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皆様あけましておめでとうございます。昨年後半は仕事が忙しくてブログが書けませんでした。コンサートに行くのも時間がなかなかとりにくく、行った回数がやや少な目の年でした。年末年始も何かと忙しく、昨年のような沢山の記事は書けそうにありません。せめて恒例のコンサート年間のまとめだけでも、駆け足で書いておこうと思います。まずはマーラーです。2013年に聴いたマーラーの全演奏会は次の通りです。-----------------------------------2番 大植/大フィル 4/26 フェスティバルホール3番 アツモン/名古屋フィル 3/29 愛知県芸術劇場コンサートホール アルミンク/新日フィル 8/2 すみだトリフォニー アルミンク/新日フィル 8/3 すみだトリフォニー 現田茂夫/TAMA21交響楽団 10/14 府中の森芸術劇場どりーむホール5番 セーゲルスタム/読響 1/21 サントリー6番 カンプルラン/読響 3/18 サントリー カンプルラン/読響 3/19 サントリー ハーディング/新日フィル 6/21 すみだトリフォニー ハーディング/新日フィル 6/22 すみだトリフォニー アルミンク/兵庫芸術文化センター管 10/13 兵庫県立芸術文化センター インバル/都響 11/22 みなとみらい7番 ジンマン/N響 1/11 NHKホール インバル/都響 11/2 みなとみらい ハーディング/新日フィル 11/9 すみだトリフォニー9番 ラザレフ/日フィル 10/27 東京芸術劇場嘆きの歌 秋山/東響 3/23 サントリーこのほか、体調不良で行くのを断念したのが金/神奈川フィルの定期のマーラー10番で、これは貴重な機会だったので、かなり残念でした。-----------------------------------2番。大植&大フィルの完全燃焼の2番は、素晴らしかったです。3番。まず春は、アツモンによる、名古屋フィルの定期演奏会でした。二日とも聴きたかったのですが、二日目が外せない仕事(しかも悔しいことに同じ名古屋で!)のため、初日のほうだけを聴きました。燃焼度は今一つでしたが、二日目にはさらによくなっていたのかもしれません。夏の3番は、アルミンク&新日フィルのラスト定期でした。特に二日目はオケも精度があがり、アルミンクが作る音楽の深さに大感動でした。秋の3番は、東京のアマオケによる演奏。現田さんのマーラーを聴くのは初めてでした。なかなか手堅くまとめた、好感のもてるマーラーでした。欲をいえばもうひとつ高揚がほしかったです。このアマオケは全体的に、技術の高さは驚異的で、管もうまいけど、さらに弦セクションの立派さは、半端じゃなくすごかったです。それから特筆すべきはポストホルンを吹いた賛助出演の守岡さんという女性奏者で、セミプロの方かもしれないですが、音色、音程、歌、どれをとっても文句なし、現在の在京のプロオケのトップ奏者でもこれほどのポストホルンはそうそう吹けない美しさです!距離感も良かったし、本当に素晴らしかったです。この奏者、第3楽章が終わると舞台上に戻ってきて吹いてましたから、おそらく最後の金管コラールも吹かれたのだと思います。そこも安定感あって、とてもきれいでした。終演後、現田さんから花束をもらっていました。拍手が終わって、オケの皆さんが舞台から退場するときに、舞台そばにいって、使用楽器をお尋ねしたら、普通の♭B管のトランペットということでした。素晴らしい演奏をありがとうございました。 5番は、セーゲルスタムが細心かつ豪快な演奏で楽しませてくれました。6番は、アルミンクの超充実ぶりが光りました。このアルミンクの前には他の演奏がかすんでしまいますが、なかでハーディング&新日フィルは、以前東フィルを振ったときよりも良かったです。それからインバルの6番。かねてから個人的に、インバルが一番向いているマーラーは中期の作品、5、6、7、8番だと思っていましたが、やはりこの6番、引き締まっていて、インバルのマーラーにしては聴きごたえがあって充実していました。今度の新マーラーチクルス、5番は仕事の都合できけなかったのですが、1,2,3,4,6と聴いてきて、6番がダントツに良かったと思います。しかししかし、すべてのパートがやたらと聴こえすぎです。聴こえればいいというものではないと思います。特に、インバルのマーラー解釈のあらわれとして象徴的だったのが、カウベルの音の扱いでした。カウベルの音がやたらはっきりと聞こえてきて、遠くからの、美しい響きをもって響かないのですね。6番で響くカウベルの音は、現実世界とは異なる、現実には得られない安らぎの世界の象徴ではないかと思います。その世界への憧憬の念をもって響かそうとしないと、だめだと思います。今回のアルミンクやハイティンク&シカゴ響や井上喜惟&JMOのような、デリカシーのある美しい響きとまではいかなくても、もう少しそのあたりに神経をつかってもらえないものでしょうか。いやインバルにそういうことを望むのがそもそも無理なのですね。この6番を聴いて、インバルのマーラーがなぜ僕の心に響きにくいのか、その理由をあらためて明白に感じました。インバルのマーラーには憧憬がないし、寂寥感がない。僕にとっては、前者は初期の作品群に致命的だし、後者は晩年の作品(大地の歌、9番)に致命的なのです。まぁ、こういうマーラーの演奏もありかなとは思います。でも間違っても、都響のチラシによく見かける、「世界一のマーラー」という宣伝文句は、やめてほしいものです。それからカンプルランが初めて振るマーラー、6番。これはどうしようもなくつまらなかったです。この人はマーラーに手を出さないほうが良いかと思いました。7番は、昨年の秋はすごいことになってました。インバル&都響と、ハーディング&新日フィルの両者が、どちらも11月8日と11月9日の二日公演という、正面からの激突だったのです。マーラー7番愛好家は、なんでよりによって同じ日に!と悩んだことでしょう。わたくしは7番へのこだわりはそれほどないので、あまり悩まないですみました。11月8日はみなとみらいでインバル&都響、11月9日はすみだトリフォニーでハーディング&新日フィルを聴きました。インバルの7番は、悪くはなかったですが、翌日のハーディングのほうがやはり断然素晴らしかったです。第四楽章の夜の歌が、途中思わず涙が出てくるくらいでした。この楽章、マーラーが書いたもっとも家庭的で温かく幸福な音楽だと思います。それがハーディングの棒でとっても素敵に表れていたのです。今年は9番はラザレフ&日フィルの1回だけでした。これも、どうしようもなくつまらなかったです。日フィルはコバケンの振るマーラーを弾いている団員も多いでしょうから、どんな想いで弾いているのだろうか、などと余計な想像をしちゃいました。それにつけてもコバケンがこのごろマーラーをちっとも振らないのはなぜなのでしょうか。コバケンのマーラー、待ち遠しいです。ということで2013年コンサート、駆け足でマーラー編でした。
2014.01.01
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10月に兵庫で、アルミンクのマーラー6番を聴きました。兵庫芸術文化センター管弦楽団 第64回定期演奏会10月13日、兵庫県立芸術文化センターベルク ヴァイオリン協奏曲マーラー 交響曲第6番指揮:クリスティアン・アルミンクヴァイオリン:ルノー・カプソン管弦楽:兵庫芸術文化センター管弦楽団コンサートマスター:ウェルナー・ヒンクアルミンクがマーラー6番を振る。8月に聴いたアルミンク&新日フィルの3番が、10年前よりも格段に深化していてあまりにも素晴らしく、今後日本でアルミンクのマーラーを聴ける機会があるのかどうか、ということを考えると、この演奏会は非常に貴重な機会で、ぜひとも聴きたいと思いました。日程は10月11、12、13日の金・土・日曜日。丁度その金・土曜日と九州への出張がありましたので、出張帰りに兵庫に立ち寄ってコンサートを聴こう、と決めました。それでチケットを買ったのですが、そのときにはもう券はほとんど残っていない状態で、かろうじて1階3列目のほぼ右端の席を、入手できました。土曜日の夕方に九州での仕事を終えるとともに、新幹線に飛び乗って大阪に行き、一泊し、その夜は爆睡して仕事の疲れを取り、翌日曜日に西宮の兵庫県立芸術文化センターに向かいました。この会場を訪れるのは佐渡さんのマーラー3番、大植さんのマーラー4番とマーラー3番に続く4回目。前回までは、佐渡さんのコンサートやオペラを宣伝する派手なのぼり群で華やかに飾られて「佐渡城」らしさ全開の雰囲気の会場でしたが、今回はのぼりがなく、静かな佇まいでした。プログラムはアルミンクらしいこだわりあるもので、前半がベルクのヴァイオリン協奏曲。ベルクがこの曲を作曲中に、アルマとグロピウスの娘マノン・グロピウスの夭逝を知り、「ある天使の思い出に」という言葉が添えられた曲ですね。大いに期待して聴きましたが、しかしソリストのカプソンが今一つ冴えませんでした。譜面を見ながら弾いていたのにもちょっと興醒めしてしまいました。休憩のあとが、マーラーの6番。楽章順は第二楽章スケルツオ第三楽章アンダンテです。私的には断然この順序が好きです。演奏は一貫してゆっくりめのテンポでした。特に第三楽章、最後まで加速しないでゆったりと、楽章最後の盛り上がりを味わい深く歌ってくれて、大感動でした。第一楽章や第四楽章の中間部分の味わい深さも素晴らしかったです。ともかく全編通じて、単なる悲劇的な音楽になってなく、アルミンクがマーラーの憧憬の念をとてもよく汲み取っていることがひしひしと伝わってきました。これほどの味わい深い6番は、そう滅多に聴けないです。舞台裏のカウベルへの鳴らし方も出色でした。第一楽章・第四楽章ともに左右の扉を開けての“カウベル両翼配置“で、繊細な美しい音で、距離感も充分にありました。第三楽章の舞台上のカウベルもとても繊細な鳴らせ方で、いい響きでした。アルミンクの細心の配慮、素晴らしいです。プログラムの解説によると、コンマスは元ウィーンフィルのコンマスのウェルナー・ヒンク氏で、さすがに貫禄ある美しいソロを聴かせてくれました。ウィーンに生まれ育ったアルミンクが、曲のプログラミングといいコンマスといい、ウィーンのテイストにこだわったのでしょうか。また他にも、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、トランペット、ティンパニーに強力な助っ人プレイヤーが参加しているということでしたし、ホルンにも元都響首席の笠松長久氏が参加していて、技術的にもすこぶる立派な演奏でした。3日公演の最終日ですから、オケとしても相当に充実の響きが出せたことと思います。ひとつ変わっていたのはハンマーです。縞模様がついていた外観が珍しかったですが、さらに変わっていたのはその叩かせかたでした。普通は上に振りかぶったハンマーを下に打ちおろしてそのままですが、今回は叩いた後にハンマーを再び高い位置にかつぎあげていました。重いハンマーをまた上に持っていくのは疲れたことでしょう。音色へのアルミンクのこだわりなのかもしれませんが、音自体は残念ながら良く聴こえませんでした。あと叩く台の方も、見えませんでした。アルミンクの6番は、数年前に新日フィルと演奏したときには仕事の都合で聴けず、残念な思いを抱いていました。まったくの憶測ですが、おそらくその時の演奏よりもはるかに深化しているであろうと思います。8月の新日フィルとの3番といい、今回の6番といい、ここにきてアルミンクのマーラーは驚異的な充実ぶりです。今年6月に聴いたハーディング・新日フィルの6番も悪くはなかったけれど、それと全然比べられないレベルの、きわめて貴重な6番を聴けました。終演後、帰りかけると、アルミンクのサイン会をやるということがわかりました。並んでいる人はわずか10人くらいと少なかったので、急遽CD(いずれ買おうと思っていたマーラーの嘆きの歌、昨年の新日フィルとの演奏会のライブ録音盤です)を買って、サインしてもらいました。サインしてもらうときに、「8月の3番が非常に感動的だったので、東京からあなたのマーラーを聴きに来ました。」といったら、アルミンクはびっくりして喜んでくれました。「これからもまた日本で是非マーラーをやってください。」とお願いしたら、「OK!」と答えてくれました。それが本当に実現してほしいと願いながら、冷めやらぬ感動を抱きつつ、兵庫から帰途に着きました。
2013.11.17
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アルミンク&新日フィルのマーラー3番二日目・その2です。第三楽章のポストホルンは、きのうの不調に一念発起したのでしょうか、昨日とは別人のような、十分なレベルの吹奏をしてくれました。(忘れないように言っておくと、ホルンも、きょうは曲全体と通してほころびが昨日よりもぐっと少なく、立派な演奏になっていました。良かったです。)そして第四楽章・第五楽章の藤村さんの歌唱は、今日も心にしみる名唱でした。声楽陣の着席も、昨日と同じタイミング、同じやり方で、細心の注意が払われた、納得させられる着席でした。今後「アルミンク着席方式」と呼びたいと思いました。そしてこの終楽章!やっていることは初日と同じなのに、立ち現れる音楽のたたずまいは、昨日とはまったく違います。昨日のぎすぎすした感じ、「軋み」が、もはやどこかに消えてしまいました。遅めのテンポ、深い呼吸から生ずる音楽の大きなうねりから、深い感動が呼び起こされます。アルミンクと新日フィルの最後の共同作業の場に、昨日は不在だったミューズの神が、きょうは降臨し、祝福してくれたのです。特に終楽章後半は感動的でした。かなりのスローテンポで、高揚と沈潜をゆったりと繰り返しながら、ついに最後の主題の高らかな愛に結実していくところは、僕の聴いた数々の3番の中でも屈指のものでした。最後のティンパニーの大いなる歩みのところ(練習番号32~)は、アルミンクは昨日と同様にテンポをあげます。それまでが非常に遅かっただけに、かなり速めに感じます。もしここがそれまで同様のスローテンポだったら、個人的にはもう最高のエンディングだったです。でもこれがアルミンクのマーラー3番。この速さ、普通なら僕としては感動がやや冷めてしまいかねないですが、今日はそれまでの充実ぶりが半端でなかったからか、あまり違和感なく、こういう解釈もありだなぁと納得できて、感動が損なわれることはありませんでした。(昨日聴いていて心の準備ができていたためもあるでしょうし。)日の出とともに、新たな意味を帯びた世界に、新たな存在として、新たなる歩みを踏み出していく。ツアラツゥストラ交響曲としての3番のエンディングがそのような意味をもしも持っているとすれば、この部分を速い歩みでよろこびをもって歩んでいくというアルミンクのスタイルは、きょうの演奏会にまさにふさわしかったと思います。ひとつの時代をともに過ごし、ともに切磋琢磨したアルミンクと新日フィルが、これからそれぞれに新たな世界を颯爽と歩んでいく、その新たな時代の門出として、最高にふさわしいエンディングだったと思います。アルミンクの選曲は間違っていなかった。また一つ、忘れえない3番を聴けました。--------------------------------------------(ここからあとしばらくは、後日追記した分です。)最後の主和音が鳴りやみ、残響がついに消えていったあとも、素晴らしかったです。アルミンクの棒が高くあがったままのひととき、聴衆の誰一人として拍手しませんでした。初日と同じく、二日目も奇跡的な静寂が実現したのです。実は二日目の聴衆は、曲の途中で無神経な咳が多かったり、独唱者の入場のときに客席から拍手が始まってしまうなど、初日よりもデリカシーが乏しい感じでした。なので、きょうは終了後にすぐに拍手が始まってしまうかな~、と想像していました。しかしきちんと静寂が保たれたことは、何より良かったことでした。アルミンクの最終日ということもあっただろうし、また演奏そのものが呼び起こす感動が、真に大きなものだったからこその、静寂のひとときだったと思います。そしてカーテンコールが続き、最後にアルミンクを、オケが座ったまま足を踏み鳴らしてたたえるとき、いつの間にかコンマスのチェさんの足元に花束が用意されていて、それがコンマスからアルミンクに渡されたのでした。このあたりになると会場も総立ちに近く、アルミンクをたたえます。そしてオケが引き上げ始めても、拍手は衰えません。オケがみな引き上げても、アルミンクを待つ拍手が客席から続きます。すると、アルミンクとチェさんが連れだって登場しました!二人で指揮台のところで、抱き合ったり、握手をかわしたりして、それを満場総立ちの聴衆が拍手で包み、なかなか感動的なひとときでした。チェさんは純粋な、いい人なのだと思います。原発震災がもたらしたひびが、修復できないにしても、終わりを良い形で締めてくれました。初日の「オケからの拍手事件」も、これであとくされなく、終わりよければ、ということでしょう。終演後、サイン会が行われる直前の、ロビーにて。左から、今回の演奏会のポスター、アルミンクへの花飾り、2003年の就任演奏会(マーラー3番)の写真です。2003年の就任演奏会の写真。アルミンクも、チェさんも、若い!(ここまでが、追記した分です。)--------------------------------------------また一つ、忘れえない3番を聴けました。愛憎があったとしても、それを超えたアルミンクと新日フィルの渾身の演奏に、両者の新たなる旅立ちを、ミューズの神が祝福してくれたのだと思います。アルミンクに、新日フィルに、幸大きことを。そして日本にも、幸大きことを。
2013.08.07
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8月3日、アルミンク&新日フィルのマーラー3番二日目です。アルミンク&新日フィル、最後の演奏会ということで、早々と完売していたコンサート。会場には花が飾ってありました。アルミンクのプレトークをききました。このプレトークも10年間続けてきたそうです。10年間の中で特に思い出に残る演奏としてアルミンク自身が具体的に挙げたのは、オネゲルの「火刑台のジャンヌダルク」、シュミットの「7つの封印の書」、R.シュトラウスの「薔薇の騎士」などでした。僕はアルミンクをそれほど沢山は聴いていませんが、特に印象に残るものとしては、ワーグナーの「ローエングリーン」、ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」(いずれもセミステージ形式の上演)、マーラーの「嘆きの歌」、それから先日のブルックナー5番といったところが思い浮かびます。アルミンク&新日フィルのブルックナーの5番は、以前の記事に書いたように、まったく予想していなかった素晴らしさでした。アルミンクは構想を実に良く練ったと思うし、オケはそれを実に良く音にしていたと思います。アルミンクとオケの関係が本当のところどういう状態かは僕にはわかりません。仮に、失われた信頼関係がもはや修復不能であり、両者ともそれを充分にわかっている状態だとしても、それはそれとして、今やるべき音楽に全力を尽くす。僕は彼らのブルックナー5番を聴いて、そういったプロ魂というか心意気を大いに感じて、アルミンクもオケの方々も真のプロなのだなぁと感心したものでした。しかし初日のマーラー3番に聞こえた「軋み」から、僕は、そんな彼らの高いプロ意識をもってしても、指揮者とオケとに、愛というか、真の信頼関係がないと、この曲の大きな愛を表現することは到底かなわないのかもしれない、そういう意味では、最後にこの曲を選んだアルミンクの選択は失敗だったのかもしれない、などなどと今にして思えば的外れのことをつらつら考えながら、二日目を迎えたのでした。幸いなことに、そんな懸念はまったく見当違いでした。第一楽章、冒頭の主題提示は初日の記事に書いたとおりのユニークで印象的ものでしたし、トロンボーンのモノローグは、ただ美しいというのではなく、必要なところは少し割った音色にして厳しさを前面に出して、意味深く説得力がありました。滅多に聴けない貴重な独白でした。そして今夜も、ヴィオラのトップの奏者(一人でヴィオラパートの役割の大半を果たしている感がありました)を筆頭に、弦の弱音の張り詰めた緊張感がすごいです。そしてそういった緊張の高さはそのままで、ぎすぎすした感じ、「軋み」が今日はほとんどなくなっていて、ふくよかさ、喜ばしさも結構感じられるようになっています。コンマスのソロも、昨日のような神経質すぎる感じはしなくなりました。オケの細かなほころびは、ないことはないのですが、昨日よりはずっと減っています。全体として、立ち現れている音楽が、初日とは大きな変貌を遂げています。この第一楽章は、個性的であり普遍性があり、とても充実しています。アルミンクがやろうとしていることが、二日目にして充分に音になってきた感じです。続く第二楽章も、きのうよりは色合いが明るく柔らかさを帯び始め、ようやく二日目にして花々が少し開きだし語りはじめてくれた感がありました。さて第二楽章が終わって、児童合唱が入場し、独唱の藤村さんも入場してきました。私、これから起こること、あるいは起こらないことの一部始終を見逃すまいと(^^)、固唾をのんで舞台を見ていました。まず今回は、昨日とちがって、まず客席から拍手が始まってしまいました。確信を持って結構強い拍手をする方が1-2名いたようで、明確な意思を持った拍手が、客席のごく一部から小さい音量ではありますが、始まってしまいました。今夜の発端は客席からでした。すると、客席の拍手に乗っかって、オケの一部が足を鳴らし始めてしまいました。昨日よりもオケの拍手は少なかったと思いましたが、その中で一番大きな音で足をふみ鳴らしていたのは、コンマスでした。。。するとすると、続いてアルミンクも、なんと自ら拍手をして、笑顔で藤村さんを迎えました!!アルミンクももう開き直ったのでしょう。そして藤村さんが着席するころに、昨日と同じようにアルミンクは少し振り返って静かな表情で客席を見ていました。あの一瞥は何を意味していたのでしょう、アルミンクにこのときの心境を尋ねてみたいものです。(「オケの拍手」まで書いたところで、途中ですが、今日はそろそろ眠ります。続きはその2に書きます。)
2013.08.06
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8月3日、アルミンク&新日フィルのマーラー3番、二日目を聴きました。初日をはるかに凌駕する超名演でした。二日目を聴いて感動にひたっている今、初日のことをあれこれ書くのはもうやめようかとも思いましたが、やはり順をおって書いておこうと思います。初日その2です。---------------------------------------------------8月2日、すみだトリフォニーホール新日本フィルハーモニー交響楽団 第513回定期演奏会指揮: クリスティアン・アルミンクアルト: 藤村実穂子女声合唱:栗友会合唱団児童合唱:東京少年少女合唱団管弦楽: 新日本フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター:崔 文洙---------------------------------------------------オケの弦楽は、下手から第一Vn、第二Vn、Vc、Va、Cbの通常配置。ハープは下手に2台。女声合唱は舞台の一番後ろの雛壇。児童合唱は舞台の後ろ、オルガンの右側という高いところでした。そして児童合唱に並んですぐ右側、ホールの右前の角に、チューブラーベルです。すなわちスコアの指示通り、児童合唱とチューブラーベルをきちんと高いところに置くという、心得た配置でした。なお女声合唱はオケの入場に先立って行われました。児童合唱はまだ入らないで、オケが入場し、そうして演奏が始まりました。第一楽章の冒頭のホルン主題から強烈な印象でした。最初の4小節(ミラーソラファードッ、ファラーシドシラソーミー)を割合速いテンポであっさりと進んだあと、上行音型のラーシードレミーのテンポをやや落とし、そのあとのティンパニーと弦のダンダンという合いの手を、すごくテンポを落とし、強く重く、強調したのでした!このあとはテンポが遅いままで、この合いの手が3回強調されたあと、ホルンが下降してくるところ(ファーミーレードー♭シーラーソー)も遅いままで、そのまま遅いまま、次の楽節に進んでいきました。これはとてもユニークで、しかもこの主題の重々しい性質が十分に強調された、印象深い主題提示でした。今夜の第一楽章の性格は、この冒頭の主題提示に集約されているように思いました。テンポは全体に遅めで、重々しく、厳しい性格です。緊張感がきわめて高いです。たとえば、トロンボーンの素晴らしいソロが終わったあと、夏の行進が小さく始まってしばらく続いていくところ(練習番号21~25)。ここは弦の各パートとも前の方のプルトだけでひくところですけど、このあたりの緊張感の高さは半端じゃなかったです。夏の行進の喜びがだんだん高まって来るところなのに、喜びじゃなくて、何かただならない緊張感がしだいに高まっていく感じ。かつてベルティーニ&都響の3番を聴いたとき、第一楽章のあまりの峻厳さ、緊張感の高さに息が詰まりそうなほどだったですが、今回のアルミンクもその方向でした。いつも書いているように、この第一楽章には途方もなくいろいろなものが詰まっていて、一度の演奏でそのすべてが出てくることはほぼ不可能かと思っています。今夜の演奏は、重々しさ、厳しさ、緊張感の高さが前面に出て、その点では聴いていて凄味、迫力があり、耳を奪われました。その反面、喜び、自由なのびのびした楽しさは奥に引っ込んでしまっていました。ときおり現れるコンマスのソロも、やや神経質な、耳を刺激するような音になっていました。これを聴きながら、僕はなんというか、ベルティーニ&都響のときには感じなかったもの、何かぎすぎすしたものを感じてしまいました。音楽の手触りが、なにかとげとげしいという感じ。ここから先は僕の思い込みが強すぎたのかもしれませんが、指揮者とオケの関係を暗示するような、そんなふうな「軋み」を感じてしまったのです。。。それでも、この第一楽章はまれにみる高水準のものでした。聴きながら、「この演奏が録音されないのはもったいないなぁ、でも10年前の3番の演奏がCD化されているから、さすがにこれは録音されないだろうなぁ」などと思いながら、聴いていました。第二楽章になって、そのぎすぎすした感じは僕にはますます強く感じられてしまいました。10年前の3番の記憶はおぼろげながらも、記憶に残る第二楽章はアルミンクの軽やかな歌謡性が充分に現れた、とてもチャーミングな音楽でした。しかし今夜の第二楽章は、第一楽章の性格をそのまま引きずってしまったような、重々しい、野の花々が沈黙してしまったような、聴いていていささかつらい第二楽章になっていました。「あーこれはもう今夜はこのままの性格で最後までいってしまうのだろうか」「やはりこの演奏は録音しないほうが良かったのだろうなぁ」などと思いながら聴いていました。そのような第二楽章が終わって、児童合唱団がオルガンの右に入場をはじめ、そして舞台下手から独唱の藤村さんが入場してきました。そのときに、きのう書いた、「オケからの拍手」が起こったのでした。これは僕には大きな衝撃でした。アルミンクも驚いたのではないでしょうか。藤村さんが指揮者のすぐ左の席について着席したあと、アルミンクは珍しく客席のほうを少し向きました。その顔の小さな笑みに「しょうがないなぁ」みたいな諦めのような表情を感じたのは、僕の思い込みでしょうか。。。第三楽章。これは舞台下手裏のポストホルンが、絶不調。プロのオケの3番で、このようなポストホルンを聴いたのは相当久しぶりです。ハイトーンへの跳躍、あるいはハイトーンから下への跳躍のときに音が不安定になるときがあるのは仕方ないにしても、他のなんということのないところでもミスが。。。そしてこのポストホルンの不調に加えて、舞台上のオケにもほころびが。。。この日のホルン、細かなところに粗がかなり散見されましたが、この第三楽章でも、ポストホルンの前半の出番が終わって、舞台上のトランペットが夢から覚醒させるかのようなラッパを鳴らすところ、その直前のホルンソロの静かで美しい分散和音(第344小節)がこけてしまいました。夢にひたれない第三楽章でした。。。(二日目のポストホルンは、これを払拭する立派な演奏を聴かせていただいたことはつけ加えておきます。)第三楽章が終わって、ちょっと間合いをとり、ポストホルンを吹いた奏者が舞台上に戻ってきて、オケの一部にちょっとチューニングなどもはいり、そのあと静まって改まったところで、藤村さんが起立。そして児童合唱はまだ座ったままで、第四楽章が始まりました。そして始まった藤村さんの歌は、素晴らしかった。冒頭の歌いだし「おお、人間よ、心せよ!」が、まさに人間に注意を喚起しているのだ、ということがひしひしと伝わってきました。藤村さんの3番の歌を聴くのは3回目ですが、前回まではこれほどの深さを感じませんでした。アルミンクとの共同作業により達した深みなのでしょうか。遅いテンポで、深々と歌われたこの第四楽章は、ききものでした。第四楽章の終了直前、アルミンクの指示で児童合唱団が静かに起立しました。そして第五楽章の始まりと同時に、歌いだした児童合唱に照明があてられ、それに続いて(児童合唱が歌いはじめたあとに)女声合唱が起立して、そして歌い始めました。シャイー方式ほどではないですが、なかなかに考えられた、良い起立方式です。第五楽章も、藤村さんの歌唱は素晴らしかったですし、児童・女性合唱ともにきっちりといい合唱でした。そのままアタッカで第六楽章が始まり、始まってすぐに、藤村さんはゆっくりゆっくりと細心の注意を払いつつ、長い時間をかけて、座席に座りました。それに続いてこれも比較的すぐに、(おそらく第12~13小節かそこらで)女声合唱と児童合唱団が、これも静かにゆっくりと座り始めました。この声楽陣の着席のタイミング、第六楽章が始まってからの着席としては異例の(僕の知る限り史上最速の)早いタイミングでしたが、皆が充分に注意を払ってゆっくりと静かに着席したので、音楽の流れを微塵も妨げませんでした。完璧な着席でした。当然アルミンクの指示でしょう。いつ座るか、ということはもちろん大事ですが、より大事なのは「いかに座るか」ということ。それを今更ながら思い知った次第です。そして終楽章、テンポは非常におそめで、おそい中に、テンポのうねりも良いし、スケール大きい深い音楽が奏でられていきます。普通なら大感動するような演奏。とりわけ楽章最後のほうは本当に悠然としたスローテンポになり、すごい演奏でした。最後のティンパニーの大いなる歩み(練習番号32~)でテンポを上げたのはちょっと残念だけれど、これがアルミンクのマーラー3番解釈なんですね。楽章全体としては十分に聴きごたえのある、説得力のある、すばらしい終楽章だったです。だけど、だけど。アルミンクの目指している高みは十分に感じ取れたし、オケももちろん全力で演奏したと思います。だけど、何か緊張感が先走っているような、ぎすぎすしたような感じ、軋みのような感じ。その感じが、この第六楽章を聴いていて、僕には最後まで拭いきれませんでした。なぜだったのか。。。管を中心に、オケにそれなりのほころびがあちこちにあったことも関係していたと思います。それから藤村さん入場時の「オケからの拍手」も僕には少なからず影響していたのは確かです。でもそれだけではなく、この感じは、第一、第二楽章の音楽そのものからすでに感じていたことでした。。。良かったことは、最後の主和音が鳴りやんだあと、聴衆がすぐに拍手せず、会場全体がしばし静寂に包まれたことです!アルミンクは、しばし高くあげた指揮棒を、やがてゆっくりゆっくりとおろしていき、おろし切っても、拍手がまだ始まりません。アルミンクが少し後ずさりしたのを契機に、拍手が始まりました。3番においてこのような充分に長い静寂は、めったに体験できません。かつてサントリーホールでホーネック&読響のときに体験して以来、2回目です。そしてカーテンコール。4度、5度と繰り返され、アルミンクはその都度独唱者や合唱指導者をつれてきたり、あるいはオケのメンバーをひとりずつ立たせたりしますが、単独では指揮台に近づきません。「あれ~このままアルミンク一人の登場がなしに終わってしまうのだろうか?」と心配になりだしたころ、ようやく、六度目のカーテンコールでアルミンクがひとりで指揮台に近づき、オケが足を踏み鳴らし、アルミンクをたたえます。この場面があって良かった~、と安堵しました。この日の演奏は、第一楽章の緊張感、藤村さんの歌唱、終楽章のスケールと深み、などなど、内容充実の演奏ではありました。オケではトロンボーンは良かったし、それからヴィオラのトップの客演の井野邉大輔さんという方が、特筆すべき存在感を放っていました。一方でポストホルンの不調とホルンのほころびの多さは気になるところでした。これらが二日目にどう復調するのか、しないのか?「オケの拍手」は明日はどうなるのか?そして何よりも、今日の音楽から強く感じてしまった「軋み」が、明日はどうなるのか?これはもう修正不可能なものではないだろうか?などなど、複雑な思いを抱いて、帰路についた次第です。
2013.08.04
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アルミンクが新日フィルを振る最後の定期演奏会、マーラー3番を聴きました。8月2日、3日の2回公演です。アルミンク、10年前の新日フィル音楽監督就任のときも、マーラー3番をやってくれました。このときはすみだトリフォニーホールとパルテノン多摩での2回公演、両日とも聴きに行きました。あれからもう10年、アルミンクが新日フィルとの最後の演目に再びマーラー3番を選んだのでした。今日は初日を聴いてきました。いろいろ書きたいことがありますが、あすも仕事&二日目の演奏会を聴きに行くので、今夜はちょっとだけ書きます。新鮮な発見、良いところが多々ありました。ひさびさに、聴きごたえのあるマーラーを聴ける体験でした。だけど、だけど。なんと言えばいいのか、うまく言えないけれど、ここに聴こえてくる音楽から、失われてしまった愛の、溝の深さ、傷の痛々しさを、まざまざと感じてしまった一夜でした。このあたりについて、詳しくは、明日以降にまた書きます。ひとつだけ、今日のうちに是非書いておきたいことを書きます。音楽以外のことです。(書くのは気持ちが重いのですが。)ありえないことがあったのです。第二楽章が終わって、間合いになり、独唱の藤村さんが入場してきました。このとき、最初客席からは拍手は起こらず、会場は静まっていました。ところが、あろうことか、オケのメンバーの一部から足を踏み鳴らすやりかたの拍手が少し湧き起こったのでした。それにつられる形で、客席からも少し拍手が起こりましたが、発端はオケでした。こんなことありえないのでは。独唱者に敬意を表するにしても、曲の途中です。会場から少し拍手が沸き起こることはときどきあり、それは仕方ないですが、曲の途中で、オケから拍手始めますか?もしも指揮者が独唱者を拍手で迎えているなら、オケがそれに同調しても良いと思います。でもアルミンクはそんなことしてなかった(と思います。始まりのところをしっかり見ていなかったので確実なことは言えませんけど、アルミンクがそんなことをする指揮者とは到底思えません。)忘れもしない10年前のマーラー3番のとき、独唱者が入場してくるとき、アルミンクは不自然な姿勢でまったく違う方向を見ていたのが、すごく印象に残りました。聴衆から拍手がなるべく起こらないように、そうしているのだろうと、僕には見えました。アルミンクがそういうことにとても気を配って神経を使うことを、長い付き合いのオケは十分わかっているはずです。それを承知で拍手をオケが始めたのだとしたら、指揮者に失礼ではないでしょうか。静けさを保っている聴衆に対しても失礼ではないでしょうか。アルミンクは、オケからのこの拍手に、びっくりして、がっかりしたのではないか、と思います。僕の見当違いであってほしいのですが。。。もしも、もしもオケの一部が意図的にやったのだとしたら、それは絶対にやめるべきと思います。藤村さんが指揮者のすぐ左の椅子にゆっくり座り始め、オケの拍手が鳴りやんでいく頃、アルミンクはちらと客席のほうを振り返りました。その表情には静かな笑みが浮かんでいて、「しょうがないなぁ」みたいな感じに僕には見えました。明日の公演でここがどうなるのか、しっかり見届けたいと思います。こんな、音楽以外のことを書くことになるなんて、残念なことです。でもそれはそれとして、明日のアルミンク&新日フィルの最終公演、音楽をしっかり受け止めてきたいと思います。
2013.08.02
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大植&大フィルのマーラー「復活」を聴きました。この4月にリニューアルオープンしたフェスティバルホールのこけら落とし、「第51回大阪国際フェスティバル2013」の一環の演奏会です。-------------------------------------------------------------------------4月26日 フェスティバルホール指揮 大植英次独唱 スザンネ・ベルンホート(ソプラノ) アネリー・ペーボ(アルト)合唱 大阪フィルハーモニー合唱団、大阪新音フロイデ合唱団、神戸市混声合唱団、ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団コンサートマスター 田野倉雅秋管弦楽 大阪フィルハーモニー交響楽団マーラー 交響曲第2番-------------------------------------------------------------------------大植さんは、2003年5月、大フィルの音楽監督に就任して最初の定期演奏会で、マーラー「復活」を演奏したそうです。それ以来10年ぶりの、大フィルとの復活ということです。もっとも僕は、2003年の時点では、大植さんの存在をほとんど意識していませんでした。僕が大植さんを初めて聴くことになるのは、その2年後、2005年の大フィル東京公演でのマーラー6番でした。それ以来、大植&大フィルのマーラーをいろいろと聴いてきました。6番、3番、5番、1番、4番、大地の歌、3番、9番、5番。そしていよいよ「復活」が聴けます。この演奏会、新生フェスティバルホールの歴史が始まるという大きな節目の演奏会であり、しかも10年ぶりの大植&大フィルの「復活」という貴重な演奏会でしたから、チケットは超入手困難でしたが、ぐすたふさんのおかげで、この日ホールに臨むことができました。実にありがたいことです。弦は対抗配置、Cbは下手で、その奥にベル。しかしベルはチューブラーベルではなく、板の鐘でした。ハープ2台は上手に位置していました。第一楽章、遅めのテンポです。テンポの動きやアゴーギグは思ったよりも控えめです。そんな中で極端にテンポが落ちたのは、練習番号16からの、低弦が付点のリズムを重々しく刻んでいくところです。このあとの「怒りの日」の旋律に基づく主題が初登場するのに向かって歩んでいく重要なところですが、ここが非常に遅く、重苦しく、印象的でした。第一楽章が終わって、大合唱団が左右から入場。舞台最後部に横にびっしりと並び終わると、今度は独唱者二人が入場し、指揮者のすぐそばに、向かって右にソプラノ、左にアルトのペーボさんが着席しました。第二楽章が終わって、アタッカで第三楽章へ!(今回は結局、第二楽章以後最後まで、全部アタッカで通しました。)第三楽章が終わる寸前にペーボさんが静かに立ち、そのまま第四楽章に。第四楽章、ペーボさんの歌に、大植さんがすぐそばで全身を使った身振りで、一緒に歌っているかのような濃厚な指示で、ペーボさんを歌わせます。これぞ大植さんのマーラーの歌です。かつての3番(2005年)の第四楽章で、坂本朱さんにこのような指示を出し、それにこたえて歌う坂本さんの名唱に、深い感銘を受けたことが思い出されます。ペーボさんの歌はちょっと明るすぎると思いましたが、大植さんの歌が心にしみました。また途中のオーボエのソロも、素晴らしく美しかったです。正直僕は第三楽章までは今一つ音楽に没入できなかったのですが、この第四楽章から、音楽に没入し始めました。そして終楽章、長い進行の中で次第次第に感動が深まっていき、終わってみれば大感動という、大植マジックに圧倒された終楽章でした。この楽章、やろうと思えばいろんな場面で音響的スペクタクルの醍醐味を派手に出す演奏ができるように作られていますし、そのような演奏は世に多いです。しかし終わってみて思うには、大植さんはその方向はとらず、全体を緻密に設計して、最後の大きなクライマックスまでエネルギーをうちにうちに深くため込んでいくという、実に周到なものだったと思います。テンポ面でいうと、普通目のテンポのブロックと、遅めのブロックを交互に繰り返しながら、遅めのブロックのテンポが次第に遅く、どんどんと音楽が深まっていく、そのような設計だったかと、(聴いているときはわからなかったけど、)今にして思います。たとえば終楽章前半では練習番号6と、練習番号11~13の、いずれもホルンのファンファーレに導かれて歌われるブロックがゆっくりと丁寧に歌われました。一方、展開部での怒りの日の主題を中心にオケの強奏が続いて盛り上がるところ(練習番号14~20)は、普通の(遅くない)テンポで進むという具合でした。そのような大きなスパンでみての緩急の繰り返しが、合唱が始まってからの音楽の流れに、そのまま有機的に結びついているように感じました。合唱が31で入り、オケの間奏(32~34)、ふたたび合唱(35~36)、オケの間奏(37~38)と交互に繰り返されるところで、オケの間奏がゆっくりとしたテンポで美しく、特に38は静かで清らかな美しさに包まれ、息をのみました。なお、合唱団は座ったままで歌い始め、ずっと進んで44にはいったところで立ち上がりました。この合唱団起立のタイミングは衛星放送で見た2003年のアバド&ルツェルンと同じです。(衛星放送では立ち上がる瞬間は映っていないけれど、前後から判断してここしかないと思います。)このようにしばらく座ったまま歌わせる方法、とても良いと思います。さらに今回の大植さんは、独唱者もはじめのうちは座ったままで歌わせていました。この31~32のソプラノを座って歌わせるというのはかなりユニークだと思います。今回、歌手の位置が指揮者のすぐ横だったので、座ったままで歌わせるということは、斬新なだけでなく、ソプラノが視覚的に目立ちすぎないという意味で、かなり効果的でした。(アバド&ルツェルンでは、独唱者はオケの中に位置していたということもあり、31のソプラノから、その都度立って歌わせていました。)それにしても今回のソプラノのベルンホートさんの声、とても素晴らしかったです。独唱者がその後いつ起立したのかは、もうすでに記憶があいまいです(汗)。44の開始の時にソプラノとアルトの二人がそろって立って、それと同時に合唱団が立ったような気がしますが、もしかしてもっと先に、39からのアルトソロでアルトが立ち、41からのソプラノソロでソプラノが立ったのかもしれません。どなたか覚えていたら教えてくださいますか。そしてこの44の始まったところで、舞台裏のバンダ隊が、下手からホルン隊、上手からトランペット隊が入場し、来るべきクライマックスに向けていよいよ全員集合。期待が高まります。そしてその44からの二重唱、このあたりからは僕はもう音楽のうねりに完全に没入してしまい、よく覚えていません。巨大な盛り上がりに包まれているうちに、気が付けばもうオルガンの入った48からのペザンテが、超絶ゆったりのスローテンポで歌われているではありませんか。感動に打ち震えました。わたくし体験したうちでこれ、おそらく空前のスローテンポです。今夜の演奏、すべてがここのため、この1点にむけて緻密に設計され、周到に演奏され、それが見事に成就した、大感動のひとときでした。合唱が終わってオケの後奏は、ふたたびそれほど遅くない通常のテンポに戻り、一気に終結を迎えました。大植&大フィルの復活、ここに成就せり。今回の演奏で一つだけ残念だったのは、ベルが、板の鐘だったことです。この曲の鐘は、終楽章の展開部(16の中ほど)と、曲の終結部に出てきますが、どちらも、板の鐘の持つ、つぶれたような暗い曇った響きは完全にミスマッチだと僕は思います。9番の鐘ならそういう音色も良いのです。しかし「復活」の鐘は、信仰の強さというか、教会の高い鐘楼の鐘から鳴り響いてくる音をイメージできるような、大きくはなくても、明るく力強い音でないと困ります。曲の最後は特にそうだし、展開部の鐘にしても、曲の最後ほど目立たないにしても結構重要な役割で、良い鐘の響きで聴くと本当に感動させられます。しかしその他の点では、大植さんならではの素敵な工夫がありました。第五楽章始まって間もなく練習番号3で、舞台裏のホルンが遠くから、ドソーーーー、ドソーーーー、ソドソドーーーーレーーーーと響きますね。ここのところに工夫がありました。基本は下手側の舞台裏で吹かせたのですが、2回目のドソーーーだけ、反対の上手側の舞台裏で吹かせたのです。スコアには2回目のドソーーーに「エコー」と書いてあり、まさにエコーとして響きが遠くから返ってくるイメージを見事に出していました。こう書くと単純なことのようですが、実際にこういう演奏に接したのは初めてで、その効果はなかなかで、さすが大植さんの工夫でした。なおこの舞台裏のホルンは、後程29でもう一度出てくるところでも、同じ方法で、エコー効果を出していました。オケは尻上がりに調子を上げていったように思います。木管はいつもながら良い音だったし、トランペットの秋月さんの美しい音も健在、トロンボーンの力強さも立派だったし、ホルンも立派でした。あと、特に良かったのが舞台裏のトランペットです。練習番号22~24の、舞台裏のトランペットと打楽器がファンファーレを繰り返しながら次第にもりあがっていくところもきっちりと決めていたし、それから練習番号29~30の、マーラーが「大いなる呼び声」と呼んだ、4本のトランペットが遠くから響き、舞台上のフルートとピッコロが鳥のさえずりを歌い、合唱を導入する部分、トランペットも、それからフルート、ピッコロのいずれも非常に美しく、ほれぼれとしました。大植さんと大フィルの復活、聴くことができて本当に良かったです。ぐすたふさんありがとう。終演後、ちょっとでしたがぐすたふさん、ヒロノミンVさんとお会いでき、うれしかったです。いずれまた、5年後か10年後とかで良いですから、大植&大フィルの復活を聴きたいと願います。
2013.04.28
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セーゲルスタム&読響のマーラー5番を聴きました。指揮:レイフ・セーゲルスタム管弦楽:読響ピアノ:菊池洋子モーツァルト ピアノ協奏曲第23番マーラー 交響曲第5番1月21日 サントリーホール (読響第522回定期演奏会)オケが入場し、おやと思ったのがヴァイオリン。コンマスの小森谷巧さんの隣、トップサイドが、長原幸太さんでした。あとで調べたら、長原さんはこれまでにも小森谷さんと一緒のアンサンブルに参加したり、読響のゲストコンマスとして演奏されたりしていたようです。菊池さんの弾くモーツァルトは、とてもとても良かったです。アンコールには、セーゲルスタムが作曲したピアノピースを弾いてくださり、セーゲルスタムも舞台に座って聴いていました。曲の最後は鍵盤の蓋を閉めて、蓋の上をドコドコドコッとたたいて終わるという、面白い曲でした。マーラー。冒頭のトランペットから、ひっかかるようなゆっくりした歩みが、すばらしいです。あの巨体ですから、全身を使った大きな身振りはあんまりできないのでしょう。スコアをじっとみながら両腕を淡々と振って進めていき、一見無造作にさえ見えるその棒ですけれど、そこから濃い情念を含んだ音楽が出てきます。テンポも、ちょっとした楽節で少しテンポを落とすなど、こまめなテンポ変化がつぼをおさえていて、多層的な音楽が聞こえてきます。そしてセーゲルスタムはここぞというところで、手に力をこめてふるわせオケを導き、深い歌を作ります。たとえば第二楽章の練習番号20とか、凄かったです。そのあと、クライマックスへの盛り上がりも、堂々と雄大なスケールでした。第二楽章が終わるとセーゲルスタムはオケにチューニングを要求。また第三楽章が終わってもふたたびチューニングを要求。そうして始まった第四楽章も美しく、すぐれた演奏のときはいつもそうですが、ハープの音が身に沁みました。オケは、ごくわずかなほころびがないわけではなかったですが、力の入った熱奏でセーゲルスタムにしっかり応えていました。特にホルンをはじめ金管の力演が光っていました。さすがにセーゲルスタムのマーラーです、細心かつ豪快な5番を、満喫できました!ところで、こういう終わり方の曲ですからある意味仕方ないのかもしれませんが、曲の最後の残響が消えないうち、まだ拍手が湧き起こり始める前に、ブラボーを発する方がいました。久しぶりの派手なフライングブラボーでした。しかしこういうすばらしい演奏だからこそ、もしも、もしもジャンっと終わって残響が消えるまでのせめて2-3秒、完璧な静寂があったとしたら、そしてそのあとに拍手・歓声が爆発したとしたら。。。皆がさらに一層の感興に浸れることは間違いないし、演奏者も喜ぶのではないかと思います。フライングブラボーの方、そういう場面を想像してみてくださいませんか。
2013.01.23
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