じゃくの音楽日記帳

じゃくの音楽日記帳

2019.12.11
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井上道義と読響のマーラー3番を聴きました。以下、長い駄文になってしまいましたが、もしも読んでいただけたらありがたいです。

指揮:井上道義
管弦楽:読売日本交響楽団
女声合唱:首都圏音楽大学合同コーラス(合唱指導:池田香織)
児童合唱:TOKYO FM少年合唱団
アルト:池田香織

12月3日 東京芸術劇場

井上道義さんのマーラー3番を最初に聴いたのは、丁度20年前、1999年12月のすみだトリフォニーでの新日フィルとの演奏でした。次に聴いたのが、丁度10年前、2009年11月の金沢と富山での、OEK(オーケストラアンサンブル金沢)と新日フィルの合同オケでの演奏でした。井上道義さんは10年毎に3番をやることにしているのでしょうか。今度の3番はどのような演奏になるのでしょうか。

A 演奏前のこと

ホールに入ってまず気になるチューブラーベルの位置を探すと、舞台上の打楽器用の雛壇の上に、他の打楽器と一緒にごく普通に乗っていて、全然高くありません。それからステージの奥には雛壇上に4列の椅子が置いてあり、合唱団用のスペースと思われます。

このホールはステージの後方高いところにパイプオルガンがあります。もしもマーラーの指定通りに児童合唱とベルを高く配置しようとするなら、このオルガンスペースを利用するのがもっとも簡単な方法です。しかしそのオルガンスペースは、今日はオルガン全体を覆う巨大な白い蓋で完全に閉鎖されていました。ここは使わないで、ベルは舞台上にある。とすれば、全合唱団が舞台上なのでしょうか?もっとも、過去にはホール空間を立体的・個性的に活用した合唱団配置の3番演奏を実践している井上さん(記事最後のおまけをご参照ください)ですので、今日も何かユニークな配置が準備されているのかもしれません。

打楽器は、ティンパニー2セットは舞台の上手寄りと中央あたりに隣接し、そこから下手側にいろいろな打楽器が並びました。(その中にチューブラーベルがあったわけです。)

あと、ハープは舞台の一番下手の客席側の、低い雛壇の上に2台位置していましたが、その雛壇がやや変わっていて、他の雛壇とつながっていませんでした。ハープ2台だけが孤立した台座の上に乗っているような感じで、ちょっと目だっていました(^^)。弦楽は下手から第一Vn,Va,Vc,第二Vn,Cbの対抗配置でした。読響と言えば通常配置での上手客席側のヴィオラが大きな存在感があり、対抗配置は比較的珍しいかと思います。

B 第一・第二楽章のこと

オケが入場し、演奏が始まりました。アシストを入れて9人のホルン隊が、冒頭主題の斉奏でいきなりのパワー全開、力強くいい音です。しかも途中から早くもベルアップです。これに驚いて気を取られているうちに、シンバルの人数を確認しそこないましたが、ここは一人だったということです。

トロンボーンのソロは、傷がなかったわけではありませんが、いい音色で、いいパフォーマンスでした。

夏の行進の弦が半分で弾くところ(練習番号21~25と、62~65)は、後方プルトの半分に弾かせていました。この方式は、以前はかなり珍しかったですが、このごろは時々見かけるようになりました。僕が最初に遭遇したのは​ 2011年大野和士&京響 ​でした。後方プルト方式のその後の演奏会を列挙すると、​ 2015年ノット&東響 ​、​ 2016年田中宗利&関西グスタフマーラー響 ​、​ 2017年角田鋼亮&デア・フェルネ・クラング​ ​、​ 2018年大野和士&都響 ​、そして今回となります。2015年頃からは年1回ほど見られるようになっています。最初はびっくりしましたが、その後慣れてきて、このごろは違和感なく聴けるようになりました。

冒頭ホルン主題の再現前の舞台裏の小太鼓は、下手側のドアを少しあけて、その裏で叩きました。この小太鼓は、適度な音量、適度な距離感で、音色があまり耳にきつくなく、なかなか心地よかったです。
引き続きホルン主題の再現が始まると、打楽器奏者二名がシンバルを携えて再入場し、メインのシンバリストと合計3人でしっかりと盛大に叩かれました。

第一楽章は総じて力がはいって引き締まっていたし、一方楽しさも感じられ、かなり良い第一楽章だったと思います。

第二楽章は、一貫して遅めのテンポで丁寧に歌われ、素晴らしかったです。

C 第三・第四楽章のこと

女声合唱団の入場は、もうすでに忘れかけていますが、おそらく第二楽章が終わった後だったと思います。(もしかしたら第一楽章が終わったあとだったかもしれません。)女声合唱は、舞台奥の4列の雛壇の中央部分に、総勢57名が着席しました。雛壇の左右が空いているので、ここにのちほど児童合唱団が入るということがわかりました。井上道義さんにしては工夫のない普通の配置です。

第三楽章もやや遅めのテンポで、始まりはいい感じでした。しかし第二楽章では素晴らしかったオケですが、何故かこの楽章では、読響にしてはやや精彩を欠きました。さてポストホルンです。さきほど、パイプオルガンスペースを塞いだ巨大な白い蓋のことを書きました。この蓋の左右の両端は、ホールの壁にぴったりとは繋がっていなくて、人間ふたり分位の幅の隙間が空いています。ポストホルンの音は、その向かって左(下手側)の隙間から聴こえてきました。ですからその隙間の近くで、白い蓋の裏側(ホール内)か、あるいはオルガンスペースの左側のドアをあけてその外(ホール外)で吹いたか、のどちらかだと思います。僕はおそらくホール内で吹いたのではないか、と推測しています。何故かと言うと、ポストホルンの音の聴こえ方が、自分がいるホール内と同じ空気の振動、という感じがしたからです。簡単に言えば、自分がいるのと同じ場所(空間)で吹いているという感じです。

これまでも繰り返し書いてきたように、ここのポストホルンは、何処かわからないけれど何処か遠くから聞こえてくる、という感じで響くのが、個人的な理想です。若い人は聞いたことないかもしれませんが、昔、寒い冬の夜に遠くから聞こえてきたチャルメラのラッパと同じです。たとえ小さめの音であったとしても、たとえ今自分がいる空間がとても大きな部屋(ホール)であったとしても、自分の今いる空間と、ポストホルンの音の発生する空間が、同じ空気を共有していると感じてしまうと、僕にはだめです。もっと何処か遠いところ、今自分が現実にいるここから遥か遠く離れたところから響いてくるような、そういうイメージをマーラーは持っていたのであろうと、思っています。(これが発展したものが6番のカウベルで、現実世界と異なる世界のイメージというか象徴になるのだと思います。)今回のポストホルンは、吹奏自体は水準をクリアするものでしたが、自分が今いる場所と同じ場所で吹いていると感じてしまった点が非常に残念でした。なおポストホルンの前半部分が終わるとき、舞台上の1番ホルンのソロの難所、弱音で吹くゆっくりした分散和音(第344小節)がちょっとこけてしまい、それに影響されてか引き続く2番トランペットの信号ラッパ(第345小節)もちょっともたついてしまいました。

それから第三楽章最後近く、動物たちのまどろみをさますような、練習番号30~31の楽節、アドルノが「神の顕現」と呼んだホルンとトロンボーンの斉奏部分は、テンポを一気に速めて演奏したのが独特でした。問題はその直後でした。。練習番号32が始まるやいなや、舞台左右のドアが開き、児童合唱団の入場が始まってしまいました。(おそらく左右同時に入場する予定だったのだと思いますが上手側からの入場はちょっと出遅れました。)そして第三楽章の最後が演奏されているさなかに、子どもたちが続々と入場し続けます。やがて下手側の児童たちの入場に混ざって、独唱者も急ぎ足で入場してきました。第三楽章の終わりに間に合わせようとしての急ぎ足で、独唱者は途中ちょっと躓きかけたりしながらも、幸い転ばずに進み、舞台奥の中央、女声合唱の前の定位置に無事に到着し、それとほぼ同時に第三楽章が終了しました。入場が出遅れた上手側の子供たちも、楽章終了に僅かに遅れて並び終わりました。そしてひと呼吸置いて、指揮者の合図で合唱団は一斉に着席し、オケの一部はほんのちょっとチューニングもして、少しの間合いを経て、第四楽章が開始されました。

このような第三楽章最後近くでの演奏中の児童合唱の入場は、ごく稀にみられます。僕がこれまで遭遇したのは、2003年の高関健&群響(すみだトリフォニー)、2009年の井上道義&OEK・新日フィル(金沢公演のみ)、​ 2010年の金聖響&神奈川フィル(みなとみらい) ​です。この入場方式は正直、やめてほしいです。演奏途中での入場、とくに慌ただしい入場というのは、視覚的心理的に、音楽を聴くことにかなりの悪影響を及ぼしてしまいます。少なくとも自分にとってはそうです。音楽を大事にしていたら、ここで合唱を入れる発想はありえないと思うのですが。

もしも、スコアには指定がないけれど第三楽章とアタッカで第四楽章を演奏したい、ということであれば、このような方式を取るという発想が出てくるのかもしれません。実際そのようなアタッカの演奏もありました(2009年の井上道義の金沢公演)。しかし金聖響さんや今回の演奏では、第三楽章が終わった後に間合いをとりました。そこで間合いをとるのであれば、音楽が鳴っている間にわざわざ児童合唱を入場させる、それもかなり慌ただしく入場させる必要は、何もないと思います。第三楽章が終わってから入場させれば良いことです。

あるいは、短い間合いは取るけれど長い間合いは取りたくない、という方針?もしもそうであれば、第三楽章が始まる前にあらかじめ児童合唱を入場させておけばすむことです。仮にすごく小さい児童が大勢歌うという場合であれば、児童合唱が舞台上にいる時間をできるだけ短くするために、あまり早いタイミングでの入場は避けたいという事情が絡んでくるのかもしれません。しかし今回の児童合唱団は見たところそれほど小さな子はいなくて、そういったことが理由にはなりそうにありません。

なお、独唱者を第三楽章演奏途中で入場させるという方式もかなり稀です。僕が遭遇したのは、1994年のインバル&都響(東京芸術劇場)、2005年のチョンミョンフン&東フィル(文京シビックホール)、2009年の井上道義&OEK・新日フィル(金沢と富山の両方)、​ 2011年のチョンミョンフン&N響(NHKホール) ​くらいです。これも困った方式と思います。独唱者を演奏途中で入場させる方式に、もしもメリットがあるとすれば、独唱者の入場に伴って拍手が起こることを防げる、ということでしょうか。しかし拍手を防ぐためには、工夫すればもっと他にスマートで有効な方法がいろいろあります。演奏途中の入場はあまりにも乱暴な方式と思います。

ついでながら、声楽陣の演奏途中入場に関しての私的ワーストワンは2009年の井上道義さんの金沢公演です。このときは、女声合唱、児童合唱、独唱者の全声楽陣が、第三楽章の終わり近くで一斉に入場したのです。しかも入場のタイミングも最悪でした。大勢が入場するためには、練習番号32からの入場では楽章終了に間に合わない、そこで練習番号30から入場が始まったのです。アドルノが神の顕現と呼んだ、ハープのグリッサンドに導かれてホルンとトロンボーンの斉奏が厳かに演奏されるあの楽節の最中に、ぞろぞろと入場してきたという、悪夢のような光景でした。。。

さて今回の演奏会に話を戻します。ともかくもそのようにして、児童合唱と独唱者が入場し終わり、合唱団が着席し、第四楽章が始まりました。ここではオーケストラと合唱団の照明がかなり落とされ、ひとり独唱者だけがスポットライトのように光を浴びて歌うという演出がありました。

D 第五・第六楽章のこと

第四楽章が静寂の中に消えたあと、指揮者の合図により全合唱団が勢いよく起立し、落とされていたオケと合唱団の照明も明るく戻り、それから呼吸を整えるようなわずかな間合いをおいて、第五楽章が始まりました。アタッカの扱いとしてはBスタイル(アタッカのスタイルについては記事最後のおまけを参照ください、以下同じ)で、照明の演出効果もそれほどありませんでした。(いつかどなただったかAスタイルのアタッカで、それまで落とされていた合唱団の照明が、第五楽章の始まりにぴったり一致するタイミングでパッと明るくなり、鮮やかな効果を上げている演奏がありました。今回はそういう効果にはいたりませんでした。)

第五楽章で歌ったTOKYO FM少年合唱団は、日本では貴重な少年合唱団のひとつで、これまでにもヤンソンス&コンセルトヘボウほか、いろいろなマーラー3番で時々出演しています。聖歌隊風の白い服に赤い衿が鮮やかな服をまとい、元気に歌ってくれました。しかし、その歌い方にひとつ困ったことがありました。井上道義さんが2009年11月に金沢と富山で行った演奏会と同じ歌い方で、そのときと同じ大きな違和感を覚えました。​ ​金沢公演(11月28日 石川県立音楽堂) ​の記事に以前書きましたので、その部分を引用しておきます。
―――――
(ここから引用)
それからもうひとつ、児童合唱で残念だったことがあります。普通は「Bimm--、Bamm--」と「mm」の部分を長く伸ばして歌われます。しかし今回は、「Bi--mm、Ba--mm」と、母音の部分を長く伸ばして歌っていて、間延びした感じで、聴いていてかなり違和感がありました。これでは鐘の音らしく響きません。。。

なんと、あとでスコアを見たら、このこともちゃんと、第五楽章の最初のページに、書かれてありました!今回はじめて発見したのですが、児童合唱の段のはじめのところに、「M」を長く響かせよ、と書いてあるんです。(僕のドイツ語はかなり怪しいので、はっきりしたニュアンスまではわからないですけど、そんなようなことが書いてあると思われます。ドイツ語の堪能なかた、正確な意味を教えていただければ嬉しいです。)これを見て、そうかそうか、だから今回の児童合唱には違和感を覚えたんだと、とても納得しました。
(引用終わり)
―――――
今回も10年前と同じ、母音を伸ばす歌い方だったのです。これまでそれなりに沢山の3番を聴いてきた中で、このような歌い方に気が付いたのは、井上道義さんの2009年と、今回の演奏だけしかありません。(今回の児童合唱団が他の指揮者で歌うときにも、このような歌い方では一度も聴いたことがありません。)ですから、この歌わせ方の責任はひとえに井上道義さんにあると思います。何故に井上さんがここを鐘らしくない響きで歌わせているのか、まったくもってわかりません。

あと合唱団に関しては、今回人数比率が、女声合唱:児童合唱=57:35と大人優位だったので、もっと児童優位なバランスだったら良かったと思います。また女声合唱(三音楽大学の合同編成)も、音程がイマイチで残念でした。

第五楽章が終わると、指揮者の合図で全声楽陣が着席し、それに引き続いて第六楽章が始まりました。ここもBスタイルです。やはりAスタイルに比べると緊張感はかなり低下し、会場からは少し咳払いが発生しました。

最終楽章は読響の実力が発揮され、しっかりした良い演奏でした。
終わった後もフライングブラボーなく、指揮者がタクトをおろして客席の方を半分振り返ると、拍手と歓声が始まりました。

拍手が続くなか、やがて、さきほどポストホルンの音が聞こえてきたところ、すなわちオルガンスペースの左端、白い蓋と壁の間の隙間に、バルブ付きのポストホルンを持った奏者が登場しました。都響首席の高橋敦さんです。通常は舞台上に出てくることが多いですが、このように吹いた場所でご登場いただくと、ここで吹いたんですよ、ということが我々聴衆に解りやすく伝わるので、良い方法だと思いました。

E 終わりに

・・・終わってみると今回の演奏、第一・第二楽章が素晴らしく、あとは普通の3番でした。アタッカもBBスタイルでした。オケのパフォーマンスに関しては、読響だからこそこちらも期待が大きくなってしまう上での話ですが、ホルンなどがやや大味というか、精彩を欠く出来栄えでした。井上道義さんに関しては、今回の3番を10年前の金沢・富山の3番公演と比べると、僕にとって残念なところの基本方針が変わらず(ベルの高くない配置、声楽陣の演奏途中入場、児童合唱の鐘らしくない歌わせかた等)、一方で良かったところ(富山での合唱団の立体的で個性的な配置)が無くなったという、いささか残念な体験になりました。

しかし、なんだかんだと言っても、3番を生で聴けるのはいつも貴重な体験で、ありがたいことです。井上道義さんが10年後に3番をまた演奏するとしたら、それも是非体験したいと思います。

○おまけ:関連する自分の過去記事のリンクをまとめておきます。

10年前の井上道義さんのマーラー3番(2009年11月、OEK・新日フィル合同オケ)はこちらを
金沢公演(11月28日 石川県立音楽堂)   ←全声楽陣の演奏途中入場、児童合唱のBi--mm
富山公演(11月29日 オーバードホール)  ←合唱団のすごい立体的配置

アタッカのA,B,Cスタイルについてはこちらを
  ​ 関西グスタフ・マーラー響の3番を聴く(その3)





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Last updated  2019.12.11 02:37:44
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