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2014年のコンサートのまとめの最後に、恒例の、自分にとってのベストコンサートをあげておきます。例年と同様に、自分が受けた感動の大きさという視点を中心に、演目の稀少度(自分にとっての貴重度)なども加味した、あくまでパーソナルな (自分勝手な)ランキングです。順位の細かな上下関係には、あまり大きな意味はありません。1. コルンゴルド「死の都」 沼尻&京響他 3/ 8,9 びわ湖ホール2. ジャルスキー&ヴェニス・バロック・オーケストラ ポルポラとヘンデル 4/25 東京オペラシティ3. マメリ&ヴェネクシアーナ モンテヴェルディ:「ポッペアの戴冠」 10/15 東京オペラシティ4. ワーグナー「パルジファル」 飯守泰次郎&東フィル他 10/14 新国立劇場5. マーラー 交響曲第7番 インキネン&日フィル 11/14 サントリー6. マーラー 交響曲第2番 テミルカーノフ&サンクトペテルブルグフィル 1/24 文京シビック7. マーラー 交響曲第3番 バブアゼ&関西シティフィル(アマオケ) 2/16 シンフォニーホール8. 鈴木大介 ギターリサイタル「武満徹の世界」 4/ 2 石橋メモリアルホール9. ヴィオラ・スペース 5/28 石橋メモリアルホール10. 「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」グスターヴォ・ポルタ他 5/21 新国立劇場
2016.01.06
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その4は、声楽編です。○古楽(器楽曲も含む) フライブルクバロックオーケストラ バッハ:ブランデンブルク協奏曲 2/12 東京オペラシティ アントネッロ モンテヴェルディ「ウリッセの帰還」 3/21 川口 リリア音楽ホール ジャルスキー&ヴェニス・バロック・オーケストラ ポルポラとヘンデル4/25 東京オペラシティ ヨハネッテ・ゾマー&コンチェルト・ケルン ヘンデルとバッハ 5/30 紀尾井ホール ヒリヤードアンサンブル 9/12 武蔵野市民文化会館小ホール マメリ&ヴェネクシアーナ モンテヴェルディ:オペラ「ポッペアの戴冠」(演奏会形式) 10/15 東京オペラシティ マメリ&ヴェネクシアーナ 「ある夜に」(モンテヴェルディ他) 10/16 王子ホール ル・ポエム・アルモニーク 11/13王子ホール○オペラ 沼尻竜典「竹取物語」(演奏会形式・世界初演) 沼尻指揮 他 1/18 みなとみらい コルンゴルド「死の都」 沼尻&京響, 鈴木准, 砂川涼子 他 3/ 8 びわ湖ホール コルンゴルド「死の都」 沼尻&京響, 山本康寛, 飯田みち代 他 3/ 9 びわ湖ホール ヤナーチェク「利口な女狐の物語」東京室内歌劇場 3/16 調布市せんがわ劇場 コルンゴルド「死の都」 トルステン・ケール, ミーガン・ミラー 他 3/18 新国立劇場 コルンゴルド「死の都」 トルステン・ケール, ミーガン・ミラー 他 3/24 新国立劇場 ベルク「ヴォツェック」 ゲオルク・ニグル, エレナ・ツィトコーワ 他 4/ 8 新国立劇場 「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」グスターヴォ・ポルタ他 5/21 新国立劇場 ワーグナー「パルジファル」 飯守泰次郎&東フィル他 10/14 新国立劇場○その他 藤村実穂子 リーダーアーベント(第4回) 3/19 紀尾井ホール マルティヌー:カンタータ「花束」他 フルシャ&都響 9/ 8 サントリー
2016.01.06
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続いてその3は、器楽曲の演奏会です。2014年演奏会のまとめ、器楽曲編○ピアノ ヴィルサラーゼ シューマン:交響的練習曲 他 2/ 3 すみだトリフォニー ストイアマン ヴィラ=ロボス, ナザレー, リッパー 4/10 武蔵野市民文化会館小ホール キーシン スクリャービン ソナタ第2番, 12の練習曲より 他 4/17 みなとみらい○オルガン ハンス=オラ・エリクソン バッハ, メシアン 他 1/19 武蔵野市民文化会館小ホール 福本茉莉 バッハ:クラヴィーア練習曲集第3部 4/11 武蔵野市民文化会館小ホール 松居直美 バッハ:オルガン作品全曲演奏会第1回 11/22 武蔵野市民文化会館小ホール ○その他 鈴木大介 ギターリサイタル「武満徹の世界」 4/ 2 石橋メモリアルホール コルンゴルド作品集(含む歌曲 ) 3/31 石橋メモリアルホール 原田禎夫 他 バッハ:ゴルドベルク変奏曲(弦楽三重奏) 3/22 東京文化会館小ホール ヴィオラ・スペース 5/28 石橋メモリアルホール 五嶋みどり シュニトケ, クセナキス, サーリアホ 他 10/ 8 サントリー○クラシック以外 ウォン・ウィンツァン ピアノソロコンサート 11/23 浜離宮朝日ホール [オルガン・覚え書き]ハンス=オラ・エリクソンは、BISのメシアンオルガン作品全集で弾いている人でしたので、この人がバッハ、メシアンなどを弾くコンサートを非常に楽しみにしていました。期待にたがわず、オルガンから大胆で多彩な音色を引き出した、生命力ある素晴らしいオルガン演奏でした。プログラムも非常に考えられたもので、プログラムの最後近くに置かれたバッハのパッサカリアBWV582で用いられるメロディーが、先行するいくつかの曲でも使われていて、それがリサイタル全体を通じてひとつの柱のようになり、聴きごたえがありました。終演後にサインをいただきました。
2016.01.06
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その2は、マーラー以外のオーケストラものの演奏会です。○ブルックナー 5番 ハーディング&新日フィル 11/8 すみだトリフォニー 9番 ルイジ&N響 1/16 サントリー 下野&読響 9/ 9 サントリー○その他 チャイコフスキー 交響曲第5番 他 大植英次&東響 3/ 1 ミューザ川崎 チャイコフスキー 交響曲第6番 他 コバケン&読響 4/28 サントリー エトヴェシュ、リゲティ 5/22 東京オペラシティ ウォルトン 交響曲第1番 他 ブラビンズ&都響 11/4 東京芸術劇場
2016.01.06
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新国立劇場3月24日のコルンゴルト「死の都」を聴きました。全5回公演の最終日です。この日の公演は、テノールのケールさんにとって、パウル役を歌うのが丁度100回目ということです!100回も歌うということは驚きですし、他の歌手による上演も含めると、海外でこのオペラが着実に上演され続けているのだなぁと、改めて思います。今回の公演は、最終日にふさわしく、先日僕が聴いた3月18日の公演(三日目)よりも、一段と充実したものでした。ともかくなんといっても、パウルを歌ったケールさんの素晴らしいことと言ったらありません。三日目の公演を上回る歌でした。声の美しさはもちろん、機微に富む感情のひだを自在に表現していました。三日目も充分すごいと思いまたが、それをさらに上回る素晴らしさ。ご本人も100回目ということで気合入ったことでしょう。それから今回は、オーケストラの音が、三日目よりも色彩感が増して豊かに響いてきてました。欲を言えばさらに突き抜けるような輝きが欲しかったですが、三日目よりはずっと、コルンゴルトのオーケストレーションの魅力が伝わってきて、なかなか良かったです。マリエッタ役のソプラノのミラーさんは、第二幕、第三幕での堂々たる歌いぶりが三日目よりもさらにパワーアップしていました。特に第三幕で、パウルへの愛を高く歌いあげるところなど、全身から出てくるエネルギーの充溢ぶりに圧倒されました。この人、こういう劇的な表現は本当にすばらしいと思います。しかし一方で、第一幕の「リュートの歌」におけるミラーさんは、三日目と同じで、音程を高く取りすぎ、弦楽を主とするオケ伴奏と合いませんでした。このアリア、後半はパウルも加わって歌われますが、パウルはちゃんとオケ伴奏と音程があっていて素晴らしくて、ひとりミラーさんだけがずれていました。。。このアリアはこのオペラの最高の聴きどころの一つだけに、ここでのこの歌いぶりはいささか残念でした。第二幕での「道化師の歌」は、わたくしとしては三日目の記事に書いた理由により、歌っている道化師フリッツだけを見るようにして、パウルや他の人の演技を見ないようにして聴いていました。それでもこの歌の最後に、パウルがそろそろと道化師フリッツに近づいていくと、フリッツがパウルをきっと睨み付けてパウルを拒絶する演技が目に入ってしまいました。この歌・音楽の美しさに、このぎすぎすした演出は、本当にこのアリアの魅力を甚だしく損なってしまいます。それから家政婦ブリギッタ役を歌ったメゾソプラノの山下牧子さん。この方、なかなか深い声でブリギッタ役として良い雰囲気が出ていました。ところでブリギッタには、第一幕が始まって間もなく、フランクと語り合う場面で、ブリギッタ最大の歌いどころのパッセージが出てきます。パウルへのひそやかな思慕を歌いあげる部分で、ここはオケの音楽とあいまって、短いけれどかなり感動的で、このオペラ最初の聴かせどころです。この部分でブリギッタにとって一番高い音が出てくるのですが、三日目も五日目のどちらも、その高い音をスルーして歌わなかったのが、残念だったです。三日目にここをスルーしたときは僕はかなり驚きました。コンディションが悪くてここをスルーしたのだろうか、最終日はしっかり歌ってもらえたらいいなぁ、と思っていたのですが、五日目も、三日目と同じように、最初からこの音の発声をあきらめて、スルーしていました。コンディション調整がうまくいかなかったのでしょう、失敗するよりは最初から歌わない方がいいだろうという安全を考えてのことだと思います。仕方ないといえば仕方ないですが、他の部分の歌が良かっただけに、ここのスルーはとても惜しかったです。最後に一点、第一幕でマリエッタが登場する箇所でパウルが「不思議だ!」というくだりの動作について、今回もしつこく書いておきます。この日のパウルの演技は、なかなか良かったのです。最初マリエッタが出てくる前に、パウルは赤いバラの花束を手にとり、マリエッタに渡すべく胸の前に花束を持って待っていました。そこにマリエッタが登場しますが、パウルはその場に立ったまま驚いたように、かすかに顔を左右に小さく震わしました!内心の衝撃が、かすかな身振りではありましたが、ちゃんと現れていたわけです。そしてその場で立ったまま「不思議だ!」と言い、そのあとも衝撃の余韻が残っているように、すぐにはマリエッタに近づけず、バラの花束を持ったままそこに立っているままでした。口づけはもちろん、手を持つことも、すぐにはしなかったのです。(これに対し三日目のこの場面では、すでによく覚えていませんが、わりあいとすぐにマリエッタに近づいて、彼女の手に口づけをしたか、すくなくとも彼女の手をとったように記憶しています。それに比べれば、今回の演技は、きっちりとパウルの感嘆を表現していて、音楽とあっていて、納得できました。ということでこの最終日は、上記したような細かな問題点はあったものの、ともかくパウルの名唱が本当に素晴らしかったですし、オケも、ソプラノのパワーも、最終日にふさわしい充実ぶりでした。これが聴けて良かったです。なお幕切れに関しても書いておきます。最後のパウルのアリアが終わってから、オケの絶美の後奏のところで、部屋に一人残ったパウルが、ベッド上に横たわり眠っている妻マリーの頭に万感の口づけをしてから、部屋を去っていき、そして幕が下りる、という終わり方でした。台本や音楽は、ブリュージュを去って前向きに生きていこうとするパウルの気持ちを表現していますので、この演出はそれにしっかり即した、素直なもので、とても良かったです。演出によっては、パウルがピストルをもって自殺するような様子で幕が下りるという、もともとの台本や音楽の目指しているものをまったく覆すようなひどい場合がありますから(You Tubeで見て驚きました)、そのような演出でなくて良かったです。そして、幕が下がりきるのとオケの後奏が静かに鳴りやむのががほぼ同時で、そのあとにごく短いながらも静寂があり、そのあとに拍手が始まりました。幕が下がる途中から拍手が始まってしまうということがなく、これも良かったです。(三日目、五日目とも同じでした。)カーテンコールの最後のほうは、パウル役ケールさんとマリエッタ役ミラーさんと指揮者の3人が舞台に立って挨拶を繰り返しました。そのうちにミラーさんが、ケールさんをさし示しながら、会場に向かって大きく、1,0,0と身振りで数字を書いて、ケールさんがパウル100回目の出演だったことを祝していました。ケールさん100回おめでとうございます、素晴らしいパウルをありがとうございました!帰りに撮った1枚、夕暮れが迫るオペラパレスです。かくて、びわ湖2回、東京2回と、死の都が4回も聴けたという夢のような1ヵ月、深い余韻をたたえて、幕が下りました。
2014.03.26
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びわ湖での大きな感動体験の直後、今度は新国立劇場でどんな死の都を聴けるのでしょうか。新国立劇場では、3月12日から24日の間に、全5回公演が現在進行中です。僕は最初は1回だけ聴く予定でしたが、公演が近づいてきてCDを聴いていると、あまりに音楽が美しすぎて、この貴重な機会を1回だけですますのは勿体なさすぎると思い、2回行くことにしました。まず3月18日、全5回公演の3回目を聴きました。この記事はその3月18日公演の感想です。コルンゴルト 「死の都」指揮:ヤロスラフ・キズリンク演出:カスパー・ホルテンパウル:トルステン・ケールマリエッタ/(マリーの声):ミーガン・ミラーフランク/フリッツ:アントン・ケレミチョフ (トーマス・ヨハネス・マイヤーの代役) ブリギッタ:山下牧子管弦楽:東京交響楽団合唱:新国立劇場合唱団児童合唱:世田谷ジュニア合唱団パウル役のケールさんは定評どおり、素晴らしかったです。パウルの様々に錯綜する想いを、余裕を持って表現の幅広く歌っていたのは本当に見事でした。最後のアリア、ゆっくりしみじみと、余韻をたたえて聴かせてくれました。このパウルを聴けたことが今回の最大の収穫でした。マリエッタ役のミラーさんは、ドラマティックな表現に長け、あるときは肉感的にパウルに迫り、あるときは丁々発止とパウルとわたりあう、そのアピールの強さが素晴らしく、その方向での聞き応えが十分にあり、楽しめました。このミラーさんは終了後にも盛大な喝采をあびていました。この主役二人の貫禄ある歌いぶりで、びわ湖とはまた違った魅力を伝えてくれる舞台でした。ただ、びわ湖での音楽体験があまりにも素晴らしかったせいもありますが、僕は今回の公演に少なからぬ物足りなさを感じました。その最大の点は、指揮者でした。とても丁寧に振っていましたし、オペラ最後のパウルの歌のゆっくりとしたテンポなど、良い点もありました。しかし、ともかくオケの音楽が、おとなしすぎ、控えめすぎでした。歌手の伴奏をきちんとやる、ただそれだけに終わってしまった感がありました。コルンゴルドの書いた音楽には、もっともっと魔法のような美しさがそこかしこにちりばめられているはずです。ハープやチェレスタの煌めき、金管の輝かしいプレゼンス、ハルモニウムやさまざまな鐘が多層的に重なって生ずるぞくぞくするような響き、こういったもの全てが、著しく不足していました。東響ですから、適切にドライブすれば、そのような魅力的な音楽が沸き上がってきたことと思います。沼尻さんのびわ湖公演では、そういった魅力が全開になっていました。あと、アリアに関しても甚だ残念な点がありました。まず、このオペラの顔と言っても良い、聴かせどころのアリア、第一幕での「リュートの歌」です。このアリアでは、歌手がシンプルなメロディーを歌うのに合わせて、チェロやヴァイオリンが静かに同じメロディーを寄り添うように一緒に奏でます。(第二幕の「道化師の歌」も同じです。)プッチーニ風と言っても良いでしょうか、この弦楽の伴奏が、歌の抒情性を一段と深め、うつくしも悲しいこのアリアの感動をひときわ高めてくれます。僕の保有するCD(ラインスドルフ盤)でも、先日のびわ湖公演でも、ここの歌と弦楽合奏が、ぴったりと調和していて、感動の世界にたっぷりと浸ることができました。しかし今回のアリアは、ソプラノと弦楽の音程があっていないのでした。。。ソプラノが、音程をかなり高くとった歌い方だったように思います。ドラマティックなアリアであれば、このような歌い方が絶大な効果を発揮することは間違いありません。しかしシンプルな「リュートの歌」では、このような歌い方では美しさが損なわれてしまいます。少なくても弦楽とは音程をあわせて欲しかった。。。僕にとっては聴いていていささか居心地が悪くなるような「リュートの歌」になってしまいました。また、このオペラのもう一つの有名なアリアである、第二幕で道化師フリッツの歌う「ピエロの歌」、これも僕としてはかなりの違和感がありました。歌手に対してではなく、演出に対しての違和感でした。今回の演出は、プログラムに乗っている演出者自身の解説によると、パウル自身の主観的な立場から見た世界を描くコンセプトということです。その趣向の最たるものが、死んだ妻マリーを舞台上に登場させてパウルには妻が見えている、というユニークなアイデアで、これはなかなかに面白い趣向でした。そういうコンセプトなので、第二幕が、現実世界ではなくてパウルの夢の中の体験である、ということをわかりやすく示す舞台設定でした。本来の台本によれば、第一幕の舞台はパウルの部屋で、第二幕はそこから一転して、ブルージュの街の、運河に沿った道端が舞台になります。その運河を、ボートに乗ったダンサーやら道化師やらの劇団一座が到着する、という展開になるわけです。しかしこの演出では、第一幕は台本通りのパウルの部屋でしたが、第二幕がユニークでした。舞台背景にはブルージュの街並みの風景が現れるものの、舞台の大半は、パウルの部屋の舞台装置がそのまま置かれたままです。すなわち第二幕になっても、部屋の左右の壁は第一幕のままだし、舞台中央には、第一幕で置かれていた巨大なダブルベッドが、そのまま鎮座したままでした。ですのでパウルの部屋のままなわけです。これによって観客は、ここで起こっていることが、現実の世界の出来事ではなく、パウルの夢の世界での出来事なんだ、ということが、わかりやすくなるという仕掛けです。そのような舞台に、第二幕が始まってしばらくして登場してくるのが、道化師やダンサーほか劇団一座の一行です。もともとの台本の指定では、運河からボートに乗って到着することになっています。しかしこの演出では、舞台中央の巨大なベッドに穴があき、穴の中から、次々に一座の人たちが登場してきます。そして登場したそれらの人たちは、オールを持っていて、巨大なベッドをボートにみたてて、オールを漕ぐような仕草もして、パウルの部屋に侵入してきたのでした。まさに夢の中での登場のような、奇妙な登場です。そしてこの道化師が、ちっとも道化師のようなひょうきんな仕草をしないのです。それどころか、パウルに威圧的な、敵対的な態度をとります。しかもこの道化師役が、友人フランクと同じ歌手が演じているわけです。この、道化師とフランクを同じ歌手が歌い、その道化師がちっとも道化師のようでなくてパウルに敵対的、というのは、まさにこの演出の狙うところなのでしょう。というのは、第二幕のこれに先立つ部分で、パウルは友人フランクと、マリエッタをめぐって争いになり、フランクは「もう友人じゃないからな!」と怒ってその場を去っていきます。そのあとに登場した道化師が、フランクと同じ歌手であり、その道化師がパウルに威圧的、敵対的な態度をとるというのは、パウルが夢の中で体験している世界そのものになるわけです。そういった心理描写的な意味では、道化師をフランクと同じ歌手に歌わせ、パウルに敵対的な態度をとらせる、という演出の設定は、パウルの心の葛藤と不安を表していて、なかなかに面白いと思いました。しかししかし、道化師をそのような性質の存在にしてしまったことで、このオペラで道化師の存在やその歌が持つ魅力の多くが失われてしまったように、僕には思えてなりません。この道化師の歌は、「リュートの歌」と同じように、取り戻せないもの、過ぎ去ったものへの憧憬を歌ったアリアです。ウィーンの香りが濃く漂うような、本当に切なく美しい歌詞と音楽です。このアリアを聴いているときには、その世界に素直にどっぷりと浸りたいと思います。少なくともコルンゴルトはそのように意図したと思うし、僕もその世界に浸りたいと思います。ところが今回の演出では、登場した劇団一座の人々が、パウルの大切にしている妻マリーの遺品やら写真やらを撒き散らかします。そして「道化師の歌」を道化師が歌っているときに、パウルが部屋の中をそろそろと歩きまわって、散らかされた写真や遺品を拾おうとすると、一座の人々はそれを踏みつけて邪魔します。それが、このアリアの間中ずっと繰り返されました。演出家の解説によれば、「パウルの夢が、彼にマリーを手放すように促しているのです」ということです。さらに、歌が終わって帰っていく劇団一座の人々は、オールでパウルを威嚇するような身振りを繰り返しながら去っていきます。演出家の狙いはわかるし、それなりにおもしろいと思います。しかしそういった設定と演技によって、この道化師の存在の本来の意味、「道化師の歌」の持つ本来の美しさは、完璧に台無しになっていました。これでは演出が出しゃばりすぎ、と僕は思います。演出は、音楽に奉仕しなくてはいけないと思います。演出の狙う心理描写のために、音楽本来の持つ性質を打ち消してしまう、というのは、本末転倒ではないでしょうか。もしかしたら、このオペラをさんざん味わい尽くしたマニア筋からはユニークさというか、現代性というかが評価されるのかもしれませんが、それにしても、音楽の意味をここまで壊してはいけないと、素朴に思います。そもそもはフランク&フリッツ役は、当初はトーマス・ヨハネス・マイヤーという別の方が歌う予定でした。それが、「芸術上の理由により」代役となったと発表されています。芸術上の理由って、どういう理由だったのかが知りたいところです。声質が変化したため、とつぶやいている方がいらっしゃるので、そういう理由なのかもしれません。でも、もしかしてもしかすると、その歌手はこの演出に疑問を感じて、この演出では「道化師の歌」は歌いたくない、と思ったのかもしれない、などと妄想したりしているこの頃です。それから、字幕についても一言。今回の字幕、わかりにくかったです。ぱっとみて、よく意味がわからない。たとえば道化師の歌の切なく美しい歌詞の意味が、見ていて理解できませんでした。終わってから近くの観客が、「このオペラ難解だったね」と言っていたのが耳にはいったりしました。この難解さの少なからぬ一因は、この字幕にあり、です。この点、びわ湖の字幕は、本当にわかりやすくて心にすっとはいってきて、とてもすばらしい字幕だったことを、あらためて感じます。最後に、細かなことですが一点、びわ湖二日目の記事で書いた、第一幕でマリエッタが登場する箇所でパウルが「不思議だ!」というくだりの動作についても、書いておきたいと思います。今回のパウルの動作は、びわ湖の初日公演と同じような、冴えない、感嘆の気持ちがあまり伝わってこない立ち居振る舞いでした。それでも見ていて、びわ湖初日公演ほどの違和感はありませんでしたが、それは、そもそもオケがここで奏でる音楽も、感嘆の気持ちがあまり感じられないものだったので、違和感が少なくてすんだのかもしれません(^^;)。この箇所は、ほんの一瞬のことだし、もしも今回の舞台しか見聞きしていないとすれば、それほど気にはならないような些細なことかもしれません。しかしラインズドルフのCDでのこの箇所の音楽表現に聴きほれ、そしてびわ湖公演二日目でのこの箇所でのオケの音楽の雄弁さとパウル役山本さんの仕草の見事さを目の当たりにした自分としては、これこそがコルンゴルトの描いたイメージだと実感しますし、それを感じとっていないような演奏や仕草には、物足りなさを感じてしまいます。ということで、指揮者、目玉のアリア二つのそれぞれの問題点、字幕と、僕としては疑問をいろいろ感じて、びわ湖のときのような圧倒的な感動に浸ることはできませんでした。しかし、パウルの歌をはじめとして、すばらしい点も多々あり、貴重な体験だったことはもちろんです。明日24日、もう一度聴きに行きます。最終回となる第5回の公演です。今度はどんな死の都体験になるのか、楽しみです。
2014.03.23
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3月9日、二日目の上演です。昨日よりもさらに良い天気になり、晴れやかな気持ちでホールにやってきました。この日のパウル役は、最初の予定の歌手が体調不良のため、代役で、山本康寛さんが歌いました。びわ湖ホール声楽アンサンブルに所属の方です。このパウルが、素晴らしかったです!歌が素晴らしかったのは勿論のこと、ちょっとした仕草も、場に即した、いい演技が随所に見られました。極めつけは第一幕の序盤、マリエッタが初めて登場する場面の仕草でした。第一幕の音楽は全編息もつけないほどの絢爛たる音と声の連続でどこも大好きです。その中で特に僕が好きな場面のひとつが、マリエッタが初めて登場するシーンの音楽です。登場したマリエッタが美しかったマリーにそっくりなのを見てパウルが「不思議だ!(Wunderbar!)」と感嘆の声をあげます。ここで天才コルンゴルトが書いたオケの音楽は、感嘆に打たれるパウルの幸福な衝撃をきらめくように鮮やかに映し出す、極めて印象的な一瞬です。この場面で、初日のパウルは、登場したマリエッタにすかさず近づき、左手に口づけしてから、「不思議だ!」というのでした。この一連の動作にはかなりの違和感がありました。オケの音楽はパウルの感嘆の衝撃を見事に表しているのに、肝心のパウル自身が感嘆の衝撃を全くもって感じさせず、余裕を持ってマリエッタの手に口づけをしているわけです。演出の指示でこうやっているのだとしたら、音楽の内容に無頓着な演出だなぁ、といささか疑問を持った仕草でした。ところが二日目は違ったのです。登場したマリエッタを見たパウルは、驚きに打たれて思わず少し後ずさりしました!そしてその場所で「不思議だ!」と感嘆の声をあげ、そのあとようやく気を取り直してマリエッタに近づき、そして手をとって口付けをしたのでした。これこそまさにコルンゴルトが書いた音楽の内容にぴったりと合致した一連の所作です。演出の指示が元々こうだったのか、それとも演出の指示は初日のとおりで、それを敢えて破ってご自分で判断してこの所作をしたのかはわかりませんが、もし後者だとしたら見事な判断です。この二日目のパウルは全編にわたって本当に素晴らしく、最後の場面の歌はパウルの、亡き妻への名残惜しさを抱きつつも前向きに生きて行こうという意志も現れていて、もう本当に感動に浸りながら聴いていました。家政婦ブリギッタ(池田香織さん)、友人フランク(黒田博さん)ともに、初日の方々と同様に素晴らしかったです。この日のマリエッタ&マリー役の飯田みち代さんは、どちらかというと自由奔放なマリエッタよりも真面目なマリー的な性格表現に親和性が高い歌唱で、初日とはまた違った雰囲気を楽しめました二日ともすこぶる充実した上演でした。沼尻さんの指揮は緩急のツボを押さえた本当に素晴らしいものでしたし京響も金管軍団を筆頭に、この難しい曲を良く演奏していました。ハーブやチェレスタが非常に活躍するこのオペラを生で聴けて、極上の体験をすることができました。このすぐ後、同じ3月に新国立劇場でも死の都が取り上げられます。こちらも大変楽しみにしています。
2014.03.13
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3月8日と9日、びわ湖ホールでコルンゴルトのオペラ「死の都」を聴きました。舞台形式として日本初演です。沼尻竜典オペラセレクションコルンゴルト 「死の都」指揮 沼尻竜典演出 栗山昌良京都市交響楽団びわ湖ホール声楽アンサンブル大津児童合唱団このオペラ、CDで初めて聴いたときから非常に感動し、滅茶苦茶好きになりました。いつか生舞台で観る機会が来ることを楽しみにしていました。それが今回ついに実現することになり、しかも沼尻さんの指揮ですから大いに期待していましたこのオペラは、新国立劇場でも同じ3月に上演があり、それは大分以前から知っていました。沼尻さんのびわ湖ホールでの上演を知ったのはそれより大分あとでした。仕事で3月6日と7日に大阪に泊まる予定があり、それで8日に関西方面で何かコンサートはないかと検索したら、なんと死の都が出てきてびっくり仰天しました。これは絶好の機会とばかりにびわ湖行きを決めました。元々3月9日には横浜でインバル&都響のマーラー8番があり、それに行くつもりでしたので、最初は8日びわ湖、9日横浜という計画を考えました。しかし死の都、それも沼尻さんの死の都を今後聴けるチャンスはそうはないだろう、それに比べればインバルのマーラー8番はいずれまた聴く機会があるだろうと考え、琵琶湖に一泊してこの貴重なオペラ上演を二日間聴くことにしました。上演が近づくのにあわせて保有するCD(ラインスドルフ指揮、ルネ・コロ、キャロル・ネブレット、ヘルマン・プライ他、1975年録音)を聴きかえしては感動に浸り、上演を楽しみにしていました。事前の大津の天気予報は最低気温マイナス一度で曇り時々雨または雪!ということで、寒さを心配しながらやってきましたが、当日は幸い曇り時々晴れでした。いずれ来てみたかったびわ湖ホールに、初めて訪れる機会でもありました。JRから京阪電鉄の味わいあるローカル線に乗り継ぎ、湖畔に聳えるびわ湖ホールに到着しました。ロビーから臨む灰色がかった緑の湖面と、その向こうにうっすらと白く雪を被った山々が、美しいです。ロビーのレストランでサンドイッチを食べてコーヒーでくつろぎ、少し時間があったのでホール裏手の湖畔の散歩道を散策しました。犬を連れて散歩する方が沢山いらしゃいました。さていよいよ初日の上演です。このオペラ、冒頭からすこぶるハイテンションの音楽が続きます。特にテノールの主人公パウルは、第一幕序盤に登場してから、熱に浮かされたような高揚した気分で第一幕をほぼずっと歌いつづけ、しかも高音がばしばし出てくるので、さぞや大変だろうと思います。初日に関しては、このパウル(鈴木准さん)が不調だったのが残念でしたが、ほかは皆さんすばらしく、メゾソプラノの家政婦ブリギッタ(加納悦子さん)、主人公パウルの友人であるバリトンのフランク(小森輝彦さん)ともに、深い声で役割りを充分にこなしていました。このオペラのもう一人の主役である、パウルが惹かれる踊り子マリエッタ(亡くなったパウルの妻マリーとの一人二役)を歌ったソプラノ砂川涼子さんが非常に素晴らしく、第一幕、第二幕、第三幕と進む毎にマリエッタの奔放で自由な性格の描き出しが鮮やかで、圧倒的な存在感でした。このオペラの聴かせどころの名アリアが二つあります。一つは第一幕でマリエッタ、ついでパウルが加わって二重唱で歌われるリュートの歌、もうひとつは第二幕で道化師フリッツが歌うピエロの歌、これどちらも、沼尻さんはぐっとテンポを落とし、じっくりとうたわせて、歌手たちもそれに充分に答えて、感動のアリアを聴かせてくれました。フリッツ(バリトンの迎肇聡さん)の歌、泣けました。第三幕の最後、夢から醒めたパウルが、死の都ブルージュから去ることを決意して歌う最後のアリアは、第一幕のリュートの歌と同じメロディーで、歌詞が異なって、パウルのしみじみとした心境が歌われます。このあたりになるとパウルの歌がいよいよ心に染み、感動もいよいよ極まります。歌い終えたパウルが名残惜しさを残しつつ舞台(パウルの部屋)から去り、最後の和音が静かに消えていきます。幕切れの仕方は、保有するCDの対訳のト書きによると、舞台に最後に一人残ったパウルが去っていき、幕が下りる、と書いてありました。それで自分としては、音楽が静かに消えていくと比較的すぐに照明が落とされて真っ暗になって終わるのだろうな、と想像していました。自分としてはしばらく静寂の中で感動の余韻に浸りたいな、だけれど暗くなったらすぐに拍手が始まってしまうだろうな、と思っていました。しかし、今回の演出は、そこに素敵な工夫がされていました。パウルが去った舞台上には、一人家政婦ブリギッタが残り、音楽が鳴り止んでも照明が明るいままです。ブリギッタは完全な静寂の中しずしずと歩いて舞台正面に置かれた燭台を手に取り、後方にゆっくりと後ずさりしてそこで初めて、照明がゆっくりと落とされはじめ、幕が下がりはじめ、そして拍手が起こりはじめました。なんと素敵な工夫でしょう。これによって、音楽が鳴り止んでから暫くの間、ホール内の皆が静寂のひとときを共有でき、感動の余韻に浸ることができました。かくて初日は、大感動、大満足の体験となりました、マリエッタ(マリー)の名唱を筆頭に他の歌手たちの見事な歌いぶりが光る初日でした。パウルの声の不調だけが残念でしたが、オペラで登場歌手の全員が絶好調ということはなかなかないですから、これはやむを得ないことかと思います。パウルも、最後の歌はしみじみとした味わいの心に残る歌を聴かせていただきました。そして聴かせどころをたっぷりと聴かせてくれた沼尻さんの指揮は本当に素晴らしいと思います。字幕翻訳(蔵原順子さん)もCDの翻訳とちょっと違った味わいで、素敵でした。初日を聴き終わって本当に充実感がありました。これでもし二日目が聴けないとしても、それでもいいなぁと思うほどの満足感がありました。幸福な余韻に浸りつつ、宿に向かいました。
2014.03.13
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