした願いも切実であり、また、意識がないまま生物体としてのみ存在している場合はどうなのだろうか。私たちは様々な場面、相手の立場を想定しながら一切の延命措置を望まない自然死を選ぶことにしました。そして協会に会員登録しました。夫が病気になる前年の事です。病気になるから急遽入会したというわけではありませんでしたが、入会していてよかったと話し合いました。「平穏死」「自然死」を望む者が自分の意思を元気なうちに記しておく。それがリビングウイル(LW)です。入院手術の段階で協会からの「尊厳しの宣言書(Living WiII)」の書類と共に、さらに夫が詳しく「リビング・ウイル事前指示書」を作成し第一回目の手術時に医療者側に提示しました。それは手術死やその後の病状の変化をも十分予測してのものです。「尊厳死の宣言書」には次の3点が記されております。1.私の疾病が、現代の医学では不治の状態であり、すでに死が迫っていると診断された場合に は、ただ単に死期を伸ばすためだけの延命処置はお断りいたします。2.ただしこの場合、私の苦痛を和らげるためには、麻薬などの適切な使用により十分な 緩和医療を行ってください。3.私が回復不能な遅延性意識障害(持続的植物状態)に陥った時には生命維持装置を 取りやめてください。この3点だけで延命措置を望まない意思を伝えるに十分なのですが、夫はさらに具体的な事前指示書として6項目を補足して作成しました。以下は尊厳死協会のHPの文中からの引用です。LWは、「生前意思」とでも訳せばいいのでしょうか。いわば「いのちの遺言状」です。私たちは「尊厳死の宣言書」と呼んでいます。「自分の命が不治かつ末期であれば、延命措置を施さないでほしい」と宣言し、記しておくのです。延命措置を控えてもらい、苦痛を取り除く緩和に重点を置いた医療に最善を尽くしてもらう。私たちは、こうした安らかな最後を迎えたい方々のためにLWを発行し、支援しています。又、日をあらためて「私たちのリビング・ウイル」についてまとめたいと思っております。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
May 13, 2017
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6月22日(退院前日)の続き「 PM7:58 mawakoが今、帰りました。今晩は明日に備えてたくさんの食材をデパ地下や魚市場で買ってくれて、夜7時には調理の時間が欲しいので帰るというのを8時まで残ってもらいました。8時までいてくれるのに慣れてすっかり甘えてしまいました。両手に余るほどの荷物をもってかえるmawakoの後ろ姿に手を合わせていました。今日の衣装なんというのかとても素敵でした。いつもおしゃれでいてくれてとても嬉しい日々でした。そろそろ家に着く頃でしょうか、これから調理の下準備をして遅くなってしまうね、申し訳ないことをしました。毎日毎日硬い椅子に腰かけて私の面倒を見てくれてさぞお尻が痛かったでしょう。お疲れさまでした。mawakoの献身的な支えを杖に無事入院生活を耐え忍び、明日の退院へとこぎつけることができました。心からお礼を言います。ありがとう。今日のmawakoの返信を読んで感激しました、読んで真心溢れる共生への想い、その熱い言葉の数々、嬉しくわが身が熱くなりました。「ありのままでいい」と言ってくれるmawakoの励ましをどんなに心強く思ったことか、あまり私を甘やかさないでください。それなくともわがままな性格ですからありのままなどと言ったら手をかけられない状態になるかもしれません。mawakoが言うように本音をぶつけられる相手は私にはmawakoしかいないので死ぬまで迷惑をかけ通すことになるでしょう。そういう我がままな私の最後を看取り切ることをmawakoの生きる力に代えて長生きしてください、すなわち、私を支え切ったという達成感をもって生き抜いて欲しいという意味です。オヤスミ」今日は夫は3回に亘ってレターを綴り、一日を終えました。退院の朝、レターを読んだ私は最後の「オヤスミ」の言葉から昨日の夫の辛さを思い涙があふれてきました。それは妻への言葉であると同時に自分自身に向けた「おやすみ」だったのだろうと思いました。本当に辛く、悲しい一日を過ごした自分への「オヤスミ、お疲れさま」だったのだと思いました。「腹膜転移、播種の話だと検討つけていたから抜き打ちの話という感じはあり ませんでした。」と医者の話を冷静に受け止めたという夫でしたが、簡単にそれを現実と受け止め得ない夫の心理は十分すぎるほどわかりました。 夫の本音に耳を傾けながらその辛い気持ちを思い、お互いに一人きりの時間がかえって救われるような思いで再び街にでました。それぞれの現実を自分に語り掛け、整理する時間が必要でした。夫が8時までいてほしいと求めたのも、いつもの慣れというだけではなく、その日は特別一人きりになる孤独感から救われたかったのだと思います。8時まで一緒に居る私をいつもは「疲れるから少しでも早く帰りなさい」という夫でしたから、その日は8時までいてほしいと夫が言ったのは思いがけないことでした。トイレに行く振りをしてタクシー予約をし直しました。夫はおしゃれな人でした。おしゃれというよりもきちんと身だしなみを整えている人でした。いつもワイシャツにネクタイ、そのスタイルが一番落ち着くと言い、それが一番夫らしい服装でよく似あいました。私に対してもいつもきれいでいて欲しいと、おしゃれにお金を使うことに鷹揚でした。ガーデニングの多くの時間は夫の古いワイシャツにエプロン姿の私でしたが、エプロン用の端切れを探す私に「これがきれい」と勧める布はカラフルで明るい楽しいものでした。病院へ毎日通う私は身だしなみには気を付けました。特別な洋服ではありません。秋冬は薄手のウールのアンサンブルが定番でしたが、アクセサリーをつけイヤリングをしていました。だから看護師さん達から「どこかにお出かけするみたい」「旅行へ行くときみたい」といつも言われていました。ですからその日「今日の衣装なんというのかとても素敵でした。いつもおしゃれでいてくれてとても嬉しい日々でした。」と書いてありましたが、6月下旬に入り、ウールからコットンに代えて1年ぶりに着用したカーデガンだったために、夫には新鮮に見えたのだと思います。これが一番マーガレットらしい、心の中に在るマーガレットだと言ってお気に入りでした。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。 」
May 2, 2017
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6月10日結婚記念日の翌日は比較的穏やかに過ごすことができました。2度目の手術時の癒着箇所の近くに再癒着部分が認められ、その部分の手術はできないのでバイパス手術ということでした。排便も見られ、痛みも和らぎ、二人とも穏やかな気持ちで他愛ないおしゃべりもしました。また。3度にわたる手術によってこれからの生活は一層辛いことになることが予測され、それについてこれからのふたりのあり方についても話しあいました。しかし、相部屋であり加えて難聴の夫、なかなか深刻な話合いもできず、その夜、妻はレターを書きました。あなたが言われたこれからの日々は『病気と付き合うのが仕事』ということ、決してあなた一人の仕事ではありません。「mawakoとKのふたりの命がけの大仕事」です。ガンであればそれを叩きつぶすことはできませんが、その仕事への取り組み方によって仕事に対する姿勢というか達成感というか、よく頑張ったという気持ちになれると思うのです。若い頃のように頑張りはできないけれどふたりで最後の大仕事を、私たちに課せられた神様からの試練なのだと思って頑張りましょう。懸命に生きることで私たちの人生が先へ先へと伸びていくことを信じてね。ここへきてようやく二人一緒の仕事ができるのですから張り切って取り組みましょう。神様はここまで頑張って生きてきたご褒美にふたりの仕事を与えてくれたんだね、若い頃のあなたのレターに「どんなに辛くとも苦しくともmawakoが一緒に生きてくれると思うと勇気百倍」とありました。今までもそうでしたがこれからは一層、力を合わせて良い仕事ができたと言えるようになりましょう。仕事に向かう精神状態はいつも朗らかでありたいと思います。私だけ泣きべそしていられません、泣く時も笑う時も一緒にね。仕事は喜怒哀楽はつきものです。これからたくさん辛いことがあると思いますが仕事なのですからふたりでそれらの辛さを超えていきましょう。頑張りましょう、二人で一緒にね。6月12日夫からの返信(am11:22)今朝のmawakoのレター、とても嬉しく頼もしく読ませてもらいました。若い頃のドラマチックストリーは現在のふたりの生活を支える大切な歴史ですが、ここからはそれを糧に私の病気と付き合うという大仕事に取り組まねばなりません。そのことに対し、「mawakoとKふたりの命がけの大仕事」ですと書いてくれました。こんな心強いことはありません。この仕事は自分の体の事でありながらその詳細というか、体調の推移をキッチリと把握できないという大きな負の側面があります。昨日話したように、病人にとって体の変調、特に痛みとかしびれといったものには特に神経質になり、その変調がどうして起っているかわからないことに必要以上に苛立ってしまいます。そういう意味で伴侶として仕事の一端を担ってくれるというmawakoに大変辛い想いをさせてしまうことを恐れています。私という人間の弱い側面、自分勝手な感情の揺れをモロに吐き出してmawakoを悲しませることを恐れます。でもmawakoならそんな私の一切を引き受けて一緒に歩いてくれると信じています。これ以上ない最強の助っ人に恵まれて私は倖せものです。mawakoをとことん信じることができるからこそ、ガンを宣告されても少しも不幸だという気持ちにはなりませんでした。mawakoが一緒に居てくれるから、どんな状況に置かれても幸せだと思えるのです。日本ブログ村ランキング参加中です。 にほんブログ村にほんブログ村 いつもご訪問いただきありがとうございます。
April 28, 2017
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