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日本保守党・百田尚樹氏「30超えたら子宮摘出」「SFとして」発言今年10月の衆院選で3議席を獲得した日本保守党の百田尚樹代表が、自身のユーチューブ番組で少子化対策を議論した際、「25歳を超えて独身の場合、生涯結婚できない法律に」「30超えたら、子宮を摘出する、とか」などと発言した。発言があったのは8日配信の「ニュースあさ8時!」。同党事務総長の有本香氏らと少子化対策について議論した際に発言した。有本氏は急速に少子化が進んでいることに触れ、「価値観が急激に変化している。子どもがいることイコール幸せになる、という絵図が描けていない。社会の価値観をどうやって取り戻すか、学者の知見を本来かりたいところ」と述べた。百田氏は「これを覆すには社会構造を変えるしかない」と指摘。「これはええ言うてるんちゃうで」「小説家のSFと考えてください」と複数回前置きした上で、「女性は18歳から大学に行かさない」「25歳を超えて独身の場合は、生涯結婚できない法律にするとかね。こうしたらみんな焦る」などと発言した。また、有本氏が「子どもを産むには時間制限がある、ということを子どもたちに教えるべきだ」と指摘すると、百田氏は「30超えたら、子宮を摘出する、とか」と述べた。この発言に対し、有本氏に「やめなさい、こら。SFでもそれはいくらなんでも」と制されると、「時間制限をわかりやすく言ったんやけどね。そういうことがあると、もっと深刻になるんですけどね」と説明した。---愚劣すぎて論評する気力も沸かないくらいのトンデモ発言ですが、気力を振り絞って論評しましょう。少子化問題に関連して飛び出した発言なのだそうですが、この発言が問題だと理解できない人は、逆のパターンを想像してみればいいんじゃないでしょうか。「30超えたらペ〇ス切断」「30超えたら精巣摘出」(ここは、例えば40でも50でも構わないですが)だつて、少子高齢化は女性だけに原因があるわけじゃありませんから、「少子化対策(笑)」で女性にそんなことを求めるなら、男性にも同じことを求めるべきでしょう。もしそのような発言があれば、おそらく百田や、それに近い「反フェミニズム」「反リベラル」の連中は、「フェミナチの暴言」などと怒り狂ったであろうことは容易に想像ができます。そういわれてみないと、これがヤベー発言だと理解できないとしたら、あまりに想像力がなさ過ぎます。そしてSFなどと言ってみたところで、公党の党首の発言である以上は、少子化に対する解決策(空想レベルだとしても)として提示したものであるはずです。しかし、この「政策」が、仮に「SF」レベル想像にしても、もし実行されたとして、少子化が何か解決しますか?出生率が上がる可能性がありますか?いかに考えても、そんな可能性などありません。ちなみに私と相棒が結婚したのは私34相棒35の時、子どもが生まれたのはもちろんその後なので、このディストピア社会がもし実現していたら、私も相棒も結婚も子どもを持つこともなかった、ということになりますう。百田がただのネトウヨの暴言屋であった時代ならまだしも、現在は本人は議員ではないにしても公選法で政党要件を満たした党の党首を名乗っている人間ですから、その発言は個人の暴言ではすみません。日本保守党という公党の政策と切り離すことができないわけです。まあ、私個人としては、もとよりこんな党を支持する気など欠片程もありませんが。日本保守党に関しては、この4月に衆院補選で東京で擁立した飯山あかり氏と仲違いし、泥沼の争いになっているようです。結局のところ、公党の党首になる器ではない(小説家としての能力と政治家としての能力は同じではないでしょうし)人間が政党を作ったら、間違って公選法の政党要件を満たしてしまった、ということなのでしょう。その間違いは、次の選挙で正されるべきでしょう。
2024.11.10
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得票総数でも上回る圧勝 2期目はブレーキ役不在 トランプ氏「かつてない権限」・米大統領選共和党のトランプ前米大統領は5日の大統領選で、激戦州を制した上で、選挙人のみならず一般得票総数でも民主党のハリス副大統領を上回って圧勝するとみられている。共和党は既に議会上院を掌握し、開票が進む下院も制すれば、トランプ氏を阻む壁はほぼなくなる。2期目は「かつてない強力な権限」(同氏)を得ることになる。トランプ氏は6日、バイデン大統領とハリス氏から祝福の電話を受けた。バイデン氏は「円滑な政権移行」を約束。トランプ氏が退任を拒んだ2020年とは異なり、移行手続きは比較的スムーズに進みそうだ。得票総数で共和党が民主党を上回るのは、04年のブッシュ(子)大統領以来20年ぶり。圧倒的勝利に、歴代大統領も「祝意を表したい」(オバマ氏)とメッセージを寄せた。(以下略)---米大統領選でトランプが当選したということです。わたしとしてはいささか残念な結果ではあるものの、他国の選挙のことですから、それをどうこう言っても仕方がない、とも思います。別に米国の民主党をそんなに高く評価しているわけでもありませんし。なんと言っても、親イスラエルの姿勢は民主党も共和党も大差ないし、ガザ侵攻に対しては、ハリスだって明確な反対姿勢はとっていませんから。ただ、今回の大統領選で「圧勝」という表現はどんなものかな、と思います。確かに大統領選に勝ち、上院も過半数を取り、下院はまだ確定していないものの、どうやら過半数を取りそうだ、となると、選挙結果は確かに圧勝です。ただ、選挙人獲得数は現時点で295人対226人で、そこまで差が開いているわけではありません。兵国大統領選は、州ごとに選挙人総取り(例外が2州だけありますが)という小選挙区方式なので、全国の総得票数と選挙人の獲得数が比例しません。トランプ初当選時の2016年は、総得票ではヒラリーが勝ったけれど選挙人はトランプが多く取ったという逆転現象でトランプが勝っています。今回20年ぶりに共和党大統領候補の得票総数が民主党を上回ったというのは、言い方を変えれば過去20年間は共和党が弱かった、ということです。今回の得票率は毎日新聞によると、日本時間の6日午後10時時点でハリス47.4%対トランプ51.0%ということなので、3.6ポイント差と、結構な僅差です。もちろん、僅差だろうが大差だろうが勝ちは勝ち、負けは負けです。ただ、勝ったから全部正しい、負けたから全部間違っている、とは限らないわけです。日本では、あるいは米国でも同じかもしれませんが、トランプ勝利にネトウヨ、Qアノン信者、ディープステート信者みたいなのが大はしゃぎしていて、ウザいったらありゃしない。で、連中は日本でのリベラル叩きの延長線上で米国でもリベラル派ダメだダメだと言い続けているわけです。しかし、前回2020年大統領選ではバイデンが勝ちトランプが負けたわけですが、その時の得票率はバイデン51.3%対トランプ46.8%だったので、今回より得票差は大きかった(ただし、今回はまだ確定していませんが)のです。ということは、前回のトランプは、今回のリベラル派以上に「ダメだった」とということになるはずです。ところが、そこから4年でトランプがここまで逆転したわけですから、民主党だって4年後はまたどうなるか分からない、というのが実際のところではないでしょうか。世の中に永久不変はない、永久に勝ち続ける、支持を得続ける政党や候補者はいない、ということに尽きるのだと思います。とりわけ、4年後にはもうトランプは立候補できませんから。
2024.11.08
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中野区哲学堂公園で演奏します。演奏 ティエラ・クリオージャ11月10日(日)午前11時/午後2時各回1時間(曲は2回とも共通です)中野区哲学堂公園西武新宿線新井薬師前駅より徒歩12分https://www.tetsugakudo.jp/information/post-6279.html雨天でなければ屋外演奏の予定です(雨天の場合は「宇宙館」における屋内演奏)
2024.11.06
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前回の続きです。そろそろ引き返さないと、と思いつつ先に進みます。これが山頂かなあ。どっちが山頂でしょうか。以前登った河口湖側からの登山道は、登りらしい登りのない、緩い斜度でしたが、こちらはそれなりに急登(というほどでもないけれど、登山道らしい登山道)です。マツハダ、またはハリモミが点々とあちこちに生えています。この辺りで標高1600m前後でしょうか。山腹を巻くように登山道は続いています。この壁の向こう側まで行ったら引き返すことにしました。そうしたら・・・・・そこが屏風岩でした。東京近郊の岩登りのメッカです。実は、20年以上前に、ボルダリングの体験をしたことがあります。屋内のスポーツ施設です。恥ずかしながら「箸にも棒にも」という感じで、それ以来岩登り系は「私には無理」と思っています。前に三つ峠に登った時、この屏風岩を山頂方面から見たことがありますが、下から見上げると、こんなに凄いのか、と。標高差130mあるようです。で、ここで1時を過ぎました。山頂直下の山小屋「四季楽園」が見えます。多分ここまで15分前後でしょうか。そこから山頂まで更に15分、合計山頂まであと30分くらいでしょう。往復で1時間弱です。が、下山してスクーターで100km運転して帰ることを考えると、ちょっと厳しいなと。四季楽園のアップです。ここで引き返すことにしました。前に一度登っていますしね。下山は超高速、と思いましたが、後でコースタイムを確認すると、だいたい昭文社の登山地図のコースタイムどおりだったみたいです。「馬返し」と「八十八大師」の間が若干斜度がきついものの、歩きやすいルートです。登山口に戻り、そこから林道の奥に入って笛吹きタイム。(まあ、この時間をカットして登りに充てれば山頂まで行けた、のかもしれませんが)駐車場へ戻る道すがら、振り向いて山頂方面を撮影。往路は3時間40分ほどで到着しましたが、復路は4時間以上かかりました。ワインディングロードで有名な道志道、ではなく、その北側の35号線をとおりました。幸い日が暮れる前に通り過ぎることができましたが、その先甲州街道(国道20号線)の大垂水峠のうねうね道で日が暮れてしまいました。ここは街灯があったし、車の往来も多くて真っ暗ではなかったのでよかったですが。あと1時間早く出るか、30分早く出て、かつ上の駐車場に止めていれば、あるいはあと1か月早い時期なら(日没が遅い)、山頂まで行けたかな、と思います。
2024.11.05
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三つ峠山に行ってきました。以前、河口湖側(西側)から登ったことがありますが、これは標高差は比較的小さく登りも緩く、超簡単。今回は富士急三つ峠駅からのコース、標高差は大きく、途中に急登ありです。ただし、スクーターで行きました。1日で往復200km超を走ったのは初めてです。山梨県までスクーターで来たのも初めて。朝6時20分に家を出て、駐車場を歩き出したのが10時。ただし、標高850mくらいのところに駐車場があるのですが、そこより低い700mくらいのところの駐車場に止めてしまいました。その先で、荒れた舗装の上に昨日までの雨でぬれた落ち葉がいっぱいある急登のところがあって、「ここスクーターで登るのは無理かな」って思ってしまいました。(実は登山開始時に撮っておらず、下山時に撮った写真です)上の駐車場まで、だいたいこんな道だったので、あとから考えれば、スクーターで行けたな、と思います。以前河口湖側から登った時は山容は見えなかったので、こんな形の山だったんだ、と納得。登山口到着が10時40分、この時点で「山頂までは無理かな」モードです。眼前に富士山。前回記事に書いたように、まったく雪のない富士山です。実は、富士スバルラインで5合目まで行くことも考えたのですが、この三つ峠よりさらに遠いこと、前日11月2日は雨でしたが(富士山頂も気温から考えて雨だったはず)、この日は前日より気温が低く、「もしかして路面が凍結していたら」と考えて、やめました。富士山。どんどん登っていきます。八十八大師なんか、圧倒されます。思わず手を合わせました。ここで12時20分頃、昼食にしました。富士山は登山道からずっと見えています。さくらフィルム(のちのコニカ、現コニカミノルタ)って、いつの時代の標識でしょうか。トウヒ属の球果(松ぼっくり)がたくさん落ちていました。トウヒ属ですが、トウヒの球果よりかなり大きいので、近縁の別種だと思います。ありました。球果の主です。トウヒ属ですが、葉を見ないと種まで同定はできません。あちこちに生えていました。(他に、モミ、コメツガ、ウラジロモミまたはシラビソもありました)稚樹や、折れて落ちた枝を探したのですが見当たりません。大木ばかりで葉の位置が高く、手に取って確認できないので、種名の同定はできませんでした。可能性としてはマツハダ(別名イラモミ)かハリモミのどちらかだと思います。(名前にモミと付きますが、いずれもトウヒ属で、トウヒよりはやや標高の低い地域に分布します)帰宅後ネットで検索したのですが、分かりませんでした。以下次回に続きます。
2024.11.04
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富士山まだ初冠雪ならず 過去130年間で最も遅い記録を更新 11月に持ち越しは初今シーズンは未だに富士山の初冠雪の便りが届いていません。今日10月最終日、関東甲信地方は広く晴れて、池袋サンシャインからも富士山は良く見えていますが、山頂に雪化粧した姿は見られませんでした。富士山の初冠雪は、1894年の統計開始以来、過去130年間で最も遅く、初めて11月に持ち越しとなりそうです。今シーズンは未だに富士山の初冠雪の便りが届いていません。今日10月最終日、関東甲信地方は広く晴れて、池袋サンシャインからも富士山は良く見えていますが、山頂に雪化粧した姿は見られませんでした。富士山の初冠雪は、平年日が10月2日で、昨年は10月5日に観測されました。これまで最も遅い記録は、1955年と2016年の10月26日となっています。今年は1894年の統計開始以来、過去130年間で最も遅くなっており、富士山の初冠雪が11月に持ち越しになるのは初めてのことです。今年2024年の日本の夏の平均気温は、統計開始以来、2023年と並んで過去最高となりました。9月、10月も異例の暑さが長引き、富士山でも雨の降る条件はあっても山頂で雪にならない状態が続きました。この先は、明日11月1日夜から3日朝にかけて、関東甲信地方では広い範囲で雨が降り、まとまった雨になる所もあるでしょう。ただ、このタイミングでは、暖かい空気が流れ込むため、富士山でも雪ではなく雨になりそうです。その後は、6日明け方から昼ごろにかけては富士山付近でも一時的に降水となりそうです。寒気が流れ込み、山頂付近では雨から雪に変わるでしょう。7日は次第に晴れるため、7日朝は遅れている富士山の初冠雪が観測される可能性があります。---10月中に富士山が冠雪しない(11月1日の今日も冠雪はしていないはずです)とは、びっくりです。引用記事にあるように、初冠雪の平年値は10月2日ですが、早ければ8月に初冠雪を記録することもあります。2008年に8月9日に初冠雪を記録したのが、観測史上最も早い初冠雪です。現在は富士山頂の測候所は無人なので積雪量の観測はしていませんが、有人で積雪量の観測をしていた2003年以前の記録を見ると、年にもよりますが、11月1日もう根雪が付いている年が多かったようです。例えば1992年11月1日には、富士山頂の積雪量は既に52cm、2002年11月1日も27cmありました。そこから考えれば、11月1日までにまだ一度も積雪がない、というのは驚くべきことです。今年は全国各地で記録的猛暑であり、秋に入っても高温が続きましたが、富士山でも状況は同じ、ということが出来そうです。それにしても、気温の逓減率(100m高度が上がると気温は0.6度下がる)を考えれば、富士山頂は平地より22度も気温が低いわけです。それにもかかわらずまだ冠雪がない。明らかに異常気象ですし、温暖化の一局面であることは間違いないでしょう。このままいくと、冬山の時期に、各地の山にちゃんと雪が積もるかな、少々不安になってきます。
2024.11.01
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衆院選は自民党か65議席減、公明党も8議席減で、合計215議席、非公認とされて無所属で出馬した裏金議員の当選者を含めても過半数に届かない大敗北となりました。一方立憲民主党は50議席増、国民民主党が21議席増、れいわ新選組6議席増の大躍進、維新はは6議席減、参政党と日本保守党という極右2党が議席獲得、という結果となっています。大筋において、自民党惨敗、立憲民主党大躍進という結果で、私としては「手放し」というわけではありませんが、トータルで見れば喜ばしい結果だったと思っています。今回の選挙、自民党の議席減は当初より確実視されていたものの、序盤戦では議席減は最小限で、自民党の過半数割れはあり得るものの、自公両党では過半数を維持する公算が高いと報じられており、私は正直なところ絶望に打ちひしがれていました。しかし、そこから選挙戦が進むごとに自民党の旗色が悪くなり、終盤戦になると、自民党単独での過半数割れは確定的で、焦点は自公両党で過半数を維持するがどうか、という状況に変わってきました。そして前述のとおり、自公両党+非公認議員の追加公認でも過半数に届かない結果となりました。有権者は、裏金問題を忘れてはいませんでした。ただし、それが自民党の敗因のすべてというわけではないでしょう。コロナ禍当時の瞑想、円安と物価高騰、止まらぬ少子化、様々な不満の積み重ねの上に裏金問題が加わったことが、大きかったのではないでしょうか。そして、その火消しをするはずだった石破首相が、就任した途端に悉く従前の持論を翻して、従前の自民党主流の言い分に追随して火消どころか火に油を注いだこと、そして最後のトドメが非公認議員への2000万円の提供問題を赤旗がすっぱ抜いたことでしょう。私自身は、小選挙区では共産党または立憲民主党のどちらかに投票した、という以上は秘密にしておきます。しかし、比例区については、そのどちらの党にも票を投じたくなくて、当初は社民党に投票しようかと思ったのですが、当選可能性等を考慮して、れいわ新選組に投票しました。前に記事を書いたことがありますが、れいわ新選組の個別の政策には、賛同できない点もある、というか賛同できなとところがかなり多いので、支持して入れたというよりは消去法です(現在の党の規模で、政策がすぐに実行に移される可能性も低いですし)。近年の共産党の除名問題には失望著しい私ですが、今回の赤旗の報道は素直に凄いと思いましたし、結果的に共産党自身の選挙結果は振るわなかったものの、自民党を敗北に追い込むに際して果たした役割は小さくなかったと思います。前述のとおり、選挙結果は私にとってはおおむね喜ばしいものでしたが、結果を分析すると、残念なところがないわけではありません。参政党と日本保守党という極右政党が議席を獲得した(参政党については議席を増やした)のも残念なところです。そして、今回の選挙の投票率が53.85%で、戦後3番目の低投票率だったという事実裏金問題を国民は忘れていなかったと書きましたが、忘れてしまった(あるいは最初から興味を持たなかった)国民も少なくなかったようです。結果として「裏金の何が悪い」だったとしても政治に関心を持つ、投票に参加するということは、国をよい方向に進めていくための、もっとも基本的な第一歩であるはずです。そこに背を向ける人が増えることで、国が良い方向に向かうことはない、と私は思います。現実問題として、投票率があと5%も上がっていたら、自公の獲得議席はさらに減っただろうと思います。そして、野党側では立憲民主党と共産党の選挙共闘が今回は不成立となってしまいました。共産党に対しては多々不満はありつつも、左派政党が一定以上の勢力を持つことは絶対に必要であると私は確信しています。それが共産党であらねばならないわけではありませんが、社民党が極小勢力となり、れいわ新選組の政策が(自分で投票しておいてこういうのもなんですが)必ずしも賛同できるものではないので、他に選択肢がない。また、現実的に野党の統一は自民党と野党の対決で大きな効果を発してきました。幸いなことに立憲民主党と共産党の共闘は全面的に終了したわけではなく、少なからぬ選挙区で両者の共闘、あるいは共闘ではなくても結果として住み分けが行われました。それがなかったら、立憲民主党の議席増はこれほどまでにはなっていません。共産党が候補を立てていたら、立憲民主党が勝ててなかったと思われる選挙区は、正確には分かりませんが、大雑把に見積もって10~20程度はあります。逆に、立憲民主党と共産党が立候補しているところで、両者の得票を合計すれば自民党の当選者の得票を超える(共闘が成立していれば勝てた)選挙区が23か24あります。自民党の獲得議席から23議席を引き、立憲民主党の獲得議席に23議席を足せば、両者の議席数は逆転します。つまり、両者が全選挙区で候補者調整ができていれば、自民党は比較第1党の座からも滑り落ちて、立憲民主党が第1党になっていたのです。そう考えれば、立憲民主党と共産党の共闘は、大きな効果を発揮していたはずです。結果として、一部の選挙区でしか共闘が成立しなかったので、半分の効果しか発揮できなかったわけですが。連合の会長が「共産党と共闘しなくても勝てる」などと言ったそうですが、そんなことはありません。現実の立憲民主党の獲得議席は148議席、自民党は191議席だったわけですが、前述のとおり、共産党が全選挙区に候補を立てていた場合、立憲の獲得議席は128~138議席にとどまり、自民党は201~211議席程度を取ったでしょう。逆に全部の選挙区で共闘が成立していれば、立憲民主党の獲得議席は168~172議席に達し、自民党の議席は167~172議席まで落ち込みます(自民党だけでなく自民非公認や公明党と勝敗が逆転したと考えられる選挙区もあり)。つまり、第1党が自民党ではなく立憲民主党になった可能性もあったわけです。立憲民主党と共産党の共闘、あるいは少なくとも候補者調整があるかないかで、このくらいの議席の変動が生じます。相当に大きな効果であると私には思えます。遡って考えれば、2009年の民主党大勝利の際も、共産党が候補者の擁立をかなり絞ったことが相当の影響を及ぼしています。逆に、2012年と14年に共産党が再び全選挙区に候補者を擁立したことも、民主党の記録的大敗に影響を与えています。そしてもちろん、今回の立憲民主党の躍進には、赤旗のすっぱ抜きが小さくはない助力になっているはずです。繰り返しますが、私は共産党の党内異論排除には失望しています。しかし、そのことと客観的に見た共闘の効果の判定は別の話です。上記のデータから考えて、立憲民主党が「共産党と共闘しなくても勝てる」はほとんど寝言の類と考えるべきでしょう。
2024.10.30
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ついにこの日が…」 日本で最も標高が高い、人気撮影スポットの池が消滅 噴火10年、火山灰が変えた1000年前からの光景 復活の可能性は…2014年の御嶽山噴火の際に降り注いだ火山灰の堆積が進んでいた山頂直下の天然の池「二ノ池」が干上がり、消滅したことが分かった。雨が降れば一時的にくぼみに水がたまるが、1~2日後には乾いてしまう。噴火災害から10年。撮影スポットとして登山者に知られた一帯の光景は様変わりした。ほとりの山小屋「二ノ池山荘」の小寺祐介支配人によると、池が干上がっているのを最初に確認したのは8月2日。雪解け水の流入が終わったタイミングだった。噴火後、年々面積が減っていたため、「ついにこの日が来たか」と思ったという。剣ケ峰の山頂北側の二ノ池は国内最高所の池とされ、噴火前はコバルトブルーの水面で知られた。古くから御嶽信仰の信者らが聖地と位置付けて訪問。一般登山者にも人気だった。しかし、噴火後は周辺に積もった火山灰が雨水や雪解け水と共に流入し続け、消滅は時間の問題だと考えられていた。17年から二ノ池を調査している御嶽山科学研究所(木曽町)の国友孝洋代表(67)=理学博士、岐阜県瑞浪市=によると、二ノ池は少なくとも千年ほど前からあったとみられる。「14年の噴火はそんな二ノ池を10年で埋め立ててしまうほどの出来事だった」と説明する。池周辺は雨によって火山灰が流れ落ち、植生が復活しつつある。池自体が復活する可能性について国友さんは「新たな水蒸気噴火によって水がたまる穴ができるか、池の周囲に土砂が堆積し、また水がたまる環境ができるかしないと難しい」とみている。---そうなるのは時間の問題だと思っていましたし、噴火後は池はコバルトブルーではなくなっていましたが、なくなってしまったのは残念なことです。大自然の摂理なので仕方のないことではありますが。2022年に登った際の二ノ池です。もう、かろうじて茶色い水が少し残っている、というだけの状態でした。おそらくですが、今年は猛暑で雪も少なく、写真に写っている雪渓も早々に消えてしまったのかもしれません。そうすると、水の供給減がなくなるので、尚更水量の減少に拍車がかかったのかもしれません。池のほとりには二ノ池山荘があります。同じ場所に2012年に行った時の写真がこちらです。こんなにきれいでした。剣が峰から見下ろしても、水面は青かったです。ただし、この池に限ったことではありませんが、水面が青くきれいに見えるのは晴天の時だけです。日差しがないと・・・・・そこまできれいではなかったんですけどね(でも、かすかに青っぽいです)この池が消えてしまったのは残念ですが、御嶽山には他にもきれいな池があります。四ノ池、こちらも青いです。二ノ池は、周囲に植生が乏しいのに対して、こちらの四ノ池は周囲に高山植物が多いし、周囲の雰囲気もとても良いところです。2022年8月撮影。四ノ池、2022年撮影です。こちらは2012年8月に撮影した四ノ池というわけで、四ノ池があれば、まだまだ御嶽山の魅力は尽きません。
2024.10.28
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今日は朝6時から夜8時半まで仕事をしていました。かなりヘトヘトですが、ニュースを見て一挙に元気になりました。衆院選、自民単独過半数割れ確実 立民伸長、共同通信出口調査第50回衆院選は27日に投票、即日開票された。共同通信が全国で実施した出口調査によると、自民党は派閥裏金事件に関係した非公認前職らを含めても単独で定数465の過半数(233)を割ることが確実になった。裏金事件が響き、公示前256議席から後退する見通し。政権維持に向け、公明党と合わせ与党で過半数を確保できるかどうかが焦点となる。立憲民主党は公示前の98議席から伸長する勢い。国民民主党も議席を増やす公算だ。裏金事件を受けた政治改革の在り方や物価高に対応する経済対策が争点となり、石破茂首相(自民総裁)の下での自公連立政権への信任が問われた。首相は与党で過半数確保を勝敗ラインに位置付けた。(以下略)---あれだけの裏金の状況で自民党が引き続き盤石だったら、もう日本の政治はおしまいだと思っていたので、そうならなくてよかったです。願わくば、実質自民党の非公認議員、自民系無所属を含めても過半数に届かない結果となることを切望します。ただ、それにしてもあまり投票率が振るわなかったのは残念です。現時点では最終投票率はまだ出ていませんが、6時時点の投票率や期日前投票の推移からの類推では、おそらく前回2021年衆院選の55.9%よりも、1ポイント程度低い結果だったのではないかと推測できます。これだけ裏金が問題になっても、無関心な人が多い、というのはとても残念だし、国の将来という意味で危険なことでもあります。そして、日本保守党だの参政党だのが議席を取りそうだ、というのも残念なことですが、細かいことを言えばきりがないので、とにかく自民党大敗という大枠の結果で現段階では満足することにします。
2024.10.27
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石破首相は巻き返し図るも「ステルス公認」報道の”赤旗砲”で自公過半数割れどころか「記録的惨敗」も公示前後はもっぱら自公連立で過半数は維持するとみられていたが、日程が進むにつれ戦況は悪化。石破茂首相は「緊急通達」と題した“檄文”を配布した。《選挙は、いま重大な局面を迎えている》の書き出しから始まり《後半戦に至るも全国各地において激戦が続いているが、この衆院選は、あらためて言うまでもなく『政権選択』の選挙である》と主張。《わが党の底力を発揮するのは、今この時である》と鼓舞した。21日には石破首相、菅副総裁、森山幹事長、小泉選対委員長らが“御前会議”を開催。「このままでは自公連立でも過半数割れの可能性があるということで~野党候補に大差で負けている選挙区は捨て、接戦と伝えられる40選挙区に重点的に応援に入るという。」「万が一、自公で過半数割れとなった場合、国民民主党と3党連立を模索すべきという声が上がったそうです。維新も本音は政権与党になりたいですが、今回の選挙で大きく議席を減らし、オワコン化する可能性があります。~あとは国民民主がオファーをのむかどうか~」“第二の連立相手”を模索するなど、苦戦が報じられる自民党だが、さらなる追い打ちをかけるような報道が飛び出した。共産党機関紙『しんぶん赤旗』が、非公認となった候補者が代表を務める政党支部に対して、自民党から政党交付金2000万円を支給していたと報じたのだ。石破首相は「党支部に出しているのであって、非公認候補に出しているものではない。そのようなお金を選挙に使うことはまったくない」と怒りを見せたが、“政治とカネ”が争点になっている今回の選挙で、国民の理解を得られるとは到底思えない。---最近の共産党に対しては非常に失望していたところで、実のところ3日ほど前に期日前投票をしたのですが、散々迷った挙句比例区はれいわ新選組に票を投じました。(前にも書いたように、小選挙区でどの党に入れたかは書きません)先に記事を書いたこともありますが、私はれいわの政策には必ずしも、というかかなりの程度賛同できないのですが、個人名で票を投じる小選挙区はともかくとして、政党名の「共産党」を今回はどうしても書きたくなかった。しかし、正直なところ期日前投票をするのが一日早かったと思っています。翌日だったら、「今回は共産党という政党名を書きたくない」という思いを撤回したと思います。この「赤旗砲」の報道を知ったのが翌日だったからです。共産党の松竹氏や紙屋氏除名・除籍に対する不服はありますが、それはそれとして、今回の選挙の趨勢を変えるこの報道、その情報収集力には、やはり感服するものです。自前の記者の取材なのか、関係者からの情報提供なのか、あるいは情報を掴みながら自社で報道できない商業マスコミの記者などからの情報提供なのか、そのあたりの真相は知る由もありませんが、そのいずれにしても、大手商業マスコミではない「共産党の機関紙だから」得られた、報じられた情報でしょう。さて、これに対して石破首相は「党支部に出しているのであって、非公認候補に出しているものではない。」などと反論しているそうです。「そんなお金は出していません」と全面的にシラを切ることは、さすがに出来なかった(否認しても、収支報告書は公開されるので、後でウソがバレることは確実だから)ので、このような反論をしたのでしょう。しかし、この反論を聞いて、「なるほど、そのとおりだ」と思う有権者が、自民党熱烈支持の人以外にどれだけいるでしょうか。党支部に出していると言っても、衆院選立候補者は非公認であってもみんな支部長なわけです。「選挙に使わない」と言えば言うほど「それならなぜ選挙戦の真っ最中にそんなお金を出すのか」という疑念が生じます。結局、党本部は実際にはそのお金は選挙資金に注ぎ込まれることは百も承知で、名目上だけ「選挙資金ではない」といううわべの指示を出し、受け取った各陣営は、どうせお金に色は付いていないんだから直接または間接的に選挙に注ぎ込む、その程度の話であろうことは確実であり、「偽装非公認」と言われても仕方のないものです。2000万円を非公認候補に提供した事実は自民党も認めていること、そのことについてのこの言い分には、さすかにまったく説得力がないことから、選挙の真っ最中に、選挙の当事者である共産党の機関紙から発せられた報道にもかかわらず、各商業マスコミが、自民党支持の色合いが強く反共主義の権化である産経も含めて、この記事の後追いをする事態になっています。今回の選挙も、結果に期待を抱く気には全然なれなかったですが、事ここに至っては、ほんのちょっとだけ期待してもいいでしょうか、期待は裏切られないでしょうか。いや、まだまだ分かりませんけどね。選挙結果は投票率に相当左右されるものと思います。投票率が低ければ、言われたほど自民党は負けなかった、という結果が出る可能性も充分あります。というわけで、皆さん、棄権せずに投票に行きましょう!!何党に入れろとは私は言いません、ただ、棄権だけはやめましょう。
2024.10.25
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自民に危機感、石破首相「悪夢のような民主党政権」と安倍氏が多用のフレーズで野党批判自民党は、衆院選で逆風が強まっているとみて危機感を高めている。情勢が厳しくなる中、「重点区」を設定し、自民、公明両党での過半数獲得に向けて組織をフル稼働させる構えだ。野党は攻勢を強めている。報道各社の情勢調査では、自公で過半数割れする可能性も取りざたされている。首相は21日付で出した陣営向けの党の緊急通達で「死にもの狂いで全国を駆け回る」と切迫感を示した。演説内容も野党批判が色濃くなっている。首相は22日、愛知県豊田市での演説で「悪夢のような民主党政権と言うが、あの頃のことを覚えている人は随分減った」と指摘。同県小牧市での街頭演説では「あんな人たちにこの国を任せるわけにはいかん」とボルテージを上げた。「悪夢のような民主党政権」のフレーズは、安倍元首相が多用したことで知られる。小泉選対委員長は栃木県小山市で「無責任な野党に政権を渡すわけにはいかない」と強調した。~---石破は「党内野党」的な立ち位置の時期には、安倍の「悪夢のような民主党政権」というフレーズに批判めていことを言っていたこともありましたが、いざ自分が首相になったら、何も違わないことを言い出しているわけです。自民党の総裁選に立候補した有力候補の中では、石破は比較的マシな部類だったと私は思いますけど、所詮は「自民党の有力者の中では」という注釈付きの「比較的マシ」に過ぎなかったわけです。極右ネトウヨ層という自民党にとっての「上得意」が喜ぶようなフレーズがあって、それを並べ立てて彼らに媚を売らなければ勝てそうにない、というわけです。まあ、所詮は自民党の中の有力者、馬脚を現したなという感じです。民主党政権がいろいろな面で期待外れだったことは私も賛同しますが、「悪夢」とまで言えるものだったかというのは、私は極めて疑問です。が、そこはひとまず措いて、一番の問題は、与党という地位、首相という地位は評論家ではない、ということです。12年も前の政権をどう評価するか、なんてことよりも、今、自分たちが何をやってきた、何をやっていくか、の方がよほど大事でしょう。民主党政権が悪夢だったと、(私には異論はあるけれど)それはいいでしょう。じゃあ、今の自民党政権は悪夢じゃはないんですか?石破は「悪夢の民主党」の根拠として普天間基地移設問題への迷走と、東日本大震災に対する対応の遅れを指摘したそうです。確かに、普天間基地移設問題で、「最低でも県外」を反故にした民主党政権には強い不満はあります。しかし、最初から一心不乱に辺野古への移設を強行する自民党が、より良いとは、私にはそれ以上に思えません。東日本大震災にしても、確かに民主党政権の対応がベストだったとは言いません。しかし、では自公政権のコロナ対応は、過去の政権を悪しざまに言えるほど非のない立派なものだったのか?ということも、ちょっとは考えてみたらどうなのかって思います。右往左往しませんでしたか?対応が後手後手に回ったり、チグハグなことをやったり、結果的に無駄なことをやったりして、国民の不満が激増したりしませんでしたか?ちなみに、東日本大震災の死者は約2万人、コロナ禍の死者数は、約7万人です。13年前の東日本大震災への他党の対応をどうこう言う前に自党の4年前3年前の対応を見直したらどうなんですか。というわけで、こういうことはお互い様、どの党が与党であろうが、完全無欠のベストの対応なんて無理だ、という程度の自制はしたらどうなんだろうと思ってしまいます。いや、個別に小さい話をすれば、コロナの時、腹に据えかねたことはいっぱいありましたけどね、それを今持ち出しても、くらいのことは、私だって思います。そして、なんと言っても物価高騰、円安、止まらぬ少子高齢化、裏金、モリカケ桜・・・・、12年前の、3年しか続かなかった政権の失敗をあげつらうなら、それ以外の期間ずっと政権を担当してきた自分たちの、今の政権運営が悪夢じゃないかどうかを振り返ったらどうなんだ、と思うばかりです。
2024.10.23
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遭難が日本一多い山は富士山ではなく「高尾山」 標高599メートル「下りの山道」に潜むホントの危険日本一、遭難者が多い山は富士山でも日本アルプスでもない。なんと標高599mの高尾山だ。昨年の遭難は100件を超える。記者が高尾山を訪れた日は好天に恵まれ、平日にもかかわらず、山頂は大勢の人で賑わっていた。親子連れや高齢者のグループ、外国人観光客がのんびりとくつろぎ、弁当を広げて缶ビールを飲んでいる人もいる。だが、このすぐ近くに危険は潜んでいる。山頂直下の登山道「4号路」の分岐では、50代くらいの夫婦が街を散歩するような軽装で、女性はロングスカートにハンドバッグを持っていた。その先は急な下りだが、夫婦は森の小道を進んでいった。高尾山は山頂までは「1号路」と呼ばれる舗装された道を登る。だが、下りの登山道の分岐に、山道があるのだ。さらに、4号路をしばらく歩けば、「転落事故あり」の標識が立っている。その脇を20代くらいのカップルが通り過ぎていく。ジーンズとシャツ。やはり、いわゆる普段着だ。その直後、女性が「わっ!」と声を上げた。湿った岩に足を滑らせたのだった。4号路ではたびたび滑落事故が発生し、亡くなった人もいる。東京都心から高尾山登山口までは電車で1時間ほど。2007年、京王線高尾山口駅の一般乗降客は約240万人だったが、わずか2年後には300万人を突破した。外国人の姿も目立つ。警察庁によると、23年、山岳遭難者が最も多かったのは高尾山(133人)で、2番目が富士山(97人)だった。同年、高尾警察署管内で発生した遭難は約110件。21年は約70件。2年で57%も増加した。背景には高尾山を「山」ではなく、「観光地」として訪れる人が増えたことがある。ベビーカーやスーツケースを押して登る人までいるという。登山口からケーブルカーやリフトを使えば、8合目付近まで行ける。そこから舗装された道と薬王院の石段を登れば、山頂まで約40分(「1号路」経由の場合)。気軽さからスニーカーで登る人も多いようだ。サンダルや厚底靴の人もいた。(以下略)---なるほどね、高尾山が日本一遭難者の多い山であることは知りませんでした。ただ、登山者数を考えれば、それも当然でしょう。記事によれば現在の高尾山口駅一般乗降客は300万人とのことですが、その全員が高尾山に登るとは限らないようにも思いますが、検索したところ、高尾山の登山者数はそれに近い260万人前後と推計されているようです。一方、富士山の入山者数は20~25万人ですから、10倍以上の開きがあります。だから、遭難が日本一多いと言っても、遭難の発生確率で言えば、富士山の1割より少し多い、程度にしかなりません。ちなみに、私も高尾山で救急車の出動に複数回遭遇したことがあります。他では見ない軽自動車の救急車が、消防庁のバイク2台に先導されて登っていきます。秋の紅葉シーズンだったと思いますが、大混雑の表参道をかき分けるように救急車が登ってきた来たのにすれ違ったことがありました。かくいう私自身、高尾山ではありませんが、それと大同小異のレベルの山(御岳山)でこけて骨折した前科があるので、他人の遭難のことはあまり同行は言えませんが。なお、本筋とは離れたところで、この記事にはちょっと違和感があります。「高尾山は山頂までは「1号路」と呼ばれる舗装された道を登る。」この部分です。誰が登りは1号路を登るなんて決めたの?わたしは高尾山に登るときに1号路を登ったことは、ほとんどありません。だいたい、途中まで1号路(表参道)を登って、分岐点から、2号路→3号路を登って山頂を超えて城山手前の一丁平辺りまで行って笛を吹いて、引き返して4号路→2号路→1号路を下る、あるいはその逆ルートが多く、6号路あるいは稲荷山コースで登ることもあります。そもそも、6号路は現在一方通行ルートとされており、登りにしか使うことができません。正直なところを言えば4号路だろうが3号路だろうが、山頂より先の陣馬山までの縦走路だろうが「登山」という尺度で見れば、すべて初心者コースです。もちろん、そもそも登山道ですらない舗装道路の表参道に比べれば、初心者コースでも一応は登山道ではありますが。なので、私の場合は陣馬山まで縦走する場合(実際には、逆ルートで陣馬山から高尾山に縦走したことしかありませんが)は登山靴を履きますが、城山辺りまでなら、ほとんど登山靴ははきません。いつもジョギングシューズです。Gパンも問題ないんじゃないでしょうか。靴が歩きやすく、ある程度の運動強度に耐えらるものであれば(つまり、ランニングシューズ、ジョギングシューズなどであれば)、Gパンでも問題なく登れます。※とはいえ、「ロングスカートにハンドバック」で歩ける場所ではないことは間違いありません。※実は私自身、20代の頃は、Gパンに登山靴といういで立ちで北アルプスの山々に何回か登ったことがあります。登山に適した服装を色々調べ、雪山に登り始める前にGパンで山に行くのはやめましたが。それから、表参道は登山道ですらないと書きましたが、舗装道路としては斜度はとんでもなく高い部類なので、引用記事の「弁当を広げて缶ビールを飲んでいる人もいる。」というのも、まあまあリスクはあります。缶ビールの1本や2本なら大丈夫でしょうが、酔いを感じるレベルになると、舗装道路とはいえ、あの斜度では下りで滑る転ぶのリスクは結構あります(といいつつ、私も山頂で飲んだことは皆無ではありませんが)。また、ロングスカート、サンダル、厚底靴(当然パンプスも)は、表参道であっても、下りの斜度とそれが結構な距離続くことを考えると、あまり推奨はできかねます。もっとも、下りもケーブルカーで下る前提なら、「それもあり」と思いますが。ちなみに、紅葉シーズンの土日は、ほとんどの人が、ケーブルカーより自分で歩く方が下りは圧倒的に早いはずです。乗車待ちの行列に並んでいる間に、下に着いてしまうからです。私の場合、混雑時だと登りでもケーブルカーより速いです。私の場合、ケーブルカーの山麓駅(に隣接する登山口)から珍重駅まで、登りで20分程度、下りは10分程度で歩けます。高尾山口駅から山頂までのコースタイムも、以前は40分くらいでしたが、最近は都市とともに脚力が落ち、1時間以上かかってしまうようになりました。いずれにしても、初心者コースであっても山は山なので、歩きやすい(かつ、多少は汚れてもよい)服装と靴は必須であると思います。
2024.10.21
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与党が過半数の見通し、自民苦戦・立民は議席増の勢い・維新は不振…読売序盤情勢調査読売新聞社は衆院選について、15、16の両日世論調査を行い序盤の情勢を探った。自民、公明両党の与党は衆院定数465の過半数を確保する見通しだが、自民は「政治とカネ」の問題を受けて苦戦している。立憲民主党は、公示前から議席を伸ばす勢いだ。日本維新の会は不振で、公示前勢力から後退する可能性がある。自民が小選挙区選に擁立した266人のうち、優位な候補は100人前後だ。120人近くが接戦、40人超は劣勢。比例選での獲得議席は、前回衆院選の72議席を下回りそうだ。公示前の247議席を割り込む可能性があり、単独過半数の維持が焦点となる。政治資金不記載などがあった自民前議員ら44人は、約半数が小選挙区選で後れを取っている。公明党は、小選挙区選に擁立した11人のうち優位に立つのは2人で、残りの大半は接戦。比例選での獲得議席も前回選の23議席より落とす可能性があり、公示前の32議席確保は微妙。立民は、公示前98議席から30議席前後の上積みをうかがっている。小選挙区の公認候補207人のうち30人前後が先行。接戦の選挙区も100以上。比例選では、前回選39議席を上回る勢い。維新は、小選挙区選で優位なのは大阪や京都などの9人、関西以外では勢いに欠ける。比例選での獲得議席も前回の25議席から減らす公算が大きく、公示前の44議席に届くかどうかは見通せない。共産党は小選挙区で1人が接戦、比例選では10議席前後の獲得が視野。国民民主党は小選挙区選で3人が優勢で、比例選では前回選の5議席から伸ばす勢い。れいわ新選組や社民党、参政党、諸派の日本保守党も議席を確保しそうだ。---各マスコミとも、自民党が大幅に議席を減らしそうという予測は一致しているもののどの程度減らすかはまちまちの予想です。引用した読売新聞は「単独過半数の維持が焦点」とぼかして書いていますが、要するに自民党単独での過半数獲得は無理そうだ、ということです。が、毎日新聞の予測では「接戦区の多くで競り勝てれば単独過半数を維持できる可能性がある。」とあります。そして、結局のところ自公の両党合わせれば現与党が過半数を割り込むと予測するマスコミはありません。つまり、自公は議席を減らすけれど政権は維持する、立憲民主党は議席は伸ばすけど第一党にはなれない、ということになりそうです。裏金問題、統一教会の問題、これだけ問題が生じても、その程度の変化しか期待できないとは、がっくりする話です。勿論、情勢は今後も変わる可能性はあります。でも、どうも私は最近政治がよい方向に変わるだろうという期待が抱けなくなってしまっています。期待してそれが実現しないのが怖いから最初から期待しない、という側面もあるかな。共産党の党内異論排除に対する幻滅、立憲民主党の野田代表に対する幻滅、れいわのいささか無理な政策に対する不信、社民党は・・・・残念ながら勝てる気がまったくしない、結局どの党も全面的に肩入れできない、という側面もあります。それでも、自公維新国民民主は日本をよい方向には導かないと確信しているので(もちろん参政党だの日本保守党だのは論外)、熱意低めながらこれら4党のいずれかに票は投じるでしょう。ただ、今回小選挙区ではどの党に入れたかは公言しないかもしれません。住んでいる場所をある程度絞り込まれる可能性があるからです。比例区だけは、選挙後にどこに入れたと書くかもしれませんが。熱意低めながら、それでも一つだけ断言するのは、棄権はしない、ということです。今回も投票日は用事があるため、事前に期日前投票しますが。自分自身が熱意低めなので、「何党に投票してください」「何党に投票しないでください」などと言うエネルギーももはやありませんが、それでも「棄権はせず投票に行きましょう」ということだけは、声を大にして申し上げたいと思います。
2024.10.19
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最終回です。晴天ですが雲が多く、白馬三山も五竜岳も鹿島槍も立山も、他の山はみんな雲の中だったのですが、唐松岳以外で唯一見えたのが劔岳です。この先は黒部渓谷の欅平まで続いているはずです。山頂の標識はもう一つあります。10分余りで下山にかかりました。山頂付近から先ほど通過した唐松岳頂上山荘を撮影。なかなかすごいところに建っています。唐松岳頂上にもガスがかかりそうです。でも、この後も下山中だいぶ下まで「ガスがかかりそうでかからない」状態が続いていました。唐松岳頂上山荘。ここまで戻ってきたところで昼食にしました。山荘から更に下ります。この辺りは、正直無雪期より積雪期の方が歩きやすい気もします(もちろん、要12本歯アイゼンとピッケルですが)紅葉の先に下界が見えます。ウラジロナナカマドでしょう。日差しが明るい方が紅葉はきれいですね。ウラジロナナカマドどんどん下って行きます。下山時は八方池に寄りました。ひとしきり笛を吹いてから、こんなものを食べてから下りのリフトに乗りました。実はこのリフトは下りの方が絶景だったり。下山は11時10分過ぎに下り始め、2時20分か25分頃リフトに到着したので、所要3時間10~15分程度。なんと登りより下りの方が時間がかかったわけです。ただし、途中で昼食と笛吹きタイムの所要時間を考慮に入れると、さすがに若干登りより所要時間は短かったはずです。とはいえ、標準コースタイムとの比較で言うと、やはり登りは速くて下りが遅い傾向です。
2024.10.17
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前回の続きです。赤と黄色の共演カエデの仲間。イタヤカエデかなあ。同じくカエデ類。ナナカマドの仲間。多分ウラジロナナカマドでしょう。目指す唐松岳が目の前にそびえています。左端が唐松岳、その隣に連なるのが不帰ノ嶮の鋭鋒群。八方尾根の最上部に近づいてきました。この辺りはもう紅葉も終わっています。唐松岳頂上山荘の少し手前で、登山道が古いルートから付け替えられて、すこし岩場っぽいところを登ります。特に問題はありませんが。旧登山道。無雪期に初めて登った2008年(五竜→唐松→八方尾根)は、ここを通ったようなおぼろげな記憶があります。あとちょっとで稜線。稜線に出ました。唐松岳頂上山荘の脇から唐松岳山頂を望みます。ハイペースで登ってきて、このあたりはかなりきつかったです。10時58分山頂に到着。八方池山荘前から所要2時間58分でした。昭文社の登山地図で標準コースタイム3時間50分のところを3時間切りました。不帰ノ嶮と、その向こう・・・・は、ガスに隠れて見えません。不帰ノ嶮に向かっていく人がいます。五竜岳も雲の中でした。以下次回に続きます。
2024.10.15
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金曜夜に東京を出発して、夜行日帰りで北アルプスの唐松岳に登ってきました。「毎日あるぺん号」で八方バスターミナルに到着すると、そこからゴンドラリフトまでは徒歩で15分くらいです。到着したら、切符売り場は既にこんな状態でした。これは歩き始めはかなり遅れるかなと思ったのですが、運行開始が7時で、20分か25分くらいには乗れました。ゴンドラリフトに乗るときは、こんな天気で稜線がよく見えたのですが・・・・・リフトに乗換えるあたりで天気が怪しくなってきました。下界は雲海です。白馬三山方面は雲の中に隠れちゃいました。もう一度リフトを乗り換える黒菱平付近にて。一番上のリフト。天気はだいぶ回復してきました。リフトの終点、八方池山荘前に到着。丁度8時に登山開始。よく見ると、登山者がいっぱい。いやー、すごい人数の登山者です。ただし、八方池までしか行かない人の多いようで、八方池から先は少し人は減りました。それでも、人影がなくなることはありませんでしたが。唐松岳と不帰ノ嶮。唐松岳は左寄りの少しとがった山。白馬三山方面はまだ山頂が雲に隠れています。息(やすむ)ケルン。1937年12月の遭難事故を記念して、1938年に立てられています(とプレートに書いてあります)。戦前からのものだったんですね。八方池さすがにきれいです。ダケカンバの黄葉はほとんど終わっていますが、カエデ、ナナカマドの紅葉は真っ盛りです。以下次回に続きます。
2024.10.13
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9月をだいぶ過ぎてしまいましたが、今頃9月の鳥写真です。9月7日東京港野鳥公園サシバ鷹の仲間で、この時期に南方に渡っていきます。サシバ、東京港野鳥公園に数日間滞在し、これはかなり珍しいことだったようです。9月16日葛西臨海公園カワセミオナガの幼鳥9月21日青梅市梅の公園。公園の写真は既にアップしています。サシバの渡りは、この時は完全にフラれました。アオゲラアオゲラ9月28日東京港野鳥公園ようやく秋の小鳥類の渡り鳥を撮影できました。オオルリ幼鳥エゾビタキエゾビタキエゾビタキエゾビタキ最初のサシバと、最後のオオルリ、エゾビタキ以外は珍しい系の鳥がとにかくまったく撮れなかった1か月でした。(サシバ、オオルリ、エゾビタキが珍しい系かは謎ですが)
2024.10.12
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自民・杉田氏、衆院選不出馬伝達【24衆院選】自民党の杉田水脈前衆院議員は衆院選に出馬しない意向を固め、党幹部に伝えた。党関係者が10日明らかにした。杉田氏は前回衆院選で比例代表中国ブロックで当選。今回も同ブロックから比例単独で出馬を目指していたが、党執行部が派閥裏金事件の関係議員に非公認などで厳正に対処する方針を示す中、杉田氏の出馬は難しいとの見方が出ていた。---やっと、そうなりましたか。別に杉田が候補者だから投票しない、杉田が立候補しなければ投票する、ということは一切ないものの(もちろん、杉田がいようがいまいが、自民党に投票することはありません)、それでもこのような人物を政権与党が候補として擁立し続けることは異常であることは間違いありませんから。ただ、これで杉田の議員としての命運は、いったんは尽きたものの、「ネトウヨのアイドル」としての立場は変わらないのでしょうね。元々、杉田は最初は「みんなの党」から当選して維新に鞍替しましたが、その当時は単なるいち衆院議員であって、そこまで知名度が高かったわけではありませんでした。むしろ、いったん落選してからの方が「ネトウヨのアイドル」として知名度を増したように思います。当然、次も同じ道に戻るんでしょうし、それで喰いっぱぐれることもないのでしょう。それにしても、他人のことは「公金チューチュー」などと散々罵倒しておきながら、自分自身の、1564万円もの公金チューチュー(裏金)については、政倫審での弁明もせず、「検察の取り調べを受けて不起訴となった後だし、『派閥の指示に従った』ぐらいのことしか言えない」などと言い放ち、謝罪もしない、このような人物を2期続けて衆院議員にした自民党(引き入れたのは、安倍元首相であることは周知の事実です)という政党の異常さには、やはり鉄槌が下されねばならないと私は考えます。
2024.10.11
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れいわ・山本太郎代表が衆院選公約発表「消費税廃止」「郵政事業の再公営化」「高速道路無償化」れいわ新選組の山本太郎代表が8日、都内で衆院選のマニフェストを発表した。「世界に絶望してる?だったら変えよう。れいわと一緒に。」のキャッチコピーに消費税およびインボイスの廃止、社会保険料の引き下げおよび年金の底上げ、産業の国内回帰、原発即時廃止およびエネルギーの国産化、防災省設立、介護・保育の月給10万円アップ、郵政事業の再公営化、高速道路無償化などの政策を掲げた。衆院選には30人以上の候補者を擁立する予定で、山本氏は「現状(衆院3議席)に対して、倍増以上」と6議席以上の獲得を目標に掲げている。---山本太郎は、個人的な好悪で言うと、ものすごく好きな政治家です。言っていることも良いし、理念の大筋には大賛成なのです。ただ、それにもかかわらず、「れいわ」の主張全体を見てみると、「それは無理」と言わざるを得ないのが現実です。個別に見ていくと消費税の廃止→理念的には賛成だが、現実的に不可能。これ以上は上げない、8%に戻す、までが限界インボイス制度の廃止→賛成社会保険料の引き下げ及び年金の底上げ→反対。社会保険料とは年金の財源(年金だけの財源ではなく医療保険制度の財源でもあるが)であり、保険料を下げて年金を上げるというのは無理。産業の国内回帰→大賛成(ただし、具体策は?)原発即時廃止→大賛成エネルギーの国産化→不可能(国産の割合を上げていくことには賛成)防災省設立→反対ではない介護・保育の月給10万円アップ→賛成郵政事業の再国営化→賛成だが困難では?高速道路の無償化→反対個別に「賛成」と書いた者も含めて、(実質的に大きな財源が必要とは思えないインボイス制度廃止を除き)その実現には多大な公費の投入が必要です。例えば、消費税の税率を上げるのではなく、所得税の税率(特に高額所得者の累進課税)を上げることには大いに賛成します。でも、消費税を一挙に廃止するには、いったいどれだけ所得税を増税しなければないか、到底高額所得者への累進課税強化のみでは到底足らず、低所得者にも大増税をせざるを得ないことは目に見えています。原発即時廃止には大賛成ですが、その代替をすべて再生可能エネルギーだけで賄うことは不可能であり、少なくとも短期的には化石燃料(特に二酸化炭素の排出量が少ない天然ガス)に頼るしかありません。省エネの強化、ということなら分かりますが、原発廃止とエネルギー国産化は二律背反です。介護・保育の月給10万円アップにも全面的に賛成ですが、その財源はどこから持ってくるのでしょうか。過去に何度も書いていますが、税収に頼るのではなく、赤字国債に頼ってこれらの歳出増を賄うのは、あまりに持続性がなさ過ぎます。正直なところ、現在の世界経済のシステム全体が、人類にとって害悪にしかなっていないという気はしています。だから、現在の世界経済システムを根本から変えてしまうべきだ、という主張は有りだと思っています。それにどれだけの賛同が得られるのかは分かりませんが。しかし、ここまでの「れいわ」の政策を見ると、そこまでの超革命的な経済理念ではなく、あくまでも現行の経済システムの改良としての提案であるように見えます(本音の一番奥の部分には、現行のシステムの倒壊という願望はあるかもしれませんが)。これは、共産党も同様で、現行の資本主義経済の枠内での改革しか言っていません。そうであるなら、歳出は拡大、歳入は縮小、足りない分は国債増発で賄えばよい、というのは、無理筋な言い分と考えざるを得ません。政治家は魔法使いではなく、そんなにすべての問題を魔法のように解決できる能力はない、ということを肝に銘じるしかないのではないかと私は思います。
2024.10.09
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裏金議員43人の比例重複認めず 萩生田氏ら6人は非公認 首相表明石破首相は6日、派閥の政治資金パーティー裏金事件で不記載があった現職国会議員・支部長計43人について、次期衆院選で比例代表への重複立候補を認めないと表明した。他に萩生田元政調会長ら6議員は、4月に決めた党内処分が続いているなどとして、小選挙区での公認もしない。党執行部は裏金議員について、原則公認し、比例代表との重複立候補も原則容認する方向だったが、世論からの強い批判を背景に、首相が党内を押し切った。首相は、小選挙区での対応について①「選挙における非公認」より重い処分を受けた者②非公認より軽い処分でも、処分が継続し、国会の政治倫理審査会に出席して説明していない者③処分を受け、地元での理解が十分に進んでいないなどと判断される者――は非公認と表明。比例代表との重複は「不記載があったその他の議員についても比例名簿への登載はしない。退路を断って有権者の審判に当落を委ねる」と説明した。自身と党四役も比例との重複立候補せず「共に責任を果たしていく」とした。非公認の条件となる①については、下村元文科相と西村元経産相(党員資格停止1年)、高木元国対委員長(同6カ月)が該当。②は萩生田氏のほか、三ツ林元副内閣相、平沢元復興相(いずれも党役職停止1年)が該当する。③に該当する議員がいれば、さらに非公認の人数は増える。杉田、尾身、上杉ら比例単独出馬が取り沙汰される議員の扱いは、今後検討する。---よく見れば、裏金議員の中で目立つ一部だけを非公認して、比例代表との重複立候補をさせない議員も、裏金議員が85人確認されている中での43人に過ぎません。しかも、当選すれば「みそぎは済んだ」という免罪符を手にするわけです。そういう意味では、言うほどほど立派な決断とも言えないですが、世論受けはするであろうことは確かです。憎き安倍派を粛清しつつ、世論の支持も回復する、上手い作戦であることは否定できません。もちろん、それで自民党の支持が大幅に回復するとは思えませんが、傷を最小限にとどめるためによく考えられた策であり、それをやった石破はなかなかに手ごわいなと感じることは確かです。党内の反発を押し切って強行した辺りはかつての小泉の優勢解散を彷彿とさせます。小泉のキャッチフレーズは(実際にやったことはともかく)「自民党をぶっ壊す」でしたが、今回は自民党を守るために「安倍派をぶっ壊す」ってところでしょうか。ただし、これによって自民党内では大変な嵐が吹き荒れているそうです。「選挙が終わったら相当な戦いになるでしょう。当選した旧安部派は倒閣運動に入ると宣言している人もいます」ということです。言っているのは、かの安倍の腰ぎんちゃくであった田崎史郎ですから、安倍派の意向を反映してはいるのでしょう。これはこれで見ものではあります。党内の融和と一致団結を優先すれば世論の逆風にさらされ、世論に配慮して裏金議員を厳しく処分すれば党内対立が激しくバラバラになる、なかなかに二律背反の問題ですが、倒閣運動、できるもんならやってみな、とは思います。そして、余談ですが、これでいよいよ杉田水脈議員の命運も尽きそうです。こんなことがなくても、まさか、また比例単独で当選圏内に置くようなことは、いくら自民党でもしなかったとは思いますが、1500万円以上の裏金まで出てきては、さすがに立候補はさせないでしょう。と思うのですが・・・・・。
2024.10.07
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前回の続きです。三本槍岳へは、いったん写真のところまで下って登り返します。たいした標高差ではありませんが。先の写真に写っていた辺りまで下ります。目の前が三本槍岳。また晴れてきました。ハイマツと紅葉のナナカマドでも、ナナカマドの紅葉はあとちょっとです。またガスってきました。この辺りは紅葉がだいぶきれいです。(日差しが出ていれば、もっと綺麗だったかも)三本槍岳山頂に到着。しかし、ガスで視界はありません。ちなみに、先の峰の茶屋跡避難小屋からここまで所要1時間45分でした。登山地図の標準コースタイムが1時間50分になっているので、ここはほぼ標準どおりのスローペース。到着時は、他に2組、4~5人の登山者がいたのですが、昼食を食べているうちに皆さん出発してしまい、山頂は独り占め状態になりました。視界はないけど(笑)他に人がいない山頂で私が何をやるかは、ご想像のとおり。でも、5曲ほど吹いていたところで、雨が降り出したため、下山にかかります。雨の間は写真はまったく撮っていません。この辺りまで戻ってきたときにはもう雨はやんでいましたが、視界はこのとおりです。雨への備えでゴアテックスの雨具を持って行ったのですが、ゴアテックスってメンテナンスが大変で、雨の中で使ったら、洗わないといけないのです。撥水性を維持する専用の洗剤があったりして、これがまた高いのです。で、結局雨具を濡らすと面倒だから、このくらいの雨なら雨具は使わずに・・・・・で濡れた体と、ザックの中に濡れていない雨具という意味不明な結果になるわけです(笑)雨自体はたいしたことがなくて上半身はあまり濡れませんでしたが、三本槍周辺は登山道が笹などの藪をかき分けるところが多く、濡れた藪でズボンがびしょ濡れに。帰路に朝日岳に寄ろうと思っていましたが、この視界では意味がないのでパス。ただし、三本槍岳付近は雨で地面もだいぶ濡れたのですが、この辺りはガスっているだけで雨はあまり降らなかったようです。岩も木の葉も濡れていませんでした。今回のルートで唯一岩場っぽいところ。濡れていると滑りやすいのでちょっと嫌な感じですが、濡れていなかったので、特に問題はありませんでした。往路はあんなに晴天の下にあった峰の茶屋跡避難小屋付近も、4時間も経たずにガスの中。茶臼岳登頂ももパスして下山します。折りてきたら晴れ間が出ました。下界は晴れているようです。下山後に駐車場近くの何とか園地(名前を忘れてしまいました)で、ちょっと笛を吹きました。ロープウェイ山麓駅に帰ってきました。先ほどは樹間からでしたが、広大な視界で那須高原を望みます。ロープウェイ山麓駅でソフトクリームをいただきました。那須塩原駅の新幹線ホームにて。きれいな虹が出ていました。ガラス越しだったのがちょっと残念でした。しかも、この虹、新幹線に乗った後もずっと、宇都宮駅近くまで見えていました。
2024.10.05
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9月は、総じてあんまり天気が良くなく、天気の良い週末は他の予定(もっぱらフォルクローレ)があり、いざ山に行こうと思うと悪天候予報だったりして、結局三頭山に登っただけでした。なので、先日、平日に休みを取り、当初は別のところに行くつもりだったのですが、交通機関の予約が取れず(休みを取るのが確定したのが昨日だったので)、ほぼ突発的に那須岳に行ってきました。ロープウェイ駅に到着しかし、ロープウェイを使ってしまったら、ほとんど山登りにならないので、徒歩で登ります。山の神、我が家にも怖えー山の神が1台・・・・・いや、何でもありません。峰の茶屋跡避難小屋に向けて、かなりハイペースで登ります。峰の茶屋跡避難小屋がだいぶ近づいてきました。朝日岳方面。いい天気です!(ただし、この時点では)多分、中央の一番高いのが朝日岳ではないかと思います。峰の茶屋跡避難小屋に到着。ロープウェイの山麓駅(バスの終点)が標高1390mで、ここが1720mらしいです。標高差330mを、今回は42分で登ってきました。でも、8年前初めて登った時は、この間36分で登ったので、やはり年齢とともに脚力が落ちてます。それでも1時間当たり470mのペースなので、かなり速いように見えますが、先を考えずに全力で歩いたスピードです。なので、この先はペースは全然落ちます。茶臼岳方面。那須岳の「主峰」扱いなのはこの茶臼岳みたいですね。ロープウェイがかかっているのも茶臼岳ですし。ただ、茶臼岳は新しい火山で、山頂に植物がほとんどなく、個人的には8年前に登った時はそんなに魅力を関しなかったのです(その後積雪期に登ったときは楽しかったですけど)。それに、実は那須岳の最高峰はこの茶臼岳(1915m)ではなく三本槍岳(1917m)なのです。というわけで、茶臼岳は下山時に時間の余裕があるようなら行くことにして、朝日岳・三本槍岳を目指しました。結局、復路にも寄らなかったのですが。三本槍岳の先に連なる流石山、大倉山、三倉山のようです。目の前にドーンとそびえているのが朝日岳・・・・・ではなく剣が峰です。その奥が朝日岳なので、登山道は剣が峰の中腹を巻いていきまます。向こうに見えるのが、本日の目標三本槍岳、かな?この辺りはさしたる問題もなく登っていきます。ハイマツが出てきました。北海道や東北北部ではこの標高以下でハイマツが出てきますが、関東の山で標高1800mでハイマツは普通は生えません。通常は2500m以上で、日本海沿いの多雪地ではもう少し低い高度でも生えますが、那須岳は、日本海気候とは言えませんし、日本海沿いでも2000mを切るところでハイマツが自生しているところは、関東周辺ではほとんどないと思われます。多分火山で土壌が不安定なため、高木が生えないのでこの高度にハイマツがあるのでしょう。ちょっとしたい岩場を超えて、稜線に出ました。でも、ガスってきて視界がなくなりました。朝日岳。ガスって視界がなかったので、復路によることにして、三本槍へと進みます。(しかし、結局復路も悪天候だったので寄らなかったのでした)名無しの1900m峰遠方からの景観では、まあまあの紅葉ってところですかね。でも、もうちょっと赤くなりそうですけど。以下次回に続きます。
2024.10.03
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石破茂氏 いきなり話が違う!十分な論戦→急転解散 急ぐ党内に負けたか 泉房穂氏「びっくり、完全に党内にやられてる」 Mr.サンデー29日のフジテレビ「Mr.サンデー」では、自民党新総裁に選出された石破茂氏が、衆院選投開票を10月27日に定めて、予想外に早く衆院解散する流れとなったと伝えた。司会の宮根誠司が「いや小泉進次郎さんだったら分かるんですけど」と驚き、石破氏は総裁選では与野党論戦が必要だと訴えていたと指摘した。解散までに一定の論戦も組まれるが、番組では党内の解散を急ぐ流れに、石破氏が応じているとの見方が紹介された。宮根が「石破さんの意に反して10月27日に総選挙をやらざるを得なくなった」と驚くと、泉房穂氏が「びっくりですよね。せっかく5度目挑戦で総理になったんですから、リーダーシップ発揮していただきたいと期待してるんですけど、完全に党内にやられちゃってますよね」と語り、今後の裏金問題などに対する姿勢も「心配になってくる」と指摘した。「論戦をして補正予算とか、自分の思いを形にしてもらわないと。こんな急に解散というのは、これまで言ってきたことを、手のひら返しですからね」と語った。---先の投稿で、「私の予想では、石破は首相になった途端に、党内極右勢力に迎合するんじゃないかなと思います。」と書いたばかりですが、さっそく石破の前言撤回が始まってしまいました。極右勢力に迎合したかどうかは定かではありませんが、党内有力者の意見に迎合したことは間違いなさそうです。「石破さんの意に反して10月27日に総選挙をやらざるを得なくなった」とありますが、内閣総理大臣に就任することが事実上決まっている人物ですから、腹の中で何を考えているにしても、「意に反して」なんて言葉は通用しません。というわけで、さっそく前言撤回が始まったわけです。次は、裏金議員の非公認の前言を貫けるかどうかが見ものです。そして、日米地位協定の見直しとか、選択的夫婦別姓制導入なども、持論を貫けるかどうかはかなり怪しいものと考えるしかなさそうです。それにしても、あとになれば支持率が下がるから、支持率の高い政権発足直後にすぐ解散総選挙って、言い方を変えると言い換えれば「衆院の任期切れまでの間に、支持率が上向くような実績は何一つ残せません、だから今から支持率は下がる一方です」と、自ら宣言しているのと同じです。実際のところそのとおりなのでしょうけど、ある意味実に正直な話です。いずれにしても、この前言撤回は支持率を下げる要因になるでしょうね。しかし、より大きいと思われるのは、裏金議員非公認という前言を貫けるかどうかでしょう。これも前言撤回になったら、選挙までの1か月間すら、支持率は維持できないんじゃないでしょうか。それでも、そもそも推薦人が裏金議員オンパレードだった高市よりは、まだマシではありますけどね。
2024.09.30
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自民新総裁に石破氏 国会論戦後、10月解散視野 決選投票で高市氏逆転・来月1日に首相就任岸田文雄首相の後継を決める自民党総裁選は27日、党本部で投開票され、石破茂元幹事長が決選投票で、第1回投票でトップだった高市早苗経済安全保障担当相を逆転で破り、第28代総裁に選出された。10月1日召集の臨時国会で第102代首相に指名される見通し。石破氏は記者会見で、衆院解散・総選挙について「野党と論戦を交わした上で、なるべく早く審判を賜らねばならない。適切な時期を判断したい」と述べた。~総裁選には1972年の推薦人制度導入以降で最多の計9人が立候補。1回目の投票は棄権1人を除く国会議員票367票と党員・党友票368票の計735票で争われ、高市氏が181票で1位、石破氏は154票で2位となった。上位2人による決選投票は党員票を47票に圧縮して計414票で行われ、石破氏が215票を獲得し、194票の高市氏を21票差で破った。石破氏は直ちに幹事長などの人事に着手。30日に新たな党執行部の陣容を決定する。臨時国会召集日に首相に指名され、石破内閣を発足させる見通しだ。石破、高市両氏以外の1回目の投票結果は、小泉進次郎元環境相136票、林芳正官房長官65票、小林鷹之前経済安保担当相60票、茂木敏充幹事長47票、上川陽子外相40票、河野太郎デジタル相30票、加藤勝信元官房長官22票だった。---誰が総裁になろうが、私が自民党を支持することも、票を入れることも断固としてありません(もちろん、維新や国民民主党にも入れませんが)。そういう意味では、誰が総裁になろうが同じだ、とも言えますが、ただそうは言っても現実に自民党が政権を握っているので、そのトップが誰になるかによって政治の方向性は変わります。それが良い方向か悪い方向か、残念ながら、自民党政権である限り、良い方向に変わるとは思えません。ただ、「最悪の方向」と「多少はマシな方向」という差はあるでしょう。先に記事を書いたように、解雇規制撤廃を掲げる小泉進次郎は最悪です。「選択的夫婦別姓制の実現」を掲げているところは評価できますが、それをもって解雇規制撤廃を免罪するわけにはいきません。では、有力候補とされる残りの二人はどうか。改めて記事は書きませんでしたが、高市早苗もまた最悪の政治家であることは言を待ちません。歴史認識や選択的夫婦別姓制への反対等、あらゆる面での極右姿勢、放送法の解釈をはじめとして、言論の自由を制限しようとする姿勢、累進課税の廃止、「行き過ぎた結果平等」を廃する「福祉の公平化」、すべてにおいて、日本を悪い方向にしか導かない人物です。一方石破はというと、少なくとも20年前には自民党内でも保守派の政治家でした。歴史認識に関してだけは、太平洋戦争が日本の侵略であったことを正面から認めるなど、かなりマトモなものでしたが。それ以外は、改憲、自衛隊の増強、日米安保絶対の主張、どこからどう見ても保守派であり、当時はネトウヨ系のネット住民から「ゲル長官」などと呼ばれ、絶大な人気を持っていました。それが、いつの間にかネトウヨから蛇蝎のごとく嫌われる存在になったのは、石破が左旋回したからではなく、安倍政権以降自民党が(そして日本全体も)右に旋回し続けているため、石破が何も変わらないのに、相対的に左に位置がずれたかのように見えているだけです。というわけで、私は石破に何も期待はしません。が、それでも小泉や高市よりは少しはマシであるとは思います。一説には、野党特に立憲民主党は、高市か小泉の方が戦いやすい相手と見ているという説があります。本当に野党の誰かがそんなことを言ったのか、ただの下衆の勘繰りかは知りません。ただ、単純に戦いやすい相手というだけの意味ではそうかもしれません。しかし、政権にある間に彼らが何をやるかを考えると、それだけの理由で小泉や高市がよい、などとは、恐ろしくて私にはとても言えません。それに、正直に告白しましょう。高市が決選投票で敗れたことにネトウヨ連中が悲嘆にくれて、「日本終了」とかほざいているのを見ると、もうそれだけで「ざまーみろ」と思う自分がいます。彼らの望むような国の姿にすることこそか、日本の破滅を意味しますから、そうならなくてよかった。ただし、私の予想では、石破は首相になった途端に、党内極右勢力に迎合するんじゃないかなと思います。だから、掲げた政策、たとえば日米地位協定の見直しとか、選択的夫婦別姓制導入などは、多分実現はしないだろうと予想しています。いずれにしても、誰が首相になったところで、目前に迫る(おそらく)次の衆院選で自民党が敗北する(最低限議席の大幅減)を願うことは変わりません。余談ですが、彼らの主義主張への私個人の賛否は度外視して、石破も高市も、強固な支持層がいる一方で、自民党の国会議員の間ではまったく人望がないことは有名です。ただ、以前は両人それぞれの人望のなさは折に触れて報じられていたように思いますが、今回の自民党総裁選が近づくと、石破が党内で人望がないことは、テレビ番組やネットニュース等で頻繁に触れられるのに、高市の人望のなさはあまり触れられなかったように思います(石破が当初から有力候補と見られていたのに対して、高市は当初は有力候補とは見られていなかったせいもあるでしょうが)。そのため、石破だけが圧倒的に自民党内で嫌われているのかと思ってしまいますが、1回目投票と決選投票の議員票の動きを見ると、高市は、国会議員にも強固なファンが石破より多くいそうですが、強固なファン以外の議員からは、石破以上に嫌われている、ということが、図らずも露呈したように思います。そうでなければ、1回目投票であれだけ勝っていたのに、2回目投票で逆転されるわけがありません。
2024.09.28
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火垂るの墓が初の世界配信、大絶賛の背景「二度と見たくない傑作」もう二度と見たくなくなるほど悲惨だが、二度と忘れられない傑作だ――。スタジオジブリの名作「火垂るの墓」(英語名Grave of the Fireflies、1988年、高畑勲監督)の初めての全世界一斉配信が始まり、改めて注目を集めている。動画配信サイトNetflix(ネトフリ)が配信元で、日本以外の190カ国以上で見られる。野坂昭如さんの直木賞受賞小説が原作で、第2次世界大戦末期の神戸で力強く生きる戦争孤児の兄妹の姿を描く。ネトフリでは今月16日、一斉に配信スタート。もともと世界中で根強い人気を誇ってきたが、今回の配信後、英語圏の映画レビューサイトで高評価が相次いでいる。作品誕生から40年近くを経てもなお、多くの人の胸に響いている背景には、ウクライナやパレスチナ自治区ガザで罪なき人々が犠牲となっている世界情勢もあるようだ。---「二度と見たくない傑作」は言い得て妙と思います。「火垂るの墓」の公開は1988年、同時上映は「となりのトトロ」でした。封切り当時映画館で見ました。「となりのトトロ」の後で火垂るの墓を見て、あまりの衝撃と悲しさで茫然自失の人が続出した、という話もあります。私は、その当時すでに野坂昭如の原作「アメリカひじき・火垂るの墓」を読んでいたので、これは絶対となりのトトロを後に見る方が良いと思って劇場に行った記憶があります。で、原作を知っていた私でも、この作品は強烈な印象があります。というか、下手に原作を知っているから、冒頭に清太と節子の亡霊が登場しただけで、もう涙涙でした。そして、その時以来、全編通して見たことは、多分ないと思います。その後、一度だけ、1990年代末に、あるところに行った貸し切りバスの中でビデオを上映していたことがありますが、恥ずかしながら画面を正視することができず、目をつぶってしまった記憶があります。楽しいイベントの帰り道にこれはあまりに重い、と思ったのです。当時は知らなかったのですが、原作者の野坂昭如は、実際に14歳で、2歳に満たない妹と二人で戦災に遭い、妹が餓死しています。ただ、その時実際には妹に対して、この作品のように優しくすることができず、あまり食べ物もやらずに死なせてしまったということを本人が述懐しています。そのことへの反省と贖罪意識もあって、「こうできたら」という「理想の兄」のであったら、という思いを込めて世に出した作品です。しかし、悲しいかな、「理想の兄」であっても、「食べ物がない」という現実を覆すことはできません。だから、妹の餓死を防ぐことはできず、清太自身もまた、その後に(単純に食べ物がないというだけでなく、妹を失ったことで生きる気力もなくなったのでしょう)餓死してしまいます。理想の兄であることはすなわち二人の共倒れに直結してしまい、実際には妹の食べる分を横取りすることでかろうじて兄は餓死を免れて生き残ることができた、というある意味夢も希望もない現実があったわけです。うちの子が幼い頃のことを思い出してみると、3~4歳の子どもは本当にかわいいですからね(いや、二十を超えた今だってかわいいんですけど、かわいさの意味合いが違います)、ある意味、戦争も俗世間のしがらみも離れて、洞穴の中でかわいい盛りの妹と二人での生活は、「夢の時間」だったんじゃないかと思います。でも、その夢の時間は食料を手に入れられずに餓死、という悲惨な結末と引き換えにしか、手に入れられなかったものです。本当に、戦争というのは、悲惨であり、その悲惨さのしわ寄せは、もっとも弱い立場の人間に重くのしかかってくるものです。その野坂昭如は2015年に亡くなり、高畑勲監督も2018年に亡くなりました。私の母は敗戦時小学校1年生、川崎に住んでいて、空襲で家が焼失し、疎開先の群馬県でもまたもや空襲に遭っています。その母が今86歳。まず空襲の記憶をはっきりと持つもっとも若い世代と言って良いでしょう。戦争の直接経験者も、本当に少なくなってしまいました。戦争がどれほど悲惨なものか、ということを実体験者から聞く機会も、極めて乏しくなってしまいました。
2024.09.26
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【速報】立憲民主党 新代表に野田佳彦元総理を選出立憲民主党の臨時党大会が行われ、新しい代表に野田佳彦元総理が選出されました。民主党政権では財務大臣を経て2011年には総理大臣に就任しましたが、その翌年に衆院選で敗れ、政権を失いました。2020年に立憲民主党に参加し、今回の代表選には当初、出馬に慎重な姿勢を示していましたが、党内から野田氏の安定感と経験を求める多くの要請を受け、出馬を決断しました。代表選では政治とカネの問題を幅広い野党との協力によって改革する考えを示したほか、候補者の間で意見が分かれた消費税については、一貫して減税に慎重な考えを表明しました。野田氏は代表選の後、「フェアプレーの究極は、結果が出たらノーサイドにすること。みんなの力を合わせて、心を合わせて、打倒自民党に向かっていきたい」と話し、「私は本気で政権を取りにいく覚悟だ。戦いは、もう今日から始まる」と強調。あすの午前中までには新しい執行部など、「人事の骨格」を決める方針を示しました。---正直なところ、野田政権時代の民主党政権は、もはや従来の自民党政権とどこが違うのかよく分からない状態であったように私には思えます。旧民主党を支持していたわけではありませんが、それでも民主党への政権交代に多少なりとも期待を持ったのは、それまでの自民党とは違う方向性の政策を期待したからです。もちろん、主張のすべてが実現できるなんて期待したわけではありませんが。ところが、菅直人首相の時点で、従来の自民党と同じ方向性への回帰が明白になっていました。それでも菅政権は311の後脱原発に舵を切った点は、従前の自民党政権とは明白に違っており、この点は少なからず期待を持ちましたが、野田政権は原発再稼働を推進して、その脱原発の方向性すら止めてしまいました。そういう意味で、野田政権は民主党の三代の首相の中でも、もっとも夢も希望も感じられない政権でした。最後は、敗北確実な解散総選挙に打って出て自滅という結末に終わりました。ただ、野田政権の政策は、もはや「従来の」自民党政権とどこが違うのかよく分からない状態でしたが、その後誕生した安倍政権は、従来の自民党と比べても右旋回著しく、結局、従前の自民党政権と変わらない=それでも安倍政権以降の自民党よりは多少マシ、という状態です。というわけで、今回立憲民主党の代表選に立候補していた4人の中で、「この人が良い!」と強く支持できる人はいませんでした。ただ、相対的に好意的に見ていたのは枝野氏と吉田氏、相対的に批判的に見ていたのが野田氏と泉源代表です。その野田氏が代表選に勝利ということで、ちょっと残念というのが私の個人的な感想です。それでも今の自民党、そして維新、国民民主党と比べれば、「まだマシ」とは思いますが。「私は本気で政権を取りにいく覚悟だ」ということですが、その心意気自体は否定しませんが、一度政権は取ったことがあるわけですから、そこがゴールでは困ります。「政権を取って何をやるか」が問われるところです。「本気で政権を取りに行きます。政策は自民党と同じで、保守層の喜びそうなことをやります」では、自民党から政権が変わる意味があるのかなと思います。「政権を取って何をやっていくつもりか」を確認しないうちから全面否定はしませんけど、私としてはあまり意気は上がらない、というのが正直なところです。
2024.09.24
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この3連休、本当は山に行きたかったのですが、予報は東京付近以外は悪天候だったため、遠方に行くのはやめにしました。2年前にも行ったことがありますが、青梅市の梅の公園に、鷹の渡りの写真を撮りに行ってみました。しかし、すでに往路の途中で失敗に気付きました。というのは雨こそ降らなかったものの、日差しがほとんどなかったからです。鷹は、晴天時の上昇気流に乗って上空に昇っていくので、曇天時にはほとんど期待できません。というわけで、この日は鷹の渡り殺甥は不発に終わってしまいました。(私が帰った後に、ハチクマが1羽だけ渡って行ったそうですが、1羽だけではねー)なので、鷹の写真はなく、公園の写真のみです。公園入口。撮影した時は気付きませんでしたが、写真をよく見ると、イノシシ出没注意という看板があります。そうなのか。実は、途中で近くにパトカーが走り回っていて、マイクで何か言っていると思ったら、「サルが市街地内に出没しているのでご注意ください」という注意喚起でした。入口から、鷹の観察ができる見晴らし台までは、標高差60mほどらしいです。ただ、下にしかトイレがないので、私は2往復したので、標高差120mでしたが。梅の花期にはお客さんも多いのでしょうね。今はガラガラですが。(もう少し天気が良ければもうちょっと人は多かったかも)登山ではないけど山です(笑)上からは市街地が一望できます。私はスクーターで行きましたが、青梅線日向和田駅でも距離1.1kmなので、鉄道でもそれほど不便ではありません。西方向は御岳山、そして先週行った三頭山に連なっています。鷹の観察定点です。今の時期は日本野鳥の会多摩支部が毎日観察会を行っています。たかが標高差60mでも、それなりに登ってきました。東京は、今日は涼しいですが昨日はそれなりに気温があったので(青梅の昨日の最高気温は30度に届いていないので、気温自体は高くなかったのですが、湿気があってすごく汗をかきました。2年前に来たときはついでに笛を吹いて帰ったのですが、今回は夕方からとあるグループの練習があったため、そこで散々吹くことになるため、笛一式は持ってきたものの、吹かずに帰りました。
2024.09.22
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知人からの情報で、大木岩夫さんが9月5日に亡くなられたことを知りました。大木さんは、1970年代、サイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」がヒットした時期にケーナを手にして、フォルクローレを始めた方です(一部の関係者は「第一次フォルクローレブーム」などと呼んでいましたが、その言葉を知る人すら、現在ではごく少数でしょう)。私が初めてフォルクローレを始めた頃は、「コジャマユ」というグループでケーナを吹いておられました。その解散後、ライセスというグループを作って活動するとともに、ケーナの製作、販売も手掛けるようになりました。ただ、最近数年は、風のうわさに脳出血系のご病気になられ、郷里の福島に戻られて療養していた、と聞いています。78歳だったそうです。いつの間にそんなお年になっておられたのですね。団塊の世代ど真ん中の方で、ご本人からおうかがいしたかすかな記憶では、中卒で集団就職で東京に出てきて(ただし、勤務先は重工業系の大企業だったと記憶しています)、20代の終わりころにケーナと出会うまでは、音楽とは全く無縁だった、というような話だったと思います。大木岩夫さんと言えば、独特の髪型、アルゼンチンのケーナ奏者ウニャ・ラモス(日本では加藤登紀子が歌ってヒットした「灰色の瞳」の作者)に心酔し、その髪型を真似たそうです。そして、双子のご兄弟がいて(確か双子の弟さんも尺八を演奏される方だったと思います)、顔がまったく同じだったこと。同じグループで演奏したことはないのですが、「アンデスのこだま」というコンサートで、別々のグループで一緒に演奏したことはありますし、仲間うちの忘年会、お花見などの企画で一緒に演奏したことも何回かあります。舞台袖でビール(だったかな?とにかくアルコール)を飲んでからスタスタとステージに出て行って演奏を始めたこと、管楽器奏者としては極めて珍しい喫煙者でしたが、「タバコはケーナに良いんです」という謎の名言(笑)、いろいろなことが思い出されます。でも、間違いなくそのケーナの音色は素晴らしいものでした。YouTubeを検索すると、「ライセス」での演奏動画がいくつか上がっています。コージャ族のクエッカタラフチ「関東フォルクローレ連盟」で開催したお花見での1枚です。いつの写真か記憶がありませんが、私が弾いているギターが現在使っているメキシコ製のギターではなく、その前に使っていたギター(今も押し入れに眠っていますが)なので、おそらく1993~95年のどこか年の春です。そうだとすると、私は20代半ば、大木さんは40代半ばか後半くらいだったのだと思います。そして大木さん制作のケーナです。後年、本格的にケーナの販売をするようになってからは、「大木」という焼きごてで刻印を押すようになりましたが、この時はまだ焼きごてはなく(だから、「大木さん製作のケーナ」という証明は私の記憶の中にしかありません)値段も2000円か3000円だった記憶があります。実は、私の自作のケーナも塗装なしなので、外見は大木さんのケーナと私の自作ケーナはパッと見少し似ていて、家の中の何十本かのケーナの中から、大木さんのケーナを探し出すのにちょっと苦労しました。でも、吹き口の形状が、私のケーナはボリビアのアハユのケーナの模倣なので、そこが違います。そして、何を隠そう、私は売り物にする気ゼロで「音が出りゃ良い」派なので、上部の切断面も、吹き口の切込みの処理も雑で荒っぽいのに対して、大木さんのケーナはとてもきれいな仕上げなのです。ご冥福をお祈りします。
2024.09.19
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自民党総裁選の電波ジャックに加担する気はないので、記事に取り上げるのは気が進まないところですが、これは看過できないので。自民党総裁選 解雇規制緩和が争点に 小泉氏、各候補から攻勢受け「見直し」に軌道修正自民党総裁選を巡り、小泉進次郎元環境相が提起した解雇規制の緩和が争点化している。小泉氏は出馬会見で「聖域なき規制改革」の目玉公約として企業が余剰人員を削減する「整理解雇」の要件緩和を掲げた。これに対し「企業が解雇しやすくなる」との批判や他候補からの攻勢を受けて「緩和ではなく見直し」と軌道修正。歯切れの良さで実行力をアピールしてきただけに、総裁選の行方を左右しかねない論戦が今後も展開されそうだ。「労働市場改革の本丸である解雇規制を見直す。人員整理が認められにくい状況を変える」。小泉氏は6日の出馬会見でこう述べた。整理解雇の4要件のうち、「解雇回避の努力」を大企業に限って撤廃すると主張。代わりにリスキリング(学び直し)や再就職支援を義務付けることで人材の流動性を高めるとし、「不退転の覚悟で来年には法案を提出する」と強調した。(以下略)---なんでもかんでも「改革」すればいいと、首切りを簡単にしようという、とんでもない話です。そしてまずは、そんなことを主張するなら、まずはどの法律のどの条文をどのように変えるべきか明示すべきでしょう。日本では、企業が人員を解雇することについて、判例によって「解雇整理の4要件」というものが確立しています。それは、1.人員整理の必要性2.解雇回避努力義務の履行3.被解雇者選定の合理性4.解雇手続の妥当性です。この内の2の解雇回避努力の履行義務を大企業に限って撤廃すべき、というのが小泉の言い分です。しかし、この4条件は法律の条文に明示されているわけではありません。法律の条文には労働契約法 (解雇) 第16条 解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとし て、無効とするとあるだけです。この他に労基法には解雇規制に関わる規定として第15条1項(解雇事由を含む労働条件の明示)第19条(解雇制限)負傷、女性の産前産後の解雇禁止第20条(解雇の予告)第22条(退職時等の証明)などがありますが、いずれも4要件の規定とは別次元の話なので、解雇整理の4要件は、あくまでも労働契約法16条の「客観的に合理的な理由」「社会通念上相当」の具体例として裁判所が決めたこと(判例)であるわけです。日本には「三権分立」という制度がありますから、裁判所の判例として確立しているものを政府が「変えろ」と命じる権限はありません。つまり、小泉の言い分を実現するには、上記労働契約法16条の「客観的に合理的な理由」「社会通念上相当」という規定自体を変えしかないわけです。果して、従業員を解雇するのに、「客観的に合理的な理由」も「社会通念上相当」であることも不要である、と、そんな滅茶苦茶な解雇「規制」があり得るでしょうか。それはもはや解雇規制がない状態ではないでしょうか。そのような法改正が行われた場合、「大企業に限って」「解雇回避努力」だけ限定して撤廃、で収まるのでしょうか?どのような条文ならそんなことが可能なのでしょう?結局、労働契約法16条を変えるということは、解雇規制4要件のすべてが廃止されるということにつながります。そうなれば、企業側の都合で首切りもし放題、という社会になってしまいます。雇用の流動化と言えば聞こえが良いけれど、職に就いても雇用主の胸先三寸で、いつクビになるか分からない、ということです。将来の保証が何もない、全国民がそういう状態に追い込まれる今年になるわけですが、そうなることで、雇用主、経営者にとってはメリットはあるでしょうが、雇われる側にとっては何のメリットも見出せません。ちなみに解雇整理の4要件があってもなお、日本の「解雇のしやすさ」はOECD37カ国中11位です。安倍内閣時代の2016年にには、「雇用保護規制が比較的弱い国として位置付けられている」との答弁を閣議決定しています。この上解雇をさらに自由にすることは、「日本をOECDの中でもトップクラスで好き勝手に解雇ができる国」にすることを意味します。解雇規制4要件のすべてを廃止ではない、あくまでも大企業に限って解雇回避努力義務だけを撤廃すると言うなら、前述のとおり、どのような法改正の文面なのか、それを提示せよと言うしかありません。もっとも、もし仮にそのような法的たてつけが可能だったとしても、「ならば良い」とは言えません。上記もような解雇規制の判例があっても、日本の企業では違法な解雇が少なからずまかり通っている現実があります。不当労働行為で訴えれば勝てるような案件でも、裁判に訴えて収入のないまま長期間争うことに耐えられる経済力、気力がない、そこまでことを荒立てたくない、裁判に勝って復職しても針の筵で居心地が悪い、などで泣き寝入りしてしまう例が相当多いと思われます。その中でも、やはり解雇規制について比較的しっかりしているのは大企業で、中小企業や零細企業になればなるほど、怪しい行為がまかり通っていると言わざるを得ません。つまり、「大企業に限って」解雇規制を緩和というのは、実質的には「大企業すら解雇し放題になる」という意味になるわけです。それを緩和ではなく見直し、などといったところで、言葉遊びでしかありません。もっとも、じゃあ他の候補はというと、極右ネトウヨ高市とか、マイナンバーカード強行の河野とか、目くそ鼻くその争いでしかないのですが。
2024.09.17
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8月の山の火の三連休のに八ヶ岳・天狗岳に登った際、下山中に転倒して右足を捻挫した話を書きました。これが、だいたい2週間くらいで治ったかな、という頃に風邪をひいてしまいました。発熱は1日だけだったのですが、その後咳が残ってしまい、なんと2週間も尾を引いています。(診察を受けていないのでコロナかどうかは分かりませんが、症状と、家族にも職場にも誰にも感染していないことなどから、分コロナではないと思います)そのため、山に行けていなかったのですが、今日1か月ぶりに山に行ってきました。本当はあの山に行きたい、と思っていたところは、予報が悪くて断念。で、代わりにこの山に、と思ったら、朝起きて雨雲レーダーを見たら、その方面も雨が降っています。結局、朝の時点で雨が全然降っていないことが分かったのが奥多摩方面だったので、三頭山に行ってきました。今年2回目です。奥多摩でもほかの山、とも思ったのですが、行き先に迷って出遅れたこと、病み上がりで(厳密に言うと、まだ咳は少し出るのですが)あまりハードな山は厳しいかなと思ったことから、都民の森から簡単に登れる三頭山にしました。今回は檜原方面から都民の森へ。ヒキガエルが歩いていました。アズマヒキガエルでしょうか。奥多摩の標高1000mを超える山には、ブナ、ミズナラなどの落葉広葉樹林が広がっています。ちなみに、写真中央の斜めの木はクリです。ブナもありました。山頂に到着。いつになくキツくて、「ああ、まだ風邪の影響が」と思っていたのですが、山頂で昼食を食べたら急に元気回復した気が。風邪の影響よりただのシャリバテだった説(笑)。富士山が見えました。雪のない、茶色い富士山。「都民の森」というだけあって、森林はなかなか見事です。例によって笛も吹きました。ちなみに、風邪をひいている間も土日は欠かさず笛練習していました。都民の森で一番大きいモミの木だそうです。高さ30m、幹回りは2021年測定で1周5mだそうです。2000年代の計測では4.5mだったそうです。まだまだ成長しているようです。まだ猛暑だし、秋は遠いと思いきや、紅葉は一部始まっていました。我が愛車です。復路は奥多摩湖に出ました。奥多摩湖への途中、奥多摩周遊道路の風張駐車場。都民の森が標高丁度1000mですが、ここは標高1146mだそうです。都道の最高標高地点です。都内の車道としても最高標高地点のはずです。奥多摩周遊道路。なんだか、JAFのトラックと2回すれ違って、1回は自動車、もう1回はバイクを積んで走っていたようですが、何かあった・・・・んでしょうね。写真にあるように、カーブの一部は中央分離帯としてポールが立っているのですが、このポールが倒れて破片が飛び散っているところがありました。これも何かあった・・・・んでしょうね。帰路は道路の選択を間違えて、激しい渋滞に何回も巻き込まれ、えらい時間がかかてしまいました。でも、やっぱり山登りは楽しいです。
2024.09.15
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ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領(86)が死去 娘のケイコ氏が発表ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領が11日、死去しました。86歳でした。日系2世のアルベルト・フジモリ元大統領は、1990年4月に日系人として初めてペルーの大統領に就任し、当時の経済を立て直しました。日本人が人質となった1996年12月の在ペルー日本大使公邸占拠事件の際は犯行グループの左翼テロ組織に対し強硬な姿勢で臨み、解決につなげましたが、政権の腐敗により2000年11月には日本に事実上の亡命をしました。しかし2005年10月、翌年のペルー大統領選に出馬するため日本を離れたフジモリ氏は経由地のチリで拘束され、2007年9月にペルーへ身柄が引き渡されました。2010年1月には、在任中にペルー軍による市民の殺人事件を指揮したとして禁錮25年の有罪判決が確定しましたが、健康状態が悪化し、入退院を繰り返したほか、恩赦をめぐる判断が度々覆されました。直近では2023年12月、憲法裁判所の判断を受け、4年ぶりに釈放されていました。娘のケイコ・フジモリ氏は11日、「父はがんとの長い闘いの末、この世を去った」とSNSに投稿しました。86歳でした。---わたしは1989年秋にペルーに行ったので(南米は3回行っていますが、ペルーに行ったのはその時だけです)、フジモリ大統領初当選の約半年前になります。その当時ペルー経済は崩壊状態であり、当時の通貨単位「インティ」の価値は毎日下落していまた。私がペルーに就いたときは1ドルが5000インティか5500インティくらいでしたが、10日後にボリビアに出国した時は6000か6500インティに、更に1か月後南米からの帰路リマ空港に寄航した際は、1ドル9000インティ、という具合でした。郵便物はまったく届かないし(これは、まあ現在でも南米どの国でも郵便物の信頼性は低いですけど)治安の悪さも壊滅的でした。大統領に当選して、その状態を短期間に立てなおしたこと自体は、認めざるを得ない功績です。ただ、その立て直し手段は劇薬でした。劇薬は、短期間に限定的には効果がありますが、本質的には毒薬です。使い続ければ害悪が大きくなります。フジモリの施策は「強権支配と新自由主義」が基本でした。フジモリは大統領に当選したものの、議会では与党は少数派だったため、議会運営に苦慮しましたが、1992年には「アウトゴルペ(自作クーデター)」と呼ばれる強硬策に打って出て、議会を解散し憲法を停止してしまいます。これによって反対勢力を弾圧したフジモリは、強権的な弾圧によって治安を回復し、経済状態も回復させました。しかしその代償として、無関係な市民も多数巻き添えで殺されていますが、フジモリは「恩赦法」を制定して軍による人権侵害の免罪を図ります。また、自身に対して批判的なマスメディアに対する弾圧を行っています。更に、側近のモンテシーノスによる野党議員買収映像が暴露されるなど、腐敗が急激に拡大し、支持を失っていきます。 結局、2000年に外遊中、日本に一時滞在中に突如大統領辞任をFAXで議会に辞任を送信するという挙に出て、実質的には亡命します。その時まで、フジモリは二重国籍疑惑を否定していましたが、実際には二重国籍だったことが、この時に明らかになったわけです。ちなみに、当時駐ペルー日本大使館の一等書記官であった小倉英敬氏(MRTAによる大使公邸占拠事件の際に最後まで人質だった)の話を。ある集会で聞いたことがあるのですが、それによると、日本大使館は1990年にフジモリが初当選した時点で、過去の記録を調査し、フジモリ氏が出生した時点で日本大使館に国籍留保届が出ている(つまり日本国籍を得た)ことを確認していたそうです。ただし、現在でも日本国籍を持っているか、つまりその後に国籍離脱の手続きがされていないかどうかは、フジモリ氏が日本に亡命した際に確認したそうですが。現実的には、日本国籍所持者がわざわざ国籍離脱の手続きを取る可能性は極めて低いので、それは「念のための最終確認」でしかなかったはずです。つまり、フジモリ大統領の政治生命の生殺与奪の権利を日本大使館は握っていた、とも言えます。その後のフジモリ氏の行動は、支離滅裂としか言いようのないものであったと思います。日本で亡命生活を送っていた2005年に、翌年のペルー大統領選出馬を目指して隣国チリに入国するも、ペルーから逮捕要請を受けていたため、身柄を拘束されます。しかし、チリで身柄拘束されていた最中の2007年に、今度は日本の参院選に、亀井静香率いる国民新党から立候補という挙に出ます。一国の大統領であった人物が、他国の国会議員に立候補(それも、いわば獄中立候補だったので、選挙運動も政見放送も一切なし)という前代未聞の事態でしたが、落選に終わりました。80年代末期のペルーがどれほどすさまじい状態だったか、わずか10日間の滞在とはいえ多少は見てしまった私としては、フジモリの功績のすべてを全面否定はしません。しかし、その功績を帳消しにして余りある弾圧と腐敗があったことも間違いありません。そして、その人権侵害行為はペルーにおいて、生涯免罪されることはありませんでした。
2024.09.13
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ロシア、西部で複数集落奪還か 越境攻撃のクルスク州ロシア国防省軍事政治総局のアラウジノフ副局長は11日、ウクライナ軍が越境攻撃を続けているロシア西部クルスク州で約10集落を奪還したと語った。タス通信が報じた。具体的な集落名には触れなかったが、8月6日の越境攻撃開始以降でロシア側がまとまった数の集落奪還を主張したのは初めてとみられる。ロシア国防省内に独自の情報源を持つ複数の軍事ブロガーも11日、複数の集落名を挙げてロシア軍が奪還したと通信アプリに一斉に投稿した。ロシア側はクルスク州の28集落がウクライナ軍に制圧されたと発表した8月12日以降、新たな情報を明らかにしていなかった。---ウクライナのロシアへの逆侵攻については、少し前に記事を書いたことがあります。その中で、「緒戦期に、相手の態勢が整わないうちに奇襲によって一方的に勝利を重ねるものの、やがて敵が態勢を整えると、もうそれ以上は勝てない、それなのに緒戦の一方的勝利の幻想から、退き時を逃して回復不能の敗北を喫する」という例が過去の戦史に多数あることを指摘しました。そして、今回の逆侵攻もそうなる可能性があることを。まあ、多少なりとも戦争の歴史を知れば、誰でも気が付く話です。当然、ウクライナ軍の幹部もゼレンスキーも、そんな例が無数にあることは知らないとは思えないのですが、何とかなると思ってしまったのでしょうか。残念ながら、状況は着々と過去の戦史と同じ轍を踏みつつあるようです。現時点では奪回されたのは10集落ということですが、それを再度取り返す力がウクライナにあるとは思えません。貴重な戦力をすり潰しながらズルズル後退するよりは、そうなる前にサッサと自ら後退してしまった方が得策、と思うのですが、当事者は視野狭窄に陥って見えなくなってしまうのかもしれません。それにしても、ウクライナに侵攻したロシアに何の理もないことは明白ですが、そうはいってもウクライナの疲弊はもう極限状態のはずです。2年半戦争を続け、この先も更に1年2年と戦争を続けることが可能なのか、もちろんそれを決めるのは私ではなくウクライナの人々ですから、私がそれ以上どうこう言うことはしませんが、物理的な限界はもうそれほど遠くないところにあるのではないか、という懸念を抱きます。
2024.09.11
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大企業の労働分配率、昨年度は過去最低 内部留保は過去最高企業がもうけの中から人件費にどのぐらい使ったかを示す「労働分配率」が、昨年度は大企業で過去最低の水準に落ちこんでいたことがわかった。企業内に蓄積された利益を示す内部留保は過去最高額になっており、働き手への「還元」を求める動きが強まる可能性がある。国内企業の通期決算を集計した財務省の法人企業統計調査(2023年度)をもとに、記者が独自に分析した。企業が生み出した付加価値(役員と従業員の人件費、経常利益、賃借料、一部の税金や利払い費、減価償却費の合計)のうち人件費が占める割合を、労働分配率として算出した。金融・保険業をのぞく全産業では、前年度より約1ポイント下がって52.5%となった。これは1973年度の52.0%以来の低さだ。さらに企業の規模別に算出すると、資本金10億円以上の大企業の落ちこみが際立った。前年度より約2ポイント下がって34.7%となり、統計のある1960年度以降で最も低かった。資本金1億円未満の中小企業は、前年度とほぼ同じ66.2%だった。大企業に比べると高水準で、下がり方もゆるやかだ。---儲けたお金は内部留保としてため込んで、なるべく働く人の給料には還元しないのが優れた企業、優れた経営者、そんな感覚が蔓延している限り、仮に多少景気が上向いても、我々の収入は増えないし、生活も上向かないことは言うまでもありません。前回の記事とも関係しますが、なるべく多くの労働分配率差を獲得することこそ、労働組合の大きな目的であると私は思います。その労働組合の力が落ちているために、労働分配率も低下している、ということではないでしょうか。当然国内消費は盛り上がらず、景気も上向くことはない、国内の個人消費動向に左右されないインバウンドや輸出産業だけが頼り、という危うい状態が今後も続く、ということになってしまいます。残念ながら、そのように言ったところで、企業に対して否応なく賃上げを強いる強制力が働かなければ、賃上げはしない(少なくとも最低限の賃上げしかしない)し、国内市場が衰退していくことを止めることもできないでしょう。なんというか、各方面で日本の将来が「お先真っ暗」ということが、この分野でも確認できてしまった、という夢も希望もない話です。いや、もちろん、労働組合をはじめとして、企業に対して賃上げを強いる強制力が働けば、状況は多少なりとも好転するんじゃないかとは思うんですけどね。
2024.09.06
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社民党副党首が前澤友作氏の提案に反応して労組の怠慢を浮き彫りにしてしまう前澤友作氏の「給与交渉代行サービスがあればよい」という提案が話題となりました。前澤友作自分で辞めたいって言えない人向けの退職代行サービスが結構ニーズあるって話を聞くけど、給与交渉代行サービスってあるのかな?やったら流行りそうな。これに対し大椿ゆうこ社民党副党首は「それは労働組合の役割です」と憲法28条という根拠まで示して主張しました大椿ゆうこ 社民党副党首 参議院議員/労働者の使い捨ては許さない!それ、労働組合の役割です。「代行」ではなく、労働者自身が直接使用者と交渉出来る権利を、この国の憲法28条は保障していますしかし、逆に労働組合の今までの怠慢をあからさまにする結果となりました。労働組合が【正常に機能していない】から提案されているんですよイデオロギー丸出しで、政治活動に参加するのが労働組合の仕事だと思ってたよ日本の労働組合は全く機能していないですからね~。オーストラリアの労働組合が労働者の為に行動しているのを見て、「そういえば労働組合って、労働者の為の組合だったわ」と気が付いたことを思い出しますw小規模の会社で労働組合なんか作れる訳がない。憲法で全て解決出来るんなら憲法に「台風は来るな」と書けばいい話。ドヤ顔で憲法を論じるな。なぜ日本人の給料が上がらなくなったのか労働組合は胸に手を当てて考えてほしいものです。日本人の給料が上がらなくなったの、労働組合のせいです。全然仕事してない人も含めて65歳まで雇用できるような賃金水準しか要求してこなかった(っていうか賃金抑制してきた)結果こうなりました。前澤さんが言ってるのは「他の奴はいいからこれだけ払え」と交渉できるエージェントの必要性です氷河期世代のとき「俺たちの雇用を守るために若者の雇用を減らせ!俺たちが定年するときまで会社はもてばいいんだ!退職金もがっぽり寄越せよ。そのために若者は非正規で雇え」みたいなことを言ってた労組連中が「自民の責任で氷河期が生まれた。俺たちは何とかしろって言ってたのに!」とかいうのさすがにゴミ以下だと思うんですが。あの時の恨みあるから労組に不信感しかないし組織率さがるんですよ。日本の労働組合は「リベラル」を自称していますが、正社員の既得権を守るための組織で、終身雇用・年功序列という差別的な制度を解体する「働き方改革」を頑強に阻止してきたのだから、定義上、「差別主義団体」ということになります。---なんというか、極めて雑多かつ方向性がバラバラの労働組合批判をかき集めました、みたいな内容です。ただ、そもそも入口との時点で、前沢氏の言う「給与交渉代行サービス」が本当に労働組合の役割なのかな、というのは若干疑問を感じます。「私たちの給料を上げてください」は間違いなく労働組合の役割です。「みんなの給料を上げてください、私の給料も上げてください」もそうです。「私だけ不当に給料が安いんです、上げてください」も同様でしょう。しかし「他の奴はいいから、私の給料だけを上げてください」(城繁幸の解釈に基づく前澤氏の主張)これは、労働組合の役割ではない、と私は思います。「みんなの」労働条件を守るのが労働組合の目的であり、その網からこぼれる人を守ることも組合の役割ですが、一人だけ高待遇を得ることを助けるのが組合の役割ではない、と私は思います。それは自分自身で戦ってもらうしかないのではないでしょうか。人より優れた能力と業績がある人が要求して戦うことは、悪いとだとは思いませんが、ともかく労働組合の役割とは違います。そして、イデオロギー丸出しで政治活動に参加するのが云々、よくある批判です。政治的主張には好き嫌いがあるので、政治路線が嫌なものは嫌で仕方がないとは思います。押しつけはよくない。そして、労働組合が直接的に何党を支持せよとか、まして選挙運動に直接的に組合員を動員するようなこと※には私も大いに異論があります。※そういう事例は、実際には連合傘下の一部の組合に限られると思いますが、一方で政治に何も関心がない人から見れば、メーデーで政治的っぽいスローガンを叫ぶのも、選挙で法定ビラを配るのも区別がないかもしれません。ただ、一企業、一役所の内部での労働条件の向上と、その業界全体の労働条件の向上、更には日本全体での労働条件の向上は、まったく無関係ではありません。日本全体で給料引き下げのさなかに、わが社だけ給料引き上げ、というのは、実際には困難です。(わが社の)みんなの給料を上げてくれ、という要求は結局のところ「日本全国のみんなの給料を上げてくれ」に結びつかざるを得ません。それは、政治と無縁なところでは実現しない話です。だから、労働団体の主張はどうしても政治的なものと無縁ではいられません。それは、実現するための政策案はそれぞれに異なっても、全労連系でも連合系でも、その連合系の中でも左寄り(立憲民主党や社民党支持)でも右寄り(国民民主党支持)でも、同じです。明白に何党支持と明言してしまう連合系と、明示的に共産党支持とは言わない全労連系の違いはありますが。端的に言って、経営者団体とか、業界団体は、軒並み自民党支持、と公言しているかどうかは知りませんが、少なくとも自民党に政治献金を出しています。企業でもそういうところは数多くあります。例えば経団連は自民党に毎年24億円献金しているそうです。それがOKで労働組合が政治活動に参加することだけはダメ、という理屈は変であると思います。引用記事内でオーストラリアの労働組合のことを書いている人がいますが、オーストラリアだって、労働組合を支持基盤とする労働党という政党があって、今現在下院の過半数をもって与党の座にあるわけです。「労働党」の本家であるイギリスもそうですし、ドイツの社民党やその他たいていの国の左派、中道左派政党は同様です。米国でも多くの労働組合が政治的主張を掲げて、だいたいは民主党を支持しています。日本の労働組合だけが、政治的主張を忌避すべき、という理屈は、私にはよく分かりません。もちろん、これはあくまでも原則としての一般論です。個別の主張への賛否は人それぞれでしょう。その主張には賛成できないから組合を、あるいは組合が支持する政党を支持しない、というのはそれぞれの自由です。欧米諸国でも、労働組合員だからと言って労働組合の推す政党を支持しない人は大勢いるし、「ニューレイバー」なんてのはある意味で労働党が組合の利益代表にはならないぞ、ということでもあるわけですから。氷河期世代のとき「俺たちの雇用を守るために若者の雇用を減らせ!俺たちが定年するときまで会社はもてばいいんだ!退職金もがっぽり寄越せよ。そのために若者は非正規で雇え」みたいなことを言ってた労組連中↑これ実話ですかねえ?わたしの知る限り、全労連系はもちろん、連合系だって(立民系国民系問わず)、いくら何でもこんなことは言ってないとう確信があります。勿論、労働組合が「組合員の権利を守る組織」である以上、組合員=「俺たち」の雇用と給料を守ることが第一目的であることは確かです。「今いる組合員の首を切って(あるいは給料を下げて)若者をどんどん採用しろ」などと主張するはずはありません。そんな主張に賛同する組合員などいるはずがないからです。そのことをもって若い世代の雇用に(比較的)熱意が薄いだろう、ということなら、全面的に的外れとは言いません。でも、そのために「若者の雇用を減らせ」「若者は非正規で雇え」なんて言っていない。そりゃどう考えてもフェイクです。だって、「俺たち」は不老不死ですか?必ず老いて定年になる。当然きちんと新規採用を行え、というのがまともな労働組合の主張であり、わたしの知る労働組合もそのような主張しています。というわけで、労働組合というものに対する雑多で方向性バラバラの悪意と偏見の集合体のような文章の集まりですが、こんな話が簡単に「そうだそうだ!」となってしまうのが今の日本の世相です。そりゃ、「我々みんな」の待遇が上がっていく方向性には、なりようがありません、残念ながら。職場と無縁のブログではこんなふうに「勇ましい」ことを書いちゃっている私でさえ、自分の所属する組合の中では「ここでそういう主張を前に出しちゃうと、また脱退者が出るよ、勘弁してよ。もう知らないよ」なーんて思ってしまったりすることもあるわけです。悲しいかな、それが現実。
2024.09.04
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南アルプス林道4年経っても復旧困難南アルプススーパー林道は、山梨県芦安村(現・南アルプス市)から広河原、北沢峠を越えて、長野県長谷村(現・伊那市)にかけて建設されたスーパー林道です。既に1962年までに完成していた夜叉神峠から広河原の林道を取りこむ形で山梨長野県両サイドより1967年に着工しました。地元では県を跨ぐ林道開通は、南アルプス登山の利便が良くなることから、過疎地域の脱却につながるとして、賛成派が大多数でした。工事は険しい山道をダイナマイトなどを担いで進められ、崩れやすい地質のため、大変な難工事でした。工事により野呂川源流域のシラビソなどの亜高山性針葉樹林が大規模に破壊されました。工事直前の1964年に南アルプスが国立公園に指定されたこともあり、世論から強い反対運動が繰り広げられ、1973年に、環境庁長官が県境の北沢峠部分の1.6㎞を残しての工事凍結を表明しました~が、1978年に道路幅員の縮小、一部路線の変更、土砂崩壊の防止などの留意事項を条件に、一転して建設が再開され、1979年に全線開通しました。~2019年10月の台風19号により、南アルプスは大雨に襲われ、林道は、山梨県、長野県側双方で大規模な崩壊や土石流によりズタズタになりました。そのうち長野県側は2020年に復旧しましたが、山梨県側は未だに復旧していません。不通になっている現地がどのような状況かを2023年10月に確認しました。(以下略)---引用記事には現在の写真も多数掲載されています。とうていすぐに修復できる状態ではないことは、一目瞭然です。南アルプススーパー林道の広河原~芦安間が2019年の台風19号によって寸断されたこと自体は、2年前に仙丈ケ岳に登った際に触れています。仙丈ケ岳 その1仙丈ケ岳 その2スーパー林道の山梨側が寸断されているため、北沢峠には長野県側の戸台からしか入ることができませんでした。北沢峠は、甲斐駒ヶ岳と仙丈ケ岳という南アルプス北部でも人気のある二つの山の登山口で、従前は名古屋関西方面からは戸台経由、関東方面からは広河原経由という住み分けがあったのですが、戸台からしか入山不可能という状況のなってしまったため、夏の土曜日早朝は想像を絶する大混雑になっていました。それから2年経ち、現在どういう状況かは把握していなかったのですが、たまたまフェイスブックの登山系のグループに、ある方がこのルートのことを書いておられて、それで現状を知りました。昨年10月にこのルートを確認したという上記引用記事と、何も変わっていない状況です。個人的には、南アルプススーパー林道の広河原~北沢峠間は、何度もお世話になった道です。南アルプスで初めて登った山が仙丈ケ岳(1992年)で、広河原から北沢峠まで、往復しました。確か往復とも徒歩だったと思います。それ以来、仙丈ケ岳は悪天候での途中撤退を含めて合計4回(うち1回は野呂川出会い→両俣小屋→仙塩尾根→仙丈ケ岳→北沢峠というコース)、甲斐駒ヶ岳2回、塩見岳から熊の平→三峰岳→仙塩尾根→両俣小屋→野呂川出会という下山ルート1回、合計すると6往復半(漏れがあるかも・・・・・)、広河原-北沢峠間あるいは途中の野呂川出会まで通っています。歩いたのが半分、バスが半分かなあ。一番最後通ったのは、2013年秋に二度目の甲斐駒ヶ岳に登った時ではないかなあ。甲斐駒ヶ岳に登ってきたそんな、長らく使った南アルプススーパー林道(の山梨県側)ですが、客観的に見ると、復旧はほぼ絶望と思わざるを得ません。先に紹介したFacebookの記事によれば、現在でも上部からの落石がひっきりなしにある箇所もあるそうです。通過すること自体が危険な状態で、とてもじゃないけれど、復旧工事なんかできる状態ではないようです。その方は私見として、もう未来永劫開通することはないと思う、という見解でした。仮に工事が可能な状態になったとして、復旧にどれだけの期間と費用がかかるか、を考えれば「無理」という以外の結論は出てこないでしょう。1979年の開業から40年、よくもったところですが、2019年以前にも大雨の度に損壊カ所はあったようです。私も、直接落石の現場を見たことこそないものの、路上に落石が転がっているのは結構見た記憶があります。自然保護団体が当時主張した「地質が脆弱であるにもかかわらず、ずさんな事前調査および工事、計画の妥当性~特に、地質の脆弱性から、道路の崩壊は恒常的なものとなり、そのための道路の維持は地元への大きな負担になる」という指摘は、40年の時を経て完全に的中した、と言えそうです。樹林に関しては、そんなに大量に枯死しているとか、明らかにひどい破壊状況ではなかったようにも思いますが。散々お世話になった道路ですから、悪く言いたくありませんが、永続的に維持できる道路ではなかった、と言うのが現実だったのかなと思います。なお、両俣小屋のホームページによれば、北沢峠から野呂川出会まではバスは走りませんが徒歩では通れるようです。完全不通は野呂川出会から広河原までです。広河原と北沢峠の間を歩いて通った時の写真が多少あります。撮影場所の正確な記憶はありませんが、地形から判断して、すべて、完全不通となっている野呂川出会と広河原の間で撮影したものだと思います。2013年10月13日北沢峠から広河原へ(甲斐駒ヶ岳からの下山時)同上同上2007年7月仙丈ケ岳からの下山時2013年10月13日広河原のゲート前にてそして、笛を吹いた動画も残っています。同じく2013年10月13日。ケーナを吹いていたら、後ろにカラ類の混群が寄ってきました。
2024.09.02
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今月の鳥写真はたいしてありません。毎週東京港野鳥公園か葛西臨海公園に行って、ほとんど鳥は撮れずに笛練習だけして(東京港野鳥公園の場合は、笛練習は近くの城南島海浜公園など)帰ってきています。8月10日東京港野鳥公園キアシシギシギ・チドリの秋の渡りシーズンが始まっています。もっともよく見るシギですが。コチドリ。東京港野鳥公園内で繁殖したのでしょうか。親子らしき数羽がいました。他の多くのシギ・チドリは日本では旅鳥か冬鳥ですが、コチドリは数少ない夏鳥、つまり日本で繁殖して冬は南方に去るチドリです。8月18日三番瀬海浜公園東京港野鳥公園にシギが渡ってきているなら、ここにも絶対にいるだろうと思って行ってみました。またキアシシギメダイチドリメダイチドリメダイチドリ左ソリハシシギ、右キアシシギメダイチドリオオソリハシシギオオソリハシシギ腹の黒い3羽はダイゼン。手前で向こうを向いている2羽はミユビシギ中央ミユビシギ、左端がダイゼンシギ・チドリはいましたが、正直あまり多くはありませんでした。チュウシャクシギも来ているようですが、この日は見られませんでした。8月24日カワセミカワセミ正直に言いますと、ヤマセミがいるかなと思って行ったのです。しかし、ヤマセミには会えずにカワセミにあいました。(私が着く直前にヤマセミも出たようですが、出るまでずっと待つのは夕立の可能性と笛練習も考えて断念)というわけで、定番の鳥しか撮っていない8月でした。
2024.08.31
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兵庫・斎藤知事 最後までパワハラ認めず「百条委員会とか第三者委員会が判定するもの」兵庫県の斎藤元彦知事が30日午後、職員らへのパワハラの疑いなどをを告発する文書をめぐり、同県議会の調査特別委員会(百条委員会)に初めて出席し、証人尋問を受けた。証人尋問では、告発文書や職員らへのアンケートで数多く指摘されているパワハラ疑惑について回答した。昨年11月、県立考古学博物館を訪れた際、公用車を降りた後、約20メートル歩かされたことで職員を叱責したという疑いや、片山安孝・前副知事に物を投げつけた問題、さらに深夜に及ぶチャットでの公務指示の問題などについて厳しい質問が飛んだ。片山氏に投げつけられたものについて、質問者からは「5センチ角で厚さ1ミリ未満の付せん」であるとの証言が紹介された。しかし、斎藤知事は、手元のメモを見ながら「片山(前)副知事に向かってではなく、机に向かって投げられた。付せんは1枚の付せんです」と否定した。また斎藤知事は、投げた原因について、片山氏らの仕事上の伝達ミスがあったことを指摘した。「重要な仕事だったのに、伝達内容を忘れていたということに、残念だという思いがあったので注意した」とし、「付せんを手に持ちながら話を聞いていたが、大変残念な状況がある中で、思わず卓上に向けて放り投げた」と釈明。「パーティションかディスプレーが(投げた先に)あった。真正面に向けて投げたので、片山副知事に投げたわけではなくて、当たったわけでもない」とも訴えた。数々のパワハラ疑惑の指摘に対し、「不快に思われたのであればお詫びしたい」と、紋切り型の謝罪で押し切ろうとした斎藤知事。質問者から強い口調で「知事、ここはパワハラを認めて反省するということではないんですか?」と問い詰められても、「パワハラかどうかは私が判定するというより、百条委員会とか第三者委員会が判定するものだと思う。私は自分が行った行為で不快に思われた人がいるならお詫びしたいと思います」とかわした。結局、最後までパワハラを認めることはなかった。(以下略)---以前にも取り上げた話ですが、パワハラ人間は、自分がパワハラをしている、なんて自覚はないからこそパワハラに走るわけですが、それにしても狂っていると言わざるを得ません。「ものを投げつけた」という批判に対して、「副知事に対してではなく机に向かって投げた」という弁解が、弁解として成り立ち得ると思っているのですから、「語るに落ちた」としか言いようがありません。「仕事上の伝達ミス」に対して、誰かに向かって直接ものを投げつけなければ、「机に向かって」ものを投げつける姿を見せつけることがパワハラという認識がないのだから、この人の脳内では、何事もパワハラではないのでしょう。そのことに加えて、各所で贈答品を要求、せしめた贈答品はぜんぶ独り占めして自宅に持ち帰り、周囲に分けたりはしない、また、儀礼の範囲では済まないような高額な贈答品の要求(40万円の革ジャンなど、そこまで来たら贈賄要求のレベルでしょう)など、一言で言ってあまりに「俗物」の極みであること、阪神とオリックスの優勝パレードのための寄付が集まらず、地元の信用金庫に補助金を増額してその一部を寄付金としてキックバックされた疑惑(この実務を担った課長が自殺に追い込まれています)など、パワハラ以外にも「ごめんなさい」では済まないような問題がいくつもあります。にもかかわらず、知事は辞任をかたくなに拒否しているのが現状です。斎藤知事の任期は来年7月ということです。これから更に1年近く、その地位にしがみつき続けるのでしょうか。もはや知事の求心力など無きに等しく、政治的には死に体ですが、それでも知事という地位に居座り続けることが、そんなに大事なのですね。そして、斎藤知事は自民党と維新の会の推薦で当選したわけですが、自民党は元々一枚岩で斎藤を支援したわけではないこともありますが、早々に「反斎藤」な舵を切って百条委員会の設置など斎藤を追及していますが、維新はこの期に及んでなお、斎藤擁護の姿勢です。大阪以外で初めて推薦知事が当選したのが斎藤だからでしょう。それに、はっきり言ってしまえば、維新の馬場とか足立を見ていると、同じ穴の狢というか、パワハラ体質にどっぷり漬かっているから、斎藤知事の振る舞いが悪い、という認識にも欠けているのではないかと思います。知事を強制的にクビにする手段は、リコール(解職請求)か不信任決議の可決しかありません。しかし、いずれも敷居は極度に高いです。リコールに必要な署名数は、兵庫県の有権者数は約450万人なので、約67万筆になります。そもそも知事選の投票率が41%しかなかった中で、住所・氏名・生年月日まで記載して捺印も必要という時点で、その署名に応じる人を67万人集めるのは、どう考えても無理と考えざるを得ません。そして、兵庫県議会は斎藤知事を追及しているものの、不信任案を可決するには、未だに知事擁護の維新が反対することを前提に考えると、その他の会派の全員が賛成することが必要です。しかし、不信任案に対して、知事は議会の解散で対抗することが可能です。もちろん、議会が解散されても、選挙後の新しい議会で再度不信任案が可決されれば知事は今度こそ解職されるわけですが、県議会議員が余計な時期に選挙になることを好むとは思えないので、これも期待薄です。結局、この最低最悪な知事が任期満了まで居座り続けることを阻む手段は、事実上ない、ということになります。したがって、県政の混乱はあと1年間続く、ということになるのでしょう、残念ながら。
2024.08.30
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ウクライナ、ロシア国境で新たな越境攻撃 地元知事「状況は厳しい」ロシア南西部ベルゴロド州のグラトコフ知事は27日、ウクライナ軍の地上部隊が同州への侵入を試みているとSNSに投稿した。ロシアの複数の軍事ブロガーは同日朝、ウクライナ国境沿いの複数の国境検問所が攻撃を受けたと伝えている。グラトコフ氏は「ロシア国防省によると、国境の状況は厳しいままだが統制されている」とし、冷静な対応を呼びかけた。ただ、同省はまだ状況についての発表を行っていない。軍事ブロガーの情報では、ウクライナ軍の部隊は60~500人規模で幅がある。装甲車も参加しているという。一方で、「撃退した」との情報もある。ウクライナ軍は今月6日、ベルゴロド州に隣接するクルスク州での越境攻撃を開始。ウクライナのゼレンスキー大統領は19日、同州の集落92カ所と1250平方キロ超を占領したとしていた。---ロシアのウクライナ侵攻以来、空爆等のわずかな例外を除いて、戦場はひたすらウクライナ領内であり続けました。しかし、ここにきてウクライナ側はまさかのロシア領内への逆侵攻を図り、ロシア西部のクルスク州で1200平方キロを占領したと報じられています。1200平方キロは日本で言えば沖縄本島と同じくらいの面積ですから、かなり広大ですが、ただロシア軍が占領しているウクライナの領土はどのくらいか。ウクライナ側の反抗作戦が開始される前の時点では、開戦前からロシアの傀儡政権が支配していた地域も含めれば、国土の2割、12万5千平方キロというので、今回ウクライナが占領したロシア領の100倍の面積です。その後ハリコフ州などでかなりの領土を奪回してはいるものの、依然としてウクライナが占領したロシア領に数十倍の面積のウクライナ領を、ロシアは占領しています。明らかにロシアの侵略によって始まった戦争なので、ウクライナがロシアに逆侵攻することの、道義的な是非は言っても仕方がないでしょう。ロシアに一方的に攻め込まれたままで、戦場はただただウクライナ領内だけであるべきだとは、必ずしも思いません。ただ、戦術、戦略面で見たら果たしてどうでしょうか。ロシア側の虚を突いて領内に攻め込んだウクライナの作戦は、なかなか見事だったと思います。これによって、ロシア軍は自国領内をがら空きにして、全神経をウクライナ領内だけに注ぐことはできなくなります。自国領内に大兵力を貼り付けなければならず、その分ウクライナに攻め込む兵力は減ります。でも、逆もまた真なりです。ウクライナ軍もまた、自国領内に攻め込んだロシア軍と戦う貴重な戦力を、ロシアへの逆侵攻に割いてしまっています。ロシア軍は敗戦を重ね、戦車などの兵器を相当に失ってはいるものの、それでも兵力はいまだウクライナ軍より圧倒的に多いはずです。私が思うに、ウクライナにとってベストな作戦は、ロシアの虚を突いてロシア領に逆侵攻し、その戦果を大々的に宣伝する。そして、ロシア軍が反撃に出るころには、サッサと撤退してしまう、というやり方だったのではないかと思います。いわゆるヒットアンドアウェイです。ウクライナ軍がこれまでもミサイルやドローンによってロシア領内に不意打ちを喰らわせた、それの陸上戦闘版です。撤退してしまえば、その兵力はそのままウクライナ領内での防戦にまわせるけれど、ロシア側は敵が撤退したからと言って、奪還した地域の兵力を安心して空っぽにはできないでしょう。次にまたいつ不意打ちで逆侵攻を喰らうか分からないし、体面上問題もあるでしょうから、少なからぬ兵力を奪還した領土に張り付けざるを得なくなります。このようにすれば、ロシア側だけに一方的に兵力の分散を強いることができたでしょう。しかし、おそらくウクライナ側も体面上の問題で、「ロシア領土に逆侵攻して占領地拡大中」という目に見える果実を欲してしまったのでしょう。しかしそれは、判断ミスではなかったかと私は思います。人口と国力の差を考えれば、ウクライナは信じられないくらいロシアに対して善戦していますが、冷静に見ると、ウクライナがロシアに対して大規模な反撃に成功したのは、緒戦の時点で北部に侵攻したロシア軍を撃退した時(ロシア軍は様々な戦術的失態を重ねた)以外は、ロシア側の虚を突いた、つまり戦略的奇襲に成功した時だけです。2022年9月にハリコフ州を大規模に奪回した時がそうでした。ロシア側が反撃の準備を整えると、それ以上ウクライナが一方的に占領地を奪還することはできず、一進一退の状況が現在まで続いています。そして、今回のロシア領への逆侵攻も、占領した地域のほとんどは越境攻撃開始から最初の1週間で掌握し、その後、攻撃のスピードは落ちていると指摘されています。つまり、ロシア軍が反撃する準備が整わないうちに占領地を拡大したものの、ロシア軍が態勢を整えて防備を固めると、もうそれ以上勝つことはできないわけです。この手の話は、過去の戦史に掃いて捨てるほどの例があります。緒戦期に、相手の態勢が整わないうちに奇襲によって一方的に勝利を重ねるものの、やがて敵が態勢を整えると、もうそれ以上は勝てない、それなのに緒戦の一方的勝利の幻想から、退き時を逃して回復不能の敗北を喫する、太平洋戦争時の日本が、丸ごとその状態だったわけだし、もっと小さな戦場単位でも多く例があります。インパール作戦とか、スターリングラードの戦いとか。ロシアの国力も軍事力は無限ではありませんが、ウクライナの国力、軍事力は、そのロシアより少ない、これは動かしがたい現実です。兵器や弾薬は欧米諸国からの支援を受けられても、兵隊の頭数は自前で揃えるしかありません。長く続く激しい消耗戦で、ウクライナ軍の兵士が疲弊の限界に達しています。また、欧米諸国からの軍事援助を受けて以降、ウクライナ側にも作戦ミスがあり、貴重な西側兵器を、無謀な作戦ですり潰してしまう事態もあったようです。ウクライナがロシアと同じ土俵、同じ戦い方でがっぷり四つに組んでしまったら、先に国力、軍事力が尽きるのは、どう考えてもウクライナです。このままいくと、どこかの時点で破断界に至り、急激に壊滅的な事態に陥るのではないか、という懸念を抱かざるを得ません。
2024.08.28
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土曜日ですが、神奈川県の宮ヶ瀬湖の上流にある早戸川林道行ってきました。宮ヶ瀬湖自体はバイクのツーリングスポットとして知られているそうですが、そのためではなく、鳥撮影が目的です。早戸川林道入口ここにゲートがあり、一般車はこの先に入ることはできません。なのでここでスクーターを止めて、徒歩で進みます。ゲートのところの橋から下流側を望みます。この先に宮ヶ瀬湖があります。一般車は立入禁止ですが、林道は舗装されて立派です。実は、早戸川林道が探鳥スポットだというのは知っていたのですが、夏のこの時期に何かいるとはあまり期待ですに行ったのですが、この橋のに別のバードウオッチャーさんがおられて、ある鳥が見られるそうです。ただし、残念ながら私は撮影できませんでした。私が着く直前に見られたそうですが。惜しーーー。なお、早戸川林道の名前で、先程の林道入口の橋は早戸川にかかっていますが、この橋は宮ヶ瀬湖に注ぐ別の川、金沢川にかかっているようです。橋から下流側を望む。樹間の向こうは、ちょっとしか見えませんが宮ヶ瀬湖です。上流側。待っても目指す鳥が出てこないので、林道の更に奥に進みます。ここからは金沢林道に名前が変わります。しかし結局ここでも鳥には振られました。8月も下旬だし、そんなに標高も高くないのですが、アジサイがまだ咲いていました。橋のところには、さらに数人バードウオッチャーが集まってきましたが、どうも目指す鳥は出てきません。そのうちに私は夕立が気になってきました。実は一瞬雨がぱらつくときもあったし(すぐやみましたが)、遠方で雷鳴が聞こえたような気もしました。他の皆さんは車ですが、私はスクーターだし。なので途中で引き返し、林道のゲート近くで、お昼+例によって笛吹き大会挙行です。ただ、この辺り、標高が高いわけではなく、かなり暑く、汗びっしょりです。顔とケーナの吹口が汗で濡れると、滑ってしまい、そうなると3オクターブが全然出なくなるのです。最初の2〜3曲はいいのですが、その後は3オクターブが辛い練習になってしまいました。復路、せっかくなので宮ケ瀬湖畔園地に寄ってみました。バイクがいっぱい並んでいます。駐車場は何箇所かありますが、二輪車が止められるのはここだけみたいです。二輪の駐車料金は100円でした。宮ケ瀬湖。長い吊り橋がかかっていますが。どうせなら歩いてみたいところでしたが、雨雲レーダーを見ると、この時間、すでに関東内陸の各所に雨雲が湧いており、神奈川県内も、丹沢の奥の方に雨雲が湧いているようでした。なので、ササッと見て、すぐ帰路に。往路は町田の方を経由して、グーグルマップの案内するよく分からないルート(笑)を通りましたが、復路は、内陸寄りだと夕立がより近そうなので、往路よりは海に近い国道246号で帰りました。距離も遠いし、渋滞も何回も遭遇したのですが、雷雨に遭うよりはましです。が、結局雨が降らず、というか帰宅後に雨雲レーダーの履歴を見たら、往路の道でも雨雲には遭遇しなかったようです。ああ、それならもう少し粘ってもよかったかな。鳥に関しては成果なしでした。
2024.08.26
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令和の米騒動「売り場にコメがない!」品薄・高騰…原因&今後は?各地のスーパーで、お米の品薄状態が続いています。『令和の米騒動』という声も出ています。なぜ、売り場にお米がないのでしょうか。今、お米不足が深刻化しています。「スーパーを4軒回ってコメがない。コメが売り場にない状況を初めて見た」「2週間くらい前から、どこにもコメが売ってない。もう今夜の分しかなくて絶望」「コメ売り場に、袋麺や切り餅がたくさん置かれている」各地のスーパーでは、棚が空になったり、お米の入荷が不安定のため、購入制限をかけている店舗も出ています。~そして、販売している国産米は、5キロと2キロのみです。お米不足により、10キロ入りの国産米を仕入れることは難しいということです。さらに販売価格にも影響が出ています。2024年3月は5キロ約1500円でしたが、今は1000円値上げして約2500円です。~なぜ、お米が品薄になっているのでしょうか?1つ目に考えられる原因は『猛暑と水不足』です。2023年、記録的な高温や少雨の影響によって、米どころの新潟や秋田で不作となりました。収穫量を示す作況指数は、全国平均では101と『平年並み』でしたが、新潟県や秋田県では、『やや不良』となりました。「とくにコシヒカリは暑さに弱い。コメの中に養分をため込む時に、暑すぎて稲そのものが弱ってしまった」といいます。考えられる原因2つ目は『政府による生産調整』です。農水省は、人口減少により、毎年10万トンペースで国内消費が減ることを前提に、主食用の米の生産をコントロールしています。2021年と2022年のお米の民間在庫量は、コロナでお米の消費が低迷したため、適正水準を上回りました。2020年から2023年までの3年間で60万トン以上減少し、2023年は、661万トンで過去最少でした。一方で、消費量は、2022年から2023年にかけて、702万トンと、10年ぶりに増加しました。コメ不足の原因3つ目は『訪日外国人の増加』です。農水省の試算では、2024年6月までの1年間で、訪日外国人が約3万トンお米の消費を押し上げたということです。原因4つ目は『コメの“お買い得感”』です。日本では小麦はほとんど輸入なので、ロシアによる、小麦の産地であるウクライナへの侵攻や円安の影響で、パンや麺類など小麦製品の価格が上がりました。一方、お米は国内生産なので、パンや麺類と比べると価格の上昇が緩やかでした。こういったお米の割安感が、お米の消費を押し上げたとみられます。さらに、直近の原因としては『南海トラフ地震臨時情報』の発表です。8月8日~15日、南海トラフ地震の想定震源域で大規模地震への注意が呼びかけられました。(手下略)---何日か前、facebookで友人が「スーパーに行ったら米がない」と書いていて、そんな事態になっていることを知りました。そうしたら、一昨日、実家の母から電話がかかってきて、やはり米を買いに行ったらスーパーに在庫がなかったと言っています。母は、5kgの未開封の米を開けた時に次の米を買いに行くそうです。だから、まだ開封したばかりの5kgの米が丸々残っているので、すぐにコメがなくなる心配はなさそうです。一方我が家はというと、5kgの米2袋+米櫃に2~3kgの米があります。3人家族で、1か月くらいはもつでしょう。かつて、1993年に「平成の米騒動」騒ぎがありましたが、あの年は、観測史上唯一「梅雨明けがなかった年」でした。長雨と冷夏で、特にコメどころの東北地方で壊滅的な不作となりました。それに比べると、今回は、昨年が外見的には作柄指数101で平年並みのように見えながら、内実は目に見えない不作だったことが、米の端境期の今の時期に響いてきているようです。別の記事によると、作柄指数の判定基準となる玄米では平年並みだったものの、精米したら例年より歩留まりが悪かった、という指摘もあるそうです。直接的には、南海トラフ地震の巨大地震注意に加えて、東京周辺では先日の台風7号が当初直撃する予報だったため(結果的には少しそれて大きな被害はありませんでしたが)少なからず買いだめが生じたことがとどめを刺したように思います。ただ、コメ不足が表面化したのは8月になってからですが、関係者は速い段階でその事態を予想していたようです。2024年6月26日逼迫する米需給 現状と24年産の展望は2か月前に、すでにこのような記事が出ていました。4月末の段階で、すでに「過去に例のない在庫量(の少なさ)」だったそうです。この事態になって、初めてそんな記事に気が付きましたけど。ただ、今年に関しては1993年の時のような事態にはならないで済みそうです。昨年の作柄が「目に見えない不作だった」と言っても、1993年の壊滅的な状況とは比較にならないからです。1993年の作柄は全国平均で73、特に北海道40、青森28、岩手30、宮城37という惨状でしたが、一説には、この数字ですら「かさ上げされていたのではないか」ともいわれます。今年のコメの作柄は平年並みであり、あと1か月か1か月半もすれば新米が出荷されます。それで当座の米不足は解消するでしょう。ただし、今年の作柄についても、この記事によると、大雨被害を受けた秋田と山形や、日照不足があった新潟などは、作柄は「平年並」とされているものの、実際にはこれらの影響はある、ということです。ということは、やはり昨年同様の「見えない不作」で、来年の今頃にまた米不足が生じる可能性は否定できません。お米に限ったことではありませんが、現代社会は様々な生活必需品の生産や流通が、文字どおり「自転車操業」状態であり、どこかで一つ歯車が狂うだけで、簡単に品不足が起こってしまいます。なくてもあまり困らないものなら「仕方がないね」で済みますが、米となると、われわれ日本人にとっては、なくてはならない主食であり、それが足りくなるのは、「仕方がないね」で済ませられる話ではありません。
2024.08.24
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日本共産党を除籍・解雇されました私・神谷貴行は、2024年8月6日付で日本共産党から除籍されました。また、本日(2024年8月16日)付で日本共産党福岡県委員会から解雇されました。これらについてはいずれも到底承服できないものです。詳しくはまた別の機会に書きたいと思います。今後のことは弁護士と相談して決めたいと思っていますが、もし訴訟になったらぜひみなさんに応援していただければ幸いです。---またまた残念過ぎる事態が生じてしまいました。松竹伸幸さんの除名に端を発した騒動で、漫画評・書評サイト「紙屋研究所」を主宰する紙屋高雪こと神谷貴行さんが、共産党を除籍され、党の専従職員を解雇された、ということです。正直なところ、私は松竹氏とは違って、神谷氏の主義主張は詳細に知りません。「紙屋研究所」の漫画評論は時々読んでいましたが、共産党員という認識はほとんどなかったので。安倍元首相のモリカケ疑惑の際、「ご飯論法」という言葉の発案者が紙屋氏であることを知って読み始めたものの、予想に反してそこに党派性を感じさせるものはほとんどありませんでした。多分、福岡市長選に出馬された際に松竹氏が応援していたのを見るまでは、党の専従職員ということを認識していなかったように思います。というわけで、神谷氏の主義主張については、基本的には「松竹氏に近いもの」という以上の認識はありません。ただ、その主張が松竹氏除名前と後で変わった、ということはないはずです。除名された松竹氏と近いから、そして松竹氏の除名に公然と異を唱えたかたら党から放逐されたのは明らかです。松竹氏のときと同じことが繰り返されたわけです。心が寒くならざるを得ません。広範な市民と野党の共闘で自民党を追い詰めるべきときに、肝心の足下では、広範などころか狭い違いで(もちろん、党中央の認識では重大な違いなのでしょうが、少なくとも今共産党が共闘対象としている立憲民主党との差ほどには大きくないでしょう)異論を党外に放逐する、そんなことで支持を拡大できるのだろうか、と思ってしまいます。そしてもう一点、松竹氏は除名の取消を求めて裁判に訴えています。私は除名に反対だし、提訴にも賛同しますが、純粋に勝ち目という意味では厳しいのではないかと思います。何故なら、松竹氏は党専従職員をかなり以前に退職しており、除名の時点では一党員に過ぎなかったからです。雇用関係はなく、単に党費を払うだけの立場では、誰を党員として受け入れ、誰を排除するかは、党の側の主体的判断が重んじられるのではないか、私は法律の専門家ではないので、自信があるわけではありませんが、何となくそう思います。しかし、神谷氏の場合は違います。現に党の専従職員だった方ですから、雇用関係があります。こいつは気に入らないから放逐してやる、ではブラック企業と変わらない。もちろん、ものは程度もがあります。党専従職員が「安倍万歳、共産党解体」と叫び始めたら、そりゃ除名も解雇もやむを得なかろうと思います。でも、そのくらいの客観的な妥当性がなくて、このような解雇が通るのか、私には極めて疑問です。神谷氏が裁判に訴えるかどうかは分かりませんが、その場合は結果に大いに注目します。それでも、以前に共産党に二度と票は投じない、と宣言したのは早々に取り消し、熱意低めながら、今後も2票に一票くらいは票は投じると思いますけどね。少なくとも自民、維新、国民民主よりはマシですし、あのような立ち位置の左派政党は必要である、というのが私の信念ですから。それだけに、支持に値する正当であってほしい、と願わざるを得ません。
2024.08.22
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【速報】岸田総理再選不出馬表明後初の調査では、自民党支持率・内閣支持率ともに回復!2024年8月選挙ドットコムリサーチ選挙ドットコムはJX通信社と共同で、8月17日、18日に日本国内の18歳以上の方を対象としたハイブリッド調査(電話調査とインターネット調査を同じ設問で同時に行う方式)による全国意識調査を実施しました。~「あなたは普段、どの政党を支持していますか?」と聞いた結果が上の図です。自民党の岸田文雄総理が来月予定されている次期総裁選への不出馬を表明してから初めて行った調査で、同政党の支持率が上がりました。自民党は電話調査で約4ポイント増で3割弱まで回復し、過去1年間で最も高い割合となりました。ネット調査でも約1ポイント増でした。日本共産党も比較的大きな変動があり、ネット調査は前月と同水準だった一方で、電話調査で4ポイント落としました。一方、先月の電話調査で6月比で4ポイント下落した立憲民主党は1ポイント増で少し持ち直しました。---岸田がどうしようもないのは事実ながら、どうしようもないのは岸田だけではありません。裏金問題、秘書給与詐取、パパ活不倫議員、カジノ汚職、他にも問題は多々ありますが、それらは岸田の責に帰す問題ではなく自民党全体の責に帰す問題のはずです。それなのに、岸田が次期総裁選不出馬を表明しただけで、まだ次に誰が首相になるかも分からない時点で、もう自民党の支持率が上昇し始めているそうです。岸田さえ退陣すれば、自民党の多くの不祥事や失政は全部不問ですか、そうですか。今からこれでは、今後、自民党総裁選の話題が新聞、テレビで垂れ流し、新しい首相が選ばれたらどうなるか。支持率は爆上がりし、間髪を入れずに衆院解散して、その度に自民党の支持率は爆上がりして、衆院選は自民党大勝利。3年前の選挙と同じことの繰り返しです。そう、有権者は、自民党の不祥事、失政を、首相が退陣表明しただけで、すぐに忘れるのです。その代わり、民主党の不祥事、失政は10年経っても決して忘れませんが(笑)もっとも、選挙後次第に新首相のメッキがはがれて、国政の課題にも有効な対策が打てず、支持率は急降下するでしょうけど。しかしまた3~4年後、その次の衆院選前にまた首相が退陣表明し、以下振出しに戻る。同じことの繰り返しで、就任直後、瞬間風速的に上がった支持率の力だけで政権を握り続ける自民党、そのような見え透いた策略に何度も引っかかる有権者、そしてその間着実に悪化し続ける日本の政治経済社会、きっと日本が衰退しきって地獄に転落するまで、こうやって自民党政権は安泰なのでしょう。まったく、素晴らしすぎて、涙が出ます。まだ、そうなると決まったわけではないのですが、悲しいかなそれ以外の未来図が私の頭には思い浮かびません。悲観的過ぎるのかな。
2024.08.20
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先に小型二輪AT限定から普通二輪に限定解除したという話を書きましたが、教習所で技能検定に通ったところまでしか書いていませんでした。その後、無事に免許試験場に行って免許の書き換えが完了しました。ただ、限定解除って、免許証が新しくなるわけではないんですね。裏面にこの印字をして終わりなんですね。おもて面には「普通二輪は小型二輪のAT車に限る」と記載されたままなので、裏を見ないと限定解除したことは分かりません。北海道に行く前に卒検は通っていましたが、実際の免許書き換えは、平日でないとできない関係で、北海道旅行後になってしまいました。まあ、北海道でレンタルしたのは125ccのPCXだったので、小型AT限定免許で何も問題なかったわけですが。それにしても、6月半ばから教習所に通って、改めて通った日の気温を確認すると(東京・大手町)、6月中は最高気温は30度、7月も、猛暑日になったのは卒検のだけなのですが、卒検の時間帯は朝だったので、その時間帯にはまだ35度以上にはなっていなかったと思います。それでも、特に7月に入ってからは相当暑かったし、とくに卒検は強烈な暑さでした。しかしもし教習が7月下旬や8月にかかっていたら、相当辛かったでしょう。何しろ長袖長ズボン必須でプロテクター着用、出す速度もほぼ40km/h止まりですから。安全上仕方のないことではありますが、暑いときにはきついです。夏は、二輪免許を取るのに適した時期とは言えなさそうです。最初に小型AT限定の免許を取ったのは、2月から始めて5月半ばまでかかりましたが、気候的にはずっと楽でした。長袖は、普段もスクーターに乗るときは極力長袖を着るようにしていますが、今夏はさすがに耐え難く、今週先週などはTシャツ1枚で乗った日もあります。さて、それはそれとして、免許は限定なしの普通二輪になっても、愛車は変わらず110ccのDio110であるわけですが、本日その走行距離が1万kmに到達しました。1万kmピッタリのところで写真を撮りたかったのですが、あいにくと国道357号(湾岸道路)を走っている最中でした。実質高速道路みたいなバイパスですから、その途中でスクーターを止めることなどできるわけもなく、バイパスを降りたところでメーターを撮影したため、10,002kmという、ちょっと惜しい写真になってしまいました。しかし、たまたまその数日前、わが尊敬すべきかつての仲間(いや、今でも仲間なんですけど)である月刊「地平」の熊谷編集長は、先週末に愛車スティード400の走行距離が25万kmに達したとか。メーターは5万kmを指しているのですが、実際にはメーターは3周目の5万kmだそうです(驚)。25万km!!四輪車ですか?って思ってしまいます。それに比べりゃ、私などまだその25分の1ですから、全然たいしたことはありません。そういや、スティード400もDio110も、どちらもホンダ製です。メーカーが同じ、という以外何も共通点はありませんけど。私も25万kmを目指して、と言いたいところですが、400ccのミッションバイクと110ccのスクーターでは耐久性に相当の差があるでしょうから、Dio110で25万kmはおそらく不可能かもしれません。それに、せっかく普通二輪の免許を取ったので、来年の今頃には軽二輪に買い換えているかもしれません。まあ、これはまだ分かりませんが、来年5月で自賠責が切れるので、その前に更新するか買い換えるか、悩むことにします。そして、Dio110の燃費ですが、この後自宅近くで給油して、最初の給油から本日の給油まで、走行距離10,010kmで累計給油量が179.19L、累計燃費がリッター55.86kmとなっています。リッター60kmを超えることも時々ありますが、たたし毎回の燃費は「満タン」の量が毎回おそらく50ccか、下手をすると100ccくらい変わっていると思うので、参考程度にしかなりません。でも、さすがに1万km走っての累計燃費は、相当正確なものだと思います。カブ系列にはかなわないにしても、極めて燃費のよい部類の二輪ではないかと思います。
2024.08.18
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「巨大地震注意」呼びかけ終了後も日ごろから地震への備えを 気象庁南海トラフの臨時情報「巨大地震注意」について、特別な注意の呼び掛けが終了したことを受けて気象庁などが会見を開き、特別の防災対応が終了した後も日頃から地震に備えるよう強調しました。8日に発表された南海トラフ臨時情報「巨大地震注意」について、想定震源域で特段の変化はないとして政府は15日の午後5時に特別な注意の呼び掛けを終了しました。これを受けて気象庁などが会見を開き、8日の地震発生以降、南海トラフの想定震源域で地殻変動などに特段の変化は見られていないと改めて説明しました。その一方で、「日本国内では、いつどこで強い揺れを伴う地震が発生してもおかしくない」として、政府による特別な注意の呼び掛けが終了した後も日頃から地震への備えを行うように強調しました。---8月8日に宮崎県沖で起きた地震を機に出された「巨大地震注意」の臨時情報が15日に終了しました。予想どおり、というのもなんですが、この間特に何事も起きませんでした。客観的に考えて、この1週間で巨大地震の蛾起こる可能性がものすごく高かったか、というと、そうではないだろうと思います。ただし、ではこの臨時情報がまったく無意味なものだったかというと、そんなことはないだろうと私は思います。先の記事にも書きましたが、南海トラフ周辺では100~150年に1回、大きな被害をもたらす巨大地震、超巨大地震が繰り返されてきました。具体的には1944/46年 昭和東南海地震/昭和南海地震1854年 安政地震(東海地震と南海地震が約30時間の時間差で発生)1707年 宝永地震1605年 慶長地震(南海トラフ地震ではないとする説もあり)1498年 明応地震1361年 正平地震と、なります。この間、もっとも発生間隔が短かったのは安政地震から昭和と東南海地震の間の約90年であり、最も発生間隔が長かったのは宝永地震から安政地震までの147年です。とすれば、次の南海地震、東南海地震も、前回昭和東南海/南海地震の90年から150年後である2035年頃から2095年頃までの間に起こる可能性が高いだろう、と考えることができます。つまり、「臨時情報」は終わったけれど、実際に地震が起きる可能性は、これから上がることはあっても下がることはないだろう、ということです。そして、南海トラフ地震はいつか「必ず」起こるので、最終的な発生確率は100%、ということになります。ただ、そうはいっても「いつ」起こるかを断定することは、現在の人類の科学力では不可能です。そして、これから60年間にわたって平常活動を犠牲にして地震を警戒し続けることはできないのが現実です。そういう意味では、南海トラフ地震に対して「備える」ことは、現実的には不可能です。それでも、平常活動を犠牲にしない範囲では、今後半永続的に備えをしていくしかないのだろうと思います。
2024.08.17
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前回の続きです。岩場をどんどん登っていきます。オンタデ。富士山、御嶽山など火山に多い高山植物です。そういえば八ヶ岳も火山でした。ヤマハハコ(中央の白い花)ウラジロナナカマド。もう花は散って実がなっています。キツイ登りが続きます。トウヤクリンドウ。まだ咲いていません。山頂までもう少しです。天狗岳(東天狗)山頂に到着。こちらが西天狗。行きたかったけど、というか行こうとしたけど時間の余裕がなく断念しました。行っていたら帰りのバスに間に合っていなかったです。硫黄岳の山頂がかすかに見えただけで、赤岳他はガスの中でした。早朝なら見えたはずですが。天狗岳から見た蓼科山と北横岳。下山は速い・・・・・のが通例なのですが、岩場続きであまりスピードが出ません。例によって笛吹きタイム、なのですが、時間が遅れ気味で帰りのバスが怪しくなってきたので、ケーナとサンポーニャ1曲ずつ、合計5~6分吹いてそそくさと出発。黒百合平に到着。ここまで、下山の標準タイムが1時間なのに、わずか5~6分の笛吹きタイム込みとはいえ、1時間半もかかってしまい、やや切羽詰まってきました。そのため、ここから渋の湯までの下りは写真をまったく撮らず、ひたすらすっ飛ばして下山しました。おかげさまで・・・・・、途中で転倒してしまいました。右足をちょっと捻挫しましたが、歩くのに支障はなく、そのまま更に1時間ほど下山を続けました。上部は岩が濡れていたので、転倒後しばらくは歩速を落としましたが、下っていくと紙面が乾燥してきたので、再び猛ダッシュで下山。渋の湯に到着。下山標準タイム1時間45分のところ、1時間半ですっ飛ばしてきました。おかげで、茅野駅行きの最終バスが14時55分発ですが、14時30分頃到着しました。汗ダラダラだし、あと15分早くついていれば渋の湯でお風呂に入りたかったのですが、バスの出発まで25分では、ちょっとね。あきらめて、渋の湯でのみ物だけ買って帰路につきました。それにしても、あれだけすっ飛ばしても標準タイムより15分早いだけとはね。体力落ちてるなあ。渋の湯で缶ジュースを飲んだものの、それでは足りず、茅野駅でこんなのを売っていたので飲みました。野口果樹園のリンゴジュース。これが美味しかったです。それにしても、夜行日帰りで麦草峠から天狗岳は余裕と思っていましたが、最後はギリギリになってしまいました。やはり年齢相応に脚力が落ちてきています。あまり無理のない行程にしないといけないようです。(って、自分では無理のない行程にしたつもりだったんですけどね)
2024.08.15
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「仕方がない」広島地元で驚きの声 岸田総理 自民党総裁選不出馬を表明岸田総理大臣が来月の自民党総裁選に出馬しない意向を明らかにしました。広島県民「辞められるんですか?印象自体があまり…これをしたというのがあまりないですよね」「景気のこととか減税のこととかちょっとなと思うところもあったので 仕方がないと思いました。残念ですけど。」岸田総理はさきほどから官邸で行われている会見で来月の自民党総裁選挙に出馬しない意向を明らかにしました。「自民党が変わることを示す最も分かりやすい最初の一歩は私が身を引くこと」だと説明しました。岸田総理は来月の総裁選で次の総裁が選出されると退任することとなり、「総裁選で選ばれた新たなリーダーを一兵卒として支える」と述べました。---岸田が首相を降りること自体は、そりゃ当然そうなるだろう、という以外の感想はありません。ただ、菅前首相が辞任した時も、やはり支持率が低迷して次期総裁選出馬を断念しているので、この経過は既視感があまりに強いというしかありません。菅首相退陣の際は、首相が交代して「ご祝儀相場」で支持率が上がった間に選挙をやって、自民党が勝ったから、今の岸田政権があるわけです。次に誰が首相になるかは分かりませんが、次期首相も当然先例に従って支持率が高い間に選挙に打って出ることを考えるでしょうね。どのみち衆院の任期は来年10月までしかないし、いずれ化けの皮がはがれて支持率は落ちてくるのは確実ですから。そこでまたまた自民党が勝てば、本当に歴史は繰り返す、です。「自民党が変わることを示す最も分かりやすい最初の一歩は私が身を引くこと」だそうですが、はっきり言って岸田が辞めて自民党が変わるなんて、幻想もいいところです。だって、裏金騒動、架空公設秘書事件、違法寄付、自民党の数々の不祥事の多くは、岸田あるいは岸田派とは直接的にはあまり関係はありません。自民党という政党の歴史と体質に根差す問題です。当然、岸田が退陣すればその種の不祥事がなくなるはずがないからです。それでも、こういう言葉にコロッと騙される人は少なくありません。新しい首相の下で自民党が次の選挙で勝ち、柳の下の二匹目のどじょうを手に入れるようなら、日本の政治は破滅的だと思わざるを得ません。しかも、残念ながらそうなる可能性は多々あるように思えます。もちろん、そうならないことを期待しますが、期待しても報われないことがあまりに多く、政治になかを期待すること自体に億劫になっている自分がいるのが現実です。
2024.08.14
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三連休ですが、地震があったり巨大地震注意なんてものが出たりで、いろいろ騒がしく、どうしたものかと思いましたが、結局山に行きました。毎日あるぺん号で八ヶ岳の麦草峠まで行き、そこから天狗岳に登って渋の湯に下山しました。国道299号線、標高2127m、毎日あるぺん号で早朝に到着しました。麦草ヒュッテ。6年ほど前にここに宿泊したこともあります。眼前に茶臼山がそびえていますが、向かうのはそちらではなく、反対側です。麦草ヒュッテと蓼科山周囲は亜高山帯針葉樹林です。この鳥がなんだか、撮影しているときは分からなかったのですが(このアングルでは、さすがにね)、後で色々考えると、白黒模様で胸か腹が赤っぽい、というところから、ノビタキのオスのようです。高見石小屋脇の高見石より。遠方左手は志賀高原の山々、四阿山、浅間山。白駒池が見えます。中山より。蓼科山と茶臼山・縞枯山・北横岳が良く見えます。手前は、縞枯山の名前の由来でもあるモミ属の針葉樹(シラビソとオオシラビソ)の縞枯現象も見えます。ハイマツみたいに見えますが、ハイマツにあらず、ハイコメツガ(笑)でした。コメツガがおそらく冬季の強風と多雪のため、伏せた樹形になっています。「ハイコメツガ」の隣には本物(?)のハイマツも生えていました。写真の右側から左側へと常時強風が吹いているので、このように左側だけに枝が伸びています。北側から南方向を撮影しているので、右側は西、左側は東になります。西からの風、つまり偏西風の威力でこうなっているわけです。奥秩父の山。金峰山の五丈岩が見えます。縞枯れ現象に中に入ると、こんな感じです。モミ属のシラビソ、オオシラビソが一斉に枯死した、その下では次の世代の稚樹がワーッと育っているわけです。この日の目的地天狗岳。左側が東天狗、右側が西天狗。東天狗岳。冬は何度も登っていいるのですが、無雪期は、多分20世紀の終わりに一度登ったきりです。あれ、入門の山じゃなかったっけ、こんなに岩場連続だったっけ、ひょっとして、アイゼンピッケルフル装備の冬季の方が、登るの簡単じゃね?なんて思ってしまいました。岩場が続きます。というわけで、次回に続きます。
2024.08.12
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北海道に行った翌週、先週日曜日は超手軽な山登りに行ってきました。高尾山の奥に連なる陣馬山です。陣馬山自体手軽な山ですが、なんと標高690mの和田峠まで行って、そこかに855mの陣馬山に登るというお手軽ぶりです。ただし・・・・・例によって、これで来ました。和田峠までの登りはヘアピンカーブ連続、2車線はなく、1車線のみの細い道です。舗装はされていますが、その細い道にロードバイクと徒歩の登山者が多く(ここまでバスは来ません)、そしてかなりの斜度なので、スピードは出せません。駐車場代はバイクは500円。途中で笛吹き大会決行。多分40分くらい吹いたのですが、途中5人くらいしか通りかかっていません。この道、意外に通る人が少ないかも。笛を多分40分くらい吹いていたのですが、それを除けば実質20分くらいで山頂に到着。陣馬山山頂。854.8m和田峠からの標高差はわずかに165m。そりゃ20分程度で着くわけです。樹林帯の日陰は涼しかったですが、ここはさすがに暑いです。連行峰、1000mを超える山です。標高差165mを登って山頂に到着、本日の山登りはここまで・・・・・とはなりませんね、さすがに。いくら何でも歩き足りないので、少し先に進みます。何とかギボウシ陣馬山から先に進むと、どんどん下って行きます。この先の景信山も高尾山も、陣馬山より低いので当然ですが、そのまま高尾まで縦走するわけにはいきません。車で(二輪だけど)山に登る際の欠点ですね。登山口に戻らなければなりません。なので、この辺りで引き返しました。往路は東京都側から行きましたが、和田峠からの下りは神奈川県側に下りました。こっちの方が道幅がだいぶ広く(それでも2車線はありませんが)歩行者や自転車も少なかったので(歩行者はゼロ、自転車は1台か2台追い越しただけ)、東京都側よりははるかに走りやすかったです。ヘアピンカーブの連続なのは思児でしたが。復路は相模湖に寄って帰りました。写真は撮っていませんが、甲州街道の大垂水峠も、結構ヘアピンカーブの連続でした。
2024.08.10
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【解説】今後、大地震が起きる可能性は… いつまで備え? 帰省は? 南海トラフ「巨大地震注意」8日、宮崎県日南市で最大震度6弱を観測した地震。今後1週間程度、巨大地震への注意が呼びかけられ、備える動きが広がっています。「南海トラフ地震が最大クラスで起きてしまった場合、地図に赤色で示されているところが震度7、オレンジ色のところが震度6強を示しています。東海から九州にかけて、強い揺れになることが想定されています」「南海トラフ地震は高い津波がすぐ来てしまうことが特徴で、想定される死者数は最大で32万3000人。これは、あの東日本大震災の約17倍に相当します」「8日に『巨大地震注意』の情報が出されましたが、南海トラフ地震がどの程度の確率で起きるのかは、分かっているのでしょうか」「確率でどのくらいかは分からないんですね。ただ、世界的に過去の事例をみると、次のようなことが分かります」「1904年から約110年間で、正確に地震の規模を示すことができるモーメントマグニチュード(Mw)7.0以上の地震は1437回起きました。この後1週間以内に、震源から50キロ以内でモーメントマグニチュード7.8以上の地震が6回起きています」「では国内ではどうだったかというと、2011年3月9日にマグニチュード7.3の地震が宮城沖で起きました。その2日後に同じ領域で、今度はマグニチュード9.0の超巨大地震、いわゆる東日本大震災が起きたんです」「こうした過去の経験と、今回の地震を照らし合わせた結果、検討会は巨大地震が起きる可能性が平常時より数倍高まったと評価しています」 (以下略)---宮崎の地震は、東京では感じなかったので、帰宅後に報道を見て仰天しました。この地震を契機に史上初めて、「巨大地震注意」が気象庁から発表されています。少なくとも、これまでより南海トラフ地震が起こる可能性が高まっていることは確かです。ただし、例えば1か月以内の発生確率が0.0001%から1%に上がったら、それはもちろんリスクが急増していることは確かなのですが、「必ず地震が起こる」というものではないこともまた確かです。残念ながら、東海・東南海・南海地震についての過去の科学的観測データは非常に乏しいです。観測記録が残っているのは、1944年/46年の昭和東南海・南海地震だけです。44年の東南海地震では、進言近くで測量が行われていたところ、何度測量しても誤差が大きい、それが後から考えると地震の「前兆滑り現象」が原因であった可能性が高いと考えられています。この時の経験に基づいて地震予知の体制が組まれていますが、次の巨大地震も同じプロセスで発生するがどうかなんて、だれにも分かりません。従って、東海、東南海、南海地震が予知できるかどうかかははっきり言って不明です。一般市民が把握しきれない多くのデータに基づいて気象庁が「巨大地震注意」を発表しているのですから、地震の可能性が高まっていることは確かです。別報道では南海トラフ地震の1週間以内に別の巨大地震、最大で「平常時の3600倍起きやすい」ということですが、3600倍上がって何%になったのでしょうか。そこは報道されていませんすが、現実に明日明後日にも起こる可能性が5割6割、というものではないでしょう。(そうであったら、もっと大騒ぎになっているはずです)過去の東海・東南海・南海連動地震のなかで、発生頻度が最短だったのは、1854年安政地震から1944年/46年のまでの約90年間です。現在は昭和東南海/南海地震から約80年ですから、少なくとも過去の例からは、「まだ早い」ということが言えます。もちろん、今後も必ず過去の例のとおりであるという絶対の保証はありませんし、80年と90年なんて、誤差の範囲だろう、とも言えます。ただ、その一方で、プレートの動きが一定であれば、ひずみが限界まで溜まるまでの所要時間は、過去とそんなに変わるものでもないだろう、とも思うわけです。それらを総合して考えると、確かに巨大地震が発生するリスクは高まりつつあるし、近いうちに発生する可能性も、ゼロではない、「ほとんどゼロ」から1%とか2%に上昇した可能性は高いとは思いますが、今すぐ非常に高い確率で発生するとは言えないのではないか、と私は考えます。そしてもう一つ、今回発生した地震は日向灘で、南海トラフの西の端です。東海・東南海・南海連動地震が起きた場合は、日向灘から東海沖までの全部が連動していっぺんに揺れるので、当然静岡や神奈川にも甚大な被害が生じますが、そのような超巨大地震の発生頻度は低いですし、相当大きなひずみのエネルギーをため込まないと、そうはならないでしょう。というわけで、日向灘を起点とした地震で静岡までの全域で超巨大地震が発生する可能性は、もちろんありますが、それが直近のうちに起こるかというと、「その可能性はゼロではないけれど、可能性が高いかと言われると・・・・・」というしかないように思います。というわけで、なかなか微妙なラインではありますが、極度に不安になる必要はないのかなと考えています。とはいえ、9日の晩には神奈川を震源として震度5弱の地震がありました。久しぶりに緊急地震速報が鳴って、さすがにドキッとしました。東京の揺れはたいしたことはありませんでしたが。いろいろ不安定な状況にあること自体は、間違いないようです。それに、今回の巨大地震注意がいつまで続くかは知りませんが、仮にそれが今後取り消されたとしても、本質的には、時が経てば経つほど地震発生のリスクは高まります。だって、「いつかは起こる」のは100%確実だからです。東海・東南海・南海連動地震の記録に残る過去最短の発生間隔は1854年安政地震から1944年昭和東南海、1946年昭和南海地震までの90/92年ですが、過去の例ではだいたい100年から140年程度の間隔で南海トラフの巨大地震が繰り返されています。したがって、今起こらなくても、遅くとも2080年頃までには南海トラフで次の超巨大地震が発生するのは、ほぼ確実です。
2024.08.09
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7月に撮影した鳥です。すべて北海道で撮影したものですが、今回は鳥撮影に関しては空振りで、珍しい鳥はほとんど遭遇しませんでした。7月24日ウトナイ湖コサメビタキかキビタキのメスか迷ったのですが、キビタキのメスのようです。メジロ。東京の公園にもいっぱいいますが、南方系の鳥ですが北海道にもいます。キビタキ・メスキビタキのメス7月25日十勝岳温泉アオジのオス、東京では冬鳥です。アオジ普段見るアオジと違うので、ちょっと迷いましたが、アオジで間違いなさそうです。7月26日、富良野岳の登山中ノゴマ。かなり遠いです。ノゴマ。ビンズイ、東京でも冬場はよく見かけます。ビンズイ。セキレイ科です。7月27日上富良野「ノルテ・ポトシ」前ノビタキ・オスニュウナイスズメのメス。オスは以前に濤沸湖で撮影したことがありますが、メスは初見です。ニュウナイスズメのメスホオジロのオスノビタキのメス同じ7月25日支笏湖畔キビタキのオスキビタキゴジュウカラ。初めて見る、初めて撮影する鳥は皆無でした。支笏湖は、時間をかければもっい色々な鳥が見られたはずです。ウトナイ湖も同様です。東京で見られない鳥は、ほぼノゴマだけだったと言ってよいでしょう。それも初めての撮影ではありませんでしたが。まあしかし、それ以外の面で充実した旅行だったので特に問題はありませんでした。今回の北海道の写真は、これでおしまいです。
2024.08.07
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