6月29日(土)
近藤芳美「土屋文明:土屋文明論」より
岩波書店近藤芳美集第七巻「土屋文明 … 土屋文明論」よりの転載です。
土屋文明私論
(ニ)「国ありて始めての時」まで(6)
その『少安集』の初期に「解良富太郎歌集によせて」という一連の小作品があります。「東京帝大新聞」昭和十三年十二月十二日号掲載とされます。
廃れたる思想の中になげけども嘆は永久に移ることなし
病みて死にし助手の君らは数ならず彼等が二年前の物言ひを見よ
説を更へ地位を保たむ苦しみは君知らざらむ助手にて死ねば
それらの最後に、
魯鈍なる或いは病みて起ちがたき来りすがりぬこの短き日本の歌に
の一首が置かれます。
解良富太郎とは、大学助手か何かのまま早死したひとりの若者と想像されます。 日本があげて戦争とファシズムの歴史に向かう日に、思想に苦しみ、苦しみを歌として遺しました。その若者に対する愛情が、ひそかな怒り、ないしはそのための冷厳な現実認識、人間認識の眼を重ねています。
そうして、ここで「彼等が二年前の物言ひを見よ」とうたっている「彼等」とはだれでしょうか。作品の意味のかぎりその大学教授、あるいは一群の文化人らを指すのかもしれませんが、それは同時に、戦争とファシズムになだれていく一時代に、土屋文明という一短歌作者が見て生きたこの国の、マルキシズムその他の思想と呼ぶ世界ということではなかったでしょうか。それらは「移りはげしき思想につきて進めざりし」とうたって来た日から、激しく、脆い変転と崩壊をつづけてその日に至りました。
しかも、そのようにうたう場合、土屋文明はみずからのうたって立つ位置を「魯鈍なる或るは病みて起ちがたき」ものらの共感の中に置きます。最後の一首に告げられている意味はそうでしょう。すなわち、それらは弱者であり、無名の無力の庶民であり、早死にした一学究の青年を含めて彼をめぐる短歌作者でもありました。繰り返せばその位置から身を屈してうたう現実凝視の上に、『往還集』以後『少安集』に至る生活者の歌、ないしリアリズム作品群があったと言えるのではないでしょうか。その『少安集』に、
幾年ぶりか歌を作りていで立ちき敵前上陸にはやく戦死す
やさしかりし青年君もいで立ちて永久なる国の命をぞ生く
などと、すでに身近のものとなった戦争の現実がうたわれ、それらはついに、
国ありて始めての時とこしへの言葉を持ちて吾等は立たむ
に行き着く。昭和十六年十二月八日太平洋戦争開戦の日の賛歌であり、一首は引き締まったひびきを伝える。『少安集』末尾にあります。
日本のすべての文学が一つの言葉を言葉とする他なかった日でありましたが、ここまでに至る苦渋の経過を知った上に、一種の苦さを思わないわけにはいきません。
明日より『(三)「川戸雑詠」の年月』になります。
(つづく)
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