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新番組 時をかけるテレビ #1「核戦争後の地球」が問いかけるアーカイブスに残る番組の再放送だって当時は見た記憶がない我が家には録画機能も無かったから 今見れてよかった覚えとしてメモをする世界100か国の科学者の意見をもとに 核戦争と戦争後の世界についてNHKが企画し 7か国の放送局の協力で作られたそうだ。しかし 例として東京に1メガトンの核爆弾が落ちたら・・・という設定なんだって・・・えーーーー? 何で東京なん?と思ったが NHKが作ったからなのか・・・データは アメリカ国防総省とエネルギー庁のものを使用しているとのことゴジラ映画真っ青なくらい 迫真の映像で 力をいれて作成したのだなと分かるストックホルム国際平和研究所の フランク・バーナビー教授が 学者の中心となったという1945年(終戦の年)7月16日 アメリカ、ニューメキシコ州アラモゴードで原子爆弾が誕生した広島投下 ウラニウム型原子爆弾長崎投下 プルトニウム型原子爆弾実験データが出る前に もうテニアン島に運ばれて投下準備されたという結局投下され 昭和20年末までに 広島で約14万人、長崎で7万人が犠牲になり その90%が 被爆後2週間以内に亡くなった。この広島 長崎でのデータとともに 翌年のビキニ諸島での水爆実験アメリカ ネバダ州で何度も行われた核爆発の実験のデータが残っている放射線の被爆後のデータが想像以上だったらしく 実験下にいた兵士や関係者 ビキニ諸島に住民 漁師などが 多く被爆して放射能被害が起きた。1メガトン(広島型原爆の80倍)の爆心直下での熱は約5000度で 直下の衝撃波熱戦が光の速度と同じくらいで襲いそのあと 爆風と轟音が来るという東京タワーの上空2400m 巨大な火の玉が発生都心のビルや港のガスタンクも 爆発崩壊しガレキやガラスが粉々になり外へ向けて飛んでいく爆心から半径5km内(東京タワーから新宿駅あたりの距離)はほぼ全員死亡半径15㎞内でも 生き残るのはわずかだという爆心地より半径15km圏内に 当時の世界の大都市の中心はほぼ入る大きさだったという全面核戦争ということになって 原爆を1万発 5000メガトンの核爆弾がさく裂したら広島型の40万倍である少し離れた地域でシェルターに避難できても 人間の体温と湿度で室温が上昇し 体温が6度上昇したら多くが死に至るという爆発の上昇気流は 爆発の放射能を持ったすすを巻きあげ黒い雨が人々の上に落ちてくるもっと細かいチリは成層圏にまで上昇し 地球全体に広がっていく可燃物や石炭 ガス 石油が燃え 大量の煙やすすが上昇し地球全体を覆い太陽の光と熱は届かない核戦争後の世界の気候について公聴会が開かれたアメリカ ソ連各4人づつの科学者が招かれた別々の研究方法で独自のデータを示したところ どちらも世界の凍結が起きるということだったシベリアではマイナス50度マイアミではマイナス22度など・・・海のプランクトンまで死に絶えるから 魚もいなくなる植物も生きていけない学者は核兵器の増加と安全保障は 反比例する・・・と100メガトン 当時の戦略潜水艦5隻分で 「核の冬」はやってくるという・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この想定は1984年だけれど 今は核戦争といったら どのくらいの規模になるというのだろうかもし始まったら誰がやめようというのだろうか敵がまさかの核爆弾を発射したら どうするのかこちらも撃たないではいられないのだろう そうして 次々と相手の壊滅を狙って撃ち合うというのが全面核戦争の始まりと 認識されているやられる前に先制攻撃そのあとは終わりのない戦争終わりが長引いたら 核の使用?相手がするなら・・・そうなる前に人間の英知で外交で 話し合いで なんとかならないのであろうか・・・
2024.04.12
先日のGHQ占領下の 下山事件の事や ウクライナ戦争でのプーチンの事など気になって過去 10年ほどの間に録画しておいたNHKの 関連する「ドキュメンタリー」や「映像の世紀」を続けて見てみた。1924年 ソビエトを建国したレーニンが 53歳で亡くなった。女性の参政権を認めたり 農民の解放を掲げたりはしていた彼だがレーニンも 権力が劣勢になったときには 手段を選ばなかった。自国民に対してもだ。あまりにも国が広い(民族も多い)と 同じ国民という意識が希薄になるのだろうか。内戦や粛清があった。そのあとを引き継ぐレーニンはもっと粗暴だった。まさに邪魔者は消せ、怪しいものは消せなのだ。周りも手も足も口も出せないなんて。それは 基本的に寒冷でよく飢饉もおきやすい なかなか国力の上がらない国の人間として他国が豊かになりつつある中で 悔しさと怒りとじれったさを持ちつづけるのが 我慢できなかったからではないかと思う。そうでなきゃ 今のプーチンに至るまで こんなに次々と権力者がひどい政治をするなんて信じられない。(フルシチョフやゴルバチョフはいたが)先日のGHQ占領下の下山事件でも アメリカからしたら 勢いづいてきた中国やロシア 北朝鮮の共産主義に対する反共の砦としての目的のためにも 日本国中にしっかり張り巡っている国鉄網を 軍事的に支障なく活用するためにも労働運動や平等運動などから派生した共産主義が とても邪魔だったと思う。疑いのありそうな国鉄職員を選んでいる余裕はなく 下山事件は労働組合員や共産主義者が 起こしたとして世論を納得させ 組合員の多く10万人を難なく解雇した。関係者を権力を使って拘留したり弾圧したり 暗殺したりはしても スターリンらに比べたら無差別の程度ははるかに軽い。でもやはり 主義?国?権力?を守るためには どんな国でも最後はやりかねない。そのためには やはり国民が無知であっては やられ放題ではだめでいろんな確かな情報を知り 各自が考えて 自分事として政治を見張らないとならないと思う。どんなことが 過去 歴史上あったのか たくさんを知っておきたい。で レーニンとスターリンの番組を同じ日に見ていたら おかしなことに気づいた。歴史上の 迫害の画像が 年代が合わないのにレーニン時代にもスターリン時代にも 番組上使われていたのだ。ああ これが 「映像の世紀」がプレミアムになったり バタフライエフェクトになったりと上書きされて訂正された理由だったんだな と 合点がいった。歴史は 現代の人間がその時に実在できたわけもなく 限られた資料で推察する場合もあるしこれこそが その証拠だと 編集時点で確信したりもしたろう。あらたに新しい資料が出てくることもある間違いがあれば そこを明確にわかるように訂正して 前に進んでいってほしい。
2024.04.04
作家”松本清張”戦後アメリカを中心とする進駐軍の占領下で 次々と不可解な未解決事件が起きた。それらの不可解をルポとして世に残してくれた。「日本の黒い霧」などがある。そのいくつものルポの中に 下山事件もあり 帝銀事件もある。先日Nスぺで 戦後最大の謎と言われている「未解決事件」File10と11 下山事件 について放送があった。1976年のロッキード事件での田中角栄氏逮捕時の 検事総長がこの下山事件時の 東京地検主任検事だった布施健氏だった。当時は日本はGHQ占領下で独立前だったこともあり 事件は決着を見なかった。このNスぺでは アメリカ国立公文書館の資料や当時の新聞社の資料や 検察でお蔵入りだった資料などから この布施氏の独白?意識?として作られた番組だった。この番組でも 資料を可能な限り明示してくれたがそれでも いろいろな権力の思惑もあり file10では真実を明らかにはできなかった。あす file11の録画も見たい。しかし・・・・NHKにもいろんな問題があるだろうけれど「正義の行方~飯塚事件」もそうだったし、以前の未解決事件「ロッキード事件」などそういう未消化の疑問の残る事件などを検証してもらえるのは やはり今はNHKしかないかもしれない。踏ん張って がんばってほしい。生きていれば97歳の亡父は 私が子どもの頃から一緒に家族で夕食を食べたあと 戦中戦後の話をよくしてくれた。父は戦中戦後の真ん中で学生であり 激動の時代を見てきたと言っていた。テレビ番組もそんなにない時代だからワクワクしながら いろんな話を聞いて育ったそれも何度もだし 時間がたつにつれて詳しい話になったりしたものだから私の脳裏には映像のように 残っている。長い間 そう子育てが一段落するころまでは 思い出しもしなかったがNHKで映像の世紀シリーズなどを 見ていくうちに いろいろがつながって関係づいて そこから図書館で本を借りたり 検索したりして 私の考え方に影響していると思う。でも 父の話から離れて 世界情勢や政治の話などを知るにつれ共産主義 社会主義 帝国主義 資本主義 民主主義 というくくりもあるけれど国を牛耳った権力者によって あまり主義思想というよりも けっきょくは権力闘争なのでは??という思いが強くなってきている国民は うまく騙されて利用されることが どんな国にもあり得ると思ってきた。そして庶民の命や生活は 権力者にとってはただの駒なのではないかと思う簡単に騙されてはいけないのだと思う。 以下は 覚えとして昨年放送された 松本清張と「小説帝銀事件」について書いた日記をを再掲しておいた戦後GHQ統治下の昭和23年1月の帝銀事件(赤痢の予防薬と称して青酸化合物により行員らを毒殺した事件)の被告 平澤氏だが、あまりに物証が無さすぎる裁判で死刑判決となったことに かえって不信を抱き冤罪ではないかと調査した松本清張氏の小説(ノンフィクションにはできなかった)清張氏は GHQと日本軍731部隊との密約にも近づいていたし ほぼ推察はできたが やはり決着はつけられなかった。そんな国家的密約・大事が こんな元部隊員の銀行強盗で公になるなんてとんでもないという権威筋からの圧力があったとは 記していた国家の大事って何だろうか?日本を反共の壁にしようとしていたGHQは 労働組合勢力の中の 諸分子とかただ 市民平等 人権を求めようとする新しい日本の人々までも とりあえずつぶして置け という方向づけをした。戦犯でも 反共に利用できるものなら 戦犯であっても恩赦や罷免により解放して さらに利用するそこにまんまと乗って 純粋に国を守るではなく権利主義 国家主義を目指す力を 図らずもバックアップした金 金の 権力主義 拝金主義 支配主義百歩譲ってそれで 国民がみな安心な生活を送れるならいいけれどその拝金主義 権力主義によって今は 恩恵にあずかれない 低層国民が膨れ上がっているのは 結局は 国の力をそいでいるのだと気づけていないしかもそれでも たったの無辜の市民が いわれのない冤罪を押し付けられるのは 別問題だいつでもどこでも 国家の というか権力の意向によっては たったの市民の命なんかは国の大事には 大したこともないということだどこかで大きな力が働けば なんとでもなるという恐怖でもあるしどこかでいつの時代も 起きているということだという(小説より) 警視庁の主観が 新聞の主観となり それが読者の主観となり「世論」の主観となるのであるだから メディアの報道も あまりにどこも同じような論調の時は ん?とかえって疑った方がいいかもしれないのかも冤罪にさらされる人間は 抗弁の力のない者が多いという逆に 大きなバックがついている時には安心して すぐにばれるようなことを平気でやる森 加計事件などや 今までの大疑獄事件特に オリンピックのこの大汚職は 安倍氏 森氏など 絶対安全なバックがいる時にずっとばれない前提だったのだろう。どの思想が正しいとかは無いのかもしれないけれど ただ権力を支配し都合のいいように国を動かし 国民を欺くことがないように 権力の検証と見守りは大事だと思う。
2024.04.02
我が家は 今穏やかな時期にある。でも20年以上は ちょうど氷河期前後の息子らのことでずいぶん悩んだり誤解したり 衝突したり・・このあいだに 老いた両親ら4人を見送ったし・・・今は 私達親も終活を考えねばならない時期になり もう悩んでいる余裕はないからかかえって 焦りも苦悩も ”どっちにしろ そのうちお迎えが来るんだ できることをしてればいいな”と思えてそれなら 楽しい方がいいじゃん と 思っている。息子らを残して逝けない とかも 考えてもしかたがないので できることを考えていこう!とだけの気持ちだ。で この20年旅行らしきものにも行っていなかったので 今年は念願の沖縄に行った。旅行を渋っていた息子らも とても良かった と言っている。私も ひょんなことで骨折でもしたら もう動けなくなるかも?と来年は これも念願の北海道(私だけ行っていない)へ行こうと計画している。で 例によって いろいろ北海道の事を検索したり 図書館でガイドブックを借りてきたりしているので先日の また杉田水脈議員の発言が気になった。今回 公金チューチューなどと アイヌ関連事業の関係者が公金不正をしているようだとの発言をしていた。それは彼女が確認した事実でもないし伝聞であり もし何百歩も譲ってそういう不正をした人がいたとしても それで アイヌ民族をののしるような発言をしていいわけがないと思っている。それより以前から度重なる アイヌ民族や弱者に対する差別発言を 得意げとも言えるようにしてきた杉田水脈氏のことは どうしてずっと自民党は処分しないのだろうとか ずっと比例区で当選させるのだろうか・・とか 思ってきた。覚えとして ニュース記事を留めておく *強制移住→疫病で400人犠牲 杉田水脈氏が人権侵害したアイヌ 悲しい歴史は本当に共有されているのか ←リンク*杉田氏発言に再び批判 アイヌ事業「公金チューチュー」 ←リンク収賄贈賄を繰り返すことが政治家の仕事のように考えている議員たちは ”公金チューチュー”ではないのかと思う。先月 映画を見たのだがディカプリオ、ロバート・デニーロ主演の ”キラーズ・オブ・ザ・フラワ―ムーン”アメリカの1920年代 オクラホマ州が舞台 アメリカ先住民との軋轢があった時代の話だった。今のパレスチナ イスラエル戦争もそうだし、ウクライナ ロシア戦争も世界の内戦や 宗教対立 迫害も そうだろうし人種差別も いつまでもなくならない。杉田氏だって日本人でアジア人なんだから 欧米に行けば 被差別民族なのにね。最近は大谷翔平さんが 好感を持たれて活躍しているとか アメリカのミュージック番付で K-popや 若い日本人アーティストが上位に上がっているなどを聞くと親近感や 理解も進んできているのではないかと思う。もちろん 白人至上主義はあるのだろうけれど 少なくとも 有色人同士や 多民族同士が 音楽やスポーツやアニメ 観光でも理解が進むはずだと思っている。実際人間同士なら 友人になれるような市民同士が なぜいがみあって 勢力争いをして侮辱し合い 自分たちが正当で 他を下に置こうとするのだろう と思う。知らないくせに 知らないからこそ 揶揄してみるのだろう。先日のETV特集で部落問題を扱っていて 録画しようと思っていたのが 忘れてしまいいや 夫が見ていたというので 昼食の時に話を少し聞いて驚いた。いまだに差別はしつこく残っているのだそうだ。現代社会で 若い人同士が自由に恋愛し結婚し 引っ越しも自由だし もう誰が昔 部落と言われた地域出身だったかなんて誰も問題にしなくなっているんだろうと思っていたから びっくりした。どうしてェ?そもそも部落出身だって なぜいけないの?ただの市民でも 事件を起こしたり 汚職をしたりしても その何代あとまで しつこく追いかけまわさないよねェ・・・今どきの誹謗中傷が趣味のような 偏執的な人たちがストレス発散に さも正義と錯覚して 続けているんだろうかわからん他人が勝手に思い込んだ妄想で 被害を受けるなんて 冗談じゃないよね。息子は結婚しないようだけど もし出身の娘さんと結婚すると言っても 息子を愛してくれるというなら 大歓迎だしもし それをわざわざ中傷してくる人がいても「だから なに?」って追い返すわさて その他にも 忘れちゃいけない 大きな政治ニュースが立て続けにあるのに覚えておくことが難しくなってる悲しい・・・・思い出したら また 載せて覚えにしようと思う。
2023.11.20
再放送だったが 今世界のドキュメンタリー前編を見た。「狙われる少年たち・イスラエルの「抑止的」治安対策」←リンク NHK HPシリーズ緊迫パレスチナ情勢3 2022年エルサレム・フィルムフェスティバル「最優秀取材賞」受賞作品であるショックで 後編は昼間見ようと思うのでとりあえず 覚えで貼りつけておこうと思う。ただヨルダン川西岸のパレスチナ暫定自治区には 世界的には許されていないイスラエル人の入植者が多く入り込み、その居留地の道路を確保し パレスチナ側とは異なるインフラを整備し どんどん入り込んでいるという。この番組の中でのインタビューでイスラエル入植者が主張するには この地域はイスラエルの占領地なのであって法と秩序で 暴力的なパレスチナ人やデモやテロをする人間は 法にのっとり逮捕するだそうだ。ただサッカーをしていても 石を投げていた少年たちの近くにいただけでも とにかく引きずってでも逮捕し刑務所に入れる。そうして 制圧しやすくすることに 逮捕しやすい少年たちが狙われているという。14歳以下であっても 強く尋問され泣きながら友達の名を証言していた。これって今抑圧できても 子どもの心には激しい憎悪だけが はっきり残るのではないか・・・・う~~~~~んアフガンでもウクライナでもロシアでも いやこの日本でも国家や自治体の権力を持つ人間は 謙虚に正義を持って 人をリスペクトして行動する責任があると思った。ただ・・・・権力の行使の仕方を これが正しいと妄信して それしかしない人には穏やかに 何度説いても 伝わらないのが悲しい。
2023.11.08
今年の3月20日に 自分の記憶の為にも書いた 映像の世紀についての記事だったが今夜の8月21日 また映像の世紀バタフライエフェクト「GHQの6年8カ月」マッカーサーの野望と挫折」が そのおさらいのようでもあり 新しい話もあって 3月の日記を 更新しておく。マッカーサーが為したことでは当初は民主化として支援した労働組合に対して のことや 組合が反体制化していくことの恐れでの急な逆コース政策のことや 朝鮮戦争の決着に核を望んだことなど 理解できないことも多いけれど 当時の日本人 政治家だけでは成しえなかった日本の民主化ではあったのかと思えた。前回の映像の世紀のおさらいのようであり やはり一度まとめているので頭に入りやすかった。ただ 新しく気づいた内容があり それを書き留めておきたい。実際に相手の国(今回は日本)や国民と深く対峙したことで マッカーサーであっても日本的な文化や人間性から、気づくこともあったのではないかと思った。よほど日本の一億玉砕的な 芯からの軍事的で挙国一致で強い天皇制を持つ国民なんだろうという恐れと興味とを持って占領にあたったマッカーサーであったんだろうと思った。 強い権力を持っていたから 数か国による分割統治もされずにすんだのかもしれない。昭和21年4月5日の 連合国対日理事会でマッカサーは 占領と統治がうまくいっていると誇らしげに語ったとのことだ「新憲法に掲げられた戦争放棄を 全世界の人々が 真剣に検討されるよう勧めたい。 この考え方こそ世界の進むべきただ一つの道である。」だんだんと本国との齟齬が出始め トルーマン大統領から解任されるのだがそれによる帰国の日の 坂口安吾のことばについて 昭和26年4月16日の読売新聞の記事がある。・坂口安吾の言葉より「妙な話だが 日本の政治家が日本のために はかるよりも 彼が日本のために はかる方が 概ね公正無私で 日本人に利益をもたらすものであったことは 一考の必要があるでしょう。」前回書いた アメリカ議会でのマッカーサーの退任演説 にあった追加も書き留めたい「・・戦後日本国民は 近代史に記録された中では 最も大きな改革を体験してきました。 私は占領軍の米軍4個師団を (日本の基地から)朝鮮戦争に送り込みましたが 日本に生じる”力の空白”については 何の不安もありませんでした。(警察予備隊は作ったが) 結果はまさに私が確信していた通りでした。 日本ほど穏やかで秩序のある 勤勉な国を知りません。 また 日本ほど将来 人類の進歩に貢献することが期待できる国もないでしょう。」何を持ってそう感じたのでしょうか。そして そう言われた私たち日本人は どう貢献すればいいのでしょうか・・・?1943年の アメリカアラスカ準州のアッツ島上陸での戦いからの玉砕(まだ大半の遺骨は帰っていない) 兵器や食料の枯渇の中 近代兵器で攻めてくるアメリカ軍へ銃剣で突撃し 玉砕したという。それからはうまくいかない戦いは 玉砕か放置の餓死(戦死230万の6~7割は餓死) 本当に何とかならなかったものか。そんな無謀な軍隊の指揮に 日本精神で必死で戦った日本兵は ”穏やかで秩序ある勤勉な” というならば 次世代は その国民性をどう考えて世界に貢献していけばいいのでしょう。*******************************************************<2023年3月20日の日記>「NHK映像の世紀 バタフライエフェクト 朝鮮戦争 そして核はばらまかれた」冒頭の語りで ”私たちはなぜこんな世界に住んでいるのか 映像の世紀 バタフライエフェクト 核の野望に取りつかれた権力者たちの 物語である。” とある今年2月23日に録画していたものを 見て戦後から朝鮮戦争 核の拡散への流れが少しつかめたので 覚えで書き留めておく**************************************1945年8月 ソ連軍は 35年に及ぶ日本の支配下にあった朝鮮北部へ進軍した1945年9月 アメリカ軍が 同様に朝鮮南部に進軍した。 当地の責任者は マッカーサーだ こうしてアメリカが提案した北緯38度線を境とした 分割統治が始まった。 当初は 市民の行きかいもあったし、日ソの兵たちも友好的であった。 日本という 共通の敵を倒した同盟国意識であった。1948年8月15日 マッカーサーは アメリカに亡命していた独立活動家 李承晩(イ・スンマン)を支援し 韓国大統領となった李承晩は、大韓民国独立式典を マッカーサーも招いて行った 李承晩は韓国内に潜む 共産主義者と思われる者たちを弾圧したり処刑した。 武力によって朝鮮半島を統一する野望を持っていた。 北ではスターリンのおぜん立てにより 一人の抗日ゲリラであった金日成が指導者となった 金日成は 中国共産党の一員となったあとソ連軍の一員ともなり スターリンに忠誠を誓った。 朝鮮統一の野望のため 1949年モスクワを訪れ ソ連製の兵器を大量に受けることと その見返りに かつて日本軍が開発したウラン鉱山の原爆原料ウランを提供する話がまとまった ⇒それにより1949年8月29日 ウランを手に入れたソ連が ソ連初の核実験を成功させた。1950年6月25日 北朝鮮軍が 南へ侵攻し 朝鮮戦争が始まった。 北朝鮮軍の装備は ソ連軍から大量に提供受けたものであったが、 韓国軍の装備は 第2次世界大戦の中古品だった1950年6月25日 国連安全保障理事会が招集され 国連軍を派遣し38度線まで押し返すことを決議した。 常任理事国のソ連は出席をボイコットしていて 拒否権行使はできなっかった。1950年7月13日 日本のGHQにいたマッカーサーが 国連軍の責任者として任命された。 国連軍の中心は 在日米軍であり 前線基地であった。 が 米軍は北朝鮮軍に歯が立たないで 一カ月で南端の釜山まで追い詰められた。 米軍は原爆を手にしてからは 軍事費を減らし訓練もなおざり 士気も低くなっていた。 米軍が朝鮮戦争で日本国内の占領統治が手薄になり 自衛隊の前身である警察予備隊を作った。 憲法9条の規定があるにもかかわらず 緊急性があるとのことで国会の審議も無かった。1950年9月15日 マッカーサーは奇襲として 仁川港からの上陸作戦を決行した。1950年9月28日 国連軍はソウルを 奪還した。 マッカーサーは 38度線を越え北朝鮮軍を撃滅する野望により さらに進軍をつづけた。1950年10月14日 北朝鮮東部の強制収容所を解放したとき その中に文鮮明がいたという 1950年10月13日 マッカーサーは 日本を反共の砦 とするために 1万人に及ぶ戦争協力者の公職追放を解除した。 1952年4月 永久戦犯容疑者として 巣鴨プリズンに収監されていた岸信介も 政界に復帰した。 その後 反共産主義の政治勢力を築いていく こうして 国際勝共連合(統一教会)を率いることになる文鮮明が 勢力を拡大し 日本においても 勝共連合を設立することにし その発起人の一人が岸信介 ということだ。1950年11月 厳寒の北朝鮮北部で苦戦する米軍に マッカーサーはクリスマスまでに国に帰れると約束していたが 対岸の鴨緑江では38万人もの中国の義勇軍が待ち受けていた。 前年建国を果たした毛沢東は「アメリカによるアジアの侵略を中国はだまっていない。」と宣言する 戦場へは 国民党の敗残兵を送ればいいと考えてもいた。 その頃の毛沢東の言葉として 「原爆など恐れることはない 中国には何億人も人間がいる。一千万人や二千万人の死は 恐れるようなことではない。 義勇軍の出動は変えてはならず 予定通り鴨緑江を渡れ。」1950年12月24日 中国軍に38度線まで退却させられたマッカーサーは 起死回生を狙い、 日本からワシントンへ送った無線は 「・・・ハバロフスク、北京、大連、サハリン、ナホトカなど 中国やソ連の都市に向けた26発の原爆を要求する。」であった。トルーマン大統領は それに応じず 翌年4月マッカーサーを解任した。トルーマン大統領の言葉「アメリカは戦争を朝鮮半島に限定すべきだ。第三次世界大戦を避けるためである。」まだ続いていた戦争で 日本は朝鮮特需で空前の好景気になっていた。兵器や照明弾 迫撃砲などの大量生産なども行われていた。戦後破産直前だったトヨタ自動車は 米軍や警察予備隊からの軍用車の注文殺到で 息を吹き返した。北朝鮮へは 東京や沖縄などから出撃した戦闘機が 東京大空襲と同じような 町への大規模な空襲を行った。犠牲者は東京大空襲の10倍 100万人に及んだ。トルーマン大統領は マッカーサーを解任したとして国民から支持を失い 代わって共和党のアイゼンハワー大統領が 朝鮮戦争停戦を公約に就任した。1952年11月1日 アメリカは原爆よりはるかに強力な 水爆実験に成功した。 威力は 広島原爆の650個分だった。 それに対し毛沢東は 中国に原爆が必要だと強く主張することになる1953年2月11日 国家安全保障会議にて アイゼンハワー大統領は 「共産側が軍隊の立て直しに使っている地域に対して 核兵器の使用を考えるべきである。」1953年3月5日 スターリンが死去する それによりソ連から休戦の声が高まった。1953年7月27日 板門店にて アメリカと北朝鮮の軍人が休戦協定の調印が行なった。 平壌では 金日成も調印した。 朝鮮戦争での犠牲者は アメリカ軍 5万人 中国義勇軍 100万人 韓国人 130万人 北朝鮮人 250万人 とされる1953年7月28日 金日成の演説 「われわれはアメリカ帝国主義者の企てを 粉砕し敗北させた。 われわれの平和的な都市と農村を 焼野原と化した米国の空軍基地が日本にあり また日本が米軍の兵器廠、後方基地であったことも 良く知っている。 停戦協定の締結は 砲火の停止をいみするものではない。」 (ということは今でも戦争中だと言っているのか・・・・? 安倍さんじゃないけれど 世襲の意地 自己実現が絡んでくると難しいのかと思う。)1953年8月12日 ソ連が アメリカに続き 水爆実験を行った。1964年10月16日 中国が 東京オリンピックの期間中に 初の核実験を行った。1991年 ソ連崩壊1994年4月 北朝鮮も 旧ソ連ウクライナの技術者を招き 核を手に入れた。2022年11月18日 北朝鮮は 公式に核保有国であると宣言した。 朝鮮戦争開戦時に 核保有国は 米ソの2か国で 合わせて374発だった。 現在では 世界9か国の 12,705発であるという1951年4月19日 マッカーサーの退任演説 (アメリカ議会にて)「私は いま生きている誰よりも戦争については 知っています。 私にとってこれほど嫌悪すべきものは ほかにありません。 しかし いったん戦争がわれわれに押し付けられれば これを 迅速に終わらせるためには 使えるすべての手段を使う以外に選択肢はありません。 ・・”老兵は死なず ただ消え去るのみ”・・」**************************************そのあと ETV特集の「ソフィヤ 百年の記憶」という番組でウクライナの 何度も侵略されしいたげられ続けてきたソフィヤさんの家系百年の記憶を 知ったが、初めはほんの数人の 偏った独裁の考えによって 何百万人の命が 犠牲になるというそして たったの市民は どちらの市民も翻弄されてしまうという怖さを 知った。大江健三郎氏が 先日亡くなったが反戦の運動も多くされていて ある演説で「私たちには何も力がありませんが あるとしたら市民の力なのです こういった市民のデモなのです。」というような言葉が頭に残っている。翻弄されるがままでは いつまでも止まらないから やはり言うべき時には いろいろな意見を表すのが大切だと思う。
2023.08.21
春に沖縄へ行ったときに、繁華街ではなく歴史や戦跡を回りたいと思いグーグルマップで何度も調べていた。国際通りは歩かなければならないし、食べ歩きもあまり興味が無かったのでゆいレール沿線の戦跡や観光地を見ていたらおもろまちという駅の近くに 慶良間チージ(安里52高地・シュガーローフ)というのを見つけた。日本陸軍の本部のあった首里の西側に当たる丘で 大事な防衛線だったようだ。マップ上の画像で碑文を見つけ 拡大して読んでみた。その碑文の中から抜粋「日本軍の陣地の一つ 日本軍は”すりばち丘”、米軍は”シュガーローフ”と呼んだ。 一帯の丘陵地は日本軍の首里防衛の西の要衝で 米第6海兵師団と激しい攻防戦が展開された。 ・・・1945年5月12日から1週間に及び、1日のうち4度も頂上の争奪戦がくりかえされるという激戦の末 18日に至り米軍が制圧した。 米軍は死傷者2662人と1289人の極度の精神疲労者を出し、日本軍も学徒隊・住民を含め 多数の死傷者を出した。・・・・・・・・・・」残念ながら予定が立たず 立ち寄れなかったが それからずっと頭に残っていた場所だ。息子や私を含めて家族は体力がなく 本当に行くべき場所を回るには時間的に余裕が無かったのでひめゆりの塔、平和祈念公園、勝連城 本部周辺の海 美ら海水族館・・・などだけだった。この”シュガーローフの戦い”は 本にも戦争漫画にもなるほど戦争の歴史的にも 大きなものだったと知ったところだった。そうしたら 本日のNHKスぺシャルで「戦い、そして、死んでいく」という番組があった。 この沖縄戦での戦場での記録録音があるのがわかった とのことで 第6海兵師団に密着した通信兵が録音した記録の中に シュガーローフの戦いの場面もあったのだ。そして 美ら海水族館のある本部(もとぶ)のあたりから 読谷村へ向けての上陸作戦時の様子もあった。その戦場にいて今も生きておられる米兵の方や家族の話から米兵の方も ずっと苦しんできたのだとわかった。沖縄戦で20万人の戦死者がいたというが、そのうち沖縄県民は軍人も含め12万2000人の方が亡くなったという。しかも そのうち住民の犠牲は 9万4000人なのだという。ただシュガーローフの戦いでの戦死者は不明と番組ではいっていたので もっと多いのだろうと思う。なんという悲劇だろうか米軍の若い兵士も それだけの無辜の住民を殺したことや 隊の仲間を見殺しにしたことや失ったことなどそれも辛いことだったのではないか。戦時には感情が無くなっていても 忘れることができないと苦しんだ帰還兵の方の言葉には 心が痛い。戦争は なにもいいことが無い ただ命の消耗戦だということなんだ。
2023.06.25
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