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珍しく土曜出発の日曜活動で行ってきます。 山元町へ山元町は5月以来です。山元町の坂元駅前都合がつかなかった事もありましたが、色々思うところあってボランティア自体、6月の陸前高田以降ご無沙汰でした。自分の中でまだモヤモヤしている事はあるのですが、行くからにはしっかりとお手伝いをしてこようと思います。また、しっかり見てきます。* 前回6月の様子(陸前高田):http://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201406270000/* アミー号で行く!!関東発東北復興応援バス: http://www.amy-go.com/tour/volunteer/index.html
Dec 6, 2014
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「復興屋台村気仙沼横丁」の大漁丸さっちゃん、BUGGY姉妹には会えませんでしたがよろしくお伝えくださいと、BUGGYちゃんのお店で蒼天伝をマッハ飲みしました。ぷ。限られた時間で、入浴もしたかったので小走り移動、忙しなかったしねー。やっぱり気仙沼と言えば蒼天伝っ!!!その後は「気仙沼さかなの駅」にて買い求めたものを持ち寄って仲間と交流を深めました。ごちそうさまでした。「もうかの星」と呼ばれる鮫の心臓(!)初食臭みもなくて程よい歯ごたえ、美味しかったですワタクシの大好きな鰹、安定のうまままま~っ!!!マンボウの小腸(ボイル)、これまた旨しっ!!!気仙沼と言えば蒼天伝が有名ですがこのお酒も美味しかったです、好み♪一関にある「道の駅かわさき」で買ったズッキーニ何よりもでかく、そしてなによりも安くて即買いwww今回のお土産品、、、少なっ!!!でも重かったwww来月はお休みです。お疲れ様でした。
Jun 28, 2014
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陸前高田へ行ってきました。調べてみたら前回行ったのは2012年4月以来。ご無沙汰でした。奇跡の一本松はレプリカになっており、その周辺の景色も一変していました。今回は、この夏行われる「けんか七夕」と言うお祭りの会場予定地の草刈りです。このあたりは8mほどかさ上げされる予定地で、その工事が始まるとしばらくは開催が危ぶまれると言うことで、今年は盛大に行いたいとの事でした。地元の人たちにとってそのお祭りは「プライド」のようなモノだと、サポートステーションのスタッフの方がおっしゃっていました。小雨がぱらつく中の作業、結構な広範囲で活動時間は限られているし、しかも雨足が強くなると危険回避のため中断されるので、終わらないかもと思いましたが、なんとか終わらせることが出来て良かったです。北野神社今泉天満宮のご神木周辺の草刈り道路向かいの電柱3本目までの結構な広範囲雨が降ったりやんだりの中での作業雨が強くなって作業が中断、雨宿り中(笑)斜面にある崩れ落ちた岩の周辺は草刈り機では刈れないので手刈りでご近所の方から温かいコーヒーをいただきましたほぼ予定面積刈り終わりました威勢良く盛大に、お祭りが行われればと思います。周辺の様子:作業場所すぐ脇を流れる気仙川を上流から河口はかつて名勝「千本松原」があったところ一本松が見えます対岸の山を切り崩してかさ上げの土を運ぶベルトコンベアーの橋「希望のかけ橋」が見えますサポートステーションの向かいにある諏訪神社この山の中腹あたりまで津波が来たようです(動画があります)サポートステーションの気仙川挟んだ対岸にはたくさんのベルトコンベアーがかさ上げ工事が始まっていますベルトコンベアーの起点/山が切り崩されています希望のかけ橋と奇跡の一本松
Jun 28, 2014
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仕事が終わったら今晩出発、今月のお手伝いに行って来ます。 陸前高田へ今のところ雨が降るかどうか微妙ですが、来月はお休みする予定なのでその分も含めしっかりやってきます。* 前回5月の様子(山元町): http://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201405310001/* 山梨峡北交通ボランティアバス(REvivejapan): http://www.kyohoku.jp/modules/pico/index.php?cat_id=6
Jun 27, 2014
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賛否両論、いろいろな意見があるようですが、前向きな感じが私は好き。* 「ほんとに福島で撮ったのか?」と海外から疑われている「HAPPY福島版」登場人物の背景: http://bylines.news.yahoo.co.jp/kumasakahitomi/20140608-00036150/
Jun 12, 2014
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今回は、イチゴ農家さんのお手伝いです。今年の収穫もほぼ終わり、来年の準備「苗床を作る」作業でした。作業の手順を教わります作業開始だいぶ慣れてきました午前中はこれだけ出来ました次に人間コンベアー(笑)で全てハウスの中に運び入れます午前中はここまでビフォーアフター下がっているランナー(子株)を植えある程度育ったらこちらのハウス(イチゴ狩りでよく見るタイプ)に植えます作業しているすぐ脇の池には蓮が咲いていました◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇仙台のお弁当屋さんのお弁当「関東地区よりご苦労様です」豪華ですデザートはご厚意で朝摘み新鮮イチゴを山盛り!!!酸味と甘みがほどよくジューシー子猫ちゃんに癒され・・・、萌~っ午後も新たにこれだけ作りシートをかぶせて終了しましたお土産に数パック買いました家でもベリー系は数種類育てているので、とても興味深かったです。炎天下の中、誰一人具合悪くなることも怪我することもなく、予定していた作業は全て終えることが出来ました。今回は、満員御礼の48名。若者の参加率が高く、そして初めての方が半数近くいました。あれから3年経っていますが、語り部さんの生のお話を聞き、この風景を実際に見て、若者たちは何を感じたのでしょうか。さて、どのバスもそろそろ片付けのような「復興に向けての準備」作業よりも、漁業支援や農業支援など「復興に向けて前進するため」の作業が目立ってきたように思います。ずっと活動していて、その「前進するためのお手伝いが出来る」というのは、とても嬉しいです。来月は28日陸前高田を予定しています。お疲れ様でした。
May 31, 2014
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山元町へ行ってきました。去年の11月以来でしたが、細かな変化はあるモノの正直全く変わっていない印象を受けました。土地の買い上げやコミュニティーの崩壊など、難題が山積みでなかなか進まないようです。かつて街があった海岸沿いは何もなくそしてもう人が住むことが出来ません広大な野原が広がっていて一見のどかに見えますが悲しい場所です全壊した坂元駅のホームで若者たちはこの風景を見て何を感じたのか・・・全半壊した中浜小学校津波は屋上ぎりぎりまできました「がんばってる」姿勢をみんなに見てもらうため津波に耐えた大きな(確か)けやきの木に掲げられたたくさんの黄色いハンカチ津波で出来た津波湾を残すと言う意見があるが、そうなるとここだけ防波堤が作れないと言う問題が校庭には「かさ上げ」のための土が盛られていました防波堤の建設も着々と進んでいるようです語り部の方が、「ここにもう人が住めないのなら、町おこしの一環としてイチゴなどの特産品の店をはじめ、(保存が決定している)中浜小学校を中心に避難ビルやを含めた『震災を後世に伝えるためのテーマパーク』のような施設をつくったらどうか」という話になるほどと思いました。
May 31, 2014
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仕事が終わったら今晩出発、今月のお手伝いに行って来ます。 山元町へ去年の11月以来、2回目です。そろそろ熱中症にも気をつけなければいけませんが、今回もしっかりお手伝いしてきます!!!麦わら帽子、活躍しそうです♪* 前回4月の様子(気仙沼):http://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201404190000/* アミー号で行く!!関東発東北復興応援バス:http://www.amy-go.com/tour/volunteer/index.html
May 30, 2014
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気仙沼の街を通り港のほうへ。街中と港ではだいぶ復興の度合いが違うのが印象的でした。これと同じように、復興地の人たちの間での気持ちの温度差が問題になってきているとのことで、今後コミュニティを形成するにあたって難しい課題の一つだとKRAの方が言っていました。街中のほうはだいぶ元通りに港のほうは全然全く・・・かさ上げされた港には漁船がたくさん戻ってきていてかつての活気が戻ってきているようでした気仙沼「おさかな市場」で買い物をし、復興屋台村で晩御飯。BUGGYちゃんやさっちゃんには内緒のサプライズ!!!びっくりはもちろん、でもとても喜んでくれました。私も嬉しいっ!!!今年いっぱいで閉鎖予定だった復興屋台村気仙沼横丁の営業期間は2年延長になったそうですが、この付近は建物は建ててはいけないらしく、そして新天地も目処が立ちそうになくて困っていました。屋台村の隣には世界のワタナベ、渡辺謙さんのカフェ「K-port」があります復興屋台村気仙沼横丁店はどこも満員でとてもにぎわっていましたBUGGYちゃんとこの海鮮丼、、、ご飯見えずwwwとにかく、BUGGYちゃんたちに会えてよかった。笑顔で元気いっぱいにがんばっている姿に、私もがんばろうと思いました。また再会を約束して。お疲れ様でした。
Apr 19, 2014
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早めに作業を切り上げて、海べの森をつくろう会の本部のある鎮魂の森まで歩いていくことになりました。「(津波で)何もないところですが、その何もないところをぜひ見ていってください」と。何もないので海風がとにかく強くて冷たい・・・線路があったところは整備されてBRT(バス高速輸送システム)というバス専用道路になりました防潮堤の高さは後ろの壊れた建物よりも少し高い10mほど(!)とのこと賛否両論、でも確かに海は見えなくなってしまいますね・・・かつて海水浴客でにぎわった観光地「お伊勢浜」なんでも自然の力で「浜」が元に戻りつつあるとか・・・防潮堤が出来れば浜は消滅してしまいます民家・民宿などがたくさん立ち並んでいたそうです今は何もありません甚大な被害を受けた杉ノ下地区の避難場所だった公民館の跡地に慰霊碑が建っていますここも以前は海は見えませんでした/癒しの花壇が整備されています8月に来た時には瓦礫を積んだ大型トラックが列をなして走っていました遠くの建物は旧気仙沼向洋高校/3階にまで津波が来たそうです校庭にはついこの間まで気仙沼の瓦礫処理施設がありましたその後、一般社団法人 気仙沼復興協会-KRA-の方に観光スポットなどを案内をしていただきました。KRA本部の駐車場の桜はもう少しで満開当時の辛いお話もしてくださいました岩井崎も観光名所「潮吹岩」や「化石」などが有名です津波によって出来た「竜の木」このあたりは「魚つき保安林」だとかお見送りしてくださいました!!!地元のKRAの方たちも「寒い」というくらい寒かったようで、「気仙沼は良いところです。震災の爪跡だけでなく、復興へ向かっていく姿、すばらしい景色に美味しいものと、いろいろな角度から気仙沼を見てください。今度は暖かい時期にぜひ(笑)」。笑顔で力強く言われた言葉に、元気をもらいました。* 一般社団法人 気仙沼復興協会-KRA-:http://kra-fucco.com/
Apr 19, 2014
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かながわ311ネットワークで行っている「海べの森をつくろう会」に参加してきました。前日とはうって変わって快晴朝7時前一関の道の駅かわさきの気温は2℃でした今回は、ビニールハウスの中で芽吹いた苗木をポットに移す作業です。気仙沼の気温は6℃。海からの冷たい風も手伝ってとても寒かったですが、ハウスの中は暖かく快適でした。黙々と作業していると、暑いくらいです(笑)。ビニールハウス内での作業になります海はすぐそこ/震災前は松林で海は見えなかったそうですイオンふるさとの森づくり気仙沼市階上(はしかみ)育苗ハウスハウス内は風もなく暖かかったので助かりました作業自体は簡単ですが、きちんとやらないと倒れてしまったり根が出てしまったりして枯れてしまうそうです。せっかくここまで育ててきた大切な苗木です。丁寧に丁寧に取り扱いました。真剣に手順を聞く種から芽が出た苗木一つ一つポットに丁寧に移します右上のポットの大きさまで育ったら(2年!)植樹です男性陣は土運びと日差しを遮るシート貼り隣のハウスは苗木でびっしり風が冷たかったですが春はすぐそこですお土産にサボテンを好きなだけ(笑)いただきました今、手にしている苗木が立派に生長して森になるまでには何十年もかかるわけで、たぶんその森を私が見ることはできないと思いますが、こういったことが代々語り継がれ受け継がれていくことに関われて、そしてほんの少しでもお手伝いが出来たということがとても嬉しいです。木の成長は遅い・・・(汗)このところ、ボランティア自体初めての若い女子、そして東海地震を意識して勉強に来る静岡の男子高校生など、若い世代の参加が頼もしい限りです。
Apr 19, 2014
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仕事が終わったら今晩出発、今月のお手伝いに行って来ます。 気仙沼へ今回は、かながわ311ネットワークで行っている去年の8月にも参加しました「海べの森をつくろう会」です。ちょうど桜が見頃らしいですが、木々の成長っぷりが楽しみです。今回の帰りは日曜の朝ですが、体調管理に気をつけて怪我のないようしっかりやってきます。* 3月の様子(石巻市鮫浦): http://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201403290000/* かながわ311ネットワーク:http://kanagawa311.net/* 海べの森をつくろう会:http://morino.siokaze.net/
Apr 18, 2014
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外回りの合間に手続き完了!!!よろしくお願いします。
Apr 11, 2014
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初めて石巻市鮫浦へ行きました。牡鹿半島にある小さな漁港で道路が寸断されて陸の孤島となったところです。漁港はすっかり片付けられ、積み上げられた土嚢やトン袋、そして作業小屋の簡易テントがぽつっと建っており、以前の様子はうかがい知れないほど何もありません。以前、この辺は井戸水でしたが震災で駄目になったので、お金を出してお水を買っていたそうですが、リバイブジャパンで寄付を募り、つい先日井戸が完成したと言うことで嬉しそうに見せてくれました。満席御礼のバス2台の70名以上震災前は何軒かあったのでしょうか???今では想像もできません先日完成したばかりの井戸この辺は牡蠣と並びホヤの養殖が盛んで全国屈指(震災前は宮城県は生産量全国1位)の産地だそうで、今回の活動は再生に向けてのお手伝い、漁業支援です。 1:ホヤの筏に使用するオモリ(砂利を土嚢に詰める)を作る 2:カキ殻の選別(貝の山から使用するカキ殻を選別する)・穴開け 3:種床作り(穴を開けたカキ殻に糸を通し数珠状にする)と3班に分かれての作業となりました。貝の山は、使用後(食べた後)のものを買っているそうで、カキはもちろんのことホタテやムール貝などごちゃ混ぜです。選別後の残りはローラーで粉々にしてしまうとのことで、見落とさないようカキ殻を見つけなくてはいけません。選別隊:買った貝の山から選別していきます深みのある牡蠣殻を探します穴開け隊:きれいにした牡蠣殻の中央に穴を開けます糸通し隊(別棟):穴に糸を通して数珠つなぎ(種床)にします←ここにホヤがつくお昼に作業は終了。ご厚意で震災後に初めての採れたてホヤを初め、新鮮なめかぶなどをいただきました。ホヤは食べられるまでに3~4年かかるので、まだちょっと小さめでしたが、味は抜群!!!初めて見る「そのままのホヤ」にみんなびっくり「わっ、気持ち悪っ!!!」と正直すぎる言葉に、お母さん、少々ムッとしていましたが(笑)、一口食べて「わぁ、美味しいっ!!!」とおかわり続出に誇らしげでとても喜んでいたのが印象的です。震災後初めてのホヤ海のパイナップルと呼ばれているとかみんなおそるおそる遠巻きに(笑)写真を撮っている合間にもどんどん箸が!!!めかぶの味噌汁緑鮮やかで粘りが違いますナマコ酢のほかにひじき煮も女川の新名物、鯛焼きならぬさんま焼き差し入れいただきました炊き出しでいろいろな思いを語りながらわいわいと春休みと言うこともあり、学生さんやお子様までたくさんの人が参加していました。復興支援のみならず社会科見学にもなるこの活動はとても良いですね。私自身もホヤに触れるきっかけとなる貴重な体験となりました。ただ、帰りのバスの中で代表が「私たちはこの1日だけの作業でしたが、鮫浦の方は毎日です。来る日も来る日もあの作業をするわけです」という言葉がしみました。確かにそうです。何もないあの場所で。一からのあの作業が日常。まだまだ復興への道のりは遠いと感じました。海苔の時もそうでしたが、今回手伝ったもので出来たホヤを、3~4年後になりますが食べてみたいです。そう言えば、以前、(今はもうない)別のボラバスで一緒になって盛り上がった沢キャプテン(そのときのあだ名w)に会いました!!!びっくりした!!!でも、なんだか嬉しかったなぁ・・・。* 山梨峡北交通ボランティアバス: http://www.kyohoku.jp/modules/pico/index.php?cat_id=6
Mar 29, 2014
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仕事が終わったら今晩出発、今月のお手伝いに行って来ます。 石巻市鮫浦へここも初めて行きます。漁業支援、ホヤ養殖お手伝いなどをするようです。なんと満席御礼の増便バス2台で行ってきます!!!先月は急遽山梨へ行ったので、復興地に行くのは久しぶり。しっかりやってきますね。* 1月の様子(気仙沼): http://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201401110000/* 山梨峡北交通ボランティアバス: http://www.kyohoku.jp/modules/pico/index.php?cat_id=6
Mar 28, 2014
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2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒忘れてない忘れない震災により犠牲になられた方々へ、心からご冥福をお祈りします。
Mar 11, 2014
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朝から山梨へ行って来ました。ほぼ満席御礼!!!前日のポカポカ陽気で雪はずいぶんと溶けたようですが、人の背丈程もある雪の山があちこちにあり、いかに積もったのかがわかります。す、凄い・・・。 談合坂SA今回の作業は山梨県笛吹市にて、雪かきではなく積雪で被害を受けたビニールハウスの片づけになりました。市役所に雪害ボランティアセンターが設置されています30名以上の猛者が集まりました山梨は言わずと知れたブドウの名産地。ここ笛吹市にもたくさんの果物農家がありますが、先日の雪でビニールハウスの約8割近くが倒壊してしまったとか。私達は「ブドウ班」「トウモロコシ班」の2つのグループに分かれて、に分かれて、ぞれぞれのビニールハウスの片づけしました。見渡す限りのブドウ畑!!!息子さん(2人)とお父さんがやっているブドウと桃の農家さん。お父さんがやっているブドウのビニールハウス14棟(!)全てが全壊してしまいました。当然ですが、こんな姿のビニールハウスは初めて見ました。と言うか、こんなになってしまうんですね。言葉もありません。本来は2m以上も高さがあるビニールハウスがつぶれてしまっています前日の陽気でなかったらまだ作業は出来ないほどの雪だったそうですブドウの木が・・・ハウスも木も廃棄ですまずはビニールを押さえている紐を回収する作業から。依頼主の方は、安全面から女性はハウスの敷地内に入らないようにして欲しかったようですが、紐は外されており回収するだけと言うことと、ほとんどが解体経験者(笑)と言うこともあり、希望者はどんどん中で作業していきました。大人数の底力。アッという間に紐は片づき、次はビニールを外してまとめていきます。このビニールシートが難敵。巨大な上に、天井は二重にあり、底は雪や水たまりで水没しているような状態です。ハウスから取り出したシートを小さくまとめるのも、汗だくの泥だらけになりながらの作業になりました。活動時間は15時までですが、明日も雪予報と言うことと、ビニールシートの回収は依頼主の方のたっての希望と言うこともあり、予定された全ての作業が終わるまで終了はないと言う形で始めた今回の作業でしたが、ほぼ時間通りに14棟全てのビニールシートを片付けることが出来ました。よかった!!!骨組みだけになるとまた一層・・・ハウスは勿論、ブドウも全滅桃の木は一部折れたりしましたが、力強く芽吹いていました(ピンボケ・・・)あたたかいお茶菓子をいただきました雪が降り始めたとき、ビニールを開ければ良かったのですが、開けるのが間に合わないほどどんどん雪が降り、また、夜になって雨になるという予報が外れ次の日の昼過ぎまで降ったためにつぶれてしまったと、お話を聞きました。そして、こんなにたくさんのボランティアの人が東京から来てくれるとも思っておらず、また、先日まで「片付けるのに何ヶ月かかるかな」と話していたハウスが、こんな勢いで片づく(笑)とも思っていなかったようで、とてもとても喜ばれていました。「感謝してもしつくせない」と。「ハウスがこんな事になって途方に暮れましたが、東北の震災に比べたら身内の誰かが亡くなったとか、津波で家が流されたとか、放射能とか、そう言った事はないし、今回こんなに大勢の方に手伝っていただいたので、また前向きに頑張っていきたい」ともおっしゃっていました。ブドウはまた一から始めて元通りになるには最低5年はかかるそうです。山梨はこういった果物だけでなく良い温泉もあるそうで、作業の後には温泉を、そしてもちろん(笑)山梨のワインを紅白両方いただいて帰りました。お疲れさまでした。 いつもお世話になっているボラバスの地元、山梨のお手伝いが出来て良かったです。いやぁ~、しかし。近くてラクだけど、日帰りはさすがにキツイですな・・・。でも、達成感は満載です!!! あ、筋肉痛も(苦笑)。
Mar 1, 2014
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残念ながら先週に引き続き、南相馬へのバスも定員割れで中止になってしまったので、今度こそは雪かきボランティアへ行って来ます。 山梨へ!!!あの雪でまだ雪かきのニーズがあるって凄い・・・。先週行けなかった分も、復興地へ行けない分も、しっかりやってきます!!!って、今度の日曜もまた雪ですか???* REviveJapan リバイブジャパン:http://revivejapan.jp/
Feb 28, 2014
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最近お願いしている山梨峡北交通のボランティアバス(ボランティアチーム「REvive Japan」)で陸前高田へのお手伝いの予定が、定員割れの為中止になりました。(ちなみにJTBのボランティアバスも定員割れの為中止)残念でしたが、よくよく考えてみたら山梨のバス。そうです、先週の記録的な大雪で大変なことになっている訳です。お見舞い申し上げます。この週末からの雪かきボランティアの募集を開始しており、こっちに行けばよかったと思っても気づくのが遅過ぎた・・・いつもお世話になっているので、お手伝いが出来ないのがなんとも歯がゆく。行こうと思えば行けたのに申し訳ない気持ちで一杯です。引き続き来週に南相馬へお手伝いをお願いしているのですが、山梨も心配です・・・。* 山梨峡北交通:http://www.kyohoku.jp/
Feb 22, 2014
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今回の気仙沼もタイミングが合わず、屋台村のBUGGYちゃん達にはまたしても会えなかったっぺ。残念。店は覗いたけど、予想通りの休憩時間中(笑)。まぁ、また来よう・・・。久しぶりに気仙沼の温泉を堪能できました。ここのお湯は本当に良いですよ。今年は所長と泊まりに来たい、、、と、密かに計画中です、むふふふ またここで「蒼天伝」をガブガブw飲みたい風呂上がりは岩手県遠野産のとれたてホップさて、今回は「さかなの駅」と言う所で買い物をしました。あまり時間がなかったので、ささっと酒(もちろんwww)を買いましたが、実家には今が旬「鱈」のほうが良かったかなぁと。その後、母は「鱈の方が良かった」、父は「いや、鱈でなく酒で良かった」と電話がありました(笑)。店内では「ボランティアの皆様ありがとうございます、お疲れさまです」と放送され、帰りにはお見送りまでしていただきました。いやいや、こちらこそありがとうございました!!!心遣いが嬉しい 帰路用に陸前高田「雪っこ」超絶濃厚美味!!!父には気仙沼と言えばの「蒼天伝・男山」の3本飲み比べセットを明日は、この「海と生きる 気仙沼」を飲むずら!!!
Jan 13, 2014
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今年初めのお手伝いに行きました。行き先は気仙沼です。今回も山梨峡北交通のボランティアバス(ボランティアチーム「REvive Japan」)さんにお世話になりました。 一般社団法人 気仙沼復興協会-KRA-の活動に協力させていただき、月命日にあたる今日は警察の集中捜索と連携した思い出の品々の捜索、海岸の清掃です。KRAには遠方からぞくぞくと人が集まってきます本日の活動場所 震災前と震災後/松林も家も流され海岸線の位置がずいぶん内陸に赤丸部分が活動場所になります私達他、グループでの参加、個人での参加、そして地元の方々も数名いらっしゃいました。KRAのスタッフの方、警察の方も合わせたら約90名ほどでしょうか。期待された相乗効果、短い時間での活動でしたが、手がかりになりそうなものが数点見つかりました。良かった!!!まだだいぶ瓦礫の山がありました震災後の写真の海岸線の黒い筋はトン袋の防波堤です震災前の写真でもわかるようにかつては家がありました トン袋を越えて中の海岸での活動です警察の方は腿まで海に使って捜索していました時折小雪がちらつき、冷たい風が吹いている中での活動でした防寒対策はばっちりです(笑)怪我なく無事に終了しました、お疲れさまでした今回一番びっくりしたのは、KRAのスタッフの方が元気一杯、もの凄い笑顔で大きな声だったと言うことです。地元の若い方々ですが、とても気持ちが良かったです。オリエンテーションの最初の一声で、シャキっと元気が出ました。「よしっ、がんばるぞ」と気合いが入ったのは言うまでもありません。そして、警察の方が「全員が家族の元に帰らないと復興は始まらない」と言っていたのが印象的でした。気仙沼では未だ236名の方々が行方不明です。全員が家族の元に帰れますように・・・。認定証シールと缶バッヂをいただきました来月は中頃か後半にと考えています。* 山梨峡北交通ボランティアバス: http://www.kyohoku.jp/modules/pico/index.php?cat_id=6* 一般社団法人 気仙沼復興協会-KRA-:http://kra-fucco.com/
Jan 11, 2014
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仕事が終わったら今晩出発、今月のお手伝いに行って来ます。 気仙沼へ!!!今年初めのお手伝い、今回もしっかりお手伝いしてこようと思います。昨年9月に解体された共徳丸/撮影は昨年8月* 12月の様子(南相馬): http://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201312140000/* 山梨峡北交通ボランティアバス: http://www.kyohoku.jp/modules/pico/index.php?cat_id=6* 一般社団法人 気仙沼復興協会-KRA-: http://kra-fucco.com/volun/search日曜日にはジビエ料理に挑戦、なんとワタクシ一日弟子入り(!)してくるずらよ。ぷ。たのしみ・・・* COMPTOIR MISSAGO:http://missago.com/infomation.html
Jan 10, 2014
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今年最後のお手伝いは南相馬と決めていました。今回は山梨峡北交通のボランティアバス(ボランティアチーム「REvive Japan」)を利用しました。キャンセル待ちが出るほど満員御礼で41名です。ボランティアで知り合ったmemekoちゃんも同じ日に別のバスで南相馬へ行く予定だったそうですが、こちらはなんと定員割れで出なかったそうです。6月以来の南相馬。すっかり寒い時期になってしまいました。今回は、ビニールハウスの解体です。解体まではしたことがありませんが、ビニールを外したことはあります。風で煽られないよう、はじをかなり土の中に埋めてあるので、掘り出すのがとても大変でした。今回は解体までするので、更に大変そうです。センター長の印象に残る言葉シリーズ(笑)、今回は「効率よりも安全優先で」。なるほどです。41名中、解体経験者は2名。その方の支持を受けながら、作業開始。砂埃にまみれつつ、最初はなかなか手間取りましたが、段々コツを掴んできて午後にはグッと進みました。一応3棟任された内、解体できたのは2棟でした。みんなちょっと心残りでしたが、全員怪我無くキリよく終了する事が出来たので良し!!!、、、としましょう。お疲れさまでした。 解体の仕方を説明するセンター長、相変わらず元気です解体のコツを掴むのに時間がかかりました、難しいですさて。これで私の今年のお手伝いは終わりです。今年2月、初めて南相馬へ行きました。警戒地域で立入禁止だったこともあり、まだまだ「片づけ」が必要な状態に驚きました。2年も経っているのに。津波の泥で覆われたままの家、あの独特な匂い。ここ最近、ボランティアバスの数がかなり減り、毎週出ていた所も隔週になったりと、自分の都合のあったバスを探すのが、大変になってきました。募集を出しても、定員に満たずキャンセルになる事も多々あります。だけど、来年も月イチ目指してお手伝いに行こうと思っています。よろしくお願いします。そうそう、帰り道は一部雪でした。* 山梨峡北交通ボランティアバス: http://www.kyohoku.jp/modules/pico/index.php?content_id=52* 南相馬市ボランティア活動センター:http://ameblo.jp/v-home-net/
Dec 14, 2013
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仕事が終わったら今晩出発、今月のお手伝いに行って来ます。 南相馬へ!!!今年最後のお手伝いになりますが、今回もしっかりお手伝いしてこようと思います。* 11月の様子(山元町): http://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201311160001/* 山梨峡北交通ボランティアバス: http://www.kyohoku.jp/modules/pico/index.php?content_id=52* 南相馬市ボランティア活動センター:http://ameblo.jp/v-home-net/
Dec 13, 2013
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視察が終わった後、語り部の方とはお別れして、本日の活動場所へ移動しました。今回は、側溝の泥出しです。もう一つのボランティアのグループと、町内の方とみんなで活動しました。約40名ほどですか。予定していた範囲は午前中でほぼ終わってしまったので、どんどん進めるだけ進みました(笑)。かなりの距離を進めることが出来ました。大雨のたびにあふれていた側溝茂みに覆われている箇所もかなりヘビーな状態でした掻き出した泥は土嚢袋に詰めて両脇へこれで泥が側溝へ再び流れ落ちません今年は台風が多かったので、そのたびに家や隣接する工房などが水浸しになり、冷蔵庫が壊れてしまったとか。もちろん保証もなければ、側溝の対策も自分たちでしなければならず、高齢のご夫婦はお手上げ状態だったそうです。側溝の流れる水を見て(依頼された側溝のそばの家の方が)「こんなに嬉しいことはない、町内のみんなに見せて上げたい」「これで大雨が来ても水浸しにならないですむ」ととても喜んでいました。区長さんの活動後の挨拶で「今回は町内の方もボランティアの方々と一緒に活動したのはとってもよかった」「いつもまでも、ボランティアの方々を頼っていてはダメだ、そろそろボランティア離れしないといけない」と聞いたとき、南相馬のセンター長が「みなさんには、作業を『全部』するのではなく、『少しだけ残す』。あくまでも『背中を押すお手伝い』をしていただきたい」と話していたことを思い出しました。そして、最後に「本当に感謝しています。今回キレイにしていただいたところを、そのままキレイに維持出来るよう、恥ずかしくないよう、管理していきます。そして、そのキレイな状態を(ボランティアではなく)今度は家族やお友達と見に来て下さい。ありがとうございました」と言っていたのが印象的でした。何というか、、、じーんと、、、ちょっと涙が出そうでした。仙台市のお弁当屋さんのお弁当とお茶が配給されますちょっとした一言が嬉しいですね・・・中身は豪華でとても美味しかったです依頼主のお母さんが豚汁を振る舞ってくれました活動終了後のおやつw山元町の工房地球村で作っているパウンドケーキ確かにボランティアばかりに頼るのも、その人達の本当の意味での復興への一歩ではないとは思いますが、だいぶ片づいてきたとは言え道のりはまだまだ遠いのが現状です。「ボランティア離れしないと」と言う言葉は、自分たちの復興への意欲、気持ちが前向きになってきていると思えばとても嬉しいことですが、人手が足りないと言う部分では全然まだまだ頼ってもいいのではないでしょうか。まだまだ、まだまだお手伝いしますから。今年最後のお手伝い、来月は14日南相馬を予定しています。う~ん、久しぶりに全身筋肉痛になりそうです・・・(苦笑)。
Nov 16, 2013
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今回、初めて山元町へ行きました。東京を前日の22時半に出発し、新宿、さいたま新都心にて更に人を拾いつつ、最初の地山下駅には6時半。そこで、地元の学校の先生をなさっている「語り部」の方と合流し、説明を受けながら山元町を視察させていただきました。山元町被災現状図浸水範囲面積37.2%、浸水域にかかる世帯数は全体の52.4%半壊した山下駅(この付近は津波浸水高8.0m)快晴で空気が冷たかったです町並みは消え雑草地となった町の中を走ります雑草地の中を進んでいくと、ぽつんと大きな建物が一つだけ建っていました。全半壊した中浜小学校です。(この付近は津波浸水高12.2m)児童含め、ここに避難した人たちは誰一人亡くならなかったということもあり、この建物は当時のままの姿で震災遺構としての保存が決まっています。ただ、お話を聞くと紙一重だったようです。* 「低学年の足では間に合わぬ」屋上へ避難−−中浜小: http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20110426ddm041040099000c3.html特別に許可を頂き、中に入らせていただきました。当時の建物はほとんど取り壊されており、何度か復興地に足を運んでいる私でも、このような建物に入るのは久しぶりでした。改めて津波の恐ろしさを感じました。津波の恐ろしさを知るためにも、こういった建物は貴重です。そして、語り部の方が「たくさんの人に伝えて欲しい」「山元町を知って欲しい」「忘れないで欲しい」と言われるように、見た者もこうやって伝えていくことも大切だと思いました。津波は2階の天井まできました校舎下駄箱校舎1階校舎1階画像じゃわかりにくいですが職員室の黒板にはうっすらとその日の予定が書いてあるのが残っています避難した屋上の屋根裏倉庫水も電気も暖もありません屋上から海を見る/大きな津波湾が出来ていた右の壁に津波が当たり大きな波しぶきが上がったそうです(瓦一部破損)校舎2階より南方向左クレーン:全壊した磯浜漁港を建設しています右煙突:東電の火力発電所、あの先60kmが原発校舎北方向何十kmもあった防風林・防潮林は全て流され大きなケヤキの木が2本のみ残っていました学校でよく見かける石碑倒れた時計台時間は14時46分を指したままでしたが風化してなくなってしまいました校舎南の校庭から校舎を見る/半円の窓が物置小屋校舎前に植えられた復興桜大きくなってたくさんの桜の花が咲いているを見たいです中浜小学校は今年の3月31日に閉校しました。 1182人の思い出昭和39年、中浜小学校が誕生し、49年間で1182人の児童が巣立ちました。中浜小は、常に「開かれた学校」として地域と共に子供達を育ててきました。2011年3・11東日本大震災による大津波で、中浜・磯学区は、壊滅的な被害を受けたため閉校することになりました。桜の木と共に、1182人の思い出がいつもまでも心に残り、育ちますように願いを込めて・・・。ありがとう 中浜小学校(桜の木の前の石碑より)中浜小学校を後にした私達は、全壊した坂元駅(津波浸水高11.5m)へ行きました。山元町の名産イチゴのビニールハウスが少しづつ復興してきています田んぼでは除塩作業がすすめられていました駅前から国道へ続く道/たくさんの店や家が建ち並ぶ商店街でした新しく建てられた防災無線とこの付近で唯一残った案内板防災無線が倒れて津波警報が聞こえなかったと言う証言もありますホーム跡山元町では635人の方が亡くなりました。安らかにお眠り下さい。ご冥福をお祈りします。
Nov 16, 2013
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9、10月とお休みしましたが、今晩行って来ます。 山元町へ!!!初めて行きます。今回は、こちらも初めてのアミー号を利用します。毎週出ていたボラバスも各週便が多くなり、行きたい地域と照らし合わせるとなかなか都合をつけるのが難しくなってきましたが、(無理のない範囲で)まだまだお手伝いを続けていこうと思っています。*前回8月の様子(気仙沼):http://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201308240000/* アミー号で行く!!関東発東北復興応援バス:http://www.amy-go.com/tour/volunteer/index.html
Nov 15, 2013
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前回、気仙沼へお手伝いに行ったときにタイミング悪く会いそびれちゃったBUGGYちゃん姉妹。最近は、色々なところへ出向いていってアピールしているみたいで、この連休中は鎌倉の建長寺で出展しているとのことだったので、会いに行って来たっぺいざいざいざいざ鎌倉へっ!!! やっと会えたぁ~なかなか気仙沼方面へのボランティアバスとの都合がつかないとは言え、ご無沙汰しちゃって申し訳ない。もちろん、大好きな蒼天伝とつまみに良さげな塩辛類をお買い求めましたが、かえってお土産類をたくさんいただいちゃって、更に申し訳ない。ありがとう!!! 牛タンに気仙沼名物フカヒレスープ、うままままぁ~ さっちゃん(姉妹のお母さん)にも会えたし、みんなみんな頑張っていて、そして元気そうで良かった。今度は気仙沼へ会いに行きますね~* さっちゃんの店「大漁丸」:http://tairyo-maru.com/
Nov 4, 2013
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草むしりが一段落し、海べの森を作ろう会の代表の方に、近所を案内していただきました。植樹地からほど近くには「羅漢かかし像」。津波でもがれた腕を懸命に胸の辺りに抱きよせ「自分も傷ついたが、みんな頑張れ」と力強く祈る孤高のかかし。長野県の彫刻家の方が、「津波で亡くなった地域住民の供養と、生き残った人たちが不屈であってほしい」という祈りを込めて制作し、地福寺さんに寄贈したものだそうです。その先に、杉ノ下地区があります。かつて85世帯あったこの場所には、今は何もなくひっそりと「絆」と刻まれた慰霊碑だけが建っていました。 絆 あなたを忘れない 「ここに居れば大丈夫だ」 しかし、無常にも第一波で 下手から家や車が押し寄せ そして、第二波、第三波が・・・ 九十三名の尊い命と すべての財産が海へと散った あの一声が無上の叫びに 私たちはあなたを忘れない いままでありがとう こころやすらかに 杉ノ下地区民一同そして、亡くなった方々のお名前も刻まれています。「お一人お一人のお名前もしっかり見て下さい」今まで「ここでは何名の方が亡くなりました」と数字で聞くことしかありませんでした。数字ではなくこうやってお一人お一人のお名前を見ると、「一個人」としてこの人達が本当にここに住んでいたんだと、現実味が増し身近に感じます。おじいちゃん、おばあちゃん、働き盛りのお父さん、お母さん、元気に走り回っていた子供達。一家全員。黙祷を捧げるとき、慰霊碑に手を合わせるとき「なんでこんな事になっちゃったんだろう」といつも思います。なぜ???どうぞ安らかにお眠り下さい・・・。トラックが行き交う道路を渡るとき、交通整理の方や運転手さんは、私達が渡りきるまで、ずっと手前から待っていてくれました。処理場へ行く大型トラックの列海岸に出ると、白いビーチが広がっていました。「お伊勢浜」です。当時は瓦礫の山だったそうですが地元の方々やボランティアでこんなに綺麗になりました。拾う程のゴミはありませんでしたが、目に付いたゴミをみんなで拾いました。遠浅で地元の子供達に人気でとても賑わっていたそうで、住職と海べの森をつくろう会の代表の方は、「地元の子供達に海水浴をさせてあげたい。もう3年も海水浴していない」と切に訴えていました。ここに巨大な防潮堤って・・・以前はもっと砂浜が広がっていたとか地盤沈下で砂浜がなくなってしまいましたその後、寺まで戻り昼食。お弁当はことのほか豪華でしたが、ご好意で冷たいお茶をいただきました。美味しかった!!! 豪華なお弁当に冷たいお茶!!!/御朱印もいただきました1時間ほど休んだ後、午後の作業。お盆に使ったお寺の門灯(?)を洗って片付ける作業を5名でしました。他の仲間は別な砂浜へ行ってゴミ拾いです。これはほんの一部でしたwww午後になって日差しも強く、だいぶ暑くなってきたので、作業自体は1時間ほどでしたが、全ての門灯を片づけ終わりました。私は砂浜班が戻ってくるまで、お堂の中で住職の他の団体さんへの当時のお話を聞いていました。
Aug 24, 2013
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地福寺のそばに「海べの森をつくろう会」が行った第一回植樹祭(平成24年10月7日)の場所があります。この場所は、「鎮魂の森」と呼ばれています。ある方が震災直前に、 「春彼岸 津波寄せ来し浜にたつ わが曾祖父も波に消えたり」と詠んだ方のご一家が住んでいた敷地です。句を詠んだ方の祖父は以前海岸の村に住んでいましたが、、明治二十九年の三陸大津波で父親を亡くし、被災した村人と共に海岸から集団移転、この地に一家を構えました。(海岸には慰霊碑が残っています)しかし、百十五年後に再び被災し、ご一家は亡くなってしまいました。屋敷西側には、三十五本の杉の木が植えられていましたが、津波を被って立ち枯れてしまい、一本だけ残して伐採されました。その木は、チェーンソーアートの第一人者の方が「昇竜」を彫刻しました。約九メートルあり「犠牲になった人たちの魂が、安らかに天に昇るように・・・」との願いが込められています。昇竜伐採したとき、杉の木の年輪は約百十年~百二十年あり、その方の祖父が、危険な海岸から津波の心配がないと、この地に移ってきてから植林したと思われます。一家が途絶えてしまったので屋敷跡は、ご親族が近くの地福寺に「メモリアルパークにして欲しい」と寄進され、この願いを受けて、地元有志の方が「海べの森をつくろう会」を立ち上げ、この地に「鎮魂の森」を造成、「森の防潮堤」の先駆けとして約三千本を植樹したわけです。(鎮魂の森の案内板より要約)今、気仙沼では「巨大な防潮堤」をつくる計画が持ち上がっています。場所によっては、高さ10m以上幅40m以上(!)のコンクリート制の防潮堤を何kmにも渡って建設するというモノです。「これでは海が見えなくなってしまう」海を見て、海と共に生活してきた地元の方々は、この計画に反対する人が多いと地福寺の住職から聞きました。明治三陸の大津波の時、当時も同じように逃げ遅れ、木々につかまり命をつなぎ生還した事が当時の人たちの植樹につながり、そして、成長したその木々が今回も流された人たちの命を救ったと言う事実があります。自然との調和・共生を選びたい。海べに森の防潮堤をつくろうと。 海岸すぐそばにありながらも大津波から地元の人達の命を救った小高い神社の森神社から海岸への道はまだくずれたままですさて、その植樹にいたるまでにも大変な苦労があったようで、まず、みんな素人ですから木を植えると言うノウハウが全くわからない。木を一から植えるってねぇ・・・!? 苗はどこで!?土は???手入れは???最初、苗を地元の山で採って来たそうですが、山まで遠く毎回毎回山へ行くのは大変だし難しい。そこで取った苗を増やし、ビニールハウスで育てています。爆弾低気圧でハウスが倒壊したりアクシデントも色々あったようですが、去年の10月にやっと植樹祭にまでこぎつけました。ただ、雑草が取っても取っても生えてくるこの季節。手入れが間に合わないそうです。少し前にもボランティアの方に、草むしりをしてもらったそうですが、すでにぼうぼう。代表の方が「伸びる順で言えば、雑草→野菜、、、そして一番遅いのが木」とおっしゃっていました。確かに(笑)。と言うことで、まずは、第一回植樹祭の植樹場所の草むしりから開始です。どれが苗ですか!?状態間違えて苗を抜かないように踏まないように注意して作業開始ですビフォーアフター順調に育って欲しい・・・休憩を挟みながら約2時間弱作業しました。きれいになりました!!!* 海べの森をつくろう会:http://morino.siokaze.net/index.html
Aug 24, 2013
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気仙沼方面のボラバスを探していて、都合の良いバスをやっと見つけました。かながわ311ネットワークさんがやっている、九鬼ツーリスト主催ツアー「海べの森をつくろう会」です。* かながわ311ネットワーク:http://kanagawa311.net/wanted/wanted_borabus/1596/宮城県気仙沼市階上(はしかみ)地区で活動しているNPO法人「海べの森をつくろう会」のお手伝いです。初めてのボラバスさん、ざっとこんな行程です。ちなみに私は東京駅前乗車組です。 22:30 出発 バスの中で行程・注意事項などの説明を受け、自己紹介 佐野・安達太良・長者原SAで約20分トイレ休憩あり 06:00 道の駅かわさき 06:30 起床・準備 07:30 出発 08:30 地福時前着 現地の方と合流し、事前説明を受けます 09:00 活動開始 12:00 昼休憩(弁当あり) 13:00 活動開始 15:00 岩井崎案内 岩井崎(景勝地)を、現地の方に案内してもらう 16:30 おさかな市場着 ここで買い物・入浴・夕食をすませる(グループ活動) 20:00 出発 バスの中で活動を振りかえります 05:00 東京駅前着ほぼ時間通りに進みました。金曜の晩、雨模様での出発でしたが、気仙沼少し手前「道の駅かわさき」到着時には、雨は上がって晴れ間がのぞいていました。 活動場所すぐそばの地福時に定時着。彼方に海が見え、寺までは広い草むらが広がります。震災前は杉林や家々が並んでいました。目の前に瓦礫処理工場があり、大型トラックが列をなして行き来しています。住職は、トラックの行き交う音が堪えるとおっしゃってました。地福時/右奥に瓦礫処理工場が見えます 津波はこの高さまできました中に当時の写真が貼ってありました(3/27撮影)境内にあった鐘楼の屋根が・・・本堂の柱につかまって助かった方がいたそうです本堂東側にある花園会館 鐘もかなり内陸まで流されましたが、運んでもらったそうです* めげない にげない くじけない:地福寺:http://jifukuji.blogspot.jp/
Aug 24, 2013
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忙しかった7月は現地には行けなかったものの、新橋にてささやかながらお手伝いをしましたが、今月は行きます。仕事が終わったら、今晩出発、 久しぶりの気仙沼へっ!!!やっと気仙沼での活動を見つけました。今回は、かながわ311ネットワークさんがやっている、九鬼ツーリスト主催ツアー「海辺の森をつくろう会」に参加します。* かながわ311ネットワーク:http://kanagawa311.net/wanted/wanted_borabus/1596/そして、おさかな市場などにも立ち寄るみたいなので、なんとしてでも会いに行きます!!! 大漁丸のさっちゃんにバギーちゃん姉妹でも、このツアーお酒NGらしく。蒼天伝飲みたいなぁ・・・。とにかく、お手伝いはガッツリやってきます。そして、気仙沼の今をしっかり見てきます。帰りは日曜の朝、そして戸越銀座祭りで三味線弾きます(笑)ので、よろしかったらぜひ足をお運び下さい。
Aug 23, 2013
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台風が心配されましたが、雨も降らず時折日が射す程度の曇り空で、一日作業することが出来ました。今日、南相馬市ボランティア活動センターに集まったのは、私達31名を含め総勢87名でした。依頼内容は、 ・草刈りと竹・木などの伐採 1件 ・草刈り 2件 ・草むしり 1件 ・木の伐採と刈り草の片付け 1件 ・木の伐採 1件 ・被災家具搬出 1件 ・倒壊家屋の片付け 1件私達31名は全員で個人の方の家の被災家具の搬出でした。 晴れ時々曇りの作業日よりでした年のいったお母さんの一人暮らし。旦那さんは去年亡くなったとか。息子さん達は埼玉に住んでいるので、しょっちゅう片づけに来るわけにも行かないし、一人ではどうにも出来ずに困っていたそうです。テレビ、冷蔵庫、タンス、テーブルや椅子と大きなモノから食器、鍋、電化製品や衣類、本など細かいモノもかなりの量があり、また運び出す場所までは道が狭く坂道で少し距離もありました。最後に庭の草刈りをザッとし、気って欲しい木を2本手作業で切って終了、お疲れさまでした。「キレイになった、(特に)台所が片づいて嬉しい」とお母さん。私達も嬉しい気持ちで一杯になりました。お母さんに何をして欲しいか具体的に聞きます庭も草ぼうぼうですこれだけ運び出しました切った木は力自慢が運び出し実は、かなりの量を運び出した昼時、センター長がやってきて「ここは公道だから、ここに置いたらダメ」と注意をされまして、そこからさらに移すことに。その瞬間、誰もが「今日は終わらないかも」と半泣きでしたが(笑)、そこは大人数の力。なんとか時間内に終わらせることが出来ました。どうなることかと思いましたが、いや~、良かった・・・。時々トラックが通る程度の小高地区の道路個人宅での活動ではいつもそうですが、私達が帰るときには、そこのおうちの方はみんな目に涙を浮かべていて、「本当にありがとうございます」と何度も何度もお礼を言われます。そして見えなくなるまでずっと手を振ってくれる姿を毎回見ると、やって良かった、出来る限り続けよう、と思うのです。やっぱり、人が喜んでいる姿を見ると、自分も嬉しくなる!!!朝のマッチングで、センター長が「みなさんには、作業を『全部』するのではなく、『少しだけ残す』。あくまでも『背中を押すお手伝い』をしていただきたい」と言っていたのが、なるほど印象的でした。そうそう、麦わら帽子の効果は絶大でした(笑)。超絶快適、これからの季節大活躍しそうです!!!そして、帰りに食べた「米沢牛のステーキ」、とっても美味しかった。7月は行けそうにないので、次回は8月10日を予定しています。* JTBボランティアバスパック: http://www.jtb.co.jp/shop/ShopOther.aspx?shopid=400&branchno=12* 南相馬市ボランティア活動センター:http://ameblo.jp/v-home-net/
Jun 22, 2013
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仕事が終わったら今晩出発、今月のお手伝いに行って来ます。 南相馬へ!!!台風が心配でしたが、温帯低気圧に変わり福島の明日の予報は曇り晴れ。来月はお手伝いに行けそうにないので、しっかりとやってきます。日差し対策に麦藁帽買いました。これでこれからの季節はバッチリです!!!* 5月の様子(南相馬): http://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201305180000/* JTBボランティアバスパック: http://www.jtb.co.jp/shop/ShopOther.aspx?shopid=400&branchno=12* 南相馬市ボランティア活動センター:http://ameblo.jp/v-home-net/
Jun 21, 2013
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JTBさんのボランティアバス、満席45名で行って来ました。今日の南相馬は快晴。暑くなりそうだったので、水分を多めに用意しました。 道の駅南相馬道具を選んで軽トラに積み込み中!!!南相馬ボランティアセンターには総数132名、その日の要請は以下の通りです。 ・家具等の片付け・搬出・分別 8件 ・庭の整備 1件 ・側溝泥出し 1件 ・荷物の移動 1件 ・草刈 1件 ・屋内片付け清掃・庭木の剪定 1件 ・木の伐採 1件 ・床板の切断 1件私達は2班に分かれて活動、私他12名で個人の方の家具等の片づけ・搬出・分別をしました。母屋・離れ・納屋と3つ建物がある広くて立派なお家でした。海岸も見えずかなり内陸の場所でしたが、津波(1m)は来たそうで母屋以外はやられてしまい、解除されて帰ってきたら草ぼうぼうの荒れ放題だったそうです。ボランティアの方に2回ほど来て貰ったそうですが、敷地内はそんな面影もないほどキレイに片づいていました。○使えなくなった生活用品を家からは出してありますが、道路脇へ出さないと回収して貰えないので、それを道路脇へ移動し燃える・燃えないに分別、トン袋にまとめること。○タンスや冷蔵庫など大きな家具類を家から出すこと。○津波泥が入った土嚢も道路脇へ移動すること。○側溝の泥出し。○ビニールハウスの整備。やることがたくさんです。この地域は、昼間は戻ることが出来ても、夜寝泊まりすることが禁止されているので、毎日ご夫婦お二人で毎日来ては片付けているそうですが、なかなか終わらないと。いやぁ、これを二人だけでやるのは大変です。13名でうまく割り振りしたら、早速作業開始。大きな物は殿方に任せ、まず、私と3名で土嚢の移動。かなりの数がありましたが、これは30分ほどで完了。その後、分別トン袋の方へ回りましたが、そちらもだいぶ片づいてきたので、ビニールハウスの整備へ。破けたビニールを取り外します。下のビニールは、風で煽られないように土に埋めてあるので、これがなかなか取りにくい。時々お母さんに助けてもらいました(笑)。放射線量率マップ現在地は原発から10数kmで0.2~0.29μSv/hビニールハウスでは稲の苗を育てていたそうです。その後は野菜や果物などを作っていて、ご近所でも評判だったとか。お母さんが「もう作れないけど」「(自分で作って食べていたので)まさか米を買うことになるとは夢にも思わなかった」と寂しそうに色々お話ししてくれました。途中でお昼休憩。お母さんが、お菓子や漬け物、冷たい飲み物を用意してくれたので、ありがたくいただきましたが、冷たい麦茶、美味しかった!!!また、当時水浸しになった周辺の写真や、仮設住宅の写真、ガイガーカウンターや、放射線量率マップなども見せていただきました。ここでも「放射能は今0.3μSv/hで大丈夫だから」とお気遣いいただきました。午後にもうひと踏ん張り。13名をもってしても、全部は出来ませんでしたが、9割近くは終わらせることが出来ました。「ボランティアの方が来てくれたら、いつも最後に集合写真を撮らせてもらうんです」とお父さんに写真を撮って貰い、終了となりました。住める家があるのに帰れない。切ないです・・・。帰り際、センターにいるときに地震がありました。被災地で大きな揺れを感じたのは初めてだったので、かなり驚きましたが、みなさん動揺することもなく冷静でした。もう1班もなかなか重労働だったようですが、全員怪我もなく無事終わることが出来ました。お疲れさまでした。来月は22日を予定しています。* JTBボランティアバスパック: http://www.jtb.co.jp/shop/ShopOther.aspx?shopid=400&branchno=12* 南相馬市ボランティア活動センター:http://ameblo.jp/v-home-net/
May 18, 2013
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仕事が終わったら今晩出発、今月のお手伝いに行って来ます。 南相馬へ!!!今回はJTBさんのバスです。お天気は良さそうなので、そろそろ熱中症・脱水などにも気を付けながらしっかりやってきます!!!ボランティアさんが減少しているのか、今まで利用していた毎週出発していたバスも各週になったりと、バスを探すのがなかなか難しくなってきました・・・。* 4月の様子(南相馬): http://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201304130001/* JTBボランティアバスパック: http://www.jtb.co.jp/shop/ShopOther.aspx?shopid=400&branchno=12* 南相馬市ボランティア活動センター:http://ameblo.jp/v-home-net/
May 17, 2013
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今回はJTBさんのボラバスが定員割れで出ないと言うことなので、山梨峡北交通株式会さんがバスを出しているREvive Japanと言う団体さんのところにお願いしました。文字通り、山梨(!)から来ているバスです。 今日の南相馬は快晴。風は冷たいですが、日差しが暖かくポカポカ陽気です。先月ほどではありませんが、それでも南相馬ボランティア活動センターには私達34名含め100名以上の人数が集まりました。 今回も側溝の泥だしです。前回に比べて足場も良く、作業自体はさほど大変ではありませんが、1kmほどの距離をやらなければなりません。終わるかな???そんな不安をよそに、ちょうどお昼に終了しました。やはり大人数の力は凄い。そして、早めにボランティア活動センターを後にし、いつも店の開いている時間には立ち寄れない「道の駅南相馬」で、買い物をすることが出来て良かったです。 私達の行列が出来たw「凍天(しみてん)」、モチモチで美味しい!!!創業150年の「若松味噌醤油店」の味噌(辛口)、どんな味!?先月、父に南相馬の話をしたら、なんと若い頃南相馬へ行ったことがあり、その時に味噌を買ったと聞いていたので、思わず購入。もちろん実家の分も買いました。今から味が楽しみです!!!お疲れさまでした!!!来月は25日を予定しています。 まだまだほっとかないぜ!蘇れ!東北* 若松味噌醤油店:http://wakamatsu-miso.jp/* 南相馬市ボランティア活動センター:http://ameblo.jp/v-home-net/* 共催団体REvive Japan:http://revivejapan.jp/
Apr 13, 2013
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仕事が終わったら今晩出発、今月のお手伝いに行って来ます。 またまた南相馬へ!!!今回もJTBさんのボランティアバスでお願いしていたのですが、なんと定員割れでバス出ず。「どうしようかなぁ」と思っていたところへ、先月知り合った方に「山梨から池袋経由で南相馬へ行くバスがありますよ」とお誘いいただき、ご一緒させて貰うことにしました。誰かと一緒に行くって初めて(笑)。3月が過ぎて新年度、GWまではガクッと人数が減るようですが、今回もしっかりお手伝いしてこようと思います。 まだまだほっとかないぜ東北!よみがえれ東北!* 3月の様子(南相馬): http://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201303160000/* 山梨峡北交通株式会社ボランティアバス: http://www.kyohoku.jp/modules/pico/index.php?content_id=52* 南相馬市ボランティア活動センター:http://ameblo.jp/v-home-net/
Apr 12, 2013
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前回と同じJTBさんのボランティアバスで南相馬へお手伝いに行ってきました。11日を意識されてか、200人(!)もの人たちが集まりました。 まずは、センター長の熱い熱いお話で始まり、マッチング。私達のバス34人は、津波で埋まった水路・側溝の泥だしになりました。更に2班に別れて2箇所での作業になりましたが、水路の方は半分水没しているため重機が入れず、人の手でするしかありません。私は水没していない側溝でしたが、泥はそれでもかなり水分を含んでおり、ねちゃねちゃとかなり重たいです。「水路・側溝の泥を出し、溜まっている水を川へ抜く」のが、今回の最終目標です。黙祷をしてから始めました。お天気は良かったですが、かなりの強風の中の作業でした最後のツメ!!!通りました!!!奥に溜まっていた水が川へ私たちの班は午前中で完了したため、ランチをとったらもう一班へ合流しましたが、こちらもほぼ完了していました。畑に溜まった水(右)を抜く水路ですこちらは更にヘビーです皆が見守る中、せき止めていた土手を崩しますこちらも流れました!!!水が流れたときは、やっぱり嬉しかったです!!!思わず「やったぁっ!!!」と皆で拍手です。作業後、ご近所の方が水を貸してくださり、汚れた泥を洗い流しました。他の方も「うちの水を使ってくれ」と声をかけて下さいました。また、作業とは全然関係のないお家の方が、帰る私達のバスに向かって深々と何度も何度も頭を下げていました。作業で出来たマメが痛いです(笑)が、今回も行って本当に良かったです。心地よい疲労感。前回の時もそうでしたが、ほとんど初期の頃の作業内容なので、長靴を初期の頃のモノ(長いモノ)にしないといけないな、と反省メモ。道路脇に集められた瓦礫は、回収されて先月よりは気持ち少なくなったかなと言う程度で、あまり変わっていないように感じました。来月は13日を予定しています。まだまだお手伝いに行きます。* JTBボランティアバスパック: http://www.jtb.co.jp/shop/ShopOther.aspx?shopid=400&branchno=12* 南相馬市ボランティア活動センター:http://ameblo.jp/v-home-net/
Mar 16, 2013
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仕事が終わったら今晩出発、今月のお手伝いに行って来ます。 今回も南相馬へ!!!同じJTBさんのボランティアバスにお世話になりますが、今回は東京発着直行便です。今までは、東京から大宮を経由して行っていたようですが、東京便と大宮便、各週でそれぞれ直行便を出すことにより、その分活動時間が1時間ほど長くなっています。お天気も良さそうだし、今月もしっかりとお手伝いしてきます。11日からあまり日が経っていないせいか、またボランティアさんの数が増えているようです。いいね!!!2年が経ちましたが、まだまだお手伝いが必要です。* 2月の様子(南相馬): http://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201302020000/* JTBボランティアバスパック: http://www.jtb.co.jp/shop/ShopOther.aspx?shopid=400&branchno=12* 南相馬市ボランティア活動センター:http://ameblo.jp/v-home-net/
Mar 15, 2013
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朝、弘前から帰ってきたら届いてたっぺ。 東松島月浜の一番海苔あの時、お手伝いで運んだ海苔簾で作られた海苔、「新海苔(秋芽海苔)」と「月光一番海苔」です。震災後初めての出荷になり、本当の意味でも「一番海苔」。とにかく嬉しいっ!!!お礼状と復興までの詳細が綴られていました今晩早速食べてみます* 月浜地区、月光プロジェクトでお手伝いした様子: http://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201209290000/* 月光プロジェクト:http://www.gekkoh7.jp
Feb 12, 2013
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今回は、JTBボランティアバスパックにて南相馬へ行って来ました。タイムスケジュールはこんな感じです。 東京(22:30) ↓ 大宮(23:30) ↓ 道の駅「南相馬」(5:00頃)・・・身支度など ↓ 南相馬市ボランティア活動センター(8:00過ぎ)・・・マッチング・説明 ↓ 南相馬市にてボランティア活動(9:30~13:30) ↓ 入浴施設「はらまちユッサ」で入浴(15:00~16:00) ↓ 大宮(21:00頃) ↓ 東京(22:00頃)初めて旧警戒地域に入りました。(海岸沿いは除く)地震によりあまり被害を受けていない家々が建ち並んでいますが、人が全くいません。誰もいない道路で信号だけが作動しているその様子は、映画のワンシーンのようななんとも不思議な光景です。「あ、やっと人がいる!!!」と思ったら、そこはボランティア活動センターでした(笑)。去年の4月に解除されてはいますが、たとえ壊れていなくても今も住むことは出来ないとのこと。マッチングまで30分ほど時間があったので、センター長の松本さんの復興に向けての熱い熱い思いを聞かせていただきました。そして、資金の目処がつき、なんとか休止せず活動を続けることが出来るそうで、良かったです!!!海岸に近づくにつれて、津波で壊れた家がそのままに、まだたくさん残っています。今回は、その旧警戒地域内の海岸から50mほどにある個人のお宅の片づけです。海に向かって1分間の黙祷を捧げてから作業にかかりましたが、ここに来るまでの景色を見て久しぶりの感覚に涙が出ちゃったのは内緒です・・・。広くて立派なお家でしたが、一階部分を津波が抜けてしまい、もう住めるような状態ではありません。家の中から家財道具を全て出して分別、まとめると言う結構な力作業です。震災からもうすぐ2年。その年の5月からお手伝いに行っていますが、またこのような作業をするとは思ってもみませんでした。まるで、ここだけ時が止まっているようでした。すぐに立入禁止区域となって、他よりも遅れている事はおおよそ予想がつきましたが、解除されてからも8ヶ月経っているのにも関わらずあまり片づいていない状況、そして、国の瓦礫除去作業が昨日からやっと始まったと言うことに驚きました。昨日からって・・・。* 旧警戒区域で初のがれき撤去…福島・南相馬(毎日新聞) :http://t.co/Q4hMRJuj (Y!ニュース)他の所では、同じ8ヶ月でももっと進んでいたように思います。 消波ブロックがありますが防波堤が一部壊れていました今回はお昼が出ないので作ってきたお弁当をここで食べました「はらまちユッサ」お年寄りの方が多く来られてました波をかぶってしまったので、砂まみれで固まっており、ほとんどのものが使えません。箱に入ったままの真新しい食器なども、「持って帰っても(仮設は狭くて)置き場所がないから処分してください」と言われました。何かを動かせば、もの凄い砂埃が舞います。そして、あの臭いも。壊れた家の中から、テレビや冷蔵庫は勿論、障子にタンス、洋服や食器に本などをどんどん出し、いるもの、いらないものは燃える・燃えないと仕分けて、大きなものは解体し、胸の高さまである大きな袋に20個ほどになりました。大まかには、ほぼ片づけ終わった感じです。お母さんと娘さんも一緒に作業していましたが、住んでいた家が地震と津波によって壊れ、それを片付ける、その気持ちを考えると・・・。帰りの挨拶の時、娘さんは、、、泣いていました。そんな彼女とお母さんになんだか「がんばって」とも言えず、「お元気でいて下さい、応援していますから」と言うのが精一杯で、大きくうなずく2人を見て私も思わず泣きそうでした。そして、作業途中にお母さんが「ここは放射能は大丈夫だから」と気遣ってくれたこと、帰りに私たちに向かって「ありがとうございました」と何度も何度も深々と頭を下げていた姿が忘れられません。初心を思い出させてくれた、そんな今回のお手伝いでした。来月は16日を予定しています。* JTBボランティアバスパック: http://www.jtb.co.jp/shop/ShopOther.aspx?shopid=400&branchno=12* 南相馬市ボランティア活動センター:http://ameblo.jp/v-home-net/* はらまちユッサ:http://www.yussa.jp/main.html
Feb 2, 2013
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仕事が終わったら今晩出発、今月もお手伝いに行って来ます。いつもお世話になっている「なの花交通」さんのボランティアバスが定員割れの為出ないので、今回は「JTB」さんのボランティアバスで行って来ます。 南相馬へ!!!初めて行きます。こちらは、南相馬市ボランティア活動センターに寄せられたニーズで活動しており、主に旧警戒地域での活動です。警戒区域だったところは、やはりまだ手つかずのところが多くあるようですが、南相馬市ボランティアセンターは、資金難の為に2/12~3/20の期限付きながらも活動休止なんだとか。う~ん・・・。初めてお世話になるバス、初めての南相馬ですが、とにかく現状をこの目で見て、そして今回もしっかりとお手伝いしてきます!!!* 1月の様子(南三陸町): http://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201301120000/* JTBボランティアバスパック: http://www.jtb.co.jp/shop/ShopOther.aspx?shopid=400&branchno=12* 南相馬市ボランティア活動センター:http://ameblo.jp/v-home-net/
Feb 1, 2013
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南三陸町に引き続き残って作業している仲間からメールが。待ちに待った「クレーン船」が来て、今日早速作業したそうです。良かった!!!先月行ったとき、地元の方が「もうすぐクレーン船が来るんだ」と嬉しそうに言っていた顔を思い出します。お疲れさまです!!!早速引き上げられた瓦礫クレーン船については、DSPさんでずっと検討されてきたことでした。DSP災害支援プロジェクトでは、三陸沿岸地域の海底捜索を震災当時から継続して行ってきました。潜水により海底に沈んだ車にブイをくくりつける搜索を行なってきましたが、多数が未だ引き揚げられていない状態です。理由は、引き揚げにはクレーン船が必要ですが、そのチャーターには数か月で数億円の費用が掛かるからです。現在は、行政の予算にその費用を頼っていますが、迅速な対応は困難な状況です。新たにクレーンを私たちの法人が持つことができるならば、その引き上げのテンポが加速することは火を見るより明らかです。今なら、クレーン船が1000万円あれば購入できます。DSPでは、皆様のお力をお借りして、何とか1000万円を集めたい。1000万円を集めることができれば、数億円の費用が掛かるために引き揚げを断念してきた車両や行方不明者の手掛かりを家族に帰すことが出来ます。漁場を取り戻すことができます。未だ行方不明の家族を探している被災者がたくさんいます。多くの漁師が生活に困窮しています。今後被災地にて海底の瓦礫や捜索には欠かせない物です。県や行政が不可能な機動力を当法人に持たせて頂きたい。今後、先数年間で捜索や瓦礫撤去で数億円の予算は間違いなくかかります。被災地での無駄を省き、被災地皆に届く支援として、一つの最高なスキルを確立し、今の揺れる政治に期待するのは辞め、皆で期待に応えようではありませんか。ご支援を宜しく御願い致します。* DSP災害支援プロジェクト:http://dsproject.org/
Jan 13, 2013
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今年最初のお手伝いに行って来ました。結局、なの花さんからは22名、DSPさんから5~6名ほど(?)の、30名弱集まりました。当初の予定は「海岸沿いでの捜索活動」と聞いていましたが、今回の作業は、 たんぼを耕すに変更に。まぁ、よくあることです。 たんぼを耕すとは思えないツールです(笑)個人の方が所有しているたんぼですが、再びたんぼとして使いたいと考えているのこと。津波で流された上に、草が生えて荒れています。こういった活動をしていると、よく「こんなの機械で耕せばいいぢゃん。なんでわざわざ人の手で!?」と言われますが、被災された方々は(金銭面でもそうですが)精神的に参ってしまっている方が多く、今回依頼された方も「考えている」と言っているように、思っていてもなかなか復興への一歩を踏み出せないでいます。こうやって、ボランティアが動くことは、復興への一歩を踏み出すキッカケを作っていることにもなるわけで、だったら効率が悪かろうがなんだってやりますよ!!!あの日からもうすぐ二年になりますが、まだまだ忘れてませんよ、応援してますよ、お手伝いしますよ、と。つまりはそう言うことです。さて、そのたんぼ。やっぱり広~い(笑)。そして季節柄カチコチに凍っていて、ツルハシ(!)でもなかなか刺さらない状態です。たんぼってツルハシで耕すっけ!?的な。溶けてやわらかくなるだろう昼から午後をメインと考えて、午前中はセーブして行きましょうと、作業開始。かなりの力作業です。ビフォー:一列に並んで耕していきます カチコチのたんぼ/まだ少し瓦礫類が出ます南三陸町津の宮の港今日は穏やかでした 今回のランチは「山かけ丼」にアツアツのお汁作業後どろどろになった長靴を港で流しましたアフター:ほぼ耕し終わり昼過ぎからは、グンと効率が上がり、予定していた場所は耕し終わりました。細かい作業までは終わりませんでしたが、それは次発隊に引継と言うことで。作業後は、いつものように「南三陸さんさん商店街」で一杯引っかけ(笑)、今回はホテル観洋さんではなく、最近再開したという「延年閣」さんのお風呂を頂きました。山はちっとも低くならず牡蠣?海苔?網が入っています、イイネ!!! 今回は「ウニめかぶ」と一ノ蔵/延年閣今回もしっかりお手伝いできました。とりあえず、体がギシギシです(笑)。来月は、2月2日を予定しています。お疲れさまでした。* 南三陸さんさん商店街:http://www.sansan-minamisanriku.com/* 延年閣:http://www.ennenkaku.jp/* なの花交通ボランティアバス:http://nanohanabus.com/bora.html* DSP災害支援プロジェクト:http://dsproject.org/
Jan 12, 2013
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仕事が終わったら今晩出発、今年最初のお手伝いに行って来ます。今回は、雨の心配はなさそうです。寒さ、安全に気を付けて、しっかりやってきます!!!1月に入って、参加者は少ないようです。申し込みの時にも言われたのですが、やはりギリギリまで募集をかけて、やっと最少催行人数(25名)に達しました。なかなか催行決定の知らせが来ないので、中止になるかもと思いましたが、良かったです。* 12月の様子: http://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201212150000/ http://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201212150001/* なの花交通ボランティアバス: http://nanohanabus.com/bora.html* DSP災害支援プロジェクト:http://dsproject.org/
Jan 11, 2013
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なの花交通のボランティアバスでは、自己紹介等などの全体交流的な事はやりませんが、今回は10名の少人数と言うことで、南三陸町さんさん商店街にて「南三陸復興祈願麦酒」で軽く打ち上げ(?)をしました。ジェイソンKさん、ビールをご馳走様でした。皆さんお若く、ワタクシ女子では一番のお姉さん(笑)、10名の中でも2番目でございました。ぷ。前回は名物キラキラ丼を頂きましたが、今回は澤乃泉で牡蠣を。もちろん、うままままま~その後ホテル観洋さんの温泉で暖まり、ラウンジにて再び交流(笑)。最近こういった密(?)な交流がなかったので、楽しかったです。っつか、ワタクシばっかりベラベラしゃべっていたような!?、、、気のせいにします 南三陸町さんさん商店街ホテルのラウンジではジャズ生演奏がありました皆さん、お疲れさまでした。そしてありがとうございました。また、バスで会いましょう私の今年のお手伝いはこれで終了、乙!!!今年は5月と7月を除き、月イチで10回行くことが出来ました。また来年も月イチ目指してがんばりますとりあえず、一発目は1月12日を予定しています。* 神割崎キャンプ場:http://www.m-kankou.jp/facility/kamiwarizaki/* 南三陸さんさん商店街:http://www.sansan-minamisanriku.com/* 東北宮城県南三陸ホテル観洋:http://www.mkanyo.jp/* なの花交通ボランティアバス:http://nanohanabus.com/bora.html* DSP災害支援プロジェクト:http://dsproject.org/
Dec 15, 2012
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温かくて美味しいランチを食べ、ぬっくりしたら再び作業開始。キャンプ場に戻る前に、食堂にいた方のお願いで船を運ぶお手伝いをすることになりました。10名で車への積み卸しです。小型の船とは言っても、かなりの重量感。中に溜まってしまった水を抜いた状態で、10名(男7女3)で持ち上げるのはギリギリでした。 せーのっ!!! 手、挟まないで!!! 足、気を付けて!!!みんなで声を掛け合いながら、慎重に慎重に。 港の脇の丘に放置されていた船逆さにして中に溜まった水を抜きます水を抜いても結構な重さ、、、10名でギリでしたエンジンは流されてしまいましたが修理して再び使うそうです車に乗せた状態・運ぶ姿は、ここだけの話とんでもないことになっていたので(笑)画像は載せませんが、無事運ぶことが出来ました。地元の方も、私たちも、みんなみんな喜び笑顔でした。その後は、再びキャンプ場に戻り、午前とは別の遊歩道の整備にとりかかりましたが、ここも、ほぼ時間内に綺麗にする事が出来ました。埋もれた石段を掘り起こす作業でしたいつもグループ分けをするとは言っても40~50名の大勢部隊で一帯を作業していたので、今回の20名弱ではそんなに進まないのでは・・・と思っていましたが、綺麗になった遊歩道、何よりも船を運ぶ事ができ地元の方の笑顔が見られたのは、とても嬉しかったです。1人よりも2人、2人よりも3人、、、10名でも、こんなに出来るんだと実感しました。「(漁師が)陸ばかりいて、心がすさむから置いている」と説明してくれた羅針盤を見て、復興するには本当にまだまだ時間がかかると思いました。
Dec 15, 2012
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今年最後のお手伝いに行って来ました。先日の地震の影響で安全面から、なの花交通さんでの催行は中止になっていますが、DSPさんの依頼により急遽「なの花便」が出ることになりました。急なこともあり、今回の参加者は10名でした。天気は小雨。本来なら雨の中の作業はやらないのですが、せっかく来ていただいたと言うこと、少人数と言うこともあり、今回は狭い範囲の作業です。場所は神割崎キャンプ場。南三陸町は漁業はもちろん、景勝地ということもあり民宿やこういったキャンプ場でも成り立っています。営業は再開しているそうですが・・・。ここは一組のご夫婦が管理されていますが、広大な敷地ゆえ、なかなか2人だけでは手入れが全部行き届かず、荒れている場所が目立ちます。業者に頼むにもお金がかかるし、援助も自分の所まで回ってこない。こんな荒れた状態では「どうぞ来て下さい」とも言いにくい・・・。つまりは、そう言うことです(笑)。赤丸:午前の作業場所/黄丸:午後の作業場所 とても良いキャンプ場で眺めが素晴らしいですキャンプ場の案内図を見てもらってもわかるように、所々から海岸へ下りる遊歩道がある、、、はずなのですが、草が腰の高さまで生い茂りまったくもってわからない状態です。今回は、その遊歩道の整備です。総勢18名。針葉樹ですが、多少の雨はしのげるので、雨はあまり気になりません。とは言っても、泥だらけになりながらの作業になりました。鎌でしばらく草を刈り込んでいくと、階段らしき丸太が出てきます。次に、鍬で階段らしくならしていくわけです。倒れた大きな木、タイヤやビニールなども片付けました。少人数にも関わらず、午前中には予定の遊歩道はすっかり綺麗になりましたが、そうなると今度は海岸に打ち上げられている瓦礫類が気になるみんな(笑)。ま、それを片付けるのにもまずは道がないと、ですから。海岸の片づけは追々でしょうと言うことで、ランチタイムとなりました。ビフォーアフター海岸には瓦礫類が散乱・・・ ランチは今回も温かい中華バイキング!!!
Dec 15, 2012
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仕事が終わったら今晩出発、今年最後のお手伝いに行って来ます。予報は雨。頼むから降らないでくれ!!!* 11月の様子: http://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201211230000/* なの花交通ボランティアバス: http://nanohanabus.com/bora.html* DSP災害支援プロジェクト: http://dsproject.org/
Dec 14, 2012
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