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まだ、今年、日本へ帰って、「車泊の旅」、そして、それから、「ニュージーランドの旅」が、残っています。でも、来年の旅の、計画もしています。来年の、メインイベントは、西アフリカですね。今、115ヶ国を訪ねていますが、1回の旅で、纏めて5~6ヶ国へ行こうとすると、もう、かなり地域は限られてきます。西アフリカは、その少ない地域の一つであります。東アフリカ、そして、中央、南アフリカは、縦断して、廻っています。でも、西アフリカには、足を踏み入れていないのです。そして、国も沢山あるのですねー。 下の地図を見て下さい。結構、多いでしょう?区分けにも多少の異論はあるようですが、西アフリカに分類される国々は、下記の通りです。1.モーリタリア2.セネガル3.ガンビア4.ギニアビサウ5.マリ6.ブルキナファソ7.ギニア8.シエラレオネ9.リベリア10.コートジボアール11.ガーナ12.トーゴ13.ベナン14.ナイジェリア15.カーボベルデ共和国☆16.ニジェール共和国☆なんと、16ヶ国もあるのですよ。アフリカ全体で、52ヶ国ですから、西アフリカが、3割を占めます。この内の、10ヶ国程度に行こうと考えているのであります。ですが、アフリカは、北アフリカ、南アフリカを除くと、敷居が高いですね。他の地域に比べて、色んな心配が多いです。前回、アフリカ縦断の旅を遂行した時に、検討した内容を紹介します。まずは、蚊対策(マラリア)です。これは、当時のブログを見ると、かなり詳細に検討しています。大変なんですよねー、この対策も。 マラリア対策(蚊対策) ←ここをクリック予防接種は、下記の4項目を行う必要があろうかと思います。 黄熱病は、摂取しなければ、入国出来ない国もあるので必須です。その他は、任意ですが、最低、下記の3項目は必要でしょう。 破傷風 A型肝炎 狂犬病南京虫対策も、必要です。以前検討して実行した内容です。 南京虫・ダニ・ノミ対策 ←ここをクリックしかし、これらの対策は、バックパッカーとして、安い宿に宿泊したり、移動も、タクシーなどに乗らず、地元のバスや、オンボロトラック並みの車に乗ると言う旅の方法です。この辺りが、西アフリカなのですよねー。ツアーに参加すれば、このような対策は、もっと緩くて構いません。添乗員もいますしね。それで、軟弱なのですが、ツアーに参加しようと調べました。あるのですねー。「アフリカ、ギニア湾岸7ヶ国大紀行 17日間」、が見つかりました。次の7ヶ国へ行きます。シエラ・レオネ、リベリア、コートジボワール、ガーナ、トーゴ、ベナン、カメルーン費用は、目ん玉が飛び出るほど高いのです。清水の舞台どころか、エンジェルフォールの上から飛び降りるほどの決断力が必要ですぞ。今、悩んでいる所でありますが、ツアーで、廻る国、7ヶ国です。既に実行した、アフリカ縦断3ヶ月の旅、出発前は、中国で狂犬病の予防接種を行ったら、蕁麻疹が出て大変な思いをしました。その病状が治らないまま、旅に出たので、体調不十分です。アフリカは色んな問題があるので、「安全は、金で買う。」と言う、ケチに徹しないよう、心構えを決めていました。ケニアのナイロビでは、体調不良に陥り、うつ病の症状が出て、歩けないほどになり、旅を継続出来るのか、不安になりました。しかし、何故か、翌日は、良くなったので旅を続行。ウガンダ辺りでは、良くなったので、白ナイル川で、ラフティングや、カヌーを、丸2日間も楽しみました。ですが、後で考えると、これが、問題で、その後、ルワンダで熱が出ます。それでも、身体をだましだまし、タンザニアに移動。夜行バスに乗ったりで、意識朦朧、財布も落としてしまって、ダブルパンチ。ようやくたどり着いたキリマンジャロの麓の街、モシでは、1週間も寝込む羽目に陥ります。もうこの時は、旅を中止して日本へ帰るか? と本気で考えましたね。しかし、モシから飛行機は飛んでいないので、ダル・エス・サラームまで行かねばなりません。熱が下がって、まだふらふらしますが、そこまで移動。すると、その近くに、リゾート地のある、ザンジバル島がありました。そこへ渡って、お金はかかりましたが、リゾートの宿で、休養。ようやく体調も回復して、次の地に旅立ったのです。その後は、ザンビア、ジンバブエ、ボツワナ、ナミビア、南アフリカ、レソトと、体調も悪くなく、無事、アフリカを縦断したのでした。そんな経験をしているので、アフリカと言うと、警戒しますね。お金をケチって、バックパッカーとして、旅をするか、大きなお金ですが、ツアーに参加して、優雅に旅をするか、悩む所であります。
2019.09.14
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アフリカ縦断の旅 総括A.期間 94日間 出発 2012年6月27日(水) 帰着 2012年9月28日(金)B.訪ねた国・都市 12か国、31都市・地域 1.トルコ :イスタンブール 2.エチオピア : アディスアベバ、アワサ 3.ケニア :ナイロビ、マサイマラ 4.ウガンダ :カンパラ、ジンジャ 5.ルワンダ :キガリ、キブ湖 6.タンザニア :ムワンザ、モシ、ダルエスサラーム、 ザンジバル島(ストーンタウン、パジェ) 7.ザンビア :ルサカ、リビングストン 8.ジンバブエ : ビクトリアフォールズ 9.ボツワナ :チョベ国立公園10.ナミビア :ヴィントフック、ナミブ砂漠11.南アフリカ :ケープタウン、ジョージ、オーツホーン、ナイズナ、ストームスリバー、 ポートエリザベス、ブルームフォンテン、キンバリー、ヨハネスブルグ12.レソト :マセル、マレアレアC.費用 約60万円 飛行機 20万円 宿、食費、その他 40万円(1日当り: 4,255円)心残りは、エチオピア 雨季であった事と、ブラックアフリカ最初の国の為、極度に緊張して、慎重に なっていました。それで、南部の少数民族に会いに行かなかったこと。 さらに北部の、遺跡などを見に行かなかったこと、心残りです。心残りは、タンザン鉄道、マラウィ タンザニアのダルエスサラームからタンザン鉄道に乗って、途中下車、そして マラウィを通って、ジンバブエ、そして、ナミビアへ行く予定でした。 しかしながら、熱を出して弱気になり、交通機関の発達していない、このルートを 回避し、飛行機で、ダルエスサラームからザンビアのルサカへ行ってしまいました。心残りは、マダガスカル 日本からの緊急帰国要請により、マダガスカル目前で、予定変更の帰国。 バオバブの木々は是非見たかった。いつか、行きたい。意外と、お金がかかった 飛行機代を除いて、1日当りの使用金額が、4255円です。 節約したつもりですが、かなり大きな出費です。インドは、1700円程度でした。 3ヶ月、12か国訪問の費用が、総額60万円。これが高いと思うか、安いと 思うかは、日ごろ、どんな旅をしているかによって、変わるでしょうね。 実は、今回の旅は、「安全と健康は、お金で買う。」と決めて出発しましたので、 もっと、かかると思っていたのです。予算よりも、安く旅が出来ました。心に残った、ルワンダ ルワンダが意外と良い国でした。バックパッカーには最適と言われている ウガンダが、あまりにインド的で雑然としていた為、小奇麗なルワンダが 印象に残っています。心に残った、ビクトリアの滝 世界三大瀑布の一つビクトリアの滝。南米のイグアスの滝には、敵わない ものの、やはり大きく、心に残っています。 ビクトリア近辺の散策や、近くのボツワナのチョベ国立公園、リビングストンも 含めて、居心地も良かったです。心に残った、ザンジバル パジェにある日本人女性が経営している、パラダイス・ビーチ・バンガロー。 ここでは、静かな海、美しい浜辺、日本語の小説が沢山ある図書館(無料)、 美味しい日本食、病の後だけに、体力回復、その後の旅に、大きな良い影響を 与えてくれました。心に残った、ラフティング ウガンダ、白ナイル川での、初めてのラフティング。 これは、結構きついですが、楽しかったです。思わぬ激流で、ナイル川に 放り出され、危うく、溺れそうになったのも、今では、楽しい思い出です。 しかし、この後、だるくなり、熱も長引いたので、ラフティングは、思ったより、 体力的に厳しいのでしょう。心に残った、ナミブ砂漠 世界の砂漠、サハラ砂漠や、ヨルダンのワディラムに比べると、ワンランク 落ちるとアジアの星一番は査定しましたが、それでも、一度は行くべき、 そして歩くべき、砂漠であると思います。心に残った、マサイマラサファリ 2泊3日、沢山の動物に出会えます。しかも動物園でなく、自然の中の草原。 動物に出会えなくても、草原を走る風は、気持ち良いです。 チータがガゼルを狩って食べるシーンは、自然の厳しさを目の当たりに見ました。心に残った、ケープタウン 他のアフリカ各国と、全く趣の異なる南アフリカ。中でもケープタウンは、大きな 都市でありますが、西欧の都市のように整備されております。 旅人が楽しめるツアーも沢山用意されており、ついつい長居してしまいました。 ケープタウンは、南アフリカの首都(立法府)なのですね。ヨハネスブルグが首都と 思い込んでいましたが、プレトリア(行政府)、ブルームフォンテーン(司法府)と、 3つの都市に首都を分散してあります。心に残った、レソト レソトなどと言う国、「アフリカ縦断の旅」を計画するまで知りませんでした。 南アフリカに周囲を全て囲まれているにも関わらず、独立国でいられたのが、 不思議です。同じ黒人でも、南アフリカの黒人とは、陽気さが違います。 やはり、白人に蹂躙されたか、されなかったか、で変わるのでしょう。 それに、電気も、水道もない、マレアレア。故に、空一面の星空。 さらに、くっきりと美しい南十字星も、満喫。心に残ります。まだまだ、数え上げれば、切がありません。行く先々での体験は、脳裏に、身体に刻み込まれています。その体験も、時が過ぎ去るに従って、褪せて、薄くなって行く事でしょう。されど、毎日、書き続けたブログのお陰で、読み返して見れば、その新鮮な気持ちも、蘇るはずです。そして、ブログは日記なれど、読んでくれる方、コメントを書いて下さる方々がおられる故、書き続ける気持ちも強くなります。その点、皆様に、心より、感謝申し上げる次第でございます。来年の半ばまで、中国の重慶に滞在します。その後は、どこへ行くか、今の所、決まっていませんが、日本には帰らず、物価が安く住み易い国に移動し、「世界への旅」を夢見て、実現して行きたいと思っております。
2012.11.23
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2012年9月28日(金) アフリカ縦断の旅 94日目香港から成田へ 「アフリカ縦断の旅」最終日ヨハネスブルグから13時間かかって、11時40分に香港に着きました。そして、15時10分に、成田に向かって飛び立ちます。香港時間15時10分だと、南ア時間では、朝の9時10分です。本来ならば、ヨハネスブルクの黒人居住区の見学に出かける時間なのに香港から日本に向けて、出発するのが、何とも不思議です。予定通り、キャセイ航空の機体は、香港上空へ浮かび上がりました。およそ4時間半、丁度3ヶ月振りに成田到着。思い起こせば、6月27日、蕁麻疹に悩まされ、欝病にも襲われ、見知らぬ、ブラックアフリカへの旅立ちの不安もあり、不安だらけの出発でした。途中、ケニアのナイロビでは、欝病が特別に悪化したり、ルワンダからタンザニアでは、10日間ほど熱が出て、丸4日間も寝込み、どうなる事かと思った旅でありました。思わぬ経過により、旅の途中で帰国となりましたが、銘打った「アフリカ縦断の旅」、一応、予定通り、アフリカは縦断しました。本来の予定は、ヨハネスブルグ以降、以下の通りだったのですが・・・。 9月29日(土) ヨハネスブルグ → アンタナナリボ10月11日(木) アンタナナリボ → ナイロビ10月12日(金) ナイロビ → イスタンブール10月19日(金) イスタンブール →ソウル仁川10月20日(土) ソウル仁川 → 成田キャンセルの効かない、エアーチケットの為、 * ヨハネスブルグ → アンタナナリボ * アンタナナリボ → ナイロビ → イスタンブール * イスタンブール → ソウル仁川 → 成田の飛行機は、無駄になりました。大よそ、15万円ほど、損をしました。まぁ、仕方ありません。金は天下の廻りもの、無事で健康に帰国出来たのですから、感謝です。健康でさえあれば、又、いつでも、出かけられます。香港から成田、4時間半のフライトで、成田には、 20時半着。リムジンバスに乗って、東京駅には、22時半頃着きました。夜遅くなのに、人がいつもより、多いなー? 写真を撮っている人もいるぞ?と思っていたら、東京駅が新装、お披露目となっていたのです。以前と比べて、どうでしょうか?
2012.11.21
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2012年9月27日(木) アフリカ縦断の旅 93日目緊急帰国 ヨハネスブルグから香港へ昨夜、部屋でネットをしていたら、家族からメールが入りました。滅多に家族から、メールなど、受信しないので、悪い予感がしました。案の定、1日も早く帰国して下さい、との内容。(理由は控えますが)それで、その時間は、既に、航空会社は空いてない時間なので、ネットで、航空券を急いで探しました。以前は、エクスペディアで探した事が多かったですが、入力が面倒なのと時間もかかるので、最近は、スカイキャスナーで探す事が多いです。ヨハネスブルグから香港経由成田で、見つかりました。最安値は7万7千円です。9月27日(木) 南ア航空 SAー286便ヨハネスブルグ発 16時40分宿のチェックアウト時間もあるので、早めに空港へ行きました。アジアの星一番の乗る、香港行き飛行機の待合室は、中国人だらけです。多くの中国人がアフリカに来ていると、何度も聞いたし、実際にツアー団体もこの目で見ましたが、これだけ多くの中国人を、一度に見るのは初めてです。中国の勢いを感じるとと共に、日本の衰えも感じ、寂しさを覚えます。尖閣問題との理由で、デモがあり日系企業が襲われたあとだっただけに中国人の日本人に対する態度がどうか、心配しました。しかしながら、待合室の隣に座ったスーツ姿の二人連れは、親しく話かけて来て、デモは良いが、襲撃や盗みには困ったものだ。中国人として恥ずかしい、と言うような内容の話をしていました。領土問題は政府同士でやれば良い、国民同士は仲良くしなければならない、などと分かったような事を言っていました。それが本心なのか、外交辞令なのかまでは分かりませんでしたが、多くの中国人が、そう思って、そのように行動してくれれば、本来の大国になれるのになー、と感じた次第です。飛行機に乗り込み、機内を見回すと、9割ほどは、中国人です。餓鬼が騒ぐわ、トイレは汚くするわ、で、中国人の嫌な面を見ます。機内映画は沢山ありましたが、大半が英語でスペイン語もありました。中国語も吹き替えとか、字幕は多かったです。しかし、日本語は、たった1本しかありません。しかも、全く有名でなく、且つ面白くない映画でした。今の時代、簡単に映画は入手可能だろうから、南ア航空、しっかり準備してよ、と言いたい所ですが、ここにも日本の地盤沈下が現れているのかなーと、寂しい気分です。まぁ、でも、映画はなくとも、一応、夜の時間になれば、寝れば良いので、それほど、退屈さは、感じません。13時間かかって、翌日、28日、香港時間の11時40分に、香港に到着しました。まだまだ、「アフリカ縦断の旅」、は続くはずでした。明日は、マダガスカルに飛ぶ予定だったのに、香港に居ます。不思議な気分です。
2012.11.20
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2012年9月26日(水) アフリカ縦断の旅 92日目世界で最も危険な都市、ヨハネスブルグへキンバリーの町は、昔のダイヤの発掘跡以外は、何もない小さな町です。従って、1泊すれば、充分な町でもあります。観光客も宿泊しないで、次の町へ行くのか、連泊可能な安宿もありません。それで、本日は、世界で最も危険な町、と言われるヨハネスブルグへ向かいます。まぁ、大丈夫だとは思うのですが、危ないと言われる場所へ、わざわざ、行って、実際に危険な目にあったら、言い訳も出来ません。まして、今回の「アフリカ縦断の旅」の、モットーは、「安全と健康は金で買う」、だったのです。そして、ほぼ縦断完了間近になって、それを変更する必要は、全くないのであります。その考えに基づき、既に、ヨハネスブルグのバス停にタクシーの迎えは手配しております。ですから、安心して、キンバリーを出発します。8時15分バスは出発です。その30分前に宿を出て、重い荷物を背負い、歩きました。そうすると、ここでも、超どでかい、お尻の女性が目につきます。どうですか? 異常、異様なほど、でかいですね?このでかさは、必要なのでしょうか? 無用のでか物のような気がします。歩くにも重たいでしょう。バスは、予定通り、8時15分に出発しました。これが、グレイハウンドのバスです。途中で、給油休憩した時の1枚。 2列通路2列なので、狭いとは感じませんでした。途中、見難いですが、フラミンゴのような鳥の群れが、湖の水面を飛んでいました。バスの中からなので、決定的な写真が撮れません。8時間後、ヨハネスブルグの町に入りました。大都市ですね。長距離バス停は、「歩き方」には、絶対に行くなと言う地域の中にあります。そのバス停にさえ、行かないようにと記載されております。ですから、着いたら、バスの乗務員と一緒に、オフィスへ行こうと考えていましたが、運転手が、バス到着場所で待っていました。本当に宿から来たタクシーなのか、信頼出来ません。そうしたら、彼の携帯電話に宿からメールが入っており、それを見せて貰って安心して乗り込みました。28歳の黒人の若者です。ヨハネスブルグは、危ないと聞いているが? と聞くと、全然、問題ない、と言います。彼は黒人なので、観光客とは違います。ですから、その言葉を鵜呑みにする訳には行きません。バス停から、空港近くの宿まで、30分位だったでしょうか?ずっと、運転手の彼と雑談をしていましたが、彼が質問します。「あなたは、いつ、どこで、英語を勉強したか?」、と。僕は、「日本人は、中学校から、全ての人が英語を勉強する。中学卒なら3年、高校卒なら6年、大学卒なら10年と勉強するので、誰でも英語を話す。」と回答。彼は、「いや、そんなはずはない。あなたは英語が上手だ。日本人で、そんなに上手く話す人は初めてだ。」、と言います。僕は、英語が上手いと思った事はありませんが、褒められると悪い気持ちはしません。しかし、英語が話せない日本人も、ヨハネスブルグに来るのだなー、と自身の英語能力から考察すると、そう考えられます。ここが、空港に近い、宿の通りです。バス・トイレ付の個室を予約したはずなのに、2部屋続きの部屋でした。入口側に、中国人が泊まっています。受付に文句を言うと、今夜だけだから我慢してくれと言います。1泊、2800円もの大金を出して宿泊するのに困ったものです。が、仕方ありません。ネットは、部屋で繋がるので、便利ではありますが、トイレへ行くのに。中国人の部屋を通らねばならないので、気分的に疲れます。明日は、ヨハネスブルグの市内見学、明後日は、かなり高額なツアーですが、滅多に行けない、黒人居住区へ行こうと予定しています。その為に、ここに3泊もします。そして、その後は、マダガスカルです。あのバオバブに、ご対面できるはず。楽しみです。宿でも食事は作ってくれますが、かないの高額なので弱りましたが、歩いて行ける所に、スーパーがあり、弁当も売っているし、自炊の材料も揃います。今夜は、チキンカレーを買って来ました。
2012.11.19
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2012年9月25日(火) アフリカ縦断の旅 91日目キンバリー 有名なダイヤモンド博物館ですから、有名なダイヤモンドも陳列されております。美しく有名なダイヤモンド、買うことなど有り得ませんが、写真に収めましたので、縮小して、それらを、掲載致します。Centenary Premier Rose Cullinan I Jubilee Tiffany Star of South Africa Dresden Green Great Mogul Hope そしてこれが、世界最大の原石、「616」です。この写真は、撮らせてくれません。それで、絵葉書から転載しました。隣の小さいのは、南アフリカで最初に見つかった、伝説のダイヤモンド、「ユーレカ」でしょう。拾い集めた、ダイヤです。嘘です。これも、絵葉書の転載です。ダイヤモンドを見た後、日本人が、良く泊まる宿、Stay a Day へ歩いて向かいました。45分歩いて、ようやく着きました。キンバリーの北から南へ、端から端まで、歩いたようです。300ランド(3000円)の、高額だけあって、清潔で綺麗です。朝食もなしの値段です。近くにレストランもないし、長居はしたくないですね。シャワールームも、綺麗です。ショップライトと言う、スーパーへ出かけて、買った弁当です。同じですね、どこでも、チキンです。20ランド(200円)程度の、お値段なので、いつも、これです。
2012.11.18
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2012年9月25日(火) アフリカ縦断の旅 91日目ダイヤの町、キンバリーへ昨夜の夕食同様、朝食も誰も作っていません。本日は、早めに朝食を食べ、キンバリーへ移動しようと考えていたので、焦ります。時間なので、キッチンにあった食パンを焼いて、バターを付けて、コーヒーだけで、朝食を済ませようと、食べていました。その時、黒人のお手伝いさんが、来たので、「朝食は?」、と聞くと、何語か分かりませんが、ブツブツ言っているだけです。これ又、丁度、その時、おバアさんが、入ってきて、20ランドを出し、これで、朝食を食べてくれ、とアジアの星一番に渡してくれました。前回、泊まった時は、とても良い宿なので、お奨めです、と電話番号を書きましたが、下宿人の人間関係が複雑そうで、長居する人には、奨められませんね。さて、キンバリーへ移動です。ミニバスタクシーを捕まえようと、宿の前で待っていると、70歳の嫉妬男性が、送ると言います。(この人以外は、外出して誰もいませんでした。)この人も、英語が得意でありません。皆さん、普段は、アフリカーンスを話しているようです。アフリカーンスとは、一番初めに、アフリカに入植して来たオランダ人達が、後発のイギリス人などに奥地に追いやられましたが、そのオランダ語を元にした言葉のようです。彼は、アジアの星一番を、レストランに連れて行くと言います。どうもおバアさんにそのように、言い付けられているようです。ミニバス停に行きたいと、何とか説明して、行き先を替えて貰いました。おバアさんは、外見通り、とっても、良い人ですね。ミニバス停に着きました。マンデラさんの絵が大きく描いてあります。ミニバスは、満席になるまで、出発しません。一番後ろの席で、若者と話します。彼は、ワレン21歳、18歳の彼女がいます。しかし、2020年に結婚すると言っております。8年後ですよ。そんなに待たせたら、彼女は、他の人の恋人になってしまうぞ、と忠告したら、心配そうな顔になりました。彼は、後から来た、ジョン、23歳です。彼らと、諸々、雑談をしていたので、あっと言う間に、1時間半が経ち、満席となり、出発しました。途中も牧草地ですね。ミニバスが走っている時も、ワレンとジョンが、話しかけて来ます。いつの間にか、アジアの星一番の名前が、「マダーラ」になっています。なんじゃ? その「マダーラ」とは? と聞けば、オールドの意味だと言います。アジアの星一番、いつの間にか、老人にされてしまいました。南アのどこかで、学生か? と問われた事もあるのに、参ります。彼らは、色んな話をします。どこの町にも売春があると言います。50ランドだと、言います。500円です。絶対に行きませんが、何と安いのでしょう。人類最古の商売と言われますが、どこの国にもあるものです。日本では、3000ランドだ、と言ったら、目を丸くして、驚いていました。ワレンの給料が、3200ランドですから、まぁ、驚くでしょうね。(日本の値段、知りませんが、適当に、3000ランドだと言ってしまいました。)そんな事で、2時間のミニバス、退屈せずに、キンバリーへ着きました。ビッグホールは、ミニバス停の近くにあると言うので、重い荷物を背負って歩いて行きます。電車が見えますが、町の駅から、ビッグホールまで運転されているものです。この左手が、ビッグホールです。ミニバス停から、歩いて20分で、ビッグホールの入口に着きました。何と、75ランド(750円)も、入場料が取られます。まず、映画を見せられます。ダイヤモンド発掘の歴史です。そして、入場します。歩いて数十秒、すぐに見えます。これが全景です。確かにでかいです。これを全て手掘りで掘ったと言うのですから、驚きます。ダイヤの亡者が、沢山集まったのですね。1860年代の話です。下に見える切り立った所から掘ったのではなく、この写真の上の方から掘ったのです。深さ393m、周囲1.6Kmになったそうです。今は、もう少し浅いのでしょうか?最盛期には、1万人もの鉱夫がテントに住んで働いたそうです。手掘りと言うのが、すごいですね。ここは、博物館になっておりまして、当時の機械も置いてあります。これは、選別機でしょうか?エレベーターで降りて、当時の坑道を再現してあります。ダイヤモンドです。9種類のカットのダイヤが飾られていました。その内の一つです。次回は、有名なダイヤの数々の写真を掲載する予定です。
2012.11.16
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2012年9月24日(月) アフリカ縦断の旅 90日目ブルームフォンテン 例の民宿で、ブログの下書き朝、品のあるおバアさんが、6時半頃、部屋をノックして来ました。食事の用意が出来たとの、知らせです。おいしく頂きました。WiFiが24時間無料で使えるので、レソトで、書けなかった、ブログの下書きを朝から早起きして、ずっと、アップしていました。昼前には、疲れてしまったので、昼食も食べなければいけないし、出かける事にしました。キンバリー行きのバスチケットも買わねばなりませんし。これは、バス停の隣の、ラグビー場です。門も開いていたので、中を見させて貰おうと、のこのこと入っていったら、セキュリティガードに捕まってしまいました。見せてくれないそうです。外から、少し見えていたので、写真に納めました。僕も、田舎チームでしたが、元ラガーなので、興味があったのです。バス停には、5社のバス会社がありましたが、キンバリー行きのバスは、グレイハウンドしか走っていません。そして、1日1本、朝6時発のみ。早すぎるので、大型バスで行くのは諦めです。時間はかかりますが、ミニバスで行く事にしました。バス停にある、観光案内所が、本日は開いていません。どうしてかなー?とバス会社に聞いてみると、本日は、祝日とのこと、道理で、宿の黒人のお手伝いさんが、来なかったはずだ、と納得しました。ここは、ウォーターフロントと呼ばれる、ショッピングセンターです。前回来た時も、ここで両替屋を探し、ネットが出来るお店を探しました。結局、両替屋もレートが悪く、ネットがつながるお店も見つかりませんでしたが。ここで、懐中電気を買いました。1週間前、民宿の枕の下に、小型の懐中電気を置き忘れてしまったのです。必ずあるだろうと思って戻ったら、ないと言います。たぶん、黒人のお手伝いさんが、持って帰ってしまったのでしょう。仕込み杖と言い、懐中電気と言い、南アでは、置き忘れると戻って来ませんね。忘れないようにしましょう。そして、何故か、最近、唇が乾き、手もガサガサになっているので、リップクリームと、ハンドクリームも、購入しました。南アフリカに来て思う事ですが、お尻と太ももが、異常に大きい女性がいて驚きます。どうして、そんなに大きいの? と言うお尻なのです。日本人には、まず居ません。そう言う人を、見かけても、写真を撮らせて下さいとは、頼めません。遠くから、隠し撮りしました。この人は、こちらでは、そんなに大きいとは言えませんが、日本人に比べれば、異常に大きいですよね?ある人が言っていましたが、男性の好みで、長い年月かかって、そうなった、と。それが正しいとすれば、アフリカの男性は、どでかい尻が好きという事になります。それが、デブのようなでかい尻でも。 そして、日本人は、でかい尻の女性が好きでない、と言う事になりますね?そうなのでしょうか?宿に帰って、意外な事実を知り、驚きました。品の良いおバアさんのご主人は、誰なのだろうと、思って、おしゃべりな男、マイケルに聞いて見ました。すると、彼女は独身だ、と言います。え? では、数人いる男性は? と聞けば、全員、下宿人だと言うのです。そう言うことだったのです。初めに、迎えに来た男性が、ご主人だと思いましたが、おバアさんとの関係を見ていると、どうも、旦那さんには見えなかったのですね。マイケル、52歳、彼が、WiFiを設置しました。彼も下宿人です。世話好きなのですが、とにかく、おしゃべりです。相手をするのが、面倒臭くなって来ます。おバアさんは、62歳。ずいぶん前に、離婚して、空いた部屋を、貸しているようです。そして、事件が勃発。夕方5時、いきなりWiFiが切れました。早速、マイケルに聞きに行くと、彼が調べた結果、ネットの線が、切れている事が判明。マイケルが、アジアの星一番を、他の部屋へ連れ出して、小さい声で言いました。あのジジイが嫉妬して、ネットの線を切ったのだ、と。昼前、おバアさんと、マイケルは、二人で連れ立って、どこかへ出かけました。いつ帰って来たのかは、部屋にいたので知りませんが、5時には帰っていました。それを、70歳のお爺さん、バス停まで迎えに来た人ですが、嫉妬していると言うのです。一つ屋根の下に暮らしていると、色んな事があるのですね。そして、夕食が、仲々、準備出来ません。祝日なので、お手伝いさんがいません。誰が作るのでしょう?腹が減って、時々、部屋から出て、キッチンを覗きますが、誰も作っていません。何度目かの時、マイケルが、腹が減ったろう、何か作ってやるか? とか調子に良い事を言います。もうワインを飲み、コークハイを飲み、かなりいい気持ちのようです。しかしその後も、諸々とありましたが、午後9時過ぎ、ようやく夕食にありつけました。マイケルが作りました。他の下宿人の分も作ったのですが、おバアさんだけで、他の人は、食べません。どうも、おかしな関係です。
2012.11.15
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2012年9月23日(日) アフリカ縦断の旅 89日目レソト王国よサラバ、ブルームフォンテンへたった1週間の滞在でしたが、南アフリカの街に慣れてしまったアジアの星一番に、アフリカの国を思い出させてくれた、レソトでした。2泊した、IFO B&Bですが、昨日、アジアの星一番の部屋と、キッチンが、昼から停電となり、プリペイドの電気代が切れたのが原因でした。担当の女性がいい加減で、午後3時には、カードを買って来ると言ったものの、夜の7時になっても、帰って来ません。どうも、家に帰ってしまったようなのです。他の部屋は、電気が来ていますが、全部鍵がかかっています。アジアの星一番の他に、もう一人泊まっていたので、彼に頼み、オーナーへ電話して貰いました。そして、オーナーが来て、電気のある部屋へ移動し、事なきを得ました。全く、いい加減な従業員もいたものです。その女性は、始めから、おかしな態度でした。チップを要求したり、朝の食事の準備が大幅に遅れたり・・・。レソト人の印象が良かっただけに、残念な女性従業員でした。さて、レソトを出国です。1週間前に来た橋を戻ります。国境の橋からの景色、来た時も、撮りました。もう、2度と来る事は、ないだろうなー、と眺めながら渡りました。9時20分に、南アフリカ側のボーダーから、ミニバスで出発し、ブルームフォンテンのミニバス乗り場に着いたのが、11時40分。2時間と20分の、短いバスの旅でした。この日、ヨハネスブルグ行きのバスチケットを買ったら、キンバリーへ移動しようと考えていました。(キンバリーへ往復しようと考えていたのです。)しかしながら、ブルームフォンテンから、ヨハネスブルクへ行くより、キンバリーからヨハネスブルクへ行った方が、朝の出発時間が遅い事が分かりました。ブルームフォンテンからは、朝7時20分出発、それ以外は、もっと早いとか、非常に便が悪いのです。キンバリーからは、朝8時15分発がありました。ダイヤの発掘穴を見てから、ブルームフォンテンへ戻る事なく、ヨハネスへ行くことが出来ます。ヨハネスブルクの宿に電話し、バス停までの迎えも依頼済。これで、南アフリカのスケジュール、予約も全て完了であります。さて、そこで、本日、キンバリーへ行くつもりでしたが、多分、退屈であろう、キンバリー、安宿がないと言うキンバリーに、3泊するのも、無駄だな、と思い返し、前回宿泊した、品のあるおばあさんお、民宿へ行く事に変更しました。1泊90ランド、夕食、朝食も付けて貰って、150ランド(1500円)ですから、南アでは、格安でしょう。部屋も清潔でしたし、夕食もうまかったし、言う事なしでした。残念なのは、WiFiがなく、近くにもネットカフェがないことだけであります。ミニバスタクシーに乗って、部屋が空いてますように、と祈りながら辿り着きました。空いています。しかも、この1週間、レソトへ行っている間に、WiFiが繋がるようになっていたのです。もう、すぐに、1泊でなく、2泊する、と決めてしまいました。夕食も、おいしかったです。
2012.11.14
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2012年9月22日(土) アフリカ縦断の旅 88日目スワジランド行き中止本日は、レソトの首都マセルに滞在します。スケジュールを練り直していますが、結論として、スワジランドへ行くのを止めます。理由は、 1.スワジランドへ行くには、あの世界一危ない都市と言われるヨハネスブルグの ミニバス乗り場へ、2度も行かねばならない事であります。 従って、危ない場所には、行かない方が良いとの判断です。 2.スワジランドは、エイズ感染者が、世界一高い国です。 5年前のデータで、国民の26%の感染者がおり、最近の一説では、国民の 半数がエイズ患者だと言うのです。 エイズは空気感染はしませんから、旅をする分には、全く問題ない、と 言われますが、ちょっと怖いですねー。どこかに傷があり、その上、エイズ患者と 接触して、感染したら・・・、で、行くのを、止める訳です。スワジランドは、女性の地位が低いようです。一夫多妻制も認められており、現国王は、13人の妻を持っているそうです。(羨ましくないです。)女性のエイズ感染率が、男性の4倍近いのも特徴で、これも女性の地位の低さからそんな結果になっているとの事です。母子感染の被害も増大しており、エイズとの関係もあるのでしょうが、平均寿命が、40歳以下と言いますから、大変な国です。南アのケープタウンからゆっくりし過ぎて、日程的にも、ちょっと厳しくなっているので、スワジランド行きを止めた、一つの理由です。その代わりに、ダイヤの町、キンバリーへ行き、予定になかった、ヨハネスブルグの市内観光をする事にしました。さて、これが、今朝の朝食です。宿代300ランドの内、30ランドが朝食代と聞きました。いつものアジアの星一番の朝食の方が、豪華です。と、思ったら、後で、こちらも出て来ました。30ランドですから、この位は、出して欲しいです。本日、マセルに何もしないで、滞在する目的は、ヨハネスブルグの宿の予約です。ブルームフォンテンにて、ネットカフェが見つかりませんでした。止むなく、宿に、電話をかけて見ましたが、これ又、繋がりません。世界一危険な都市、バックパック担いでの、宿探しは、危な過ぎます。「安全と健康は金で買う。」が、今回の旅の、基本方針です。バス停まで、宿から迎えに来て貰わねばなりません。それで、ネットに繋がる、ここマセルから、昨日、2軒の宿にメールを発信しました。その返事を待たねばならないのです。あ、そうそう、そんなにヨハネスブルグが危険なら、行かなければいいじゃないか!と言う、ご指摘を受けそうであります。実は、ヨハネスブルグから、マダガスカル行きのエアーチケットを購入して持っているのです。それで、ヨハネスブルグへ行かねばならないのですねー。(近くの都市(プレトリア)に泊まって、ヨハネスブルグに泊まらない人もいるようです。)ネットカフェへ行った帰り道、露天商のおっさん達が、何かで遊んでいます。これです。日本で言えば、何でしょう? 囲碁? 五目並べ? 見たいなものでしょうか?ダンボールに、下手くそな線を書いて、ビンの蓋と、石ころを、敵味方で持ち、交互に置いていきます。ルールが分かりませんが、わいわいがやがや、楽しそうにやってました。何もなくても、工夫して、遊ぶのですね。この方が良いのかなー?さらに、歩いている途中、ニーハオ!ニーハオ!と、うるさいですが、こちらは何しろやることがなく、暇ですから、、少し相手をしてやりました。そしたら、そこは、レストランでした。中華料理と書いてあります。メニューです。カレーと言うのがありました。カレーがいつの間に、中華料理の一品になったのか、知りませんが、ここの所、ずっと、同じものばかり食べていたので、カレーなるものを、食べて見ました。小盛り、中盛り、大盛りとありますが、これは、中盛り、20ランド(200円)です。メニューには、ビーフカレーとありましたが、実際は、チキンカレーです。日本のカレーとは、似ても似つかないカレーでしたが、不味くはなく、又、食べたい味です。隣の店に、コンセントを買いに行ったら、オバさんが、中国人の顔なのです。で、得意の中国語?で話したら、そのオバさん、喜んで話始めました。河北省出身ですが、単身で、ここに来て、7年が経つそうです。ご主人と子供は、中国にいると言う事ですから、住み着いているのでもなさそうです。が、商売が、どんどんと軌道に乗ったら、家族を呼び寄せるのかも知れません。電気品の販売、レストラン(カレーを買った店)、その他、材木なども扱っているようです。そう言えば、本日、ネットカフェに行ったら、そこも中国人の経営でした。コピーや、プリントも商売の中に入っているようで、同じ中国人の客にインビテーションレターを、プリントしていました。又、中国人を呼び寄せるのですね。恐ろしや、中国人。人懐っこい、レソトの人々、バソト族、中国人に牛耳られる国にならなければ良いなー、と願うものです。
2012.11.13
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2012年9月21日(金) アフリカ縦断の旅 87日目レソトの首都マセルに戻る昨夜は、ビールの小缶では、物足りず、追加で小瓶も飲んでしまいました。一昨日、昨日、と歩いて汗をかいたので、水分を欲していたのでしょう。ビールがおいしかったです。夕食は、相も変わらず、バーパでは、飽きるので、ライスを作って貰いました。それに、トマトを炒めたものに、サービス満点のどでかいチキン。チキンだけで、満腹になるような、でかさです。ちょっと塩が効きすぎですが、腹一杯になりました。やはりライスの方が良いですね。さて、本日は、首都のマセルに戻ります。昨夜から、風が強く、そして、朝から、雲行きが怪しく、雨が降りだしました。昨日、一昨日と、良い天気でしたからアジアの星一番は幸運に恵まれています。マセル行きのミニバスは、ロッジの前で待っていました。満席になるまで、待つ事なく出発です。と言うのも、このマレアレアから、満席になるほど、村人が移動しませんし、途中で乗り降りする人がいるので、満席では困るのです。しかしながら、途中で客を乗せたい為、ゆっくり走るので、時間がかかります。わずか、84キロの道のりですが、8時40分に出発、11時30分到着。約、3時間かかりました。宿探しです。前回泊まった、マセルバックパッカーズは、市内から何キロも離れており、非常に不便です。140ランドとまぁまぁ、安いのは良いのですが。それで、ネットカフェのある近くに探そうと、ネットカフェで教えて貰った宿に向かいます。IFO B&Bです。値段が、300ランド(3100円)と、今までで一番高い、価格ですが、他に見つかりそうもないので、ここにしました。これはレソトを離れてから知りましたが、ネットカフェのすぐ傍の教会で安く泊めてくれたらしいです。もっと、良く事前に調べておけば良かったです。ソファも室内についています。部屋は広くはないですが、テレビ、冷蔵庫も付いて、湯沸かしポットも、コーヒー、紅茶もあり、悪くはないです。この宿のオーナーなのか、従業員なのか分かりませんでしたが、応対した、女性が、何と言いましょうか、気に食わぬ、と言ったら良いのでしょうか、いい加減な女で、弱りました。朝食は、7時から10時と、気張って言っていた割に、7時になっても、7時半になっても、準備が出来ずでした。ひどいのは、遮断機とメーターが、いくつかに別れており、昼頃、アジアの星一番の部屋の電気が止まりました。支払ったお金が切れたのです。午後3時までに、カードを買って、電気を入れると約束したのに、午後5時になっても、6時になっても、帰って来ません。午後7時、辺りは真っ暗。部屋も真っ暗、オーナーも従業員も誰もいません。これで、一晩、生活は無理と他の客に、電話して貰い、オーナーに来て貰いました。オーナーから、電気の点く部屋に変わって欲しいと言われ、面倒ですが、一件落着です。すると、あの女は、従業員だったのですね。腹立つ、女です。バス、トイレも広くて、使いやすいです。お湯がチョボチョボとしか出ない時もあるので、それが、困ります。市内に出て、昼食です。マセルでも、マレアレアと同様の食べ物です。チキンとライス、レソトには、これしかないのでしょうか?ここが、メインストリートの、キングスウェイです。首都ですが、田舎の町のようですね。これは、バソト・ハットの形をした建物で、レソトの民芸品を売っています。「歩き方」には、この隣に、観光案内所があると書いてありますが、ここにはなく、ボーダーに移動したようです。入国するときに、寄って、宿の資料を貰った所です。この民芸品のお店の前では、バソト・ハットを、実際に編みながら売っている、オバさん達がいますが、写真を撮らせてくれません。これは、遠くから、撮った写真です。バソトとは、ソト族と言う意味で、レソトと言う国の意味は、「バソトの国」だそうです。このソト族が被ると言う、バソト・ハット、首都マセルだけでなく、マレアレアでも、被っている人を見たことがありません。毛糸の帽子を被っている人が多いです。この伝統的と言われる、バソト・ハットも日常的には、置き去られ、土産品に成り下がっているのでしょうか?他の地域に行っていないので、早計に結論付けるのは、まずいですが・・・。
2012.11.12
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2012年9月20日(木) アフリカ縦断の旅 86日目マレアレア ブッシュマンの壁画昨夜の夕食です。マレアレアロッジでは、夕食も準備してくれますが、110ランド(1100円)と、貧乏旅人にとっては、非常に高額です。ロッジの外に、掘立小屋の食堂や、お店があります。食堂、と言っても、弁当屋のようなお店ですが、2軒あります。その2軒とも、同じ料理です。しかも、一昨日も、昨日も、本日も、全く同じ、一種類しかありません。20ランド(200円)なので、2泊しかしませんから、毎夜、同じ物を食べる事にしました。白いのは、バーパとか言います。原料は、トウモロコシでした。水を買いに行った帰り、ロッジの前で待つミニバスの乗務員を撮りました陽気ですよ。踊ってみたり、カンフーの真似をしてみたり、写真も撮れと、ポーズをとりました。マレアレア地区に、ブッシュマンの壁画があると言うので、行く事にしました。ガイドを雇って行くか、どうか迷いましたが、宿に準備されているパンフによれば、単独で行っても、ほぼ100%壁画は見つからない、と言うので、ガイドを雇いました。彼の名前は、マイケルです。レソト人にしては、大人しく、無口な人です。馬は、普通にいます。小さな部落が見えて来ました。ほんの4~5軒しかありません。谷の下に川が見えて来ました。35分程、歩いた所です。一体、どこまで行くのでしょうか?谷を降り、川を越え、又、谷を登り始めます。ひぇー、どこまで、登るの? と思ったら、ガイドは、ここに座りました。ここが、3箇所ある壁画の内の、第一ポイントでした。何をしている所でしょうか? 黒の顔料ですね。これは、褐色の顔料で描かれています。ブッシュマンは、サン族の蔑称のようです。サン族は、かつて、東アフリカ、中央アフリカ、南アフリカの広い地域に暮らしていた、狩猟民族です。しかしながら、南からは白人入植者、北からは他部族に追いやられ、現在は、半砂漠地帯に、8万人ほど住んでいるだけらしいです。これは、黄色の顔料を使っています。何を描いてあるのか、分かりませんが、狩猟図を主に描いたようですので、これらも、狩猟の絵なのでしょう。登って来た谷を降ります。かなりの急斜面です。足を滑らせたら、命を落としそうなので、慎重に降ります。川を渡り、又、反対側の谷を登り、第2ポイントに着きました。狩猟の絵でしょう。先ほどと似たような絵が描かれております。因みに、この壁画は、400年前に描かれたものだそうです。ちょっと見にくいですが、上側にあるのが、魚です。下側に描かれているのが、イランドです。イランドとは、偶蹄目ウシ科に属する動物です。ブッシュマンにとって、生きるために、重要な動物であったそうな。第3ポイントに移動しました。ここは、太陽が当たって、壁画が見にくいです。ここにも、多くの絵が描かれていました。3ポイントを、約30分見て、帰ります。レソトの国は、国土が狭く資源も乏しいので、農耕と牧畜で成り立っているとの事。帰り道でも、牛や羊の群れを、何度も見ました。牛や羊が多い割には、掘立小屋で売っている弁当は、チキンばかりでした。商売用で高価なのでしょうか? 牛や羊は。丁度、2時間半、宿の近くまで戻って来ました。畑には、今、何も栽培されていません。ガイドのマイケルに、どうして何も植えないのだ? と訪ねたら、雨が降らないから、との答えです。一昨日も、昨日も、今日も、快晴です。で、いつになったら、植えるのだ? 何月? と聞いたら、今月辺り、と言います。すると、もう、そろそろ、雨が降る時期なのですね。昨日は、3万歩、歩いて疲れが残っているかと気にしていました。が、22時には電気の電源が切れてしまい、朝も電気が来ないので、普段では考えられない、9時間の睡眠をとったせいか、疲れは残っていません。本日は、1万6千歩、歩きましたが、それほど疲れません。歩ける喜びを、切に感じております。今回の旅の途中、10日間も、熱と体調不良で、苦労しました。そのせいで、もう健康で歩けるだけで、幸せを感じます。昼頃、帰って来て、やることもないので、持っているものを全部、洗濯しました。2時間程度で、乾いてしまいます。気持ち良いですねー。
2012.11.10
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2012年9月19日(水) アフリカ縦断の旅 85日目マレアレア 滝までハイキング川沿いの小道を歩きます。小道があれば、分かりやすいのですが、このような岩場は、どこを歩いて良いのか、分り難いです。さて、この黒いのは、何でしょうか? 川に沢山います。オタマジャクシです。ここは、春ですね。水溜りの中にも、オタマジャクシがいました。干上がったら死んでしまいます。もう30分から40分歩いています。滝が見えて来ていいはずなのですが?これが滝? ちょっと小さ過ぎは、しませんか?まさか、これを滝とは言わないでしょう。さらに上流へ進みます。道が無くなり、行きつ戻りつしながら、さらに歩きました。川を見つけてから、歩くこと、45分、ついに滝にたどり着きました。如何ですか? 川の水量が少ないので、期待はしていませんでした。でも、仲々のものですよ。逆光なので、うまく滝を撮れません。反対側に移動して撮って見ました。滝が、二つあるのが、見えますか? 向こう側に小さい滝があるのです。これです。水が少ないので、風にも吹き飛ばされ、滝が下まで届いていません。これって、エンジェルフォールに似ていますね。規模は全く違いますが。面白いなー、と思って見ていました。滝を眺めながら、昼食を食べたら、元気が戻りました。このまま帰るのも、面白くないな、と、ビューポイントなる場所へ行こうと、滝から山へ登り始めました。滝の上流側が見えましたね。こんな山中に畑を作り、住んでいる人がいます。道に迷い、帰りに、この家に寄って、帰り道を教えて貰いましたが、若いのに英語が話せない人でした。レソトでは、英語も必修ですから、誰でも話せるはずです。近所付き合いをしない家族なのでしょうか?道がなくなりました。どこへ行けば、ビューポイントに行けるか分かりません。おまけに、山を降りて帰る道も分かりません。歩きやすい岩場を歩いて、何とか、道を探そうと、試みました。この一番向こうに、豆粒より小さく見えるか見えない家が、宿泊している宿です。でも、どのように、山を降りたら良いのか、分かりません。川に行ければ良いのですが、崖で、とても降りられるような場所ではありません。仕方なく、先ほどの、民家まで戻り、どのように帰るか聞きましたが、要領を得ません。元来た道に帰ることにして、その道を手真似で教えて貰いました。ほぼ2時間、無駄歩きをしましたが、元の川に出ました。戻って来ました。こんもりした緑の林が見えます。水があれば、あのように、緑の木々が大きくなるのでしょう。あそこにしか、木々がないと言うことは、やはり雨が少ないのですね。マレアレア村(実際は違う村)に戻って来ました。電気もなければ、水道も家にひいてないようで、共同の水道が、このようにあります。この水道の向こう側に、水汲みに来た子供が、3人隠れています。写真が嫌なのか、カメラを出すと隠れます。面白いので、何度も、何度も、繰り返して、彼らが隠れるのを楽しみました。道を間違え、全部で、6時間、3万歩のハイキングでした。疲れましたが、良い景色も見られて、満足です。快い疲れです。
2012.11.09
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2012年9月19日(水) アフリカ縦断の旅 85日目レソト マレアレア村散歩部屋では、24時間、お湯が出ます。しかし、電気は、午後5時から10時までしか、使えません。この村に電気が来ていないのです。宿は、ジェネレーターで電気を作っているのです。お湯は、ガス給湯器を使っていますので、24時間使用可能なのです。嬉しいですね。有難いです。朝食は、いつもの通りですが、ここで食べました。気温は低いのですが、まだ昇ったばかりの、太陽の光が降り注ぎ、とても気持ち良いです。食べていたら、孔雀が歩いて来ました。パンをあげましたが、食べなかったです。贅沢な孔雀ですな。滝があると言うので、ハイキングに出かけました。マレアレア村を通って行きます。のどかに羊を追っています。すいません。ここは、マレアレア村ではなかったです。もっと小さな村です。マレアレア村は、宿の裏手にあり、500人ほど住んでいるとの事でした。小学校が見えて来ました。のこのこと、小学校へ入って行くと、休み時間で、先生も二人、外に出ています。生徒に挨拶して、写真を撮ってくれと、言います。それで、教室に入りました。生徒は、男も女も、丸刈り坊主なので、どの子が女の子か、男の子か分かりません。初めは、全員が、男かと思いました。それで、手を挙げて貰いましたら、半々位の割合でした。普通です。小学校を後に、さらに歩きます。これが、普通の民家です。咲いている花は、これです。こんな道を歩いて来ました。村と言っても、家がかたまってある訳ではありません。ポツポツとあるだけです。ここは、ちょっと家が多い地域でしょうか?牛飼いの人も、村の畦を歩いていました。花と民家。村の家も、もうありません。滝を見に、先を急ぎます。急いでもいないですね。ゆっくり歩きます。この岩場の先に、川が流れています。川に着きました。宿を出て、丁度、1時間です。これから、さらに、川沿いを歩いて、滝を目指します。宿の人に、ガイドがいないと、迷うから、ガイドを雇うように、と勧められましたが、断って一人で来ました。さて、滝に行き着けるでしょうか?
2012.11.08
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2012年9月18日(火) アフリカ縦断の旅 84日目マレアレアへ7キロ乗務員と向かい合わせで密着して乗っていた、若い女性が降りた地点が、モツェクオアと言う所です。歩き方には、マフェテン行きに乗って、ここで降り、別のミニバスで、マレアレアへ行け、と書いてあります。ネットカフェのレソト人女性も、そのように教えてくれました。しかしながら、このミニバスは、直通で、マレアレアまで行きます。変わったのですね、路線が。この情報は、最新情報でしょう。「地球の歩き方」にも、教えてあげねばなりません。さて、マレアレアへ7キロ地点です。牧場や、荒地(?)ばかりであった道路の周囲に、畑が見えて来ました。土の色が、全て、一色でなく、黒い土、茶色い土、と色々あります。どうしてでしょうねー?後で知ったのですが、この7キロ地点にある壁に小さなレリーフがあり、「Gateway of Paradise」 と書かれているらしいです。「楽園の入口」でしょう。マレアレアは、このレリーフの言葉のように、楽園だと言うのです。期待を膨らませる、言葉ですね。ここが7キロ地点です。別のミニバスからの乗客を乗せるため、ここで、15分ほど待ちました。子供達が遊んでいます。サッカーボールは、ポリ袋を丸めて球にして縛ったものです。貧乏で本物のボールは、買えないのでしょう。見えて来ました! 楽園です。楽園は、明日から、じっくり見る事にして、宿にチェックインです。これが、アジアの星一番が、泊まるHuts(ハット)です。小屋ですね。バンガローより、粗末なのでしょうか?Basothe Huts と言う名称で、1泊、155ランド(1600円)です。部屋です。ベッドが二つあります。しかしながら、アジアの星一番、一人で泊まります。ドミでなく個室なんですよ。そして、シャワー、トイレ付きです。これで、155ランドは、格安ですね。ブルームフォンテンの、世界最悪の宿に、比べたら、雲泥の差です。ベッドの布団も、毛布2枚に、布団ですから、寒くないです。夕食前に、ビールを飲みました。この国レソトのビールです。宿でも夕食は頼めますが、110ランド(1100円)と、超高いです。それで、宿のすぐ前にある、掘立小屋へ買いに行きました。そこの奥さんと赤ちゃんです。4ヶ月と言っていましたが、フラッシュに驚いたのでしょうか? 目をまん丸に開いています。白いのは、バーパと言う、こちらの主食で、野菜の漬物のような物と、チキンの唐揚げが二つ入っています。これで、20ランド(200円)、バーパに味がほとんどありませんが、おかずと一緒に食べれば、問題ないです。お腹も膨れて、満足でした。
2012.11.07
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2012年9月18日(火) アフリカ縦断の旅 84日目レソト マセルからマレアレアへ移動昨日、レソトへ入国し、レソトは、雑然としており、アフリカっぽい印象だと記載しました。それは、その通りなのですが、その他、感じる事は、妙に皆さん、明るいのです。バックパック背負って、宿を求めて彷徨い歩いていた時、5人の若い女性が歌を歌いながら、歩いて来ました。こう言う光景は、今まで見ていません。今朝も早起きして、生姜紅茶を飲んでいたら、学生達が、起きだして、大声で歌いだしました。歌好きなのでしょうか? 皆さん、明るいです。それから、皆さん、親切です。昨日の、宿探しの時、だれでも、とても親切に教えてくれました。暫く一緒に歩いて教えてくれる人もおり、お金を要求されるかな、と心配もしましたが、そんな事は全くなかったです。そして、危険な臭いも全くしません。この国は、「天空の王国」、「アフリカのスイス」、「山の王国」、などと呼ばれいるそうで、その呼称に誘われて、レソトにやって来たのです。しかしながら、今の所、呼称に相応しい、景色、雰囲気に出会っていません。これが、宿の、Darham Link、Maseru Backpackers、です。昨日とは、別の角度から、撮って見ました。この宿の数十メートル、離れた所に、泉があります。池と書こうか、沼と書こうか、迷いましたが、泉にしました。これは、パソトハットと言う、こちらの帽子だそうです。しかし、実際に、これを被った人に、今の所、会っていません。 学生さんの合宿ですね。陽気な皆さんですが、夜は遅くまで、騒いでいません。朝は、6時頃、早くから、起きだしていました。規律正しいです。これは、朝食後、スピーチを聞いたり、踊ったりしていました。宿泊した宿、Maseru Backpackersの、周囲には、何にもありません。町から、数キロ離れております。本日は、マレアレアへ移動します。ガイドブックによれば、レソトは、首都のマセル以外、都市はない、と記載されています。従って、もっと田舎の、マレアレアで、ネットがあるとも思えません。ミニバスに乗る前に、是非とも、ネットカフェを見つけたいと、タクシーで町へ行き探し歩きました。聞きながら探しましたが、知らない人もいますので、ネットがさほど普及されていないのかも知れませんね。何とか探した1軒は、持ち込みのラップトップに接続禁止と言います。日本のウイルスチェックのソフトが入っているから安全だ、と言ってもボスの命令だからダメとの事で、接続できず。さらに探した1件は、ラップトップ用の有線が準備されていました。1時間30ランド、300円です。異常に高いです。30分接続させてくれと頼んでも、最低が1時間、であると譲ってくれません。しかしながら、この有線も何故か、接続できず。それで、デスクトップの有線を外して、使わせて貰いました。ようやく、メールの送受信が出来て、ブログもアップ出来たのであります。この席には、電源がなく、バッテリーが30分しか持たないと説明して、特別に30分を許可して貰い、15ランド(150円)支払いで済みました。バナナ1本が、0.5から1ランドですから、どれだけ、ネットが高いかお分かりでしょう。又、雑然とした、露天商の横を歩き、ミニバス停に向かいます。ここが、ミニバス停。ここも、物売りが多いです。何でも売りに来ます。10時45分にミニバスに乗り、満席になるまで、1時間50分待ち、12時35分出発。待つのにも慣れました。町を抜けるとこんな風景。まだ家があります。不思議なのが、この写真です。これを見てどう思うでしょうか?女性は席に座っています。男性は、女性に向き、進路に対して後ろ向きに通路、う~ん、狭すぎて通路と言えません、座席と座席の間に座っています。恋人同士には、見えませんよね?女性は、顔に手を当て、嫌がっているようにも見えます。道路の周囲は、やはり牧場が多いです。木もありますが、多くはありません。日本のように四季があると聞いていますが、森も林もないので、雨は少ないのでしょう。さて、気になる二人です。男性は足を開いて座り、女性は、その開いた足の間に両足を入れて座っています。男性は、女性の太腿に手を置き、ミニバスの揺れに対応しています。この男性は、乗務員なのです。女性は、客です。日本だったら、ありえませんね。満席にして出発しますから、乗務員の席がないのです。この乗務員が、バラバラにやってくる、客の席を決めて、あんたはここ、あんたはそちら、と采配していました。とすると、この体勢をイメージして、この若い女性をここに座らせたのでしょうか?1時間ほどして、客がおりましたので、乗客の娘さんは、空いた席に移動しました。
2012.11.05
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2012年9月17日(月) アフリカ縦断の旅 83日目レソト入国 78ヵ国目朝、起きて、いつもの如く、生姜紅茶を飲みながら、スケジュールなどを検討します。そして、茶碗を洗いに、キッチンへ行きました。ついでに覗いた、裏庭です。洒落ているでしょう?宿の朝食です。昨夜の夕食が35ランド、朝食が25ランドです。昨夜の夕食が値段の割には、最高でした。今朝の朝食も、バックパッカー宿の朝食に比べれば、かなり良いです。アジアの星一番のいつもの朝食に比べ、ソーセージと、卵焼きが多いです。さて、レソトへ行きますが、レソトは、南アのお金、ランドがそのまま使えます。しかし、レソトのお金は、南アでは使えません。それで、両替をしてから、バス停に行く事にしました。ブルームフォンテンは、観光客の数が少ないのか、ネットカフェも少ないし、両替商も少ないです。観光案内所で教えて貰った両替屋は、レートが、物凄く悪く(1US$=6.72)、諦めて、又々、彷徨い歩きます。ようやく両替をしてくれる銀行を見つけ、1US$=7.96で替えました。これだけ、レートが違うと、1時間以上歩きましたが、歩き甲斐もあったと言う結果です。ミニバスタクシーに乗り、レソト行き長距離バス停へ行きます。丁度、12時に乗りましたが、全席が満席になるまで、出発しません。その間、沢山の物売りがやって来ます。この人も、その一人ですが、現地語なので、意味は分かりませんが、乗客を笑わせ続けて、結局、何かを買って貰っている、商売上手な人です。彼は、乗客の、荷物運びも無料で手伝っていました。13時40分、1時間40分待って、ようやく満席。出発しました。道路の周りは、牧場です。牛ですね。2時間弱経った頃、こんな山も出て来ました。丁度、2時間で、南ア出国のイミグレに着きました。出国は、極めて簡単です。何も書く必要はありません。パスポートを渡すだけ。良いですね、簡単です。南アのイミグレの手前で、ミニバスを降り、ボーダーを歩きます。橋です。どこの国境も川が多いですね。しょぼい川です。ほんの少し水が、流れています。雨が降る季節には、この川も水量が増すのでしょう。レソトの入国も簡単です。記載用紙もありましたが、書かない人もいますし、きちんと書く人もいました。アジアの星一番は、滞在期間を1週間と書いたら、その通り、1週間とパスポートに書かれてしまいました。普通、1ヶ月とかくれるので、実滞在日数を書いたのです。慌てて、2週間と、言ったら、パスポートに記載した日にちを修正してくれました。融通も聞きますね。もう、ここは、レソトです。相乗りタクシーに乗って、市内へ向かいます。イミグレーションの所に、観光案内所があったので、地図を貰い、宿を紹介して貰いました。地図にも、位置を書いて貰ったので、それに基づいて歩きます。懐かしい、アフリカっぽさです。南アには、こんな光景に出会いません。道路脇に、お店が並び、歩く人の数も、おびただしいです。どうでしょうか? 暫く、南アの都市のブログが続きましたので、別の国に来たなー、と感じさせますね? 車が通ると、埃も舞い上がります。教えて貰った地図の上に印を付けましたが、それらしき宿はありません。何人に聞いても、ずっと遠くで、歩ける距離でないと言います。観光案内所で、聞いたものですから、間違いはないだろうと、確認もせず、歩いて来たのです。いやー、遠いです。16時10分に、レソトに入国し、タクシーに乗ってバス停に着き、歩き始めたのが、たぶん、16時半ですが、もう夕日も沈みます。バックパック12キロ、ショルダーバッグ5キロ、食料などのバッグが2キロ。合計19キロを背負い、持ち、歩いています。疲れますねー。まぁでも、これが本来のバックパッカーなのです。タクシーなんぞには、乗らず、あくまで歩きます。金をけちります。南アの、バズバスに乗っての、ガーデンルートは、楽すぎました。夕日は、どこで見ても、きれいですね。18時20分。1時間50分も歩いて、ようやく到着しました。観光案内所で、印を付けてくれた場所と全く違います。始めて来る土地で、間違った場所を教えて貰うのは、困りますねー。部屋は、普通のドミです。布団に毛布もあるので、寒さには耐えられるでしょう。周囲には、レストランは疎か、スーパーも何もありません。一応、一食分の食料は持っていますが、本日の夕食のみで、明日の朝食分は持っていません。止むなく、宿に頼み込み、夕食を分けて貰いました。この食事は、数十人の現地の学生が、泊まり込んでおり、その為に作られた夕食です。分けて貰ったので、無料かと思いました。考えが甘かったです。な、なんと、70ランド(700円)も、要求されました。昨夜の民宿の夕食、35ランドに比べれば、ぼったくりの価格です。お金を取られるなら、もっと堂々と、食べるのでした、飲み物もないし・・・。しかし、量も味も良かったので、良しとしましょう。<注>後日、分かりましたが、「歩き方」には、観光案内所が、市内のメインストリートにあると、記載されております。しかし、今は、そこにありません。たまたま、イミグレーションを通る時に寄って、地図を貰い、宿を教えて貰いましたが、ここを通り越して、市内の観光案内所へ行ったとしたら、面倒になる所でした。「歩き方」に載っている宿は、全て高級な宿で、安宿が記載されていません。このブログを見て、レソトへ行く方は、イミグレにある観光案内所へ寄る事をお薦め致します。因みに、「歩き方」は、'12~'13の最新版です。本日は、2012年9月17日です。
2012.11.02
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2012年9月16日(日) アフリカ縦断の旅 82日目珍しい民宿の宿 ブルームフォンテン世界最悪の宿、Naval Hill Backpackers を、出て、宿を探しながら歩き、最後の頼みと、長距離バス停にあるツーリストインフォーメーションに戻りましたが、本日は、日曜日、開いておらず、ガックリと、首を垂れました。どうすんべ、と、泣き顔で、インターケープの事務所に相談したら、安宿を紹介してくれました。天の助けです。しかし、90ランドで、個室と言います。安過ぎます。又、先ほどの宿のような監獄ではないだろうな、と、念には念を入れて、何度も確認しましたが、インターケープの職員、遅くなったとき、自分で泊まって確認しているから、間違いなく清潔、キレイ、問題ないと言います。それで、そこを頼みました。迎えに来るから待て、と職員は言います。外で待っていたら、寒いから、オフィスの中に入って待って良いよ、と言ってくれます。親切が心に染みます。あの、パンツの白人大男とは、人種が違うかと感じます。あー、そうだ、白人と黒人ですから、人種が違いますね。黒人の方が、好きですね。概して、親切な人が多いです。30分ほど待ったでしょうか? にこやかな、優しそうな白人のおばあさんが来ました。車の運転は、白人のおじいさんです。宿です。こんもりした木の所の家がそうです。あれ? ここは宿? 普通の家でしょう?普通の家ですね。ホテルでもないし、安宿でもないし、普通の家です。優しそうな、おばあさんですが、夜中に、変身して、牙をむき出しにして血を吸いにくる吸血鬼の家ではないだろうな? と、心配になって来ます。しかし、インターケープの職員が、何度も泊まっていると言うし、小さな子供も、庭で遊んでいるし、周囲の家も、普通の家なので、その心配は打ち消しました。部屋です。キレイに整頓されており、布団もフカフカ。世界最悪の宿とは、大違いです。浴室も、普通の家の、浴室です。生活感があります。家族の用品が置いてあるからでしょう。でも、キレイにしてあります。キッチンです。自由に使ってくれとは、言われませんでしたが、自由に使いました。黒人のお手伝いさんもいるのです。車が、庭に、4台も、5台も置いてあって、誰が家族で、誰が客なのか良く分かりません。分かっているのは、品の良いおばあさんが、ここの主人という事だけです。庭も、花を植え、芝生を張り、手入れしてあります。この宿にたどり着いたのは、午前11時を廻っていました。一通りの説明を受けましたが、夜行バスで疲れ、宿探しで疲れ、疲れ通しです。幸い、宿の近くに、スーパーがあったので、昼食弁当を買って来て食べ、ほっと一息しました。世界最悪の宿に遭遇したと思ったら、この宿も、全く始めてのタイプの宿です。個人の家の、部屋に泊まるのです。日本の民宿も本来の民宿からずれて、旅館と民宿の差が分からなくなっています。しかし、ここは、本来の民宿です。こう言う宿もあるのですねー。困ったのは、ネットがない事です。近所にもネットカフェなど全く見当たらないので、ショッピングモールへ出かける事にしました。歩いて行くと、1時間以上かかると言われましたが、疲れたら、引き返そうと、出発しました。そしたら、タクシー(ミニバス)が来て、しかも、そちら方面です。天の助けです。7ランド(70円)で、目的地の近くまで行けました。しかしながら、WiFiのある店が、2軒ありましたが、電波は非常に強いのに、ネットに繋げません。お店の人が、ルーターの電源切って、再度、電源を入れてくれましたが、やはりダメです。お店の彼の持っている、スマホはネットに接続できます。ナイズナのバックパッカー宿と、同じ状況です。無駄足となりました。3時間の外出でした。宿の近くには、全く、レストランなどないので、夕食も、朝食も頼みました。夕食35ランド(350円)、朝食25ランド(240円)、宿泊料を含めても、全て込みで、150ランド(1500円)です。どんな夕食か、楽しみですが、値段が値段ですから、大した事はないでしょう。ここが、リビングで、その向こう側が、ダイニングです。夕食です。大した事はないと思って、期待はしていなかったですが、逆です。期待していなかったその思いは、裏切られました。POTJIEKOS、と言う南アフリカ料理だそうです。鉄鍋で、外で煮るそうですが、作り方は、シチューに似ていると説明を受けました。肉にジャガイモに、その他、野菜をじっくり煮込んである味です。おいしいですねー! バックパッカーの卑しさと言いましょうか、食べられる時に食べておこうと、食パンも3枚食べました。そしたら、お替りは、どうだ? と優しいおばあさんが、声をかけてくれました。「もう十分です。」、と答えました。そしたら、お皿を持って行き、又、同量程度の料理を盛って帰って来ました。腹一杯以上です。満腹です。この写真は、上の物と同じですが、フラッシュを焚いて撮りました。世界最悪の宿の御陰で、南アフリカの家庭料理が食べられました。いやー、本日は、最悪と、最良の二つを味わえました。良かった、と言った方が良いのでしょうね。世界最悪の宿代120ランドとタクシー代、40ランド、合計160ランド(1600円)は、損しましたが、おいしい家庭料理を食べられたので、この方が、良かったです。いずれにしても、世界最悪の宿に、泊まらなくて正解でした。ここの宿の連絡先ですが、電話番号しかありません。ブルームフォンテンに来る人は、希でしょうが、この宿は、お薦めです。電話番号を記載しておきます。長距離バス停から電話すれば、迎えに来てくれます。HEILA 051-522 6035 ←この人が奥さん 082ー726 9959 ←同じく奥さんですが、上の電話が通じない時。GLEN 079ー604 9099 ←奥さんと連絡が取れない時。HEILAさんは、あまり英語が得意でないですが、ゆっくりと、泊まりたいと話せば、通じます。住所は、書いても行けないでしょうが、一応、記載します。14 De Bruyn Street Universtas BFN 追記1.昼間、沢山居た人達は、親戚の人で、ここに泊まってはいませんでした。 ここの家には、黒人のお手伝いさんが二人と、老夫婦、もう一人、おじいさんの 5人が泊まっています。 夕食の前に、日本人は、「頂きます。」、と言うのだ、と教えたら、南アもやる、と 言う事です。夕食時は、お手伝いさんを除き、3名プラスアジアの星一番の4名。 それぞれが、手を繋ぎ、ご主人が、何かを祈ります。アジアの星一番は、 優しいおばあさんの隣りだったので、おばあさんと手をつなぎました。 そして、最後にサンキュー! と言います。 何を言ったのか分かりませんが、神に感謝の言葉を捧げたのでしょう。 日本より、長いですね。
2012.11.01
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2012年9月16日(日) アフリカ縦断の旅 82日目世界最悪の宿 ブルームフォンテン長距離バス停から、本物のタクシーに乗って、予約してあった宿へ、行きます。ここブルームフォンテンの宿の情報が少なく、宿に問い合せても、タクシーで来いというばかりで、止むなくタクシーに乗ったのです。早朝の7時です。着いたら、宿の名前の通り、丘を少し登った所にあり、周囲には何もありません。外観は、どでかい工場のようです。監獄か? と思わせるような建物です。タクシーを降りて、入口のこれ又、どでかいドアをノックしますが、誰も出て来ません。困ったなー、、どうしようと、タクシー代を損したなー、と困っていると、ようやくドアが開いて、パンツしか穿いてない白人の男が出て来ました。俺は、眠たい、すぐに外出するか、それともベッドに行くか? と妙な事を聞いてきます。この男の対応に、この宿は、おかしい、と思い、別の宿を探しに出れば良かったのです。しかしながら、ここしか、宿は調べていないので、中へ入りました。キッチンは、汚いけど、まぁ、それなりの備品は揃っていました。リビングは、雑然として、汚いし、これは、嫌だなーと感じましたが、昨夜の掃除が出来ていないのだろうと、思うことにしました。しかし、天井が、工場のようで、とてつもなく高いのです。それで、寒いです。ベッドルームを見せて貰おうと、白人の大男に付いて行って驚きました。何ですか? これは、アパルトヘイト時代の黒人の棲家、若しくは、車で通る時に見た、今でも住んでいる黒人の棲家ではないですか? 壁がトタンです。ベッドルームの扉を開けて、さらに驚きました。外見は惨めでも、中はキレイにされて、暖かいのかと想像しましたが、隣の部屋との仕切りもトタンです。天井は、透けて見える程度ぬ、細い竹のような物を乗せただけ。毛布は、汚いのが、各ベッドに1枚だけ。これでは、凍え死にます。眠れません。ケープタウンから東海岸は、寒くて、結構、厚い布団と、さらに毛布をかけて寝ていました。こりゃー、困ったなー、と考え込みます。おまけに、宿の主人(一人しかいない)が、朝の7時過ぎに着いたのに、12時まで、寝るから、それまで、外出出来ないと言います。鍵がかかっていて、中からも出られないし、外からも入れません。それでも、他の宿を知らないので、渋々、了承して、120ランド(1200円)を支払いました。そいつは、又、部屋へ帰り、寝込んでしまします。僕は、買い置きの朝食を食べ、歯を磨きましたが、トイレや、シャワー室も、他の設備同様、とてもキレイで清潔とは思えません。白人の大男の弁によれば、他の手伝いの人もいない模様で、掃除をしに来る人もいないようです。とても、この宿には、泊まれない。風邪でもひいたら、大変だ。「安全と健康は金で買う。」、この今回の旅の基本方針を思い出しました。もう、大男は、イビキをかいて寝ています。120ランドは、返して貰えないだろうなー、と諦めていましたが、何度も何度も呼んで、ようやく起こした、そいつは、やはり、返却しないと言い、又、ベッドに帰りました。最悪の宿です。世界最悪の宿でしょうねー。Naval Hill Backpackers と言います。バス停からタクシーで来たので、今、ブルームフォンテンのどこにいるかも分かりません。その付近を探しましたが、800ランド位の高級ホテルばかりです。安くても、395ランドで、WiFiもなし。宿を探しながら、歩いて歩いて、結局、ツーリストインフォーメーションのある、長距離バス停に戻りました。すると、事務所は開いていません。そうです、日曜日です。泣きっ面に蜂、とはこの事でしょうか? 今までの南アの東海岸は、バズバスが宿から宿へ連れて行ってくれました。多少の不満はありましたが、それなりの宿で、なんにしても、宿を探す手間がなく、楽チンでした。今、本来のバックパッカーに戻って、宿探し。大変です。既に、時間は、10時半です。タクシーに乗って、長距離バス停を出たのが、7時。2時間半も歩いたのです。さて、宿は、探せたのでしょうか?
2012.10.31
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2012年9月15日(土) アフリカ縦断の旅 81日目夜行バスにて、ブルームフォンテンへナミビアのヴィントフックから、南アのケープタウン、この長距離バスが、今回の「アフリカ縦断の旅」では、最終の長距離バスと思っていました。しかしながら、ここポートエリザベスから、ブルームフォンテンは、そんなに遠くないのに、夜行バスです。しかも、夕方5時出発、翌朝の3時着と言う変な時間です。そんなら、朝6時過ぎに着くように、夕方7時頃出発にしてくれれば良いのですがどうしてなのでしょうねー?本日の朝食です。卵も買って来ましたので、スクランブルエッグが付いています。ついでに、夜行バスの食事用に、ゆで卵も作りました。昼食は、スパゲッティです。野菜、ソーセージも入って、栄養OKですね。余しても、持ち歩けないので、全部作り、同宿の人にもあげました。14時45分に、宿を出発。そしたら、物凄い風です。風速30mはあろうか、と言う程の風で、歩くのも苦労します。強風で物が飛んで来ないか、それも心配ですね。これだけ、強い風ですよ。ここポートエリザベスは、「風の町」としても、有名らしいです。これだけ、強い風が、吹くと怖いです。台風のようですから。写真では、木の揺れ、葉の大揺れが、分からないですね。長距離バス停のグリーンエイカーまで、タクシー(ミニバス)で移動しました。宿から、直接行く大型バスがあると聞いたので、バス停で待っていたら、タクシーの補助員が、土曜日だから、来ない、これに乗っていけ、と言います。本当かなー? と、疑いましたが、昨日も乗ったので、問題はないだろう、と乗り込みました。大きなバックパックがあるので、3人掛けの椅子に4人座るような混雑ですから、乗り換え時に困るなー、まぁ、2倍払って、乗せて貰おうと考えていました。しかしながら、優先的に助手席に乗せてくれました。とても親切です。このバスが、タクシーと呼ばれている、ミニバスです。乗り換えた後の運転手さん、助手席に乗った、アジアの星一番に頻りに話しかけてきます。ジュードーとか、背負い投げとか、イッポンとか、柔道に詳しいようです。日本に行きたい、と言っていましたが、タクシー運転手の稼ぎでは、無理でしょうね。さて、グレイハウンドのバスです。インターケープと並んで、グレイハウンドは、大きな長距離バス会社らしいですが、今回、始めて乗ります。乗って見て、驚きました。何が驚い方と言うと座席です。アジアの星一番の席は、17Dと言う、後ろから2番目の席です。乗ったときは、前が、ガラガラに空いているのに、何故、こんな後ろ? と疑問に思いました。これが、普通の座席です。これが、アジアの星一番の座席です。明らかに、座席の前のスペースが、広いですよね? 驚きませんか?アジアの星一番の座席が、ファーストクラス、普通の座席が、エコノミー、と言ったような違いがあります。あんまり愛想が良くなかったですが、チケット売のお姉さん、良い席を準備してくれました。感謝です。出発して間もなくすると、窓の外は、もう森でなく、低木地になりました。そして、さらに進むと、牧草地、牧場であります。ズームで撮りましたが、牧場の中の家です。牧場主の家でしょうか?出発した時は、ガラガラの車内でしたが、途中で客が乗り降りします。直通でないのですね。外は、夜。もう途中で乗ってくる人はいないだろう、と言う時間になっても、アジアの星一番の隣の席は空いています。前が広いのに、さらに隣の座席も専有。こりゃー良いわい、やった! チケット売のお姉さん、ありがとう! と感謝です。しかしながら、バスが走っている途中、バス補助員のお姉さんが、おじさんを連れてやって来ました。なんじゃ? と思ったら、一番後ろの空いている席に案内しました。隣じゃなかった、やれやれ、と安心したら、その後、太ったお姉さんを連れて来ました。嫌な予感がしました。そして、嫌な予感は当たり、隣に座ったのです。尻の肉が、こちら側まで、はみ出して来ます。デブのおじさんより、マシですが、デブのお姉さんも嫌ですね。暖房が効きすぎて暑かったり、暖房を止めて寒くなったり、映画をガンガンかけて、うるさかったりしましたが、まぁまぁ、眠れました。予定より、1時間遅れて、午前4時に、ブルームフォンテンに到着しました。宿の人も寝ているでしょうし、グレイハウンドのオフィスで待たせて貰います。24時間、開いているので、こんな時は、便利です。外は、明るくなって来ました。それでも、さらに待って、7時にタクシーにのり、予約してあった、バックパッカー宿に向かいます。この時は、WiFiのある、宿なら良いなー、などと、のんびり、していたのです。
2012.10.30
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2012年9月14日(金) アフリカ縦断の旅 80日目ポートエリザベス昨夜、21時半に、ポートエリザベスの、Lungile Backpackers へ着きました。12人部屋ですが、先客は、1名しかいません。アジアの星一番が寝てから、さらに、二人来たようですが、翌朝、出かけました。ここが、Lungile Backpackersです。受付です。ドミが、120ランド(1200円)です。キッチンです。この宿は、設備も良く、清潔に保たれています。コーヒー、紅茶は飲み放題、キッチンも広く、何より、WiFiが無料で使い放題です。ですから、居心地はよろしいですね。本日は、特にやる事はありません。明日、ブルームフォンティーへ行くので、そのバスチケットを購入するだけです。タクシーは、8ランド(80円)で安いから、それに乗って行けと薦められました。しかしタクシーとは、ミニバスの事です。本来のタクシーは、キャブと呼んでいるらしいです。市内は、危ないので単独で行くな、と歩き方には書いてあります。万が一と言う事もあります。宿で教えて貰って、両替の為、市内と反対側へ行く事にしました。宿から、海の方面へ歩きます。5分も歩くと、海です、浜辺です。天気が悪く、小雨模様となりました。仕込み杖の傘はどうした? と覚えている人は、質問したいでしょうが、仕込み杖は、バズバスの中に忘れて来ました。翌日、連絡しましたが、答えは、「ない」です。ないはずはありません。落としたのでなく、バスの棚に置き忘れたのです。運転手に、盗られましたな。1万円以上したのに、惜しい事をしました。宿で聞いた場所に、両替屋はありません。小雨は降り続くし、トイレにも行きたいし、そこにあった一流ホテルへ入り、両替屋はないか、バスチケットはどこで買える? と聞いた所、全く別の遠い場所へ行った方が良いとの事です。市内は、歩き方に記載されているのと同様、危ないから行かない方が良い、とのこと、ホテルの受付の人が言うのですから、やはり危険な事例があるのでしょう。 危ない場所には、行かない事にしました。宿から、既に、このホテルまで、30分も歩いています。行き先は、歩いた距離の、8倍ほどあります。とても歩ける距離ではありません。タクシー(、ミニバス)に乗りました。聞いた通り、8ランド(80円)です。市内のタクシー乗り場で、タクシーを乗り換えます。今度は、7ランドで、目的地ののグリーンエイカーに着きました。ここは、新しいショッピングモールのようです。ここには、沢山の店があり、何でも揃います。レートは悪かったですが、両替も出来て、バスのチケットも買え、そして、食料も買って帰りました。15ランド(150円)位で、買った食料で、遅い昼食です。ライスに、ソーセージの炒めに、チキンの腿、二つ。腹一杯になりました。まだ、寝るには、時間があり過ぎます。ここのシャワー室、たった二つしかないので、客が混み合う時には困るだろうなー、と思いますが、1箇所には、バスタブも付いています。しかも、湯量がたっぷり出て、排水も速いです。それで、まだあまり汚れていませんが、洗濯をする事にしました。全部洗ってから、湯船に、たっぷりお湯を入れ、どっぷりと浸ります。気持ち良いですねー! 日本人ですねー! 最高の気分です。
2012.10.29
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2012年9月13日(木) アフリカ縦断の旅 79日目チチカンマ国立公園とストームスリバー昨夜の夕食です。毎朝、毎夜、パン、ハム、チーズ、トマト、バナナなので、宿に夕食を頼みました。キッシュです。おかずだけの夕食のようです。どれが主食ですか?これは、フランスのパイ料理なのですね。南アフリカ料理ではありません。たった、これだけ? と思いましたが、お腹は膨れます。ドイツ人カップル、ドイツ人夫婦、どこかのお姉さん二人と一緒の夕食でしたが、一緒でなくても良いのですが・・・。ここは、ストームスリバー村と言って、メインストリートにも、お店が数軒あるだけで、何もない村です。レストランも、あるにはありますが、行くのが面倒で、宿で食べるか、スーパーで買ったものを食べるしかありません。(因みに、1軒しかないスーパーの経営は、中国人でした。)さて、本日は、バズバスの迎えが、夕方、いや、もう夜ですね、夜の7時です。ですから、丸1日、空いています。しかも、10時チェックアウトですから、何もしないのでは、暇過ぎます。天気が悪く、雨が降りそうなどんよりした空模様です。「アフリカ縦断の旅」、も、79日目ですが、エチオピアで毎日、降られて以来、ケープタウンで、激しい風雨に数時間あっただけで、常に真っ青な空でした。傘の仕込み杖を、無くしてしまったので、雨は困ります。天気予報を調べて貰ったら、雨は、1.5mmとの事、ほとんど降らない、少しの雨なので、再び、チチカンマ国立公園へ行く事にしました。他に、アドベンチャーツアーなるものが、いくつも準備されていますが、それぞれ、5000円ほどするので、貧乏旅人には、厳しいです。滝を見に行くだけなら、車代70ランドと入場料30ランドで、合計、1000円で、1日過ごせます。しかしながら、かなり歩かねばなりません。本日は、森林の中ではなく、海岸沿いです。始めの内は、このように、歩きやすい道が続きます。海岸の、波は高いです。20分ほど歩くと、道がなくなります。この岩場の上を歩かねばなりません。キレイな花が咲いています。カラー(オランダカイウ)ですね。サトイモ科らしいですが、何とかユリの別名もあるようです。さらに、岩場を歩きます。一歩間違えて、転んだら、大怪我をする場所です。慎重に、ゆっくり歩を進めます。何故か、大きなバックパックを担いで、歩いているグループがいました。このグループに、お婆さんもいて、物凄くゆっくり、助けて貰いながら歩いています。アジアの星一番は、前に進めません。しかしながら、このグループの誰も、道を譲ってくれません。常識のない白人ですね。ちょっと広い所で、抜き去りましたが、ずいぶん、時間をロスしました。この人達です。お婆さん、転びは、しないかとハラハラしながら見ていましたが、何とか、ヨタヨタしながらも、来ています。1時間10分歩きました。ようやく目指す滝が見えました。この滝まで、歩いて来て帰る人が多いようです。アジアの星一番もここが目的です。滝の前は、こんなに激しい波です。歩いている人達が、波に飲み込まれはしないかと言うような、場所です。波を乗り越えて、滝の正面へ来ました。まぁ、小さい滝ですが、目的場所としては、非常に良い所にあります。同じ道(道なき道です)ですが、、岩場の岩だけであり、間違えます。2度も間違え、道が途絶え、突き当たりで往生しました。波が高いですよ。岩に当り、砕け飛んでいます。ストームスリバーに、吊り橋があると言うので、3時間余り歩いて、疲れていましたが、そこへも歩いて行きました。 これです。ここは、ストームスリバーでは、ありません。ここが、ストームスリバーです。この吊り橋、全長77mもあります。1969年に作られてと聞きましたが、かなり、しっかりした吊り橋です。しかしながら、1996年に修理して、2006年に、作り直したようです。道理で、しっかりしていると思いました。ここにも、ダッシーがいます。ウサギ程度の大きさです。イアワダヌキ目ハイラックス科らしいですが、象に近い種類のようです。あの大きい象と、この小さいのが、近い種類とは、驚きです。5時間弱、2万歩以上歩いて疲れました。シャトルバスが迎えに来るまで、時間があるので、カプチーノを飲みながら、レストランで、居眠りしていました。宿出発が、午前10時。帰着が午後4時半。丁度良い、運動でしたし、昨日の、森林散歩よりは、風景も美しく、変化に富んで良かったです。森林ハイキングは、景色を見る所は、全くありません。たぶん、アフリカには、森林と言うようなもの少ないので、何も見えない、森林ハイキングでも、アフリカ人にとっては、楽しいのでしょう。きっと。心配された雨も降らず、ついています。午後6時過ぎ、バズバスが迎えに来て、次の地へ出発しました。その頃、雨が降りだし、それも強くなりました。ついています。宿で聞くと、ここは雨が多いとのこと、そうでなければ、森林が保てないでしょう。納得です。
2012.10.28
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2012年9月12日(水) アフリカ縦断の旅 78日目森林ハイキング@ストームス・リバーストームリバーと言う所にいます。昨日、ナイズナのウォーターフロントを散歩した後、バズバスで移動して来ました。午後4時45分に宿を出発し、午後7時に着きましたが、途中で、日暮れです。午後7時ですが、もうスーパーも閉まり、宿の夕食も済んでいます。仕方なく、持ち合わせの、朝食のような夕食となりました。それでも、買っておいて良かったです。ひもじい思いで、ベッドに横たわっても、眠れませんから。この宿は、あまり、よろしくないですねー。悪い所を挙げて見ます。 * 人数が多くて、とても煩い。 * トイレ、シャワーが少ない * 部屋は、外にあり、朝7時まで、オフィスに入れない。 * 夜のトイレは、屋外の部屋から、さらに歩いて1分の屋外。寒い。 * 布団が1枚しかなく、寒くて眠れない * パソコンを繋ぐ電源が、少ない。 * 電源があっても、机がない。 * WiFiも、無料でなく、1時間20ランド(200円) * 朝食付きでなく、注文すると、とても高い。(350円) * コーヒー、紅茶も有料。(今までは、ほとんど無料) * などなど音楽は、ガンガンかけているし、ビリヤードや、他のゲームをやったりで、落ち着いていられません。これが、宿の、Tube nAxe チューブナックスです。ドミの建物は、屋外にあります。寒いですよ。室内のベッドは、どこのドミでも同じようですが、違うのは、ロッカーが、あるか、ないか、です。ここは、何にもありません。重要な物は、持ち歩くしか、盗難予防が出来ません。ここ、ストームスリバーは、チチカンマ国立公園のすぐ端にあり、色々な、ツアーを組んでおります。レジャーを楽しむ地域です。ですから、ナイズナ同様、貧乏旅人が来るような場所ではないですね。それで、アジアの星一番は、入場料無料で楽しめる、フォーリストハイキングへ出かけました。下の地図の青い部分を歩きます。ここは、5.1キロコース。7.8キロコース、8.1キロコースがあります。しかし、それぞれの長い場所を取り、全長、12キロのコースを自分で作り、その遠いコースに挑みます。ここが、国立公園の入口です。自分でサインして、入場します。右下のボックスの中に、書類が入っているのです。空は、あくまで澄み切って、気持ち良い、ハイキングです。3人ほど、サイクリングで、抜き去って行った白人がいました。川です。これが、ストームスリバーの上流ですね。色が、透き通っていませんが、汚れているのではなさそうです。何か、鉱物が含まれているのでしょう。1時間ちょっと歩いてから、森林ハイキングと呼べるような道になりました。途中、小さな川があります。これも、ストームスリバーに繋がるのでしょう。動物もいるはずですが、全く出会いません。会ったのは、この虫だけです。突ついてやると、このように丸まります。ヤギの糞より、大きめの糞は、沢山見かけましたので、動物はこの森の中に、沢山いるのでしょう。3時間半以上歩いた頃、間違えて、大きな道路の方へ行ってしまいましたが、ここは、国立公園。立ち入り出来ないようになっていました。元へ引き返し、最後のウォーキングです。全長12キロ、途中、上りや下りもありましたが、平坦な道の方が多くて、歩きやすかったです。但し、ここへ来る観光客は、少ないのか、森へ入った小道は、蜘蛛の巣だらけでした。小枝を持って、蜘蛛の巣を取りながら歩きましたが、それでも、顔や服に、蜘蛛の糸が付着しました。宿への道です。11時出発、午後3時15分帰着。4時間15分のハイキングでした。
2012.10.25
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2012年9月11日(火) アフリカ縦断の旅 77日目ナイズナ ウォーターフロント安宿、 Knysna Backpackers ナイズナバックパッカーズのリビングからの眺めです。昨日、撮ったのと、同じですね。いい眺めです。本日は、移動のバズバスが来るのが、夕方なので、ウィーターフロントの方へ行って見る事にしました。ここナイズナは、天然のオイスターが採れて、新鮮なものを食べさせてくれる、お店があるとの事です。この地図が、ナイズナの全景です。海との出入り口は、非常に狭いですが、中が大きいですね。典型的なラグーンです。ウォーターフロントへ行く途中、こう言う看板のお店を見ました。中華と寿司。これは、完全に中国人が経営していますね。寿司もどきを食べさせてくれるのでしょうか? でも、ここは、ネタが新鮮なようですから、美味しい可能性もありますね。ウォーターフロントの、入口に着きました。海と空とヨット、美しいですねー! 青春を感じさせます。金持ちを想像させます。優雅と言う言葉が、適当でしょうか?船の向こう側に見える丘に、家が立ち並んでいますが、あそこが、ナイズナ市内です。ウォーターフロントのお店です。洒落たお店が並んでいますが、アジアの星一番は、興味がないので、素通りします。橋を渡って、島の方へ歩いて行きます。向こう側に見えるのは、別荘でしょうか? 持ち家でしょうか?ティーセン島の入口へやって来ました。このスペルで、ティーセンとは、読めなかったです。どんどん歩いて行ったら、オイスター・バーなる、お店がありました。入って聞いてみると、ワイルド・オイスターが、1ヶ、15ランド(150円)で、食べられます。食べようとしました。牡蠣は、大好物なのです。しかも天然物です。食べたかったです。しかし、蕁麻疹を思い出してしまい、どうも、やばいなー、と言う予感がしたので、止めました。残念です。ここは、ティーセン島の奥の方です。やはり、別荘らしき、家が立ち並んでおります。オイスター・バーの、店主さんが、蕁麻疹なら仕方ない、隣のホテルの作りは面白いから、見学していったらどうだ? と言ってくれたので、見学です。パワープラントと言っていましたので、元は電力会社だったのを、ホテルに改造して、使っているようです。鉄の配管や、機器がそのまま置いてあります。受付で話を聞くと、WiFiがあるとのこと。そして、コーヒーを1杯飲めば、何時間でも、居座って構わないと言うのです。実は、宿の、Knysna Backpackersにも、WiFiがあるのですが、どうした事か、電波は、「非常に強い」、なのに、ネットに繋がりません。こう言う時は、モデムとルーターの電源を切って、暫く待って、又、電源を入れると、繋がります。その操作を、やって貰いましたが、繋がりません。おかしいですねー?Skypeは、繋がるのです。中国のQQと言うのも繋がります。しかし、インターネットエクスプローラーが、繋がらないのです。原因が分からず、せっかく、WiFiがあるのに、ネットに繋げません。それで、コーヒー1杯、14ランド(140円)で、ブログの下書きを、行おうとした訳であります。丁度、昼時になり、粘るにしても、腹が減っては困ります。それで、メニューにないですが、安いものを作ってくれと注文したのが、これです。40ランド(400円)です。サンドイッチは、たった2枚ですが、ポテトが多くあったので、結構、お腹も膨れました。ここは、高級ホテルのようで、トイレが、とてもキレイです。タオルも、置いてあるし、便器には、氷が入れてあります。いつも安宿ですから、こんなにキレイなトイレは、今回の旅で、初めてです。窓の外は、別荘。じっくりと、3時間半は、粘り、ブログの下書きも昨日分まで全て、完了しました。いやー、良いホテルでした。
2012.10.24
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昨夜は、新宿で、エジプト会でした。エジプトで出会った、貧乏旅人の、日本での集まりです。ホルモン焼きを、頬張り、1本380円のビールを飲みながら、熱く、世界の国々について、語り合いました。午後6時に開始し、気が付けば、10時半。なんと、4時間半です。E君は、10月頃、インドネシアの旅へ。そして、12月には、ホノルルマラソンに行くそうです。Oさんは、台湾小旅行以来、その後の計画は、今の所ないそうです。Kさんは、職場の会食があって、残念ながら、今回は不参加です。そして、アジアの星一番はと言えば、 「中南米の旅」、であります。これは、大旅行ですぞ!9月24日成田出発は、既に手配済み。帰国は、一応、3月4日、成田着を仮予約していますが、概略計画を立てた結果、もう少し、帰国を延ばす必要がありそうです。僕が、出発する前に、もう一度、会いましょう、「じゃー9月に!」って、ことで、昨夜の「エジプト会」は、お開きになったのであります。
2009.07.26
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3回目の、A型肝炎の予防注射して来ました。9450円也。 既に、2回注射したので、3万円弱の出費です。でも、アフリカ、アジア、南米では、20歳までに80%の人が、このA型肝炎にかかるらしいです。これを年間に換算すると、年間数%の確立となります。1年間に100人の内、3~4人が、感染します。これは、現地の人の感染率なので、日本人が感染する確立はもっと高いでしょう。(推測)よって、3万円は、高くないと考えましょう。ネットなどで、調べると、3回目の接種の後、5年間は有効と記載されています。しかし、東京ステーションクリニックのお医者さんは、3年から5年と言います。そう言われると、3年後に接種せねばならないような気になりかけます。医者は、儲かるものねー。早く来いって言うのでしょう。 あと、黄熱病の接種を受けとかないとなー。アフリカに行けません。南米も黄熱病は受けて置いた方が良いみたいです。10年間有効だから、今、接種しといても、早くはありません。
2009.01.15
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