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最近は私自身が殆どやっていないのでなんなのですが、久しぶりにスクリーニングの話でも。銘柄選択のスタートとしてスクリーニングを利用する方は結構いらっしゃるかと思います。投資関連本でも銘柄スクリーニングのやり方が書かれている本をたまに見かけます。そして、それらの殆どは単一の条件でなく複数の条件を使ったスクリーニングを実施しています。これら複数の条件を結合する基礎となる論理記号には、「and条件(両方満たさなければならない)」と「or条件(どちらか一方を満たせばよい)」の2種類があります。「and条件」と「or条件」を別の言葉で言い換えると以下のようになります。*and条件――「より完璧なものだけを取り入れたい」*or条件――「何か傑出した良さがあれば取り入れたい」しかし、投資関連本にせよ投資家のウエブサイトにせよ、スクリーニングというとその殆どを「and条件」で構築していることが多いです。なぜ、スクリーニング条件を「and条件」ばかりで構成するのか?なぜ、「or条件」を活用しないのか?スクリーニング機能を作成する側と利用する側の双方に問題があると思います。1.作成する側私はカブドットコム証券とイートレード証券の2つを主に利用していますが、そのような証券会社が提供するスクリーニング機能には「and条件」しか用意されていません。(恐らく、他の証券会社でも事情は同じだと思います。)例えば、「PER<10」と「PBR<1」という2つの条件があったとします。証券会社が提供するスクリーニング機能だと、このような条件を結合する基礎となる論理記号として「and」しか用意されておらず、「PER10倍以下、かつ、PBR1倍以下の銘柄を探せ!」というスクリーニングしか出来ません。必然的に、「PER10倍以下、もしくは、PBR1倍以下の銘柄を探せ!」というスクリーニングが出来ないことになります。しかしながら、こうしたニーズは当然あります。特に、さまざまな指標をバランス良く見たいという人にとって、「or条件」が使えないということは不都合なことこの上ありません。上記のように、条件が2つであればせいぜいスクリーニングを2回行えば済む話ですが、条件が3つ以上だとさらに複雑になります。これについては、次回に詳細を話します。ちなみに、「CD-ROM版四季報」であれば、「or条件」を利用できるので、この問題を解消することが可能です。2.利用する側「and条件」しか利用しようとしないスクリーニングを利用する側にも問題があると思います。「and条件」は「より完璧を求めて」というスタンスであり、最も極端な話をすれば「銘柄選択をスクリーニングだけで完結させたい」という思惑があります。しかし、機関投資家が扱う「クオンツファンド(定量的指標を基に機械的投資を行うファンド)」でもない限り、スクリーニングだけで銘柄選択を完結させることにはどうしても無理があります。特に個人投資家の場合、資金力の制約を考えると、「スクリーニングはあくまでも銘柄調査を効率よく行うための一環として行うべきである」というスタンスにしたほうが良いと思います。スクリーニングにおいて「and条件」を多用すべきでないもう一つの理由は、投資において「完璧」はまず有り得ないという現実からです。「and条件」を多用するということは、その完璧さを追求することにも繋がりかねません。そもそも、個々のスクリーニング条件自体が完璧であるという保障がどこにもないのですから、愚かな経済学者みたく「記号論理学」の中だけで完璧を取り繕っても仕方がありません。どうしても譲れない部分だけは「and」で結合し、それ以外の部分は「or」で結合してみて、あとは個々の銘柄調査に乗り出して数字の裏を取るというのが現実的な判断だと思います。明日は「ポートフォリオ状況」報告をし、その次の回で今回の続きをしたいと思います。今日の言葉:「私にとっての完璧な投資先ですか?そもそも完璧は有り得ないと思っていますが、妄想でよろしければ。独占的事業を行っていて競争が全くなく、常に消費者からのニーズがある財やサービスを提供しており、その財やサービスの事実上の価格決定権が顧客側ではなく企業側にあることは事業素質上の最低条件です。それに加えて、経営者が誠実であることはもちろんのこと、経営者が自社株を大量に持っていて株主と利害を共にすることで株主利益追求のために働いてくれて、資本効率に対する意識が高く、その結果としてのROEが30%以上ある企業を、PBR1倍以下で買うことでしょうか。そして、マーケットの間違いでPBRが1倍割れになれば即座に自社株買いを行ってくれることや、万が一、成長鈍化となれば配当としてきっちりと株主に還元してくれることが条件であるのは言うまでもありません。そんな企業があれば、私はあらゆるところから借金をしてでもこの企業を買います。」(某バリュー投資家I氏の妄想)
2005年09月28日
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今回は、ラスベガスが発展した理由についての話題をとりあげたいと思います。これは裏を返せば、「平均的なカジノプレーヤーがなぜ損をするのか?」についての話題です。ラスベガスといえば言わずと知れた世界一のカジノの街です。一攫千金を夢見て世界中の人々をひきつけています。当然のことながら、一攫千金の夢を実現させることの出来る人はほんのわずかであり、その他大勢の人は負ける仕組みとなっています。そのラスベガスが発展した理由を考察することで、投資家としての心構えも勉強することが出来るのではないかと思います。1.大数の法則「大数の法則」とは確率論の用語で、「ある独立試行について、その試行回数を増やすほど、理論的確率が示唆する結果に限りなく近づく」というものです。電子百科事典「ウイキペディア」:大数の法則この大数の法則を「歪みがない1~6までのサイコロ」に適用した場合、1が出る頻度(ここで、「理論的確率」と区別していることに注意)は、サイコロを振る回数を多くすればするほど1/6に近くなるということを意味します。ラスベガスが用意している全てのギャンブルは、カジノ側に有利な理論的確率に基づいて設計されています。(カジノ側から見た確率論的な有利さを図る尺度が「控除率」です。)すなわち、カジノとは「1人のプレーヤーが行うギャンブルの試行回数は少ないので、理論的確率を越えて大勝ちする人も少なからず存在する。しかし、多数のプレーヤーが同様の試行を行えば、全体的に見た場合、理論的確率を破って大損をする可能性は少ない。」という考えの下で運営がなされています。そういう意味で、カジノは保険会社と同じような運営体系となっております。参考なまでに、リスク要因も挙げておきます。「大数の法則」に基づいた運営は、通常時において安定した収益をもたらしてくれますが、「大数の法則」が破られるアクシデント(カジノの場合はプロ集団に狙われるとか、保険会社の場合は大規模な地震やテロが発生するとか)に見舞われる可能性が常にあるということです。今回はカジノ側の運営上のリスクではないので、こちらについてはこれ以上は深入りしませんが、平均的なプレーヤーがなぜ損をするかについての話題ですので、その理由の一つが「大数の法則」という、カジノ側の確率論的な有利さにあるということをまず指摘しました。2.ハウスマネー効果しかし、カジノ側が儲かっている理由は、上記に示した「確率論上の問題」だけではありません。人間心理面から見た落とし穴も存在します。もし、人間心理面から見た落とし穴が頑健であれば、たとえ確率論的にカジノ側とプレーヤー側が五分五分であっても、それでもなおカジノ側が勝つことが出来るということが出来ます。人間心理面での落とし穴は、認知心理学の領域でさまざまな研究がなされていますが、今回はいわゆる「ハウスマネー効果」について取り上げたいと思います。************ある新婚夫婦の話。新婚旅行でラスベガスのホテルに泊まっていたところ、新郎がホテル内のタンスから偶然5ドルを見つけた。その近くに17という数字があったので、何かの暗示だと思って、それをもってカジノに向かった。ルーレット台に座り、「17」の目に5ドルのチップを置いたところそれが当たって、5ドルは36倍の180ドルになった。同じことを4回繰り返しているうちに、最初の5ドルは839万ドルに膨らんだ。これを見て、カジノのマネージャーが「これ以上賭けると破産するので止めてくれ」という話になったので、渋々別のカジノに行った。そこでも17に賭けた。当たると3億ドル以上だが、無情にも18に止まり全てを失った。すごすごとホテルに帰る新郎。ホテルで待っている新婦に「どうだった?」と尋ねられたところ、新郎は「ルーレットで5ドル損しただけだった。」といった。************これは、「賢いはずのあなたがなぜお金で失敗するのか?」(日本経済新聞社)の24ページから引用したもので、上記の例は「あぶく銭は本当のお金ではないと多くの人は考えがちである」ことを示唆したものです。本書では、これを「心の会計」として紹介されています。心の会計では「人間はお金に色を付けがちであり、必ずしも合理的でない形でお金を管理しがちである」ことを主張しています。我々にも思い当たる様々な事例が載っているので、詳細は実際に本を読んでみることをおススメします。株式投資を「半丁博打」と考えて、さらに、稼いだお金を「あぶく銭」と捕らえているうちは、多くのラスベガスプレーヤーと同様、「株式市場でのカモ」であり続けることは間違いありません。もしこうした傾向について、自分に思い当たるフシがあるならば、「投資手法の研究」云々よりもまずはそちらを直すことから始めるべきです。今日の言葉:「例えあぶく銭であっても、働いて稼いだお金と考えるようになれば、無駄遣いは大きく減るものである。」P.S.私はラスベガスには行ったことがないのですが、一攫千金ではなくアミューズメントとして一度は行ってみたいと考えています。あと、アメリカのネバダ大学には「カジノ学科」がありまして、そこでは確率論のほかに人間心理の勉強もできるそうです。面白そうー。
2005年09月25日
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日本の経営史に確実に残るであろうダイエーの創業者中内功さんがつい先日お亡くなりになりました。以下は、毎日新聞の記事の抜粋です。***************************(記事より抜粋)戦後、創業から15年でダイエーを日本一の小売業に育て上げ、カリスマ経営者と呼ばれた中内功さんが19日、波乱の生涯に幕を閉じた。過酷な戦争体験をバネに、安売り哲学による「流通革命」に挑戦し続け、日本の流通構造に風穴を開けた。しかし、バブル経済の崩壊と阪神大震災の直撃で迷走。さらに、消費者の嗜好の変化を見抜けず、中内さんは経営の一線から追われた。栄光と挫折の83年間だった。***************************私の生まれである関西(神戸)が創業の地であることや、東京に移り住んだ今でも近くに店舗があることから、昔も今も非常に身近な存在でした。いち消費者として「この品揃えの悪さなんとかならんのかなあ」と思うことはしばしばありましたが、時代に先駆けて「安くて便利」を作り出したのは他ならぬダイエーであったことは間違いないと思います。そんなダイエーですから、経営スタイルとしても、プラス面・マイナス面の両方から話題に事欠きませんでした。ここからは、後付け評論家的な話になってしまいますが、今にして思えば、ダイエーは高度成長時代の申し子だったように思います。すなわち、「右肩上がりの経済を前提とした経営」の典型だったと思います。「過大な借入金」「売上主義」「土地神話」「事業の多角化」・・・想定していたとおりに成長をしていればこれらはうまく回りますが、バブル崩壊後これらの戦略が裏目に出たことに加え、消費者の嗜好が変わってきたことに対して迅速な対応策を打つことが出来なかったことが、創業時の発展(そして、その後の凋落)の大きな要因だったと思います。そんなわけで、ここ10年程度はマイナス面ばかりでしたが、かつては流通構造を大きく変えて小売業全体の地位を高め、小売業に属する企業が優秀な人材を集められるようになったという功績は非常に大きいと思います。また、バブル崩壊後から今まで、全国区のスーパーではイトーヨーカドーやイオンがダイエーの凋落を尻目に業績を伸ばしていきましたが、それもダイエーという「経営の教科書」があり、その良い部分と悪い部分の両面を実践を通じて学習できたからこそではないかと思います。また、ダイエーの件では、経営者としての「意思決定の難しさ」や「引き際の難しさ」も学ぶことが出来ます。株式投資でも企業経営でもそうですが、「後付けであれば」誰にでも講釈ができるんです。問題は「そのとき何が最適であるか?」をリアルタイムで考えることです。これは評論家タイプの人間には絶対に出来ません。例えば、「過大な借り入れをすべきでなかった」という類の評論は後付けであればいくらでも言えるんです。その当時の経営者の判断として「借り入れをしてでも積極的に店舗展開をすることが最適な戦略であった」と判断したからそうしたはずです。結果は、裏目に出ましたが・・・。そんなわけで、控えめに見ても、ダイエー(そして、中内功さん)については、良い面も悪い面も両方がいっぺんに勉強できる「最良の経営学の教科書の一つ」になるのではないかというのが私の評価であり、晩年に見られた「ダメ経営者」としての烙印を押すだけでは、あまりにも不当な評価であると私は思います。最後に。中内さんのご冥福をお祈りいたします。今日の言葉:「消費者が見えなくなった」(晩年の中内功さんの言葉)P.S.ダイエーの変遷はプロ野球からも見ることが出来ます。今や「ソフトバンクホークス」ですから、「時代は変わるんだなあ」と感じることが出来ます。
2005年09月21日
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前回の基礎的な話を踏まえてPBRによるバリュエーションをどのように考えているかについて述べたいと思います。まずは、「事業の清算」という側面から見たPBRです。バリュエーションの側面から論じるまでもなく、事業を即座に清算する場合の理論的なPBRは1です。以前にも述べましたが、PBRが1倍割れとなる理由は以下の3つのいずれかです。(1)保有資産の質に問題がある場合(2)経営陣の質に問題がある場合(3)市場参加者の質に問題がある場合今回はバリュエーションに関する話なので、(1)と(2)だけを議論の対象としています。現行の会計制度下での貸借対照表は、勘定科目の各数値が必ずしもその企業の財産状態を正確に表しているとは限らないので、実質的な価値を別途見積もらなければなりません。さらに、その清算価値は事業の清算にかかる諸々のコストも勘案した保守的な値とすべきです。そのようにして算出された清算価値は「今すぐに事業を清算すれば」株主が得られると期待できる金額ですから、株式時価総額がそれを下回っていれば、一応お買い得であるという結論を出すことは出来ます。しかし、現実にはごく一部の例外を除けばどんな企業も事業を継続することを前提としております。となると、事業が清算されることを期待してこのような企業の株式を買うことは現実味が薄いという側面もまた存在します。実際のところ、「事業の清算」という概念をバリュエーションに反映させる場合、「将来の収益性が殆どゼロの企業」に限定してよいのではないかと思います。このような収益性のない企業は、株主利益的には事業を清算すべきだからです。しかし、実際にはこれらの企業でさえ株主利益的な側面以外の理由で事業を継続しています。この「事業を清算しない」という現実的な問題がPBR1倍割れの銘柄を出している一つの要因であるともいえます。こちらは、経営陣の質の問題となります。上記をまとめると、「事業の清算」という前提でPBRによるバリュエーションをする場合、以下がポイントになります。*その企業が保有している資産を実質的な財産価値に換算して実質的なPBRを算出して、計算上の「お買い得度」をチェックする*基本的に、清算価値は将来の収益性がほとんど期待できない企業にのみ適用し、将来の収益性が期待できる企業であれば、その収益も勘案したバリュエーションが行うべきである*「事業の清算」を前提とした清算価値を計算したとしても、現実には「事業の継続」と「経営陣の質」という問題が立ちはだかっており、清算価値と株価のギャップが簡単に埋まらないリスクもあるPBRのもう一つの極端なケースを考えたいと思います。すなわち、事業を「永久に」継続するというケースです。定率成長モデルを前提とした場合、PBR=ROE÷(R-G)となっており、「理論上のPBRは、ROE(株主資本利益率)と割引率と利益成長率で決まる」となります。やや厳密性に欠ける部分もありますが、上記の3つの変数は以下のように特徴づけることが出来ます。*ROE(株主資本利益率)・・・経営陣の資本政策の質*割引率・・・その企業が行っている事業リスクの高さ*利益成長率・・・その企業が行っている事業の潜在的な拡大余地事業を永久に継続することを前提する場合、PBRには「資産の価値」という概念がなくなり、その代わりに「将来の収益性」と「その不確実性」を決定する3つの変数が重要だということになります。ウオーレン・バフェットが行う投資手法において、良質な経営陣が不可欠であると認識し、不確実性の低い分かりやすい事業にだけ手を出して、消費者独占の体制が整っている企業を好むという条件がここには全て含まれています。これらは将来の収益性をベースとしたバリュエーションですから、定量的な分析が当てはまりにくいという側面は必ず存在するので、どうしても個別企業ベースでの分析が不可欠になります。競争相手や取引先に対して優位性を持っているかどうかの分析も不可欠になります。「事業の清算」と「事業の永続」という、2つの極端なケースからバリュエーションの本質に迫ってみましたが、現実の企業は殆どはその中間にあると言えます。*グレアムは言います「経営陣の質や将来の収益予測は当てにならないものである。ましてや、収益のトレンドをベースとした投資は危険である。」*バフェットは言います「極めて稀ではあるが、優れた経営陣・優れた事業素質・潜在的な市場拡大余地を持った企業を適正以下の価格で買うことで、大きな成果を得ることができる。」上記の2つの主張は必ずしも対立しているわけではありませんが、「将来予測に大きく依存しないこと」と「可能な場合に限り将来性に賭けること」という点に投資スタンスの違いが現れています。それぞれの投資家がどちらを支持するかという点に関してですが、これは「追求する投資リターン」と「熟練の度合い」に大きく依存するものであると思います。ただ、将来の収益性を予測するのはごく一部の例外的なケースを除けば非常に難しいというのは事実です。私のポートフォリオの大部分が「資産系」に寄っているのも、どちらかと言えば、グレアムの主張のほうが私にとっては分かりやすいと感じているからです。しかも、今の日本の株式市場であれば、年率20%程度であれば、資産系に特化しても十分に達成できる数字だと思います。成長系を目指すのであればそれ以上は欲しいところです。少なくとも、下手クソが出来もしない成長株を分析するよりは、リスク/リターンの特性に合っています。成長株投資を志しているものの、投資成果が今ひとつパッとしないならば、「事業の清算」という立場に限りなく近いPBRを利用した投資の意思決定をおススメします。「事業の永続」という立場に限りなく近いPBRを利用した意思決定をするのはその後だと思います。あのDAIBOUCHOUさんでさえ、最初は「低PBR投資」から入っています。その後、「低PER投資」に移行し、最終的には「事業内容を見る投資」に移行しているのですから、その段階を踏まないでいきなり成長株投資というのは無謀の一言に尽きると思います。今日の言葉:「物事には何でも段階というものがある。基礎を踏まえないでいきなり応用に行こうとしても、それは絶対にうまくいかないだろう」
2005年09月18日
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ポピュラーな投資指標としてPER(株価収益率)とPBR(株価簿価倍率)がありますが、私はPERよりもPBRのほうが好きです。そのせいもあって、どうも私の得意な投資手法が「資産バリュー投資(企業が現在保有している純資産に注目した投資)」ということになっているようですので、その点について(皆様がなされている誤解や私自身の反省も含めて)改めて考えてみたいと思います。そのためには、バリュエーション(企業評価)において資産と収益(もしくは、成長)がどのような形で加味されるべきなのかを復習しておかなければならないと思います。以前から散々述べていますが、ある投資案件の価値とは、その投資案件の全存続期間から得られる収益を現在の価値に引き直したものです。すなわち、価値をV、収益をE(i)、割引率をR、存続期間をN、事業の清算時に得られる純資産をB(N)としたとき、V=E(1)÷(1+R)+E(2)÷(1+R)^2+・・・+[E(N)+B(N)]÷(1+R)^Nとなります。そして、厄介なことに、上記におけるパラメータを正確に推定することは困難であるということです。ただ、正確に推定することが困難であっても、自分なりにいくつかの仮定を置くことで価値を算定し、その仮定の妥当性を検証することが重要であるのは言うまでもありません。まず、議論の出発点となる、極端であるがバリュエーションの本質に迫ることができる2つのケースを考えてみたいと思います。(1)今すぐに事業を清算する場合(N=0の場合)将来の収益性を全く加味しない場合の価値ですから、V=B(0)となります。(2)企業の存続期間が永久で利益成長率を一定と仮定した場合以前に述べた定率成長モデルですから、V=E(1)÷(R-G)となります。ただし、Gは利益成長率です。上記の2つのバリュエーションをPBRで基準化する(両辺を現在の株主資本簿価B(0)で割る)と以下のようになります。(1)今すぐに事業を清算する場合PBR=1(2)企業の存続期間が永久で利益成長率を一定と仮定した場合PBR=ROE÷(R-G)(1)が示唆すること今すぐに事業を清算すると仮定した場合、PBR1倍割れはお買い得である。問題となるのは貸借対照表内に記載されている資産の質である。(2)が示唆すること企業が永久に事業を継続する場合、PBRで見たバリュエーションの妥当性はROE(経営陣の質や資本政策の質)と割引率(事業リスクの高さや不確実性)と利益成長率(潜在的な市場の伸び率や企業の拡大余地)で決まる。したがって、これらを把握するためにはビジネスモデルを良く見ることで割安か否かを判断する必要がある。現実には、今すぐに事業を清算する(N=0)こともなければ、企業の存続期間が永久である(N=∞)こともありませんので、この点についてはよろしく修正した上でバリュエーションを考えなければなりません。私がPBRをベースにバリュエーションの一元管理する場合、まず(1)を出発点として価値を算定し、次に事業の継続性を勘案して(2)にどれだけ近づけるかを考えます。バリュー投資では安全域を考えなければならないので、分析対象としている企業の将来性に疑問があったり、あるいは、自分自身がその企業の将来性を見抜く素質がなければ、バリュエーションは限りなく(1)に近いものにすべきだと思いますし、逆の場合は(2)に近づけても良いということになります。しかし、殆どの株式投資本において「PBRは事業を清算することを前提とした指標である」という類の記述しか見かけません。初心者向けということで分かりやすさを優先している背景があるかもしれませんが、PERよりもPBRのほうが好きな私にとっては、これを非常に不満に思っております。また、誰がいつそう決めたのかは分かりませんが、バリュー投資において「資産バリュー派」と「収益バリュー派(成長株派含む)」を分ける風潮が出てきたようです。かくいう私も便宜上、そうした使い方をしていたことがあり、この点に関しては素直に反省しているのですが、上記におけるバリュエーションの論理を考えると、資産と収益(そして、成長)は価値算定において切っても切り離せないものであることがよく分かります。「資産バリュー派」と自負している人の中には、「PBR0.5倍割れを目安としている」とか「ネット・ネット株(グレアム流の清算価値を満たす銘柄)を探すことに血眼になっている」という人もいますが、私の場合、「全ての企業に対して一律のPBRやネット・ネット株の基準を適用する」というような「杓子定規的な投資判断」はしていません。そうした清算価値を算出するのは分析上の出発点であり、そこがゴールではないということをここでは述べておきたいと思います。それでは、「現実に私のポートフォリオが資産寄りになっているのは何故か?」についてですが、その理由は次回に述べたいと思います。ただ、決して「資産価値をベースにスクリーニングをした結果そうなった」という理由でないとだけは述べておきます。今日の言葉:「価値を算出する場合、将来の不確実性をよく判断できないならば、現在だけを見るべきである。それこそが保守的な投資である。」
2005年09月14日
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前回が「資本主義教育」についての話だったので、さらにジャンルを広げて「英才教育」全般について私が思うことを書いてみたいと思います。世の中には様々なジャンルですごい人がいて、各ジャンルのトップクラスに君臨している人を見ると、その能力や専門性の高さはさることながら、今まで行ってきた地道な努力にも驚かされます。特に、スポーツや芸術の分野はすごいですね。「3歳のときから始めました」とか「親がやっていたので、自分もそれをやるのが普通だと思っていました」とか、一部の例外はありますが、そのようなコメントが普通に出てきますからね。まあ、競争の激しいジャンルでは、このような小さい頃からの英才教育を経て初めてトップクラスに君臨することが出来るんだと言えなくもないですが、凡人出身の私なんぞは「親はともかく、それを強要される子供の本心はどうなんでしょう?」と考えてしまいます。前回の日記で述べた「お受験なんぞ馬鹿馬鹿しい」という個人的見解も、「つぎ込んだ資金や時間や労力の割に合わない」というのはさることながら、根本的にはそうした背景があるからです。すなわち、「単なる親のエゴではないか!」と。子供というのは小さい頃には自由にやらせて、ある程度の人生経験を経てから「(親が引いたレールではなく)自分自身で人生を決めさせる」というのがよろしいのではないかと思ったりします。仮に、何らかの英才教育をさせるとします。競争が激しいジャンルでの英才教育は「モノにならない」というリスクが高いことがまず挙げられますので、もしその手の英才教育をやらせるなら、競争の少ないマイナーなジャンルのほうがリスクも小さいと思います。あと、「そのジャンルを極めたとして、それでメシを食っていけるか?」という、大人になった際には否応なく考えなければならない問題もあります。そういう意味では、「競争が少なく、かつ、メシも食っていける」という類のジャンルがいいかもしれません。さらに、先天的な要素は不要で、後天的な要素だけで成功できるジャンルのほうが理想だと思います。つまり、「3歳から始めないと間に合わない」というようなジャンルはリスクが高いと思いますし、それを子供に強要するのは可愛そうな気もします。それらを勘案した場合、「どのジャンルがいいか?」ということを私なりに考えたときに、これはもう「株式投資以上のものはない」という結論になります。(1)競争標準教育課程においてまともな資本主義教育がなされていないので、競争相手が少ない。(2)報酬結果がお金の増減にダイレクトに跳ね返ってくるので、成功すれば間違いなく食っていける(3)能力*「生まれつきのセンス」「親の能力」「家庭の生活水準」といった先天的な要素は殆ど関係なく、「自ら勉強しようという心がまえ」と「それを邪魔する生活習慣の見直し」という後天的な要素だけで十分に対応できる*特に高い専門性や技術を要するものではなく、最低限必要な知識をある程度身につけた後は「如何に自分をコントロールすることができるか?」にかかっている(4)機会「(ずば抜けた金持ちでなくても)ある程度の資金さえあれば誰にでも始められる」「書店・図書館・インターネットという誰でもアクセス可能な情報ソースを利用することで勉強する機会がある」という意味では、機会平等であるし、成功するかどうかに肩書きなども一切関係ない(5)時間専業投資家を目指すということでもなければ、違うジャンルと同時並行が出来るだけの時間の余裕はあるので、自分の趣味や本業が株式投資でなくもトップクラスになるのは可能である最後の「時間」のところにも書いたように、「やりたいことを自由にやらせるための手段」(時間的余裕・資金的余裕の獲得手段)として、株式投資を教えるのもいいかもしれません。それだけでも高い効用があると思います。もっとも、そのためには、親自身も勉強しなければならないですが。今日の言葉:「株式投資は、競争相手が少なく普通に勉強することでトップクラスになれる可能性がある数少ないジャンルである」P.S.またまた子供がいない私が空想で書いてしまいました。「将来は大成する子供になって欲しい」という親の願いはあるのでしょうけど、「やりたいことを自由にやらせる」ということでいいのではないでしょうか?「やりたいことを自由にやらせる」に関しては、生まれてきたばかりの時には親はみなそう考えているはずなのに、子供が大きくなるにつれて、親自身が子供の可能性に制約をかけているような気がします。
2005年09月11日
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今日は、まず私事を取り上げて、その後で本題に入りたいと思います。今、「往復の通勤電車」と「家に帰ってから余裕があるとき」は会計の勉強をしています。当面の目標として想定している知識レベルは「会計士に受かるくらいのレベル」を考えています。もっとも、私としましては、「会計の勉強」と「株式投資で収益を上げること」をリンクさせることが肝心だと考えていますので、勉強するに当たってもその視点だけを常に意識した上でやっていきたいと考えています。そういう意味では、多くの会計士の卵が目指すであろういわゆる「監査業務(監査法人への就職)」には興味がないということになります。まあ、監査業務という「実務経験」を踏まえた上で企業を見る眼が養えるという効用があるのは間違いないのでしょうけど、株式投資で勝つためにはそれ以外にもやらなければならないことは山ほどありますので。そんなわけで目標だけは大きく掲げてはいるのですが、とりあえず基礎固めをしなければ何も始まらないということで、今は簿記1級からやっています。(簿記2級相当の勉強は既にやっていますので。)脱線気味ですが、そろそろ本題に移りたいと思います。会計の勉強は投資家のみならず、学校教育の場でも積極的に取り入れるべきだと私は思います。会計のみならず、法律・経営についても何かしらで勉強する機会が今の日本には少なすぎると感じます。私は、高校が普通科でしたし、大学・大学院も理科系でしたので、そのような勉強は殆ど無縁でした。唯一やったものといえば、大学2年のときに選択科目として選択した「簿記」「経営学」だけです。内容は3級と2級の間くらいのものでした。一方で、商業高校(あるいは、商業科)では簿記が授業としてありますから、卒業時に簿記2級や簿記1級を試験として受けるというのは普通のことです。実際に勉強するかどうかは本人の問題もあるかとは思いますが、商業高校(あるいは、商業科)の人間のほうが資本主義に近い勉強をしていることになります。株式投資をやることになったのが学校教育を受けた後だったので致し方ない部分はありますが、それにしても今にしてみれば勿体無いと感じています。金持ち父さんがいうところの右側のクワドラント、すなわち、資本主義の支配者になりたいということであれば、高校の選択に関しては商業高校(あるいは、商業科)のほうが良いことになると私は思います。それにしても、「資本主義教育を義務化する」という話は全くといっていいほど出てきませんね。「天然資源が少ない」「少子高齢化時代が到来する」「財政負担が重い」などの事情を勘案すると、日本は投資立国にならなければならないと思うのですが、やはり、お上としては「雇われ人」という「コントロールしやすい人たち」を量産したいのでしょう。ついでに「お受験」の話もするならば、親バカ(バカ親と言ったほうがいいかもしれない)が、子供に幼稚園(もしくは、小学校・中学校)から私立の進学校や付属学校に行かせて、いい大学に行かせて、いい会社に行かせて、そこで安定した給料を得ることが勝ち組だと考えているのが現状です。資本主義の世界で生きている以上、「雇われ人」が勝ち組だとは思えないですし、もうそんな安定が通用する時代でもないですから、「差別化」を図るのであれば、高校については下手な進学校よりも商業高校(商業科)に行かせたほうがいいんじゃないかと思います。「お受験路線」を突き進んだところで、つぎ込んだ金の割にモノになるかどうかも分からないし、仮に当初目論んでいた学歴を獲得したとしても、決められたレールしか歩けない「弱ちゃんな子供」になる可能性も考えると、そのほうがいいと思います。今日の言葉:「資本主義の世界で生きていける逞しい子供に育てるなら、商業学校へ」P.S.なんだか訳の分からない日記になってしまいました。子供がまだいないのにこんな日記を書くのもなんですが、まあ、私はお受験なんてバカらしいと思っているということです。ちなみに、私は「お受験」はしてませんよ。かといって、商業学校の回し者でもありませんが。うーん。「お受験ファミリー」からクレームが続出しそうです。一応、ここは「投資日記」ですから、それだけはご勘弁ください。(というより、そういうクレームは無条件で削除しますので。)
2005年09月07日
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私は去年の9月1日にこの日記を始めたので、1周年となります。時間の経過は早いなあというのが正直な感想です。これまでの(失敗や成功も含めての)投資の経験、および、投資に関連する本やサイトを見るにつれて「疑うことと信じることの大切さ」を感じるようになってきています。「疑うこと」と「信じること」は、正反対の概念のように映るかもしれませんが、ここで言いたいのは以下のことです。(この概念は、福沢諭吉著「学問のススメ」に基づいたものです。)*疑うこと「公表されている情報や公表されていない噂を何も考えずに鵜呑みにするのは危険である。どんな情報でも一度は疑ってみて自分で裏を取ってよく確認した上で行動することが大切である。」*信じること「かといって疑っているだけでは話にならない。全てを否定的に捕らえすぎて自らの可能性に制限を加えてしまい、最初の一歩すら踏み出せないからである。」このようなスタンスは投資の世界に限らず普通に生きていく上でも必要なものだとは思いますが、特に投資の世界ではそれがリターン(もしくは、資産額)という目に見える形で如実に現れますから、ごまかしが効かない世界だと思います。時事ネタや身近な事例などを挙げたいと思います。1.「疑うこと」に関する素養がない人*利殖商法長期金利が1.5%という今のご時勢、「確定利回り10%」という広告に踊らされて、「利回り10%を確保できるための方法は何か?」という裏を取らず、単なる「欲ボケ」でお金を預けてしまう人が後を絶ちません。有名人も引っ掛かることから、ワイドショーでも時折話題になります。*銘柄推奨雑誌・新聞・インターネットなどメディアで日常茶飯のように取り沙汰されている「この銘柄が買いだ」という類に情報に飛びついて衝動的に買ってしまうというのはありがちな話です。*投資理論単なる仮説に過ぎないものをあたかも実証的裏づけがあるかのように理論として紹介していることがままあります。社会科学には理論の背景となる前提条件が必ず存在します。また、自分にとって都合の良いデータだけを集めて説明していることもあります。*公開情報と噂企業自らが公表するファンダメンタル情報(財務データや事業展開に関する見通し)についても、本来であれば裏を取るべき対象だと思います。「悪質な会計操作をしていないか」「見通しが楽観的過ぎでないか」を確認した上で、企業を見る必要があります。ましてや、YAHOO掲示板などにある噂や希望的観測の域を出ないような書き込みを鵜呑みにすることは厳に慎むべきだと思います。2.「信じること」に関する素養がない人*宝くじサラリーマンの生涯賃金(1億円から3億円くらい)以上の金額を(定年後ではなく)現役時代に手にするためには、「宝くじで当たるしかない」と考えて、それ以外の可能性はないと自分で決め付けている人が私の周りにも驚くほど存在します。少しでも自分の可能性を信じてそれに向けて行動を起こせば、他力本願な人生にならずに済むのにと思うのは私だけでしょうか?*複利の力長期にわたる資産形成を成功させるために必要なのは「複利の力」だと思います。これは「継続の力」だとも思います。「30歳で貯蓄が一円もない人が来年から100万円ずつ貯めて年率20%で運用すると47歳で1億円になる」と話しても、「そんなことは出来るはずがない」と、大抵は頭ごなしに否定されてしまいます。複利の力を実践することの難しさは、能力の問題ではなく、むしろ、生活習慣の問題だと思います。*常識的な視点株式投資で成功するための秘訣が、実は常識的な視点にあることに気づいていない人が多いことも分かります。多くの人が「成功するためには何か特別なことをしなければならない」と考えてしまうのかもしれません。しかし、本当は「株式投資で成功するための可能性は本来誰にでもある。ただし、それをうまく活かせるかどうかは本人次第である。」というのが正しいと思います。あえて難点を挙げるとすれば、「株式投資で成功するための論理とは対極的な非常識がまかり通りすぎていて、常識的視点とは何かを知る機会が少ない」という点だと思います。今日の言葉:「もし、投資で思っていたほどに成果が出ていなかったり、投資の必要性を感じながらも最初の一歩を踏み出せていないならば、それは疑うことか信じることのどちらかの素養が欠けているのかもしれないと自問自答すべきである。お金を失い続けているならばなおさらである。」
2005年09月04日
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