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朝通勤電車の中で菊正宗2リットル紙パック入り、を持っている人に出会いました。勿論これから会社に出勤するサラリーマンではないようです。さて、良い事か悪い事か日本ではそこらじゅうでアルコール飲料が手に入ります。もし、このおじさんが、今夜何らかの行事があって、そこで酒でも飲みましょう。という予定であったとしても何も朝から菊正宗2リットル紙パック入り、を持ち歩く必要はないのです。(重いし)予定されている行事、んー例えば紅葉の会とか、スキルアップセミナーとか、売り上げ倍増根性研修とか、何でも良いのですが、会が終わる頃、または昼休みくらいに近所のコンビニに買出しに行けばいい話です。この違和感は何だろう。よく昼から蕎麦屋で酒を飲んでるおじさんとか、今日は仕事がないから地下通路の柱によりかかてカップ酒とかストローで飲むパック酒を飲んでる人とか、特急電車で昼間からビール飲んでる集団とか・・・にはあまり違和感は感じません。でもこの電車の中の出来事だけはどうも違和感を感じるのであります。やっぱりその、今これをもっている必然性のないシチュエーションだったからでしょう。朝の通勤電車で菊正宗2リットル紙パック入り、というのはどうもいけません。今もって謎です。まさかあの中には爆弾が入っていたりなんかして(笑)
2007.10.31
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僕ら小学生の頃には野球、釣り、切手収集なんかが付き合いの必須アイテムみたいな感じではやっておりました。(昭和40年代~50年代初)今でもデパートの催事場なんかで切手・コインの展示会なんてやっているとついついどれどれなんて感じで「見返り美人」「月に雁」なんて探してしまったりしますが、日本郵趣会のカタログなんて懐かしいですね。で、釣りですが昔は首都圏でも誰が管理しているのか分からない池とか沼がありましたよね。で柵の一部を破って、その穴がいつの間にか大きくなって暗黙の入り口になるんですよね。我々は何を釣るというのはなくて、せいぜいコイ(ほとんどない)、鮒(メイン)、クチボソくらいです。我々はクチボソ釣りの小さな仕掛けで行くか、大物を狙う仕掛けにするか悩みどころでしたが、小学生なのであっさりと小物狙いでしたね。時々大人のおじさん(変な表現ですが)がなまずとか雷魚とかぶちあてて結構大騒ぎになってましたね。クチボソなら小学生でも簡単に釣り上げられるし、釣れる頻度も高かったと思います。で、こんな釣りと一線を画していたのが当時から「へらぶな釣り」でしたね。おのおじさん達は何か本格的で一日中、池の前に座っていました。今も「週間へらニュース」とかありますが、へらぶなってとても食えた魚じゃないってことから、釣って放流するだけなんですよね。へらぶなの甘露煮とかへらぶなの塩焼きとかへらぶなのカレーって確かにあんまり美味しそうでないですね。(骨が多いらしい)今でもへらぶな釣りの愛好家の方々って今も多いんすかね。キオスクでニュース見ますけど。
2007.10.26
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万城目 学著 鹿男あをによし です。いきさつは兎も角として大学の研究室から奈良の女子高へ臨時教師として赴任することになった主人公。主人公を巻き込んで古来より奈良で行われてきた鎮めの儀式が進められる。トラブル、謎解き、熱血、意外な真相が短い中に快いスピード感で描かれています。でもこりゃ、「坊ちゃん」ですな、設定から、食べ物・買い物の告げ口から、リチャードは恐らく「赤シャツ」、山嵐(重さん?)とうらなり(藤原先生?)、野だいこ(はいなかったか)、マドンナも登場で作者のなんちゃって坊ちゃんの意図が面白いです。スカッと全てが解決された後、教師を止めて主人公は東京に帰ります。清の墓はないけれど。鹿男あをによし
2007.10.25
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立ち食いソバ屋でモウひとつ思い出しました。慣れたおじさんが中心ですが、頼んだソバを受け取るとき「葱多めにね」とつぶやくのです。(大抵こういったソバ屋さんは最後に刻み葱を載せてお客に渡します)実際、葱の投入量なんてもんは厳密に量った上で入れてませんから、当番の人の個性でも量は変わります。ま、その中でちょっと多めにしてね、ということなんですね。お店の人も「ちょっとそのサービスやってないんですよう。」とか聞こえない振りするとかはしなくて、快く葱の多め、というのをやってあげてるようです。ようです、というのは私自身こういうオーダーをする勇気がないことと、ちらっと増量葱いりかけそばを肩越しに見たことがある程度だからです。ここでもうひとつ気になるのが、ソバのランクで対応が変わるのか、ということです。「かけそばしか頼んでなくて何言ってんのよちょっと多め葱」と「スペシャル山菜田舎そばなのでお店としても納得多め葱」という差別があるのかということですね。まあ、お店のほうもこれは顧客とのコミュニケーションと割り切っているでしょうから、もし来るお客が全員「葱多めにね」と言ったとしても、そのお店の葱のストックが底をつくということがないように受験の算数じゃないですけど、多目の量を調整するんでしょうね。私も「葱多めにね」が言いたい。どのくらいオヤジになったら言えるのだろう。でもそのまま電車に乗って葱くさいとか思われるのも辛いけどね。
2007.10.20
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最近気になるのは立ち食いソバやにおいて皆さんが使用する七味の量ですね。例えば10年前に比べると傾向的には「増加している」という感じです。七味唐辛子はあくまで薬味の位置づけですから私の美学的にはシャカシャカシャカくらいで入れるのがまあ妥当かと思っているのですが、隣の方なんぞ、たいがい(シャカシャカシャカ)×3から4位の勢いで七味をふりかけておられます。必然的に丼の表面は真っ赤ということになっております。出汁の味なのか、七味の味なのか分からんでしょうね。立ち食いソバ屋でも自分の意思で入った以上、その味は尊重する、というのが礼儀かと思うのですが。中にはざるソバのソバ猪口のつけ汁にまで七味を入れてる人を見ました。一般にこういう話になると最近の若いもん、という発言を想像してしまいますが、どうもこれまでの観察では、年齢は関係ナシというのが結論です。忙しい朝の出勤時でも出汁の味や香りを楽しみ食していたものが、甘いか辛いかはっきりせいや!と汗を流しながら食うという。つまり民族的に温帯ほんわかしみじみ民族が亜熱帯(もしくは亜寒帯)ギンギンバリバリ民族に変化しているのかと。よくよく考えてみると。昔からあんまり醤油とかソースとかをだぼだぼかけるとお行儀が悪い、なんて教えられて来た記憶がありますが、一人きりでアジフライとか磯辺揚げなんか食べてるとだぼだぼやりたくなることは確かにあります。まあこの辺の境目を生活シーンのどの辺に置くかという問題なのかも知れません。【やげん堀】 七味唐辛子 大辛 20gお気に入りです。
2007.10.19
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宮部みゆき著、「名もなき毒」です。長編の推理小説、最後まで読み応えありですね。あまりの多くの人物が登場し、それが自然と絡み合っているので飽きません。それだけに最後の幕引きも豪勢です。ちゃんと一人ひとりの登場人物に気を使っているのがらしいところ。毒は知らぬ間に我々に中に入り込んでいるという指摘、昨今のニュースを見ているとため息をつかざるを得ないのは事実。名もなき毒
2007.10.15
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本は読んでるのですが、少々間が開きました。葉室麟著/銀漢の賦です。第14回松本清張賞受賞作ということですが、これ好いです、お勧めです。地方藩で繰り広げられる政争、渦中にいる家老 将監と竹馬の友の剣は立つが小役人の侍 源五。名家老がその地位を追われながらも藩のことを思い人生最後の大博打にでる。なぜか?謎が謎を呼び、それらを解きほぐしながら物語りは進んでいきます。貧しい地方藩で苦しむ武士や農民、商人の生き様もうまく書かれており、人間らしさが出ておりグーです。時代小説でありながらミステリー。最後も納得。銀漢の賦
2007.10.14
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これは感覚論かも知れませんが、夜仕事から帰ってきて、「うーもうだめだ・・・バタンQ」ということは良くありますよね。お酒なんかが入ってくると「もう明日の朝、シャワーあびればいいや」と寝てしまうことがあります。不思議なもんで、汗を流して寝るのと流さないで寝るのは翌朝の疲れにダンチの差がでます。これはなぜだろう。で、感覚論を申し上げているのですが、そのまま寝ると、寝てる間に汚い汗が体の中にしみこんでくる感じがどうもピッタリきます。従って、朝起きたときに非常に体が重く、足も張った感じで、いやーな気分にならざるを得ません。最近はどんなに酔っていても、体が石のように重くても、汗だけは流して倒れることにしております。詰まらんお話で恐縮ですが。
2007.10.13
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9月24日に胡蝶蘭って花が枯れた後、役員室の窓際でどんな運命を辿るのかという、ことを書きましたが、その後の確認で花が枯れ始めたら針金みたいな茎の部分を切って、それはそれとして飾り、葉の部分は一株ごとに植え替えてまた花を咲かせる。ということを今更ながら知りました。捨ててたんじゃなかったのね。ということは大体、3株ぐらいが一鉢に入って贈られてくるのでこれが3つの鉢になっていくわけね。ということは、また大きくなって花を咲かせる段階になると(最も温室で調整するらしですが)3つくらいを寄せ集めて贈り物にすると。すると個人でもらった場合はせいぜい1鉢が3鉢で終わりということですね。もし、この咲き終わった胡蝶蘭を回収することができれば、花卉園芸家はさながら工場みたいな感じでしょうか。先日花屋で咲き終わった胡蝶蘭が売られていました。これってジャンクショップから機械をかってきて古い車をレストアする感じに近いのかな~。それと先日開店したお店の横に「持って帰って下さい」と張り紙した胡蝶蘭(花なし)が置かれていました。すし屋の桶でもあるまいに、と思ってましたが、なーんとなく胡蝶蘭をめぐるアンダーグランドサイクルが見えてきたような。(大げさ)
2007.10.08
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都営バスの車体に書かれた広告に目が行きました。「芝信用金庫 しばしん」と書かれています。埼玉信用金庫=さいしん とかの部類です。しばしん?=インドの神様・・・インドの神様でシバ神ってあったなあ。いやあればシヴァ神か、確か破壊の神様・・・。シヴァは、ヒンドゥー教の3最高神の一柱。創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌに対して彼は破壊を司る。日本ではシヴァ神・シバ(湿婆)ともいう。『ウィキペディアWikipedia)』よりやはり破壊の神であったか、当然、芝信用金庫にお勤めの方の一部はお気づきなんだろうな、でもあんまり、庫内で話題にしちゃいけんのだろうなあ。別の日みすず学苑の車内広告「怒涛の英語」を見てヤマトタケルノミコト、クレオパトラ、老子・孔子・荘子、小野小町、縄文太郎がいる・・・縄文太郎は無理がないか・・・。英語のテストでクレオパトラとか小野小町がひどい点をとって悩んでいる・・・といことか。しかし広告を見る限り古代史の予備校化と思うわな。その後、ネットでも過去のバージョンを確認しました。初めから何パターンか想定して写真をとっとくんだな・・・。人間黙っていても色々考えることはあります。
2007.10.08
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決して若くはないんですが、やっぱり大盛りと聞くと心躍ります。色んなシチュエーションがあると思うんですが、まあ、休日のお昼前にすきっ腹を抱えているとしましょう。昨日作ったカレーが鍋にたっぷり、なんてことがあるとついつい、カレーライスの大盛り、いえ家庭内ですので普通盛りと大盛りの線引きはありませんが、皿からあふれんばかりのカレールウを見れば誰でも、こりゃ入れすぎた・・・と思うはず。しかもカレーの上には昨日残った揚げ物系のおかずまで乗っけちゃって。こういうものを食べるときは気迫が大事だと思っとります。一瞬でもカレーに隙を見せると、もう胃に入りません。一心不乱に食べ進まなくてはいかんですね。都内W大の近くに牛めし「三品」というお店があります。三品の由来はメニューにあるものが牛めし、カレー、トンカツの3つだからということですが、メインのカツ牛(トンカツ入り牛めし)の大盛り、とかミックス(牛めしとカツカレーのミックス)の大盛り。いずれも大カツ牛(おおかつぎゅう※)、大ミックス(だいみっくす※)は大学運動部もご愛顧の大盛り、これを何秒で食べたとか、猛者たちの記録が残ってます。これも気迫が必要で和やかに友達と談笑してなんてやっていると、すぐ胃の中が一杯になってしまします。※下につくメニューの違いで大の字の読み仮名が変わるところがミソです。このほか同大学付近にはなくなってしまいましたが、カレーの藤の大盛りとかあって、こと大盛りに関しては話題に事欠かない(三品にはまだ大盛りの謎があります、これはまた別途)街ですが、「胃」が満腹感に気づかないうちに全部入れてしまうというのがポイントです。三品についてはネットでも色々取り上げられています。カレーの藤は懐かしさこみ上げる思い出です。
2007.10.07
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電車に乗り込んで来る皆さんを見ていると、さりげなく空いている席を探そうとしてゴルゴ13のデューク東郷みたいな鋭い目付きに知らず知らずなっているのが面白いです。多分自分もそうなんでしょうが、一瞬の内に左右を見渡そうとするとあんな顔になるみたいです。
2007.10.06
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