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事故ってほんとうに面倒・・・。されてしまったほうがこれだけ面倒なら、してしまったほうもへこむだろうなぁ・・・。先週末、オットの運転で、首都高池袋線下り美女木ジャンクション手前のゆるい下り坂。車の量は多かったのだけど、それなりにスイスイ走っていました。わたし達の前の陸送車が急ブレーキをかけ、あわててオットも急ブレーキを踏んで止ったところに、後ろから来た廃棄物処理トラックがぶつかってきました。あぁ、事故!オットはぶつかってくるのがバックミラーでわかっていたので特に外傷はなし。後部座席にいた義母もきょとんとした様子ながら何もなし。しかし、助手席にいた私は座席にバウンドしてぶつけられた感じで、あまりよろしくない。首も背中もかなりの違和感。頭もなんだかすうすうして、やられた!って思った。とは言っても救急車を呼ぶというほどでもないし、エアバックが開いたわけでもない。肩や腕をぐるぐる回して筋肉が硬直しないように解しているだけ。オットは路肩に車を寄せて後ろのトラックの運転手と話し出した。まずは警察を呼ぶ。車の後部はリアバンパーに亀裂とへこみができ、バックハッチの一部が押しつぶされている状態。走行に問題はないらしい。トラックのほうは無傷。作りが違うんだわ。車の右側をびゅんびゅん他の車が通っていくのが怖いけど、警察が到着するまでは動かせない。じきに高速パトロールがやってきて赤コーンを立ててくれたので少しほっとした。あぁ、こんな状況で停車している車を横目に走ったこと、あるよねぇ。「あ、事故だ」なんてまったく他人事だったのに、今はわたし達が当事者。事故から1時間後にやっと警察登場・・・遅い。いろいろ書類をかいてその場からわたし達が再出発できたのはその30分後でした。高崎でムスメを乗せて、箕郷しばざくら公園で半分しか咲いていない芝桜をみて、自衛隊航空基地の満開の桜を見て、伊香保温泉で湯治の気分になって日曜日に帰ってきました。月曜日、やはり様子が変。枕をしては寝られない。首が痛い。一時間立っているだけで首と腰が重くなる。仕方ないので整形外科に行きました。実はわたし、10年ほど前にも追突され、同じ整形外科にしばらく通いました。顔がひん曲がるんじゃないかって思うような首の牽引も半年くらい続けました。でも、完治はしないのでなんとなく足が遠のき今にいたる・・・。首や腰は以前からそれぞれに問題があることは言われていたので、5年ほど前から、調子が悪いと懇意にしている整骨院で整えてもらっていました。なのでお医者さんに「整骨院に、定期的に通っているのですが、今回も通っても良いものでしょうか?」と聞いたら口調が怒りモードになって「私の知らない治療を受、保険の書類だけかけといわれても、わたしはできない。整体にいったらもう何もできない」と早口でのたまう。あぁ、誤解している。わたしは整形外科のお医者さんに治療の方針を決めてもらって、それに従っていこうと思っているのに、はなから保険適用できる整骨院へいくと決めてかかっている・・。「この先どうしたらいいんでしょう?」と聞いたら、「ムチ打ちはとりあえず様子を見て症状が固まってからでないと治療できません。2週間ほど様子を見てください」とのこと。でも、それならなぜレントゲン写真ができるまでのあいだに、ホットパックと電気治療をさせたのですか?何もできないというのに・・・。リハビリに通うように、とも言われずにここでお話は終わり。帰りに会計で事故による通院なので預かり金5000円を置いて帰ってきました。リハビリには通ったほうがいいのかしら?と事務の人に聞いたら「週2~3度、来てください」とお答え。事務の人が答えるって言うのも変だわ!事故はほんとうに迷惑。車を購入したディーラーに修理の見積もりをしてもらったら、いろいろ取り合えるしナンバープレートも一旦外さなければならないので、早くてもゴールデンウィーク明けに入庫ということになった。え~!後ろがくちゃくちゃのまま買い物に行くわけ?カッコ悪い。でもね、陸送車と廃棄物処理車に挟まれて大怪我しなくて良かった、そう考えよう。追突したトラックの運転手も、きっと今頃落ち込んでいるだろうなぁ。一生懸命ブレーキを踏んだけど、車が止まらなかったって言ってたもの。仕事中の事故は、それはそれで面倒だろうし。あぁ、パソコンに向かうと腰と首が痛い。
2012年04月26日
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4月からは社会人、というかもう遊べなくなるムスコと有楽町に行く用事があったので、ついでにいろいろ詰め込んで一日デートをいたしました。思い起こせば20数年前・・・でかくて穏やかな赤ちゃんでした。よく食べよく眠り、実に育てやすい子でした。それが実はものすごい甘えん坊で人見知りで、5歳を過ぎるまで誰にも預けることのできないほど、わたしから離れない子でした(幼稚園にも行きたがらず・汗)長じて現在・・・優しいって言えば優しい、自分にも他人にも。たくさんの男友達と(女の影無し・涙)遊び暮らしていたのですがとうとう年貢の納め時。自立してくれるかと思いきや、自宅から通勤できるそうで・・・。それでも、もうあまり構ってくれなくなるんでしょうね。上野にお昼到着。手早くラーメンを食べて向かったのは、国立科学博物館です。三月にマチュピチュにいきたかったけどいろいろあってダメだったムスコと、行ってみたいけどたぶん無理な私とが、ここでお茶を濁します。思っていたよりずっと楽しめました。映画の3Dは疲れるので嫌いだけど、ここでみたマチュピチュの映像は適度な迫力と単純な構成でとても良かったです。それから何体もあったミイラ、色とりどりの織物。このチケットに印刷されている物体も、思いがけない錯覚があって。二人で満足してでてきました。春休みだし、会場は小学生だらけではないかと思っていたのに、大人だらけでよかったです。次に有楽町で用事を済ませ、映画です。シャーロックホームズ2!はじめは会話のテンポが速くて頭が疲れちゃったけど、アクションが始まると爽快です。こんなホームズは私の持っていたイメージとはまったく違う。ホームズのお兄さんも違う・・・けれど面白い。昔、BBSが作成したあのテレビドラマのホームズが、わたしの中のホームズだったけど、これはこれで・・・別物。それでも面白いからOKです。そしてこれに遭遇しました。この日の朝、ニュースで全国から集められた桜が、有楽町でいっせいに開花するって言ってたけど、正にこれです。桜の枝にはその枝の産地を標記した札が下げられていました。実際に沖縄から北海道までの桜が一同に花開くことはないのだから、この技術の素晴らしさと職人さんの経験値の高さ、努力に驚きです。植え込まれたポットには被災地へ向けてのメッセージが書き込まれていて、どこに行っても、いつになってもこういう思いは消えることも薄れることもないのだとあらためて感じました。そして最後はお寿司♪7時半にオットと赤坂見附の駅で待ち合わせをしていて、一緒に向かったのが「はしぐち 鮨」豊川神社裏手の人通りの少ない通りの角に立つビルの二階。引き戸を開けて中に入ると待合のようなスペース・・・奥から感じのよい着物姿の女性が出てきてコートを預かってくれて、誘われた奥には広いスペースに檜の一枚板のカウンター。ご主人がこちらを向いていて、8席くらいを相手に握ってくれるらしい。店はこの二人だけで仕切っているらしい。清潔で、凛とした空間。カウンターにはカメラと携帯がバッテンされている小さな絵表示がありました。そうだよね、写真をとろうとする人がいると、どうしても気になって一瞬その人にすべての空気を掴まれてしまう。あとはそんな間が気になって集中できなくなるけど、私からやめてほしいとは言えない。だから、こうしてお店のほうで禁止してくれると嬉しい。お鮨は、お任せで・・・美味しかった。あのウニは何だったのかしら??わたし達の隣には60代と思われる女性が二人、仕事とグルメと人間関係の話で盛り上がっていた。最近まで放送していたドラマ『最後から2番目の恋』の、キョンキョンとその友達の会話のようだった。あのドラマが60代まで続けば、こんな調子になるのかな。このお寿司屋さんにも来馴れているようで、可処分所得は多いのでしょう・・・。世界が違う人たちでした。と・・・ムスコとデートと言いながら実際はオットのおごりの締めでした。次はムスコの初ボーナスで連れてって♪
2012年03月25日
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2月29日・・・四年に一度のこの日、関東地方は大雪です。窓の外の公園は真っ白。その上に更に雪が降っています。ここはどこ?実家の庭? コネチカットの傾斜のある庭? ソルトレークのスキー場?苗場?そんな幻想も虚しく、いつものマンション6階の窓際のパソコンに向かっています・・・。12月30日、6時起床。まだまだジェットラグは解消されません。今回の旅行、季節柄汗をかくことはありませんが、冬物衣類は嵩張る・・・。そこで全員(と言ってもオットとムスコですが)に「自分の衣類は自分で管理し、必要があったら自分で洗濯しなさい」と言明しておきました。そんなのあたりまえ・・・というご家庭もありましょうが、うちは私が甘やかしていたせいで、私がたいへんな目にあっていました。でも、今回からはそうはいかない。この朝、さっそくムスコは下着類の洗濯に勤しんでいました。オットはまだ危機感がないらしくホテルロビーのパソコンで調べ物・・・大丈夫かな?朝食は7時半からホテルのキッチンでいただきました。ハム・チーズ・スティックサラダ・オムレツ(希望により焼いてくれる)・カプチーノ・ブラッドオレンジジュース。B&Bなのですが、世話を焼いてくれる女の子がとても気が利いていて、楽しい雰囲気でした。洗濯後のムスコは狂ったように食べてました。部屋に戻って本日の作戦会議。昨日のムラーノ島はやや失敗。しかし、乗船した船はブラーノ島行きで、たくさんの客はそのまま乗っていった・・・ということは、もしかするとムラーノよりブラーノのほうがいいんじゃないか?という結論に達し、オットと私はブラーノ島へ。ムスコは一人でぶらぶらしたいというので、一日別行動になりました。ヴェニス本島のサンマルコ寺院近く(南側)から島の東を回って北側にある船着場へいき、そこからブラーノ島へ向かう船に乗り換える事にしました。船着場にはお花屋というか、日本で言ったら仏具屋が数件・・・ここで買い求めてお墓参りとかに行くのでしょうか。船着場はこんな感じです。まず、チケットを読み取り機にかざして(誰も検閲しないけど)手前の高い位置に黄色い横線のなかに船着場の名前が書かれた艀というか、屋根付き浮き桟橋に乗って船が来るのを待ちます。水位によって高低差が変わる陸地からの乗船よりも、揺れも同じ状況の浮き桟橋を経由して乗船するのは、実に良い考えだと感心しました。水辺に住む人にはあたりまえかもしれないけど、私には新鮮な発見です。水上バスの運行は1艘あたり3~4人の人が行っているようです。運転士のほかに船着場に着いたら舫い綱を締めて接岸させ、乗客を囲っていた柵を開けたり・・・。この船は女性乗務員が綱を持っています。海を渡っていくのですが運河ほどではありませんが、何せ交通量が多いのです。小船やゴンドラ、定期船・・・。ぶつかったりしないものなのか心配になりますが、見渡せば海上にたくさんの杭が並んで立てられているではありませんか。 (この写真は翌日サンマルコ広場の鐘楼の上から撮ったものです)これが澪つくし、海の道標なのですね。この杭を左側に見ながら時速7~20キロで進むのが決まりのようで、速度制限の表示も海のところどころに立っていました。マルコポーロもここから世界へ旅立っていったのですが、その頃もこんな杭があったのでしょうか。ブラーノ島に就くまでの約40分、崩れ落ちた家の乗った周囲数十メートルの島とか、教会だけの島とか、御伽噺ができそうな景色です。島の周囲を堅牢にレンガやコンクリートで囲んで、海水の浸入を拒んでいればなんとか海に没していかずに済むようですが、もともとは植物が群生している場所に杭を立てて造った島々。いつかは海に還っていくのも致し方ないのでは・・・と達観してしまいます。まさにその植物・葦の群生したままの陸地にもなっていない広く平らな所もありました。ここに杭を打って新しい土地にしても、いつかは沈むかもしれないのですよね。
2012年02月29日
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今年の領収書をまとめておいた箱をひっくり返して片付けました。気になるのは映画などの切符。今年は少なかった・・・。美術館は、根津美術館だけ?あ、静岡県立美術館の『百花繚乱』もあった。それから横浜球場での対阪神戦が2枚。映画は『バーレスク』『ヒア アフター』『パイレーツ・オブ・カリビアン』・『ハリー・ポッターと死の秘宝』それから『ジョージ・ハリスン』来週『エルブリ』を観にいく予定だけど・・・少ない。今年は義父のことがあってエンターテイメントを予定する余裕がなかったから仕方ない。それに月曜・火曜・木曜もしくは金曜・土曜に太極拳、水曜はテニス、日曜の半分は詩の会。時々実家に帰省してたし。・・・園ター手印じゃなくてエンターテインしている暇がなかったのは私のせいですね。映画『ジョージ・ハリスン 』は、よかった。http://youtu.be/4TZmrYUtj2Y 本編はこんなトーンで、かっこつけの生意気な高校生のジョージがいきなり世界的なアイドルになってしまって(しかも早熟なジョンやポールと一緒に!)グループの一員として自由になる部分と不自由な部分とのアンバランスがあって、ついにジョージがビートルズを手放してしまい、親友のエリック・クラプトンと妻が恋に落ち、妻を見送り、インドの宗教と音楽に嵌り、ドラッグに溺れ、ロサンゼルスで城を買い、スタジオを作り、庭に入れ込んで造園に凝り、息子の成長を楽しみにし・・・癌におかされ58歳で亡くなるまでの長い長い3時間半の映画だったけど、よかった。ビートルズのことはあまり良く知らないけど、ジョージのことも、ビートルズ解散後の大失敗のツアーのことと、インド音楽に傾倒していたことと、エリックに妻を譲ったことくらいしか知らなかったけど(そのときにエリックが作った曲『レイラ』は大好きだけど)こんなに少年のままのアーティストだったのかと、いまさらながら胸がキュンとしました。http://youtu.be/X1guu5ra_y0 彼は友達が多かったらしいけど、それだけ魅力があったんでしょうね。敵には見えない、人の心にすっと入ってくる才能があったんでしょう。しかし、豪華!彼の周りの人々の凄さ!9・11とあ3・11など、彼が生きていたらどんな活動をしていたのかと思うと残念です。
2011年12月07日
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8時半くらいに、盛岡駅前から岩手県交通の企画バスに乗って、八幡平方面へ向かいました。企画バスなので観光バスの体裁だし、高速道路も使います。例年だと10月初め、八幡平の山頂は紅葉のシーズンなのですが、ことしは10日も遅れているとかで、葉の先が少し色ついている程度・・・。紅葉の絶好のポイントも、本来ならバスを停めて観賞するところなのにスルーでした(涙)いやいや、それでも昨日よりはいい。前日は雪のため、バスは途中の温泉からひきかえしたっていうんですから。山頂のレストハウスで下車し、地元のガイドさんとともに小一時間の散策に出かけました。雪の名残はあちこちに・・・ここなんか、晴れて紅葉していたらさぞかし綺麗だったことでしょう・・・赤いものはナナカマドの実だけでした。レストハウスには地元の飲み物だけの自販機がありました。黒豆茶を、お買い上げ~。山頂は寒かったので、昼食におでんを食べて下山するバスに乗りました。そして途中の松川温泉で下車しました。今回の宿は、バス停目の前の峡雲荘です。ネットで探したら、ここは近年改装したということで・・・素朴で清潔で快適な宿でした。暖房は地熱で、冷房は外気で、中間を取りたかったら少し窓を開けて、乾燥を防ぐために濡れタオルを暖房機の上にかけておいて・・・という宿の人のアドバイス。究極のエコです。夕食までにたっぷり時間があったので、近所の宿に貰風呂に行きました。受付で言えば、共通風呂券がもらえます。峡雲荘から徒歩10分の松川荘へ行きました。これがなんというか、鄙びているというか古いというか汚いというかぼろいというか・・・。野趣溢れる露天風呂が売りだそうで。それがほとんど混浴。脱衣所も共用・・・私はもうどうでもいいけど、さすがにムスメはいかんでしょう。つり橋を渡った先の露天風呂とか、渓流に面した洞窟風呂とか、旅番組で紹介されたらきっと入りたいと思うでしょうが、実際は困難です。そういえば、数時間前、ある温泉宿では、露天が本当に露天で、素っ裸のおじいさんがお風呂の淵を歩いているのがバスのなかから見えてました。それに比べれば回りは深山。でも、無理。仕方ないので内湯の女湯にはいることにし、裸になって行ってみたらあまりの熱さにつま先も入れられない。見ると、そこから行ける露天風呂もあるようなので出てみたら、本当に小さい露天があってしかも目の前の沢から水が引かれて湯温を下げている様子。ここではじめてゆっくりお湯に浸かることが出来ました。宿に戻って、こちらのお風呂にはいり、いよいよ夕食です。部屋に運んでくださるので、楽チンです。ほろほろ鳥の鍋と天然岩魚の塩焼きのついたお膳です。花巻温泉の少し先に台温泉があるのですが、その近くで生産されているというほろほろ鳥。地元でもあまり食する機会のない食材です。滋味と甘味のあるお肉で美味しかったです。お酒は岩魚の骨酒。焼いた岩魚を浸した燗酒で、飲んだあとに食べた身も、ちっとも臭みがなく上品な筋肉・精悍な山の精をいただいている気分でした。ビールも地元に拘ってみました。満腹なのに、甘いものは食べたい。ムスメとの旅はこういう無茶が出来てうれしい。売店で気になるアイスクリームを3つ買って、食べちゃった。翌朝早くにお風呂へいってみたら誰もいない・・・シャッターチャンス!左側の桶に普通のお湯が満たされていて、それを桶ですくいながら体や髪を洗います。基本、シャワーはありません。酸が強すぎて水道の蛇口など、金属が変質してしまいます。うっかりムスメがつけていたティファニーのシルバーのビーンのネックレスも、黒曜石のようになってしまいました。あちゃー!露天も白濁したお湯です。岩には湯の花が付いていて、触ると白いペーストがとれます。かえすがえすも紅葉でなくて残念。朝食は広間でいただきました。ここでも岩魚の干物が出てきておいしかった。コーヒーは囲炉裏のある場所で。火のある景色は、和ませられます。壁にはツキノワグマの毛皮が・・・9時半、宿の前を出るバスに乗って盛岡駅に向かいました。しかしこのバスは普通の路線バスのため、高速道路は使わなかったし、ちょこちょこ停車するので時間がかかってしかも片道1000円近く・・・企画バスの素晴らしさをあらためて感じました。盛岡で盛楼閣の冷麺を食べてお土産を買おう!と意気込んでいたのですが、バスを降りるとこでオットからメールが・・・「おじいちゃんの容態が悪化したので速く返れ」急いで新幹線のチケットを買い、出発までの短い時間に海運橋を渡った先の地元の食品を扱ったクロステラス盛岡で松茸をGETし(3000円弱で買ったけど、後日東京のデパートでは1万5千円くらいで売られてました。味も香りも抜群でした〉駅弁を買ってはやてに乗り込みました。このお弁当もおいしかったです。ゆっくりするつもりが最後は慌しく盛岡を離れることになって残念でした。義父はこのときは持ち直して、しばらく入院と付き添いの日々は続いたのでした。でも私はいろんな疲れで風邪を引いてしまい、結局亡くなる時まで行くことはなかったです。
2011年11月15日
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いろいろありまして、10月19日に義父が亡くなり、その前の数日間からその後の1週間、風邪を引いていたり毎日用事があったり・・・でした。今は四十九日に向けての準備がいろいろあって、まだ以前のきままな毎日は戻ってきていません(涙)が、忘れてしまう前に!あの病床の付き添いに私の心がすっかり歪んでしまいそうになっていた時、ムスメが遅い夏休みを取らなければならなくなり、この機会にムスメがご無沙汰だった岩手の母のところに帰ってこようということになりました。新幹線の新花巻駅で降りて、釜石線に乗り換えてようと、ホームに立つと目の前にこんな看板がありました。(いつもはタクシーでさっさと実家に向かうのですが、二駅だけ釜石線に乗ってみたかったので・・・)海の幸溢れる三陸へ誘う・・・。あの橋上市場も、もう無いのでしょうか。こんなに元気のある看板の景色をもう一度取り戻すのはたいへんです。過疎が進み高齢化が進み・・・活気をどこから生み出していけるというのでしょう。釜石に限らず、どの田舎も将来設計が難しくなっていると思います。看板の向こうには実りの田んぼと案山子。母の家に泊まったのはたった1日でしたが、母はたいそう喜んでくれて、裏庭のサツマイモ堀りをしようと・・・後ろに写っている家は母の持ち家で、他人に貸しています。ノリの良いムスメに母はすっかり喜んじゃってます。サツマイモはこんな状態・・・秋の庭には、こんな彩りがありました。翌日早くに盛岡へ行きました。30年前、私がお勤めをして毎日通っていたときにはなかったわ、こんなトイレ。銀河鉄道をイメージしているのかな。駅前のバス乗り場から県北バスの季節限定企画『八幡平山頂をガイドと歩く往復切符』(実はきちんと名前があったのですが忘れちゃったので勝手に名づけました・汗)を1200円で購入し、八幡平へ直行する観光バスに乗り込みました。途中から、冬は地元のスキー場でインストラクターをしているというおじさんがガイドとして乗り込み、雑談のような解説を聞きながら楽しく八幡平を目指しました。
2011年11月06日
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9月は今日で最後。5年前の今日、実家の父が亡くなった。あの日もお天気が良くて、リビングに掃除機をかけているところに甥が電話をかけてきて「おじいちゃんがさっき亡くなりました」って報せてくれたんだった。長くはないとわかっていたから、動揺はしなかった。家族みんなの喪服を用意して、わたしは一足先に新幹線に飛び乗って帰省したんだった。近所に住む義父がいよいよ終末期をむかえている。昨夜は夫が病室に泊まりこんで見守っていた。わたしはたった一人の自宅で短く深い睡眠を取った。今朝は4時から目が覚めて、5時にはもう着替えてしまった。わたしはこれから起きるであろう様々なことに怯えている。8月13日に4回目の緊急入院。義父は末期の癌で手の施しようがないといわれている。たまたま太極拳の練習から帰ってきた私は、わけもわからないまま救急車に同乗させられ、今義父がいる病院へ向かった。それまでも2度、救急車には同乗し、聞かれるままに義父の病状ポートフォリオを語ってきた。慣れたものだ。でも、いつもどうしてわたしなの?と思ってしまう。車で後から着いていくというもっと近しい人たち・・・車を持って行くのがそんなに重要かしら?一刻を争うときに、わたしで良いの?今回の入院は緩和ケア病棟への移動で、回復し帰宅するという道はなくなった。寝たきりになってときどき痰を詰まらせ、口から何も入れられなくなっている義父に、わたし達ができることなど何もない。彼が心にかける人たちがときおりベッドの横に座って手を握って・・・そうして時間を過ごすものだと思っていた。わたしは、2~3日に一度、義母を車で送りがてら汚れたタオルを替えたりしてくればよいものだと思っていた。もともと義父は私のことを気に入ってはいないのだから。義父の意識は、急速に進んだ痴呆のため、ほとんどここにはいないことが多い。ずっと付き添って見張っていたのでは、義父はいつも頑張って生きていなくてはならなくなる。苦しみが増すばかりの最後の時間を引き延ばすのは、気の毒だった。しかし、義妹の希望は、出来るだけの時間を誰かが見ててあげること。少しの変化でもあれば、ちくいち看護師や医師を呼んで対処することだった。そのために彼女は差し出せる時間の全てを、病室で過ごしていた。時には夏休み中の中学生の息子を伴って。〈ここでわたしが何も言わなければ、彼女はずっとそこに居続けることになる。彼女の家庭や子供達の管理も何もかも放り出して・・・。〉そう思ったから、わたしは一日のなかの3~4時間(行き帰りの時間を合わせると6時間近く)を差し出すことにした。そうやって一月以上が経った。そのなかで義父はほとんど私と意思の疎通をすることはなかったのに。9月26日 ますます衰えて会話どころか単語すら口から発することもなくなっていた義父が何か言おうとしていた。そこには私しかいなかった。「はい、なんでしょう?」と近づくと義父は「いろいろ ありがとう」とはっきりと言った。私は息を飲んでしまった。それからゆっくり「はい、わかりました。そう言っていただけてうれしいです。」と答えた。あとはもう、なにを話していたのかわからない様子で義父は混濁した意識のなかに再び落ちていった。私は絶句して立ちすくんだ。これがたぶん義父と私とのお別れだと思う。今日は昼頃から病室に詰めることになっている。涙は、もうでない。
2011年09月30日
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JR東日本の『大人の休日切符』の企画で、東北方面への乗車券・新幹線代金が4日間乗り放題15000円になるというのがあります。年に2~3回そういう時期があるのだけど、今回は9月1日から2週間ほどの間で、これを利用してピュッと実家に帰ってきました。実は近くに住むオットの父の容態が思わしくなく、8月半ばからずっと時間を割いてきたのですがますます思わしくなく・・・。このままでは当分実家に帰れそうもない。お盆も帰れなかったし・・・。エイッ、帰っちゃえ!と、とにかく帰ってきました。母は、とても喜んでくれました。やはり寂しいし心細いんだろうな。3ヶ月前に会ったときよりますます痩せてしまって、父が亡くなる少し前からの5年の間に20キロ近く減量してしまいました。もう、げっそり。一人ではテキトーなものしか食べないんだろうなぁ・・・母の庭にも秋の気配。前回行ったときに植木屋さんが来てばっさり枝を払っていった柿の木。今年はちょうど良いくらい実をつけていました。終わりかけている朝顔の間からこんな蔓の花が顔を出していました。小さいけどビビットな赤が目を引きます。モミジルコウという名前。たしかに葉っぱはモミジのようです。金魚の池。夏に何度か替えたのに、水は緑に濁って20センチもあるコメットや流金が滲んで見えます。もっと気温が下がれば、透明になるのだけど。9月3日に今年はじめて咲いた秀明菊。調べてみたらジャパニーズ・アネモネとも言うそうで、菊ではなくキンポウゲ科の植物らしい。とても上品な白です。そしてブルーベリー。たくさん実をつけていました。自分で摘んできて、いま我が家の冷蔵庫の中にいます。生で食べるのにも飽きたから、残りはお砂糖をかけてレンジでチンして簡単ジャムにしていただきます。新幹線の新花巻駅前には、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』をモチーフにしたこんな壁があります。近づくと確か曲が流れるはず・・・と、行ってみたらこんな張り紙が。故障のためですか。節電のためかと思った(笑)岩手は、花巻は、変わらず穏やかな空気が流れています。三陸では悲惨な景色が広がっているのに。福島でも日常をひっくり返されて人たちがたくさんいるのに。和歌山でも、奈良でも、思いがけない災害が人々を苦しめているのに。日本中が全部ひっくり返ったのではないのです。まだまだ懐は深いのです。みんなで分け合っていけば、乗り越えられると信じています。
2011年09月10日
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高校野球、日大三高が優勝しましたね。野球が終わると夏もおしまい・・・そんな季節感があります。やっと阪神もホームに帰れる。ことしは横浜球場へ2度、阪神×横浜戦を見に行きました。(オットがファンなもので・・・)夕方からのゲームでも、青空の下は気持ちが良い。3塁側は黄色一色。座ったらまずビールです。関西弁のやじをつまみにグイッ・・・プハーッ!新井君のしゃっきりしたお尻が素敵。マートンはテレビで見るよりがっちりしているし、ブラゼルは反対にすっきりしています。そんなこんなで日がくれて・・・確かこの日は能見君で負けちゃったんだわ。椅子は固いし狭いし、おじさん・おにいさんの汗や唾が飛んでくるし。帰りの道は混んでるし。横浜球場は阪神名物の風船飛ばしをさせてくれないし。それでも楽しい屋外の野球観戦。こんなのも買い込んで楽しみます。いろんな選手が生まれては消えて・・・みんなわたし達と一緒に歳をとっていくのですね。新しい力を応援しつつ、明るいスポーツ観戦ができる幸せに感謝しつつ・・・。ビール、もう一杯!
2011年08月20日
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今朝の朝日新聞に、こんな記事が載っていました。復興へ出資いかが? 大槌の水産業者 一口一万円、お礼も3月11日の東日本大震災で、これまで一生懸命築いてきたものが全て無くなりました。地域の水産加工業は全滅しました。幸い人は残りました。やる気はあります。ノウハウもあります。でも、資金がありません。応援してくれる人たちがいます。いち早く立ち上がって、狼煙を上げて地域のみんなを引っ張っていきたいと思います。皆さまのご支援を宜しくお願い致します。詳しい内容はこちらのサイトをご覧ください。http://www.otsuchi.jp/index.html私ももちろん出資します。たった一口ですけど。どこに流れていくのか分からない大規模募金は、手ごたえがなくて寂しいと思っていました。でも、これなら、一緒に復興を感じていける様な気がします。これからもずっと応援していけそうな気もします。なにより、三陸の海の幸は本当に美味しいし♪最近被災者支援サイトのひとつ『アゲマス』で、被災された方に家で眠っていた品物を直接送ることができました。登録したり、メールのチェックをしたりと少々わずらわしいけど、被災された方をささやかながらお手伝いできている実感が得られ、うれしいです。こちらのサイトもご覧ください。http://agemasu.jp/-/n/もうひとつ。ホームレス支援の『ビッグイッシュー』私はときどき通る溝口の駅前で、いつものおじさんから買います。定価300円の薄い雑誌ですが、中身はなかなか濃い。毎回世界の有名人のインタビュー記事が載っていて、先週買ったのはユアン・マクレガーだし、その前のはクリント・イーストウッドでした。売り上げ300円のうち、160円が売っている本人の生活資金になるのだそうです。必ず買うわけではありませんが、私が幸せだなって思えた日は、そのおすそ分けのつもりでおじさんに声をかけます。
2011年08月16日
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何とタイトルをつけたら良いのやら・・・。毎日こんなでは、気力が持ちません。意地でも日中のエアコンはつけないことにしているので(当然夜も・・)極力外出をして人様の電力を使わせていただいています。例えばジム、デパート、映画館、美容院・・・このごろでは義父の付き添いの病院通いも涼しくて良いかなって思えてきています。ことしの節電対策の目玉はどちら様もこれでしょう・・・・西側のムスメの部屋の窓はこれでカバーしていますが、東はこれ・・・あまり役立っているとは思えないけど、心が和みます。同じ鉢にこの紫と、白の西洋朝顔と、小ぶりの赤の朝顔を植えましたがこれしか咲きません。土のなかで勢力争いがあったのかしら。西洋朝顔はツルが枯れてきています(汗)日中は太陽光発電をしておいて、夜になるとほんのり灯る明かり・・・玄関の明かりを点けずにこれを常夜灯代わりにしています。1個では暗かったけど2個にしたら風情があって、好評です。これも節電です。季節の味、鮎が到来しました。熊野古道の語り部さんが、熊野の恵みを届けてくれます。ヨッシーさんが自分で釣っていらっしゃるので、天然です。川魚は苦手の方でもこれは別物。苦味もなにもかも、ほかでは味わえない富田川の絶品です。今日はこれから義父の様子を見てから、近所の梨園でヨッシーさんあての梨の配送を頼んできます。暑いけど、動かなくちゃ。
2011年08月11日
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休んでしまいました。忙しかったけど、ブログを更新するくらいの時間はあったはず。怠け癖と、ちょっぴりの節電を意識して・・・ですね。でも、実際わたしがPCを開けるのは朝早くの時間帯が多いので、電力に余裕のある時間。使っても問題ないね?なにをしていたかと言えば、プチ断捨離と、ヘルパーのまねごとです。ムスメが家を出てしまったのを機会に物の整理を始めました。これからも着ないであろう洋服がダンボールで3箱もでてきたので、新品はマルイの被災地へ送るリサイクルへもって行き、あとは着てくれる人を探して押し付けたり、小さく切って雑巾にしたり、潔くゴミにしたり。結構エネルギーが要りました。のこり1箱!藍染の剣道着、誰か欲しくない?ヘルパーのほうは、義父の入退院が3月の半ばから3度あって、そのたびに付き添いやら送り迎えやら・・・。要請を受ければ出来るだけのことはしようという姿勢で待機してます。自分の親じゃない分、かなり冷静でいます。過去には怖くてとっつきにくい義父でしたが、いまは二人でいる時間に笑ったり宥めたり、たくさん会話しています。毎週末に出かけていた玉川高島屋の地下食料品売り場めぐり、3月後半からは少しルートが変わりました。東急系の玉川ライズがオープンして、その地下に東急フードショーが出来たので、いまはその両店舗を見て回るようになりました。おかげで時間も歩数も倍かかりますが、楽しい♪きのうは高島屋の西館地下で玉川マルシェというつきに1度の朝市のようなものが開催されていました。新鮮で美味しい野菜や果物やその加工品を生産者の方が販売なさっていました。たくさん購入しました。その一部がこれ、アーティチョークと桃(3個で500円!)ライズのスイーツ売り場には撮影が入っていました。どれどれと眺めてみたら、佐々木希ちゃんとほしのあきちゃんを認識できました。さすがに二人ともかわいい。10メートル離れていても、周囲の人との顔パーツの違いが際立っているのがわかります。ほかにもかわいいと思われる女の子もいたようですが、名前も知らないし輝き度合いが違う。帰りにもう一度同じ場所を通ったら、矢部っちが空色のジャケットを着て司会をしてました。あ、ぐるナイだ。〈ごちになります〉が大好きなオットはそう言ってました。放送が楽しみ♪6月2日から、京都に2泊で行ってきました。そのときのお話を明日からまじめにアップします。
2011年06月12日
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北上山地から東に、岩手県北部の山々を切り込んで流れる閉伊川は、2級河川ながら本流であり、その川沿いに盛岡から宮古市にと走るJR山田線と国道106号線を併走させている。河口は宮古湾に注ぎ込み、小学校低学年だった私には相当に広い川幅を持って見えていた。川向こうの市中心部に行くには、宮古大橋を渡っていくのが普通だが、橋まで行く距離をカットできる渡し舟があった。魚加工工場を通り過ぎ、造船所のすぐ前に乗り場があった。船着場に特に看板があるわけではない。手漕ぎの木の葉のような船が一艘、河口を行き来しているのが見える、その先にもやい綱を垂らした杭と、申し訳程度の梯子が垂れている、そこが乗降場所なのだ。それはもう演歌の世界の渡し舟のようだった。ゆらゆらゆれる不安定な船に船頭さんの手を借りて乗り、舟の構造にもなっている横木や船べりに腰掛けて、客が5~6人ほどになるのを待つ。ころあいを見て舟は対岸に向けて漕ぎ出す。小柄ながら巧みな船頭さんが長い魯と櫂を操ってものの数分で対岸に到着し、バス料金ほどの金額を渡して岸に上がる・・・昔むかしからこういう仕組みだったのだろう。救命ベストなど、有ったようには思えない。雨が降っていたら乗客は傘を持ったまま船に乗るのだ。小さな子にはちょっとしたアトラクションのような渡し舟で、私はこれがとても好きだった。しかし渡し舟は、宮古湾から延びてきた防波堤の建設によって姿を消した。閉伊川は、大人の背よりもずっと高いコンクリートの壁の向こうを流れるようになった。宮古市中心部に行くには宮古大橋を渡るしか、なくなった。震災の直後、宮古湾から閉伊川を逆流してくる黒い塊のような津波が、あの堤防を越えようとしているのが映し出されていた。堤防は、今回無力だったのだろうか。橋は水色のペンキで塗られ、いつも川の上を通る風に吹かれていた。橋を渡った向こうに耳鼻科医院があって、そこには家の近くの国道45号線にあるバス停からバスに乗って通った。私は鼻が悪かったらしい。私が小さいころ、鼻が悪くて耳鼻科に通う子供は多かったと思う。病院に行くと鼻の中を洗浄し吸引をして帰る・・・いつどうなれば治るのかわからなかったが、母の言いつけでとにかくバス代と毎回の診察代を手にして、週に2回ほど通った時期があった。どこで治ったんだろう。別にしょっちゅう鼻水を垂らしている子ではなかったのに、なぜ通う羽目になったのか今でも分からない。ちなみに臭覚は普通以上だとよく言われる。アレルギー性鼻炎のようなものではなかったかと思う。時々その病院の帰りに母と待ち合わせ、母が通う編み物教室の先生のお母さんが開いている『おでん屋さん』に寄るのが楽しみだった。トタンで包んだだけの小屋のような店だったが、気軽に入って竹串に挿したこんにゃくやちくわに甘い味噌を付けたものをおやつ代わりに食べた。橋のすぐ袂にあったはずだ・・・とは言っても、もう40年以上前のことだからあの小屋はとっくに無くなっているとは思うが。
2011年04月22日
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こんな時期、お花見なんて自粛??って考えもあるようですが、破壊するのも自然なら、恵みをもたらすのも自然なわけで・・・どちらも享受いたしましょう。そういう不条理と人のあり方を感じながら先週の日曜日は散歩に出かけました。義父が体調を崩し、というか誤嚥性肺炎で入院したり、ムスメが就職して勤務地が静岡になっちゃって引っ越したり、実はとてもあわただしい毎日だったのですが、桜は観ておかなければなりません。まずは街の有志が作っている花壇で和みます。しばらく行くと斑入りの椿。 こんなにきれいに咲いているのは珍しい。よく見かけるのは、花びらの端が茶色くなっていたりするのに。それから白い壁を背に立つ菜の花。キャンパスに描きかけの絵のようでした。いよいよ私たちの大好きなポイント・・・ちょっと小高くなった場所から桜を見下ろせ、遠景に二子玉川が見えるところに到着。大きなクヌギの木からは、こんな花が垂れていました。無骨な樹にも春は訪れる・・・そして世田谷方面をバックにした桜。もっともっときれいにゴージャスに写せればいいのだけど・・・。足元の階段にも薄桃色の模様が。二ヶ領用水久地円筒分水にかかる桜は、このあたりではちょっと有名で、分水の前にあるベンチには沢山の人が来ていて、それぞれにのんびり桜を愛でていました。このあたり(現在の川崎市北部)は徳川家康の時代に人工用水を作ると共に新田開発をしてきたそうです。そのとき作られた二ヶ領用水には分量桶もあったのですがまだまだ不完全なもので、農業用水をめぐって争いが起きることもしばしば。近代になって円筒の分水装置も造られたそうですが、それはもっと水量のある上流でのこと。現在ここにあるのは昭和16年に作られたもので、かなり画期的な装置なのだそうです。川崎市北部の小学生はみんな学習しています。この近くの水路の一つが多摩川に注ぎ込んでいます。その道沿いも私たちのお花見ポイントです。電線に架からないように行儀良く刈り込まれている様子が気の毒なような・・・。桜も大好きだけど、私はこのミツバツツジも好き。背が高いすっきりした立ち姿に、風通しよく赤紫の花が咲いて。もてはやされないけど独自の路線を行く思い切りの良さが、好き。最後にもう一度満開の春・・・おいしそうな時期は過ぎちゃった菜の花です。東北の春ももうじきです。寒い冬から開放されて水仙もチューリップも梅も桃も連翹も万作も雪柳も、林檎も、もちろん桜もみんないっぺんに咲いて、それはそれはきれいです。ゴールデンウィーク、岩手は花盛りになるはずです。今年は、行こう!
2011年04月14日
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幼いころの大槌町の記憶は鮮明だ。YahooMapで地図を検索すると、町役場のすぐ近くに大槌保育園があり、私には5本の道が集まっている場所に見えたところが、じつは6本の道に枝分かれしているところがある。これはもう、ないのだ。営林署はもうずっと前から、ない。署員とその家族で忘年会のようなものをした、あの会議室もない。冬の晴れた日、障子とガラス窓の間の狭い空間に体を押し込めて、浜田ひろすけの絵本を読んだあの家も、もうなかったのだろう。〈母さんヤギの目の中に、こどものヤギが映ります〉〈とっとことっとこ三回り目子豚は疲れてしまいました〉何度も何度も読んだあのフレーズが、三陸の冬の日差しの暖かさと共に蘇ることはない。町は変わっていくものだけど、抗いがたい自然の暴力に一瞬にして奪われてしまうのは、受け止めるのがつらい。小学校に入学してすぐに、宮古市藤原に引っ越した。当時宮古市は、たいそう活気があったように思う。引越しのその日、まだよちよち歩きだった妹が、家の近くの砂浜を見て喜んで海に駆け込んでしまった瞬間があった。一番近くにいた私はとっさに駆け寄って半身海水にまみれながら妹を岸へ引きずり戻した。ずぶぬれの私は、引越しで忙しい親に洋服をぬらしたことを叱られるのではないかと心配したが、叱られた記憶はない。でも、ほめられた記憶もない。新しい官舎から海はとても近かった。波の高い日は音が聞こえるほどだ。家の前の道を隔てて家並みが一列あり、その裏側がニセアカシヤや松林になっていて、もう砂浜なのだ。引っ越してしばらくすると、海岸には防波堤が出来、防波堤の上が散歩道になっていた。海岸にはすぐに降りられるが、防波堤の影響で波が荒くいつも怒っているようだった。チリ地震津波・・・大人の会話の仲に何度も出てきた言葉なのだが、小さい私には何のことなのかちっともイメージできなかった。私に始めてエレキギターを見せてくれた中学生のお兄ちゃんには、実はお姉さんがいたのだが津波にさらわれてしまったという。〈津波にさらわれる〉ということがイメージできなかった。宮古には、津波の傷跡がたくさん残っていたのだろう。それすらまた塗り替えてしまうほどの災害・・・誰もイメージできなかったのではないだろうか。小学校には、はじめ5歳離れた姉と一緒に通った。道のりの中には国道45号線を横切る箇所があった。国道は上下線に分かれ歩道があって、私には横断歩道が長く感じられた。あたりには個人商店が点在していた。家から一番近いのは〈おせんさん〉とみんながよぶ、よろずやだ。お豆腐を買うときにはお鍋を持っていき、それにいれてもらう。野菜は当然新聞紙にくるんで渡される。日曜日の朝は家族5人分5本の牛乳と食パンを買いにいく。ガラスケースのなかには秤売りのお菓子があって、白い紙の袋に入れてくれた。ごちゃごちゃと置かれた商品のなかには文具もあった。国道沿いには同級生の古舘さんの家が魚屋を開いていた。大槌に住んでいたとき、魚屋などみたことがなかった。たぶん行商が来ていたのだろう。魚屋は新鮮だった。たくさんの種類の魚とあの磯の強い香り、大量の水。魚屋にはなりたくないと思った。豆腐屋もあったし、モヤシ工場もあった。普通の民家の玄関の上がり框に数種類の雑誌を並べただけの店もあった。宮古市藤原は住宅地だったので商店は数えるほどしかなかった。買い物は閉伊川を渡った向こうの市役所のある地区にいくのが普通だった。
2011年04月09日
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父は、いまはない営林署の署員だった。そのため、何度か転勤があり、三陸海岸の大槌町と宮古市に通算8年住んだことがある。大槌町に住んだのは4歳から6歳までの2年間。私はそのこじんまりとした漁村を絵本の中の世界のようによく覚えている。小さな官舎に家族5人で住んでいた。家は道路から石段を5、6段上がったところに建っていた。玄関の脇、私たち姉妹の寝室のすぐ外に井戸があって、水色に塗られた湯船くらいのプールに冷たく澄んだ水が、いつもゆらゆらと揺れていた。夏になるとこの井戸に、近所の人が野菜やスイカを浮かべていた。うちの敷地の中の井戸なのに近所の家の冷蔵庫代わりにもなっていた。おばさんたちの話し声で目覚める日もよくあった。みんな知り合いのような気分で、核家族で転勤族の私はうれしかった。町の保育園に1年と少し通った。同じ転勤族の家の子と一緒に母に見守られながら歩いて通った。町の中心近くに5本の道が集まってくる場所があった。四つ角という言葉を覚えたての私は、幼心に考えて、これを『ごつかど』と呼んだ。いまでもあれを何と呼べばいいのか、わからない。保育園にはあまり楽しい思い出がない。木造の、色彩の少ない園舎だった。昭和30年代後半のあのころは、どこもそうだったような気もする。うるさく話しかけてくる子に返事をしただけなのに、先生の話をちゃんと聞いていなかったと叱られたり、それが誰で何なのか分からないままクリスマス会の劇でマリア様をさせられ、キューピー人形のイエス様を白い布にくるんで神妙に舞台に立たされたり(保育園児が母親になんてなりたくなかったのに)、埃っぽい園庭で園長のつまらない芸を見させられたり・・・ちょっと考えすぎのひねた子だった。家のすぐ裏には堤防があった。その向こうには海があったのだと思うが、記憶にない。私の背丈では見えなかったのかもしれないし、堤防の外は子供だけでは行ってはいけない場所だったのだろう。堤防の内側はなだらかな傾斜になっていて、コンクリートの2メートル四方の枠が付いていた。その一個一個を部屋に見立ててチョークで家具を書き入れていくのが、大好きな遊びの一つだった。何個も何個も部屋を足していって・・・。一緒に遊んでいる友達の傾斜のついた部屋を訪問したり、たずねてくる友達に、私の傾いだ豪邸のなかを案内したり。イマジネーションを書き込んだ堤防の斜面が、いまでも目の中に残っている。夏、盆踊りに行くのに、蒲の穂の中の細い道を通っていったことがある。夕闇のなか、ウシガエル(食用蛙)の太い声があたりに充満し、濃い闇が重量を増しているようで気味が悪かった。湾に注ぐ小川に遊びに行くこともあった。今の子供たちと違って昔の子供の行動半径は広かった。そのなかでも私が一番小さかったのかもしれない。小学生の中学年くらいの子供が、しっかり大人びて見えていた。小川の水深はせいぜい十数センチで流れも穏やか。落ちても服が濡れるくらいの、罪のない流れだったように思う。その流れにかかる小さな橋を渡って向こう岸に行くだけなのだが、私には大冒険だった。木切れでできた橋を歩いてわたることが出来ず、思わず四つんばいになっていた。すると水はもっと目に近づくのだ。日差しを浴びてきらめく水面をいまも覚えている。昭和37年、大槌小学校に入学した。大きなランドセルを背負った私が、着物を着た母と、私の靴袋を手にした妹と、撮影の邪魔にならないようにカメラレンズの前から逃げようとする姉と一緒に、玄関前で眩しい日差しに目を細めている写真がある。桜が満開の校庭での集合写真もある。岩手でも、三陸は海流の関係で厳しい寒さにはならないのだ。なのに今年は・・・・。あのころテレビで見ていたのは『ひょっこりひょうたん島』だったろうか。そのモデルとなる島が大槌湾にあったとは知らずに。保育園があった場所は町役場の近くだ。私が住んでいた場所はそれよりももっと海に近い。もう、なにもないのだろう。あの井戸も。あの蒲の茂る沼地も。ずいぶん前から、私の記憶とは違っていたのだろうが、ほんとうに何もなくなってしまったのだろう。
2011年04月05日
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あの日、3日後に出発するのフランス旅行のために、港北区にある美容院へ車で行きました。帰りに区のスポーツセンターへ行って4月以降のテニスコートの申し込み手続きをして、近所のスーパーマーケットへ。買い物籠をもってイチゴと白菜を入れたところで地震が来ました。店内の灯りが瞬き、奥のほうの棚から商品が落ちる音がして〈これはただ事ではない〉と思い、籠を邪魔にならないところに置いてゆっくり出口へ向かいました。ほかの買い物客もそろそろと外に出てきました。揺れが収まるまで駐車場の広いところに居たのですが、店の灯りは消え、店員さんたちも右往左往していました。携帯のモバイルでテレビを見てみるととんでもない地震が東北で起きたとのこと、周囲に居た人にも告げて、携帯のバッテリーがなくなっては困るので通信は切りました。とりあえず車を義父母の家のガレージに戻し、義父母の様子を見にいくと二人とも庭にでていました。そこでまたしばらく地震の様子を伺い、そろそろ寒くなってきたので家の中に入りました。家の中には特に被害はありませんでした。私の家はどうなっているのか気になるのでそこから徒歩5分のマンションの6階の部屋にもどりました。ムスメの部屋は、棚に乗っていた本や小物が床に散乱していましたが、壊れたものはなさそうです。ムスコの部屋も、ひどい散らかり様・・・と思ったら朝のままのただの散らかりで、思わず笑ってしまいました。ほかの部屋は、特に変わった様子もなく・・・いやいや、食器戸棚の様子が変。ガラス扉の中にしまってあるグラス類が皆扉にくっついているではありませんか。地震の揺れで奥から手前へと移動したようです。戻そうと思って恐る恐る扉を引いたら、案の定グラス類が手前に倒れてくるではありませんか。息を呑んで慎重に開けたつもりだったのに、ワイングラスが1個落ちて粉々になってしました。片付けなくては危ない・・・が、電気が来ていません。掃除機が使えない。このまま暗くなったらもっと危険なので、あたりを雑巾がけして始末しました。さて、これからが本当に大変。オットはこの日九州から帰るので、丁度福岡空港に着いたころだろうし、ムスコは用事があって東陽町あたりにいる。ムスメは幸い日本には居ませんでした。私達夫婦と一緒にフランス旅行をするので、一足先に渡仏し友人たちと会っているはず。日本に居る二人に居所確認のメールを打ち、停電の夜に備えて懐中電灯や蝋燭の準備をしました。トイレに行くと・・・水が流れない!マンションの水道は電力がないと機能しないのでした。義父母の様子も気がかりだったし、あちらの家は戸建てなので水の心配はないので、私は家族が帰ってくるまでは義父母と一緒に居ようと決めました。義父はアルツハイマー症が中程度に進んでいて、周りの状況をうまく理解できないし対応するにも時間がかかります。暗い中では義母も大変だろう・・・と、思ったのもありますが、私自身が一人でいるのは怖かったのです。義母が用意した蝋燭は仏壇のもの・・・あれでは危険です。うちから直径10センチのアロマキャンドルと、防災グッズの中のこれまた太い蝋燭を持っていきました。それに、LED懐中電灯(エディーバウアーで貰ったものです)と、手動発電の電灯と携帯充電が出来るラジオ(本当にこれを使う日が来るとは思わなかった)。まだ陽があるうちに義父母には食事を済ませてもらい、あとは蝋燭の火を頼りに余震の続く中オットとムスコとの連絡を待ちました。オットは福岡空港で羽田行きの飛行機に乗るべくとにかく待機。(無理に帰ってきても列車が動かないから、そのまま福岡泊にしたら?と言ったのですが、ホテルはどこも満室だというのです)少したってからムスコから返信があり、徒歩で東陽町から水天宮前まで来て、半蔵門線が動くのを地下鉄の車両の中で待っているというのです。地下!怖い。電車はこの日、復旧しないでしょう。だから地上に出て周りの情報を集めるように指示しました。ムスコはことの深刻さに驚き、「ネットカフェに泊まろうかなぁ」「タクシー使ってもいい?」と言うのですが、ネットカフェなるものが入っている建物の安全性が分からない。タクシーがつかまるわけがない。「とにかく情報集めて、腹ごしらえして飲み物を手にしてうちへ向かって歩き出しなさい」と過酷な指令を出しました。そういえば私、何も食べていない・・・義母が心配するので冷凍庫にあったご飯をお湯で煮て即席お粥をつくり食べました。ラジオの速報に気が遠くなりそうな言葉『壊滅』が聞こえてくるし、オットもムスコもどこかを歩いている。こんな状況ではこれ以上食べたら気持ちが悪くなりそうでした。そろそろ私の携帯のバッテリーがなくなりそう。このあたりから、5分手動発電をしては1メールを送るという暗い作業が始まりました。オットからはやっと飛行機が飛ぶとメールがあり、羽田までのルートは出来たようでした。暗いから起きていても仕方ないので義父母には休んでもらいました。勿論普通に休めるはずはなく、強い余震に備えてお風呂もパジャマに着替えるのは諦めてもらいました。そして2時間後、オットから再びメール「羽田から環八まで出てきたけど寒くて疲れて、挫けそうだ・・・。」そうだよね。若くないもん。ラジオで都内のあちこちの公共施設が帰宅困難者のために休憩所として解放されたと言っていたのでそのことをオットに知らせました。ラジオでは、私鉄が徐々に動き出している様子です。そして11時過ぎ、やっと東急全線開通のニュースが入りました。急いで二人にメールしました。オットは蒲田にあるどこかの学校の休憩所ですでにそのことを知らされていて、東急目蒲線に乗ることが出来ました。そして11時45分。「最寄の駅に着いたよ」と、オットとムスコからほとんど同時に連絡が入りました。ムスコは最後の2駅だけ、やっと乗れたそう。27キロ7時間踏破です。地震が起きてから8時間、私は二人が心配で心配で・・・。メールと同じくして停電も終わり、部屋がピカピカ明るくなりました。蝋燭を片付け、義母に「二人が帰ってくるので家にもどります」と告げて家路に着きました。信号がちゃんと赤くなったり青くなったり・・・あぁ、日常に戻れる、とほっとしました。私はほんの8時間だったけど、こんな非常時がまだ続いている方たちが大勢いらっしゃる。ここに書いたことはあの地震の日の、とても恵まれたパターンなのだと思っています。計画停電で何度も不自由はしているし、近所のスーパーの棚は閑散としています。行っても楽しめるはずはないのでフランス旅行はキャンセルしました。いろんな費用がかかってしまいました。だけど、もっともっと、比較にならないほどの苦労をなさっている方たちがいらっしゃる。ずーっとこれからもこのことを心の中に閉まっておかなくては。
2011年03月28日
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花粉ですよね~。私自身はまだ花粉症ではないと思いたいのですが、ここ2週間、すっきりしない鼻と喉と頭・・・。やっぱりそうかしら?2~3日前まで、首都圏は乾燥がひどくて家のなかも湿度30%を切る勢いでした。そこで遂に加湿器を導入しようかと、家電店に行きました。当初は丸くてかわいいアロマ加湿器を・・・と思っていたのですが、花粉飛散時期でもあるし、空気清浄機も必要かも・・・と、ぐらぐらの気持ちのままでかけました。そして購入したのがこれです。予定より大きいしかわいくないし、匂いもないダイキンの製品。でも、花粉を分解消去してくれるのはこの機種だけだというし、必要以上に加湿しないようにセンサーがあるし。5000円の予定が30000円になったのは痛かったけど、おかげで喉のヒリヒリ感はなくなりました。あとは花粉症の家族が、家のなかでは快適に過ごしてくれることを祈ります。そしてこの冬導入された、家のなかの遊び♪『ドミニオン』という、ドイツで開発されたカードゲームです。お金で買ったいろんな種類の都市の構成員や施設を駆使して、領地を増やしていくというゲーム。家族4人の気が合ったとき(主に夕食後)一戦を交えます。わたしが最弱・・・。戦略的な頭も投機的な読みも出来ない。このゲームを始める前までは『チケット トゥ ライド』っていう、マップ上の線路を買い占めていくゲームに嵌っていたんだけど。そしてこちらのほうがわたしは得意だったんだけど。仕方なく今は最下位に甘んじているけど、そのうちきっと勝ってやる!!
2011年02月13日
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初詣をしてから幾日も経たないような気もするのに、2月ですか・・・。長らく更新できずにいました。パソコンの画面が突然滲むようになって、ムスコにきいて原因もなんとなくわかったけど、とにかく入院治療が必要だということでVAIOサービスにお預けしました。入院先で検査をしたところほかにも悪いところが見つかって、結局初期化することになりました。バックアップは取っておいたつもりだったので・・。そして昨日やっと退院してきて、セットアップしてもらって、さっそくバックアップしておいた内容をインストールしようとしたら、なんと! どのホルダーも空ではないですか!どうやらインストールミスらしい・・(涙)ほろ酔い加減のオットに任せた私が悪かった・・・。写真だけは無事だったのは、なぜでしょう。私の書き溜めていたいろんなものがなくなってしまいました。気力が失せます。しかも風邪を引いて熱があるし。本当なら昨日から、お預かりしている詩の会の原稿を打ち込んで編集作業に入らなければならなかったのに。すっかりめげてます。
2011年02月01日
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西伊豆に行ったときに寄った産直のお店には、新鮮な野菜がいっぱいでした。それに珍しいものも。その中の一つがこのナントカ大根(わすれちゃったけど聖護院ではありませんでした)とにかく大きい!売り場で「かぶら蒸しにできそう」って話していたら、実際に作った方が「千枚漬けにすると美味しいよ」というので、4分の1をそのようにいたしました。本当に美味しかった!京都のお土産でいただいたりするけど、新鮮な浅漬けの千枚漬けは絶品でした。あとの4分の1はおでんに入れてみました。柔らかくてよく味も浸みて、これもよかった。次の4分の1はシンプルにベーコンと一緒にコンソメで煮てスープにしました。そして残りの4分の1こそかぶら蒸しに・・・できるかなぁ(笑)
2011年01月18日
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しがないサラリーマンのオットと専業主婦の私、それに経済力のないムスメとムスコ。もし、誰かが大病を患ったら私ののんきな生活が壊れてしまう・・・それは解っていましたが、PET検査は高額なのでぜんぜん考えていませんでした。が、オットは何を思ってか受けたいと。夫唱婦随が我が家のモットーなので(婦唱夫随かも?!)先日受けてまいりました。PET検査って、ポジトロン・エミッション・トモグラフィーの略称で、「陽電子放射断層撮影」を意味する最先端の画像診断法なのだそうです。まずブドウ糖に良く似た薬剤(FDG)を体内に注射します。この薬剤はがん細胞に集まる特性があり、これをPETカメラで画像化することで、がんの有無を調べます。また薬剤の集積具合を診ることで、腫瘍の良性・悪性の判定ができるほか、リンパ節転移の発見、再発の有無の確認も可能です。そのため、臓器の形から腫瘍の有無を診断する従来の検査法とは異なり、細胞の代謝・機能を調べることで、早期がんの発見に絶大な威力を発揮します。ですので、先月の〈拷問胃カメラ〉のようなことはなく、薬が全身に回るまでの安静時間に転寝などして待てる、体に優しい検査でした。PETの画像診断の結果は20分後に専門医のかたから報告を受けられました。(同時に行った血液検査の結果は2~3週間かかるそうです)オットも私も何も異常なしで、ますます元気で食事が美味しい(笑)新横浜で検査が終わったのが3時過ぎだったので、ムスメを呼び出し3人で中華街へ祝杯を挙げに行きました。特に目指すお店はないので、とりあえず私の買い物・・・中国茶。いつもの泰和商事で雲南七子餅茶と烏龍高山茶を購入。お正月セールでお買い得パックがありました。気さくに丁寧にお茶のことを教えてくださるお店です。代金引換で電話注文もできるので、銘柄さえ覚えておけば店まで行かなくても買えます。それから太極拳パンツを買おうかと探したんですが、衣料品関係のお店では観光土産のような中国服ばかりで思うようなものがなく・・・そのうえ寒い!とにかく寒い避難するように四五六菜館新館へ駆け込みました。まだ夕食には早い時間だけど、私達は朝から食事抜きだったのでとにかく食べたい!アラカルトで食べたいものを片っ端から注文しました。チャーシューとネギの和え物・車エビのマヨネーズソース和え・スペアリブのニンニク風味揚げ・蟹ミソ入り焼売・ビーフン・パリッと炒飯・酸辛湯・・・よく食べた!それからビールと10年物の紹興酒1本。少し濃いめのお味だけど、日本人皆に好かれる美味しさでした。石の器で出てきたのは炒飯の上におこげを載せて餡をかけたパリッと炒飯。熱々です。心も体もあったまったところで外に出ると目の前は関帝廟、ぴっかぴかに光ってました。
2011年01月12日
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1月5日。おととしの日本橋、昨年の谷中と続き、今年は亀戸七福神へいきました。ジャーン!これが足と御朱印代で完成した色紙です。どうして亀戸なのかというと、ほかのコースに比べて、歩く距離が短かったからです。元気そうにしていても私の足は足底腱膜炎と捻挫が治りきらず、まだ長い距離を歩くには辛いものがあります。めったに乗ることのない総武線のJR亀戸駅から出発です。駅前から明治通りを北上し蔵前橋通りで東に曲がります。そこで見つけたのが割烹桝本。店の前のしつらえのメインはみずみずしい亀戸大根でした。快晴の下町にぴったりの清々しさです。まだ準備中です。お昼はここにしようと心に決めて歩き出しました。まず、寿老人のいらっしゃる定光寺。近くに荒川・旧中川・北十軒川・横十軒川など、いくつもの川が流れているせいか、空が広く感じられます。どこかの町の老人会の一団も、ここから七福神巡りを始める様子です。最初の記念写真をパチリ。スポーツの神様がいらっしゃる香取神社は他の寺社に比べると大きくて賑やかでした。そしてここには大黒様と恵比寿様が一緒に祭られているお社があります。なんとお参りも一度で済んでしまいます。このあたりは道も狭く、いかにも下町という風情。手ぬぐい染めの家や、刺繍の家など、家内制手工業がまだ残っていました。小さな町工場の軒先につなぎの作業着が数枚干されていたり・・・産業がある街。匂いや音のある街なんだなぁ・・・。これは(たぶん)福禄寿の祭られている天祖神社のまえです。創建は推古天皇の御世に遡るそうですが、興亡を経て今に至る、歴史ある神社です。福禄寿の社をたくさんの子供の像がかわいらしい表情で取り囲んでいました。緑も多くて、気持ちのいい散歩です。露地のあいだから間近にスカイツリーも見えます。もうこんなにできたのね。そして最後は龍眼寺の布袋様です。お寺もその周りも新しく、布袋様もつやつやしてました。庭にはボケの花も咲いていて、川向こうにはスカイツリー・・・今年来てちょうど良かったかもしれない。七福神巡りは1時間ちょっとで終わってしまいましたが、亀戸に来たら天神様にもご挨拶をしておきたい・・・と、寄り道です。亀戸天神社の梅はもう咲いていました。お天気はいいけど気温は低いのに。心字池にかかる 三つの赤い橋は 一つ目が過去で 二つ目が現在 (飛梅)と、さだまさしさんの名曲を思い出してしまいました。確かに、大きな社の前には池があります。そして赤い太鼓橋が二つ。太鼓橋と太鼓橋のあいだにもう一つ普通の橋も。ここでウィキペディア参照です。『男橋は、大鳥居を過ぎると最初にある橋。太宰府天満宮を模して造られた。池と橋を人の一生に見立てた「三世一念の理」にもとづき、この橋は過去を表わす。女橋は、本殿の手前にある橋。この橋は希望の未来を表す。本社の太鼓橋は歌川広重によって描かれ、『名所江戸百景』シリーズの「亀戸天神境内」として発行された。』とあります。真ん中の普通の橋が現在ということでしょうか。現在は・・・伸びゆくスカイツリーがこんなに近い。まだ5日なので初詣の方も大勢いました。桝本へ向かって戻ります。但元いり豆店っていうのが蔵前橋通りと明治通りの交差点の一角にあって、店なのに半分外?間口はとても広いのに、奥行きは無く、昔ながらのガラスのショーケースの中にひたすらいり豆が並んでいました。そして、店の高い棚の上に鳩が何羽も停まっているではありませんか・・・時折店の人が新聞紙をばたばたさせると、申し訳程度に鳩も羽ばたきますが、飛び去る様子は見えず・・・(笑)桝本は営業中になってました!というか、12時5分前で私達が最後の席をGETできたんです。一足遅れてやってきたサラリーマン風の方たちは待たされることに・・・。2階席は団体で予約済みだそうです。ここでいただくのはあさり鍋です。味噌仕立てのあさり鍋の中身を、一緒に運ばれてくる麦菜飯にかけて食べるのです。~ま、上品ねこまんま?副菜も美味しくいただきました。これで今年も元気に大過なく過ごせる・・・はずです(笑)
2011年01月09日
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昨夜はオットの両親宅で恒例の『新年しゃぶしゃぶ大会』でした。上は義父84才から下は甥中学2年生まで総勢10人で2キロのお肉を食べ尽くしてきました。半分以上はうちのムスコと甥とその父親が食べたようです。和やかに賑やかにガチャガチャと・・・。昔はこの行事が嫌いでした。私一人が義父母に対して敬語を使っている状況が。私だけが気を遣って落ち着いて食べていられない状況が。でも、だんだん変わってきました。まずオットに私の気持ちを理解してもらって、子供達に積極的に手伝わせて、そして長く続いているうちに私自身も勝手がわかってきて自由に動いて良いんだと思えるようになって。私だけが、少し意固地になっていたのかもしれません。嫁という立場が嫌いです。疎外感を感じます。でも、親密な大人のお付き合いだと理解すれば、目くじらを立てることなどないのです。基本は良識のある優しい人たちなのですから。・・・もちろん少しずつ癖があって突っ込みどころもありますが、それは私も同じ。そう思える楽しい会でした。26年もかかってしまった(笑)さて、7時です。今日は核家族4人で西伊豆の温泉に行ってきます。道が混んでいませんように。あれこれ欲張って進路を間違えませんように。
2011年01月03日
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2日。初売りです。午前中、ヒマだったので玉川高島屋に行ってしまいました。所によりすごい人混み!紀伊国屋書店で本を買って 字が小さい・・・読みきれるだろうか??今日のお昼ご飯に駅弁を買って 美味しかった♪帰ってきました。・・・なにもこんな日に行く必要はなかったのでは・・・。豊富な映画情報と楽しいおしゃべり満載のひろちゃんさんのブログ・Cinema Collectionに、去年鑑賞した映画の一覧が載っていました。私もそれを真似て去年鑑賞したイベント(映画だけではすごく少ない・汗)を列挙してみようと思います。1月10日・映画「パブリック・エネミーズ」1月20日・映画「アバター」3月24日・映画「NINE」4月15日・歌舞伎「御名残四月大歌舞伎}5月28日・ミュージカル「ドリームガールズ」6月 8日・映画「アリス イン ワンダーランド」7月28日・映画「借りぐらしのアリエッティ」10月10日・映画「ナイト&デイ」11月29日・映画「ハリー・ポッター」12月 9日・ミュージカル「モーツァルト!」・・・少ない。LAにいた頃は英語がわからなくても月に2本以上は観ていたのに。入場料が7.5ドルで車で15分のところにシネコンがあったから、映画を観る事はすごく気軽でした。でも今は1000円のサービスディに行こうとして、行く日を画策している間に上映が終わっていたることもしばしば(泣)家から一番近いシネコンも車で30分。電車だと徒歩を含めると40分。めんどうなのよね、この距離が。なんだかなぁ・・・。「ちょっと待てばTSUTAYAで借りられる」「日本の作品などは大画面テレビで観ればいいや」と思ってしまう、この気持ちが映画産業を低迷させるのですよね。それにしても7本とは!今年はもう少し頑張って映画館に行きたいです。「キックアス」「バーレスク」「YAMATO」「ロビンフッド」みんな観た~い!!
2011年01月02日
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拙いブログですが、今年もご贔屓に(o≧▽゚)o恒例の早朝 明治神宮への初詣にいってきました。今年は去年より30分、おととしより1時間遅く出かけてしまったので、到着したときには結構な人出でした。それでもスイスイ歩けるから、気持ちは良いです。門の前には今年の干支、ウサギの描かれた大きな絵馬が。一番並んだのは手水のところです。水が冷たい!そして正面めがけてお賽銭を投げ、二礼二拍手一礼・・・隣で若者が「二礼、あとなんだっけ?」と討議中。教えてあげたいけど、おせっかいおばさんは疎まれるから黙っていました。新しい破魔矢をいただいて、ムスメはおみくじを引いて、さっさと帰宅です。帰りは北参道のほうから・・・こちらは人も少なく、さっぱりした気分です。家の近くまで来たら、こんなお宅が・・・去年も石文字を書いて楽しませてくれたお宅です。いいなぁ・・・こんな遊び心。
2011年01月01日
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「ふるさと」を聞き終えました。小山薫堂さんの作詞なんだ! 素敵な曲です。これを嵐の皆さんが歌う?!松下奈緒さんが気の毒なくらい、今年は白組です。夕食はこの数年の恒例となった「うどんすき」ならぬ「蕎麦すき」と、各種お刺身にしました。夕食の後、岩手にひとり住む母に電話をかけました。例年にない豪雪の様子・・・岩手は四国4県と同じくらいの面積を持つ広い県ですから、一口に東北と言っても気候は様々です。あ、加山雄三さんが歌っている・・・この曲、小学生の私にはあこがれの景色だったなぁ・・岩手、北上川の西側は確かに豪雪地帯です。が、北上川流域は平地で米どころで、雪もそこそこ。そして太平洋側~リアス式海岸とか~は、冬は空っ風の吹く乾燥した地域です。え?福山雅治さん断髪式?う~ん、あの観客の手の上げ方は・・・宗教?岩手の話でした。で、私の母は花巻市に住んでいます。盛岡から北上川沿いに50キロばかり下ったところに位置する出湯と宮沢賢治と農業の町です。え?小林幸子さんは鶴の恩返し?パサデナのローズパレードを連想してしまった。で、花巻の平地はそれほど雪の被害は受けないのです、平年は。なのに今年は心配・・・庭の金魚たち、大丈夫かなぁ。おぉ、こぶくろの「流星」・・・いつ聞いても泣けます。10月に花巻に帰りました。庭には今年最後の花が咲いていたので、仏壇や家のあちこちに飾るため摘んできました。母はターシャの庭を目指しています(笑)「トイレの神様」・・・小説のような曲。ストレートで説得力がある。実家に帰るとできるだけ寄りたい「だあすこ」というお店があります。農協の隣にあるんだけど、農家のお母さん達が運営している産直のお店です。毎日新鮮な野菜が並びます。得意のお餅なども各種並びます。花巻の伝統なのだと思うんだけど、胡桃餅とか胡麻餅とか豆餅とか、たくさんあります。秋はリンゴの種類が豊富です。千秋というみずみずしい種類が出回るのはほんの数週間だけど、目の覚めるおいしさです。嵐!かっこいいねぇ。旬の人は、輝いて見えます。ムスメは「大野くん♪」と叫んでいます。若いっていいねぇ・・・聞こえなくても叫んでみたくなるのね。そんな岩手から届いたリンゴです。今年もいろいろありました。あと1時間・・・。いきものがかりの「ありがとう」が聞こえます。素直な気持ちで、私の周りの方たちに私も・・・ありがとうございます。
2010年12月31日
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12月は連続ドラマの最終回が押し寄せてきました。この秋から始まった各種ドラマ・・・地味な刑事物、検事物、会計監査物(?)は1回目にして脱落しました。どうして刑事物って身内同士が喧嘩腰で話すのでしょう?縄張り争いだか足のひっぱりあいだか権力誇示だかわかないけど、あれを聞くだけでうんざりです。少しルートを外れた人に対する見下したような言い方。失敗するとすぐ罵倒するし・・・見ていて嫌な気分になります。・・・と言いながら玉木宏君から目が離せなくて最後まで見てしまったギルティ。始めは重大事件なのに薄っぺらなストーリーだと思っていたのに、急になぜか玉木君が菅野美穂ちゃんを好きだとか愛しているとか???保護したい気持ちなのかな、あまりに唐突で笑っちゃいました。そして親切そうなペットのお店の店主・横山めぐみさん。やっぱり裏があったのね。でもあの程度じゃ、横山さんのエグイ感がもったいない。それからSPECも、最後まで見ました。これは警察物というよりSFかな。戸田恵梨香ちゃんのヤバさ加減が良かった。可愛いだけじゃない、幅のある女優さんだわ。加瀬亮君も負けずにぶっ飛んでいました。竜雷太さんの弱腰の係長も、時々見せるマジな表情、役者でした。こういう超人的なお話は収集がつかなくなるし、矛盾もどんどん出てきて・・・続編はどうするんでしょう?Q10は佐藤健君目当てに見始めましたが、これがどっこい心を打つ。毎回青少年の本音の悩みが聞けて、考えさせられて、ほのぼのもじんわりもしました。AKBの前田敦子さんも無機質だけど、妙に存在感あって良かった。白石加代子さんも、薬師丸ひろ子さんも、それぞれにあったかい大人を演じていて・・・そうか。このドラマの中の大人ってスーパーマンじゃないけど、いい人ばかりだったんだ。だから見ていて安心できたんだ・・・子供はそういう大人に見守られて育ってほしいものね。獣医ドリトルと医龍は2,3回見たんだけどリタイア。ストーリーが見えてきて、というか意固地な人が多くて疲れました。フリーター、家を買うは、本を読んだときから面白かったから、主演が二宮和也君でなくても見てました。原作とはちょっと違うけど、現代を写していてつい応援したくなるお話。隣人の嫌がらせは、ぞっとします。現実にもきっとあると思う、こんな場面。医者の家のプライドとか嫁の価値とか・・・あまりに前近代的で目眩がしました。大友康平さん、頑張って仕事してたね。最終回、涙なみだだったのは、流れ星。竹之内豊さんの静かで穏やかで思慮深げな様子・・・素敵です。彼にこぶくろのテーマソングがかぶさってくると、じわ~んと心が揺れました。たまにはこういう涙を流す時間もないと。ボーっと生きていると、感性が枯れて涙も忘れてしまいます。江ノ島水族館に行かなくちゃ。オットと楽しんだのは刑事定年。BS朝日なのであまり見ている人は多くないかもしれないけど、なかなか良かった。はみだしデカだった柴田恭平さんもいよいよ定年。濡れ落ち葉的生活をしているのだけど、妻の浅田美代子さんとの掛け合いも面白い。オットも数年後の自分を重ねてみていたのかな?そして今期一番たのしみだったのがセカンドバージン!世のおじさま達には鈴木杏香女史のベッドシーンが物議を醸していたらしいけど、おじさまでなくてもあれには刺激されます。あんな濃厚なキス、あり?久しぶりに肉感的なものを見てしまった。そして若い彼、長谷川博巳君。バレリーナかと思わせるようなスリムで緊張感のある立ち姿。ジャニーズ系とは全く違う観点で評価される美しさ。毎回ひとりで観てホ~ッとため息ついてました。別格なのは龍馬伝だよね。香川照之さんが上手くて、龍馬が霞んだって意見もありましたが、もしそうなら香川さんがやりすぎでバランスの取れない人ってことでしょう。私的には福山雅治さんの爽やかで人誑しの龍馬とのコントラストが、良かったと思う。佐藤健君の以蔵も良かった。昔々萩原健一さんが演じて、とても切なくてよかったのを思い出しました。また、10年たったら別の人が龍馬を演じるのかな。坂の上の雲も、壮大で良いのだけど、3年に亘って分割放映する意味が解らない。普通に大河ドラマにすれば良いのに。確かに、近代の日本軍に関するドラマは注意深く扱わなければ成らない部分もあるけど、この小説とドラマの主題は、戦争とか軍隊ではなく、志を持って高みに到達しようとするってことでしょう。恐がりすぎて折角の題材・人材の魅力を減らしてしまったように思うな。そして今週とても忙しかったのは、1992年秋に放送されたホームワークの再放送に嵌ってしまったからです。唐沢寿明、福山雅治、清水美沙、筧利夫などの演技が、今と比べると下手で下手で・・・。で、話している内容も「女は家にいて夫を支えるべき」とか「男は一家の働き手」とか・・・まぁ時代錯誤もいいとこ。たった18年前なのに、こんな内容に共感していたのかしら?専業主婦の私が言うのもなんだけど、ありえない価値観でびっくりしました。その辺も味わいながら、面白かったです。よく観たよねテレビを、この秋。来年はテレビの時間、半分に減らすよう努力します・・・(≧▽≦)/
2010年12月29日
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ぜんぜんブログの更新をしていなかった・・・(*′皿`艸) 何度かトライしたんだけどそのたびに、書きこんでいる途中で突然前のページに戻ってしまうというアクシデントに見舞われ、気力を失っていました。そして原因が判明!左手を脱力してテーブルに乗せていると、自然に掌の外側がコントロールキーに乗っかっている状態になる・・・時がある。そんな瞬間に左手薬指でWキーを押すと・・・消えるのですね、画面が。今後はコントロールキーに手を載せないよう工夫します。8日が誕生日だったのですが、昔むかしコネチカット州・Darienに住んでいたときの友人から10年ぶりくらいに集まろうとお誘いがあり西麻布でランチとなりました。普段、半径1キロの中でしか暮らしていないので、都会はひさしぶり・・・が、この日からおでかけが3日続きましたO(≧∇≦)O西麻布在住の友人が予約しておいてくれたのはミシュラン☆のCOGITOというフレンチのお店。六本木ヒルズから路地をちょっと歩いてたどり着く、隠れ家風というのな?サンルームが広くて外光が降り注ぐ、気持ちのいいお店でした。お味は・・・美味しいけど、コストから見て当然のパフォーマンスだと思いました。夜は家族でケーキを頂く、家族の誕生会です(笑)子供っぽいけど、こういう行事ができるのもあと半年・・・ないね。お料理はムスメが担当!ケーキもムスメがバイト先のケーキ屋さんドゥースボアに特注で焼いてもらいました。生洋ナシのタルト、オットも私も大好きです。(*^-゚)v?燭の数は年齢とは関係ありません。誕生日のプレゼントは私のリクエストでシクラメンです。切花ではなく鉢を希望するあたり、主婦だよね~(o´ω`o)翌日はずっと前から予約していたミュージカルを見に行く日でしたが、その前にテニス友達との恒例のクリスマス会。毎年7人のメンバーの家のどこかでするのですが、今年は私の住むマンションの集会室で。これが結構広くて清潔でキッチンも整ってて、使えるのですよ。皆さんが持ってきてくださったお料理の一部・・・私は昨年も作ったのですが、リクエストがあったので豚ロースのプラム煮(写っていません)を運びました。皆、銀婚式もとっくに過ぎた熟練主婦だから、その辺のケータリングなど及びもつかない、圧巻のテーブルでした(言い過ぎ?)デザートはドゥースボアに注文しておいたキャラメルムースと洋ナシのケーキ。これも美味しかった。そして5時半、楽しみにしていたミュージカル「モーツァルト!」の開幕です。井上芳雄くん、動きが綺麗だし音程もしっかりしていて、若さが眩しい!香寿たつきさん、美声~!宝塚男役のときから歌はうまかったけど、高音もきれい。山口祐一郎さんは、いつもの低音で聞かせてくれるけど、癖がありすぎてちょっと鼻についてきたかな。市村正親さんは、年の割りに良く動く。さすがに上手い。驚きはスピードの島袋ひろ子さんがでていたこと。熱を持って歌っていたのかもしれないけど、半分叫び声に聞こえました。これからに期待ですね。・・・と、アマチュアの感想でした(=´▽`)ゞ一年ぶりのミュージカルを楽しんだ夜の街、見上げると街路樹もライトアップされていました。都会の夜だぁ~。そして10日金曜日。家族で久しぶりにイタリアンを食べに行こう!と神泉のアルキメーデへ。ムスメのイタリアワインの会の先生のブログに乗っていたお店です。こじんまりとしていて、アットホームないい感じのお店です。コストパフォーマンスもGOOD!5000円のコースと食前酒+白ワイン+赤ワインをオーダーしようと決めました。が、退社後合流のオットが遅い。やっと到着したオットはなぜか顔面蒼白。気分が悪いという・・・ちょっとだけつまむ、と言って席に着いたけど、そこにいることも辛そう・・・。飲めないどころか吐き気がするらしい。ここは大人の判断「パパ、一人で帰れる?帰れるなら帰ったほうが良いよ。お店には予約を入れていたのだからいまさら全員キャンセルはできないから、私達は食べて帰るから」と、無情にもオットを一人で帰しました。残った3人でシチリア料理をそそくさといただきました。しかしこんな気分では、美味しいけど食べ切れない!そう話しているとお店の方が持ち帰りパックに詰めてくださいました。これは良い方法です。ありがとうございます。ひとり帰宅したオットは、温かいお茶漬けを食べてさっさと寝たら翌日には回復してました。アルキメーデ、リベンジしましょう!
2010年12月29日
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今日は年に一度の健康診断の日。軽い鞭打ちと軽い捻挫はあるものの、体調は万全な私に必要があるのかどうか・・・?でも、せっかくオットの会社が主婦検診をしてくれるんだから、受けない手はありません。以前は会社のビルの中の診療所まで行っていたんだけど、去年から二つ隣の駅の検診センターで受けるようにしています。そして胃カメラ・・・とにかく苦手です。だから検診ではバリウムにしていました。そしてどうしても胃カメラの必要があるときは、イケ忠診療部で全く痛くない(麻酔が良く効いて・笑)検査を受けることにしています。それなりの金額がかかります。しかし、ことしこそ主婦検診で安上がりに検査を受けようと決心し、今朝から飲まず食わずで(当たり前・笑)でかけました。が、混んでいる。待合室はさながら椅子取りゲームのような状況。やっと胃カメラ検査に呼ばれました。「胃カメラには慣れていません。すぐに戻したくなる体質です」とはっきり告げましたが風邪気味で咳ばかりしている看護師さんは聞いているのかいないのか・・・とにかくあのゼリー状の喉を麻痺させる薬を喉の奥に3分間溜めておくようにとおっしゃる。3分経ちました。喉はすっかり他人のもののようになりました。なのに、私の前の検査が長引いていて、仕舞いには検査室の外で待つようにとの指示・・・。外の待合室でしばらく待つうちに私の喉はかなり元通りになり、唾も飲み込めるほど回復しちゃいました。再び呼ばれて検査室に入ったので、その旨を看護師さんに訴えました。すると「強力なスプレーをかけますから大丈夫です」といいます。でも、それって普通に使っているやつじゃない?そう思ったのですが、黙って従いました。「はい、ここのベッドに横になって足をこうしてああして・・・。このマウスピースを噛んで」ここから私の自由と主張は一切なくなってしまいました。見るとお医者さんの手にはボールペンほどの太さの胃カメラチューブが!〈こんなに太いの?ヘッドもかなり大きい!無理だ~!〉と言いたかったのですが、マウスピースが・・・涙あとはもうグジャグジャです。お医者さんは「舌で押さない」とか「喉に力を入れない」とか「顎を下げない」とか「体の力を抜いて」とか「動くと傷がつきます」とか言うけど、私もそれに従いたいけど体が痛さに反応するのでどうしようもない・・。「モニターでカメラが映しているものに集中して」って言うけど、眼鏡を外しているのに、1メートル先の小さい画面は見えるはずもなく。きっと私の「グエ~!ゲゲ~!」って声というか音は、廊下にまで響き渡っていたんだろうなぁ。地獄の数分間が終わって、涎と鼻水と涙でベトベトの私にお医者さんは「お酒、強いの?麻酔が効かなかったようだねぇ。今度胃カメラ検査を受けるときは強い麻酔にしたほうがいね」「胃に傷があるけど、これは検査前からあったから。何か熱いものでも食べたの?」って!朝から絶飲食でした。もう、ここでは胃カメラ検査受けません。
2010年12月02日
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10月に、車で実家に帰ったとき、うっかり縁石というか区画区分の標識の石に車をぶつけてしまいました(涙)一応ムスコの車。直して返すのは当たり前です。ネットで修理をしてくれるところを探してみたら、写メを送っただけで見積もりをし、車を取りに来てくれて届けてくれるというサービスまでつけて3万円とのこと。う~ん、安すぎる。歩いていける場所にあった美川さんと神田うのがCMをしている所に持っていったら4万円とちょっと・・・。少し高くなるけど、出来栄えの確認ができるので近くのところにお願いしました。安くてサービスが良いのが、かえって疑惑になりました。ぶつけなければ失わずに済んだ4万円・・・沈みます。そのすぐ後、近所にケーキ屋さんがオープンしました。家で嵐まみれだったムスメがバイトさせて頂いています。《街のケーキ屋さん》以上のポテンシャルを感じる力作ぞろいです。ロールケーキは絶品!美味しいお店が近くにできると、気分はウキウキですね。11月11日はチーズの日だそうで、北参道の某ビルでチーズフェスティバルが催されました。友人とムスメと3人で出かけ、たくさん試食をしてたっぷり買い込んできました。圧巻はパルメジャーノチーズのカット・ショー(?)です。あの固くて大きな塊を小さなナイフ6本で、解体していくのです。まるで石切り場の作業のようです。500グラムの美味しいパルメジャーノが2000円。先週1200円で買ったブッファーラが800円。楽しいフェスティバルでした。ウキウキ♪そして11月23日は全日本太極拳協会主催の合同発表会。中央区のスポーツセンターの大きなアリーナに9面作られたスペースで、主に関東各地から集まった太極拳の団体が、日頃の練習の成果を発表しあいました。私は太極拳を始めて2年と8ヶ月。はじめの1年は、週に1度のスポーツジムのプログラムでしか体験していなかったのですが、A先生の理に適った太極拳にはまってしまいました。徐々に練習の機会を増やして、現在多いときは週4回・・・専業主婦だからできるのですね、オットに感謝。そんな駆け出しの私が発表会?!かなりビビッていましたが、Iさん始めとする熱心な仲間に助けていただいて大過なく終わらせることができました。個人種目で〈やっちまった~〉って瞬間はありましたが、集団で演じた3種目では、大きな間違いを犯すことなく終わらせられたので、私的には大成功でした。こんな充実感、初めてです。専業主婦をしていると、どうしても家族の応援に回る事ばかりで、自分自身の達成感というものを忘れていました。〈もっともっとがんばるぞ~っ〉と会場を後にした夕暮れの中央区で、金色に輝く木々に誓うのでした・・・(笑)が、その翌日・・・大きなイベントが終わった開放感に、うっかり気を許して、転んでしまいました。いつものテニスコートでちょっと後ろに下がった時、足底腱膜炎でがっちりテーピングをしている右足を捻ってしまったのです。尾てい骨から着地し、それでも勢いに負けて後頭部をコートに「ゴツン!」あまりの痛さに気が遠くなりました。すぐに起き上がったら倒れそうだったので、しばらくコートで大の字。友人は気遣ってくれましたが、私としてはこんな疲れた状態でコートに来てしまった事が申し訳なくて・・・。結局1ゲームもできずに、おしゃべりだけして帰ってきましたが、頭のたんこぶはズキズキ痛むしめまいがする。早めにバイトから帰ってきたムスメにそう話したら「はい。病院にいく!」とさっさと立ち上がって保険証を用意して、気が付いたら整形外科の前でした。お医者さんは、ちょっと頭に触って眼球と手の指の動きを見て「頭蓋骨は心配ありません。中の様子は強い嘔吐やめまいがないかぎり、大丈夫でしょう。明日から鞭打ちの症状が出ますから」とおっしゃって、肩に電気をかけておしまいでした。確かに翌日からは、肩も首も背中も腰も、痛いというか固いというか・・・いつもの整体院に行って、たっぷりマッサージしてもらい、体中暖めて、首周りのコルセット(首輪?)を借りてきました。そして今日に至る・・・だいぶ良くなりましたが太極拳は1週間お休みです。・゜・(/Д`)・゜・。これだけ浮沈の多かった秋。12月は怪我のないよう、気をつけなくちゃε===(っ≧ω≦)っ
2010年11月28日
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秋晴れの文化の日、日本橋へ行ってきました。目指したのは円山応挙の襖絵・屏風絵ですが、ちょうど数日前にコレド室町という複合ビルがオープンしたので日本橋界隈は人の列が流れています。消費活動の場がにぎわうのは、良いことです。まずはランチ。当初は高島屋裏手にある穴子の専門店に行きたかったのですが、人だかり!ウェイティングリストをみると20人待ちなので諦めました。穴子の旬は今じゃないし、来年6月ごろに再挑戦です。次に向かったのはコレド日本橋の4階にある皆美です。ここは松江の名旅館皆美のお料理が食べられるお店です。私は以前いただいた事があるので、この日はオットにあの心地よい満腹感を体験させたくて。10分待ちで席に着くことができました。店の外の看板にあったメニューからオットに鯛めし御膳を、私は鰻まぶしをオーダーです。仲居さんのようなお店の方の対応がとても親切で、旅館の夕食のような気分にさせてくれます。鯛茶漬けは白米に各種具(鯛のそぼろ、ゆで卵の白身と黄身、薬味)をたっぷり乗せて、秘伝の鯛の骨からとった出汁をかけて頂きます。1膳目は仲居さんが作ってくれました。ご飯と出汁はお代わりができます。オットは大満足。鰻のほうもカリッとしていて美味しかったです。1膳目はそのままで、2膳目は薬味をまぶして、3膳目は昆布の出汁をかけて頂きます。お腹いっぱいなんだけど油脂は大して取っていないのですっきり消化できます。中高年のランチは、こういうのが良いかも?!満腹になったところで目的地、三井記念美術館に行きました。場所は日本橋高島屋の隣、コレド室町の向い。こういうビル、増えたよねぇ。中は皆同じようなお店ばっかりに見えるけど、ここは地元の企業が多くはいっているとニュースで見ました。確かに、表のお店は鰹節のにんべんとか包丁の木屋。日本橋らしさが売りだそうです。三井記念美術館へは専用エレベーターで上がります。乗り切れない人が出るほどの盛況ぶり。館内に入ると子供の姿もちらほら・・・天気の良い祝日、新しいビル見物がてら連れてこられたのでしょうか。その子供が展示ケースをべたべた触るものだから係員が雑巾を持って後から拭いて回ります。子供も一人だけじゃないから、いたちごっこですね。くたびれちゃって長椅子に寝そべる子供もいます。確かにねぇ・・・子供にして見れば、興味ない絵ばかりで、しかも大人に阻まれて良く見えないし、嫌になっちゃうよねぇ。私のように絵を鑑賞にきたほうにすればそういう子供の存在が、気になります。『子育て中は絵画鑑賞もできない!と思わずに、数年我慢して、いまは子供鑑賞で人生を充実させてはいかがでしょうか』と親御さんたちに物申したい私です。絵です。良かったです。『淀川両岸図巻』という巻物、5メートルくらい広げてあったのですが、まだまだ続きがあるので最後まで見てみたかったです。細密な川からの景色・・・長いんだけどぜんぜん飽きません。『雲龍図屏風』の迫力は、龍だけじゃなく雲の流れ、大気のうねりが感じられて屏風のほうから風が吹いてくるような感じでした。この特別展は11月28日までなのですが、11月9日に展示品の半分くらいが入れ替えられるようなので、機会があったらその時にまた行きたいです。
2010年11月04日
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今年も母と私達姉妹3人、温泉にでも行こう・・・という話になぜかオットも乗ってきて、ムスメも乗ってきて・・・なんだかわかんないけど、宮城の温泉に6人集合ということになりました。そのあと岩手の紅葉も見に行こうということになりまして・・・明日出発です。ということで、このところ頑張ってきたブログはしばしお休みです。最近足が痛くて運動に支障が出ています。整形外科で診ていただいたら足底筋膜炎だということで、痛みがなくなるまで走ったり階段を上り下りしたりは、控えたほうが良いそうで。困った。テニスが出来ない。ジムに行けない。太極拳も辛い。お出かけもできない。原因はお決まりの加齢・加重・過労。どうしようもないですね。秋になって運動不足で、ますます太る私です・・・涙明日からの小旅行は車で行くのであまり歩かない予定ですが、いつもの私なら少しはトレッキングもしたいのに。この秋、魅力的な展覧会が3つ。既に行ってきたのが東京国立近代美術館の上村松園展です。(10月17日に終わってしまいました)宮尾登美子さんの『序の舞』を読んでいたので、あのストーリーを思い浮かべながら深く感動しながらたくさんの作品を観ることができて、大満足の展覧会でした。これから行きたいのが三井記念美術館の円山応挙展。これは11月28日までだからまだまだ余裕あります。それから、五島美術館の源氏物語絵巻。こちらは11月3日から28日まで。展覧会・・・床が固いから踵が痛むんだよね~(涙)それに、11月23日は太極拳のイベントもあるし・・・早く治って!
2010年10月22日
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京都に行ったり、立山に登ったり(記事は来週UPします)、夏を思いっきり楽しんでいるように見えますが、いろいろあります。身近にいる高齢の方々が不安定になりつつあるのが、一番不安です。最長齢の88歳の伯母がホームで骨折し、入院中です。彼女の血縁者は、いまやもう私の母とちょっと遠くにいる姪や甥だけになりました。そこで、何かといえば彼女の家のお嫁さんからお呼びがかかるのが一番近くにいる私・・・。肉親だから情もあるしお世話になった事も一杯あるので、駆けつけるわけです、いつも。でもね、どこまで私が立ち入っていいものやら。頼られても困るときもあります。次が義父、84歳。この数ヶ月認知症が加速度的に進み、もはや笑い話ではなくなってきつつあるのに、この度癌の治療のため手術を受けることになりました。手術を受けることは本人も周囲も賛成で意欲的だけど、術後の約束事項を彼が守れるか、周囲が見守りきれるか、かなり心配です。当然私も戦力の一人。秋に予定していた太極拳クラスの中国研修旅行には行けなくなりそうです。 そして母、80歳。明日から3泊の予定で帰省します。母は、いわゆる難病を抱えているけど、一人で頑張って暮らしています。私の姉妹も同じ町にいるので安心といえば安心だけど、近いからこその小さな気持ちの行き違いがあり、遠くにいる私はやきもきしたり悲しくなったり・・・。明日からの4日間は、修行です?!最後に義母、77歳。先日軽い熱中症でSOSコールがあり、駆けつけてみると真っ赤な顔をして寝込んでいました。聞くと、ほんのそこまでお使いに出ただけ。普段から丈夫ではないうえに寝不足と水分不足が重なったようです。あれ以降、都合が合えばお使いの御用を聞いたり、食べやすい物を作って持っていたり。できる範囲で応援しているけど、この夏の暑さは、苛酷です。2010年の私の周りはこんな様子だけど、これがあと20年後・30年後となるとどうなるのでしょう。私はオットと二人で暮らしていけるよう、足腰と頭を鍛えて健康にも留意して、老後の資金も確保して・・・。草臥れますね。早く起きた日に見た(たいていこのくらいの時間に目が覚めてしまうのですが)東京方面の朝焼けです。20年後・30年後も変わらずにいてほしい風景です。
2010年08月09日
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アジサイのきれいな季節だから、どこか庭園にでも行こうかと週末に出かけた先は、東急大井町線、上野毛から徒歩5分の五島美術館です。美術館の前の通りにこんな石の標識が・・・しかしこれ、80センチくらいの高さなのでしゃがまないと写メ、撮れません(汗)何のためにあるのでしょう??現在、美術館の展示室には『陶芸の美』という企画で、中国大陸から日本にかけてのさまざまな形態の陶芸品が展示されていました。私は・・・陶芸品はわかりません。でも、単純に『好き・嫌い・解らない』と区分けしてみていくと、自分なりの傾向が出てきて面白い。現在の食器選びの観点にも共通していて・・・。オットは『お宝なんでも鑑定団』(そんなタイトルだったような・・・汗)が大好きで、日曜日の再放送を欠かさず見ています。だから、なんとなく解るんだそうですが、「お値段も表示していてくれればもっと面白いのに」と、あまり芸術的でない発言をしていました。庭園のほうは・・・背景に二子玉川の新しい高層マンションが入ってしまって、時代が反映されています。ここに五島さんが美術館を立てた当時は、まさか多摩川方向のこの空にこんな建物が入り込むとは思いもしなかったことでしょう。傾斜のある庭の階段は、雨上がりで滑りやすくなっているので用心して歩きました。(2週間前に青山一丁目の駅で滑って階段を踏み外し、年甲斐もなく尻餅をついてしまったのです・・・いまでも腰と首と支えに使った肘が痛みます・・・涙)それにしてもたくさんの石仏や石塔、石燈籠。ご本尊のように滴る緑の中にいらっしゃったのは大日如来様たちです。宗教心からではなく、コレクターとして庭園に配置している・・・乾いた感性を感じてしまいます。三猿たちのユーモラスな姿。なぜか羊の石像も緑の中に佇んでいました。お目当てのアジサイはほんの少し・・・そのかわりこの季節ならこその苔がきれいでした。紫陽花だったらうちの前の公園のほうがきれいに咲いています。陶器といえば、先週東急本店で開催されていた落合杜寿子さんの個展に行ってきました。同年代の女性の、遊び心・用の美・技術の高さの結晶に魅了されてこの器を購入しました。お値段のほうもかなりリーズナブルで、使ってこその器って感じです。窯をたく女性って映画『火火』の主人公のように厳しくて強烈なのかと思っていたら、落合さんは気さくで柔らかい雰囲気の方でした。五島美術館で仰々しく展示されていた古い陶器も、どんな人が焼いたんでしょうね。それを思いながら見て回るのも一興かもしれません。
2010年06月29日
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いまどきの話題は、まずはサッカーですよね。「今回のワールドカップは日本にはない」なんてカメルーン戦が始まる前、オットは言ってたけど、ふたを開けてみれば大活躍で健闘しているじゃありませんか!もちろん予選の3試合ともLIVEで見ました。カメルーン戦でエトーを押さえて押さえて、頑張っていた長友君。どの戦いでも、飛び込んでくるシュートや相手選手に向かっていく川島君。ワールドカップ初出場なのに貫禄のある本田君。最後にちょっとしか出なかったけど、ムードメーカー的な稲本君。みんな忍耐と自制と献身のサッカーをしていたと思います。一発勝負とか運任せな態度が全くなくて、体格的に劣る日本のこれからのスタイルがはっきりしたような気がします。岡田監督も、あれだけ戦犯扱いされていたのにいまでは名将。スポーツ報道は『勝てば官軍』の態度が如実で苦笑せざるを得ません。デンマーク戦のハーフタイムに見た日本の朝焼け。これで決勝トーナメントに進める!と思ってみたら、本当にきれいでした。本田君のビッグマウス、あまり周りが反応しないであげてほしいな。自分に言い聞かせている部分もあるんだから、それを取り上げてあぁだこぉだ煽てると、本人も自分の発言が一人歩きすることに敏感になってしまって、発言する際に冷静でいられなくなるかも。その挙句、心にもない事や過大な表現を聞き手に合わせて言ってしまうようになるのでは・・・と危惧しています。先週、渋谷は道玄坂の華泰茶荘での中国茶講習会初級コースへの参加しました。2年前に台湾に行ってから冷蔵庫には麦茶じゃなくて中国茶を常備している私には、とっても興味のある分野。NHKドラマ『蒼穹の昴』でも西太后がさかんに飲んでいらっしゃるではありませんか。あの器、どうして蓋をつけたまま飲むんでしょう??そんな疑問にも答えていただきました。初級は烏龍茶の様々な種類の紹介。私は高山茶が好きだなぁ。飲んだ後、鼻の奥から立ち上ってくるクチナシに似た香り。こんな素敵なセットがなくても、美味しくいただける気取りのない中国茶、好きだなぁ・・・。
2010年06月26日
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のんびりしていたらもう6月真ん中!今日から梅雨に入るのでは、と言われていますが今年は春が長かったです。ちょうど一ヶ月前に皇居の奥深くまで(?)テニス友達4人で行ってきたのでその写真をアップしておきます。まず どど~んと富士見櫓。現存する最古の江戸城の建築物(1659年再建)だそうで、石垣の高さ14.5メートル、櫓の高さは15.5メートルだそうで、ちょうど30メートル見上げているわけです。それから皇居側から見た坂下門(もしかすると正門だったかも・・・汗)背景に丸の内のビル群が見えるあたりが現代的です。宮殿・長和殿の右の垣根越しに見えるお庭の見事な事!この長和殿の長いバルコニーの真ん中あたりで一般参賀などが行われるそうです。普段はがら~んとした広間です(建物のなかには入れてもらえません)お庭の築山にも見えるこんもりとした植栽は数十種類もの潅木をびっしりと植え込んで刈上げてあるそうで、その大きさと植木職人の技にびっくりです。皇居の一般参観は宮内庁に日にち指定で申し込んでおけば、無料で行くことができます。平日の午前10時か午後1時30分から約1時間半の所要時間で、さらっと宮殿近辺を回ってくるのです。集合は桔梗門のまえで、そこから窓明館(休憩所)へ通され、お土産のお饅頭やクッキーを買って(菊のご紋が付いているのです・笑)皇居の説明ビデオを見た後、散策に出発します。(荷物はコインロッカーに預けられます)宮内庁の方が拡声器を持って案内してくれるので、迷う事もありません。私達が行った日はお天気もよく、ツアー客(?)約100人でたらたらと回りました。途中、勤労奉仕の方達が庭掃除をしているのを見かけました。そういえば田舎では皇居で勤労奉仕をするという名目の東京見物団体ツアーがあったような気がします。こういうお天気のいい日には長閑で気持ち良いかも。自然と触れ合う良いチャンスだから都会の人こそ参加すれば良いのに。お弁当も付くみたいだし♪参観が終わったら解散ですがそのまま皇居にとどまることはもちろん出来ません。とっとと退出です。しかし、折角ここまできたのなら、と東御苑にも行ってきました。こちらは普通に公園になっているので月曜と金曜を除く毎日9時から16時まで誰でも入れます。しかし大手門・平川門・北桔梗門からの入場になるので知らないと入りにくいよね。これがとても広くて静かで手入れが行き届いていて、良い公園でした。こうしんばら・・・別名月月紅というそうですが、香りが良くてびっくりしました。天守閣跡に立ってみると、昔は大奥だった場所が平たく均されて芝生に覆われているのが一望できます。兵どもの夢の跡・・・東御苑東側の林の中にはもう杜若が咲き始めていました。池を眺める腰掛の上には藤棚。ここでお弁当を食べるのって最高かもしれません。そう思っていたら、丸の内OLの皆さんがそこらここらでお弁当を広げているではありませんか。やっぱりねぇ~。気持ち良いものね。大手門からお堀の外に出て、私達もランチに行くことにしましょう。向かった先は三菱1号館です。新しい丸の内の名所ですね。美術館では『マネとモダンパリ』展をしていましたが、私たちの目的はブリックスクエアでのランチ。1時を過ぎているのに待ち時間の掛かるレストランもありました。いろいろ見て回って結局バール&ビストロ * ミュージックに入りました。パンと飲み物、食べ放題ってところに惹かれました。『マネとモダンパリ』展をトリビュートしてパリのお惣菜のランチがあったので皆それを頂きました。この前にスープデッシュいっぱいのパンプキンスープがあったので、もうお腹いっぱい!デザートが軽くて助かりました。東京駅方面に移動してVIRONで翌日のパンを買って帰ってきました。満足満足の一日でした。
2010年06月14日
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この頃の関東のお天気は大変です。2週間前はこんなじゃなかった・・・桜の花びらの絨毯とか咲き競う春の花々だったのに冬に逆戻りした4月15日の雨のなか、ものすごく久しぶりに歌舞伎座に行ってきました。同行したのは歌舞伎座60年ぶりと言う母と、歌舞伎そのものが初めてと言うムスメ。3世代それぞれに感激の観劇です(笑)建物の前にはカウントダウンの表示が・・・この歴史在る破風、客席三越の緞帳1年をかけて取り壊して(普通の建物はもっと簡単に済ませられるそうですが)使える部分は新しい歌舞伎座のなかに生かしていくそうです。確かに、この空気感を残すのには古いものも必要です。今回のチケットはネット販売が開始されるその瞬間にポチッとキーを叩いたら、運よく取れたのですが、席が凄い!1階1列の2番3番4番・・・桟敷席と花道の間の、花道にくっついた3席です。劇場全体から言うと隅の最前列で、首が疲れそう・・・と思ったんだけど、取り替えられないし、発売と同時にプレミアつきでオークションに出るほどの人気だし。半分がっかりしながら出かけました。しかし、これが実はとてもユニークな席で、結果は大正解でした。右下に移っているのは母の手です。横の花道で、吉衛門さんが男泣きし、勘太郎さんが蹲り、三津五郎さんが見得を切ったのです。ものすごい臨場感、というか、ほとんど歌舞伎のなかに取り込まれたような気分。ムスメは感動のあまりぽろぽろ泣いてました。今回は歌舞伎座最後の公演なので、名残のご挨拶のような演目が1部、2部、3部とあって、どの演目にも当代きっての人気役者がずらりと出演していて、とにかく豪華でした。御名残木挽闇爭(おなごりこびきのだんまり)の菊之助のきれいなこと!歌舞伎のいろいろな役どころが意味もなく勢ぞろいして(笑)美しく華々しい舞台でした。客に対するサービス満点。染五郎や獅童もいたし、4年後の歌舞伎座が楽しみっていう顔ぶれでした。熊谷陣屋(くまがいじんや)は、なんといっても吉衛門の力量のすごさ!わたしがこの演目を見たのはこれで3度目だけど、初めて涙が出ました。無常観・・・いろんなことに言えるんだけど、この頃の私の気持ちにもぴたっとくる力いっぱいの熊谷でした。藤十郎も若いころの軽さがなくなりすっかり落ち着いた女形になって、歌舞伎の長い歴史を感じました。そして連獅子!中村勘九朗、勘太郎、七之助の3人が親子で舞うことの意味の深さ。歌舞伎が、梨園の中からばかり主役級の役者が出てくる理由がわかるような気がします。小さいときから生活のすべてが歌舞伎を中心に考えられている環境でないと、こんなことは出来ない。手を伸ばせば触れられる位置に控えている勘太郎の背中やわき腹が、重い衣装を通しても荒い息使いのために波打っているのがわかりました。歴史に残る連獅子を見たと思いました。役者は、当然かもしれないけど、決して視線を泳がせたりしないのです。ぜんぜんぶれない。だから虚構の舞台が実像を結び、観客を現実に立ち帰らせないのですね。間近に散る汗や唾を含めて、本当に良い席だったと思います。というか、素晴らしい観劇でした。
2010年04月17日
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去年に続き、1月3日は七福神めぐりに行ってきました。谷中は江戸最古の七福神だそうで、回る場所も歴史のある場所ばかりでした。11時。JR田端駅に到着。ガイドブックは持っていたのですが、駅員さんが七福神めぐりの地図を配っていたのでちゃっかりGETしました。駅前には田端文士村記念館があって、明治・大正の作家達の資料があるそうですが・・・文士とは、遠くなりました。古典に近い感覚です。私が高校生のころ30年以上前は、まだ読む気力もあったのですが、いまはもう感覚が違いすぎて入り込めない。文学も色褪せるのですね。私が時流に流されているし、読む能力もなくなってきたからなのかもしれないけど、現代の作家の書いているものを読むので精一杯ってこともあります。そういった現代の作品も、あと百年経たないと、残るもの、そうでないものが判別できない。売れたから良いってものではない、諸行無常を感じますね。七福神を祭るお寺がどこにあるのかはすぐにわかります。人の波がそういう風に流れていくのだもん。一番最初にお参りするのは、東覚寺の福禄寿。こじんまりとして彩色がきれいなおじいちゃまでした。このお寺の裏庭にもミニ七福神巡りコースがあって、お庭の築山を登って降りてくるだけの道筋に7人の神様がいらっしゃいました。これは姿の良い弁天様。新年の日を浴びて気持ちよさそうでした。お庭はこの時期(1月1日から15日)だけ開放されているのだそうです。朱印やお守りを販売しているところでは中学生くらいの女の子も手伝っていて・・・お寺の縁者なのでしょう、お正月からお手伝いご苦労様。修性院のひぐらし布袋様は、迫力の大きさでした。ガイドブックによると200キロもあるそうな。本物の御神体をカメラで写すのは気がとがめるので、ちょっとお寺の外観だけ。同じお寺でもお金がありそうとか、とても庶民的とか、様々です。宗派も違えば檀家の数も違うわけだし。それが七福神で繋がっているわけで・・・。バックグラウンドを思いながら巡るのも面白いです。日暮里・谷中・富士見坂をきょろきょろしながら歩いていくと、谷中霊園がありました。五重塔跡・・・これかぁ。いろいろな著名人のお墓があるそうですが、今日は七福神。この中を通っていくと大きなお寺に・・・さすが、鎌倉時代からの古刹です。このあと上野公動物園の脇を通り、不忍池の中島に建つ弁天堂に行きました。ここは長蛇の列!並ぶのは好きじゃないので、ここは脇から手を合わせて、後日上野に来たときにおまいりしますって心の中で約束して終わりにしました。こうして集めたご朱印は額に入れてリビングに飾ってあります。今年も守ってね。帰りに湯島のほうに出たのですが、とてもお腹がすきました。1時過ぎてます。むこうに担々麺のお店がある!すでに10人くらい並んでいましたが、たぶんこれは美味しいんだろうと(好きじゃないのに)並びました。(このあたり、湯島天神におまいりする人で混雑していました)行列は、なかなか進まない・・・けっきょく坦々麺にありつけたのは1時間後です。これが阿吽という坦々麺の名店だと知ったのはお店に入ってからです。新年早々並んでしまった・・・。美味しかったです。でもちょっと山椒が利きすぎかも・・・。近所の家の前庭にこんなメッセージがありました。トラだね~まめだね~(笑)
2010年01月06日
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今年のお正月はおせち料理、がんばりました。31日は朝5時に目が覚めてしまい、お料理のことが気になって寝付かれず、結局そのままキッチンへ直行。昼に2個仕上げて1個はオットの両親に届けてきました。大変だけど、こういうことが好きなんだな、私。元旦は目が覚めたら・・・二日酔いでした。紅白のあと、ジャニーズの番組を見ながらムスメと大騒ぎしたのは覚えているけど・・・汗とてもお屠蘇を受け付ける状態ではなかったので、恒例の明治神宮参拝へ出かけました。8時半に参拝を済ませ帰宅。この時間なら人も少なく清々しいけど、砂利道の土ぼこりで口の中がざらざらになるのが惜しい。今年の目標!ヨーロッパ旅行の話、夏になる前には終わらせたいです。よろしくお付き合いください。
2010年01月01日
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23日がムスコの誕生日なので、うちの宴会シーズンはそのあたりから始まります。(お酒を飲む口実ですが・笑)今年は、丸の内のイルミネーションを見に出かけました。TVでも紹介されていたストラスブールのマルシェ・ド・ノエルにも行って見たかったし。夕方,バイト帰りのムスメと待ち合わせし、丸の内仲通りへ・・・規模は大きくなかったけど、お花畑が輝いていました。花壇の中にはバラのブーケが内側から光を放っていて、見上げると、太陽ではなくてお花のペンダントが・・・さすが丸の内はおしゃれです。このあと国際フォーラムに向かって、そこで仕事帰りのオットと合流し、マルシェを見たのですが、小規模すぎてちょっとがっかり。書き入れ時に本国を離れて市場を開催するなんて・・・考えてみれば、力が入りませんよね。いつか本場に行ってみたいものです。ここではホットワインを飲んで帰りました。うちのツリーは、オーナメントだけです。アメリカのあちこちで買い集めた光るものだけを吊るしてあります。朝8時前後に朝日を浴びてミラーボールが輝く一瞬が最高です。(後ろの壁や天井が夢のようになります)今年の誕生日ケーキはグラマシーニューヨークのチョコレートムースケーキ。見かけほど重くなく、すっと蕩ける美味しさでした。で、昨夜はムスメに紅茶のロールケーキを作ってもらいました。マスカルポーネのクリームを巻き込んで。みばえは・・・ですが、美味しかった。
2009年12月25日
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12月6日、日曜日。お天気もいいし、最後の紅葉を見に30年ぶりに新宿御苑に行ってきました。服と新鮮、ではなく副都心線の新宿3丁目で下車し、E5出口で地上に出るとそぐそばに新宿門がありました。入場料200円を支払って、なかへ。昔も御金がかかったかしら?とか一個、ではなく都会っこのオットに聞いてみたら「ホームレス対策じゃないの?」そうか~。200円のハードルね。日曜日の散歩に200円を払ってここにこられる人は幸せです。入り口近くで目に入ったのはこの景色黄色い落ち葉の中に咲いた水仙の一群。西洋式庭園のバラももう最後です。リリーマルレーン・・・歌いたくなるネーミングです。都会の中の公園だから、近代的な建築物も借景にして、風情があります。外国人もたくさん見かけました。まっかな楓の木の下でカメラを構える若い女の子たち。そこは進入禁止ですぞ(笑)たっぷりと今年の紅葉も、堪能いたしました。ごちそう様。
2009年12月07日
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イタリア旅行の話、まだ始められませんでした。写真のアップができなくてワタワタしていたのです(涙)でも、今日ムスコに聞いたら簡単に解決!よりよい画面で撮るために携帯を替えたのが悪かったのか、MDカードが悪いのか、USBコードにすれば良いのか・・・試行錯誤しました。だけど原因はポップアップを見逃していたせい・・・こんなことなら、さっさとムスコに聞けばよかった。旅行の前に旬の食べ物の話を。先週の金曜日、国立西洋美術館で開催されている「古代ローマ帝国の遺産」展を見に行ってきました。こういう催し物はたいてい混んでいるので、都合がつけば金曜の夕方に行くようにしています。バイト帰りのムスメを誘って、会社帰りのオットと会場内で待ち合わせしました。上野のJR公園口を出てすぐのところにあるこの美術館の前庭は、こんなことになってました!悩み多きロダンの人々も華やかです。ツリーに飾られたオーナメントも、芸術的な輝き!?展覧会のほうは、イタリアに行ってきたばかりだから通じるものがあって興味深かったです。ポンペイの展示では、ローマのフィロ・ロマーノもこんな感じだったのかなぁとか思いながら堪能しました。ある家の庭に設えてあった泉の雰囲気が、以前南仏のカップ・フェロウでみたお屋敷の泉の意匠に似ていたのが、面白かったです。ローマ風ということなのかなぁ。さて、本末転倒かもしれないけど、この夜のお楽しみは鮟鱇鍋です。場所は神田と淡路町のあいだにある老舗いせ源店先にはこんなディスプレイが・・・頭を左側にしてぶすっと横たわっているのが、この日河岸からきた主役のアンコウさんです(笑)60センチくらいある大物でした。2階の座敷のほかのテーブルでは、すでにぐつぐつ煮えてます。このお店は6人以上でないと予約ができないそうですが、運良くすんなり入れました。3人前でお願いしたらこのお鍋が来ました。結構濃い味の出汁でよ~く煮るのだそうです。鍋が終わるともちろんおじや。仲居さんが仕切って作ってくれました。こちらもとても美味しかった。さて、その前の週に久しぶりに新宿伊勢丹の地下に出かけました。伊勢丹に行って地下だけで帰るお馬鹿な夫婦・・・ファッションとか、見ないの?と言われそうですが、そういうことにとんと興味がないのですよね、二人とも。で、見つけたのが猪の肉!おぉ、箱根でしし鍋を食べたっけ。でもここではヒレ肉も売られているではないですか。ステーキにしてみる?とかいいながら、300グラムの塊を購入。しかし、家に帰ってネットで調べてみると、E型肝炎の恐れがあるのでよく加熱しなければいけないそうで、ステーキは断念しました。プラムを巻き込んだ赤ワイン煮というレシピを発見。その夜のテーブルに、猪はこんな形で登場です。4人で食べたので一人当たりの量はそんなに多くないのですが、ソースが美味しいし、お肉も迫力の滋味がありました。
2009年12月02日
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信濃大町まで来てしまったら、黒部峡谷どころかアルペンルートのお話ではなくなります(汗)でも、旅はもう少し続くので・・・路線バスを、信濃大町まで乗らず大町温泉郷で下車しました。ここには日帰り温泉があるということで、昼風呂を浴びに。湯けむり屋敷 薬師の湯というところで、私たちと同じようなバックパッカー(リュックを背負った人)がぞろぞろとやってきます。温泉の人も心得たもので「リュックはあちらのブルーシートの上に~」とご案内がありました。広いお風呂は昼だというのに人がいっぱい!連休の最終日、しかも雨、温泉にでもって思うのは自然の成り行きです。露天風呂も広くて気持ちよかったです。このあとバス停の前にある、酒の博物館に行ってみました。私たち以外誰もいないし、ぜんぜん期待していなかったけど、結構楽しめました。全国の日本酒の空瓶・・・・いったい誰が中身を消化したのでしょう?酒蔵の様子・・・ワインの醸造所のような感じです。やっとバスに乗って駅前まで行って、手打ちそば処こばやしにはいりました。お腹もすいたしあとは電車に乗るだけだから、こごみのおひたしとなめこのおろしあえで昼酒を♪すっかりオヤジの様です。あとはJRに乗って帰宅。雨に降られて残念な部分も多かったけど、紅葉も見られたし自然の迫力も感じられたし、良い旅でした。いつか、新緑の立山に登るぞ!
2009年10月06日
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室堂ターミナルで始発の立山トンネルトロリーバスに乗車しました。このバスは立山の真下に掘ったトンネルを10分で通って南下するのです。当然景色はなし。でも、ここが昨日凍えたあの場所の真下かと思うと、不思議な気分です。ついたところは大観峰。標高2316メートルの断崖絶壁にぽこっと出たわけです。眼下に広がるのはアルペンルートでも最高といわれる景色・・・のはずなのに、雲海。仕方ない。次は立山ロープウェイで空中を7分間移動し、488メートル下の黒部ダムの近くまで降ります。本当はここでも360度の絶景を楽しめたはずなのに。それでも雲の合間に足元が見えたりして・・・スリリングでした。このアルペンルートができるまで、この場所には相当な登山家でしか入ってこられなかったわけで、そんな限られた人しか見られなかった景色を、お気軽に見られるなんて、なんて結構なことでしょう。人の力ってすごいなぁ。ロープウェイから降りてちょっとトンネルをあるくと、そこは黒部ダムの堰堤の上です。手すりの下に、ダムの出水口が、観光客へサービスのための放水をしていました。これを最初に見たらスケールの大きさに感動したかもしれない。でも、私は立山方面から来て奥行き深い自然をすでに見てしまっていたので、感動が薄くなっていました。ごめんね、石原裕次郎さん、香取信吾くん。でもこのダムを作るための苦労は、感じることができました。だって、ここまでくるのに何度トンネルをくぐり、空中を渡りしたことか!それも21世紀じゃなくて、昭和の、コンピューターもない時代に!ダムの畔に工事で亡くなった人たちの慰霊碑と御芳名が刻まれた石版がありました。同じ苗字の人が何組も・・・家族や親戚ぐるみでこのダム工事に携わっていたのですね。一度に何人も働き手を失った村落の人たちの悲しみも、あわせて感じられるようでした。広大なダム湖から出水した先に続く黒部川は、清々として穏やかに深い森のなかに消えていくようでした。黒部ダムからまたまた関電トロリーバスに乗って地下トンネルを通り扇沢へ向かいます。所要時間16分。映画『黒部の太陽』の舞台がこのトンネルです。バスのなかからあの悪名高い(?)破砕帯の場所が見えました。今でもジメジメしているようでちょっと不気味です。扇沢はダム工事の前線基地があった場所です。ここからはもう普通の生活の匂いがします。松本電鉄バスに乗って信濃大町の駅まで行くのが普通ですが、私達の帰りのJRの指定席件は午後の遅い時間にとってあります。雨でゆっくり観光ができなかったので、昼前に下界まで降りてきちゃいました。どうする?
2009年10月03日
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20日にタミフルを服用しはじめて、約24時間後、今までの21年の人生において病欠をしたことのない頑丈なムスコは、回復しました。食欲がなかったのも最初の24時間だけ。金曜日の夕食はいつもと同じだけ食べていました。土曜日はもう平熱・・・しかし、外には出られません。ほとんどの時間を自室でDVDやテレビやらゲームに明け暮れていたようで、ある意味極楽です。部屋から外に出てくると私達家族から『手を洗って』『うがいして』『あんまり近寄らないで』とうるさく言われて、かわいそうでもありました。私はなんとなく咳が出るのでなんだか心配。金曜日にかかりつけの医院に行って着ました。タミフルの予防投与という手もあると聞いたのでこれも確認。これは、通常1日2錠のタミフルを1日1錠10日間飲み続けることによって、発病を抑えるということらしいのですが、こんなこと、インフルエンザの濃厚接触者全員がしていたら、タミフルが市場から消えてしまいます。その上、妙な抗体ができてしまったりしたら、本当にインフルエンザに罹ってしまったときにタミフルが効かなくなってしまう恐れがあるそうです。予防投与は他に疾病を抱えている人とか、体力的にインフルエンザに罹患した場合に重篤な症状になる恐れのある人にのみ、使っていきたいとのこと。了解です。いまのところ健康ですし体力もあります。一方私達は、木曜日の午後から閉門蟄居状態。オットは金曜日の出社は取りやめ、土曜日のゴルフの練習もキャンセル。ムスメも金曜日から3連続であったバイトを全てお休み。私も、こまごまとしたお約束を取りやめて、家でおとなしくしていました。でも発症の気配はなく、日曜日にはついに開店したばかりのデパ地下に行ってしまいました。さっさとお肉や野菜を買って帰り、またまた謹慎状態。さすがに飽きました。そして月曜日、厚生労働省のホームページやそのほか色々な記事を読んで、家族は生活を平常に戻すことにしました。学級閉鎖も4日で解けるらしいし、インフルエンザの潜伏期間って1~3日くらいで、ムスコに対して警戒をしていなかった水曜日からは4日経過しているので、私達への感染はほとんどないと見て良い・・・と判断しました。オットは出社、ムスメはサンバの練習に、私も太極拳のクラスへ、それぞれ出かけることができました。ムスコは、今週木曜日までは家の中にいてもらいましょう。大学がお休みでよかった。バイトにいけなくて、収入が減ったのはかわいそうでした。
2009年08月25日
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罹ってしまいました!うちのムスコ。夏休みだというのに行動範囲は相変わらず広いのでどこで引っかかってきたのかわかりません。昨夜、頭が痛いといって早く寝たのです。いつもは11時ころまで寝ている奴が今日は9時には起きてきました。「寝たらすっきりした」と言ってしっかり朝ごはんを食べていました。今日はお昼に新宿に行って、夜は横浜で飲み会の予定だとか・・・「で、大丈夫なの?」と聞いたら「なんだか頭が痛い。熱、測ってみる」「え?38度!」「気持悪くなってきた~」ということで急遽全ての予定をキャンセルさせ、近くの内科に行かせました。結果新型インフルエンザでした。どーっと頭痛があるようで、梨とプリンしか受けつけません。例のタミフルを飲んでいます。窓から飛び降りないように、時々様子を見に行ってます。オットとムスメにもメールしました。みんな早々に帰宅して家族で謹慎状態です。あ~暑苦しい。しばらく前、私が熱を出していたのは夏風邪ではなくインフルエンザだったのかしら???いやいや、あんなに酷くはなかった。そういうことで、いつも以上にべたべたと仲の良い家族をしてます・・・
2009年08月20日
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ブログ、お休みしております。原因は・・・・ドラクエです。ファミコンでのドラゴンクエスト1から今まで、ずーっとクリアしてきました。そして2009年7月11日、シリーズの9作目が発売になりました。今回はDSでの機種なので、DSも新しいものを買ってしまいました。(古いDSは扉がバカになってしまい、使いにくいのです。)そして暇を見てはやっているのですが、目に悪い!あの小さな画面、1時間集中していると、目の奥から脳の真ん中にかけてしびれてくるような感覚があります。それでもなんとかラスボスまで辿りつきました。わたしのポリシーは、できるだけ自力でクリアする、ということです。本当に困った時だけ既にクリアしたムスコにヒントをもらいながら・・・なので、時間が掛かります。と、いうことで、目の保養に19日の夕方、ベランダから見えた巨大な虹を・・・
2009年07月26日
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1週間ほど実家に帰っていました。JR東日本『大人の休日切符』で3日間乗り放題12000円なので、時間があれば帰省することにしていたのですが、今回はそれにあわせて私達三姉妹と母とで小旅行に出かけることにしたのです。それに、母の月に一度の盛岡までの通院日も近かったので一緒に行ってみようかと。母は、パーキンソン病です。まだ軽度なので動きが鈍いように見えるだけですが。もうすぐ80歳で記憶力も計算力も判断力も衰えています。不自由もあるだろうけど、一人で暮らしています。自分の家の庭が大好きで、頑張りすぎて庭仕事でくたびれ果てる毎日のようです。行きの新幹線の中のランチはまい泉の玉手箱、651円也。支払いをする時に気付いたのですが、500円玉も100円玉も50円玉も1円玉もみんな銀色。カツサンドもお稲荷さんも食べられて、量も丁度良いので良く買います。実家に着いたらまずは父の位牌におまいり。それから母の庭を見て回りました。ラズベリーがたくさん色づいていました。さっそく収穫してジャムにして瓶詰めして1個は持ち帰ってきました。ラズベリーって高いよね。明治屋で50グラムくらいで500円くらい?ブルーベリーはたくさん実をつけていたけどまだ収穫できる時期ではなさそうです。もうすぐ食べきれないほど採れるって言ってました。ジャムにして送って!枝を切りすぎて(?)去年は2個しか実をつけなかった柿。今年は去年の怠慢を反省して鈴なりになっています。ラベンダーは今が盛り。花を掻き分け歩くとパーっと立ち上る初夏の香り。鼻の利かない母はこれを感じないんだそうです。残念!玄関先の南天の咲いていました。私がまだこの家に住んでいた頃(25年以上前!)は、私の背くらいの高さの木でしたが、今は軒に届いてしまうほど大きくなりました。冬の赤い実ばかりでなく、白い花もかわいらしい。実際は雑然とした、一見荒地のような畑のような母の庭ですが、写真に写った綺麗なところだけをトリミングして載せました(笑)ターシャ・テューダーの庭が憧れだそうです。がんばれ、おかあさん!
2009年07月09日
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毎年のことだけど、父の日と母の日って微妙に神経質になります。私自身の両親には(もう父はいないけど)素直に何か贈ろうって気分になり、父にはお酒類を母にはお茶と和菓子を贈るのが定番でした。この習慣は親元を離れてから、というか、私が結婚してオットの両親に気配りをしなくてはならなくなってからのこと。それまでは口頭で済ませたり、まぁあまり気にしていなかったのが本当のところです。(もう25年以上前のことだから世の中全体がそんなもんだったような・・・)しかし私自身が母になってからは結構世の中のほうがこういうことに喧しい。子供が小さい頃は幼稚園(のようなところ)で絵やカードを書いてきたりして、それで間に合っていました。しかし、教育機関で作ってこなくなってからは母の日にはオットが、父の日には私が、それぞれ暗躍しました。それぞれに秘密のふりをして何かを用意して・・・しかしそれも義務教育期間だけ。その後は子供同士が相談してなにやら用意してくれたり、くれなくて当日にばたばたしたり。かすかに感謝してもらっているのはうすうすわかっています。でも実際のところ受け取る権利のある恩恵だと思っているんじゃないでしょうか。ま、仕方ありません。そういうふうに育ってきたんだから。私自身も両親に本気で感謝(というか、一生懸命だったことを尊敬)するようになったのは私も親になってからですし。だからまだ自分のことで一杯いっぱいの子供達が、親からもらった小遣いの一部で何かを買ってくれるのは、無理がある感謝の仕方だと思ってもいるのです。そして今年の母の日は・・・ムスメが花屋を通りかかった時にバラの苗木(見切り品で500円!)を買ってくれました。彼女はバイトをしていないのでお金もありませんし、これで十分です。そしてムスコ(バイトしてます)が鉢を買った代金を出してくれました。植え替え作業は私がしました。それなりに楽しいプレゼントです。見切り品なのに香りの良い花を3輪咲かせました。そして父の日には・・・スターバックスの一人用コーヒードリップ(マグマップは商品に含まれません)デパートの広告で見かけてムスコに相談し、私が買ってきました。1800円なり。代金は子供達からしっかり徴収しました。これでオットが一人で飲むコーヒーは自分で淹れてくれるでしょう。父の日とか母の日とか、うちではまだ馴染まないなぁ・・・個人的には、誕生日をしっかり祝っていれば十分だと思うんだけど。でも、なにもなしでスルーしてしまうのには、世の中が許してくれないような風潮があって。子供達が本当に感謝してくれたら、それはそれでこそばゆいでしょうし。
2009年06月24日
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3月最終の金曜日、目黒川沿いの桜はまだ2分咲きでした。それでも翌日行った世田谷の妙法寺のしだれ桜は満開!しだれ系は1週早いのですね。そして4月2日の三鷹市某大学の構内の桜は八分咲き。ここは長い桜並木があって美しいところです。3日に行った乃木坂、新国立美術館前には桜色のオブジェが・・・週末の我が家のベランダで、満開の桜と早い時期から種をまいて育てたサフィニアを愛でながら簡易お花見が出来ました。春といえば、ラムです。(イースターのシンボルはウサギと卵とラムです。春に生まれる命の象徴です)ラムをラック(骨付きの胸肉の繋がったままのもの)で買い、塩コショウにおろしニンニクとローズマリーをたっぶり塗ってオーブンで焼いきました。付け合せは一緒に焼いた新ジャガ。左の鍋では春キャベツと新玉ねぎとグリーンピースとブロッコリーとベーコンを蒸し焼きにしました。サラダは柔らかいほうれん草と新玉ねぎにスモークサーモンを乗せたもの。春らしいメニューでした。さて、今日は大岡山駅前の某大学の総工費2億(?)といわれる桜のデッキでお弁当を食べてきました。時折吹く春風に満開の桜が崩れ落ちるように花びらを散らして、景色だけは豪華なランチになりました。帰りの駅でエスカレーターを降りる時、同行した母の髪に桜の花びらが数枚混ざっているのを見つけました。指先でつまんで取ったのですが、地肌が見えるほど衰えた母の頭髪に胸がキュンとなりました。あと何回上京してくることが出来るかな。
2009年04月08日
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