1
ミトに付き添っているマツ ミトは湯づけエサを食べて頑張ってくれているが、病状は悪化し、回復は望むべくもない状態だ。右脚は変色もせず綺麗な外見だが全く動かないままで、飛翔能力が徐々に低下、今夜は上昇ができなくなってしまった。 妻に先立たれたら、マツは・・・、チバちゃんに接近し、チバちゃんは狂喜乱舞して、マツのカゴに入り込む・・・、そういったシナリオが見えてくる。しかし、パワフルなチバちゃんを老いたプレーボーイが御せるのか、考えものである。
2024年06月04日
閲覧総数 160
2
今日も同じ構図で 人間の女性は男性より小柄なことが多いのと同様に、文鳥のメスはオスより小柄なことが多い。従って、体重が比較的に軽いヒナはメスである。といった判別方法は、適当に分けても50パーセントは当たる統計学の必然に対し、おそらく数パーセント確率を上げる程度の効果しかない。 というような話は散々ここにも書いてきたが、ソウ24g、テイ25g、ガイ25gと、体重の増加も収まったようなので、歴代の文鳥たち(19羽)と比較してみたい。 孵化19日目で24gは、我が家では最軽量。過去の同数値は、キュー♂とニチィ♀のみ。キューは親鳥の給餌が不十分で、飼い主が引き継いだ16日目には19gだったので、遅れを取り戻し中の数値なので、特殊例だが、メスにしても1羽のみなので、これだけでは検討しがたい。25gは、デコ♂、マナツ♂・・・のみ。この2羽は、我が家のオスとしては小柄で、ヒナの頃から軽かったわけだ。 ・・・結論。やはり、体格や体重では分からない、になる。誰が小柄な男の子なのか、楽しみにしよう。
2013年01月28日
閲覧総数 1100
3
イート正面顔 今日は微妙に減って26グラム。ここまで、完全に母クリと同じ体重の変化となっている。 真っ黒なので、白い口角パッキンがよく映える。・・・すばらしい。やはり桜文鳥のヒナは最高である。 ケコ・サカの子ミョーは、どんな姿なのだろう。覗いても、お尻しか見えないのでわからない。ゴマ塩の母に似れば、クチバシは縞模様になっているかもしれない。それはそれで特徴があってかわいらしい。・・・しかし考えてみれば、白文鳥ヒナの淡いピンクのクチバシに給餌したのは、はるか昔のことで、記憶にない。シナモンやシルバーに至っては未経験だ。それぞれに、うらやましい。 ・・・だが、やっぱり、黒顔黒クチバシがいいなぁ。
2012年11月30日
閲覧総数 694
4
お腹が大きいセン 放鳥時、マルが食べあさっている隙に卵を確認する。合計7個。有精卵と確認されたもの4個。いろいろ考えて有精卵2個と擬卵4個を巣に戻す。確認できなかったものも、抱卵開始後に産んだ卵で、無精卵というよりまだ細胞分裂の初期のため、室内照明にいい加減に透かして血管を見るだけではわからない段階だっただけだろう。もったいないが止むを得ない。その巣は、シンが巣作りしたそばから破壊するタイプらしく、殺風景なものになっている。つまり、産座が定まらず卵が周囲に四散してしまう状態だ。これは不安要因なので、有精卵を1個にせずに2個にしたが、週末頃により無難な方を1個残すことになるだろう。 一方より早く抱卵を始めていたオマケとメイの卵はすべて無精卵だった。オマケにはすでに繁殖能力がないものと思われる。何と卵を取り出した瞬間につぼ巣に戻ったメイのお腹の下に、擬卵を6個、ころころと放り込む。なかなかたいした度胸だ。あつかましさはマルに匹敵する。 それにしても、有精卵を捨てるには多少でも罪悪感があり、無精卵だとそれがない。しかし、人間の場合でも、子供が生まれるかどうかなど偶然の結果に過ぎないので、本当はどちらも同じのような気がする。とにかく、飼い主である以上、現実的な対応をするしかない。ただ、選ぶような真似をする以上、生まれた文鳥には責任があると自覚しなければなるまい(オスでもメスでも文句は言えない)。 デコとカナは明日から抱卵を始めそうだ。今日も、放鳥中、口いっぱいに「お土産」をくわえて、帰りたいような、そうでもないような様子でうろうろしていた。結局、カナはカゴまで送ってやると、箱巣にその「お土産」をなすりつけ(そのような音が聞こえる)、その後また飛び出てきた。デコのほうは、珍しく手のひらにもぐりこみ、そこに塗りたくっていってくれた。「お土産」とは、煮干しとかつお節の混合物だ。決して手に塗られて喜べるものではない・・・。
2007年09月18日
閲覧総数 270
5
日本で小鳥に詳しい獣医さんを探すと言っても、自分なりの尺度を持っていない飼い主が多いのかもしれません。そこで、私の見方を、あえて獣医さんの実名を挙げて、記しておきます。思い込みの部分もあるかもしれないので、参考までにして頂ければと思います。 結論を先に言えば、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」で、獣医さんは本来、我々飼い主の強い味方なので、見方を間違って敵と認識しないようにも、少し余裕をもって、どういう人(動物病院)なのか、事前に少しだけ認識しておくと良い、です。 日本における小鳥医療の草分けである高橋達志郎先生は、専門的な先達がいないので、自己流にならざるを得なかったと思います。しかし、先生の場合は、「巣引屋」(プロの繁殖家)として、ご自分で何百羽と飼育しそれを治療するのが、小鳥医療を深化させる動機となっており、10年に及ぶ実践的研究は空前にして、おそらく絶後の存在です。自分の小鳥たちを助けるためにいろいろ工夫し、亡くなってしまえば、はばかりなく剖検(解剖して死因を調べること)しており(「手ぢかな私の飼い鳥」を研究対象にし、「解剖した小鳥はじつに二千羽をこえた」と後掲書にある)、それは現在の臨床獣医さんには不可能な得難い研究環境なのです。そうした個人的、趣味的な長年の研究成果をフィードバックさせて、小鳥の専門医として東京都大田区田園調布に開業されたのは、1962年の昔です。そのお弟子さんとして研鑽を積まれ、技術を継承したのが(高橋先生は1994年にお亡くなりになっています)、さいたま市浦和区『バードクリニック』の石森先生であり、横浜市南区『グローバル動物病院』の広瀬先生になります。この方々は、フィンチ類(ジュウシマツ・ブンチョウなど)や小型インコ(セキセイインコ)といった、日本では圧倒的に飼育数が多かった種類についての膨大な治験を背景にしているので、信頼性は抜群ながら、高橋先生がすでに完成させた手練技術を引き継ぐ側面が強いため、最新技術の導入という側面には欠けてしまう傾向を持つかと思われます。つまり小型の鳥類の診療に無類の強みを持つものの、近年飼育数が増えている大型種の近代的な検査や診療では、飼い主の期待に沿いにくいかも知れません。 一方、千葉県柏市『小鳥の病院』の真田先生、横浜市神奈川区『横浜小鳥の病院』の海老沢先生、東京都世田谷区『リトルバード』の小嶋先生たちは(真田先生と海老沢先生は確か神奈川県相模原市の『飼鳥野鳥病院』で研鑽された同門、小嶋先生は海老沢先生の元でともに治療に当たられていたので、弟分的な存在かと思われる)、修行段階では、高橋先生的な飼い鳥の小鳥の膨大な治験を持ちえなかったものの、大型インコ類の研究が進んだ欧米の技術を積極的に取り入れ、それを日本では飼育数の多いフィンチ類や小型インコにもフィードバック(「外挿」という表現より、こちらの方がわかりやすいかと思う)しながら、治験を増やされていると考えて良いかと思います。大先生の下で古風に完成された流儀では無いだけに、最新技術の導入に積極的で、互いに切磋琢磨し、より近代的な姿勢が感じられると言えるでしょう。この先生たちの、素晴らしいところは、そうした自己研鑽を自分のことで終わらせず、学会を作り、鳥の医療に関心のある獣医さんを研修医として受け入れ、その技術を他に広める努力をされている点にあります。この方々のご尽力により、我流ではなく、小鳥を正確に扱い診療する技術を持つ獣医さんが、全国的にも増えてきている点を、忘れてはならないでしょう。しかし、欧米、特にアメリカでの飼鳥は文鳥の飼い主にとっては残念なことですが、大型種が主となるため、その技術や飼育思想をそのまま日本の小型種飼育に当てはめてしまうと、飼い主との間で齟齬が生じてしまうことにもなります。つまり、小型と大型で分けるなら、大型の診療に無類の強みを持つものの、小型に関しては実際との矛盾も生じやすい傾向を持つと見なせるかと思います。 小鳥の専門病院としては、このような2大系統あり、一方が古く零細化、一方がより新しく主流になっているといった感じだと思います。そして、今現在、志のある獣医さんが、犬猫が主で小鳥もみられるようにしたい場合は、後者、海老沢先生たちの学会『鳥類臨床研究会』などに参加しつつ、技術を取り入れていくのが一般的になりつつある状況のようです。※ 高橋達志郎先生の開業の経緯については、先生の『小鳥のお医者』(1966年徳間書店)など参照。海老沢先生については、月刊『as』(アニマルスペシャリスト)という情報誌の2010年10月号に、大学卒業のわずか2年後の1997年に開業されたことが語られています(一部を立ち読みしただけですけど・・・)。なお、十姉妹好きの広瀬少年が高橋先生に憧れ名古屋から上京した話は、吉田悦子さんのブログにあります。まさに内弟子です。今現在の研修医を受け入れる、といった感覚との違いを感じます。 今現在は、いずれにも属さず、小鳥を診療する獣医さんも多いようです。その内実は千差万別だと思われますが、これも新旧で分かれると見ています。一方は、昔から特に小型種を診る機会があり、自己流ながら治験を積み上げている老舗タイプの動物病院のケース、もう一方は「エキゾチックアニマル(エキゾチックペット)」(犬猫を除く生き物すべてを指すことが多いが、この用語を用いる獣医さんは爬虫類・両生類の治療を特に得意とされる方が多い印象がある)治療の一環として、鳥類の診療もこなすケースです。その治療技術は、動物病院ごとに大きな差があるはずで、専門性の薄い動物病院においては、小鳥を治療する機会が昔より減っている現状を考慮すれば、上記のような学会への参加や趣味的な自己研鑽がない限り、小鳥の臨床の積み重ねによって医療技術を進歩させることは、難しいかと思われます。ある程度、大きな規模がなければ、小鳥治療をする機会に恵まれないのです。従って、日本では飼育数が多い小型種ならまだしも、飼育数の少ない大型種では、見たことも触ったこともなく、手も足も出なくて不思議はないことになります。従って、大型インコの飼い主は、動物病院の選択幅が狭くなり、苦労されることになりますが、その点、文鳥などの小型種では、専門性が限定的でも十分なことが多いことになります。 いずれにも属さず、小鳥の専門病院を称する動物病院は、とりあえずは、疑った方が良いと思っています。診療対象が他人の所有物である小鳥の場合、それを実験動物のようには扱えないので、新たな冒険的な試みは難しくなり、同じことを繰り返すだけになってしまい、つまり開業当初からほとんど進歩しないことになりかねないからです。高橋先生の門下のように、達人の師匠から免許皆伝を受けて開業するのなら安心ですが、そうでもなければ、開業時の低レベルが継続するだけになりかねないわけです。例えば、小鳥の臨床数が月に1,000を超えていても、同じことを同じように自己流で繰り返し、その臨床で得られた治療面の問題性を、公開して外部の批判検討を経なければ、その病院内限定のいびつな生態系に閉じこもって、あらぬ方向に進化しないとも限らないわけです。 小鳥の治療には専門性が必要で、それを得るには、優れた師匠から長い年月をかけて学ぶか、短い期間で基礎的な部分を身に付け、後は学会などでの交流で絶えず研鑽を深めるか、しかないと思います。従って、どこでどれだけ修行したのか、どれほどの熱意で鳥の医療に取り組んでいるのか、そしてそれが自分一人の思い込みに終わらないものなのか、といった点に気を付けねばならないでしょう。 同じ小鳥専門でも、小型に強いか大型に強いか、飼い主である自分が、最新技術を望むか望まないか、1次医療と呼ばれるせいぜい簡単な切開手術レベルを求めるのか、さらに高度な専門性を必要とする2次治療を求めるのか、それぞれで動物病院を探す際の尺度は変わってきます。その獣医さんの修行先はどこか、鳥の専門性の高い病院を含んでいれば期待出来るし、どういった研究をしていたか、小鳥の治療に関する論文を公表されていれば、やはり期待出来ます。総合病院でも大きいところなら、鳥の臨床についての蓄積を期待することも可能ですが、専門を称していても、修行先が不明瞭なら少々疑わしくなってくる、といった感じだと思います。 実際には、小鳥の扱いがしっかりできる獣医さんを見つけるだけでも大変な地域も多いはずです。しかし、文鳥のような小型鳥類では、それほど高度な医療が必要なケースは少なく、実際問題としては、それほど高度な医療は、技術的な限界により、施せないと考えても不思議はないのが現状です。従って、ホームドクターにあまり高望みする必要はないと、私は思います。首都圏に住む大型インコ飼育者と、まったく同じ問題意識を持つ必要がないでしょう。小鳥の扱いがしっかりできるように努力している獣医さんを、諦めずに見つけたいところです。 臨床における飼い主に対する態度は、学んだ師匠の影響もあるでしょうが、多くはその獣医さんの個性で、また経営上の必要性でも変わってくるようなものです。さほど気にすることはないです。最新の設備は、人間でもそうですが、普通には必要としませんから、万万一の際は、そうした設備を持った専門性の高い遠くの動物病院に行くことを考えておく程度で良いでしょう。せっかく導入したので、必要もない普通の治療で、そういったものを使用されては、患者にも飼い主にもかえって迷惑な面も大きいだけで迷惑です。 治せるか治せないか、技術面を追い求めていたはずが、気づけば、気が合うか合わないか、相性で判断する結果になることも多いです。しかし、詐欺的な医療行為の危険性もありますから、やはり実用性をまず踏まえなければならないでしょう。獣医さん側の対人面での不注意で冷静さを失わないように、あらかじめ、その動物病院の代表者が、どういった経歴を持ち、どういった傾向を持っているか、事前に調べておきたいところです。※ 例えば野鳥診療を得意とする研究者肌の師匠の元で学んだり、動物園勤務の経験だけでは、飼い主への応対についての修行は不十分になるでしょう。もし、アメリカの動物病院で研修すれば、技量は上達しても、患者飼い主への説明は母国語ではないだけに苦労して、フラストレーションがたまり、何らかのトラウマを持っても不思議はないかもしれません。と、いろいろ勝手な想像ができれば、理不尽に叱りつけられても、感情的なしこりにはなりにくいかと思います。理想の獣医さんを求めれば、失望も大きくなりがちですが、相手は同じ人間なので、それなりに理解しようと努めさえすれば、(それが全くの的外れであっても)さほど裏切られた気分にならずに済むかと思うのです。
2013年03月20日
閲覧総数 5103
6
にらまナイ 脚が不自由だと、かゆい部分を指でかくことが出来ず、結果、生え変わる羽毛が残って気持ち悪い・・・。だから、むしってあげよう!と、飼い主は親切にも捕獲して「適度に」むしってやろうと、隙を狙っているのだが、完全に警戒されている。 チビタ、ナイ、マメタ、まったく親の心子知らずとはよく言ったものである。
2022年03月26日
閲覧総数 551
7
煮干しを貪る・・・サチィかな 文鳥などの小鳥が好んで食べるため、たくさん食べる→栄養価が高い→太る、と科学性も現実性も無視した大昔からの想像をそのままに、一部の獣医師など関係各位から排除対象とされていたカナリアシード(カナリーシード)だが、実は脂質を分解する酵素リパーゼ (lipase)を含み、サプリメントの広告風に単純化するなら、「脂肪を分解し痩せる効果があるんですよ !」と見なせる情報を頂いたので、検討したい。 なお、私の場合は、文鳥のほとんどがカナリアシードを好むが、皮をむいてしまうとあまり食べなくなるので、好きな理由は栄養価には無く、殻をむく行為が楽しいからだと思っている。 さて、寄せていただいた情報によれば、アメリカ合衆国で人用の健康食として売られているカナリアシード(「MORNING BIRD」社)にはこのように書かれていたそうだ。“CANARY SEED is anexcellent source of the enzyme lipase which is responsible for removing excess body fat. Canary seed has in it as much protein as meat and is very high in amino acids,contains seven times more potassium than a bananaand more calcium than a cup of milk. Most birdswill eagerly accept Canary Seeds.” 消化器の中で作用して必要な脂肪を体内に取り込むのに必要とされる酵素リパーゼは、一方で体内に蓄積されている脂肪を分解してエネルギーに替える働きもあるらしい。従って 「removing excess body fat」、余分な体脂肪を取り除く、と言えないでもない。多くの脂肪を食べた場合は、リパーゼの効果により脂肪の吸収が促進され、すでに脂肪が蓄積された肥満状態で運動などをしてエネルギーが消費される場面では、より速やかに体内脂肪を減らすことになると考えられるのである(このようにサプリメントの広告のように単純ではない。ああしたものは作用の一部だけを誇張する)。 文鳥の主食として考えた場合、カナリアシードや他の雑穀類(ヒエ・アワ・キビ)などの脂質含有率は10%未満の低脂肪食品なので、よほど過食しない限り、脂肪太りは起こさない。リパーゼの作用で少ない脂肪が効率的にエネルギーに転換するとするなら、むしろ、ペットショップなどはカナリアシードの配合量を増やした方が良いのではないかと思う。一方でもし肥満した場合は、カナリアシードがリパーゼを多く含むなら、それをより多く摂取して運動量を増やせば、蓄積した脂肪が消費されやすくなり、減量ダイエットが促進されるはずである。 カナリアシードにより脂肪太りが促進される可能性低く、一方で栄養的に有用な面が多くあり、すでに肥満状態のダイエットには、むしろより多くの摂取が推奨される。案外にも、リパーゼを多く含むのなら、肥満したらカナリアシード増量して運動、が結論となるのである。 何の科学的根拠もなく好物を否定して取り上げては、文鳥が気の毒である。ペットショップなどから迎えた文鳥は、カナリアシードに飢えていて、そればかり食べようとするので、かえって過食を起こすことになる。例えば人間でも、無理なダイエットで拒食症になり、飢餓から逆に過食症状を引き起こして、それを繰り返すことが知られている。極端は逆の極端を招くので、食事制限は難しく、安易に行うのは軽率と言わねばならない。 太らないためには、大昔の迷信を疑いもしないような自称有識者の繰り言を妄信し、特定の食品を排除するようなことをせず、まずはエネルギーの消費、つまり運動、文鳥であれば特に水浴びをさせること、これが第一であり、その際はむしろカナリアシードを多く与えて構わない、わけである。
2022年08月31日
閲覧総数 525
8
横入りしようとして、祖父ポンに叱られるノッチ 前から気になっていたブロッコリースプラウトの種を、ことのついでに入手したので、水耕栽培し、今日収穫を迎えた↓。もちろん、文鳥たちに与えたのだが、残念ながら見向きもされなかった。ぞこで意地になり、豆苗に混ぜたところ、選り分けて除外されてしまった。好きな文鳥もいるはずだが、我が家では人間用にするしかなさそうだ。 そう言えば、ヒヨコ草ことハコベ(ハコベラ)は、枯れずに増殖の気配を示している。『七草がゆセット』に入っていた根無しのハコベを、室内の鉢の土に挿して、水分を潤沢に与えていたら根が出て、3月下旬にベランダのプランターに移植したところ、地を這うように伸びて枝分かれし、ついでに落ちた種が発芽し始めている。このままでいけば、夏までに大増殖するかもしれない。さすが雑草と言われるだけのことはある。根性が違う。 この、由緒正しい?ハコベも、ウチの文鳥たちは食べようとしないだろうが、プランターいっぱいに繁茂させ、執拗に与えてみたいと思っている。
2010年04月06日
閲覧総数 1087
9
何を夢見ているのやら 本当は、起きては現(うつつ)、幻の~と続いて、寝ても覚めても恋焦がれるような場合に使用されるが、私は、勝手に変えてしまって、日がな一日うつらうつらボンヤリ過ごすだけの状態を意味させたいと思う。・・・否、アト氏の場合、起きては食欲であろうか。 一時は断食状態で死んでしまうのではないかと心配したが、最近はかなり良く食べている。食べてはいるが、元気になっているとは言えない。換羽も始まり、むずがゆいらしいが、あまり掻いてやると、興奮してぐったりするので(「ソコソコソコ」と羽をばたつかせたりする)、飼い主としても気を使わないわけにいかず、実に難しい。無事に換羽してくれたら、・・・今度は暑気あたりか、しばらく安穏とはしていられないだろう。 ノブちゃんは順調で、飼い主の気配に反応して、暗室のフゴの中で「ギャッギャ!」騒ぐなどよく動くためか、食欲も旺盛で、今日も1g増えて22gとなった。 考えてみれば、一週間近く、敷材の牧草の香りを圧するほど、フンの悪臭が強かったが、数日前から気にならなくなって、牧草の香りが漂うようになった。これは、やはり、生野菜は欠かせないためであろうか?それとも、それほど食べないのに未消化便が見られるので、アワ玉を1分ほど湯漬した後、すりこ木で少々潰してから与えるようにしたのが良かったのか、それとも、「スペシャルウルトラパウダーネオ」の基材の半分を占める『カスタムラックス アシスト』が『ビオフェルミン』を含んでいるためでもあろうか? ビオフェルミン?「人には人の乳酸菌」とコマーシャルしているアレのはずだが、大昔から、文鳥の整腸効果を期待され使用されてきたようなので(昔の飼育書に載っている)、その伝統を踏襲したのではないかと思う。こうした伝統に対し、鳥には鳥の乳酸菌、と言うのがアメリカのサプリメントにあったが、「鳥」と言ってもいろいろなので、あまり関係なかったかもしれない。むしろ、製造元がしっかりしている乳酸菌の方が、安心のようにも思われる。 ノブちゃんの場合は、お店への入荷日に購入しているが、まず間違いなく、数日、生産者による集団給餌を受けていて、 その間の食べ物の影響は避けがたい。何を食べさせているのか知らないのだが、アワ玉にビタミン剤入れたり卵黄粉加えたりする程度と思われ、となれば野菜不足で、腸内環境は褒められないものになって、不思議はないのではなかろうか。 ともあれ、飛びそうで飛ばないノブちゃんの成長が、今後も楽しみだ。
2016年04月01日
閲覧総数 1247
10
カメラのヒモと格闘中のキュー カンはやはり自然木は気に入らないらしく、あまり止まらないようにしていた。しかし、以前ほど極端ではないので、ありがたみがわかる日も近いだろう。 せっかくなので、箱巣も交換する。ハルは巣を作ってもすぐ壊すので、産座には正方形でペラペラの『ワラジー』ではなく、円形の皿巣を加工したものにした。『ワラジー』は箱巣の産座に敷くためのワラ製品で、皿巣のようにいちいち加工する面倒がなく有難い存在だが(皿巣は本来カナリアの営巣に使用するもので、文鳥の箱巣に入れるには一回り以上大きい)、最近産座をすり鉢状に出来るため、皿巣を見直し始めている。 巣作りがうまい文鳥の場合は、うまく編んで産座まで作ってしまえるので、皿巣はむしろ邪魔になる。しかし、もともと巣作りが下手なオスや、何年もたつと巣作りに「あきる」オスがいるのが現実だ(若い頃うまかったのに、作っては壊してしまうようになるオスが我が家には多い)。それでも、特に孵化させる気がなければ『ワラジー』で問題ないが(文鳥生産農家ではフタのない巣箱の産座に『ワラジー』のようなものを敷くだけのようだ)、より上手に抱卵させるには、産座がすり鉢状のほうが都合が良い。なぜなら、その方が卵が拡散せず、安定して抱卵出来るからだ。 カンの場合は、すり鉢状の方が脚が流れにくいだろうと思ったのだが、お気に召すであろうか。
2008年01月19日
閲覧総数 120
11
ゲイな2羽を見る一方のフィアンセ 高校時代、友人のイノクチ君は、「レズは許せるがホモは許せない!!」といったことを、特に脈絡なく力説していた。中高と男子校だった彼は、いささか女性に理想を求めている感があったが、男子校でゲイの資質を表に出されると、いろいろ困るのが当時の現実ではあったかと思う。 そうした環境にあったことも災いしたのか、私は性的マイノリティに対する理解度は薄い。性別以前に使えるか使えないだけである、という発想をしているので、メジャーな性向があろうとマイナーな性向を持とうとどうでも良い、と思っていたのである。 本質的に、そうした考え方は変わらないのだが、↑ゲイカップルを見ていて、何となく理解が深まった気がする。具体的には、同性婚などは子供が出来ないという意味では、言葉としては最悪ながら「非生産的」とされることになってしまうので、子どもを成すことを前提とした戸籍上の婚姻に含めるのは不適当だ、といった考え方をしていた。しかし最近は、そもそも、結婚を子どもを産み育てるためのものとする税制の方が間抜けなので(結果的に子供が出来ない夫婦もいれば、初めから子供などいらないと思っている夫婦だってありふれて存在している)、配偶者控除など全廃し、代わりに子どもなどの扶養者がいる世帯を優遇した上で、同性同士だろうと何だろうと世帯を一つにしたければ戸籍上もカップルとして認めれば良い、と結論が変わった。 で、左はバイセクシャルなモーリ、右はゲイなボクジュ、奥で見てるのがモーリと婚姻予定のレイか・・・。最近、ボクジュはメスにも興味を持ってきてくれているので、このままだと、バイセクシャルの同性カップルになる。・・・信長とか家康とか、バイセクシャルな戦国武将のようだな。 一方で、昨日からバタオの容体が怪しくなっている。昨夜、カゴからつかみ出してテーブルに置いたところてんかん症状を起こし、回復したものの、今日はカゴの底をのそのそ動くばかりであった。 年齢不詳の彼が、おそらく寿命を全うしたら1羽メスたちを同居させ、イノクチ君ではないが、この際レズのペアが出来れば良いと思っている。女子校の「お姉さま」に誰がなるのか、観察したいところである。もっとも、ただいがみ合いになる可能性の方が高そうで、実行できるかは疑わしい。
2020年10月28日
閲覧総数 764
12
紅八朔がやたら好きなミョー 昨日のオンボロロンの息子だが、毛並みは柔らか、ビロードのようになめらかで艷やかなミョー。ついに飼い主の手に乗るようになった!・・・もっとも食べ物に釣られてだが。 相変わらず帰宅時は照明を消して捕獲しなければならないが、逃げ回ることはないので、実に平和的だ。このまま、さらなる信頼回復を図りたい。 ミョーは色柄や羽毛の質が、昔のオマケを思い出させる。何ら血のつながりはなくても、共通した文鳥が出現するので、面白いものだと思う。ただ、好みは異なる。白ければ白いほど、好きだったオマケに対し、ミョーは真っ黒なイート一筋だ。このまま、仲の良い夫婦になってもらいたい。
2013年03月20日
閲覧総数 109
13
曽祖父の祖父を表敬訪問するヒナたち 1月10日生まれのソウ・テイ・ガイ3羽は、そろそろいたずら盛りで手に負えなくなる時期だが、まだ手の中に潜り込み素直な天使で有り続けている。1羽っ子なのに、やたら神経質でビビリ文鳥になってしまったミョー(それでも元気に父サカ流さえずりを伝承しつつあり)も珍しいが、3羽なのに素直というのも珍しい。珍しいどころか、どちらもこれほど極端なのは前代未聞かもしれない。 このまま天使でいて欲しいものだ。三天使・・・何か聞いたことがある。・・・、今度、法王選びの「根比べ」(コンクラーベ)をするカトリックの三大天使か・・・。ミカエル、ガブリエル、ラファエル。となると、ミカ、ガブ、ラフ、といったネーミングもあり得たなぁ。しかし、大天使様ではなく、「使いっぱ」の小天使に過ぎないから、やはりソウ・テイ・ガイがお似合いか。・・・堕天使にならないように、気を付けないと。
2013年03月01日
閲覧総数 427
14
大津波に伴う原発事故の際、安易にチェルノブイリ事故と比較して、同等とかそれ以上とか、吹聴して不安をあおり立てて回った似非(エセ)専門家やジャーナリストの類がいました。未曾有の事態に動揺し、それを信じて心の平安を失った人も多かったのではないでしょうか。しかし、事実は、「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」(UNSCEAR)の報告案に基づく記事によれば(読売新聞5/28)、日本人の甲状腺最大被曝線量はチェルノブイリ原発事故の「60分の1以下」、放射性物質の大気への放出量も、チェルノブイリ原発事故の25~33%未満に過ぎず、両者には比較対象にならないほどの開きがあったのです。 しかし、このような真っ当な専門家の科学的な評価を待たずとも、事故の性質や規模、そして事故時の政府の対応を、客観的に見比べる能力があれば、ちょっとした人為的ミスに基づくチェルノブイリのそれが桁外れに重大で、それに比べてしまえば、日本の未曾有の津波による事故の方は、案外なくらいに過小なものに見えたはずなのです。つまり、当時何やら言い募っていた人たちは、非科学的であるか、チェルノブイリ事故をろくに知らなかったか、たんに目立ちたかっただけで騒いでいたことは、今や明々白々と言えるでしょう。 一般人に過ぎない私などは(原発にはもとから懐疑的です。必要のない広告宣伝費を使い威張っていた独占企業の電力会社など大嫌いでした。当然、馴れ合いベッタリの「原子力ムラ」など有害廃棄物として苦々しく思っていました。一方で、何でもかんでも反対するだけで「安全神話」答弁を引き出すことに終始した反原発運動家たちも、55年体制の与党と野党のもたれ合いと同様に見ていませんでした。あの人たちは、事故の可能性を踏まえて有効な対策を建設的に考えることを阻み、「安全神話」を生み出した共犯でしょう?)、つまらない扇動に乗ってしまい「市民活動家」になった元一般人の姿をテレビで観ると、気の毒なことだと思っていました。許せないのは、電力会社と親密だった原発推進派の専門家たちが、意気消沈しているのを良いことに、暴論を繰り返し、生活に追われる一般人を扇動し続けた人たちです。彼らは、冷静を取り戻した良識のある日本の一般人の大多数、サイレントマジョリティによって、今後さらに、沈黙の制裁(「まとも」には扱われない)を受けることになるはずです。哀れな者と言えましょう。 事故後2年を経過した2013年になって、ようやく客観性を持って、事故なり原発について考えられる雰囲気になり始め、重大な事故によるショックと、周囲の非難で沈黙を余儀なくされていた推進派の人たちも、意見を述べてくれるようになりました(【例】評論家の木元さんの産経新聞正論)。いわゆる「原子力ムラ」の研究者や技術者、そして推進派の言論人であれ、原発のことを我々一般人よりも以前から考え、知識も多く有しているわけですから、電力インフラ独占企業のあぶく銭の中毒症状が治まれば、安全性の向上や知識の普及について、もっとも建設的な意見を述べることが出来る存在のはずです。反省すべきは反省しつつも、レッテルに負けずに世の中の発展のため主張してもらいたいものです。 一方、専門性などかけらも生活上必要としない文系の私は(専門でない者は黙っていろ、と言えるのは、専門家同士の科学的な話し合いをしている時の専門家だけです。当時、高校の社会科レベルの知識も持たずに、たんに恐怖感を募らせていた人たちの中には、自分が専門用語を理解出来ない一般人の一人であることを失念し、専門家による結論を闇雲に求め【※そんなもの存在するなら研究する必要がない】、それでいて本当に専門性のある学者には「原子力ムラ」のレッテルを貼って排除し、結果、似非専門家を盲信することになりました。一般人は、生活の中に活かせるように、慎重に専門の知識を拾ってこなければならず、それが不可能なら、自分と同じ一般人の解釈を参考にするしかありません。専門家による専門的な議論は、その専門学会内で研究者同士で続けられるべきもので、それは生活レベルで必要な結論を求めて行われるものではありません)、なぜ、あくまでも平均的に見れば、理知的な国民性を有すると思われる日本において、非科学的な妄想を受け入れる人が多く出てしまったのか、そこに関心を持っています。そして思いついたのは、それが無知ゆえではなく、若い頃に漫画やアニメから得た知識を、大人になっても疑いなく持ち続けていたから、という推定でした。 例えば、埼玉県川口市と東京の池袋に所在する小鳥のセンター病院院長にして生態系協会会長の池谷泰文氏は、昨年の7月、一昨年の原子力発電所の事故によって放出された放射性物質の影響で、「奇形発生率がどーんと上がることになっておりましてですね、たいへんなことになる訳でございまして」と、まるで非科学的で非常識な発言をし、社会的信用を低下させてしまいましたが(福島民報の記事)、この話を聞いた私が連想したのは、「手塚治虫」なのです。 具体的には、1977年『月刊少年マガジン』に掲載された『聖なる広場の物語』という作品を思い浮かべていました。それは、「聖なる砂」を浴びた鳥が、巨大化し牙が生えたり脚が増えたりと、どんどん凶暴な姿に変身していくというお話で、「聖なる砂」は放射性廃棄物で、放射性物質により奇形に変身したのだ、とうろ覚えしていたのです。そこで念のため、この話が収録されている『手塚治虫短篇集1 夜よさよなら』『手塚治虫アンソロジー鳥傑作集』を確認したのですが、愕然としたのです。なぜなら、「聖なる砂」の正体は、放射性物質ではなく、特殊化学兵器の廃棄物だったのです。 なぜ私は、何度も読んでいたストーリーにも関わらず、思い違いをし続けていたのでしょうか?もっとも、私だけなら、いつものことなので不思議はありませんが、ネットを検索すると、同じような思い違いが散見されました(【例】草野真一氏の記事)。これはどうしたことでしょう?もちろん、私を含めて、思い違いをしている読者側の問題ではありますが、その前提は、幼い頃から漫画やアニメなどを通じて刷り込まれた『呪縛』であり、その一端はやはり「手塚治虫」だと指摘しなければなりません。 1950年代に誕生した巨大怪獣ゴジラは、その誕生に原子力爆弾の影響となっていますが、「手塚治虫」としては、1960年代に早くもアニメ化され、再三再四にわたって再放送された『ジャングル大帝』に、放射線を浴びて巨大化した植物や昆虫が登場しています(第23話大怪虫)。もちろん、生き物が生きながら巨大化するなど、非科学的で有り得ません。植物では、1960年代の文学作品、井伏鱒二の『黒い雨』の原資料となった重松静馬氏の当時の日記に、広島の爆心地において「石垣を見ると、かたばみや烏の豌豆などの新芽が徒長して、支えられず、だらりと下にさがっている」とありますが、これが事実としても、比較的に高い放射線を一時的に被曝したことで、成長の初期段階の個体の遺伝子が大きく損なわれた可能性を示唆しているに過ぎず、「カタバミや烏の豌豆」などの、地下に栄養を蓄える植物は、成長の初期段階に放射線で異常をきたしても、その蓄えた栄養が存在する限りは成長出来たのだろう、と類推されるに過ぎません。 すでに形をなして生きているものが、肉体変容(メタモルフォーゼ)を起こすのは、ファンタジーであって現実では有り得ません。「へ~んしん!」など、子どもの空想でしかないのです。従って、『ゴジラ』や『ジャングル大帝』なら、大人になれば現実離れして滑稽だと気づくはずですが(動いている心臓がその形態で動きながら大きくなれる訳がないでしょう?)、「漫画の神様」は、放射線の悪影響について、より現実と混同しやすい危険な誤解を描いてしまっています。私が知るところでは、1971年に雑誌『COM』に掲載された、火の鳥の羽衣編・望郷編がそれです。そこでは、核戦争で被爆した女性がタイムマシーンで10世紀の日本にやって来て、漁師と結ばれ子供を産みますが、その子が放射能の影響で奇形児どころかミュータント(突然変異体)、頭の触覚で周りを知覚し、テレパシーを使って動物と会話出来るとされていたのです(雑誌廃刊もあって未完で終わり、現在残る羽衣編・望郷編とは別物。内容については、コチラのページで紹介されています。なお、望郷編の角川版はいい加減に過ぎる改悪がされているので、注意が必要です)。 もちろん、「漫画の神様」は、自分の国に原子爆弾の被爆者が多く存在し、角の生えたミュータントは一人も生まれていない現実はわきまえていたはずで、重大な放射線被曝の問題は、その個体の死を招く点にあることくらい、元々承知していたと思われます。なぜなら、『火の鳥』の羽衣編の前の作品である復活編では、放射線に被曝してしまった少年は、急性障害で重篤になってしまっているのです。つまり、近未来戦争での兵器による影響で変異が起きるという着想に現実性を持たせるため、(あまり深くは考えず)核戦争による放射能の影響としてしまったのではないかと思いますが、「漫画の神様」の影響力は絶大なため、後進の作品にも影響を与えずには済まず、我々は知らぬ間に、『放射能→変異』といった、この誤った認識を刷り込まれてしまったように思います。 結果、例えば、宮崎駿さんの1980年代のアニメ『風の谷のナウシカ』では、地球上での大戦争の後、巨大な虫(王蟲)が出現していますが、これも何となく放射能によって変異したものだと思い込んでしまいます。実際、先の震災での大事故と、このアニメ作品を結びつけている人の文章を多く見かけました。しかし、『風の谷のナウシカ』には、放射能や放射線や放射性物質、核爆弾の類の言葉すら、出てこないようです(1度アニメを見ただけなので、わざわざ原作の漫画を全部読んで確認しました。感想ですか?まず海を浄化しなければ始まらないだろうに、おかしいではないかと・・・。風の谷という集落【小国家】は海風に守られているとしながら、その海が有害物質が最終的に流れ込んで生き物が住めない状態としているのですから、根本的に矛盾しているではありませんか)。「大地の富をうばいとり大気をけがし生命体をも意のままに造り変える巨大産業文明」は「有毒物質をまき散らして崩壊」し、生態系が破壊されてしまったとされているだけで、「有毒物質」が具体的に何であるかはわからないのです。人間の作り出した怪しげな猛毒と、漠然と描いているにすぎず、それを放射性物質と受け取っているのは、観る側に勝手な先入観があるからに相違ないでしょう。
2013年05月29日
閲覧総数 394
15
ハンジ♂・オノコ♂・アネー♂ 姉と名付けたら兄だったシナモンハーフの「アネー」は、・・・どう見ても女の子で、滅多にぐぜらず、オノコの追いかけをしており、いまだにメスなのではないかと思えるほどだ。・・・彼?の性自認は一体何であろうか? 而して、文鳥に性自認は無い、のが真実だと、私は昔に喝破している。自分が好きな相手の性別など気にしない。あえて言うなら、自分が好きになる相手は「異性」に決まっているので、当然、女同士でダンスをし産卵するし男同士でさえずるし交尾しようともする。 文鳥と言う生物は、性的な自由に関して、怖ろしいまでに最先端だと思うのだが、如何なものであろうか? 一方、小賢しいことに、女はかくあるべし、男はかくあるべし、とレッテルを貼りたがる人類は、LGBTQ+などと、いろいろ区別するようになっている。 LGBTQ+とは、レズ=身体的には女性の同性愛者、ゲイ=身体的には男性の同性愛者、バイセクシャル=同性も異性も性愛対象にする者、トランスジェンダー=身体的な性別と自分の認識が一致しない者、を性的マイノリティと見なして、その差別撤廃を叫んでいた区別が好きな人たちが、その区分けに当てはまらないと勝手に思いつくと、自分自身で性別がわからないなどと言う者をQとして付け加え、さすがに区別するのも面倒になったらしく、後いろいろと「+」した結果の用語である。 最初から、自分の生まれながらの性別に対して異性を性愛対象とする者「以外の人たち(マイノリティ)」、と定義づけておけば済んだはずだった。それが出来なかったのは、頭の柔軟性を欠いた真面目な人たちが、気が付いたカテゴリーをベタベタと加えてしまったからであり、それ自体がこの運動のあやふやさを示しているのだが、案外、長ければ長いほど自分たちの性的マイノリティへの理解が進んだと自惚れるらしいから、始末に困る。 そもそも、心と体の性が一致しない、から何だと言うだろうか?私にはそもそもLGBTQその他たくさんにいちいち区別して差別を無くすように頑張っている人たちの気が知れない。細々と定義して分け隔てて差別を促進しているのはあなた方ではないかとさえ思えてしまうのである。本来、個人の性的な嗜好性の自由を、他者に迷惑にならない限りは許容すれば良いだけのはずである。 例えば、男の子にもスカートをはきたいとか化粧をしたいとかそういった嗜好性を持つ子は大昔から存在し、長じても「女装癖」などと呼ばれていたが、つまり「癖」「くせ」に過ぎない。スカートがはきたいから女性になる必要はないし、化粧をしたら性転換しなければならないわけではない。逆に男の恰好をしたがる女性と言う「カテゴリー」も昔からあり、例えば「男装の麗人」などと呼ばれ、宝塚の男役スターの如く人気を博していた。まして、女子校では特に頼りがいのある「お姉様」あこがれの対象であり、一種の恋愛感情を抱かれるのなど、ごくごく普通の現象であろう。 もちろん、性転換したければすれば良いが、そもそも女の子みたいな男の子がいるのも、男の子みたいな女の子がいるのも当たり前であり、また年齢を重ねて嗜好性が変わっても、それは別に構わないもののはずだ、との前提がなければ、若気の至りで後悔することにもなりかねない。 例えば、昔、日本女子マラソンの第一人者がご結婚された相手が、もともと同性愛者だと発覚し、ご本人が記者団に対し「私はゲイだったが今はどうだかわからない」といった趣旨の発言をした。どうだかわからないで異性と結婚しては相手に失礼だろうとは思うが、そのように変わることは怏々として起きるものだ。 もちろん、私を含めてノーマルとされる男は、男と性愛関係になるなど気色が悪いだけだが、それは自分好みの同性に出会っていなかった『不運』の結果ではない、とは甚だ遺憾ながら言い切れない。そのように、所詮、人などという生き物はあやふやなのである。例えば、上様(徳川家康)は、少年の頃から女性好きで、ようするにノーマルだが、少年小姓と関係を持った可能性は大であり、孫の家光に至っては明らかにゲイだったが、ボーイッシュな女の子に興味を持つようになって、ノーマル化したようでもある。 時と場合で、人の性的指向性は変わるので、変化の可能性を無視してレッテルを貼って現在の性認識の固定化を図れば、それは性自認の自由を奪うことにもなってしまうのではなかろうか。 LGBTQ+などという区分けが過ぎれば有害だ。女の子なのにスカートは嫌いだし料理も出来ないし女の子が好きなのはおかしいから私は男でなければならず、身体的にも性転換しなければならない。などと言う思考は、そもそもおかしいのである。パンツルックの女性も料理下手の女性も・・・、むしろマジョリティではないかと思えるほどたくさん存在するのが、古今東西の現実で、強迫観念のもとでその現実が見えていない人が多いのではなかろうか。自分を枠にはめずに済むように、最大限の配慮が必要だ。 性的マイノリティーに理解を示し助けるつもりが、性的な区別の明確化を強迫するようになっては、本末転倒であろう。『Q+』で当然と、枠にはめずに長い目で見ることのできる社会でありたいものである。
2024年06月01日
閲覧総数 218
16
小鳥専門を標榜する獣医さんにしては珍しいペレット全否定論に関連し、昨日思いついて遺伝子組み換え(英語ではgenetically modifiedで、GMと略される)の問題を加えてしまいました。このままでは、少々無責任かと思うので、補足しておきます。 なお、予め断っておきますが、私の社会科知識は広くても浅いという性質をもっているので、例えば準備をせずに「ビオトープ管理士」の試験を受けて合格するような専門性はありません。GM作物の話についても、専門的知識を生活上必要としていませんし、関心もないので、知識を深めようとは思っていません。知っているべき人がまったく触れないから不思議だと、一般論として感じているに過ぎないので、この件について関心のある人に質問をされても困ります。関心があれば、自分でよく調べ、質問はGM作物に関心のある人にお願いします。 『バイテク情報普及会』というサイトに、世界各国のGM作物の栽培状況と表示義務の状況が示されており(コチラ)、「2008年に米国で栽培される大豆の92%が遺伝子組み換え品種」で「トウモロコシは80%が遺伝子組み換え品種」とあります。すでに4年以上の時が流れているので、おそらく現在は、さらに100%に近づいた比率でGM品種に切り替わっているものと思われますが、そのアメリカでは、「遺伝子組み換えに関する表示は義務付けられてはいません」から、加工品の原料がどちらかなのかは、普通は分かりません。わからない以上、シェアのほとんどを占めるGM作物であると考えるしかないわけです。 私個人は、自然交配による品種改良も、遺伝子組み換えも、特に違いは無いとの考え方をしています。何しろ、栽培品種は、ずっと以前から十分すぎるくらいに不自然なのです。遺伝子組み換えの結果生まれた品種であれ、食用としての使用確認段階で問題なければ、特別視する必要はなく、農薬をセスナ機で空中からやたらと散布した穀物よりはマシ、少なくとも自然への負荷は小さい、といったアメリカ穀物メジャーの主張に沿うような考え方に(GM推進派の主張や論点整理は『NPO法人くらしとバイオプラザ21』さんのコチラがわかりやすいです・・・すみません。精読していません)、落ち着いてしまいます。私自身は、表示しようと表示しなかろうと、何も考えず食べてしまうし、小鳥にも与えてしまう人間なので、それ以上は深く考えないわけです。 しかし、不自然なものは怪しいとの考え方も、その考え方自体は誰も否定出来ませんし、そもそも穀物メジャーのすることなど信用できないと言われたら、私個人は共感しないでもないので、そういう人たちは、知らずに食べないように気を付け、推進論を覆すべく、専門的な研究を深めていただきたいものと願っています。ただ、飼料穀物として使用されている以上、ベジタリアンでない限り、間接的にはほぼ確実に摂取していると考えるのが妥当ですから、間接摂取での健康被害まで気にしてノイローゼにならないように、気を付けたほうが良いとは思います(直接摂取と間接摂取は、それぞれ分けて考えたほうが良いでしょう)。 GM作物を『悪』と見なす考え方をするなら、アメリカの穀物メジャーなど信用出来るはずもなく、むしろ中華人民共和国の汚染のほうがマシといった考え方も有り得ます(先ほどそういった主張をされるハムスターの飼い主さんのブログを目にしました)。であれば、当然、すでにGM品種への切り替えが進んだアメリカの大豆やトウモロコシを原料とするペレットよりも、中国の零細農家が作った雑穀の方が、比較対象にならないくらいに安全性が高いと見なすことにもなるはずです。 残念ながら、私はGM作物を否定する思想を持たないので、その論点で否定する気持ちにはなりませんが、何とかいう協会の会長でなくとも、小鳥飼育に関与する人の中には、自然派、ナチュラリストを志向する人は多いはずですから、GM作物を論点にして考えて良いのではないかと思います。小鳥の「食の安全」に関しての見識ある方々には、この点についても、「あーだこーだ」と(私に対してではなく、どこか他所で、一般の飼い主に向けて)ご主張いただければと思います。
2013年03月03日
閲覧総数 166
17
曲がった羽を気にするトミ トミが曲がった風切羽を気にしてソワソワしていたので、動くが鈍いのを幸いとして、その場で捕獲し、さっさと抜いてやった。あっと言う間である。 インコには、自分の羽毛をむしり取ってしまう『毛引き症』という、精神的なストレスに由来するらしい病気がある。それと同等のものとして、文鳥でも『毛引き症』と呼ばれるが、文鳥の場合、羽毛をむしり取ることはまず無い。翼の羽(主に風切羽)や尾羽を曲げるだけなので、『羽曲げ症』とした方が、実態を表せるかと思う。 しかも、イライラするから曲げるのではなく、気になるのでつついたら曲がってしまってイライラになる。なぜそうなるのか。文鳥は視界が広いので、折りたたんだ自分の翼は常に見えるので、何らかの理由で折りたたみに齟齬が起きて、ぴょんと一枚飛び出すとそれが目に入って気になる→つつく→余計に曲がる→さらに気になる→つつき倒す→さらにさらに気になる→周囲の羽もつついて曲げる→わけがわからないくらいのイライラ状態になる、結果、翼はボロボロでくたびれ果ててしまう。 対処は、即、抜くこと。それしかないと思った方が楽なので、他は考えない方が良い。慣れれば、簡単確実で、文鳥にも負担は少なくて済む。「抜け抜け抜けよ、抜けばわかるさ」が、慣れずに戸惑う時のおまじないである。 さて、めでたく本日、ヒノが自分でカゴに帰った。それだけ、抱卵に熱心なのである。なんとまあ、エライ子なのであろうか。今回は、孵化するかわからないが、これなら次回以降期待できそうだ。ありがたいことである。自主帰宅したヒノをほめているアラシ
2016年12月14日
閲覧総数 6318
18
さっちゃんはさち子ちゃんか? オスの手乗り文鳥が欲しい!などといとも簡単に言ってくる人も多く、その理由として、メスは産卵して危ないって聞いたから、などとする。 そのように手乗り文鳥に対する男女差別論者は、すべからく「文鳥道不覚悟であ~る!!」と私は思っている。生後2、3か月経たなければ性別が分からない生き物を、差し餌までして丹精に育てたら、メスもオスも鰯の頭も無いのである。オスがいい、とか、メスがいい、でなく、この子がいい、となるのが当たり前ではないか。 産卵は危険で、かわいがれば発情し産卵するから怖い、などと言うのは、この際はっきり言ってしまえば、家庭での飼育と繁殖場での畜産の区別がつかなかった者の、戯言に近い無責任な思い込みに過ぎない。 もちろん、文鳥は卵詰まりを起こしやすい生き物なのは事実だが、それで死んでしまうのは、ケージに閉じ込め運動不足の文鳥が栄養不足のまま産卵を促進された場合にほぼ限られる。家庭内で毎日ケージから出して遊ぶような文鳥なら、朝、気分が悪そうでも、昼までには産むことがはるかに多い。 手のひらに入れて頭をなでると交尾したものとして産卵してしまうのを心配するが、メスだからこそ、そういったシチュエーションを好むわけで、つまりは、握り文鳥は、メスならでは可能なのである。それで産卵するのは生理現象であり、わざわざ産卵を誘発することはないが、産むなら産むで「旦那」として責任を果たせば良い。栄養や運動に気を配り、万一の際の飼い主としての対処をしっかり考えて準備しておく、だけのことである。 で、ウチの自慢のヒナたち。本来なら、メスでオールOK!だが、今回は男女比に偏りがあり、オスを求めることになっている。実に不本意なのだ。 ↑は、やはりメスかな?気がもめる。
2018年11月22日
閲覧総数 5904
19
呼吸異常が現れたシマ 夜の放鳥時、シマが出てこないので様子を見ると、クチバシを少し開けて呼吸していた。これも、見たくない症状だ。サイの症状も嫌な記憶しかないものだが、こちらも良い記憶が1つもない。 一過性のものなら良いのだが、そう信じるには経験がありすぎるようだ。 昨日、事のついでに今市子さんの文鳥マンガ『文鳥様と私』の最新巻(9巻)を読んだ。5巻まで読んで精神的にくたびれたので読むのを止め(と言っても古本だったと言う事実が・・・)、だいぶ気分が薄らいだ頃には(何しろマンガに影響された初心者の質問にうんざりしていたのだ)、件のマンガの出版元が倒産し、古本の相場も高騰して買う気にならなかったのだ。それが今年から出版社を新たにして刊行され、6巻から買おうと思っていたが、刊行が先なので気を変えてアマゾンで他のものを注文するついでに9巻を入手したわけだ。 さて、今さんは基本的に獣医さんに大きく感化され、バタバタと頑張っているようで、やはりそうなったかと思いつつも、その姿勢は少数羽飼育者のもので、ベテランの複数羽飼育者の行動ではないと私には思えてしまう。当然人それぞれなので非難する気は欠片もないのだが、混雑した病院なら、若い鳥で緊急性のない限りはより不安な初心者に譲っても良いと思ってしまうのだ。何しろ、いろいろ経験していれば、それだけ強くなっているはずで、作中にあるように、どういった症状が出れば先が長くないくらいの見当はついてしまうからだ。見当がついているのに、見当などつかない人と一緒の行動をすることもないのではなかろうか。 私は、見当がついてしまえば、あえて敗北主義をとる。今回もそうなってしまうだろう【蛇足】 『文鳥様と私』の話をしたので、ついでに疑問を呈しておきたい。それは、老齢の文鳥の白内障が点眼薬で治るかのように描かれている点だ。 人間の場合、白内障を治し視力を回復するには手術が不可欠で、点眼薬の効果は病気の悪化を遅らせる程度と考えるのが常識だ。文鳥などの小鳥も、目の構造に大差はなく水晶体が濁ることで白内障になるのも同じじなので、やはり薬で治るとは考えられてはいないはずだ。獣医師の見解を見ても、1990年『小鳥の飼い方と病気』(【獣医師】高橋達志郎著)では「(白内障で目が見えなくなっても生活できるように)管理に気をつけてやるほかありません」と治療方法がないとされ、2006年『わが家の動物・完全マニュアル文鳥』(【獣医師】真田直子監修)でも「症状の進行を点眼などの投薬によって遅くすることができます」とされているのだ。 私は治らない治療法であるにもかかわらず、病鳥と飼い主に多大な負担となる治療などあってはならないと信じている。まして老化現象としての白内障の場合、老いて見えづらくなりただでさえ不安に違いない手乗り文鳥と、その飼い主の信頼関係を崩しかねない点眼などをわざわざ行う、もしくは当然のように飼い主に行わせるのははなはだ奇怪なことだと強く主張したい。 したがって、点眼で治ると思い込み嫌がる文鳥に無理やり点眼している姿を描かれれば、思い込みの激しい飼い主もそういった飼い主を持った文鳥も気の毒だと思い、またより不器用な飼い主が、この点眼によって文鳥の目をつぶしてしまう事故がどの程度の割合で起きているか、統計調査して欲しいと思ってしまう。 ただし、点眼薬つまり目薬と言ってもいろいろで、抗酸化ビタミンなどが入った普通の目薬は気休め程度の効果と考えるのが常識ながら、最近開発された『Nアセチルカルノシン点眼薬』は、白内障を改善する効果があるとされているようだ。ただ、欧米で売られる商品名『Can-C』、わざわざ動物用に限るなら『D-Smile』は、まだ日本では承認されていないのか個人輸入する必要があるようで、日本の獣医さんが一般的に使用する段階ではないように思われる(マンガは数年前の話なので、『Nアセチルカルノシン点眼薬』の可能性は低いかもしれない)。 人間ならさっさと外科手術すれば良いのだが、残念なことに小鳥にはそれが今のところ不可能なので、点眼で効果の上がる薬が出来ればありがたいところだ。ついでに、そういった薬効のあるものが出来た時には、より安易で安全に飼い主が点眼させられる工夫もして欲しいところだ(薬を差すより目を洗う感じの方が確実で良いかと思う)。
2009年03月08日
閲覧総数 2723
20
3羽を待たせるサカ坊 文鳥の年齢を人間の年齢に換算するのは難しい。生理的変化のスピードが違うので、単純に1歳が10歳とはいかないのだ。これは犬猫の換算でも同じだが、彼らは性成熟するまで1年未満と早いので、最初の1年だけ多く考えるのが一般的だ。 ずいぶん昔に考えた換算方法を改め、文鳥の1歳を人間の20歳として、その後1年で8歳ずつ加算してみることにした。これなら、2歳以降の計算も、人間換算年齢=文鳥年齢×8+12と、なかなかシンプルに求められる。しかし、この計算式では、文鳥の6歳は人間の60歳となり、少々感覚とずれてしまう。文鳥は6歳前後でも産卵をするケースが珍しくないが、還暦を迎えた人間が出産することは、例外中の例外のはずである。 1歳以降を1年6歳とすると、文鳥の6歳が、排卵が止むという点では同じ、女性の平均的な閉経期とされる50歳と重なることになる。しかし、それでは、たいていの文鳥に運動能力の低下が見られる8歳でも人間の62歳に過ぎず、なかなか稀な10歳でも74歳で、日本人の平均寿命に達しなくなる。 そこで、文鳥の6~9歳を老化が急激に進行する特別な時期と見なして、加算スピードを2倍の12歳としたところ、文鳥の8~9歳が人間の74~86歳となり、日本人の平均寿命と重なるようになった。さらに、その後4歳ずつ加算していくと、文鳥の最高年齢とされる18歳が、人間の最高年齢とされる122歳と重なっていた。 30分でテキトーに考えたにしては、うまくいったと本人は思っているのだが、複雑なので、考えた本人も覚えられないのが、難だ。 その換算でいけば、生後約3ヶ月の天使の3羽は11歳。まだ小学生だ。今は仲良く水浴びしているが、いろいろ起きてくるのだろう。・・・このままでいてくれたら良いのに。3天使の水浴び(乗っているのはソウで乗られているのはテイか)
2013年03月02日
閲覧総数 6585
21
〔前置き〕 文鳥などの小鳥の飼い主が、野鳥を家の中に持ち込むのは避けるべきだと思っています。自然界で生きる野鳥には、家の中で生きる飼い鳥が持たない病原菌に感染している可能性があるので、近づけない方が無難だからです。 また、私個人は自然界のことは放っておくのが基本だと信じているので、例え迷子のスズメの子に遭遇しても、その不運に同情するだけで何もしません。しかし、そういった態度を誰もが取るべきだとも思っていません。他に既に飼っているなら、そちらに感染症を及ぼさないように十分注意しながら、自分の納得するような対応をすれば良いものと思います。何しろ他人に迷惑をかけない限りは自由です。 ただ、野鳥の保護は物議を醸すことが多く、まったく部外者の私にも飛び火してくることがあるくらいなので、当事者になりそうな人は、前知識として少し考えておいた方が良いと思います。そこで、以下参考までに以前考えてみた私見を、改めて提示しておきます(法律の専門家ではないので、誤解や曲解があるかもしれないので、お手柔らかにご教示願います)。 〔問題の所在〕 巣立ち直後のスズメのヒナが、地面でウロウロしているところを見つけ、迷子になったものと見て保護する優しい人は多いかもしれません。しかし、鳥類の多くは、巣から離れた後もしばらく親鳥の保護下にあり育つものなので、実はその人としてのやさしさを示す行為が、近くにいた親鳥からヒナを引き離してしまった「余計なおせっかい」になっていた可能性もあります。何しろ、その可能性を重視した日本野鳥の会などは、「ヒナを拾わないで!!」と一般に呼びかけるキャンペーンを展開しているくらいです。 しかし、いくら注意して周囲をうかがっても親鳥は姿を現さず、ヒナは本来捕食者である人間なる生き物に対して抵抗できないほどやせ細って、今にも死んでしまいそうな状態であることも多いものです。そのような運悪く親鳥とはぐれてしまった個体は、早晩確実に死んでしまいますから、これを助けたいと思うのは、人間として当然の心情でしょう。そして、その後の看病で生命の危機を脱したスズメの子が、命の恩人に愛着を覚えて手乗り化するのも不思議な話ではなく、救った人もそうしたスズメを手放せなくなるのも、当然の成り行きだと思います。 ところが、スズメは飼ってはいけないもので、保護するとしても、将来自然に戻すことを前提にしなければならず、少なくとも行政府に許可を受けないと法律違反になる、と指摘したがる人も多く、それは一面において正しいのも事実なのです。 しかし、法律以前に、スズメを自然に戻すことが、野生生物の保護活動として意味があるでしょうか?少なくとも、保護すべき動物だから自然に帰さなければいけないとお考えでしょうか?もしそう思うなら、スズメが害鳥または食用とされ、毎年何万羽も捕獲されている厳然たる事実はどのように考えたら良いのでしょう?スズメについては、最近生息数が激減していると主張する研究者もいますが、人間の作り出した環境に適応して、大いに繁栄している自然界の「勝ち組」である点に変わりはなく、年に数万羽程度食べられても生息数に影響しないほどの個体数が存在しているのが現実なのです。従って、「物好き」な人間が拾い上げた一羽のヒナを飼育したところで、スズメの生息数に何の影響も与えませんし、あのような片手に収まる生き物をカゴの中で飼育したところで、誰にも迷惑はかけないのも、ほとんど自明のことのはずです。 では、一方で数万羽殺しながら、一方で一羽の飼育を許容しないのは何故でしょうか。現実的・論理的思考を優先させたい私には理解しがたいところですが、法律ではそうなっているらしいのです。信じがたいではありませんか?そこで、かなり面倒ですが、改めて『鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律』、略して鳥獣保護法の条文を確認したいと思います。〔法律の解釈〕 まず同法第八条に「鳥獣及び鳥類の卵は、捕獲等又は採取等をしてはならない」とありますが、「第十一条第一項の規定により狩猟鳥獣の捕獲等をするとき」などは「この限りでない」ともあります。つまり、ここだけ読めば、「狩猟鳥獣」に含まれるスズメを、捕って食おうと保護して育てようと勝手と言うことになりそうです。 ところが、前提となる第十一条第一項を見ると、「規定に従って狩猟をするとき」とあり、狩猟許可を受けているか、狩猟可能区域で諸々の制約の下でのみ認められる行為となっています。従って、狩猟しても良いくらいにありふれた鳥獣でも、一般人は気軽に捕獲してはならないことになっているのです(とは言え、昭和30年代くらいまでの子供は鳥モチその他でスズメやヒヨドリなどを捕獲して焼き鳥にしていたと思われ、それを咎める大人はいなかったはずである)。 しかしながら、この規定は街中で好き勝手に狩猟を行われないようにするのが眼目であり、狩猟免許など持つはずもない一般人が、狩猟対象の鳥類を保護して愛護することなど欠片も想定していません。何しろ、同法第十九条に「許可を受けて捕獲をした鳥獣のうち、対象狩猟鳥獣以外の鳥獣を飼養しようとする者は、その者の住所地を管轄する都道府県知事の登録を受けなければならない」とあり、「狩猟鳥獣」を飼うなどという事態そのものを初めから想定せず、あくまでも狩猟すれば絶滅の恐れのある野生動物を保護しようとしているのです。 にもかかわらず、同法第十条に「許可を受けないで鳥獣の捕獲等若しくは鳥類の卵の採取等をした・・・者に対し、(※鳥獣の保護のため必要があると認めるときは)当該違反に係る鳥獣を解放することその他の必要な措置を執るべきことを命ずることができる」とあります。従って、管轄地域の住民がスズメを飼育している事を知った地方行政の担当者が、ほんのわずかに軽率な人だと、保護など必要のない狩猟対象のスズメに対しても、この規定を適用して、飼育下にあるスズメの自然界への解き放ちを要求することにもなりかねません(実際そういう指導が行われる場合もあったようです)。 つまり、この法律では、スズメなど保護する価値もないありふれた狩猟対象の野生動物など、許可さえ受ければ煮て食おうと焼いて食おうと構わないものと扱っていながら、たんに条文にないので飼育することは出来ないと解釈されてしまっていることになります。これをおかしいと思わない人がいるとしたら、やはりその感覚の方がよほどおかしいと私は思います。 おそらく、同じ問題に対しても、融通の利く優秀な人が担当することになった場合、この狩猟対象鳥獣の飼養という法律の想定外の事態に対し、上記十条の「その他の必要な措置」を適用し、同法第九条に「学術研究の目的、鳥獣による生活環境、農林水産業又は生態系に係る被害の防止の目的・・・で鳥獣の捕獲等又は鳥類の卵の採取等をしようとする者は・・・都道府県知事の許可を受けなければならない」とあるのに準じ、登録申請の上許可するといった対応をされるのではないかと思われます(実際そういった話も聞きます)。 ようするに法律でまともに規定していないので、解釈によっていろいろと異なる対応が必要になっていると言えるでしょう。「法律にあるからスズメを飼ってはダメ」とも言い切れない曖昧さがあるわけです。 一方、ずっと最近に出来た愛護及び管理に関する法律、略して動物愛護法第四十四条には、「愛護動物に対し、みだりに給餌又は給水をやめることにより衰弱させる等の虐待を行った者は、五十万円以下の罰金に処」し、また「愛護動物を遺棄した者は、五十万円以下の罰金に処」すとあります。この『愛護動物』とは「人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬虫類に属するもの」のことなので、保護の後飼育するに至っているスズメも含まれる可能性が高いはずです。つまり、飼育した元「狩猟動物」を自然に帰せば、逆に愛護動物の遺棄として、処罰対象になる可能性も出てきます。〔私的な感想〕 このように現状をとらえると、「野生動物であるスズメを飼うのは法律に反するのでは?」と言われたら、確かにそのようにも解釈できるので正しいと言わねばならず(条文だけで見ればこちらの解釈のほうが自然でしょう)、一方、愛着を持って育てたスズメを、生命の危険があふれる自然界に放すのは「動物愛護の精神に反するのでは?」と言われたら、それは確かにごもっともと答えるしかありません。 文鳥の飼育者である私は明らかに部外者なので、「どっちもどっちだ」ではありますが、鳥獣保護法に狩猟対象動物の飼養に関する明確な条文がない以上は、保護して飼う人はあまり大っぴらにせず、一方注意する人もたしなめる程度にするのが適当だと思います。 本音としては、スズメの子飼いなど平安時代から行われているようなものは、生息数が危機レベルに達しない限り、放っておくしかないと思いつつ、窓の外で自然の姿を見られるスズメを飼うより、飼い鳥である文鳥を飼えば良いものを、となりますけどね・・・。 【追記】10/10 一昨日、HPの前向きな意見投稿フォームよりこの件に付きご教示を頂きました。メールアドレスがありませんでしたので、とりあえずここに御礼申し上げます。 私は、どうやら一般の人は『狩猟出来ない』という先入観を持っていたため、鳥獣保護法第十一条の「(狩猟可能区域内では)環境大臣又は都道府県知事の許可を受けないで、狩猟鳥獣の捕獲等をすることができる」を、市街地は狩猟可能区域ではないはずだから、一般人には無関係と軽く流してしまっていたようです。しかし、実際には狩猟禁止区域の方が限定的で、市街地でも「垣、さくその他これに類するもので囲まれた住宅の敷地内において銃器を使用しないでする狩猟鳥獣の捕獲等」は、同条において無許可狩猟が認められていました。つまり、例えば私が家の敷地内で、発見した衰弱したスズメの若鳥を拾い上げても、原始的なワナなどで捕獲しても、何の問題もないと見なせます。 そして、狩猟鳥獣の飼育については規定がないので、捕まえたスズメを愛玩動物として扱っても、それは自由と言うことになりそうです。 ・・・では、なぜ結構以前から方々で大騒ぎしていたのでしょう?やはり窓口レベルで混乱しているのでしょうか。それなら、統一ルールが必要だと思うのですが、困ったものです(まだ誤解している点がありそうなので、お詳しい方はアドバイスいただければ幸いです【と言いつつ、自分には無関係な話なので乗り気ではないのですが・・・】)。【追記】10/12 別件で狩猟時期について気づいたので(8月にヒヨドリのヒナを保護した事例)、施行規則を確認したところ、狩猟期間は「11月15日~2月15日」となっていました。 ・・・となると、スズメのヒナが多く見られる春夏は、自宅敷地内でも捕獲が禁止されていると見なさねばならないと思われます。つまり、あくまでも飼育をしたい場合は、捕獲場所を狩猟可能区域、捕獲時期を狩猟期間内としなければならないことになるようです。 やはり、インターネットなどで公表はしない方が無難だと思われます。【追記】11/6 住宅敷地内での捕獲については、第十一条の規定が優先され、狩猟期間は無関係になるようにも思われます。
2009年10月06日
閲覧総数 12903
22
デッカ&セツ 画像ではなかなか体格差がつかめないが、↑の画像はわかりやすい。でかい夫と、ちっちゃくまん丸い妻・・・。 そして↓はオスにもメスにもモテる罪な奴、モーリ、である。どのあたりが魅力的なのか、・・・よく見て考えたい。
2020年10月04日
閲覧総数 933
23
お腹が減っていたフック 昼、ふと見れば、フックが片脚の指先をツボ巣のパーム素材にからまれて、ぶら下がるようになっていた。そのため、脚が広がるようになり、這いつくばった低い姿勢でバリアフリーのエサ入れでも食べづらくなってしまった。 ↑、それでもお腹を空かせていて頑張って食べていたが・・・。様子を見つつ、また考えたい。
2024年05月21日
閲覧総数 269
24
元気いっぱいの老鳥ハル 今日は、新たなデジカメで飛行写真を撮ろうと頑張った。しかし、結局、焦点がしっかり合って被写体全体がフレーム内に収まったのは、上の写真だけであった。とりあえず、飛行写真も問題なく撮れる。 それにしても、ハルは元気だ。半年遅生まれのキューの方は、飛翔能力が低下傾向なのとは対照的に、まるで衰えを見せない。春の換羽時に、飛びにくくなり自信を喪失しかけた様子だったが、換羽終了後は完全に復調し、繁殖期になって絶好調の様子だ。 あまり張り切りすぎず、このまま長生きしてもらいたいところだ。
2011年11月23日
閲覧総数 400
25
頭の羽毛が薄くなっているシズ 病気でなくても文鳥は禿げる。 まず、秋から翌年春にかけクチバシの根元が少々禿げることがある。これは理由不明だが、規模は小さく、春の換羽時に元に戻る。 次に、夫婦の一方に羽繕いをしてもらった結果、頬やアゴなどが徐々に禿げていくことがある。文鳥夫婦には、漫才コンビのように立ち位置が右か左か大体決まっているものだから、頬などは片側が集中的に禿げ、かなりみすぼらしい姿になってしまう。 そして、換羽が不十分な年には、当然のように薄くなり、やがて禿げちょろけてしまう。 この場合、見るも無残な様子になる。昨年のミナが良い例だが、今年はその予備軍が2羽いる。シズとエコだ。この2羽、今年の換羽があやふやで、現在頭の羽毛が薄い。 これからさらにボロボロになってしまうかもしれない。困ったものだ。
2009年11月07日
閲覧総数 4872
26
自分は利用したことがないのに、文鳥の「里親」「里子」掲示板を作って管理しているわけですが、その際、最も鬱陶しく感じるのは、「有償で里親募集をするに、動物取扱業の資格が必要」といった主張です。場違いでも、正しければまだ微笑ましいだけですが、間違った半端な知識で、正義感づらして書き込むために、とても鬱陶しく感じられます。 どこが間違いなのか、動物取扱業を規定している動物の愛護及び管理に関する法律、略して「動物愛護法」(さらに略して「愛護法」)を、わずかばかり見回して、運用状況を検討してみればわかるはずですが、せっかくなので、少々整理しておきたいと思います。 環境省によれば、動物取扱業とは「社会性」「頻度・取扱量」「営利性」のすべてを有する場合に、登録すべきものとなっています。そして、社会性とは「特定かつ少数の者を対象としたものでないこと等、社会性をもって行っていると認められるもの」であり、頻度・取扱量とは「動物等の取扱いを継続反復して行っているものであること、又は一時的なものであっても多数の動物を取り扱っているもの(例:年間2回以上又は2頭以上)」のことあり、営利性とは「有償・無償の別を問わず、事業者の営利を目的として行っているもの」と、それぞれ説明しています(省令か何かだと思いますが、見当たらないので、それを受けた各地方公共団体の動物取扱業登録を説明したページをご参照ください。一例、名古屋市)。 この3要件がすべて揃えた、一般の飼い主は珍しいでしょう。社会性については、解釈により微妙となりますが、譲る側に選択権のある個々の交渉となるはずなので、社会性ありとは断定しにくい面があります。次に、有償であっても必要経費内と主張しえる範囲内であれば、営利性を認定するのは難しく、無償の場合で、営利性を認定できるような宣伝効果は、私人の活動では必要とされないはずなので、まず無関係かと思われます。唯一抵触しやすいのは、「頻度・取扱量」要件くらいではないでしょうか。ただ、カッコ付きの例示は、数詞が『頭』であるのを見れば明らかなように、大型哺乳類のケースを想定しているので、小型鳥類の文鳥に単純に当てはめることは出来ません。しかし、基準が他にないので、それに準じるなら、とりあえず年一回数羽程度の募集であれば、登録の必要はないと考えられると思っています。 この法律は、飼いきれないイヌが捨てられて、野良犬として保健所などで大量に殺処分されたり、放し飼い状態のネコが増えて、近隣の住民に迷惑をかけ、ネコの方も感染症で早死していくといった、動物愛護とはかけ離れた悲惨な現実に対処するのを、立法目的の一つにしているはずですが(その救済活動を邪魔している面もありそうですが・・・)、文鳥でそういった事態は考えにくいので、そのまま適用するとおかしなことになってしまいます。はっきり言ってしまえば、増やそうと有償であろうと、捨てずに自分の責任で新しい飼い主に手渡すことが出来るなら、個々の飼い主の責任でご勝手に!!、が、業者の監視をしなければならない行政側の本音でしょうし、自由民主主義の国ならそうでなければならないはずです。野良犬野良猫問題、犬猫の悪質な繁殖業者問題、危険動物の飼育問題、外来生物の帰化問題、いろいろ忙しいので、問題にもならないことに関わりたくないでしょうし、小鳥の話など知ったことではないのではないかと思われます。 しかし、それが本音であったとしても、そのようないい加減なことを法律に書けませんから、そうした場合、書かずに適当にぼやかして誤魔化すのが一般的で、この法律でもそうなっています。それは、細かなことは地方行政の窓口の運用で適当にやれ、の意味だと中央官僚たちの意図をテキトーに忖度出来るはずですが・・・、公共の福祉に反しない限り自由であるべき一般人には、法律に不備などなくて当然と信じている生真面目な人もおり、良くも悪くもいい加減な法律でも、無理やり厳格な法律として受け取り、自縄自縛に陥りたがってしまう人もいます。 そうした真面目な一般人の鳥好きが、どのような解釈に行き着くかの好例として、『飼鳥情報センター』さんのご主張を引用し検討したいと思います。※ 『飼鳥情報センター』を運営されていたのは、インコ飼育に関しての「有識者」として尊敬し参考にしていた方のはずなので、この件についてのこの記述も、やがて手直しをされるものと考えていました。ところが、2009年から放置状態となってしまい、その後も「有償で里親募集をするに、動物取扱業の資格が必要」とする人の根拠になっているようなので、「里親」掲示板の管理人としては、少々迷惑しております。引用1 環境省が示している「業者」と見なされる基準は、「社会性」「頻度・取扱量」「営利性」のいずれにも該当することです。(詳しくは環境省該当ページ参照) 具体的には、不特定多数に対して年間2回、2羽以上の営利目的の取引を行うこととされています。 無償であっても「営利」はあり得る、ということです。無償というのは一切の金品を受領しないということで、交通費・送料や動物病院での健康診断費用、エサなどの実費、あるいは手土産ですら「有償」に該当します。ヒナをペットショップに引き取ってもらって、お礼としてエサ1袋をもらう、ということも「有償」です。そうした一切の金品を受け取らなければ「無償」の取引ですが、それでも「営利」となる場合があるのです。引用2 また、自宅で巣引きしたヒナの取引ではなく、第三者の鳥を別の第三者に引き渡す仲介行為(いわゆる「里親探し」のお手伝い)も「販売」業に該当します。ここが間違われやすいところです。 鳥を出す元親は年間2羽以上の営利行為であれば当然「販売」業登録が必要です。それに加えて、年間2羽以上の営利行為であれば仲介する者も「販売」業登録が必要なのです。たとえて言えば元親は「卸売業」で仲介者が「小売業」です。さらに、旅行中に鳥を預かったり、留守宅訪問して世話をするバードシッターは「保管」業登録が必要です。 まず、引用1ですが、これ自体は一般論としては問題ないのですが、無償でも営利性があることを認識しながら、逆に有償でも営利性がないことも普通に存在することに気づいていないのが、不可思議な点になります。実に素朴に、有償=営利、無償=非営利、だと思っていたら、無償でも営利となる場合があると知って、カルチャーショックを受けて、それ以外のことを忘れ、気が回らなくなってしまったのかもしれませんが、この手ぬるい法律が禁止しているのは、登録をせずに営利性のある取引きを繰り返すことで、有償か無償かはまるで関係ありません。「有償・無償の別を問わず、事業者の営利を目的として行っているもの」、とありますから、これ以上明白なことはありません。こうした説明は、おそらく2006年の段階でも、また2009年であれば確実に目に出来たはずですが、ともあれ今現在検討するなら、「有償・無償の別を問わず」を無視して、それにしつこくこだわっていることになってしまいますから、理解に苦しまざるを得ないことになります。 そもそも、「お礼としてエサ1袋」を有償の営利行為とするなら、御中元や御歳暮など禁止すべきだと私は思います。お年玉付き年賀状も問題になるかもしれません。恩師や上司に対するそのようなプレゼントは、どこの誰だかわからない人へのお礼のエサ1袋などより、明らかに見返りを期待した営利性を帯びているはずなのです(しかも、反復継続していますぞ!)。 どれほど厳しく解釈したところで、営利性のある取引を継続的に行う場合は、登録しなければならない、と読む以外にない規定なのです。それを、有償はすべて禁止で無償も一部禁止されているように読み替えるなど無茶苦茶なだけでしょう。禁止しているのは営利性のある取引で、有償・無償は無関係、「有償無償は無関係ぃぃ」何度でも良いので唱えて、頭に叩き込んでおきたいところです。 つまり、有償であっても、営利性を認定できない程度なら問題になるはずがありません。それでも、念のため『営利』を辞書で引けば、「財産上・金銭上の利益を得る目的をもって事を行うこと」とあります。必要経費以下の場合は(だいたい一般家庭の飼育で必要経費など計算しにくいですが)、始めからいわゆる赤字状態ですから、利益目的とみなすことは、一般的には不可能なのです。つづく
2012年10月19日
閲覧総数 321
27
嫁いびり?するシルバ レイは飼い主の好きなタイプの容姿をしたシルバー文鳥だが、残念なことにおつむが弱いようで、繁殖能力にも欠け、「ダメ嫁」と呼ばれている。 現在、夜の帰宅の際に真っ暗闇の中を逃げ回り、危ないので翼の羽をむしり取り、飛べない文鳥となっている。飛べないくせに先日は失踪事件を起こし(豆苗の陰に隠れて一夜を過ごしたらしい)、数日、夜の放鳥に参加させなかった。その間、夫のモーリは寡婦(実母)を愛ジンとしていた。・・・で、今夜、試しに出したところ、↑、愛ジンから邪険にされてしまった。 正妻には、しっかりして頂きたいものだ・
2022年07月22日
閲覧総数 1451
28
黒クチバシはステータス! 孵化21日目のクリ、26g。このあたりで推移しそうだ。わりに小柄ながら頭は大きめの「幼児体型」と言えそうだ。 それにしても、クチバシが黒いのは素敵だ。昔々、白文鳥にあこがれて、初代桜・嫁桜→2代目桜・婿白→3代目ごま塩・婿白→4代目白といった経過をたどり、見事?に白文鳥のヒナを得て、当然差餌をして手乗りにしたのだが、クチバシの色には物足りなさを感じたものだ。やはり、はじめに差餌をして育てた時の、「文鳥のヒナのクチバシは黒」という印象が強く残っており、それこそが『断然桜文鳥派』になる素因とも言える。それだけの魔力を秘めた黒クチバシなのだ。 真っ黒なクチバシ、口元のパッキン・・・、「口角パッキン」これがあるためにヒナは口を大きく開けられるのだが、色が白っぽいのは、親鳥が暗がりでヒナの口を見つけやすくする目的のはずである。となると、クチバシは黒い方が口の形を強調しやすいわけで、暗ければ暗いほど、白やシナモン文鳥のヒナは不利になる・・・が論理的帰結となる。 本当にそうなのか、桜とシナモンをペアにして、何十例もヒナの体重を計測しないと、実際のところはわからない。わかっても、あまり意味はないようにも思う。
2011年02月26日
閲覧総数 1774
29
「クチバシつまみ」が好きなノブ 噛みぐせとは、「ちねり」などと言われ、クチバシの先端の方で飼い主の皮膚をつねるようにする行為で、飛び上がるほど痛いので、嫌悪されているが、文鳥にとっては愛情表現である。なぜなら、それは羽づくろいのつもりなのである。 文鳥の夫婦は、お互いに羽づくろいをして、得てして「ハゲ増し合い」となる。これは、クチバシの先端で相手の羽毛の軸をつまんで、勢い余って折ってしまい、結果、ハゲ状態となるが、毛根は残っているので、新しい羽毛が生えてこないためだと思う。つまり、飼い主のことを愛していれば、それを羽づくろいで表現しようとするのは、文鳥の本能的行動で、ただ、残念なことに、人間には羽毛がないので、「ちねり」となってしまうわけだ。 愛情表現には愛情表現を返すべき。ただ、残念なことに、人間はさほど器用な真似が出来ない。そこで、文鳥の愛情表現その2、「クチバシつまみ」でお返しするのが、人の道、もしくは、文鳥の道に則した行いと言える。これは、↑のようにクチバシを指でやさしくつまむだけなので、人間の指先でも楽勝だ。 手乗り文鳥の飼い主には、是非、知っておいてもらいたい『技』である。 クチバシ同士での愛情表現は見かけないものの、フィンとジョーは一緒に行動することが多くなり、ツーショット画像も写せるようになってきた。ようやく、夫婦らしくなってきたことを、喜びたい(・・・アラシは独り身が似合うのだろう)。
2016年06月18日
閲覧総数 25858
30
小さくてもたくましいシズ(お腹の羽毛の乱れに注目!) 放鳥終了30分前に、キュー・シズ、テン・カエの検卵を行う。あまり長い時間抱卵しないと冷えて悪影響が出てしまうので、完全巣篭もりのカエが少し羽が伸ばせる程度の時間にしたのだ。 キュー・シズの卵は抱卵の初期段階で、電灯にかざしてわずかに血管が確認できるものが6個中2個しかなかった。すべて産んでから抱卵しているはずなので、4個は無精卵なのかもしれない。やはり、少し休息させたいところだ。とりあえず、より確実に有精卵に見える方を残し、残りの5個は擬卵4個と換える(割って確認したが血管ありは1個。なおテン・カエの卵は、罪悪感を感じてしまうので割って中を見るようなことはしない)。 テン・カエの方は、電灯にかざすまでもなく、小ぶりな6個の卵すべてが有精卵だった。色でわかるのだ。無精卵は黄色、有精卵はだんだん赤く見え(血管が発達するから)、次いで少し青黒く見える(固体となっていくから)。こうなると弱い電灯では透かして見えない。とりあえず、均質な中でわずかばかり大きく見える1個を残し、残りの5個を擬卵4個に換える(卵が多いと抱卵しづらく、少なすぎると放棄する可能性が少し高まるように思う)。 正確な抱卵開始日がわからないので、孵化予定日を決めるのが難しい。本来検卵は有精か無精かわかれば良いので、強烈な照明にすかして内部の発達段階を詳細に確認する習慣がないのだ。実は孵化器を使って詳細に観察したいという願望を、10年以上前から持っているのだが、孵化直前で捨てるのは剣呑で、親鳥に戻すくらいなら全部親鳥にやってもらいたいし・・・、などなどで実行できずにいる。 ただ、文鳥の卵、有精卵の内部の様子の変化については、素晴らしい参考文献が存在する。意外かもしれないが、今市子さんの文鳥マンガ『文鳥様と私』第一巻だ。さすがにプロのデッサン力で抱卵「四日目」から「十日目」までの様子を描いてくれているのだ。しかし、作者が産卵日と抱卵日を混同したのか、孵化は抱卵22日目と誤解している点に注意しなければいけない(描いてあることを簡単に信じたり真似をする人が読むと危険な面がある)。「四日目」とされるのは「かすかな輪が見える」状態だが、これは抱卵により細胞分裂が開始された直後の様子以外の何物でもない。卵内部の発生は実に速やかに進行するので、4日もたって形を成さないことなど、より孵化日数のかかるニワトリでもありえないのだ。 つまり、「四日目」は抱卵を始めて約1日後の様子で、キュー・シズの卵は「はっきり血管を確認」とされる「六日目」=3日後くらい、テン・カエの卵は「体が厚くなって心臓は見えにくくなってくる」とされる「十日目」=7日後以降と見なせそうだ。となれば、文鳥の孵化は抱卵開始の16日後なので(当日を含めれば17日目)、孵化予定日は9月30日と10月4日となるだろう。 少し心もとないが、とりあえずその前後に孵化するものと見て準備しておこう。【左】有精、【右】無精(一番下有精)
2008年09月21日
閲覧総数 4904
31
空飛ぶ赤目シナモン、ニッキ 完全にカメラ委せにすると、飛行写真にブレが生じることがあるので、今はシャッタースピードだけ160分の1秒に設定し、面倒なので、それで全て撮影している。我が家の撮影には適しているようだ。 それにしても、飛翔能力を消失した夫に対し、妻のニッキは元気はつらつだ。これで浮気をしなくなったのだから、実に良く出来た後添えといえよう。・・・キュー様の女房操縦術の巧さは、天才、むしろ神レベルだろう。信仰の対象にしたいくらいだ。
2012年03月22日
閲覧総数 449
32
エサ入れにあごを乗せて食べるフック ツボ巣に爪の先が引っ掛かり片脚の件が伸びてしまったフックだが、しっかり食べて元気だ。この状態では心も折れるかと思ったのだが、その心配は無用だった。 爪先が引っ掛かった原因はツボ巣の材質にもあるが、根本は脚が弱っていて自力ではずす脚力がないことにある。・・・普通なら病院に連れて行くのだろうが、元から普通に歩けないのにギプスで固定などしたらより不便になるだけなのが分かってしまうので、通院などする気はない。 同様に片脚が使えなくなっているミトも、前向き、ポジティブに毎日を過ごしている。「うらめしや」の状態で動かなくなっているのだが、これも普通なら病院に行くだろう。そして、禿げた顔などを見てくだらない栄養指導などされるかもしれないが、もし私の想定通りなら(腫瘍が神経を圧迫している)、いじりまわされ不要なウンチクを有料で聞かされるだけ、当然、夫との同居は許されないことにもなるだろう。意味がないどころかマイナスでしかないので、通院などする気にならない。 つまり、もう治らないし、それを期待すべきでもないと確信すれば、日常を継続させることを第一にする考え方になってしまったので、十数年獣医さんのお世話になっていない。よく、通える範囲に小鳥の診療が(まともに)出来る獣医さんがいないと嘆く声を聞くが、30羽で10年必要としていないのに、1羽で必要とする機会など極少ないかと思う。嘆く必要はないのである。
2024年05月26日
閲覧総数 265
33
白いお邪魔虫にうんざりしているソウ・テイ そら豆のスプラウト(若芽)が商品化されているそうで、検索すると、『そらまめ豆苗』として2014年から販売されていた(生産元のページ)。「豆苗」とあるので、えんどう豆のスプラウトである豆苗と同類と考えるのは自然な話で、実際文鳥に与えてみたところ、嘔吐し体調を悪化させてしまった、との体験談があった。そこで、考えてみたのだが、結局、危険とも安全とも判断がつかなかった。 そら豆は、太古から人間に食されるものだが、グルコース-6-リン酸脱水素酵素欠損症という遺伝病、むしろ遺伝的特質を持った人たちに強い毒性を持ち、赤血球が溶血し、溶血性貧血を起こし、最悪の場合は、急性腎不全によって死に至ることにもなり、これをソラマメ中毒、と言うのだそうだ。 私が気になった点は、文鳥にグルコース-6-リン酸脱水素酵素が欠損しているのか、と、若芽の状態になっても、豆の状態と同じ毒性を持つか否かで、少し調べた程度では、管見の及ばざるところ、だったのである。ただ、ゆでたそら豆なら、文鳥に与えた人は数多くいるはずだが(私もあるかもしれない)、それで急性の毒性が顕われた事例を聞いたことがない(人間にしても、鎌倉の居酒屋でそら豆をたらふく食べつつ飲んでも、別に問題なくここでブログを書いているわけで、ソラマメに一般的な毒性があるとは言えない)。 となれば、ソラマメの種実が含む成分(配糖体)に起因するソラマメ中毒とは別に、人間にとっては問題なくとも文鳥にとっては毒性を持つ物質を、そら豆のスプラウトは持っているのであろうか?それとも、中毒症状に見える症状の原因は、別にあったのであろうか? これは、そら豆のスプラウトを文鳥に与えた人の体験を複数勘案しない限り、判断は無理かと思う。しかし、危うきには近づかず、自分の文鳥で実験するわけにはいかないので、ごくわずかな事故による経験の蓄積を待たねばならないかと思う。ただ、せっかくの疑い事例なので、無駄にしないように、この目新しい食べ物を文鳥に与えるのは、とりあえず避けるのが無難だとは思う。 【以下は12日補足】 そら豆のスプラウトには、L-DOPAを多く含むとされ、L-DOPAとは「レボドパ」と呼ばれ、ドーパミンなどの神経伝達物質の基になる物質と言う。そら豆のスプラウトの切り口が黒くなるのは、これの作用によるものとされているが、これによる急性症状は、考えにくいと思う。文鳥の体内にもある成分なので、拒絶反応が起きるとは思えないのである。また、鉄分が多いそうなので、鉄分の過剰摂取による症状では?との指摘を頂いたが、錆び付いた鉄釘をかじっても、急性の毒性を示すことは無いはずで、鉄分補充の薬剤で不自然な摂取をしない限りは、なかなか問題にはなりにくいように思える。 普通の食中毒には潜伏期間があり、一般的なイメージと異なり、食べてすぐに嘔吐するなどの拒絶反応は起きない。細菌などに由来するので、それが体内で増殖するのに時間がかかるのである。 急性の反応が出るのは、毒キノコなどの摂取で見られる化学物質の毒性作用に多いものと思う。例えば、クサウラベニタケを誤って食べた場合、10分~数時間で嘔吐などの消化器系中毒反応が起き、その主因は「溶血性タンパク」とされている(厚生労働省のページ)。もちろん文系なので詳しいことは知らないのだが、「溶血」=ヤバイ、というごく単純な関連付けが頭にあると、ソラマメ中毒が酵素の一種が欠損しているタイプの人間に起きる溶血反応と、文鳥の事例が結びつくことになる。 しかし、普通に考えれば、そら豆のスプラウトは、健康に良さそうな成分を多く含む青菜に相違なく、豆の状態で含む成分を、そのまま引き継がれるものではないし、そもそも、茹でたそら豆は文鳥のおやつとしている人も多く、それは毒性がないか、無視できるレベルに軽微なために、可能なはずである。となれば、今回の件がそら豆のスプラウトを食べた結果であると仮定しても、多くの謎が残される。 googleで「文鳥 そら豆」で検索すると、そら豆スプラウトを見ている白文鳥君の画像があり、それは「脱原発!」「反安倍政権!」を掲げて頑張っている方が、昨年3月にツイッターで公開された画像だったが、食べさせて異常が起きていないようだ。 さらに「文鳥 そらまめ 豆苗」で画像検索すると、昨年5月に試された方のブログがあり、少しかじっただけで食べなかったらしくその後は不明だが、特に体調の変化はなかったようだ。また、今年の3月に文鳥に与えた方のブログもあり、こちらは普通に食べてくれたようで、何ら問題はなかったようだ。ついでに、文鳥の部分をインコ置き換えて検索すると、セキセイ君とオカメ君がワシワシ食べている画像があり、何ら問題とはなっていない。 となれば、一般的には、文鳥に与えても問題ないと判断する他ないように思える。健康に良さそうな野菜が市販されていれば、少なくとも人間には無害(常識的な量を食べる限り)なので、それを文鳥に試したくなるのは当然と言える。しかし、初物を試す場合は、結果的に実験動物にならないように慎重であらねばならず、なぜそれが無害と信じられるに至ったか、しっかり情報を整理した上であるべきだと、思う。求めるべき情報は、科学的な情報と経験で、文鳥が食べる事例と、常用しても問題が起きている気配がないか、に注目しなければならない。 今回のケースでは、もし私がその立場でも、特に与えることでの有害性は見い出せず、与えた可能性が高い。そして、結果、どうなったかはわからない。「食べた当日、男の子は激しい嘔吐、女の子は黒色」の糞、翌日オスは回復したが、メスは悪化して3日目には亡くなってしまう。亡くなった子は、虚弱な体質だったそうなので、悪影響が強く出てしまったのだろうが、なぜ、平気で食べている事例があるのに、こうした文鳥にとって急性の毒性が疑われる事案が起きたのであろうか? 人間のソラマメ中毒が遺伝的特性により発症するのと同様に、同じ文鳥でも、症状が現れる子と問題にならない子がいるのであろうか? とりあえず貴重な疑い例なので、なるべくは避け、与える場合は、様子を見ながら慎重に、が正解だと思う。
2016年07月11日
閲覧総数 3828
34
生ける標本・・・陥没しているのは耳です。エサが透けているのがソノウです。後ろ姿も怖い せっかく生えたケケのケコ、否、毛子の毛毛、今夜になって消滅していた。間違いなく夫のサカ坊の仕業だ。 そのサカ坊も頭が禿げてきている。どうなってしまうのか、不気味で心配で楽しみな夫婦だ。禿げ増し文鳥のサカ坊
2014年01月24日
閲覧総数 3247
35
さわり心地の良さそうなハルの頭 ハルの頭は現在ゴジラ化しており、すでにハゲとは言えなくなってしまった。元々の凛々しい姿に戻るのも時間の問題だが、戻った後で、また妻のエコからハゲ増しを受ける可能性も大きいように思われる。となれば、修復したら、その姿をしっかり記憶も記録もしておかないといけない。 さて、ケコ。今日も開閉口から自分で出てこれず、T字止まり木に止まってこちらを見てソワソワし通しであった。何度か開閉口から手を入れて、そこから出られることを示して見たが、無駄であった。 今日もクラが出てきていたので、宿敵らしいケコは自分で出るまで打っちゃっておこうと考えたが、恨めしげに見えるので、根負けし、捕獲して連れ出した。すると、やはりクラの憩うレース暖簾の上に行ってしまい、しばらくは共存していたが、やがてクラを威嚇して追い払ってしまった。クラは、幸いイスのクッションの上に落ちたが、危険なのでカゴにお帰り頂いた。 邪魔者を追い払ったケコは、暖簾から動かず、羽づくろいをするばかりであった。一体何が楽しいのかわからないが、とにかくリラックスしているのは確かで、放鳥終了の時間が近づくと、そこで背眠(背中にクチバシを入れて眠ることを、このように呼ぶのだそうだ)を始めた。豪胆なのか無神経なのか天然ボケなのか、興味深いキャラクターだ。 ケコに虐げられているクラの義理の母(初めの妻セーヤの母)はハンなので、記憶のどこかにああいった模様の文鳥の記憶があるかもしれないが、一方的に攻め立てられて、親愛の情もわかないものと思われる。 今後、ケコが伴侶なり仲間を求めることがあるのか、一羽暮らしのオスであるノコリが、換羽を終えた後に伴侶探しをするのだろうか。先行きは不透明だ。
2010年05月21日
閲覧総数 626
36
イブがマキに接近すると嫉妬するラック 朝、マキのカゴを「文鳥団地」に移動する。一羽でさびしがっていたマキは喜んだ。イブたち3羽とその他短時間放鳥出来る一部の文鳥たちも、マキをカゴの外から観察し、格子越しに争うようなこともなく穏やかであった。 夜、 放鳥。マキのカゴも開けておくと、飛び出してきて・・・、正面の家具にぶつかった。自分では飛び上がれないようなので拾い上げようとすると、せまく暗いところにもぐりこもうと逃げる。何とか取り押さえ安定した場所に置くが、何かの拍子に飛び立ち、まっすぐ飛んだ先のスダレやカーテンや配線や電話のアンテナにしがみつき、そこから動けない。 羽ばたくことは出来るのだが、左右上下に方向を変えるようなことは出来ないわけだ。これは、生まれて一度もまともな飛行をしたことがないことを示している。翼や尾羽の使い方、飛び方がわからないのだ。それでも、センスのある個体はすぐに飛び方のコツをつかむのだが、マキは反射神経は発達しているのに不器用なタイプのように思われる(飛び片側からないくせにバサバサ飛ぶ)。まともに飛べるようになるには時間が必要で、その間要注意だ。 特にオスたちに襲われることはなかった。一時奇跡的にテーブルの上のスタンドに落ち着き、そこに例の3羽がやって来て顔合わせする場面もあった。イブは興味がありそうだったが、ラックが間に入ってやたらと邪魔をしていた(結局蹴飛ばしてマキをはじき倒し、マキはテーブルの下に落下した)。すんなりとはいかなそうだ。 一方、危ないのでカゴに帰らせておくと、シマがそのカゴに普通に入り込んで行った。田舎のプレスリーは何と素早いことかと思ったが、さほど執着はないらしく、マキに適当にあいさつをしたくらいで出てきてしまった。どういうつもりか良く分からないが、どうも体調が思わしくないのと(換羽の前兆なら良いのだが、軽い運動障害で「肩で息をする」シーンがある)、好みのタイプからは少しずれているのもあるのか、積極的なアプローチには至っていないようだ。 シマの体調が戻れば、マキのカゴに居つくかもしれないが、何となくイブとうまくいくような気もする。とりあえずこのままの体制で様子見しようと思う。
2009年02月24日
閲覧総数 470
37
不思議な生き物化しているポンちゃん 一緒に生活していても、普段は気づかないが、文鳥という生き物は、脚が長く、首も長い。首は細くもあるので、「ろくろ首」のようなのである。 ・・・とは言え、ポンの場合、顔は禿げていないので、かえっておかしいなぁ。頭の羽毛はそこそこ抜けているのだが、ほっぺたはまったく抜けない。変顔にはなるまいと、決めているのだろうか。 一方、影の薄いシキ。換羽もほぼ終わり、生意気にボーイハントに勤しんでいる。今日は、珍しくマナツと不倫↓。困ったものである。
2013年06月28日
閲覧総数 1289
38
よく食べよく寝て大きく育つ16代目たち 水害に遭われた方々に、お見舞い申し上げます。 ブラジルが負け、W杯が『欧州選手権』となってしまい、こうなるとフランスが強いのでは・・・、と話の枕に書こうと思っていたら、大水害。その被災地に岡山県真備(まび)の地名があったので、これは8世紀の天才にして、二度の遭難や藤原氏のいじめにめげなかった不屈の男、吉備真備(きびのまきび)に触れずばなるまい、と決めていたら、放鳥終了間際の地震速報により、円滑な帰宅を阻害されることになった。で、とりあえず、地震について。 携帯電話(ガラケー)が緊急地震速報を報知し、それにより文鳥たちが騒ぎ出し、続いて起きた震度3の揺れにより、捕獲して帰した者たちもまた飛びだしてしまい、何とも迷惑であった。 で、前にも書いた記憶があるのだが、文鳥には地震予知の能力は無い。たまに、人間以外の動物には野性の感があって、自然災害を予知して対処する、と信じる人がいるもので、文鳥にもその能力が備わっているはずだと決めつける。 しかし、飛べる鳥は、地面が揺れたら飛びたてば良いので、事前に察知しても意味がない。意味がないので、そのような予知能力は進化し得ないのである。予知能力があれば、緊急地震速報より、一家に一羽以上の文鳥必須!と宣伝できるのに、残念だ。
2018年07月07日
閲覧総数 541
39
日に日に距離が縮まっているヒノ・アラシ 本日、動物取扱業の登録証をいただいた。申請から1週間足らず、現況確認の翌日の交付である。これは無茶苦茶早いのではなかろうか。埼玉県の保健所はえらい。 さて、↑のアラシの下腹部の様子だと、おそらくすでに産卵を始めている。ヒノとの仲は日に日に親密になっているので、今度は有精卵を期待したいのだが、どんなものだろう・・・。まあ、変わり者とか天才の遺伝子は残りにくいもののような気がするので(繁殖の天才を除く)、アラシの子孫がいなくても、別に不思議には思えないが、せっかくなので、ヒノには頑張ってもらいたい。 もっとも、すでに頑張っていた↓。よく食べ、巣材をあさり、やる気満々、威風堂々としてたくましい後姿だ。
2017年01月18日
閲覧総数 607
40
父似の目つき いつも思う。テンはどうして愛されるキャラでないのか? 顔は父のキュー様そっくり。しかも、アゴ白を母から遺伝され、容姿的には文句なし。育雛中に母は亡くなり、数日早く飼い主が引き継いで給餌を始め、「10代目はテンと名付ける」と前から決めて、待ちに待った存在でありながら、何とも影が薄く、面白みがない。 目立つのは、女房へのドメスティックバイオレンスくらい・・・。 これが、何かの拍子に愛されるキャラに変貌するだろうか?・・・可愛いおじいちゃんになって欲しいものだ。
2015年04月02日
閲覧総数 363
41
水浴びしまくるサカ坊 若い後妻がまだ産卵を継続するので、そのお付き合いのため換羽に入れないサカ坊。今日の暑さに、少々バテ気味であった(開口呼吸が見られたのは彼だけ)。無理せず、のんびりして頂きたいものだ。 例の卵は、やはり中止卵だった。取り出したところ1gと軽量になっており(文鳥の卵は、通常2g程度)、強力ライトで透かし見たところ、ヒナの形を成していなかった。おそらく、検卵して2日と経たずに中止卵となり 、水分が蒸発して軽くなったのだろう。 アト氏には、来シーズンに期待したいところだが、子どもがいなくても、見ていて面白いし、年々どこまで白くなるかも見ものだし、それはそれで良いかと思う。 アトは、容姿に目がいってしまうが、性格も面白い。彼は、故キュー様に一方的なライバル心を抱いていて、キュー様が飼い主と「会話」するのをうらやみ、自分も話しかけられるのを好むようになった。ただ、残念なことに、理解できるのは自分の名前「アト」だけ。例えば、「アトはかわいいね」と言っても、同じ口調で「アトってバカだね」と言っても、うっとりと喜んでしまう。 そんなのは当たり前?ところが、人語を解する天才は、「かわいいね」だと喜んで愛想を振りまくが、否定的な言葉を、いくら猫なで声で言っても、プイと飛んでいってしまうのである。実に空恐ろしく、私はこの現象を科学的に説明できない。 そう言えば、文鳥のマンガに文鳥が自分の名前を理解しているのに驚いている場面があり、それが驚くことかと、飼い主たちの反応に驚いてしまったことがある。自分の呼称を理解していない文鳥なんて、いるのだろうか? 例えばリオなど、我が家にやってきて日が浅く、ぼんやりおっとりした文鳥だが、「リオ」という言葉には反応する。止まり木にクチバシをこすりつけて喜び、時にはさえずってくれるのである。自分の名称がリオだと理解しているのかは定かでないが、「リオ」が自分に対してだけの呼びかけであることは、理解していると見なせる。 それは、非科学的な思い込みではあるまい。小鳥はさえずりで求愛するように、その鳴き声には敏感で、鳴き方も色々と使い分けるし、人間では聞き分けるのは困難な、仲間同士の声の中で、パートナーの声を聞き分けられる。飼い主が自分にだけ決まって発する言葉くらい、理解しないほうがおかしいのだ。 自分に対する特別な呼称を理解するなど、ごく当たり前で、文鳥の場合、それに対する態度にこそ、その驚異の賢さが現れると、私は思っている。何しろ、我が家では20数羽が毎晩飛び交っているのだ。それも、一族で似たような桜文鳥が多い。となれば、飼い主が名前を間違えて呼ぶことも多い。そうした時にどうなるかと言えば、文鳥は「チェっ!」と舌打ちするようにプイと目の前から立ち去ったり、怪訝な表情と言うのか「オメぇ、なに言ってんだぁ?」と横顔で見上げられ、名前を間違いたことに気づかされる。もちろん、自分の名前を呼ばれた時も、返事してくれたり、近寄ったりせず、同じように横顔で見上げるだけの場合もあるが、その時の表情は「なんか用か?」なので、間違っていないことがわかる 私が超能力者と言うわけではない。マンガなどでデフォルメされる表情が、付き合っていけば、その目の輝きなどから、感じとれるのである。つまり、感情が豊かなのであり、感情が豊かなら、賢いと見なすべき だと私は思っている。感情が豊かな文鳥の特性を理解しながら、愚かな生き物と思い込むのは、不思議な話ではなかろうか? よく、インコと文鳥を比べる人がいる。私はインコを飼ったことがないので知らないのだが、セキセイにせよ大型インコにせよ、文鳥よりも「表情」読むのは難しいのではなかろうか?彼らは、モノマネや足先での遊びなどで、飼い主とのコミュニケーションをはかり意思表示も出来る場合があるはずだが、それは賢さよりも、表現方法で、身体的な特性に負うところが多い。 つまり、どちらも賢い生き物だが、文鳥の賢さはなかなか分かりづらいものなのだと思う。わかれば、よほど奥深いのに、鈍感な人が多いのではないかと、少し優越感に浸ってしまう。
2014年06月01日
閲覧総数 837
42
ケコンドル・・・ 飼い主は、最近ケコをケコンドルと呼んでいる。コンドルは飛んでいく、ケコンドルはさらに禿げていってるのである。一体これが進むとどうなってしまうのか、戦々恐々、興味津々なのであった。 これでは、他の文鳥たちにも気味悪がられるだろうと思っていたら、今夜、あの男が好きなサカ坊がさえずって誘惑、ケコも尻尾を振り、交尾、それも2回!、である。「変態とハゲが、何と!!」まさかとは思うが、このまま相思相愛の仲になったらどうしよう・・・。やはり喜び祝福すべきなのだろうが・・・、あまりと言えばあんまりな・・・。 ハゲの進行と恋の進行、ハゲたほうが変態の感性に合うのか・・・。謎が謎を呼びつつ、秋は深まっていくようだ。
2012年10月19日
閲覧総数 1478
43
「文鳥墓苑」の植木であるクチナシは、まだ花を咲かせるつもりらしく、現在2つのつぼみが成長中です。1ヶ月ほど前にオオスカシバの幼虫が発生し、かなり葉を食べられてしまいましたが、その跡も癒え、さらに青々とした葉を茂らせてくれています。 ところが、今日葉っぱにごく小さな丸い穴があり、じっとよく見たところ、1センチ足らずのアレがいました。さっそく退治し、さらに同様の大きさの青虫を2匹、都合3匹排除しました。 さすがに、かなり早期に発見できるスキルは身についたようですが、卵は発見できませんでした。おそらく明日も、目を皿のようにして探す必要があるかと思います。今回が最後の闘争なら良いのですが。
2009年09月07日
閲覧総数 192
44
絶好調の文鳥娘クリ クリープを入れないコーヒーのようなものだ。否、むしろコーヒーですらなく、色合いだけ似せた代用コーヒーと断じても差し支えあるまい。 といった断然桜文鳥派の心の声はさて置き、昨日、サカタのタネのペットショップに預けられているらしい文鳥のカゴに、『田中金魚店』のシールが貼られていたので、そこを見に行くことにした。売り物のカゴに自店のシールを貼ってしまうのは、大昔の悪習と言って良いが、まあ、それはそれで懐かしい。 てくてく歩いて相鉄線天王町裏手、神明社並びの田中金魚店。だが、生体は一羽もいなかった。あの店主のジイサマがいろいろな意味合いでご引退になり、ご家族には生体を扱う能力がないため、金魚とメダカと在庫の器材だけ扱う状態、といったところであろうか。残念でもあり、真冬に野外の吹きっ晒しに放置というのはウンザリなので、消えて良かった気もするし、・・・時代の流れということだろう。 そのまま、最寄駅は同線星川のホームセンターコーナンに行く。値札はないがおそらく売り物の文鳥が2羽ずつカゴに入って4羽。シルバー3羽、クリーム1羽だ。・・・桜の方がよほど希少になってきたようなので、そのうちに値段が上がるのではないだろうか、と思えてくる。 なお、せっかくのインターネットなので、我が家の「周辺」に使えそうなお店のサイトがあれば紹介したいのだが、これも大してない。「周辺」にしては遠い横須賀の千鳥園さんがいつの間にかサイトを作っているのに気づいたが、文鳥の生体が期待出来るできる久里浜まで行く気にならない。ついでに、ぐんと近くの目と鼻の先、横浜市の同区内のマンションで、文鳥などを手乗りにしてから売るという、興味深いお店(小鳥手乗り専門K2Cさん)のサイトも見つけたので、個人的には利用する機会に恵まれないと思うが、参考までに紹介しておく(知り合いではないので、詳細は知らない)。 さて、次はどうしたものか・・・。
2011年10月18日
閲覧総数 340
45
怪しい目つき 目は口ほどに物を言う。目つきで、相手の考えが読めることもあるが、物言わぬ文鳥からも、目つきで何かわかるような気がする。 例えば、↑は何か企んでいる怪しの目つきである(たぶん)。現在、アリィは巣作りに勤しんでいるものの、それが何の目的か今ひとつ理解できず、カゴの中では同居姉妹にさえずって誘惑することもない。つまり、飼い主の感覚では、何がしたいのかさっぱりわからないが、↑の目つきは、何か深く含むところがあるに相違ない。 何を企んでいるのか、要注意だ。
2016年08月19日
閲覧総数 568
46
「ヒナの時から育てたウチのピースケは、私にすごくなついてるんですよ!」的な発言に、私はいつも違和感を覚えている。なぜなら、手乗り文鳥は『懐く』存在ではない、からだ。同じことを言うのなら、「ピースケと私はラブラブなの!」が、よほど正解と言える。 この件に関しては、このブログでも以前から取り上げているが(2010年06月27日・2014年8月17日)、思うところあって再論する。 懐く(なつく)とは、もともとは馴れ付くで、「慣れ親しむ。慣れて付き従う」の意味だが、手乗り文鳥は、飼い主に慣れて親しくなっているわけではない。動物行動学などの研究でも明らかな科学的な必然として、エサを与えてくれた存在を「親」と見なし、自分を親と同じ動物種と自然に認識するようになった結果、飼い主を親しい同種の生き物として位置づけているため、親しく接してくれるのである。 つまり、手乗り文鳥は、自分を人間、現生人類、ホモサピエンスと同じ存在と(おそらく無意識のうちに)自己認識しており、お年頃になって恋愛対象を求める際は、自分と『同種』の飼い主が候補となるのは当たり前なのである。だんだんと慣れた結果、恋愛対象とするまでに変化していったではなく、もともと同種と認識しているので、恋愛の候補者になるだけ、とも言えよう。したがって、もし、飼い主と一体一の環境なら、飼い主を恋愛対象にする他ないので、ベタ馴れ状態=恋愛関係になりやすく、もし飼い主に同居する家族などの人類がいれば、その中から、好みに応じて選ばれることになる。徐々に慣れ親しむのであれば、同じじように懐くはずの人間家族の中で、「握り」が許されるのは一人だけになってしまいがちなのは、本来、文鳥は一夫一婦を基本とする生態を持つ生き物で、恋愛対象を一人(一羽)に絞るのが自然だから、でもある。 文鳥の気持ちなり、「文鳥ことば」が理解できないと悩む人の根本的な問題は、人間と文鳥が違う生き物であるという客観的事実を前提にして考えてしまう傾向を持つからではないか、と私は思っている。文鳥と人間がまったく違う生き物であることは、普通の人間なら幼稚園児でも理解できようが、しかし、その認識を文鳥が共有してくれるであろうか?文鳥は、鏡に映った自分の姿を自分とは理解出来ないし、自分が文鳥という生き物だと誰かに教えてもらうことも出来ないのである。どれほど大きさも姿かたちも異なっていても、それを認識出来ない以上、自分との相違が種類の相違によるものだ、などと考えようがない。 人間同士でも同じかもしれないが、相手の気持ちを理解したければ、まず、相手の立場をしっかり認識することから始めるべきだと思う。この場合、相手は文鳥なので、人間の人間による人間のための客観的事実のみを前提にしていては、常に主観的に行動する相手の気持ちなど、永遠に理解出来ないはずである。 最近某書に、「特によく懐いている文鳥は、手のひらにくるまれるのも好きなようです」などとあって、私をがっかりさせた。この文章を書いた人は(誰なのかわからない)、いわゆる「握り文鳥」現象を、より慣れ親しんだ結果と見なしているようだが、果たしてそうだろうか?では、なぜより慣れ親しんだら手の中に入りたがるのだろうか?手の中より、ほっぺたに擦り寄っても良さそうなものではないか? その程度の謎は、その手乗り文鳥にとって飼い主こそが伴侶・恋ビトだというその文鳥にとっての主観的事実を前提に考えれば、安易に解けたはずである。人間的感覚で考えても、伴侶と一緒に布団の中でぬくぬくした方が、手をつないで横にいる以上に一体感に包まれて幸福感に満たされるであろうことは想像出来るだろう。さらに文鳥のペアは、繁殖を行う目的を持っており、そのために営巣せねばならず、結果出来上がったマイホームこそが、伴侶とともにあるべき場所と認識するする本能的な欲求を持っているという客観的事実を基にするなら、伴侶と共にある手の中は本能的欲求を充足させる巣そのものに他ならず、文鳥の主観で見るなら、絶好のロケーションなのである(伴侶の体の一部で巣にもなる、実に便利な場所)。 そうした「正しい」認識(=手の中は巣)を持てば、例えば、覆った手を時折つついたり強く押したりするような動作に対し、気まぐれな攻撃、などと「誤った」解釈をすることも少なくなるだろう。「握り文鳥」君にとって、その時の手のひらは巣でもあるので、営巣のため巣材を押しこんだり突きこんだりするのは、本能的行動として当たり前なのである。 「懐いた」と言う人間側の主観に基づくあえて言うなら身勝手な尺度では、文鳥の行動は測り難いと思う。それでは、よく懐いているかあまり懐いていないか、飼い主側が感じる程度の差を問題にするだけに終わってしまいかねない。曲がりなりにも、文鳥の気持ちを理解したいと願うなら、文鳥側の主観に立って、その行動を、自己の経験や他人の経験や動物行動学的な(それも初歩的な)所見に照らし合わせて考えてみてはどうかと思う。まずは、その手乗り文鳥が飼い主を恋愛対象にしているか否か、そして恋愛対象とされた場合でも、次に問題となるのは、その文鳥の愛情表現の個性で、文鳥の場合、そっけない態度も有り得るし、それは必ずしも徐々に変わるような性質のものではないだろう。 「コミュニケーションの積み重ねが、文鳥を賢くしてい」き4歳くらいになると多くのことを理解するようになると、同書では指摘しているが、4年で賢くなるのはむしろ飼い主の方かと思う。文鳥は、最初からよほど賢く行動しているのに、「だんだんなついてきた!!」などとトンチンカンな思い違いをして、素早い若い文鳥の行動を追えずに過ごしてしまったら、文鳥が中年に達して落ち着いてくれないと、気づかない点も多くなるだろう。 だんだん文鳥がなつくとか、だんだん文鳥が賢くなるとか、文鳥側に進歩を求めず、自分がしっかり自分の文鳥の気持ちを理解して、「文鳥ことば」が話せるように、だんだんと頑張るのが、手乗り文鳥の飼い主に求めたい態度だと、私は改めて思うのである。 押さえる父サカ坊押さえない息子キミョー
2015年03月15日
閲覧総数 52844
47
多数羽でもそれなりに平和 昔、文鳥の飼育本をいろいろ読み比べて寸評したことがあり、その際に、『ブンチョウの飼い方・ならし方』(前澤和明 ナツメ社 1985年)については、次のようにしている。 「禽舎で数十羽単位で飼育する副業的繁殖家であってはもっともな話でも、(略)、副業的繁殖家を目指す場合の入門書」 ところが、その後、日本の住宅事情では、この禽舎による副業的繁殖は難しくなり、また、手乗りを飼育するスタイルが主流となってきたため、時代のニーズから離れてきてしまっていると見なせる。簡単に言えば、大量に生産するのではなく、付加価値を高めた少量生産が求められている。 結果、その後に寸評したものになってくると、文鳥の飼育本も、禽舎飼育の説明が減ったり、無くなってしまうことにもなっていく。さらに新しい『ザ・文鳥』(伊藤美代子 誠文堂新光社 2010年)については、たびたびこのブログで批判したところだが、寸評は無かったので加えるなら、 「適切な写真や図版が印象的で、感心すべき卓見を多く含むものの、飼育上は問題になる思い込みが散見され、無批判に吸収した浅薄な知識をぺちゃくちゃと吹聴する主婦的おしゃべり根性丸出しのようにも思われるので、気の利いたルポとして読み、飼育本とは見なさないのが正しいと思う」 となってしまう。表面上さらっと読んだつもりなだけなら問題にならないが、個々の部分を抜き出して自分の飼育に利用しようとすると、現実と齟齬が生じるので、初心者には推奨できないのである。・・・これだけで言い捨てにすると怒られそうなので、いまさらとなるが、いくつか批判しておく。 例えば、P18「(オスはさえずりを)ふ化後1ヵ月くらいから練習をはじめ」るは、無いだろう。確かに、その頃に単発的なぐぜりと思えるようなつぶやきをする個体もいるが、継続反復しないので、気づかないことの方が多い。むしろ、後にメスと判明する者も、その頃ゴチョゴチョ言っていることが有り、信頼性に欠ける基準と言えよう。従って、ヒナ換羽も終盤となる3ヶ月に近づいて、継続反復したぐぜりを行うようになって、初めてオス認定となるのが普通である。この本を読んだ初心者は、1ヶ月で性別がわかると誤解をし、無理な要求をすることにもつながってしまっているので、迷惑である。 同じくP18にある「通常のメス」は「交尾を承諾する時」に「チッ、チッ、チッ」と鳴き、「飼い主を呼ぶ時」にも使う「可愛らしい声」とするのも、おかしな話だ。交尾の前のそれは興奮を示しているだけで、承諾のサインではない。メスの交尾承諾のサインは、身をかがめて尾羽を高速に震わせる姿勢だが、それには触れていない。なぜこれほど細かな観察をする人が、メス側の基本動作を省いているのか、不思議と言わざるを得ない。「通常のメス」と言うが、実際は、静かに聞いているのも、胸をそらして擦り寄るのも、一緒にピョンピョコ飛び跳ねるのもいて、鳴かない方が多いくらいなのだ。そもそも、これは呼び鳴きで、文鳥の鳴き声の中では最も大きく耳障りとされることの多い。伴侶と見なしている飼い主が近くにいないので、呼びつけようと叫び、その絶叫が連なってさえずりのようになってしまうこともあり、飼い主としては頭痛の種ともなる。つまり、「可愛らしい声」と表現できる人は少数派であろう。 P36の農薬についてはすでに批判した。都市伝説を信じただけに思える著者の軽率な意見に従って、無農薬にこだわりすぎて、別の危険(外部寄生虫など)を呼び込む結果になることを心配せざるを得ない。 P51白文鳥の読みを「ハクブンチョウ」としているが、白は、昔から「ハク」とも「シロ」とも呼ばれており、桜文鳥の桜を音の「オウ」では無く「サクラ」と訓読みするのと合わせるなら、「シロブンチョウ」が、むしろ自然な読みであることは、以前に指摘したとおりだ。 P57白文鳥の白はパイド(白斑)が多くなった結果とするのはまだしも、「パイド同士をペアにすると、生まれる個体は親よりも白斑が多くなる」わけがない。これが事実なら、白斑は多くなる一方なので、桜文鳥同士をかけあわせていれば、みな白文鳥になってしまう。しかし、実際は、通常の桜文鳥(ごま塩を除く)同士から白文鳥が生まれることはない。「弥富産系のハクブンチョウはこのようにして(パイド同士をかけあわせて)固定化させていった」とするが、弥富系の白文鳥同士から、四分の一(実際に生まれる比率では三分の一)の確率で桜文鳥が生まれるのは承知の事実であり、それが白くする因子の優性と有色にする因子の劣性に基づくことも、既に科学的に実証済みである。著者の伊藤氏も、以前はホモとかヘテロなどといった用語を使って白色と有色の違いをご説明になっていたはずだが、その後いろいろ情報を得て、混乱されてしまったのだろうか?白斑で塗りつぶされた結果の弥富系の白文鳥同士から、実に法則的な割合で桜文鳥が生まれてくるのか。これをしっかり科学的に考えられるなら、出典出処不明の他人の話を安易に鵜呑みにしなかったのではなかろうかと思う。 P68自家製あわ玉を薦められているが、私は、これはやめるべきだと思っている。家の中の雑菌の中で、卵を半生乾きにしている食べ物なので、雑菌の巣窟になる恐れがあるからだ。しかも、「14日以内に使い切る」としつつ「残ってしまいそうなら、ヒナのいるマスカゴなどの床に撒」くようにとするのは、ほとんど正気の沙汰とは思えない。なぜ、消費期限が過ぎている疑惑のある食べ物を、ヒナ周辺という、冷蔵庫とは比べ物にならない常温よりも温かいはずの環境に放置するのを、勧めてしまえるのだろうか?このようなことをして、食中毒を引き起こしても、当たり前としか言いようがあるまい。 P82では、ヒナの撮影の仕方につき、ずいぶんと懇切に説明されているが、すべてデタラメとは言わないまでも、思い込みだけで構成された個人的意見に過ぎない。光の加減を考える暇があれば、フラッシュ撮影でさっさと済ませてしまった方が、ヒナの負担にもなるまい。「フラッシュはヒナを怖がらせてしまう」?フラッシュ撮影など、さほど恐れず、あっという間に慣れるのが、文鳥という賢い生き物なのである。そして、室内を動き回り飛び回る文鳥の撮影に、動きのない姿だけを撮影する技術などあまり意味がなく、こういった意見を鵜呑みにすれば、ブレた写真しか記録媒体に残せなくなってしまうだろう。 P127「多頭飼い」として、多数羽飼育になる場合の注意が書かれているのだが、まったく話にならないと言える。結論の、安易に多数飼育をすべきではないとする点だけは同感だが、「ペア以外は仲が悪くケンカをする」ことは無いし、「1羽が感染症にかかると、全羽に可能性がある」のは1羽飼育にしても、1羽感染したらそれまでだし、「数が多いと旅行時など、人に頼めない」のも、1羽なら安易に頼めるものでも無く、「引っ越しなどの移動が困難」なのも当然ながら、経験者としては、出来ない事でもないとしか言いようがない。まして、「全羽を一度に放鳥できないため時間がかかる」と断言されても、25羽超が毎晩一緒に飛び回ってる家が、ここにあるわけで、それに近い家は、いくらでもあるだろう。文鳥と言う生き物は、すぐに相手に威嚇する短気で喧嘩早い江戸っ子のような性質を持つが、それに対する耐性がない人は、挨拶がわりに威嚇した程度でもケンカと見なし、羽毛で覆われた胴体を軽く突いたくらいでも、殺傷沙汰になるような恐れを抱いて、一緒に放鳥するのを避けてしまう。しかし、そういった小競り合いによって、相手の実力を知り、相手との間の取り方を覚え、文鳥としての社会性を獲得していくので、始めから、「危ない、危ない」ではどうにもならないのである。複数羽を、毎日、十年以上も放鳥しても、文鳥同士の障害沙汰がないのが、事実なのである。結局、この著者が知っている「多頭飼育」なるものは、多数が室内で遊んでいるようなものではなく、単数飼育の集合体、ではないかと、私には思える。 以下端折って、P145の劣性遺伝子云々のご高説が無茶なことは、以前に指摘した。P161の雌雄の割合についても、無茶苦茶、、後ろデタラメというしかないことは、以前に指摘したとおりだ。いずれも、初心者が文鳥を選ぶ際に参考にする可能性があり、軽率な意見と言わねばならない。おそらく、著者にそのような話をしている人が別にいるのだろうと思うのだが、文鳥に関するそのような奇抜な説は、出所不明ではもったいないので、私にもじっくりお聞かせ頂きたいものである。 ・・・などと脱線が長くなりすぎてしまった。禽舎はもともと日本も欧米でも多数同居の小屋を指すものと思っていたが、『ザ・文鳥』が紹介されている日本飼鳥会の方の禽舎は、鳥カゴを複数置くために工夫された小屋となっており、それは著者の認識とは異なるが、自宅の一室をそのためのスペースとするのと、実質的には変わらないと思えたので、そちらの話に持って行きたかったのだが・・・。 ま、かえって、何となく言いたいことは伝わったのではないかと。 わかる人にだけわかれば良い。
2014年08月02日
閲覧総数 5424
48
腹が減って舞い降りるシンさん 飛翔写真が撮りやすいシンさんは、貴重な存在だ。 なぜ撮りやすいのか?飛行スピードが速すぎず、また飛行途中で方向を変えることが少なく、飛行ルートというか行動パターンが単純で、さらに飛ぶ立つ時に、身構えるのでわかりやすい・・・、このような好条件を有する文鳥も少ないだろう。 これだけ絵になるのに、どうしてもてないのだろう・・・。やはり性格か・・・
2011年05月09日
閲覧総数 681
49
「文鳥香」全開のマナツ君 一歳のマナツは、匂い立つ若者になっている。「匂い」であって「臭い」ではない。英語なら、smellではなくfragranceなのだ。 なぜか『文鳥香』という品種名になっている植物があるが、それとは無関係に(名前を付けた人はよほどの文鳥愛好者なのか、それとも偶然か)、とにかく鼻を近づけないとわからない文鳥の匂い、香りは、まさに香水のようにかぐわしく、一度その匂いを知った者を夢中にする(香りを言葉で表現できない。あえてするなら、シトラス系の香水をベースに、じゃ香と日だまり成分【日に干した布団の匂い】を加えたような感じ・・・か?)。 が、すべての文鳥が、いつでも、その「文鳥香」を漂わせているわけではなく、いつも悪臭に近い体臭のこともある(ただし鼻を擦り付けるばかりに近づけない限りわからない)。したがって、文鳥の飼い主にも、芳香、フレグランスな「文鳥香」を認識していない人も多い。これは何とも残念なことだ。「文鳥香」を知らないとは!文鳥の魅力全体の5パーセントを知らないに等しいではないか!?。 しかし、未知の部分があるのは良いことだ。何年一緒に暮らしても、1羽ではわからないかも知れない、その不確かさは魅力だ。文鳥、奥深いですな。 そのマナツの母スミの容態が怪しくなっていた。夜の放鳥時、呼吸器症状(口を開ける)が見られたのだ。あまり良い記憶のない症状なので、心配だ。
2011年07月29日
閲覧総数 811
50
朝、昨日まで異常がなかったクチナシの若芽に虫食いを見つけました。即座に点検し、小指の先程度の幼虫を駆除していったところ、10匹近くにもなりました。さらに葉の表裏に産み付けられた7、8個の卵も発見したので駆除しました。 まだいるはずなので、時折目を皿のようにする必要がありそうです。 オオスカシバの幼虫と卵
2009年09月20日
閲覧総数 80