8月21日(水)
近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(9)
岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。
(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。
新しき短歌の規定「福田みゑの歌」(3) (1946・7)
やせ細る体真直に芝生よぎり歩み来し姿まなかひに見ゆ
細々と稲葉のつゆは早くおき竹の葉の露は昏れてよりおく
夕ぐれと蒼みくる時に羽ばたきぬ山鳩はなほ棟に籠りて
こうした歌に、僕はもはや清さだとか慎ましさだとは言い切れない一種のくぐもりを内に孕んで居るのを感じます。之は漠然と吾々のきめてかかった福田みゑの世界ではありません。淡々しさだとか清しさだとか、少なくとも今迄彼女が信じて歩いて居た道とは見当ちがいな草深い路なのです。
だが福田みゑの生涯は之で終って居ます。この事は彼女の早い死と其の生涯の意味ではありません。たとえあと幾十年生きたにしろこの人は多くの作歌者がそうであったような安全な完成への道を結局においてつつましく内股に歩きつづけて行った人でしょう。
こうして僕は又いつものようないら立たしい疑問の網目に脚をとられようとします。つまり何が本当の文学であり短歌でしょうか。しかも僕の覚悟は何故例えば福田みゑ等の歩いた道を一断にして斯くかくと言い切り得ないのでしょうか。僕の批評はだんだん関係の無い事に外れて行くのです。(1946・7) (つづく)
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