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今日、娘のボーイフレンドと(まさに男友達)一緒にお出かけをしました。自転車で、1時間半くらいかけてプールまで。プールについて、彼のそばになかなか行こうとしない娘に「彼を一人にするもんじゃないよ。こういう時こそそばに一緒にいて遊ぶ。お膳立てしてるんだから」というと、「彼はマイペースなのよ。だから、大丈夫なの」見ていると、本当に自分の好きに動きたい感じの子。そして、ちょっと緊張のせいかな、動きが微妙に多い感じ。彼も診断をされている子なの?そんな風に聞くと、そうじゃないという。でも、診断をされている我が子よりも、ずっと特徴のある子。診断こそされていなくても、そういう傾向にある子なんだなぁ。。。そんな風に母は思いながら、ゆっくり彼のペースに合わせて行動をすることを娘に提案し、また、娘の希望も通しながら今日一日過ごしました。娘はいろんな人がいることをよく知っています。そういう人とどう付き合えばいいかも心得ています。なぜならずっとそういう子供たちの間で育ってきているからです。お互いに思いやり、配慮する、そういう人にどんどん育っていってくれるといいなぁと母は遠めに見ながら、今日一日思っていました。
2018.05.05
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最近出版されている本の中には、発達障害というのは定型発達の人がいきなり言葉が通じないよその国にポンと入ったようなものだと書いてあるものがあります。まさに、その通りなのではないのかな?と思っています。ただ、定型発達の人がよその国にポンと入っても、いずれは言葉を学びコミュニケーションがとれるようになるとは思います・・・。しかし、自閉症の人を言語の世界に参入するのを拒んだ人という表現方法をした、ラカン派の医者もいるように言語によって解決するとか、何かを学べば解決するとかそういうことではありません。DSM-5が出てからは、アスペルガーとは言いませんが高機能の人たちからすると、言語の世界に参入しているようにも見えます。それでも、言語ではなくイメージの世界であり、言語ではありません。なぜなら、それはその場の感覚でしかなく、認識ではないためです。感覚過敏により、関係の発達が学べず言語の世界への参入ができなかったがために、認識の発達も学ぶことができないのが発達障害と呼ばれる人たちです。そして、これは多くの人たちにも言えることなのです。すべて正しく物事を認識したり、親子の関係が一つもズレがなくなんて言うことは現実にはありえません。また、認識の発達も人によって得意不得意があるはずです。個性と普通の人が呼んでいるものです。なので、定型発達だもん、発達障害じゃないもんという人も必ず一つや二つ当てはまることがあるのです。それがごく普通のことなのです。そして、その度合いが強いか強くないかの違いです。そうやって考えていくと、定型発達だといわれていてもきちんとその子に合わせた接し方などがあるはずです。それは定型発達であればこそ、親が判断するしかなくなっていきます。私はできているわ、自信があるわ!と胸を張って言える方はどれだけいらっしゃるでしょうか?時折、子どものやることがよくわからなかったり、頭ごなしに叱ったりはしていませんか?「いうこと聞いてくれない!」「最近反抗が多いから、つい言い負かしてしまう」そういうことの積み重ねがストレスになり、定型発達だった人も発達障害のような症状が出ることがあります。だからこそ、定型発達も発達障害も、実はつながっているんだと自覚し一時的でもそのような行動が出ないような関わり方をしていきたいものです。
2018.05.01
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発達障碍児に環境調節はとても大切なことです。それは最近ものすごく言われていることなので、どんな親御さんも知っていると思います。では、その環境調節の環境とはいったい何のことかご存知でしょうか?一般的な考え方の環境は「場所」なのではないかと思います。環境って言われるときって、住宅環境、地球環境、生活環境、などの場を指すことがとても多いように思うのですが、いかがでしょう?しかし、人間の環境の調節となると、それは空間や場所という概念だけではなくなります。人間関係の調節も環境調節の一部になります。そのため、学校の中で環境調節を求める場合「うるさくてしんどい時にタイムアウトできる場所を確保してもらう」や「光過敏のため、あまり日の当たらない廊下側の席にしてもらう」などを求めがちになります。しかし、コミュニケーションの困難さを抱えている場合はお友達等の間に先生が入って共に遊んだりすることも求めてよい環境調節の一部です。学校はそれでよいとして、家庭内での環境調節はどのようにしていくのがよいでしょう?学校では刺激が多く疲れて帰ってくる我が子に対する環境調節です。皆さんならどうされますか?あまり多くを言わず、子どものその時の様子に任せたり子どもの思うがままにさせてあげますよね。また、スケジュールの表などを見せながら「今はこれをやります」と、適度に頑張らせますよね。しかし、定型発達の親でそれができる親はなかなかいません。「宿題はやったの?」「ランドセルは片づけたの?」「明日の支度は?」「ほら塾の時間よ」「ピアノのレッスンの時間よ」「テレビを見てる場合じゃないでしょ」こんな小言を言われているとは限りませんが、学童保育所などに通っていれば通っている子ほど時間に追われ、やることが一向に終わらず、学校でもストレス、家庭でもストレスなんてことがあったりするのが今の現状です。また、受験のためといって塾に行っていたりすれば、なおさらにストレスフルな状態です。それを悪いとは言いません。ただ、親とのコミュニケーションがお小言になっているのは親の関わりの環境調節はできていないことになってしまいます。発達障碍児の親は、病院の先生や心理士さんからペアレントトレーニングなどを通して、子どもが一番伸びるときは子どもが無理をしていないとき、というのを教えてもらいます。定型発達の親は、そういうことを一切誰にも教わることがなく自分が子供のころ親にしてもらったことを、そのまま子供にしていることがとても多いのです。学校の子供たちのストレスフルの状態を見ているとどの親御さんにもペアレントトレーニングや、子育て法などを覚えたほうがよいのではないかな?と思う機会がたくさんあり、障害児の親としては定型発達も障害児もないのだなと思ってしまいます。今も子供の不登校や、自傷行為、他害(言葉での傷つけなども含め)一向に減っているとは言えません。子どもに障害がないからといって安心はできないのではないでしょうか?定型発達の子の親にも、環境調節の考え方を知ってもらい活かしていく機会はないものか・・・と、私は思っています。
2018.04.30
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このブログが動いていた2010年。私は離婚して、子どもたちと今は亡き友人の住む街へ引っ越しました。そして、その時にういは学校へ行く楽しさを知り、学校は嫌なところではないと思えるようになりました。母子家庭でもホームスクーリングをしている人がいることは知っています。でも、我が家は私にそんな手に職も持っていないし支えてくれる仲間も亡き友人のみの生活だったので、どうしてもホームスクーリングの継続は難しかったのです。その街で、我が家の問題点が新たに生まれてしまい、母を頼り結婚している間に住んでいたのと同じ市に住むことになりました。そのおかげでせっかく学校が楽しいと思えるところになったはずなのにまた学校へ行きたくないとなり、長い間学校へ行けず私は彼女の生活の支えとなるよりも、働くほうを今回は選びました。そのため、彼女は特別支援学級に所属することになりました。今年、都立高校に入学したので、特別支援とは少し離れたところにいます。また、障碍者手帳はまだ持っていないので、まだ障碍者としてして生きていくかはわかりません。それでも、ういは元気に精いっぱい頑張って学校に通い生活しています。さて、他の子どもたちですが・・・・。そまも一時期、特別支援級にいました。末っ子のゆづも今、特別支援学級にいます。でも、いずれはういと同じように都立高校に入学するのが目標です。私も、特別支援を必要とするような子供たちの親御さんと話をして少しでも多く家庭生活が安定して楽しく、子どもたちが伸び伸びと生活できるようなそういう支援活動をしていきたいと思っています。特別支援が必要なお子さんが学校で伸び伸び生きていきたいと思うときに周りのお子さんのストレスが多いと、周囲にストレスをばらまくことがあるのでそういうお子さんが少しでも減ればいいと、普通のお子さんの親御さんともお話ができたらいいなあと思っています。それがどんな形になるのかは、まだはっきりとは決めていません。でも、近い将来多くのお子さんが楽になれるような家庭環境を作るための支援の設立を目指しています。特別支援は何も発達障碍者だけのものではありません、学校だけでやることでもありません。家庭でのお母さんたちの関わりがものすごく大切なことだったりするのです。私の活動の応援をしていただけたら嬉しいです。
2018.04.29
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野口整体の世界では、3歳には女の子は女になる。 3歳のお誕生日を迎えた小さな娘は、明らかに女だ。 今朝、娘にピンクのブラウスを着せて、灰色のパンツスカートをはかせた。 くるっとまわってお尻をふり、くねっと、腰をくねらせて「うふっ」と言った。 その姿に、母は呆気にとられてしまった。 あまりにも女らしい。 小さな娘が私の頬にキスをするとき 真剣な面持ちで「ママ」って言ってから、 両手で頬を挟み横を向かせてからキスをする。 熱い抱擁までついてくる。 このキスの一連の行動は、毎回するのだからこちらとしても慣れたものでさっと頬を出す。 始めのうちはよだれまみれだったキスも、あっという間にフレンチキスになっていた。 とても素敵な行動だと思う。 愛しているよ、好きでいるよ。 体全部で表現する小さな娘は、とても愛らしい。 幸せなことだと思う。 小さな娘が、今朝自分でサンダルをはいた。 履く前に「ママ、サンダルいい?」って聞いた。 「サンダルはダメだよ」とたしなめるものの 小さな娘は一向に返さない様子で、それを履いて「履けたよ」とにっこりしていた。 まぁいいだろう。 自分ではいたのだから、別の靴を持って保育園に行こう。 そうすれば何も問題はないのだから。 私もイライラするのをやめて、胸に抱き寄せようとしたら 小さな娘は「イヤ」という。 なら、おんぶをしてやろうとすると、背中を押してそれもイヤという。 その代わり、右手を私に差し出してきた。 その手を上から握ったら、下から握れと握り返されてしまった。 やれやれ。 いつまでこの状態で手を握れというのだろう。 長く、それが続けばいいなどと母が思っている由も知らずか 小さな娘は「ぴょん。ぴょん。」といいながら、手を引かれながら一段ずつ階段を下りた。
2011.10.04
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先日、友達の家にういが遊びに行き、お泊まりさせてもらった事がありました。以前なら、冷蔵庫を開けたり、あちらこちらの物をいたずらして壊してしまったりそういうことが結構あったのですが、今回はびっくりするぐらいお姉さんしていて驚いたとのこと。学校へ行っていたころと、家庭にいる生活を始めたこの有様を比べるとどれだけ学校がストレスになっていたかわかるし始める前は学校行かなくて大丈夫?って思っていたけどこの差を見ていると行かなくて正解だったんだなって思うよ。すごい成長をこの数か月で見た気がする。絵都ちゃんの対応が変わったのもあるのかもしれないしういに余裕ができたのかもしれないし、通級に行っているから落ち着いてきたのかもしれないしどこが良かったかなんてわからないけど、今、すごくいい生活をしているんだなってわかるぐらい、落ち着いてて驚いたよ。そんな風に言われました。私も本当にそう思うよって言いました。誰もが驚くような落ち着きある生活していてみんなが気持ちよく生活するにはどうしたらいいのかな?って一緒に考える余裕もあるし。間違った事をしたときは、その事でしか説明できないのでやっぱり2,3歳レベルって思う時もあるけど、ここまで落ち着いていられたら、なんの問題もないです。ホームスクーリングにしてよかったんだって、ほんと思います。
2010.07.31
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5歳になったばっかりのそまが、夕べ。僕やういやゆづが生まれる前は神様のそばにいたのでしょう?何をしていたの?って言っていました。だから、天使だったんじゃないのかな?と答えると天使?天使かぁ。ゴセイジャーと同じだね!レスキューフォースの石黒は怖いよ。お母さんゴセイジャーも石黒もよくわからないけど、神様のそばに居たってことはわかるよ。そういうと「お母さんもお父さんもおばあちゃんたちから生まれる前は天使だった?」と。そうだと思うって返したら、納得しているような顔をしていました。いつか宇宙へ行きたいそまが、こんなお話信じてていいのかしら。そう、近所のお母さんに言われたけど今、ペニスとヴァニナがなんて話したところで、仕方がない気もします。もう少し夢の世界、楽しんでほしいなぁ。
2010.07.15
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私の母の実家は古くから養蚕と機織りを営んでいた。そのため、母の生家は古く黒光りする柱が立ち、大きな仏壇があり練炭ではなく、電気で使えるようにはなっていたがそれでも立派な掘りごたつだった。昔は囲炉裏だった残りが天井の梁に残っていたり養蚕は屋根裏部屋の2階で行うため、土間に2階へ登るこれもつや光した柱があった。引き戸の玄関も、土間と居間の境の引き戸もガラスで出来ていて玄関に限っては立て付けも悪く、うまくしないと開かない、閉められない家だった。風呂場はなく、あったのは簡易で付けた湯船と玄関外にある灯油式のボイラー。湯船の置いてある所の下は、ビール瓶ケースが逆さまに2段積み重ねられたものが土間を風呂場に分けた場所に敷き詰められていた。しかも、大人と子供1人がぎりぎり乗れるスペースしかない。その向こうは土間になっていて、湯船の脇に2層式の洗濯機がおいてあった。湯船に入ると、湯船ががたがたと音を立てた。この簡易の風呂場の扉は木で出来た扉だったが、立て付けが悪く子供の力ではなかなか開かなかった。また、カンヌキのようなもので止まっていたため、余計に動きが鈍い。縁側にある雨戸、閉めた所を見たことがない。へっついは玄関向かいの外に作られた小屋の中にあった。母は子供の頃ここで毎日ほうとうをうって夕餉の支度をしたと言っていた。小学校6年の冬、この家の移築が開始された。この家を建て替えると言われたとき、たぶん悲しんだのは私一人ではないと思う。でも、あの家がなくなると聞いたとき、泣いたのは私一人だった。散々泣いて、それでも悲しくて移築される年の夏休みを、一人でここで暮らした。おばあちゃんが、この家を手放す理由をきちんと説明してくれたおかげで私は移築が開始されたとき泣かずに済んだのだと思う。茅葺き屋根の家は、その葺き替えに100万程かかる。葺き替え職人がほとんどいないこと。近所の家がほとんど茅葺き屋根でなくなっているためみんなで助け合いという感じでもなくなってしまったこと。何よりも若い人がいないため、手伝いたくても手伝えない事。それなのに、抜け落ちているところ、腐り始めているところが沢山ある事。このままの家を相続という形で、受渡したところで受渡された人が、今上の苦労が待っていること。私は納得したわけではなかったけれど、仕方が無いことなのだろうと思った。母の兄弟は皆、おばあちゃんが土間から家に上がるのが大変になってくることなどを考えると建て替えはとてもいいことだと言った。確かに。おばあちゃんが死んでもらっても、怪我してもらっても困る。このとき、お婆ちゃんは80を超えていたから古い家に暮らし続けることの大変さも、私が支えていけないこともよくわかっていた。お婆ちゃんはまだ生きている。しゃきしゃきして、庭の畑仕事をしたり老人会の集まりにも杖なしに自分の足で歩いていく。あの家とお婆ちゃんの命が引換だったわけではない。ケガもせず生きていられるのは、安全な小さな家に立て替えたからなのでは?とも思う。それでも、私はあの家が懐かしい。大黒柱に鼻をつければ、燻されたのなんてずっと昔なはずなのに燻されていた匂いがする。縁側に座り、外を眺めるだけでよかった。ボットン便所の窓ガラスが欠けていて、そこから見える小さな世界が好きだった。お仏壇の置いてある、暗く小さな部屋が怖かったけれどそれでも、そこに半日も座っていられるほど好きだった。居間と台所をつなぐ戸棚はどちらの部屋からも開けられるようになっていて大概の食べ残しはそこに置かれているスペースが好きだった。土間の上がりにある、床下収納の蓋がどれもぎぃぎぃってなるのが好きだった。ねじ巻き式の柱時計が鳴ると怖いけど、振り子が動くたび頭を揺らして楽しんだ。あの懐かしい家は、資料館に行ってしまって私が住める家ではない。見ることはできるのに、住めない。それが何よりも悲しい。なかったら、あきらめがついていたのかも。おばあちゃんは一度も足を運んでないと聞いた。見れば暮らしが蘇るから、行けないのだと思う。だって、あの家はお婆ちゃんの愛しい人と暮らした家で愛しい人をなくした家だ。いろんな古民家がある。その古民家にもきっと暮らしがあったはず。いつか、その暮らし蘇らせたい。手放さなければならなくなった気持ちをわかったうえでその中へ暮らしをひろげてみたい。でも、私はお婆ちゃんの今の家を引き継いでいきたいと思っている。母がお婆ちゃんとおばちゃんの面倒をみることになったから相続の権利が私のところへも回ってくることになった。あの土地と、家を、いつまでも残していきたい。血が、そこにあるから。
2010.06.16
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最近、ものすごく落ち込んでいて這い上がれてきません。日本語の通じない人と生活していて、どうしたらわかってもらえるのか私にも全然わからなくて、困り果てています。先日も「宿題を終わらせてくるから待っててね」と言われたことがわからずお友達を怒らせてしまいました。家事をすれば「遊んでくれない」と怒り・・・。旦那は家のことをしてないと怒り・・・。そまは、酷く甘えん坊になり、毎日おんぶしてます。こんなことでいいのでしょうか。このままじゃ私がダメになりそうです。4歳の弟よりも日本語理解力が劣っている。友達と遊ぶのにも、自分の想像を超えるとパニックを起こして泣いてしまう。これが最近のういの状態です。近所のママ友に「ここんちはみんな甘えん坊だからね~」と言われてしまいました。そのママ友の家は、4人兄弟で中1、小5、小1、年中です。みんな自分の世界を持って、楽しく生活をしています。「3人目以降の子育てはとても楽だったし楽しいわよ」と言われますが我が家はひとつも楽ではなく、苦が2倍の状態はかわりません。もっとういの事を理解して、もっとういの状態に合わせた対応をできるように私がならなければならなのだと思っています。今までもしんどい~って書いてきたけどそれ以上にありえないぐらい、今、しんどいです。
2010.06.07
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夕方、さっきのブログを書いて、ういと一緒にお風呂掃除をしていたらうい「うい、お母さんが疲れてるのは嫌なの。 だから学校行くって言った」私「じゃあ、疲れてなかったらいいの?」うい「そうだよ。お母さん最近変だよ」ごもっとも。母は最近疲れはててました。体も心も。そまの事、幼稚園のこと、読み聞かせのこと、療育と言う観点でみた育児・・・。焦るとか、焦らないとかじゃなくて疲れはてて、何が何だか本質的なものを見落としている感じ。私「ごめんね」うい「いいよ。ういは学校よりお母さんといる方が好きだよ」困ったかあちゃんだ。あたしが一番ガキだわ。ごめんね、ういさん。ごめんね。はぁぁぁ、もっとしっかりしなくちゃ。
2010.05.24
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私はどこへ話をしたらいいのだろうか。もうどうしていいのか、本当のことを言うとわからない。何を楽しんだらいいのかも。療育に力をいれるのか、教育なのか、どうするのか。通級が沢山あったらいいのにねっていう、ういの一言はもっと遊んでもらい、もっと関わってもらいたいという願いの表れだと思う。退屈しているのなら、退屈しとけって思うが何していいのか分からないのが、発達障害から来るのならそれは酷く残酷なことだろう。子どもってほっといたら何かするっていうのは、そまを見てたらわかる。でも、ういは絵を描くにも側につかなくてはならない。唯一できるのは外遊びだけど、ずっと人を探し求めてうろうろしている。自信のなさか、主体性のなさか。言葉のない子には、ものがたりがないと聞いたことがある。ものがたりのない子は人を求め、ものがたりがないからそれを続けることが出来ない。それは、まさにういだ。言葉がないのは、発達障害による勘違いからくるものでこちらからの働きかけがなかったわけではない。どうすることが一番いいのだろう?ういの望む教育は、通級が1週間続くこと。今日、都の八王子特別支援学校のコーディネーターに電話で相談してみた。希望の教育は出来るのか。やっぱり無理だった。できる事は、WISC-3の結果を元にどういう教育指導なら通常教育で出来るのかを担任、養護教員、コーディネーター、通級の担任みんなで考えて、ういの発達に合わせた教育を受けられるようにする事。場合によっては固定級に入れるかを選定委員会でみてもらう事。それしかないそうだ。でも、コーディネーターを頼むという案は私もわからなかったし、知らなかった。この人達は学校の担任からの要請で動くのが本来の申請のしかたみたいで私たち保護者が知らなくても無理はないし、ういのように受け身タイプの子には知る由もない、という人たちみたいで今日、初めて仕組みと存在を知った。通級の先生と学校の担任と、ういが戻ってもいいと思っていることを伝えた上でこのコーディネーターを頼むことは出来ないのか聞いてみる必要があるとおもう。もし、それでクラスの状態がもっとよくなったらいいと思うしういもそのお陰でいやすくなれ、学級内で家庭で療育がもっと出来るようになったらいいと思う。学校にいることにメリットを感じているわけでも何でもない。ういが行きたいから行かせられる環境を作りたいだけ。学校教育なんて糞食らえだけど、ういの希望には変えられないからもう少し頑張って様子見て、それでも行かせられる状態じゃなかったら諦めて転校や固定給、私立も頭に入れなくちゃならないなぁって思う。やれること、やります。
2010.05.24
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我が家は私の影響力が強すぎて、ホームスクーリングを選択させたのだと思う。「自分で選択することに意味がある」のであって、「自ら選択していない教育では意味がない」というのがオルタナティブ教育の根底にあるものだと思う。幼ければ幼いほど、選択は難しいものになりしかし、それしか知らなければ教育の選択はなり得ない。だから、教育の選択とはあってないようなものなのかなと思ったりもする。私はういの教育は我が家でするべきだと思った。なぜなら、学校に行き友達ともうまく行かずいじめにあいその上、授業はついていくことが出来ず、先生の怒りにおびえ生活し可愛がってくれる上級生が徐々にいなくなり、先生たちに可愛がられるもののそれがますます友達の反感を買ってしまう。そして、帰ってきてから先生の出すたった一枚のプリントを2時間以上かけてやる。この生活は私だけではなく、娘にも辛いはずだろうと思った。実際、学校から帰ってくると、いらいらが募り弟に当たり一学年下のの友達に当たり遊びもわがままをガンガン通そうとする。叱れば泣き、そのまま泣き続けることもある。この子なりに背負っているものがあるのだと、そのとき思う。学校で苦労していて、でも苦労している理由が本人には分からない。そしてそれを言葉にすることができない。そういう人なのだ。週に一回特別支援学級へ通う。ういは「もっとあったらいいのに。学校、通級だったら毎日行きたいのに」って言う。先生は優しい。そして、先生は大きな声を出さない。一対一で付き合ってもらえるので、安心感がある。することを提示してもらえる。でも、これは毎日ではない。もしこのような教育をもっと受けたいのなら、子供とあちらこちら見学して過疎化で子どもが学年1人ぐらいの学校へいくか情緒学級のある私立の特別支援学校へ入学するしかない。教育の選択とは、そういうものか?今ある環境で選択するのならば、今の学級へ戻るか、このままホームスクーリングを続けるかのどちらかしかない。どちらも娘の希望ではない。今できる最善の対処をしているだけだ。これしかないのなら、これでいいのだろうとも思うが、どうするべきかもっと考えて子供にこういう選択もあるがと提示するべきなのだろうと、最近、思っている。
2010.05.20
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そまは今、幼稚園に行っています。しかし、幼稚園が楽しくないそうです。いわゆる行き渋りっていうやつです。幼稚園でそまの好きな工作をしているとお友達がよってきて「そまのかっこいいから俺にも作って」と、いくつも作ったりすることが続き工作をするのをやめたみたいです。ブロックで作っていると、またよってきて「そまのかっこいいから俺にも作って」と言われブロックで作るのもなんだかつまらないと言います。いいじゃないか、自分が素敵だと思っていたのが周りの人も素敵だと思ってくれるんだから、喜んで作ってあげたら?と思うけど。でも、そういうことじゃないみたい。自分で創作したもので遊ぼうとしていたのに、遊ぶところまでたどり着けずにがっかりな感じみたい。で、そうやってどんどん気持ちが削がれていて今は何をしても楽しくない、どうやって遊んでいいか分からない。先生が誘ってくれるけれど、本当にしたい遊びじゃないし俺幼稚園で何して遊んだらいいんだろう。と言う感じのようです。興味のあるものは飛行船を作ることや、魚とり。さくらんぼ拾いに、大きなお家を作ること。先生に付き合って欲しいし、他の子に邪魔して欲しくないしわがままだって言えば、わがままだけど幼稚園の範疇に収まることが出来ないそまに、なんて声をかけたらいいのかわからず。子供には友達が当分必要ないっていう意見さながらのそま。友達がないといられないうい。そまこそホームスクーリングが楽しいと思える子なんだろうなと思いながら近所の子と一緒に遊ぶのがずっと楽しかったそまだからと入れた幼稚園辞めちゃおうか、いや段ボールで仲間同士で作る動物を体験してからでもいいだろうとか。いろいろ考えます。(それも、少し悩む。今、自分で作らないでそまに作らせている子が 段ボールで作る前の段階の作成、牛乳パックで作るサイズの動物などを お前のカッコいいから俺にも作ってってなりそう。 それがまた負担になって、ますます幼稚園行きたくないが酷くなるんじゃないかな?とも思ったり。)旦那に言わせると、辞めちゃえば?つまんないのにお金出しても仕方がない。だって。また、金かよ。子どものことを見ていって欲しい。辞めさせたい気分に、ますますなりつつあります。はぁぁぁ・・・。※ 今日はお友達のお母さんの車で行けるのが嬉しくていきました。 いつもは見せてもらえないアニメを車の中で見せてくれるので とても嬉しいんだそう。 幼稚園楽しくなくても、行くまでの間が楽しかったらそれでいいのかい?
2010.05.19
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おとしぶみって知ってますか。たぶん、山間部に住んでいる人なら一度は見たことがあるはず。ちょっと写真が暗くて見づらいかもしれませんが。忘れないでくださいね、ここは一応都内です。うちの隣の竹やぶで見つけちゃいました。ういはとっても興味津々。虫が卵を産みつけた後、こうやって包むのだと説明したら「虫ってすごい!!!」と、大興奮。おとしぶみっていう名前もとても素敵な名前です。私も初めてこのおとしぶみを知った小学校3年生の時、とても興奮したのを覚えています。あっぱれ!おとしぶみ!
2010.05.17
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先日、一緒にママ友と散歩していたらそまが急に歩くのが遅くなって「ちょっとまって~~~!」って何かを拾い始めた。ソメイヨシノのさくらんぼだった。それを見たママ友が、「ホームスクーリングもそまだったら楽しそうだし、安心だね」と、一言。ごもっとも。汗ういは近所のおじさんちに遊びに行って、お喋りして。お庭で遊ばせてもらって、そのまま川へ下ることが出来るのでういは川へ下って水遊びを始めました。冷たいって言いながら、でも楽しそう。おじさんはちょっとひやひやしていたみたい。母はへっちゃらですよ、好きなだけおやり~。そまだったら、ういだったらじゃなくてそまもあり、ういもありでしょう?ねぇ。笑
2010.05.13
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今日、そまが珍しく取っ組み合いの喧嘩した。笑っちゃいけないんだけど、ものすごくくだらないことで喧嘩した。お友達とブロックで遊んでて、そまは戦闘機を作った。(ヤメテ欲しいんだけど、戦闘機なんて)その戦闘機がお友達は羨ましくて、そまに作ってってせがんだ。そまは頼まれたら断らなので、作ってあげた。けど、その基本の形からふたりとも装飾をしてお友達は目がついているブロックを付け、そまは目のついてないブロックを付けた。そしたらね、お友達が「俺のがかっこいい、目がついてるから」って言った。それが悔しかったんでしょう。「目がついてない方がかっこいいから」ってそまが言ったらお友達が怒っちゃって。言い争いになったのだけど。とうとうお友達から手が出た。暴力が嫌いなそまは結構ここでゆずる。だけど、めずらしく譲らず取っ組み合いの喧嘩になりました。結局のところ、そまに言わせると目がついているのは戦闘機としてはおかしいって。でも、お友達はただ何でも作るそまがうらやましくて怒っちゃったって言うただそれだけの話。。。珍しく感情丸出しのそま君、母は驚きました。あなたでも取っ組み合いの喧嘩するんだね。男だなぁ。
2010.05.13
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私が中学になるときに出会った大人。市民センターの事務局で働いていた人。ときちゃんは、文学部卒業の演劇と本と釣りが好きな人。ときちゃんは、いつも市民センターの入り口でたばこを吸う。時折上を向いて。ときちゃんは、とても優しい。ときちゃんは、静かに暖かくてよく気がつく。ときちゃんは、スタッフの中で一番もてない。ときちゃんは、マイペース。私、そんなときちゃんが好きだったけどそれを言うとみんな笑うから言わなかった。どんなスタッフよりもずっと優しかったのに。どんなスタッフよりもずっと暖かかったのに。どうしてみんなわからなかったのかなぁ。みんなは、格好ばっかり気にしてた。ときちゃんは、見た目はただのおじちゃんだけど中身だったよ。女の子なんかあんまりどうでもよくてでも、この人は絶対に女の子ができたら大事にするしものすごく真面目な人だと思った。遊び半分じゃ付き合えない、この人に告白するなら周りを全部切り捨てなくちゃって思って出来たときには高校3年になってた。いつもみたいに窓辺に腰掛けてタバコを吸ってたときちゃんの隣に座って「好きです」って静かに言った。「ありがとう」同じ調べで帰ってきた。すごく素敵なきらきらした時間だった。付き合うとか、そういうんじゃないのがよかった。私もありがとうって言う気持ちで「うん」って返した。ときちゃんが結婚したって聞いたよ。子どもも生まれたんだね。おめでとう。ときちゃんがロゼスタッフ辞めたってきいたよ。トラックの運転手さん(しかもアルバイト)してるって聞いて驚いたよ。まだ、らくださん追いかけているの?うちの公園にも、らくだの遊具あるよ。きっと子煩悩で、奥さんをとことん愛しているんだろうね。30すぎても結婚しないで、釣りばっかりだったよね。女の子の話ふったって、へへってごまかして。良い人いたんだね。なんだか、私も嬉しい。もうロゼに行っても会えないんだ。どこかで逢えたらいいな。
2010.05.13
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楽しかったです。ほんと、とっても。けど、話したいだけじゃなくて、子供を交えたかったんだ私って、わかった気がしました。お話してくださった、今井さんも藤村さんもとても素敵な方だったし素敵なことをやろうって考えている人たちが他にもいっぱいいるんだってわかって胸がときめいてなんだかわけのわかんないことばっかり言ってました。汗ゆみえさんの息子さんの描いた合戦の絵はすごかった!そして、親の背中を見せるっていうその姿勢をもう一度見直す必要があるワタシ。「おかあさんってねぇ、いつも寝てるかPCしてるか、ぽけーっとそらみてるばっかりなんだよー」って言われそうだし。今井さんの配ってくれた紙に書いてあった「子供たちは最も困難な道を選択する」という一言、思い当たる節があります。ういは高いところが好きです。木登り頑張って登ります。今じゃ木のてっぺんまで行っちゃいます。昨年の夏、大人用の鉄棒から落ちたけど、また鉄棒やってます。ようやく連続逆上がりができるようになりました。とっても楽しそう。ういは器械体操などは発達障害の特性で本来なら苦手なはずです。でも、そこからやってる。発達障害の子は苦手なことから逃げやすいなんて、誰が言ったんでしょう。年齢や体力、そして知力への挑戦が少しのハードルでも大丈夫なときに子どもたちは頑張るだけなのに。これ、読んでくれたとき泣きそうになってしまいました。グラスツールの卒業生が書いていたお手紙を読んでくれた時も、目が熱くて。「退屈なんだ」って校長に言ったら「いいじゃない、もっと退屈になろうよ」って。どうなんでしょう!もうすごい素敵。自由ってなんて退屈なんだろうって知ることもすごく大切な事なんだなぁって。もう一つ。みんなが楽しいことをしたい。みんなが楽しくなれるようなコミュニティーが欲しいって思いました。ホームスクーリングって小さいけど、もっと人と関わることで忘れてないか確認することが出来たりするんだってわかった。東京のホームスクーリングサークルひなたぼっこがない今新たに作りたいって言う気持ちにもなってきました。けど、私自身は不登校のジメジメしたの苦手。からっと生きたい。いつも流れに沿って生きていきたい。不登校しちゃった子の親の視線って、流れとは反対方向向いてたり子供見てなかったり、なんだかえー--って思うことばっかりで。学校毛嫌いしてる私は学校へ戻したい親の気持が分からない。そうすると、私がそういうの初めても仕方がない?なんて思ったりして。不登校抜きの、もっとも前向きなホームスクーリングのみってむちゃくちゃだよね。あー、書きたいことがまとまりません。お腹いっぱいって参加していた方が言っていたけど私もお腹いっぱいです。どうやって消化しよう。消化したらもったいない気分。実行出来るところは、実行します!私の生活改善です!おっしゃ!
2010.05.09
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頑張る人ほどいろんな流れを見失うと思います。子どものこと、夫のこと、自分のこと、一番大切にしたいものがあるから程々に頑張ってください。お願いだから、見失わないでください。自然育児友の会が苦手なのは、見失ってる人が多すぎるから。熟議カケアイも重要なことを見失ってる人がいっぱいいそうで本当は気持ち悪い。どんな流れかは、時代、人、気、思い、いろいろあります。お願いだから一日に一回は自分を見つめてください、お願いだから一日に一回は自分の周りを見てください。頑張っても見失っていたら、元も子もないから。じゃ、明日の体力のため自分の生活を見失わないために今日は寝ます。おやすみなさい。
2010.05.05
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最近、熟議カケアイに参加しています。なんていうのかなぁ・・・。学校ってこうあるべきって考えるからいけないんじゃない?って思えてきました。こうあるべきなんて、おこがましいと言うかね。いいんじゃないのかな?学校は今のままで。文部省がホームスクーリングを公に認め、オルタナティブ教育を公に認めてくれるそして、補助を少し出してくれたりしてくれたら(もちろん口を挟んだりしないのが約束です。親に補助を出せばそれで済む話だから)それだけでいいんじゃないのかな?そうやって認めたら、学校ってなんで行くの?って思う子どもが出たり親が疑問に思ったりして、少しずつ変わると思うんだけど。そうしているうちに、今の学校教育じゃまずいかもってなって行くんじゃないのかな?いろんなことが流れの中にあるんです。その流れの中に逆らうんじゃなくて、国も、政治家も、親も、教育者ももっと流れに沿っていくべきだと思う。それだけでうまく行くことっていっぱいあるとおもうんだけどなぁ・・・・。
2010.05.05
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ういの学校の子の多くは、ういのよく遊ぶ一番大きな公園で遊ぶことを禁止している家庭が多いです。公園にはたくさんの不審者が出るからと言うのが理由みたいですがそれでは、なんのための公園なのでしょう。親も公園で一緒に遊び、知り合いを増やすことが不審者を減らす事に繋がると思います。学校や警察に不審者だと通報された方の中には自分の子にも女の子がいなくて、孫にも女の子ができなくてだからか、孫のようにかわいがってくれるおじいちゃんがいます。お菓子もくれるし、みんなで飲みなさいってペットボトルのジュースをくれたりする。でも、多くが女の子だから、不審者にされちゃった。みたいな人もいます。私はこのおじいちゃんの奥さんとも話したことがあってういのことを可愛い可愛いって言って、とても可愛がってくれたのでその事実を聞いたとき、正直なんて言ってあげたらいいのかわかりませんでした。それ以来、おじいちゃんは公園で犬の散歩をする時間をずらすようになりました。朝7時半頃から8時頃の散歩だけになり夕方の散歩を毎日していたのに、ひとつも見かけなくなりました。お互いに気持ちのいい関係、地域に根付かせていきたいって常々思っています。不審者の話が出るたび、不審者を知っている人にする方法を話している私はある意味不審者なのかもしれないですけど。笑そうやって知っている人を増やすことが、子供達を守ることに繋がるってわかってもらえたらありがたいなぁっていつも思います。
2010.04.24
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今日、初めて同い年の男の子が「遊んでー」ってういを訪ねてきました。その子は同じクラスの子ではなくて、名前を聞いてもわからない子だったのだけどういは学年、学級を越えて人と関わる子なのですごく嬉しそうにしているので、一緒に行っておいでと送り出しました。もちろん、弟のそまも一緒にです。子どもだけで行くにはちょっと遠いけど、自分たちの同じ学区内へ自転車で冒険に出かけたみたいで、「いろんな子にあったよ!」っていっていました。ういの苦手な子もその中にはいたみたいだけど楽しかった、嬉しかったことの方が大きかったみたい。1時間ぐらいで帰ってきたけれど、とてもいい顔をして帰ってきました。しかし、ちょっと驚いた。そんな遠くまでそまを連れて自転車で行くなんて。よかったね、事故がなくて。
2010.04.24
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恥ずかしですね、ぐちぐちと。汗あれからずっと考えててほんと、子ども同士のことに大人げないなぁって思いました。明後日、遠足に行くのですがその日の登校は「ういちゃんこないで」のお友達と一緒に登校するんだそうで先程、電話で約束してから寝ました。大人が考えているほど、根に持たないところもいいところなんでしょう。母も見習わなければなぁ。
2010.04.24
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この土地に引越してきて、ういの一番の友達が小学校に入ってうい以外の、新しいお友達が出来ました。昨日、ういはお友達のお母さんと遊ぶ約束をしていたのでそのおうちへ遊びに行きました。そまもその兄弟の一番下の子に誘われていたため、お姉ちゃん達の都合で断るのは可哀相だと思ったのもあります。そうしたら、その1年生のお友達から「ういは来ないで!ういとは今日は絶対遊ばないんだから!ういが来たら友達とられちゃう!!!」って、言われちゃってて。ういは万物皆友達の人なので、全然そういう事が分からない。だから、宣言されたこともどういう事なのか分からない。私が説明して、それでも遊んでいる最中入ろうとしたりそれでも話しかけたりしていて、結果的に1年生のそのお友達は拗ねてしまいました。新しいお友達を家まで送っていった帰り際、お友達のお姉ちゃんが「あたしだってういや妹に邪魔されながら、友達と遊んでたじゃん? ういに邪魔されても気にしなきゃいいんじゃないかなぁ」と言うようなことを、話して聞かせたそうです。私も「私の友達取らないで!」なんて一度も思ったことないしそういう独占欲とか対抗意識とか、一度も経験がありません。それ以前で「あの子のがすごいし」って諦めちゃうタイプだったのでどうしてもお友達の行動がわからないのです。ういは学校に入っていない分、お友達の数が極端に少なく私とお友達のお母さんでやっている遊びのクラブの中で知り合った子がほとんどで2人とか3人なのです。クラブがもっと根づいて行けば、これからもっと増えていくと思ってはいます。そうすれば、もっと一緒に遊べる子も増えるだろうしとは思うんです。何がもやもやしているかと言うと。「今日はあの子と遊ぶの、だから、ういはこないで」っていうその一言が友達を減らすことに繋がるって、わからないのかな?って思ったんです。私はそういう事を言う乗って信じられないから。世界を狭めるだけだから、ういには「みんなで遊べる方法をかんがえよう」と何度も言ってきました。断る練習も必要かもしれない。でも、断ることよりも受け入れることの方が難しいと思うので受け入れる練習をする方が、よっぽどか優しい子供に育つと思うのですが。確かに、ういは生意気で、すぐ突っ走ってそれでもちゃんと周りを見て引き連れていきます。だから、人を巻き込んじゃうんです。「あの子生意気だから仕方がなく付き合ってくれている」わけじゃないと思うんです。『生意気な子はいじめられてあたりまえ』そんなふうに昔言われたことがあります。出る杭は打て、ですか?生意気なまま行くと危ないんですか?さっぱりわからない。あんまりにも悲しすぎて、今日は何もする気になれませんでした。いじめられて当たり前な子なんて、いるわけないし友達とらないでって囲うなら、私は遊ばなくていいって思います。やっぱり悲しいやら、腹が立つやら。月曜日が遅く来たらいいのに。
2010.04.23
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アースデイを経て、今まで私が考えていたこととが繋がりそうな感じがしています。ういは障害かもしれない。でも、対人関係に問題があるとしても彼女の人を魅了する力は、本当に絶対的なものがあるんだって今回のイベントを通してはっきりと感じました。人に迷惑を掛けるかも知れないけど、居心地の悪い世界のほうが多いかもしれないけれどそれでも、こうやって心優しくなれる世界が実際にあってそういう世界で生きていくことも出来るのだと言うこと。私は、この世界にもっとういを連れていきたい。友達が自分の娘に「自分が楽しいことをしなさい。自然と周りも楽しくなるようなことができる」って言って育てたそうです。その子はまだ23歳で大学4年生だけど、今市議会議員を目指して国会議員秘書などをやりながら、政治のことを勉強している傍ら地元の商店街活性化イベントの立ち上げをして今年で4年目になります。ういにそこまで出来るようになれとは言わないけれどまだまだ、自分の楽しいこと=周りも楽しいことに繋がることが理解できてないのでもっといろいろな人とつながる体験をさせてあげることがこれからのすべき事なのかもしれないなぁって思っています。それは大人でも子どもでもいいです。心から楽しんでいる人たちと一緒に時を共にするその瞬間をなんども体験することが大事だなって思います。本当は私が企画して、それに参加する方がいいのかもしれないけれどさすがにそこまでやる自信がないのです。でも、アートフェスみたいなイベント会場で自分のブースを出すことは出来るんじゃないのかな?って思ったりしています。ういに憧れと尊敬の念を感じて、今をこれからを過ごしていきたいなぁって思っています。
2010.04.21
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全国で最大のアースデイです。アースデイってなんだか知ってますか?地球環境を考えて行動した日がアースデイなんです。それを全国規模で同時の日にやりましょう!そして、知っていることを共有しましょうっていうのが今回のフェスティバルです。私はこのフェスティバルを一時期どうでもいいと思っていました。今でもどこかで思っているかもしれない。なぜなら、毎日がアースデイであって集うこと=アースデイではないと思っていたので、本気でどうでも良かったのです。今回、実際に行ってみて良かったと思ったこともあります。私の知らなかった毛皮の実情や、買おうか迷っている物の実物が見れたり肉や魚を食べなかった時の二酸化炭素削減量の数字とかビーガンでもこんなに美味しく食べていくことが出来るのか!という発見目で見てぱっと分かるやり方で、私たちへ意識づけることができるのだなと思いました。忘れかけていたことや、やりたかった事へ意識がますます高まることとか。いろんな効果があるんだなぁって思いました。目的にしていた、寿と天空オーケストラのコンサートでとても嬉しいことがありました。寿では、ナビィ(歌い手)が「大合唱!」って言ったのでういが一緒になって歌っていたら、ういのすぐ後ろにいた女性が「すごいね、歌えるの?知ってるんだ!」って声をかけてくれて「お母さんがねCDよく掛けるから知ってるんだよ」ってういとお喋りしてて近づいていくと「お友達になったんですよ」ってその女性が言ってくれて。しばらく話して、さよならをして。心の中にほっこりした優しい気持ちが残りました。天空ではもっとすごくって隣に座っていたおねーちゃんが「お嬢さんの髪型とっても素敵」って話しかけてくれたりゴミ拾いを始めたういとそまに「すごいね、偉いわ」って言ってくれたり。カメラに興味を持ったそまが、何度も質問しているのに嫌な顔をせずに答えてくれたり。後ろにいた2組のカップルは、ういをとっても気に入ってくれてみんなで交互に肩車してくれて、最後に渡ったリボンを触りに前まで行ってくれたりゆづがぐずればあやしてくれ。しまいには、ういはそのお姉ちゃんとトイレに行ってシャボン玉買ってもらって、缶バッジまで買ってもらって本当によくしてもらいました。トイレに連れてってくれたお姉ちゃん。ういに「ここに残った人たちはみんな狂った人たちなんだよ。きっとママもね」って言ってました。わはははは。そんなの言えないよねぇ。地は狂ってるけど、狂ってるなんて言えないよねぇ(笑)母は狂ってるわけには行かないのだ~。知らない人が知っている人になる瞬間に2度も立ちあって私にはできないういの力に、ただただ驚かされるばかりです。
2010.04.18
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やったー!今日、明日はアースデイ東京!代々木公園で大きな大きなイベントです。私、行きたくてもう7年待ちました。ようやく行けそうです。やったー!!!このやったー!には、もう一つあって天空オーケストラと、寿が同じ日だったって言うこと!天空と寿を知ってからも7年目です。7年目にしてようやく天空の生音楽を聞けるので本当に楽しみ!ここから電車で1時間以上かかるので子供達には大変な移動になるけれど、それでも行きたい。我がまま言ってごめんね。
2010.04.17
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今日、尿検査とぎょう虫検査を提出しに学校へ行ってきました。やらなくても良かったのだけど、健康診断なんて普段行かないのでこういう機会にするのもいいのかなぁ?なんて思ったのですが・・・。友達と学校へ一緒に行ってきました。なんだろう、楽しかったんだそうです。よかったねって言いました。しかし、その後。「学校行こうかなぁ」学校で友達いじめなかったし、大丈夫そうだしいいかなぁ?だって。学習の面を言うと、やっぱりやめたって。遠足は行くけどって。本当に子どもの気持ちって分からない・・・^^;今日、友達に「ういちゃんと昼間いるの息詰まってる癖に」と言われたけど息詰まってるつもりはないんだけどなぁ・・・。確かに、何をしたらいいのかさっぱりわからなくて私はやりたい事をやってる感じだし。ういはそれが気に入らなくて、機嫌損なわせて。他のおうちはどうしてるんだろう。お母さんがやりたい事をやっているからって、拗ねたりしないよね?子どもが自分でやりたい事を見つけてやるよね?やりたい事がわからなくて困ってるときは、どうやってサポートする?こっちが提示したものは、みんなやりたくないのだから困っちゃう。うーん・・・。行き詰まっているって言うより、まだまだ手探りなんだよぉ~~~。
2010.04.15
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今日、尿検査とぎょう虫検査を提出しに学校へ行ってきました。やらなくても良かったのだけど、健康診断なんて普段行かないのでこういう機会にするのもいいのかなぁ?なんて思ったのですが・・・。友達と学校へ一緒に行ってきました。なんだろう、楽しかったんだそうです。よかったねって言いました。しかし、その後。「学校行こうかなぁ」学校で友達いじめなかったし、大丈夫そうだしいいかなぁ?だって。学習の面を言うと、やっぱりやめたって。遠足は行くけどって。本当に子どもの気持ちって分からない・・・^^;今日、友達に「ういちゃんと昼間いるの息詰まってる癖に」と言われたけど息詰まってるつもりはないんだけどなぁ・・・。確かに、何をしたらいいのかさっぱりわからなくて私はやりたい事をやってる感じだし。ういはそれが気に入らなくて、機嫌損なわせて。他のおうちはどうしてるんだろう。お母さんがやりたい事をやっているからって、拗ねたりしないよね?子どもが自分でやりたい事を見つけてやるよね?やりたい事がわからなくて困ってるときは、どうやってサポートする?こっちが提示したものは、みんなやりたくないのだから困っちゃう。うーん・・・。行き詰まっているって言うより、まだまだ手探りなんだよぉ~~~。
2010.04.15
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昨日、めずらしく旦那と喧嘩しました。(我が家は喧嘩しても、すぐに茶化すので喧嘩にならなかったりするんですが)子どもとした約束って、どのくらい子どもは守りますか?うちではほとんど守ってもらえません。だからと言って、約束をしないわけじゃなくて約束したからといって、そのことをあてにしないという気持ちでいます。旦那は、約束したら必ず守れ。守れないやつはダメなやつ。こういうふうに言ってしまうため、ほとんどの約束を忘れてしまう娘は旦那にしたらダメな子なんでしょう。約束を今守れなくてもダメな子じゃない。約束を守れないなら、約束を守れるようにサポートするべきだ。どんな状態でも守れたらOKにして、もっとハードルを低くするべき。旦那は子供は大人と同じように出来るとでも思っているのかも・・・。今度その辺聞いてみようと思います。完璧主義はいいけれど、それを子どもや私に求めないで欲しい。自分の思ったとおりにならなかったからって、誰に対しても全否定しないで欲しい。社会に出る人たちに求められるのは完璧です。完璧は大事かもしれない。私は自分が完璧に出来る人じゃないので、どうしても完璧を求めるのは良くないと思うんです。完璧じゃなくても、助けながら完璧にすればいい。人を思いやり補うことで物事がうまく進むならそれでいい。失敗したって、その失敗をもとに考えることが出来るならそれでいい。完璧を求められる世界にいる人からしたら全否定されている気がするんだろうけれど、子育てってどれが完璧かわからない。どうしたら解ってもらえるんだろう。このままは絶対に良くない。ういが捻れる。
2010.04.12
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昨夜、幼稚園のお母さんたちの飲み会がありました。その際に、娘の状態とこれからも保護者会等に連れてく事を言うとガンガン飲んでいたお母さんから一言。「お母さんが変わってると子供も変わった子になるでしょう。 そういうのってハブになり易いし、疎外されるから気を付けなよ。 知ってる人にそういう人がいるもの。あなたも気をつけてね」ん?なに?何がいいたいですか?ただの酔っ払いの一言ですが、学校教育や文部省のやってることに疑問持たないあなたがたの方が変わってる。そして、あなたは変わった人を阻害していくつもりだからそういう風に言えるんですよね?だとしたら、あなたくだらない人にしか見えませんけど。反論したくなりました。言いませんでしたけど。人と違う生き方をするのは悪いことじゃないしそれで人を阻害したりする考え方をする人のほうがおかしいと思う。私はそんな子どもに育てたくないし、そういう子どもが増えるといじめも増えると思う。まったく「なんじゃ、そりゃ」っていう感じで驚いちゃったよ~。
2010.04.04
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コズミックダイアリーって知ってますか?私はよく知らないのだけど、よく行くブログのプロフィールにKIN 141 赤いスペクトルの竜って書いてあって、なんのことだろう?と思って調べてみたんです。そしたら、マヤ暦に使うツォルキンのことでした。調べていたら、コズミックダイアリーのページが初めに出てきました。私の周りにいる人で、これを使っている人が結構います。体調とかよくなるって言ってました。なので、興味はあったのですが占いみたいなことが出来るなんて知らなかったです。ちなみに、私の銀河の署名は「KIN72 黄色い共振の人」です。KINの書がとても興味深かったので、載せてみます。KIN72私は 感化するために チャネルを合わす知恵を 呼び起こしながら調律という 共振の音とともに私は 自由意志のプロセスを 確信する私は 開花の力に 導かれる私は銀河の活性化の正門 私に入りなさいこちらはマヤ暦占いというサイトの結果です。自由奔放気持ちを理解しようとする筋を通すせっかち吸収力がある職人肌あなたが惹かれてしまうのは?不思議な魅力を持つ、強い信念を持った人に惹かれます。頭では理解できない不思議な考え方を持つ人を見るとドキッとすることも。自分が思い描いていた人間像と一致したので少し驚いています。この手の占いやメッセージを受け取ると、大概自由奔放でまっすぐとそれに進むようなメッセージが出てきます。まるで指導者のようなメッセージなんです。そんな力ないと思うんですけどね・・・・。面白いです。
2010.04.01
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昨日の夕方、そまとういが鬼ごっこをしていてういったら逃げるところに困って、お隣のおうちのお庭へ柵を乗り越えて入っていったそう。それを家の中にいたお隣の子どもとお母さんが驚いて「ういちゃん?!」って言ったらもうすぐ1歳になる下の子が驚いてギャースカ鳴き始めちゃったそうで。ういのこと、しっかり叱っておきました。彼女も他のおうちの敷地に行くことはいけないことってわかってます。だけど、本当に鬼ごっこをしていて逃げることに夢中で隣の家まで入っちゃったっていうのは、なんとなくだけど分かります。そういうことをいう私も、さんざん怒られるも学校から家までの道のりを近道したくてとあるオタクのお庭を通らせていただいてましたもの。ずるっこい私よりずっとまし・・・。笑
2010.04.01
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実はここ1ヶ月半程、気持ちが沈んでいました。というのも、がんを患っている友達が今度は大動脈解離で入院していたのです。私はこの人に今死なれたら困るんです。生きてもらわなければっていつも思っています。退院して仕事も復帰して元気なんですが、つい最近、その友達を思いきり傷つけるようなことを言ってしまいまた、気持ちが沈んでいました。ついには、夜もなかなか眠ることができなくなっていたのですが昨日、とうとう誤解を解くことができて、安心して眠ることが出来ました。のわりに、朝早いじゃないって思ったと思うんですが1時半頃ゆづに起こされてしまいました。でも、今日は体調もいいし、とても元気です。あーほんとによかった!
2010.04.01
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1歳半になるゆづの意思によって、昨日の夜は寝れませんでした。夜中の12時頃起きてきて、そろそろ寝ようと思っていたので隣に一緒に転がったのに、延々と泣き続けた上に遊びだし私の首の上に転がるので苦しくて、2時間過ぎたあたりでぶち切れました。だって、明日は山登りへ行くってういと約束したのだもの!!寝ないわけにはいかない!!!と思っていたのです。だからこそ、昨夜は寝るつもりだったのだけど寝かせてくれない・・・。もう諦めて電気つけておもちゃ出して遊び始めました。しかし、一向に眠たくならない・・・。気がついたら4時半に炊けるように予約してある炊飯器が鳴り時計は起きる予定だった5時半に近づき・・・。ゆづは結局5時頃寝てくれたので、さっさと私も布団に転がりました。でも、この状態じゃ5時半なんかに起きれないしそのまま行ったら、頭が痛いどころじゃないと思うので今回はお父さんとういだけで行ってもらうことにして、私とそまとゆづはパスしました。実は、前回もこんな感じで大変だったんです。もしかして、ゆづは山なんか付き合いたくないって意思表示してるんじゃないかとなんとなくなんだけど、思いました。だって、彼女は背中におんぶされたまま何時間も過ごすはめになりなかなか降ろしてもらえないので、歩きたいのに歩かせてもらえないと悶々としてるのではと思ったのです。だとするならば、ちょっとだけ路線変更です。一緒に山登りできるぐらいに早くなってもらいましょう。そして、一緒に歩いてもらおう。疲れたらいつでもおんぶ出来るようにおんぶ紐を持って、行きましょう。それまでは、おとうさんと3人で(うい、そま)いってらっしゃ~い。
2010.03.27
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そまは地球がみたいんだそうです。最近、よくそうやって言っています。**************************************************「地球が見たい」ん?地球はここだよ?地球の上にいるのだよ?「うん、でも地球って見れるんでしょう?宇宙に行けば」そうだね、そうだけどそまは宇宙に行きたいの?「行きたい」じゃあ宇宙飛行士にならなくちゃね。「なにそれ?」今地球で唯一宇宙に行ける人達のことだよ。スペースシャトルっていうのに乗っていくんだよ。「なにそれ。そまは自分で宇宙船を作って宇宙に行って地球を見るんだよ」そっか、すごいね。そまならきっと出来るとおもうよ。**************************************************ちょっと前にした会話です。壮大で子どもらしい夢だと思います。なぜ、そまがこんなにも宇宙や地球に興味があるのかというとディズニーアニメ「スティッチ」のせいです。スカパーで毎日やってるので、毎日欠かさず朝見てからご飯になります。「だって、ジャンバーは宇宙船を作ってるでしょう? 宇宙船って作れるんだよ!だから、そまだってできるよ」というのが、彼の言い分です。出来なわけじゃないけど、あなたそんな簡単なことじゃないのよ・・・。と、思ってしまう頭の硬い母なのです。そんな息子ですが、先日動く船を誰にも教わらずに作りました。カレーの箱に割り箸が2本ついた船でした。割り箸の先にゴムが渡されて、その間に牛乳パックでできた羽がついていました。羽を回すとゴムが捻れて、その捻れが戻る力で進む仕組みです。「テレビでやってたの思い出して作った」らしいのですがそれにしたって、たった1回見ただけで作り上げたその力に母も父も驚いてしまって、もしかしたら本当に宇宙船作るような子になるかも?!なーんて。親バカですね^^;
2010.03.26
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私の10代後半20代入ったばっかりの頃を知る人に「自由奔放で、いつも無謀なことばっかりしてあやうい人だと思っていた」と言われた。ある意味、褒め言葉だ。今は無謀も自由奔放も遠い・・・。やりたいと思ったことを、やりたいだけ楽しんでいた。ほんとうに細い橋の上を、唄を歌いながらふらふら踊りながら歩いていた。今にも落ちる、踏み外すぞ、っていう状態のところを本人だけはへらへらすごく楽しそうで、同じ年頃からはむかつかれ大人たちからはあぶなげだと、年中心配されてた。今は、橋から降りて地面を歩いている。遥か彼方に見える、昔歩いていたはしを見上げながら。見上げるのをやめたらどうかな?あの頃ほど強い風も吹いてないし空も遠い。けど、足元には花が咲いてぽかぽかな陽だまりもある。それも、いいじゃない?何を焦っているかというと、周りであれもやってこれもやってっていう人がいる。そうやって付き合いを広げて行く人達がいる。それはやりたい事をふらふらでもいいからやり続けていたあの頃の自分に似ている気がして私はなんだかそわそわする。今のままじゃいけない。今のままでいい、近くを横切っていく人たちは行く先が違うだけ。今をもっと強く見つめよう。それしかないのだから。失敗を恐れなかったあの頃のように。
2010.03.24
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病院からの宿題で「生活の時間を紙に書いてください」と言われた。どうしよう!!!朝起きる時間、ごはんを食べる時間、寝る時間、お風呂入る時間、勝手に勉強を始める時間決まっているのはそのくらいです。なのに、他の時間といえばういちゃん一人で遊んでたり、掃除の手伝いしてみたり、お友達と遊んだり・・・。ホームスクーリングをしている子どもたちの時間なんて聞くもんじゃないと思いません?思いっきりケーキ作りに精を出している時もあるしなんとなくダラダラ過ごす日だってある。他の子達も、書けるように決めて毎日を生活、してますか?私の最近のイライラ原因です。まぁ、ありのままに書くだけです。・・・・・どうする、時間の紙。
2010.03.24
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我が家のかかりつけ医は自然育児の世界じゃ有名な山田真先生です。予防接種の反対派のジャパンマシニスト社の「ち・お」の代表者の一人です。(母里啓子さんも執筆してます)私は福音館書店の母の友を子どもの頃から愛読していたので山田先生のことは、静岡にいる頃から知っていてその病院が近所にあると聞いたら、もうそこに通うっきゃないと思って我が家のかかりつけにしています。つい先日、長男が首を腫らしてかかったときに目に入ったプリントがあります。「新型インフルエンザのワクチンについて」というプリントです。先生の意見が書かれています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わたし個人としてはおすすめしません。わたし自身もわたしの家族も接種しません。その理由をお話します。1、ワクチンの効きめがはっきりしません。 重症化を防ぐかどうかはやってみなくてはわかりません。2、副作用の心配はあります。3、国産ワクチンにはチメロサール(水銀)が入っており、 外国産のワクチンにはアジュバンドが入っていてそれらによる副作用も懸念されます。4、は省略5、これまで診療した経験から、新型インフルエンザは恐れる必要のない病気といっていいと思います。 そのような病気の、非常にまれな重症化を防ぐという当てにならない根拠でワクチンをする必要はないと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・こんなプリントでした。我が家では新型インフルエンザだけでなく、ほとんどの予防接種をしてません。しなくちゃならないと思っているのは、唯一破傷風ぐらいなもんです。風疹も麻疹も怖いですが、私の弟たちが掛かっているのを見て育ったのでかかるべきモノだと思っているんです。かからないで免疫がつくわけがないというのが我が家の方針です。風疹に関しては12歳過ぎたら、受けるべきかなぁ?と思っていますが他のものに関してはできるだけ受けずに済ましていきたいと思います。こんな事を言えるのも山田先生がいるからこそっていうのもあります。先生はほとんど薬を出しません。それでもしっかり見てくれるし、話してくれるので安心出来ます。熱が出たときは3日間様子をみる、という事ができるようになりました。引越してしまったので、通うためには車で30分ぐらい走らないとつきませんが家庭での見方を「笑顔が出てるうちは大丈夫だよ」って言ってくれるのでそれを目安にしています。今もそまの首が腫れていて、明日見せに行ってきます。抗生物質飲んでるのだけどあんまり効果なくてどうしたかなぁ?なんでへっこまないかなぁ・・・。うちの弟もみんなこんなだったけど、こんな続いたっけっか?うーん・・・。わからん。
2010.03.11
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今生きているうちの半分以上を音楽のために費やしてきました。といっても、音大を出たとかではありません。幼児期から音楽教室に通ったり高校の芸術科の音科を目指し勉強したり、長いこと合唱団に入団していたとか大人になってからも民族楽器を少し触ったりなどです。それでも普通に生活してきた人よりは多いと思います。また、私の友人にはプロの声楽家や、ジャンベ奏者もいます。そんな私の目で見た音楽という枠を話しますね。(役に立たないかもしれませんけど)音楽って音を楽しむって書くように、音を楽しめればいいのだと思うんです。昔の人が作ってきた曲が音楽なわけではありませんしみんなで合唱すること、合奏するだけが音楽ではありません。学校でする音楽は、そのことだけに重点をおいてます。それは悪いわけではありません。ある程度の楽譜が読め、片手でメロディーが弾けることやリコーダーを吹くことで音楽を弾く楽しみを教えるのってありだと思います。だけど、あえていいます。そんなこと出来なくっていいんじゃないですか?だって、音楽を紐解けば民族音楽です。民族音楽に楽譜はありません。ドイツでマイスタージンガーがいた頃、その人達には、楽譜はありません。曲を記述するすべがなかったからです。それでもみんな音楽を楽しむことが出来ました。当時、もうバイオリンはあったと言われています。楽譜がなくったって、音を鳴らす方法さえ体で覚えることができればそうやって音楽を作ることができるんです。私はカワイの幼児音楽教室に通っていたので小学校へ入学する前には楽譜が読めていたし、両手で弾くこともできました。でも、これで良かったと思ったのは高校を音科のある学校へ行こうと思った時だけです。中2から2年間専門の先生についてレッスンを受けたけれど結局、内申点が足りなくて受験することすらかないませんでした。それからも小学校6年生から始めた合唱団を、高校卒業するまで続けたり高校1年から高校2年生の秋までミュージカルをやってましたがあまり疑問を感じませんでした。でも、友達がジャンベを初めて楽譜のない音楽を聞いて、気がついたんです。音楽は、音を楽しめればいいんだって。ちょっと大げさかもしれませんが、生活の中にも音楽があるんだって気がついたんです。水道の蛇口をひねって出てくる音も音楽の一つ。風の音も、お日様の音も、土を踏んだ時のぐちょっていう音もストーブの上でやかんがチンチンっていう音も草原で鳴く虫も、自分の中を流れる血の音も、心臓の音も、全部が音楽なんです。人と声を合わすハーモニーが知りたければ、隣の人にカエルのうたとか誘ってみればいい。それでいいんです。何もリコーダー吹けなくっても、楽譜読めなくっても合唱が上手じゃなくったって、いろんな西洋の楽器知らなくったっていいんです。地球の音と音楽を作ろうと、屋久島に1000個の風鈴を吊るした岡野弘幹さんが好きです。(岡野さんはアンビエントの曲を書くプロのアーティストです)人間はもともと音と生きています。それを楽しむ力っていうのは、人間の本能です。だから、いいんです。音楽は学校で習うもんじゃないんです。むしろ知らない方がいいんじゃないのかな?って思います。知ると枠ができて素直に楽しめなくなります。いくら先生がおいでって言ってくれても簡単に首を縦に振れないのは、普段からこんなふうに思っているからです。ジャンベやディジュリジュやカリンバ、口琴を、巧みに扱うういは先生が思うよりも音楽を普段から楽しんでいると思います。自分の音楽を見つけて欲しいなぁって思います。
2010.03.11
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実は絵本の読み聞かせボランティアの会合の間、音楽の先生がういを見ててくれたんです。そして、迎えに行くと「本当に学校やめちゃうんですかぁ?」って聞くので「ええ、本当です」っていうと、先生の経験等を話してくれました。先生自身の姪と甥が軽度発達障害で不登校だったこととか自分が受け持った児童のなかに、学校にいながらにしてみんなで一斉にやることは嫌いと言うので「一斉にやるときは先生の手伝いしてくれる?」って頼んで先生の手伝いをさせていたら「俺もう先生の手伝いは嫌。つまんないんだもん。仕方がないからやるよ」ってなった子がいることとか。結構、楽しかったです。前から変わった先生だとは思っていたけれど、本当に変わった先生!その後はさんざんほめられて・・・・。入学式に1年生が音楽を発表するというのが、うちの学校にはあるのですがその合奏の時にういにはコンボをやってもらおうと思っていたというんです。1年生に要求するリズムは「トン、ウン、トン、ウン」のような簡単なものだといいます。だけど、ういは要求したリズムをきちんとたたき続けることができるので初め入れる予定ではなかったコンボを入れることにしたんだけど、こんなことになっちゃってがっかりって。歌を歌わせれば1年生らしからぬ音域と安定を持っているのでそういう子どもがひとり抜けるとこんなに合唱がボロボロになるのかって実感したんですよ~。なーんて、いうんです。私が合唱をやったり市民ミュージカルに参加していたので家でも歌が常に流れていること、私も歌うし彼女もこれでもかっていうぐらい歌うことをいうと「それならわかるわ」って言われました。先生はういに音楽の時間だけでも戻ってきて欲しいんだそうです。何故か。先生がつまらないから。笑算数や国語は学校じゃなくてもできるけど、合唱って合唱団とか行かなくちゃ出来ないしたくさんの楽器に触れる機会も、学校にいる間だから出来ることなのだと思う。ういの音楽のセンスを見てるとわくわくするから、戻ってきて!先生がつまらないからってのがいいじゃないですか。もう笑っちゃいました。私も本人が好きなら行ってくればいいと思います。だって、学校は道具みたいなもんです。どんな公共の施設と同じ施設だと思うので、利用しない方が勿体無いです。一応、保護者会で話しましたが実際にそうやって出入していることが他のお子さんを刺激してしまう事が実際に起きてしまうと思う。でも、その部分は私たちがカバーしますって、背中押されている気がします。担任も「そういう風に学校を使うのは大いに結構です」と言います。ありがたいかぎりです。
2010.03.09
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先日の保護者会では、適当に話してきました。そして、その時に絵本の読み聞かせボランティアの会合があることを知り月曜日に行ってきました。今、娘の在籍小学校ではあまりにも先生たちが読書に力をいれていないことがわかりました。しかし、読書が大切な事はわかっているので、読み聞かせはやって欲しいという意向もわかりました。学校に入っていないういを連れて、そうやって出入することはどうなんだろう?って思ったのですが先生も保護者の方もとてもすんなりと受け入れてもらいこのまま来年度も私は読み聞かせのボランティア続けて行けそうです。
2010.03.09
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今週、金曜日に保護者会があります。あ~~~も~~~~!!どっから話そう。先日のフリースクールでは「いんじゃない?さぼっちゃえば。 説明したところでわからないんだから、したって一緒よ」って言われた。ま、確かに。東京シューレの奥地さんもそういう風に言いそうな気がします。(前に電話で話をしたことがあって、 話した感じの雰囲気がフリースクールの代表さんとそっくりなんです。 なんというか、さばさばしてるっていうか・・・)とはいえ、先生と約束したわけですし「子どもが遊びたいって言っているのだけど、迷惑なんじゃ」っていう声も聞かれるし面倒だけど行かなきゃ。ホームスクーリングと発達障害と通級のこと学校の批判を学校でやったらまずいよね。けど、ホームスクーリング自体が学校批判みたいに思われがちだしやんわり、うまーく伝える方法が・・・欲しい。ういを否定しないように発達障害を伝えるのもまた難しいし。そんなことを考えてたら、日曜日に熱出して火曜には熱下がったものの、その後昼夜反転症みたいになってかなり昼間起きてるのが辛いです。私の方がまるで不登校児みたい。保護者会、どうしよう・・・・。はぁぁぁ。
2010.03.04
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いちねんせいになったらいちねんせいになったらともだち100人できるかな最近、そまがそうやって歌います。それを聞いてういに「一年生になっても友達100人できないよ」って言われた日にゃどうすっかなぁって思いました。ういは100人できると思ったのにねぇ・・・。がっかりだったねぇ・・・。まどみちおがこの歌詞を作ったときは友達100人できるぐらいは普通だったのかなぁなんて思いを馳せてみたり。(そんなわけあるわけないと思っちゃうのは、大人だから?)子どもってこの歌好きですよね。夢と未来をいっぱい含んでいるからかなぁ。子どもの頃から野口雨情が好きな暗い子だったので私はちょっと引いてしまいますが・・・。
2010.03.01
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学校へ行かないのは大変なことから逃げることなんでしょうか?私はそうは思いません。生活していれば大変なことっていっぱいあると思います。ホームスクーリングしている子どもたちって、いろいろな大人たちから「なぜ学校へ行っていないのか?」という質問をされまともに答えていると説教されることも結構あると聞いていますし現に私たちももうここ3週間の間に経験しています。それ故の悩みもあるだろうし、いろんな立場でその人達にしか分からない大変なことがあると思います。簡単に学校に行かないことは大変なことから逃げているとは言えないってことです。自ら選びながら勉強していくことは、自らの制御や責任もつきまといます。だから、ある意味もっとも大変だと言えると思いませんか?楽しいことには責任がつきまとうって教わりませんでしたか?自分の人生を自分で責任を持ちましょうって教わりませんでしたか?私はそう教わりましたよ。学校へ行かないのはけして大変なことから逃げることではなく自分の人生や生き方に責任をもって生きることです。子どもにそういう風に歩いて欲しい、だから歩けるようになるまで面倒見ますそれがホームスクーリングなんですよ。
2010.02.25
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私は娘にどんな社会に出て欲しいのだろう。今日はそんなことを考える一日だった。特別支援学級の見学に行ってきた。そこの先生が連呼していたのは「将来、社会に出て困らない人にしてあげなければなりません。 私たちはそのお手伝いをしています」という事でした。その時は、あまり気になりませんでしたが私自身が先生のいう社会がなんなのかさっぱり解っていないことに気がつきました。社会とは、人や国、思想、時代が違えばその社会の求める人も違うことになりませんか?だとするならば、通級の先生がいうことは「学校」や「会社」などの属する社会であってもっと大きな意味での社会ではないのだと思いました。なんだか、すごくがっかりです。学校教育の一部なので仕方がないのはわかるのだけどもともと少し特殊な子どもたちなのです。だったら、ギフテッドとして受け入れることはできないのかと思ったのです。どうしてそんなに出る杭は打つような指導しかできないのだろう・・・。ういは確かに「お友達に遊ぼう」って今言えないしお友達からも誘われることはないのだけどそれでも、公園で私たちが遊びの会を開いているときに同じクラスの子供達がきてもちゃんと遊ぶことが出来るわけで・・・・。学校自体に問題があるんじゃないの?って思ったりします。今日、学校のお友達がやってきてお手紙を置いていきました。「ういちゃんごめんね、また一緒に遊ぼうね」って書いてありました。何がゴメンねなのか、よくわからないのだけど一緒に遊ぼうねってその言葉をういが嬉しいと思ったしどうやったら一緒に遊べるかを説明したしなんというか・・・。今のままでいい気もします。社会って何ですか?これからがういの生きていく世界なのにちゃんと指導受けなければ、社会に適応できるようにはなりませんってなんですか?この子はこの子なりに関われるようになり、そんなこの子を好きだと言ってくれる子がいてそれじゃいけないんですか?今を見るのではなくて、未来のことばかり言われると私はどうしていいかわからなくなります。だって、子どもたちは今を生きているだけなのに。そんな暗い未来ばかりが待っている訳ないのに。頼らない生き方が、必要に迫っているのだなと感じました。
2010.02.24
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私の側で私がやる事をすべて見張るように、ういが毎日見ています。だから、必死でやる事をやっています。そして「お母さん、早くPC触らせて!」とか「自転車で一緒に公園に行こう!」とか・・・。いいんです、お母さん一緒にって言われるの。構わないんだけどね、なんというか・・・。自分の意思が叶うまで、私の側でじとっとしてるのはなんとかならないのかなぁ・・・。あのさ、もっと好きな事したら?折り紙おるとか、絵を描くとか、本読むとか、ねぇなんかないの?なーんて思っちゃう、ここ最近でした。絵を描く時も、折り紙を折る時も、本を読むのも私にいちいち「ねぇやろうよぉ~」って猫なで声で、身を摺り寄せてきます。うん、いいんだけど、いいんだけどね!ちょっとばかりお茶ゆっくり飲ませてくれたっていいではないか。今日は掃除の日だったのだけど(真面目に掃除してるのって週2日ぐらい)掃除の時間が長いって怒ってふてくされる事はないだろう?(お母さんって掃除ばっかりってなるから、なかなか時間取れなくて)お母さんだってやる事はあるんだよ、なぜわかってくれないのだ。はぁぁぁ・・・。もっと早起きして早くから掃除する?いやいや、一番掃除したいところにゆづが寝てるからそりゃ無理だわ・・・・。朝、夕飯の下ごしらえして、夕方に忙しいけどそこに上乗せしてやるか?一番妥当そうだけどなぁ。母、あなたの要望を聞き入れたいのに手間取ってばっかり。ごめんよ。
2010.02.23
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ゲームって言われてぱっと思いつくものは何ですか?私はゲームと言われると、言葉遊びやパズル、迷路などもそうだよなぁって思いますしもちろんスポーツだってゲームです。テレビゲームもあるし、ボードゲームもあるし・・・。娘はゲームがわからないそうです。ゲームって言われても、何の事?って感じのようで今日も彼女の作ったゲームとやらに、私はよくわからずてんてこ舞いでした。ノートに、すたーとって書いてある所から線がくるくると下に向かって伸びています。そして、その線の先にゴールって書いてあります。「おかあさん、なぞって。迷路だよ」っていうんです。誰が見ても、ひらがなを覚える前の子が運筆練習でするようなものにしか見せません。それを指して「迷路だよ」って。おもわず「は?!」って言っちゃいましたが彼女は気にもせずに、鉛筆を私に手渡します。仕方がないのでなぞりました。彼女はとても満足そうに何度も同じようなものを持ってきます。どこかで交わっていれば、うんうんってなるのだけれどそれもありません。そのあと、数字が1、2、4、6、3、7、8、5、10、9と間違えて並んでいます。「これを正しい順番に並べ替えてください」というのでただただ並べ替えて書きました。もう一つ極めつけは、「ゲームだよ。この四角の中に音符を書いてください」いうんです。音符を書いて何をするのだろう?と思っていると書いただけで納得している様子。なんのゲーム????彼女が作ったのだろうけど、数字の並べかえ以外、何がなんだかよくわかりませんでした。「学校でもこうやって作ってお友達にやってもらったりするの?」って聞くと「そうだよ。でも、みんな『なにそれ、つまんないし』っていう」と言いました。そうだよなぁ・・・これじゃあつまらないし、よくわからないから面白くないよなぁ。「ゲームって何の事だかわかる?」って聞くと「わかんない。でも、ういが作ったのもゲームだよ」っていうのです。ゲームの概念がわかってないのに、ゲームを作るのは無理です。国語辞典にも概念までは掲載されていませんから私はそこを教えなくちゃならないんだなぁって思いました。基本的に、彼女はボードゲームができません。トランプもババ抜きと神経衰弱がやっとです。迷路も壁に穴があいているのか、平気で行き止まりを通過しますし酷い時は線と線の間ではなく、線の上をなぞってしまうため迷路が迷路になってません。私たちはそれを避けてきました。なぜなら、彼女が落ち着いて話を聞けないし自己流でできないのならやらないと、話している間に怒り始めてしまうのが原因でした。それが今になってこんな形で「出来ない事」として表れてきてしまいました。ただの遊びにも戸惑うのかと思うと、ちょっと驚いてしまいました。
2010.02.22
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私の住む街のフリースクール、スペースキールの親の会に参加してきた。ここの代表者の方は、東京シューレの奥地さんと話をした事があるのでとてもホームスクーラーにも理解のある人です。だから、ホームスクーリングなんて言っても、とても理解を示してくれます。不登校に前向きな人が多いフリースクールです。そして、発達障害の子もいるフリースクールです。ういが発達障害で、特殊学級を病院の先生にはすすめられた事また今学校に言っていない事、私がホームスクールにしようと思っている事などいろいろ話をしてきました。「お母さんすごいねぇ、どうしてそんな風に腹をくくっていられるの?」って聞くから、「私自身が学校行きたくなかった経験があるのと、 この子があんまりにも人と同じ事が出来ないので 普通に学校に通ったら大変だろうなぁって思ったので・・・」「大丈夫よ、それだけしっかり子どもを見ていたら 何も心配する事なんかない」って言ってもらえました。特殊学級もいいかもしれないけど、一番知っているのは親だからじっくり向き合ってその子の発達に合わせてあげるのも手。対人関係の未発達な部分も、そのたびごとに向き合うことでよくなっていくし勉強のできないのも、やりたくなった時にちゃんと向き合ってあげれば、それだけで子どもって前に進むものだし。何の関係のない話を聞いてあげる事が、子どもが安心する要素だしね。子どもが安心していなければ何もできないからいいんじゃないの?今のままが一番理想なのかもしれないよ?そこで遊んでいるういちゃんは、すごく輝いて見える。それでいいと思う。こんなメッセージをもらったなぁって思っています。自分を信じればいいんだよね。私が見て感じたものを、ただひたすらに信じてあげればいいんだよね。たった一度見た病院の先生よりも、たった1年にも満たない担任よりもたった1回相談に行った就学相談の先生よりも私の方がずっと付き合い長いわけだし。何を血迷っているんだろう。ういのこっちの意図の伝わらなさを怖がる必要なんか何もないんだ。一つ一つ丁寧に説明したら、いつかわかるようになる。少人数制の学校へ転校かぁ・・・なんて思っていたけど必要ない。通級は見てから決める。必要ないかもしれないけど、自分たちが煮詰まるのは避けたいからちょっとだけ違う環境もありかな?なんて思ったり。遊びながら関係を作れるようになるのなら、それはありだと思う。ただし、ういが負担だって思ったら即座にパス。病院の先生は「お母さんが大変になるから」って言ったけど何が大変かは私が決める。「ういがゆづの面倒をよく見るから、お母さん自身はそれを頼りにしているのかもしれないけど」って言っていたけどいいじゃない、頼りにしたって。ういは自分が学びたければ学ぶし、自分を抑えるってことも最近ようやく覚えられるようになってきた。そんな感じに自分で勝手に学べる事もあるし、手助けが必要な事もある。兄弟がいなかったら、一番小さな社会がもっと小さくなっちゃって適応するのにもっと時間がかかるってことじゃないか。今日「不安にならないの?」って聞かれたんだ。はっきりと「不安になんてなりません。むしろ学校で出来ないことと向き合って、一人で困っている事の方がよっぽどか不安です」って言ってきた。なんだ、私はちゃんと自分の中に答えを持ってたんだ。いいんじゃない?このままで。ノープロブレム!!!
2010.02.20
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診断を受けて一夜明けました。今日は朝から怪盗ねこぴーというインターネットで出来るの漢字の勉強をした。学年は1年生のものはすべて解けているから2年生のものを。出来てるよ?ただし、その漢字の使い方や意味がわかっているかは不明。(怪盗ねこぴー http://www.nekopy.com/study/kanji/index.html )調子に乗ったういは、チャレンジの水のかさを比べる問題をじゃんじゃん解いて出来てるんだけどわかっているのか心配になった私は、どうしてそうなるのかを尋ねたけど、ちゃんと答えてくれたのであれ?????う~~~~ん???となってしまった。出来る事の多さが、出来ない事を隠してしまっている事が問題なの?それとも、人間が生きていくうえで一般的に理解できている事が出来ていないの?こうやってうまくいく事がずっと続くわけではない事とかもわかっている。発達検査の結果を考えれば、「もっとできるのになぜやらないんだろう?と思われてしまう」ということだから今日の出来事は、その結果通りの出来事だったというだけの事なのだろうけどなんだか、えーーーって思っちゃう。私だけじゃないと思う、そう思うのって。支援に行って平気なのかなぁ。出来るくせになんでくるんだよってならないのかなぁ・・・。さっき就学相談の面接相談に予約を入れました。早く相談に行って、どういう支援を受ける事が出来てどういう風に支援していくのかっていう事が、もっと具合的にわかるといいのですが・・・。
2010.02.17
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