Dog photography and Essay

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「蜻蛉(かげろう)日記」を研鑽-8



「帯をゆるく結んで歩いて出て行く」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



独り寝のとき、松を吹く風の音が、ひどく荒々しく聞こえなかったのは
何かがわたしを守っていてくれたのだわと思うほど荒々しく聞こえる。  
夜が明けると二月になったようであり、雨がとてものどかに降っている。



格子などを上げたが、いつものようにあの人が慌ただしく帰らないのは
どうやら雨のせいらしいと思うが、このままここにいるとは思えない。
従者たちは来ているかなどと言って起き出して、糊気が落ちて
しなやかな貴族の平常服である直衣(のうし)を着出した。



ほどよく柔らかくなった紅の練絹(ねりぎぬ)の袿(うちき)を
直衣の下から出して、帯をゆるく結んで、歩いて出て行くと、侍女たちが、
お粥をなどと勧めるが、いつも食べないのだから、今日も食べないと言う。



あの人は機嫌よさそうに、太刀を早くと言って、道綱が太刀を持って控える。
簀子(すのこ)に片膝ついている道綱の元へゆったりと歩み寄って行く。
あの人はあたりを見回して、庭の草を乱雑に焼いたようだななどと言う。


「春の季節にふさわしい調子に奏でた」

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愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



乱雑に焼いた庭の草の上に、雨覆いを張った車を寄せて、供の男たちが
軽々と車の轅を持ち上げていると、あの人は乗り込んだようだ。
牛車の下簾をきちんと下ろして、中門から引き出して、ほどよく
先払いをさせて遠ざかっていくのも、わたしには憎らしく聞こえる。



この数日、吹く風がとても激しいので、南面の格子を上げないでいたが、
今日、このようにあの人を見送って、外を眺めながら、暫く座っていると、
春雨がほどよくのどかに降って、庭はなんとなく荒れているようだが、
所々で青く萌え出ている庭の草が、しみじみと身にしみて見える。



昼頃になり、吹き返しの風が吹き出して、晴れそうな空模様だったが、
妙に気分がすぐれず、日が暮れるまで、ぼんやり物思いに沈んで過ごした。
夜に降った雪が、10センチばかり積もり、今朝もまだ降っている。
簾を巻き上げて眺めると、寒いと言う侍女たちの声が、あちこちで聞こえる。



風までも激しく吹いており、なにもかもとてもしみじみとした感じである。  
その後、天気も回復して、八日頃に地方官歴任の父の所に出かける。
親類が大勢いて、若い女たちが多く、箏の琴や琵琶などを、今の春の季節に
ふさわしい調子に奏でたりして、笑うことが多く一日を過ごした。


「向かい合っていると気もそぞろである」

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翌朝、大勢いた親類が帰った後は、のんびりした気分で過ごせた。
家に帰ると同時に、あの人の使いのものが届けてくれた手紙を見た。
長い物忌に引き続いて着座で慎んでいたので行けなかった。
今日は早く行こうと思うなどと書かれてある。



着座(ちゃくざ)とは、兼家が権大納言に任じられ晴れの座に就く儀式の事。
その手紙に対して、すぐにも来て下さるようですが、本当に待っていれば
良いのですか、今はもう忘れられていくわたしだものと返事を出した。



いつものように心とは裏腹な返事をしてしまったが、気にもかけないでいた。
正午頃になり、呆れるほどくつろいで、だらしなくしているところへ、
召使いたちが、いらっしゃいますと騒ぐ声がするので、ひどく慌ただしい。



あの人が入って来たので、身なりを整えることもできないまま
茫然として向かい合っていると、気もそぞろである。
しばらくして、お膳などをさし上げると、少し食べたりして、
日が暮れたと思われるころに、明日は、春日の祭だからなどと言い出す。


「雨になって静かに一日中降り続ける」

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春日神社で行われる春日祭へ御幣使(みてぐらづかい)を出すため
きちんと装束を整え、前駆を大勢引き連れ、大げさに先払いをさせて
出て行かれるが、春日神社は藤原氏の氏神で、神に奉納する。



御幣使は近衞少将か中将が持って行くが、権大納言右大将である兼家が
管轄しており春日祭は重要な祭りの一つだなどと言って出て行かれた。
兼家が出て行かれて、直ぐに侍女たちが集まって来て、各々話している。



私たちは、ひどく見苦しい格好でくつろいでいた時なので、殿は
どうご覧になったのでしょうなどと、口々にわたしに気の毒なことを
したと言うので、わたしの方こそ見苦しいことだらけだったと思う。
ただわたしだけが愛想をつかされてしまったと思ってしまう。



どういうことだったのだろう、この頃の天気は、照ったり曇ったり、
春なのにとても寒い年だと思われたが、夜は月が明るく輝く。
十二日、雪は東風にあおられて乱れ散っていたが、正午過ぎから雨になり
静かに一日中降り続けるにつれて、しみじみとした感じがしていた。


「夢判断を他人の話として尋ねさせる」

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やはり思った通り今日まで、あの人から連絡がなかった。
今日から四日間は、物忌と思うと、少し気持ちも落ち着く。
このところ、冷たい雨が静かに降ることも多く、肌寒く感じる。



兼家の邸からこちらの方角がふさがっておりあの人は訪れないであろう。
世の中が心細くしみじみと思っていると、石山に一昨年参詣した時に、
心細かったが、毎夜、呪文のような陀羅尼をとても尊く読みながら
礼堂で礼拝している僧侶がいたので、何のためにと尋ねてみた。



去年から立願成就のため、山籠もりしています。穀断ちをして穀類を
食べないなどと言ったので、それなら、私の為に祈って下さいと話した。
僧侶は、去る五日の夜の夢に、あなたのお袖に月と日をお受けになって
月を足の下に踏み、日を胸にあててお抱きになっているのを見たのです。



これを夢解きにお尋ね下さいと言うので、なんて大げさな事をと思った。 
瞬時に、僧侶のことが疑わしくなって、ばかばかしい気がしてきた。
誰にも夢解きは、しないでいたところ、夢判断をする人が来たので、
他人の話として尋ねさせると、どのような人が見たのですかと驚いている。


「思いがけない幸運でもつかむのでは」

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占いや夢判断で、朝廷を意のままに、思いどおり政治を行うと言うので、
やはり思った通りで、この夢判断が間違っているのではなく、僧が疑わしい。
このことは内緒にね。とんでもないことだわと言ってそれきりにした。



また、侍女が、この邸の門を四脚門に造り替えるのを夢に見ましたと言うと
夢判断は、それはここから大臣公卿がお出になるに違いないという夢です。
このように言うと、ご主人が近々大臣におなりになることを言っていると
思われるでしょうが、そうではなく、ご子息の将来のことなのですと言う。



また、わたし自身が一昨日の夜に見た夢で、右の方の足の裏に、
大臣門(おとどかど)という文字をいきなり書いたので、びっくりして足を
引っ込めたのを見たと尋ねると、先ほどの夢と同じ事が見えたのですと言う。



これもばかばかしいことなので、信じられないと思ったが、大臣公卿の出ない
あの人の一族ではないので、わたしのたった一人息子が、もしかしたら
思いがけない幸運でもつかむのではないかしらと心の中で本当に思った。


「世話をしているうちにそんな仲になった」

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何かにつけ幸運のありそうな時は、我が子に授かればと思った。
こんなことがあったが、今のような状態では、将来も心細いうえに
子どもは男なので、これまでも、あちこちにお参りした先々で
女の子をお授けくださいとお願いしたけれど授からなかった。



今後は尚更、子どもが授かりにくい年齢になっていくので、何とかして
卑しくない人の女の子を一人迎えて、世話もしたいと思うようになる。
一人息子とも仲良くさせて、わたしの最期を見とってもらおうと思う。



この数か月はそんな気になって、侍女や知人にも相談する事が増えていく。
殿が通っていらっしゃった源宰相兼忠のお方のご息女との間にできたお子に
とても可愛らしい姫君がいて、その姫君にお願いなさってはどうでしょう。
今は志賀山の麓で、兄の禅師の君を頼って、暮らしているなどと言う人がいた。



そんなことがありました。お亡くなりになった陽成院(ようぜいいん)の
ご子孫ですね。宰相さまが亡くなられて、また喪があけないうちに、
あの人は例によってそのような女性の話は聞き流せない性格で、何かと
世話をしているうちに、そんな仲になったようです。


「彼女が旅寝と詠んだのは可笑しい」

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女は特別華やかでもない上に年も老けていたから、女もそんな関係にとは
思わなかったことだろうし、あの人も一時の遊びのつもりだっただろう。
でも、返事はしていたようで、あの人自身二度ほど訪ねて行って、
どういうわけか、女のために単衣だけを持って行った事があったようだ。



他にも色々な事があったけれど、忘れたもののあの人の歌は思えている。

せきこえて 旅寝なりつる くさまくら かりそめにはた 思ほえぬかな

逢坂の関を越えて旅寝をするように やっとあなたと一夜を過ごしたが 
草枕でかりそめの契りとは思えないとか、言って送られたようでしたが、
ありきたりの歌だったので、返歌も格別なものではありませんでした。



おぼつかな われにもあらぬ くさまくら まだこそ知らね かかる旅寝は

不安でなりません 何がなんだかわからないまま草枕で一夜を過ごした事は
今まで経験したことがなく 兼家にとっては旅寝だけれど女にとっては
自分の家で旅寝ではないのに、女が兼家の歌にあわせて旅寝と詠んでいる。



兼家は旅寝と詠んだが、彼女も旅寝と詠んだのが可笑しいと笑ってしまった。
その後は特別なこともなかったのでしょう、どんな手紙の返事だったのか。

おきそふる 露に夜な夜な ぬれこしは 思ひのなかに かわく袖かは

置く露に私の涙が加わって 夜ごとに濡れる袖は  私の思いの火の中でも
乾かないのですと書いてきたようですが、次第にあの人との仲も疎遠になる。


「幼い子どもは十二、三歳になっていて」

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あの人と女性の仲が疎遠になった事もあり、女性に嫉妬を抱かなかった。
激しい嫉妬心を燃え立たせなかったのは、女性が参議兼忠女(むすめ)で、
相当身分が高かったこと、また現代的な魅力を備えた人でなかったため、
派手な振る舞いもなく、年齢も老けて控え目であったこと。



また、迷わず女性が身を引いたことや、とくに兼家が道綱母の作者に、
いち早く女性のことを告白し、歌なども見せて一時的な浮気であることを、
誠意を持って気持ちを伝えたことなどによるものであろうと思う。



いつかの女の所では女の子を産んだようだ。私の子だと言っているらしい。
ここに引き取って育てたらなどとおっしゃったが、その女の子なのでしょう。
その子を養女にしましょうなどという事になって、縁故を探して聞いてみた。



あの人も知らない幼い子どもは、もう十二、三歳になっていて、母親は、
ただその子一人に寄り添って、あの志賀の山の麓の湖が見える志賀の山が、
後ろに見えるような、言いようもない心細そうな所で、暮らしていると聞いて、
私は身につまされ、そんな住まいで悩みに悩み尽くしている事だろうと思った。


「あなたのご判断でお取り計らい下さい」

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私は身につまされ、悩み尽くし愚痴をこぼしている事だろうと思った。
こうして、その女の腹違いの兄弟も京で僧侶になっていて、わたしに
この話を持ちかけた人が、その僧侶を知っていたので、その人に頼んで
僧侶を呼び寄せて相談させると、僧侶からはなんの支障もないと言う。



むしろ、養女の申し出は、とても結構なことだと、僧侶は言う。
そもそも、あの人の所で娘の面倒を見ていくのは、生活も心細いので、
今は尼になってしまおうと、志賀山の麓に数か月の間、移り住んでいたが
次第に娘の行く末を、案じていらっしゃいますなどと話していた。



早速その翌日に、志賀の山越えをして出かけたところ、腹違いで日頃
親しくもしていない人がわざわざ訪れて来たのを女性は不思議がり、
何のご用件と聞くので、養女の件を話し出すと、はじめは、ただ黙って
聞いていたが、それからどう思ったのか、とても激しく泣き出した。



やがて気を静めて、先の見えた自分の身はともかく娘の身を案じていた。
こういう所に、この子を連れて住んでいるのは、とても辛いと思うものの
どうしようもないと諦めていましたが、この子にとってそのようなお話なら
あなたのご判断でお取り計らい下さいと次の日帰って来た僧侶に話した。


「母親の事を思うと不憫でならない」

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次の日に僧侶が帰って来て、私にお任せしたい旨の話をして下さった。
前世の宿縁だろうか、予想していたとおりで、早速手紙を出す事になった。
手紙は書き慣れていると思っていたが養女の内容の手紙には緊張する。



あなた方の事はよくお聞きしていたのですが、長い間お便りを差し上げず
誰からの手紙かと不審に思われるかも知れませんが、この禅師の君へ
わたしの心中の心細い不安な思いをお話しし貴女に伝えて下さいました。



禅師の君より、とても嬉しいお返事を下さったと伺いましたので、
お手紙では失礼かと思いますが、お礼かたがた申し上げる次第です。
ひどく気が引けるお願いなのですが、尼になるとのお考えを承りますと
可愛いお子さまでも、お手放し下さるかと思いましてなどと書いて送った。



祖の私からの手紙に対して、翌日、喜んで下さいなどと返事が来た。
禅師が話してくれた経緯も書いてあり、快く承諾してくれたと感じた。
嬉しく思う一方、母親の事を思うと不憫でならないなど色々と書いてあった。


「養女を迎える日は決めていた」

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かすみが立ち込めたように涙で目も曇り、どこで筆をおいたらいいのか
わからないので、見苦しい手紙になってしまいましたとあった。
それから後も、二度ほど手紙を送って、話がすっかりまとまったので、
禅師たちが先方に行って娘を京へ、しゅったつさせることになった。



娘を一人で送り出す母親の気持ちを思うと、とても悲しい気持ちになった。
普通の気持ちで子どもを手放せるだろうか、父親が世話してくれるなら
手放さなくてもなどと考えたが、わたしの所に来ても、わたしと
同じようにあの人が面倒を見ることはないだろうと思った。



もし、母親の期待通りにいかない場合は、かえって気の毒なことに
なるかもしれないなどと思う気持ちも湧いてくるが、どうしようもない。
このように約束してしまったので、今さら約束を破るわけにはいかない。
養女を迎える日は決めていたので、女の子を迎えに行かせる。



目立たないように、ただこざっぱりした網代車(あじろぐるま)に
馬に乗った従者が四人、下人は大勢ついて行く。我が子の道綱も乗り込み
車の後ろの席に、今度の件で口添えした人も乗せて迎えに行かせた。


「年格好のわりには、とても小柄」

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今日、あの人から珍しく手紙が来たので、もしかしたら来るかもしれない。
出会ったらまずいことになるわ。養女にする事は知られたくはなかった。
早く行ってきなさいと送り出したものの、成り行きにまかせるしかない。
だが、打ち合わせた甲斐もなく、あの人に先を越されてしまった。



何となく、がっかりしていると、しばらくして迎えの一行が帰って来た。
あの人が道綱は、どこへ行っていたのだと尋ねるので、適当にごまかした。
以前からいずれは打ち明けなければならないとは考えていたし、このように
出会うことがあるかもしれないと予想していたので言い訳も考えていた。



心細い身の上ですから、父親が捨てた子を引き取る事にとほのめかしていた。
あの人にわかってしまって、見てみたい。誰の子だ。私はもう年老いたから
若い男をみつけて、私を見捨てるつもりだろうと言うので、可笑しかった。
私の行く末の事を考え、旦那様のお子さまにしてくださいますかと聞いた。



あの人は、それはいい。さあ早く早くと言うので、わたしも先ほどから、
女の子の事が気になっており、呼び出したが聞いていた年格好のわりには
とても小柄で、言いようもないほど子供っぽく見え、近くに呼び寄せて、
立ってごらんと言って立たせると、身の丈は120センチほどだった。


「単衣の袖を何度も引っ張り出して」

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女の子の毛先を削ぎ落としたようで、身の丈に12センチほど足りない。
とても可愛らしく、髪の形も美しく、姿形がとても上品である。
あの人は女の子を見て、とても可愛らしいが誰の子だと言う。
さらに早く言いなさいと言うので、少し戸惑ってしまった。



この人が父親だとわかっても、この子の恥にはならないと思う。
打ち明けてしまおうと思い、可愛いとごらんになるのですねと嫌味を言う。
あの人は、わたしをにらめつけるように、なおさらせがまれるので、
あなたの子どもですよと言うと、驚いて、聞き直してくるから可笑しい。



すぐに答えないでいると、志賀山の麓で暮らしていると聞いた子かと
言うので、そのようですと答えると、何という事だと驚いている。
落ちぶれて行方もわからなくなったと思っていたが、こんなに
大きくなるまで知らないでいたとはと言って思わず涙を零す。



この子もどう思っているのだろう、うつぶして泣いている。
侍女たちも感動して、零落(れいらく)した姫君が数奇な遍歴の末
父親に巡り合うという昔物語のようなので、みなが泣いていた。
わたしも単衣の袖を何度も引っ張り出して思わず泣いてしまった。


「こんな手紙があるのも不思議だと思う」

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あの人は、突然、こんな可愛い女の子が来られたとはと冗談を言いながら
わたしが連れて帰ろうなどと、夜が更けるまで、泣いたり笑ったりして
みんなで一夜を過ごして、いつのまにか眠っていた。



あの人は、翌朝、帰る時に娘を呼び出しては、とても可愛がった。
そのうち屋敷へ連れて行ってあげるから、迎えの車へ乗りなさいと笑っている。
その後の手紙には、必ず、女の子はどうしていると、いつも書いてある。



二十五日の夜、宵を過ぎた頃に火事があったようで、騒いでいる声が聞こえる。
家から、近いようで聞くと、あの憎いと思っている女の所だった。
あの人は物忌だと聞いていたのに、御門の下からそっと手紙がある。
色々と心こまやかな内容で、今ではこんな手紙があるのも不思議だと思う。



二十七日はあの人の邸からこちらの方角が塞がると出ている。
二十八日、午後二時前後頃に、いらっしゃいますと従者たちが騒ぐ。
中門を押し開けて、車ごと引き入れるのを見ていると、前駆の従者たちが
大勢牛車の轅についていて、車の簾は巻き上げ、下簾は左右に開いて挟んである。


「鳥の声も様々と和やかに聞こえる」

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供の者が踏み台を持って近寄って行くと、あの人はすばやく車から降りて
紅梅が今を盛りと咲いている下を、しずしずと歩いて来る姿はいい。
いかにも花の盛りにふさわしく、あなおもしろと声を張り上げて来る。



明日のことを考えてみると、またの南のあの人の邸の方角が塞がる。
どうして、塞がる事をを知らせてくれなかったのだと言うので気分が悪い。
もし、方塞がりだと言ったら、どうなさるつもりでしたのと言うと
方違えをしてよそへ行っただろうと、あきれはてたこと言う。



あなたの心の中を、これからはよく読み取らないといけないのねなどと
どちらも黙っていられない性格であり、お互いに言い合った。

幼い娘には、手習や和歌などを教え、私の所で十分にしていると思った。
あの人は、期待に背いては悪いだろうから、そのうち、あちらにいる娘と
一緒に裳着(もぎ)の式をあげようなどと言いながら、その日が暮れた。



方違えをしなければならないなら、冷泉院(兼家の甥)へ参上しようと言い
高らかに先払いをして、翌朝早くに出て行かれた。この頃は、天候もすっかり
よくなって、うらうらとのどかであり、暖かくもなく寒くもない風が、
梅の香りを運び、山の鶯を誘い出し、鳥の声も様々と和やかに聞こえる。


「新鮮な感じがして心がのびのびする」

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あの人は、火事がこちらの方角と思い来てみたけれど、鎮火したから
帰ろうかななどと言いながら、横になり、宵の頃から来たかったが
従者たちも、皆出払っており、早くに出ることができないでいたと言う。



昔だったら馬に乗ってでも来ただろうに、何とも窮屈な身分だと言う。

私は一体どれだけ大変なことが起こったら、駆けつけるだろうと思った。

あの人は、そのような事を思い寝ていたら、丁度火事騒ぎが起きたから
偶然とはいえ駆けつけて来れたので、不思議な気がしたよと言う。



それとなく、あの人は私のことを気遣ってくれてるようだと思った。
夜が明けると、急いで来たから車など見苦しいだろうと言って
そんなに時間が経っていなかったが、急いでお帰りになった。



六日、七日は、あの人は物忌と聞いていたので来ることはなかった。
八日は、雨が降り、石の上の苔が雨に打たれて苦しんでいるように感じた。
十日は、お忍びで、ご一緒にいかがと誘いを受け、賀茂神社に参詣した。
賀茂神社は、いつ来ても新鮮な感じのする所なので、心がのびのびする。


「寝ているうちに心のこもった手紙が来た」

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賀茂神社の周りでは、無理をして田を耕したりなどしていると思う。
紫野を通り北野に行くと、沢でせりを摘んでいる女や子どもたちもいる。

君がため 山田の沢に ゑぐ摘むと ゆきげの水に 喪の裾濡れぬ

あなたのために山田の沢でゑぐ(せり)を摘んでいると 雪解けの水に
着物の裾が濡れてしまった(万葉集巻十・読人しらず)と思った。



船岡山の麓を回ったりするのも、とてもおもしろいと思う。
暗くなって家に帰り、寝ていたら、門を激しく叩く音がする。
はっとして目を覚まし、侍女の話し声は意外なことに、あの人だった。



ふと疑わしくなり、もしかして、近くの女の所で差し障りがあり
帰されたから来たのだろうと思ったが、あの人の様子はさりげなかった。
私は打ち解けないまま夜を明かし、翌朝、少し日が高くなってから帰った。



そうして、六日ほど経った十六日、雨が心細く悲しく降っている。
夜が明けると、わたしがまだ寝ているうちに、心のこもった手紙が来た。
今日はそちらの方角が塞がっており、どうしようなどと書いてあった。
返事を出して、暫くして、日も暮れかけているのに、あの人がやって来た。


「鳥が鳴くように私も泣くばかり」

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あの人が、こんな時刻に来られるとは変だと、その時に思った。
夜になって、どうしよう。天一神に幣帛(へいはく)を奉って、
泊まるのを許してもらおうかなどと帰るのをためらっている様子だった。



わたしは、そんな神様に捧げものをしても何にもなりませんなどと、
あの人を、急き立たせて送り出したが、出ていく時に、独り言を言う。
今夜はどうして、来られた数には入れないのでしようと密かに言った。
あの人は、私の独り言を聞いて、せっかく来た甲斐がないと言う。



ほかの夜なら、ともかく、今夜はぜひ数に入れてほしいと話した。
それから予想通り、あの人から連絡もなく、八、九日ほど経った。
当分来ないつもりで、数に入れてと言ったのだと思った。
私は我慢できなくなり、珍しくわたしから歌を送った。



かたときに かへし夜数を かぞふれば しぎのもろはも たゆしとぞなく

片時の訪れを一夜の訪れと見なされて、それっきりお見えにならない夜を
数えるとあまりにも多く、鴫の諸羽もだるくなり鳴くように私も泣くばかり。


「これを縫ってほしいと言って来た」

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あの人から、私が送った歌への返事が届いた。

いかなれや 鴫のはねがき かず知らず 思ふかひなき 声になくらむ

どういうことなのだろう わたしが鴫の羽がきのように 数限りなく
思っている甲斐もなく あなたが泣いているのはとあった。



わたしから歌を送った事が、かえって後悔することになってしまった。
どうしてこんなことになるのかしらと思ってしまう。
この頃は、庭一面に桜の花が散って、畳の上の敷物のように見えた。



今日は二十七日、雨が昨日の夕方から降って、風が残りの花を吹き散らす。
三月になり、木の芽が茂り雀が隠れるほどで、賀茂祭の頃のように思われる。
榊や笛の音が恋しく、とてもしみじみとした気持ちになる。



そのうえに、あの人から便りがないのに、私から歌を送ったのも悔やまれて
いつもの途絶えよりも不安に思ったのは、あれはどういう気持だったのだろう。
この月も、七日になってしまった。今日になって、あの人から連絡が来た。
慎むことがあって行けないが、これを縫ってほしいと言って来た。


「しばらくして行列がやって来た」

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連絡もなく用事だけを言いつけるのは今に始まったことでもないので
使いの者に、わかりましたなどとそっけなく返事をした。
昼頃からわたしの気持ちを表現してか、雨がのどかに降りはじめた。
十日、朝廷では石清水八幡宮の臨時祭のことで大騒ぎである。



わたしは、知り合いが物詣に行くようなので、一緒にこっそり出かけたのに
昼頃、家に帰った所、留守番をしていた道綱と養女が、見物したいと言う。
ぜひとも見物したいですが、行列はまだ通らないと不満そうに言うので、
わたしが乗って帰ってきた牛車に乗らせ、そのまま出立させる。



翌日になり、祭りに奉仕した勅使の一行が宮中に帰る行列を見ようと
人々は騒いでいるが、わたしは気分がひどく悪く、ずっと横になっていた。
見物に出たいとも思わなかったのに、まわりの人が勧めるので、
上皇以下・四位以上の上級貴族が使う檳榔毛の車一台に四人乗って出かけた。



冷泉院の御門の北側に車を立てた。ほかの見物人もあまりいなかったので、
気分もよくなり、そこに車を止めると、しばらくして行列がやって来た。

檳榔毛の車(びろうげのくるま)と呼び、檳榔を細かく裂いて屋根を葺いた車。


「道綱が居てくれたお陰だと思う」

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その行列の中に、わたしが親しく思っている人も、混じっていた。
陪従(ベイジュウ--祭りに奉仕する楽人)に一人と舞人に一人である。
この頃には、普段と同じく穏やかな日々で何も変わったことはない。



十八日に、清水寺にお参りに行く人になり、またこっそりと同行した。
初夜の勤行が終わって寺から出ると、時刻は午前零時頃だった。
一緒に行った人の家に行き、食事などをしている時に、従者たちが、
この西北の方角から火が見えるから、外へ出て見て下さいなどと言う。



距離が相当離れていると言う唐土(とうど)だと言っているようである。
心の中で、遠くても、やはり気になるあたりだと思っていると、人々が、
火事は長官殿(こうのとの)の所でしたと言うので、非常に驚いた。



わたしの家も、長官殿の邸とは土塀を隔てているだけだから、大騒ぎして、
若い人を困らせているのではないだろうか、何とか早く帰りたいと慌てる。
車のスダレを掛けるひまさえなく、やっと車に乗って帰って来た時には、
火はおさまっており、私の家は被害に遭わず、道綱が居たお陰だと思う。


「少し心が落ち着いたような気がした」

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土塀を隔てた長官殿の人たちもわたしの家に集まっていた。
ここには道綱が居たおかげで、火事の被害に遭わなかったと思う。
心配していた娘も、車に乗せ、門をしっかり閉めていたので、
火事の混乱に乗じた事件も遭うことはなかった。



火事の時の様子を聞いてみると、道綱は男の子だけあって、
よく取り仕切ってくれたものだと思うと共に、胸が熱くなる。
逃げて来た人々は、ただ、なんとか命だけは助かったと嘆いていた。



しばらくしてより、見舞いに来るはずのあの人はやって来てなく、
見舞いに来なくてもよさそうな人々から沢山の見舞いがあった。
昔ならば、私の家の方角で火事があると様子を見に来てくれていた。
今では隣の火事でさえ来てくれないとは、ほどほど呆れてしまう。



火事の報告をしなければならない人は、あの人の雑色とか侍とか、
以前ならば、あの人に伝えたと言うのに、もう本当に呆れてしまう。
そんな事を思っていると、門を叩く音がするので。召使いが見に行った。
殿がお越しになりましたと言うので、少し心が落ち着いたような気がした。


「被災した人たちの世話を十分できない」

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鳥が鳴いたと聞きながら寝たので、火事で大騒ぎしたというのに、
まるで気分がよい時のような感じで、朝寝坊してしまった。
今も、見舞いの人が多く騒いでいるので、起きて応対をする。
あの人は、もっと騒がしくなるだろうと言いおき、急いで帰った。



しばらくして、あの人から男の衣類などがたくさん届いた。
ありあわせの物ばかりだが、長官にまず差し上げてと書いてあった。
またそちらに避難している人たちに配りなさいとも付け加えられていた。
あの人が用意したのは、濃い黒っぽい檜皮色(ひわだいろ)で作ってある。



ひどく急ごしらえで、あまりに粗末なので見る気もしなかった。
占ってもらうと、火事のせいで、焼け出され三人ほどが病気になり、
中傷されるかもしれないなどと言っていた。二十日は訪れもなく過ぎた。



二十一日から四日間、例の物忌と聞く。ここに集まっている人々は、
南の方角が塞がっている年なので、しばらく留まっているわけにもいかなく
地方官歴任の父の所に移って行かれた。父の所なら不安なことはないだろう。
被災した人たちの世話を十分できない情けなさが、あの人は何より先に感じた。


「あの人にとても似てると思う」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



これほどまでに辛く思われる身の上だから、この命など少しも惜しいとは
思っていないようだが、物忌の札が何枚も柱に貼り付けてあるのを見ると
まるで世の中に未練があるようで、二十五日と二十六日は、物忌である。



物忌の終わった夜に門を叩く音に、物忌で門を固く閉めていますと言うと
閉口して帰って行く音がする。次の日は、例によって方塞がりだと
知っていながら、昼間にやって来て、灯りをともす頃に帰る。
その後、いろいろと差し障りがあることを噂に聞きながら、日が経った。



わたしの所も、物忌が多くて、四月十日過ぎになったので、世間では
賀茂祭だと騒いでいるようである。ある人が、お忍びでと誘うので
斎院の御禊(ごけい)をはじめとしていろいろ見物する。わたし自身の
幣帛(へいはく)を奉納しようと賀茂神社にお参りした。



賀茂神社で一条の太政大臣(藤原伊尹これまさ)さまの参詣と出会った。
とても威厳があり、たいした威勢だなどと言うどころではない。
ゆったり歩く様子は、あの人にとても似てると思うので、ほかの時の
晴れ姿も、あの人はこの方に劣ることはないだろうと思った。


「時を追うごとに無性にあなたを思う」

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一条の太政大臣のお方を、素晴らしい、なんと立派なお方と感心する人や
それを聞いて同感する人が口々に褒めるのを聞くと、わたしはその時
うまくいかない夫婦の仲、とりわけ私の悲しみを抑えるのに困った。



何の悩みのなさそうな人に誘われて、また知足院(ちそくいん)の辺りに
出かけた日、道綱も車でついてきていたが、わたしたちの車が帰る時に
かなりの身分の人と見える女車の後に続くことになったので、道綱が
遅れないように後を追って行ったら、家を知られないようにしたのだろう。



すぐに行方を、追いかけて、やっと家を捜して、次の日、こう言ったようだ。

思ひそめ ものをこそ思へ 今日よりは あふひはるかに なりやしぬらむ

あなたを思いはじめて悩んでいます 逢う日という葵祭が終わった
今日からは またお逢いできる日もずっと先になってしまうでしょうか。



などと書いて送ったが、何のことかわかりませんと言ってきたのだろう。
それでもまた文を送ったようだ。

わりなくも すぎたちにける 心かな 三輪の山もと たづねはじめて

時を追うごとに無性にあなたを思う気持ちがつのるばかりです 
三輪の山本にあるというあなたの家を尋ねあててからと詠んで送った。


「沼でひっそり成長したあやめ草」

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大和の国にゆかりのある人なのだろう、送った歌の返事は、

三輪の山 待ち見ることの ゆゆしさに すぎたてりとも えこそ知らせね

わたしの家を三輪の山などとおっしゃるあなたを待っても 昔話のように
不吉なことになりそうですから 目印の杉を教えることはできませんとあった。



こうして、月末になり、ほととぎすが卯の花に隠れて鳴くというのに
あの人は見えないで、なんの連絡もなくその月も暮れて行った。
二十八日に、例によって、神社に参詣するあの人が、供物を頼むついでに
体の具合が悪くなってなどと言ってきたようだ。



早いもので五月になった。菖蒲の根の長いのがほしいなどと
家の若い娘が騒ぐので、わたしもすることもなく、菖蒲を取り寄せて
糸を通して薬玉を作ったりして、これを、あちらにいる、同じ年頃の人の
一条天皇の母である藤原詮子にさし上げてなどと言って、



隠れぬに おひそめにけり あやめ草 知る人なしに 深きしたねを

隠れた沼でひっそり成長したあやめ草〔娘〕誰にも知られていない娘を
紹介しますと書き、薬玉に結びつけて、道綱が参上するのに託して送った。


「なんとも言えない気持ちになった」

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薬玉に結びつけて、道綱が参上するのに託して送った歌の返事は、

あやめ草 根にあらはるる 今日こそは いつかと待ちし かひもありけれ

菖蒲の根を引いて埋もれた根があらわれる今日五月五日の この日に
姫君を紹介して頂き いつの日かと待っていた甲斐がありましたとある。



道綱は、もう一つ薬玉を用意して、例の大和の女のところに、

わが袖は 引くと濡らしつ あやめ草 人のたもとに かけてかわかせ

わたしの袖は菖蒲を引くためにうっかり濡らしてしまいました 
あなたの袂にかけて乾かしてくださいと書いていた。



大和の女から、その歌に対する返事が送られて来た。

引きつらむ 袂は知らず あやめ草 あやなき袖に かけずもあらなむ

菖蒲を引いてうっかり濡らしたあなたの袂などわたしは知りませんよ
なんの関係もない私の袖に袂などかけないでくださいと道綱に送ったよう。



六日の早朝から雨が降りはじめて、長雨は三、四日の間降り続いた。
賀茂川が増水して、人が流されたと話しているのが聞こえて来た。

それにしても、あの人は中々来てくれないなどと色々なことを、
思って沈んでいると、なんとも言えない気持ちになった。


「お気づかいなくと意に反し書いた」

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あの人が来てくれない日々が続いたが、今はもう馴れてしまったので、
あの人が来なくてもなんとも思わななくなっていた。だが、あの石山で、
出会った僧侶から、貴女のためにご祈祷いたしますと言ってきた。



その返事に、今はもうこれ以上はどうにもならないと諦めています。
わたしのことは、仏さまもどうすることもできないでしょう。ただ、
この道綱を一人前にして下さいますようにお祈り下さいと書いていた。



書いていると、どうしたことだろう、目の前が暗くなるほど涙がこぼれる。
十日になったが、今日やっと道綱に託してあの人からの手紙が届いた。
あの人は、体の具合がずっと悪くて、どうしているか心配になるほど、
ご無沙汰してしまったが、変わりはないかなどと書いてある。



あの人への返事は、道綱が行くので託した。 昨日は、折り返しお返事を、
しなければと思いましたが、この子が行くついででもないと、
お手紙をさし上げるのも具合が悪いような気になってしまいましたので。
変わりはないかとお尋ねですが、お気づかいなくと意に反し書いておいた。


「ほととぎすのやるせない声となって」

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あの人へ、いらっしゃらないのも当然のことと思っていますと書いた。
何か月もお見えにならないので、かえって気が楽になっていますとも。

待つよひの 風だに寒く 吹かざらば 見え来ぬ人を 恨みましやは

来るあてのない人を待つ宵も、風さえ寒く吹かなかったら 
これほどまで、来てくれない人を恨みはしないと百人一首を例えて書いた。



読み返して、あなたが、見え来ぬ人になり、不吉な事ですねと書いた。
日が暮れてから道綱が帰って来て、賀茂の泉にお出かけになっていたので、
お返事もさし上げないで帰って来ましたと言うので内心ホッとする。

でも、具合が悪いというのに、結構なことねと、思わずつぶやいた。
この頃、雲の動きが慌ただしく、田植えをする農婦の着物の裾が、
濡れるのではないかと思ってしまうほど、どうかすると雲行きが激しい。



ほととぎすの声も聞かない。悩みのある人は、眠れないそうだが、
この間の夜明け前や今日の夜明け前にも、鳥の鳴き声を聞きましたと聞く。

わたしは気持ちよく眠れるからだろうか、一度も聞いた事がなく、
よりによって、悩みの多いわたしが、まだ聞いていないと言うのも、
恥ずかしいことなので、何も言わないでいると、歌が心に浮かんだ。



われぞけに とけて寝らめや ほととぎす もの思ひまさる 声となるらむ

私は人より本当にぐっすり寝ているだろうか いやそうではない 私の嘆きが 
そのままほととぎすのやるせない声となって聞こえているのだろうと思った。


「歌を結び付けて大和の女に送る」

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ほととぎすの鳴く声が聞こえると言われても私には聞こえなかった。
いろいろな思いを巡らし聞こえないのを、鳥のせいにしたりしていた。
わたしの辛い嘆きを鳥が察して鳴いていてくれ皆に聞こえると感じた。
こうして、何もすることもなく過ごして六月を迎えた。



東を向いている部屋に朝日の光が差し込み、とても暑苦しいので、
南の庇(ひさし)の間に出たところ、誰かが近くにいるような気配がして、
遠慮しながら、そっと物陰へ横になって聞いていると、蝉が盛んに鳴いている。

陽射しが一気に強く感じると蝉の鳴く声が聞こえる季節になったのに、
耳が遠くて、まだ蝉の声を楽しめないでいる老人がいて見ていた。



老人は庭を掃こうと、ほうきを持って、木の下に立っている時に、
蝉が急に激しく鳴き出したので、驚いて、木を見上げる。
蝉だって季節を知っていると独り言をつぶやく。

すると蝉が辺りいっぱい一斉に鳴き出したので、おかしくもしみじみと、
心打たれもしたが、わたしの気持ちはなんだか、せつなかった。



道綱が、紅葉の混じったブナの木の枝に歌を結び付けて大和の女に送る。

夏山の 木のしたつゆの 深ければ かつぞなげきの 色もえにける

夏山は木の下露が深いので 青々と茂る一方 木々を燃えるような紅葉に
染め上げます わたしもあなたを思う涙で赤く燃えていますと送った。


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