「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2022.12.06
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カテゴリ: 美術館・博物館
ゴッホの暗い画面は、印象派との出会いと日本の浮世絵からの影響で見違える程明るくなしましためっちゃ〜明るい画面はこれです。

Van  Gogh
ファン・ゴッホ


『ファン・ゴッホの寝室』1889年9月

『ゴッホの寝室』(第3バージョン)

パリ「オルセー美術館」所蔵。

南仏アルルに移住して芸術家コロニーを計画

ゴッホが「黄色い家」を準備し、

その2階部分のゴッホの寝室を描いた。

絵の左側の扉には、ゴーギャンの部屋がある。

(第3バージョン)は、ゴッホが母のために

サイズを、57.5cmx74.0cmと縮小して描いたもの、

非常に明るく希望に満ちた明るい色彩です手書きハート

​ファン・ゴッホ・・・とは?​


​​Vincent van Gogh​​
フィンセント・ファン・ゴッホ

1853年3月30日〜1890年7月29日(37歳没)

オランダ人のポスト印象派(後期印象派)の画家。


それでは、作品の変化を年代を追ってみてみましょう


​【ゴッホのできごと&作品写真】

1853年3月30日、 オランダ、フロート・ズンデルトに生まれる。

1872年、 グーピル商会:ハーグ支店に勤務。

  画家としての修行を始める。

1873年、 深刻な失恋を経験し

  転勤したロンドンで再び失恋する

1876年、 寄宿学校の教師となる。

1879年、 炭鉱の臨時牧師となり宣教活動を行うが、

  常軌を逸した行動により、解任される

1880年10月、 突然、画家になる決意を語りブリュッセルへ、

1881年4月〜、 経済的な問題からエッテンの実家に戻り、

  田園風景や、近くの農夫たちを描きまくる。


『黄色い麦わら帽子のある静物』1881年11月末-12月半ば


『浜辺の漁師』1882年8月


​『浜辺の漁師の妻』1882年8月


『林の白服の少女』1882年8月

1883年〜1885年、
オランダ北ブラバント州、

  ニューネンの農村で2年間過ごし、暗い色調で描く。


『機織る人(右向き)と糸車』1884年3月


『機織る人、正面から』1884年5月


『機織る人、3つの小窓のある室内』1884年7月

『ジャガイモを植える農夫たち』1884年8月〜9月


『日暮れのポプラ並木』1884年10月


『コーヒー挽き、パイプ入れと水差しのある静物』1884年11月


『4本の石器瓶と酒瓶と白い茶碗のある静物』1884年11月


『暗色の帽子をかぶったブラバントの農夫の顔』1885年1月


『パイプをくわえた農夫の顔』1885年1月


『テーブルの前に座る農夫』1885年3月-4月

(数年にわたって描き続けた農夫の人物画の集大成)
『じゃがいもを食べる人々』1885年4月


『暖炉の側の農婦』1885年6月

夏の間、村を歩き回って、ミソサザイの鳥の巣を探して描く。

『3つの鳥の巣のある静物』1885年9月-10月


​『3つの鳥の巣のある静物』1885年10月

1885年11月〜1886年初頭、
アントワープ

1886年2月末、 弟テオを頼り、パリに移り住む。

 色彩が明るくなり、画風が大きく変貌する。


『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』1886年10月


『風車のあるモンマルトルの眺め』1886年秋

(印象派より新印象派の一派が台頭してくる)


『アニエールのレストラン・ド・ラ・シレーヌ』1887年夏


『4本の切ったひまわり』1887年8月-9月


『2本の切ったひまわり』1887年8月-9月

1888年、 南仏アルルに移住する。芸術家コロニーを計画。


『自画像(麦わら帽子をかぶったもの)』1887年-1888年の冬


『花咲くモモの木(モーヴを思い出して)』1888年3月


『静物:黄色い皿に入ったじゃがいも』1888年3月


『アルルの跳ね橋(ラングロワ橋と洗濯する女性たち』1888年3月


『花咲く果樹園』1888年3月-4月


『銅の花瓶のアミガサユリ』1887年4月-5月


『ラ・ムスメ、坐像』1888年7月


『一足の靴』1888年8月


『キョウチクトウのある花瓶』1888年8月


『ローヌ川の星月夜』1888年9月


『ウジェーヌ・ポックの肖像』1888年9月


『夜のカフェテラス』1888年9月


『アルルの女(ジーヌ夫人)手袋と傘』1888年11月初頭


『アルルの女(ジヌー夫人)本』1888年11月 (1889年5月?)


『ルーラン夫人ゆりかごを揺らす女』1888年12月


『男の肖像(ジョセフ=ミシェル・ジヌー?』1888年12月


『赤ん坊のマルセル・ルーラン』1888年12月

1889年、 アルルの精神病院に入院を繰り返しながら、制作を進める。


『ひまわり(15本のひまわり)』1889年1月


『オレンジ、レモン、と青い手袋のある静物』1889年1月


『ルーラン夫人のゆりかごを揺らす女』1889年1月


『ルーラン夫人のゆりかごを揺らす女』1889年3月


『郵便夫ジョセフ・ルーラン』1889年4月


『郵便夫ジョセフ・ルーラン』1889年4月


『日の出の春小麦の畑』1889年5月-6月


『オリーブの木々、背景にアルピーユ山脈』1889年6月


『星月夜』1889年6月


『糸杉と2人の女性』1889年6月


『プロヴァンスの干し草の山』1888年6月


『刈る人と太陽のある麦畑』1889年6月末


『自画像』1889年8月末


『ファン・ゴッホの寝室』1889年9月


『自画像』1889年9月


『渓谷』1889年10月


『オリーブ畑:淡い青色の空』1889年11月

1890年

『歩き始め(ミレーを模して)』1890年1月


『アルルの女(ジヌー夫人)』1890年2月


『悲しむ老人(永遠の門)』1890年4月-5月


『オーヴェルのガシエ医師の庭』1890年5月

『静物:アイリスのある花瓶』1890年5月


『花咲く栗の木』1890年5月


『糸杉と星の見える道』1890年 5月12日ー15日


『医師ガシエの肖像』1890年6月


『オーヴェルの教会』1890年6月


『わらぶき屋根の家々』1890年6月


『小麦を背景に立つ若い女』1890年6月末

『糸杉のある麦畑』1889年6月末


『雨空の干し草の山』1890年7月

1890年7月29日、 オーヴェール・シュル・オワーズにて

  ピストル自殺未遂がもとで死去(享年37歳)。


(写真撮影:ほしのきらり。)


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最終更新日  2022.12.06 00:10:09
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