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氏族的メシヤと伝道このみ言は、2月16日アメリカにて、真のお父様が世界の責任者に語られたものの要旨です。1992年ファミリー2月号掲載。(文責・編集部) 2000年までの七年「真の父母と成約時代」を宣布した、1993年は歴史的転換期でした。この「真の父母と成約時代」の宣布は偉大な宣言でした。第二次世界大戦後、英米仏が再臨主を迎えて、メシヤを中心とした世界を建設しなければならなかったのです。しかし、キリスト教が失敗してしまいました。そのため、先生が40年間で失敗したものを瘍減復帰して、家庭、氏族、民族、国家の勝利の基台のうえで宣言したのが、「真の父母と成約時代」でした。1993年、先生が世界的アダムとして受け入れられる時が来ました。それで1992年までに勝利的基盤をつくらなければならなかったのです。1993年から200年までの七年間で世界を復帰しなければなりません。特にこの七年間は、アダムの文化が復帰されなければならないのです。アダムの文化を「女性連合」が、キリスト教に代わって復帰していかなければならないのです。 第二次世界大戦後の世界をみると、欧米では、女性たちは王妃のようにふるまっていましたが、王はいませんでした。男性は召使いでした。そして今は王が来る時代です。王とは再臨王を意味しています。ですから、王妃の立場にあった女性には責任があります。自分の夫を教育しなければならないのです。夫を王のごとく、子供たちを王子、王女のごとく教育しなければならないのです。男性は、絶対的に自分の妻や子供を王妃、王女のごとく教育して従っていかなければなりません。天使長として養育するのです。男性は女性と子供を通さずして、真の父母のところに行くことはできません。そして、七年路程を経て、創造理想を完成したアダムになることができるのです。女性は、お母様と完全に一体となり、そしてお父様と一体となる以外に生まれ変わることはできません。このような理論が論理的であるので、サタンは何も言うことはできないのです。祝福家庭は1993年から2000年まで、夫は妻に対して王妃のごとく従っていかなければなりません。完成期は世界的な時代です。ですから、国家、世界を救うために、女性はお母様と完全に一体化して、お父様の相対圏に立ち、先頭に立っていかなければなりませ。 世界救済のための氏族的メシヤ 氏族的メシヤとして自分の故郷に帰っても、サタンはこれを侵害することはできません。サタンは完成圏を超えることができないのです。ですから私たちは、世界に出ていって世界のために歩むか、氏族的メシヤとして故郷に帰って、故郷を復帰しなければなりません。氏族的メシヤの使命は何かといえば、その活動範囲は氏族メシヤ圏であっても、その目的は国家、世界を救うことにあります。自分の家庭のために成すのではありません。いざという時は、国家や世界のために先頭に立つのが、氏族的メシヤです。氏族的メシヤは、完成されたアダムの特典によって与えられたものなので、サタンは一切、手を出すことはできません。これからは二世(第二次大戦後生まれの人)を中心に働く時が来ました。今の時代は、イスラエル民族が出エジプトした時代と同じです。40年荒野路程をさまよって、ヨシュアを中心にした二世がカナンに入りました。今がそのような時代ですから、第二次大戦後に生まれた人に天運があるのです。新しい根が立派に根づくためには、立派な肥料が必要です。それが、第二次大戦前に生まれた人の立場です。イスラエル民族は荒野で倒れましたが、妊娠していた人はどうだったのでしょうか。自分の生命を失っても、胎中の子供を助けたいと決意した母親は、カナンに入ったのです。私たちも、自分の胎中に、カナンを征服する二世がいるという決意があれば、カナンヘ入ることができます。ですから、自分はどうなっても二世を守るという決意が必要です。 マリヤは胎中にイエス様がおられる時、迫害のまっただ中でした。マリヤはそれを超えることができたので、イエス様は誕生することができたのです。今、私たちの祝福家庭は、そのように考えなければいけません。家庭的カナンを復帰したので、国家的カナンを復帰しなければなりません。ソドム、ゴモラが壊滅した時、神は後ろを振り向くなと言われました。振り向いた時、塩の柱になってしまったのです。ですから過去を振り返ってはいけません。ただ前進せよと言われました。昨年の夏以来、多くの災害がアメリカを襲いました。今後も、水害、地震、大雪など、いろいろなことが起こるでしょう。しかし、何があっても後ろを振り向いてはいけません。ただ前進するのみです 今の時代は、180度転換していかなければなりません。個人主義を捨てて、神主義に徹していかなければなりません。神主義とは何かといえば、公的に他のために生きることが神主義です。心と体は常に闘っています。心は殺されても、自分は行くと決意していますが、体は逃げていきます。これは、イエス様が十字架にかかる時、ペテロが逃げたのと同じです。ペテロは、心ではイエス様に従おうと思ったのですが、体が逃げてしまったのです。それでペテロは、イエス様を知らないと言ったのです。これからは重要な時です。皆さんが、過去において好きだったものが霊的に皆さんを殺すようになるかもしれません。アフリカに皆さんの夫を送るとしたらどうでしょうか、夫は死んでしまうといって反対しますか。ペテロでさえ、自然の本能に従い、イエス様を裏切りました。私たちの体は弱いので、試練があれば逃げてしまうか、自分の好きな方向に行ってしまう癖を持っているのです。ですから、悔い改めなければなりません。しかし私たちには、ペテロのような経験は必要ありません。それで先生は、重要な時に備えて、苦難の中に皆さんを送ってきたのです。しかし、皆さんは、いつも逃げていました。ちょうど、イエス様の十字架を自分のことと考えず、逃げていった弟子と同じです。今は2000年前のペテロのような環境がないので、何も持たせないで、皆さんをアフリカに送りだしたいのです。その時、皆さんはどうしますか。何も持たないでアフリカに行く準備はできていますか。これが原理的な私たちのいくべき道です。 神様を信じて前進 今は、何が正しくて、何が間違っているかを知らなければなりません。今の時は、大転換期であり、金持ちが下にさがり、貧乏人が上にあがっていく時です。アフリカでは、一年間に2000万人が飢餓で死んでいます。今の時は、上下を入れ替えて正しくしていかなければならない時です。私たちは、自分の家庭をすべてふろしきに包んで、アフリカに行かなければなりません。先生はアメリカを正しくするため、アメリカに行ったのです。今は、新しい服を着なければならない時です。新しい時代が来ているのです。先生は台風の目の中に立っているのですべてが分かります。第二次世界大戦がいつ終わるかも知っていました。第二次世界大戦が終わる、一時間前でも、戦争に参加した人は、共に勝利者になれるのです。今、私たちは変わらなければなりません。今、変わって先生と共に歩むならば、戦争が終わる、一時間前に参加した者も一緒に、勝利者になることができます。皆さんは天の兵士です。どのような戦場にでも出かける、愛国者にならなければなりません。そして惨めな立場を通過すればするほど、栄光は大きいのです。先生は今、世界を復帰しようとしています。この世界で、先生のように神を愛する人を知っていますか。荒野路程の苦難の中で、神様に「私のことを心配しないでください」と祈りました。また牢屋の中で、「神様.あなたこそ牢屋の中におられます。私のことは心配しないでください。私があなたを解放します」と祈ってきました。先生はそのような生活をしてきたのです。先生は自分の家庭、国家、アジアを捨てて、アメリカに来ました。アメリカは先生を、受け入れませんでした。あらゆる時に反対したのです。ですから悔い改めなければなりません。先生は皆さんのような歩みはしていません。神の摂理から逃げるようなことはしません。牢獄の中で神様に、私を教育してくださいと祈った先生です。越えることのできないような、大きな壁が前に立ちふさがることがあります。前には壁、後ろには敵、もう終わりだと思います。しかし、壁に向かって前進するのです。すると、壁の向こうに階段が見えてきます。ですから、どんなに大きな壁があっても、前進していかなければなりません。先生は日本の事情をよく知っています。しかし前進しなければなりません。今まで、自分が統一教会員であることを紹介することに躊躇してきた人は、悔い改めなければなりません。死んで霊界に行く時には、自分の生涯すべてがビデオテープのようにして展開されるのです。それを見た時、誇りに思える自分であるかどうかが問題です。今、過去の自分を悔い改めて、新しい決心をしなければなりません。そして、アフリカの奥地に行って死んでもかまわないという決意をすれば、死なずに済むことができるのです。新しい時代が到来したので、過去を悔い改めて、新しい決意をして前進してください。アメリカは、先生が1970年に入国した時、脅迫してきました。ケネディー大統領やキング牧師のように殺されると警告されました。しかし先生は神様を信じてやってきたのです。自分の首をかけてきました。敵に囲まれても、神様が先生を救ってくれました。生命を懸けて、危険な所に行くならば、神が皆さんに生命を与えるでしょう。 悔い改めの出発 皆さんは、神の愛を体験して、一週間泣き続けたことがありますか。細胞がちぎれるほど神様の愛を感じたことがありますか。今までの皆さんは、体の欲望のままに生きてきました。これを悔い改めて、心(良心)の欲するままに生きるべきです。そのような生活をすれば、未来に何が起こるかを感ずることができます。心の欲するごとく行い、また未来を予知するためには、徹夜祈祷や朝晩、慟哭して祈らなければなりません。70歳、80歳になれば、体は弱くなりますが、涙の世界が深くなり大きくなっていきます。そのようにならなければ、神様の心情に通じないのです。今、私たちは過去を悔い改めるべきです。涙で悔い改めることにより、勝利者になることができるのです。イエス様は荒野で、「悔い改めよ、天国は近づいた」と語りました。この悔い改めが重要です。神様は長い期間、人間が心を変えることを待ち望んできました。皆さんが、心を変えれば、その時、神様が皆さんの心に臨むことでしょう。悔い改めなくして、神様は皆さんに臨むことはできないのです。先生は、誰かが先生の心情にタッチするような言葉を一言語れば、泣き出してしまいます。私たちはエデンの園を失いました。その失ったエデンの園を復帰するために、どれほど涙を流してきたことでしょうか。先生は、今の時がどのような時かをよく知っています。時を知っているから、常に真剣なのです。私たちのみ旨はこれからです。これから神に仕えていかなければならないのです。私たちは氏族的メシヤとして、家庭、氏族、社会、国家、世界を復帰しなければなりません。その氏族的メシヤとは、国家や世界を復帰していく事始めなのです。氏族的メシヤになることが、先生の勝利を相続する唯一の道なのです。もしイエス様に従った弟子が、イエス様の親戚であったとすれば、彼らは逃げたでしょうか。イエス様は、自分の手のひらに、長い釘を打ちつけられました。その釘を打ちけられたイエス様の心情でみ旨をやってきましたか。人類の救いのためにイエス様は死んだのです。自分の手のひらに釘を打ちつけられることによって、世界を救うことができるならば、そのような道を行こうと決意しなければならない時です。自分で手に釘を打つのと、他人によって打たれるのとでは、どちらが価値があるでしょうか。ですから先生が命令する前に、自分たちがそのような決意で、世界のために行かなければならない時なのです。したがって、自分自身が無になって、自分に荷札をつけて一番惨めな所に、自分自身を発送するような者にならなければなりません。自分の生涯が終わるまで、不平不満は絶対言わないで行かなければなりません。今、お金があれば、飢餓で毎日死んでいく人を救うために、お金を使おうと考えていかなければなりません。先生はアフリカなどで飢餓で死んでいく人のために、彼らに大きな魚の釣り方を教えてあげようと思います。大きなワニの捕り方も教えようと思っています。そうすれば、何十日でも生きることができます。そのために新しい組織をつくりました。「世界平和観光釣り連合」です。これは万民救済のためです。そこで狩りや釣りを教えてあげるのです。今、先生は人類救済のために、テキサスに農場を準備しました。また韓国では船を造っています。これらの船は将来、博物館に入るものですから、立派に造らなければなりません。 一ヵ月に一人が一人伝道 ところで皆さんは、何人の魂を救いましたか。伝道の記録を残さなければなりません。死んだ時、何をもって霊界に行くのですか。お金でも権力でも、また物質でもありません。残るものは、真の愛を中心として、どれほど多くの人を救ったかということです。これだけが霊界に持っていくことができるのです。ですから私たちは、真の愛を持たなければなりません。投入して投入して忘れるという真の愛がなければならないのです。真の愛でどれほど多くの人を救ったかが重要です。そのためには、一か月に一人が一人伝道するという責任を果たさなければなりません。イエス様の復活体として、84人の霊の子女を最低持たなければならないのです。一か月に一人が一人伝道すれば、1年間で12人、七年間で84人を復帰することができます。先生が今まで迫害を受けてきたので、伝道は難しかったのですが、先生が勝利したので、今後は、一か月に一人が一人伝道の目的を果たさなければなりません。先生は世界的な勝利基盤を成したので、故郷に帰って真理を語ることができますが氏族はいません。ですから皆さんに、先生の代わりに自分の氏族を伝道する特権を与えたのです。モスクワで「世界平和のための国際学生指祁者会議」が開催されました。韓国からは33名のあらゆる分野の学生の代表が参加しました。北朝鮮からは四名の教授が参加したのです。今、北朝鮮は、入国することも、出国することも難しい時です。そのような中で、金日成主席の側近中の側近の教授が含まれていました。ロシア、中国、韓国は、このことに対して驚き、先生がいかに偉大な人物であるかを知ったというのです。三月から、五万名の新しい日本人メンバーを教育します。日本は複雑な宗教的背景がある国なので、今年中に70万人の基盤をつくります。キリスト教の背景を持った、エバ国家として立っためには、70万人が神主義によって教育されなければならないのです。そうすることによって、キリスト教文化圏に入ることができるのです。今は神様のために、働くことのできる時です。神様のために働ける時に、殉教すれば栄光であり称えられます。しかし、休んでいて死去すれば、栄光にはなりません。皆さんの口は、自分の子供の教育のために使うのではなく、神様のために使うべきです。口をつぐんだ時、皆さんは滅んでいきます。先生は女性の国連をつくらなければなりません。また、宗教の国連と政治の国連は、アベルとカイン、心と体の立場です。これが一つになっていかなければなりません。そして、女性の国連は、現在の国連を包容するような立場に立ちます。 家族にみ言を語る 女性の皆さんは、先生の直接の指導のもとにあります。そして、皆さんはお母様の代理の立場です。ですから、レアとラケルのようになってはいけません。レアとラケルは一つになっていなかったのです。女性の皆さんは、お母様と一体とならなければならないのです。ですから、皆さんは、お母様の足跡をたどっていかなければならないのです。それが道理です。お母様は昨年、168か所で講演しました。それ以上、皆さんはやらなければならないのです。み言をもって、新しい精神を与えていかなければならないのです。アメリカの学内もみ言で燃やさなければなりません。お母様がアメリカの100の大学で講演すれば、大きなブームが起きます。アメリカは、キリスト教の摂理が失敗したため、若い人が教会から離れていったのです。アメリカは左傾化して、フリーセックスや麻薬で悩んでいます。皆さんは、国を救わなければなりません。混乱した大学を救わなければならないのです。アメリカのステート・リーダーは、毎日八時間、原理講義をしなければなりません。そして一ヵ月に一人が一人伝道して、若い人が伝道されるならば、アメリカの将来は大丈夫です。先生は韓国で、日本の五万人を教育します。お母様は、50州で大学生を教育するのです。統一教会のメンバーは、原理講義をしなければなりません。できない人は、原理講論を読んでもよいのです。特に女性たちは、お母様のように、講演をする準備をしなければなりません。原理講義ができなければ、国のリーダーには、なれません。説得力、外交力、経済力が必要です。皆さんは、故郷で最初に氏族を伝道し、その後、知人、友人を伝道するようにしなさい。今は好運の時です。先生は親戚を伝道することができませんでした。先生のお母さんと兄さんは、み旨にどれほど協助したかったことでしょう。兄さんは霊的でした。第二次世界大戦がいつ終わるかを知っていました。その兄さんは、天からたった一度の啓示を受けていたのです。「あなたの弟が世界一であるという啓示です。ですから、いかなる犠牲を払っても、弟を助けようとしていた兄さんでした。そのような兄さんにも、み言を伝えることはできなかったのです。それは、まずカイン世界にみ言を語らなければならないという原理を知っていたからです。今、皆さんは還故郷して、自分の家族にみ言を語ることができます。ですから、靴の底に穴があくほど、活動しなければなりません。そして新しい記録をつくるようにしなさい。そうしなければ、成約時代の出発ができないのです。 キリスト教文化圏に 将来、韓国、日本、米国、独逸の四か国の各家庭が、つのアパートに住むようにしなければなりません。この四か国の人が一緒に住んだ時に、子供たちは各国の言葉を覚えます。その言葉の中心は韓国語です。このようにして、国家的概念を頭から消さなければならないのです。個人的責任時代が終わって、成約時代は家庭的責任時代です。神様は家庭的な基盤のうえに運行するのです。将来、責任者は父母と子女が一つになって責任を持つ時代になります。外的な批界もそのようになっていきます。夫が首相であれば、妻が副首相、子供が秘書というように、家庭が―つになってやるようになります。このようになれば、腐敗の管理体制がなくなっていきます。日本から女性の指導者たちが、各国に.10名ずつ世界の平和に貢献するために、奉仕活動に行きます。その女性は、お母様の身代わりである母の立場で行くのです。そして韓国からお父様の身代わりとして、男性が一人行きます。その男性と10名の女性が完全に一つにならなければなりません。日本の統一教会も、韓国の統一教会と一つにならなければなりません。昨年、先生を中心に幹部は、家庭的な姉妹結縁を結びました。新規の五万人の日本人は、韓国人と姉妹結縁を結びます。韓日が一体となり、民団と朝総連を一つにしなければなりません。この時、初めて日本がエバ国家に立つことができるのです。女性は何を急がなければならないかといえば、個団活動です。個団活動とは、氏族的メシヤの教会基盤をつくる活動のことをいいます。新規五万名も、皆さんが精誠を尽くすかどうかです。今までの時代は、消耗戦でした。しかし今は、投入したものは所有権となって返ってきます。今は、兄弟や父母を復帰しなければなりません。弟や妹は、自動的に引っ張ってこなければいけません。そのようにすれば、一族を引っ張っていくことができます。そして、皆さんは氏族的メシヤの宣布式をしなければなりません。氏族的メシヤ活動をするならば、県や国が奨励するようになります。先生は、氏族的メシヤを中心として、救国運動をしようとしています。堕落した人間を救うためには、涙を流さなければなりません。そして、悔い改めなければなりません。過去の自分、体の思うままになってしまった自分、自分中心に動いてしまった自分を悔い改めて、天的な涙を流すことによって、知的生命が生まれてくるのです。日本の6000名の女性をキリスト教文化圏のカラーにしなければ、エバ国家になりません。日本は雑教ですから、いろいろな色になっています。6000万人に同じカラーをつけるために、五万名の修練会があるのです。女性は、二人の男性を連れてくることができるというのが原理観です。母がアベルとカインを連れてくるのが原理観ですから、必ずそのようにできるようになっています。そうなれば、70万人は簡単です。イエス様も、マリヤを中心にカインとアベルが一つになるべきでした。そうなれば、ユダヤ教とイスラエル民族が一つになったのです。母がいれば、イエス様も十字架にかかることはありませんでした。ですから母の立場が問題でアメリカで奇跡が起こっています。世界的、洗礼ヨハネの立場の人が来ています。北朝鮮でも奇跡が起きています。金日成主席は、先生に会えたことが、生涯の中で最もうれしい一日であったと言っています。また金日成主席は幹部たちに、文先生のような偉大な人物を見たことがなかった。ほんとうに朝鮮の愛国者であると語っています。これらに関する文書が北朝鮮の全国の幹部に配られたのです。先生は日本の状況をよく知っています。しかし、エバ国家の使命は果たさなければなりません。時はいつまでもあるのではありません。緊急な目的のために、皆さんは死を覚悟して、ベルトをしめて突進しなさい。今は、非常事態ですから、女性が犠牲の先頭に立って頑張ってください。「氏族的メシヤと伝道」のタイトルは編集部でつけたものです。
2023.03.01
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慶祝・文鮮明先生古稀の御言 慶祝・文鮮明先生古稀の御言 古稀慶祝式におけるメッセージ 1990年二月一日韓国・ソウル慶祝・文鮮明先生古稀の御言(陰暦一月六日)オリンピック公園フェンシング競技場にて 尊敬する内外貴賓の皆様、世界130余ヵ国の代表者、国内指導者、そして紳士、淑女の皆様。公私共にお忙しい中にもかかわらず、きょうは私の古稀の祝いのために、このように盛大な場を準備してくださいましたことをありがたく思い、特に天意を動機として生きてきた私の生涯を、このように祝ってくださる皆様のお心に対して感謝申し上げます。 先ほどは、それぞれの代表のかたが多くの賛辞をもちまして、私の過去の業績を賞賛してくださいました。しかしきょうのこの記念式が、単に過去の功績を賛美するだけの場であるならば、何らの意義もないと思います。この私の業績が未来にどのような希望的動機を付与するのか、また人類の将来のためにどのような意義があるのか。さらには、宇宙を治められる神様の摂理といかなる関連があるのかを中心として、祝賀の内容が決定されなければなりません。 天命に従い、前人未踏の孤独な開拓の道を一目散に走ってきた私の生涯が、ぼつ理解と反対の中にあって、外的に波乱万丈であったことは周知の事実であります。しかし、私の心の世界では、一分一秒を争いながら、いかにすれば神様が願われるとおりに生きて、そのみ旨を成すことができるのかということに焦点を合わせた、緊張の連続でした。神様を除いてはとても説明できない私の生涯であり、さらには国家の運命、世界の運命と直結した私の行路を前にして、神様と深い内情を授受しながら過ごしてきた事縁の数々、最も深い慈しみも神様とともに、一番大きい痛みも、最高の喜びも神様とともに体感した生々しい記憶の数々を回想しながら、他人とは違った情感でもって神に深い感謝を捧げつつ、この日のすべての栄光を、生きておられる私の父なる神に捧げたいと思います。その間に私が世界的に築いてきた基盤の数々が、驚くべき業績となっているということは、率直なことであります。しかし私は、外形的であり、可視的なその基盤のどの一つを取ってみても、私自身を中心としなかったという点、また現在よりも未来を、個人よりも全体を、小さいことよりももっと大きい目的のために築いてきた天と地と歴史が公認する、基盤であるという点を誇りとしています。徹底的に神様が動機になられて、とげとげしいふうせつ、曲折の中でも、神様が守ってくださる中で築いてきた基盤であるということが貴いのです。私の過去七十星霜は、決して易しい道ではありませんでした。この社会に友達もいませんでしたし、師もいなく、実に一人ぽっちの孤独な道でありました。私が数多くの逆境を踏みしめて立ち上がったのも、死地をさまよいながら勇気を失わなかったのも、神様と深い心情的交流があったからでした。誰もその深い境地の対話を知ることはできませんが、常に奥深い勧告を下さる神様は、私の生涯の動機自体であり、生命力の根源でありました。私は他人の言葉に耳を傾ける余裕がありませんでしたし、わき見することもできず、世論に神経を使うこともできませんでした。にっきゅう、げっしん、神様の願いを思い、細胞が締め付けられるような一体感でもって、その方の創造理想を現実に成就すべき、その道、その目的に向かって、狂ったようにかけ登ってまいりました。満場の皆様。本来、堕落がなかったならば、神様は無形の真の父母であり、人間はその子女になります。人間は縦的な真の愛の父母である神様と、横的な真の愛の父母であるアダムエバから、愛と善なる血統を受け継ぐ真の生命体であります。また人間は愛の過程を通じて、生命の種を子孫へ連結するようになっているのです。堕落というのは、人間始祖が神様の縦的な真の愛の下で横的に真の愛を完結することができず、天使長の侵犯を受けて偽りの横的な愛を持ったことです。このような堕落の結果、神様は愛する子女を失うようになりましたし、人間は心と体が矛盾し、葛藤する故障した生命として生まれざるを得なくなったのです。悪魔は横的愛の条件を口実にして、個人から世界に至るまで、人間を不当に主管してきております。神様は、これらのすべてのことを原状へ復帰させる救援摂理を始められたのです。原理に従って悪魔を自然屈伏させながら、メシヤ、救世主を通じて、人類を接ぎ木して復帰させるのです。本来、神様が真の愛を完全投入して創造されたように、再創造過程の復帰摂理においても、為に生き、完全投入すべきことを知った私は、天命に従って生涯を捧げ、この原則を実践してきました。神様のみ旨の前で、他人の為に生きる道に徹しながら、投入、投入、完全投入してきた結果、今日の基盤ができたのです。現代科学技術の発達は、地球上に大きな変化をもたらし、今後、さらに大いなる変化を予告しております。人類はこれに英知を集め、対処しなければならない緊迫した局面におかれています。一言で現代文明は、重大な危機の岐路に臨んでいます。これに対する人類の対処は、まず一番目に超国家、超人種、超宗派的に、すなわち汎世界的な接近でもって協同、努力しなければなりません。公害問題、人口問題、自然保護問題など、当面する問題の数々がすべて、汎地球の問題となっているからです。二番目に現代社会の病弊、特に倫理、道徳、人間性退廃の問題、また人種戦争の危険性などは、すべての人間本質の中に内在した病弊であるゆえに、その主体たる人間の意識革命、人間改造の次元でもって解決しなければなりません。決して体制や制度上の問題だけではないのです。満場の紳士、淑女の皆様/. 私が創設した世界的な活動の数々は皆、国境を越え、人種のかきねを崩し、超宗教的、汎世界的な運動の典型です。世界の統一教会の信徒たちは、神様の真の愛を中心とした意識改革でもって、新しい世界観を身につけ、既に一つの人間家族としての生活をしております。アメリカの中でも、白人と黒人間の摩擦と壁のない唯一の所が統一教会なのです。アメリカはキリスト教思想に基をおいて、人権と平等を叫びつつ努力してきましたが、解決することのできない白人と黒人の紛糾を、私たちが解決したのです。また、日本、アメリカ、ドイツ出身による三人一組の宣教師が、過去の怨恨と葛藤の歴史的事縁を飛び越えて、互いに一面識もない立場でありながら、それぞれ見知らぬ国に到着して、共同献身生活を通して宣教活動をすることによって、世界一家族理想を証してきました。それのみならず、ユダヤ教、キリスト教、マホメット教、仏教など各宗団の和合のために、私は毎とし巨額の支援を行って、一致会議を開催し、世界各地の宗団長たちの賞賛を受けていることは、既に知られていることであります。さらに、国際祝福によって日本の名門大学出身の新婦を迎えた韓国の農村の青年が、村の宴会を通してお祝いを受けました。このような喜ばしい血族の因縁の中において、韓日間の民族的感情が問題になるでしょうか。統一教会が主管する集まりは、いついかなる所であろうとも、人種間の葛藤や民族差別意識、宗教的偏狭性がありません。洋の東西を問わず、これらの人々は私の思想に従い、人格の変化を受け、利己的、自己中心の姿勢を清算し、他の人の為に生きて、施す生活をすることによって、本来の理想世界の市民の標本を指向しております。統一運動はまだ量的には十分ではありませんが、今日の実績の示す意義は、宇宙史的なものです。歴史以来、多くの聖賢の教えの数々は、このような結実を目標としたものではなかったでしょうか。また、この地球上には多くの良心的な人々が正しく生きるために、いかにその道案内を捜し求めていることでしょうか。また、どんなに心ある若者たちが新しい可能性を探し求め、明るい未来を夢見てさまよっていることでしょうか。捜し求めては失望し、挫折した若者たちがどんなに多いことでしょうか。皆さん、来て見てください。偏見なしに見てください。人間が動機ではなく、天運が共にあったこの基盤を研究してみてください。そうして明るい明日を設計し、明確な価値観を立ててください。世界の統一教会の会員たちは、老若男女を問わず、献身の道を歩む中でいかばかり喜びに満ちていることでしょうか。特に若い会員たちが混濁したこの世俗の中でも最上の倫理道徳的基準を身につけ、自負心をもって活動する姿を見てください。私は統一教会の世界の若い会員たちを、人類の希望、神様の希望として眺めております。狭い教派や宗教観唸を越えて立ち、地球人という大きい次元で考えてみましょう。もし韓国人が、私の唱導する思想によって人格変化を起こし、他の人の為に生きるようになるならば、この国の将来はどのようになるでしょうか。私たちにとって、南北統一は難しい課題でしょうか。さらに全世界人類がこのみ旨を受け入れたならば、平和に満ち、繁栄した世界は保障されることでしょう。私のもっと大きいことの為に生きるという哲学は、統一教会自体を発展させようとするものではありません。また、神様と世界は、教会のためにあるのではありません。教会は神様と世界のために奉仕しなければなりません。私は今も、これからもさらに続けて奉仕する道を探し求めており、そのような歩みの連続でもって生涯を終えるのです。いま一度、皆様の祝意に感謝しながら、きょうこの記念式が単純に私の古稀を祝う場であることを越えて、他の人の為に生きる宇宙公道を学ぶ集まりになりますことをお願い致します。皆様の成されておられることと、皆様の家庭に、神様の祝福が共にありますことを祈願致します。ありがとうございました。
2023.02.23
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第1回ソ連・統一原理研修会統一教会史上最大規模の大修練会国際指導者セミナー責任者 トニー・ディバイ ファミリー 1992年2月号 掲載 七十年間、神の存在を否定してきた国が、神を信じ、真の愛を感じたいと願う青年たちを生み出している。昨年七月七日から八月三十日までに、ソ連(当時)でおよそ2000名以上のソ連人学生、その親、教授たちが統一原理研修会に参加した。彼らは、原理のみ言と真の愛を実体で証す教会員たちによって、見事新生復活している。共産主義は崩壊し、今正に真のご父母様の勝利が共産圏で実り始めている。なお`その後ソ連邦は解体したが、文中のソ連は当時のものとする。ソ連で初の大修練会。1990年五月十四日、文鮮明先生はゴルバチョフ大統領(当時)と歴史的会見をなされた後、米ソ間の平和と親善を深めるために交換留学生のプログラムを提案された。それは1990年七月から1991年七月まで、国際指導者セミナーという形で実現し、その間約3000名のソ連(当時)人学生がアメリカを訪問し、毎月およそ400名が統一原理のセミナーに参加した。彼らは母国に帰国した後も、詳しい原理の内容を求め、ソ連の統一センターの扉をたたいた。あまりの大反響に教会側は、ソ連において原理修練会を持つ運びとなった。これは統一教会史上最大規模の修練会となり、同時にソ連自体においても、教授、学生、その親たちもが参加した約200名からなる最初の修練会ともなった。7月7日から8月30日までに二十四の修練会が行われ、参加者は、大学えり抜きのエリートたちであった。修練会参加者の食糧、宿泊などのさまざまな障害を奇跡的に克服し、修練会はスタートした。折りしも保守派のクーデターは失敗に終わり、学生たちの心情の変革はソ連自体の劇的な再生と一致したのである。多くの歴史家、政治評論家などは、クーデターの失敗の理由についてあれこれと論じているが、 明らかにそれは真のご父母様の勝利の基台があったからこそ、悲劇的な結末が避けられたのであり、神の摂理において新しい歴史的一ページがめくられたのである。1991年八月十九日は、この夏季修練会のちょうど四十日目に当たり、同時にその日は、共産党の終焉と新ソ連誕生となったのである。当時、大多数の国民がその日の食糧にも困っていた状況の中で、どこで修練会を開くかということは大問題であった。しかも三月の時点では修練会場にふさわしいサマーキャンプの予約はどこもいっぱいであった。ところが、統一運動の一つである世界学生奉仕団に参加したことのあるエストニア青年組織(共産主義青年同盟の一つ)のメンバーに偶然出会い、バルチック共和国内に夏季修練会場にふさわしい場所を見つけることができたのである。そこはかつての共産主義青年同盟、コムソモールが、サマーキャンプで青年たちにマルクス・レーニン主義を教導していた所であった。ラトビア学生組織の会長、アンドレイは自分の活動を一切放棄し、原理修練会に協力するため自ら専任スタッフとなり、自分のスタッフもほとんど全員動員してくれた。そして、「私たちは、今や皆統一教会員だ。 私たちは統一教会の仕事をしているのである」とまで言った。教育省は、ラトピア大学のあるリガに修練会本部を設置することに協力してくれた。また政治科学省の書記長は、修練期間中、自分の事務所をすべて提供した。プライアン・スコットは、備品の準備、交通機関の手配等、総務的なことを担当し、ラトビア学生組織は、通訳者、運転手等の手配を受け持ってくれた参加者募集アメリカやソ連国内で原理講義を受けたことのある学生たちに対して、夏季原理修練会の勧誘を開始した。これはモスクワ、セントヒーターズバーグ、キエフ、タシケントで行った。タシケントでは、ある保守的な共産党員が修練会に参加を希望している学生の名簿を提出するよう要求してきたが、これを拒絶し、約100名の学生が参加できることとなった。結局、モスクワ、セントピーターズバーグ、キエフ、オディッサ、ヤロスラフ、タシケント、その他各地から、合計2000名以上の学生、その親、教授たちがソ連国内での夏季修練会に参加した。修練会は、バルチック学生対象の五日修が一回、いわゆる五日修が四回、十日修が九回、二十一修が五回、教授十日修が二回、親対象の五日修が一回、四十修が二回開かれた。五日修は初めて原理講義を聞く人が対象であった。500名の参加者は、統一教会のメンバーが直接伝道したのではなく、原理を聞いたことのある友人や教授に誘われて参加したのである。五日修いわゆる三日修の講義の内容で、彼らに宗教的内容をいきなり導入するのは難しいので、はじめの二日間は、ディスカッション、ピクニック、スポーツなどを通して、心情を開くのに費した。特別五日修は、バルチック大学の学生を対象に行われた。彼らは講義に真剣に耳を傾け、最善の態度で臨んだ。というのは、上級の原理講義を受けられるアメリカツアーに参加できるか否かがかかっていたからである。最終的には、彼ら全員、アメリカツアーに選抜された。上級ワークショップ原理講義を受けたことのある学生は、十日修に参加した。これは七日修の原理講義の内容と、ピクニックなどで心情交流を行った。十日修の目標は、統一原理の理解を深め、二十一修の参加の約束を取ることである。この夏季修練会では、同時に二つの十日修が五回行われ、約1000名の学生が参加した。七日修の講義の内容を既に聞いている学生は、二十一修に参加した。修練会が進むにつれて、十日修を終えた学生は、二十一修にも参加した。二十一修の目標は、原理のさらに深い理解と神との個人的関係を啓発し、さらに実践訓練の約束を取ることである。二十一修卒業者は、四十修の実践訓練に入った。そこでは、「原理の生活化」の講義を受けたり、講義演習、万物復帰を行った。また祈祷生活も体験し、公的、個人的祈祷を「真の父母のみ名」によってなした。この期間、学生たちは統一教会の生活を直接体験し、また祝福についても学び、喜んで「公式路程」に従うことができた。学生の修練会に加えて、親と教授のために特別修練会も行われた。各市ごとに親の会合が開かれ、統一運動の紹介、質疑応答、ソ連での五日修の紹介を受けた。さらに教授は、中級、上級の十日修に招た二十一修を既に終了している学生の中で、真の父母様を最も親しく信じている者は、アメリカの教会員に交じって、アメリカでの夏季伝道に参加することが決定していた。候補者は極めて難しい原理試験と面接で選抜された。この夏季修練会の始まらないうちに、既に五十名のソ連人学生がアメリカヘ出発し、実践訓練に参加していた。スタッフの犠牲的奉 この修練会を運営するためには、150名のグループリーダーとアシスタントを確保しなければならなかった。お父様は、私たちの状況を既にこのように語っておられた。「私たちには一握りの人たちしかいないが、私たちは共産主義者の解放について話し合っているのです」(1977年2月23日)。 アメリカの統一教会員がソ連で再び四十日伝道に参加できるというのは、お父様からの恵みであった。在米の韓国人教域長たちは、この計画を全面的に支持し、州リーダーや教会員たちに命懸けでソ連の修練会に参加するように呼びかけた。アメリカ統一教会教会長をはじめ、家庭部、カープ、統一神学校など、統一グループのあらゆる部門の協力がなされた。アメリカの統一教会員は、正に敵国からやって来て、ソ連人を実際に愛し、奉仕したのである。彼らは天使長の摂理的使命を果たすために、アメリカを代表して活動しているのだと深く感じていた。アメリカの享受しているすべての祝福は、すべての国の人たちに注がれるべきなのである。そして、今アメリカのメンバーは、カイン側の天使長国家に奉仕すべき機会を得たのであった。このような心情を携えて、彼らは一人ひとりソ連の修練会に献身的に参加していった。また彼らは、数週間の間、個人的事情を調整し、費用を自分で調達してソ連に向かった。この夏(1991年)は、ソ連の人々が新生し、神と真の父母を見いだす最大の機会であった。修練会スタッフは、ソ連で神のみ旨を成す基盤を築いてくれる開拓メンバーをソ連人学生の中から見つけ出すのに、大きな期待を抱いていた。お父様がこのセミナーに大きな希望をかけておられるのを彼らは感じていた。それゆえに、スタッフ全員、、具体的勝利の結果をもたらしたいと願っていた。 神様の闘士を育成アメリカ原研会長のドクター・ソクは、修練会に対するお父様の心情と期待をオリエンテーションでスタッフたちに伝えた。お父様は「このソ連プロジェクトはソ連自体を救うばかりでなく、全世界を救済するものである」と語られている。多くのソ連人学生を効果的に教育するこの摂理的機会を私たちが活用することに、お父様が相当の関心を持たれていると、ドクター・ソクは説明した。さらに、二世のリーダーである孝進様の心情も伝えた。「私たちは、共産主義者の二世を神のために闘う闘士となるように教育しているのだから、すべての勝利は真の父母様の基台の上にあることを心に留めておかなければならない」。最後にドクター・ソクは、ソ連人学生が新生するためには、まずスタッフ一人ひとりの心の中から新生が始まらなければならないと語った。こうして修練会の火ぶたが切られ、各修練会場はソ連人学生で埋め尽くされた。彼らは皆、飛行機代など費用の一切を自分で負担した。一年以上ソ連国内で活動してきたメンバーの最大の悩みは、学生一人ひとりに対して、個人的指導を施す時間も人材もないことであった。学生に対するフォローアップは、50名ほどの講義形式しかなかった。講義の後、また再び彼らを堕落世界に戻すことは、大きな葛藤であった。それゆえ、今回アメリカからスタッフがやって来て、学生一人ひとりに個人的働きかけができるというのは大きな希望であった。六人の学生につき、一人のグループリーダーがついた。どんなに素晴らしい講義を受けても、すべては、グループリーダーの能力にかかっている。グループリーダーの祈祷、涙、奉仕、そして誠意あるディスカッションを進めたり、親しく共に過ごしたりすることによって、学生たちは生かされるのである。学生たちは信じるものを持ちたいと切実に願っていた。彼らは信じられる物や人、本物の理想を渇望していたのである。しかし、指導者の裏切り、官僚の汚職、人間性を喪失するような日々の体験、経済体制の悪化など、あまりにも多くの要因が重なって信じるということができなくなっていた。アメリカで統一教会に入教した者にとっては、統一原理が私たちの第一の信仰であり、真の父母様が第一の愛であり、統一運動が私たちの信ずる第一原因である。ところが自分たちの理想、希望、夢すべてが虚偽であったことを知り、また自分たちの偶像、英雄たちが崩れ去ったことにごく最近気付いたロシアの人々に、私たちは信じることをさせようとしているのである。創造原理の理想像は、共産主義の理想に近似している。平均的学生は統一運動に出会うと、共産主義の歴史を思い出させる言い回し、事件、感情に遭遇する。共産主義との最大の違いは神がイデオロギーの中心であることである。スタッフたちは、真の父母様の代わりに、至誠を尽くして真の愛を示し、共産主義との違いを証さなければならなかった。スタッフたちは、学生たちが新しい生命を得るための確かな基台をつくるために、絶えず蕩減条件を立てた。二十一修では数名のスタッフが毎晩徹夜祈祷を続け、一人が一時間は祈った。また毎朝、宣誓する者もいた。多くのスタッフたちは、修練所を天国のような雰囲気にしようと、太陽がすっかり顔を現すまで祈祷したり聖歌を歌った。ほとんどのスタッフが断食をした。ある年配の祝福婦人は8日間断食を行った。このようにスタッフたちは、ソ連人学生の新生のために、あらゆる力を尽くしたのである。 新生する学生たち このような豊かな霊的雰囲気の中で、ソ連人学生は、強力な霊的体験をするようになっていった。イエス路程の講義の前に、黙想のための音楽を流していると、ある姉妹がイエス様と霊的に出会ったのである。彼女の霊感が開かれ、イエス様が現れると彼女を抱き締めたのである。イエス様はパラダイスを見せ、「私は常にあなたと共にいます」と言われた。 また別の姉妹は、自分が本当に天の娘であると実感した。彼女は散歩に出掛けると、鳥たちが正に彼女のために歌い、空や木、花すべてのものが、神の愛について彼女に語りかけてくるのを感じた。このように、神は一人ひとりの心に手を差し伸べていたのである。「祈祷をしたこともない、ましてや神を信じたこともない学生に、祈祷を教えることは、驚くべき体験である」とモンタナ州から来たあるグループリーダーは語った。七十年間、神の存在を否定してきた国が、神を信じ、真の愛を感じたいと願う青年たちを生み出したのである。スタッフたちは、学生たちを個人の祈りができるように導いていった。あるグループリーダーは、夜一時間、一人の学生と共に祈り、彼女の前で涙を流しながら心情的祈祷を捧げた。するとその学生は霊的に高まり、神霊に満たされて、その夜は眠ることもできなくなり、毎晩一緒に祈祷したいと言った。十日修に参加したある熱狂的マルクス主義者は、グループリーダーと共に深い祈祷の時を過ごすと、ひどく怒って言った。「どうして私はあなたのように、神を感じることができないのか。私のどこが悪いのか」。彼は祈祷を教えてほしいと強く要求した。講師は原理のみ言を与えたが、一般のスタッフたちは原理を実体で証していった。スタッフたちが語っているいわゆる真の愛を彼らが本当に信じているかどうかを学生たちは絶えず見ていた。スタッフたちは修練会の一日一日ごとに、自分の限界を越えていった。修練会は休む間もなく、次から次と直行した。修練会が進むにつれて、学生たちはグループリーダーをとても慕っていった。毎日、毎食、講義の度ごと、毎晩、グループリーダーは最善を尽くして、愛し、奉仕し、学生たちに耳を傾け、共に過ごした。修練会が終わり、別れの時が来ると、スタッフや学生たちはバスに群らがり、お互いに泣き叫びながら、別れの挨拶を交わした。皆 一つの家族のように親わしく感じていた。苦労の路程を通過して初めて、他人であった者たちが、一つの家族のような素晴らしい感情を持つことができるのだということを知って、スタッフたちは真の父母様にとても感謝した。新しく発見した家族の下を離れられず、家に向かうバスから飛び降りて、「私はここから離れられない」と叫び、上級の修練会に参加する学生も数多くいた。あるグループリーダーは、幾晩も夜遅くまで学生たちに祈禱を一つひとつ指導した。彼は自分の神体験を語り、どのように祈り、またどのように神の心情を感じるかを手ほどいてあげた。彼のグループ全員は、二十一修に参加することを決意した。彼らは皆、グループリーダーに深く感謝し、一つの家族としてとても近しく思い、共に二十一修に行きたいと申し出てきた。修練会の責任者は、学生たちの誠意に動かされ、そのグループリーダーを二十一修のスタッフに送った。二十一日修練会。既にソ連で活動していた教会員たちは、今回の修練会のためにアメリカからやって来たメンバーたちに深く感謝していた。彼らはこのソ連での摂理を協助するために、相対者や子女を本国に残してきている。彼らもまた、ソ連で今まで苦労してきたメンバーたちを尊敬している。皆、共にひとつの家族となり、真の愛を実践し、真の父母の心情を学生と共に分かち合える基台作りに専念した。学生たちは、自分の生命の中に起こる内的変革をはっきりと経験していた。徐々に彼らは祈り始め、神と交わる努力をしていった。また講義やディスカッションに敏感に反応した。さらに聖歌を歌ったりキャンプファイヤーなど家族的体験を深く重ねていった。彼らは熱心に原理の実践をした。数日間、二十一修修練生全員は、近くのリトアニア集団農場に出掛け、草刈りなどを手伝った。こんなにも多くのロシア人学生が、謙虚な態度で手伝いをしているのを見ることは、近隣の人々にとって驚嘆すべきことだった。農民たちはびっくりしていた。政治的、民族的に緊張しているこの時に、モスクワ、セントピーターズバーグ、ウクライナ、タシケント、バルチックなどから学生がやって来て、自発的に奉仕し、働きながら歌を歌っているのである。共産主義の全歴史は一種の虚偽の戦線、欺躁仮面であった。しかしスタッフの誠意と献身的奉仕のほうが、共産主義の欺脳よりもはるかに長く継続するのである。二十一修に参加した学生はほとんど神の実在と霊界、真の愛の理想を受け入れた。そして、文鮮明師がメシヤ、真の父母であるという思想に直面し始るのであった。カリスマ的リーダーというだけでも、彼らは恐れた。しかし、彼らの心を既につかんでいるスタッフたちによって、彼らは新しい世界に導かれつつあった。スタッフたちは、真の父母の代表として責任のあることを鋭く感じていた。何よりも彼らを通して、学生たちは文師のイメージを見ようとしていたからである。学生たちは文師の人格、人柄を高く評価し始めた。ある学生は「私は文師をあなた方を通じて尊敬します。あなた方の信仰の象徴として尊敬します。私はあなた方を信じているからです」と語った。また、原理が新しいイデオロギーだとしても、私たちのイデオロギーよりも優れているに違いない。それは共産主義がかつて生み出した以上の善良で情愛の深い人々を造り上げているからだと述べる者もいた。二十一修の終わり近くなると、学生たちはお父様の生涯に深く感動した。お父様が北朝鮮から拷問を受け、興南刑務所に向かう所では、多くの学生が涙を流した。彼らは、お父様の苦難を原理を土台にして理解し始めた。中には、お父様がいかなる方かを悟ってむせび泣く者もいた。ある学生は二十一修を通して、とても深い体験をした。彼はお父様の路程を聞いて心から感動し、そのことが頭から離れなかった。その晩、彼は夕食をもらうために列に並びながら、お盆の上に乗った食べ物を見てこう祈った。「天のお父様、どうして私は食べることができるでしょうか。お父様の通過された苦難を思うと、私にはこの夕食を食べる価値があるでしょうか」。とその瞬間、彼のお盆がポンと飛び上がり、お皿が床に落ちたのである。後に彼は、神様が自分の質問に答えてくれたのだと証した。「TODAY'S WORLD」1991年十一月号から翻訳、転載、文責編集部。
2023.02.23
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講話 先生に学ぶ6 金元弼 1981年ファミリー7月号 私たちを愛してくださる先生 私たちは先生と一緒に、たくさんの山に登りました。誰も、先生より先に山に登ることができませんでした。山に登っては、先生はいろいろなお話をしてくださったり、皆に歌をうたわせたりされました。人の前で全く歌をうたったことのない兄弟たちは、先生に言われて、たくさんの人の前でうたう訓練をされました。上手な人ばかりでなく、全員がうたいました。下手な人であっても、先生は、その歌の内容や、うたう人の心を大切にしてくださるのです。そして、先生の好きな歌がありますと、先生が誰よりもそれを愛してうたってくださいました。毎日うたう人は、いつも同じ歌をうたうわけにはいかないからと思って、なんの歌をうたおうかと迷っていると、先生は、彼女はこういう歌をうたっていた、彼はこういう歌をよくうたっていた、と覚えてくださっていて、「あの歌はどうか、この歌が好い」と言ってくださるのです。兄弟の好きな歌を先生がよく覚えてくださっていて、その人以上に好んでくださるので、その兄弟は、「ああ、先生は私の愛する歌を、私が好む以上に好んでくださっている。先生は私をこのように覚えてくださっている。記憶して好んでくださっている」と、その歌一つをもって、先生に対して信頼惑をもつようになるのです。それからまた、先生は私たちに、「あなたの顔を鏡で見てごらんなさい」とおっしゃいます。あなたの顔は上向きになった方が美しいとか、笑うときにはこうした方が美しいとか、顔つきや座り方など、いろいろ全般にわたって、人に良い感じを与えるように教えてくださいました。先生は男性にも女性にも、そういうところまで気をつけて、しかも人があまりいない所で、静かに教えてくださったのです。皆さんは、好きな人や尊敬する人がいると、その人の好きなものを自分も好きになりますね。相手の癖さえも真似てみたいと思うでしょう。もともと人間は、神に倣うようにできているのです。ですから、神に近い人がいれば、その人のようになろうと思うのです。それは、神に近よろう、神に倣いたいという心なのです。ですから皆さんも、メンバーに対して、メンバーを嫌になることなく、メンバーの好きなものを皆さんも好んでやってあげてください。そうすればメンバーは、あなた方に対して心を開き、信頼感をもってくれるのです。 先生に対する私の情の変化 先生にお会いしてまもない頃の私の心と、先生と一緒に南へ避難していたときの私の心について、述べたいと思います。最初、先生にお会いしたときは、ただただ私とは全く次元の違う方だ、というふうに考えました。ちょうど、小学生が初めて学校に入ったとき、自分を教えてくださる先生に対して感じるのと同じような「次元の違い」を感じたのです。その当時、私たちは学校の先生に尊敬の念で対しました。当時の学校の先生は、本当に親が子供に対するごとくに、自分の教え子に犠牲的奉仕をもって教えてくれました。それで生徒たちには、先生の恩に感謝する謝恩感というものがあり、自分の尊敬する先生の写真をポケットの中に入れて歩くこともあったほどです。私も幼い頃、そのように考えていたせいか、先生にお会いしたときに私は、そういう心をもったのでした。それで私は、率直に言いまして、その頃は十八歳であったにもかかわらず、先生は普通の私たちとは違って、トイレにも行かないし食事もなさらない、そういう超人間として捉えました。ですから、先生がどういうお話をなさっても、私には全部信じられたのです。たまに家に帰る時間が遅くなって、私は先生と同じふとんで寝るときがありました。夏は暑く、そしてその当時は南京虫がたくさんいました。噛まれると、とっても痒くて腫れあがるのです。先生は全然おわかりにならないでお休みになるのですが、私は最初から南京虫に噛まれて、痒くて痒くて眠ることができません。体が痒いので掻きたいのですが、もし私が動きますと、隣の先生は眠れないだろう、そう思って戦い、いつのまにか草臥れ果てて私も寝てしまう……、といったことを覚えています。先生にお会いしますと、ひじょうに心の中は喜ばしいのですが何も言葉が言えない、という状態でした。私には―つの悩みがありました。一人でいるときには、それが大きな問題として私を悩ませるのです。それで先生に聞いてみようと思って先生の前に行きますと、その悩みは小さな問題に感じられます。それで「聞こう」という勇気が出てきません。そして家に行って一人になると、また大きく感じられるのです。「こんなふうだったら、先生に打ち明ければよかった。今度行ったときには必ず話そう」。そして先生を訪ねると、問題は小さく感じられる。そういうことを繰り返しながら、いつのまにか私は、自分で悩みを解決していけるようになり、また、先生のいろいろなみ言を聞くことによって、そういう問題を整理していけるようになりました。私は、先生に深刻な問題をもっていって、「これはどうですか」ということを聞いた覚えがありません。どんなに信じられないようなことであっても、先生のみ言を聞いたり、先生の行いのすべてを見ることによって、徐徐にそれがわかっていくようになったのです。そのように私は、心情的に、いつもある距離をもって先生に対していました。けれどもそれが、避難の路程のときに全部なくなってしまいました。朝起きるときから夜寝るまで、何事も一緒に生活するようになったからです。私は一緒に歩きながら、自分の信仰を打ち明けたことがあります。「もし、私が二千年前に生まれていたとするならば、私は、イエス様を飢え死にさせたことでしょう」と。なぜならば、私はそれまで、メシヤという者は食べなくてもひもじさを感じない方である、と信じていたからです。私は先生を通じて、二千年前のイエス様の事情と心情というものを理解することができたのです。 愛・勇気 皆さん、み言の根本は愛です。み言は、愛の表現がいろいろな形で表れているのです。ですから、み言から出発して、ずうっと辿っていくと、結局は愛につながるようになります。一つの有機体ですね。一つの木だとしたら、それは葉っぱから枝に通じ、そして幹を通じて、結局は根に通じます。枝から始めた人も根に通じるし、葉っぱにも通じるし、花にも通じるわけです。このように何事も、一つを完全に身につけるようになると、他のことにも通じるようになるのです。皆さんには、勇気と愛は、全くつながりがないようにみえるかもしれません。しかし、愛があるがゆえに勇気が出るのです。勇気あるがゆえに愛に通じます。愛のない人に、どうして勇気が出るでしょうか。勇気には、いろいろな形があります。自分より強い人に対抗していくのも一つの勇気だといえましょう。水の中に溺れている人を水に飛び込んで救うのも、勇気だといえましょう。あるいは火の中に飛び込んで人を助け出して生かすのも、勇気といえるでしょう。また、人の意見と自分の意見が合わないとき、全体のことを考えて、自分の意見を退けて相手を立ててあげる、それも一つの勇気ということができるでしょう。ところで、そういう勇気は、やはり愛なくしては出てこないのです。子供を救うのにも、その子供を愛する心なくしては、勇気は出てきません。自分の意見を否定して、人の意見を立てるのにも、そのことによってもっと大きな目的を愛するという心があってこそ、できるのです。また、謙遜な心、それも同じです。謙遜な心があるがゆえに、勇気をもつことができます。勇気なくして謙遜であることもできません。このように、勇気、愛というもの、また謙遜というものは別々のものではなく、源を辿っていきますと、すべて通じている世界なのです。ですから皆さんは、どのみ言でもいいですから、それを実践して身につけていってください。そうすることによってすべてに通じます。神と人間との約束 約束というものは、必ず相対性、つまり主体と対象をもっています。そしてまた約束というものは、双方においてプラスになる目的を中心にしてなされます。お互いのための目的、お互いのための幸せですから、私たちはそれを「全体目的」とか「全体のために」という言葉で表現しています。そして、ある時期には全部の約束が終わるという、時間性があります。神と人間の間にも一つの約束がありました。その約束は、神だけの幸せのためでもなく、人間だけの幸せのためでもない、言い換えれば神と人間の幸せを目的にした創造目的というものがありました。創造目的というのは創造理想の実現にありました。ところで人間は、この神との約束を守ることができませんでした。しかしながら神は、永遠性があるがゆえにその約束を守りました。とするならば、その神の約束というものは、どうなるのでしょうか。人間との間に約束された創造理想の実現というものは、どうなるのでしょうか。それは、そのまま残るのです。神がそれを守るからこそ、この人間復帰の摂理というものがあり得るのです。もし、人間が約束を守らず、同時に神も約束を守らないという立場に立つならば、永遠に理想の実現復帰というものは、あり得ないでしょう。ですから、神の六千年の人類復帰摂理というものは、神がいかに人間との間に立てた最初の約束を守り通したか、という歴史にもなるわけです。 約束に対する先生の姿勢 私たちが誰かと約束する場合、「二人で約束する」というふうに考えがちですが、実際はそうではありません。そこには必ず神様もいれば、サタンもいるのです。特に、先生と私たちの約束というものは、永遠なる約束です。私たちが世の中に住んでいるときだけ一緒にいましょう、という約束ではありません。ときどき私たちは、先生との約束を破ります。神に誓った人たちや霊能者など、そのほかにも、先生との約束を忘れた人がいました。先生は、彼らが約束を破ったことをよくご存知でしたが、相変わらずその人たちのために祈り、その人との約束を守られました。たとえ、その人が約束を守らないばかりか、教会から出て反対したとしても、先生はその人との約束を守られました。そうした場合、その人は変わってしまっても、神は他の人を立たせて、先生との約束を守らせていくのです。ですから今まで先生が歩まれてきたこの道は、たとえ先生を信じきれずに教会から遠ざかる人がいたとしても、先生が常に約束を守られるがゆえに、新しい人がどんどん現れて、摂理が成し遂げられてきたのです。もう一つお話ししましょう。清平という所がありますが、先生がそこにお出かけになった次の日のこと、そこから出発して本部教会に行くことになりました。その日は、たくさんの人が教会に集まることになっていました。先生は早めに出発されたのですが、船の状態が悪く、そのうえ雨も降ってきたので、約束の刻限に間に合いそうにありませんでした。それで先生は、約束した時刻からすぐに悔い改めの祈りをする、とおっしゃいました。約束した時刻に遅れるので約束を守れない、ということに対する祈りです。その日、先生はお着きになって、皆に話してくださいました。「こういう、公的な約束を守れないそのときには、その時間から悔い改める祈りをしなければいけない」と。そして「私は、この時刻に間に合うように、所要時間よりも前に出発していた」と。先生は目的地まで一時間かかるならば、一時間十分前には既にそこを出発していたというのです。つまり、心情的に約束を守った、ということをお話しされました。先生ご自身としては、心情的にも外的時間的にも、約束を守っているということを証してくださったのです。
2023.01.11
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先生に学ぶ 金元弼 1981年ファミリー6月号https://youtu.be/iTYZcVfFWzM先生のお母様の、子を愛する情について 先生のご家族や親戚など、すべての人たちが北の方にいらっしゃいました。中でも一番先生のことをご心配された方が、先生のお母様です。先生のお父様は、ひじょうに口数の少ないまじめな方で、何か一つのことを始めると終わりまでやってしまわれる性格で、村の人と交際することなどは少なかったようです。大きなご家庭であり、また農家でしたので、お母様が家のことのすべて、家族の世話や農作業のことまで、直接面倒をみておられたようです。 先生が日本から帰られるとき 先生はお若い頃、日本で勉強されていて、戦争が終わるとすぐに自分の故郷に帰られました。そのときの話です。先生は韓国へ帰る前に、「何日の何時の船で帰る」という電報を打ちました。ところがその日、その船が韓国へ向かう途中に沈没してしまい、その船に乗った人たちは全員亡くなってしまうようになったのです。そこで、お母様は受け取った電報の船が沈没したというニュースを聞いて、もう気も狂わんばかりでした。そして、子供である先生を見るために、一人で釜山まで行ったのです。しかし、必死に先生を探してもみつけることができず、本当に気が狂ったようになって家に帰られました。それは晩夏のときのことですが、お母様は自分の靴が脱げてしまっているのも知らずに裸足で歩いていましたので、薮やトゲで足がめちゃめちゃに傷つき、化膿までしていました。しかし、それさえも気がつかず、ただ泣きながら自分の故郷に帰ってきたのです。着物も薮の中でビリビリに破れてしまっているので、本当に気違いさながらでした。それほど、自分の子供を愛されたのです。ところで、先生はそのとき、その船に乗っておられたのでしょうか。実は、先生は本当にその船で出発するつもりで、その日埠頭に出かけたのですが、途中で足がくっついて動かなくなり、なかなか行けないので、その日のスケジュールを変えたのでした。その船が沈没するとは、先生もそのときは気がつきませんでした。そして先生が故郷に帰ってみると、さっきのようなことが起こっていたのでした。 先生が牢獄生活されたとき 先生のお母様は、自分の子供が本当に正しい者であり、人のために良いことをする者であることを、よくご存知でした。お母様は特に先生を、兄弟の中でも信頼しておられたし、また愛しておられました。だからこそ、幾度も先生が学生のときから罪なくして牢獄生活するたびごとに、お母様は、大きな悩みと心の苦しみを受けられたのです。先生は、自分のお母様に対して、また兄弟に対しても、この世界を救わなければならないという神の御告を受けて、そのためにどういう道を歩いているのか等について、まったく話しておられませんでした。それでお母様は、先生の姿を見て、ひじょうに寂しく、また不満を感じたりされました。牢にいらっしゃる先生のために、お母様は忙しい家事の中にあっても、何ヵ月もかかって、食べ物などを準備して訪ねられました。その母の心というものは、子供のために準備した大事な食べ物を、その子供だけに、先生だけに食べてほしいというものでした。それがお母様の考えであり、また、それは自然であると思います。ところが先生は、自分だけでそれをおあがりなさらないで、お母様の見ている所で同じ囚人たちに分けてあげました。それを自分の目で見ることは、もっとも辛いことでした。子供がいくら成長したとしても、母親の目からみれば、いつも幼い子供です。それが情念です。子供がおじいさんになっても、外に出かけるときには「ぜひ体に気をつけて」と言うのを忘れないのが親の心です。先生の変わりはてた姿、囚人の衣服、全部刈られた髪、自由のない姿や様子。ひじょうに惨めな先生の変わった姿を眺めて、お母様は最初から涙を流さざるをえませんでした。普通なら自由な形で話しができるでしょうに、今は監視する人の前で、自由に話すことさえできない。そういう関係の中で、お母様にとっては、いろいろなことが瞬間的に思い浮かべられて、涙を押さえられなかったのも当然なことであると思います。私が先生のお母様と初めてお会いしたのは、お母様が先生との面会を終えて家に帰る途中で、先生の面倒をみておられた玉というおばあさんの家ででした。韓国動乱が始まったその当時は、人々が全部疎開していて、玉おばあさんと私だけが残っていて、二人で礼拝をしていました。その時、初めてお会いしたのです。先生のお母様は次のように話されました。もし先生が牢からお出になるならば、これからは私のそばから離れないようにするでしょう、と。先生がたびたび牢で苦しまれることを経験した、そのお母様としては、絶対にもう自分のそばから離したくない、そういう心があるのも当然なことと私は思っています。 先生のお母様への情について 先生は、面会に来てくださるお母様が泣かれることがとても気にかかりました。本当に忙しい中にあってお母様が、この田舎のおばあさんが、自分に面会するためにはるばるやって来たことを思うと今までの過去のことが連想され、また、今その母が自分のことで泣いている姿を見るときに、先生にとっても、どれほどに心が痛かったことでしょうかしかしながら先生は、お母様が先生に対して肉的情で、「わが子がこんなに苦しんでいる」とかで涙を流すのを喜ばれませんでした。先生としては、「わが子は他の人とは違うんだ。人のために、全世界のために、そして神様のために、この牢の中でも元気でいる。これはすばらしいことだ。よく勝利していくんだよ」というお母様になってほしかったのです。そのようになってくれるお母様を願ったのでした。そこで先生は、難しい中を訪ねて来てくださって泣いているお母様に対して、「そういう涙を見せるのならば、再びここに訪ねてこないでください」と、きっぱりお話しされたのでした。それは、お母様にとっては、ひじょうに心に痛みを感じた言葉でした。面会の時間は限られており、いくら話したくても、その時間になると厳しく別れなければなりません。お母様としては話したいことがもっとたくさんあるのでしょうが、もう涙が先にたってしまいますと、話したいことも話せずに帰るようになります。人情のあつい先生としては、そういうお母様の後ろ姿を、お母様は今どのように考えているのだろう、どのようにしながら家に帰っているんだろうと、いつもいつもお母様に対する情念をもって眺めておられたのです。先生のお母様に対する情念は、誰よりも以上にあったのです。食口が教会を訪ねて来て、そういうふうにして帰るときには、門の前に立って、その人の後ろ姿が見えなくなるまでじいっと見送る、そういう先生でした。来るはずの食口がまだ来ないときには、外に立って来るのを待っている、そういう先生です。そういう先生であるがゆえに、お母様が帰られたとしても、お母様に対する親孝行の心は、いつまでもいつまでも先生の心から離れるはずがないのです 人情の分別 私たちは人情と天情がこんがらかるときが、たくさんあります。もともと堕落しなかったならば、人情と天情というものは、人情は天情に通じ、天情はそのまま人情に通じるものでした。ところが堕落した結果として、人情と天情は一致しないものとなりました。それで私は、人情を立たせるためには、まず先に天情を結び、その次に人情を立たせるという復帰の道を行くようになったのです。それで二千年前に来られたイエス様も、「皆様が私についてこようとするならば、皆様の親、夫婦、子供に対しての愛を切り捨てて私についてきなさい」、と教えられたのです。その事情をよくわかっていたイエス様が「地上に平和をもたらすために、わたしが来たと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むために来たのである」と表現されたのも、そこにあるのです。イエス様は、誰よりもイエス様を愛さなければならないことを教えられました。イエス様との情というものは、天情を意味します。自分の兄弟、あるいは親子の情は、人情をあらわします。ですから「私をより愛せよ」ということは、人情よりも天情を立たせなさいということです。この点について、私たちもはっきり確立していないならば、神の道をまっすぐに行けない時がたびたび起こるでしょう。人情を切るのは、それを最も完全な立場で、完全な人情に立たせるためです。堕落して汚れた因縁をもっている人情を私たちは分別して、そして天情につながることによって、その人情を立たせるためにあるのです。ですから、過去の自分、堕落した自分を否定すること初めて本然の自分を立たせることができるのと同じです。宗教が自己否定ということを主張したのも、その点であるのです。自己否定というのは、本然の自分の否定ではありません。私もみ旨の道に入った最初の頃、すべてを分別する生活をしました。親との関係を分別し、また社会との関係も、とにかくすべてを分別する生活をしていました。本当に、親でも兄弟でもサタンの手先のように考えて、これを分別する生活をしたときもありました。先生が私たちにそのように教えられたわけではないのですけれども、私たちにはそういう心があったのです。親子の関係も社会の関係も、全部永遠に切るものだと思ったのです。1960年以後になって、先生は私たちに、たびたび氏族復帰について教えてくださいました。そこで、今まで完全に切ってしまっていたのを、これからは復帰していかなければならない、ということは、私にとっては、ひじょうに大きな仕事でした。すべて切ってしまっていこれにまた因縁をつけるというのが、私にとってはひじょうに難しく考えられました。今は、分離する目的、切る目的が、こういうふうに復帰していくことにあったのだ、ということを、私は、はっきりとわかってきました。分別する時代は、分別そのものに目的があるのではなく、統一するところに目的があるということを、はっきりわかったわけです。このような私たちが神と一体化していくためには、こういう厳しい分別の時代があるということを忘れてはなりません。 健康管理 先生は、霊界の助けというものは、自己の限界を克服しなければありえない、ということをおっしゃいます。体の管理についても、それと同じです。神が全部助けてくれるから、無理して放ったらかしにしても体は健康になる、という考えはありません。自分が管理すれば管理することができるのに、それをしないで、全部神様がやってくれるだろう、という考えはいけません。とにかく無理をしてしまった。そういうときには仕方がないから、それはもう神様にお任せするより仕方ないですけれども、それ以外のことは自分がやらなければいけません。自分の体を自分でテイク・ケアするのです。たとえば、ある病気にかかった人がいました。ところが彼は無理をしていました。これは、どのようにして治したらよいのでしょうか。自分で病気にかからないようにするのではなく、病気にかかるようにしておいて、病気を治してくれ、と言ったら、どうするのですか。病気にかからないようにすることは、自分がやることなのです。自分が高い所から飛びおりながら、「神様、どうぞ私がケガしないようにしてください」と言うのと同じです。神様が全部なおしてくれる、病気にかかっても治してくれる、という考え方はよくありません。先生は五年の刑を無事にもちこたえるために、ご自分の健康を顧みなければならなかったのでした。先生は健康管理のために、ご自分の健康管理法として、六時の起床時間を厳守しなければならないにもかかわらず、六時よりも早く起床して、寝ながら運動をなさったのです。神様が全部守ってくれるからいい、という考えではいけないのです。
2023.01.06
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先生に学ぶ4 金元弼 心と行動 足りないリーダーに対しても兄弟は「はい、はい」と言って侍りますが、それはリーダーが好きだからではなく、神の御告であると思うからそうするのです。「恐い恐い」と震えながらついてくるのです。でも、それでは主体と対象の授受作用ができないので、そこには神が運行しません。ですから繁殖も何もありません。それは悪の循環でしかないのです。リーダーに「水を持ってきてください」と言われたとしましょう。上の人の命令だからきかなければいけない。そのとき、リーダーが嫌いだったら、喜んで持っていくでしょうか、それとも顔をしかめて行くでしょうか。また、コップにゴミがついていたとき、リーダーに対しての気持ちがひじょうに良いときには丁寧に拭いて持っていくでしょうし、気持ちがよくないときには、いい加減に拭いて持っていくでしょう。その水を飲んだ場合、体はどうなるでしょうか。外的にはわからないかもしれませんよ。でも、寂しい心が水と一緒に混じって入るのです。体にいいはずがありませんb また、愛をこめた水を飲んだときは、どうでしょうか。飲む人にはわからないかもしれませんが、皆さんが本当に霊的に明るくなれば、それがわかります。握手をするにしても、友達と握手するのと、嫌な人と仕方なく握手するのとでは、形は同じかもしれませんが内容が違います。同じく、目をみても、本当に憐れんで見るのと、憎しみの心で見るのとでは、全部違うのです。リーダーが兄弟を本当に愛しているかどうかは、その目をみればわかります。「私は彼を憎んだことなどありません」と言っても、それは通じません。神を前提としない中では通じるかもしれませんが、本来的には通じないのです。私たちは、そういう心持ちで、言葉ばかりでなく、行動していかなければなりません。特にリーダーは、自分自身が、そういう道を行かなければいけません。だからリーダーというのは難しいのです。そういうことがわからない人は、リーダーになりたくてたまらないのです。リーダーになりたいと思うことは悪いことではないのですが、今お話ししたような心をもって行かなければいけません。 犠牲あっての悟り 皆さんは、過去を振り返ってみて、「私はたくさん習いました、悟りました」ということを言います。皆さんがたくさん悟り、習った、と言えるということは、それぐらいに皆さんはたくさんの人を傷つけてそのおかげで、そのように習い、悟ったのだ、ということを忘れてはなりません。わかりやすく話しましょう。たとえば、一人の名医がいます。その人は初め、医大を卒業しましたが、そのときは何もわかりませんでした。彼はお医者さんになって患者を扱うようになりました。学校で習った方法で試みましたが効果がなく、患者はひじょうに苦しみました。それで「これは困った」ということで、もう一つの方法を試みましたが、また駄目でした。そうしているうちに患者は死んでしまいました。このようなことを何度か繰り返しているうちに、彼はいろいろな経験をつみました。そしてその後は、すぐに的確な診断をして治すようになりました。それで彼は、名医と呼ばれるようになりました。そのように、名医ということは、たくさんの人を犠牲にした、というのが前提になるのです。おわかりですか。 ですから、名医になった人は、まず誰に感謝しなければいけないでしょうか。自分に感謝すべきでしょうか。自分を教えた先生に感謝すべきでしょうか。もちろん惑謝しなければいけないでしょう。しかし、それよりも前に、自分のために犠牲になった人たちに感謝を返さなければいけません。皆さんは、いかがですか。悟るということは、人を犠牲にして悟ったものです。夫婦の関係も同じです。自分が相手を愛するようになったということは、相手をたくさん苦しませたおかげで、そうなるのです。愛さなければいけないということを悟ったということは、過去は愛せなかったということです。愛せなかったということは、相手を苦しませたことなのです。おわかりですか。たとえば、星がたくさん付いている将軍と、何も付いていない兵卒では、どちらが偉いですか。星がたくさん付いたということは、たくさんの部下を殺したということと同じです。そのようにして付いたのです。ですから戦争に勝った将軍は、まず第一にどこを訪ねるか。そのように位の高い将軍でも、一番下の死んだ兵卒の墓の前で頭を下げるのです。その人の死によって、勝利がもたらされたからです。ですから、その星は、勲章は、自分のものではなく、その人たちのものなのです。勝利の栄光は、すべてを勝利に導き、そういう犠牲の道を通じてでも行かせてくださった神様に、まず一番初めに栄光を与え、次に、犠牲になってくれた人たちに、その栄光を全部返さなければいけません。そうすると、神様やその人たちが、また私に返してくれるのです。ところが皆さんは逆です。栄光を、自分や自分の家庭に返したら大変です。最初はわからなくてそうするのでしょうが、これからは常に、「自分が悟った、自分が習った」というのではなく、犠牲になった人たちに、まず感謝してください。 親孝行 先生にいろいろ言われたことを考えながら、私が巡回していたときのことです。どのようにしたら私も先生のような生活ができるのだろう、ということで胸がいっぱいです。韓国で非常に奥深い高い山を、冬に超えなければいけませんでした。誰も人がいません。真っ白い雪が降っていました。そこを一人で歩いています。そのとき、ふと私は、「天は父を象徴し、地は母を象徴する」という原理のことばを思い出しました。そして、今私は、この地を踏んでいるから、お母様の体を踏んでいるのだ、とそう考えました。文学的に受けとったときに、そういうふうに考えざるをえませんでした。そうすると、今までこうして歩いていたのに、お母様の体だと考えると、痛いのです。ですから、そうっと歩きました。すると本当に、体を踏んでいるような、そういう心が出てくるのです。 また、一足踏むときに、「私は、親のために孝行する。そして忠節を尽くす。そして貞節を守る」という心持ちで一つの白い雲に誓いながら行くのです。私は親孝行します、次は忠節を尽くします、と、字を一つ書いて、また字を書いて、というふうに歩いたのです。またあるときは、足を踏んで「忠」とか「孝」と書くのです。これは、本当に私にとって、良いお祈りになりました。それは、私の心に強く残りました。 韓国に、本当に親孝行の子供がいました。親が亡くなって三年間、毎日その人は、親の霊魂を慰めるために、死んだ親の所へ行って、お祈りしました。親が葬られているお墓までには芝生がありました。ところが、彼が毎朝そこに行ってお祈りしますので、その足跡や、いつも祈った場所には芝生がはえませんでした。毎日、そこを踏んで歩いたからです。世の中でも、自分の親に対して、そのように心を尽くす人があるのです。そういう人たちは、真の父母様を知らなくても、自分の親にこのようにしたのです。であるならば、私たちは、真の神に、真の親に、どのように心を尽くして侍らなければならないでしょうか。「あなたたちは、神様を、そして真の父母様をわかっていながらも、できなかったのですね」と、その人たちに問われることになるでしょう。「あなたたちは、私に及びません」と言うでしょう。でも、その人たちでも、先生を見るときには、「私は先生に及びません」と言うでしょう。先生は、神様に侍るにあたって、その人たち以上の基準を立てられたのです。 先生の立てられた基準 世の中には、国のために忠義を尽くした人たちがたくさんいます。そういう忠義を尽くした人たちに、「あなたには私も及びません」と言われるためには、先生はどういう道を歩かなければならなかったのでしょうか。神の国を建設するにあたっては、国のために世界の平和のために尽くした、そういう世の中の人より以上に、神の国のために神の世界建設のために心を尽くさなければならないのが、先生の基準です。もし、それができないとするならば、それらの霊界の人たちが先生を訴えるでしょう。イエス様、お釈迦様、マホメット、そしていろいろな聖人。あるいは、この世の中で、神のために尽くした王様、忠節を尽くした親孝行者が。そういう人たち以上の忠義と愛を尽くさないならば、先生は、そういう人たちに訴えられるのです。ですから先生は、ある国に入ると、いつも、「この国のために、神のために尽くした最高の人は誰だろう」と考えながら、それ以上にこの国を愛するという条件を、お立てになるのです。 犠牲愛でサタンを切る 皆さん、愛というものは「明り」のようなものです。昆虫が明りを求めて集まるように、明るい所、もっとも高い愛のある所には、すべての人が、すべての存在が集まってくるのです。サタンもそれを好みます。なぜならば、愛というものは、すべての根本になるからです。生命、満足、理想など、すべての根本になるからです。ところがサタンは、愛を生命視することはできるけれども、犠牲にするという犠牲の愛はできないのです。ですから私たちが犠牲の愛を払うときには、サタンがそれから取り除かれていきます。もし、サタンが犠牲的愛をするならば、もともと堕落は可能ではありませんでした。天使長が堕落したのは、自己を中心とした愛が始まったからです。犠牲的愛、ために尽くす愛というものができなかったために堕落したのです。ですからサタンを取り除く方法、唯一の道は、「ために愛を尽くす」、それ以外の道は何もありません。おわかりですか。イエス様が、「誰よりも私を愛さなければいけない」というみ言をくださったのは、そこなのです。真の神の愛を引き継がせるためだったのです。自分が愛を受けたいという欲ばりがあったからではありません。サタンがついているので、そのサタンとの因縁を取り除かない限りは、神の愛を与えることができないのです。犠牲的愛をすることによって、サタンとの分裂、サタンとの間の因縁が切れるので、それを願われたのです。サタンは犠牲的愛ができないので、そこから取り除いていくために、神は、必ず人間に、そういう犠牲の愛を提言されるのです。 許す心 韓国のある教会の牧師さんたちが先生を訪ねられたとき、先生はこういう話をされました。「実をいえば、あなたと私は敵です。あなたは私を反対して、韓国から追い出そうとしました……」。ヤコブには十二人の子供がいました。その中のヨセフは兄弟から殺されそうになって、エジプトに行き総理大臣になりました。その後、兄弟がやって来たとき、ヨセフは、自分を殺そうとした兄弟たちを許しました。なぜ、許すことができたのでしょうか。それは、自分を殺そうとした兄弟ではあるけれども、その兄弟たちは、自分がいない間、自分が本当に愛している親、自分が侍らなければいけないはずの親に、ずうっと侍ってきてくれたからなのです。そこをみて、ヨセフは許したのです。今、ユダヤ教やキリスト教が先生に反対していますが、先生もそれと同じなのです。もし、ユダヤ教とキリスト教がなかったならば、神はどのようにして今まで支えられてくることがでぎただろうか。ユダヤ教とキリスト教が神を支えていなかったならば、どうなったのだろう、そのように先生は考えると、統一教会を滅ぼそうとする彼らであっても許すことができるというのです。あくまで自分を中心としてではなく、神を中心としてこそ、こういう許しの心が出てくるというのです。ただ漠然と、愛さなければいけない、人々を兄弟を愛していかなければいけないと、いくら思ったとしても、そういう心をもたないと、それはできません。
2023.01.02
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先生に学ぶ 3 金元弼。 難路程を乗り越える 先生の心情 皆さんは原理をわかるごとくに、先生の路程で起こったことを、はっきりとわからなければいけません。なぜならば、先生の路程というものは、その原理の道をそのまま通っている路程であるからです。先生は、原理をそこなった道は行かれません。ある時がくれば、先生の路程に対する試験があるかもしれませんよ。原理とまったく同じですよ。原理試験を受けるのと、まったく同じです。なぜなら先生の路程というものは、アダム家庭を中心とする復帰摂理、イエス様を中心とする復帰摂理と同じように、個人から世界までのすべての路程の典型的な復帰路程なのです。これがもっとも大事な路程なのです。ですから、いくらアダム家庭を中心とする復帰摂理の意味がよくわかっていたとしても、先生の路程のことがわからないでは困るのです。先生が、あそこでここで、こういうことをした、それくらいしかわからないのでも困ります。先生がそこで苦労した、という苦労自体が問題ではありません。苦労が「何を意味するか」です。どのように苦労を勝利したか、ということが問題です。どういう心をもって、その苦労をしていったかが問題になるのです。私たちは、いつも決心をしていろいろな事をやるけれども、思いどおりにならないと躓いてしまいます。ですから、先生はどういうときに、どういう心持ちで、どういうふうにして、あんなに勝利することができたのだろうか、それを皆様にお話ししたいのです。先生はいつも、ご自身の苦労よりも、先生をこのように遣わして六千年の復帰摂理を完成せしめようとなさる神様のことを考えたのです。自分自身の生命はいくらなくなってもかまわない。けれども、私が生命をなくすことによって、私を通じて六千年の復帰摂理を完成せしめようとする神の願いが、摂理が、延長されたらどうするだろう、と考えられたのです。自分は死んではいけない。死ぬまで苦しむことはいいけれども、命が切られるようなことがあってはいけない。先生は、このように考えられたのです。「私は死にたくない」というその心が、普通の人とは全然違うのです。イエス様が十字架の前で、「なるべくなら死の杯を、十字架を免れさせてください」と祈られた、ぞの心と同じようなものです。自分の使命をここで果たさなければ、誰かがその使命を負って苦しむだろう。彼を苦しませるよりは、かえって私が苦しむ方がましだと先生は考えたのです。自分のためにではなく、人のために決意したのです。そこが自己中心ではないのです。その精神が、先生の路程には、ずうっと漲っているのです。一貫しているのです。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。例・先生の心情を見習う。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。問題児ばかりいる、あるチームがあるとしましょう。そしてそれを率いているリーダーが、「自分には、ここはどうにもできない。あそこのチームはメンバーが良いので、あそこを私はやりたいなあ」と思っているとしましょう。しかしもし、先生の精神を受けいれるとするならば、そのリーダーは、どんな考えをするようになるでしょうか。私が「ここは難しい」と言ってここを離れたならば、私の代わりに、誰かがこのチームを率いていかなければならない。私は今までここでやってきたので、少しは事情がわかるけれども、私が離れた場合、次の人はまったく事情もわからない中で、最初の頃に私が苦しんだのと同じ道を、また反復していかなければならない。だから、その人を苦しませるよりは、かえって私が苦しみを勝利していかなければならないだろう。その人を苦しませないために、私はもっと苦しんであげよう。先生の心がわかると、こういう心持ちになれるのです。また他にも、考えなければならないことがあります。問題のあるチームにいて、いろいろと苦労しながら指導した、その内容は、自分だけがしたものではないということです。チームを引きあげるために、この自分を通じて、いろいろと教育し苦しまれた、神様がいらっしゃるということを忘れてはいけません。また、自分は完全なリーダーではないのです。だから自分がよく指導できず、そのためにメンバーが傷つけられたこともあるのです。メンバーが自分の話をきかないので自分も傷ついたこともあるでしょうが、同時に、メンバーも傷ついたことがたくさんあるのです。そういうことを考えると、私がもうちょっと神の心で皆を指導するならば、このチームを通じてなされる神の摂理は短縮されるだろう、となるのです。 新しくリーダーになった人へ アダムが失敗したあと、アダムの代わりのノアを立たせるために1600年かかりました。それは、Aというチームリーダーがうまく指導できなかったために新しいチームリーダーを立たせるためには、それくらいのものが必要であるということなのです。皆さんは、人が変われば、すぐに変わったと思いますが、形状的には変わったとしても、内的にはまだまだ変わっていないのです。新しくリーダーとして行くと、前の人がやっていたことをやりたくなくて、全部取り除き、新しく自分の方法でやろうとしますが、それはよくありません。蘇生のない長成がどこにありますか、長成のない完成がどこにありますか。最初の人がよくできてもできていなくても、その人がある基盤をつくったからこそ、自分は、その次の基台から始まることができるのです。ですから、後に来た人が最初の人よりも、もっと上の立場に立たないかぎりは、引き継ぎは終わっていないと考えなければいけません。つまり、新しい人が引き継ぎをするためには、そのチームを率いることのできる基台をつくらなければいけません。最初のリーダーはどのようにメンバーを導いたのか、それをわからなければなりません。また、メンバー一人ひとりがどういう人であるか、すべてをわからなければいけません。そして、そのメンバーとの心情的関わり合いを、最初の人よりも良い関係にしなければなりません。そしてまた、最初の人がメンバーを指導した、それより以上の熱心さ・心情をもたなければいけません。それによってはじめて引き継ぎが始まるのです。最初によくできなかった者があるならば、そのあとに行く者は、できなかった蕩減をしなければいけません。よくできなかった所に行くと、たくさん苦しまなければならない理由は、そこにあるのです。最初の人と次の人は、人物は違うけれども、その神のみ旨を中心としてみれば、同じ人なのです。だから最初の人がよくできたもの、できなかったもの、それが全部、次の人に引き継がれるのです。前の人の責任は、前の人の責任であって、私には責任がない、ということはありません。皆さんは、それをはっきりとわからなければいけません。 リーダーの責任 先生と心情一体化していく御夫人が、いかに難しいかを考えてみてください。女性が男性にただついていくことさえ難しいことです。世の中でそれぐらい難しいことはありません。そしてその主体者が個人的、世界的というふうになればなるほど、その相対者も難しくなるのです。ですから御夫人の、先生との生活が、どれぐらい難しいかが理解できます。ナショナル・リーダーの奥さんも同じです。いくら旦那さんが足りない人であっても、その立場に立っている人に対して文旬を言ったら、神は喜ぴません。それは他のメンバーの場合と立場が違うのです。恐しいことになります。ですから、そういう責任をもつ人は、たとえ殴りたくなるような心があっても、それができないのです。メンバーたちはできても、責任に立っている人はできなを考えますか。自分というもの。自分がどれくらいよくないかということを知るのです。先生がアメリカに来て反対されたとき、先生はそれをどう考えられたでしょうか。先生は人に対しで~反対したりしたことがありません。その先生は、「私が二十年前に、三十年前に、一九四六年の頃に、早く来ていさえすればこんなことはなかった。 私が遅れてきたので`こういうめにあうんだ」と、かえってこの反対を、「なぜ早く来てくれなかったんですか」というふうにとらえたのです。先生は、国がひじょうに悪いときには、もっともっと熱心に自分は心を尽くさなければいけないと考えられるのです。すると神様は先生をどのように考えるかといいますと、「いやいや、お前はよくやったよ。私が悪いんだよ。私が悪いのであって、お前はよくやったよ」。かえって神様は先生の言うことをすぺて信じて、先生を立たせていくのです。そうして神様は先生の中に、いつも離れないで一緒におられるのです。実体の神様とは、そういうことなのです。堕落しない完成したアダムという人間は、そういう形の者なのです。ですから私たちも真の子供となるためには、先生のような心をもっていなければなりません。・「自分のメンバーは悪い」と自分のメンバーの悪口を言うリーダーはよくないし、「自分のリーダーは悪い」と言うメンバーもよくありません。夫婦の関係も同じです。自分の奥さんの悪いことを人に言うし、また自分の旦那さんの悪いことを人に言うぐらい、悪い人はいません。それはよくないことです。「悪い」と言うのは、「自分が悪いです」と言うのと同じです。「私は、神様の前で、真の親の前で、こんなに悪い者です」と言うことと同じなのです。いくらアベルに足りない点があっても、自分のアベルに対して不平・不満を言うとすれば、復帰の道はありません。不平・不満を乗り越えるためには、どうしたらいいのでしょうか。アベルが悪いということは、自分自身がアベルの前に、神の前に、カインの立場として、そんなに悪いということを知らせるものです。そう考えなければいけません。そういうことによって感謝の心でアベルをもっと助けていくならば、その人はアベルのアベルになりえるのです。
2022.12.28
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講話先生に学ぶ 2 金元弼先生 1981年ファミリー3月号 人を大切にする 先生は、新しい人が入ってくると、本当に丁寧に迎え入れてもてなされます。そして、その人の話が全部知っている話であっても、全部聞いてくださいます。夜遅くなってもかまわずに。その人に対しての待遇を怠らないのです。なぜなら、先生は、その人が神の前で心を尽くした善の実績・功績を、ひじょうに大事にされるからです。たとえそういう実績を持っていない人であったとしても、その人の先祖が尽くした実績・功績を認めてくれました。 また、それもない人であっても、神が長年の間、その人を導くために尽くした神の心情がその人に残っている、そういう神の心情を受け入れてくれました。たとえまた、その人に何もない、堕落した人であったとしても、その人に残っている本心に対してその人を待遇する、ということを先生は忘れませんでした。先生は、こういう人たちが来ますと、必ず良くもてなし、お金がなければお金をあげ、着物がない人には着物をあげ、いろいろと助けてあげました。先生は、神が人に対する以上に待遇してあげて、相手の人をわかってあげます。すると授受作用の原理によって、今度は、相手の方が先生をわかってあげなければならない段階に入ります。もし、それができないときには、神がその人のすべての祝福を奪って、こちらの方に全部あげてしまうのです。自分の今までの功績を全部先生に置いて、自分はカラになって帰っていくことになるのです。神がないものから奪い取って、有るものにもっとあげるという話は、そこから起因するものです。そういう人を通じて、神様は私たちにどれほど御告するかわかりません。私たちも蹟かないように注意しなければなりません。皆さんも、兄弟に対しては先生のごとくに接し、たとえ相手が幼い人であったとしても、その人の口から出る言葉を、「神が私に何か御告をしているのではないか」と、慎重に聞く謙遜な心が必要であると思います。皆さん、ダビデとサウルのお話、わかりますか。第一代の王様であったサウルは、サムエルによって油を注がれて王様になった人です。ところが彼は、神の御告を守りませんでした。その時に神の心は、サウルからダビデに移されました。ダビデは、サウルの部下として、ひじょうによく従って忠義を尽くしていた人です。サウルは、神の手が自分からダビデに移ったことをわかり、何回もダビデを殺そうとしました。そこでダビデは逃げ、ある大きな洞窟の中に身を隠しました。サウルはもう昔の自分の主君ではなく、今は敵のようになったのです。ところでサウルは、そこまで追って来て、小憩のために、その洞窟に入ってきました。ダビデはひそかに彼の上着の一筋を切り取りました。サウルは気づかずに、洞窟から出ていきました。それでダビデは後ろから、「なぜ私を追いかけて殺そうとするのですか」と反問しました。そこでサウルは、ひじょうに改める心を持ちました。なぜなら、ダビデにとっては自分を殺すのにちょうど良い機会であったのに、自分を殺さなかったからです。「お前を殺そうとする私を、なぜお前は殺さなかったのか」、「神が油を注いで王様としたその方を、どうして私が殺すことができましょうか」。ダビデにとってサウルは、自分を殺そうとする敵である立場だけれども、神の祝福した人であるから大事にしたのです。ですから私たちも、神の祝福した人を大事にするという心がけが必要です。先生は、こういう足らない私たちでさえも、ひじょうに大切に心がけてくださっているのです。今までは相手のことを何も知らずに、ただ平面的に見ていたとしましょう。普通の人だと思っていたのに、聞いてみれば、この人は王様の息子である、ということがわかりました。するとこの後は、その人に対する態度がどれほど変わっていくでしょうか。キッチンで働いている人がいたとしましょう。ところがある日、この人は、死にかかっていた人を救うために自分のすべてのものを投入して治してあげた、という過去を持っていることがわかったとします。すると、どんなふうに考えるようになりますか。人を知るということが大事です。ただ見てくれだけで判断する、目に見えるものだけをみて知ろうとするのは良くありません。もっとも大事なものは、全部、心の中にあるのです。それは少しだけ表れているのです。だから目に見えることだけでは、その人の価値はよくわかりません。中に秘められていることを知って初めて、人の価値がはっきりとわかるようになるのです。 人の話を自分のものとする 私たちは、いろいろな先輩が、三十年、四十年、五十年の生涯をかけて積んだ証を聞く機会がよくあります。その人を通じて、神がどのように苦労なさったか、どのように導いてくださったのかを聞くのですが、その神を自分の神として受け入れることが、ひじょうに大事なことです。その人の幼い頃から今までの話を聞きますと、自分もその人と一緒に生まれて、一緒に育って今まできたような、親近感を感ずることになるのです。その人のことを何も知らないで会うのと、わかって会うのとでは、ひじょうに感じが違ってくるのです。ですから、いろいろなお話を、その人の話としてではなく、自分のこととして受けとるようにしてほしいのです。そういう人は、御告を受ける人よりも、もっと大事なことをすることができます。ィエス様が亡くなってから復活されて弟子たちに現れたとき、ある者は「イエス様だ」、ある者は「ちがう」と言いました。その中でも、ひじょうに疑った者がトマスでした。それでイエス様は自分の傷を示して、なんと教えましたか。(ヨハネ20・27)それと同じく、直接に御告を受ける人は、見る者と同じで、人の話を聞いて信ずる人は、見ないで信じる人と同じです。そうすると、御告を受けないでも人の話を聞いて、それを自分に御告するものであるとして聞いた人を、神は、そして誰もが、信仰ある者としてみるでしょう。 恨みを解く 神様は、六千年の歴史を、縦的な歴史を、横的に全部復帰する摂理をなさいます。先生は、「統一教会の同じ食口であったとしても、それぞれに、楽に行く人もあれば、ちょっと難しく行く人もある。さまざまな人がある」ということをおっしゃいました。そして、「統一教会のメンバーの中には乞食もあるんだよ」と言われました。というのは、今まで歴史的な人たちがたくさんいたでしょう、それを蕩滅復帰させる道があるからです。その人たちの解放をする、そのための人もいるというのです。この世にいて、乞食の生活をする人がいるとします。神様やメシヤは、私たちを救うために食べるものも食べられないでおられるので、その人にあげられるものは何もありません。それで、「神様は、ちっともわかってくれない」と言って、その人はお腹の減った生活をするのです。そして、感謝できないでそのまま逝ってしまうと、恨みが残るのです。自分のことを考えると、恨みが出ざるをえないのです。「なぜ自分だけが、このようにならなければならないのか。人々は皆、良い暮らしをしているのに。神様がいるとするならば、なぜあの人はああいう生活で、私だけがこのように惨めな生活をしなければいけないのか」と、自分の親を恨んだり、神様を恨んだりするのです。自分のことだけを考えてみるから、そうなるのです。その人は、なぜ乞食になったのでしょうか。働かないからです。奉仕をしないからです。そして自分がやりたいことは全部やってしまう。そのためには全部のお金を使ってしまう。やりたいことだけやって働かないので、お金が入らないのです。だから乞食になったのです。そして逝ってしまう。しかし、逝ってしまってから、わかるのです。神様は、人間を救うために、乞食の生活をされているのです。先生も、乞食の生活をなさっていました。どのように惨めな立場におかれても、神に感謝して、神の栄光を称えていくならば、恨みは残りません。どういう惨めなときにあっても、神に対して感謝する心が出てくるでしょう。「神様もこういう生活をしたのだ」と考えるとき、かえって自分の立場を通して神を慰めることができるし、また、そのようにして神の心情をわかることができたことに対して、神に感謝する心が出てくるのです。だから、自分が乞食であったとしても、人に尽くしていくならば、絶対に恨みは残らないのです。恨みをもって逝ってしまった乞食が悟ったときには、「すでに時遅し」です。体を持っていません。では、その恨みは、どのようにすれば祓うことができるでしょうか。それは、同じような乞食を通してです。その同じ乞食が心を入れ替えて、人のために尽くし、神と人に感謝する心を、喜びをもつことによって、初めて助けられていくのです。自分ではできなかった恨みが晴れていくのです。ですから私たちが、恨みをもって霊界にいる人と同じ立場に立って、その人が苦しんだ、そういう苦しみを、神と真の親を中心として感謝して受けていくことによって勝利してこそ、そういう人たちは全部解放されていくのです。その人たちが自分一人でできなかったものを、やってあげるわけです。それで解放されていくのです。考えてみてください。ある人がサタンと戦います。そして負けたとします。その代わりの人が立って、戦いました。ところが、また負けました。その負けた人の代わりに、また一人が立って戦いました。この人たちは同じ目的でやっているのです。サタンと戦います。負けました。今度は、またこれを受け継いでもう一人が現れ、戦い、負けました。こういうことが続けられ、十人目の人が戦って勝利しました。すると、この十人の人たちはそれぞれ人は違いますが、サタンと戦うというみ旨を中心としてみると、この十人の人は、同じ人なのです。勝利できなかった恨みをもった人たちは、この最後の勝利した人によって、恨みが全部晴らされていくのです。自分が勝利したという立場に立っていくのです。第一のアダム、第二のアダム、第三のアダムのことを考えてみてください。第一のアダムは失敗しました。第二のアダムも完全には成功しませんでした。それで恨みがあるのです。しかし、第三のアダムが勝利することによって、第一のアダムも第二のアダムも、「全部勝利した」という立場に立つのです。第一のアダム、第二のアダム、第三のアダムは 一つのアダムなのです。理解できますか。 そういう道を私たちは行っているのです。だからそう思うと、お互いを尊重しあう心も出てきます。そのために一番大事なことは、先生のみことばに従っていくことです。先生のみことばを中心にしてやっていけば、全部が解かれていくのです。なぜなら先生ご自身が、すべての蕩減条件を立てられたからです。先生は、乞食の生活もされましたし、何もかも全部なさっています。ですから、そういう先生のみことばについていけば、私たちもそれを全部した、という条件が成り立つのです。摂理に対する心構え 皆さん、私たちは今、360軒のホームチャーチ活動をしています。ヨーロッパに動員されているメンバーは、一人のメンバーを献身させてから帰るようにしましょう、と先生はおっしゃっています。こういうとき、先生だったら、どのようになさるでしょうか。「三月末までに一人だ」と言われたならば、たぶん先生は、「三月末までに三人をやりとげよう」と考えられるでしょう。これから本当に難しい使命が与えられたときには、常に、先生のような心をもっていけば、必ず勝利できると思うのです。つまり、三次七年路程のことを聞くときには、そのことを考えるよりは、第二次の三次七年路程のことを考えるのです。先生の三次七年路程は八十一年ですが、私たちは第二次の二十一年路程を考えなければいけない、考えるべきであるというのです。八十一年になったらそれで終わりだ、という考え方をしないで、「これから第二次の七年路程、二十一年が続づくから、またやるんだ」という意気込みでいかなければならないというのです。その次は第三次、次は第四次、というようにして、神の願いが、地上天国がここで成就されるというまで、やっていかなければなりません。そういう心をもっていかないと、そこで終わってしまうのです。先生がみことばを伝え始められた頃、多くの霊能者が「三年経つと、先生はすべてを明らかにされる」と御告を受け、お話ししてくれました。それで本当にそう信じていました。ところが三年になると、先生は牢に入られたのです。それで霊能者の中には、「自分は、神は三年後に現れる、と御告を受けたのに、なぜ現れないで牢に入るのだろう」と疑う人も出てきました。御告を受けた霊能者自身が、「いや、これは私の受けた啓示がまちがっていたのではないか」と疑い始めたのです。そして心が教会から離れていってしまったのです。その霊能者たちには原理の基盤がなかったので、そうなったのです。では、本当はどうだったのでしょうか。神の御告では「三年」と言いました。ですから本当は、そのみ言のごとくに、その御告を受けた霊能者たちが三年という運命の間に、全国民に、全世界の人々に、その御告を全部伝えて、自分のような人にしていくよう、働きかけなければならなかったのです。そういうことをしないで、ただ黙っていて、三年たてば成就するだろうと考えたのがまちがいだったのです。黙って座っているならば、十年たっても百年たっても成らないでしょう。アダムとエバが神のみことばを聞き入れなかったため、その祝福、理想世界が成せなかった。そして六千年の歴史が続いてきたことを考えてみてください。皆さんが何もしないで黙っていて、それでなぜ可能であると言えますか。先生が「メンバーを三人献身させましょう」とおっしゃって、それを皆さんがやっていないのに、どうして皆さんは「できるのでしょうか」と聞くのですか。人々は、ただ黙っていて、時が来れば成ると思うものです。それはまちがいです。親が子供に、「八時までに空港に来なさい。そうしたら、あなたはその飛行機に乗れるでしょう」と言いました。それで八時までに行きました。ところがチケットがなくて乗れませんでした。それと同じです。時がくれば成るというのではないのです。準備された人は恵みを受けるけれども、準備されていない人は、時が来ても恵みを受けられないのです。準備された人は天国が来ますが、準備されていない人は、天国が来ても、天国を迎えることはできません。ですから、約束した時が来たから成るという考え方はまちがっているということを、皆さん、わかってください。成し得た人にだけ時が来るのです。
2022.12.25
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先生に学ぶ 金元弼ファミリー 1981年1月号 掲載心にしみる先生の指導 先生は日曜日の説教のほかに、いつも和動会を通じて、いろいろとたくさん教えてくださいました。説教の時間以外のみ言によって、もっと豊かな霊的充実を保つことができたのです。先生は、普通はそれほど語られません。私たちが立ってお祈りしたり、あるいは出ていって話をするのを、よく、じっと眺めておられます。そして、私にまちがったことがあっても、すぐその場で「まちがっている」とか言われません。一緒に出かけたり、あるいは何かを見たり、和動したりする、そういうひじょうに平和な中にあって、自分だけにわかるように教えてくださったのです。普通私たちは、まちがっている人がいると、その人を指して、それを話しますから、皆に全部わかってしまいます。しかし、先生はそういうことはなさいません。誰が聞いても全然わからないのですが、自分にだけは、はっきりわかるように、しかも「それは悪い」というような形では話されません。神のみ意はこうであった、イエス様の心はこうであった、先駆者の歩みはこうであった、という話によって、強く自分を反省させるように教えてくださったのです。私のことを一つ話してあげましょう。夏のことです。小さな部屋で先生は、一生懸命に新しいメンバーに対してみ言をくださっていました。そこへ私も一緒に行って、み言を聞きました。ところが私は、ねたい、と思って眠ったわけではないのですが、だんだん眠りがきたのです。やがて終わり、お客様たちは帰っていきました。先生はいつもの通り、私と一緒に丘に登りました。いつもの通り丘にあがって、その町を眺めながら瞑想しました。そしてそれが終わってから、私は先生に連れられて丘を下りましたが、その中間でちょっと休んだのです。先生は静かに私に語りはじめられました。「新しい人がみ言を聞いているときに、あなたが寝たら、それはひじょうにその人に対してすまないのですよ」と。それを聞いていると、何も叱られたわけではないのに、自分でもわからないうちに涙が出てきて止まらないのです。常に先生は、そのようにして教えてくださいました。麦がいっぱい実っている所を歩くと、「お前は、あんなに熟した麦畑を見て、どういう感じがするの」とか、「何か聞きたいことはないのか」と私に聞かれます。たまには私に、「私と永遠に、神様のみ旨のために働くの」と聞くこともあります。このように先生は、各個人個人に、強い決心をさせ、あるいは、自分の考えの及ばないことを考えさせるために、いろいろなヒントをくださいました。そのように普段語られない先生は、常に一緒に歩きながら、ひじょうに短い、しかし私たち一人一人に一番適確なみ言によって、いろいろと考えさせてくださいました。言葉で「こうだ」と話してくださったのではなく、黙っている中で、たくさんのみ言を私に感じさせてくださったのです。なぜそういうことが可能であるかというと、先生はわたち一人一人に対してひじょうに関心をもっていらっしゃるからです。先生は私のために祈ってくださっているし、また私の今までのことを全部聞き、毎日、心霊が行ったりきたりしている中で、どのようにして導いてあげたらよいだろうと、常に関心をもって眺めておられるのです。「いかにすればこの人は神の心情をわかってくれ、神のみ旨がわかるようになるだろう。」という、その変わらない本当に深い心があるので、そういうことができるのです。 また先生は、お一人だけで語るのではなく、常にメンバーたちの証しをお聞きになりました。一人に証しをさせると、聞く人たちは、その証し人によって、多くのことを習います。二十人の証しを聞かせると、それによってたくさんのことを学ばされます。先生は、その結論は出しません。その結論は、メンバーたちの証しによって出させるのです。原理を聞いた人は、先生のみ言が本当に正しいということを、自分の霊体験を通じて、証しを通じて、裏付けていくのです。ですから、ちょうど証しをする人たちは、原理を証明するような役割でした。私たちはこういうふうにして和動したりしたのです。 み言の話し方について 先生が私たちに語ってくださるみ言を聞くとき、私たちは、そのみ言が単に頭や口からでるものではないということを、まずわからなければなりません。それは、本で習って語る言葉でもありません。私は長年、先生のみ言を知って接していますが、先生は、今までのあらゆる聖人や哲学者、あるいは学者、神学者が語った話を、そのまま話したことがありません。先生はまったく神学をしていません。しかし、よくご存知です。神学者たちが今まで解決できなかったいろいろな根本問題を、聖書を通じて教えてくださいました。どうしてそれが可能なのでしょうか。また、先生はよく、未来に起こりえる理想世界についてお話ししてくださいました。それによって私たちに明るい未来をみつけさせました。反面、この現実について、ひじょうにきびしく教えてくださいました。ですから先生のやっておられることをみつめていますと、私たちにはみえない、ある計画というものがあって、その計画通りに進めておられるという感じを受けます。私たちは過ぎてみないとわからないけれども、先生はすでにわかっておられるのです。‘ですから私たちは、「どんなにしたら神を喜ばせることができるのだろう、親の心を本当に休ませることができるのだろう」といって、自分なりにみ言を応用して、こんなことをしたら喜んでもらえるだろう、ああいうことをしたら喜んでもらえるだろう、といろいろと心を使った時期がありました。そうして、やってみて失敗した人たちもたまにありました。 相手の基準に合わせる ところで先生は、本当に私たちに必要なごとであるならば、必ず教えてくださいます。その場合、先生のおっしゃることを聞いていますと、私たちの知、あるいは心霊の状態の成長に応じて,それに適応したみ言をくださっていることがわかります。人によって、成長の段階が違うからです。たとえていえば、旧約前の人もいれば、旧約時代にあたる人もいる。また新約時代にあたる人もいれば成約時代にあたる人もいるわけです。そういう人に同じ形で教えるということは大変難しいことであり、無理がきます。ですから先生は、全体的にお話しされる他に、いつも個人的にアドバイスしてくださいました。日曜日の説教の時間よりも、平常のときの方が、最も重要な時間だったのです。説教の話をどう受け入れたかは、個人によって違いますから、そこに起こりえる問題を、先生は一緒に生活しながら、あるいは山に登ったりしながら、個人的に本当にぴったりした指導をしてくださったのです。人に話をするのは、自分のためにではなく、その人のためにします。ですからその人が話を聞くことによって神に近より、神の心情にもっと深くなる、それをみながら話していかなければ、かえってマイナスにさせてしまいます。私たちは、そういうことがよくあります。そのとき、私は正しい話をしてあげたのだから、その人が傷つけられたのは私の責任ではない、それは彼自身の責任だ、と考えてはいけないのです。いくら良い食べ物であったとしても、それを消化できない子供にあげたということは、子供を生かすのではなく、殺すことと同じなのです。いくら良いものであっても、その人の時至らない時に、時の話をすることは、罪になります。時至ってのアダムとエバの愛の行為は善であったけれども、時至らない時に時のことを成したということが罪になったのと同じです。ですからマイナスになったとぎには、マイナスにさせた人が責任をとらなければなりません。皆さんがわかっていることを人に与えるときには、必ず「その人のために」ということを忘れてはいけません。その人をよくわかって話してあげなければなりません。 まず自分がみことばと一致する 先生は、自分自身がみ言を勝利された上で、私たちにお話ししてくださっています。そのことを皆さんにわかってほしいと思います。私たちは、自分が頭の中でわかっていると、すぐに人に対して一から百まで全部話そうとします。そういうことがよくあります。自分がよくわかっていないことでも話をしますね。それで、先生が勝利して、み言を与えてくださる理由を一つお話ししましょう。神様が私たちにみ言を与えてくださるのは、み言と一致化することを願われてのことです。最初の人間は神のみ言を受けましたが、そのみ言と一致化できませんでした。神は人間に祝福を与えましたが、その祝福を自分のものにできませんでした。神は人間に愛を与えましたが、その愛を充分に受けられる自分、愛と一致化した自分になりえませんでした。神が私たちにみ言を、あるいは祝福を与える目的はなんでしょうか。それは必ず、神の愛をみ言を受けることによって、これと一致化し、神と―つになることです。一致化すると、それからはこの愛を、いろいろな人にどんどん与えることができます。なぜなら愛の根本なる神と一致化したので、人に与えても与えても絶えることがないからです。神は愛の根本、源なのです。源と一致化しているので、あげてもあげても絶えないのです。これが大事なことなのです。ところが私たちは、一致化する前に、どんどんと人に与えていきます。ですから与えれば与えるほど枯渇を感じさせられます。まず私たちは、み言を受けたとき、それと一致化させる期間が必要です。み言を理解した、わかった、それはまだまだ一致化とは言えません。自分がそのみ言の通りに実行することによって、はじめて自分のものになり始めます。それも一回、二回、三回と経なければならないでしょう。頭でわかって体でやっていかなければなりません。たとえばスケートをやるとき、始めにどのようにするのかを習って、次に自分でその通りにやってみます。それによって、はっきりとわかってくるのです。それと同じです。'人から習って頭でやったものは、何回かしてみると、やりたくなくなります。そういう言葉は、人の頭の復興はできるかもしれませんが、生命の復興はできません。ですから先生が私たちに教えてくださるみ言というものは、先生がこのようにして勝利されて与えてくださるものなのです。それで先生は、皆さんが勝利したとき、何度も何度も試験してみて、それが成って始めて、次のみ言を一つ―つ与えてくださるのです。そのように先生のお話は、人の話を聞いてされるのではなく、先生が勝利されたみ言なのです。だから先生は百回語られても、なおどんどんとみ言を語ることができるのです。 全部を語らない ここで一つ皆様にお話ししておきたいことがあります。お話しするときは、全部話さないでください。十あるとすれば三ぐら1。少し残して話してあげなさいということです。なぜなら話をたくさんしますと、話した後は、お腹が空いたように何かむなしさを感じるからです。話をまったくしない人は、そういうことがわからないでしょう。自分にいっぱいあったものを全部あげてしまうので、なくなるのです。あげる時は気持ちよくあげたけれども何もなくなったのでむなしいのです。先生は私たちに、そう教えてくださいました。ですから必ず、むなしさを満たさなければなりません。その回復のための基盤・基台がなければいけません。その基盤がお祈りであり、残っているものを中心として、これを満たしていくのです。たとえばお金がないとしましょう。お金をかせぐためには、資本金がなければなりません。種になるお金がなければいけません。もし、その種のお金があるならば、すぐにまたふやせます。それと同じです。ですから皆さんも、あげる時には全部をあげてしまわないように。全部話さないように。全部出してしまうと、自分に力がないので人の所に行って力を補給してもらわなければならなくなります。神が私たちに「分け与えなさい」と言って与えてくださいました。それは、「自分のものにしなさい。その次に、人に分かち与えなさい」ということです。ところが自分のものにしないで人にあげると、その人も自分のものにしないで、また人にあげてしまいます。するとどういうことになるでしょうか。これは全部、エンプティ(空っぽ)になるのです。人々の一番末には誰がいるでしょうか。ここにはサタンがいるのです。皆が自分のものにできないので、全部、ここに入ってくるのです。神は、自分の愛する人に、み言を、祝福をあげたいけれども、その祝福を皆が自分のものにしないので、それをサタンが持っていくのです。おわかりですか。メンバーの中で、本当に恵まれてひじょうに良かった人が伝道すると、伝道された人はみ言と一致化して残ったけれども、伝道した人は外に出て行ったりします。こういう現象が起こるのは、その人が言葉だけを起こして、自分に、一致化することができなかったからなのです。ですから私たちが兄弟たちにいろいろ教えたり、お話ししたりするときには、必ず、まずそれを自分のものにする努力、一致化させる期間というものが必要であるということを忘れないでください。そのみ言を行なってみることによって、全部わかってくるようになるのです。神の心情も、神の人格も、神のみ言も、全部わかることかできるのです。
2022.12.23
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苦難の中にある韓国現在、世界の状況を見ると、最も苦難の中にある国家が韓国です。ですから、私たちはこの国を救わなければなりません。今、北韓の金日成が韓国の侵略を謀っています。特に、先生が南韓にいない時に攻撃しようとしています。その期間は、30日から100日になると思いますが、それは先生の世界巡回期間です。先生は韓国を離れる時、そのようなことは韓国の食口たちに話しませんでした。しかし特別祈祷をするように頼みました。それで、今韓国の本部教会では、毎晩祝福を受けた食口たち(男性)五人以上が、他の食口たちと一緒に徹夜祈祷をしています。 先生が韓国を発ったその次の日、政府は非常事態を宣言しました。これは単純な事件ではありません。また、先生は今年(1971年)が寒い冬にならず、川の水が凍らないよう祈っています。それゆえに、今、皆さんは暖かい日々を過ごしています。さらに、二週間が過ぎれば、天気の心配がなくなり、凍て付く寒さはなくなるでしょう。1972年四月15日は、金日成(主席)の60歳の誕生日です。サタンのための完成数が60です。一九七二年を越せば、金日成(主席)の運勢は徐々に下がっていくことでしょう。 一九七十年から一九七二年までの三年路程はとても大切な期間です。第二次七年路程が一九七四年に終わります。私たちはこの一九七四年まで南韓で、ある条件を立てなければなりません。これまで皆さんは、私たちが一つの国を神側に復帰できないと、大きな試練に直面するようになるということを知りませんでした。その一つの国は、先生が以前話したように、二つに裂かれた国であり、さらに神様とサタンが互いに讒訴する、板門店のような所がなければなりません。今、西洋文化が、東洋文化と一つになろうとしています。西欧世界では、東洋のものごとを研究する若者が大勢います。皆さんは、東洋というとインド、中国など他の多くの国を思い浮かべると思いますが、このような国はこれまで話した一つの国にはなれません。その国は二つに分かれていて、神様とサタンが讒訴する所が存在する国でなければなりません。北韓では金日成(主席)をお父様と呼び、統一教会では先生をお父様と呼んでいます。東西の二つの文化は、他ならぬ韓国で一つになるべきです。韓国動乱時、米国をはじめとした一六ヵ国が南韓を助けにきました。そのような考えは、これまでの歴史では決してあり得なかったことでした。韓国動乱は、南北間の内乱のようなものだったのに、どうしてあのように多くの国が助けにきたのでしょうか?それは、国連決議で通ったからです。その当時は、トルーマンが米国の大統領でした。ソ連が拒否権を持っていましたが、その当時ソ連政府は、国連安全保障理事会へ代表を参加させませんでした。そのため、ソ連が不参加の中で通過され、国連軍として初めて他国を助けるために来たのです。一六ヵ国から来た若者たちが血を流しました。彼らは、地上の全民族のために、その国の復帰に参加したという条件を立てなければなりませんでした。また、一六数には意味があります。この数は四X四で、全国家を象徴します。それはまた、韓国人と米国の国民をはじめ、他の民族たちが、一つの国の独立のために払った、初めての犠牲でした。私たちがそれを外的に見れば、韓国や米国、他の国の間には何の関係もありません。ところが、もし私たちがそれを、摂理的な観点から見れば、その韓国動乱は、彼ら自身の国を復帰するための戦争であったのです。韓国の復帰(統一)は全世界の統一を成し遂げる鍵になっているので、すべてが韓国にかかっています。現在韓国は、外的な面で早い進歩を遂げていますが、これは内的な復帰のための時間が近づいているからです。韓国には三つの政権がありました。最初は李承晩政権で、その次はユン政権でした。その当時の党総裁は女性でした。彼女はエバの立場でした。今は朴政権で、彼は軍人であり天使長の象徴です。この軍政は、私たちの運動を支持します。朴大統領は七代目の大統領です。それは李大統領が三回、ユン大統領が一回当選して、今、朴大統領は三回目の任期中ですが、彼の三回目の任期は第二次七年路程の最後の年に終わります。八数は新しい出発の数です。ですからその年は、世界のために新しい運勢が到来する年です。神様の摂理の歴史は、このように一致しています。これは一年だけでなく、数千年を通した神様の歴史です。二度とこのような時はないでしょう。もし、私たちが韓国を失ってしまったら、同じような国を再び、この地上のどこで探すことができるというのでしょうか。ですから、今が一番深刻な時です。先生は、それがどれほど深刻であるかを、あまりにもよく知っています。それは、韓国と韓国の国民ばかりでなく、全世界のすべての民族はもちろん、天と地のためにも深刻なことです。食口と韓国人、西洋人が先生と一体化して、北韓を十分に凌駕することができるよう、一緒に頑張らなければなりません。私たちは北韓の人たちと金日成(主席)が一つになっている、そのレベルを凌駕しなければなりません。私たちは北韓の共産主義者たちを凌駕し、中国とソ連も凌駕しなければなりません。私たちが、共産主義者よりも強力に結束すれば、自由世界は滅びません。ですから、このような観点から見ても、米国はアジアから撤退できません。撤退すると米国は大きな損害を被るでしょうし、結局米国は、アジアヘ再び戻って共産主義者たちを凌駕していかなければならないでしょう。それで、現在インドがソ連へ近寄っていますが、東南アジアは中国やソ連へ近寄るでしょう。米国はアジアで、第二次大戦前、つまり、日帝時代に直面したのと同じ状況にまた直面すると思います。その当時、英国首相は「もし米国、英国、そして日本が一つになれば、自由世界は救われる」と言っていました。米国は日本と、ドルと円の評価切り下げや、貿易摩擦などの問題をかかえています。しかし、たとえそうだとしても米国は日本をつかんで、日本を通して韓国を助ける道を開かなければなりません。これは摂理の観点からです。米国はアジアから撤退し始めました。私たちはこのことを防ぎ、米国をアジアに縛りつけなければなりません。それで今、食口たちを全米50州へ送り出し、各州で基盤をくらなければなりません。巡回期間に先生はこれをやります。それで皆さんの中から、多くの志願者が出ることを望みます。年を取った人より、皆さん(若い人)が志願してくれるほうが、はるかに好ましいことです。皆さんは天使長の位置にいるので、自ら志願してそれをしなければなりません。皆さんが、アダムを助けなければならないのです。先生の言っていることが分かりますか? 志願しますか? 私たちが果たすべきこともし、皆さんが米国で自分の使命を果たすことができれば、皆さんは米国を復帰することができ、さらに韓国が復帰できるように協助することができます。それゆえに、私たちは今、50州に基盤をつくり、上院議員たちを神側に復帰しなければなりません。皆さん、そのようなことが分かりますか。彼らは将来がどのようになるかが分かりません。ですから皆さんが原理を理解して、それをよく伝えることができたら、彼らの将来は変わるでしょう。このようにすることによって、皆さんは米国を救うことができるのです。皆さんは個人としても先生に従い、家庭としても先生の家庭に従わなければなりません。イエス様は、自分の氏族を復帰することができませんでした。ですから、私たちは自分の氏族を復帰して、イエス様の使命を凌駕しなければなりません。そうすることで、私たちの国家を復帰することができます。これが私たちの使命です。個人、家庭、国家、そして世界、これらがいつも問題になります。イエス様の目的と使命は、やはり個人を復帰し、さらには家庭、氏族、国家、そして全世界を復帰することでした。私たちは、イエス様が果たすことができず残されたものを、果たさなければならない立場にいます。これは先生の使命であり、先生の成すべき使命は皆さんもまた成さなければならない使命なのです。先生はエリヤのように、完全に一人に残されたその時から、個人的な次元で自分を完成しようとしました。自分を復帰してから、家庭、氏族、国家、世界を復帰しようとしたのです。三つの政権、旧約時代、新約時代、成約時代を通過することで、先生は蕩減を通して復帰摂理を成しながら、氏族的基準を立ててきました。そしてその時から横的に、他のあらゆる形態や領域が解決できるようになったのです。それで、先生は今祭物をささげる最中にあります。先生は、献身的な食口である皆さんを犠牲にさせながら、世界を救おうとするのです 氏族を復帰すべき立場にある統一教会の人たち 皆さんの使命は、氏族的な次元にありますが、それは、先生が既に氏族的次元で、その基台をつくっておいたからです。これから先生が、国家的な次元で基台をつくると、皆さんの次元も広くならざるを得ないでしょう。国家的次元、世界的次元で、復帰するまで戦っていかなければならないのが私たちの道です。こうなると、皆さんから生まれた子孫たちは何の蕩減路程も歩まず、どこでも自由に育つことができます。分かりますか?ですからある意味では、先生は皆さんより一時代先に立っています。それが、皆さんがまだ氏族的段階にいるという理由です。皆さんの氏族的次元は、先生の国家的次元に当たります。もし先生が、国家的次元の目標に到達すれば、皆さんはそこにジャンプして到達するようになります。 皆さんは、イエス様が国家的な段階を復帰できなかったために、ローマ帝国のもとで経験しなければならなかったほど、多くの苦痛は経験しないでしょう。イエス様は結局亡くなるまで迫害を受けました。彼の死はイスラエル民族が原因でした。ですから皆さんは、イエス様を迫害し、死なせたイスラエル民族を復帰できる立場に立たなければなりません。これをなした時、初めて皆さんは世界的次元の使命を遂行できる資格を持つようになるのです。先生が四三〇双を祝福したのは、世界的次元の使命を遂行できる門が開かれたということを意味したのです。世界的次元でその目標を達成したのちに、皆さんが氏族的メシヤになる立場にあるという意味です。今、祝福を受けた皆さんは、亡くなったイエス様の立場にいるのではありません。なぜならば、祝福を受けたからです。皆さんは、氏族を復帰するため、再び来られたイエス様の立場にいます。先生は、国家を復帰するための復帰路程を展開する立場にいます。もし、韓国にいる祝福家庭が自分たちの一族と氏族を復帰することができるならば、国家的な復帰は、はるかに簡単になります。祝福家庭が一族や氏族を復帰するということは、ちょうどイエス様が、自分の家庭と、ユダヤ教を一つにしなければならなかったように、家庭と教会を復帰するという意味です。先生は皆さんが、氏族を復帰しなければならない位置にいるということを、改めて強調します。先生は、各家庭を祝福しながら、彼らを復帰された氏族と、家庭的な復帰路程を復帰した位置に立てようとしました。そのため、その時から彼らの先祖たちは、過去の歴史で神様から選ばれたアブラハムや、モーセのような位置に立つようになります。ですから彼らは、その使命を遂行してきた、そのような人物たちの位置に入ってこなければなりません。この場合、祝福家庭は家庭的な復帰を達成した位置にいます。そして、その時から、皆さんの一族が救われることができる条件を持つことができます。したがって、皆さんの亡くなった先祖たちは、もし彼らが善なる先祖たちなら、その彼らが生きた時代の中の歴史的な人物に当たるのです。 ノア、アブラハム、ヤコブなど、この人たちと同じ時代に生きた皆さんの先祖たちは、皆さんがその先祖たちの結実として家庭的な復帰まで達成したので、恩寵を受けることができます。彼らには、同じ次元で同じこの地上に再臨し、皆さんを通して、彼ら自身の使命を達成するために、役事できる特権が与えられるのです。霊界は天使世界に当たります。皆さんはアダムとエバの位置にいます。霊界は皆さんを通して役事をするために、復帰された天使長の位置へ降りてきています。彼らは皆さんと自由に結びつき、いつでも皆さんと自由に接することができます。彼らはこの地上で皆さんの一族と、氏族の復帰のため、皆さんと皆さんの家庭を中心として、役事することができるのです。皆さんの家庭的基台が広くなればなるほど、皆さんの先祖たちは自由に役事できるのです。世の中は罪悪で暗くなっています。もし、その善なる先祖たちが降りてきて、悪なる霊に捕らえられている人たちと対抗して闘うなら、彼らを降伏させることができます。皆さんの善なる先祖たちは、復帰された天使長の位置にいます。悪霊たちと戦うように、全霊界が動員されれば、世界の復帰はかなり近い将来に可能になることでしょう。四三〇双と七七七双の祝福は、イエス様の基台を成功裏につくったということを意味します。七七七双は全世界を代表します。この場合、そのカップルたちは、自分の国でメシヤの立場に立ちます。 祝福を受けた各家庭の食口は、彼ら一族のメシヤの位置に立ち、三人の息子を立てる位置にいなければなりません。そうなれば、息子たちはさらに多くの人(少なくとも12名)を連れてきて三六数をつくつて、彼らを祝福させなければなりません。私たちは70双‘ 120双へとその範囲を広げることができます。その数字はイエス様が十字架で、彼の死の原因になった、彼の一族を失ってしまった数字です。ですから、皆さんはこの点から復帰しなければなりません。皆さんは、氏族的次元のメシヤの立場にいるので、新しい食口を連れてきて、皆さんが彼らを祝福できるようにしなければなりません。皆さんは、皆さん自身の家族、親族たちにも祝福してあげることができるのです。先生はそれができませんでした。先生は自分の家族を伝道したり、影響を与えたりすることができなかったのです。先生は自分の兄弟、父母やいかなる親戚たちにも原理について話しませんでした。なぜかといえば、先生は自分の氏族に捨てられたイエス様の立場にいたからです。そのため、先生はたった一人で外の世界から、そのような人物たちを復帰しなければなりませんでした。先生は、外の人間を復帰して祝福することで、一族を形成しました。ですから先生は、氏族的な(ほとんど国家的な)段階を形成したので、これからは親戚たちを伝道して連れてくることができるのです。 自分の一族と氏族復帰のため頑張りなさい 皆さんには、皆さん自身の一族と、親戚たちがいます。ですから皆さんは、その氏族たちを復帰することができます。皆さんは、彼らを連れてくることができます。彼らを伝道することで、皆さんは三弟子,12弟子、そして氏族的な段階の人たちを形成することができるのです。皆さんの家族を伝道できますか。そのような意味で皆さんは、先生よりもっと恵まれた立場にいるのです。皆さんは、先生が全生涯を通して獲得したものを相続したのです。皆さんは三年以上活動した後で、祝福を受けることができます。ただ、三年路程のみ通過することによって、皆さんはこのように祝福が受けられるのです。皆さんは、とても大きな特権を持っています。本当は、皆さんは今までの多くの人たちが負ってきたものより、10倍以上重い十字架を背負う決心をしなければなりません。監獄にいる時、先生の両親が訪ねてくると、先生はすぐ両親を帰らせました。先生はそうしなければなりませんでした。兄弟たちにも決して会いませんでした。先生は兄弟、家庭、親戚たちを犠牲にして、新しい人たちを探そうとしました。先生は自分の両親、兄弟、または親戚たちを愛するより、皆さんをもっと愛してきました。それはなぜでしょうか?神様がそうであられるからです。神様は、自分のひとり息子を犠牲にして、全世界を救おうとされました。神様は、独り子の命まで犠牲にして、全世界を救おうとされたのです。先生も、このような手本に従わなければならなかったのです。ですから、イエス様も神様を手本にして自分自身を十字架にささげられたのでした。甚だしくは、十字架の上でもイエス様を否定し、迫害した人たちをも祝福しなければなりませんでした。キリスト教の歴史からも、やはり私たちは、どれほど多くのクリスチャンを犠牲にしながらも、神様がいかに世界を復帰することを望んでおられたかが分かります。先生は、愛する人たちを犠牲にして、異邦世界を救う立場にいます。皆さんも、どれほど多く、これからもそのような事をしなければならないのでしょうか?しかし、皆さんはそうしなくてもいいのです。皆さんは先生が指示することだけすればよいのです。皆さんは、そのような特権を持った立場にいます。これから皆さんには父母、兄弟姉妹、そして親戚たちを連れてくる責任があります。皆さんは、先生が異邦民族に対して尽くした以上に、彼らを愛し、彼らを連れてくるために努力しなければなりません。皆さんは、先生のように多くの苦痛を通過する必要はありません。なぜかといえば、人々は自然に彼ら自身の親戚に寄り添うからです。 しかし、先生はそれができませんでした。先生は右回りしなければならず、先生自身の家族は復帰できず、外の世界で人を捜さなければなりませんでした。今ごろ、先生の両親は虐殺されただろうと思います。先生が北韓を離れる前、そのすべてを推し量りましたが、先生は自分の親戚たちを捨てておいて、弟子たちを連れて南下したのです。これで、皆さんが祝福された立場にいるということを実感できるでしょう。先生の母は、誰よりも自分の息子を愛した、愛の母でした。母はとても愛と思いやりのあるかたでした。しかし、先生はその母に「女よ、私と何のかかわりがありますか?」と言ったイエス様の立場に、先生自身を立てなければなりませんでした。母は先生を助け、協力する立場にいたのに、先生は背を向けたのです。復帰の路程においては一寸の加減もありません。この数日間、先生の話を聞いてきた皆さんは、先生の意図するところをある程度は理解できたと思います。皆さんは父母、兄弟姉妹、親戚たちを愛さなければなりません。先生の代わりに、先生ができなかったことを復帰しなければなりません。皆さんの父母、兄弟姉妹、そして親戚を、先生が愛そうとしたように愛する努力をしてください。先生がどれほど彼らを伝道したいと思い、原理を詳しく教えてあげたかったか、想像できますか?先生の兄とは霊的に一致していました。兄は霊界から教えられたのです。先生が世の中で最高の弟で、どこの誰もそんな素晴らしい兄弟を持つことはできず、兄弟の中の誰よりも優れているということをある程度は感じていました。兄は漠然と自分の使命を感じていましたが、それを詳しくは知りませんでした。兄はとても弟を愛していたので、弟のためにどんなことでもする準備ができていましたし、どんなことでもなせました。しかし、先生は兄にその話をすることができませんでした。兄を伝道することができなかったのです。イエス様が自分の家族に捨てられ、先生もそのようなイエス様の立場にいたので、そうすることができませんでした。このような事を知っていながらも、そうすることができなかった先生の心はつらかったのです。もし先生にそのことが許されれば、先生は幾晩明かしてでも伝道したことでしょう。皆さんが横的に、そのような人たちを復帰しなければならない立場にいるということを知っている限り、彼らの伝道のために頑張らなければなりません。もし、先生が皆さんの立場なら、徹夜しながら話すでしょうし、また、毎日たくさんの手紙を書くことでしょう。皆さんは外部の人を連れてくるより、親戚たちを伝道するほうがより簡単です。皆さんがこの集団に入ってきたことによって、祝福されているということを、彼らに見せてあげなければなりません。もし、皆さんが両親をここへ連れてきて、ここの生活などさまざまなものを見せてあげると、とても喜ばれると思います。もし、皆さんの両親がその事実を知って、皆さんが祝福を受けた立場にいるということを話したならば、皆さんの兄弟姉妹を連れてくるのはもっと容易になるでしょう。両親の誕生日などで皆さんが家へ帰る時、皆さんは両親に頼んで全親戚を集めるようにすることもできるし、その場で両親に司会を頼んで話すこともできます。お母さんには賛美歌のリードを、お父さんにはその集まりの司会をしてもらって、皆さんが原理講義をするのです。そうすれば、彼らはびっくりして目が丸くなり、「私が彼らを迫害したのは大きな間違いだった。彼らは、そのような祝福された立場にいて、そのようなことができる有能な人たちであることが分かった。」と、言うでしょう。このようにできますか?これが今から皆さんがすべきことです。東洋の伝統は、復帰のためにはとてもよいものがあります。年下の弟は、兄に服従するようになっています。服従しないと、兄に殴られてしまうでしょう。両親の許しがあれば兄は弟を連れてくることができます。甥や姪も問題ではありません。韓国人が自分の家族を連れてくるのは容易なことですが、こちらの状況(アメリカ)は、先生が見るには、少し違ったように見えます。しかし、人間はどこでも同じです 戚たちを復帰しないと讒訴される 米国では青年たちが問題です。しかし、もし彼らの両親が、子供たちが統一教会へ入ってから精神的に成長し、よい人間になったということを知れば、その両親たちは自分の問題のある息子、娘たちを統一教会に喜んで行かせることでしょう。皆さんが、父母や兄弟姉妹から認められれば、他の人たちを連れてくることは、もっと容易になります。皆さんの父母や、兄弟姉妹が見て、もし統一教会に入ってから、皆さんによい変化が見つかれば、彼らが引かれるのは当たり前のことです。皆さんが外部の人たちを連れてくるということを考えてみてください。彼らが原理を学び、相当な期間勉強をしたとしても、彼らは頭の中で疑い、ここの生活と外の生活を比較すると思います。そうなれば、気持ちが揺れるのです。実が結ばれるためには、一年以上かかります。しかし、皆さんの兄弟姉妹たちが、一度従うことを決心してこの運動へ入ってくれば、すぐ走ることができます。ですから、親族を連れてくるのが容易なのです。これから先生は、皆さんが兄弟姉妹たちに、できる限りたくさん手紙を出すことを願います。ここの庭から花を摘んで、手紙にはさんで送ってもいいでしょう。皆さんの兄弟姉妹の中には、皆さんがここにいることを知らない人がいたとしても、手紙をもらった彼らは感化を受けると思います。彼らが、皆さんを訪ねてこれるように、飛行機の切符か汽車の料金を送ってあげたらどうですか?そうすれば、とても喜ぶと思います。また、皆さんがどのような環境の中にいるか分かるようになります。外部の人たちを伝道する時も、そのくらいのお金が必要になると思います。そのように、皆さんが氏族に対してメシヤの立場にいることを念頭に置きながらも、どうして彼らを連れてこないのですか?イエス様の立場を考えれば、その使命を完遂しなければなりません。ここにいるすべての人を総動員して、その目標に向かって突進するようにしましょう。皆さんが、祝福を受けた夫婦の立場にいるとすれば、一人はアダムの立場であり、もう一人は新婦の立場です。そのような場合に、皆さんの親戚たちを連れてくるのがいいですか、それとも、外の世界へ出ていくのがいいですか?ここにいる全食口は、たとえ祝福を受けていなかったとしても、男性であれば自分がイエス様の立場にいて、女性ならば新婦の立場にいると考えるべきです。皆さんは、イエス様の親族たちが新婦のための基台を立てなかったので、イエス様が十字架に付けられたということを知らなければなりません。イエス様自身においても、彼が氏族的基台を立てなかったので、新婦を迎えることができなかったのです。したがって、このような事を復帰するためにも、皆さんは親族を連れてこなければなりません。もしお互いに、氏族的な基準を復帰した男性と女性が出会って祝福を受けるとするならば、どんなに幸福で恵みでしょうか?彼らは絶対に別れることができません。別れたとしても、お互いに行くことのできる場所がありません。 そして、親族と氏族の範囲内で、その人は数千双を祝福することもできます。もし皆さんが、外部の世界から三人連れてくることができたのに、親戚の中からは一人も連れてこれなかったとしたら、霊界から讒訴されることでしょう。皆さんは、三代(皆さんを含めれば四代)から、人々を連れてこなければなりません。祖父母、父母、皆さん夫婦自身、そして祝福後に生まれた皆さんの子女たちです。皆さんが三代の人たちを愛することができるまでは、天国へ入れません。米国では18歳になれば、父母に背を向けます。これは、皆さんが、堕落した天使長の立場にいるからです。天使長には父母がいないのです。東洋人たちの復帰は、もっと簡単です。各段階は前の段階の上に立てられます。三段階の後、皆さんに子女が与えられ、さらに天国が相続されます。皆さんの子女は、堕落前のアダムとエバの位置にいます。人類の堕落ゆえに、先生は復帰路程を通過しなければなりませんでした。皆さんは祝福を受けた後、罪とは何ら関係のない子供を生まなければなりません。皆さんは三代、三段階の使命を相続しなければなりません。これは先生の話ですか?そうでなければ原理の話ですか?皆さんは、自分以上に祖父母と、父母を敬わなければなりません。その次に、子供たちにそうするように教えるべきです。このように、新しい伝統を立てることによって、祖父母、父母、そして子女たちと共に天国に入ることができるのです。祖父母がいなければ、お年寄りたちにそれを実践してください。すべての人間は父母の愛から生まれ、父母の愛の中で育ちます。そして、彼らは愛の中で死んでいくことを望みます。ここに集まった皆さんも年を取ります。皆さんはたった一人ぼっちで死んでいきたいですか?皆さんは先生の代わりに、皆さんの祖父母と父母を愛さなければなりません。先生が皆さんに、このように話していることを皆さんの祖父母と父母が知れば、とても喜ぶでしょう。お年寄りを敬わないでは、天国へ入ることができません。なぜなら、神様が一番お年を召されたかたであるからです。私たちは、歴史上に存在した善なるすべてのものを縦的、横的に相続するようになっています。皆さんは神様を含めて、年を取った人、古いものを愛さなければなりません。皆さんは、このような人たちの結実体であるからです。皆さんが家庭を訪問した時、彼らから、現在の皆さんは、今までの過去の皆さんとは違うんだと、思われるようにならなければなりません。(終わり) (編集の都合により、一部割愛いたしました)
2022.12.07
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親戚たちを復帰しないと讒訴される米国では青年たちが問題です。しかし、もし彼らの両親が、子供たちが統一教会へ入ってから精神的に成長し、よい人間になったということを知れば、その両親たちは自分の問題のある息子、娘たちを統一教会に喜んで行かせることでしょう。皆さんが、父母や兄弟姉妹から認められれば、他の人たちを連れてくることは、もっと容易になります。皆さんの父母や、兄弟姉妹が見て、もし統一教会に入ってから、皆さんによい変化が見つかれば、彼らが引かれるのは当たり前のことです。皆さんが外部の人たちを連れてくるということを考えてみてください。彼らが原理を学び、相当な期間勉強をしたとしても、彼らは頭の中で疑い、ここの生活と外の生活を比較すると思います。そうなれば、気持ちが揺れるのです。実が結ばれるためには、一年以上かかります。しかし、皆さんの兄弟姉妹たちが、一度従うことを決心してこの運動へ入ってくれば、すぐ走ることができます。ですから、親族を連れてくるのが容易なのです。これから先生は、皆さんが兄弟姉妹たちに、できる限りたくさん手紙を出すことを願います。ここの庭から花を摘んで、手紙にはさんで送ってもいいでしょう。皆さんの兄弟姉妹の中には、皆さんがここにいることを知らない人がいたとしても、手紙をもらった彼らは感化を受けると思います。彼らが、皆さんを訪ねてこれるように、飛行機の切符か汽車の料金を送ってあげたらどうですか?そうすれば、とても喜ぶと思います。また、皆さんがどのような環境の中にいるか分かるようになります。外部の人たちを伝道する時も、そのくらいのお金が必要になると思います。そのように、皆さんが氏族に対してメシヤの立場にいることを念頭に置きながらも、どうして彼らを連れてこないのですか?イエス様の立場を考えれば、その使命を完遂しなければなりません。ここにいるすべての人を総動員して、その目標に向かって突進するようにしましょう。皆さんが、祝福を受けた夫婦の立場にいるとすれば、一人はアダムの立場であり、もう一人は新婦の立場です。そのような場合に、皆さんの親戚たちを連れてくるのがいいですか、それとも、外の世界へ出ていくのがいいですか?ここにいる全食口は、たとえ祝福を受けていなかったとしても、男性であれば自分がイエス様の立場にいて、女性ならば新婦の立場にいると考えるべきです。皆さんは、イエス様の親族たちが新婦のための基台を立てなかったので、イエス様が十字架に付けられたということを知らなければなりません。イエス様自身においても、彼が氏族的基台を立てなかったので、新婦を迎えることができなかったのです。したがって、このような事を復帰するためにも、皆さんは親族を連れてこなければなりません。もしお互いに、氏族的な基準を復帰した男性と女性が出会って祝福を受けるとするならば、どんなに幸福で恵みでしょうか?彼らは絶対に別れることができません。別れたとしても、お互いに行くことのできる場所がありません。そして、親族と氏族の範囲内で、その人は数千双を祝福することもできます。もし皆さんが、外部の世界から三人連れてくることができたのに、親戚の中からは一人も連れてこれなかったとしたら、霊界から讒訴されることでしょう。皆さんは、三代(皆さんを含めれば四代)から、人々を連れてこなければなりません。祖父母、父母、皆さん夫婦自身、そして祝福後に生まれた皆さんの子女たちです。皆さんが三代の人たちを愛することができるまでは、天国へ入れません。米国では18歳になれば、父母に背を向けます。これは、皆さんが、堕落した天使長の立場にいるからです。天使長には父母がいないのです。東洋人たちの復帰は、もっと簡単です。各段階は前の段階の上に立てられます。三段階の後、皆さんに子女が与えられ、さらに天国が相続されます。皆さんの子女は、堕落前のアダムとエバの位置にいます。人類の堕落ゆえに、先生は復帰路程を通過しなければなりませんでした。皆さんは祝福を受けた後、罪とは何ら関係のない子供を生まなければなりません。皆さんは三代、三段階の使命を相続しなければなりません。これは先生の話ですか?そうでなければ原理の話ですか?皆さんは、自分以上に祖父母と、父母を敬わなければなりません。その次に、子供たちにそうするように教えるべきです。このように、新しい伝統を立てることによって、祖父母、父母、そして子女たちと共に天国に入ることができるのです。祖父母がいなければ、お年寄りたちにそれを実践してください。すべての人間は父母の愛から生まれ、父母の愛の中で育ちます。そして、彼らは愛の中で死んでいくことを望みます。ここに集まった皆さんも年を取ります。皆さんはたった一人ぼっちで死んでいきたいですか?皆さんは先生の代わりに、皆さんの祖父母と父母を愛さなければなりません。先生が皆さんに、このように話していることを皆さんの祖父母と父母が知れば、とても喜ぶでしょう。お年寄りを敬わないでは、天国へ入ることができません。なぜなら、神様が一番お年を召されたかたであるからです。私たちは、歴史上に存在した善なるすべてのものを縦的、横的に相続するようになっています。皆さんは神様を含めて、年を取った人、古いものを愛さなければなりません。皆さんは、このような人たちの結実体であるからです。皆さんが家庭を訪問した時、彼らから、現在の皆さんは、今までの過去の皆さんとは違うんだと、思われるようにならなければなりません。(終わり)(編集の都合により、一部割愛いたしました)
2022.12.07
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自分の一族と氏族復帰のため頑張りなさい 皆さんには、皆さん自身の一族と、親戚たちがいます。ですから皆さんは、その氏族たちを復帰することができます。皆さんは、彼らを連れてくることができます。彼らを伝道することで、皆さんは三弟子,12弟子、そして氏族的な段階の人たちを形成することができるのです。皆さんの家族を伝道できますか。そのような意味で皆さんは、先生よりもっと恵まれた立場にいるのです。皆さんは、先生が全生涯を通して獲得したものを相続したのです。皆さんは三年以上活動した後で、祝福を受けることができます。ただ、三年路程のみ通過することによって、皆さんはこのように祝福が受けられるのです。皆さんは、とても大きな特権を持っています。本当は、皆さんは今までの多くの人たちが負ってきたものより、10倍以上重い十字架を背負う決心をしなければなりません。監獄にいる時、先生の両親が訪ねてくると、先生はすぐ両親を帰らせました。先生はそうしなければなりませんでした。兄弟たちにも決して会いませんでした。先生は兄弟、家庭、親戚たちを犠牲にして、新しい人たちを探そうとしました。先生は自分の両親、兄弟、または親戚たちを愛するより、皆さんをもっと愛してきました。それはなぜでしょうか?神様がそうであられるからです。神様は、自分のひとり息子を犠牲にして、全世界を救おうとされました。神様は、独り子の命まで犠牲にして、全世界を救おうとされたのです。先生も、このような手本に従わなければならなかったのです。ですから、イエス様も神様を手本にして自分自身を十字架にささげられたのでした。甚だしくは、十字架の上でもイエス様を否定し、迫害した人たちをも祝福しなければなりませんでした。キリスト教の歴史からも、やはり私たちは、どれほど多くのクリスチャンを犠牲にしながらも、神様がいかに世界を復帰することを望んでおられたかが分かります。先生は、愛する人たちを犠牲にして、異邦世界を救う立場にいます。皆さんも、どれほど多く、これからもそのような事をしなければならないのでしょうか?しかし、皆さんはそうしなくてもいいのです。皆さんは先生が指示することだけすればよいのです。皆さんは、そのような特権を持った立場にいます。これから皆さんには父母、兄弟姉妹、そして親戚たちを連れてくる責任があります。皆さんは、先生が異邦民族に対して尽くした以上に、彼らを愛し、彼らを連れてくるために努力しなければなりません。皆さんは、先生のように多くの苦痛を通過する必要はありません。なぜかといえば、人々は自然に彼ら自身の親戚に寄り添うからです。 しかし、先生はそれができませんでした。先生は右回りしなければならず、先生自身の家族は復帰できず、外の世界で人を捜さなければなりませんでした。今ごろ、先生の両親は虐殺されただろうと思います。先生が北韓を離れる前、そのすべてを推し量りましたが、先生は自分の親戚たちを捨てておいて、弟子たちを連れて南下したのです。これで、皆さんが祝福された立場にいるということを実感できるでしょう。先生の母は、誰よりも自分の息子を愛した、愛の母でした。母はとても愛と思いやりのあるかたでした。しかし、先生はその母に「女よ、私と何のかかわりがありますか?」と言ったイエス様の立場に、先生自身を立てなければなりませんでした。母は先生を助け、協力する立場にいたのに、先生は背を向けたのです。復帰の路程においては一寸の加減もありません。この数日間、先生の話を聞いてきた皆さんは、先生の意図するところをある程度は理解できたと思います。皆さんは父母、兄弟姉妹、親戚たちを愛さなければなりません。先生の代わりに、先生ができなかったことを復帰しなければなりません。皆さんの父母、兄弟姉妹、そして親戚を、先生が愛そうとしたように愛する努力をしてください。先生がどれほど彼らを伝道したいと思い、原理を詳しく教えてあげたかったか、想像できますか?先生の兄とは霊的に一致していました。兄は霊界から教えられたのです。先生が世の中で最高の弟で、どこの誰もそんな素晴らしい兄弟を持つことはできず、兄弟の中の誰よりも優れているということをある程度は感じていました。兄は漠然と自分の使命を感じていましたが、それを詳しくは知りませんでした。兄はとても弟を愛していたので、弟のためにどんなことでもする準備ができていましたし、どんなことでもなせました。しかし、先生は兄にその話をすることができませんでした。兄を伝道することができなかったのです。イエス様が自分の家族に捨てられ、先生もそのようなイエス様の立場にいたので、そうすることができませんでした。このような事を知っていながらも、そうすることができなかった先生の心はつらかったのです。もし先生にそのことが許されれば、先生は幾晩明かしてでも伝道したことでしょう。皆さんが横的に、そのような人たちを復帰しなければならない立場にいるということを知っている限り、彼らの伝道のために頑張らなければなりません。もし、先生が皆さんの立場なら、徹夜しながら話すでしょうし、また、毎日たくさんの手紙を書くことでしょう。皆さんは外部の人を連れてくるより、親戚たちを伝道するほうがより簡単です。皆さんがこの集団に入ってきたことによって、祝福されているということを、彼らに見せてあげなければなりません。もし、皆さんが両親をここへ連れてきて、ここの生活などさまざまなものを見せてあげると、とても喜ばれると思います。もし、皆さんの両親がその事実を知って、皆さんが祝福を受けた立場にいるということを話したならば、皆さんの兄弟姉妹を連れてくるのはもっと容易になるでしょう。両親の誕生日などで皆さんが家へ帰る時、皆さんは両親に頼んで全親戚を集めるようにすることもできるし、その場で両親に司会を頼んで話すこともできます。お母さんには賛美歌のリードを、お父さんにはその集まりの司会をしてもらって、皆さんが原理講義をするのです。そうすれば、彼らはびっくりして目が丸くなり、「私が彼らを迫害したのは大きな間違いだった。彼らは、そのような祝福された立場にいて、そのようなことができる有能な人たちであることが分かった。」と、言うでしょう。このようにできますか?これが今から皆さんがすべきことです。東洋の伝統は、復帰のためにはとてもよいものがあります。年下の弟は、兄に服従するようになっています。服従しないと、兄に殴られてしまうでしょう。両親の許しがあれば兄は弟を連れてくることができます。甥や姪も問題ではありません。韓国人が自分の家族を連れてくるのは容易なことですが、こちらの状況(アメリカ)は、先生が見るには、少し違ったように見えます。しかし、人間はどこでも同じです
2022.12.06
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私たちが果たすべきこともし、皆さんが米国で自分の使命を果たすことができれば、皆さんは米国を復帰することができ、さらに韓国が復帰できるように協助することができます。それゆえに、私たちは今、50州に基盤をつくり、上院議員たちを神側に復帰しなければなりません。皆さん、そのようなことが分かりますか。彼らは将来がどのようになるかが分かりません。ですから皆さんが原理を理解して、それをよく伝えることができたら、彼らの将来は変わるでしょう。このようにすることによって、皆さんは米国を救うことができるのです。皆さんは個人としても先生に従い、家庭としても先生の家庭に従わなければなりません。イエス様は、自分の氏族を復帰することができませんでした。ですから、私たちは自分の氏族を復帰して、イエス様の使命を凌駕しなければなりません。そうすることで、私たちの国家を復帰することができます。これが私たちの使命です。個人、家庭、国家、そして世界、これらがいつも問題になります。イエス様の目的と使命は、やはり個人を復帰し、さらには家庭、氏族、国家、そして全世界を復帰することでした。私たちは、イエス様が果たすことができず残されたものを、果たさなければならない立場にいます。これは先生の使命であり、先生の成すべき使命は皆さんもまた成さなければならない使命なのです。先生はエリヤのように、完全に一人に残されたその時から、個人的な次元で自分を完成しようとしました。自分を復帰してから、家庭、氏族、国家、世界を復帰しようとしたのです。三つの政権、旧約時代、新約時代、成約時代を通過することで、先生は蕩減を通して復帰摂理を成しながら、氏族的基準を立ててきました。そしてその時から横的に、他のあらゆる形態や領域が解決できるようになったのです。それで、先生は今祭物をささげる最中にあります。先生は、献身的な食口である皆さんを犠牲にさせながら、世界を救おうとするのです 氏族を復帰すべき立場にある統一教会の人たち 皆さんの使命は、氏族的な次元にありますが、それは、先生が既に氏族的次元で、その基台をつくっておいたからです。これから先生が、国家的な次元で基台をつくると、皆さんの次元も広くならざるを得ないでしょう。国家的次元、世界的次元で、復帰するまで戦っていかなければならないのが私たちの道です。こうなると、皆さんから生まれた子孫たちは何の蕩減路程も歩まず、どこでも自由に育つことができます。分かりますか?ですからある意味では、先生は皆さんより一時代先に立っています。それが、皆さんがまだ氏族的段階にいるという理由です。皆さんの氏族的次元は、先生の国家的次元に当たります。もし先生が、国家的次元の目標に到達すれば、皆さんはそこにジャンプして到達するようになります。 皆さんは、イエス様が国家的な段階を復帰できなかったために、ローマ帝国のもとで経験しなければならなかったほど、多くの苦痛は経験しないでしょう。イエス様は結局亡くなるまで迫害を受けました。彼の死はイスラエル民族が原因でした。ですから皆さんは、イエス様を迫害し、死なせたイスラエル民族を復帰できる立場に立たなければなりません。これをなした時、初めて皆さんは世界的次元の使命を遂行できる資格を持つようになるのです。先生が四三〇双を祝福したのは、世界的次元の使命を遂行できる門が開かれたということを意味したのです。世界的次元でその目標を達成したのちに、皆さんが氏族的メシヤになる立場にあるという意味です。今、祝福を受けた皆さんは、亡くなったイエス様の立場にいるのではありません。なぜならば、祝福を受けたからです。皆さんは、氏族を復帰するため、再び来られたイエス様の立場にいます。先生は、国家を復帰するための復帰路程を展開する立場にいます。もし、韓国にいる祝福家庭が自分たちの一族と氏族を復帰することができるならば、国家的な復帰は、はるかに簡単になります。祝福家庭が一族や氏族を復帰するということは、ちょうどイエス様が、自分の家庭と、ユダヤ教を一つにしなければならなかったように、家庭と教会を復帰するという意味です。先生は皆さんが、氏族を復帰しなければならない位置にいるということを、改めて強調します。先生は、各家庭を祝福しながら、彼らを復帰された氏族と、家庭的な復帰路程を復帰した位置に立てようとしました。そのため、その時から彼らの先祖たちは、過去の歴史で神様から選ばれたアブラハムや、モーセのような位置に立つようになります。ですから彼らは、その使命を遂行してきた、そのような人物たちの位置に入ってこなければなりません。この場合、祝福家庭は家庭的な復帰を達成した位置にいます。そして、その時から、皆さんの一族が救われることができる条件を持つことができます。したがって、皆さんの亡くなった先祖たちは、もし彼らが善なる先祖たちなら、その彼らが生きた時代の中の歴史的な人物に当たるのです。 ノア、アブラハム、ヤコブなど、この人たちと同じ時代に生きた皆さんの先祖たちは、皆さんがその先祖たちの結実として家庭的な復帰まで達成したので、恩寵を受けることができます。彼らには、同じ次元で同じこの地上に再臨し、皆さんを通して、彼ら自身の使命を達成するために、役事できる特権が与えられるのです。霊界は天使世界に当たります。皆さんはアダムとエバの位置にいます。霊界は皆さんを通して役事をするために、復帰された天使長の位置へ降りてきています。彼らは皆さんと自由に結びつき、いつでも皆さんと自由に接することができます。彼らはこの地上で皆さんの一族と、氏族の復帰のため、皆さんと皆さんの家庭を中心として、役事することができるのです。皆さんの家庭的基台が広くなればなるほど、皆さんの先祖たちは自由に役事できるのです。世の中は罪悪で暗くなっています。もし、その善なる先祖たちが降りてきて、悪なる霊に捕らえられている人たちと対抗して闘うなら、彼らを降伏させることができます。皆さんの善なる先祖たちは、復帰された天使長の位置にいます。悪霊たちと戦うように、全霊界が動員されれば、世界の復帰はかなり近い将来に可能になることでしょう。四三〇双と七七七双の祝福は、イエス様の基台を成功裏につくったということを意味します。七七七双は全世界を代表します。この場合、そのカップルたちは、自分の国でメシャの立場に立ちます。 祝福を受けた各家庭の食口は、彼ら一族のメシヤの位置に立ち、三人の息子を立てる位置にいなければなりません。そうなれば、息子たちはさらに多くの人(少なくとも12名)を連れてきて三六数をつくつて、彼らを祝福させなければなりません。私たちは70双‘ 120双へとその範囲を広げることができます。その数字はイエス様が十字架で、彼の死の原因になった、彼の一族を失ってしまった数字です。ですから、皆さんはこの点から復帰しなければなりません。皆さんは、氏族的次元のメシヤの立場にいるので、新しい食口を連れてきて、皆さんが彼らを祝福できるようにしなければなりません。皆さんは、皆さん自身の家族、親族たちにも祝福してあげることができるのです。先生はそれができませんでした。先生は自分の家族を伝道したり、影響を与えたりすることができなかったのです。先生は自分の兄弟、父母やいかなる親戚たちにも原理について話しませんでした。なぜかといえば、先生は自分の氏族に捨てられたイエス様の立場にいたからです。そのため、先生はたった一人で外の世界から、そのような人物たちを復帰しなければなりませんでした。先生は、外の人間を復帰して祝福することで、一族を形成しました。ですから先生は、氏族的な(ほとんど国家的な)段階を形成したので、これからは親戚たちを伝道して連れてくることができるのです。
2022.12.05
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苦難の中にある韓国 現在、世界の状況を見ると、最も苦難の中にある国家が韓国です。ですから、私たちはこの国を救わなければなりません。今、北韓の金日成が韓国の侵略を謀っています。特に、先生が南韓にいない時に攻撃しようとしています。その期間は、30日から100日になると思いますが、それは先生の世界巡回期間です。先生は韓国を離れる時、そのようなことは韓国の食口たちに話しませんでした。しかし特別祈祷をするように頼みました。それで、今韓国の本部教会では、毎晩祝福を受けた食口たち(男性)五人以上が、他の食口たちと一緒に徹夜祈祷をしています。 先生が韓国を発ったその次の日、政府は非常事態を宣言しました。これは単純な事件ではありません。また、先生は今年(1971年)が寒い冬にならず、川の水が凍らないよう祈っています。それゆえに、今、皆さんは暖かい日々を過ごしています。さらに、二週間が過ぎれば、天気の心配がなくなり、凍て付く寒さはなくなるでしょう。1972年四月15日は、金日成(主席)の60歳の誕生日です。サタンのための完成数が60です。一九七二年を越せば、金日成(主席)の運勢は徐々に下がっていくことでしょう。 一九七十年から一九七二年までの三年路程はとても大切な期間です。第二次七年路程が一九七四年に終わります。私たちはこの一九七四年まで南韓で、ある条件を立てなければなりません。これまで皆さんは、私たちが一つの国を神側に復帰できないと、大きな試練に直面するようになるということを知りませんでした。その一つの国は、先生が以前話したように、二つに裂かれた国であり、さらに神様とサタンが互いに讒訴する、板門店のような所がなければなりません。今、西洋文化が、東洋文化と一つになろうとしています。西欧世界では、東洋のものごとを研究する若者が大勢います。皆さんは、東洋というとインド、中国など他の多くの国を思い浮かべると思いますが、このような国はこれまで話した一つの国にはなれません。その国は二つに分かれていて、神様とサタンが讒訴する所が存在する国でなければなりません。北韓では金日成(主席)をお父様と呼び、統一教会では先生をお父様と呼んでいます。東西の二つの文化は、他ならぬ韓国で一つになるべきです。韓国動乱時、米国をはじめとした一六ヵ国が南韓を助けにきました。そのような考えは、これまでの歴史では決してあり得なかったことでした。韓国動乱は、南北間の内乱のようなものだったのに、どうしてあのように多くの国が助けにきたのでしょうか?それは、国連決議で通ったからです。その当時は、トルーマンが米国の大統領でした。ソ連が拒否権を持っていましたが、その当時ソ連政府は、国連安全保障理事会へ代表を参加させませんでした。そのため、ソ連が不参加の中で通過され、国連軍として初めて他国を助けるために来たのです。一六ヵ国から来た若者たちが血を流しました。彼らは、地上の全民族のために、その国の復帰に参加したという条件を立てなければなりませんでした。また、一六数には意味があります。この数は四X四で、全国家を象徴します。それはまた、韓国人と米国の国民をはじめ、他の民族たちが、一つの国の独立のために払った、初めての犠牲でした。私たちがそれを外的に見れば、韓国や米国、他の国の間には何の関係もありません。ところが、もし私たちがそれを、摂理的な観点から見れば、その韓国動乱は、彼ら自身の国を復帰するための戦争であったのです。韓国の復帰(統一)は全世界の統一を成し遂げる鍵になっているので、すべてが韓国にかかっています。現在韓国は、外的な面で早い進歩を遂げていますが、これは内的な復帰のための時間が近づいているからです。韓国には三つの政権がありました。最初は李承晩政権で、その次はユン政権でした。その当時の党総裁は女性でした。彼女はエバの立場でした。今は朴政権で、彼は軍人であり天使長の象徴です。この軍政は、私たちの運動を支持します。朴大統領は七代目の大統領です。それは李大統領が三回、ユン大統領が一回当選して、今、朴大統領は三回目の任期中ですが、彼の三回目の任期は第二次七年路程の最後の年に終わります。八数は新しい出発の数です。ですからその年は、世界のために新しい運勢が到来する年です。神様の摂理の歴史は、このように一致しています。これは一年だけでなく、数千年を通した神様の歴史です。二度とこのような時はないでしょう。もし、私たちが韓国を失ってしまったら、同じような国を再び、この地上のどこで探すことができるというのでしょうか。ですから、今が一番深刻な時です。先生は、それがどれほど深刻であるかを、あまりにもよく知っています。それは、韓国と韓国の国民ばかりでなく、全世界のすべての民族はもちろん、天と地のためにも深刻なことです。食口と韓国人、西洋人が先生と一体化して、北韓を十分に凌駕することができるよう、一緒に頑張らなければなりません。私たちは北韓の人たちと金日成(主席)が一つになっている、そのレベルを凌駕しなければなりません。私たちは北韓の共産主義者たちを凌駕し、中国とソ連も凌駕しなければなりません。私たちが、共産主義者よりも強力に結束すれば、自由世界は滅びません。ですから、このような観点から見ても、米国はアジアから撤退できません。撤退すると米国は大きな損害を被るでしょうし、結局米国は、アジアヘ再び戻って共産主義者たちを凌駕していかなければならないでしょう。それで、現在インドがソ連へ近寄っていますが、東南アジアは中国やソ連へ近寄るでしょう。米国はアジアで、第二次大戦前、つまり、日帝時代に直面したのと同じ状況にまた直面すると思います。その当時、英国首相は「もし米国、英国、そして日本が一つになれば、自由世界は救われる」と言っていました。米国は日本と、ドルと円の評価切り下げや、貿易摩擦などの問題をかかえています。しかし、たとえそうだとしても米国は日本をつかんで、日本を通して韓国を助ける道を開かなければなりません。これは摂理の観点からです。米国はアジアから撤退し始めました。私たちはこのことを防ぎ、米国をアジアに縛りつけなければなりません。それで今、食口たちを全米50州へ送り出し、各州で基盤をくらなければなりません。巡回期間に先生はこれをやります。それで皆さんの中から、多くの志願者が出ることを望みます。年を取った人より、皆さん(若い人)が志願してくれるほうが、はるかに好ましいことです。皆さんは天使長の位置にいるので、自ら志願してそれをしなければなりません。皆さんが、アダムを助けなければならないのです。先生の言っていることが分かりますか? 志願しますか?
2022.12.04
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*年を取った人に良い食べ物を差し上げ、私は食べなくても、飢えてもよいと思うことができれば一番年を取った師であり、一番年を取った主人である神様が、その家を祝福してくださるでしょう。*神様がこの食べ物を食べたとしても、私よりもおいしく食べることはできず、私よりも愛して食べることはできず、私よりも楽しく食べることはできないと考えながら食べなければなりません。そのようにすれば、神様が病気にかからないのと同じように、私を捕らえていく人はいないというので*神様を愛する前に、足元から、小さなところから愛さなければなりません。食べ物を愛さなければなりません。物質を愛し、万物を愛し、皆さんの体を愛さなければなりません。愛した物を食べて脊った体も愛さなければならないのです。万物を愛することによって、万物の要素を吸収し、私の体を愛するようになるのです。*乞食には病気にかかる人がいないという話があります。なぜ乞食は病気にかからないのかというと、もらって食べる食べ物が、もっこごとおいしいからだというのです。ほかの人は皆、凍え死んだり、病気にかかって苦しむにもかかわらず、乞食はめったに病気にかかりません。冷たい所に寝ても死なず、一日、二日飢え、そのように一年暮らしても病気にかかりません。おいしく食べれば、病気が退いていくのです。お金持ちが食べ物を食べるとき、おいしそうに食べますか、まずそうに食べますか?貧しい人はどうですか?お金持ちが食べるよりも何十倍もおいしく食べるので、神様が保護してくださって病気にかからないというのです。自然はそのようなことを願うのです。*愛して食べなければなりません。ご飯を食べるとき、豚のように、祈祷もせず感謝する心がないままで食べてはいけません。食べ物は、すべて生き物を殺して作った祭物なのです。*今後、地球の汚染問題のために、煙を出さず、においが出ないように、生食をしなければならない時代が来るでしょう。食べ物に火を通さず、そのまま生で食べるのです。もし、すべての田舎の人々、すべての旅行者、すべての訪問客にただで食べ物を分け与え、食事をもてなす準備ができていれば、どれほど素晴らしいでしょうか。そのようになれば、すべての隣人が競ってこの道に従ってくるでしょう。これがまさに私たちが建設しようとしている理想世界です。
2022.12.02
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霊界の教えで弟子になった人たち 一番大変な作業は、肥料をかますに入れた後、それを秤まで運ぶことでした。それは誰もやりたがらないきつい作業でした。一袋は88パウンド(40キログラム)の重さと決まっていました。これを秤まで運べというのです。それで、先生は100袋も運んだのです。上達すると要領が分かります。作業が進むにつれて肥料の山は減って、結局はなくなります。しかし、秤は動かせません。なぜかというと、秤目を合わせるのに少なくとも三分から五分の時間がかかるからです。そうなると一日の作業量を果たすことができません。それで、秤を動かさないで肥料のかますを運んだのです。そんな場合には、かますを持ち上げて投げるのです。 一年に一度、模範囚を選びますが、先生が選ばれました。囚人の中には、先生を慕う者が20人いましたが、彼らは霊界から教えられたのです。しかし、彼らがいくら従ってきても、先生は彼らに話しかけることができませんでした。それで彼らは、休憩時間のトイレの帰りに先生の所へこっそり来るのですが、いくら彼らと話ができないといっても、彼らは先生のそばに来て、自分たちが啓示を受けたことをよく話したものでした。肥料の一山は、この家の高さくらいありました。幾つかのチームが一つの山で作業をしましたが、彼らは休憩時間になれば、ただトイレヘ行ってくるだけでした。先生は何も言わず、何も知らない振りをしました。しかし、監視員たちは神側の人につきまといました。先生はそれに気付いて、慕ってくる人たちに、近寄らないように言いました。朝、彼らは監房から狭い廊下へ出てきて四列に並びます。その廊下は狭いのですが、先生を慕う人たちはこの瞬間に先生の所に来て、先生を抱きしめました。これが一番印象的でした。もしあの時、先生が彼らに何か命令をすれば、彼らは何でもしたと思います。囚人たちは一か月に一度面会が許されました。親戚や家族は、はったい粉を持ってきましたが、彼らはそれを自分一人で食べることができません。同じ監房にいる囚人たちに分けてあげます。 先生を慕った人たちは、もらったはったい粉を紙に包んで隠しておいて、それでお菓子をつくりました。彼らは毎日看守たちに身体検査されるので、そのお菓子を、見付からないように隠して作業場へ持っていきます。そして、休憩時間に先生の所に来て一緒に分けて食べます。それから昼食を食べたのです。そのことが何よりも忘れられません。刑務所では豆一粒も、買ったり売ったりします。刑務所で一番大切なものは、米とか豆粒なのです。彼らはそんなに大事な食べ物を、先生のために食べないで持ってきたのです。彼らは、国連軍によって刑務所から釈放された後、平壌へ行きました。その時は、たった四人だけが先生についてきました。他の人たちは、散り散りばらばらになってしまいました。それぞれ自分の家へ帰ったのでした。しかし、この四人は自分の家へ帰らないで、先生についてきたのです。このようなことは、皆さんにも想像できると思います。 務所で一人の弟子を捜した経緯 話を先生が北翰にいた時のことに戻しましょう。先生は刑務所で、失った三弟子を復帰しなければなりませんでした。一昨日の夜話したように、先生は刑務所で許婦人の集団に会いました。そこには彼女の夫と、男性のメンバーもいたのです。しかし、彼らは先生の話に従わなかったので、先生は再び刑務所へ入らざるを得ませんでした。イエス様の三弟子がイエス様を否定したので、刑務所で死を目前にしていても、先生に仕える三弟子がいなければならなかったのです。それで先生は、刑務所へ入る時、その三弟子に会えるという希望を持っていたのです。そして、先生は彼らに監獄で会うことができたのです。彼らの中の一人は、元来南韓に住んでいた若者でした。彼は戦争後、階級でしたが、発され、北緯に行って人民軍砲兵将校になり、南韓に縁故があることからスパイとして告発されて、刑務所に閉じこめられていたのです。彼はその当時死刑の宣告を受けて、執行の日が近づいているころでした。それは、どんなに深刻だったことでしょうか?刑務所へ閉じ込められる前、彼は人民軍指令部の司令官の下で働いていました。その司令官の名前はムジョンといい、彼が逮捕されるときその司令官は満洲におり、北韓にいなかったので、帰ってきてから自分の部下が刑務所にいるということを知ったのです。その司令官は彼をとても愛していて、彼を訓練させれば立派な将校になるに違いなく、これからの戦争で大きく役立つだろうと思っていました。その司令官は金日成(主席)に嘆願書を送りました。このようなことが行われていましたが、それ以前に神様が役事されたのです。その時、彼はすでに死ぬ覚悟ができていました。彼はどっしりと落ち着いて、処刑されるのを待っていました。ところが、昼間幻で白髪の老人が彼の前に現れ、あなたは死なないだろうと言いました。また、それ以前「あなたは南韓から来た一人のその先生によって彼の問題が解決できると言ったのです。ところが、彼はあまり宗教的な人ではなかったので、それを信じませんでした。それで、その幻を忘れてしまい、幻を見たことすら覚えていませんでした。すると、再びその白髪の老人が現れて、なぜ自分の話を信じてくれないのかとしかりつけ、南韓から来た先生に会うだろうとまた言いました。それでも、信じなかったので、その老人に殴られる夢まで見ました。それで彼は夢の中で、これ以上殴らないでくれと謝り、その幻を信じ始めました。その数日後、彼の刑期が四年の減刑になりました。そのようなことが天の導きによってなされました。先生は刑務所へ行く前に、そこに準備された人がいるということを知って、大きな希望を持っていたのです。1948年2月22日、初めて先生は平壌にある刑務所に投獄されました。その後先生は、彼のいる監房へ収監されたので、彼に会うことができたのです。先生が四月に公開裁判に回された後、その監房に収監された時、彼はその監房の監房長でした。もし、彼がそのようなことを口外しようとしたならば、そのように導かれることはなかったでしょう。しかし、彼は先生に会っても先生が、自分が幻で見た人であるとは思いませんでした。先生がその監房に入っても、彼は先生に気が付かず、それで彼はまた幻を見るようになったのです。 白髪の老人がまた彼の前に現れました。その老人は「私が君にその人を会わせてあげる」と言って、彼を宮殿へ連れていきました。その宮殿へ入るために、彼は門を通らなければなりませんでした。そこにはたくさんの階段がありましたが、三段上がっては、敬拝をしなければなりませんでした。これを繰り返しながら、彼は玉座の所まで上ってきました。そこは、あまりにも眩しい光景だったので、頭を上げることができませんでした。そこでは大きな集会、つまり会議が開かれていましたが、玉座に座っている人が彼に頭を上げるように言いました。そのかたの隣には多くの人がいました。彼は一番末席に座り、頭を上げられませんでした。その時、その白髪の老人が彼に、大きく敬拝をしなさいと言ったので、彼はそうしました。そして、老人に頭を上げるように言われ、頭を上げて玉座に座っている人を見ると、それは先生の顔でした。それで、その次の日から彼は先生に従ったのです。詳しい話をしようとしたら、何日もかかるでしょう。 興南の刑務所で12人を復帰したことの意義 そのような、霊界からの教えによって、先生は多くの人を集めることができました。ペテロがイエス様を三回否定しましたが、彼らも先生を三回否定しました。毎回天が、幻や夢などさまざまな方法で教えて、彼らを従わせるように役事されました。そのように先生は、刑務所での二年八か月、イエス様の公生涯に当たる期間を送り12人を神側に復帰することができました。そのように12人を復帰することで、イエス様が失ってしまったすべての条件を復帰することができたのです。たとえ、その人たちが先生に従おうとしなかったとしても、先生は釈放された時、彼らの位置に、他の人を立てることができたのです。先生は、自分のやるべきすべてのことを完遂したので、天使長国家(米国)をはじめとする国連軍が北韓を攻撃して、先生を解放しました。それで刑務所を出てきましたが、四人の人が先生に従いました。国連軍が南韓を解放したその条件で、天の運勢が再び民主世界へ戻ってきて、再びキリスト教を復帰するための役事を始めることができたのです。先生が刑務所へ入る前、平壌にあった集団から先生に従った多くのメンバーがいました。イエス様が十字架に付けられた時、弟子たちが逃げていったので、その集団の中で誰か、先生を信じる人がいなければなりませんでした。金氏(東側集団の指導者)の位置にいる一人を復帰するための条件を立てるには、先生が刑務所から帰ってきたときに、先生に従うメンバーの数が、刑務所へ入った時と同じでなければなりませんでした。その金氏の役割をなした一人の人物がいました。それが金元弼氏でした。またそこには三人の女性もいました。一人の男性と三人の女性になったので、先生が金氏集団で復帰したいと思っていた四人を、神側に復帰したことになったのです。それで、先生に従う四人(三人の女性と一人の男性)ができたのです。さらに、刑務所から先生に従ってきた四人の人がいました。先生は南下する時、彼らの中の一人を連れてきました。その人は足が折れていたのですが、先生は彼を釜山の近くまで連れていったのです。南下する時のエピソードは、他にもたくさんあります。先生はそのような人数を神側に復帰したので、南韓で霊的な摂理を始めることができました。そこから統一教会が始まったのです。これを全うしたことで、先生はイエス様が十字架で失ったものを復帰することができたのです。ですから、それ以後の摂理は新しいものでした。それは、もしイエス様が生きていれば、この地上で復帰することができたものでした。先生は、1960年からそのための摂理を始めたのです。 受難の50年代と成長の60年代 西海岸の地方に金婦人の集団がありましたが、金婦人が亡くなってからは、許婦人が受け継いでいました。お母様はその集団の出身でした。お母様のお母様(洪順愛女史)は許婦人に篤実に従っていた人であり、お母様が四歳の時、その集団へ連れていきました。そして、許婦人は四歳のお母様を祝福したのです。それは、お母様へ使命が継承されることを意味していました。もちろん、お母様はそのことを知りませんでした。先生が1960年にお母様に会った時、先生はそのような事実が分かりました。神様によって準備されたすべてのことが、1960年に一つになって帰ってきたのです。そうして今の真の父母が現れ、子女の祝福があるようになりました。先生が北韓を離れた時は、1950年の冬でした。そして、1951年に南海岸にある釜山まで下ってきました。その時から、先生が勝利した1960年までの10年間、激しい迫害を受けました。1960年以降も、私たちは迫害を受けてきましたが、私たちの摂理は徐々に成長することができたのです。復帰摂理は、カインとアベルの間の闘いです。そのため、摂理ではいつも文氏がカイン側で現れます。いつも先生を迫害する人は文氏です。家庭的レベルにおいても、国家的レベルにおいても、文氏が反対しました。統一教会を政府に登録しようとした時、文教部が登録を取り扱っていたのですが、当時文教部長官であった文氏が、私たちの申請を拒否したのです。私たちはこれと闘わなければなりませんでしたが、一週間後にはその結果が覆されました。拒否された申請が覆されるまでのその一週間は70年、700年、さらには7000年に該当するのです。その時、登録されていなかったら、私たちはいかなる宗教的運動もできなかったでしょう。統一教会は1963年五月31日、政府に登録されたのです。その前に、36家庭と72家庭を祝福しました。当時は国家と闘った時期でした。私たちはそのような過程を経験して、現在の位置まで来ました。将来、このような事を、詳細に説明する本が出されると思います。 統一運動を完遂するための四つの条件 これから私たち食口が、どのように先生に従っていったらよいかについて話します。ヤコブの路程がモーセ路程になりました。イエス様もモーセの路程に従わなければなりませんでした。そして、イエス様の路程が先生の路程になり、先生の路程が皆さんの路程になるのです。私たちの運動が完遂しなければならない四つの条件を説明します。最初は個人の完成です。二番目は家庭の完成であり、三番目は神の国の復帰です。そして、四番目は世界の復帰です。これらの四つは、私たち統一教会の食口たちによって完遂されるべきであり、もし、先生がこの時点で死ねば、皆さん食口たちがこれらのすべてのことをなさなければなりません。先生がいなければ、食口たちは今より三倍の困難を経ることになるでしょう。そのことは、もし皆さんが原理の内容を詳しく知ることができなければ、皆さんが完遂するのは不可能であろうという意味です。 皆さんに先生が必要だと思いますか?どれほど皆さんが先生を必要としているか考えてみてください。皆さんは先生を家庭より、国家より、そして世界よりももっと必要としなければなりません。皆さんは、このことをはっきりと知らなければなりません。 新しい伝統と文化を確立 皆さんは、自分勝手に先生を判断してきたと思います。「先生は東洋的で、先生の思考方式は違う。先生は東洋で生まれ育ったので、西洋的な思考方式は知らない」と思っていることでしょう。しかし、皆さんは神様のみ旨が西洋スタイルで実現されると思いますか?そうはできません。なぜなら、私たちは新しい個人、新しい家庭、新しい氏族であるからです。私たちはこの地上を復帰する最初の人々であるからです。ですから、伝統がないのです。私たちには、決まったスタイルもないし、何の文化も持っていません。私たちはこれから新しいものをつくらなければなりません。今から私たちは新しい慣習をはじめ、新しい伝統、文化、人生、生活スタイル、道徳、法律をつくらなければなりません。準備はできましたか?皆さんは、もっと自信満々でなければなりません。皆さんは自分の人生よりも、もっと自信を持つべきです。これは変更できない、絶対的な道なのです。先生が、今回皆さんを訪問した目的は、このようなことを、皆さんに確信させることであると思っています。皆さんはいつも、このことを覚えていなければなりません。私たちは何かをする時、いつも分別された方法でするべきであり、世の中の人と同じやり方であってはいけません。先生が何かをしようとする時、そこにすでに走る準備をしている誰かがいなければなりません。もし皆さんがそういう者なら、摂理が短縮されるでしょう。皆さんはいつ、先生に侍ることができなくなるか分かりますか?先生はいつまでも、皆さんと一緒にいることはできません。10年、20年……、これからどのくらい先生が皆さんのそばにいられるかは、誰も知りません。私たちが国家を復帰することができないと、他の国が私たちを反対するでしょう。もし一つの国を神側に復帰することができたら、その基盤から、私たちは世界的な次元へと発展していくことができるのです。しかし、地上でこのような使命を果たさなければ、私たちの子孫が苦労しなければなりません。
2022.12.02
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南の刑務所で12人を復帰したことの意義そのような、霊界からの教えによって、先生は多くの人を集めることができました。ペテロがイエス様を三回否定しましたが、彼らも先生を三回否定しました。毎回天が、幻や夢などさまざまな方法で教えて、彼らを従わせるように役事されました。そのように先生は、刑務所での二年八か月、イエス様の公生涯に当たる期間を送り12人を神側に復帰することができました。そのように12人を復帰することで、イエス様が失ってしまったすべての条件を復帰することができたのです。たとえ、その人たちが先生に従おうとしなかったとしても、先生は釈放された時、彼らの位置に、他の人を立てることができたのです。先生は、自分のやるべきすべてのことを完遂したので、天使長国家(米国)をはじめとする国連軍が北韓を攻撃して、先生を解放しました。それで刑務所を出てきましたが、四人の人が先生に従いました。国連軍が南韓を解放したその条件で、天の運勢が再び民主世界へ戻ってきて、再びキリスト教を復帰するための役事を始めることができたのです。先生が刑務所へ入る前、平壌にあった集団から先生に従った多くのメンバーがいました。イエス様が十字架に付けられた時、弟子たちが逃げていったので、その集団の中で誰か、先生を信じる人がいなければなりませんでした。金氏(東側集団の指導者)の位置にいる一人を復帰するための条件を立てるには、先生が刑務所から帰ってきたときに、先生に従うメンバーの数が、刑務所へ入った時と同じでなければなりませんでした。その金氏の役割をなした一人の人物がいました。それが金元弼氏でした。またそこには三人の女性もいました。一人の男性と三人の女性になったので、先生が金氏集団で復帰したいと思っていた四人を、神側に復帰したことになったのです。それで、先生に従う四人(三人の女性と一人の男性)ができたのです。さらに、刑務所から先生に従ってきた四人の人がいました。先生は南下する時、彼らの中の一人を連れてきました。その人は足が折れていたのですが、先生は彼を釜山の近くまで連れていったのです。南下する時のエピソードは、他にもたくさんあります。先生はそのような人数を神側に復帰したので、南韓で霊的な摂理を始めることができました。そこから統一教会が始まったのです。これを全うしたことで、先生はイエス様が十字架で失ったものを復帰することができたのです。ですから、それ以後の摂理は新しいものでした。それは、もしイエス様が生きていれば、この地上で復帰することができたものでした。先生は、1960年からそのための摂理を始めたのです。受難の50年代と成長の60年代西海岸の地方に金婦人の集団がありましたが、金婦人が亡くなってからは、許婦人が受け継いでいました。お母様はその集団の出身でした。お母様のお母様(洪順愛女史)は許婦人に篤実に従っていた人であり、お母様が四歳の時、その集団へ連れていきました。そして、許婦人は四歳のお母様を祝福したのです。それは、お母様へ使命が継承されることを意味していました。もちろん、お母様はそのことを知りませんでした。先生が1960年にお母様に会った時、先生はそのような事実が分かりました。神様によって準備されたすべてのことが、1960年に一つになって帰ってきたのです。そうして今の真の父母が現れ、子女の祝福があるようになりました。先生が北韓を離れた時は、1950年の冬でした。そして、1951年に南海岸にある釜山まで下ってきました。その時から、先生が勝利した1960年までの10年間、激しい迫害を受けました。1960年以降も、私たちは迫害を受けてきましたが、私たちの摂理は徐々に成長することができたのです。復帰摂理は、カインとアベルの間の闘いです。そのため、摂理ではいつも文氏がカイン側で現れます。いつも先生を迫害する人は文氏です。家庭的レベルにおいても、国家的レベルにおいても、文氏が反対しました。統一教会を政府に登録しようとした時、文教部が登録を取り扱っていたのですが、当時文教部長官であった文氏が、私たちの申請を拒否したのです。私たちはこれと闘わなければなりませんでしたが、一週間後にはその結果が覆されました。拒否された申請が覆されるまでのその一週間は70年、700年、さらには7000年に該当するのです。その時、登録されていなかったら、私たちはいかなる宗教的運動もできなかったでしょう。統一教会は1963年五月31日、政府に登録されたのです。その前に、36家庭と72家庭を祝福しました。当時は国家と闘った時期でした。私たちはそのような過程を経験して、現在の位置まで来ました。将来、このような事を、詳細に説明する本が出されると思います。
2022.12.01
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刑務所で一人の弟子を捜した経緯 話を先生が北翰にいた時のことに戻しましょう。先生は刑務所で、失った三弟子を復帰しなければなりませんでした。一昨日の夜話したように、先生は刑務所で許婦人の集団に会いました。そこには彼女の夫と、男性のメンバーもいたのです。しかし、彼らは先生の話に従わなかったので、先生は再び刑務所へ入らざるを得ませんでした。イエス様の三弟子がイエス様を否定したので、刑務所で死を目前にしていても、先生に仕える三弟子がいなければならなかったのです。それで先生は、刑務所へ入る時、その三弟子に会えるという希望を持っていたのです。そして、先生は彼らに監獄で会うことができたのです。彼らの中の一人は、元来南韓に住んでいた若者でした。彼は戦争後、階級でしたが、発され、北緯に行って人民軍砲兵将校になり、南韓に縁故があることからスパイとして告発されて、刑務所に閉じこめられていたのです。彼はその当時死刑の宣告を受けて、執行の日が近づいているころでした。それは、どんなに深刻だったことでしょうか?刑務所へ閉じ込められる前、彼は人民軍指令部の司令官の下で働いていました。その司令官の名前はムジョンといい、彼が逮捕されるときその司令官は満洲におり、北韓にいなかったので、帰ってきてから自分の部下が刑務所にいるということを知ったのです。その司令官は彼をとても愛していて、彼を訓練させれば立派な将校になるに違いなく、これからの戦争で大きく役立つだろうと思っていました。その司令官は金日成(主席)に嘆願書を送りました。このようなことが行われていましたが、それ以前に神様が役事されたのです。その時、彼はすでに死ぬ覚悟ができていました。彼はどっしりと落ち着いて、処刑されるのを待っていました。ところが、昼間幻で白髪の老人が彼の前に現れ、あなたは死なないだろうと言いました。また、それ以前「あなたは南韓から来た一人のその先生によって彼の問題が解決できると言ったのです。ところが、彼はあまり宗教的な人ではなかったので、それを信じませんでした。それで、その幻を忘れてしまい、幻を見たことすら覚えていませんでした。すると、再びその白髪の老人が現れて、なぜ自分の話を信じてくれないのかとしかりつけ、南韓から来た先生に会うだろうとまた言いました。それでも、信じなかったので、その老人に殴られる夢まで見ました。それで彼は夢の中で、これ以上殴らないでくれと謝り、その幻を信じ始めました。その数日後、彼の刑期が四年の減刑になりました。そのようなことが天の導きによってなされました。先生は刑務所へ行く前に、そこに準備された人がいるということを知って、大きな希望を持っていたのです。1948年2月22日、初めて先生は平壌にある刑務所に投獄されました。その後先生は、彼のいる監房へ収監されたので、彼に会うことができたのです。先生が四月に公開裁判に回された後、その監房に収監された時、彼はその監房の監房長でした。もし、彼がそのようなことを口外しようとしたならば、そのように導かれることはなかったでしょう。しかし、彼は先生に会っても先生が、自分が幻で見た人であるとは思いませんでした。先生がその監房に入っても、彼は先生に気が付かず、それで彼はまた幻を見るようになったのです。 白髪の老人がまた彼の前に現れました。その老人は「私が君にその人を会わせてあげる」と言って、彼を宮殿へ連れていきました。その宮殿へ入るために、彼は門を通らなければなりませんでした。そこにはたくさんの階段がありましたが、三段上がっては、敬拝をしなければなりませんでした。これを繰り返しながら、彼は玉座の所まで上ってきました。そこは、あまりにも眩しい光景だったので、頭を上げることができませんでした。そこでは大きな集会、つまり会議が開かれていましたが、玉座に座っている人が彼に頭を上げるように言いました。そのかたの隣には多くの人がいました。彼は一番末席に座り、頭を上げられませんでした。その時、その白髪の老人が彼に、大きく敬拝をしなさいと言ったので、彼はそうしました。そして、老人に頭を上げるように言われ、頭を上げて玉座に座っている人を見ると、それは先生の顔でした。それで、その次の日から彼は先生に従ったのです。詳しい話をしようとしたら、何日もかかるでしょう。
2022.11.30
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霊界の教えで弟子になった人たち一番大変な作業は、肥料をかますに入れた後、それを秤まで運ぶことでした。それは誰もやりたがらないきつい作業でした。一袋は88パウンド(40キログラム)の重さと決まっていました。これを秤まで運べというのです。それで、先生は100袋も運んだのです。上達すると要領が分かります。作業が進むにつれて肥料の山は減って、結局はなくなります。しかし、秤は動かせません。なぜかというと、秤目を合わせるのに少なくとも三分から五分の時間がかかるからです。そうなると一日の作業量を果たすことができません。それで、秤を動かさないで肥料のかますを運んだのです。そんな場合には、かますを持ち上げて投げるのです。一年に一度、模範囚を選びますが、先生が選ばれました。囚人の中には、先生を慕う者が20人いましたが、彼らは霊界から教えられたのです。しかし、彼らがいくら従ってきても、先生は彼らに話しかけることができませんでした。それで彼らは、休憩時間のトイレの帰りに先生の所へこっそり来るのですが、いくら彼らと話ができないといっても、彼らは先生のそばに来て、自分たちが啓示を受けたことをよく話したものでした。肥料の一山は、この家の高さくらいありました。幾つかのチームが一つの山で作業をしましたが、彼らは休憩時間になれば、ただトイレヘ行ってくるだけでした。先生は何も言わず、何も知らない振りをしました。しかし、監視員たちは神側の人につきまといました。先生はそれに気付いて、慕ってくる人たちに、近寄らないように言いました。朝、彼らは監房から狭い廊下へ出てきて四列に並びます。その廊下は狭いのですが、先生を慕う人たちはこの瞬間に先生の所に来て、先生を抱きしめました。これが一番印象的でした。もしあの時、先生が彼らに何か命令をすれば、彼らは何でもしたと思います。囚人たちは一か月に一度面会が許されました。親戚や家族は、はったい粉を持ってきましたが、彼らはそれを自分一人で食べることができません。同じ監房にいる囚人たちに分けてあげます。 先生を慕った人たちは、もらったはったい粉を紙に包んで隠しておいて、それでお菓子をつくりました。彼らは毎日看守たちに身体検査されるので、そのお菓子を、見付からないように隠して作業場へ持っていきます。そして、休憩時間に先生の所に来て一緒に分けて食べます。それから昼食を食べたのです。そのことが何よりも忘れられません。刑務所では豆一粒も、買ったり売ったりします。刑務所で一番大切なものは、米とか豆粒なのです。彼らはそんなに大事な食べ物を、先生のために食べないで持ってきたのです。彼らは、国連軍によって刑務所から釈放された後、平壌へ行きました。その時は、たった四人だけが先生についてきました。他の人たちは、散り散りばらばらになってしまいました。それぞれ自分の家へ帰ったのでした。しかし、この四人は自分の家へ帰らないで、先生についてきたのです。このようなことは、皆さんにも想像できると思います。
2022.11.29
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*料理を作ることも、服を作ることも、そのほかあらゆる日常の生活は、すべて愛のためです。愛を装飾するためなのです。料理を作るのも、愛の味を高めるためなのです。それが真の愛です。料理を作るときも、心を尽くして作ったときにはおいしいのです。つばが流れ、涙が流れ、鼻水が流れます。「ああ、おいしい!」と、味の王がそこに現れるのです。あまりにも気分が良いので、そうなるのです。そのような料理を作ってみましたか? *将来は、食べ物などは、すべて工場で作るのです。何年過ぎても、熱いお湯を注げば、新しく作った物のように食べることができる、そのような時代が来るのです。一度工場が稼動し、10年食べることができる食べ物を作れば、工場も稼動する必要がありません。一年動けば、10年食べて余りある生産力を持つようになるのです。では、人間は何をするのでしょうか?「働くな、遊びなさい」というようになります。だんだん自動生産時代になっていくので、心情世界は、真の愛が表面化した世界です。どこの村に行っても、入り口で夫婦が客を迎えるために待っている世界にならなければならないというのです。良い料理を作れば、それを世界の兄弟に分けてあげるために入り口で待っており、来なければ連れてくるのです。自分の兄弟のように、自分の家に世界の家庭を連れてきて、たくさんのものを食べさせ、たくさんのもので奉仕する、そのような時代に入っていくのです。*心情世界は、真の愛が表面化した世界です。どこの村に行っても、人り口で夫婦が客を迎えるために待っている世界にならなければならないというのです。良い料理を作れば、それを世界の兄弟に分けてあげるために入り口で待っており、来なければ連れてくるのです。自分の兄弟のように、自分の家に世界の家庭を連れてきて、たくさんのものを食べさせ、たくさんのもので奉仕する、そのような時代に入っていくのです。
2022.11.27
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統一教会史 9-12平壌での教会運動と獄中伝道その集団の失敗ゆえに、先生は別の人々を探さなければなりませんでした。先生は、条件的な数を求めることのできる時まで、そこで歩まなければならなかったのです。監獄から釈放された後に、先生は他の集団と関係を結び、その人たちを導きました。先生が教会運動をするや否や、食口の数が増加したのです。しかしその当時、北韓の政府の政策は、すべての宗教を抹殺しようとするものでした。そして既成教会の牧師たちは、彼らの教会の多くの信徒たちが先生の所に来たために、先生を告発したのです。それで先生は、三度目の投獄となったのです。その日は1948年2月21日でした。監獄では、先生に従う大勢の人たちに出会いました。彼らは、先生に従いなさいという啓示を天から受けたのです。しかし、先生に従った人たちは「神様が愛する人が、どうして監獄に入っていくのか」と尋ねながら、疑いを抱くようになりました。彼らは先生をそれ以上信じることができず、散り散りばらばらになったのです。イエス様は十字架に釘打たれた時、12弟子を失いました。それで先生は監獄でイエス様の12弟子に相当する12名を復帰しなければなりませんでした。監獄にも囚人として変装した、たくさんの共産党のスパイたちがいました。それで先生は、監獄で一言も話すことができなかったのです。ところが、霊界が人々に証しして、彼らが先生に従ったのです。先生がお腹を空かしている時、先生が知らない多くの人たちが、先生におにぎりを持ってきました。なぜならば、彼らの先祖たちが夢に現れて、おにぎりを先生に持っていってあげなさいと言ったからです。それで彼らがそれを持ってきたのです。そのような方法で‘ 10名以上の人たちが従うようになったのです。1950年に国連軍が北韓を攻撃して、一番最初に北韓の興南埠頭に上陸しました。先生が収監されていた監獄が近くにあり、その国連軍によって自由の身になったのです。それまでには、たくさんのいきさつがありました。先生は、東海岸にある興南から、西海岸の平壌まで歩いて帰ってきました。先生は以前のすべての追従者たちに、先生が帰ってきたということを,人を送って知らせたのですが、大部分の人は来ませんでした。しかし、何人かを集めることができたのです。 以南での統一教会の出発 先生は、南の方へ避難していった追従者たちを探そうと釜山まで行きました。また、既成教会の牧師たちにも会いにいきました。その当時は、教会再建運動がとても活発でした。牧師たちは先生のみ言を聞こうとしなかったので、新しい食口たちと共に再び始めなければなりませんでした。先生に会いもせずに先生に従った最初の人が、劉孝元協会長でした。彼は「原理原本」を読むことによって、先生に会わずして先生に従おうと決心したのです。彼は先生に一通の手紙を書いたのです。劉協会長は、先生よりも六歳年上でした。洗礼ヨハネも、イエス様より六か月年上でした。ですから、劉協会長は洗礼ヨハネの立場にあったのです。彼は洗礼ヨハネの立場で、原理を解説しなければなりませんでした。劉協会長が書いた本は、劉協会長の本ではありません。劉協会長が、その本を書く時、先生がこのように書きなさいと指示したのです。皆さんは今後、詳しくその本を勉強しなければなりません。劉協会長から統一教会が出発したのです。統一教会の食口たちは、統一教会の歴史を知らなければなりません。先生が歴史を話すことはこれが初めてです。以前には決してこれらのことを話すことはなかったのです。 共産党の宣伝方式皆さんには、共産党支配下での監獄生活がどんなものかよく分からないと思います。ロシア革命後、多くのロシア人たちは強制労働で大変でした。共産主義の理論では、彼らの前にいかなる有産階級や、反共産主義者もあってはならないということです。彼らの本音は、自分たちに反対する者はみな抹殺したいのですが、世界の世論のためにそうすることができなかったのです。それで共産主義者たちは、彼らを強制労働に動員し、きつい労働をさせて彼らが死ぬ時を待つのです。先生は北韓の監獄にいる時、強制労働収容所に閉じ込められていました。金日成主席はソ連を見本にして、全囚人たちを三年間の重労働に動員して、彼らが死ぬように放置したのです。これから共産党の宜伝について話します。強制労働収容所にはおよそ800名の囚人がいました。日曜日は休日でしたが、共産党員たちは彼らを休ませませんでした。いわゆる、洗脳時間というのをつくつて、どんな囚人でも分かるようなうそばかり言っていました。実際、囚人たちはほとんど死にゆくのみ、という境遇の中にいました。しかし彼らは、囚人たちをよく待遇していると宣伝するのですが、すべてがうそでした。彼らは面会を許しませんでした。ところが、彼らの宜伝では、いつでも面会ができて、面会客は囚人のためにどんな種類の食べ物なども、持ってくることができると言いました。実際とは違っていましたが、彼らはこのように話していました。国慶日(祝日)には囚人たちに魚や牛肉、豚肉なども食べさせると言っておいて、実際には食べさせませんでした。彼らはこのように、実際とは異なる宣伝を一年中続けていたのです。囚人たちは金日成(主席)の政権に対し反動分子でしたが、彼らにそのような実際とは異なる宣伝を教えては、各 した。共産党員たちはそのような宣伝によって、囚人たちの気が変わるように強要したのです。少ない量の食事と重労慟の悲惨な収容所生活収容所では食事の時、ご飯をくれますが、それは三口ばかりの量です。それは深刻な話です。十分な量ではないのです。汁は塩と大根の葉が入ったのが出ます。これで全部です。それで囚人たちを一日八時間働かさせるのです。毎日の作業量は決められています。その作業は、硫酸アンモニウムを袋に入れて、それを車に載せることでした。東洋ではかますを使います。個々の袋に、硫酸アンモニウム四0キログラムを入れて、縄でくくつてトラックまで運びます。倉庫からかますと縄を持ってくると、その袋に硫酸アンモニウムを入れてくくります。このような作業はすべて囚人たちによって行われるのです。監獄の外の一般労働者は豚肉を食べますが、その理由は、アンモニウムが皮膚に影響を与えるからです。皮膚がアンモニウムの影響を受けると働くことができません。一般労働者の一日の作業割り当て量は、最大七0かますでした。しかし囚人たちの作業量は、豚肉もないわずかなご飯で、一日一三0かますでした。皆さん、かますを見たことがありますか?そのかますには普通稲を入れるのです。その仕事をするために、一0人が一組になって、一日一三00袋の作業をします。肥料の山から、それをかますのはかh中に入れて縄でくくります。それから、前もって秤が置いてある所まで、このかますを担いで行かなければなりません。この時、肩に痣ができるのです。共産主義者たちは、三年後に囚人の八0パーセント以上が死ぬと判断します。そのように不十分な食事と重労働なので、六か月間作業を続けると皮膚が大変傷みます。皆さんは、ユダヤ人の捕虜収容所の映画を見たことがあると思います。それを見ると大体の人が、太ももよりふくらはぎのほうが太くなります。もし、皆さんがそのような作業をするとしたら、皆さんの太ももは子供の太ももよりも細くなるでしょう。囚人たちは死体のように見えます。それはなるでしょう。囚人たちは死体のように見えます。それは想像もしがたいことです。このように少ない量の食事と重労働で、いつも力は供給されず、消耗するばかりです。彼らの胃は絶えず動いていなかるのに……。朝起きると、自分のお腹が板のようになっていることに気付きます。それが共産主義の労働者収容所の生活なのです。もし、自分の作業量が果たせなかった時には、食事の配給量が半分に減ります。囚人たちにとっては、ご飯が何よりも大切です。刑務所から作業場までは四キロ(10里)の距離がありました。毎朝刑務所から出る時、囚人たちは手を握って四列に並ばなければならなかったのです。隣には小銃と拳銃で武装した警備員が立っています。もし手を握っていなかったり、列が乱れたりしたのが見つかると、囚人たちは脱出の疑いで告発されます。また囚人たちは、自分の頭さえも真っ直ぐに上げることができませんでした。すべてがこのようなありさまでした。囚人たちが三年以内に死んでいくようにしたのです。 精神力の重要性先生はそのような状況で、どうやって生き残ることができたのでしょうか?人間は肉身のみではありません。もし囚人たちが、食べ物だけで生きられるようになっていたならば、多分彼らは死んだと思います。先生にはそれが分かったので、特別な決心をしました。精神力の重要性が分かったのです。皆さんが霊的に、あるものを食べる経験をすると、お腹が空きません。それで、先生は現在食べているご飯の半分だけでも、生きられると心に確信を持ちました。その後先生は、この考えに慣れてきました。それで、その次の日から先生は、他の人に自分の食べ物の半分を与え始めたのです。それを三週間続けました。先生は、半分の食べ物を食べながらでも、自分の作業量を果たすことができると確信するようになったのです。10人が一組なので、お互いに作業を分けてやります。中には易しい作業もありましたが、先生は最も大変な作業を自分がやると決心しました。そのように三年もしくは10年続けてやっても、先生は死なないと思ったのです。そして三週間後には、その作業にも慣れてきて自信満々になりました。その時から、先生は自分の分の食事を全部食べるようにしました。自分の食事は半分で、残り半分は神様から与えられたおまけであると思ったのです。この思いによって、先生は精神的な慰めを得ることができ、その慰めがとても大きな力であることを知ったのです。先生は、他の人の二倍ぐらい働く決心をしました。それで、働く時はいつも試されていると思いました。普段より身を入れて働く時、体がどう影響するかを分析し、研究しました。時に先生が動作にスピードを加えると、体が変化しました。もし先生が普通のように働けば、先生の体はどのように反応したでしょうか?10人の中には、何人か体の弱い人もいました。それで先生は時々、与えられた作業量を果たせない人たちのために、先生の割り当て量以上の作業をしなければなりません。 このような毎日が続きました。作業中にご飯のことを思うと作業ができません。それで、先生は仕事をする時、食事のことを思わないようにしました。いつもそのように働くことが、先生の決められた運命だと思いました。そのような作業をするために生まれたと思ったのです。いつも先生は、まるで先生が復帰摂理を成しているように、すべての心情と誠意をその作業に注いだのです。 ご飯で人間を操る共産世界 先生はいつも作業をしながら、自分が霊界で経験したことを思い出して、これが将来先生の子孫と、先生に従う人たちに見せてあげる映画だと思いました。彼らは、先生が働いている姿を見て感動するようになる、という気持ちで作業をしたのです。朝八時から作業が始まって、10時に10分の休憩時間がありました。この時間にみな、トイレヘ行きます。しかし、決して先生は休憩時間のことは気にしませんでした。先生は、休憩時間を知らせるベルが鳴っても聞こえなかったのです。周りに誰もいなくなってはじめて、やっと休憩時間だと気が付きました。先生の肉身は働いていましたが、霊人体は休んでいたのです。このような精神で働いたので、先生の体重はほとんど変わりませんでした。これを見て看守たちも大変驚きました。先生はいつも作業に行くと、一番きつい仕事を探しました。そのようにすると数か月後には、先生を最高の労働者だと呼んでいたのです。10人の組員のメンバーは毎日変わりました。脱出陰謀のたくらみを防ぐためです。組が変わる時囚人たちはみな、その最高の労働者(先生)のいる所へ行きたがりました。それで、先生の後ろには多くの人たちがいたのです。刑務所で先生は一言も話しませんでした。なぜかといえば、先生は共産主義者たちの組織を知っていたからです。先生にとって一番大変だったことは、嘘の演説を聞いてその感想文を書くことでした。監視員たちは注意を先生に集中させ、先生を告発できる条件を捜していました。彼らは、先生の部屋にスパイを送っていました。それで、先生は一言も話さなかったのです。監視員たちがある囚人にご飯をもっとあげて、その囚人を自分の手先として利用することはとても簡単でした。共産主義社会ではご飯で人間を操るのです。 囚人たちが、どれほどご飯を欲しがるかについて幾つかの例を話します。皆さんはご飯を食べる時、時々石をかむことがあるでしょう。ある人は、それを吐いてしまいます。しかし囚人たちは、吐き出したものも全部なめて食べるほどだったのです。このようなことが続くのです。そして、病気で働けない囚人は、ご飯の配給が減らされるのです。その囚人にとっては、これが他のどんなことよりも過酷で悲しいことでした。ご飯の配給量が半分に減ると、彼らは死んでいくような思いをします。それで病気の囚人でも、自分の部屋から出ないと、ご飯の配給を全部もらうことができませんでした。ですから、彼らはたとえ高熱で苦しんでいたとしても、はってでも出てこようと努力したのです。昼食は作業場で配給されます。そのため、囚人たちは昼食を食べるためにも、作業場へ行かなければなりませんでした。彼らはたとえ働けなくても、ご飯をたべるために、働く振りでもせざるを得ませんでした。また、彼らはそこで倒れることもできませんでした。なぜならば、夕食をもらうためには、何としてでも収容所へ帰らなければならないからです。皆さんは、これらのことを想像することができるでしょうか。ご飯の配給時、囚人たちはご飯が入った器をもらうや否や、無意識的にご飯を全部口の中へかき込みます。そして、自分のご飯を食べながら、二つの目は人のご飯茶わんに釘付けになります。配給が終わる前に全部食べてしまった彼らは、自分は食べたことも忘れて、人がご飯をもらっているのを見て、自分の器が空っぽであることに気付きます。それで時々隣の人と喧嘩をします。「お前が俺のご飯を食べたな。」と言うのです。ご飯を全部口にかき込んで喉がふさがり、即死してしまった人もかなりいました。このような悲惨な生活が刑務所での生活ですが、このようにさせる目的は、共産党に反動する者たちを取り除くためでした。ある囚人が、彼のご飯を食べ終わる前に死ぬと、周りの囚人は死んだ人の口から、ご飯粒を取り出して食べようと喧嘩をします。もし、皆さんがこのような状況が理解できるとしたら、それがどれほど悲惨な生活であったかが想像できるでしょう。
2022.11.27
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12ご飯で人間を操る共産世界 先生はいつも作業をしながら、自分が霊界で経験したことを思い出して、これが将来先生の子孫と、先生に従う人たちに見せてあげる映画だと思いました。彼らは、先生が働いている姿を見て感動するようになる、という気持ちで作業をしたのです。朝八時から作業が始まって、10時に10分の休憩時間がありました。この時間にみな、トイレヘ行きます。しかし、決して先生は休憩時間のことは気にしませんでした。先生は、休憩時間を知らせるベルが鳴っても聞こえなかったのです。周りに誰もいなくなってはじめて、やっと休憩時間だと気が付きました。先生の肉身は働いていましたが、霊人体は休んでいたのです。このような精神で働いたので、先生の体重はほとんど変わりませんでした。これを見て看守たちも大変驚きました。先生はいつも作業に行くと、一番きつい仕事を探しました。そのようにすると数か月後には、先生を最高の労働者だと呼んでいたのです。10人の組員のメンバーは毎日変わりました。脱出陰謀のたくらみを防ぐためです。組が変わる時囚人たちはみな、その最高の労働者(先生)のいる所へ行きたがりました。それで、先生の後ろには多くの人たちがいたのです。刑務所で先生は一言も話しませんでした。なぜかといえば、先生は共産主義者たちの組織を知っていたからです。先生にとって一番大変だったことは、嘘の演説を聞いてその感想文を書くことでした。監視員たちは注意を先生に集中させ、先生を告発できる条件を捜していました。彼らは、先生の部屋にスパイを送っていました。それで、先生は一言も話さなかったのです。監視員たちがある囚人にご飯をもっとあげて、その囚人を自分の手先として利用することはとても簡単でした。共産主義社会ではご飯で人間を操るのです。 囚人たちが、どれほどご飯を欲しがるかについて幾つかの例を話します。皆さんはご飯を食べる時、時々石をかむことがあるでしょう。ある人は、それを吐いてしまいます。しかし囚人たちは、吐き出したものも全部なめて食べるほどだったのです。このようなことが続くのです。そして、病気で働けない囚人は、ご飯の配給が減らされるのです。その囚人にとっては、これが他のどんなことよりも過酷で悲しいことでした。ご飯の配給量が半分に減ると、彼らは死んでいくような思いをします。それで病気の囚人でも、自分の部屋から出ないと、ご飯の配給を全部もらうことができませんでした。ですから、彼らはたとえ高熱で苦しんでいたとしても、はってでも出てこようと努力したのです。昼食は作業場で配給されます。そのため、囚人たちは昼食を食べるためにも、作業場へ行かなければなりませんでした。彼らはたとえ働けなくても、ご飯をたべるために、働く振りでもせざるを得ませんでした。また、彼らはそこで倒れることもできませんでした。なぜならば、夕食をもらうためには、何としてでも収容所へ帰らなければならないからです。皆さんは、これらのことを想像することができるでしょうか。ご飯の配給時、囚人たちはご飯が入った器をもらうや否や、無意識的にご飯を全部口の中へかき込みます。そして、自分のご飯を食べながら、二つの目は人のご飯茶わんに釘付けになります。配給が終わる前に全部食べてしまった彼らは、自分は食べたことも忘れて、人がご飯をもらっているのを見て、自分の器が空っぽであることに気付きます。それで時々隣の人と喧嘩をします。「お前が俺のご飯を食べたな。」と言うのです。ご飯を全部口にかき込んで喉がふさがり、即死してしまった人もかなりいました。このような悲惨な生活が刑務所での生活ですが、このようにさせる目的は、共産党に反動する者たちを取り除くためでした。ある囚人が、彼のご飯を食べ終わる前に死ぬと、周りの囚人は死んだ人の口から、ご飯粒を取り出して食べようと喧嘩をします。もし、皆さんがこのような状況が理解できるとしたら、それがどれほど悲惨な生活であったかが想像できるでしょう。
2022.11.27
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*アメリカ人を見ると、料理を作るときも、とにかくたくさん作ってさっと捨ててしまいます。これではいけません。ちょうど量が合うように作らなければなりません。二人いれば、二人に合うように作り、残してはいけません。食べる分だけ準備するのです。浪費することが多いのです。*涙を流し、愛する心で食べ物に対するとき、その食べられるものは、「ついにあなたの血肉になり、力になり、神様を愛することができる元素として私が吸収されます。このような驚くべきことに感謝します」と言い、早く口に入っていこうと考えるのです。牛肉を食べても、「この牛肉は、子牛のときから母親が愛し、主人が愛して育てて、ここまで来た愛の結実なのだ」と考えなければなりません。そのようにすれば、食べるものすべてが薬になるのです。「あなたの体の悪い要素を、私が入っていってすべて食べます。あなたが私を喜んで食べたので、あなたの体の悪い菌を、私が捕まえて食べます」と言うのです。すべての食べ物にこのように対すれば、すべての食べ物が歓迎するのです。
2022.11.26
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先生はそのような状況で、どうやって生き残ることができたのでしょうか?人間は肉身のみではありません。もし囚人たちが、食べ物だけで生きられるようになっていたならば、多分彼らは死んだと思います。先生にはそれが分かったので、特別な決心をしました。精神力の重要性が分かったのです。皆さんが霊的に、あるものを食べる経験をすると、お腹が空きません。それで、先生は現在食べているご飯の半分だけでも、生きられると心に確信を持ちました。その後先生は、この考えに慣れてきました。それで、その次の日から先生は、他の人に自分の食べ物の半分を与え始めたのです。それを三週間続けました。先生は、半分の食べ物を食べながらでも、自分の作業量を果たすことができると確信するようになったのです。10人が一組なので、お互いに作業を分けてやります。中には易しい作業もありましたが、先生は最も大変な作業を自分がやると決心しました。そのように三年もしくは10年続けてやっても、先生は死なないと思ったのです。そして三週間後には、その作業にも慣れてきて自信満々になりました。その時から、先生は自分の分の食事を全部食べるようにしました。自分の食事は半分で、残り半分は神様から与えられたおまけであると思ったのです。この思いによって、先生は精神的な慰めを得ることができ、その慰めがとても大きな力であることを知ったのです。先生は、他の人の二倍ぐらい働く決心をしました。それで、働く時はいつも試されていると思いました。普段より身を入れて働く時、体がどう影響するかを分析し、研究しました。時に先生が動作にスピードを加えると、体が変化しました。もし先生が普通のように働けば、先生の体はどのように反応したでしょうか?10人の中には、何人か体の弱い人もいました。それで先生は時々、与えられた作業量を果たせない人たちのために、先生の割り当て量以上の作業をしなければなりません。 このような毎日が続きました。作業中にご飯のことを思うと作業ができません。それで、先生は仕事をする時、食事のことを思わないようにしました。いつもそのように働くことが、先生の決められた運命だと思いました。そのような作業をするために生まれたと思ったのです。いつも先生は、まるで先生が復帰摂理を成しているように、すべての心情と誠意をその作業に注いだのです。
2022.11.25
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*ご飯を食べるとき、ニ種類の人がいます。私的な人は、はしやフォークがまずどこに行くかというと、おいしいものに行くのです。ほかの人がそれを食べてしまうと思って、自分が先に食べるのです。公的な人は、それを超えて、「やあ、このおいしくないものから食べよう」。このようにすべて反対なのです。それでは、食卓に座っている人々はだれと一っになるでしょうか?私的な人を追い出したいと思うでしょう?*日常生活において、悪の食べ物を食べるのか、善の食べ物を食べるのかを自分に問うべきです。食べ物というのは、宇宙の共有共同のものです。共同の価値を持ったものであることを知らなければなりません。その食べ物が話をするとすれば、「だれかが自分を食べれば、その人にとって善の食べ物となり、より価値のある栄姜素を作ってあげようと思います。しかし、悪い人が食べるので、悪の栄養となってしまいます」と言うのです。*利用されたとしても、愛を中心として利用されれば、気分は悪くないでしょう?愛を中心とするという、そのような原則の大道に従ってスプーンとはしを持ち、神様から愛の祭物として供給される食べ物を食べなければなりません。そうでなければ、食べ物が「口の中に入っていかない」と言って、ブルブルと震えるというのです。霊眼で見れば、そのようになっています。「私は悔しい」と大声で叫ぶというのです。彼らも皆、愛のために生まれたのです。
2022.11.25
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共産党の宣伝方式。皆さんには、共産党支配下での監獄生活がどんなものかよく分からないと思います。ロシア革命後、多くのロシア人たちは強制労働で大変でした。共産主義の理論では、彼らの前にいかなる有産階級や、反共産主義者もあってはならないということです。彼らの本音は、自分たちに反対する者はみな抹殺したいのですが、世界の世論のためにそうすることができなかったのです。それで共産主義者たちは、彼らを強制労働に動員し、きつい労働をさせて彼らが死ぬ時を待つのです。先生は北韓の監獄にいる時、強制労働収容所に閉じ込められていました。金日成(主席)はソ連を見本にして、全囚人たちを三年間の重労働に動員して、彼らが死ぬように放置したのです。これから共産党の宜伝について話します。強制労働収容所にはおよそ八00名の囚人がいました。日曜日は休日でしたが、共産党員たちは彼らを休ませませんでした。いわゆる、洗脳時間というのをつくつて、どんな囚人でも分かるようなうそばかり言っていました。実際、囚人たちはほとんど死にゆくのみ、という境遇の中にいました。しかし彼らは、囚人たちをよく待遇していると宣伝するのですが、すべてがうそでした。彼らは面会を許しませんでした。ところが、彼らの宜伝では、いつでも面会ができて、面会客は囚人のためにどんな種類の食べ物なども、持ってくることができると言いました。実際とは違っていましたが、彼らはこのように話していました。国慶日(祝日)には囚人たちに魚や牛肉、豚肉なども食べさせると言っておいて、実際には食べさせませんでした。彼らはこのように、実際とは異なる宣伝を一年中続けていたのです。囚人たちは金日成(主席)の政権に対し反動分子でしたが、彼らにそのような実際とは異なる宣伝を教えては、各自にこれについての感想文を書かせます。そしてこのような内容を本にして、共産党が保存するのです。彼らは、良い感想文を書いた人を選んで、囚人たちの前で朗読させます。囚人たちに金日成賛美をさせ、賛美した囚人には立派な待遇をします。彼らを金日成(主席)と一体化させようとするのです。そして、彼らに囚人たちの前で立派な演説をさせます。その度ごとに、彼らは囚人に拍手をさせるのです。もし続けて拍手をしない囚人がいれば、その人はチェックされます。さらに、講演者を選ぶ時は、囚人たちから信頼され、最も影響力があり、最も金日成(主席)に反対する人を選びます。それは、他の囚人に影響を与えるためです。演説が終わると、共産党員たちはその講演者の所へ、若い囚人をスパイとして送り込みます。そして、その講演者がなぜそのようなことが言えたかを質問させるのです。「あなたは本音でそう言いましたか」と。もし、その講演者が「実は自分はそのように言わせられたのだ」というと、共産党員たちは彼を捕らえました。若い囚人は共産党員の手先なのです。捕らえた人を、独房に閉じ込めて孤立させました。そして恐ろしい刑罰を加えました。共産党員たちはそのような宣伝によって、囚人たちの気が変わるように強要したのです。 少ない量の食事と重労慟の悲惨な収容所生活 収容所では食事の時、ご飯をくれますが、それは三口ばかりの量です。それは深刻な話です。十分な量ではないのです。汁は塩と大根の葉が入ったのが出ます。これで全部です。それで囚人たちを一日八時間働かさせるのです。毎日の作業量は決められています。その作業は、硫酸アンモニウムを袋に入れて、それを車に載せることでした。東洋ではかますを使います。個々の袋に、硫酸アンモニウム40キログラムを入れて、縄でくくつてトラックまで運びます。倉庫からかますと縄を持ってくると、その袋に硫酸アンモニウムを入れてくくります。このような作業はすべて囚人たちによって行われるのです。監獄の外の一般労働者は豚肉を食べますが、その理由は、アンモニウムが皮膚に影響を与えるからです。皮膚がアンモニウムの影響を受けると働くことができません。一般労働者の一日の作業割り当て量は、最大30かますでした。しかし囚人たちの作業量は、豚肉もないわずかなご飯で、一日1300かますでした。皆さん、かますを見たことがありますか?そのかますには普通稲を入れるのです。その仕事をするために、10人が一組になって、一日1300袋の作業をします。肥料の山から、それをかますの中に入れて縄でくくります。それから、前もって秤が置いてある所まで、このかますを担いで行かなければなりません。この時、肩に痣ができるのです。共産主義者たちは、三年後に囚人の80パーセント以上が死ぬと判断します。そのように不十分な食事と重労働なので、六ヵ月間作業を続けると皮膚が大変傷みます。皆さんは、ユダヤ人の捕虜収容所の映画を見たことがあると思います。それを見ると大体の人が、太ももよりふくらはぎのほうが太くなります。もし、皆さんがそのような作業をするとしたら、皆さんの太ももは子供の太ももよりも細くなるでしょう。囚人たちは死体のように見えます。それは想像もしがたいことです。このように少ない量の食事と重労働で、いつも力は供給されず、消耗するばかりです。彼らの胃は絶えず動いているのに……。朝起きると、自分のお腹が板のようになっていることに気付きます。それが共産主義の労働者収容所の生活なのです。もし、自分の作業量が果たせなかった時には、食事の配給量が半分に減ります。囚人たちにとっては、ご飯が何よりも大切です。刑務所から作業場までは四キロ(10里)の距離がありました。毎朝刑務所から出る時、囚人たちは手を握って四列に並ばなければならなかったのです。隣には小銃と拳銃で武装した警備員が立っています。もし手を握っていなかったり、列が乱れたりしたのが見つかると、囚人たちは脱出の疑いで告発されます。また囚人たちは、自分の頭さえも真っ直ぐに上げることができませんでした。すべてがこのようなありさまでした。囚人たちが三年以内に死んでいくようにしたのです。
2022.11.24
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*イエス様は、すべてを神様の愛のために、神様の目的のために集中させました。ですから、イエス様は衣服を得るたびに、神様にそれを差し上げたいと思ったのです。食べ物があるときも、それを食べる前に、先に神様に差し上げたいと思いました。そして、神様ばかりでなく、他の人々にも全く同じようにしました。なぜなら、神様が他の人を愛することを願われたからです。イエス様は、神様が彼らを愛する道を開いてさしあげたいと思い、神様に代わって彼らを愛しました。*責任者になれば、睡眠を少なくしなければなりません。おなかをすかせなければなりません。良い服を着て出掛けるときは、恥ずしさを感じ、腰をかがめなければなりません。それが今までの私の生涯でした。今もそうです。今も良い服を約て出掛けると、気持ちがすっきりしません。習慣がそのようになっているからです。*料理を食べるときに、西洋料理ばかりを好んではいけません。東洋料理も、すべて食べたいでしょう?•四方に通じたいでしょう?そうです。四方をすべて好むのです。それは極と極です。正反対なのですが、それが一つにならなければなりません。そこに調和があるのです。
2022.11.24
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*人々は豪華叡叩なものを好みます。そして、おいしい食べ物を好み、きれいで美しいものを好みます。笑って踊りを踊っているものや、花園のように美しいものを見ることを好みます。しかし、宗教人は、そのように教えません。「目では、死亡の記鬱な谷間を見つめて涙を流しなさい」、「耳では、良い笛の音を聞くのではなく、世の中のだれもが聞きたがらない音を聞きなさい。世の中で最も悲惨な声を聞きなさい」、そして、「食べるものは最も悪いものを食べなさい」と教えるのです*父母は愛する子女のために、孝子は年を取った父母のために、良いものがあれば先に与えようとします。それと同様に、神様に配る人は、市場に立ち寄って良い食べ物を買ってくれば、それを精誠の表示として神様の前に捧げたいと思うのです。そのような生活をすれば、神様はどれほど喜ばれるでしょうか。神様のために、夫と妻、息子・娘がそのようにすれば、神様は、その家庭を中心として、人間世界に喜びの希望を持つができるのです。その家庭は神様が対することのできる家庭となるので、その家庭の子孫を通じて歴史が転換するようになるのです。
2022.11.23
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平壌での教会運動と獄中伝道 その集団の失敗ゆえに、先生は別の人々を探さなければなりませんでした。先生は、条件的な数を求めることのできる時まで、そこで歩まなければならなかったのです。監獄から釈放された後に、先生は他の集団と関係を結び、その人たちを導きました。先生が教会運動をするや否や、食口の数が増加したのです。しかしその当時、北韓の政府の政策は、すべての宗教を抹殺しようとするものでした。そして既成教会の牧師たちは、彼らの教会の多くの信徒たちが先生の所に来たために、先生を告発したのです。それで先生は、三度目の投獄となったのです。その日は1948年2月21日でした。監獄では、先生に従う大勢の人たちに出会いました。彼らは、先生に従いなさいという啓示を天から受けたのです。しかし、先生に従った人たちは「神様が愛する人が、どうして監獄に入っていくのか」と尋ねながら、疑いを抱くようになりました。彼らは先生をそれ以上信じることができず、散り散りばらばらになったのです。イエス様は十字架に釘打たれた時、12弟子を失いました。それで先生は監獄でイエス様の12弟子に相当する12名を復帰しなければなりませんでした。監獄にも囚人として変装した、たくさんの共産党のスパイたちがいました。それで先生は、監獄で一言も話すことができなかったのです。ところが、霊界が人々に証しして、彼らが先生に従ったのです。先生がお腹を空かしている時、先生が知らない多くの人たちが、先生におにぎりを持ってきました。なぜならば、彼らの先祖たちが夢に現れて、おにぎりを先生に持っていってあげなさいと言ったからです。それで彼らがそれを持ってきたのです。そのような方法で‘ 10名以上の人たちが従うようになったのです。1950年に国連軍が北韓を攻撃して、一番最初に北韓の興南埠頭に上陸しました。先生が収監されていた監獄が近くにあり、その国連軍によって自由の身になったのです。それまでには、たくさんのいきさつがありました。先生は、東海岸にある興南から、西海岸の平壌まで歩いて帰ってきました。先生は以前のすべての追従者たちに、先生が帰ってきたということを人を送って知らせたのですが、大部分の人は来ませんでした。しかし、ニン何人かを集めることができたのです。 以南での統一教会の出発 先生は、南の方へ避難していった追従者たちを探そうと釜山まで行きました。また、既成教会の牧師たちにも会いにいきました。その当時は、教会再建運動がとても活発でした。牧師たちは先生のみ言を聞こうとしなかったので、新しい食口たちと共に再び始めなければなりませんでした。先生に会いもせずに先生に従った最初の人が、劉孝元協会長でした。彼は「原理原本」を読むことによって、先生に会わずして先生に従おうと決心したのです。彼は先生に一通の手紙を書いたのです。劉協会長は、先生よりも六歳年上でした。洗礼ヨハネも、イエス様より六か月年上でした。ですから、劉協会長は洗礼ヨハネの立場にあったのです。彼は洗礼ヨハネの立場で、原理を解説しなければなりませんでした。劉協会長が書いた本は、劉協会長の本ではありません。劉協会長が、その本を書く時、先生がこのように書きなさいと指示したのです。皆さんは今後、詳しくその本を勉強しなければなりません。劉協会長から統一教会が出発したのです。統一教会の食口たちは、統一教会の歴史を知らなければなりません。先生が歴史を話すことはこれが初めてです。以前には決してこれらのことを話すことはなかったのです。
2022.11.22
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*りんご一個をもらって食べようと、冷蔵庫を開いて中を見たり、コーラを一杯飲もうと行ったり来たりすれば、精神的消耗がどれほど多いでしょうか。食事の時にだけ食べる習慣が必要なのです。人がそのようにしていたら、指導して健全な方向に導いてあげるのです。*朝食もおいしく食べ、昼食もおいしく食べ、夕食もおいしく食べるのです。二十四時間いつも食べていれば、おいしく食べる時がありますか。習慣的にそのようにしていれば、健康にも極めて悪いのです。*ご飯を食べる時に食べて、おなかがいっぱいで果物を食べたくない時には、出されても食べてはいけないのです。次の時に食べなさい。そして水も、のどが渇いた時に飲むのです。皆さんは飲み物があれば、いつでも取り出して飲んでいます。しきりに飲んでは小便をするので、また水を使うことになるのです。*人は、おなかがすけば食べ物を食べます。しかし、いくらおなかがすいたとしても、隣にいる人に食べ物を分けてあげることができなければなりません。
2022.11.22
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統一教会史 5678 許婦人を中心とした教団が「腹中教」と呼ばれた理由 その婦人は夫を特別に訓練しました。彼女は夫に「あなたはエバを堕落させた天使長です。その天使長によってエバの純潔が汚されたのです。私は再臨主をお迎えしなければならない者なのですが、あなたによって私の純潔が汚されたのですから、あなたは死ななければならない。」と言ったのです。彼女は夫を追い出して死ねと言いました。夫は彼女の言葉に従順でした。彼女が死ねという言葉を言うや否や、彼は出ていきました。彼には死ぬ準備ができていたのです。 ところが、彼が死のうとするや否や、彼女は彼に「死んではならない」と言ったのです。冬に彼女は、自分の夫に麻織りの服を着せて追いだしたのでした。彼女は夫を裸足で追いだし、六ヵ月の間帰ってくるなと言いました。物乞いしろと言ったのです。それは天使長によって生じた6000年を蕩減しようということでした。彼は放浪を始め、一週間後に彼女は彼を再び呼んだのです。それで彼は、六日間で六ヵ月を蕩減したのでした。彼が彼女を信じ、従順であったことが蕩減となり、その期間が短縮されたのでした。特異なことは、彼女が啓示を受ける度ごとに、彼女のお腹が、受けるみ言に従って痙攣を起こしたことです。どうして彼女がそのような体験をしたのかという理由はこうです。彼女は、クリスチャンであり、主が雲に乗ってやってくるだろうと信じていました。ところが天は、彼女がそのように考えていることを望まれませんでした。そのために彼女に、主が一人の母親のお腹を通してこられることを、想起させてあげようということだったのです。この集団は、既成教会によって、「腹中教」と呼ばれました。彼女のお腹が動く度ごとに、彼女は啓示を受けました。そのような体験によって、神様は彼女をして、主が母親のお腹を通してこられるであろうということを信じさせたのでした。さらに彼女は、日本が1945年八月14日(陰暦では七月七日)に降伏するであろうと予言しました。彼女は、天から受けたことをしばしば公然と話しました。それで、その日が陰暦の七月七日であったことはとても重要なことでした。彼女が大っぴらに話をした理由は、万が一彼女が監獄に入れられても、すぐに解き放たれるであろうという事実を知っていたからです。彼女はそのような啓示を受けていたために、話すことができたのです。 彼女が天から受けたすべてのことが、そのまま実現されました。それゆえに、彼女の追従者たちはすべて、彼女に従わざるを得なかったのです。そして彼らは、解放の日を迎えることができたのです。彼らはまた、「日本が滅亡する時、あなたがたは再臨主にお会いするであろう」という啓示を受けました。彼らは監獄から解放された時、うれしくて踊りを踊ったのでした。しかし、彼らはあい変わらず既成教会から迫害を受けました。韓国が解放された時、日本人によって投獄されていた多くの篤実な牧師たちが解放され、既成教会の再建作業を始めました。そして既成教会も内的、外的に分裂したのです。 主のための道を準備された神様 東海岸地方で起きた霊的な運動には、また他の後継者がいました。その名前は李龍道氏であり、彼は牧師でした。彼は人々に多くの聖霊の火をつけたのです。そのようなことをなすことによって、天は霊的な働き手を一つにまとめようとされたのです。霊的な運動も二種類の形態に分かれました。すなわち、一つは内的であり、もう一つは外的なものでした。李牧師を中心として、「新イエス教会」が始まりました。その時、これら二つの教会、すなわち「腹中教」と「新イエス教会を統一しなさいという天からの教えがあったのです。それで西側の集団が一つになるために、東側の集団がある所へ行ったのですが、東側の集団は彼らを受け入れてくれなかったのです。そのため、これら二つの集団の統一が失敗することにより、神様は一つの新しい運動、新しい分野の開拓者を必要とされたのです。それで神様は、ご自身の指示を受け入れることのできる、また別の一人の人物を得ることを願われたのでした。それは金百文氏でした。その後李牧師は亡くなり、彼の霊が金氏の所に来て、霊的に自分の使命を引き継がせたのです。この金氏から新しい集団が生まれたのです。それを成長過程の観点から見れば、初めの路程は蘇生段階であり、李龍道)氏は長成段階、そして金百文)氏は完成段階であったのです。すなわち、李牧師は長成の位置にあったのであり、それは、イエス様と同じ位置でした。彼は1933年に33歳(数え年)で亡くなりました。韓国の解放は1945年にありました。その間に12年があったのです。このことによって皆さんは、天が主の為の道を準備されることを、どれほど願われたかということを知ることができます。神様は日本人の圧制に耐え抜くようにと、そのように早くから始められたのです。このような環境の中で、先生は自分の道を準備し始めたのです。許婦人を中心とした、その西側の集団は、解放後に再臨主を待っていました。彼らは、来られる主は、新婦がいなければならず、そのかたは家庭を成すために来られるのだということを知っていました。それで彼らは、すべてのものを準備したのです。新婦と家庭を成立させることのできる環境を準備して‘12弟子と70門徒を選んだのです。彼らは平壌で一番よい家を買いました。よい家を買って主の為に準備をしたのです。その当時、先生は南韓にいたのです。 百文とイスラエル修道院 復帰摂理から見る時、自分をヤハウェ(エホバ)の妻として宣言する一人の女性がいなければなりません。この女性を探さずしては、摂理を成就することができません。それで先生は南韓で、そのような一人の女性を探すためにあらゆる宗教団体と、有名な牧師たちを訪問しました。そして解放後、三か月たった1945年10月に金(百文)氏に会ったのです。先生は、彼に大きな使命があるということが分かったので、彼に会ったのです。その当時、彼はプロテスタントの修道院を一っ持っていました。彼は、天から―つの修道院(イスラエル)を所有しなさいというみ言を天から聞いたのです。それで先生は、その集団を探しに行って、彼に会い、彼と共に六ヵ月の間そこにとどまったのです。その期間、神様はさまざまな方法で役事されました。そこには、金氏に従った多くの女性がいました。先生がそこに行くまでは、彼女たちは金氏に従えという啓示を受けていました。ところが、先生がそこに行った後に、彼女たちは金氏ではなく、先生に従いなさいという啓示を受けたのです。その当時、先生はまだ原理を語りませんでした。イェス様が洗礼ヨハネから祝福を受けたように、先生は金氏からすべてのことを相続するように予定されていたのです。 六ヵ月後、金氏は天から啓示を受けて、彼は先生の頭に自分の手を置いて、全世界のソロモン王の栄光が先生に臨むように祝福したのです。しかし、その当時、先生は話をしませんでした。先生は僕のようなことをしていたのです。自ら、座った場所を清掃するなど、あらゆることをみなしました。先生は一番下の位置にいたのです。先生が金氏に会ったのは、大きな意味を持っていました。先生はその当時、とても熱心に祈祷しました。もし、金氏が天から先生にそのような祝福をしてあげなさいと聞いたならば、彼は先生のすべてのことを理解するために、先生に質問をしなければならなかったのです。それが彼の五パーセントの責任分担だったのです。ところが、その時、以前彼に従っていた篤実な追従者たちが、先生に従ったのです。彼もそれを知って、それをよく思いませんでした。とにかく先生は、彼から祝福を受けて、彼が持っていたものを相続したのです。 アンナのような女性に出会う 先生が金氏から祝福を受けた後に、先生はアンナ(新約聖書に出てくる、メシヤを待望した預言者)のような一人の年老いた女性を探さなければなりませんでした。その女性は、自分自身をヤハウェ(エホバ)の妻であると主張する女性でなければなりませんでした。その当時、南韓と北韓の間を往来する人たちはたくさんいたのですが、先生は北韓に自分がヤハウェ(エホバ)の妻であると主張する一人の女性がいるということを突き止めました。しかし、蕩減復帰の原理に従って、先生を待って準備しているその集団に、先生は会いにいくことができませんでした。イエス様が亡くなられた理由は、彼がその新婦を持つことができなかったためです。イエス様を迎える新婦が準備されなかったためだったのです。それが、彼の死の原因だったのです。それゆえに再臨主が来られる時、その準備された集団は新婦の位置で準備したものを持って、彼らが訪ねていかなければならないのです。もし、その準備された集団の指導者であった女性(許婦人)が、主がおられる所を知るために神様に祈祷したならば、神様が彼女にその場所を教えてあげたことでしょう。天は彼女にその場所を教えてあげることができたのです。それで先生は、彼らが来る時まで待っていたのであり、先生から彼らがいる所へ行くことはできなかったのです。その間に、先生はアンナのような女性に出会うようになりました。その女性は、時には天の側で働き、時には中間の立場で働くという、両面の業をなしていました。しかし、サタン側ではありませんでした。 許婦人の不信年を取った多くの女性に会った後、先生は許婦人に人を送り、先生の集団がどのようなものであるかを祈祷してみなさいと言いました。しかし、その時、許婦人は一つの大きな徴候を期待したのであって、一人の若い男性には期待すらしなかったのです。先生は、特別な人ではなく、普通の人を送ったのです。その人に会った彼女は、彼が大きな使命を帯びているということを悟ることができませんでした。それで彼女は、彼を送り返したのです。その後先生は、一人の若い女性をその集団に送りましたが、その集団から何も反応はありませんでした。その時、許婦人は、彼女の集団の幹部たちが一つの場所に集まった時、また別の啓示を受けました。それは、春香が監獄で彼女の夫に出会ったように、彼らが主に出会うだろうというものでした。彼女は「おまえは、春香が監獄で彼女の夫に出会ったように、主にお会いするだろう」というみ言を聞いたのです。その当時、北韓は共産主義者たちによって占領されていました。そして共産主義者たちは、この集団が人々からたくさんの寄付金を集めて、よい服をつくり、よい家を買ったということを突き止めました。それで彼らは、この集団を宗教的詐欺集団として告発しました。彼らは、すべての幹部たちを監獄に放り込んだのです。そしてさらに、先生もその集団と関連していると告発されたのです。実際に、先生はいかなる関連もなかったのですが、同じように告発され、収監されたのです。先生が収監されたその部屋には、許婦人のもとでその集団を率いていた一人の男性がいました。その人が先生と同じ部屋にいたのです。その日は1946年8月11日でした。その集団の幹部たちは、共産主義者たちによって、とても過酷な拷問を受けました。共産主義者たちは、許婦人に、「もしあなたが啓示を受ける時に、お腹が痙攣を起こすということを否定するならば、解放されるだろう」と言いました。当時の金日成は宗教を迫害し、すべての宗教を抹殺させようとしました。そして、許婦人の弟が激しい拷問によって亡くなりました。さらに、許婦人も同じく激しい拷問を受けて、彼女の服はほとんど破れてしまいました。さらに、先生も共産主義者たちによって拷問を受けました。そして、11月21日に釈放されました。その時先生は、血をあまりにも流したのでほとんど死んだ状態でした。それで先生に従っていた人たちは、先生が死にそうだと思ったのです。しかし、先生が再び生き返ったことは、一つの奇跡であったのです。先生が、許婦人に次ぐ立場の人の部屋に入っていった時は夜の11時でした。その日の夜、その人は、先い生に関する一つの啓ホを受けました。先生がその部屋に入っていった時、彼らは眠っていました。先生には以前、そのような経験があり、それでそのような環境にとても慣れていたのです。先生は便所の隣で眠ったのです。その部屋の中には、多くの囚人たちがいました。翌日の朝、監房長(許婦人の集団の指導者)が言いました。その部屋の規則は、一番遅く入ってきた者が、一番悪い(よくない)場所で寝るということです。しかし、その監房長は、立ち上がって他の人たちに、この新しく来られたかたは特別なかたであるので、自分の隣に座るようにしてくれと言ったのです。先生がその人の隣に座った時、彼は先生に敬拝をしました。先生がなぜ敬拝をするのかと尋ねると、彼は昨晩、一つの啓示を受けたと答えたのです。彼は啓示で先生に敬拝をする許婦人を見て、彼女が「今、私がお会いしたかったその人に出会った」と言ったので、先生の顔を見ると、先生がその人であったというのです。それで、その日の朝先生は、彼に「私はあなたが体験してきたすべてのことを理解できるので、私にあなたが体験したすべてのことを話しなさい」と言いました。それで彼は、彼の集団で起きたすべてのことを話し始めました。先生は、すべての復帰の原理をすべて理解できましたが、その人たちには分からなかったのです。しかし、彼らがそれほどまでに準備してきたために、先生は彼らが、どれほど苦労したかを理解することができました。さらに先生は、共産主義者たちが、もし彼らが天から啓示を受けたことを否認したならば、彼らを釈放するであろうということを知りました。それで先生は彼に「もしあなたが共産主義者たちの前で、あなたが経験してきたすべての事実を否認しさえすれば、私がすべての責任を持つ」と言ったのです。さらに、先生は彼に「もし、許婦人がうそを言って、彼女が体験したことをすべて否認すれば、一人の若者がすべての責任を持つということを許婦人に伝えなさい」と話したのです。先生はその言葉を許婦人に伝達するように彼に頼みました。昼食の時間に、食事が配給された時、その若者は許婦人に話をしました。それで彼は、先生が話したすべてのことを彼女に話したのです。許婦人は、春香が監獄で彼女の夫に出会ったように、彼女が主にお会いするであろうということを、天から啓示を受けたのだと言いました。彼女が言うには、「私は誰も見なかった。だから私はあなたの言葉に従うことができない」と言ったのです。しかし、その監房長は、否認したがゆえに釈放されました。その人が釈放された後に、許婦人の夫が先生の部屋に来ました。先生は彼女の夫にも、その若者に話したことと同じ内容の話をしました。しかし彼女の夫は、自分の妻に従うと言い、先生の言葉を受け入れようとはしなかったのです。最後に先生は一通の手紙を書きました。手紙を書けば、別の効果があるだろうと考えたからです。それは9月18日の朝でした。先生は、食事の時にご飯を配達する人に、その手紙を許婦人に渡してくれるように頼みました。彼女はその手紙を読んで、破ってしまおうとしたのですが、共産党の監視貝に見つかってしまったのです。それは、その手紙を渡してくれた人が、看守に知らせたためでした。先生は「この紙切れに書いた人は天の使命を持った人である。あなたは祈祷してそれがどんな人なのかを知らなければならない。もし、あなたが啓示を受けたすべてのことを否認すれば、あなたは釈放されるであろう」と書いたのです。その紙切れは看守に発覚してしまいました。それで先生は拷問を受けたのです。それは1946年9月18日、午後二時のことでした。その時、先生は南韓にいる米軍のスパイとして告発され、ソ連の調査官によって尋問を受けたのですが、無罪だということが判明したのです。そして、11月21日の午後に解放されました。先生が詳しいことを話そうとすれば、もっと時間が必要です。許婦人と彼女の追従者たちは、否認しませんでした。そのため、1950年に韓国動乱が起きた時、彼らはすべて虐殺されたのです。
2022.11.21
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*良い食べ物を食べたり、良い服を着たりするときは、そのまま食べたり着たりしてはいけません。最も良いものは、先に神様にお返ししなければなりません。*ご飯を食べるときも、神様に「ご飯を食べます」と報告しなければなりません。おいしい食べ物も、「わっ!おいしい」と言って、犬のようにがつがつと食べるのではありません。「お父様、私がこのような食べ物をお父様に準備してさしあげてから食べなければならないのに、そうすることができないで……。どうすればよいでしょうか」と言えば、神様から「食べなさい」という命令や、そのような感じが伝わってくるのです。そのように感じながら生きなければなりません。*空気のおいしい所で食事をすれば、とてもおいしいのです。はしでリズムまでとりながら食べるようになります。なぜでしょうか?食べ物を消化するときには、空気が絶対的に影響を与えるからです。それゆえに、肺に病気のある人は空気の良い所に送って療養させるのです。*何かを食べる時に、道を歩きながら食べてはいけません。動物でさえ、歩きながら食べることはありません。一つの場所で全部食べてからその場を離れるのであって、歩きながら食べる動物がどこにいますか。まして万物の霊長である人間が、そのようにしていいでしょうか。鷲が飛びながら食べますか? 鳥が飛びながら食べますか?ところが西欧社会では、人混みの中でも食べています。東洋社会では、そうではありません。食べる時に食べて、それ以外の時は、おなかがすいても食べないのです。そのような訓練をすることは、健康にも良く、長寿の秘訣なのです。
2022.11.21
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許婦人の不信年を取った多くの女性に会った後、先生は許婦人に人を送り、先生の集団がどのようなものであるかを祈祷してみなさいと言いました。しかし、その時、許婦人は一つの大きな徴候を期待したのであって、一人の若い男性には期待すらしなかったのです。先生は、特別な人ではなく、普通の人を送ったのです。その人に会った彼女は、彼が大きな使命を帯びているということを悟ることができませんでした。それで彼女は、彼を送り返したのです。その後先生は、一人の若い女性をその集団に送りましたが、その集団から何も反応はありませんでした。その時、許婦人は、彼女の集団の幹部たちが一つの場所に集まった時、また別の啓示を受けました。それは、春香が監獄で彼女の夫に出会ったように、彼らが主に出会うだろうというものでした。彼女は「おまえは、春香が監獄で彼女の夫に出会ったように、主にお会いするだろう」というみ言を聞いたのです。その当時、北韓は共産主義者たちによって占領されていました。そして共産主義者たちは、この集団が人々からたくさんの寄付金を集めて、よい服をつくり、よい家を買ったということを突き止めました。それで彼らは、この集団を宗教的詐欺集団として告発しました。彼らは、すべての幹部たちを監獄に放り込んだのです。そしてさらに、先生もその集団と関連していると告発されたのです。実際に、先生はいかなる関連もなかったのですが、同じように告発され、収監されたのです。先生が収監されたその部屋には、許婦人のもとでその集団を率いていた一人の男性がいました。その人が先生と同じ部屋にいたのです。その日は1946年8月11日でした。その集団の幹部たちは、共産主義者たちによって、とても過酷な拷問を受けました。共産主義者たちは、許婦人に、「もしあなたが啓示を受ける時に、お腹が痙攣を起こすということを否定するならば、解放されるだろう」と言いました。当時の金日成は宗教を迫害し、すべての宗教を抹殺させようとしました。そして、許婦人の弟が激しい拷問によって亡くなりました。さらに、許婦人も同じく激しい拷問を受けて、彼女の服はほとんど破れてしまいました。さらに、先生も共産主義者たちによって拷問を受けました。そして、11月21日に釈放されました。その時先生は、血をあまりにも流したのでほとんど死んだ状態でした。それで先生に従っていた人たちは、先生が死にそうだと思ったのです。しかし、先生が再び生き返ったことは、一つの奇跡であったのです。先生が、許婦人に次ぐ立場の人の部屋に入っていった時は夜の11時でした。その日の夜、その人は、先生に関する一つの啓ホを受けました。先生がその部屋に入っていった時、彼らは眠っていました。先生には以前、そのような経験があり、それでそのような環境にとても慣れていたのです。先生は便所の隣で眠ったのです。その部屋の中には、多くの囚人たちがいました。翌日の朝、監房長(許婦人の集団の指導者)が言いました。その部屋の規則は、一番遅く入ってきた者が、一番悪い(よくない)場所で寝るということです。しかし、その監房長は、立ち上がって他の人たちに、この新しく来られたかたは特別なかたであるので、自分の隣に座るようにしてくれと言ったのです。先生がその人の隣に座った時、彼は先生に敬拝をしました。先生がなぜ敬拝をするのかと尋ねると、彼は昨晩、一つの啓示を受けたと答えたのです。彼は啓示で先生に敬拝をする許婦人を見て、彼女が「今、私がお会いしたかったその人に出会った」と言ったので、先生の顔を見ると、先生がその人であったというのです。それで、その日の朝先生は、彼に「私はあなたが体験してきたすべてのことを理解できるので、私にあなたが体験したすべてのことを話しなさい」と言いました。それで彼は、彼の集団で起きたすべてのことを話し始めました。先生は、すべての復帰の原理をすべて理解できましたが、その人たちには分からなかったのです。しかし、彼らがそれほどまでに準備してきたために、先生は彼らが、どれほど苦労したかを理解することができました。さらに先生は、共産主義者たちが、もし彼らが天から啓示を受けたことを否認したならば、彼らを釈放するであろうということを知りました。それで先生は彼に「もしあなたが共産主義者たちの前で、あなたが経験してきたすべての事実を否認しさえすれば、私がすべての責任を持つ」と言ったのです。さらに、先生は彼に「もし、許婦人がうそを言って、彼女が体験したことをすべて否認すれば、一人の若者がすべての責任を持つということを許婦人に伝えなさい」と話したのです。先生はその言葉を許婦人に伝達するように彼に頼みました。昼食の時間に、食事が配給された時、その若者は許婦人に話をしました。それで彼は、先生が話したすべてのことを彼女に話したのです。許婦人は、春香が監獄で彼女の夫に出会ったように、彼女が主にお会いするであろうということを、天から啓示を受けたのだと言いました。彼女が言うには、「私は誰も見なかった。だから私はあなたの言葉に従うことができない」と言ったのです。しかし、その監房長は、否認したがゆえに釈放されました。その人が釈放された後に、許婦人の夫が先生の部屋に来ました。先生は彼女の夫にも、その若者に話したことと同じ内容の話をしました。しかし彼女の夫は、自分の妻に従うと言い、先生の言葉を受け入れようとはしなかったのです。最後に先生は一通の手紙を書きました。手紙を書けば、別の効果があるだろうと考えたからです。それは9月18日の朝でした。先生は、食事の時にご飯を配達する人に、その手紙を許婦人に渡してくれるように頼みました。彼女はその手紙を読んで、破ってしまおうとしたのですが、共産党の監視貝に見つかってしまったのです。それは、その手紙を渡してくれた人が、看守に知らせたためでした。先生は「この紙切れに書いた人は天の使命を持った人である。あなたは祈祷してそれがどんな人なのかを知らなければならない。もし、あなたが啓示を受けたすべてのことを否認すれば、あなたは釈放されるであろう」と書いたのです。その紙切れは看守に発覚してしまいました。それで先生は拷問を受けたのです。それは1946年9月18日、午後二時のことでした。その時、先生は南韓にいる米軍のスパイとして告発され、ソ連の調査官によって尋問を受けたのですが、無罪だということが判明したのです。そして、11月21日の午後に解放されました。先生が詳しいことを話そうとすれば、もっと時間が必要です。許婦人と彼女の追従者たちは、否認しませんでした。そのため、1950年に韓国動乱が起きた時、彼らはすべて虐殺されたのです。
2022.11.20
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*トイレの水を節約すれば、一年に1500万人から2000万人の死んでいく人を生かして余りあるのです*服を着ても、食べ物を食べても、満足に着ることも食べることもできない人々を思いながら暮らせば、福を受けます。*毎日のように入浴することに賛成しません。それは健康にも良くありません。私は三日に一回ずつ体を洗うのを原則としています。汗を流したときはやむを得ませんが、毎日ではどれほど多くの水を消耗するでしょうか。健康にも悪いのです。*あらゆる面で模範とならなければなりません。十分に食べて、豊かに暮らすことが模範ではありません。節制し、どうしても必必要な時に適切に消耗する、それが模範的生活です。私は服を着るときも、できるだけネクタイをしないで過ごそうとしています。家にいるときは、できるだけ上着を着ないで、セーターのようなものを簡単に着るようにしています。
2022.11.20
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金百文とイスラエル修道院 復帰摂理から見る時、自分をヤハウェ,(エホバ)の妻として宣言する一人の女性がいなければなりません。この女性を探さずしては、摂理を成就することができません。それで先生は南韓で、そのような一人の女性を探すためにあらゆる宗教団体と、有名な牧師たちを訪問しました。そして解放後、三か月たった1945年10月に金百文)氏に会ったのです。先生は、彼に大きな使命があるということが分かったので、彼に会ったのです。その当時、彼はプロテスタントの修道院を一つ持っていました。彼は、天から―つの修道院(イスラエル)を所有しなさいというみ言を天から聞いたのです。それで先生は、その集団を探しに行って、彼に会い、彼と共に六か月の間そこにとどまったのです。その期間、神様はさまざまな方法で役事されました。そこには、金氏に従った多くの女性がいました。先生がそこに行くまでは、彼女たちは金氏に従えという啓示を受けていました。ところが、先生がそこに行った後に、彼女たちは金氏ではなく、先生に従いなさいという啓示を受けたのです。その当時、先生はまだ原理を語りませんでした。イエス様が洗礼ヨハネから祝福を受けたように、先生は金氏からすべてのことを相続するように予定されていたのです。 六ヵ月後、金氏は天から啓示を受けて、彼は先生の頭に自分の手を置いて、全世界のソロモン王の栄光が先生に臨むように祝福したのです。しかし、その当時、先生は話をしませんでした。先生は僕のようなことをしていたのです。自ら、座った場所を清掃するなど、あらゆることをみなしました。先生は一番下の位置にいたのです。先生が金氏に会ったのは、大きな意味を持っていました。先生はその当時、とても熱心に祈祷しました。もし、金氏が天から先生にそのような祝福をしてあげなさいと聞いたならば、彼は先生のすべてのことを理解するために、先生に質問をしなければならなかったのです。それが彼の五パーセントの責任分担だったのです。ところが、その時、以前彼に従っていた篤実な追従者たちが、先生に従ったのです。彼もそれを知って、それをよく思いませんでした。とにかく先生は、彼から祝福を受けて、彼が持っていたものを相続したのです。 アンナのような女性に出会う 先生が金氏から祝福を受けた後に、先生はアンナ(新約聖書に出てくる、メシヤを待望した預言者)のような一人の年老いた女性を探さなければなりませんでした。その女性は、自分自身をヤハウェ(エホバ)の妻であると主張する女性でなければなりませんでした。その当時、南韓と北韓の間を往来する人たちはたくさんいたのですが、先生は北韓に自分がヤハウェ(エホバ)の妻であると主張する一人の女性がいるということを突き止めました。しかし、蕩減復帰の原理に従って、先生を待って準備しているその集団に、先生は会いにいくことができませんでした。イエス様が亡くなられた理由は、彼がその新婦を持つことができなかったためです。イエス様を迎える新婦が準備されなかったためだったのです。それが、彼の死の原因だったのです。それゆえに再臨主が来られる時、その準備された集団は新婦の位置で準備したものを持って、彼らが訪ねていかなければならないのです。もし、その準備された集団の指導者であった女性(許婦人)が、主がおられる所を知るために神様に祈祷したならば、神様が彼女にその場所を教えてあげたことでしょう。天は彼女にその場所を教えてあげることができたのです。それで先生は、彼らが来る時まで待っていたのであり、先生から彼らがいる所へ行くことはできなかったのです。その間に、先生はアンナのような女性に出会うようになりました。その女性は、時には天の側で働き、時には中間の立場で働くという、両面の業をなしていました。しかし、サタン側ではありませんでした7
2022.11.19
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*一か月に二度づつ昼食を節約しても、大きな支障はありません。二人の食費を節約して一人分の食費にしようという運動をしようというのです。それを公的にプラスさせるのです。これを趣味にするのです。楽しさ、趣味的な面を中心として行うのです。そのようにすれば、お金がどんどん増えていきます。お金が増え、人が増えていくのを見れば、興奮し、楽しみになるのです。10年、20年たてば、全体に影響を及ぽすようになります。そのような募金運動をしなければなりません。*食事を一緒に作り、一緒に食べて節約するのです。そして、かわいそうな人たち、飢えて死んでいく人たちを、すべて救ってあげなければなりません。子供たちも、全世界的に募金運動をして、救済運動をしなければなりません。それをすることができるのは、私たちしかいません。*節約して暮らす方法を打ち立てなければなりません。自分の血肉を削り、後代の歴史を創建するための礎石となり、敷石にならなければならないのです。レンガの一つでも、永遠に残るものを積み上げようと考えなければなりません。
2022.11.19
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統一教会史1234 統一教会史1234 この御言「統一教会史」は、1971年12月27日から三日間にわたって、ワシントンで語られたものです。世界基督教統一神霊協会の創立40周年を記念して、掲載いたします。なお、この御言は、『文鮮明先生御言選集』第52巻からの翻訳です。(文責・編集部) ファミリー1994年5月号皆さんがご存じのように、第二次世界大戦前の韓国は、日本の統治下にありました。韓国の愛国の志士たちの中には、日本の圧制に抵抗して戦った人たちがたくさんいました。皆さんが原理を学んで分かるように、神様は四位基台を失ってしまいました。それゆえに、神様の復帰摂理の目的は、この四位基台を復帰することにありました。聖書と、神様の摂理の中に四数が多いのはそのためです。聖書には、40年と400年蕩減期間が多く見うけられます。すべての復帰(蕩減)が原理に従って成されたのです。 アダム国家として立つために多くの蕩減を払った韓国 神様の摂理で、韓国がアダム国家になろうとすれば、エバ国家の統治下に置かれなければなりません。エバ国家に打ち勝つことによって、独立を勝ち取らなければならないのです。日本は、ドイツとイタリアと同盟を結成したのですが、それらの国はすべてサタン側の国家でした。民主主義側には米国、英国、フランスがありました。 アダム国家として立つために多くの蕩減を払った韓国の原理に従って成されたのです。 第一次世界大戦の間に、ドイツはほぼ完全に破壊されました。ところが、ドイツが20年内に復旧することができたのは、第二次世界大戦でドイツに神様の摂理内で全うすべき大きな意義があったからなのです。いつも、負けた国が先に攻撃してくるのです。その三つの国、すなわち米国、英国、そしてフランスが連合してサタン側の国家に勝利したのです。韓国は40年間、日本の支配を受けなければなりませんでした。日本は、サタン側の女性国家でした。その40年間に、日本は韓国のすべての文化的伝統、さらには韓国の言語までなくそうとしたのです。先生自身も、その期間に、日本人たちによって投獄されたのです。そのように日本政府によって投獄され、抑圧された韓国人たちが大勢いたのです。神様によって召命される人になるためには、愛国者、孝子、または社会に献身する者にならなければなりません。愛国者とは、国の為に自分自身をささげると決意した人たちです。神様の摂理のためにも、そのような人たちが必要なのです。神様が摂理のための基台を探され、広げられる時、いつもサタンの反対の下で役事されるのです。その時先生は、一人の青年として、近づく公生涯のために準備をしたのです。第二次世界大戦が終わりに近づくにしたがって、迫害はさらに過酷になりました。日帝の末期に日本人たちは迫害をさらに加え、クリスチャンたちには神社参拝を強要しました。そのため篤実なクリスチャンたちは、神社参拝を拒否して地下に隠れました。ある者たちは満州やソ連に行き、ある者たちは山へ行って隠れ住んだのです。神様を信じ、日本から解放されるその日を渇望する多くの人たちがいたのです。日本の政府と内通していた、キリスト教の牧師たちもたくさんいました。彼らは日本の指示に従って行動しました。しかし、一方では地下や山で、変わらず信仰を守り、解放の一日を待ちながら戦った、愛国的で篤実なクリスチャンたちが大勢いたのです。 *啓示を受け始めたクリスチャンたち 戦争が終わりに近づいている時、篤実なクリスチャンたちはさらに深刻になり、彼らは決定的な審判、または決定的な判決を韓国に下してくださるように、神様に祈祷しました。また、神様や霊界によって直接的に導かれた多くの人たちがいて、彼らは日本の警察が自分たちを捕まえようとする時、避けたり脱出することができたのです。彼らの大部分は、日本人たちがいつ敗北するのかを知っていたのです。 さらに、多くの人たちが、第二次世界大戦後には、世界の歴史が韓国を中心として展開されるであろうと、天から啓示を受けました。先生もそのようないくつかの団体と連結したのです。しかし、たとえ先生がそのような団体と連結したとしても、その時先生は、皆さんが今学んでいる原理のいかなることも、決して語ることができなかったのです。なぜならば、神様からのみ言もあったのですが、そのことを韓国解放直後に始めるように神様と約束したため、その時に語ることができなかったのです神様のみ旨は、一人の人のみによって成就されることはありません。共に働くことのできる対象がいなければなりません。さらに、神様は第二次世界大戦後に、すべてのキリスト教会が分裂することを知らせてくださいました。クリスチャンたちの中には、既成教会と共に働いてはならないという啓示を受けた人たちも多かったのです。 元山で起きたキリスト教運動 韓国の地形は、東と西に区分されます。東側には山が多く、西側には平野が多いのです。韓国の東側の部分は男性的な様相を呈し、西側の部分は女性的な様相を呈しています。神様の摂理も韓国の地形と同じ形態をとりました。すなわち、東側の部分には男性的な特質を、そして西側の部分には女性的な特質を持つようにしたのです。北韓の東海岸に、元山と呼ばれる一つの都市があります。この都市で一つのキリスト教運動が起きました。西海岸には、鉄山と呼ばれる所があったのですが、ここでも一つのキリスト教運動が起きたのです。東海岸地方の多くの人たちは、この運動に従いました。彼らにイエス・キリストが現れて、自分の過去と、将来起きることを語ったのです。 元山で起きた運動の指導者は、白南柱氏でした。さらに、そこにその男性の相対であった一人の女性がいました。名前は劉明花でした。彼女にイエス様が現れ、彼女を通してイエス様が白氏に話し始めたのです。彼女は「主が私と共におられ、主が私を通して語られる」と言いました。それで白氏はひざまずき、その婦人に話しました。「あなたが語ろうとすることを私にお話しください」と。そこから問題が生じました。その二人に起きたことが、牧師たちに伝わり、牧師たちはそれを聞いて、その二人を迫害し始めたのです。それでそのような霊的団体と、既成教会が争いを始めました。たとえ、彼らが啓示やみ言を受けたとしても、彼らは霊的運動の内部を知ることができませんでした。それゆえに、彼らはそのような霊的現象をコントロールすることができなかったのです。そのため、その集団は、その女性が語る言葉に従って動いたのです。天からのみ言によって西海岸地域に、また他のある集団があり、その集団と関係を結べという内容が彼女に啓示として与えられました。それで白氏は、そこに向かって歩き始めました。彼が向かう時、天が彼に履き物を履くなといったので、裸足で西海岸地方に行ったのです。その距離は約10マイル(約300キロメートル)になるのです。 鉄山で起きたキリスト教運動(新主派) 西海岸地方の鉄山には、さほど老いていない、約50歳になる一人の婦人がいました。彼女は金聖道という婦人でした。金聖道婦人を中心として一つの運動が起きました。彼女には夫がいたのですが、彼女が天から啓示を受け始めるや否や、その夫は彼女を迫害して、ほとんど死ぬところまで追いやったのです。その当時、韓国には儒教が広く普及していて大部分の人たちはそれを信じていました。ある人がクリスチャンになれば、その人は自分の先祖を崇拝しなくなります。ゆえに、彼女の夫は彼女がクリスチャンになることを好みませんでした。しかも、彼女はいつも夜一時に起きて、朝方まで祈祷をしたのです。分からない人には、そのような行動を理解することができませんでした。夫の迫害にもかかわらず、彼女はそのようなことを続けたのです。彼女には、信仰のために生命をささげる準備ができていたのですその当時、彼女は霊界から、韓国で特別に篤実なクリスチャンとして認定されました。そして神様と直接対話をし直接啓示を受けました。すなわち、彼女は天よりたくさんの教えを受けたのです。彼女は、韓国の解放の正確な日付を聞きました。さらに、再臨主が肉身を持った人間として韓国に来られるであろうということも聞きました。また、主によって、韓国が特権を持った国になり、韓国によって全世界が神様の元に復帰されるであろうということを知ったのです。 彼女が天から受けた12の重要な教えがあったのですが、幾つか例を挙げてみれば、次のようなものがあります。一、日本からの韓国の解放。二、再臨主は、韓国に来られるが、雲に乗ってこられるのではなく、肉身を持った一人の人間としてこられるのである。そしてその人は韓国人である。三、堕落は善悪を知る木の果を食べたことが原因ではなく、愛の行為が原因であった。すなわち、堕落は愛を間違って用いたことから生じた。四、男性と女性は結婚してはならない。なぜならば、そのような結婚は真の結婚ではなく、偽りの結婚であるからである。既に結婚した夫婦は、夫婦生活をしてはならない。 五、再臨主は新しい血統を打ち立てるためにこられるので、再臨主をお迎えしようとするすべての人たちは、心と体を清潔にしなければならない。それゆえに、夫と妻の間に夫婦生括があってはならない。多くの女性たちが彼女(金聖道)の所に来て、天から多くの恩寵を受け、地上にエデンの園が到来するのを待っていたのです。彼女には、二人の息子がいました。長男の嫁は、ある牧師の娘でした。その牧師は、とても篤実な牧師でした。彼女(長男の妻)もまた、霊的な体験をたくさんし、姑が天から受ける啓示を理解しました。長男は、母がすることは信じましたが、そのことには積極的に関与しませんでした。その老婦人(金聖道)は、彼女の息子と嫁に夫婦生活をしてはならないと言いました。しかし、彼女の息子は、母親の言葉に服従せずに、妻と一緒に生活しました。その結果、霊界が彼女を連れていったのです。当時、その老婦人は蕩減の原理を知りませんでしたが、それは、夫がそれほど自分を過酷に迫害したために、夫の行動を蕩減するためであると考えたのです。彼女は、自分の息子と嫁を通して、それを蕩減することを願いました。さらに彼女は、夫が彼女の息子に対してしたすべての過ちを蕩減し、さらに自分の使命を嫁に譲り渡したかったのです。その婦人の言葉によって、彼女の次男は結婚しませんでした。さらに、彼女の他の娘たちも結婚しませんでした。そのようなことが、彼女の息子たちに起きている時、東海岸地方にいたその人(白南柱)が、彼女がいる所にやってきたのです。それは、家庭的に結合するためでした。神様は、氏族的に結合し、教会が結合することを願われたのです。西側の集団と、東側の集団が結合することによって、そのようなことを成すことができたのです。復帰の観点から見る時、東海岸の集団は、天使長の立場にあり、西海岸の集団はエバの立場にあったのです。そして天は、その天使長集団にエバの集団へ行くようにと語りました。それでエバの集団ではなく、天使長の集団が訪ねていったのです。 主が韓国に降臨されるという啓示を受けた許という女性 そのような出来事を通して、この運動は韓国の全土に広く知られるようになりました。そして、すべての既成教会が、彼らを迫害し始めたのです。それは日本人による迫害が最も激しかった時でした。遠からず、日本人が滅びるようになるだろう、という啓示を受けたのです。彼らが啓示を受けると、年を追うごとに、その啓示を伝播させていきました。その啓示はあまねく知られるようになり、牧師たちの耳にまで入っていきました。そして牧師たちは、この集団を滅亡させようと考え、日本政府の官吏たちの所に行って、そのようなことを話したのです。その当時、多くの既成教会の信徒たちは、神社参拝をしましたが、篤実なクリスチャンたちは、それを拒否しました。なぜならば、モーセの律法が偶像崇拝を禁じていたからです。そのような者たちが、この集団に従う傾向があったので、牧師たちは、彼らがこの集団に行くことを止めようとしました。それが、牧師たちが日本の官吏の所に行った理由なのです。その牧師たちの告発によって、その老婦人は投獄され、ひどい拷問を受けました。そして釈放後に彼女は死んだのです。一方、彼女の死によって、地下で計画されていた神様のみ旨に、幸運が戻ってきました。それで神様は、同じ運動を始めるために、他の婦人を選んだのです。その婦人は、金聖道婦人に従った、とても篤実な女性でした。その婦人は、許孝彬婦人であり、彼女の夫もやはり篤実なクリスチャンでした。彼もやはり金聖道婦人に従ったのです。この夫婦は、一体化し、毅然としていて、どんな困難が前途に生じても、前進する固い決心をしていたのです。それでこの夫婦は、真摯に神様に祈祷するようになったのです。彼らは、金婦人のなすことを受け継ぐことを願いました。それで彼らは、金婦人を通じてなされたこのことが、神様の本当の摂理であると信じながら、熱烈に祈祷したのです。この許婦人も、同じく啓示を受け始め、イエス様が彼女に現れました。イエス様はその夫婦に、地上で最後の使命を受け継ぐことのできる一人の男性と、一人の女性を探そうと努めてきたのだと語られたのです。そして、とうとうイエス様は許婦人を探し出すことができ、彼女を通して最後の使命を準備することを願われたのです。ところが、彼女を受け入れるべき牧師たちが、彼女の話を受け入れなかったのです。イエス様は、この夫婦に啓示を与え始めました。イエス様は彼らに、どんな環境でも、あらゆる困難を耐え忍び、神のみ旨に従うように頼んだのです。金婦人は、夫から迫害を受けましたが、この夫婦は、一体化していたので夫からの迫害はありませんでした。しかし、迫害は外部のキリスト教会から始まったのです。この時から、彼女は特別な啓示を受け始めました。この夫婦は、アダムが堕落した時の神様の悲しい心情、イエス様の時代における神様の摂理など、すべてのことを教えられたのです。さらに、マリヤに対することや、イエス様が地上に生まれた時の状況を教えられたのです。イエス様が十字架に釘打たれた原因は、ユダヤ民族の不信にあったのです。そのように、この夫婦が啓示を受ける時、全体的に受けたのではなく、断片的に受けたのです。彼らはさらに、主が韓国人として来られるであろうということも教えられました。彼らは、主が天の王子として来られるということと、6000年歴史の犠牲の後に来られるという啓示を受けたのです。それゆえに、このかたは地上のすべてのものや、過去の歴史のすべてのものとも替えることができないのです。そのかたをお迎えする人たちは、イエス様のすべての恨みを解怨、復帰、解決した人たちでなければならず、イエス様がその生涯で完遂することができなかった、すべてのことに決着をつける人たちでなければならないのです。 主と再臨主の服をつくった腹中教の信徒たち さらに彼らは、イエス様が天の王子として生まれたのだということを、天から聞きました。イエス様の生涯は、王子の生涯とならなければならず、その生涯で、どんな困難も受けてはならなかったのでした。また、彼が着たすべての服は、最もよい服でなければならず、最高のもので食事をしなければならなかったのです。しかし、ユダヤ民族の失敗によって、イエス様はそれらのことを十分に満たすことができませんでした。そのために彼らは、イエス様がその生涯でなすことができなかったあらゆることを蕩減しなさいと言われたのです。この集団は、そのすべてのことを蕩減し始めました。彼らはイエス様のためにあらゆるものをつくり始めたのです。 彼らは、イエス様が幼いころから30歳の時まで、着る服をつくりなさいという啓示を受けました。そして、イエス様が三日ごとに着替えることのできるたくさんの服をつくったのです。皆さんは、それがどれほどたくさんのものなのかを想像することができるでしょうか。そしてそれは、一種類ずつなのではなく、韓国服と洋服一着ずつだったのです。一つは韓国服で、もう一つは洋服で、三日ごとに着ることができるようにしたのです。そして、彼らがイエス様の服をつくる時には、ミシンを使うことができませんでした。彼らは一度に三針以上縫ってはならないと言われ、部屋中をきれいに掃除しなければならず、一着をすべてつくり上げる時までは、立ち上がることができなかったのです。また、トイレに行くのも許されませんでした。「たとえあなたがたが、そのような代価を払ったとしても、あなたがたは主をお迎えすることができないであろう」、天はそのように彼らに語られました。そして、彼らがあることで失敗をした時には、天から過酷に懲戒を受けたのです。それで彼らは、天の指示に従わざるを得なかったのです。 当時、その集団の追従者たちは1000名を超えました。そして、彼ら1000名の人たちが七年の間、働いたのです。彼らは一日に三食を宴の膳のように準備し、一日に三回肉を食べました。服の大きさはイエス様の成長に従って、だんだん大きくなるようにしました。その次に、彼らがイエス様の服をつくり終えた後に、彼らは来られる主(再臨主)のために服をつくりなさいというみ言を聞いたのでした。彼らがその主の服をつくるのにさらに多くの精誠を尽くしなさいという啓示を受けたのです。彼らがその主のための食事を持ってきた時、300回の敬拝をしなさいというみ言を聞きました。時には3000回まで敬拝をしなさいと言われたのです。天が言われるには、「たとえあなたがたが、礼儀をもって3000回まで敬拝をして主を受け入れるといっても、それが主に対してあなたがたの尊敬を表すのにおいて、十分なものではない」、そのように言われるのでした。3000回敬拝をしようとすれば、ほぼ10時間かかるのです。敬拝を終えた後、彼らは倒れてしまいました。天は彼らに、袖の長さ等、すべてのサイズに対して教えてくださいました。さらに、彼女の夫も、彼女が聞いたことを聞きました。再臨主は、彼女の夫より、もっと体格が大きいということでした。彼女は主の学問的な背景をはじめとして、あらゆることを天から聞きました。それで彼らは、主にお会いする日を待っていたのです。彼女の追従者たちは、もし命令を受ければ、いつでも倒れ、死ぬ準備ができているほどの覚悟をしていました。彼らは自分の生命をささげる準備ができていたのです。そのように、彼らはすべての面で訓練されていたのです。
2022.11.18
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主のための道を準備された神様 東海岸地方で起きた霊的な運動には、また他の後継者がいました。その名前は李龍道氏であり、彼は牧師でした。彼は人々に多くの聖霊の火をつけたのです。そのようなことをなすことによって、天は霊的な働き手を一つにまとめようとされたのです。霊的な運動も二種類の形態に分かれました。すなわち、一つは内的であり、もう一つは外的なものでした。李牧師を中心として、「新イエス教会」が始まりました。その時、これら二つの教会、すなわち「腹中教」と「新イエス教会を統一しなさいという天からの教えがあったのです。それで西側の集団が一つになるために、東側の集団がある所へ行ったのですが、東側の集団は彼らを受け入れてくれなかったのです。そのため、これら二つの集団の統一が失敗することにより、神様は一つの新しい運動、新しい分野の開拓者を必要とされたのです。それで神様は、ご自身の指示を受け入れることのできる、また別の一人の人物を得ることを願われたのでした。それは金百文氏でした。その後李牧師は亡くなり、彼の霊が金氏の所に来て、霊的に自分の使命を引き継がせたのです。この金氏から新しい集団が生まれたのです。それを成長過程の観点から見れば、初めの路程は蘇生段階であり、李龍道)氏は長成段階、そして金百文)氏は完成段階であったのです。すなわち、李牧師は長成の位置にあったのであり、それは、イエス様と同じ位置でした。彼は1933年に33歳(数え年)で亡くなりました。韓国の解放は一1945年にありました。その間に12年があったのです。このことによって皆さんは、天が主の為の道を準備されることを、どれほど願われたかということを知ることができます。神様は日本人の圧制に耐え抜くようにと、そのように早くから始められたのです。このような環境の中で、先生は自分の道を準備し始めたのです。許婦人を中心とした、その西側の集団は、解放後に再臨主を待っていました。彼らは、来られる主は、新婦がいなければならず、そのかたは家庭を成すために来られるのだということを知っていました。それで彼らは、すべてのものを準備したのです。新婦と家庭を成立させることのできる環境を準備して‘12弟子と70門徒を選んだのです。彼らは平壌で一番よい家を買いました。よい家を買って主の為に準備をしたのです。その当時、先生は南韓にいたのです。
2022.11.18
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*飢えて死んでいく人を考えて節約すれば、天運が保護します。*毎日のようにふろに入っていては、国の水道料だけでもどのくらいになるでしょうか。それを節約して、何千万人の子供たちに奨学金を出せば、世界的人物がどれ大勢出てくるかということを考えるべきです。*私のようにけちな人はいません。きょうは、皆さんが来るというのでスーツを着て出てきましたが、ネクタイをせずスーツだけを節単に着れば、どれほど節約になりますすか。この服は上下を合わせて50ドルで着ることができます。私はそのように過ごしているのです。どこにでもそのようにして行きます。*物を節約しなければなりません。節約して、一年に2000万人ずつ飢えて死んでいく人たちを助けてあげるのです。私が今、その伝統を立てるのです。トイレに行って、毎回手を洗わないからといって、どうかなるわけではありません。ご飯を食べるのでもないのに、何をするために三回も洗うのかというのです。手を洗う水を、世界的に合計すれば、どれほど多いでしょうか。水を節約しなさいということです。ザッーと水を流すのが習慣になっています。女性たちは、やたらと「洗顔して」、「手を洗って」、「体をふいて」と言うでしょう?風呂に入るのは三日に一度でよいのです。
2022.11.18
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その婦人は夫を特別に訓練しました。彼女は夫に「あなたはエバを堕落させた天使長です。その天使長によってエバの純潔が汚されたのです。私は再臨主をお迎えしなければならない者なのですが、あなたによって私の純潔が汚されたのですから、あなたは死ななければならない。」と言ったのです。彼女は夫を追い出して死ねと言いました。夫は彼女の言葉に従順でした。彼女が死ねという言葉を言うや否や、彼は出ていきました。彼には死ぬ準備ができていたのです。 ところが、彼が死のうとするや否や、彼女は彼に「死んではならない」と言ったのです。冬に彼女は、自分の夫に麻織りの服を着せて追いだしたのでした。彼女は夫を裸足で追いだし、六ヵ月の間帰ってくるなと言いました。物乞いしろと言ったのです。それは天使長によって生じた6000年を蕩減しようということでした。彼は放浪を始め、一週間後に彼女は彼を再び呼んだのです。それで彼は、六日間で六か月を蕩減したのでした。彼が彼女を信じ、従順であったことが蕩減となり、その期間が短縮されたのでした。特異なことは、彼女が啓示を受ける度ごとに、彼女のお腹が、受けるみ言に従って痙攣を起こしたことです。どうして彼女がそのような体験をしたのかという理由はこうです。彼女は、クリスチャンであり、主が雲に乗ってやってくるだろうと信じていました。ところが天は、彼女がそのように考えていることを望まれませんでした。そのために彼女に、主が一人の母親のお腹を通してこられることを、想起させてあげようということだったのです。この集団は、既成教会によって、「腹中教」と呼ばれました。彼女のお腹が動く度ごとに、彼女は啓示を受けました。そのような体験によって、神様は彼女をして、主が母親のお腹を通してこられるであろうということを信じさせたのでした。さらに彼女は、日本が1945年八月14日(陰暦では七月七日)に降伏するであろうと予言しました。彼女は、天から受けたことをしばしば公然と話しました。それで、その日が陰暦の七月七日であったことはとても重要なことでした。彼女が大っぴらに話をした理由は、万が一彼女が監獄に入れられても、すぐに解き放たれるであろうという事実を知っていたからです。彼女はそのような啓示を受けていたために、話すことができたのです。 彼女が天から受けたすべてのことが、そのまま実現されました。それゆえに、彼女の追従者たちはすべて、彼女に従わざるを得なかったのです。そして彼らは、解放の日を迎えることができたのです。彼らはまた、「日本が滅亡する時、あなたがたは再臨主にお会いするであろう」という啓示を受けました。彼らは監獄から解放された時、うれしくて踊りを踊ったのでした。しかし、彼らはあい変わらず既成教会から迫害を受けました。韓国が解放された時、日本人によって投獄されていた多くの篤実な牧師たちが解放され、既成教会の再建作業を始めました。そして既成教会も内的、外的に分裂したのです。
2022.11.17
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*おじいさんも節約して自分たちのものにしようとし、お父さんとお母さんも、自分たちのものにするために節約し、息子、娘もそのようにして、家族全員がたちのものを拡大させるために努力する、そのような家は繁栄するでしされるのです。お金を節約し、全体のために生きるところから愛のすみかが拡大されるのです。このような家庭を中心として、社会や世界に広がっていくようになるときに理想実現が可能なのであって、自分を中心としてはできないのです。*私は特別な公の席に出る以外はネクタイを結びません。できる限り結ばないで歩くのです。飲料水もできる限り飲みません。なぜでしようか?それを節約して空腹な人を助けてあげようと考えるからです。*神様の目で見るとき、アフリカ人の一人もアメリカ人の一人も同じです。豊かな国がアフリカの人たちを救ってあげなければなりません。彼らはサタン圏内に収容されている人質と同じです。アメリカの国民が、自分の食べるものや暮らしを節約し、彼らを救うための旗を掲げなければなりません。そうしてこそ、神様の愛する国民として祝福を継続して受けることができるのです。ところが、自分の利益を中心として、世の中がどうであろうと関心がなく、休養し、遊び回っています。その時間に、一方では大勢の人が死んでいくのに、神様が喜んで踊りを踊ると思いますか。
2022.11.16
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主と再臨主の服をつくった腹中教の信徒たち さらに彼らは、イエス様が天の王子として生まれたのだということを、天から聞きました。イエス様の生涯は、王子の生涯とならなければならず、その生涯で、どんな困難も受けてはならなかったのでした。また、彼が着たすべての服は、最もよい服でなければならず、最高のもので食事をしなければならなかったのです。しかし、ユダヤ民族の失敗によって、イエス様はそれらのことを十分に満たすことができませんでした。そのために彼らは、イエス様がその生涯でなすことができなかったあらゆることを蕩減しなさいと言われたのです。この集団は、そのすべてのことを蕩減し始めました。彼らはイエス様のためにあらゆるものをつくり始めたのです。彼らは、イエス様が幼いころから30歳の時まで、着る服をつくりなさいという啓示を受けました。そして、イエス様が三日ごとに着替えることのできるたくさんの服をつくったのです。皆さんは、それがどれほどたくさんのものなのかを想像することができるでしょうか。そしてそれは、一種類ずつなのではなく、韓国服と洋服一着ずつだったのです。一つは韓国服で、もう一つは洋服で、三日ごとに着ることができるようにしたのです。そして、彼らがイエス様の服をつくる時には、ミシンを使うことができませんでした。彼らは一度に三針以上縫ってはならないと言われ、部屋中をきれいに掃除しなければならず、一着をすべてつくり上げる時までは、立ち上がることができなかったのです。また、トイレに行くのも許されませんでした。「たとえあなたがたが、そのような代価を払ったとしても、あなたがたは主をお迎えすることができないであろう」、天はそのように彼らに語られました。そして、彼らがあることで失敗をした時には、天から過酷に懲戒を受けたのです。それで彼らは、天の指示に従わざるを得なかったのです。当時、その集団の追従者たちは1000名を超えました。そして、彼ら1000名の人たちが七年の間、働いたのです。彼らは一日に三食を宴の膳のように準備し、一日に三回肉を食べました。服の大きさはイエス様の成長に従って、だんだん大きくなるようにしました。その次に、彼らがイエス様の服をつくり終えた後に、彼らは来られる主(再臨主)のために服をつくりなさいというみ言を聞いたのでした。彼らがその主の服をつくるのにさらに多くの精誠を尽くしなさいという啓示を受けたのです。彼らがその主のための食事を持ってきた時、300回の敬拝をしなさいというみ言を聞きました。時には3000回まで敬拝をしなさいと言われたのです。天が言われるには、「たとえあなたがたが、礼儀をもって3000回まで敬拝をして主を受け入れるといっても、それが主に対してあなたがたの尊敬を表すのにおいて、十分なものではない」、そのように言われるのでした。3000回敬拝をしようとすれば、ほぼ10時間かかるのです。敬拝を終えた後、彼らは倒れてしまいました。天は彼らに、袖の長さ等、すべてのサイズに対して教えてくださいました。さらに、彼女の夫も、彼女が聞いたことを聞きました。再臨主は、彼女の夫より、もっと体格が大きいということでした。彼女は主の学問的な背景をはじめとして、あらゆることを天から聞きました。それで彼らは、主にお会いする日を待っていたのです。彼女の追従者たちは、もし命令を受ければ、いつでも倒れ、死ぬ準備ができているほどの覚悟をしていました。彼らは自分の生命をささげる準備ができていたのです。そのように、彼らはすべての面で訓練されていたのです。
2022.11.16
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*一日に何リットル水を飲むのか、それもできる限り決めなければなりません。今からは、飲料水を飲むとき、「もう一度、世界のことを考えてから飲まなければならない」、このように考えなければなりません。私は水が一番好きです。水の味を知っているのです。そのようなものもすべて、できるだけ節約しなければなりません*アフリカのことを考えなければなりません。。人々が飢饉で倒れ、墓も造ることができず積上げられて腐っているという事実を忘れてはいけません。ですから、私はネクタイを締めない主義です。下着も三日以上、着ます。費用を一円でも節約しなければならないからです。*アメリカに来たピルグリム・ファーザーズは、ヨーロッパでは争い、お互いに怨讐でしたが、アメリカに来てからは、宗教を中心として、民族を超えてお互いを抱くことができました。自分たちが節約してほかの人を助けてあげ、自分の子孫に与えることができなければ、ほかの人に与えようという心を持っていたので、今日のアメリカが祝福を受けたということを知らなければなりません。
2022.11.16
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「統一教会史この御言「統一教会史」は、1971年12月27日から三日間にわたって、ワシントンで語られたものです。世界基督教統一神霊協会の創立四0周年を記念して、掲載いたします。なお、この御言は、『文鮮明先生御言選集』第52巻からの翻訳です。(文責・絹集部) ファミリー1994年5月号」 主が韓国に降臨されるという啓示を受けた許という女性 そのような出来事を通して、この運動は韓国の全土に広く知られるようになりました。そして、すべての既成教会が、彼らを迫害し始めたのです。それは日本人による迫害が最も激しかった時でした。遠からず、日本人が滅びるようになるだろう、という啓示を受けたのです。彼らが啓示を受けると、年を追うごとに、その啓示を伝播させていきました。その啓示はあまねく知られるようになり、牧師たちの耳にまで入っていきました。そして牧師たちは、この集団を滅亡させようと考え、日本政府の官吏たちの所に行って、そのようなことを話したのです。その当時、多くの既成教会の信徒たちは、神社参拝をしましたが、篤実なクリスチャンたちは、それを拒否しました。なぜならば、モーセの律法が偶像崇拝を禁じていたからです。そのような者たちが、この集団に従う傾向があったので、牧師たちは、彼らがこの集団に行くことを止めようとしました。それが、牧師たちが日本の官吏の所に行った理由なのです。その牧師たちの告発によって、その老婦人は投獄され、ひどい拷問を受けました。そして釈放後に彼女は死んだのです。一方、彼女の死によって、地下で計画されていた神様のみ旨に、幸運が戻ってきました。それで神様は、同じ運動を始めるために、他の婦人を選んだのです。その婦人は、金聖道婦人に従った、とても篤実な女性でした。その婦人は、許孝彬婦人であり、彼女の夫もやはり篤実なクリスチャンでした。彼もやはり金聖道婦人に従ったのです。この夫婦は、一体化し、毅然としていて、どんな困難が前途に生じても、前進する固い決心をしていたのです。それでこの夫婦は、真摯に神様に祈祷するようになったのです。彼らは、金婦人のなすことを受け継ぐことを願いました。それで彼らは、金婦人を通じてなされたこのことが、神様の本当の摂理であると信じながら、熱烈に祈祷したのです。この許婦人も、同じく啓示を受け始め、イエス様が彼女に現れました。イエス様はその夫婦に、地上で最後の使命を受け継ぐことのできる一人の男性と、一人の女性を探そうと努めてきたのだと語られたのです。そして、とうとうイエス様は許婦人を探し出すことができ、彼女を通して最後の使命を準備することを願われたのです。ところが、彼女を受け入れるべき牧師たちが、彼女の話を受け入れなかったのです。イエス様は、この夫婦に啓示を与え始めました。イエス様は彼らに、どんな環境でも、あらゆる困難を耐え忍び、神のみ旨に従うように頼んだのです。金婦人は、夫から迫害を受けましたが、この夫婦は、一体化していたので夫からの迫害はありませんでした。しかし、迫害は外部のキリスト教会から始まったのです。この時から、彼女は特別な啓示を受け始めました。この夫婦は、アダムが堕落した時の神様の悲しい心情、イエス様の時代における神様の摂理など、すべてのことを教えられたのです。さらに、マリヤに対することや、イエス様が地上に生まれた時の状況を教えられたのです。イエス様が十字架に釘打たれた原因は、ユダヤ民族の不信にあったのです。そのように、この夫婦が啓示を受ける時、全体的に受けたのではなく、断片的に受けたのです。彼らはさらに、主が韓国人として来られるであろうということも教えられました。彼らは、主が天の王子として来られるということと、6000年歴史の犠牲の後に来られるという啓示を受けたのです。それゆえに、このかたは地上のすべてのものや、過去の歴史のすべてのものとも替えることができないのです。そのかたをお迎えする人たちは、イエス様のすべての恨みを解怨、復帰、解決した人たちでなければならず、イエス様がその生涯で完遂することができなかった、すべてのことに決着をつける人たちでなければならないのです。
2022.11.15
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「統一教会の青年は何をする人ですか」と尋ねられれば、「酒を飲まず、たばこを吸わず、とてもさわやかで、化粧品も使わず、節約します。退廃的で浪費する若者ではなく、節約して世界を助けます。これが統一教会の青年です」と言えば、どうなるでしょうか?このような運動をすれば、世界はどうなるでしょうか?。皆さんはいつも食べていますが、ご飯を食べるときだけ食べて、それ以外はできる限り食べないようにしなければなりませんそして、節約して、外国を助け、隣人を助ける運動を生活化させなければなりません。それが必要なのです。アフリカやかわいそうな人たちを考えて、アメリカの国民が節約し、一人一日一ドルずつ集めるだけで二億四000万ドルになります。ものすごい額です。私は小便をしても、できる限り水を流さないようにしようとします。朝、小便をして、夜に水を流しても構わないのではないかと思うのです。何日かに一回、通常より多く洗えばよいでしょう。そのようにすれば、資源がどれほど節約できるかというのです。そのようにして一日に三度だけでも水の節約をすれば、何リットルになるでしょうか? 一人一リットルとしても二億四000万リットルです。その何倍にもなるので、ものすごい量です。そのように考えるのです
2022.11.15
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統一教会史2この御言「統一教会史」は、1971年12月27日から三日間にわたって、ワシントンで語られたものです。世界基督教統一神霊協会の創立四0周年を記念して、掲載いたします。なお、この御言は、『文鮮明先生御言選集』第52巻からの翻訳です。(文責・絹集部) ファミリー1994年5月号元山で起きたキリスト教運動韓国の地形は、東と西に区分されます。東側には山が多く、西側には平野が多いのです。韓国の東側の部分は男性的な様相を呈し、西側の部分は女性的な様相を呈しています。神様の摂理も韓国の地形と同じ形態をとりました。すなわち、東側の部分には男性的な特質を、そして西側の部分には女性的な特質を持つようにしたのです。北韓の東海岸に、元山と呼ばれる一つの都市があります。この都市で一つのキリスト教運動が起きました。西海岸には、鉄山と呼ばれる所があったのですが、ここでも一つのキリスト教運動が起きたのです。東海岸地方の多くの人たちは、この運動に従いました。彼らにイエス・キリストが現れて、自分の過去と、将来起きることを語ったのです。元山で起きた運動の指導者は、白南柱氏でした。さらに、そこにその男性の相対であった一人の女性がいました。名前は劉明花でした。彼女にイエス様が現れ、彼女を通してイエス様が白氏に話し始めたのです。彼女は「主が私と共におられ、主が私を通して語られる」と言いました。それで白氏はひざまずき、その婦人に話しました。「あなたが語ろうとすることを私にお話しください」と。そこから問題が生じました。その二人に起きたことが、牧師たちに伝わり、牧師たちはそれを聞いて、その二人を迫害し始めたのです。それでそのような霊的団体と、既成教会が争いを始めました。たとえ、彼らが啓示やみ言を受けたとしても、彼らは霊的運動の内部を知ることができませんでした。それゆえに、彼らはそのような霊的現象をコントロールすることができなかったのです。そのため、その集団は、その女性が語る言葉に従って動いたのです。天からのみ言によって西海岸地域に、また他のある集団があり、その集団と関係を結べという内容が彼女に啓示として与えられました。それで白氏は、そこに向かって歩き始めました。3彼が向かう時、天が彼に履き物を履くなといったので、裸足で西海岸地方に行ったのです。その距離は約10マイル(約300キロメートル)になるのです。鉄山で起きたキリスト教運動(新主派)西海岸地方の鉄山には、さほど老いていない、約五0歳になる一人の婦人がいました。彼女は金聖道という婦人でした。金聖道婦人を中心として一つの運動が起きました。彼女には夫がいたのですが、彼女が天から啓示を受け始めるや否や、その夫は彼女を迫害して、ほとんど死ぬところまで追いやったのです。その当時、人たちはそれを信じていました。ある人がクリスチャンになれば、その人は自分の先祖を崇拝しなくなります。ゆえに、彼女の夫は彼女がクリスチャンになることを好みませんでした。しかも、彼女はいつも夜一時に起きて、朝方まで祈祷をしたのです。分からない人には、そのような行動を理解することができませんでした。夫の迫害にもかかわらず、彼女はそのようなことを続けたのです。彼女には、信仰のために生命をささげる準備ができていたのですその当時、彼女は霊界から、韓国で特別に篤実なクリスチャンとして認定されました。そして神様と直接対話をし直接啓示を受けました。すなわち、彼女は天よりたくさんの教えを受けたのです。彼女は、韓国の解放の正確な日付を聞きました。さらに、再臨主が肉身を持った人間として韓国に来られるであろうということも聞きました。また、主によって、韓国が特権を持った国になり、韓国によって全世界が神様の元に復帰されるであろうということを知ったのです。 彼女が天から受けた12の重要な教えがあったのですが、幾つか例を挙げてみれば、次のようなものがあります。一、日本からの韓国の解放。二、再臨主は、韓国に来られるが、雲に乗ってこられるのではなく、肉身を持った一人の人間としてこられるのである。そしてその人は韓国人である。三、堕落は善悪を知る木の果を食べたことが原因ではなく、愛の行為が原因であった。すなわち、堕落は愛を間違って用いたことから生じた。四、男性と女性は結婚してはならない。なぜならば、そのような結婚は真の結婚ではなく、偽りの結婚であるからである。既に結婚した夫婦は、夫婦生活をしてはならない。五、再臨主は新しい血統を打ち立てるためにこられるので、再臨主をお迎えしようとするすべての人たちは、心と体を清潔にしなければならない。それゆえに、夫と妻の間に夫婦生括があってはならない。多くの女性たちが彼女(金聖道)の所に来て、天から多くの恩寵を受け、地上にエデンの園が到来するのを待っていたのです。彼女には、二人の息子がいました。長男の嫁は、ある牧師の娘でした。その牧師は、とても篤実な牧師でした。彼女(長男の妻)もまた、霊的な体験をたくさんし、姑が天から受ける啓示を理解しました。長男は、母がすることは信じましたが、そのことには積極的に関与しませんでした。その老婦人(金聖道)は、彼女の息子と嫁に夫婦生活をしてはならないと言いました。しかし、彼女の息子は、母親の言葉に服従せずに、妻と一緒に生活しました。その結果、霊界が彼女を連れていったのです。当時、その老婦人は蕩減の原理を知りませんでしたが、それは、夫がそれほど自分を過酷に迫害したために、夫の行動を蕩減するためであると考えたのです。彼女は、自分の息子と嫁を通して、それを蕩減することを願いました。さらに彼女は、夫が彼女の息子に対してしたすべての過ちを蕩減し、さらに自分の使命を嫁に譲り渡したかったのです。その婦人の言葉によって、彼女の次男は結婚しませんでした。さらに、彼女の他の娘たちも結婚しませんでした。そのようなことが、彼女の息子たちに起きている時、東海岸地方にいたその人(白南柱)が、彼女がいる所にやってきたのです。それは、家庭的に結合するためでした。神様は、氏族的に結合し、教会が結合することを願われたのです。西側の集団と、東側の集団が結合することによって、そのようなことを成すことができたのです。復帰の観点から見る時、東海岸の集団は、天使長の立場にあり、西海岸の集団はエバの立場にあったのです。そして天は、その天使長集団にエバの集団へ行くようにと語りました。それでエバの集団ではなく、天使長の集団が訪ねていったのです。
2022.11.14
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*流行は商売人たちがつくり出していることを知らなければなりません。流行にだまされて買う人が多いのです。皆さんはファッションを追いかけてはいけません。流行は、三年周期で繰り返します。何年か過ぎれば、また戻ってくるのです。ですから衣服を買う時は、できるだけセールのときに買うのです。セールを利用すれば、いつも流行の服を着ることができるという話です。一年分準備しておけばよいのです。夏になれば春物をセールして売るので、季節は過ぎてしまいますが、春物の服を安く買うことができるのです。それがとても良い節約法なのです。*二年分を買うとしても、その季節の値段の三分の一の値段でニ年分を買い置きすることができるようになるのです。そのようにすれば、普通の人の一年分のお金で、二年分準備しても余るのです。四季を問わず飽きないもの、着れば着るほど好ましく思う品物を選ばなければなりません。ネクタイも同じです。―つで春夏秋冬、四季を問わずに結ぶことのできるネクタイを選ぶのです。*「お金を節約しなさい」と言うとき、自分が金持ちになるために節約するのではありません。国を生かすために節約するのです。世界を生かすためです。節約して世界のためにたくさん使ったとすれば、世界から尊敬されるのです。
2022.11.13
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1天運を呼ぶ生活1 あいさつ *朝起きたら、最初に神様に善なるあいさつをして出発します。 *朝、起きてあいさつするとしても、喜びの心、希望に満ちた心であいさつをしなければなりません。寝床に就いても、報告する心で、きょうはきのうより良かったのか悪かったのかを反省しなければなりません。 *もし鼻が反対向きだったら、どうなるでしょうか?タ立でも降れば、大変なことになります。鼻がこのようについているので、洗顔するときは、頭を下げてあいさつしながらするようになっています。これは、神様のご加護に感謝し、すべてのことに対してあいさつしなさいということです。朝夕にあいさつし、仕事をしたあともあいさつするのです。 *皆さんが子女を呼ぶときは世界を代表する子女を呼び、子女を抱いて愛するときは世界を代表する子女を見いだしたという心で愛さなければなりません。どこかに行ってくれば、できる限り子供たちにキスしてあげるのです。それが私の生活習慣になりました。また、私の子女たちは、父親にあいさつをするときも、父親とキスします。どこかに行くとも父親に話してから行き、良いことがあれば父親のところに来て話します。そのような伝統を立てなければなりません。そのようにすれば、神様が喜んでご覧になるのです。 *儒教では、毎日のように父母に対して朝のあいさつをしますが、あいさつするのは、会いたくてしなければならないのであって、儀礼的な立場で、仕方なくあいさつするのは孝子ではありません。愛が土台となった行動は、すべて善として収拾されますが、愛が抜けている行動は、すべて悪として収拾されます。虚飾は悪になるのです。 *幸福な家庭の生活内容は、どのようなものでしょうか?おじいさんが、朝になったからと長男から嫁、孫、全員に、あいさつをしなさいと毎日言いますか?家庭の規律があり、その道理に従って暮らすのです。朝起きれば、お父さんとお母さんも、おじいさんのところに行ってあいさつし、孫と孫娘もあいさつしなければならないでしょう?韓国には、朝、おじいさんが起きれば、息子や孫など下の人たちがあいさつする伝統があります。 *朝あいさつすることから一日のすべての生活において、人が自動的に頭を下げざるを得ない模範を示さなければなりません。 笑顔 *いつも笑顔でいなさい。笑顔は心の花です。いつでも花を咲かせて香りを漂わせるのです。 *目を真っ赤にして声を上げて泣いてはいけません。いつも笑顔がなければならないのです。俳優のようにならなければなりません。ご飯に飢えても、にこっと笑わなければなりません。家の事情は家の事情であり、公の事情とは違います。きのうは元気だったのにきょうは変わってしまったとすれば、人はショックを受けるようになるのです。 *話をするときも、謙遜な人と傲慢な人は違います。謙遜な人は、春のような雰囲気で、気分よくさえずる小鳥のように頭を下げて話をします。ところが傲慢な姿でぶつぶつと話をすれば、相手は見るだけでも気分が悪いです。 *ある人が顔に悲しみを漂わせ、肩を落としてとぼとぼと歩いていれば、希望に満ちた鼻歌を歌ってあげながら、「おじさん、世の中はこのように笑って生きなければなりません」と言って、明るい表情をしなければなりません。そうすれば、その希望に満ちた笑顔を見て考えるのです。着ているものを見ればみすぼらしいが、このような青年もいるのかと思って希望にあふれるというのです。 *男性は、ペラペラとよくしゃべる女性よりも、謙遜で、柔和で、ほほえむ女性を好むのです。女性は、何か起きたからといって、がやがやと騒いではいけません。女性は、ほほえみながら頭を下げなければならないのです。 *女性が男性に接するときの第一の武器は何でしょうか?スマイルです。男性に対して「美しいほほえみ」と言いますか?女性に対して「美しいほほえみ」と言ってこそ似合うでしょう。女性の笑顔に、男性は反抗できないようになっているのです。それで、女性はほほえむのです。 *苦労しながら一番の底に落ちても笑顔で抱き合う夫婦、そこには千万の金を出しても買うことができない貴いものがあります。そこに美術があります。そこから文学が出てきます。詩の世界があります。愛はそのようなところで作動するのです。上品な香りを四方八方に飛び散らせ、芳しいにおいを漂わせます。 *万物も、毎日のように笑い声を聞きたいのであって、泣き声はききたいと思いません。。神様も、やはり笑い声を好まれます。すべての人が笑って暮らすようになっています。 *おじいさんとおばあさんが互いに向かい合って笑う姿は、若い夫婦が喜んでげらげらと笑う姿とは比べることができません。しわの寄ったおじいさんとおばあさんのほほえみは、素晴らしいのです。互いに笑い合う、そのほほえみによって、すべてのものが和合するのです。おじいさんとおばあさんは、深いほほえみで笑うのです。 *「笑うおじいさんの顔には詩情が宿っている」と言いますが、そのとおりです。ですから、よくほほえむところには平和の国が展開し、平和の天国が展開するのです。ほほえみが消える日には、平和の天国が地獄に変わるのです。 *すべての動作を統一させることができるのは、笑うことです。美人でも、醜い人でも、笑うときは、目も笑い、鼻も笑い、口も耳も笑い、すべて笑います。ほほえみが、なぜ良いのでしょうか?すべての動作を和合させ、和動させることができるからです。和動させて一つにするのです。 *笑っている顔を攻撃することはできません。たたくことはできないのです。特に、幼子のような、何の欲望もない純粋な笑顔に対しては、つばを吐く人はいません。 *人は涙のある友達を願いますが、一日中泣いてめそめそしている、そのような友達を願うのではありません。涙のある反面、笑いに満ちた人を願うのです。 *人は、いつもしかめ面をしていてはいけません。困難な時でも、あふれる喜びを発見することができなければなりません。 *町内で一番貧しかったとしても、「私たちが一番裕福に暮らしている」と考えなさい。それが素敵なことです。ご飯を三食、四食抜いたとしても、平和な表情で、にこにこと笑い、希望に満ちた顔をして歩くのです。そのような女性と結婚する男性が不幸になるはずがありません。 *女性は無性に笑います。首から笑い、イヤリングも笑い、ネックレスも笑い、手も笑い、すべて笑わなければなりません。 *女性のほほえみは家の中の花です。円満な家庭を成そうとするなら、女性は喜悲劇の一流女優にならなければなりません。夫が喜んでいるときも悲しいときも、完全に溶かしてあげなければなりません。 *笑って、また笑って、笑いながら喜ぶ新郎新婦の笑い声は、世の中で最高のメロディーに聞こえるのです。神様の耳に最高のメロディーは、ベートーベンの交響曲第九番ではありません。男性と女性が喜ぶ、夫婦の笑い声が、神様にとって最高のメロディーです。そのように与え合ってお互いに喜ぶことが、神様には花なのです。自分がつくった男性と女性が、はっはっと笑って愛するその姿が、神様から見れば花だというのです。 *女性のほほえみは、すべての外交の手本です。女性の笑顔は、女王がうっとりするほど着飾るより、もっと美しいのです。 *ほほえみを哲学として生きるようにしなさい。元気よく、希望に満ちた姿で生活しなさい。 *女性は10種類の笑いを分けて笑うことができなければなりまん。夫に対しては、きやっきゃっと喜んで笑いますが、舅に対しては、同じように笑っては良くないのです。そのときは、声を出さずに、目から笑うのです。そういうことを研究するのです。そのようにしながら舅に、「お父さんが笑うのを見ましたが、本当に美男子です。一族のだれにも負けない美男子の笑顔です。毎日見れば、ご飯を食べなくても生きていけそうです」と言えば、毎日笑うでしょう。 *人に対するときには、笑顔で対さなければなりません。なぜでしょうか?自然な垣根になるからです。笑顔は不自然さがなく、注意や防備という自分を保護しようという観念を超越します。 *笑顔で気分の良い姿は、皆が見つめます。気分の悪い表情をするのは悪です。ですから、目と目が合うときには、必ず笑顔で頭を下げなければなりません。人間は、いつでも笑顔で話をしたいと思っています。口を開けば歌を歌う、そのような気分を持った人には悪人はいません。 *ほほえみは幸福の根源であり、根となるものです。*笑うのも、一緒にいる女性が喜ぶことができる笑いを考えなければなりません。男性も女性も、お互いに研究しなければなりません。 *なぜ男性が嫁いでいって暮らすようにせずに、女性が嫁いでいって暮らすようにしたのでしょうか?それを不思議だと思いませんか?結婚すれば、なぜ女性が男性についていかなければならないのでしょうか?男性は適応できませんが、女性は笑顔でいくらでも適応できるのです。ですから、女性の笑顔にはつばを吐けないというのです。それで、女性が嫁いでいくのがよいというのです。 *笑うとき、口を広げてから縮めて笑う人がおり、縮めてから広げて笑う人もいます。いろいろなタイプがあり、みな違うのです。自分の顔を見て、品位に合う笑いを研究すべきです。 *女性は、いつも笑顔を見せなければなりません。女性は美しい花です。ですから、香りも心地よくなければなりません。 *女性は大きな声で「あはっはっは」と笑ってはいけません。女性は花です。花が咲く時は、音もなく咲くのであって、「パッ」と音を立てて咲きますか?静かに咲くのです。 *いくら具合が悪くても、また風邪をひいていたとしても、健康な気分を保たなければなりません。他の人に分からないようにするという心が必要なのです。少し風邪をひいても、それを顔に出してはいけません。健康な表情をするのです。特に女性がそのようにすれば、そのような女性と一緒に暮らす男性は、随分慰められるのです。男性に心配事があっても、「どうしてそんなに心配されるのですか」と言って慰労することのできる、常に健康な表情が必要なのです。 *本を持って壇上から教えることだけが、教育ではなく、一つの言葉を話すことも、一つの行動もすべて教育です。女性が服を着ることも教育です。それは着飾りなさいということではありません。服装を見れば、その人の心が分かります。その人の人格を反映するのです。
2022.11.13
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統一教会史(1/21)この御言「統一教会史」は、1971年12月27日から三日間にわたって、ワシントンで語られたものです。世界基督教統一神霊協会の創立40周年を記念して、掲載いたします。なお、この御言は、『文鮮明先生御言選集』第52巻からの翻訳です。(文責・絹集部) ファミリー1994年5月号 皆さんがご存じのように、第二次世界大戦、前の韓国は、日本の統治下にありました。韓国の愛国の志士たちの中には、日本の圧制に抵抗して戦った人たちがたくさんいました。皆さんが原理を学んで分かるように、神様は四位基台を失ってしまいました。それゆえに、神様の復帰摂理の目的は、この四位基台を復帰することにありました。聖書と、神様の摂理の中に四数が多いのはそのためです。聖書には、40年と400年蕩減期間が多く見うけられます。すべての復帰(蕩減)が原理に従って成されたのです。 アダム国家として立つために多くの蕩減を払った韓国 神様の摂理で、韓国がアダム国家になろうとすれば、エバ国家の統治下に置かれなければなりません。エバ国家に打ち勝つことによって、独立を勝ち取らなければならないのです。日本は、ドイツとイタリアと同盟を結成したのですが、それらの国はすべてサタン側の国家でした。民主主義側には米国、英国、フランスがありました。 アダム国家として立つために多くの蕩減を払った韓国の原理に従って成されたのです。 第一次世界大戦の間に、ドイツはほぼ完全に破壊されました。ところが、ドイツが20年内に復旧することができたのは、第二次世界大戦でドイツに神様の摂理内で全うすべき大きな意義があったからなのです。いつも、負けた国が先に攻撃してくるのです。その三つの国、すなわち米国、英国、そしてフランスが連合してサタン側の国家に勝利したのです。韓国は40年間、日本の支配を受けなければなりませんでした。日本は、サタン側の女性国家でした。その40年間に、日本は韓国のすべての文化的伝統、さらには韓国の言語までなくそうとしたのです。先生自身も、その期間に、日本人たちによって投獄されたのです。そのように日本政府によって投獄され、抑圧された韓国人たちが大勢いたのです。神様によって召命される人になるためには、愛国者、孝子、または社会に献身する者にならなければなりません。愛国者とは、国の為に自分自身をささげると決意した人たちです。神様の摂理のためにも、そのような人たちが必要なのです。神様が摂理のための基台を探され、広げられる時、いつもサタンの反対の下で役事されるのです。その時先生は、一人の青年として、近づく公生涯のために準備をしたのです。第二次世界大戦が終わりに近づくにしたがって、迫害はさらに過酷になりました。日帝の末期に日本人たちは迫害をさらに加え、クリスチャンたちには神社参拝を強要しました。そのため篤実なクリスチャンたちは、神社参拝を拒否して地下に隠れました。ある者たちは満州やソ連に行き、ある者たちは山へ行って隠れ住んだのです。神様を信じ、日本から解放されるその日を渇望する多くの人たちがいたのです。日本の政府と内通していた、キリスト教の牧師たちもたくさんいました。彼らは日本の指示に従って行動しました。しかし、一方では地下や山で、変わらず信仰を守り、解放の一日を待ちながら戦った、愛国的で篤実なクリスチャンたちが大勢いたのです。 啓示を受け始めたクリスチャンたち 戦争が終わりに近づいている時、篤実なクリスチャンたちはさらに深刻になり、彼らは決定的な審判、または決定的な判決を韓国に下してくださるように、神様に祈祷しました。また、神様や霊界によって直接的に導かれた多くの人たちがいて、彼らは日本の警察が自分たちを捕まえようとする時、避けたり脱出することができたのです。彼らの大部分は、日本人たちがいつ敗北するのかを知っていたのです。 さらに、多くの人たちが、第二次世界大戦後には、世界の歴史が韓国を中心として展開されるであろうと、天から啓示を受けました。先生もそのようないくつかの団体と連結したのです。しかし、たとえ先生がそのような団体と連結したとしても、その時先生は、皆さんが今学んでいる原理のいかなることも、決して語ることができなかったのです。なぜならば、神様からのみ言もあったのですが、そのことを韓国解放直後に始めるように神様と約束したため、その時に語ることができなかったのです神様のみ旨は、一人の人のみによって成就されることはありません。共に働くことのできる対象がいなければなりません。さらに、神様は第二次世界大戦後に、すべてのキリスト教会が分裂することを知らせてくださいました。クリスチャンたちの中には、既成教会と共に働いてはならないという啓示を受けた人たちも多かったのです。
2022.11.13
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*浪費してはいけません。皆さんは副食にする物を買ってきて、冷蔵庫に入れて、いつとはなしに出し人れしていますが、それではいけないのです。食べるべき時にだけ食べなければなりません。食べる時以外に食べる習慣は捨てなければなりません。それは健康にも悪いのです*物を愛し、人を愛さなければなりません。ともすれば争い、不平を言い、自分に不利であれば何だかんだと言い、さまざまな事件が多くある、そのような社会生活の中で、ぐっと耐えて、「よし!愛しているから我慢しよう」という訓練をしなければなりません。そのように、お金を稼いで一円も使わず、財布の中のお金まで集めて人のために使おうと考えてみるのです。そのようにして息子のために犠牲になり、夫のために生きるのです。それが本当に愛するということです。そのような私たちの家庭を中心にして、社会のために、世界のために奉仕し、世界のために愛する伝統が社会に立つのではないでしょうか。*歯を磨いて洗顔するとき、水を流し放しの人がたくさんいます。髭を剃るときもさっと使い、すぐに水を止めなさい。そのような習慣をつけなければなりません。いかに水を浪費していることでしょうか。生活する中で、いかに浪費して暮らしているかを考えるのです。
2022.11.13
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