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枝豆を食べるハル 今日は久々に冷凍枝豆を解凍して提供した。 身から出たさびで負傷したハルは、脚をあげて痛がるそぶりを見せることも減り、枝豆を頬張っていた。 せっかくの好物なので、最近放鳥に出していないクラをテーブルの上に連れ出した。しかし、落ち着かず、ほとんど食べない。マナツは隙あらば襲撃しようとねらっているし、もはや頭上でくつろぐようなことも出来ない様子なので、早々にカゴに帰した。 余計なものを食べさせるより、安穏に暮らしてもらおうと思う。
2010年10月31日
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母アイの巣材を奪おうとするラック 台風は夕方をピークに逸れて行ったが(北に高気圧があって、偏西風がきつく、海水温も低いのだから、普通に考えれば直撃して大被害を起こすことはないのになぁ、とは思う。気象予報士の人たちも分かって言っているのだろうけど、あまり大げさだと『狼少年』になるのではないかと心配してしまう)、我が家の室内の暴風雨は止まず、今日も4リットルが完売となった。水道水のままでは冷たいと思い、37度のお湯と水道水を混ぜたものになっているのだが、それにしても夏よりも激しいくらいだ。やはり抱卵や巣作りの疲れをとるためであろうか。それなら、仕方がないかと納得しよう。
2010年10月30日
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身から出たさびなので同情されないハル 午後、水の交換を行い、その間遊び回っていた一部の文鳥たちを帰し、しばらくしてから異常に気が付いた。イブ・マキのカゴが騒々しく、よく見れば3羽いて、1羽が散々な目に合わされている。 慌てて出入り口を開けると、飛び出してきたのはハルだった。・・・、どうやら、イブ・マキ夫婦が留守中に巣材を盗むために箱巣の中に入り込み、間抜けにも居眠りをしたのか、帰ってきたので姑息に黙って隠れていようとしたのか、とにかく少し間をおいて気づいた夫婦から集中砲火を浴びたらしい。 血は出ていないのでそのまま自分のカゴに戻したが、夜の放鳥時によく見ると、右の前指に切り傷が見られた。おそらく、噛まれた跡だろう。放っておいても良さそうだったが、念のためひっ捕らえてイソジンの傷薬を塗っておく。 こういった笑い話でも、指を欠損させてしまうことにもなるので、今後、おそらく懲りないであろうハルに気をつけないといけない。
2010年10月29日
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目つきまで悪くなったマナツ マナツはヒナ換羽終了間近だ。やさぐれ(=家出する)はしないがぐれた(=不良化した)。当然、手の中になど一瞬たりとも入らず、そもそも手で捕獲などできない(指には乗るのでカゴに帰すのに苦労はしない)。 つい1ヶ月前まではかわいらしかったのに・・・、これが2ヶ月前なら、まだ差し餌していたのに・・・。何という変わりようであろうか! ま、しかし、この寒さにも影響されず、飛び跳ねまくって元気なのだから、良しとすべきなのだろう。
2010年10月28日
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夫婦らしくなってきたノッチ・イッツ 餃子を食べながらテレビを見ていたら、男子校に女の子がひとり転入するとかいったゲームのCMが流れていた。それは有り得ないし、有り得たら悪夢だろう。逆に女子高に男子一名なら、その男子生徒一人が悪夢の日々を過ごせば済むだろうが、男子校となったら、学校中の悪夢になる。大概が遠慮してしまって、身動きが取れなくなると思われるのだ。 例えば、暇な男子生徒は授業中でも「先生!(女の子の)ショートとロングどっちが好き?」などと尋ねて来るものである。当然、男子校の先生ともなれば「髪?タンパツ!」と即答し(タンパツ=短髪、ここはショートと答えてはつまらない)、さらに「何でぇ~?」などと言われたら、「長いと邪魔でしょ?・・・何かと」と答えるのが正しい(と私は信じている)。しかし、(年齢容姿に関係なく)女性と名の付く者が1人でもいれば、教師はそういった答えは出来ないのである。 まったく人の世は難しい。 人の世は難しいが、文鳥の世はどうだろう。結構、産卵すると心配なのでオスを望む人も多いようだが、「男子校」になるのも困りものではなかろうか。 我が家の場合、3代8羽連続でオスという快挙の後に、ようやくメスのシューが生まれ、次世代にもメスのイッツが生まれた。それでも、男女比14対2、健全な「男女共学校」にはほど遠い。 とりあえず、イッツには女の子を期待したい・・・、だが卵の取捨は飼い主の責任か・・・。まずは、安産を祈りつつ、明日の寒さに備え、イッツ・ノッチのカゴの横にも保温器を設置したのであった(関東地方など比べ物にならぬほど寒い地方の皆様、当然心より同情は致しておりますよ)。
2010年10月27日
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餃子、冷凍でいいよあんなもの・・・。例の隣国産の冷凍餃子に、日本人を「鬼子」などと表現しているようなのが毒物を混入した事件が起きた際に、「おウチで餃子を作りましょう!」などという話題があったが、目玉焼きも焼けないような野郎どもにはわかるまいが、餃子を作るのなんて面倒なんだよ! さはさりながら、誤って購入した白菜とニラの存在をいかに解消しようかと考えれば、餃子の皮でも買ってくるしかないのである。そして、木枯らし吹く中を買いに行ったさ、合びき肉も買ったし、練りショウガも買ったさ、そこで力尽き、面倒なのでシイタケは買わず、それでもビールは買って帰ってきたのであった。 あ~面倒くせぇ、と何回も口中に唱えつつ白菜とニラをみじん切りにし、親の敵などとる気はないが、自分の敵を自分でとれるならこうだ!という勢いで、布に包んでギューギューギューギューひねり上げ絞り上げして水気を抜き、あ~、白菜よりもキャベツの方が楽なんだよな~、とつぶやいたのであった。 それで、合いびき肉を入れ、冷蔵庫の片隅で腐りかけていたしょうがを細かく刻んで入れ、ショウガをおろすのが面倒なので買ってきたチューブのそれをひねり入れ、塩胡椒調味料の入っているあれをふりかけ、どうせ舌は腐っているので、さらに胡椒のみを別途ふりかけ、「忌々しい忌々しい~」と呪いの言葉を唱えつつこね回したのであった。このコネコネの作業は、本来楽しいものだが、あいにく今現在右手の小指に血豆が発生しており、それどころではないのであった。何しろそれに物が触れると、生まれてきたのを後悔する痛みが遠慮会釈なく脳天を突き抜けるため、もはや苦行なのである。 「うきゃ~、やっぱり面倒くせぇえよ~ぉ!!」と心の中で悲壮な叫び声をあげつつ、スプーンで上記の具材をすくって餃子の皮の中央に叩きつけ、指で皮の縁を半円に水を塗りつけ、半分に折って、折り目にひだを付ける作業を黙々黙々と続ける。 ・・・冷凍でいいだろやっぱり。ここまでしてまだ食えないのだから、これは地球誕生以来存在する何ものかの悪意が働いているとしか思えない。...うむ、とにかく油で揚げてしまうのが楽だ。実行。・・・まだまだあるな(白菜四分の一、ニラ1把となると52個も出来てしまうのだ)。仕方ない焼くのか・・・。 フライパンに油を敷き熱したところで、餃子を並べて置き、焦げ目が付いたら水を少々加え(片栗粉を少々加えると良いのだが、そんな面倒なことを俺に限ってするわけなかろうが!!)、フタをして水気が飛ぶのを待つ・・・、もう、気の遠くなるような作業だ。水が多すぎればふにゃらけてしまうし・・・。これをやすやすと行える世の中の良妻賢母は、もう尊敬より崇拝の対象になるべきだろう。へ?さらに途中作業を子供に手伝わせてるって?もう、目を合わせるのも憚れるね、それは!! はいはい、出来た出来た(綺麗に盛り付ける気など欠片もない)。これからは生協に間違って注文しないように注意せねばならぬ。
2010年10月27日
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心を入れ替えた?イッツ 今現在、外は木枯らしが吹いている。・・・秋キュウリに影響すると嫌だなぁ、などと思うより、真夏生まれのマナツなど1羽暮らしの文鳥たちへの影響が気になり、慌てて20W保温電球を2個取り出した。ケコとシンのカゴの間と、マナツとハル・エコのカゴの間に設置する。・・・過保護と言えば言えなくもないか。 今夜の様子を見ると(翼が垂れ加減)、イッツが産卵を始めたかもしれない。ここ数日浮気をしなくなり、同居のノッチと仲良くし、巣作りもするようになっていたのだ。 明朝はぐんと寒そうなので(天気予報以前に、今現在徐々に低下中といった感触だ)、難産にならないように祈りたい。
2010年10月26日
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無用不要な話を書いていたら、こんな時間になってしまった。 とりあえず、今日は4リットル完売した。気温は無関係に、冬もバンバンやらかしてくれそうな勢いだ。
2010年10月25日
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昔のテレビドラマではやったフレーズに「同情するなら、金をくれ!」というのがありました。当然一度も見ていないので、ドラマの内容は知りませんが、ずいぶん妙なことを言わせるものだと思っていました。 貧しい人や困っている人に対しては、その人の身が立つように世話をするのが親切でしょう。しかし、それは時間的・経済的に不可能であったり、そうする義理を感じない限り実行しないのが普通です。当然ながら、相手が赤の他人なら、親身に世話を焼く方が妙です。それでも金銭的な余裕がある人なら、多少のお金くらいは施すかもしれず、もし金銭的な余裕も無ければ、せいぜい同情だけはするのではないでしょうか。そしてそれは、何も感じず無視するよりは、少しはマシ(=人間的)と言うものです。 つまり、金がない、もしくは金をやる義理を感じないので、同情だけしている人に対して、「金をくれ!」とは、何とご無体なことかというわけです。 さて、また小学校6年生の子供が、イジメられて自殺してしまいました。一方で、罪のない2人の人間を惨殺した中年男は、自裁もしなければ従容として死刑に服そうともしないようです。身勝手に人を殺し、今度は身勝手な反省の日々を送りたいなどと、大人のくせに、どこまで身勝手我ままなのかあきれ果ててしまいます。反省などあくまでも自分のためにするものです。ここで彼に必要なのは、身勝手で人を殺した明らかな重罪について、遺族を含めた他人にわかるように、自らがどのような罰を自らに科すのかを考えることのみのはずです。この際、不適切でも端的に言ってしまうなら、「死ねと言われたら死ね」「言われるのがわかっているなら、言いたくない人に言わせる前に死ね」です。 死ぬべき中年男が死なず、死ぬ必要がない少女が死んでしまう、実に嫌なニュースです。そして「イジメ」があったかとか、それを学校が認識していたかとか、まったくくだらない話を、こう言っては何ですが不見識な大人たちが、また繰り返しているのを見ると、本当にウンザリしてしまいます。数年前に書いたことですが↓、イジメに客観的基準などあり得ず、本人がイジメられたと思ったら、それはイジメ以外の何ものでもないのです。イジメがあったかどうかなど、問題にする方がよほどおかしいのです。http://plaza.rakuten.co.jp/jackbo/diary/200709300000/ とにかく今の子供たちは、情報化でいろいろ自殺の方法を知ってしまい、なおかつ「生まれ変わる」とか「来世」だとか、『いかれた人たち』がそれが絶対的な真実のように、テレビでペラペラしゃべるのを耳にしていますから、簡単に自殺してしまうのでしょう。「死んだって、来世があるわ~」と言うわけです。そういった社会環境を許している我々大人たちは、このような事態が起こる前から改めるべきで、事後に同情だけしていても仕方がないのですが、やはり直接関わりのない一市民は、同情するしかありません。 とりあえず、イジメと感じて悩んだら、両親や担任もしくは専門的な相談窓口に申し出るように、子供たちに徹底的に教え込み、そして親なら、現世、今現在ただ今、自分の子供として育ってくれていることの喜びをわかりやすく本人に伝えるか、それが照れくさければ、学校など嫌なら転校するなり辞めて自宅学習するように、はっきり言い聞かせておくべきだとは思っています。まじめな親御さんは学校にはしっかり行くように言ってしまうものですが、義務教育など出席日数が少なくても卒業できます。自宅学習で課題を提出させるなど面倒この上ないので、緊張感のない学校ほどそれを勧めないでしょうが、そういった当事者意識の欠如した学校など頼らずに、まずは親の権限で出席を止めて欲しいです。「命捨てるな、学校捨てろ」(さだまさし氏のお言葉でしたか?)です。 ついでにもうひとつ、前世だ来世を何だのに対し、道元禅師の言葉を紹介しましょう。いわく「薪灰となりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人の死ぬるのちさらに生とならず」。よろしいですか?燃えてしまって灰になったら元の形には戻りませんね、人も死んでしまえば同じ人生を送れませんよ。前世があったとして、今のあなたはその時の『自分』をはっきり覚えていて、それと今が同じですか?来世があったとしても、あなたの今の意識は持ち越せませんから、それは別の一生ではないでしょうか?千年万年生きるわけではないですから、自殺など先延ばしで構わないではありませんか。死ぬべき人も死なない世の中で、何も先駆けて死んでしまうことはないです。 さてさて、小学生のイジメと聞いて、先日小学校の頃の担任を思い出していた私は、ある知人の顔を思い浮かべたのでした。E塚さんという女の子で、小学校3、4年生で同じクラスでした。その後中学校も同じだったもののクラスは別で、ただ、小学校の高学年から中学生の3年間にわたって同じ町塾に通ってはいました。したがって、友達と言えば友達ですが、じっくり話した記憶がないので、知人といった方が良いかもしれません。 この人は勉強が良くできて、クラス委員などを積極的に行うとても「良い子」でした。塾では漢字コンクールと言うのがあり、3位くらいまで盾だかメダルだかをくれるのですが、私はかないませんでしたね。たいてい彼女が1位だったでしょう。 それで、私の解釈では、まだ塾に行く前の小学校4年生の時、先日暗殺計画があったと書いた産休補助の婆さんが担任になったのが、彼女にとって後々の不幸に繋がってきます。この婆さん、クラスメートのほぼ全員から嫌われていましたが、「良い子」であるところのE塚さんはそういった先生にも従順なので、大変なお気に入りとなっており、結果、クラスメートの圧倒的多数から、陰で「いい子ぶりっ子」と嫌われるようになってしまいました。 小学校4年生当時の私はと言えば、「ぶりっ子」ではなく本当に「良い子」なのかも知れず、とりあえず害はないので毛嫌いするのも変だといった判断をしていたように思います(嫌な奴にかわいがられているのは事実なので、好意はもてない)。と言うのも、先生などまったく見ていない場所でも、E塚さんが先生に言いつけられた以上に掃除をしているのに気づいていたので、先生の前で良い子のふりをしているだけではないと考えていたのです(私も真面目な子でしたが、言われただけのことしかする気はない)。今思えば、「偽善も善のうち」と見てとったのでしょうね。当時のE塚さんが、子供ながらに「良い子」の自分に自己満足していたにせよ、一所懸命掃除するなら、それは褒められるべきでしょう。良い事をするのに、動機など何でも良いです。 強烈な個性の担任に対しても、彼女としてはいつもどおりに先生に従順だっただけではないかと私は思っていたわけですが、この1年未満でE塚さん=「ぶりっ子」というレッテルがべったりと貼られ、その後も、E塚さんと同じクラスの人たちの陰口を、たびたび耳にすることになります。「また、クラス委員に立候補したんだよ、あの人」みたいなものですね。また、例えば合唱大会のような場では、一所懸命クラスメートを指揮しながら一所懸命唄っているE塚さんを見かけ、相変わらず「良い子」を続けていて、それが周囲に嫌悪されているのに気づかないのだろうな、と他人事に思っていました。 やはりE塚さんは成績も良かったし私立の中学校に行くべきでしたね。小学校の同級生がたくさんいる小学校の隣にある公立中学校でも、当然ながら「良い子」を続けてしまったようです。それでも、普通ならさほど問題はなかったはずですが、我が母校、3年次に荒れに荒れまして、新聞の表現によれば「番長グループ」が職員室に乱入し副校長を殴る、などといった事態まで起き、もはや学校側の統制などまるで利かない無法状態となってしまったのでした。東大出の担任などは、バケツで水を掛けられるは、顔にマジックで落書きされるは、もうどうしようもない状態になっていたのです(あの担任にもそうされるだけの理由があったと思うのですが・・・【2年次まで竹刀片手に威張っていたのですよこの人は】。なお、暴れていた連中の大半は私の小学生時の友だちではありますが、何となく過ぎている人生の分かれ道で私は真面目な子になっていました。どれほどかと言えば、卒業年次には1組の出席番号1番にさせられるような子です。行事で散々いろいろ練習させらるので、1組1番はおとなしくて真面目な子が据えられるポジションなのです)。 早々に何人もが少年院だか家裁審判だかで留守になりましたが、それでも授業中に何故かバールを持ってうろつく奴がいたり、後ろでヌンチャクを振り回していたり、シンナーの臭いを漂わせわめいていたり、思い出せば冗談のようですが、それが現実だったわけです。はっきり言って、それを許してしまった教職員たちがすべて悪いのですが(個人個人としては良い先生もいたのですが、あの状態になっては教職員一体で取り組まねばどうにもならず、校長が無能だったようで、その団結力がなかったように思います)、とにかく哀れなのは、先生と言う後ろ盾を失った「良い子」です。今まで「ぶりっ子」などと陰口で言われていたことが、一気に表面化し、露骨なイジメを受けるようになったようでした。 ようでした、と言うのは、やはり私はクラスが違うので、具体的な内容はわからなかったのです。ただ、教室移動の際に音楽室の前を通ると、なぜかE塚さんだけが後ろで正座しているので、異常事態であることはわかりました。その時の音楽の教師は、また癖のある馬鹿ジジイでしたが(この人も2年次まで生徒に肩をもませて威張っていましたね。そのようなことをするのは気色が悪いので、真面目なのに私はしませんでしたが・・・。このジジイが卒業式の時に指揮棒振って泣いていたのには、心底白けました)、合唱か何かやっていたE塚さんにとっては、本来最大の後ろ盾のはずでしたから、恐ろしく象徴的なシーンに思えたのです。また、それが真面目な彼女なりの身の処し方だったのかもしれませんが、制服のブレザーの袖口を折って着るようになり、塾での成績の方は急降下してしまったのです。 具体的な内容は不明で、他人に尋ねる気もありませんでしたが、当時も同情はしていましたね。尋ねなかった理由は、意識的には無かったと思いますが、おそらく他人のことなど考えられる精神的な状況になかったのが大きかったでしょう(私は私で修学旅行の際に教師部屋を占拠した連中【ほぼみな知り合い】に呼び出しを受けて、身の危険を大いに感じるようなことがありました。あの時、間にたつ子【これも知り合いでお寺の息子】がいなければ、かなり痛い目にあっていたかもしれません・・・腕を組んでいただけですよ、まったく無茶苦茶だったのです)。同情、むしろ腹立たしく感じていたかもしれません。嫌らしいではないですか、学校に統治能力が失われた隙に、今までの鬱憤を晴らすとは。それも、くだらないただの妬みです。それほどうらやましいと思っていたのなら、自分も教師に尻尾振っていれば良かっただけで、意識的なのか無意識なのか知りませんが、そうしていた人を責めて良いはずがないです。 このように、同情だけしか出来ないこともあり、しないよりした方が少しはマシだと信じています。確かに、当時のE塚さんの助けには何もなっていません。しかし、その原因や状況に対する推測が正しいか正しくないかも別にして、何か困った様子の人に対して、同情、難しく言うなら惻隠の情を抱く他人は、当時の私のように結構存在するものではないでしょうか。 個人的には、さらに一歩進んで、口先だけでも少しは助けになれるように心掛けたいものではありますが、実際問題として難しいことがあるのも現実です。そこで逆に自分が苦境に立った時に、同情してくれる人もたぶん少しはいるだろうと思えれば、わずかでも気は楽になると考えるようにしています。したがって、私も、せめて同情だけは致します。
2010年10月25日
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水を浪費する文鳥たち 卵査察。しかし、カエ、メイ、スミは産卵しておらず、回収はエコの7個のみであった。次は2週間後で良いだろう。 さて、涼しくなっても毎晩3リットルの水道水(一応ろ過)を消費する文鳥たち・・・、3リットルの水道代?考えたことも無かったので考えてみよう。 水道代は居住地によって異なるが、我が家(横浜市)の場合、上下水道合わせて・・・、2ヶ月で約50立方メートルとして12,000~13,000円。13000円÷50で、1立方メートル260円。1立方メートルは1,000リットルなので、260÷1000×3として、3リットル0.78円という計算になるのかな(私は文系人間)。1ヶ月ならさらに30を掛けて23.4円・・・。 家計としては、文鳥の水の浪費を心配するより、トイレの水を気にした方が良いかもしれない(小便でタンクの水をすべて流すお父さんを見かけたら張り倒す)。日本は水が豊富で良かった。
2010年10月24日
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東京は杉並区の小学校教師(23歳女性)が、小学校3年生の授業で、「三姉妹の長女が自殺し、次女はその葬儀に来たカッコイイ男が好きになった。葬儀後もう一度会うにはどうすれば良いか」といったクイズ?を出したのだそうだ。それで、『ガキの内輪盛り上がり』で話を進めて、結論は「妹を殺し、葬式をやればまた会える」だったと言う。http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_teacher__20101024_3/story/101024jijiX900/ 23歳の小娘なので、大学のサークルで仲間内でするアホ話の延長と錯覚したものとすると(細かいやりとりはわからない)、あらゆる面で愚かと言う他ない。まず、最もどうでも良いことを先に挙げれば、論理的に破綻していて結論になっていない。その「カッコイイ男」は長女の友だちか関係者であろうから、三女が死んでも葬儀に来るはずがないではないか! 論理的な破綻以前に、10歳かそこらの子供多数の前で、姉が自殺したことを悲しむより男あさりを優先し、妹を殺しても自分の利益追求するといった、愚かなおつむで作り出した悪魔的な人間を、平然と語れる23歳の精神のすさみ方とは、一体何なのかと思ってしまう。一体この23歳は、この話をすることで、子供たちにどういったことを学ばせたかったのだろうか?いくら東京都が無計画だったために、教職員数が不足しているとしても、教師適正などゼロの者を採用した側のシステムなり感性も問題にすべきだろう。 この教師のヨタ話を耳にして、八百屋お七を思い浮かべた人も多いのではなかろうか。こちらは江戸本郷(東京都文京区)の八百屋の娘お七が、火災の際に避難して寝泊りした寺の小姓と仲良くなり、『もう一度会いたいあまりに放火』して捕らえられ処刑された事件だ。時は江戸前期、1683年のこと。当時、お七は数え年で16歳、数えは産まれた時に1歳、その後正月を迎えるたびに1歳加えていくので、今の満年齢なら14歳に過ぎない子供だ。何でも当時は15歳以下なら死罪を免れる慣習となっており、正月に近い事件でもあったらしいので、「お前はまだ15歳だな?」と罪一等を減じようとした奉行が問いかけたそうだ。ところが、ずいぶんと普通に生真面目だったのか、よほどの天才で罪を罪として悔いていたのか、お七は16歳であると主張し続けたため(真面目な人間は、場の雰囲気を察した嘘を言えない)、火刑に処されたと言う。 お七の放火は、どうやら自宅でボヤ程度で済んだので、世間の同情を集めることになった。それはそうだろう、14歳の生真面目な子が初恋で思いつめてした行動なのだから。しかし、その放火が大火になり、何百何千の人間が生命財産を失う結果になったらどうだろう?同じ放火という罪を犯しながら、結果が被害ゼロなら許し、被害が出れば極刑で良いのか・・・。こちらの実話なら、小学生でも大人でも、ゆっくり考えることが出来そうだ。 私は「今時の若い人は・・・」と思わない年寄りなど存在意味がないと信じているので、「今時の若い人は・・・」と年をとるごとに思うようにしている。しかし、実際問題としては、小学校の教師など寺子屋の先生の昔から、それほど「ご立派」でなくても勤まる職種であり、私の小学校時代の先生たちにしても、結構問題のある人はいたことも承知している。 例えば・・・、小学校3年の時の担任某(♂)はサッカーの朝練習の指導など熱血教師で知られ、生徒にも人気があったようだが、労働組合の活動にも熱心で子供心にも胡散臭かった(朝練してたのですよ私も)。何が胡散臭いと言って、大したことでもないはずのことで今なら問題になるだろう体罰をするのだが、廊下に何人か並ばせてゴンゴンと頭をこぶしで叩く際に、「お前たちを叩く先生の手のほうが痛いんだ!」的な態度を感じるのに、違和感を感じたのである。また、小学校4年生の時に産休補助でやって来た婆さんは(黒縁の尖った眼鏡をしていたので「ざーマス婆あ」と呼ばれていた。産休だったが諸般の事情で長々と居続けやがった!)、子供相手にいちいち嫌味な物言いをし、なおかつえこひいきが露骨に激しかったため、私の友人たちは暗殺計画を練っていたくらいである(今ならずいぶん物騒なことになりかねないが、当時は今のような情報化社会ではなく、子供の発想には具体性が伴わない)。 このように、問題ありそうな大人が先生となっていて、それと否応無く付き合わされることで、世の中の理不尽さを、身を持って体験するのもひとつの学習かもしれない。しかし、どれほど組合活動でおつむの中が真っ赤に染まっていようと、人格に難があっても、教師なら、自分の発言や行動は生徒に対して良かれと信じて行ってはいたように思う。それが客観的・中立的におかしなものに思えても、それなりに考えはあったはずなのだ。しかし、今時の若い人である23歳教師のそれは、中味がスッカラカンの軽口以外の何ものも伝わってこないので、残念なところだ。時間つぶしに自分のすさんで弱いおつむの中味を吐露して、教師が務まるだろうか? つまり、この人に欠如しているのは、職業意識であろう。年少の者に教えるという職業なのだから、その話している内容が何を教えることになってしまうのか、しっかり自覚しなければなるまい。相手は対等な友だちではなく、良かれ悪しかれ簡単に影響を受けてしまう存在なのだ。まだ遅くはないはずなので、教職を続けるにせよ辞めるにせよ、自重研鑽してもらいたい。そして、全国の次女に謝りなさい。
2010年10月24日
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水浴びするカエと水しぶきを浴びるマキ 繁殖シーズンだ。両手に余るほどのヒナに餌付けをするのは、私の夢であり、そして悪夢でもある。想像の世界では幸福だが、実現したら不幸という意味だ。しかも、それはその気になれば簡単に実現してしまう。従って、卵は可及的速やかに擬卵に交換しなければならぬ。よって、最低2週間に1回は、卵の査察を行う。 今夜は、イッツ・ノッチ、アイ・ポン、ニッキ・キュー、マキ・イブの査察を実施した。6×3+8、合計26個を回収した。・・・安産なのはうれしいが、気が重い期間ではある。
2010年10月23日
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9月中旬に植えた秋キュウリの苗(日光種苗)が順調に成長し、今日2個収穫しました。 今年は朝顔の種が少なく、特に『ネパール』の方は秋の長雨時に虫害を受け(種を食べるとは知らなかった・・・)、後から咲いたものが種になるのを待っている状態です。 確かものすごく安い価格だった小さなお茶の木は、今年の真夏の暑さをむしろ喜んだようで、今は元気に花を咲かせています。 山野草の類は壊滅的な状態ですが、沖縄菊は無事で、花が咲くものと思われます。 いろいろ試して、失敗して、環境に合わず枯らしてしまった植物は、かわいそうなことをしました。向き不向きをしっかり考えないといけないのですが、植物も難しいですね。
2010年10月23日
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父ノコリのさえずりを学ぶ息子マナツ マナツのぐぜりは、ブレイ流のさえずりの形にまとまりつつある。今日は父で宿敵のノコリにブレイ流さえずってもらい、大喜びで蹴っ飛ばしたりどつかれたりしていた。実に、ほのぼのとした文鳥父子の姿と言えよう。 基本的にさえずり練習中の若い文鳥は、乱暴なおとなのオス文鳥に魅せられるものなので、飼い主の口笛ヘイスケ流は真似してもらえないのだ。真似してもらうために乱暴に扱えば、やさぐれて人間嫌い文鳥になってしまう可能性があり、それは実行不可能である以上、仕方がない。 とりあえず真似してもらえない飼い主としては、我が家の標準形で目立たなくなって良いので、とりあえず人間の顔面にしがみつく悪癖だけはやめてくれるように、マナツに懇願するばかりだ。
2010年10月22日
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カメラに気づいて飛んでこようとするマナツ 相変わらず水浴びが激しい。床のウッドカーペットが怪しくなってきたな・・・、これは取り替えるのが大変なんだよな・・・。 さて、「文鳥墓苑」の香丁木、小さいアリンコの巣作りを黙過したため根が断ち切られ、今年の夏の暑さに危険な状態になり、植木鉢に移し変えていたのだが、最近復活したようで、盛んに花を咲かせている。 代わりに植えていた香丁木は、まだ小さく、同じ樹木でも花が元のものより大きく、趣味に合わないので、この際再び植え替えることにし、今日は暇だったので即刻実施した。完全に無くなっていた細い根が張っており、それがなるべく取れないように、植木鉢の土ごと移植した。 ただ、やたら咲いているので、枯れる前の狂い咲きの可能性もあるかもしれない。また、寒さにはそれほど強くないらしいので、今年の冬越しも慎重を要するかもしれない。・・・植物も難しい(今年は朝顔の種が壊滅的だ)。
2010年10月21日
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一緒に入らず頻繁に交代しつつの夫婦水浴び(テン・カエ) 水浴び器の周囲に置くスポンジが、かなりくたびれてきたので交換した。このスポンジ↓、値段は高いが、水の吸収力が優れており、比較的に長く使用できる。くたびれたスポンジは、床に置いて使用する。何しろ恐ろしいまでの水しぶきなのだ。 涼しかった今日も水浴びは盛況で、3リットルを消費した。この勢いはいつまで続くのだろうか・・・。元気でいてくれることを喜ぶべきなのだが・・・。驚異の吸水パワーアイオン 超吸水スポンジ ロング 約650ml
2010年10月20日
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イブにさえずられたがノッチに邪魔されて飛び去るイッツ 「しなやかさと軽さを履き違えてる」というサザンオールスターズの『ミス・ブランニュー・デイ』にあるフレーズは、自国の政府により主権者としての国民で無く地域に住む人民としての扱いしか受けていないにもかかわらず、強烈な愛国心と信じて民族主義をたぎらせていらっしゃる若い人たちが暴れている隣国に対し、日々苦悩を深めているはずの「柳腰」現官房長官殿に謹んで献上したい(日本など昔から東方辺土の島国ですから、「小日本」で結構ですよ。国からもらった教科書の内容以外に知識はなく、他国の文化も歴史も知りもしなければ尊重も出来ないような者どもに、どう思われようが気にするだけ損ですからね。ただ、そのようなことをギャーギャーわめいて、世界の中華にある大人の国と言えますかね?)。が、それ以前に、我が家の文鳥イッツに当てはまるのではないかと考えている。 この文鳥、「おじ様キラー」と呼ばれるくらいで、年上のオス文鳥(それも、自分の父・祖父・曽祖父)が極めて好きだ。さえずられるとひょいひょい付いて行く。まさに「軽い」。しかし、「しなやか」ではないと言い切れない。さえずられて迫られても、交尾には至らないのだ(ノッチが邪魔することも多いが・・・)。案外、文鳥おじさんを手玉に取っているしたたかさがあるのかもしれない。 しかし、そろそろ落ち着いて、ノッチと幸せな「家庭」を築いてもらいたいと願っている。
2010年10月19日
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いろいろ忙しいマナツ君 迷彩柄が長続きすれば良いのに、という飼い主の淡い期待を裏切り、マナツの変身は滞りなく進んでいる。すでに頭は黒くなり、胴体もほとんどおとなの羽毛に変わった。さらに頬と喉元、そしてクチバシが赤くなり、一月後には別文鳥となってしまうことだろう。 さえずりも盛大に練習中で、これもやはりだが、ブレイ流の気配濃厚だ。 姿形もさえずりも我が家では多数派のそれになってしまいそうだが(また写真を見分けるのに苦労するな・・・)、鏡回しの芸はそのまま継続して特別な存在として目立って欲しいところだ。もちろん、目立ちたいからといって、飼い主の襟足を突然にど突く悪癖の方は、残さないで欲しいと願う。
2010年10月18日
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小学生くらいの子供の頭には、ギューギューに知識を押し込んで、その意味など後から付いて来れば良い(その後長く続くであろう人生の経験から自ずと理解出来れば良い)という考え方を持っている。なまじ、たいして有能ではなく、個々で異なる教師の解釈など加えたら、それこそ想像力が奪われるので、例えば国語などは、同様の主張をされている諸賢も多いように、論語でも枕草子でも森鴎外でも、意味など分らなくても音読させておけば良いのだと思っている。意味や解釈などは、高等教育の段階で、それも複数の解釈を提示して自分で考えさせれば良い(特に社会科で問題となるが、教師の思想なり宗教観を生徒に押し付けるのは教育ではなく洗脳)。人生経験が無ければ、文学作品など理解しろと言う方が無茶だ。 一時「ゆとり教育」などと称して、教科内容をより安易にし、さらに授業時間を減らすという政策が実施された。これは、実に愚かな選択であった。親世代が共稼ぎで休みもろくにとれずに働き詰めなのに、子世代を学校から解き放っても、どこにも行く先がないのである。学校だけでなく家庭や地域で子供を教育するという結構なお題目は、偏差値教育の成れの果てである中央官僚の現実離れした戯言に過ぎず、結果、子供も親も社会にも、何ら益するところはなかった。 そもそも、是非判断は出来ないし、させるべきでないのが、人間の子供という生き物である。将来的に社会的にバランスのとれた是非判断が出来る素地を形成するのが初等教育であって、不完全な存在の生き物に時間的な自由など与えても、何に使えば良いかなど判断できるわけがないのである。毎日6時限、ギッチギッチに授業で詰め込み教育されても、休み時間に遊んだり、教師の目を盗んでうまい具合にサボるから面白く、また、勉学が苦手なら他で自己主張しようともがくから人間社会は多様で豊かになるのに(学業だけで評価しないと言うお題目には賛成。ただ、教師なり大人のレベルが低ければ、テストの点数以外の子供の資質は汲み取れない。何にせよ、子供の教育は子どもの問題ではなく大人側の問題)、ダラダラと高等教育においてすら知識の詰め込みを中心にしてしまう教育環境に順応した偏差値エリートの方々は、案外お頭が単純だから困る。 さて、最近「ゆとり教育が転換され教科書が厚くなった」などというニュースを耳にして、鳩山前首相の顔を思い浮かべてしまった。無意識のうちに、「Yutori」→「You 鳥?」、「No 鳥!」→「脳鳥」、といった変換が頭の中で行われ(人間の男のオジさん化とは、無意識に駄洒落化せずには済まなくなることである)、「脳鳥」は俗に言う『鳥頭』で(本来「鶏頭」、ニワトリに限っての例え)、ポッポッポと三歩すれば自分の言ったことなど綺麗さっぱり忘れられるらしい人物の顔に行き着いてしまうわけだ。・・・もちろんこの件に関する限り鳩山氏に責任は何もなく、失礼になるだろうと多少自覚しているのだが、無意識に妙な連想をして、行き着く果てに存在を忘れたい人の顔が浮かんだので、実に苦々しかった。 本来、人間の鳩さんもあの東京大学の出身者なので、偏差値的な成績は抜群だったに相違ない。しかし、鳥の鳩さんも、本来賢い部類の生き物のはずである。何をもって賢いかそうでないのか分けられようか?これは難しい命題だが、レース鳩など何百キロのはるか彼方から自分の飼育されている小屋に戻ってくるのだから、愚鈍であるとは言えまい。少なくとも、ポッポッポと三歩したくらいでは忘れないわけだ。それでは、人鳩と鳥鳩では一体どちらが賢いのであろうか? 学校の成績など、生き物としても人間としても、その賢さを保証などしない。人間としてであれば、詰め込み教育にせよゆとり教育にせよ、それで得たはずの知識に基づいて、意識的であれ無意識であれ、どのように考察を深め、また行動出来るかが問題であり、それは仕事の早さや正確さのみではなく、生活そのものすべてで表現されるべきもののはずである。例えば、仕事では同僚の足を引っ張ってばかりであっても、人間的に誠実で同僚たちに認められるなら、それはそれで教養を持った賢者と言えるはずなのだ(すべての人間が「デキる」人の職場より、ちょっと「トロい」人がいた方が効率は良くなる【ミツバチの社会にも存在したはず】。ただその「トロい」人が愚かでそれを補う努力を怠れば、ただの厄介者になる)。 人間の偏差値エリートとは、学校で教わる類の知識量が多かったというだけで、その学問的な知識は人間としての教養とイコールではない。むしろ、頑是無い身で義務的に受ける初等教育ならいざ知らず、高等教育を本来自主的に受ける身になってすら(辞めたければ辞めろ)、無批判に与えられた知識を詰め込むのだけに専念する従順さなどは、一種の精神的な愚鈍を意味することも多いのではなかろうか。 鳥は、人間的な恩も感じなければ、人間的な教養もない。その点で賢いとは言えない。しかし、その面で賢くなり得るのは人間だけである。ところが、たんなる知識の多寡、それも学生時代のそれなどという、かつての栄光遠い日の花火の記憶にすがりつき、苦労もせずに教養を深めなければ、ポッポッポと三歩で前言を撤回し真逆のことを言っても恬として恥じない、厚顔無恥の権化に成り下がるのも人間だけの話であろう。 ここまでくれば、小沢氏についても書いたので、ついでに言わねばなるまい。鳩山由紀夫氏は、「総理経験者は表舞台に立たない。次回の衆議院議員選挙には出ない」、とのご自分の公言を守り、またわずかばかり先倒しして、ご先祖の功徳で得た田園調布のお邸でも軽井沢の別荘にでも、さっさと引き篭もりなさい。
2010年10月18日
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それぞれの位置でくつろぐメイとアト 昨シーズン、巣ごもりなのか、たんに寝過ごしているのかわからないが、メイは放鳥時間に出てこないことが多かった。まれに、アトも一緒に箱巣に入ったままで放鳥時間に気づかず、他の文鳥たちを帰す時間になって気づき、不満そうな顔をしていたものだった。 今シーズン、メイはまだ産卵の気配を見せず、放鳥時間にも素早く出てきている。もちろん、相変わらず2時間ほどの間、飲まず食わずで飼い主の頭上を移動しているだけで、何が楽しいのかは不明だ。 少し前にも触れたように、アトとの仲は非常に良いのだが、それでいてアトの真似をする気はない。つまり、我を曲げない。巣は好きなので一緒に入るが、テーブルに降りようとしないし、木製玩具乗りに付き合うこともない。 どこぞの首相が、一時多用してイラっとさせられたが、「ある意味」夫婦の理想像なのかもしれない。と、写真の距離感を見て、改めて思うのであった。
2010年10月17日
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着やせ?するタイプのアイ たまには、あまり話題にならない文鳥の紹介を・・・。 アイは我が家生まれのオス文鳥(ポン)の嫁として、ペットショップで購入してきた文鳥だ。当然非手乗りだが、かなり早くから人が手に持つものを食べたり二の腕によじ登ったりするようになった。 当初、痩せ型で顔が小さめで均整がとれている印象だったが、今や立派に肉がつき、握るとずしりと重い。その体格で、他の文鳥たちが食べている間に遠慮会釈なく入り込んでいく姿などは、バーゲンセールで人ごみに入り込み、お尻で左右を押しのける昔のお嬢さんたちを髣髴とさせる。つまり、実にたくましい。 今度の繁殖シーズンも、産卵障害など起こさずに、ポンポン安産してくれるものと期待する。
2010年10月16日
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検察審査会というのは、日本の法曹界があまりにも浮世離れして機能不全となったため、稀有に高学歴が多い日本の一般庶民の感覚を取り入れるために作られた組織だ。ところが、いくら「起訴すべし」の一般の国民感覚を明示しても、取り調べも調書もまともに扱えないのがかなり存在するらしい検察は、権威主義的に勧告に従わなかったので(100パーセント有罪に出来ないと起訴しないとされているが、素人に口出しされムキになってしまう程度の『バカ』が多いのではないかとの疑惑が、昨今の不祥事によりさらに濃厚になっている。特捜部の上層があの程度ですよ?!)、最近になって検察審査会の議決により強制起訴をすることが出来るようになった。つまり、時代の要請により、必要と見なされ、立法府である衆参両議院の議決により、検察審査会は権限を持つに至っている。 検察審査会のメンバーは普通の国民から無作為に選ばれており、それぞれ生業を持ち日々の暮らしを営んでいる。法曹界がまともに機能しないので、わざわざ余計なことをさせられているのであり、本来自分で行うべき仕事をさせている当事者である検察関係者、例えばヤメ検(検事を辞めて弁護士として活動している人)が、否定的な発言をするなど有ってはなるまい(「専門家のオメーらがしっかりしねーからドシロウートの手を借りてるんだろーが!」。 その検察審査会の議決が、小沢一郎氏を起訴相当としたのは当然の帰結である。何しろ彼は、何と国民の80パーセント近い人から不信任を突きつけられているのである。その国民から抽出された審査会が、法律的に『真っ黒』とは言えなくとも「潔白」ではないグレーゾーンと見なし、裁判所に判断を求めなければ、いったいどこの国民から選ばれた人たちなのかと、かえって不思議なくらいになる。 ところが、驚いたことにあの小沢という人は、自分も立法府に長々と席を置く人間でありながら、立法府の審議により施行された法律を基に活動させられた善良な国民が、国民多数の意思を反映しているようにしか思えない議決を出したのに対し、平然と異議を唱えるのである。この人物は、一体何なのだろうか? 昨日は、検察審査会の議決の無効を求めるという理解不能な行動を行いつつ、なぜか柔道選手の引退会見という、まったくどうでも良い私事の席にその悪人面を並べていた感覚など、私にはまったく理解不能なものだが、何を隠そう私と氏には共通点が結構ある。「あら!血液型も星座も同じだわ!」「あら、あら!柴犬が好きなのも文鳥を飼っているのも同じだわ!」、なのである。 血液型とか星座などまるで無意味な児戯に過ぎないが(興味がある場合『雀坊の納戸』参照)、文鳥を飼っている点にはシンパシーを持って当然ではなかろうか?しかし、私はまったくシンパシーを持てないのである。なぜなら、氏は屋内で手乗り文鳥を飼っているわけではなく、屋外の庭籠などで飼うというスタイルだからだ。屋内で家族同然のコンパニオンアニマルとして一緒に生活しようとするのと、屋外で一種の観賞用として飼育するのとでは、まったく異なる。同じ生き物であっても、見方感じ方はまったく異なって当然なのである(興味がある場合『文鳥問題』参照)。 さらに、氏が小鳥を世話するシーンをテレビカメラの前で披露し(この人は庭で飼える種類なら、文鳥に限らずいろいろ飼っている)、「小鳥は裏切らないから好きだ。一宿一飯の恩を忘れない」といった発言をしているのを見聞きした時に、私はこの人物と、飼育スタイルの相違以前に相容れないものを感じた。思うに、党の運営やら派閥の引き締めやら企業団体との関係やら、一般人の考え及ばない人間関係での苦労をされているようなので(それが公共にとって必要な苦労であるかは不問)、自嘲をこめたのか、愚痴のようなことを言って格好をつけられただけで(「あの小沢さんにも弱い一面があるのね!」などと受け取ってくれるおめでたい人もいないとは限らない)、論理的に考えての発言ではないだろう。しかし、小鳥に忠誠を求めたり、まして一宿一飯の恩を求めるなど、滑稽を通り越して狂人の言とする以外にない。 文鳥に忠誠心などない。賢いので、毎日エサをくれる人を覚えて、近づけば鳴いて出迎えてはくれるだろうが、はっきり言って『飼育員』など慣れれば誰でも良いし、誰なのか以前に配膳ロボットが近づいても喜ぶはずだ(『モロゾフの犬』反射的反応)。これが室内で手乗り飼育ともなれば、文鳥の場合、飼い主を伴侶と見なしたり、個別認識して人間家族の中で親疎の差別をするようにもなるが、はっきり言って主人に対する忠義心など欠片もない。そういった生き物ではないのだ。動物に「忠義心」があるとすれば、群れのリーダーに対するそれだけであり、つまり群れを成してリーダーの元で行動する習性を有する動物以外には、忠誠心など存在理由がない。そして、存在理由を有する犬でさえ、「一宿一飯」程度の恩など感じないだろう。あるとしたら、エサをもらって日を置かない時点での、またもらえるかもしれないといった期待感くらいと考えるべきなのだ。 一宿一飯の恩など、人間のような階級性なり社会的上下関係が有形無形に存在する生き物においてのみ有り得る特殊な感覚であり、それも閉鎖的なヤクザ社会くらいに適用されるものであり、しかもそこでは、与えられる側が、些細なことも恩を忘れなかった「男気(侠気)」を示す行為として賞賛されるものであって、間違っても与える側の「親分」が口にはしない言葉のはずである。「一宿一飯の恩義を忘れるなよ、ゲヘヘヘヘ!」などと言う「さもしい」(心根が卑しく品性が下劣で意地汚い)親分がいても、そのような者に従う「子分」は少なかろう。つまり、一宿一飯の恩とは、与える側ではなく与えられる側が、それを感じるかどうかだけの問題なのである。さて、「子分」に対してすら口にしない恩を感じさせようとして、ペットにエサを与える飼い主が正常と言えるだうか? 手乗り文鳥の飼い主には、飼育する文鳥の下僕としてお仕えしているといった感覚を持つ人がいる。確かに、住環境を整えエサを与え何くれと無く世話をしているのに、文鳥は特に恩を感じるわけでもなく、当然のようにおよそ2千倍の質量を有する飼い主を、威嚇したり噛み付いてきたりするのだから、これは絶対権力を持つ暴君に仕えている感覚になっても不思議はあるまい。確かに、自分のペット動物に恩を施しているなどと考えるよりも、よほど正常で現実的な認識なのである。しかし、私はより家族感覚に位置づけている人が多いと思っている。人間の母親が、家族のために365日毎日毎日ご飯を用意する時に、夫に奉仕させていただいているとか、子供に恩を施してやっているとか、いつも思うであろうか?普通に自分の家族が家族であるために、日常の自分の役割をこなしているに過ぎず、特に何も考えていないのが普通だろうと思う(家事を賃金に換算するなど正気の沙汰ではない。生きて息を吸うだけのことも労働として評価するのか!)。飼い主がペット動物の世話をするのも、たんたんと日常の役割を果たしているだけだろう。当然、同じ人間である限り、相手の労苦を思いやるのは、家族であっても当然必要な礼儀だが、あいにく文鳥は人間と別種の生き物なので、元気に飛び回ることで感謝されていると受け取る以外ない、それだけのことだと思える。 恩は恵むもの、または施すものであり、その恩を感じるか感じないかは、どこまでも受け手の問題だ。いくら恵み施しても恩を仇で返されるのなら、それは己の不徳を恥じるべし、とするのが、良かれ悪しかれ日本の伝統的な感覚であろう。ましてや、恩など感じるはずもないペット動物に対して、「一宿一飯の恩を忘れない」など、笑止千万なのである。 さて、岩手県水沢市を選挙区とする政治家小沢一郎氏と言えば、「側近」とされた人物がことごとく離れていくのが特徴となっている。いろいろ事情があり、離れる方にも多くの問題があったようにも思えるが、「小鳥は裏切らないから好きだ。一宿一飯の恩を忘れない」との、おそらくは軽口によって、結局、この人は親分として器量が小さいので、少し優秀な「子分」は離れることになるのだろうと、私は得心した。何かを与える時に、それも自分より身分や立場上なり経済的になり低いと見なされる人に対する時に、「恩に報いろよ!」などと思う人間として「さもしい」態度は、それを受ける人がどれほど愚かであれ、むしろ劣等感が深ければ深いほどに、明確に伝わり自尊心を傷つけるものなのである。少しでも、自分と言うものが保ち、身分なり経済的に小沢氏の世話になっていない人間なら、このような「親分」に従い続けることなど出来ようはずがないのだ。 野党の際に捜査が及べば「国策捜査!」と検察を批判し、起訴を免れたら「潔白を証明してくれた」と検察の捜査を賞賛し、起訴相当の議決が出れば立法府に有りながら検察審査会を非難する。このようなご都合主義の行動も、ことごとく「さもしい」。齢は耳順の六十をはるかに超えて七十に手が届く年寄りでありながら、国民の声に一切耳を傾けないイエスマンに囲まれた裸の王様に成り下がり、晩節を汚すだけのために奔命する姿を見せられるのは、もうこりごりなのである。偉大な政治家だと思ってくれている人も少なくないうちに、とく、とく、水沢へお帰り頂きたい!
2010年10月16日
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潜るイッツとあわてるラック その後毎日巣材を提供している。 巣材と言えば『巣草』として売られる椰子の繊維が知られているが、我が家の文鳥たちにはより太いイグサの人気が高い。こちらの方が落ちた際に掃除がしやすいので、飼育上も楽なのだが、巣材にしつつ、巣に入れては出したりと遊ぶばかりで巣が形成出来ない場合もある。こうした文鳥たちには、箱巣の中の産卵場所に皿巣を設置すると良い。四角いわらじ状の物も市販されているが、すり鉢状になっていた方が卵が拡散せずに安定する・・・。 今シーズンは、イッツ・ノッチの子供の誕生を期待しているが、まだその気配がない。巣作りはしているが、夫婦の自覚がないのだ。一緒に他のカゴをのぞきに行くものの、別々の異性にちょっかいを出す・・・。年明けくらいまでこのままか、案外、突然に態度を変えるのか、予断を許さない。
2010年10月15日
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エコ・ハル夫婦と水場争いをするケコ 他の文鳥に対して、服従も屈服もしない鉄の女ケコ。相変わらず心を許すのは、人間である飼い主のみだ。 普通、ペットショップで購入した文鳥は、他の文鳥に対してフレンドリーだ。何しろ、生まれてから文鳥の姿を見続け、一緒に生活もしているはずなのだ。例えヒナが売れ残りお店に居残って成長した文鳥でも、それなりに「同僚」はいたわけで、他の文鳥と接触させずに飼い主が一羽を差し餌して育てた場合とは違って当然であろう。 しかし、文鳥という生き物は不思議で、見慣れているはずの仲間を認めない者もいる。考えてみれば、メイはペアで売られていたくせにその「夫」のシンを完全に毛嫌いしたし、ニッキはペットショップでペアにされたオスすべてにダメ出しするものだから、店主にオス認定されていたではないか! つまり、大抵は文鳥も女性は我が強いと言える。そして結果から見れば、メイはシンの性格が嫌いだっただけで、自分から積極的にアト(何の因果かシンの息子)に接近したし、ニッキにしても自分から妻を失って間がないキューに接近したくらいなので、文鳥そのものを嫌っているわけではなかった。となると、やはりケコは、我が家では特殊例となりそうだ。・・・マナツが立派な若者になっても、うまくいかないだろうなぁ。
2010年10月14日
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横の段々模様が素敵なマナツ ヒナ換羽進行中のマナツ、残念ながら頬黒にはならず、アゴに半月模様も出てこない可能性が強まっている。 外見より行動で自己主張するタイプなのだろう。鏡回しは神技の領域に達し(飼い主バカが言っていることなので真に受けないように!)、い草ボール乗りもこなし、おとな文鳥サーフィンもたしなむ。ついでに飼い主の顔面を飛び蹴りし、襟足をつねる。 基本的に父の残り同様に甘えん坊だが、父よりもはるかにワイルドだ(その父とはシャモのように空中に浮きながら蹴り合いをしている。もちろん大抵は父が負ける)。末恐ろしくも頼もしい。
2010年10月13日
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カメラ大好きで写真が撮りづらいマナツ 弱腰と批判された官房長官殿が、「しなやかな柳腰なのだ」などと答弁していた。私は驚いた。さほど国語に自信などないが、『柳腰』と言ったら美人を表現する時にだけ使う言葉ということくらいは知っている。細くしなやかな立ち姿のことのはずで(あの官房長官は中国の伝統にお詳しいそうだから、前近代【今が近代なのかも怪しいものだが・・・】の中国の美人は痩身と豊満の両極端あったことくらいは知っているだろう。その痩身の方のこと。つまり大陸伝来の表現だ)、ダンサーのような柔軟な腰つきを意味するわけではない。第一、そう言った意味としてジジイがテレビカメラの前で語るなど、すでに不特定多数の国民に対するセクハラだと私には思える。無知を笑う前に、気色が悪いのである。 あの人らの答弁など、「柳に腕押し、ぬかみそ頭に釘」くらいの表現が相応しい(意味はない)。国民多数に共感をもたれるのは、『小沢嫌い』だけという空しさを(あれよりこっちの方が、確かにまだマシな気はするが)、しっかり認識して欲しいものである。 時事放談はさておき、ウネウネと動くのが「柳腰」なら、怒って威嚇する時の文鳥の姿など、まさにそれであろう。 そして、今現在ウネウネ威嚇どころか、迷うことなく飛び蹴りをし、ついでに飼い主の顔面に突っ込んで来る危険な文鳥がマナツだ。彼、最近クチバシが長く「キツネ顔」になり、尾羽は長いのと短いのが存在し、頭だけ黒く、胴体は迷彩、何とも混沌とした怪しすぎる姿だ。その姿を撮ろうとカメラを構えると、焦点が合う前に飛んで来て、モニターとケンカを始める。 いつ落ち着いてくれるのか、まだ先は長そうだ。
2010年10月12日
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巣でくつろぐのが好きなメイとアト アトとメイは、いわば恋愛結婚だ。別に飼い主が見合いさせたわけではないのに、鈴をガッチャンガッチャン鳴らすアトに年上のメイが魅かれて、勝手に夫婦になったのだった。 仲は非常に良い。しかし、子供は誕生しない。繁殖のために飼育しているわけではないので、子供が出来る出来ないは偶然の結果に過ぎず、仲良く暮らしてくれるなら万々歳ではある。 ただ、なぜ仲が良いのに、夫に連れられメイがテーブルに降りてこないのかが解せない。メイは我が家に来て3年が経過しているのに、放鳥時間の2時間ほどの間、何も食べずに上空を移動するだけ・・・、これは妙な話だ。2時間飲まず食わずは、文鳥にはつらいはずで、テーブルが嫌なら、自分でカゴに帰って食べれば良さそうなのに、それすらしないのだ。 メイも相当な変わり者、アトは姿からして変り種、似た者夫婦ということだろうか。末永く仲良くして欲しいものだ。
2010年10月11日
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後ろ姿はイッツだから、飛び出したのはノッチ?追い出したのはノコリ?エコ? 朝、エサの交換と青菜の設置を終えると、「巣草」とイグサをそれぞれのペアに配給した。当然、キューには多めだ。 何となく運び込まなければいけないと思えたようで、イッツ・ノッチも箱巣に運び入れたようで、一時間後にはすべて無くなっていた。これで、夫婦の自覚が芽生えてくれると良いのだが・・・。 巣作りに精勤して一汗流したかったのか、夜の水浴びは最盛期に迫る勢いで展開し、あわや4リットルが完売するところであった。この水浸し状態が、数日は続くだろう。案外なところに影響が出る・・・。
2010年10月10日
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箱巣に切り替え 午後の水交換時、まずイッツ・ノッチとノコリ・スミのカゴを、『GB』365Sから『HOEI』SN-10に取り替える(スミは捕獲してマナツの留守カゴに放り込む)。彼らのカゴの手前左上にはT字止まり木が設置してあるため、奥行きがないと箱巣を正面に設置することになり、365Sでは手ぜまなのだ。 ついでに、イブ・マキ、シュー・ラックのつぼ巣を箱巣に取り替える。もちろん帰すと苦情が沸き起こったが、完全に無視する。夜、ハル・エコ、キュー・ニッキ、アト・メイ、テン・カエ、ポン・アイのつぼ巣を箱巣に取り替える。わりと順調にことが運んだ。もちろん帰すと苦情が沸き起こったが、やはり完全に無視する。 一晩は箱巣の外で眠ることになるだろうが、おそらく明朝には利用し始めるだろう。朝のエサ交換を終えたら、どんどん巣材を提供しようと思う。
2010年10月09日
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芋を洗うような水浴び場 今日の日中などはまだ暑かったが、日が沈むと途端に涼しくなった。秋だ。しかし、文鳥たちの水浴びは相変わらず盛んで、1本目2リットルなど30分で空になる。ただ、2度3度と入る者がいなくなったので、2本目が半分以上消費されることはなくなった。 明日は、一部を除いてペアのカゴは箱巣に切り替える予定だ。面倒で、気が重い。
2010年10月08日
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ミカンに乗って遊ぶマナツ さわやかな青ミカンから、いよいよ甘いミカンに変わってきたようなので、今度は10kg↓頼んでみた。途中で後悔したのだが、数えてみたら小玉なので182個もあった。うまかった。思うに、ミカンは小玉の方が味が濃くて良い。ただ、文鳥に与えるには小玉は剥きにくい。 文鳥たちは酸っぱくても甘くても無関係で、食べ散らかしてくれる。この時期はおやつに事欠かずありがたい。 今夜、床に落ちたデコが軽いてんかん症状(パニック症候群と言うべきか)を起こした。彼は、何もなくても脚を滑らせて落下する文鳥だが、最近はマナツを恐れて頻繁に落下する。姿を見ただけで過剰反応するのだ。困ったものだ。【ちび玉みかんなのでサイズ込より480円引き】【ちび玉は味の濃さが自慢です】【cg10】(味濃い・ちび玉)極早生吉田みかん10kg (2S以下サイズ・家庭用)2,500円(税別) 【全国どこでも送料無料】
2010年10月07日
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他の文鳥たちをすべて追い払おうと頑張るカナ 理由はわからないが、体の平衡感覚が狂ってしまっているカナ、脚元がフラフラと定まらないので、脚で頭を掻くことが出来ない。 文鳥はインコほど脂粉(羽鞘や皮脂の古い角質)は出ないと言われているが、おそらくそれは体格の差と、水浴びの頻度の違いで、脂粉そのものが生じることに違いはない。健常であればいつも掻き落とせるので問題ないが、それをしないと脂粉が凝り固まって羽毛を痛めてしまうようだ。結果、カナの頭だけはボロボロの状態になってしまう。 そこで、カゴに戻すために捕獲した際に、爪で適当に掻いてやることにした。健康な時は、自分で手のひらに潜り込んで来たカナだが、健康を損なってからは、そういうことをしてくれなくなったので(肩にはへばりついているのだが・・・)、カゴに戻すまでの数十秒がとても貴重なのだ。 当然、指に噛み付くが、基本的には気持ち良くしているように見える。しかし、これを邪魔する者がいる。マナツだ。手の中を自分の領分と心得るわがまま坊やは、左手に握られたカナの上に乗り、噛みまくろうとするのだ。この小僧をどのように排除するか、難題である。
2010年10月06日
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毎夜マキの抱卵を邪魔するシンさん 今夜もシンさんは、巣ごもり中のマキのつぼ巣に入り込み、痛い目にあっていた。ちょうど水の交換作業中で目の前で見ていたのだが、衆人?環視の中をポスンと頭をこちらに向け体から入り(一緒に巣ごもりしたいだけらしい・・・、やはり変な奴だ)、マキが怒ってシンの胸元辺りに噛み付き、悲鳴をあげて逃げ出していた。 こんなことを毎夜繰り返せば、かえって嫌われるのではなかろうか。そもそも、マキに浮気心がないのだから、あきらめるべきだろうに・・・。押しの一手でどうにかなるのか・・・、やはり、しつこい男は嫌われるだけに終わると思うなぁ。
2010年10月05日
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ノコリ・イブ・ハル・イッツ・エコのはず・・・ 20羽以上もいて区別できるのか不思議に思う人もいるものだが、顔も体格も違うのでわからないはずがないのである。・・・ただ人間よりも違いの幅が狭いので、混乱することもままある。桜文鳥でもそうなので、白文鳥ではなおさらだが、我が家の白文鳥3羽のうち2羽は個性的な外観ので(巨体で真っ赤かなシン、ちんくしゃ顔のミナ)、むしろ区別しやすい。 桜文鳥軍団。特に白い差し毛の少ない濃い色合いの者たちはわかりづらい。ハル、キュー、テン、ポン、イブ、シュー、ノコリ、イッツ、ノッチ、エコ、スミ、これらはおそらく頻繁に見間違えることになってしまう。特に写真で後から誰か当てるのは困難を極める。 今日の写真などは分りやすい方で、まず手前の文鳥は、風切りの白羽、雨覆いの黒羽でハルとわかる。水浴びを終えて出て来た文鳥は、クチバシを見るとイブだろう。こちらに背中を向けているのは、茶羽があるのでイッツで、カメラ目線は目付きからしてエコだ。奥の文鳥だけ自信がないものの、クチバシの感じからしてノコリのはずだ。・・・なかなか奥が深いのである。
2010年10月04日
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新聞紙を運ぶキューとマキの巣ごもりを邪魔するシン 今夜もキューが活躍した。5往復ほどして新聞紙を運び込んだのである。そのため巣から新聞があふれ、妻ニッキはそれが怖くてカゴに帰れなくなってしまった(どんな夫婦なんだ・・・)。止む無くあふれ出た新聞紙を取り除いたのだが、放鳥時間が終わり自主帰宅したキューは、運んだはずの紙がないので、飼い主の前で探すそぶりを見せた(巣の下に落ちたのかな、と首を伸ばし、わざわざ下に降りてウロウロする)。つくづく、天才だ。 一方、天才と言うより紳士、あるいはたんに変態かもしれないシンさんは、今日も巣ごもりするマキの元に通いつめ、巣の中まで入り込んでは、「ギャッ!」と悲鳴をあげるほど噛み付かれていた。毎晩毎晩・・・。マゾっ気があるのかも知れぬと、これはこれで感心している。
2010年10月03日
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カメラを構えると飛んでくるマナツ ヒナ換羽中で落ち着きのないマナツ。最近は耳を噛むもしくはつねることを覚えてしまったので、ウォッチキャップで耳を隠した飼い主は、戦々恐々として過ごしている。 この微妙な色合いの小悪魔が、落ち着いたかっこいい桜文鳥紳士になるのはいつの日か・・・。その日が待ち遠しい。
2010年10月02日
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新聞紙を集めるキュー 「え~、『風が吹けば桶屋が儲かる』などと申しますが・・・」、我が家では新聞代をケチるとキューが血眼になるのである。 夕刊など読まないので(朝刊も読まないが・・・)、だいぶ前から東日本では夕刊がないという実にすばらしい産経新聞(西日本にはあるんだなこれが)に購読紙を固定している。この新聞、夕刊が無い上に広告が少ないので朝刊も薄い(無関係だが、私は朝日新聞がとても嫌いだ。新聞の内容など期待していないので、インテリ左翼ぶって馬鹿な記事を書いていても気にならないだろうし、産経新聞の朝日新聞嫌いが伝染したわけでもない。昔々、毎日新聞の配達をしていた時に、同じ地域を配っている朝日の担当者が「全て」ろくな奴でなかったのと、契約にハンコを押しながら態度の悪い奴が、「軒並み」朝日の購読者だったのを根に持っているのだ)。そうなると鳥カゴに敷く新聞紙がまるで足りない。足りないので敷くのをやめて毎日水洗いすることにした。そうなると敷き紙を巣材にしようと努力されることが無くなる・・・。 そして、キュー。日中は巣材集めもせずに巣ごもり。夜、らんらんと目を輝かせ、デジカメのヒモを何とか持ち帰ろうと無駄な努力を続けることになる。そこで、「昼間出てくれば新聞紙やるのに・・・」と声をかけると、何と、途端に新聞が置いてある場所にすっ飛んでいくのだから恐ろしい。そこで、長細くちぎってやると、あっという間の3往復ですべて持ち帰ってしまった。 やはり、箱巣にして、巣作りさせてやらないと納まらないだろうな・・・。
2010年10月01日
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