今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

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2024.05.18
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カテゴリ: 短歌

5月18日(土)

近藤芳美『短歌と人生」語録』

作歌机辺私記(84年4月)

「菊池十ニ朗さん」(2)

菊池十二朗さんという古い「未来」の歌人がいる。死亡されたという通知を年が明けて間もなく受け取った。「未来」の、初期のころからの会員の方々なら、その人を記憶しておられるであろう。長く病んだまま、今年も年賀状がとどいており、それを出した後の死であっただろう。

豊島園にわたしたちが移って来てしばらくしてからでなっかたろうか。突然リヤカーを引いた屑屋さんが庭に廻って来た。家の表札を見て、「朝日歌壇」の選者の歌人ではないかと思ったが、あまり貧弱な表札なので迷ったらしかった。「朝日歌壇」に、

リヤカーに花一杯積みて売り歩く日を幻に屑買いつづく

などという歌を投稿していた。今ではリヤカーを引いて歩く屑屋さんなどあまりいない。

そうして、それからもよく仕事の途中に訪れて来て長く話し込み、やがて、わたしの家で行われる「未来」の会にも顔を出されるようになったか。歌は半田良平さんの門人であったが、過去には屈折した人生を経て来た人らしかった。年齢はわたしと同じであったが、老人とひとは思ったであろう。

或るとき、やはり「朝日歌壇」にリヤカーを引いて歩く歌が出て、菊池さんはわざわざその今一人の屑屋さんを東京中から探し出し、わたしの家に連れて来た。須藤政雄さんといい、菊池さんが誘ってやがて、「未来」の会員にもなられたが、いつからかやめ、病死された。一時期わたしの家には二人の屑屋さんが出入りし、妻は古新聞などの処理に困惑したのであろう。

菊池さん自身もまた病み、帰郷し、それから長く病床の生活をつづけられた。宮城県のどこかの療養所と思う。病んで、一時休んでいた作歌に立ち帰ったが、老いと、気力の衰えが作品にうかがわれた。孤独な晩年の人生であることもそれらを通しうかがわれた。晩年の菊池さんの消息を知っていたのは「未来」の菅野はつさん、内山久子さんであったのだろう。

死なれたことを知らせて下さったのは菊池さんの実子の嫁にあたる人であった。実子と云う人は生れたまま同じ東北の、どこかの村の、寺に養子とされ、父を知らず育った。その嫁という女性も、菊池さんの死までそうした事情を知らなかったらしい。だれにも言わなかった人生が彼にもあったのだろう。

「未来」というつながりで、さまざまな人らの人生に触れ、あるいはその死をも見て来た。菊池十二朗さんの場合もそのひとりなのであろう。その人を記憶していて、わたしと同じような寂しさを抱かれる古い会員の方々がいるだろうと思って書きとめておく。

(つづく)





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最終更新日  2024.05.18 07:22:47
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