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富士山まだ初冠雪ならず 過去130年間で最も遅い記録を更新 11月に持ち越しは初今シーズンは未だに富士山の初冠雪の便りが届いていません。今日10月最終日、関東甲信地方は広く晴れて、池袋サンシャインからも富士山は良く見えていますが、山頂に雪化粧した姿は見られませんでした。富士山の初冠雪は、1894年の統計開始以来、過去130年間で最も遅く、初めて11月に持ち越しとなりそうです。今シーズンは未だに富士山の初冠雪の便りが届いていません。今日10月最終日、関東甲信地方は広く晴れて、池袋サンシャインからも富士山は良く見えていますが、山頂に雪化粧した姿は見られませんでした。富士山の初冠雪は、平年日が10月2日で、昨年は10月5日に観測されました。これまで最も遅い記録は、1955年と2016年の10月26日となっています。今年は1894年の統計開始以来、過去130年間で最も遅くなっており、富士山の初冠雪が11月に持ち越しになるのは初めてのことです。今年2024年の日本の夏の平均気温は、統計開始以来、2023年と並んで過去最高となりました。9月、10月も異例の暑さが長引き、富士山でも雨の降る条件はあっても山頂で雪にならない状態が続きました。この先は、明日11月1日夜から3日朝にかけて、関東甲信地方では広い範囲で雨が降り、まとまった雨になる所もあるでしょう。ただ、このタイミングでは、暖かい空気が流れ込むため、富士山でも雪ではなく雨になりそうです。その後は、6日明け方から昼ごろにかけては富士山付近でも一時的に降水となりそうです。寒気が流れ込み、山頂付近では雨から雪に変わるでしょう。7日は次第に晴れるため、7日朝は遅れている富士山の初冠雪が観測される可能性があります。---10月中に富士山が冠雪しない(11月1日の今日も冠雪はしていないはずです)とは、びっくりです。引用記事にあるように、初冠雪の平年値は10月2日ですが、早ければ8月に初冠雪を記録することもあります。2008年に8月9日に初冠雪を記録したのが、観測史上最も早い初冠雪です。現在は富士山頂の測候所は無人なので積雪量の観測はしていませんが、有人で積雪量の観測をしていた2003年以前の記録を見ると、年にもよりますが、11月1日もう根雪が付いている年が多かったようです。例えば1992年11月1日には、富士山頂の積雪量は既に52cm、2002年11月1日も27cmありました。そこから考えれば、11月1日までにまだ一度も積雪がない、というのは驚くべきことです。今年は全国各地で記録的猛暑であり、秋に入っても高温が続きましたが、富士山でも状況は同じ、ということが出来そうです。それにしても、気温の逓減率(100m高度が上がると気温は0.6度下がる)を考えれば、富士山頂は平地より22度も気温が低いわけです。それにもかかわらずまだ冠雪がない。明らかに異常気象ですし、温暖化の一局面であることは間違いないでしょう。このままいくと、冬山の時期に、各地の山にちゃんと雪が積もるかな、少々不安になってきます。
2024.11.01
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オイシックス会長が辞任 「放射能汚染水」投稿で食品宅配のオイシックス・ラ・大地は22日、藤田和芳会長が同日付で辞任したと発表した。Xの個人アカウントで、東京電力は福島第1原発の「放射能汚染水」を流し始めたという趣旨の投稿をしていた。会社側が不適切だとして3月末までの停職処分を決めたところ、藤田氏が辞任を申し出たという。高島宏平社長は藤田氏への監督責任を明確にするとして、3月末までの役員報酬の10%を自主返納する。オイシックスは、藤田氏の投稿が不必要な風評被害を引き起こす可能性があったとして、懲罰委員会を開催した。---社民・福島瑞穂党首、原発処理水を「汚染水」と引き続き表現「完全に除去されていない」「少量でも問題」社民党の福島瑞穂党首が24日、都内での党大会終了後に会見。福島第1原発の処理水海洋放出開始から半年が経ったことに触れ、同党が処理水を「汚染水」と表現する理由について持論を展開した。福島氏は「なぜ(処理水を)汚染水と言っているかというと、完全に除去されているという立証がされていません。完全に除去されていないわけですから、それはもう処理汚染水というか、放射性物質は少量でも問題。私たちは、タンクに貯蔵するとか、他の方法があるわけですから、海に放出することには反対です。ゼロではないわけですから。問題だと考えている」と述べた。記者団から「環境への影響、人体への影響は確認されていない」と問われると、福島氏は「この処理汚染水の問題は、極めて長期に渡ると思います。先日も、経済産業大臣が東電に対して申し入れを行いました」と、同原発の汚染水浄化装置から汚染水が漏れ出した事故を挙げた。~---どうやら、ALPSで処理されて海洋放出されている水のことを「汚染水」と呼ぶと非難が集中して、大臣を辞任したり企業の役職を辞任したり、弁明を求められるのが今の日本の状況のようです。しかし、ALPSで処理してもトリチウム水は除去できないことが分かっています。通常の水と化学的特性が同一なので、分離が不可能だからです。トリチウムはベータ線を放出します。ベータ線の透過力は非常に弱いので、紙一枚でも遮蔽することができ、外部被ばくの心配はほぼありません。しかし体内に取り込んでしまえば、内部被ばくを避けることはできません。そのトリチウム水を除去する術は、現在の技術ではありません。その水を、政府や電力会社が「処理水」と呼ぶのは勝手です。ALPSで「処理」をしたことは事実ですから、そう呼ぶことに根拠がない、とは言いません。しかし、「処理水」「汚染水」という呼称の法的、あるいは科学的、客観的な基準はありません。ALPSで処理してもトリチウム水は除去できていなのだから、その水を「汚染水」と呼ぶことは、少なくとも間違いであるとは私は思いません。例えば社会保険料を「税金」あるいは「税金と同じ」と称する人がいます。政府や自治体の公式見解とは違いますし、実際保険料は税金とは違いますが、だからと言って、社会保険料を「税金」と呼ぶことを非難する人はいません。そんなものは、表現の問題、価値観の問題に過ぎないからです。それが「汚染水」になった途端に青筋立てて怒り出す人が現れるのは不思議なことです。で、その「処理水」を海中に投棄するわけです。IAEAは、海中投棄について反対はしていないものの「推奨も支持もしない」と明言しています。わたし個人としては、トリチウム水が基準値をちょっとでも超えたら直ちに健康に重大な危険が生じる、とまでは思いません。しかし、漠然とした不安は感じます。その不安を「非科学的」となじる人は、物理化学分野の科学は知っていても、人間の心理という科学は知らない、ということでしょう。「汚染水」が政府や電力会社の言い分に対して真っ向から異を唱える言葉であることは間違いありません。しかし、この国では政府の決めた言葉に従わないだけで非難されるのでしょうか。だとすれば、それは言葉狩りとどこが違うのでしょうか?「汚染水」という言葉を撲滅すれば、トリチウム水が消滅するのでしょうか?コロナ流行期に、自粛警察、マスク警察※というのが流行りましたが、それが「汚染水」という言葉を標的にした「汚染水警察」になっただけです。ウザイったらありゃしない、というのが偽らざる思いです。※マスクについて、わたし自身は、コロナ禍当時マスクは必要だったと思っており、現在でも混雑した通勤電車や職場など、人の多い閉鎖空間ではマスクを着用しています。ただ、他人がマスクをしないことに目くじらはたてませんでした。自分がマスクをしていれば自分の身は守れるからです。間近で大声、咳、くしゃみを連発されたら別ですが。それに、屋外では、人混み以外はマスクをする必要は感じません。ところが、コロナ禍当時、屋外で、それも初夏から盛夏、マスクをすることが苦痛な時期に、決して人混みではない場所で、マスクをしていないことに文句を言われたことが何回かあります。こういうのがマスク警察なんだなと思いましたね。
2024.02.27
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「交付金では代えられぬ」 核ごみ調査を拒否、対馬市長が語った理由「核のごみ」(原発の使用済み核燃料から出る高レベル放射性廃棄物)の最終処分場をめぐり、長崎県対馬市の比田勝尚喜市長が国の選定プロセス「文献調査」を受け入れないと表明した。市議会と、その後に市役所で開いた記者会見での主な発言ややりとりは以下の通り。議会の請願採択を重く受け止めながらも、市民、対馬市の将来に向けて熟慮した結果、文献調査を受け入れないとの判断に至った。市民の合意形成が不十分だ。受け入れの是非について市民の分断が起こっており、市民の合意形成が十分でない。2点目が、風評被害への懸念だ。観光業、水産業などへ風評被害が少なからず発生すると考えられる。特に観光業は、韓国人観光客の減少など大きな影響を受ける恐れもある。3点目に、文献調査だけ実施する考えには至らなかった。調査結果によっては次の段階に進むことも想定され、受け入れた以上、適地でありながら、次の段階に進まないという考えには至らない。4点目に、市民に理解を求めるまでの計画、条件、情報がそろっていなかった。技術的な面や最終処分の方法、安全性の担保など将来的に検討すべき事項も多く、人的影響などについて安全だと理解を求めるのは非常に難しい。~――風評被害の懸念とは。対馬でも福島第一原発事故で韓国との水産物が取引禁止になり、韓国からの大勢の観光客が突然少なくなった。対馬の水揚げ高は168億円。10%でも16億円ぐらいの被害が出る。観光業でも消費効果額が180億円を超えている時もあったので、大きな被害が出る恐れがある。---よく知られているように、日本の原発は「トイレのないマンション」つまり発生する高レベル廃棄物を最終的にどこに保管するかが決まっていない状態です。現在青森県の六ケ所村に高レベル廃棄物の貯蔵施設がありますが、多くの核関連施設を受け入れている六ケ所村も、最終処分場だけは拒否の姿勢です。日本は、実質的に高速増殖炉がとん挫しているにも関わらいず、いまだに使用済み核燃料の再処理による核燃料サイクルというお題目を掲げ続けています。その理由はいくつかあるでしょうが、その一つには、「核燃料サイクル」を掲げている限りは使用済み核燃料は「資源」ということにできますが、核燃料サイクルを放棄した瞬間に、それはタダのゴミとなる、という事実があります。そうすると、六ケ所村の貯蔵施設は、それが廃棄物ではない、という建前があるから貯蔵しているけれど、廃棄物となったら「高レベル廃棄物をどこに保管する」という難問が待ったなしに突き付けられるわけです。そんなのは単なる先送りに過ぎない話ではありますが。ともかく、いくら先送りにしても、最後にはもう再処理できない高レベル廃棄物が残る、そしてその最終処分場は未決定である、というのが歴然たる事実です。そこで政府は20億円というニンジンをぶら下げて、全国に最終処分場を受け入れる自治体を探しているわけです、対馬市は、市議会がそれを受け入れそうになったけれど、市長がNoと言った、というわけです。当然の判断であろうと思います。この市長は自公推薦の基本的には保守系の政治家ですが、この件に関しては極めて真っ当な判断を下したなと思います。市議会が請願を採択したといっても、10対8の僅差での採択ですから、それが「絶対的民意」とはいえないわけです。仮に何の事故もなかったとしても、高レベル廃棄物の最終処分場は、広大な面積を要します。直径43cm、長さ134cm、重さ500kgというガラス固化体に換算して数万本分の高レベル廃棄物が既に日本には溜まっているのですから。それを地下300m以下(法律上の最低ライン)、じっさいにはおそらくもっと深い地下に貯蔵すると言っても、その地上部分には広大な処分場の立ち入り禁止区域と、ものものしい警備がついて回ます。日本中にいろいろな観光地がある中で、わざわざそんな物々しい場所にやってくる観光客がどれだけいるか、という問題です。どう考えても、観光業には大きな打撃があることは明らかです。それを、徐々に放射線量は減衰するものの、少なくとも1000年以上、実際にはおそらく数万年も続けなければならないのです。20億円は大金ですが、対馬市の人口約3万人で割れば一人当たりでは6万数千円に過ぎません。それでどんな施設が作れるかは知りませんが、ひとたび観光業や水産業に影響が生じれば、とうてい20億円でカバーできるようなものではありません。また、何の事故もないかどうかすら、実のところ判然とはしません。海外には高レベル廃棄物の最終処分場が決まっている国もありますが、それはすべて大陸(米国とユーラシア大陸の各国)に属する国であり、極めて強固な岩盤の地下に処分場を置いています。ヨーロッパ諸国など、例えばトンネルや地下鉄の壁をコンクリートで固めず、掘りっぱなしの岩むき出し状態で使っている場所が少なからずあるくらい、強固な岩盤の土地がゴロゴロあります。翻って日本において、掘りっぱなしの岩むき出しの状態で維持可能にトンネルなど、果たしてあるでしょうか。地質図を見れば、ヨーロッパではスカンジナビア半島、スコットランド、フランス北西部など、北米ではアパラチア山脈付近などに、先カンブリア紀の地層が広がっています。しかし、日本では、現在発見されているもっとも古い地層が5億3300万年前のカンブリア紀のもの(茨城県日立市から常陸太田市にかけて)であり、先カンブリア紀(5億4100万年前以前)の地層は未発見です。古生代の地層すら、日本ではそう多くはありません。ちなみに、対馬の地質の大部分は第三紀層、始新世のものということです。つまり、古くても5000万年前です。5億年前と5000万年前、古さが一桁違います。地盤の強固さにおいて、大陸に比肩できるような場所は、日本にはほぼないのです。何しろ大陸は太古の昔から大陸だったのに対して、島国である日本は、太古の昔には大部分が海の中だったので、地質条件の差はどうにもなりません。それに、日本は地震国です。東海-東南海-南海トラフの超巨大地震は、歴史上90年から140年くらいの周期で起こってきました。東日本大震災は1933年昭和三陸沖地震、1896年明治三陸沖地震、あるいは869年貞観地震以来の規模ともいわれます。いずれにしても、一人の人間の生涯においては、一度遭遇するとがあるかないかという頻度の超巨大地震ですが、1000年なら何回も、数万年なら何十回も遭遇することになります。それに対して本当に安全と言えますか?神ならぬ人間の作った構造物で、1000年の安全性を保障できるものなど存在しない、と私は思います。ましてや数万年など論外です。そもそも、現代文明自体が数万年も存続できる可能性はない、と思われます。強固な岩盤で今後数万年程度なら地震も起こらない(数万年という時間は、人間にとっての時間の尺度では永遠と同義語ですが、地球の歴史においては一瞬に過ぎません)場所と、強固ならざる地盤と地震の頻発する土地に、いかに人間が技術の粋を集めて作った構造物を作ろうと、その安全性安定性は、到底比較になどならないのです。というわけで、日本で高レベル廃棄物の地層処分を危険なく行える場所などほとんどないし、それにもかかわらず莫大に高レベル廃棄物を抱え、さらに増やす続けるようなエネルギー政策は、某国の途と言わざるを得ません。
2023.09.30
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「足を引っ張ろうとしている」維新が処理水放出反対勢力を批判~維新の馬場代表は30日午後に行われた党役員会で挨拶し、~中国の原発から放出される放射性物質の濃度は、福島よりはるかに高いとのデータを示しながら、「『科学的』以前の問題で、数字を見れば一目瞭然。我々としても堂々と、処理水の放出については応援していく」と述べた。同時に、東京または福島で、風評被害の防止に役立つようなイベントができないか、党内で検討を指示したことを明らかにした。その後、維新の藤田幹事長も定例会見を開き、「様々な論点と思惑の中で反対表明されたり、言い方を悪く言うと、足を引っ張ろうとする勢力があるんだろう」と述べた。民間人の意見表明は自由としつつも、「責任ある政治に関わる議員は、非科学的なフェアじゃない態度で不安をあおるようなことはあってはならない。そういう議員を私は軽蔑する」と切り捨てた。~---汚染水(処理水)の放出に反対することが「足を引っ張る」勢力だというなら、私は喜んで「足を引っ張る勢力」の汚名を着ましょう。記事からは「何の」足を引っ張るかは明示されていませんが、私は確かに維新が進めたいと思う政治の足を可能な限り引っ張りたいと思っている勢力の端くれであることはまったく否定しませんから。一連の経緯の中で、中国から個人の電話に対して嫌がらせ電話が掛けられているという報道があり、事実なら、それは許されないことです。でも、そのことと、汚染水放出の妥当性は別の問題です。経済産業省は「IAEAがALPS処理水海洋放出の安全性を確認」したと言っていますが、実際には、IAEAの報告書は「処理水の放出は日本政府による決定であり、この報告書はその方針を推奨するものでも、支持するものでもない」と書かれています。ありていに言えば、ダメとは言わないがよいことではない、という程度の消極的な承認に過ぎません。錦の御旗として掲げられるほど強固な「お墨付き」ではないことには留意すべきです。そもそも、問題の本質は必ずしもトリチウム水ではありません。汚染水の放出に反対する中国に対して、「中国の原発からの温排水(排出される冷却水)の方が今回の『処理水』よりトリチウムの量が多いではないか」という指摘があります。一見もっともらしいのですが、それを言うなら、従前日本の他の(事故を起こしていない)原発から排出されてきた温排水にも、多量のトリチウムが含まれていました。しかし、それについて中国が従前クレームをつけて来たかというと、そんなことはありません(ただし、日本国内の反原発団体は、従前より原発からの温排水についても問題視してきました)。事故を起こしていない原発からの温排水放出にはノークレームなのになぜ福島第一原発の汚染水だけクレームをつけるのか、それは、汚染水が単なる温排水ではなく、炉心の死の灰が流れ出した水だからです。ありていに言って、汚染水から本当にトリチウム水以外の核種が本当に除去されているかどうか、少なからず疑念があるからです。ALPSによる「処理水」から、他の放射性核種が少なからず検出されたことが報じられたのは、2018年のことです。そのことを、東電は(政府も)すっぱ抜かれて隠し切れなくなるまで黙っていたのです。一度隠ぺいをした組織は(いや、原発事故に関しては、隠ぺいは一度では済んでいませんが)、また隠ぺいをするんじゃないか、ALPSの理論はともかく、現実的に本当にトリチウム以外の核種が除去できるのか、一度処理して除去しきれなかったものが、2度3度処理すると本当に除去できるのか、という疑いを抱くことが、本当に「非科学的」なのでしょうか。だとすると、「科学的」という言葉は単に体制に対する盲目的な追従のための免罪符でしかありません。本当のところを言えば、最後の最後には汚染水は海に捨てるしかないであろうことは、以前の記事にも書いたところです。汚染水を永久に保管はできないですから。しかし、3.11からたった12年で捨て始めるとは、あまりに早すぎるのです。日本人は都合の悪いことには健忘症の気があるから、たった12年で「もういいだろう」と思ったのかもしれませんが、そんな短期間でみんながみんな、すべて忘れてくれるわけではないのです。どうして50年くらい待てないのか。科学的にも、50年経てばトリチウムもその他の核種も、放射線はある程度減衰します。結局、近隣諸国から非難を浴びながら今汚染水の放出を始めても、全量放出が終わるまで何十年もかかるそうです。それなら、何十年後に放出を初めて、数か月か数年程度でそれを終わらせる方が、物理的な放射線の量も反対派からの批判の声も、相当に減衰しているはずなのに。やり方が拙劣の極みとしか思えません。
2023.08.30
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処理水、23年度は3万トン超 24日午後1時にも放出開始政府と東京電力は24日午後1時にも、福島第1原発の処理水の海洋放出を始める。2023年度は計約3万1200トンの放出を計画。東電は23日、最初に放出する処理水に含まれる放射性物質トリチウム濃度の確認を急いだ。基準を下回っていることが確認できれば、24日午前にも結果を公表し、午後、放出のためのポンプを起動する。第1原発の処理水は約134万トンで、敷地内のタンク約千基で保管。容量の約98%に相当する。23年度は約3万1200トンを4回に分け、約7800トンずつ放出。1回目の放出終了には17日程度かかるとしている。処理水は日々増えているため、年度内の削減量は約1万1200トン、タンク約10基分にとどまると見込む。東電は最初に放出する処理水約1トンを海水約1200トンで希釈し、大型水槽に移送。トリチウム濃度を測定するため一部を採取している。---2015年に政府は漁業関係者と「関係者の理解なしには如何なる処分も行わない」という約束を、書面で交わしています。これを公然と反故にする事態が24日に行われようとしています。汚染水の総量は134万トンということで、それだけ聞くとすごい量ですが、事故直後に比べれば増え方はかなり鈍化しています。この問題は2年前にも記事を書いていますが、その当時、2021年4月の時点で汚染水は125万立米つまり125万トンと報じられていました。今は134万トン、2年4か月で9万トンしか増えていません。当時の時点で増加量は年間6万トンと報じられていましたが、当然今はそれよりずっと増加は鈍化しており、今後さらに鈍化します。1日当たりの汚染水の増加量は、2016年に493トン(これも事故から5年後なので、当初から相当減っているはずです)、2022年には94トンと報じられています。3~4年後には50トン以下になるはずです。ならば中古のタンカーでも調達して(停泊しているだけなので新造船の必要はない)そこに貯蔵すればいいではないですか。20万トンクラスのタンカーなら、1隻で10年近く貯蔵でき、2隻あればおそらく今後発生する汚染水もすべて貯蔵できます。更に1隻調達すれば、陸上のタンクもある程度整理できるかもしれません。トリチウムの半減期は12.3年ですから、今後50年貯蔵すればトリチウムの量は現在の1/16(事故当初から見れば1/32)まで減ります。その段階で海に流すか、または蒸発させて処分かという話になるのはやむを得ませんが、今の時点ではまだその段階ではないと私は思います。トリチウムが放出する放射線はベータ線であり、これは紙1枚でも遮蔽できるとされます。したがって、外部被ばくはほぼ気にする必要はありませんが、それを体内に取り込んでしまえば、遮蔽する「紙1枚」すら存在しません。トリチウムは水素の放射性同位元素であり、トリチウム水(重水)とは、H2OのHがトリチウムに置き換わった水です。水は飲んでもやがて汗や尿で排出されるから健康に被害はない、というのが原発推進派の言い分ですが、その理屈が通用するのは、一過性の摂取の場合だけです。当然ながら重水を継続的に摂取していれば、体内から重水が消えることはない、ということになります。「重水は自然界にも存在する」と言いますが、そしてもちろんそれは事実ではありますが、自然界に存在するよりはるかに多量の重水が貯蔵されているから問題になっているのは言うまでもありません。政府は汚染水を放出しても健康に影響はないと言っていますが、実際のところは「分からない」です。欧州ではトリチウムの放出されている地域周辺で小児白血病発症率の発症率が増加しているという報告もあります。もちろん、それらの報告の信頼性の問題はあるし、増加と言っても微増ではあります。でも、少なくとも健康への影響が「ない」と断定することはできないわけです。そして、犯罪捜査とは異なり、こと保健衛生分野にいては「疑わしきは罰する」のが鉄則のはずです。新型コロナ対応では、あれだけ「疑わしきは罰する」方針が取られていたのに、放射能対応だけは「疑わしきは罰せず」というのは、あまりにご都合主義と言わざるを得ません。
2023.08.24
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午前中から35℃以上続出 連日40℃に迫る危険な暑さで熱が蓄積 熱中症リスク大きょう29日(土)も気温はハイペースで上昇、午前中から最高気温35℃以上の猛暑日が続出。午後は40℃に迫る災害級の暑さの所も。九州~北海道まで、35℃以上の猛暑日予想。連日の猛暑で疲れがたまっているため、熱中症のリスクが高まります。~午前中から強い日差しとともに気温はグングン上がり、午前11時までの最高気温は、兵庫県豊岡市36.4℃、鳥取県米子市36.2℃、埼玉県鳩山町で36.0℃、岩手県大船渡市35.5℃など、900地点あまりあるアメダスの内29地点で35℃以上の猛暑日、760地点以上(約8割)で30℃以上の真夏日となっています(南鳥島除く)。午後は更に上がり、熊谷市39℃、京都市・前橋市・福島市などで38℃、熊本市・高松市・甲府市・山形市などで37℃、名古屋市・東京都心などで36℃、札幌でも35℃の予想です。---午前中は葛西臨海公園まで行っておりました。(珍しい鳥は何も遭遇せず)ちなみに、葛西臨海公園にはアメダスがあり、気象庁のサイトでその気温データを調べることができます。意外にも葛西臨海公園はそこまですさまじい暑さではなく、午前8時28.8度、10時30.1度でした(11時前に帰路についた)。しかも風が強く、京葉線ガード下(日陰)での笛練習などは快適でした。もっとも、風が強いのは笛練習の環境という意味ではあまり音を出しやすくはありませんでしたが。ただ、持って行った500mlの水筒は全部飲み切ってしまいました。風の通る日陰はともかく、日向と風の通らない場所は厳しかったです。そしてなにより葛西臨海公園は海沿いで風があったけど、内陸ではそうはいかない、ということです。スクーターは、長袖を着て乗っていますが、走っている間は風が当たるので暑くはありません。でも、止まるとなかなかに辛い。11時時点の気温は、東京大手町で34度、練馬34.4度でした。ちなみに、昨日以前も、大手町の最高気温は24日35.7度、25日36.6度、26日37.7度、27日36.9度、28日36.52度そして今日は35.7度と、1週間ぶっ続けで最高気温35度以上の猛暑日です。先週が多少はしのぎやすい気温だったので、なかなか辛い暑さです。ちなみに、大手町の7月28日までの月平均気温は28.5度となっており、これは現段階で2001年、2004年と並んで7月としての観測史上最高気温です。しかも、今日以降31日までの最高気温予想は連日36度、予想最低気温は26度なので、今日を含めて残り3日で月平均気温がさらに上がり、観測史上最高を記録する可能性は高いと思われます。さらに言えば、大手町のアメダス装置は2014年に気象庁の敷地内から北の丸公園に移動しており、これによって観測データの気温はやや下がっています。従って、実質的には現時点でもすでに7月の観測史上最高気温を更新しているも同然です。というわけで「地球沸騰時代」“世界気温”史上最高に国連事務総長が危機感示す国連 グテーレス事務総長:「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰の時代が到来した。化石燃料の利益と気候変動に対する無策は容認できない」世界気象機関などによりますと、23日までの世界の平均気温は16.95℃に上がっていて、これまで最も暑い月だった2019年7月の16.63℃を大きく更新する見通しだということです。グテーレス事務総長は「人類の責任だ」として各国に対策強化を訴えました。---これが東京だけの現象なら温暖化というよりヒートアイランド現象ってことになるのですが、東京だけではなく、日本だけですらなく、全世界規模の現象となっています。ただし、世界の平均気温ということは、つまり北半球が猛暑であると同時に南半球では暖冬、ということでもあるのだと思われます。なお、日本では7月前半は梅雨があるため、7月より8月の方が月平均気温は高いですが、世界的に見ると北半球では7月の方が8月より暑い地域が大半を占めます。逆に南半球では7月より8月の方が暖かいですが、南半球は海が多く、海は陸に比べて温まりにくく冷めにくいことから陸に比べて変動幅が少なく(世界の平均気温は陸だけではなく海水温のデータも加えて算出されています)、地球全体では7月の方が8月より暑いのが一般的傾向のようです。地球温暖化の一般的傾向は、夏が暑くなることより、冬が暖かくなることの方が顕著です。今回の猛暑は、直接的原因は南米沖のエルニーニョ現象によるものと思われますが、それと温暖化の複合要因である可能性が高いでしょう。あるいはそもそもエルニーニョの発生頻度自体が温暖化に左右されているのではないかという説※もあります。※気象庁のサイトによると、エルニーニョと温暖化の関係については、「地球温暖化の影響の可能性を指摘する調査結果がある一方、自然変動だけで十分説明できるとする調査結果もあり、必ずしも、研究者の間で意見が一致しているわけではありません。」とのことです。というわけで、これから先も皆様暑さで健康を害したりしないよう、お気を付けください。
2023.07.29
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ウィンブルドンで再び乱入者、女子試合でパズルなどばら撒き引きずり出される<テニス>テニスのウィンブルドンは6日に女子シングルス1回戦が行われ、~この試合の途中、観客が紙やパズルをまき散らしながらコートに乱入し、試合が一時中断された。この試合の第1セット~チェンジコートを迎えたところで男性が紙やパズルを撒き散らしながらコートに乱入し試合が一時中断となった。乱入した男性は大会関係者にコートから引きずり出されたが、試合はこの影響で約10分間中断を余儀なくされた。~この試合の前に同コートで行われていた男子シングルス1回戦でも同じ事案が発生しており、大会側の警備体制に課題が残された。---少し前にも、スポーツ大会で似たような騒動がありました。陸上ゴール前で妨害の愚行 警備員も間に合わない“犯行の一部始終”に日本ファン非難「身勝手」2日に行われた陸上のダイヤモンドリーグ(DL)のレース中に環境活動家が乱入して妨害行為に及んだ。~事件が起こったのはDL第7戦、ストックホルム大会の男子400m障害。東京五輪金メダルのカールステン・ワーホルムがトップでゴールインしようかとしていた。しかし、ゴールから10mほど前に乱入者3人が座り込み、横断幕を掲げた。ワーホルムの順位には影響がなかったが、一部選手は走路を妨害され、順位が変わってしまった。(以下略)---何がどうなってこういう事態が引き起こされたのか、さっぱりわかりません。一般論として、私も環境問題には人一倍関心がある人間ではありますが、テニスや陸上の国際大会の開催がどう環境問題と対立するのかは、私の頭ではちょっと理解できません。競技施設の整備のための森林伐採などが問題視されるのは分かりますが (スキー関連の施設でそういう事態が起こりがち)、都市で開催されるテニスや陸上の大会会場とは関係ありそうに思えません。もちろん、世界中から選手と観客が集まる国際大会は、それだけ環境負荷につながる、とは言えるかもしれません。ただ、それを言い始めると、あらゆる人間の社会的活動はすべて環境負荷につながっているのだから、人間という存在そのものを否定しなければならなくなってしまいます。そういう中で、これらの大会が、少なくとも環境問題の面で特別に害悪視されるべき理由があるようには思えませんが、スポンサーが自然破壊企業だとか、そういうことでもあるんでしょうか?仮にそうだとしても、競技に乱入して妨害することが、抗議の手法として適切である(多くの支持を集められる)とは、到底思えません。実際には、スポーツ大会そのものが環境面でどう、ということよりも、世界的に注目されるスポーツイベントで、妨害行為によって自己の主張をアピールしようという魂胆の方が大きいのではないか、という気がします。だとすると、アピールの場に選ばれたスポーツ大会はいい面の皮というしかありません。いずれにしても、環境保護という目的が正しいからと言って、どんな手段をとってもよい、ということにはならないでしょう。思うに、狭い世界の中で、より過激な意見がもてはやされ、その結果こういう暴挙に至る、という構図はどこの世界にもありそうです。主観的には正しいのでしょうが、外から見れば心が寒くなる行為でしかない、それでは、むしろ環境保護という正しいはずの主張に対する支持を減らし反感を増やす、結果として環境保護政策の導入を難しくしているようにしか見えません。
2023.07.06
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「親子で車を追いかけるクマも」人間の生活エリアで相次ぐ「遭遇被害」 なぜ“人の怖さ”を忘れたのか野生のクマに遭遇する被害が相次いでいる。その被害は山間部だけではなく市街地にも…。クマの出没が頻発している原因とその対策について専門家に話を聞いた。環境省が取りまとめているクマの出没情報件数は、今年4月で541件。去年4月と比べると100件以上も増えている。一体なぜクマの出没が増えているのだろうか。「それぞれの地域によって状況は異なると思うが、大きく捉えてみれば私たちの暮らし方の変化によって“バッファーゾーン”がここ20~30年のうちになくなってきている」そう話すのは、長野県軽井沢町でクマの保護管理を行うNPO法人「ピッキオ」の田中純平氏。人間の生活エリアの拡大や過疎化による里山の荒廃などに加え、クマの分布範囲が年々広がり、それぞれの居住エリアに干渉していることが原因の一つだという。続けて、田中氏はもう一つの理由として「クマの駆除方法の変化」を挙げる。「現在の駆除方法は『農作物がやられるから畑に罠をかけよう』などの“受け身”なことが多い。罠ではクマにプレッシャーを与えられず、捕まったクマについてもそのまま駆除されるので、残されたクマが何も学んでいない状況だ。受け身的な箱罠による駆除では“人の怖さ”を教えることができない。市街地、中山間地域にかかわらず、行政が食べ物やゴミの管理をしっかり行い、農作物を守る電気柵などを設置するための資金支援をすることが重要だ」クマの隠れやすい薮などを減らしていくことも効果的とのこと。このような対策を行った上で、ピッキオでは日本では珍しいベアドッグを活用、市街地に出てきたクマを追い返し、クマに人間の居住スペースを認識させる教育を行っているという。だが、万が一クマに遭遇してしまったらどうすればいいのか?「全体を見ながらゆっくり下がる。最悪は背中を見せて逃げることだ。クマをよく見ながらゆっくり退散するのがいいだろう」(以下略)---近年の傾向としてクマの生息数が増加傾向にあることはほぼ間違いないものの、生息数は正確なところは分からないというのが現実です。ただ、昨年と今年で極端な差があるはずはありません。今年クマの出没が極端に多いのは、今年が春先に異例の高温で雪解けが早かったから、冬ごもりしていたクマが動き出すのも早かった、ということではないかと思われます。市街地に出没するグマ、農作物を荒らす、その他何らかの形で人間に被害を与えるクマの駆除は、これはもう是非もない、仕方のないことではありますが、クマ全体を危険視して、どんどん駆除しろ、絶滅させてしまえ、的な意見はとうてい賛同することはできません。そもそも、クマはそこまで危険な動物か、という問題があります。北海道の自然環境局ホームページに1962年以降のヒグマ人身事故の一覧が掲載されています。これを見ると、1964年に5人が亡くなっているのが過去最高記録と思われますが、おおむね年間0~3人で推移しています。一昨年は4人の死者を出したものの、昨年は0人です。ツキノワグマも含めた全国の統計では、ここまで古くからのものはなく、2008年以降の統計が環境省のホームページに公開されています。北海道のヒグマと本州以南のツキノワグマでは体格が違い、ヒグマの方が圧倒的に危険度が高い、とよく言われますが、実際にはツキノワグマによる死者も出ている(年によってはヒグマより死者が多いこともある)ことが分かります。ただ、クマがどこまで危険な動物か、という点については、大いに疑問の余地があります。ヒグマといえども、肉食性はそこまで強くはなく、植物性や動物性でも昆虫(ハチ、アリなど)が食物の大半を占めているのが現状のようです。ちなみに、日本でもっとも多くの死者を出している動物はクマではありません。感染症を媒介するハエや蚊という話は除外するとして、その動物自身が直接危害を加える例で、もっとも危険なのはスズメバチです。統計によれば、1984年には全国で70人以上の死者を出しており、近年は減ったものの、確実に二桁の死者が出ていますから、クマよりかなり危険です。私は本州の山でツキノワグマに遭遇したことはまだありませんが、北海道でヒグマと遭遇したことは2回あります。2回とも知床であり、しかもそのうちの1回は完全に1対1の鉢合わせでした。もう一回は、バスの中から、路肩のヒグマを目撃、というものでしたが(このときも距離は至近でしたが)。鉢合わせは2007年、羅臼岳に登った際の下山時で、「ヒグマ出没危険」という立て札のある場所でした。立ち上がっても私の背には届かないくらいの若い個体で、お互いに距離おそらく20mか30mくらいでほとんど同時に相手に気が付いたのですが、向こうは脱兎のごとく凄まじい勢いで逃げていきました。背丈は私より小さいといっても、体重で測ればおそらく私より重かったでしょう。後から聞いたのは、その辺りはアリの巣が多く、もっとも餌の豊富な好条件の場所では縄場争いに負ける若くて小さな個体が、アリを求めて出没する、ということでした。2021年に再度羅臼岳に登った時は、この立て札はもうありませんでしたが、登山口の岩尾別温泉の木下小屋の掲示板には、熊出没情報としてほとんど毎日遭遇が記録されていました。それに限らず、知床は、一説には世界でももっともヒグマの生息密度が高い地域とも言われます。でも、聞いた限りでは、知床ではヒグマと人間の事故が起こったことはないと言います。知床のヒグマが他の地域よりおとなしい性質、ということはおそらくないでしょうから、人間の側が、国立公園の保護区域内ということでクマに対する誤った接し方をしていない、ということが大きいのであろうことは容易に推察できます。引用記事にはヒグマに遭遇したら背中を見せて逃げるな、とあります。それはまったくそのとおりでしょうが、それ以前に熊との事故を起こさないための絶対条件として、人間の食べ物の味を覚えさせない、ということがあります※。羅臼岳の中腹、羅臼平の幕営上には、食べ物を収納するフードロッカーがあります(他の、登山道中のキャンプ指定地にもあると思います)。荷物を残してこの場を離れる場合は、食べ物をロッカーに入れて、クマに漁られないようにしろ、ということです。知床五湖のインフォメーションセンターに、あるエピソードとともにクマに(というか野生動物に)餌をやるなという警告がありました。エピソードというのは、あるヒグマが、観光客がソーセージを与えられた出来事を契機に、餌を求めて人間の近くに寄りつくようになり、最期は小学校の近くに現れたため害獣駆除で射殺せざるを得なかった、というものです。そういった基本的なルールを踏まえれば、ヒグマは決して危険な動物ではない、と木下小屋の管理人さんは力説していました。熊撃退スプレーも、「使い方が難しいし必要ないけれど、どうしても不安ならレンタルします」というスタンスでした。実際問題、ヒグマは野外活動における主要な危険ではないことは明白です。一昨年に年間4人の死者を出したと言っても、北海道で登山やハイキング、自然の中で遊ぶ人というのはものすごく多いわけです。統計によると、25歳以上で最近1年以内にキャンプを行った人口は、北海道では38万人、人口比では47都道府県で最多だそうです。24歳以下を含め、道外からキャンプに来る人も含めれば、この数は50万人でも不思議はありません。またキャンプに行く人は年1回だけというは稀で、2回3回、あるいはもっとという人が多いでしょう。ということは、述べ人数なら、北海道でキャンプする人は、年間100万人以上に達するものと思われます。更に、余暇活動ではなく仕事で山や森に入る人も大勢いるわけですが(林業ほか)、面倒なので前述の年間延べ100万人を使うとして、4人の死者は、確率25万分の1です。これが果たしてどの程度の危険ですかね。キャンプあるいは登山におけるリスクとして、道迷い、転落、滑落、低体温症など、他の要因と比べても、相当危険度は低いと思いますが。少なくとも私は、ヒグマが怖いからもう北海道の山に登るのはやめよう、とかは、これっぽっちも思いません。別の理由で、つまり十分な休みが取れないから、今年は行けそうにないですけど。
2023.06.14
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グリーンランドも異常気象、1日60億トンの氷が解ける氷に覆われたグリーンランドの北西部沖。水面はガラスのように静かだが、氷山の上にできた水たまりは、氷床に急激な変化が起きていることを物語る。グリーンランド北部では異常高温が数日続き、急激に解けた水が川になって海に注ぎ込んでいる。専門家によれば、15度前後という気温は、平年を5度ほど上回る。米コロラド大学の国立雪氷データセンターによると、グリーンランドで氷が解けて水になった量は、15~17日にかけ、1日あたり60億トンに上った。同センターの専門家は「過去30~40年の気候平均と比較すると、北部のこの1週間の解け方は普通ではない」と述べ、解ける量が急増していると指摘した。グリーンランドに駐在するテキサス大学の研究者は「昨日はTシャツで歩き回ることができた。本当に予想外だった」と話す。2019年には5320億トンという記録的な量の氷が解けて海へ流れ込んだ。毎年夏にそうした事態が繰り返されることが懸念される。今年春から7月にかけては予想外に気温が上昇して氷床のほぼ全表面が解け、世界の海面は1.5mm上昇した。もしグリーンランドの氷が全て解けたとすると、世界の海面は約7.5m上昇する。今回の調査は、北半球で最も氷の多いこの島が、ますます不安定な状況になりつつあることを物語っている。今年2月には、グリーンランドの氷床の下の氷が「前例のない」ペースで解けているという研究結果が発表されていた。---温暖化懐疑論者の中には、「北極の氷は海に浮いているから、解けても海面は上昇しない!!」と主張する方がいます。例えば、例の武田邦彦の主張です。武田教授が暴く、「地球温暖化」が大ウソである13の根拠北極の氷は海に浮いているので、アルキメデスの原理で氷が融けても海水面は変わらないが、海水面が上がっているとの報道が続いた---そりゃ、北極海の氷は海に浮いていますが、「北極」とは北極海だけを指すわけではないのは言うまでもありません。グリーンランドの(アラスカ、カナダ北部もですが)氷は陸の上に乗っているので、それらが解ければ海水面は上昇します。引用記事にあるように、グリーンランドの氷がすべて解けると、世界の海水面は7.5m上昇します。その程度の海水面の変動は、地球史的には過去無数に起こったことです。地球にとっては、たいした問題ではありません。でも、有史以降では、史上空前の事態です。今から6000~7000年前には、「縄文海進」と呼ばれる、海水面が現在より高い時代がありました。海面の上昇幅は地域によって異なりますが、日本では現在より3~4m程度高かったと言われます。それでも、この時期、海岸は関東平野では相当奥まで入り込んでいます。そしてそれ以降、そのような大規模な海水面の変動は起きていません。縄文海進当時の関東地方の海岸線こちらのサイトから引用されていただきました。7.5mの海面上昇とは、この縄文海進の2倍にも及ぶ海面上昇なのです。東京23区、川崎、横浜、千葉、さいたま、関東の巨大都市の相当部分が、海の底に沈みます。大阪、名古屋をはじめとする海岸沿いの主要都市はみな同様です。日本だけではなく、全世界規模で、その社会的、経済的影響ははかり知れません。北極の氷が解ける、とはそういうことなのです。ましてや、南極の氷が解ければ、それによる海面上昇は50mを越えます。現代文明存続の危機となることは明らかです。もっとも、実際には温暖化は一直線に気温上昇という単純な形態をとるとは限りません。温暖化が寒冷化の引き金になる、という一見不可解な事態も起こりえます。最終氷期(ウルム氷期)は今から1万数千年前に終わりを告げましたが、その最末期、地球がいったん急速に温暖化した後、1万2900年前頃に、急激に再寒冷化し、それが1000~1500年ほど続いた(ヤンガードリアス期)後、再び急激に温暖化する、という経過をたどっています。これは、最終氷期に北米大陸北部にあった巨大な氷床が急激に解け、この水がある時一挙に北大西洋に流れ込んだことが原因と推定されています。世界の海には海流が流れていますが、海表面の海流とは別に深海流もあります。これらの海流が、「塩熱循環」という仕組みによって地球上の暖かい海水を低緯度から高緯度に運ぶ役割を果たしています。海表面の海流と深海流は世界の何カ所かで接続してていますが、そのうちの一か所が北大西洋なのです。北大西洋海流によってカリブ海や南米沿岸から運ばれてきた温かい水が、この海域で沈み込んで深海流に接続している、と考えれています。しかし、ここに北米の氷床から解け出した冷たい淡水が一挙に流れ込んだことで、両者の接続が絶たれ、塩熱循環のシステムが停止したことが、中緯度以上で急激な寒冷化につながったとようです。再寒冷化した期間は1000年から1500年ですから、地球史的には一瞬です。しかし、人類の歴史の尺度で見れば、きわめて長い期間であることは明らかです。さて、グリーンランドの氷が解けた場合、その水が流れ込む先は、やはり北大西洋になります。グリーンランドの氷床は、かつてあった北米の氷床よりおそらく小さいですから、それによって引き起こされる寒冷化も、ヤンガードリアス期によりははるかに控えめなものでしょう。しかしそれでも、有史以降の歴史の中では、史上空前の大気候変動となる可能性があります。そのような気候変動は、世界の農業生産に大きな打撃を与え、それはそのまま現代社会を危機に陥れることになります。先に引用した武田邦彦の主張の中に地球は現在、氷河時代だが、あたかも温暖期のように報道され、地球の歴史をゆがめた。子供が好きな恐竜時代の温暖化ガスの濃度は、今の10倍以上であるという項目があります。この手の愚論も温暖化懐疑論の定番ですが、言っていることは事実です。事実ではありますが、無意味です。だって今はジュラ期じゃないですから。守るべき自然環境はジュラ紀の自然環境ではなく現在のそれです。人類が存在しなかった時代の環境の話を持ち出すなら、地球の40億年以上の歴史の中で、30億年くらいは大気中に酸素はほとんどなかったのです。だから、大気中に酸素なんかないのが、もっとも「自然な状態」だと言いますか?人間を含むほとんどの陸生生物は死滅しますけど。恐竜時代の二酸化炭素濃度が現在よりはるかに高かったことは事実ですが、酸素濃度も現在より低かったのです。現在の酸素濃度は大気の21%ですが、三畳紀からジュラ期にかけては10~15%程度と推計されています。人間を含む哺乳類には相当息苦しい、というか10%だったら生存ギリギリの環境です。だから、その時代には哺乳類はそれほど繁栄できず、より優れた呼吸システムを備えた恐竜(その子孫である鳥は、現在でも極めて優れた呼吸システムを持っているので、ヒマラヤの上空8000m以上を飛ぶこともできる)が繫栄していたのです。地球環境問題というのは、よく「地球が壊れる」と言われますが、実際には地球は壊れません。それはあくまでも、我々人類の社会の基盤となる環境が壊れる、という話なのです。地球史的に見れば、人間が行い得る環境破壊をはるかに超える大変動が、何度も地球の自然を襲っています。白亜期末の巨大隕石落下による恐竜絶滅は、全面核戦争を遙かに越える巨大な環境破壊でした。その白亜期末の大絶滅より更に激しかったのが、ペルム期末の大絶滅です。それでも、その数千万年後には、元とは異なるけれど、豊かな生物相が地球上に復活しています。その地球の自然のダイナミックさ、何度激変や破壊に見舞われても、姿を変えつつその打撃から復活する力強さは、地球史に興味を持つものを虜にします。ただ、地球史と人類の歴史は時間の尺度がまったく違います。人間が引き起こす環境破壊から地球の自然が立ち直るのに要する時間は、ペルム紀末や白亜紀末のそれよれはるかに短いはずですが、たとえそれが1万年だったとしても、地球史的には一瞬ですが人類史的には永遠です。さて、グリーンランドの南極の氷床コアのボーリング調査から、過去数万年(グリーンランド)から40万年(南極)の気候変動が詳細に分かっています。そこから読み取れる事実は、最終氷期が終わって以降の最近1万年は、過去数万年の歴史の中ではもっとも気温の変動の少ない期間である、ということです。それは、現代文明の基盤である農業の発展に必要不可欠な条件でした。それ以前、最終氷期の時代には気温の変動が激しく、この環境で長期的に安定して農業を行うことはどう考えても困難です。20万年前には誕生していた我々ホモ・サピエンスが、1万年前に至って急に農業を発明し、ひいては文明を発達させることができたのは、それが理由であろうと考えられます。地球温暖化が、単純に全地球規模で一定の割合でじわじわと気温が上昇するだけのものであれば、人類社会への影響は致命的に大きいわけではないでしょう。しかし、実際にはそれでは済まないのです。過去1万年間の気温の安定という、農業の基盤を自ら切り崩せば、現代文明は容易に存続の危機を迎えるでしょう。
2022.07.28
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黙殺された野村総研の“TV消せばエアコンの1.7倍節電”報告「こまめに電灯を消そう」「エアコンの設定温度を28度に」――テレビのワイドショーでは、様々な節電方法が連日紹介されている。その一方で、黙殺され続けている一番効果的な節電方法がある。それはズバリ「テレビを消すこと」だ。興味深いデータがある。野村総合研究所が4月15日に発表した『家庭における節電対策の推進』なるレポート。注目したいのは「主な節電対策を講じた場合の1軒あたりの期待節電量」という試算だ。これによれば、エアコン1台を止めることで期待できる節電効果(1時間あたりの消費電力)は130ワット。一方、液晶テレビを1台消すと220ワットとなる。単純に比較しても、テレビを消す節電効果は、エアコンの約1.7倍にもなるということだ。この夏、エアコンを使わずに熱中症で亡くなる人が続出している。にもかかわらず「テレビを消す」という選択肢を国民に知らせないテレビ局は社会の公器といえるのか。自分たちにとって「不都合な真実」を隠しつつ、今日もテレビはつまらない番組を垂れ流し続けている。---10年前の2011年、東日本大震災後の電力不足の際の記事のようです。それが今になって掘り返されてツイッターで話題になっているとか。でも、それって本当ですか?そもそも液晶テレビ1台の節電効果が220Wって、明らかにおかしいです。テレビの電気代は安い?高い?種類によって異なる電気代を解説!こちらの解説によると、東芝のREGZAシリーズの4kの65インチでも、消費電力は180Wです。10年前は、もう少し消費電力が大きかったと思われるので(10年前に4kテレビがあったかどうかは記憶がありませんが、フルハイビジョンで大型のテレビはありました)、だいたいこのクラスが当時は220wだったのかもしれません。が、ちなみに、我が家のテレビは2008年頃購入したパナソニックの26インチですが、古いので省エネ性能はいまいちです。それでも消費電力は50wに届くかどうか、です。(久々にワットチェッカーを持ち出してみました)今では26インチは少数派かも知れませんが、省エネ性能がかなり向上しているので、現在は30インチクラスでこの程度の消費電力になるようです。ちなみに、4kテレビの累計出荷台数が去年1000万台に到達したとか。世帯普及率は単純計算では20%ですが、実際はそれ以下でしょう(世帯で複数台持っている物好きもいるでしょうし、個人ではなく企業公共機関で使っている数もバカにならなない)。現在でも、世帯普及率という意味では、多いのは30インチからせいぜい40インチと思われます。ましてや10年前はなおさらです。当時も今も、消費電力220wなんて超巨大テレビを持っている人はごくひと握りです。※なお、ワットチェッカーは電源ケーブルとの兼ね合いですべて上下逆さまに取り付けたため、写真を上下反転させて読みやすいようにしています。この後の写真もすべて同様です。では、エアコンの方はどうかというと。帰宅時エアコンをつける前の室内温度は35度でした。エアコンはダイキン製のこちら部屋の広さは、だいたい8~10畳相当くらいでしょうか。こういう設定で動かしています。分かりにくいですが、冷房の設定温度が28度になっており、「自動」の+1度というのは設定温度29度相当になります。写真では室温は31度になっていますが、実際には設定どおり28.5度から29度くらいで安定しました。起動直後は500w超え、しかし最終的には230-240wで落ち着きます。室温は28.5度くらいで安定です。稼働時間20分くらいの間では、室温が安定して以降もこれ以下には下がりませんでした。あるいは1時間以上動かせばもっと下がるかもしれませんが。しかし、設定をこのように変えると(冷房27度相当)消費電力は600w超えです。安定後も440w前後でした。28度相当では340-350wくらいだったので、設定温度1度ごとに概ね100wくらい変わってくるようです。というわけで、私の場合はエアコンで130wにはなりませんでした(補足:下記追記あり)。ただ、これは1時間くらいの間に設定を色々変えたせいかもしれません。同じ設定では20分くらいしか稼働させていないので、次はワットチェッカーをさしたままずっと使ってみて検証してみようと思います。なので、エアコンの消費電力に関しては暫定結果です。追記翌日夜、再度ワットチェッカーで測定してみました。やはり一定時間使用すると、消費電力はさらに下がりました。設定温度28.5度で、消費電力は読みにくいですが148wを指しています。130wにはなりませんでしたが、それに近い程度には消費電力は落ちました。そして、夜11時頃から朝6時頃までの7時間での消費電力量が0.96kwhだったので、1時間あたりでいうと137wh(0.14kwh)なので、睡眠中はもっと使用非電力が落ちた模様です。ただ、テレビは基本的に見るときしかつけませんが、エアコンはこの陽気では在宅中は常時つけざるをえないでしょう。稼働時間という意味でも、かなりの差がありそうです。もっとも、高齢者などで一日中テレビをつけっぱなし、という人も中にはいるでしょうが。ちなみに、経産省が出している節電のパンフレットによりますと、家庭における夏の午後7時の電気の使用割合は、エアコンが38.3%に対してテレビは8.2%なので、両者には4倍近い開きがあります。それにもう一つ。「テレビを消せ」とか言っている人たち、それはもちろん、スマホから書いているんでしょうね?まさかパソコンから書いたりしていないですよね。テレビとパソコンの消費電力は、そう大きな差はありません。概ねデスクトップ>テレビ>ノートパソコンでしょうか。節電のためにテレビを消せ、と書いているそのパソコンを消しなさいよ、という話になりますからね。まあ、そんなことを言っている私はというと、普段ほとんどテレビは見ていません。無理矢理強いられてテレビを見ている人なんかいないわけで、テレビを見る必要はないと思う人は見なければいいし、見たい人は見ればいい、それだけの話なんじゃないでしょうか。それによる電力消費は、エアコンの設定温度を1度変えれば帳消しになる程度のものなんだから、大騒ぎするような話ではない、ということです。
2022.06.30
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「水不足」と「電力不足」が襲う日本…ネットでは「岸田、原発動かせ」の大合唱気象庁は6月27日、九州南部、東海、関東甲信の梅雨明けを発表した。平年と比べ、九州南部は18日、東海と関東甲信は22日も早く、特に関東甲信地方は、1951年の観測開始以来、最も早い梅雨明けとなった。~梅雨明けと同じ27日、経済産業省は全国で初めてとなる「電力需給逼迫注意報」を東京電力管内で発令した。猛暑が続く28日も注意報は継続する。また東北電力、北海道電力も29日に電力需給が逼迫する可能性があるとして「需給逼迫準備情報」を出した。「水不足」と「電力不足」のダブルパンチで、ネット上ではこんな心配をする人たちが。《これ下手すると渇水だけじゃなくてダムに水が溜まってなくて水力発電の発電量も足りなくなるルートなんでは……》《いや実際問題こんな早く梅雨明けたら頼みの綱の水力発電すら満足に使えない》(以下略)---ネット上では原発を動かせの大合唱ですが、事故を起こせば福島のように広範囲で、10年単位で人手が住めなくなる事態を招く原発を安易に稼働すべきではありません。そもそも、一両日の電力不足は、観測史上最速の梅雨明けという予想外の事態が原因であって、簡単に言えば、盛夏に向かって準備が整わないうちに酷暑が来てしまったことが原因です。実際、停電危機と言われた昨日の東京電力管内の最大電力実績は5254万KWwでしたが、この数値は過去数年の7~8月の最大電力実績と比較して、多いものではありません。例えば昨年の最大電力は8月26日の5665万kwであり、2020年は8月21日の5604万kwでした。いうまでもなく、東京電力に限れば、2011年3月11日以降、動いている原発は一つもありませんが、例年大きな問題もなくこれだけの電力を供給していました。では、原発をガンガン動かしていれば、予想外の時期に電力需要が急増しても危機は起こらないのか、もちろんそんなことはありません。原発は、1年運転すると、3か月は定期点検を行わなければなりません。ずっと動かしっぱなしにはできません。また、電力会社は営利企業なので、常に最大の供給力を準備して待機しているわけではありません。発電機を稼働すること自体お金がかかるので、消費電力見込みが少ない時期にフルパワーで待機なんかしません。売れる見込みのある分と、その予想範囲内での予備程度しか準備はしません。当然、原発があったとしても、そのうちの何基かは定期点検で止まっていますし、火力発電所だって同様です。そこに、想定外の時期に想定外の酷暑がきて、電力消費が急増すれば、準備が整わないのは同じです。定期点検中の原発を、来週暑くなりそうだから急遽稼働、なんてことはできませんし、もちろんそれは現在も同様です。311の前でも、原発の発電割合は25%前後でした。原発は稼動中は原則的に全力運転しかできませんから、電力需要に応じて出力を変えることはできません。夜間は、他の発電所を止めて原発だけが稼働している、ということも多々ありました。電力需要増に対する調整はすべて火力発電所他、原発以外の発電所が行っていたわけです。そういう中で、想定していなかった時期に突然酷暑となったら、そのための準備をしていなかった発電所の稼働が間に合わないのは、原発があってもなくても、同じことです。原発にしても他のどんなものにしても、「これさえあれば何でも解決」なんて魔法のツールはない、ということです。まして、原発には事故を起こした場合の群を抜いた大幅な被害、解決の見込みが立っていない高レベル放射性廃棄物の問題があります。それを無視して稼働しても、後世に大きなツケを残すだけです。火力発電所にも、ツケがないわけではありませんが、少なくとも原発よりはまだマシというものです。
2022.06.28
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福島の小児甲状腺がんと“原発事故の影響”めぐり山口環境相は発言を修正か・・・小泉元首相ら声明の波紋続く福島県での小児性甲状腺がんの原因をめぐって山口環境大臣は~発言を事実上修正しました。この問題は1月27日、小泉純一郎氏ら5人の総理大臣経験者が、EUでの原発活用の動きを受けて福島第一原発の事故の影響の大きさを訴える声明をEU側に送付していたことがきっかけです。声明の中で、福島第一原発の事故によって「多くの子供たちが甲状腺ガンに苦しみ」などと書かれていたことに対し、山口環境大臣が「誤った情報を広めている」として、5人の元総理らに抗議の書簡を送付していました。福島第一原発の事故をめぐっては、事故による放射能の影響で小児性甲状腺がんを発症したとして、当時6歳から16歳で福島県に住んでいた男女6人が東京電力に対し、損害賠償を求める裁判を先月、起こしています。弁護団によりますと、小児甲状腺がんは年間の患者数が100万人に2人という極めて稀な病気ですが、福島県が事故当時概ね18歳以下だった約38万人を対象に甲状腺の検査をしたところ、がんやその疑いが266人に見つかり、222人が手術を受けています。こうした中、福島の小児性甲状腺がんには原発事故が影響している可能性を指摘した元総理5人の見解は、現時点で山口大臣が抗議した通り、「誤った情報」と断定できるものかどうか。山口大臣は「結論的に福島の原発が原因という風には断じられないという状況がずっと続いている」と述べた~。しかし、きょうの会見で再び見解を問われた山口大臣は「現時点で、検査にて発見された甲状腺がんが被ばくによるものかどうかを結論づけることはできない」としながらも、元総理5人の見解が「誤った情報」と言い切れるのかどうかについては正面から回答を避け、「調査の継続」もトーンダウンしました。(要旨・以下略)---この問題は、細川護熙、村山富市、小泉純一郎、鳩山由紀夫、菅直人の5人の元首相が、引用記事にある通り、EU欧州委員会に対して脱原発を訴える書簡を送り、その中で福島第一原発事故の後福島で子どもの甲状腺額が大幅に増加している事実を指摘したところ、もっぱら国内の原発推進勢力から猛反発を受けている、というものです。しかし、福島において、事故前に比べて子どもの甲状腺ガンが20~50倍に増えていることは歴然たる事実です。元首相の側は、その歴然たる事実を指摘しているのに対して、それに反発する側は「風評被害」などの抽象的な言葉を並べるだけで、ではこの甲状腺ガンの増加という統計的事実が、原発事故が原因でないなら何が原因なのか、という当然の疑問に対して自分の言葉で答えようとはしません。ただ、国連放射線影響科学委員会が関係ないと言っている、と他人の褌で相撲を取ろうとするばかりです。言われているのは、甲状腺ガンは軽微なガンだから、元々あまり検査されておらず、一般に言われる発生率というのはたまたま見つかった件数に基づくもので、発見されない事例が相当数あると言うことです。原発事故以降の検査で、それら事故前なら発見されなかった甲状腺ガンまで発見されるようになったので、見かけ上甲状腺ガンの発生率が上がったように見えるだけで、実際には甲状腺ガンの発生率は変わっていないのではあないか、というものです。しかし、です。児玉龍彦「内部被曝の真実」(幻冬舎新書)によると、1986年チェルノブイリ原発事故の数年後から子どもの甲状腺ガンが増加し始めた際も、同じように、甲状腺ガンの増加は原発事故が原因ではない、検査でそれまで発見されなかった甲状腺ガンが発見されるようになっただけだ、という主張は根強くあったそうです。しかし、最終的にチェルノブイリにおける子どもの甲状腺ガン増加の原因が原発事故と確定したのは、いったん増加した甲状腺ガンが、更に年月が経過すると減少していったからです。つまり、事故後に生まれた子どもには甲状腺ガンの増加は見られないのです。事故当時の子どもだけに甲状腺ガンの増加が見られるのだから、因果関係は歴然です。もちろん、事故前は見落とされていた甲状腺ガンが発見された、という例は少なからずあったでしょうが、それのみで甲状腺ガンがそんなに増加したわけではない、ということです。旧ソ連(ウクライナ、ロシア、ベラルーシ)という、必ずしも医療水準が日本より高いとは言えない国でも、チェルノブイリ事故前、実はそこまで甲状腺ガンが見落とされていた訳ではなかった、ということです。ということは、日本でも同じではないか、という推測は、それほど無根拠なものとは思えません。しかし、歴史は繰り返す、チェルノブイリで25年かかって確認された事実を福島でもまた25年かかって確認することになるのでしょうか。確かに、福島の方がチェルノブイリ事故よりは放射能による健康被害の規模は小さいです。漏出した放射能の量がチェルノブイリ事故よりは少ないし、チェルノブイリでは事故がしばらく秘匿され、住民がかなり被曝してからの避難になったのに対して、福島では30km圏内の避難はきわめて迅速に行われたからです。原発が安全だからとか、放射能が危険ではないから、ではありません。そして、チェルノブイリよりはマシではあっても、避難対象地域より外側まで放射性物質の増加が認められていた以上、甲状腺ガンの増加がすべて、一切原発事故と無関係であるなどと断定することは出来ないはずです。そうではないというなら、風評被害という曖昧で根拠の不明確な言葉ではなく、もっと具体的な数値と根拠に基づいて、「甲状腺ガンは増加していない」あるいは「甲状腺ガンの増加は原発事故とは無関係」と論じるべきでしょう。追記:本記事は数年前に読んだ「内部被曝の真実」の記憶を頼りに(読み返しをせずに)書きましたが、改めて読み直してみると、色々と忘れていた内容があったので補足します。本文に「いったん増加した甲状腺ガンが、更に年月が経過すると減少していったからです。」とだけ書きましたが、実際には調査対象は3つの年齢集団に分かれています。つまり、0歳から14歳まではチェルノブイリ原発事故の9年後1995年に甲状腺がんのピークを迎えて以降減少をはじめ、16年後の2002年(対象年齢が全員事故後の生まれとなっている)に0になっています。15歳から18歳では、事故15年後に発症率がピークを迎えて、そのあと減少に移っています。18歳以上では、調査集計時点(2002年つまり事故から16年後)はまだ発症率が増加中です。原発事故と甲状腺がんの発生率の因果関係が、年齢層別に区分することでさらに鮮明になっています。(同書P76-より)もう一つ、一般には甲状腺がんは予後の極めて良いガンであり、それどころか手術しないで放置しても問題がない場合が多い(だから発見されない)とされます。ところが、チェルノブイリ後に増加した甲状腺がんでは肺転移が多くの例でみられた、ということです。(同書P77より)転移性となると、とうてい「放置して問題ない」とは言えないでしょう。福島での甲状腺がん増加の場合は果たしてどうか、残念ながら私は情報を持っていません。しかし、チェルノブイリで甲状腺がんの肺転移が多くみられた以上、「手術なんかしなくても大丈夫」「見つける必要のないものを見つけただけ」などとは言えません。
2022.02.17
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池田信夫ツイッター噴火の規模はまだ不明だが、ピナツボ火山と同じVEI6だとすると、地球の平均気温は3年で0.5℃下がる。80年で2℃上がるというIPCCの予測を大幅に書き換える可能性がある。---いやー、今知ったことでもありませんが、池田信夫ってバカでしょ。ピナツボ山の噴火は、日本では2年後の1993年の平成の米騒動を引き起こした(その一因となった)のですが、世界平均で見ると1992年の気温低下がもっとも著しく、93年はそれに次ぎます。ただ、影響はその2年で終わりました。日本では、翌1994年は前年とは一転して酷暑で水不足の夏として記憶されています。世界平均で見ても1994年はかなり気温が上昇し、翌1995年はさらに上昇して当時としての観測史上最高気温となりました。それも、2年後の1997年には更新されてしまったのですが。気象庁ホームページ「世界の年平均気温」そもそも、年平均気温で見ると、全体の傾向としてはずっと気温が上昇傾向にある中で、ピナツボ山噴火による気温低下は、細かい振幅のわずかな下振れの部分に過ぎないのです。それで地球温暖化傾向を止めてしまうほどの力は、少なくともピナツボ火山レベルの噴火にはない、ということです。当然、もっと大規模な噴火なら話は変わってきますが。さて、そうすると当然次の疑問が湧いてきます。世界の年平均気温で見れば1970年代以前なんてほとんど1993年より気温が低いのに、なんでその時代は不作にならなかったのか?その答えは、以前別の記事で半分触れたことがあります。北海道で米作ができるのは温暖化のせいか?「温暖化」というと、一般的には「夏に酷暑になる」という印象があります。しかし、実際には温暖化によって気温が上がるのは夏ではなく冬です。旭川の過去の気象統計を見ると、統計開始最初の5年間(1889-1893年)の1月の平均気温は-11.1度、~昭和最初の5年間(1927-1931年)の1月の平均気温は-10.0度、最近5年間(2017-2021年)は-7.1度と、128年前と比べて4度、90年前と比べても3度も暖かくなっています。一方8月の平均気温は1888-1892年平均20.0度、1927-1931年は21.6度、最近5年は21.0度、128年前に比べて1度しか上がっておらず、90年前と比べたら、今の方が若干ですが気温が低いのです。---はい、地球温暖化の主要な現象は「夏が暑くなる」ことではなく、「冬が寒くなくなる」ことだというのはよく覚えておきましょう。一方、1993年の冷夏はどうだったか?これは文字どおり、「冷夏」です。つまり夏だけが寒かったのです。前述のとおり、1993年の記録的冷夏に対して、翌1994年は記録的猛暑となりましたが、「年平均気温」で比べてしまうと、この2年間の気温の差はそれほど大きくないのです。1993年東京の年平均気温15.5度、1994年同16.9度です。たった1.4度の違いです。では、月平均気温で見てみましょう。1月から12月ではなく、前年12月から11月までの1年で見てみます。東京1992-93年 1993-94年12月 9.4 8.5 1月 6.2 5.5 2月 7.7 6.6 3月 8.7 8.1 4月13.4 15.8 5月18.1 19.5 6月21.7 22.4 7月22.5 28.3 8月24.8 28.9 9月22.9 24.810月17.5 20.211月14.1 13.4比較すれば一目瞭然でしょう。1993年7月平均気温22.5度、8月平均気温24.8度、この2か月が途方もなく異常低温だったので、それ以外の月はそこまで極端な差はありません。それどころか12月から3月までと次の11月は、1993年の方が猛暑の1994年より暖かいのです(1月から12月ではなく12月から11月で区切ったのは、ひと冬をつなげて考えるためです)。年平均気温では翌1994年と1.4度しか気温の差が生じていないのは、冷夏で気温が下がっても暖冬で気温が上がっているからです。年平均気温で見たら、1993年の東京の平均気温15.5度より低い年は、それ以前にゴロゴロありました。1988年15.4度、1986年15.2度、1984年14.9度など。それなのに、93年だけが記録的不作だったのは、農作、特に米作は基本的には春から秋にやるものだからです。夏の暑さと日照時間不足が致命的で、冬の寒さは影響がないのです。地球温暖化は夏の気温はあまり変わらず、冬の気温が上がる。いっぽう、「火山の冬」は、観測史の中では、そんなに多くの実例があるわけではないので一般論としては分かりませんが、少なくともピナツボ山噴火が日本に及ぼした影響としては、冬(あるいは夏以外)の気温はあまり変わらず夏の気温が下がったわけです。ということは、地球温暖化と火山の冬が組み合わさると冬は暖かく夏は寒くなる、ということになります。もちろん、確実にそうなるとは限りませんが、年平均気温で見れば両者が帳消して気温の上昇が一時的に止まるように見えたとしても、第一にそれはわずか数年のことに過ぎないし、第二に、年平均気温の変動がわずかでも、月ごとの平均気温を見たらそうとは限らない、ということです。火山の冬による冷夏が農業の大きな悪影響を及ぼすことは言うまでもありません。逆に地球温暖化によって冬の気温が上昇することは、北海道の米作の件でも指摘したように、農業に対する有益な効果はほとんどありません。したがって、火山の冬を打ち消すためにCO2を放出、なんてことには害悪だけがあって益は何もない、ということです。
2022.01.19
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スズメとツバメ、なぜ減少? 人の暮らしの変化で、巣作りや餌確保難しくなるほドリ 僕の仲間の鳥たちについての調査(ちょうさ)結果が出たって聞いたよ。記者 野鳥の国勢調査とも言われる「全国鳥類繁殖分布調査」ですね。今年、約20年ぶりに調査結果が公表されたのですが、今回の調査でスズメは1990年代より34%減、ツバメは約40%減と大きく減ったことが分かりました。Q どうして減ったの?A はっきりとした原因は分かっていませんが、人の暮らしが大きく影響しているようです。~スズメが生息するには巣作りに適した場所があることと、餌が十分にあることが必要です。まず巣作りでは、住宅の軒下や瓦屋根の隙間など、敵が侵入しにくいところが選ばれます。しかし最近は、真四角で軒がなかったり、屋根に継ぎ目がなかったりする住宅が増えています。Q 餌も取りにくくなっているのかな。A 農地の減少に加え、住宅地に近い空き地や雑木林、お寺や神社などにあった緑地が減って、主に食べる植物の種や虫を確保しづらくなっているようです。スズメの行動範囲は巣から約100メートルと広くありません。巣作りに適していて、餌も取りやすいという、二つの条件がそろった場所が減ってきているのでしょう。Q ツバメが減ったのも人間の影響?A ツバメも民家の軒下に巣を作り、農地など開けた緑地で虫などを食べるので、すみづらくなっている状況はスズメと似ています。Q これからどんどん減っちゃうの?A まだ絶滅が心配されるような状況ではありませんが、今後も減少が続く可能性があります。~---野鳥の写真撮影をする私としては、大いに興味ある記事です。問題の調査結果はこちらにあります。全国鳥類繫殖分布調査~日本の鳥の今を描こう~この調査結果の概要を見て、引用記事とは違った部分で私は軽く衝撃を受けました。分布状況の変化のなかに分布の増減上位10種という表がありますが、増えた10種のトップ2がガビチョウとソウシチョウという事実です。鳥に詳しくない方は何のこっちゃ?かもしれませんが、この両種は外来種です。言ってみればドバトのようなものだと思えばいいでしょう。実際、高尾山が顕著ですが、両種、特にガビチョウが増えていることは体感的に分かります。ガビチョウの分布域を見ると、二つの地域に分かれ、関東甲信から東北南部にかけての太平洋側と九州北部で、中京~近畿~中国・四国と北方、日本海側の多雪地にはまったく分布しないようです。ガビチョウ鳴き声はきれいだけど音量はバカでかく、結構うるさい鳥です。ソウシチョウもそうですが、特定外来生物に指定されています。この鳥ばかりが増えているのはやや残念なことですが、持ち込んだのは他ならぬ人間ですからね。原産地は中国南部から東南アジアにかけてですが、現在では中国は輸出禁止、日本では前述の「声がバカでかく」がネックとなって需要がなくなり、新たな輸入はほぼなくなっているようですが、もはや日本に定着してしまったガビチョウはどうしようもないようです。一説には売れないガビチョウを抱えたペット業者が始末に困って遺棄した、とも言われており、人間のやることはなかなか罪深いものです。
2021.12.16
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処理水の海洋放出 政府、13日にも決定 福島第1原発事故東京電力福島第1原発の汚染処理水の処分を巡り、政府は13日にも関係閣僚会議(議長・加藤勝信官房長官)を開く方針を固めた。処理水の海洋放出を決定する見通し。決定すれば、実際の放出は約2年後になる。風評被害が懸念されるため、政府は今後、対策を検討していく。汚染処理水は連日発生しており、タンクには4月時点で125万立方メートルたまっている。2023年3月ごろまでに満水になる見通しで、処分方法の決定を迫られていた。処分方法を巡っては、有識者による政府の小委員会が20年2月、海洋放出を強調する報告書をまとめた。これを受け、政府は漁業関係の団体などの意見を聞き、海洋放出の決定に向けて同年10月に関係閣僚会議を開く方向で検討していた。しかし、漁業関係者らの反発により開催を先送りし、関係団体と調整。菅義偉首相は今月7日、全国漁業協同組合連合会の岸宏会長と首相官邸で会談し、海洋放出への理解を求めていた。---こういう安易な解決方法を何故取ろうとするのでしょうか。引用記事にあるように、タンクには125万立米のトリチウム水が保管されています。一方、タンクの総容量は、引用記事にはありませんが、検索すると137万立米程度あるようです。つまり、残り12万立米分しかないのですが、満タンになるのは23年3月の見通し、ということはあと2年近く先の話になります。これまでの10年間では年平均12.5万立米の汚染水がたまったけれど、現在は年平均6万立米まで減っているということになります。ならば、タンクを増設すればいいじゃないですか。地上に増設するのが難しければ、タンカーにすればいい。世界最大のタンカーは積載重量56万トンですし、30万トンクラスのタンカーはゴロゴロあります。30万トンクラスでも1隻で5年はもつ。10隻あれば50年(今後汚染水の溜まり方が次第に減っていくとすれば、実際にはもっと長く)もちます。トリチウムの半減期は12.3年です。つまり、現在3.11直後に比べてトリチウムの総量は半分近くまで減ってきている、ということになります。あと50年貯め続ければ、半減期がの5倍の時間が経過するので、トリチウムの総量は3.11直後の1/30以下になります。そのくらいまで減れば(トリチウム以外の放射性物質が除去されていれば、という前提の上でですが)、その段階で初めて、海に流すなり、沸かして水蒸気として放出させるなりという選択肢を選ぶのもやむを得ないと思いますが、現時点ではあまりに早すぎると言わざるを得ません。そのツケを負わされることになるのは、福島県の漁民です。トリチウムは歴然たる放射性物質であり、ベータ線を放出します。ベータ線は短い距離にしか影響を及ぼさないので、外部被ばくの危険性はありませんが、体内に取り込んだ場合は内部被ばくを防ぐことはできません。水(H2O)の水素原子が山重水素に置き換わった重水を、生物は異物として排除することはできません。水として体内に取り込まれるので、一定の被爆は起こります。もちろん、重水は自然界にも存在するので、どんなに少なくても明確な悪影響がある、というわけではありませんが、言うまでもなく福島に貯蔵されている重水は自然界に存在するよりはるかに大量です。それが放出された周囲での健康被害が、「風評」と呼べるほどなのかは分かりません。前述のとおり、内部被曝だけが問題になるので、周囲で漁獲された海産物を口にしなければ問題は生じませんが。元々原発ではトリチウムが発生するため、事故前からトリチウムは海中への放出は認められていましたが、量が問題になります。現在福島で貯蔵されているトリチウムの量は、事故前に海中放出が認められていた量の3000倍以上に当たるようです。その量を何年かけて放出するつもりか知りませんが、100年かけて、ではないでしょうから、何の問題もない、というわけにはいきません。
2021.04.11
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田母神俊雄氏「放射線も塩と同じだ。毒ではない」元航空幕僚長の田母神俊雄氏が12日、ツイッターを更新。放射線に関して持論を述べた。田母神氏は「人間は塩分を取らずには健康を維持できないが1度に1kgの塩を取ったら死んでしまう。放射線も塩と同じだ。毒ではない」と主張。「限りなくゼロがよいのではなくある強度の放射線までは健康を害することはない。毎時200ミリシーベルト程度の放射線までは大丈夫だと中村仁信博士が言っている」とつづった。前日の11日で、東日本大震災から10年を迎えた。地震による津波は多くの尊い人命を奪っただけでなく、福島第一原発の炉心溶融、建屋爆発事故を引き起こし、放射性物質が拡散。今もなお故郷に帰ることができない人々が多くおり、増え続ける汚染水は頭の痛い問題だ。トモダチ作戦に参加した米兵の中には、被ばくによる健康被害を訴える人もいる。一方でごく微量の放射線は自然界に存在(自然放射線)し、ラジウム温泉など健康利用も行われている。デリケートな問題だけに、フォロワーからは賛否両論が寄せられた。---例によって例のごとく、ネトウヨの親玉がトンデモ発言をしているようです。「放射線も塩と同じだ。毒ではない」とのことですが、そんなことはありません。塩は、過剰摂取すれば健康を害するとはいえ、基本的に生命の維持に必須のものです。しかし、放射線はそうではありません。確かに、ごくごく微量の放射線はごくごく微量の健康被害しかもたらさず、自然放射線やそれ以外の様々な健康リスクに埋もれてしまうから、「さほど気にすることはない」ということは言えます。でも、必要以上に気にすることはないとはいえ、それが毒であること自体は間違いありません。塩を断ったら生命は維持できませんが、放射線を断って人が死ぬことはありませんから、両者は根本的に違います。「ある強度の放射線までは健康を害することはない。」という言葉自体は間違いではないものの、その「ある程度」は、間違っても毎時200ミリシーベルト程度などというトンデモな数値ではありません。100ミリシーベルト以下の被爆の健康被害の程度はよく分かっていませんが(あくまでも分かっていないのであって、ないのではない)、少なくとも100ミリシーベルトでは発がんリスクが0.5%上昇することが分かっています。毎時200ミリシーベルトとは、その数字に30分で到達する放射線量です。丸一日浴びれば4.8シーベルト、多くの人が死ぬレベルです。そんな放射線量が「健康を害することはない」で済むはずがないのです。引用記事に、ラジウム温泉など健康利用も行われているとありますが、ラジウム温泉の放射線量など、それこそごくごく微量です。調べたところ、玉川温泉浴室内の放射線量は、毎時0.3マイクロシーベルトです。毎時200ミリシーベルトというのは、この玉川温泉の放射線量の数十万倍に当たります。そして、その玉川温泉の放射線だって、それが絶対に安全なものかどうかは、実際のところは分かりません。ただ、一日中お風呂に入りっぱなしという人はいないわけで、問題になるようなレベルではない上に、「温泉」「入浴」には健康面、心理面の様々な良い効果があります。あるかないか分からない、あったとしてもきわめてわずかな放射線の害よりも、温泉で入浴する効果の方が明らかに大きいから、問題にならないのです。しかし、もし毎時200ミリシーベルトなどというラジウム温泉があったとしたら、当然立ち入り禁止になっています。温泉自体にどれほどの効用があろうとも、それを上回る健康被害が生じる放射線量だからです。もちろん、実際にはそんな温泉は存在しませんから安心していいのですが。レントゲン撮影だって、1回の放射線量は胸部レントゲンでは0.1ミリシーベルト未満、CTスキャンでも1ミリから10ミリシーベルト程度です。そのレントゲン撮影だって、あくまでも病気やけがの状態を知る、あるいは健康状態に問題がないかどうかを知る、という明確な効果があるから、必要最小限度の回数だけ行うのです。何の効果も意味もないのにただレントゲン撮影をする人はいません。ガンの放射線治療も同じです。ガンの放射線治療はレントゲン撮影よりもっと強力な放射線を浴びせますが、それはあくまでも治療という目的のためです。放置すればもっと大きな健康被害(ガンの場合は確実に死ぬ)が生じるから許されるのです。死亡率100%に比べれば、死亡率20%ならはるかにマシです。でも、健康に問題のない人に死亡率20%のリスクを与えることは許されません。健康な人に抗がん剤を投与したり、手術でメスを入れれば、それは立派に傷害です。放射線治療も同じことです。以前の記事で触れましたが、福島第一原発周辺の放射線量は、事故から10年を経て、やっとだいぶ減ってきました。だから、避難地区が解除された地域も結構あります。が、現在でもなお、毎時6マイクロシーベルト程度の放射線量を測定している地域があり、そういうところはおそらくあと数年、下手をすると10年くらい、避難地域解除に時間を要するでしょう。しかも、これは原発の敷地との外側の話です。原発の中は、まだまだ生身の人間が近付くこともできないところが山ほどある。廃炉まであとな十年かかるかも見当がつかない状態です。この現状を前にして、毎時200ミリシーベルトまでは問題ない、などと、何を寝言を言っているのかと思わざるを得ません。まあ、この人物にしてこの発言あり、ですが。
2021.03.16
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レジ袋有料化の効果に懐疑論が浮上。しかし日本はそれ以前の問題だった全国の小売店でプラスチック製レジ袋の有料化が義務付けられました。環境問題を考えた場合、必要な措置であると評価される一方、実質的には意味がないとの指摘もあるようです。7月1日以降小売店でレジ袋は2~5円かかります。レジ袋を受け取り続けた場合、長期的には結構な金額負担です。この話の本質は環境問題ですから、お金を払えばそれで解決というワケにもいきませんが、一部の専門家からは、環境問題の解決策として意味がないとの指摘も出ているようです。レジ袋をなくせば、その分だけプラスチックごみを減らせますが、海洋プラスチックごみのうちレジ袋の割合は0.3%。本当にプラスチックごみをなくすならペットボトルへの対策が必須ですが、そうした動きにはなっていません。また、レジ袋は環境負荷が小さいという特徴もあります。レジ袋の原料ポリエチレンは石油精製時に必ず発生する副産物なので、レジ袋を使わなくても産出されてしまいます。もともと捨てるはずだったものですから、石油由来の素材を使ったマイバッグなどを使ってしまうと逆に石油の消費が増える可能性もあります。日本は国際社会の流れに追随するため、レジ袋有料化を決定しましたが、国際社会はなぜプラスチックごみを問題視しているのでしょうか。その背景となっているのは、脱石油社会へのシフトという流れです。米国を除き、欧州を中心とした先進各国では脱石油の動きが活発になっています。プラスチック容器やレジ袋等石油由来資源のみならず、発電目的など、あらゆる分野で脱石油を進めるのが国際社会の流れであり、石油由来の資源の中で効率が良い悪い、比率が高い低いという話には意味がありません。レジ袋の有料化には実質的な効果がないという指摘は間違っていないと思いますが、脱石油が至上命題の国際社会で、そう主張しても効果がありません。日本政府が国際社会(米国を除く)の流れと方向性を合わせるならば、火力発電やペットボトルの廃止も含めた総合的な脱石油の提言が必要です。一方、こうした流れとは決別し、米国のように石油に依存する独自路線を歩むなら、諸外国を力でねじ伏せる強大な政治力が必要です。しかし、今の日本にそうした力がないのは明白でしょう。もっともよくないのは、表面的には世界各国と歩調を合わせるかのように振る舞い、実際には脱石油を進めないというパターンです。場合によっては公約違反であると国際社会から激しい批判を浴びる可能性もあります。中途半端な姿勢は弊害をもたらすばかりです。(要旨)---引用記事には、「レジ袋の有料化には実質的な効果がないという指摘は間違っていない」とありますが、私はその手の懐疑論はかなり眉唾物だと思っています。引用記事にある「レジ袋の原料ポリエチレンは石油精製時に必ず発生する副産物なので、レジ袋を使わなくても産出されてしまいます。」(要旨)という話も、嘘ではないけれどかなり誤解を招きやすいものではないでしょうか。石油(原油)は、精製する過程で様々な石油化学製品が生まれます。プロパンガスからガソリン、軽油、灯油、重油・・・・・。軽質油寄り原油、重質油寄りの原油などの違いは多少あるにしても、基本的には原油を精製すればあらゆる成分が抽出されます。逆の言い方をすればあらゆる成分が「使わなくても産出されてしまう」ものです。もし世の中の自動車がガソリンエンジンばかりでディーゼルエンジンがなければ(歴史的に見ればディーゼルエンジンの発展はガソリンエンジンより遅く、戦前にはトラックやバス、鉄道の気動車すらガソリンエンジンを搭載していた)軽油が「使わないのに産出されてしまう」ものになっていたでしょう。何もポリエチレンだけが特別に「使わなくても産出されてしまう」ものというわけではありません。レジ袋の原料ポリエチレンは、更にもとをただせばナフサが原料です。石油化学工業の黎明期、まだ石油が燃料としてしか使われていなかった時代には、あるいは石油化学製品の開発は「使わないのに算出されてしまう」ナフサの廃物利用だったのかもしれません。その頃、買い物と言えば買い物籠を持ち、量販店ではない小売店では、野菜などはそのままかごに入れ、肉や魚などは新聞紙にくるんで、あるいは「紙竹皮」の上から新聞紙でくるんでいたのでしょう。しかし、ひとたびポリエチレンが商品として売れてしまい、社会の隅々までポリエチレンが使われるようになった今、最初の経緯はどうあれ、それを単なる廃物利用とは言えません。また、現実問題として、レジ袋は様々な技術革新によって、その登場以来次第に厚みが薄くなってきました。それは、同じ原料から少しでも多くの生産ができるよう、という涙ぐましい努力だったわけです。ポリエチレンが「使わなくても産出されてしまう」ものなら、そんなもの薄くする必要などないではありませんか。現に、日本は輸入した原油からナフサを精製しているだけではなく、精製されたナフサも相当量輸入しています。「使わなくても生産されてしまう」ものをわざわざ輸入するわけがないのです。それはともかく、レジ袋よりペットボトルの方がゴミとしての量が多いことは確かでしょう。個人的には、ペットボトル飲料は極力買わないことにしています。日常的には水筒(保温ポット)を持って出勤するので、ペットボトル飲料を買うのは泊まりがけの旅行や登山に行くとき、夏の暑い日で保温ポットの飲料だけでは足りなくなったとき、あとは自分で買ったわけではなく会議などで参加者に配られたとき、くらいです。年間に10本以上は消費するけど20本は消費しない、そんな程度です。家族3人で、年に50本までは消費していません。環境という問題もありますが、1本130円前後のペットボトルを毎日、家族3人で買えば年間1000本超、13万円超です。お金がもったいないと思うのも大きいです。ただ、ペットボトルはかなりの程度リサイクルが行われています。その点、レジ袋と同列ではありません。また、レジ袋が容易に破断するのに対して、ペットボトルはそう簡単に壊れない。視覚的にはペットボトルもレジ袋も、ゴミとして散乱していたら同じくらい汚いですが、野生動物の誤飲リスクという意味では、レジ袋の方が遙かに大きいことは明白です。分量で言えば、それを上回るのが、生鮮食品などに用いられるトレイや発泡スチロール類、菓子や加工食品の包装パック類でしょう。これらも、あまりリサイクルされているようには見えません。これらについても、いずれは問題化していくだろうと思います。いずれにしても、引用記事の書きぶりに首を傾げる部分はあるものの、世界の大勢は脱石油大量消費、という方向を向いているという結論は、そのとおりでしょう。レジ袋有料化が脱石油に資する効果はわずかでしょうが、手間もわずかで、特に不都合のあるものでもないと思います。以前より、「西友」を初めとしてレジ袋を有料化していた量販店は珍しくありません。環境問題より経費節減が主眼かもしれませんけど。マイバッグを持って行くくらい、大した手間じゃないでしょう。引用記事に「マイバッグが石油由来の製品だと逆に石油を使ってしまう可能性」が指摘されていますが、すでに見たように、その主張は怪しいです。しかも、石油製品ではない布製品であれば成り立たない主張です。そもそも、あの種の袋をまったく持っていません、という世帯がどれほどあるのか。社会生活を送っていく上で、使い捨てではない手提げ袋は、必須のものではないかと思います。まあ、もしもっていないなら、すぐ買うべきでしょうね。普通に10年単位で使えますから、仮に一人暮らしで週に2回くらいしか買い物に行かないとしても、1000回は使えます。どんな素材で作ってあったとしても、レジ袋1000枚分よりはるかに石油の消費が少ないことは歴然としています。いや、もちろんお金を払ってレジ袋をもらったっていいと思いますけどね、そのレジ袋を使い捨てにせず、何回も使えばよいだけのことですから。我が家も、マイバックを使っているにも関わらず、レジ袋もいろいろな事情でもらうことがあります。そういうものは、山の道具入れになったりすることもあるけど、買い物で何回も使うことが多いです。堅くて角張ったものに注意を払えば、レジ袋だって10回くらいは使えるものです。ようは、ほんの一手間です。わずかに手間を念頭に置けば面倒などどうとでもなる話です。
2020.07.14
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民主党が中止した川辺川ダムがあれば、球磨川の氾濫は防げたのでは?との声藤原かずえ @kazue_fgeewara民主党政権は八ッ場ダムと川辺川ダムの建設中止を掲げ、思考停止したマスメディアはこれに一斉に同調し、両ダムの建設を悪魔化しました。八ッ場ダムは何とか建設されて昨年の豪雨で機能しましたが、球磨川上流の川辺川ダムは中止のまま。セキュリティホールが突かれました。しまりす👔内調勤務 @simalis110数年前の川辺川ダムの建設中止は・元熊本県知事の蒲島郁夫・旧民主党政権・流域内外の自然派サヨクの意向です。---九州の水害、大変な事態になっています。というか、まだ雨は続いており、新たな被害も懸念されるようです。早期の被害終息と復旧を願うばかりです。ところで、氾濫した球磨川の支流川辺川にはかつてダムが計画されていましたが、地元の反対が強く、最終的に蒲島知事(引用記事に「元」熊本県知事とありますが、嘘。現職です)が反対を明言したことで、建設計画が中止になりました。ところが、この事態を「民主党が川辺川ダムを中止した、民主党政権が悪い」というデマにつなげるタチの悪いネトウヨどもがいるわけです。確かに、民主党政権は川辺川ダムの建設計画を中止しました。でも、それは地元知事が反対を明言し、事実上建設が不可能になっていた現状を追認したものにすぎません。残念ながら、ダム建設中止は民主党政権の成果ではなく、蒲島知事の成果なのです。何しろ、知事がダム建設反対を明言したのは民主党が政権につく1年も前であり、この間自民党政権だって「地元の考えは尊重する」という姿勢を取るしかなく、ダム建設計画は事実上中止していたのです。だって、ダムは全額国費で建設するものではありません。地元が反対、つまり建設費は払わないと言っているのに、建設できるわけがない。ちなみに、蒲島知事は無所属ですが自民党系知事です。初当選時は川辺川ダムについて「中立」と言っていましたが、当選後に反対を明言しています。この時の選挙で当時の民主党は対立候補を立てています。それらの点から見ても、蒲島知事が民主党の意向を受けて川辺川ダムに反対したわけではないことは明白です。それは、あくまでも地元の意向に従ったまでのことです。事実上の自民党知事である蒲島知事が4選していることからも明らかなように、熊本は保守王国です。地元のダム反対姿勢も、「自然派」はともかく、「サヨク」ではないことは歴然としています。要するに何でもかんでも、自分の気に入らないものを何でもかんでも「サヨク」扱いしているだけのことなのです。なお、蒲島知事は水害後も「ダムによらない治水を極限まで検討する」と明言しており、現在のダム建設には反対の態度を貫いています。そのあたりは、自民党系とはいえ意外に首尾一貫している。というわけで、川辺川ダムの中止を民主党の功績、あるいは罪悪にする言説は、デマとしか言いようがありません。さて、ダム建設中止が誰の手によるものか、という問題は別にして、そもそもダム建設中止は本当に悪だったのか、ということ自体に、私はかなり疑念を抱きます。引用記事に土木工事に反対する人々は、無駄だ無意味だと市民感情を煽り立て、計画が中止になれば「正義が勝った」と歓声をあげる。そして、忘れる。ダムがあれば防げただろう天災の、失われた命に対して、責任をとることは一切ない。というコメントがあります。忘れるのは、お前らも一緒だろ、としか言いようがありません。普段はダムの是非なんてほとんど忘れていて、民主党の「罪悪」をあげつらう材料になった時だけ騒いでいるだけの話ですから。それはともかく、確かにダムは100年に1度か200年に1度の大水害が来た時、役に立つ、かもしれません。(かも、であって確実に役立つとは限りません)しかし、その100年200年に一度への対策の代償は、非常に大きい。当然ながら、ダムの底に水没する集落が出ます。Wikipediaによれば、五木村の村役場を初め村の中心部400戸以上が水没予定地内にあるそうです。ダム予定地に広がる豊かな自然も水没する。私は現地に行ったことはありませんが、Wikipediaにダム予定地の写真があります。その景色を湖底に沈めてしまうのは、あまりにもったいないです。ダムの下流域では、平時には水量は激減しますし、建設費用が巨額に膨れ上がることも確実です。近年、異常気象による大規模水害が頻発しており、上流にダムのある所でもないところでも、今回のような事態は発生しています。昨年の台風15号、19号、一昨年の西日本の集中豪雨、「線状降水帯」という用語がマスコミに頻発するきっかけとなった2015年の関東・東北水害・・・・・。そこから考えれば、「ダムがあれば大雨でも水害が防げる」と単純に決めつけられるものではありません。もちろん、何の役にも立たない、とは言いません。ないよりはあった方がマシかもしれません。しかし、前述のとおり400戸、500世帯の住民から生活の場を奪い、豊かな自然を水没させ、下流域では水量の減少を招き、かかる費用は2000億円以上、それほどの犠牲と費用と引き替えにしても見合うような効果があるのか。費用の全額を国が負担するなら、地元の賛否も変わったかもしれませんが、前述のとおりダムは全額国費で建設されるものではありません。建設費が高騰すれば地元の負担も増える。建設に躊躇するのも当然なのです。そのあたりのことを何も考慮せず、ただ単に民主党たたきの材料としてだけ「ダム建設を中止していなければ」と叫んで回る連中の、なんと底の浅いことか、と思います。
2020.07.08
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伊方原発3号機 運転認めない仮処分決定 広島高裁る伊方原子力発電所3号機について広島高等裁判所は、地震や火山の噴火によって住民の生命や身体に具体的な危険があるとして、運転を認めない仮処分の決定を出しました。現在は定期検査のため停止中ですが、検査が終了する4月以降も運転できない状態が続く見通しになりました。伊方原発3号機が司法判断で運転できなくなるのは平成29年以来、2度目です。山口県南東部にある島の住民3人は、四国電力に対して伊方原発3号機を運転しないよう求める仮処分を申し立てましたが、去年3月山口地方裁判所岩国支部が退けたため抗告していました。17日の決定で広島高裁の森一岳裁判長は、伊方原発の敷地の近くに地震を引き起こす活断層がある可能性を否定できないとしたうえで「原発までの距離は2km以内と認められるが、四国電力は十分な調査をせず、原子力規制委員会が問題ないと判断した過程には誤りや欠落があったと言わざるをえない」と指摘しました。また火山の噴火に対する安全性については、熊本県の阿蘇山で噴火が起きた場合の火山灰などの影響が過小評価されているという判断を示しました。そして、地震や火山の噴火によって住民の生命や身体に重大な被害が及ぶ具体的な危険があるとして、山口地裁岩国支部で判決が出るまでの間、伊方原発3号機の運転を認めないとしました。伊方原発3号機は先月から定期検査のため運転を停止中ですが、仮処分は直ちに効力が生じる一方、正式な裁判の審理は、当面続くとみられることから、検査が終了する4月以降も運転できない状態が続く見通しになりました。四国電力は、17日の決定の取り消しを求めて異議を申し立てる方針で、申し立てがあった場合、広島高裁の別の裁判長が改めて判断する見通しです。伊方原発3号機をめぐっては、平成29年に広島高裁が運転しないよう命じる仮処分の決定を出していて、司法判断で運転できなくなるのは2度目です。前回はおよそ1年後に広島高裁の別の裁判長がこの決定を取り消したため、その後、再稼働しました。---伊方原発3号機については、つい先日、使用済みMOX燃料取り出しについての記事を書いたばかりです。運転差し止めを求める裁判が行われていることは知っていますが、正直なところ高裁で運転差し止めが認められるとは予想していませんでした。ただ、引用記事にもありますが、伊方原発3号機については、2017年にも一度、同じ広島高裁が運転差し止めの仮処分を決定したことがあります。その限りでは、必ずしも画期的な決定、というわけではないかもしれません。ちなみに、前回の仮処分を行った裁判官と同じ裁判官が含まれているかどうかは分かりませんが、少なくとも裁判長は別人です。引用記事によると、決定は原発の敷地近くに活断層がある可能性が否定できないこと、阿蘇山噴火の影響が過小評価されていることを指摘しているとか。まったくもってそのとおり、と言うしかありません。伊方原発に限った話でもない(そして原発だけに限った話ですらない)かもしれませんが、一度「原発推進」という目標を決めてしまうと、何が何でもそれを進めようとする、原発推進の障害になるような「不都合な真実」は無視されたり軽視されたりする、という傾向があります。原発の敷地内やすぐ近くに活断層があるのにその存在を隠して、という類の話はよく耳にします。そういった行動の積み重ねの果てに起きたのが、福島第一原発の事故だったと言わざるを得ません。そして、あのような事故を経験してもなお、予想される災害に対するリスク判断よりも、経済性などの「大人の事情」が優先されている現状に対する、強烈なダメ出しと言えるのかもしれません。一方で、ある意味予想どおりですが、この決定に対する原発推進派連中の感情的反発は大きいようです。例えば、お決まりの池田信夫また阿蘇山の噴火。阿蘇山の溶岩で原発が破壊される確率は何%なのか。加藤清隆(政治評論家)裁判官は阿蘇の溶岩が本当に海を越えて、四国まで流れていくと思っているのか?1度現地調査してみたら。いやー、誰も阿蘇山の「溶岩」が海を越えて伊方原発を襲うなんて言っていないから。引用記事によれば、高裁の決定も「火山灰などの影響」と言っているようです。もちろん、溶岩は海の上を渡りはしませんが、火山灰、というより正確には火砕流、火砕サージですが、これは海を越えます。過去、そういう例はいくつもある。阿蘇山の噴火も、四国はどうか知りませんけれど、少なくとも本州には火砕流が届いていることは分かっているのです。タクラミックス以前もちょっと書いたが、伊方原子力発電所の運転を認めないって理由が、九州が壊滅するほどの阿蘇山噴火には耐えられないからって理由なんだったら、九州全域はすべて居住不可能地域として人が住むことを禁止しなきゃ筋が通らんし、その影響をうけるだろう山口や四国全域も同様だろう。なんだろう、この言いがかりは。個人が自分の判断で危険地帯に住むことは本人の自由としか言えません。そのことと危険地帯に危険物を設置することの可否は同列にできる話ではありません。加えていえば、人間はいざとなれば逃げることができます。破局的噴火と呼べる規模の超巨大噴火の最後の実例は1815年インドネシアのタンボラ山ですが、その当時は近代的観測網はなかったものの、噴火の前には明瞭な火山活動の激化があったようです。そのことから考えて、それほどの規模の噴火がなんの前兆もないことは考え難いです。1週間前に予知できれば、人間は相当割合で避難できますが、原発はどうにもならない。原発に足をはやして歩き出すことはできないし、その炉心にある核燃料を運び出すにも、非常に長い時間がかかる。まあ、こういう、明らかに非理性的な反応が次々と飛び出すあたりは、それだけ彼らのカンに障る判決だった、ということなのでしょう。
2020.01.18
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伊方原発 「使用済みMOX燃料」取り出し開始 商用原発、本格運転開始後で初四国電力は13日夜、定期検査中の伊方原発3号機で使い終わった核燃料を原子炉内から取り出す作業を始めた。「MOX燃料」と呼ばれる、放射性物質のプルトニウムとウランを混ぜた酸化物による燃料も含まれる。商用原発で本格的な運転開始後の使用済みMOXの取り出しは初めて。当面は原子炉建屋内のプールで保管される。使用済MOXは再利用が検討されているが実用化の技術は確立していない。原子炉内にある燃料157体すべてを取り出す。そのうち、使用済みMOX燃料16体を含む計37体を交換。MOX燃料は新たに5体を炉心に装塡する。使用済みMOXを含め、取り出した燃料を原子炉建屋内のプールに十数年間保管する。政府は「資源を有効利用する」などとして、使用済みMOXをさらにMOX燃料に加工して再利用することをもくろんでいる。使用済み核燃料や使用済みMOXを核のごみとして直接処分することになれば、核燃料の再利用を前提とするこれまでの原子力政策が揺らぐためだ。しかし、再利用の技術的なめどは立っておらず、プールで保管後の行き場は具体的に決まっていない。福島第1原発事故後、MOX燃料を使うプルサーマル発電をする原発が再稼働したのは、伊方のほか、関西電力高浜3、4号機と九州電力玄海3号機の計4基。各社が保有するMOX燃料は計221体に上る。今後も使用済みMOXは増えていく。(要旨・以下略)---MOX燃料とは、引用記事にあるように「放射性物質のプルトニウムとウランを混ぜた酸化物による燃料」ですが、補足すると、MOX燃料自体が、使用済み核燃料の再処理によってプルトニウムを抽出して作ったものです。本来は、高速増殖炉で使うことを念頭に作られたものですが、言うまでもなく日本の高速増殖炉「もんじゅ」は重大な事故を起こしてほとんど稼働することなく廃炉となり、今後実用化のめどは全くありません。そのため出てきた苦肉の策が、MOX燃料を通常の原発(軽水炉)で使うプルサーマルという方式です。しかし、通常の軽水炉ではMOX燃料を全体の1/3程度しか混ぜることができません。という時点で、本質的にMOX燃料は軽水炉で通常使う核燃料より更に危険なものであることがわかります。しかも、プルサーマル発電で消費できるプルトニウムの量など、実はたかが知れています。通常の軽水炉の場合、その量は年間で300kg~400kg程度だそうですが、日本が持つプルトニウムの「在庫」は約30トンです。しかも、原発を稼働していれば、続々と新たな使用済み核燃料が生まれ、それを「再処理する」といしう方針を掲げる限りは、またまたプルトニウムが増えるわけです。4か所や5か所の原発でプルサーマル運転を行うだけでは、とうてい使いきれません。では、20基30基の原発でMOX燃料を使えばいいのか。先ほど指摘したように、MOX燃料は通常の核燃料より更に危険なものですから、とうていそんなことができるはずはないのです。しかも、どう考えても使用済核燃料を再処理してMOX燃料にするのは、莫大な費用がかかります。使用済核燃料を再処理して再利用するより、核燃料を使い切り(ワンス・スルー)にする方が、実際には安上がりなのです。つまり、使用済核燃料の再処理、MOX燃料製造、プルサーマルなどということはやめた方が原発のコストは安上がりなのです。にもかかわらず「核燃料サイクル」にこだわるのは何故でしょうか。核武装への野心を疑われても仕方のないことではないか、と私は思います。そしておそらく、将来の核武装の可能性への担保、という側面もなくはないのではないかと、私も思います。ただ、より直接的な要因は、引用記事にあるように「使用済み核燃料や使用済みMOXを核のごみとして直接処分することになれば、核燃料の再利用を前提とするこれまでの原子力政策が揺らぐ」ことなのだろうと思います。ただし、「これまでの原子力政策」なんてものは、さして高度な話ではありません。よく知られているように、使用済核燃料の最終処分場は受け入れる自治体がなく、建設の見とおしは立っていません。現在使用済み核燃料が保管されている「中間貯蔵施設」は、まさしくその名のとおり「中間」貯蔵施設であって、地元自治体は最終処分場となることを強く拒絶しています。使用済核燃料は、「再処理してMOX燃料にします」と言っている限りは、ゴミではなく資源であると言い訳ができます。ところが、「再処理はしません」と言い出した途端に、それはただのゴミになります(極めて危険なゴミですが)。そうなると、中間貯蔵施設や原発(使用済み核燃料の保管プール)の地元自治体は、「うちは最終処分場じゃないのだから、ゴミは早く運び出せ」と言われて、使用済核燃料の持って行き場がなくなってしまいます。それを避けるための問題先送りツールが「再処理」というわけです。でももそんなことをやっても、永久に問題を先送りにしておくことなどできません。もうそれ以上先送りできない、というときがいつかは必ず来るのです。まあ、30年も先送りしておけば、今原子力政策に決定権のある立場の人たちなど、みんな「逃げ切り」ができるから、それまで先送りできれば、それより先のことはどうでもよいのかもしれませんが。結局、原発は一から十まですべて虚構の上に成り立っている砂上の楼閣に過ぎない、ということでしょう。
2020.01.14
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『フルメタル・パニック!』作者、環境活動家グレタさんへの“暴言”ツイートを謝罪 「未成年女性を相手にさすがにひどい表現でした」~問題となっていたのは、賀東さんが8日に投稿したツイート。環境活動家グレタ・トゥーンベリさんのニュースに触れつつ、グレタさんについて「俺もこの子きらい」と言及。また「もし自分が世界の影の支配者だったら、すべてを奪って絶望のどん底に叩き落として嘲笑してやりたい」「あっつあつの超うまいステーキとか食わせてやって、悔し涙を流す姿が見たい」と、菜食主義者であるグレタさんをあざけるような文章も投稿していました(現在はツイートは削除済み)。この発言に対しネット上では、「フルメタの大ファンだから、作者がこういった発言をするのは正直悲しい」「『嫌い』は個人の感想なのでどうでもいいけど、16歳の少女を相手に『徹底して嫌がらせしてやろう』っていう根性がもう小学生未満の幼稚さ」など批判が集中。(以下略)---氷山の一角とでもいうのでしょうか、たまたまこの人の発言が非難の的になりましたが、この種の「グレタ叩き」の言動はかなり多いように思います。確かに、彼女は発達障害があると公表していますが、おそらくはそれも原因となって、やや言い方に攻撃的な面があり、バランスに欠ける面は確かに感じます。ある種の人たちからは嫌われるだろうな、叩かれるかもしれないなと思ったら、案の定でした。もう少し穏やかな言い方をした方が多くの人に聞く耳を持ってもらえるだろう、という気がする一方で、ああいう言い方でなかったら世界の注目を集めることなどできなかっただろうとも思います。言っている内容が間違っているわけではないし、言い方どうこうで第三者は誰も迷惑を受けているわけではありません。というわけで、「グレタ嫌い」という感情を抱く人がいるということ自体は、仕方がないことではあるでしょう。前述のとおり、万人に好かれるタイプのもの言いではないことは明らかですし、好悪の情は人それぞれ、腹の中で考えていることに第三者が介入できるものではありませんから。だけど、少なくとも表現行為で飯を食っているいい大人が、社会に向けて公言するのに、ただ感情をそのまま文字にしただけの批判って、どんだけ浅いの?と思ってしまいます。それは批判ではなく、ただの悪口、誹謗中傷でしかありません。地球温暖化問題の、ここが間違っているとかここに反対とか、そういった論で批判できないんですかね。そうできないくらい彼女の言い分が正しくて、正面から批判しようがないので腹いせで罵詈雑言を並べているだけ、ということなのでしょうか?まあ、そう考えざるを得ない程度のレベルの発言が、「グレタ嫌い」に多いことは歴然としています。
2019.12.13
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小泉環境相「気候変動の問題、取り組むことはセクシー」小泉進次郎環境相は出張先のニューヨークでの共同会見で「気候変動のような大きな規模の問題に取り組むことは、楽しく、クールで、セクシーに違いない」と英語で述べた。小泉氏はその後、国連本部で開かれた都市の脱炭素化に関するイベントに出席しており、日本として気候変動問題に貢献していく姿勢も示した。(以下略)---すでに各方面から批判を浴びている発言ですが、そもそも何を言いたいのかがわたしにはさっぱり理解できません。あるいは、本人自身も言いたいことなどないのかもしれません。耳に心地よい単語を脈絡なく並べてみただけ、なのでしょう。ところで、歴史認識をめぐる問題で、南京大虐殺否定論やホロコースト否定論があるのと同様に、地球温暖化をめぐる問題でも、温暖化懐疑論者というものがいて、結構な勢力を持っています。米国のトランプ大統領なども、どうやら温暖化懐疑論と深く結びついている様子です。近視眼的な経済的メリットを考えれば、「温暖化なんてウソだ」と言う方が万事都合が良いからでしょう。その一方で、温暖化の危機を強調する人たちの中に、それはいささか誇張に過ぎるだろう、という主張がない、ともいえません。この問題は、当ブログを開設した10年前に、結構しつこく取り上げたテーマですが、それからだいぶ時間が経っているので、再論してみようと思います。温暖化問題は、いわゆる地球環境問題であり、自然環境への重大な脅威である、というのが大方の理解です。それに対して、温暖化懐疑論者の言い分は、ひとつは、「温暖化なんかしていない」というもの、もうひとつは、「温暖化なんて大した問題ではない」というものです。簡単に言ってしまえば「温暖化なんかしていない」というのは「ウソ」であり、「大した問題ではない」というのは「半分ウソ」であると私は思っています。折りしも、世界気象機関が、過去5年間の世界の平均気温は観測史上もっとも高温だったと発表しています。近年の世界の気温の上昇傾向は各地の気温データからも明白であり、どう考えても否定しようがありません。では、「温暖化は大した問題ではない」というほうはどうでしょうか。先に、それらは半分ウソと書きました。つまり、半分は事実ということです。地球が現在よりはるかに高温だった時代は、確かにありました。その時代に地球環境が重大な危機に瀕していたかというと、必ずしもそうではありません。でも、そこから「だから温暖化は大した問題ではない」という結論を導き出すのは、「ウソ」ということになるのです。地球の歴史という時間の尺度で見れば、人間によるどんな環境破壊も、たかがしれています。例えば、有名な6500万年前の巨大隕石落下による恐竜の大絶滅は、全面核戦争何回分にも相当する巨大な環境破壊でした。それでも、ほんの1000万年程度で地球は、陸上の動物相は元とは多少異なるものの(植物相と海中の生物相はあまり変わらなかった)、豊かな自然を取り戻しています。でも、1000万年という時間は、地球の歴史の上ではさほど長いものではありませんが、人類の歴史から見れば永遠です。人為的な自然破壊から地球環境が復活するのに要する時間は、更に短いでしょうが、仮にそれが1万年だとしても、人類にとってはほとんど永遠です。つまり、地球温暖化をはじめとする環境をめぐる問題は、実は「地球が壊れる」問題ではなく「人類社会が壊れる」問題なのです。そこを勘違いすると、トンチンカンな話になってしまいます。地球の歴史は気候変動の歴史です。例えば、およそ1万年前、最終氷期が終わって現在に続く間氷期(後氷期)に移る時期には、急激な温暖化、再寒冷化、再度の温暖化という3度の気候急変動がありました。その変動は、寒くなる際は数十年、暖かくなるほうに至っては、数年で一気に5度以上気温が変わるという凄まじさでした。もし現在にそのような気候変動が生じれば、現代文明は確実に破滅します。それに比べれば現在危惧されている気候変動など、たいしたことではありません、地球環境的には、です。でも、現代の人類社会にとっては、それだってきわめて深刻な問題なのです。温暖化によって海水面が5m上昇したとします。その程度のことは、地球の歴史の中では過去無数に起こったはずです。でも、現代文明は、そんな経験はこれまで一度もしていません。地球環境的には「よくあること」でも、今の人類社会にとっては未だかつて経験したことのない重大事態なのです。5mも水位が上がったら、海岸線付近に広がる世界の多くの大都市で、何千万か、ひょっとすると何億人もの人が住む家を失います。バングラデッシュとかオランダとか、太平洋上の島国は、国ごと存亡の危機に陥るでしょう。人類が農耕という食料調達システムを発明したのは、前述の最終氷期終わり頃の気候の急変動期です。発明のきっかけは急激な気候変動だったと思われますが、それ以降の農耕の発展と文明の発達は、逆に地球の気候がこの一万年間ずっと安定的だったことによるものです。グリーンランドの氷床コアの分析からは、それ以前の時代は気候は不安定で年ごとの気温の変動が凄まじく大きかったことが分かっています。そのような環境下では、農業を安定的に営むことはできないので、文明を大きく発展させることも難しいでしょう。逆に言えば、現代社会の基盤である農業生産は、気候の変動に対して脆弱であり、もしも地球の気候が過去1万年間の安定性を失えば、現代社会は容易に危機に陥るということです。気温がわずか2~3度上昇する程度のことの何が問題なのか、という人もいます。しかし、第一に、2~3度上昇したところで止まる保証はありません。というか、止まるはずがありません。第二に、地球全体の年平均気温での2~3度の違いは、かなり大きな違いです。例えば、東京の年平均気温は15.4度であり、仙台の年平均気温は12.4度です。そこには、丁度3度の違いがある。仙台の気温が東京並になったら、暖かくて助かる、というレベルの話ではすまない。気温の変動は降水パターンの変動にもつながりますから、これまでと雨の降る季節が変わったり、降水量が増えたり減ったりする地域が数多く生じます。全世界レベルでそんなことが起きたら、現代社会は非常に大きな混乱が生じることは、容易に想像がつきます。気温が上がることは、理論的には作物の栽培には好都合になる、はずです。でも、現実にはそうとは限りません。例えばジャガイモは、気温が25度を超えると成長が止まりますし、稲だって35度以上の気温が続くと高温障害が生じます。我々人類は、直近1万年間という、人類史的には永遠に等しいけれど、地球史的にはわずかな期間の気候の安定性という薄氷の上に、壮麗な城を築いているようなものです。しかも、その氷の厚さは正確には分かってもいない。それなのに、「たいしたことはない」と言って、もっと高い城を築いたり、氷をドンドンぶっ叩いたり、氷の上で焚き火をすることは、自分で自分の首を絞める、以外の何事でもないように思えます。別に、湖の氷が割れても、湖自体(地球自体)にはさほどの影響はないでしょう。でも、そのうえで生活している人間は溺れるよ、というはなしです。
2019.09.26
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たまたまネットを検索していて偶然見つけてしまっただけですがフル・フロンタルすみません。北極の氷が全部溶けても、水位は大して変わらないと思います。---何の接点もない人ですし、この人がそう叫んでいるだけならどうということもないのでしょうが、検索すると類似の主張が結構あるようです。こういう言い分は、木を見て森を見ず、な論理と言わざるを得ないでしょう。確かに、「もし北極海の氷だけが溶ける、ということがありえるならば、理論上は」北極(海)の氷が全部溶けても、水位はそれほど変わらないでしょう。それも、実際には水温が上がれば水は膨張するので、まったく海水面が上がらないわけではありませんが。熱膨張の点は措くとしても、理論上はともかく、現実には北極(海)の氷が全部溶けて、海水面が上昇しない、などということはありえません。何故か。北極海の氷は海に浮かんでいるものですが、グリーンランドの氷は違うからです。陸の上に載っているグリーンランドの氷床が溶ければ、海水面は上昇します。そして、グリーンランドの大部分は北極圏にあり、その氷は北極(海)と連続しています。つまり、グリーンランドは、「北極海」の一部ではないけれど、「北極の一部」ではあるのです。仮に「北極」を「北極海」に言い換えたとしても、北極海の氷が全部溶けて、隣接するグリーンランドの氷が溶けない、などということがありえるはずがありません。したがって、理論上は北極(海)の氷が全部溶けても海水面はあまり(熱膨張の影響を除いて)上昇しないけれど、現実にはそんなことは起こりえない、というのが正解です。ちなみに、グリーンランドの氷が全部溶けると、7mの海水面上昇と計算されています。南極よりはグリーンランドの方が氷の量が少ないので、影響は限定的ですが、それでも、東京をはじめとして世界の大都市の多くで、ゼロメートル地帯に莫大な人口と経済活動が存在します。それらが水没するか、またはそれを避けるために海岸線と川沿いの河口近くですべて堤防をかさ上げするか、いずれにしてもとてつもない事態です。地球の歴史上でいえば、たかが7mの海水面上昇はよくあることで、大したことではないのですが、現代の人類社会に与える影響は、破滅的に大きいのです。そして、事実として、近年グリーンランドの氷床の融解速度急激に上昇していると報じられています。
2019.05.31
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辺野古工事停止へ署名20万突破 米記者「米市民は知らない」「工事を止めるまで絶対に諦めない」―。吐息が白くなる寒空の下、県系4世のロブ・カジワラさんや平和運動家、遠方から駆け付けた沖縄県出身者らの思いがホワイトハウス前で結束した。ロブさんが提起したホワイトハウスの電子署名は8日現在、約20万筆に達した。沖縄県内でも米国での集会に合わせて在沖米軍司令部のある北中城村のキャンプ瑞慶覧石平ゲート前に市民ら約200人が集まり、新基地建設反対の声を上げた。~集会には在米県出身者らも駆け付けた。ミネソタ大学の島直子准教授は「翁長雄志知事の死後、居てもたってもいられず行動する機会が増えた。新基地建設工事は絶対に止めなければ」と熱い思いを語った。一方、集会の取材に訪れた米メディアは1社のみ。米誌ネイション記者は「アメリカでは話題になっておらず、米市民は知らない。工事が進む状況下で、どんな効果が見込めるかは未知数だ」との見方を示した。カジワラさんは昨年12月8日、請願サイト「We The People」で、埋め立ての賛否を問う2月24日の県民投票まで、工事の一時停止を要請した。ホワイトハウスは署名開始から30日以内に10万筆以上を集めた請願に対し、60日以内に回答する規定となっており、何らかの回答をする見通しだ。署名は米政府が回答するまで継続される。---私も、署名しました(多分、できていると思います・・・・・・)。https://petitions.whitehouse.gov/petition/stop-landfill-henoko-oura-bay-until-referendum-can-be-held-okinawa本当のことを言えば、辺野古基地建設問題について、米国で署名というのは、情けない話だと思います。本来それは日本政府が決めるべきことだからです。いくら米軍基地と言っても、米国が日本政府の意に反して建設しているわけではありません。だから、署名すべき相手は米国政府ではなく日本政府であるはずです。が、残念ながら日本政府は聞く耳を持たない。しかも、このように署名に対して何らかの回答を行うというシステムは日本にはありません。であれば、日本政府の宗主国である米国に対して、このような運動に出るのは、次善の策としてやむをえないことです。それにしても、30日間で10万筆が条件でしたが、その2倍の20万筆とは集まりました。モデルのローラさんが発言したことも大きかったかもしれません。ただ、この署名で工事が止まるかというと、残念ながら難しいだろうと考えざるを得ません。回答の義務があると言っても、どうせ木で鼻を括ったような回答しか返っては来ないでしょう。なんといっても、あのトランプですから。そこに何の期待も抱けません。その意味では、署名は米国政府に対するものというより、世界に対するアピールと言えます。世界にこの問題を知らしめていかなければ辺野古基地建設の阻止は見通せません。そして、移設是非を問う県民投票に大いに注目です。東京から、移設反対派を応援しています。一方、われらが首相は、こんなことを口走っています。辺野古埋め立て 首相が「あそこのサンゴは移植」と発言したが…実際は土砂投入海域の移植はゼロ米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設に伴う埋め立てに関し、安倍晋三首相は6日に放送されたNHKのテレビ番組「日曜討論」で事実を誤認して発言した。安倍首相は「土砂投入に当たって、あそこのサンゴは移植している」と述べたが、現在土砂が投入されている辺野古側の海域「埋め立て区域2―1」からサンゴは移植していない。埋め立て海域全体では約7万4千群体の移植が必要だが、7日までに移植が終わっているのは別海域のオキナワハマサンゴ9群体のみにとどまっている。(以下略)---東京オリンピック招致演説の際の「アンダー・コントロール」発言と同じく、公開の場で、その場限りの明らかなうそをつく、信じがたいことです。そもそも、仮に安倍の言うことが事実になったとしても、移植=解決、ではありません。例えば、私は明治神宮や葛西臨海公園に鳥を見に行きますが、もしも明治神宮を潰して何か別の施設(基地でも巨大高層ビルでも何でもよいですが)を作る、などという話になった場合、園内の樹木を移植すれば、問題ないのでしょうか。明治神宮の森は、都心にそういう環境があることが貴重なのであり、個々の樹木が絶滅危惧種というわけではありません。そこを自然とかけ離れた施設にするとしたら、それは大問題であり、樹木を他所へ移植することは何の解決でもありません。それに、移植にはリスクがあり、上手くいかずに枯れるものが相当出てきます。それは辺野古の珊瑚も同じでしょう。辺野古は、アオサンゴとジュゴンの分布北限とされます。アオサンゴ自体も絶滅危惧種ですが、とりわけ辺野古は「北限の地のアオサンゴ」だから重要なのです。それを、もっと南に移植することに、何の意味があるのか。そして、移植しても死滅するサンゴがかなり出てくるであろうことも、樹木の移植と同じはずです。まして、そこにいたジュゴンはどうするのか。移植した、という言葉自体も嘘ですが、それが問題の解決になるという発想自体が、何も分かっていないのです。こんな人物が、まだまだ首相の座に止まりそうだ、ということに、私は絶望的な気分になります。
2019.01.09
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トルコ原発 日本、撤退へ 輸出戦略白紙に政府は、三菱重工業とトルコで進める新型原発建設計画について、トルコ政府に大幅な負担増を求める最終条件を提示する方針を固めた。安全対策費の高騰から採算性が悪化したためだが、トルコが受け入れる可能性は低く、事実上の撤退となる見通し。日立製作所が進める英国への原発輸出も実現困難な情勢で、両事業が頓挫すれば国内外とも受注案件はゼロとなり、安倍政権がインフラ輸出戦略の柱に掲げる原発輸出そのものが白紙に戻ることになる。政府と三菱重工が進めているのは、トルコ北部の黒海沿岸シノップの原発建設計画。安倍首相とエルドアン首相(現大統領)が2013年、原発建設での協力を盛り込んだ共同宣言に署名。だが、11年の東京電力福島第1原発事故後、世界の原発の安全対策費は増加していた。さらに予定地周辺に活断層の存在が指摘されるなどし、三菱重工が昨年7月末にまとめた事業化に向けた調査では、事業費が当初の2・1兆円程度から2倍超の5兆円規模に膨らんだ。また昨夏以降、トルコの通貨リラの下落で採算性が悪化した。このため、政府は近く、トルコに事業費を回収するための売電価格の大幅な引き上げなどを求めることにした。価格引き上げはトルコ国民の負担増に直結するため、トルコが受け入れるのは難しいとみられ、実質的に撤退に向けた協議となる。一方、日立は英国で2基の建設計画を進めてきたが、中西宏明会長が昨年12月、事業費増加を受けて「もう限界だと英政府に伝えた」と述べ、現計画は実現困難との認識を示した。政府は安倍首相のトップセールスで原発輸出を推進してきたが、有力視された両国の建設計画が相次いで頓挫しかかっている。---日本国内で原発を増やすなどもってのほかですが、それは海外についても同じであると私は思います。勿論、地震のリスクによって原発の危険性は変わりますが、トルコの予定地域には活断層がある、つまり地震が起こる可能性があるというのでは、論外といわざるを得ません。引用記事には、2011年の福島第一原発事故以降、世界の原発の安全対策費は増加した、とあります。当然の話ですが、トルコへの原発輸出は2013年に決まった話です。ということは、逆の言い方をすると、福島第一原発の事故から2年も経っているのに、安全対策費の増加を見込まないで輸出を計画した、ということになります。小手先程度に対策を考えたのでしょうが、「世界標準」にはほど遠かった、ということなのでしょう。あの事故からの教訓を、当事国である日本は(他国と比べて)あまり汲み取ろうとしなかった、というわけです。そのような原発輸出は大問題であり、それが頓挫したことは朗報というほかありません。経団連の会長も、新年の記者会見で、原発について、「国民の反対が強いのに、民間企業が作ることはできない」と言っています。経団連の中西会長は、引用記事でイギリスへの原発輸出に「もう限界」との発言が伝えられている日立製作所会長でもあります。要するに、もう原発事業では採算がとれそうにない、撤退したい、ということなのでしょう。これによって日本の原発輸出は、すべて失敗の公算が高いようです。輸出して、事故を起こして大きな被害を出して失敗するよりは、輸出そのものに失敗する方が、傷ははるかに浅く済むというものです。言い換えれば、過酷事故の対策をきちんととった場合、原発はとても採算がとれるような代物ではない、ということなのでしょう。日本が自らの判断で原発輸出を断念したのではなく、他力本願で結果的に輸出相手から断られて余儀なくそうなったのは、少し残念ですが、ともかく結果として日本が原発を輸出しないことは、年の始めからのよいニュースであると、私は思います。
2019.01.04
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政府、商業捕鯨再開へ=30年ぶり、IWC脱退方針-来月1日までに通知政府はクジラの資源管理について話し合う国際捕鯨委員会(IWC)を脱退し、IWCが禁じる商業捕鯨を約30年ぶりに再開する方針を固めた。関係筋が明らかにした。反捕鯨国からの非難も予想されるが、クジラを食べる食文化や適切な漁獲量の捕鯨は正当との主張のもと、出口が見えない議論に見切りをつける。日本の国際機関脱退は極めて異例。来週発表する。IWC総会での議決権を失うが、生息数などを調べる科学委員会にはオブザーバーとして引き続き参加する方針だ。日本は現在、資源調査の目的で南極海と北西太平洋でミンククジラなどを年間約630頭捕獲しているが、IWC脱退により南極海での捕鯨は国際条約上できなくなる。来年にも再開する商業捕鯨は、日本近海を含む北西太平洋でのみ実施することになりそうだ。(以下略)---国際機関であるIWCからの脱退は、唯我独尊の孤立主義的で、とんでもない話であると思う部分もあります。ただし、それによって南氷洋での「調査」捕鯨はできなくなる(やめる)、そのかわり日本近海での「商業」捕鯨だけを行う、ということも意味します。わたしは、捕鯨推進派、反対派の双方に対して、賛同できない部分が多々あります。充分な個体数があって、絶滅の危険性がないミンククジラなどは、捕獲を禁じる理由はないと感じます。その限りでは、捕鯨に反対ではありません。しかし、では自分自身が鯨肉を食べるかというと、ほとんど食べません。父が鯨肉が好きだったので、父の存命当時は、実家で時々鯨肉を食べることはありました。しかし、父の死後まもなく10年になりますが、この間に鯨肉を食べる機会は1回か2回あっただけです。自分から進んで「食べたい!」と思うほどのものではないですから。日本が商業捕鯨モラトリアムを受け入れたのは1985年、わたしが高校3年生のときです。だから、子どもの頃は鯨肉は普通に売っていました。学校給食での鯨肉の記憶はないのですが(わたしが覚えていないだけで、同級生に聞くと、あったそうです)、鯨肉の大和煮の缶詰と、鯨ベーコンはよく食べました。だけど、美味しいと思ったことはあまりないです。大和煮は嫌いじゃなかったけれど、あれはどんな肉を使っても同じ味になる「缶詰味」ですから、鯨の大和煮でも牛の大和煮でも差はありません。鯨ベーコンは美味しくなかった。子どもの頃は「ベーコン」というと(実家では)たいてい鯨ベーコンで、たまに本物のベーコンを食べると、それが本当に美味しかった。「ベーコン」と言われるとちょっと期待して、でもそれが鯨ベーコンだと、がっかりしました。「なんだよ、鯨ベーコンかよ、だったらベーコンって言わずに鯨ベーコンって言えよ」みたいな(笑)商業捕鯨中止後、鯨ベーコンも、父の存命中に一度か二度食べたことはあります。子どもの頃以来だったので、懐かしさと珍しさはあったけど、そのときもやっぱり豚肉のベーコンの方が美味いと改めて思いました。鯨の刺身は、美味しいです。でも、商業捕鯨が行われていた当時、鯨の刺身はありませんでした。私は記憶にないです。これらは、必ずしも私一人の特異的な記憶ではないはずです。鯨肉なんて、商業捕鯨が行われていた当時は、高級なものでも、特別に美味しいものでもなかったのです。食糧難の時代の代用食の名残のようなものです。だから、商業捕鯨が中止された鯨肉が店頭から消えても、さしたる混乱もなかったのです。調査捕鯨で捕獲された鯨肉は、現在ではあまり売れず、在庫が余っていると言われています。南氷洋の調査捕鯨も、採算はまったく取れておらず、税金で支えられている状態です。昔から沿岸捕鯨が行われていたいくつかの港町近辺は別にして、鯨肉が日本の伝統的食料とはとても言えません。それなのに、採算の取れない捕鯨を、公費を使ってまで維持する必然性があるとは思えないのです。「商業捕鯨」と名乗って捕鯨を続けるなら、是非「商業」として採算を取れる範囲でやってほしいと思います。税金による支援がなければ維持できないようなものだったら、消えてなくなっても一向に構いません。そういう前提と覚悟の上で南氷洋での「調査」捕鯨をやめて日本近海だけで「商業」捕鯨を再開するというなら、一つの選択肢として、あり得ると思わないではありません。しかし、もし南極海で現状行われている、捕鯨母船方式の捕鯨を日本近海で継続するなら、商業捕鯨に衣替えをしても、実態は変わらず税金による支援で維持し続ける公算が高いように思えます。もしそうであれば、需要もないそのような捕鯨を続けるためにIWCを脱退するべきではないと思います。
2018.12.21
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葛西海浜公園など登録=湿地保全のラムサール条約国際的に重要な湿地を保全するラムサール条約に、葛西海浜公園(東京都江戸川区)と志津川湾(宮城県南三陸町)の2カ所が新たに登録された。18日に条約事務局から環境省に連絡が入った。条約の締約国会議が開かれるドバイで23日、関係自治体に登録認定証が授与される予定。葛西海浜公園は、スズガモなど多くの水鳥が飛来する場所として知られ、東京都内では初めての登録となる。志津川湾は500種以上の海洋生物の生息地となっている。---葛西臨海公園といえば、わたしは毎月少なくとも1回、多いときは3~4回は鳥の撮影に行く場所ですが、まさか東京23区内にラムサール条約に登録される湿地が誕生するとは思いませんでした。ちなみに、わたしはこれまでのところ130種あまりの鳥の写真を撮っていますが、そのうち、葛西臨海公園で撮影したことがある鳥は90種類です。我が家から、すごく近いというわけでもないのですが、まずまず簡単にいけて、交通費もそれほどかからない場所ですから。もちろん、水鳥も多いのですが、陸鳥も沢山います。猛禽類も、盛夏以外はいつもいます。トビ、ノスリ、オオタカ、ミサゴは頻繁に見かけるし、チュウヒも見かけることがあります。改めて公園の写真をアップしようと思ったのですが、いつも望遠レンズしかもって行かないので、鳥の写真しか撮っていません。あまり景色の写真がないことに気が付きました。それでも乏しい写真から。対岸は浦安のネズミの王国。東京ゲートブリッジが目の前スカイツリーだって目の前大観覧車のふもとにカルガモが集まった。望遠レンズで観覧車の全景を撮るのは不可能だったり・・・・・・。環境的に、東京湾に面したなぎさ、江戸川の河口、公園内の海水(汽水)池、淡水池とアシ原、森、一つ一つは広くはないけれど、多様な自然環境が一通り揃っているので、特に渡りの時期に多くの鳥が集まってくるのでしょう。これからも大切にしていきたいものです。
2018.10.18
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原発推進派の池田信夫が、福島第一原発から出て、タンクに貯蔵されている汚染水(トリチウム水)をサッサと海に流せと叫んでいます。トリチウム水を止めているのは福島県漁連だマグロは汚染水より危ない池田に限らず、こういうことを叫ぶ「科学通」(自称)は少なからずいるようです。墨田金属工業日誌が、それを痛烈に批判しています。「硫黄酸化物の大気放出禁止は非科学的だ」硫黄酸化物は火山から大量に噴出される。人間活動の比ではない。硫黄そのものは生物に必須の元素である。だから工場からの硫黄酸化物も大気排出してよい。希釈のために高い煙突を立てて、その濃度以下まで希釈して排出すればよい。科学カルトがそう言い出したら馬鹿にされるだろう。公害防止の歴史や大気汚染防止の枠組みを無視している。そもそも法はそれを許さない。だが、お理工さんたちはトリチウム水でそれを言っている。曰く自然界で大量生成される。半減期は短い。人間の体内からもすぐに出ていく。そもそも体の中に何ベクレルあると思っている。そう言い出している。だが、原発からの排出物である。それを全く無視している。排出物を垂れ流しにすることは許されない。その仕組みがある。彼らのいうことは不法投棄業者の逃げでしかない。「自然で枯れ木は何トン出ると思っているのか?」とうそぶいて建築廃木材を捨てる行為を肯定するのがお理工さんである。あるいは、糞尿の海洋投棄と並べてもよい。魚介類も排出する。糞尿を捨てたところで害は少ない。昔はそうしていたし、今でも沿岸から50キロ離れれば船舶はそうできる。だから糞尿は海洋投棄してもよい。連中のいうトリチウム海洋投棄肯定はそれと同じだ。(要旨・以下略)---タイトルと書き出しがいささか逆説的ですが、要旨としては、まったくそのとおりと言うしかありません。実のところ、トリチウム水が本当に、完全に無害なのかどうかについては異論があり、確実なことはいえません。加えて、福島第一原発の汚染水は、トリチウム以外の放射性物質は除去した、ということになっていますけど、実際にはそれ以外の放射性物質も基準値を超えることが度々あるようです。その点は措くとしても、池田の、マグロは汚染水より危険、という言い分に至っては、馬鹿としか思えないものです。第一に、マグロが危険だから、別の危険な水を垂れ流してよい、という理屈はないでしょう。懲役5年の犯罪を犯した奴が許されて社会復帰しているから、俺だって懲役2年くらいの犯罪を犯しても問題ない、と言っているようなものです。第二に、マグロの水銀濃度が高くて人体に有害だとしても、マグロは食材として美味しい、という事実があります。だから食べる。「ふぐは食べたし命は惜しし」なんてことわざもあります。美味しい魚であるからこそ、危険性とのトレードオフが生じます。しかし、例えば糞尿は人体に危険なものではありません。加熱処理してしまえば、口にしても何の問題もない。だからと言って、そんなものを口にする人間はいない。口にするメリットが何もないからです。原発の汚染水を海に流すことも同じです。少なくとも環境負荷という意味で、メリットは何一つありません。そんなものをマグロの危険性と同列に論じるのは、無意味の極みです。汚染水を海に流したい、というのは、単に、そうするほうが安上がりだという政府(と東京電力)の都合でしかありません。90万トンというと莫大な量に感じますが、東京都民が1日に使用する水の量が400万トンであることを考えると、たいした量ではありません。墨田金属が「科学カルト」「お理工さん」と揶揄する連中と同様、池田も「科学的根拠が」と言いますが、世の中は科学的根拠だけで動いているわけではありません。「マグロは美味しい」にどのような「科学的根拠」があるのか、「糞尿は汚い」「ゴキブリは汚い」等々にいかなる「科学的根拠」があるのかと考えてみれば、世の中「科学的根拠」など無関係に動いていることのほうがよほど多いことが分かるはずです。それを無視して「科学的根拠」を錦の御旗に掲げても、理解も納得も得られるものではない、ということです。
2018.09.02
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26日(日)も猛残暑 40℃近い暑さになるところも西~東日本では、晴れて日差しがジリジリと照り付けます。広い範囲で最高気温が35℃以上の猛暑日となり、40℃近くまで気温が上昇するところもありそうです。冷房の活用や水分、塩分のこまめな摂取など、万全の熱中症対策を意識的に行うようにしてください。(以下略)---どこまで続く、この暑さという感じです。先週の土日はかなり涼しくて、このまま暑さが去ってくれれば、と思いましたが、台風とともに猛暑が復活してしまいました。そんな陽気なのに、この土日もせっせと屋外練習に余念がない私です。土曜日は葛西臨海公園で鳥の撮影をかねて笛練習。(特に珍しい鳥はいませんでした)朝早く行って、鳥の撮影の合間、8時過ぎに吹いていたのですが、もう充分に暑くて(海沿いなので風が強いのが救いでしたが、笛を吹く上では風は息を流されるので、本当は風がないほうが助かります、そんなことを言っていられる気温でもありませんでしたが)水筒は持っていったのですが、カラになってもって帰りました。正直言って、やや熱中症気味な感じで、少し頭が痛く、午後公園時阿波踊りを見に出かけるまでのあいだ、家でくたばって寝ていました。その高円寺阿波踊りも、猛烈な暑さで、見て写真を撮っているだけのわたしがこんなに汗をかいているのだから、踊り手はきついだろうなと思いました(いや、想像ではなく、先月29日の哲学堂公園での演奏は、わたしも、ほぼ頭からバケツで水をかぶったのに等しいくらい汗をかきました)。それなのに、今日、日曜日もめげずに屋外練習でした。なんと、不注意なことに水筒を持っていくのを忘れました。水なしでこの陽気に2時間屋外練習、よい子の皆さんは真似してはいけません。幸い、今日は特に不調になることもありませんでしたが、汗は滝のようにかきました。昨日も今日も、暑さのせいか笛はやや不調で、ケーナの3オクターブの上の方が途中から出なくなってしまいます。エアコンの効いた室内なら出る音が、屋外では出ない、やはり暑さのせいでしょうね。この暑さ、いつまで続くのかと思ったら秋の気温、平年より高い=厳しい暑さ、9月上旬までか-気象庁気象庁は24日、秋(9~11月)の3カ月予報を発表した。全国的に暖かい空気に覆われやすく、平均気温は東・西日本と沖縄・奄美で平年より高く、北日本(北海道と東北)で平年並みか高い。降水量は北日本の太平洋側で平年並みか多いが、それ以外はほぼ平年並みの見込み。気象庁によると「9月上旬までは厳しい暑さになる可能性がある。秋の訪れは平年並みか平年より遅い」とのこと。(以下略)---どうやら、暑さはまだ続くみたいです。9月上旬まで・・・・・・。先日告知したように、9月9日に中の区の哲学堂公園でまた演奏します。建物の中ではありますが、エアコンはありません。それまでにこの酷暑がおさまっていないと、またも滝のような汗をかきながら演奏することになりそうです。何とか、気温下がってくれないかなあ。
2018.08.26
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ウナギ稚魚、極度の不漁 値上がり必至絶滅危惧種ニホンウナギの稚魚シラスウナギが今期は極度の不漁で、国内外での漁獲量が前期の同じころと比べて1%程度と低迷していることが、複数の関係者の話で分かった。量は4月ごろまで続くが、このまま推移すれば過去最低の漁獲量になりかねない。品薄で今夏のウナギがさらに値上がりするのは必至で、かば焼きは食卓からますます縁遠くなる。資源保護のため来年のワシントン条約締約国会議で国際取引の規制対象とするよう求める声も高まりそうだ。シラスウナギは毎年11月ごろから翌年4月ごろを中心に、台湾や中国、日本などの海岸に回遊してくる。海外の状況に詳しい業者によると、最初に漁が始まる台湾の今期の漁獲量は、前年の同じ時期と比べ百分の一程度に低迷。中国でも同レベルだという。比較的早くシラスウナギ漁が始まる鹿児島県によると、解禁された昨年12月十日からの15日間の漁獲量はわずか0.5kg。43.4kgの漁獲があった前期の1%ほどにとどまった。宮崎県は漁獲量を公表していないが「今期はかなり悪い」(水産政策課)状況。関係者によるとやはり前期の1%程度でしかない。~1960年ごろは200t前後あった日本国内のシラスウナギ漁獲量はその後急減し、13年漁期は5t余と過去最少を記録。その後は年15t前後で推移している。減少は河川の環境破壊や乱獲が原因とされるが、海流や海水温によって回遊量や時期が変動することもあり、詳しいことは分かっていない。---シラスウナギ(ウナギの稚魚)が、極端に不漁なのだそうです。ウナギは現在ではほとんどが養殖ですが、成魚→卵→稚魚の生育、という完全な養殖は、試験場では成功しているものの、実用化には至っておらず、現状は孵化直後の稚魚を捕まえて、これを大きく育てることしかできません。養殖のために稚魚をみんな獲ってしまえば天然資源は枯渇してしまい、天然資源が枯渇すれば養殖も成り立ちません。もちろん、天然のうなぎの寿命は長ければ10年以上にもなるので、今年稚魚が少ないから来年ただちに絶滅、ということにはなりません。しかし、前提として、すでに現状の漁獲量も1960年頃に比べると激減しているという事実があります。すでにニホンウナギは環境省と国際自然保護連合によって絶滅危惧種に指定されています。今後このような不漁が複数年続き、それにもかかわらずこれまでどおりに稚魚を獲り続ければ、絶滅という未来図は現実味を帯びてしまうことでしょう。ヨーロッパには近縁種のヨーロッパウナギがいますが、こちらも絶滅危惧種の指定を受けており、すでにEUは域外への輸出を禁じています。それにもかかわらず、漁獲をなんら規制しない状況でよいのでしょうか。私もうなぎの蒲焼は好きですけど、絶滅すれば今後未来永劫食べられなくなってしまいます。
2018.01.16
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原発新設、議論着手へ=エネルギー計画見直しで―国民理解に課題・経産省経済産業省は、原発の新設や建て替えの必要性に関する議論に近く着手する。2030年までの国の政策方針を定めた「エネルギー基本計画」改定に際し、地球温暖化対策の枠組み「パリ協定」を踏まえた50年までの長期的視点を新たに盛り込む。温室効果ガスを8割削減する日本の目標に向け、二酸化炭素を出さない原発をどう維持するかが焦点となる。3年ごとの基本計画の改定検討を担う経産省の会議で先月28日、分科会長である坂根正弘氏(コマツ相談役)が「原子力と地球温暖化問題の両面からアプローチしないと答えが出ない」と発言。「50年を考えながら30年の議論をしたい」とも語り、50年までの原発活用を議論する方針を示した。ーーー3.11で致命的な事故を起こしながら、結局は原発依存をやめるという選択すらできず、今後も新しい原発を作る、というのです。あの事故から何も学ばなかったのか、と思わざるをえません。確かに、地球温暖化は重要な問題です。反原発派の一部にも反温暖化論者がいる(広瀬隆とか)のは、残念なことだと私は思います。ただ、温暖化が危険だから原発事故の危険が許容できるのかといえば、許容できません。前回の記事で、高速増殖炉もんじゅの廃炉の件を取り上げました。地震でもなんでもない時にナトリウム漏れによる火災を起こし、その後もトラブル続きでほとんど動かなかったもんじゅは、普通の軽水炉よりはるかに危険な存在であることは確かです。しかし、では軽水炉なら安全なのか。そうではないから福島の事故が起きました。高レベル廃棄物の最終処分場も決まっていない、中間貯蔵施設の容量も遠からず満杯になりそう、という現状で、原発をやめる方向ではなく新設までする方向というのは、もし福島のような事故が今後避けられたとしても(おそらく避けられないと思いますが)核のゴミというツケを将来に先送りする、極めて無責任な方針と思います。そもそも、原発は確かに発電そのもののプロセスでは二酸化炭素を排出しないものの、廃炉作業や事故発生時の終息作業では、大量の二酸化炭素を発する(たとえば火力発電所の解体とは比較にならないくらいその量は多いはず)ことになります。それに、以前から度々指摘していることですが、日本の発電量は、2007年をピークに、ずっと減ってきています。電源別発電量電力量短期的には前年比で多少増えることはあっても、中長期的に見て、人口が減少傾向にある日本で電力需要の減少傾向が変わるとは、とても思えません。エネルギー基本計画がどのような将来予測に基づいて将来の電力需要を計算しているかわかりませんが、過大見積もりの可能性が高いように思えるし、そうであれば、発電設備への過剰投資は将来の不良債権でしかありません。それに30年先50年先を考えるのに、どうして再生可能エネルギーに注力しようとしないのかも、私には理解できません。現在でこそ、再生可能エネルギーには未完成な部分がありますが、小規模水力発電、潮汐発電、地熱発電等、安定性も含めて将来有望な再生可能エネルギーは多数あります。そこに力を注がず、やっぱり原子力というのは、結局3.11と同じ事態を招く道に続いているとしか思えません。
2017.12.03
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もんじゅ設計 廃炉想定せず ナトリウム搬出困難廃炉が決まっている高速増殖原型炉「もんじゅ」について、原子炉容器内を満たしている液体ナトリウムの抜き取りを想定していない設計になっていると、日本原子力研究開発機構が明らかにした。放射能を帯びたナトリウムの抜き取りは廃炉初期段階の重要課題だが、同機構が近く原子力規制委員会に申請する廃炉計画には具体的な抜き取り方法を記載できない見通しだ。ーーーもんじゅが、廃炉を考えていない設計になっている、ということは以前から言われていました。液体ナトリウムの抜き取りすら考えていない設計とは知りませんでしたが。引用記事にも引用外の部分で触れられていますが、ナトリウムは、空気や水に触れると発火する特性を持っています。そうならないように厳重な対策は施されてはいるものの、所詮神ならぬ人間の考える「厳重な対策」ですから、完全無欠ではありません。だからナトリウム漏れによる火災が起きたのです。そのような危険な冷却材を使いこなせる、というのは、技術に対する過信、あるいは思い上がりというものです。もちろん、それは原発全般にも言えることですが。で、この記事に対して原研は「ナトリウム抜き取りは技術的にはだから誤報だ」と主張しています。でも、この反論を見ても、毎日新聞の報道に対する反論の態をなしていないように見えます。「技術的には可能」というのですが、その具体的な手法は詳細に検討して決めるというのです。それって、現時点では決まっていない、言い換えるなら抜き取りの具体的手法は何も考えていなかった、ということです。「技術的には可能」(笑)世の中には、数多くの「技術的には可能だが、実際にはできないこと」が満ち溢れています。採算、危険性との折り合い、等々。そもそも高速増殖炉というもの自体が、「技術的には可能」だが実際には安全に稼働することが不可能な代物ですが。そうではない、できる、というなら「技術的には可能」などという抽象的な言葉ではなく、具体的な手法を、こうしてこうしてこうする、と説明できるはずです。原研は、さらに別紙の反論文で、要約すると、核燃料の方が最優先で取り出さなければならないから、ナトリウムは後回しでよいのだ、という趣旨のことを主張しています。これまたおかしい。核燃料の方が最優先というのはそのとおりだとしても、ナトリウムの取り出し方が決まっていなくて良いことにはなりません。何度も書きますが、ナトリウムは空気(酸素)や水に触れるだけで燃える危険性を帯び、実際に火災事故を起こしており、高速増殖炉の危険性の焦点であり、だからこそ廃炉が決まったのです。それを、こんなふうに軽く扱って見せて済むと思っているとしたら(おそらく、実際には見せているだけ、だろうとは思いますが)、勘違いも甚だしい、と言わざるをえません。実際には、「最優先」と言っている核燃料の取り出しすら、相当の困難をともなうでしょうね。何しろ、誤って落下させた「炉内中継装置」の取り出しだって、何度も失敗してやっと成功したのですから。視認不可能なナトリウム内の燃料棒取り出し(すべて遠隔操作)はとてつもない難事業でしょう。加えて、このナトリウム、日本はなんと危険なものに手を出してしまったのかと思います。原発全般に言えることですが、特に高速増殖炉は、このような危険な物質をトラブルなく使いこなせる、という技術に対する安易な過信の危険性を示しているものと思います。
2017.12.01
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ヒアリ 専門家「どの港で発見されても、おかしくない」名古屋港・鍋田ふ頭に到着したコンテナから30日に南米原産のヒアリ7匹が見つかった。南米原産で強い毒を持つヒアリは、コンテナの積み荷を介して1940年代には米国へ侵入。物流の国際化に伴って2000年代以降には、中国や台湾など日本の隣国に定着していた。今のところ、国内での発見は港湾に限られているが、水際対策にも限界があり、専門家は「どの港で発見されてもおかしくない状況にある」と指摘する。国内の港湾では、有害な外来生物の侵入などを食い止めるために検疫が行われるが、主な対象は農産物。神戸港でヒアリが見つかったのは電化製品を積んだコンテナで、検疫の対象外だった。関西福祉大の勝田吉彰教授(渡航医学)は「ヒアリについては効果的な水際対策はほぼないと考えていい」とする。(以下略)---神戸港で発見されて以降、各地でヒアリ発見の報が相次いでいます。おそらく、実際にはこれまでにも人知れず何度も入ってきていたのではないかと思われます。これまでのところは、働きアリしか見つかっていないようなので、日本に定着することはないと思われますが、女王アリが入ってくればそれまでです。そして、それはおそらく時間の問題でしょう。そのとき、女王アリの侵入を完全に阻止することは不可能です。人間の活動に付随して人間以外の生物が世界を行き来する(意図的に移入する場合もあるし、ヒアリのように意図せずしてくっついてくる場合も多い)のは、現在では不可避な状況です。元々、すべての生物は、元をただせばみんな外来生物です。たとえば、南アメリカ大陸(300万年ほど前までは、南極やオーストラリアと同様、他の大陸とは離れた島大陸だった)には、猿の仲間やネズミの仲間はいませんでした。それが、2500万年くらい前にこの二つのグループが南米に姿を現し(どうやって海を渡ったのかは謎ですが)、更に300万年前に北米とつながると、更に多くの動物が流入し、以来元々南米にいた固有の哺乳類(ナマケモノの仲間やアルマジロの仲間、もう絶滅してしまった南米独特の有蹄類やオポッサムなどの有袋類)を次第に圧迫しながら現在に至っています。そもそも、人間という生き物自身が、アフリカで十数万年前に誕生したものが世界中に広がったわけで、外来生物の最たるものです。ただ、外来種と一般に呼ぶのは、このように自然現象によって流入するよそ者の生物ではなく、人間が(意図してか意図せずかに関わらず)持ち込んだものに限られます。それも、人間自身を除いて。しかし、これとても、その定義は非常に難しいものがあります。人間が意図して持ち込んだものはともかく、このヒアリのように、意図せず持ち込まれたものは、それがいつの時代から入ってきたものなのか、したがって、外来種なのか固有種なのかが判然としない場合も多いのです。たとえば、日本で外来種と推定される生物には、スズメ、モンシロチョウがあります。昨日の晩、実は近所でハクビシンを見かけたのですが、これもほぼ確実に外来生物です。植物では、クスノキが外来種ではないかという説があります(異論もあり)。照葉樹林の象徴のようなクスノキが外来種とはびっくりですが、クスノキの分布が人里の社寺林などに限られ、山中などにはほぼ見られない(もっとも、日本の照葉樹林そのものが、人間活動の大きな影響を受けており、太古の昔から破壊されずに存続している照葉樹林など、離島以外にはほとんどありません)。その他、ドブネズミやクマネズミ、ハツカネズミ、クログキブリなど、人間の活動に密接に結びついている害獣、害虫は、ほとんどが外来生物です。でも、もはやこれらの生物は「外来生物」扱いはされていません。ゴキブリやドブネズミは、外来生物ではなくても駆除の対象ですけどね。しかし、もはやどう頑張ったところで、これらの生物を日本から駆除することなど不可能と言ってよいでしょう。余談ですが、オーストラリアには哺乳類は有袋類と単孔類しかいない、とされます。それ以外にも多くの固有種がいるため、オーストラリアは検疫が厳しく、食品や生物の国外からの持込がかなり厳しく制限されています。が、そのオーストラリアにも、大量の外来哺乳類がいる。まず、最も古い例では、先住民アボリジニが連れてきたと思われる犬の子孫ディンゴ、最近数百年の範囲では牛馬羊、そして前述のドブネズミなどの類、犬猫などのペット。もはや、オーストラリアから有袋類と単孔類以外の哺乳類(有胎盤類、真獣類)を除去することなど絶対に不可能で、人類が消滅したあとも、彼らが生き残り続けることは確実です。100万年、1000万年単位で将来を考えれば、オーストラリアの有袋類は、全部が絶滅はしないにしても、真獣類に圧迫されて、かなり衰退することになるでしょう。というわけで、外来生物の流入阻止は、意図的なもの、たとえばブラックバスの日本への放流とか、ニシキゴイの放流(ニシキゴイの原種であるコイは日本の在来種なので、厳密には外来種ではないものの、人為的に作られた品種であること、元々の個体数から考えれば、放流という行為に問題は大きい)を禁じることはできるでしょう。しかし、今回のヒアリのように、意図せざる外来生物の流入を阻止することは、もうほとんど「お手上げ」というのが現実でしょう。
2017.07.01
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原発処理費 40兆円に拡大 税金・電気代転嫁、国民の負担に福島第一をはじめとする廃炉や使用済み燃料再利用など原発の後始末にかかる費用が膨張している。国内の原発処理の経費は最低40兆円に上ることが判明。原発のある自治体への補助金等税金投入も1970年代半ばから2015年度までに17兆円に達した。すでに国民が税などで負担した分を除き、増大する費用は電気代や税で国民が支払わねばならず、家計の重荷も増している。原子炉や核燃料処理費がかさむのは危険な核物質処理のため。自治体補助金も「迷惑料」の色彩が強い。原発の建設・運営費も事故後は安全規制強化で世界的に上昇している。政府は福島事故処理費を13年時点で11兆円と推計したが、被害の深刻さが判明するにつれ、21.5兆円と倍増。電気代上乗せなど国民負担の割合を広げている。被災者への賠償金は、新電力の利用者も含め全国民の電気代に転嫁され、福島原発廃炉費も東電管内では電気代負担となる方向。除染も一部地域は17年度から税金投入する。1兆円を投入しながら廃止が決まった高速増殖炉「もんじゅ」も、政府は後継機の研究継続を決定。税金投入はさらに膨らむ。青森県の再処理工場などもんじゅ以外の核燃料サイクル事業にも税金などで10兆円が費やされた。核燃料全般の最終処分場の建設費も3.7兆円の政府見込みを上回る公算だ。自治体への補助金も電気代に上乗せする電源開発促進税が主な財源。多くの原発が非稼働の現在も約1400億円が予算計上されている。大島堅一立命館大教授によると1IWh当たりの原発の発電費は安全対策強化で上昇した原発建設費も算入すると17.4円と、水力(政府試算11.0円)を6割、液化天然ガス火力(同13.7円)を3割上回る。原発を進める理由に費用の安さを挙げてきた政府の説明根拠も問われている。---まったく、いったい誰が「原発は安価な発電手段」などと言ったのか。事故が起こればこれほど高くつく発電手段はありません。福島原発の廃炉作業に関しては、以前にも記事を書きましたが、現状ではどれだけの時間と費用を要するのか、見当も付かない状況です。チェルノブイリと同様に石棺というはなしもありますが、福島県がそれを断固拒否していますし、チェルノブイリの前例を見れば、強固に見える石棺も、数十年で老朽化して建て替えを余儀なくされる、最終的には核燃料を取り出さないと何万年もの間管理し続けなければならなくなる、といった問題があり、石棺なら安く上がる、とは言えません。(何万年も管理しなければならないのは、核燃料をどこに置いても変わらないのですが、中の見えない石棺の中のどこかに放置されているよりは、管理された貯蔵施設の方が多少なりとも「マシ」ではあるでしょう)ところで、この試算に対して、サンクコスト(埋没費用)を計算に入れるな、という批判が、例によって原発推進派の池田信夫などから出ています。サンクコストとは、すでに発生することが確定していて、今から中止しても取り返せない費用のことです。たとえば、すでに建ててしまった原子力発電所の建設費用とか、すでに発生してしまった事故の処理費用などを指しているようです。これらは、もう今から原発をやめてもお金は返ってこないんだから、原発のコスト計算から外せ、ということのようです。しかし、ならば原発以外の発電のコスト計算では、そういったサンクコストは費用から省かれているのでしょうか。例えば、建設済みの火力発電所や建設済みの水力発電所の建設費用はどうでしょう。資源エネルギー庁が算出している発電コスト計算には、「減価償却費(建設費に減価償却率を乗じたもの)、固定資産税、水利使用料、設備の廃棄費用の合計」が、まとめて「資本費」としてコスト計算に含まれています。建設済みのダムの建設費用を「サンクコストだから」と計算から除外したら、水力発電なんて、ダムや発電設備の管理経費とそれに伴う人件費しかかからないのだから、コストはとてつもなく安くなるに決まっています。前述の資源エネルギー庁の計算では、水力発電(一般水力)の発電コストは1kwh当たり11円、そのうち資本費が8.5円を占めています。原発だけ、サンクコストだからと費用の一部を原価から除外するなら、それはとうてい公正な比較とは言えません。もう1つの問題は、事故処理や廃棄物処理にかかる費用は、本当にサンクコストなの、ということです。福島の事故に関しては、確かにもうすでに発生が確定している費用です。しかし、だから事故処理費用はサンクコストだ、と言い切るには、「今後2度と同じような規模の事故は起こさない」という絶対の保証が必要です。池田信夫あたりは、無責任な放言屋だから、「2度と起こらない」と言うかもしれないけれど、実際にはそんな保証など皆無です。再度同じような事故が起これば、再度巨額の事故処理費用がかかるのに、事故処理費用がサンクコストなどと言い切ることはできません。廃棄物処理にかかる費用も同様です。確かに、今すでに存在する放射性廃棄物は、原発を停止しても処理や保管に費用がかかります。しかし、廃棄物の量がこれ以上増えないのか、さらに増えていくのかでは、費用は当然変わってきます。例えば、青森県の六ヶ所村に高レベル廃棄物の貯蔵施設(六ヶ所高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター)がありますが、すでにもう満杯に近い状態です。各原発内にある核燃料の貯蔵プールも、あまり余裕はなく、原発を東日本大震災以前のように稼働させるなら、10年ともたずに満杯になります。それまでに最終処分場を作るか、中間貯蔵施設を増設するしかないのですが、最終処分場が決まる見込みはまったくないので、結局は中間貯蔵施設を増設するしかない、ということになります。結局、新たな、膨大な費用が発生することになるわけです。それにしても、原発というのは、この種の後始末の問題を先送り先送りにしたまま、運転することを最優先してきた結果、凄まじい矛盾を抱え込んでいるのが現状です。進むも地獄、止まるも地獄、なのでしょう。ただ、原発を震災前のように稼働し続けると、(事故が起こらない限りは)数年くらいは問題を先送りできるものの、最終的には使用済み核燃料の置き場所がなくなることによって、破綻に瀕することになります。ならば今止まるべきだと、私は思うのですがね。
2017.02.27
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福島原発2号機「1分弱で死亡」の毎時530シーベルト東京電力は2日、福島第1原発2号機の格納容器内部で撮影した映像を解析した結果、グレーチング(金属製の格子状足場)に穴が2カ所見つかり、内部の放射線量は最大毎時530シーベルト(推定)だったと発表した。第1原発事故で観測された線量としては最大。大きい穴は1メートル四方で、もう一つは不明。ともに溶融した核燃料が落下し、足場が陥没してできたとみられる。東電は月内にもカメラが付いた「サソリ型ロボット」を投入して内部調査する計画だったが、二つの穴はともに走行ルート上に位置する。第1原発で過去に測定された最大線量は、2号機内部の毎時73シーベルト。東電は数値には30%程度の誤差があるとしている。人間は積算7シーベルト被ばくすると死ぬとされ、毎時530シーベルトは1分弱で死ぬほどの高いレベルだ。---毎時530シーベルト、3割程度の誤差があるというから、370から690シーベルトの間、ということです。誤差の下限だとしても、とてつもない放射線量であることはまちがいありません。事故からもうじき6年という年月を経てなお、人間がそこに近づくのはまったく不可能な状態です。格納容器内というと、元々高い放射線量のようなイメージがありますが、実際には定期点検時には作業員が立ち入る場所です。ということは、人力による廃炉作業はまったく不可能ということです。たとえ宇宙服を着ても、こんなところで人力による作業はできないでしょう。では無人機械ならできるのか?そんな機械があるのかどうかが問題ですが、作業に失敗して新たな漏出でも起ころうものなら、目も当てられない事態になります。何しろ密閉されていないので、漏れ出すことを止める手立てなんかないのです。そう考えると、何もできない、ということです。内部の撤去作業なんか、何もできない。チェルノブイリの石棺のような手しかないかもしれません。福島県は、石棺という方式には絶対反対のようで、その気持ちは大いに理解できるのですが、それ以外の手で廃炉作業をやろうと思っても、誇張ではなく100年かかるかも、いや、100年では納まらないかもしれません。もっとも、石棺では地表と大気中に対する放射能の漏出は止めることができても、地中への浸透を止めることはできません。土壌と地下水、ひいては目の前の海への放射能の流出を止める手段はない、ということになります。そういう意味では、石棺は「頭隠してなんとやら」でしかないのかもしれません。ところで、毎時530シーベルトという数字には、何故30%もの誤差があるのでしょうか。別報道によると、遠隔カメラには線量計が付いていないことから、画像の乱れによって放射線量を推定したとのことです。いや、内部を映像で確認することも大事だけど、放射線量を確認することだって大事だと思うのですが、何故線量計をつけなかったのでしょう。何らかの技術的制約があってできなかったのなら仕方がありませんが(毎時530シーベルトでは、普通の線量計では測定上限を超えそう)、どうも肝心なところが抜けている、という印象を受けます。人類は、なんと大きな間違いを犯してしまったのか、と思います。
2017.02.07
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もんじゅ後継炉、開発推進へ 政府、10年で基本設計政府は30日、廃炉を検討中の高速増殖原型炉「もんじゅ」に代わる高速実証炉の開発方針を示した。フランスなど海外との協力や、もんじゅなどの国内施設を活用し、今後10年程度で基本的設計を固める。国費1兆円超を費やしたもんじゅの検証がないまま、開発が進められる。文部科学省と経済産業省が同日、開発方針の骨子案を、政府の「高速炉開発会議」に示した。政府は年内にも、こうした基本方針を原子力関係閣僚会議で決め、2018年をめどに開発に向けた具体的な工程表をつくる。骨子案では、原発から出る使用済み核燃料を再処理して利用するという「核燃料サイクル」を推進する方針を再確認。「世界最高レベルの高速炉の開発、実用化」を国家目標に掲げた。高速炉開発は実験炉、原型炉、実証炉と進み、商用炉で実用化となる。骨子案は、原型炉もんじゅの後継となる実証炉開発を「最重要」と強調。そのうえで、フランスの次世代高速実証炉「ASTRID」など海外施設と連携する方針を明記し、今後10年程度をかけて「基本的設計思想と開発体制を固めていく」とした。新たな実証炉は国内に設置する方針だが、具体的な場所などの言及はなかった。---まったく腹立たしい話しです。「もんじゅ」はやっと廃炉が決まったようですが、その間、引用記事にもあるように、1兆円近い国費が投入され、ほとんど発電はすることなく終わっています。それにも関わらず、また新しい高速炉を建設するというのです。「世界最高レベルの高速炉の開発、実用化を国家目標」というのは驚きを隠せません。1兆円がほとんどなすところなく消費されて、それでもまだ続けるというのです。今度は、いったいいくらかけるつもりか。引用記事にあるフランスの次世代高速実証炉「ASTRID」は、別報道によると、開発費50億ユーロ(5700億円)で、その半額の負担を日本に求めているそうです。だいたいにおいて、この種の開発費は予定より膨らむものですし、仮にフランスで原子炉がうまく行ったとしても、次に日本に原子炉を作らなかったら始まらないので、また兆の単位のお金が注ぎ込まれることになるのでしょう。まるで、ギャンブル依存症者が、「次こそ一攫千金」と有り金をギャンブルにつぎ込むかのようです。しかも、そのギャンブルに勝って、高速炉が実用化されたら、なおさら恐ろしい事態が出現します。以前にも指摘しましたが、高速増殖炉は軽水炉のように冷却材に水を使わず、ナトリウムを使います。ナトリウムは反応性に富み、水や空気(酸素)に触れると燃えてしまいます。実際、1995年には、配管から空気中に漏れ出したナトリウムが火災を起こしました。水をかけると燃えるのですから、火を消すのに水を使うことができません。おそらく、化学消化剤で周りを囲んで、空気との接触をシャットダウンすることでしか、消火はできないのだとおもいます。1995年の火災は、地震も津波も関係ない状況で起こりました。だから発火した場所も1箇所でしたが、それでも消火は非常に困難で、長い時間を要しました。まして、これが地震に起因するものであった場合、ナトリウム漏れが1箇所で済むとは限りません。数箇所から発火し、電源も絶たれれば、もはや打てる手はありません。そのような危険な高速増殖炉を、まだ作るというのです。設置場所によりますが、今度こそ、事故が起きたら日本破滅、になってしまうでしょう。高速増殖炉から高速炉に、名前だけ変わっても、冷却材にナトリウムを使うのという点はかわりません。したがって、このような危険性は何も変わりません。だから、失敗すればまたぞろお金をどぶに捨てることになり、成功すれば事故の恐怖、どちらにしても破滅的です。こんなものの実用化を「国家目標」なんて、冗談ではありません。
2016.12.01
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豊洲の水問題は騒ぎすぎか 検出「ヒ素」はミネラル水レベル東京の豊洲新市場の床下空間にたまった水から、都議会各派などの調べで、微量のヒ素や六価クロム、シアン化合物が検出され、その見方を巡って専門家の間でも議論になっている。「ヒ素検出」「地下水由来か」――共産党都議団が2016年9月16日に青果棟床下の調査結果を発表すると、各メディアにはこんな見出しが躍った。環境基準の1リットル当たり0.01ミリグラムには満たず、0.004ミリグラムに過ぎなかった。しかし、「汚染地下水」という共産党側の見方も報じられ、ネット上では、新市場で生鮮食品を扱うことに不安を訴える声が相次いだ。さらに、都が17日に発表した調査結果でも、環境基準以下のヒ素や六価クロムが検出され、今度は都議会公明党が20日、水産卸売場棟床下から猛毒とされるシアン化合物が検出されたと発表した。それによると、環境基準とほぼ同じ1リットル当たり0.1ミリグラムだった。公明党の調査では、基準以下のヒ素も検出されている。シアンの検出については、専門家の見方が分かれた。朝日新聞の記事によると、都の技術会議元委員で都環境科学研究所の長谷川猛・元所長は、「汚染のないきれいな河川と同レベル」などと答えた。一方、元日本環境学会長の畑明郎氏は、「極めて重大だ」「地中には、より高濃度で残っている可能性がある」と指摘した。~しかし、識者からは、ツイッターなどで騒ぎすぎではないかとの指摘がいくつも出ている元大阪府知事の橋下徹氏は、「もう報道もめちゃくちゃだ」とツイッター上などで不満をぶちまけた。都が揮発性ベンゼンなど有害物質の除去作業はすでに終えたとしていることを指摘し、シアン検出について、「おいおい、環境基準と同程度なら何の問題もないだろ」と疑問を呈した。そして、「そもそも豊洲では地下水の飲用はない。本当は地下水対策は不要なのに、行政の素人の専門家会議が無害化対策を提言したことで大混乱」と書いている。ツイッター上では、共産党側の調査で検出されたヒ素の0.004ミリグラムは、札幌市内の研究機関が調べたミネラルウォーター中のヒ素濃度0.003~0.009ミリグラムと同程度だったことが話題になっている。厚労省のホームページを見ると、水道水も0.01ミリグラム以下と水質基準が示されており、検出ヒ素は、水道水よりも濃度が低いようだ。ただ、公明党側の調査で0.1ミリグラム検出されたシアンについては、ミネラルウォーターの調査では不検出、厚労省の水道水基準では0.01ミリグラム以下とされている。今後、もしたまり水が地下水由来と分かれば、さらなる調査が都に求められる可能性がありそうだ。---騒ぎすぎだと、汚染のないきれいな河川と同レベル、なのだそうです。ならば飲めますよね、多分へんな雑菌はいないと思いますが、念のため煮沸はしてもいいでしょう。しかし、ろ過や中和はせずに、是非飲んでください。あるいはせめて、素肌をその水に漬けてください。そうすれば不安に思っている人たちも納得するでしょう。さあ、どうぞ。実際には、この水は飲めませんし、素肌を漬けることも問題があります。。確かにヒ素や六価クロムは環境基準以下かもしれません。シアン化合物は環境基準を超えていますが、すぐに健康に害のあるレベルではないかもしれません。しかし、それでもこの水を飲めば大きな健康被害が生じます。なぜなら、この水は強アルカリ性だからです。maki5417さんのコメントで私も知りましたが、PH12以上とのことです。そんな水を飲んだら、口腔内やのどは、タダではすみません。飲まなくても、肌に触れれば皮膚が溶けます。多少の量なら、飲んだり触れたりするとただちに命に危険があるわけではないけれど、健康には影響があることは確実です。食物を扱う市場の地下にそんな水がたまっている、という時点で、食に対する安心感を著しく脅かすことは確実です。騒ぎになるのは当たり前のことです。それを「騒ぎ過ぎ」などと揶揄したところで、一度失われた安心感は戻ってきません。
2016.09.22
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高速炉実現に新工程表…もんじゅ廃炉へ調整日本原子力研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」のあり方について、政府は廃炉も視野に月内にも判断する方向で最終調整に入った。もんじゅの再稼働には巨額の追加支出が必要なため、政府は国民の理解が得られないと判断した。核燃料資源を有効利用する「核燃料サイクル政策」は堅持し、研究開発は続ける。今後、高速炉実用化のロードマップ(工程表)を作成、サイクル政策を実現する道筋を明確にする方針だ。複数の政府関係者が明らかにした。26日召集の臨時国会では、各党から政府の対応を示すよう求められるとみられ、首相官邸を中心に調整を急ぐ。1兆円超の事業費が投じられたもんじゅは、1995年にナトリウム漏れ事故が起きて以降、ほとんど運転していない。トラブルはその後も続き、原子力規制委員会は昨年11月、所管の文部科学省に対し、機構に代わる組織を探すよう勧告したが、受け皿探しは難航している。---さすがに、もんじゅは廃炉以外の選択肢があるはずがなく、当然の決断がやっと下ることになりそうです。とはいえ、よく見ると、「核燃料サイクル政策」は堅持し、研究開発は続けるとあるのですが、つまり「もんじゅ」はあきらめても核燃料サイクルはあきらめない、ということでしょうか。ということは、六ヶ所村の再処理工場はあきらめない、ということなのでしょうか。そして更に、こんなことは想像したくありませんが、「もんじゅは廃炉にして、新しい高速増殖炉を」なんてことはないでしょうね。いや、まさかいくらなんでもされはないとは思うのですが、そんなことになったら、焼け太り以外の何物でもありません。「夢の核燃料サイクル」は、どう考えても実現しそうにありませんが、それでも未だにそれに固執し続けるのは、使用済み核燃料を「再利用できる資源だ」ということにしておかないと、その保管を受け入れる先がなくなってしまうことが理由のひとつでしょう。でも、もうひとつ、核兵器開発の条件整備のひとつ、という側面も否定はできないように思います。ともかく、あまりに危険すぎる高速増殖炉には、断固としてNoを突きつけなくてはなりません。
2016.09.15
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“勝ち組”スズメバチとの「ハチ合わせ」を防ぐために現在、日本では年平均20人がハチ刺傷が原因で命を落としている。日本の野生生物の中でクマやハブによる犠牲者数を凌駕している。日本でハチ被害が頻発するのは、巣が大きくなる8~10月の3か月間に集中している。スズメバチは巣内の温度を32度程度に保つ習性がある。暑さが厳しくなると働きバチは巣内の温度を下げるために巣から脱出し、巣の中の温度を下げようとする。さらに、巣の外で翅を動かし、巣の中へ風を送る。35度超の猛暑日には、巣の表面に数十匹もの働きバチが出現することもある。このような状況になれば、人とスズメバチとの接触リスクは、極端に高まる。大型スズメバチの仲間は、日本にはオオスズメバチなど7種がいる。その中で都市部で増えているのはキイロスズメバチだ。キイロスズメバチにとって、日本家屋の軒下、屋根裏、床下、雨戸の戸袋は格好の営巣場所であり、家庭から出る生ごみやジュースの残り物は豊かな栄養源となっているのである。さらに、天敵であるオオスズメバチが都市部に適応できていないため、敵が少なく、しかも繁殖力が強い。スズメバチに共通の特徴は、メスに「女王バチ」と「働きバチ」の階級がある点だ。女王バチは生殖を担当。働きバチは女王バチの娘にあたり、巣作りや育児、外敵からの防御などを担当する。働きバチは自ら生殖しないが、その代わり、女王バチが生んだ子を保護・育成することを通じて、自分が属する集団の遺伝子を残すのが使命だ。そのため、命を懸けて人間を攻撃するのである。このような命知らずの働きバチが無数にいる巣に刺激を与えたら、何が起こるかは自明の理である。スズメバチの毒で怖いのは、急性のアレルギー反応「アナフィラキシーショック」である。スズメバチの針から注入される毒液は激痛を引き起こし、血球細胞や組織を溶解する一方、体内で抗体を作る引き金となる。この抗体は、毒液が再び体内に入ってきた際の、人間の免疫機能を発動させるアンテナの役割を果たしている。複数回刺されて蜂の毒を感じやすくなると、さらに刺された時に急激なアレルギー反応が発症する。指先などの局所を刺されただけでも、全身に蕁麻疹が出たり、血圧の低下や呼吸困難が引き起こされ、数十分で意識を失い、死に至る場合もある。一方、スズメバチは草木の緑を食べてしまう害虫を貪欲に捕えて幼虫の餌とし、生態系のバランスを保つ「益虫」の機能も担っている。さらに、数百年前までは、ハチは人類にとって貴重な食料だった。スズメバチにしてみれば、人こそが怖い捕食者である。毒針を使った執拗な防衛戦略の進化は、人の捕食圧に対するものでもある。もしスズメバチの巣を見つけても、近づいて刺激を与えるのは厳禁である。キイロスズメバチの巣に近づくと、「門番」のハチが警戒して、人間の周りをまとわりつくように飛んでくる。手で追い払おうものなら、針先から毒液を噴射してくる。空中に噴射された毒液は「警報フェロモン」となっている。この“香りの非常ベル”が放出されると、無数の働きバチが巣穴から飛び出し、黒い部分や動く箇所に毒針を突き立ててくる。毎年、秋の行楽シーズンに遠足や郊外のマラソン大会などで、一度に大勢の方が被害に会うのは、このような連鎖的アクシデントであることが多い。今の季節には素人では手のつけられないスズメバチの巣も、5月初め頃越冬を終えた1匹の女王バチによって巣作りが開始される。6月くらいまでの、巣が小さいうちは、専用のハチ駆除用のスプレー式殺虫剤で巣を取り除くことができる。ただ、その頃の巣は見つけられず、たいてい人が刺されてから巣の所在が明らかになるものである。万一刺されてしまったら、まず一刻も早く遠くに逃げるべき。次に、刺された患部を指でつまんで圧力を与えると針の穴から血液と一緒に毒液が出てくるので、冷たい流水で洗いながら体外へ毒を排出する。蕁麻疹が出る、呼吸が苦しい、めまいがするなど全身に症状が出た場合には、蜂毒アレルギー(アナフィラキシーショック)の可能性が高い。一刻も早い医師の診察と治療が必要となる。---なるほど、参考になります。都会でキイロスズメバチが増えているというのは知りませんでした。私は、自分自身はまだハチ(スズメバチであれミツバチであれ)に刺された経験はありません。ただ、一緒にいた同僚が、引用記事中にあるキイロスズメバチに刺されたことがあります。細かい説明は省略しますが、窓を開け放った屋内で、かばんを開けたまま放置していたら、キイロスズメバチがその中に入り込んでいたのです。何も知らずに、タオルを取ろうとかばんに手を突っ込んだら、刺されちゃった。(刺されたのは手のひらだったので、その瞬間に刺したハチを握りつぶしてしまった)私のかばんもすぐ近くにおいてあったので、被害にあったのが私ではなく同僚だったのは、単なる偶然だったかもしれません(私のかばんも開けっ放しだったかどうかは記憶がありませんが)。その晩は、彼は手がはれて熱も出して、結構大変だったようです。私自身も、刺されたことはないけれど、オオスズメバチに襲われたことはあります。先日写真を紹介した北海道の大雪山でのことです。下山して、登山口まで数十メートルのところで、オオスズメバチが飛んできて頭の上に止まったのです。小雨が降っていたので、雨具を着込んでおり、頭にもフードをかぶっていましたがスズメバチの毒針は、多分ゴアテックスの雨具のフードなんて貫通しちゃうでしょう。とにかく刺激しないように静かにしていたら、そこに不幸な人身御供の二人組がやってきたのです。彼らは登山者ではなく、Tシャツにサンダルの軽装でした。私の頭から離れたオオスズメバチは、その一人の肩に止まって、噛み付いたのです。オオスズメバチは、毒針も強力ですが、あごもすごい※。彼の白いTシャツは、あっという間に血で赤く染まっちゃいました。それでも噛むのをやめないので、やむをえず、私が何かの棒でそのスズメバチを払いのけて、そのまま3人で一目散に逃げました。幸い、そのハチも、他の仲間も追いかけては来なかったですけど。その他にも、山で頭上をスズメバチがぐるぐる回った経験は、何回かあります。※高校生の頃、学校で弱って死にかけたオオスズメバチを捕まえたことがあり、生物の先生といろいろ実験をしたこともあるのです。ボールペンのキャップをかませたら、深々と噛み付いて、歯形くっきりに、プラスチックのキャップを噛み千切りました。だいたい、あごがでかいし。そういえば、我が家にアシナガバチが巣を作ってしまったことがあります。アシナガバチもスズメバチにやや近縁ではありますが(スズメバチ科)、スズメバチには含まれません。刺されれば痛いようですが、スズメバチほど獰猛ではなく、人を刺すことは滅多にないようです。差しさわりのない場所に巣を作ったのなら、そのままにしておきたかったのですが、悪いことに階段の裏側に巣を作っちゃったのです。位置的に、人の足が目の前(笑)。階段を上り下りするだけで、刺激しまくりでしょうから、これは刺されるだろうなと。さすがにそのままにしておくわけにはいかず、ホームセンターでハチ用の殺虫剤(数メートルの距離から水鉄砲のように殺虫剤溶液を浴びせかけられるタイプ)を買ってきて、夜、離れたところから巣にむかって浴びせかけて駆除してしまいました。引用記事にあるように、日本で野生動物による死亡事故が一番多いのは、クマでも毒ヘビでもサメでもなく、ハチ(ほとんどがスズメバチ)です。くれぐれも気をつけましょう。
2016.08.17
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首都圏の水がめ危機 暖冬と少雨、貯水率は平年の半分首都圏の水がめが危機的な状況に陥りそうだ。暖冬による雪不足で、利根川水系のダムの貯水率は平年の半分近くまで落ち込んでいる。梅雨に入ってもダム周辺では降雨が平年より少なく、梅雨明け後も晴天が続くとみられる。今後まとまった雨が降らない限り回復は難しく、関東から九州にかけて大渇水となった1994年のようになる恐れも懸念されている。首都圏に水を供給する矢木沢ダム。利根川水系で2番目に大きい。28日現在の貯水率は17%。利根川水系八つのダム全体でも貯水率が39%に落ち込み、国交省などで作る協議会は16日、3年ぶりに10%の取水制限に踏み切った。さらに、草木ダムがある利根川支流の渡良瀬川では25日、20%に引き上げた。記録的な渇水となった94年は7月に10%の取水制限をした。6月末時点では64%の貯水率だった。今回かなり早い段階で平年の半分以下にまで貯水率が落ち込んだのは、暖冬でダム周辺の雪が少なかったからだ。藤原ダムの累積降雪量は342cmで、平年の4割ほど。過去58年で最も少なかった。通常は4月までダム周辺に残る雪が3月には消えていた。さらに、春は高気圧が日本列島に張り出して晴天が続き、5月の降水量はみなかみ町で平年の4割強だった。今回の取水制限で、東京都水道局は利根川水系の取水制限分を補うため、多摩川水系の小河内貯水池の放流量を増やした。今のところ水道利用への影響は出ていない。だが、都民1人当たり1日の使用量の約5%にあたる、10リットルの節水を呼びかけている。(以下略)---今年は、長期予報では夏場の気温は高いけれど降水量は多め、という予報だったと記憶していますが、現実には気温も高く、降水量も少なめ、となっています。引用生地にも指摘されていますが、過去最大規模の水不足だった1994年より、現在の状況はずっと深刻です。東京都水道局・水系別貯水量の推移こちらに、今年の貯水量の推移、平年値、過去の主な渇水年の貯水量の推移がグラフになっています。引用記事にある1994年も含めて、過去のどの渇水年より、現在の貯水量は少なくなっています。理由は、引用記事にもあるように、冬場の極端な小雪と、梅雨前後の降水不足です。我が家は、ここ何年か、毎年1月に水上温泉に旅行に行っているので、今年の利根川源流が、どれほど雪が少なかったか、実際に見ています。雪がない今年1月10日の上越線水上駅去年、2015年1月12日の水上駅どれだけ違うか、一目瞭然です。雪がないから、雪解け水もありません。加えて、春以降も雨が少ない。6月の降水量は例年より若干少ない程度ですが、5月が極度の少雨でした。どうも、今年は低気圧や梅雨前線が南岸に留まることが多いようで、東京では結構雨が降っているのですが(5月も6月も、東京の降水量は平年を上回っている)、北関東に位置する利根川源流までは雨雲が北上しないことが多いようです。もうひとつ、何気に重要なのは、今年は現在までまだ1個も台風が発生していない、ということです。発生していないんだから、日本に接近する台風もない。台風か降らせる雨というのは非常に強烈で、1個の雨台風の直撃で、貯水量が数千万トンも増える場合があります。(が、利根川の場合、現状は満水に1億6千万トンも不足しており、どんな強烈な台風でも、1個だけでは満水にはならないと思われます)94年の水不足は、空梅雨だったことが原因でした。この年は、おぼろげな記憶ですが、冬場の降雪量はさほど少なくなかったと記憶しています。逆に、梅雨の降雨が少なかったので、残雪があまり溶けず、夏山の残雪が多い年だったと記憶しています。今年は冬に雪が少なかった、春から梅雨にかけて雨も少なかった、台風もまだ来ていない、というわけでトリプルパンチなわけです。94年より更に深刻な事態と思われます。台風に関しては、さすがにこれから発生するでしょう。ただし、発生しても日本に接近するかどうかは分かりませんし、日本に接近しても、利根川源流の流域に強い雨雲がぶつかるかどうかは分かりません。平均的にいえば、日本に接近する台風は、夏より9月のほうが多いので、一番暑い時期に台風が来ない、という可能性はあります。現状、利根川に取水制限がかかって以降は、ダムからの放流がほとんど止まっているので貯水量の減少は収まっています。しかし、このまま梅雨が明けると、今の小康状態を維持できなくなるでしょうから、そうなると、極めて深刻な事態になるかもしれません。それにしても、自然というのはぜんぜん人間の都合どおりにはなってくれないものです。
2016.06.30
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国内外に48トン 日本への国際的懸念なお近く米国へ返還 輸送専用船が東海村の港に核兵器への転用が可能なプルトニウムが近く米国へ返還されることは、日本政府が使い道のない余剰プルトニウムの削減に向け、やっと一歩を踏み出したことを意味する。しかし返還されるのは331kg。国内外には約48tのプルトニウムが残っており、「核武装」を懸念する国際的な批判は依然残りそうだ。日本の核燃料サイクル政策は、原発から出た使用済み核燃料を再処理し、取り出したプルトニウムをウランと混ぜた混合酸化物(MOX)燃料を原発で使うプルサーマル計画によって、プルトニウムを消費する計画だった。しかし、原発の再稼働は進んでいない。国内で現在稼働しているのは、プルサーマル発電ではない九州電力川内原発の2基だけ。プルサーマルの予定だった関西電力高浜3、4号機は、今月9日の大津地裁の運転差し止め命令を受けて停止した。同じくプルサーマルの四国電力伊方原発も、再稼働は今夏ごろになる見通しだ。余剰プルトニウムについては国際的な批判が高まっている。トーマス・カントリーマン米国務次官補は17日の議会公聴会で「すべての国がプルトニウムの再処理から撤退すれば喜ばしいことだ」と指摘した。オバマ政権内には、日本の核燃料サイクル政策が「核拡散への懸念を強める」として、反対する意見が根強く残る。---最近よく閲覧させていただいているブログ「墨田金属日誌」さん(管理人さんは元海上自衛隊の、確か佐官級の幹部)が、この問題について、「MOX燃料はいつか使う、ゴミじゃない」は、ゴミ屋敷の主人の言い分と同じという記事をアップしていて、あまりに言いえて妙で、思わず唸ってしまいました。さて、それはともかく、「原発から出た使用済み核燃料を再処理し、取り出したプルトニウムをウランと混ぜた混合酸化物(MOX)燃料を原発で使うプルサーマル計画によって、プルトニウムを消費する計画」というのは、ありていに言って嘘です。本来の計画では、プルトニウムは高速増殖炉で使う、ということになっていました。ところが、「もんじゅ」があんな状態で、高速増殖炉の実用化などほぼ不可能なのが現状です。そこで持ち出された苦肉の策が、ウランにプルトニウムを混ぜたMOX燃料にして、通常の原発で使う(プルサーマル発電)、というものです。ところが、プルサーマル発電で消費するプルトニウムの量はたかが知れています。通常の軽水炉は、プルトニウムを使う前提で作られていないので、MOX燃料は全体の1/3までに制限されるからです。記事によると原発の再稼動が進んでいないからプルトニウムが余っているように読めますが、実際のところはすべての原発が再稼動しても、プルトニウムは使いきれる量ではありません。そして、コストという面ではプルサーマルは非常に高くついているのが現状です。(そもそも、使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す再処理が非常に高くついている)そもそも、日本の持つ余剰プルトニウムが急増したのは原発が普通に稼動していた震災以前のことであり、2011年以降はプルトニウムは増加していない点から見ても、プルサーマルを行う予定の原発が再稼動しないから、という話が眉唾であることは明らかです。日本が莫大な量のプルトニウムをため込んでいることは、国際的に見れば核武装への準備と思われても仕方がない状況と思います。実際の意図としても、核武装への布石の意図が皆無とは思えないものの、それ以外の事情も様々に存在することも確かです。まさしく、ゴミ屋敷のゴミじゃない、という話で、使用済み核燃料は、「再処理します」と言っている間は廃棄物ではない、ことになっているわけですが、「再処理はあきらめます」と言った途端に、ただの高レベル廃棄物になります。そうすると。最終処分場の問題が待ったなしになってしまう。現在、使用済み核燃料は六ヶ所村の中間貯蔵施設に保管されています。最終処分場は決まっていないし、決まる見込みもありません。そもそも、よく知られているように、世界中でフィンランド以外のどこの国も、高レベル廃棄物の最終処分場は決められていない状況です。六ヶ所村と青森県も、最終処分場となることは拒否しています。使用済み核燃料の再処理はやめますと言えば、では中間貯蔵施設の使用済み核燃料の次の持って行き先を何とかしろ、ということになる。「再処理してプルトニウムを取り出します」と言ってる限りは、、問題を先送りできると、という事情も、かなりの程度再処理問題に影響しているのだろうと思います。要するに、巷間言われるように、原発はトイレのないマンションだ、ということです。その挙句の果てがプルトニウムの在庫48tという現状なのです。
2016.03.31
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高浜原発3・4号機、運転差し止め 大津地裁が仮処分1~2月に再稼働した関西電力高浜原発3・4号機をめぐり、大津地裁の山本善彦裁判長は滋賀県の住民の訴えを認め、2基の運転を差し止める仮処分決定を出した。福島原発事故の原因が解明されていない中で、地震・津波への対策や避難計画に疑問が残り、住民らの人格権が侵害されるおそれが高いと指摘。安全性に関する関電の説明は不十分と判断した。稼働中の原発を直ちに止める司法判断は初めて。関電は運転停止の作業に入る一方、決定の取り消しを求める保全異議や効力を一時的に止める執行停止を地裁に申し立てる方針。それらが認められなければ、差し止めの法的効力は続く。決定は、安全性の立証責任は資料を持つ電力会社側にもあるとし、十分に説明できない場合はその判断に不合理な点があると推認されるという立場をとった。そして東京電力福島第一原発事故の重大性を踏まえ、原発がいかに効率的でも、事故が起きれば環境破壊の範囲は国境を越える可能性すらあると指摘。安全基準は、対策の見落としで事故が起きても致命的にならないものをめざすべきだとした。そのうえで、前提となる福島事故の原因究明は「今なお道半ば」と言及。その状況で新規制基準を定めた国の原子力規制委員会の姿勢に「非常に不安を覚える」とし、新規制基準や審査について「公共の安寧の基礎となると考えることをためらわざるを得ない」と述べた。さらに、新規制基準でも使用済み核燃料プールの冷却設備の耐震性は原子炉などに比べて低いレベルとされ、関電もプールの破損で冷却水が漏れた場合の備えを十分に説明できていないと指摘。電力会社が耐震設計の基本とする揺れの大きさ(基準地震動)も、関電が前提とした活断層の長さは正確といえず、十分な余裕があるとは認められないと判断。1586年の天正地震で高浜原発のある若狭地方が大津波に襲われたとする古文書も挙げ、関電の地震・津波対策に疑問を示した。また、高浜原発の近隣自治体が定めた事故時の避難計画に触れ、「国主導の具体的な計画の策定が早急に必要」と指摘。「この避難計画も視野に入れた幅広い規制基準が望まれ、それを策定すべき信義則上の義務が国には発生している」と述べ、新規制基準のもとで再稼働を進めている政府に異例の注文をつけた。高浜原発から約30~70キロ圏内に住む今回の住民らは、過酷事故が起きれば平穏で健康に暮らす人格権が侵されると訴えていた。---なんと、(よい意味で)驚きの決定です。地裁が運転差し止めを認める決定、判決を出すのは今回が初めてではありませんが、残念ながらその後みんな上級審でその決定は覆されています。が、それでもあえて運転差し止めの仮処分を認めたわけですから、よほど骨のある裁判官ではょう。もっとも、別報道によると、昨年行われた高浜原発の運転差し止め仮処分申請は、同じ裁判官が却下したそうです。その同じ裁判官が今度は差し止め請求を認めた。どこに違いがあったのかは分かりません。今回差し止め請求の対象となった4号機がトラブルで緊急停止したことも、この決定に影響したのでしょうか?残念ながら、上級審でこの決定が覆る可能性は高いと考えざるを得ませんが、とにもかくにも今回の決定によって関西電力は稼動させた原発をいったんは止めなければならない。そういう意味ではかなり強い実効性のある決定です。もっとも、前述のとおり、4号機は今回の決定を待たずして、すでにトラブルで停止中ですが。まもなく、あの震災から5年が経ちます。たった5年で、震災の記憶、教訓はすっかり風化してしまったように見えますが、ただ東京電力管内の発電電力量などを見ると、東京電力管内の消費電力は、震災前よりはだいぶ低い数値に留まっています。そういう意味では、震災の教訓は、現在もしっかりと生きているのかもしれません。いずれにしても、巨大地震はいずれ遠からず、また日本のどこかで起こります。そして、その地震が原発のすぐ近くを震源とする確率も低くはないし、大きな津波を伴う確率も、低くはありません。東日本大震災ほどの巨大地震は早々頻繁に起こるものではないにしても、もっと規模の小さい地震であっても、震源が原発に近ければ、結局揺れの大きさや津波の波高の高さは大きなものになります。人間の記憶が風化しても、災害は、文字どおり忘れた頃にやってくるものです。なし崩しに次々と原発が再稼動されることを是とすべきではありません。
2016.03.09
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福島第一原発事故は「メルトダウン」ではない事故から5年たっても、新潟県知事は「メルトダウン」の意味も理解してないらしい。そもそも問題の東電のプレスリリースには「メルトダウン」という言葉は出てこない。書いてあるのは、こういうことだ。調査を進める中で、当時の社内マニュアル上では、炉心損傷割合が5%を超えていれば、炉心溶融と判定することが明記されていることが判明しました。新潟県技術委員会に事故当時の経緯を説明する中で、上記マニュアルを十分に確認せず、炉心溶融を判断する根拠がなかったという誤った説明をしており、深くお詫び申し上げます。私が2011年3月12日のブログ記事で指摘したように、12日0:30の段階で官邸の資料に「燃料溶融」と書かれていた。炉心が何らかの程度、損傷したことは当初から明らかだった。それを「炉心溶融」と呼ぶかどうかは定義の問題だが、当時は東電は炉内の状態がわからないのでそう判断せず、保安院もそれに従って(苛酷事故を意味する)炉心溶融という言葉は使わなかった。その社内基準が今回わかったというだけだ。ところが毎日新聞などが炉心溶融とメルトダウンを混同し、「メルトダウン『判断基準あった』 福島原発事故当時」と誤って報じたため、あたかも東電がメルトダウンを認めたかのように、泉田氏は誤認したわけだ。「メルトダウン」という言葉の正式な定義はないが、チェルノブイリのような死亡事故をさすことが多いので、政府事故調などの公式文書ではまったく使われていない。それを嘘つきジャーナリストが、こうツイートしたのだ。保安院は当時も「炉心溶融」とは発表していないし、「メルトダウン」という言葉は今までも使っていない。これはまったく事実無根である。東電が「メルトダウン」と言っていないことはリリースを読めばわかるが、泉田氏はネット上で確認できる情報も見ないで嘘つきジャーナリストを信じている。彼は今年10月の知事選で4選をめざしているらしいが、この程度の情報リテラシーもない人物を4回も知事に選んだら、新潟県民は田中角栄以来の「愚かな選挙民」という汚名を返上できないだろう。---池田信夫の言説がデタラメなのは今回に限ったことではなく、過去にもトンデモ発言の数々を批判したことがあります。他のことでもデタラメ発言はありますが、とりわけ原発関連でデタラメな発言が多い。今回もまた同様です。引用記事を一読して論理矛盾は明らかです。「メルトダウンという言葉の正式な定義はない」と言いつつ、「毎日新聞などが炉心溶融とメルトダウンを混同」したと言うのです。正式な定義がないなら、炉心溶融とメルトダウンを同義に使うのも間違いではないはずです。池田自身は「チェルノブイリのような死亡事故をさすことが多い」というのですが、いくら調べても、池田の主張以外にそのようなメルトダウンの定義を発見することはできません。福島の事故より明らかに小規模なで、死者も出ていないスリーマイル島原発事故でも、「メルトダウン」という用語は頻繁に使われています。だいたい、英語でnuclear meltdownとは、核燃料が溶けて落ちる、ということです。英語版wikipediaを見ても、死亡事故だけを指す、なんて定義はありません。コトバンク メルトダウン めるとだうん Meltdown知恵蔵2015、デジタル大辞泉、大辞林、ブリタニカ国際百科事典、いずれもメルトダウンとは炉心溶融のことだとしている一方、池田の主張である「死亡事故を指す」などという定義を採用する辞書も百科事典もない、ということが分かります。英和辞典でも、meltdownの日本語訳を(原子炉の)炉心溶融、(株・相場の)急落、暴落 としています。つまり、英語のメルトダウンを日本語で言えば、炉心溶融だということです。朝日新聞のキーワードは、更に具体的に説明しています。経済産業省原子力安全・保安院は、燃料棒内部にある焼き固められた燃料が溶けて崩れることを「燃料ペレットの溶融」、溶けた燃料棒が原子炉下部に落ちることを「メルトダウン」とする定義を先月発表した。溶けた燃料棒が原子炉下部に落ちる、これって、まさしく福島第一原発で起こった事実そのものです。福島第一原発では、燃料棒が溶けて、原型を留めずに崩れ落ちて、損壊した原子炉の底に溜まっている状況です。つまり、福島第一原発で起こったことは、メルトダウンそのものであることは、明白です。事故報告書にメルトダウンという用語がないのだそうです。私は報告書を隅から隅まで読んだわけではないので、それを確認してはいませんが、まあ事実なのでしょう。しかし、それは政府事故調がメルトダウンという用語を使いたくなかった、というだけのことであって、福島で起こった事態がメルトダウンではなかった、という意味ではありません。そもそも、政府機関がメルトダウンとは言っていないからメルトダウンではない、というなら、政府がアベノミクスは成功と言えば、自動的にアベノミクスは成功していることになるのか、ということです。池田は、上杉隆のことを執拗に嘘つきジャーナリストと言っているわけですが、少なくとも福島第一原発の事故について炉心溶融(メルトダウン)と表現したことは、嘘でもなんでもない、まったく正しい事実なのであり、池田のほうが、メルトダウンという言葉について、一般には通用しない「俺様定義」を振りかざす狂信的原発賛美者(意図的に嘘をついているかどうかまでは断定できないけれど)と呼ぶしかないでしょう。
2016.03.02
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「40年超」原発、初の適合 新基準、1.2号機 規制委原子力規制委員会は24日、運転開始から40年を超えた関西電力高浜原発1・2号機が新規制基準に適合しているとする審査書案を了承した。運転開始から40年を超える老朽原発では初めて。規制委は4月以降に正式な審査書をまとめる見通しだが、再稼働のためには運転延長などの認可がさらに必要で、法的な期限となる7月までに手続きが間に合わなければ廃炉の可能性もある。新基準に適合した原発は、高浜3・4号機、川内1・2号機、伊方3号機の5基あり、今回で計7基となる。しかし、高浜1、2号機の場合は手続きが7月に間に合ったとしても大規模な改修工事が必要で、再稼働は早くとも2019年10月以降になる。高浜1号機の運転開始は1974年11月、2号機は75年11月で、ともに40年を超えた。福島第1原発事故を受けた法改正で、原発の寿命は原則40年に限られ、一度だけ最長20年延長できる。そのためには審査の合格に加え、詳細設計を定める工事計画と運転延長の認可を期限までに得なければならず、高浜1、2号機の場合は新基準施行から3年に当たる7月7日が期限となる。審査では、老朽原発では1基当たり数百km使用されているとされる可燃ケーブルの取り扱いが焦点となったが、関電は難燃ケーブルへの交換が難しい場所については、可燃ケーブルに防火シートを巻いて延焼を防ぐ安全対策を提示。規制委もこれを容認した。地震・津波対策については既に合格している3・4号機のデータを利用した。関電は昨年3月に1・2号機の審査を申請し、11カ月の短期間で審査を終えた。(一部略)---原発の運転期間を40年に制限するルールがせっかくできたのに、そこに最長20年の延長が可能、などという例外規定が作られたために、さっそくこのルールが形骸化し始めています。40年に20年の延長を加えれば60年です。原発に、最長60年の運転を認めるとはどういうことでしょうか。日本で初めての商用原発は東海発電所で、1965年に運転開始しています。実験炉を含めるとJRR-1が日本初の原子炉で、運転開始は1957年です。日本で初めて原子炉が運転を始めてから、まだ60年は経過していません。つまり、40年の運転制限に最大20年の延長ということは、現存するすべての原発が運転継続できる可能性がある、ということです。現実には、初期の原子炉はすでに廃炉または運転停止になっています。60年も運転し続けた原発は、まだ存在しません。ということは、60年という期間は、電力会社自身が「この原発はもう要らない」という期間より長いわけです。運転「制限」と言いつつ、これでは何の「制限」にもなっていないわけです。一応は、まだ手続きが間に合わずに廃炉になる可能性はある、とはいうものの、実際には、間に合わせてしまうのだろうなと思います。大規模な改修工事が必要とのことですが、それをやってしまえば、ますます投資を回収する必要に迫られ、何が何でも運転しようとするでしょう。福島第一原発の事故からまもなく5年、早くも原発に対する様々な規制はなし崩しになり、元の木阿弥になりつつある、ということです。喉元過ぎればなんとやら、です。もっとも、震災の年以来、電力消費量はずっと減り続けています。こちらに、2005年以降の電源別発電電力量構成比の推移が掲載されています(全国計)。どの発電手段が何パーセント、という数字もありますが、より注目すべきは、全体の発電量です。2007年をピークとして、それ以降毎年発電量は減少しています(2010年だけが例外)。2011年の電力が前年に比べて減ったのは周知のことですが、それ以降も毎年電力は減り続けています。最近は、あまり「節電」という言葉も聞かなくなりましたが、消費電力は震災の年より更に減っています。原発事故は早くも風化しつつあるけれど、そこに端を発した節電意識は、多分まだ風化していないのでしょう。原油価格の暴落で、燃料費も急激に下がっているはずです。この状況下で無理矢理原発を再稼動させようというのは実に不可解なことと思わざるを得ません。
2016.02.24
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沖縄本島に初「雪」 名護でみぞれ観測強い寒気が流れ込んだ24日夜、沖縄県名護市と久米島町でみぞれを観測した。1977年2月17日の久米島以来39年ぶりで、みぞれは分類上、雪に含まれるため沖縄県内での降雪は観測史上2度目となる。沖縄本島では初めて。久米島町謝名堂で午後9時56分から6分間、名護市宮里で10時26分から15分間など断続的に観測。各地で「あられ」や「ひょう」も確認された。国頭村奧で午後10時49分、県内観測史上2番目に低い気温3・1度を記録。県内観測地点28カ所のうち14カ所でその地点の観測史上最低気温となった。---この冬は、今月半ばまでは観測史上有数の暖冬で、普段は雪国である水上温泉にこの冬は雪がまったくないという話は、先日当ブログでも記事を書きました。雪がないところが、先週から一転して厳寒となり、九州では大雪が降っているとの報。そして、沖縄では何と観測史上2度目の雪(沖縄本島では史上初めて)を観測した、というのです。びっくり仰天の話ではありますが、ただし、今回みぞれを観測した名護市は、気象庁のサイトで確認すると観測開始は1966年のようなので、過去50年間で初めて、という記録です。同じく、1977年以来2度目のみぞれを観測した久米島も、観測開始は1958年となっています。那覇は1891年から観測記録がありますが、まだ雪を記録したことはないようです。ちなみに、1月24日に那覇の最低気温は6.1度を記録していますが、これは1917年1月20日と並ぶ観測史上最低記録。99年ぶりのタイ記録というわけです。一方、奄美大島でも115年ぶりに雪が降ったとか。こちらは、観測開始が1897年で初めて雪を観測したのが1901年とのこと。これまたすごい記録ではあります。一方、更に南の台湾では台湾北部でも積雪 「一目見たい」市民が山間部に殺到今回の寒波で、亜熱帯に属する台湾北部でも23日から24日にかけ、山間部を中心に雪が降った。台湾の中央気象局によると台北郊外の陽明山でも7年ぶりに降雪を観測。24日夕までに9センチの積雪があったという。台湾では雪がめったに見られないため、一目見ようという市民が山間部に詰めかける騒ぎになった。気象局では陽明山など4カ所の観測所で降雪を確認したが、台湾メディアに寄せられた住民の通報では、山間部の広い範囲で雪が降ったもようだ。台北の市街地でも雪がぱらついたところがあるという。---台湾寒波で65人死亡…最低気温4度台湾の公共テレビなどによると、台湾を襲った寒気の影響で、23日から25日にかけて少なくとも65人が死亡した。地元紙「聯合報」(電子版)によると、心臓や血管の疾患によるものが多いという。台北の24日の最低気温は4度で、過去44年間で最も低かった。---7年ぶりの降雪観測だそうです。もっとも、台湾には玉山を初めとする3000m級の山があり、ここでは毎年必ず降雪があります。冬の玉山で雪上訓練をする人たち。ただ、この動画から判断する限り、風の強さこそ日本の冬山に近いけど、雪の量はかなり少ないなと思います。台北で最低気温が4度というのが過去44年で最低だそうです。やっぱり暖かいんだねえ。しかし、より北方の沖縄・那覇の最低気温記録が6.1度であるところから考えると、それより南の台北の最低気温記録が沖縄より低いのは、ちょっと意外でした。一方香港でも霜見物の80人を救助、香港 最高峰、59年ぶり寒波香港・新界地区にある香港最高峰「大帽山」(957メートル)で24日、59年ぶりの寒波でできた霜を見に来ていた80人以上が低体温症になるなどして救助された。1人が重症。山頂は氷点下6度になっていた。地元メディアが伝えた。消防当局は、危険なので登山に行かないよう市民に呼び掛けた。香港では24日、寒気が流れ込み、1957年以降で最も低い気温3・3度を記録した。---雪ではなかったようですが、霜が見たくて山に登って遭難が80人とは。マイナス6度は、ある程度の防寒対策がないと厳しい気温であることは確かです。それにしても、九州、沖縄、更に南では記録的な寒波だったけど、東京はというと、寒かったし氷点下にもなったけど、雪の予報は当たらず、記録的というほどでもありませんでした。今月初めに雪がまったくなかった水上温泉は、積雪が50cmになりました。まあまあ積もったけど、平年に比べればまだかなり少ないです。つまり、今回の寒波は南のほうに行くほど強烈だった、ということでしょうか。そして、早くも寒波は終わりを告げて、今週末からは暖冬に逆戻りのようです。
2016.01.26
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インターネット環境は、2日ぶりに完全復旧しました。結局、モデムを交換する事態になってしまいました。もんじゅ:動かないのに…関連総費用1兆1703億円1995年12月に冷却材のナトリウム漏れ火災事故を起こして以来ほとんど運転していない高速増殖原型炉「もんじゅ」関連の総費用が今年3月末までに約1兆1703億円にのぼったことが運営主体・日本原子力研究開発機構への取材で分かった。これまでは、会計検査院が2011年に総額「1兆810億円」と指摘したが、その後の総額は明らかになっていなかった。もんじゅは過去5年間動いていないが、プラントの維持に加えて固定資産税や人件費も含め年平均220億円以上を支出していることも分かった。来年度には総額1兆2000億円を突破しそうだ。もんじゅは、85年に着工し、94年に核分裂が持続する「臨界」に達し、翌年に送電を始めた。しかし、ナトリウム火災を起こして長期停止。10年5月に原子炉を再起動したが、同8月に燃料交換装置が原子炉内へ落下して以来、再び長期停止している。停止中でも、もんじゅが使うナトリウムは常温では固まるため、電気であたためて液体状に保つ必要があり、こうした維持費が積み重なっていた。原子力機構は、もんじゅの10年度までの総事業費について約9265億円と公表していた。しかし、会計検査院が11年11月、関連施設の費用や固定資産税、人件費などを含めて算出すると、総支出額は1兆810億円だったと指摘し、経費の全体規模を公表するよう機構に意見を表明していた。今回、毎日新聞の取材に対し原子力機構は、14年度までのもんじゅの人件費が約533億円、固定資産税が記録が残る99年度以降で412億円と提示。こうした結果、支出総額は71年度以降の建設準備費なども含め約1兆1703億円と算出した。1年間の費用は、会計検査院が指摘した11年度以降の4年間の維持費のほか固定資産税や人件費も含めて平均すると、約223億円になった。これに対し、20年間でもんじゅが発電したのは日数換算で約37日で、売電収入は約6億円だったとしている。---6億円の売電収入を得るために1兆円の費用、採算どころの話ではありません。高速増殖炉の危険性については以前にも記事を書いたことがあります。このように危険な高速増殖炉は稼動すべきではないし、実際のところ稼動できるとは思えません。20年間まともに動かなかった原子炉が、今後トラブルなしにまともに動くとは思えません。別に、原子炉に限った話ではなく、20年も動かしていなかった機械が、まともに動くとは普通は考えないものです。仮に、再び稼動を強行したところで、またトラブルが発生するであろうことは確実です。私としては、それが破滅的な大事故ではないことを祈るはばかりですが。結局、まともに動く見通しが皆無な高速増殖炉を、ズルズルと維持し続けるために要した費用が、とんでもない額になってきているわけです。「夢の核燃料サイクル」などといしう実現不可能な夢(というより悪夢)はからはサッサと覚めて、早急に「もんじゅ」は廃炉にすべきです。もっとも、廃炉にもかなりの費用がかかるので、どう転んでも今後も莫大な公費が投入され続けることになるのでしょう。が、それでもズルズルと維持し続けるのに比べれば、まだマシです。実際には、そんな決断は、火災後数年以内にはなされるべきだったと思いますけど。
2015.12.02
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イチからオシえて:都会に進出、ハクビシン 空き家にすみ着き抜群の適応力で急増タヌキやアライグマとよく似たジャコウネコ科の動物・ハクビシンが、都会で勢力を急拡大している。生ごみを荒らされたり、天井裏にすみ着かれて悪臭やフン害に苦しめられたりと、被害も多発。だが、都市環境に抜群の適応力を持った彼らを追い出すのは簡単ではなさそうだ。2年前の秋。記者が深夜、東京都新宿区近くの住宅街を歩いていると「キューン、キューン」と声を上げながら電線の上を行き来する小動物に出くわした。暗くて姿はよく見えない。子猫が下りられなくなったのかと思い、近くの交番に助けを求めたら、警察官は一目で「ハクビシンですね」。2人でしばらく眺めていると、電柱から民家の屋根に飛び降り、どこかへ去って行った。数十年前まで、ハクビシンは里山でもめったに見かけない動物で、天然記念物に指定していた自治体もあった。しかしここ10年ほどで急増し、農作物の被害額は「特定外来生物」として駆除が認められているアライグマを上回る。特に都市部への進出は、アライグマより目立っている。害虫・害獣対策の業界団体「日本ペストコントロール協会」によると、2014年の都内のハクビシンに関する相談件数は444件で、シロアリやカラスなどの鳥類より多い。生態に詳しい埼玉県農業技術研究センターの古谷益朗さんは「アライグマは人家近くに高い木が残る丘陵地を好むが、ハクビシンは都会の方が快適らしい」と話す。ハクビシンが都会で暮らせるのは、雑食性であるのに加え、高い運動能力により、地面に下りる危険を冒さず屋根や電線を伝って移動できるからだ。さらに、格好のすみかになる住宅の天井裏も多い。同協会の谷川力・技術委員長は「空き家や物音に気付きにくい1人暮らしの高齢者宅が増えていることも、ハクビシンの進出に関係しているのでは」と指摘する。(以下略)---私も、夜間ジョギング中にハクビシンに遭遇したことが2回あります。いつだったか、時期は忘れましたが、一度目は猫がいるなと思いつつ、その脇を走り抜けたのです。でも、何かが引っかかる、何かが猫と違う、どこが違うのか・・・・尻尾の付け根が猫とは違うのだと気がついた瞬間にひらめきました。あれはハクビシンではないか、と。しかし、残念ながらこのときは顔面を確認することができなかったので、九分九厘間違いないとは思いつつ、確認はできませんでした。それから何年かして、再びジョギング中にハクビシンに遭遇したのです。前回のことが記憶にあったので、このときは前面に回りこんで顔面を確認しました。はっきりと、顔に白い縦筋が入っていたので、ハクビシンであると完全に断定できました。ただし、引用記事の例とは違い、私が見たのは2度とも地面を歩いていましたけど。そのときにちょっと調べたので、東京でハクビシンが増えていることは知っていました。里山よりも都会を好む、これは「都市鳥」と呼ばれる鳥たち(スズメ、ハシブトガラス、ヒヨドリなどなど)によく見られる生態ですが、ハクビシンも同じであるようです。空き家が増えたことが分布拡大の原因の一つ、というのは意外な話です。ただ、引用からは省略しましたが、レプトスピラ症の病原菌とE型肝炎ウィルスのキャリアである例が多いということなので、あまり触ったりはしないほうがよいようです。もっとも、それを言えばドブネズミはどうなんだ、ハエやカだって、という話になってしまうのですが。そういえば、ドブネズミも東京には少なくないですね。2~3ヶ月前、某地下鉄駅の構内で、地下道にドブネズミが姿を現したことがありましたし、現在の勤務先、および昔の勤務先でドブネズミが姿を現したことはあります。(ただし、現在の勤務先に姿を現したのは、ドブではなくクマネズミかもしれません)まあしかし、ドブネズミを見て「自然」という印象はなかなか持たないものですけど。考えてみると、山登りなどで鳥を見かけることは多い(かつて、日本野鳥の会に入っていたこともあり、鳥の種類はある程度は覚えています)のですが、それに比べると山で野生の哺乳類を目撃する機会は多くありません。ニホンザル(北アルプスなど各所)、ニホンカモシカ(八ヶ岳と南アルプス)、ニホンジカ(雲取山と北海道)、イノシシ(雲取山)、キタキツネ(北海道)、エゾヒグマ(知床の登山道で1対1で鉢合わせ)、エゾシマリス、くらいだと思います。鳥に比べて哺乳類との遭遇頻度が低いのは、おそらく生息密度自体が鳥より低い(だいたいは鳥より大型ですから)ことと、夜行性のものが多いので、昼間は出会いにくいからなのだと思います。そういえば、冒頭紹介したハクビシンとの遭遇も、2回とも夜でした。そのため、鳥の写真は時々撮影しますけど、前述のハクビシンも含めて、哺乳類の野生動物の撮影に成功したことは、数えるほどしかありません。ニホンザルとカモシカが1回ずつ、くらいでしょうか。それも、ニホンカモシカは露出を間違えて、ちゃんと写らなかったのですが。
2015.11.18
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【川内再稼働に見る“反原発”新聞の偏向(上)】「見出し」ににじむ「悔しさ」と「歪み」複数の意見が対立する中で、自己に不利な事実をわざと報じないか、あるいは有利な事実を殊更大きく報じることを偏向報道という。九州電力川内原発1号機が再稼働を果たした際の朝日、毎日、東京の各新聞を見るとまさにこの定義が当てはまった。新聞は同じではないのだから、それぞれの主張があってよい。しかし複数の新聞を購読する読者が少ない中、何が偏向報道かを見極めるのは極めて困難だろう。取材班は、再稼働当日の8月11日付と翌日付の記事を洗いざらい分析し、浮き彫りにしてみた。(原子力取材班)一面の見出しにも「主張」入れ込む「リスク抱え原発回帰」(朝日)「再稼働見切り発車」(毎日)「『反対多数』世論の中」(東京)川内原発の再稼働から翌日付の朝刊1面トップの大見出しには、“反原発”新聞の悔しさがあふれていた。解説や論説は別にせよ、事実を素直に伝えるべき記事の見出しに自社の主張を入れ込むのは、あまり好ましいとはいえない。一方で、産経は「川内原発 再稼働」、読売は「川内原発 14日発電」とオーソドックスな1面見出しで、事実の伝達と主張は別という基本を守っている。~“反原発”の記事を読むと、目につくのは「電気は足りている」という主張だ。朝日は1面で「事故で日本のすべての原発が止まり、私たちが『原発なし』の暮らしを始めて約2年。猛暑の夏でさえ電気は足りている」と主張した。同じく東京新聞は「原発に依存しなくても、電力をまかなっていけると、日本が自ら証明した。猛暑の今年も、全国的に安定供給が実現されている」と指摘した。電力がいまも安定供給されている中にどういう欠落が潜んでいるのか。記者は知っているにもかかわらず、なぜ触れないのか。まず東京電力福島第1原発事故前に、全電力の3割をまかなっていた原発の停止により、現在は、ほぼ9割を火力発電に依存しているという異常な実態を見ていない。日本のエネルギー自給率は事故前に2割近かったが、現在は6%しかない。政情不安な中東のエネルギーに依存するのは、国そのものを危うくしかねない。資源の輸入依存度は下げていくのが望ましい。~リスクが存在するのは原発だけではない。リスクに言及するなら、原発や自然災害、あるいは交通事故や殺人事件などを含めた総合的なリスクをどう比較し、どう捉えたらよいかという観点が必要なのではないか。日航ジャンボ機墜落事故や、兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故を挙げるまでもなく、科学技術の恩恵による便利さの裏側には、人が死亡するという重大なリスクが潜んでいる。飛行機や車が良くて、原発はダメという「明快な根拠」が見当たらない。(以下略)---連日ネトウヨ機関紙の産経に対する論評になってしまいますが・・・・・・「複数の意見が対立する中で、自己に不利な事実をわざと報じないか、あるいは有利な事実を殊更大きく報じることを偏向報道という。」だって!!一瞬、産経がこれまでの自らの報道姿勢を恥じて自己批判する文章かと思ってしまいましたよ。ところが、そうじゃなくて他紙の報道態度への批判なんだから、笑うしかありません。あの産経新聞が、どの口でそういうことを書くんだか。昨日も指摘したとおり、内閣支持率が前回調査より1ポイント上がっただけで(依然として指示より不支持のほうが多いにも関わらず)「朝日は、民意にはしごを外された」なんて口走る新聞が、「有利な事実を殊更大きく報じることを偏向報道という。」って、それは産経新聞自身のことでしょうよ。「事実を素直に伝えるべき記事の見出しに自社の主張を入れ込むのは、あまり好ましいとはいえない。」ともありますが、およそ産経新聞が、自社の政治的主張に絡むことについて、見出しも本文も、自社の主張を入れ込んでいない記事など見たことはありません。で、それはそれとして、引用記事の中でも特に気になったのが「日本のエネルギー自給率は事故前に2割近かったが、現在は6%しかない。政情不安な中東のエネルギーに依存するのは、国そのものを危うくしかねない。資源の輸入依存度は下げていくのが望ましい。」という記述です。日本のエネルギー自給率は事故前に2割もあって、それが6%に「落ちた」という言い分の正当性がまず問題です。マトモに考えれば、水力発電と新エネルギー、わずかな天然ガスを除けば、日本国内で自給できるエネルギーはなく、自給率が2割もあるはずがないのです。それが2割などという数字になっているのは、核燃料を自給エネルギーに含めるという不可解な計算の仕方故です。現在、日本ではウランの採掘はまったく行われておらず。核燃料はすべて輸入に頼っています。それを「自給」とみなすのは、ある種の言葉遊びでしかありません。したがって、実際の日本のエネルギー自給率は、事故前も事故後もほとんど変わっていません。そしてもう一つ。「政情不安な中東のエネルギーに依存」という言い分もおかしいのです。確かに、日本の石油の輸入元は、8割以上が中東です。が、天然ガスでは3割程度であり、石炭は中東からの輸入はほとんどありません。そして、2014年の日本の総発電量に占める石油の割合は、わずか10.6%に過ぎません。確かに、事故の後一時的に石油による発電の割合が18%まで増大(2012年)しましたが、その後2年で急減しています。天然ガスの割合が46%、石炭が31%ですから、総発電量に占める中東への依存度は、せいぜい2割程度ということになります。引用記事では触れられていませんが、「原発が動かないから化石燃料の輸入が増えて、燃料代がかさんでいる」という主張をよく見かけます。以前に検証したことがあるのですが、輸入「量」についていえば、石油と石炭は、事故前に比べて特に増えてはいません。天然ガスだけは、事故前に比べて輸入量が2割程度増えていますが、化石燃料トータルで見れば、4~5%程度の増加に過ぎません。それにもかかわらず燃料費が大幅に増えたのは、原油価格(天然ガス価格も)が大幅に上がったからです。原発が稼動していたとしても、電気の6割近くは化石燃料から発電されるのですから、燃料費の増大はどう転んでも避け得ないのです。そして、このところ原油の天然ガスの価格も急落していますから、燃料費の問題もかなりの程度解決しつつある、ということろでしょう。「リスクが存在するのは原発だけではない」とありますが、原発以外で、あれほど広範囲にわたって、しかも何十年にわたって人の居住が制約されるようなリスクがありえるのか、ということを考えるべきでしょう。飛行機や自動車は、利用者にとってそれを完全に代替しうるものが存在しないのに対して、電気は、切れ目なく供給され続ければよいのであって、発電手段が原発でなければならない必然性など、何もありません。原発が止まっていたこの数年の間、電気が足りなくて社会が困り果てたことなどないんだから。結局のところ、「自己に不利な事実をわざと報じないか、あるいは有利な事実を殊更大きく報じることを偏向報道」と叫ぶその記事自体が、もっとも顕著な「偏向報道」だった、という実に馬鹿馬鹿しい話です。
2015.08.28
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川内1号機が再稼働=新規制基準で初―「原発ゼロ」終わる・九電九州電力は11日午前、川内原発1号機の原子炉を起動し、再稼働させた。2011年3月の東京電力福島第1原発事故を受け、原子力規制委員会が策定した新規制基準に基づく原発の稼働は初めて。14日にタービンと接続して発電・送電を始め、徐々に出力を上げて問題がなければ9月上旬にも営業運転に移る。国内で原発が運転されるのは、13年9月に関西電力大飯原発が停止して以来で、「原発ゼロ」は1年11カ月で終わった。1号機の運転は11年5月に定期検査で停止して以来、4年3カ月ぶり。~九電は13年7月の新基準施行と同時に川内1、2号機の審査を申請した。規制委は想定する地震の揺れ(基準地震動)を不十分と指摘。九電は申請時の540ガルから620ガルに引き上げたほか、想定する津波の高さも約1メートル引き上げた。一方、原発に影響を及ぼす恐れのある巨大噴火に関しては「運転期間中に起きる可能性は低い」と判断し、継続的な監視で足りるとした。事故に備え住民の避難を準備する半径30キロ圏には9市町の約21万人が住み、各自治体は避難計画を策定した。バスの手配など避難の具体的手順が整備されつつあるが、住民からは実効性を疑問視する意見が出ている。九電は川内2号機についても、10月中旬の再稼働を目標に準備を進めている。---震災の年の夏は、電力不足の可能性が取り沙汰され、節電の取り組みが大々的に行われました。私は地下鉄で通勤しているので気が付かなかったのですが、地上を走る列車は、日中車内の蛍光灯を全部消灯することまでやっていました。もっとも、車内や駅構内の蛍光灯の間引きは現在に至るまで続いていますけど。節電の掛け声は年々小さくなっていき、最近は震災前と同程度の掛け声しか耳にしなくなっていますが、それにもかかわらず、電力消費は震災前の水準に戻ってはいません。2012年5月にすべての原発が止まって以降、12年7月から13年9月まで大飯原発の2基が稼動していただけですから、この3年3ヶ月はずっと原発はほとんど動いていなかったのですが、この間電力が足りなくなることはありませんでした。よく知られているように、電力消費が最大を記録するのは、決まって夏場、お盆以外の平日の日中です。東京電力管内ですが、各年の最大電力とその日の気温(東京・大手町)は、以下のとおりとなっています。2015年 4957万kw (8/7 ・最高気温37.7度 猛暑? ※8/11までの記録)2014年 4980万kw (8/5 ・最高気温36.1度 8月初めまで猛暑、以降冷夏)2013年 5093万kw (8/9 ・最高気温34.5度 猛暑)2012年 5078万kw (8/30・最高気温35.6度 猛暑)2011年 4922万kw (8/18・最高気温36.1度 普通)2010年 5999万kw (7/23・最高気温35.7度 猛暑)2009年 5450万kw (7/30・最高気温33.2度 やや冷夏)2008年 6089万kw (8/8 ・最高気温35.3度 8月半ばまで猛暑、以降冷夏)震災以前と比べて、ピーク時の最大電力が大幅に落ちていることが分かります。この期間内でもっとも涼しい夏だったのは2009年で、最大電力は前年に比べて600万kw以上も減っていますが、震災以降に比べれば、それでもはるかに多い数値です。今年も、記録的猛暑ですが、これまでのところ東京電力管内の最大電力は5000万kwの大台を超えてはいません。震災の記憶が遠のけば、電力消費も元の木阿弥になってしまうかと思いきや、日本人は案外賢く行動しているようです。震災から4年経った現在も、かつてのような電気の使い方には戻っていないようです。上記は東京電力管内の、その年の最大電力の記録の移り変わりですが、別の資料で日本全国の年間トータルの電力量の推移を見ることもできます。電源別発電電力量構成比 2015年5月22日電気事業連合会作成資料これを見ると、2007年をピークとし、それ以降はずっと発電電力量は減り続けている(記録的猛暑の2010年は唯一の例外)ことが分かります。つまり、もはや原発を動かさないと電気が足りない、などということはまったくないのです。このところ原油も天然ガスも価格がかなり下がっているので、ひところ言われた燃料費の負担もかなり軽減されているはずです。それにも関わらず、原発を今動かすというのです。もちろん、この1基だけではなく、これからどんどん原発を再稼動させていくつもりのようです。そこには、事故があろうが何があろうが、とにかく原発は推進するんだという政府・自民党の執念だけしか見えません。高レベル廃棄物の問題、事故が起きた場合の対策など、様々な課題は置き去りのまま、目先の都合だけしか見えていない、としか思えません。こうやって、福島第一原発の事故の反省も何も、元の木阿弥になっていくのでしょうか。こんなことでは、いつか再び同じような事故が起こらないとも限りません。
2015.08.11
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電源構成:2030年、原発回帰鮮明に 政府案経済産業省は28日、2030年の総発電量に占める電源ごとの割合について、原発を20〜22%、再生可能エネルギーを22〜24%とする政府案をまとめた。原発を新増設するか、原則40年の運転期間を延長しなければ実現しない水準で、安倍政権の原発回帰の姿勢が鮮明になった。28日に開いた同省の有識者委員会に提示し、大筋で了承された。政府が電源構成をまとめるのは10年以来で、東京電力福島第1原発事故後初めて。政府案は、30年の総発電量を13年度より1割多い1兆650億KWhと想定。原発比率を10年度実績(自家発電含)の26.4%から4〜6ポイント低くする一方、再生エネは2倍以上にする。再生エネの内訳は、水力8.8〜9.2%程度▽太陽光7%程度▽風力1.7%程度▽バイオマス3.7〜4.6%程度▽地熱1〜1.1%程度。再生エネ比率を原発より高めることで、脱原発を求める世論の理解を得たい考え。だが、40年ルールを厳格に運用した時の依存度(約15%)を上回る水準としたことに対し、「政府のエネルギー基本計画で定めた、原発依存度を可能な限り引き下げるとの方針に矛盾する」との批判も出ている。また、電気料金抑制のため、運転(燃料)コストが安く、昼夜問わず一定規模の発電を行う原発や石炭火力などの「ベースロード電源」を12年度実績(38%)を上回る56%程度を確保。火力発電、原発の燃料コストと、再生エネ固定価格買い取り制度にかかる費用との合計を13年の9.7兆円から引き下げる方針も示した。(以下略)---自民党は、口では原発の依存度を下げるようなことを言っていましたが、はっきり言って自民党支持者も含めて、それを本気だと受け取る人などほとんどいなかったでしょう。そして、まったく口先だけだったことが、これではっきりしたわけです。ほんのわずかに、アリバイ的に減らすだけ、ということです。要するに、東日本大震災の記憶が忘れ去られれば、また元の原発推進に戻りたい、ということです。喉元過ぎれば熱さ忘れる、ということでしょう。そもそもの前提条件として、30年の総発電量を13年度より1割多い1兆650億KWh、とする想定自体に疑問の余地が大きいのです。日本において、総発電量が最大を記録したのは2007年のことで、それ以降発電量は、大筋で減っています。発電量が1兆KWhを超えたのも2007年と2010年の2年だけです。観測史上に残る猛暑で、かつアベノミクスで好景気の(ということになっている)2013年でさえも、前年度に対して微減です。2013年の発電量は2007年に対して9%くらい減っています。まして日本は人口減少社会であり、これから電力量が1割も増えるとは、とても考えられません。まして、「目指すべき姿」としては、省エネの更なる推進であるべきなんじゃないでしょうか。私は、2030年の想定発電量は、2013年より少ない数字になるはずだし、そうでなければならないと思うんですけどね。安倍政権は、電力をガンガン使う社会がよい社会だと、そう思っているんでしょうかね。総発電量については、電気事業連合会の資料を参照。個別に見ると、再生エネルギーを二倍以上というのは一見大幅に増やしているように見えますが、更に内訳を見ると、地熱発電が1%程度というのはどういうことでしょう。日本は火山国であり、地熱発電の潜在的資源量はかなり多いと見られています。太陽光や風力と違って発電量も安定しており、まさしくベースロード電源として使えます。発電コストも比較的安い。これを1%程度に留めてしまう理由がよく分かりません。さらに、水力発電です。水力発電が8.8〜9.2%程度というのは、ほぼ現状並みの数字です。確かに、ダムをこれ以上作るのは、環境への影響を考えればもう無理でしょう。しかし、発電設備のない既存ダムへの発電設備の追加や、ダムを伴わないマイクロ水力発電の潜在力は、かなりあります。高層ビルの給排水から発電することだって可能です(これは、発電というより消費したエネルギーの一部回収ですが)。したがって、水力発電の潜在力も相当ある。これらを考え合わせると、再生エネルギーを総発電量の1/3程度までは増やせるし、増やすべきと私は思ういます。そうすれば、原発を動かさなくても化石燃料の発電割合は2/3程度に抑えられる。震災前だって、化石燃料の発電割合は6割を超えていたのだから(史上最大の発電量を記録した2007年の化石燃料の発電割合は65.8%)、この程度なら微増程度だし、省エネによって総発電量自体が震災前より1割減れば、割合は微増でも、実際の化石燃料の消費量自体は減らすことができます。でも、自民党政府、通産省は、そのように原発を減らす、という努力は一切払いたくないのでしょう。逆に、40年廃炉ルールの反故や原発の新規設置に努力を払って原発を維持したい、という意図だけははっきりしている。冗談ではない、と思います。このままでは、再び原発事故が起こる日が来ることになりかねません。
2015.04.29
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