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日々の忙しさと面白さにかまけ、なかなか「日記」の記録としての機能を疎かにしがちなのですが、モンスターペアレンツに牛耳られた挙句に消滅直前まで行った少年野球チームが、その後、どうなったのか、心配してくださる方がずいぶんおられましたし、同じような困難に直面しチームを立て直す必要がある方の参考にもなると思います。それに何より、息子とともに過ごした少年野球チームでの5年間は、やはり私たち親子にとって掛け替えのない時間でしたので、みずからの記録の意味も込めて、あの《只ノ女事件》の顛末とチームのその後を記しておきます。
■チームを投げ出し、逃げてしまった執行部
「今後は一コーチとして協力して参ります」とコーチ会で宣言をした2016年度の荒畑農寒村(あらはたのかんそん・仮名)監督は、それから一週間と経たないうちにチームを投げ出して逃げてしまいました。あとで発覚したことですが、「俺はもしも監督を辞めざるをえなくなったら、チームも辞める」と、モンスターペアレンツで作った執行部の中では、もう何ヶ月も前から堂々と宣言をしていたのでした。そんな宣言をするほうもするほうですが、それを聞きながら素知らぬ顔で何ヶ月も口を閉ざしつづけていた人間にも呆れます。
さらには、順番にヘッド・コーチを務めた3人もまた、「今後は心を入れ替えて協力します」「お詫びの気持ちを込めて働きます」等、口々に申し述べていたにもかかわらず、この監督のあとを追うようにして全員がチームから途中退団してしまいました。
この4人全員に共通していたのは、我が子たち(選手たち)の意見はまったく聞くことなく、自分が居づらくなってしまったら、我が子を連れて退団してしまったことでした。信じられないことに、子供の野球チームなのに、子供自身の意思はどうでもよかったのです。しかも、コーチ会に出席して退団を申請すると、ほかの御家庭から責められることを恐れ、全員が正規の退団手続きを踏まずにいきなりチームから逃げてしまいました。
特に14年度にヘッドコーチを務めた御夫婦は悪質で、荒畑農監督が運営した年の後期はキャプテンだった当時の6年生の選手がお受験でいなくなってしまったために、5年生で副キャプテンだったこの御夫婦の息子さんがキャプテンに繰り上がってチームをまとめる立場にあったにもかかわらず、後半戦がつづく足掛け4カ月もの間ほぼずっと、親御さんが毎週毎週「欠席」を試合のぎりぎりになってからチームの伝言板に表明し、選手を試合に出させないことを繰り返しました。本来、欠席の理由は必ず書き添えなければならないのですが、そうすることはただの一度もありませんでした。
この御夫婦は荒畑農さん御夫婦と対立していたために、こんな非常識なことを続けてしまったのです。そして、息子さんに対しては「おまえはお受験だから、もうチームを抜けなさい」と言い聞かせていました。私の息子も含めて同じチームの子が何人も同じクラスにいたので、当然のことながら「キャプテンなのに、どうして野球に来ないの?」と訊かれます。そのたびに、「僕はお受験するから、野球はもうやめるんだ」と、暗い寂しそうな顔で答えていたそうです。ごく普通に考えれば、キャプテンを続けながらでも十分に受験勉強はできます。まして5年生の夏に「お受験」を理由にチームを辞める必要などないのです。むしろ、少年野球をしっかりやりつつ、受験勉強にも励むというのが、子供の成長にとっては大事なはずなのですが……。
今年の夏、私の息子が属する中学野球のチームは積極的に練習試合を行い、このお子さんが進学した中学とも試合をしました。しかし、この中学にはこのお子さんも含めて同じ少年野球チームから数人が進学していたにもかかわらず、野球部には誰ひとり姿がありませんでした。みな、野球への興味を失ってしまったのかと思うと、胸が痛んでなりません。特にこのヘッドコーチだった御夫婦などは、自分たちの勝手な思惑を我が子に押しつけることによって、あれほど野球が好きだった子から野球を奪ってしまったのです。
残りのヘッドコーチ2名の御家庭も同様に、我が子の意見をまったく聞かず、しかもいきなり突然にチームを辞めてしまったので、片方の家のお子さんはただ呆然とし、チームの練習時間に付近をひとりでふらふらしていました。もう片方のお子さんに至っては、心配した他の御家庭が自宅に電話したところ、「僕は辞めたくない。どうして野球を辞めなければならないの」と電話の近くで激しく号泣する声が聞こえたとのことでした。 この3人のヘッドコーチにもうひとつ共通するのは、チームを辞める頃には周囲の人間たちに「このチームは右も左も気に入らない。何から何まで気に入らない」としきりに漏らしていたことでした。しかし、彼らはみな、ヘッドコーチや元ヘッドコーチとして、いくらでもチームを改革できる立場にあったのです。それにもかかわらず、「監督に直接意見を言えないので、玉井さん(香納おいちゃんの本名)たちが言ってください」と言って逃げ回り、挙句の果てには「自分たちはグラウンド担当ですから」と主張し、チームの大事なことを討議するコーチ会の場にもろくろく出て来ない有様でした。最終的に居づらくなってしまっても、当然だったのです。
まさかこういう性格の方たちだとはわからずに監督やヘッド・コーチを依頼してしまった我々にも責任はありますが、私たちのチームには当時、監督やヘッド・コーチを誰にするかを、公のコーチ会で議論して決める取り決めがありませんでした。毎年、それでトラブルが起こるので、私は「公に議論して監督等のスタッフを選ぶべきです」と早くから何度も提案していたのですが、「それでは波風が立ちます」と言って取り合おうとはしませんでした。荒畑農監督の前任監督は、やはりとんでもない運営を行った挙句、最後はコーチ会でその責任を責められたら、「もう執行部会にもコーチ会にも出たくありません」と逃げ回り、6年生で卒団する息子さんとともにチームから逃げてしまった人でした。それにもかかわらず、この監督が密室で次期監督にと依頼してしまったのが、荒畑農監督なのです。これでは、最適な人事などできるわけがありませんでした。
■生まれ変わった新生チーム
さて、去年(2017年度)から新生チームを運営することになった我々が最初のミーティングで口々に言い交わしたのは、「もうチームに絶望したので辞めようと何度も思ったけれど、どうしても子供が野球を続けたいというので、チームを立て直すことにしました」ということでした。皆が、同じ思いで集ったのです。我が子を含めた子供たち(選手たち)全員のためには、絶対にこのチームを潰すわけにはいかない、という思いでした。 自画自賛のようで些か恐縮なのですが、そうして生まれた新生チームは、素晴らしいものになりました。監督とヘッドコーチのお子さん4人がいきなり抜け(ほぼ全員が、チームの主力選手でした)、人数的にも編成的にも非常に苦しいチーム状況になってしまったにもかかわらず、最終的にカウントすると、荒畑農監督たちがチームを牛耳ってしまっていた時の倍以上の勝ち星を通年で挙げることが叶いました。チームの総ヒット数と総盗塁数については、シーズンの前半だけで荒畑農監督時代の総数の倍を超し、通年では3倍を超えました。チーム打率も2倍以上で、逆にエラー数は半分以下、失点に至っては5分の1とか6分の1に減りました。
数字の面だけではなく、選手たちの間に素晴らしいチームワークが生まれ、全員一丸となって闘うチームになりました。そして、「今年のチームは素晴らしいですね」といったお褒めの言葉を、区内の多くのチームから頂戴することができました。
いくつか例を上げると、例えばこの新生チームに加入したある御家庭は、この年度が終わる頃になって、こんな話をしてくれました。「今だから言いますが、家の近くには区内の他チームに属している御家庭もあって、そこの監督さんに話を聞いたこともあるのです。そうしたら、名指しで『あのチームは腐っているから、おやめになったほうがいい』と助言をされました。それでも、すでに体験会を申し込んでいたので参加してみたら、チームの雰囲気が素晴らしいことに驚き入団しました。あの監督は、去年の崩壊したチームのことを言っていたのですね」
また、素人だけが集って子供たちに野球を教えることの限界を感じていた我々は、バッティングセンターでコーチをしている方おふたりにお願いして専属コーチになって貰ったのですが、後半のリーグ戦が始まって間もなく、このコーチが嬉しそうにこう報告してくれました。「バッティングセンターに来ている区内のチームの選手たちから、今年のあのチームは強いのでびっくりです、と言われて誇らしかったです。『僕がボランティアでコーチをしてるんだよ』とは打ち明けませんでしたが、大変に鼻が高かったです」と。
私自身も、夏のオールスター戦にベンチ入りした時、こんなことがありました。他チームの親しいスタッフが話しかけて来て、「実は、訊こうかどうか迷ってたのですが、去年、お宅でユニホームを着ていた三人は、みなさん6年生の親御さんではないですよね。どうして全員、いなくなってしまったんですか?」と尋ねられたのです。まさか、全員がチームを投げ出して逃げてしまったとは言えないので、適当に言葉を濁していたところ、「なんとなくわかりますよ。今年のチームは本当に素晴らしいと思いますから」と、わざわざ感想を伝えてくれました。
実のところ、新生チームは実に短時間のうちに、素晴らしいチームに生まれ変わることができました。それは当初、我々が予想したよりもずっと素早く大きな変化でした。
しかし、我々は何も非常に特別なことをしたわけではないのです。以下がいよいよこの稿をしたためる趣旨なのですが、我々のチーム改革の内容について、同じような問題や停滞に直面している方のために、書き記しておきたいと思います。
一言でいえば、子供たちの力を信じ、子供たちと一緒になって我々大人がみな誠実に、そして一生懸命に汗を流せば、必ず素晴らしい少年野球チームができ上がるということです。男の子というのは、みな、スポーツで勝ちたいのです。その気持ちを理解して、大人である我々もまた彼らが勝てるように全力で汗を流すのが、少年スポーツに関わる人間の基本的であると、私はそう確信します。
「きみたちは決して弱くないんだ」
「勝とうという強い気持ちを持って臨めば、どんな相手にだって必ず一矢報いることができる」
我々は、そういったことを繰り返し繰り返し何度も熱く選手たちに語りかけ続けました。そして、子供たちが負ければ一緒になって本気で悔しがり、次こそは勝とうな、と口々に言い合い、一緒になって汗を流しました。
大人たちが本気になってこういった態度で臨めば、チームは確実に変わります。新生チームは、ほんの短い時間のうちに、ずっと各上のチームとも互角に戦うようになり、そのうちの何試合かには、劇的な勝利を収めることができました。
なにしろ、荒畑農監督たちが牛耳っていたときには、チームは区内で最下位だったのですから、すべてのチームがうちよりは「格上」でした。ですが、新生チームは、結果からすると、こうしたチームの半数強から勝利を収めることができました。単純に数字の比較をすると、私が監督をしたチームと山本山さん(仮名)が監督をしたチームの合計勝利数がおよそ28で、それに対して、荒畑農さんが監督したチームの勝利数は、わずかに6。しかも「只ノ女茶々子(ただのめちゃちゃこ・仮名)さんの名誉を回復するために」といって、執行部が延々と騒ぎ立てて会議ばかり行ない、チームの運営を放棄してしまっていた16年度の後半に至っては、ただの一勝も挙げられませんでした。そして、最後にはチームを壊滅的な状況にした挙句、全員がチームから逃げてしまったわけです。(※「只ノ女事件」の詳細に興味のある方は、以前の日記を参照ください。)
■チームはプラス思考で運営しよう。
結局、チームを壊滅状態に追い込んだペアレンツたちの考え方は、「どうせ勝てないのだから、負けてもできるだけ子供たちを傷つけないようにしたい」「勝て勝てと言うと子供たちにプレッシャーを与えるので、プレッシャーを与えないような運営をしたい」といった、マイナス思考のものでした。
そして、「選手を傷つけたくないので、各選手のエラー数は秘密にします」と言って公表せず、「選手にプレッシャーを与えたくないので、盗塁のサインは廃止しました。走るか走らないかは、選手の自主性に任せます」と馬鹿なことを一年以上にわたってずっと通してしまいました。また、例えばマイナー戦(3年生以下)や友好会戦、新人戦(5年生以下)などの学年が限られた試合に出場した選手が、その後、もっと練習したいと言ってチームの全体練習に参加しようとしても、「疲れている子は出られないので、一部の子だけ出るのは不公平になります」と言い、練習に出るのを禁じてしまいました。これでは、チームが強くなるわけがないのですが、こうした間違った優しさや公平性が、彼らの拠り所だったのです。
その挙句には、どうにもこうにもまったく一勝もできなくなった16年度の後半には、呆れたことに代表の奥さんと審判副部長の奥さんがふたりでつるみ、コーチ会の了承も取らずにチームの新たな標語を作り、子供たちに言いふらして回るようになりました。
その標語とは、「弱くても仲のいいピンキーズ(チーム名は仮名)を目指そう!」という、誠に馬鹿馬鹿しいものでした。
呆れ果てた一般の御家庭から「こんな標語は選手を負け犬にするだけだからやめて欲しい」「コーチ会を経ずに、どうして一部のお母さんたちだけでチームの標語を決定して言いふらしているのですか」といった苦情が出ても、執行部の父親たちはのらくらするばかりで、取り合おうとしませんでした。このふたりの母親は、只ノ女さんの右腕と左腕のようなものだったので、どの御家庭も怖がって、直接意見することができない状況になっていたのです。
「さあ、明日は勝ちに行くぞ!」と私も含む数人が選手たちを励ましたところ、それを執行部の一部の方たちが聞き咎めたこともありました。そして、「『勝ちに行く』という言葉は汚いし、負けてしまった時に子供たちが可愛そうなので、『勝つために努力しよう』と言い直すべきではないか」といったようなことを、本気で議論していた人たちでした。チームの代表を務める方が、新たに加入した低学年の親御さんに「他チームは実力が上だと下の学年の子が上の子を差し置いてスタメンになったりしてしまいますが、うちは仲良く上から順繰りスタメンにしていくので、安心してください」と本気で挨拶したこともありました。今、思い返しても、呆れ返ってものが言えません。
「きみたちは決して弱くなんかないんだ。勝って、しかも仲のいいピンキーズのチームメイトたちだよ」
「同じ区内を見回して御覧。体の大きさはみんな同じぐらいなんだから、うちのチームだけ弱いわけがないんだよ。頑張って練習すれば、必ず勝てるんだ!」
我々は、こういったことを繰り返し言い聞かすことで、短時間のうちに選手たちの意識を変えることができました。
私たちが新生チームを運営するに当たって実行した変革を、以下に箇条書きで記しておきます。
まずは運営についてですが――
• 決して情報を執行部の人間で囲い込まず、執行部にとっては都合の悪い情報も含めて常に全体に公開する。
• チーム運営に関わること、練習、試合の方針など、すべてをコーチ会で討議し、必ず全体で結論を出す。
• もちろん、監督を初めとしたスタッフの人選についても、全体の場で議論をして決定する。
• チームで話し合ったことはすべて記録に残し、それはメンバーの誰でもいつでも閲覧可能にする。
• いったん出した結論を、執行部や一部の御家庭の都合で勝手にひっくり返したりしない。
• 同じく、チームの話し合いの場はコーチ会に統一し、執行部や一部の御家庭の都合で、「このテーマは母会で討議する」とか「コーチ会以外に、父母会を設けて再討議します」等、混乱を招く真似はしない。
• 各御家庭の意見は、コーチである父親が代表して述べるように統一し、いったん表明した意見を母親があとで勝手に覆さない。
・ ユニフォームを着ている人間だけではなく、代表、審判部長といったいわゆる「裏方」の執行部メンバーも、必ず積極的に練習、試合、そしてコーチ会にも出席する。
次にスポーツとしての「少年野球」についてですが――
• 執行部や口うるさい御家庭の子供(選手)を優先的に試合に出場させることは厳禁。
• 実力本位を徹底する。
• そのための基本的なデータ(打率、ホームラン数、盗塁数、エラー数等々の基本的なもの)を執行部で囲い込んだりせず、すべて全体に公開する。
• 継続したチーム作りの観点から、選手が同じ実力ならば、下の学年の選手を優先して試合に出す。
• キャプテン、エース、4番バッター等、チームの要となる選手を、決して執行部の息子さん優先で決めたりせず、適材適所で決定し、その子たちが中心となって子供たち自身で主体的にチーム作りが行えるように補佐をする。
こんなところでしょうか。大した数ではありません。以上のようなことを徹底するだけで、必ずチームは再生し、蘇ると思います。ようするに、誰もが意見を言える風通しのいいチームにすることと、選手を実力本位で公平に起用することの二つを、きちんと気をつければいいのです。その上で、チームはあくまでも子供たちのものなのだと弁え、大人たちはその補佐に回ることが大切だと思います。
荒畑農監督下で当時のリーグ戦が始まった3月に、まったくチーム作りが何ひとつできず、子供たちが右往左往しているのを尻目に執行部の人間たちだけで勝手なことをしている状況を見るに見かねて、山本山さん(仮名)がコーチ会で荒畑農監督にこう質問をしたことがありました。
「少年野球チームとは、子供たちのためのものではないのですか? 全員で、子供たちのためのチーム作りをするのが最大の目標ではないのですか?」
これに対して、荒畑農監督が堂々と発した珍解答は、実に驚くべきものでした。
「子供たちのためのチームですが、運営しているのは我々大人です。ですから、我々で判断して何が悪いのですか」
いかにもやがて我が子の意思さえ無視し、チームを投げ出して逃げてしまう人間のセリフでした。
■チームの会則について
執行部のスタッフは全員、ボランティアです。ですから、「これこれの仕事をすべき」といった規則は、うちのチームには何ひとつありませんでした。ボランティアでやってくださる人間の善意とかやる気を信頼するというのが、基本的な考え方だったからです。
しかし、こういったモンスターペアレンツが執行部を牛耳ってしまった時に、何が起こったかといえば、「決まりがないので、すべて自分たちの自由裁量です」という拡大解釈が生じました。代表職の人間は「自分は医者で、仕事が忙しいので」というのを理由に、在任中ただの一度もコーチ会に出席せず、練習や試合にもほとんど出ず、全員で分担すべき審判業務も、他のコーチの半分もやらない有様でした。前述のヘッドコーチのひとりは「自分は実業団野球の経験者だから、試合の様子など見なくても子供たちを指導できる」と言い放ち、ヘッドコーチ在任中、ただの一度も試合に出ず、「自分は教えてやっているのだから」と主張して、審判業務にも一切協力をしませんでした。逆に荒畑農監督が「試合に於ける選手起用は、最終的に監督に決定権がある」といった会則の条項を逆手に取り、ストライクも入らない我が子を全試合の半分に登板させ、ことごとく一回の守備でフォアボールを連発して負け試合の山を築いたことは、以前に記した通りです。
こうした失敗を受け、新生チームでは、執行部の各スタッフの役割をきちんと定めて文面化し、それをきちんと行えない場合には執行部を辞めて貰う、といった取り決めを定めました。代表職の人間がコーチ会にただの一度も出なかったり、ヘッドコーチがただの一度も試合に出なかったりといったことは、普通の常識で考えればあり得ないことなのです。さらに言えば、監督が「職権」を乱用して、ストライクも入らない我が子を先発させるなど、もってのほかであることは言うまでもないことでしょう。ですから、普通はわざわざそういったことまでを文面で規定することはなかったのですが(おそらく、どのチームでもそうでしょう)、しかし、そういった非常識なことを堂々と行う人間に出くわしたことで、「転ばぬ先の杖」となるルールを文面化する必要性に気づいたのです。
そして、執行部員として不適切な行動を続けた場合には、チームの総意として罷免できる体制を作りました。
■少年野球とお受験
最後にもう一点、少年野球とお受験をどう両立させるか、そして、チームとしてそれをどう考えるかということは、どのチームにも存在するテーマだと思います。我が家も、息子は中学受験をしました。その経験を踏まえて気づいたことを、最後に記したいと思います。 荒畑農体制のチームが崩壊したもうひとつの原因は、執行部の中にいる受験生の親たちが中心になって、「どうせ少年野球など一過性のものなのだから、お受験こそを大切にすべきです」といった態度をあからさまに示し、チームの重大な決定を、お受験をする我が子たちに都合のいいように変えてしまったことでした。前述したような、本来ならば年度末に行われるチームの納会を、「今年は受験する子が多いから、特別に前期の終わりにも行います」と言い立てて、夏にも「納会」をやるという奇妙な現象などは、その最たるものでした。
辛い夏の合宿が終わった時に、参加した選手が全員で集い「後期も頑張るぞ! 後期は勝つぞ!」と一致団結することが、本来の夏の食事会の目的なのです。それにもかかわらず、執行部の中心にいる御夫婦が、「受験生(我が子)が仲間はずれにされるのはかわいそうです。今年は特別に、合宿の前に、全体の『納会』をやりましょう」と、強引に実行してしまいました。本末転倒もいいとこで、後期はキャプテンもいなければ4番バッターもいない。そればかりかポジションすらきちんと定まらないという、とんでもない状況になりました。
「うちの子は絶対に医者にします。うちの○○ちゃんはいい子だから、野球は中学に入ってから思いきりやればいいのだから今は勉強に集中しましょうね、と言い聞かせたら、納得してくれました」
6年生のあるお母さんなどは前期の終わりに、チーム内で誇らしげにこう言って回っていました。しかし、このお子さんはチームの主力バッターであり、父親は執行部の一員だったのです。ですから、たとえ内心では違うことを思っていたとしても、「チームに御迷惑をおかけして申し訳ありませんが、受験の関係で、どうしても前期だけでチームから抜けます」と言うのが本来の筋ではないでしょうか。それにもかかわらず、そんなことを言って回った挙句、今度は受験が終わったら、「ピンキーズ(仮名)に時間を取られ過ぎたせいで、うちの子はお受験に失敗した」と言って回るようになりました。この代のお子さんは、全員が夏の「納会」を最後にチームを引退し、それ以降は練習にも試合にも出なかったのですから、決してチームに時間を取られ過ぎたとは到底言えないのですが、このお母さんの頭の中では、お受験の失敗は少年野球のせいだったのです。
しかし、無論のこと、そんな御家庭ばかりではありませんでした。このお子さんの前年に受験をしたある御家庭は、「お受験でチームに迷惑をかけるのだから」と言って、塾のスケジュールをすべてチームに伝え、模試などで練習や試合に出られない日については、何ヶ月も前から一覧を作って提出してくださっていました。その上で、体力的に余裕がある時には、当日チームに急遽連絡をして参加するといったこともありました。
我が家がもちろん、この御家庭を手本として見習ったことは言うまでもありません。
息子の代には、チームに受験生がふたりいて、ふたりとも夏のチーム合宿に参加しました。そして、もうひとりはそこでチームを引退しましたが、息子はエースでチームの主力バッターだったので、結局、秋までずっと試合に参加をし続け、最終的には最後の2試合のみを除き、それ以外の公式戦にはすべて出場いたしました。
「受験も大事だが、チームに対して責任を果たすのも大事だよ。それをよく考えた上で、自分で結論を出しなさい」
拙宅では、息子にそう言い聞かせるようにしていました。息子が自分で判断し、チームに対する責任を最大限まで果たして上で、受験も闘って欲しかったのです。
少年野球とお受験について、各御家庭とチームとがそれぞれ取る姿勢は、シンプルな一言で言い現わせると思います。それは、「受験をする家庭も少年野球チームも、お互いがお互いを尊重する」ということです。受験はやはり一生の問題なので、少年野球チームのスタッフに、それを邪魔する権利はありません。しかし、お受験をする家庭のほうも、「うちは受験だから」といって、家の都合を何もかもチームに押し付けるのは控えるべきでしょう。我が家の場合、後半戦についてはやはり前述の御家庭を見習い、「申し訳ないけれど、塾の授業の関係で出られない日もあります」とチームに申し出て、どうしても出られないと予めわかっている日については、前もって申告しておくようにしました。それでも、どうしてもうちの息子がいないと試合が成り立たない時には、山本山監督(仮名)のほうから「なんとか出られませんか?」との打診があり、そのたびに息子と相談しました。そして、結果的には、公式戦についてはほぼすべてに出場することになったのです。
息子が進学した中学のチームで、小学生時代にやはり少年野球をやっていた御家庭はみな、だいたいこのような形で少年野球と受験勉強を両立させていたとの話を聞きました。きちんとした両立を考え、実行することのほうが、むしろ受験を闘い勝ち抜くことにとってもプラスに働いたように思います。
■最後に――益々飛躍する少年野球チーム!
先日、新生チーム二年目のシーズンが終わりました。 今年は選手の構成が高学年よりも低学年のほうが多かったので、なかなか試合で勝利をもぎ取ることは難しく、芳しい結果を残すことはできませんでした。しかし、選手たちはみな勝とうとして精一杯に汗を流し続けました。それは決して「弱くても仲のいいチームを目指そう!」などという、馬鹿げたスローガンとは対極にある姿でした。
親も子もこうした強い姿勢を貫く限り、少年野球は不滅だと思います。