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何かあった時にコントロールできないものだったら最初から作らない方が良い、という観点から原発には懐疑的だったが、今回完全にこりゃダメだ、と思った。国民の皆様が喉元過ぎれば熱さ忘れるのを国や電力会社は狙っているのだろうが、さすがに今後はそうはいかないような気がする。利権狙いの原発推進派の政治家にはダメージが大きいだろう。明日はたまたま夫も私も仕事が休みなので、気晴らしに少し遠出することにした。どこに行くか、という話の中で、静岡県にある浜岡原発の見学はどうか、と冗談半分に言ったところ、息子が予想以上に拒否反応を示した。「原発嫌だ、もし行った時に地震が起きたらどうなるの、放射能で死ぬんじゃないの?」地震が起きたからと言っていきなり放射能漏れとか爆発ってことはまずないのだろうが、それ以前に原発という存在そのものに対する恐怖心が息子には植えつけられたらしい。暗闇を怖がる子供の恐怖とか平安貴族の怨霊に対する恐怖みたいな、とにかく理屈はさておき怖い、という種類の恐怖なのかもしれない。うちの息子に限らず、今回そう感じている人は相当数に上っているに違いない。慢性的な電力不足と原発、どっちを取るかと言われたら、今現在なら電力不足を選択する人の方が多そうだ。ロードサイドのファミレスやパチンコ屋、ショッピングセンター、コンビニなどでは看板の照明はほとんど消されていて、震災以前に比べると夜はずっと暗くはなっているものの、だからといって特に困ることは無い。敢えて言うなら、店の近くに来るまでそこに店があることに気付かないということか。スーパーの中も照明がかなり減っていて、何となく華やぎに欠けはするものの慣れてしまえばどうということは無い。今までいかに無駄な電気を使っていたか、改めて思い知らされている。これでも北朝鮮に比べればはるかに明るいのだし。このまま電力不足に慣れてしまえば人々の間では原発不要論が大勢を占めるのかもしれないが、産業界だろうな問題は。これをきっかけに成長を目指さずまったり現状維持もしくは緩やかな下降線を描く日本というあり方も真剣に考えた方が良いとは個人的には思う。計画停電状態には、息子を含めた若い人たちは案外あっさり慣れている。むしろ高度成長を支えた50代以上、特に男性がこの状況にイライラしている人が多い。日本がイケイケだった時代を知らない若い人たちの方がこの状況に適応しているというのも皮肉なものだ(笑原発止めようよ、といっても、ぱちんとスイッチを押せばおしまいというものではない。停止も大変なら解体も凄まじい困難を伴う。だからそんなめんどくさい物作らなけりゃいいのに、と言ってもできてしまったものは仕方ない。少なくとも原発の新設はしない、今稼働しているものに関しては順次停止して放射能漏れの無いよう処分する(っつてもむちゃくちゃ金と時間がかかり危険が伴うが致し方あるまい、原発推進派の政治家や産業界の皆さんにぜひとも作業していただきたい)、電気の少ない生活に慣れる、経済成長はある程度諦める。そういう方向に行くしかないってのが今の日本の雰囲気じゃないのかねえ。どうせ人間のできることなんて知れてるんだからさ、ちったあ謙虚にならなくちゃならんのだよ。
2011.03.27
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googleの東日本大震災情報まとめサイト東北から関東にかけて放射線量が増えている。うちは子供が大きくなっているのでそれほど慌ててはいないが、もしまだ赤ん坊だったらきっと気をもんでいただろうなあ。放射線量が増えていると言っても健康診断のレントゲンとかCTとかで実は普段から結構被曝してるんだよなあ。どっちが問題になるのかよく分からないけど、今の放射線量だったら年に6回ぐらいレントゲン撮るよりも少ないのと違うか。一昨年はCTも撮ってるしレントゲンも撮ってるし、結構放射線浴びてるぞ私は。よく分からないのが、ニュースで言ってるベクレルとかマイクロシーベルトとかの意味。そもそもどういう単位なのかとか、使い分ける理由が何なのかさっぱり分からない。調べれば分かることなんだろうけど、正直結構どうでもいいと思っているので調べてない。かつて理学部物理学科(中退)に在籍していたことのある夫に訊くと、「ベクレルってのはなんかこうひらひらぎざぎざした感じで、シーベルトってのはぐーんと前に進む感じ、ってか?」と二の句が継げないような呆れ果てた答えが返ってきたのでもう二度と訊かないことにした。今現在、多少普段よりも多い放射線を浴びてもしかすると将来の発がんリスクがちょっと高くなったのかもしれない。そうだな、例えば本来なら20%だったのが、20.03%に跳ね上がったのかも。息子がいなくて夫婦2人なら茨城産や福島産の野菜や牛乳を食べても別にいいよね、と夫と話しているのだが、さすがに息子に食べさせるのは親としては避けたい、と思ってしまう。ただ東京ではかなりパニックになっている水道水は、うちの方はとりあえず放射線量が増えているとかいう東京や茨城などの一部とは水系が違うので普通に飲んでいる。東電の対応が後手後手に回りがちだったり、情報開示の仕方が中途半端で却って不安をあおっているとか都合のいいことしか言ってないとかいろいろ問題はあるので批判されるべきことは多々あるけど、それはそれとしていろいろ調べてみた限りとりあえず今の放射線量でそんなにパニックになる必要はないんじゃないか、というのが自分の結論。ただし、もし危険な水域まで放射線量が増え過ぎたり東電が何かヤバい話を隠していたことが分かったら息子は避難だな。
2011.03.24
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元気が出ない。何をするのも億劫。軽い鬱が来ているような気がする。今被災して避難所にいる人たちも、落ち着いてきた時にそれが来るのだろうか。しかしとにかく今この時を生き延びる。この先1日を、1時間を生き延びる。がんばらずにやり過ごしたりするのもあり。まずは生き延びる。そうしているうちに、何となく明るくて暖かい場所にいつの間にか出ていたりする。だから、とりあえずもう少し。被災者の皆さんにも、自分にも。
2011.03.22
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googleの東日本大震災情報まとめサイト石巻在住の親の知人が無事であることを確認できた。高台在住で、津波にやられなかったそうだ。この地区の春のお祭りは中止になった。とてもじゃないが花を飾った山車に乗って太鼓をとんとこ叩く気分になれない、と太鼓保存会のおじさんたちが言っていたし、神社の方からもこの状況なのでお祓いだけはするけれども、祭りそのものは自粛してほしいという通達があったそうだ。まあそうだろうな、と思う。鳴り物で賑やかに、という時期ではない。私自身もそんな気分になれない。太鼓が叩けない息子は少し残念そうだが、そりゃそうだろうね仕方ないね、と言う。他の地区でもやっぱりお祭りは中止になるみたいだし、花見の時期になっても今年はライトアップは中止らしい。この3日間は連休だったのに観光地も閑散としていたそうだし、外食産業も人はまばら、街中の人出も買い出しの人がいるぐらいでずいぶん少ない。今、少なくともこのあたり全てを「そんな気になれない」という落ち込んだ空気が支配している。私は阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件の時には日本にいなかったので、日本で起きた大災害を気の毒だと思いつつどこか距離があり、実感としてピンとこなかった。しかし今回は揺れとその後の混乱を実際体験しているので、被災していないのにかなり気分的にこたえている。中越地震もかなりの衝撃だった。しかし今回は地震だけでなく津波と原発事故と災害がいくつも重なったうえに、津波で人々の暮らしがなすすべもなく破壊されていく映像を目にしているので、何か心を深くえぐられたというか、再び取り戻すことのできない何かを失ったような気持ちになっている。中越出身で地震の後ボランティアに行った夫でさえも、今回の震災の方が気持ちが落ち込む、と言っていた。とは言っても、私には被災者の本当の大変さなど到底理解できない。原発の事故に立ち向かう人たちの悲壮な思いを共有することもできない。できないが、しかし同じ時代にこの国に暮らすものとして想像はし続けなくてはならないと思っている。まして福島原発の恩恵を受けていた首都圏在住者としては。口先の批判ではなく、共感とそれに伴う行動。この喪失感を埋めるものはそれしかないのかもしれない。
2011.03.21
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googleの東日本大震災情報まとめサイト 茨城や千葉の一部を除き地震の直接的な被害はあまり無いものの、地方に押し付けた原発に頼った報いで計画停電という憂き目にあっている関東だが、地元の電気と何の関係も無い原発をしょい込んだばかりに幾重にも被災してしまった福島の人に比べればそれぐらいの不便はどうということも無いと思っているので特に困っていない。もともと非常時への備えも兼ねて物の備蓄もあったから余裕かましてられるのかもしれないが。しかし実際問題、懐中電灯もろうそくも無い人にとっては夜間の停電は困るだろう。幸い一昨日の夜停電した時はたまたま月夜だったので外は結構明るかったのだが、当然いつもが月夜ではない。マンションによっては「室内でのろうそくの使用は危険なので禁止します。懐中電灯などを使用してください」と家主が掲示していたりする。確かに慣れない火を使ってうっかり火事になったりすると集合住宅では被害が大きいので、家主が禁止したくなるのもわからないではないが、懐中電灯やアウトドア用のランプの無い人にとっては酷な話だ。オール電化住宅やマンションなんかだと、蓄熱式とかいろいろあるらしいので一概に言えないみたいだけど、家によっては停電で火が使えず調理も大変なんじゃないだろうか。室内での火の使用が禁止されている人には使えないかもしれないが、サラダ油を使ったろうそくの代わりになる照明や、カセットコンロが無い時の簡易コンロの作り方を発見した。ランプの作り方コンロの作り方ランプとコンロの芯の作り方 非常時に役立つ生活技術がまとまっているサイト。ここにも空き缶を使ったランタンの作り方が掲載されている。燈心はティッシュもいいけど木綿のタコ糸の方が便利かもしれない。被災人の知恵 アウトドア用のランプやコンロを持っている人には必要ないかもしれないけど、手近にあるもので何とかする技術もあれば万が一の時に役に立つかもしれない。ボーイスカウトとかやってた人だとそういうこと知ってると思うけど、普通の人はあまりそういうこと知らないしね。私もこのサイト見て感心した1人ですわ。
2011.03.20
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googleの東日本大震災情報まとめサイト関東の一部でも被害のあった今回の地震だけど、首都圏の大部分は基本的に問題ない。原発の放射線が問題といえば問題ではあるものの、現地の福島に比べれば今のところは心配が少ない。原発周辺地域での農産物に影響が出ているが、おそらく福島で生産された農産物は必要以上に排除されるだろう。農家には気の毒な話だが、今はみんな敏感になっている。風評被害は凄まじいものになるに違いない。一部商品の買いだめパニックと計画停電や電車の運行状況の悪さ以外はほとんど問題ない。問題は買いだめパニック。昨日の日記のといもいさんのコメントへの返事にも書いたけど、要するに買いだめで品薄という情報→とりあえず足りてるけど、無くなった時に買おうと思ってもその時無かったら困る→買っとかなくちゃ→(以下ループ)なんだよなあ。うちの近辺でも米が無くなったりインスタントラーメンや牛乳や電池が売り切れ。でも、スーパーに行けば肉や野菜、魚、豆乳、たいてい何でもある。普通に料理して食べようとしないのだろうか。コンビニに行けば、種類こそ減っているかもしれないがおにぎりも弁当も売っている。さしあたって大きな地震が今すぐに来そうな感じでもない。だからさ、みんな落ち着けっての。みんな買ってるから自分も買わなくちゃ、自分だけは損したくない、という利己的な発想がこういう事態を招き、悪化させてるんだから。バイクにいれるたった5リットルのガソリンも買えないってのおかしいでしょうが。それよか昨日今日とすっげえ仕事忙しくて、走る走る。疲れてへろへろですわ。米とか送ってもらってる人大量発生してて荷物がいちいち重いし。米は米屋でもちゃんと売ってるってば、送ってもらわなくてもどうにかなるって。慌てるな。
2011.03.19
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1週間が経った。勤務先の営業エリアが夕方から計画停電なので、急遽営業時間を短縮し夕方で業務を終了することになった。そうなると大変なのはドライバーさん。夜間指定になっている荷物もとりあえず客先に持って行って、もし在宅していれば渡す。集荷も早めに進めておかないと営業時間内に終わらない。時間がタイトなので、今日は夕方までトラックに同乗することになり、荷物を持って走る走る。またそういう時に限って不在が多く、持ち戻りの荷物がトラックにたまる。個人宅から集荷の連絡が多く、引っ越し荷物のような大量の荷物がトラックにたまる。5時半が近づいてそろそろ店じまい、という頃に再配達の連絡が入ると思わず「無理!!」と叫びたくなる。こちらからよその地方に発送する荷物の中に、米とか野菜とかカップめんなどが増えた。このあたりでも米の買いだめやラジオ、電池の売り切れ状態が続いてはいる。しかし、宛先を見る限りもっと困っている地方にいる友人親戚に送っているようだ。都心部などもものが極端に手に入らなくて困ってくるだろう。ちょっと前までは発送の荷物がかなり少なかったが、少し落ち着いてきて、もっと困っている人がいるということに皆気づき始めたのだろうか。関東は停電の時を除くと平和なものだ。停電があってもなんとなくしょーがねえな、とみんな些か諦めムード。そんなに大騒ぎしてもねえ、とほぼ平常の生活を送っている。
2011.03.18
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息子の誕生日(ぼちぼちさんと同じです)。ケーキを買いに出たが計画停電で店が閉まっている。スーパーも停電解除まで閉店。プレゼントも買うどころではない。夫はインフルエンザの祟りで今日も不調。彼も息子同様イナビルが効かなかったようだ。息子は昨日から登校しているが、給食が出なくなって午前授業になっている。電車がまともに走っていないので、塾に行けない。参加を楽しみにしていた今月末のイベントは2つとも中止になった。被災地に比べれば全然大したことではない。それでもやはり失われたささやかな日常を思うと、親としては結構気が滅入る。夕方になって停電終了。息子は塾に行けないので、友達と遊んできた。夫の好きそうな料理を作った。グレープフルーツも切った。息子には買い置きしてあったカスタードクリームの鯛焼きをデザートに。夫は昨日よりずいぶん回復した。明日は今日よりたぶん良くなる。少しずつかもしれないけど。明日も停電はあるみたいだけど、買い置きの食料がまだまだあるから安心。ガソリンはちょっと不安だけど、まだ残っているし今心配しても仕方ない。日常が戻ってきたら、ピザ屋のデリバリーを頼んでケーキを食べよう。そして、ワンピースの単行本買ってあげるよ。ちょっと大変だけど、こんな誕生日も、一生のうちにはあるんだね。誕生日おめでとう。
2011.03.17
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ガソリンスタンドで給油しようとする車の長い行列が街中にできていた。ざっと1.5kmぐらいだろうか。行列が邪魔で、渋滞になっている。うちの得意先の米屋の店頭にも行列。スーパーでも開店直後の時間は人が殺到して、到底まともに買い物ができないと諦め、1時間ぐらい後に買い物に行った、という話も聞いた。福島原発の事故で屋内待機に指定された地域では、今のところ特に放射能に汚染されている訳ではないのに外部から物資は入ってこない、かといって避難もできないために住民がにっちもさっちもいかない状況に置かれている。各種チェーンメールも飛び交っている。公式発表を信用できないという気分はわからないではない。都合のいいことだけを語り、都合の悪い真実は隠蔽する、だから政府(会社)の発表など信用できるか。この手の公式発表が信用できないという点では、私やあなたの言動と同じ程度に信用できないと考えて間違いあるまい(笑)。そこを責め立てたところで、吐いた唾は自分にかかるだけだ。人の認識には誤差があり、都合のいいところだけを語りたがる習性がある。更に何がどうなっているか分からない状況があり混乱があれば、そりゃ常に正しい報告ってのはできない。団体であれ個人であれ、人間がやれることというのはその程度のものだ。だが、そこに真摯さというものがあればすべてが間違いだとか嘘だということもないだろう。だからといって政府や会社の過ちが良いという訳ではもちろんない。実情を知り、速やかにできる限りの改善を行うという姿勢が無ければそりゃ人々が公式発表を信用しなくなるのも仕方ないことだし、信用されない政府や団体は早晩倒れる。とはいうものの、今ここで何とかしようとしている現場の人たちを責めるのは簡単だが、現実に動くことは簡単ではない。インフラが無い、情報が無い。近所の人に野菜を分けるのとは桁が違い過ぎる。いま日本人が為すべきことは、他人を責めるのではなく、自分ができることをすることだ。不要不急の買いだめに走るのではなく、その金を寄付する。とにかく今現在から後々まで一貫して必要なのは金。物は物資救援の団体や自治体に任せればよい。自治体や政府は、混乱している情報を整理し状況を正確に把握する義務がある。というかお上の仕事はそれに尽きる。民放ではバラエティを復活したが、CMは自粛している。被災地域以外の人からすれば、そろそろ地震情報に飽き飽きしている頃だろうと思うし、実際自分もたまには少し地震から離れた番組を見たい気分になることもある。でも、実際に今そういう番組を見ても何かひどく白々とした気分になる。ウソだろこれ、とか、ふーん、とかいう感想しか出てこず、さっぱり面白くないし全然リアリティが感じられない。今の自分にとってのリアルは、震災の被害こそないもののいつ停電になるか分からない、買いだめに長蛇の列ができる非日常的な日常であり、そこに由来するどこか地に足が付かない気分である。こういう浮遊した気分の隙間に、デマを信じたがるメンタリティが生まれるような気がする。デマは関東大震災の時に朝鮮人を殺した。そのことを忘れる訳にはいかない。人はパニックになると何をするか分からない。だからデマを信じるな、根拠のない不安に振り回されるな、と私は自分に言い続ける。今はとにかく目前の危機を何とかしなくちゃいけない、個人の感情的な行動は国を損ないかねない。私は全然さぴお的な人ではないのだが、すっかり愛国者だなこの文章は(笑忘れてはならないのは、数の問題じゃないことは承知の上だし不謹慎な表現だとは思うが、多くの人が亡くなってしまったことはとても痛ましい事実だけど、それよりもずっと多くの人が今生き残っていること。生き残っている人がこれ以上辛い思いをせずに済むように、きっといつかは何とかなる、と今生きている人が的確な情報を得て必要な協力をする。おそらく希望はそこにあるし、そこにしかないのだろうと思う。
2011.03.16
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ついさっき、コメントへの返信を書いているまさにその時大きめの地震が来た。今度は静岡が震源らしい(これを書いている現在、まだ震源地が出ていない)。先日の地震と同じぐらい揺れたが市の広報では震度は少し小さく出ている。と書いているそばから今も余震の揺れが来ている。今回は今のところ停電は無いが、いつシャットダウンするか分からない。今日、仕事でスーパーのそばを通ると客が行列していて、いつもより多くの客が集まっていた。水や米やラーメンや電池、缶詰、惣菜、懐中電灯などの防災用品を買おうという客らしい。あんまり客が集まり過ぎて、入場制限までしてた。ああ、また揺れてるよ。震源地はやっぱり静岡東部。今回は内陸だから津波が無いとは思うけど。営業所に戻る時、契約のガソリンスタンドに寄ると昼過ぎなのにガソリン売切れで店じまい。帰宅時、県道では300m以上先のスタンドに並ぶ車の列で道が塞がっていて急遽抜け道に迂回。何で今パニックになるかなあ。物資がすぐに無くなるという訳ではないことぐらい知ってると思うんだけど。計画停電に備えて?でもさ、停電は3時間で終わるってわかってるんだよね。東北の被災地域みたいに、電気がいつ来るかもわからないのとは全然違うよね。食料品も十分に出回っているし、農業生産地の東北が壊滅状態なのでものによっては品薄になるのは間違いないだろうが、全ての食べ物が無くなるはずもない。そもそも国産よりも安い輸入食料品だって相当出回っているんだから、今さら東北で生産された食品が手に入らなくなったと言って慌てる必要がどこにあるんだか。食料品や水を今本当に必要としているのは東北の避難所にいる人たちだろうが。自分とこに被害があった訳でもないのに、急に買いに走るのってあんま意味なくね?喉元過ぎりゃ熱さを忘れちゃって、半年後に今日買いあさった缶詰とかインスタントラーメンを持て余したりしなければいいんだけど。なんかそんな風に殺気立ったスーパーに買い物に行っても鬱陶しそうだ。1週間ぐらいはスーパーに近寄らない方がよさそうだな、と思い、当分今備蓄してある食料とJAの直売所で買った野菜でやっていくことにした。石油も備蓄を放出すると言ってるんだし、コンビナート火災も石油製品生産量に深刻な打撃を与えるほどではなかった。不要不急のガソリンを買いに走って、本当に必要な東北に行かなくなったらどうするんだ。たぶんなくならないと頭ではわかってるんだろうけど、みんなが買いに走ってるのを見ると、自分が手に入れられなかったらどうしよう、って思っちゃうんだろうな。私自身、あまりにもみんなが買いあさってるんで、一瞬自分も買わなくちゃ、という気になったもんね。次の瞬間、ああいかんいかん、そんな慌てなくたって普通に暮らせるだけのものは手に入る、と思い直したんだけど、思い直す間もなく買わなくちゃ、って思っちゃう人もいるだろうし。そうそう、今日の仕事の荷物、中身が懐中電灯とか水のペットボトルとかがやたらに多かったなあ。懐中電灯は確かに今どこの店にもなくて、今すぐ欲しい人は他のエリアの人から宅急便や小包で送ってもらうのが一番確実に手に入れる方法だろうねえ。なるほどこの手は使えるな、と思ったことだよ。
2011.03.15
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朝5時半、市の防災無線の放送でたたき起こされた。市内はいくつかの停電グループに分かれているのだが、6:20からの停電グループがあり、停電とともに断水するエリアが予想されるので水を準備するように、という内容。うちのエリアは断水予想地区ではなかったが、もし6:20からの停電グループだと洗濯を早めにしておかないと拙いな、と思い、洗濯機を回してついでに給湯器が動くうちに風呂掃除、そしてポリタンクに水を入れる。茶の間でPCを開き、東電のHPを見ると輪番停電のグループが昨夜と違っていた。あれれ。今日は暖かくなるという予報だったものの、インフルエンザ男が2人もいるので暖房用にストーブに給油。そうこうしているうちに6:20になったが停電の気配はない。ニュースで、朝の停電は無くなったと言っている。やれやれ。しかし電車はかなり止まっていて、動くのは都心部中心のようだ。うちのあたりではすっかりストップしていて、都心部に通勤する人は大変だろうな、と思ったが、都心部だと郊外の社員が出勤できないことよりも電気が来ないことの方がおそらく重大事に違いない。人より電気。所詮被雇用者なんてその程度のものなのだ。しかし午後からの停電があるかもしれない。息子は今朝は咳が残っているものの熱は平熱になっていたので、今日は病院に行かず様子を見ることにした。しかし夫は相変わらず具合が悪そうで、電気が来ているうちに夫をかかりつけに連れて行かないと面倒なことになりそうだ。関節や筋肉が痛いとぐったりした夫を車に乗せてかかりつけに連れて行く。診断はインフルエンザB型。息子からうつされた可能性120%(笑ここでもやっぱりイナビルが出たが、MRはどんだけプッシュしたんだ。しかし息子には効かなかったぞ。夫には効くんだか。午後になったが停電する気配は無い。停電情報を見るためにテレビが付きっ放しで却って節電にならんじゃないか(笑そういやいつの間にか輪番停電が計画停電という名前に変わっていた。明日以降も停電がある可能性があるので、息子の学校は今日で給食を打ち切り、今学期はすべて午前授業になる、というプリントを息子の友達が持ってきてくれた。結局今日は停電無しで1日が終わったが、今日一部の地域での夕刻の停電があっただけで済んだのは、電車の運行が激減して節電が旨く行ったことも大きかったのだろう。しかし、電車が動かないと人やモノの動きが鈍り、経済活動にも影響を与える。この大災害で経済活動にまではなかなか頭が回らないかもしれないが、経済活動が今以上に沈滞すると税収の減少など復興を妨げることにもなりかねない。いつまでも電車の運休を続ける訳にもいかないだろう。どの程度電車を走らせるか、とにかく初めての事態に直面して東電も悩ましいに違いない。しかも東電は福島の原発メルトダウン事態も抱えている。とはいえ、東電はかなり正直に情報を開示していると思われる。記者会見も頻繁に行っているし、ここでうっかり情報を隠したりすると後で大変なことになるという判断もあるのだろうけど、慎重ではあっても特に何かを隠すことなくこまめに状況を報告している点は好感が持てる。原発関連の仕事をしている親類に言わせると「表現は楽観的かもしれないけど、正確な発表だと思う」そうだ。メルトダウンと計画停電の件でしょっちゅう記者会見している東電の担当者にマスコミの記者たちが質問をしている映像をたまたま息子と見ていたのだが、息子が言う。「ねえお母さん、あの人さっき東京電力の人が説明してたのと同じことまた質問してるよ、あの人って東京電力の人の話ちゃんと聞いてないの?それでどうして取材してるの?」確かに(笑「ああ、あの人は多分日本語が理解できないか、最初から人の話を聞く気が無くて、同じことを質問することで自分の頭が良いと思わせたがっている人なのかもしれないねえ」「それで頭良いって思う人いるの?それにさっき『もっとはっきり言えよ』とか言ってる人もいたけど、『はっきりしたことはまだ分からないので、確認したら発表する』って電気会社の人言ってたんだから待てばいいじゃん、何でえらそうにそういうこと言うんだろ?」「うーん、分からないからイライラしてるか、人の話聞いてないんだろうねえ」「マスコミの人って頭良い人いないの?」…大変いい質問です(爆「良い人もいるんだろうけど、周りがアレだからさ。朱に交われば赤くなるってことわざ知ってるよね?」「うん知ってる。それってつまり、周りに頭の悪い人がいっぱいいるから、頭の良い人がその中に入っても悪くなっちゃうってこと?」「そうなりそうだよねどうやら。お母さんとしてはあんたにマスコミの仕事はお勧めしないな、あんたがもしあんな人になっちゃったらお母さんは情けないからね」
2011.03.14
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こういう話がすぐさま出て来るってことは、万が一の事態はかねてから想定していたのだろう。うちのエリアは明日は2回停電があるらしいが、情報が錯綜しているようでまだよく分からない。学校はさっき連絡網で、給食が作れないので中休みに牛乳を飲み、給食はパンのみで掃除終了後下校という連絡が来た。どっちみち息子は明日も登校できないけどね。問題は熱がいったん下がったのにまた発熱し咳がひどい息子と、インフルエンザ感染確実な夫の病院での受診。息子は小児科のかかりつけ、夫はいつものかかりつけに診てもらうつもりだが、停電の時間帯に引っかかったらどうなるのか見当もつかない。返されるのか、電気が来ている時間帯に来るよう言われるのか、明日になって蓋を開けてみるまで分からない。会社や商店などもどうなるか、停電慣れしていない日本人がどう対処するんだろう。ネパールでは、毎日当然のように停電があった。いつ停電というような予告は全く無い。夜タメルをぶらぶら歩いていると、突然両側の店が暗くなる。ああ停電か、と思う。店の主は慣れたもので、ろうそくを店内に灯す。ちょっと立派な店には自家発電装置があって、そういう店は煌々と電灯が付いている。宿に戻ると部屋は真っ暗。どこの宿にもたいていろうそくとマッチが置いてある。中国でも、80年代や90年代初頭だと大都市はどうか知らないが、地方都市レベルだとしばしば停電があった。断水も日常茶飯。そうだ、ラダックでも常時電力不足でレーの町は1日おきに町の半分が停電していたなあ。暗い中、ろうそくの明かりで宿泊客が車座になって夕食を食べたのを思い出す。デリーでも夜中に停電して、天井のファンが回らなくなって暑さのあまり目が覚めて眠れなくなり、窓の外で野良牛たちが寄り集まって野菜くずを食べているのを眺めていた。日本の生活だと電気が無ければラダックやネパールでの停電生活よりはるかに不便だとは思うけれど、何となく停電慣れしているせいか、今回の停電も特に大変だという気があまりしない。冷蔵庫の開け閉めはあまりしない方が良いな、とは思うし、掃除や洗濯や料理も電気が来ているうちにやれることはやる方が効率が良いだろう。でも、電気が無くても所詮個人宅なので何とかならないことは無い。最大の不便はネット接続ができないぐらいだ。そもそも100年前まで、現代人から見ればひどく不便だっただろうが、人は電気無しでも暮らしていた。今回の災害で被災した人は本当に気の毒だと思う一方で、地球を貪りコントロールもろくにできない太陽もどきを手に入れて驕る人間への、何というか黙示録的な災難なのかもしれない、という気がしている。こんな未曾有の大災害でも、マスコミはしたり顔で被災した人にマイクを突き付け、後知恵で政府の対応を批判する。今はそういう時ではない。批判ではなく、助言と協力が必要だろう。大津波に飲まれるべきだったのは、慎ましく暮らす市井の人々ではなく、安全な場所でしたり顔の評論家を気取る阿呆なマスコミの手先どもだったのかもしれない。
2011.03.13
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昨日の地震から一夜明け、今日も出勤。職場でも皆昨日の地震の話でもち切りになっている。荷物がいつになく少ない。普段の8割以下という感じ。北海道と東北6県ではうちの会社では荷物の受け入れも配送も完全停止。それはそうだろう、高速道路も国道も通行止めになっていたり寸断されていて、東北方面では到底荷物を送れる状況ではない。昨夜ニュースを見ていたら、うちの会社のトラックが津波に流されて他の車に完全に乗り上げている映像が出て、ああこれじゃどうにもならないな、と思った。それに、そもそも荷物の情報が送られてこない。関東地方でも冷凍冷蔵の荷物等は受け入れも配送も停止になっている(一般の荷物はOK)。そうこうしているうちに、今度は千葉の一部と茨城でも東北同様、荷扱いが完全停止になった。配達を始めると、今度は昨日の地震の影響であちこちのマンションや商業ビルのエレベータが停止している。今日行った限りでは、7割の建物でエレベータが終了状態(笑)いったい何の罰ゲームだ。マンションの7階に駆け上がるとさすがに息が切れる。昨日の地震のせいか知らないが、皆何となく息を潜めて家にこもっている、という感じがする。いつになく荷物の配達完了度が高い。結構みんな家にいる。天気のいい土曜日ともなると、荷物を持って行っても不在のことが多いのだが。街中の車もいつもよりはるかに台数が少ない。皆出かけるのを控えているらしい。そういえば明日市内で行うイベントも中止になった。お得意の会社が昨日出荷した大口の東北行きの荷物は届けられないので返しに行く。荷札を見ると、宛先の横手とか置賜とかに交じって気仙沼とか大船渡などの地名。この宛先になっている会社は無事なんだろうか、と心配になってしまった。ドライバーさんがコンビニに寄って昼食を買いに行った。戻ってくると、「カップめんの棚が空っぽだよ」と言う。そうか、みんな地震や停電に備えて買いだめしてるんだなあ。昼過ぎに仕事を終えて帰宅すると、昼前に買い物に行った夫が「スーパーのカップめんやペットボトルの水や電池や惣菜類が売り切れだった」と言う。かく言う我が家も、朝一で買いに走ったものがある。それは灯油。昨日電気が使えず暖房が無かったのに懲りた。もしかすると灯油を買いに来る客が多いかも、と朝早いうちに行ったのだが、そういう客が他にも殺到したかどうかはわからない。そもそも、ファンヒータじゃない普通の開放式石油ストーブなんぞ使ってる家は今どきあまり無いのかもしれないし。でも、開放式石油ストーブって電気がいらなくてこういう災害の時にはホントに頼りになるんだよねえ。普段使わなくても、1台あると安心。ろうそくも灯油もある。日持ちする食料は実は普段から少し気に留めていて、乾物や乾麺、インスタント食品、缶詰など1週間以上は優に食いつなげるぐらいストックしてある。水のタンクもある。ビニールシートやラップもある。家さえ倒壊しなければ当座は何とかなるようにしてある。地震の備えはとりあえずOKなんだけど、息子はどうやらイナビルが効かなかったらしく熱がさっぱり下がらない。今夜は39.7度になり、3日連続で38度以上の熱が続いてさすがに消耗していそうなので、遂に解熱剤を使うことにした。ろくに食事もしていないので、げっそりと顔の肉が落ちていてかわいそうになる。それだけでなく、夫も今日の夕方38度の発熱。さては息子にうつされたな。野郎2人がくたばっていて、私が1人元気なんだけど何か損したような気分だが、そう思うのって間違ってるんだろうか。とりあえず地震の被害もなく、自分は今のところ健康なので御の字だよなあ。明日は夫と息子の看病をしながら地震のニュースを見続ける予定。うう。
2011.03.12
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午後2時半過ぎの地震が起きた時、本当に偶然だが家族全員が家にいた。夫は所要でいったん職場から戻って県庁所在地に出かける寸前。私は仕事から帰宅し息子の様子を見たり片付けをしていた。息子はインフルエンザで学校を欠席して茶の間で寝ていた。最初に揺れに気付いたのは私。ああ地震か、と最初は思った。そのうち止まるだろうと思っていたがいつまでも揺れる。次第に揺れは大きくなる。もう出かけたかと思いつつ玄関に地震だ、と声をかけると、夫はまだいた。彼は気付いていなかったらしい。夫は茶の間に引き返してきた。息子が怖がって軽くパニックになっている。とにかく3人で食卓テーブルの下に潜り込んだ。壁に立てかけてあるものが倒れる。揺れはしばらく続いた。揺れが治まったころテレビを付けたが、次の瞬間停電。テレビもPCもエアコンも全てが機能停止。そして思い出したのが、以前といもいさんが地震の直後、断水に備えてバスタブに水を溜めておいた、と書いていたこと。すぐに風呂場に行き、風呂に水を張る。そして鍋ややかんにも水を入れておいた。これぐらいあれば2日分ぐらいの生活用水は足りるだろう。といもいさんに感謝。市内の震度計では震度5弱、と市の防災無線が放送している。ガスは都市ガスではなくLPなので普通に使える。水も市内の一部で断水しているらしいが出る。電気こそないが、欠かせないライフラインは最低限確保されている。夫は出かけるのを諦めた。この揺れでは、交通機関はおそらく麻痺しているだろう、と判断してのことだが、出かける前でつくづく良かった。夫がトランジスタラジオを、私が手回し充電のできるライト付き災害用ラジオを持ってきて、放送を聞く。映像は見られないが、刻々と各地の状況が放送されている。津波の予想が5分後に10mだと!これは被災者の数がただごとでは済むまい。先日もちょっと地震と津波があったが、あの時のつもりで高をくくっている人がいなければいいが、と思っていたのだが。大きな地震は数回来たが、三陸沖だけでなく茨城沖も震源になっていた。関東も揺れる訳だ。千葉では石油タンクが燃え上がっていると言っている。夕方になり、暗さが迫ってきた。キャンプ用のLEDランプとろうそく、ライト付きラジオ、懐中電灯、夫の夜間ジョギング用ヘッドランプで当座の用は十分に足りる。暖房の方は運悪く灯油を備蓄していなかったので開放式石油ストーブはあっても使えないものの、今日は天気が良かったので幸いそれほど寒くない。インフルエンザ息子には毛布を3枚かけ、親は着込んで対処。職場から帰宅する人たちが交通機関の機能停止で帰れないというニュース。タクシー乗り場やバス停は長蛇の列、乗っても道路は大渋滞、鉄道地下鉄飛行機高速道路有料道路すべてがストップ。歩くのが一番早そうだ。市内全域が暗い。暗い茶の間に揺れるろうそくの明かり、しん、とした中に響くラジオ放送の声。ネットも電話も停電なので使えない。携帯はつながらない。メールもダメだ。外界を知る手掛かりはラジオしか無い。80年前の日本の田舎の夜というのはこんな感じだったのだろうか。心細いと言えなくもないが、どうしようもないのだから仕方ない。とにかく何か食べるか、とストックしてあるインスタントラーメンを食べた。鍋でご飯を炊いても良かったのだが、なんというかこういう時にそういうことをする気には何故かなれない。20時ごろ、メールが開通した。弟からは心配してのメール、息子の学校からは下校に関する一斉連絡。学校のメールが今頃来ても仕方ない。てか息子はそもそも欠席していたが。21時40分ごろ、電気が復旧した。7時間ぶりの電気。眩しいほどの明かりに、電気のありがたみをつくづく感じた。ネット接続してみたが、うまく繋がらなかったり時々切れたりする。テレビをつけると、凄まじい映像が次々映し出されて言葉を失った。川を逆流する津波が堤防を越え建物や車を押し流しながら畑や家を飲み込んでいく。盛り上がる海水が港の船を押し流しながら陸に押し寄せる。被害が大きくなっている。明日の朝明るくなると、更にいろんなことがはっきりするだろう。関東では東北に比べて揺れは小さく、震度5程度だったのにこの程度でもかなりの被害が出ているということは、関東直下で地震が起きればこんなことでは済むまい。あちこちでずいぶん大変なことになっているようだ。地震に対する備えを考えなくては。とりあえず夫には小さなラジオや笛を常時携帯してもらう方がよさそうだ。息子は怖がっていて、一人で寝られないとずっと茶の間でうとうとしていた。まだ余震が時々来るし、震源を変えて大きなのがまた来ないとも限らない。今夜は息子も一緒に寝ることにした。何かあっても家族が一緒に逃げられるように。
2011.03.11
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息子は今日、朝イチで突撃したかかりつけでインフルエンザB型と診断された。38.5度以上の熱が丸1日続いているので当然の結果ではある。昨日は全く食欲がなく、ほとんどうつらうつらして過ごしていた。解熱剤を使うことも考えたけど、様子を見て使わなかった。先生の話では、3月に入ってインフルエンザの流行がいったん落ち着いていたが、今週に入ってまた増えてきたらしい。流行の時期にちょっと遅れたものの、一応流行の末期に何とか乗ったということか。乗らなくてもいいんだけど。一去年も新型インフルエンザの流行期にちゃんと罹っていたなあそういえば。去年の秋に承認されたばかりの新薬、イナビルという粉末吸入薬が出た。これは1度だけ吸入すればOKという薬で、以前のリレンザとかタミフルと違って何度も服用しなくていいのですごく楽。帰宅してすぐ吸入したものの、もちろんそんなに劇的にすぐ熱が下がる訳ではない。3時に検温すると39.4度。これだけ熱があっても、昨日より食欲はあるのでやっぱり解熱剤は使わない。昼は本人の希望でご飯少しと刺身(まぐろ、サーモン、はまち)数切れ。ドリンクゼリーやアクエリアスも口にしている。効けばほぼ1日で熱が下がるそうだけど、効かない場合もあるのでその時は自然治癒を待つしかない。それもまあ仕方ない。げほげほ咳き込んでいる息子とほぼ1日中一緒だし、鼻をかんだティッシュの始末もしているし、自分にうつりそうな気がするが、他人にうつせば治るというし、息子が治るならうつされてもいいや、と思うのは親だからなんだろう。赤の他人のオッサンとかからうつされたらすげえ腹立たしいんだろうけど。それに、もし感染したら日曜日に出席しなくちゃいけない会合に出なくて済むし(笑
2011.03.10
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花粉症がえらいことになっている息子は、鼻水が治まったものの今度は喉がやられて咳が止まらない。そうすると今度は喉が炎症を起こして風邪を招いたのか、夜になって少しずつ熱が出てきて、今日はいつもよりずっと早い時間に寝てしまった。今は咳は治まっているようだけど、代わりに結構熱がある気配。明日の様子次第では学校は休みになるかも。宅配便の仕事は4月からの仕事が決まるかどうかでいつまで続けるか決めることになる。続けるという前提の話だと、3月下旬から4月初めはもしかすると私は単身者向け引越し作業の方に回ることもある、という話を聞いた。宅配も面白いが、引っ越しも結構面白いかもしれない。なにせ、宅配ですらゴミ屋敷とか片付けられない女の家を垣間見ることができるのだ。玄関に置いてある靴にびっしり蜘蛛の巣が張り巡らされているとか、散らかり過ぎていて玄関の戸口から中に入れないとか。更に引っ越しともなるとその家の心臓部にまで入っていくので、更に凄まじいものが見られるかもしれないと思うとちょっとわくわくする。たとえばとんでもない量の本が雪崩をうちそうになっている独身男性の部屋に行くと、本の間からコロッケが…あ、といもいさんの部屋か。
2011.03.08
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4月からの仕事の面接が終わり、とりあえず一段落。今日は昼過ぎまで宅配便の仕事(しかもいつもより荷物が多く、12月並みのハードさ。笑)、終わってからいったん帰宅して着替え、面接。帰宅して今度は息子を習いごとに送り、また帰宅して米をとぎ夕食の段取りをして息子を迎えに行く。冷たい雨が降っているので面倒くさいったらありゃしない。面接で緊張するかと思ったんだけど、仕事が忙しくてぐったりしてたり息子を送りに行く時間が気になったりでそれどころじゃなかった。程よく力が抜けてかえって良かったりして。身の振り方がどうなるかは今月中旬に分かる。とにかくやるべきことは終わり、あとは結果待ちなのでようやく肩の荷が下りた。今回の面接で仕事が決まれば、宅配便の仕事は3月下旬までに終了。だが、もしダメだったら当分続けてもいいか、と思っている。休みが結構自由に取れるし、拘束時間も繁忙期以外は短いし、ドライバーさんや構内作業の人たちとも顔なじみになっているし、制服支給で着るものに気を使わなくて済むし、これはこれで案外楽な職場なのだ。しかもダイエットになるし。これって傍で見るほどきつい仕事ではないと思うのだけど、やっぱりきついのかなあ。そういえば2月中旬ごろにアシストで入ったぼーっとした感じの男の人、いつの間にかいなくなってるなあ。12月に私と一緒に採用になった学生さん(男)はまだやってるんだけど。あー、でも女でやってるのは私だけか。構内作業には結構女の人いるけどね。ドライバーさんも「アシストといえどこの仕事は根性ないと勤まんないから」って言ってたなあ。私は特に根性の無いヘタレだけどちょっと気合い入れれば普通に勤まっているので、そんなはずないと思ってるんだけど。自分の基準がよく分からなくなっている今日この頃。
2011.03.01
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そういやバレンタインじゃん、と気づいたのは昨日の昼。買い置きしていた冷凍のチョコレートケーキを冷蔵庫に移して解凍。更に息子を迎えに行くついでにスーパーのバレンタイン特設コーナーに行ってみたが、時すでに遅しっていうか、めぼしいチョコはあらかた売り切れていて焦った。息子の好きそうなちょっといいチョコの詰め合わせと、冗談系義理チョコっぽいチョコを夫用に購入。昨日は夕食後のデザートにチョコレートケーキを出し、自分もついでにお相伴にあずかった。今日、学校から帰ってきた息子に訊くと「もらってない」といささか憮然とした返事。かなこちゃんからのプレゼントは今年は無かったらしい。息子曰く「今年は先生がチョコレート持ってきちゃダメだって禁止した」そうだが、高学年にもなった女子がそんなお達しを守る訳がない(断言)。持ってきている子はこっそりちゃんと持ってきているはずだ。今年はかなこちゃんとクラスも違うし、女心に鈍感な息子は愛想を尽かされたのかもしれない。夫は職場で義理チョコ(本気チョコだったらそれはそれでややこしい)をもらったそうだが、息子が本気で悔しがりそうだからちょっと言えないね、ということで言わないことにした。さっき塾から帰ってきた息子にチョコを渡すと、嬉しそうだった。「お父さんとお母さんも一緒に食べようね」と殊勝なことを言う。まあそう遠慮せず、全部自分で食え、そのうち女子からもらえるようになったら母チョコも卒業だろうから、と思ったのだけど、もしうっかり男子校に行ったりしたら、この先しばらく女子からチョコをもらう機会が無くなってしまう可能性は高い。もしかしてこの男は当分母チョコしかもらえないのかも、とちょっと暗然としたのだった。
2011.02.14
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当地の本日の最低気温は氷点下7度。ほんとにここは関東南部なのか。そんなに内陸部でもないと思うのだが。学生時代を過ごした北関東だとこの気温はアリだが、当市に引っ越してきて四半世紀近く、知る限りここまで寒くなったことは無かった。いやあ寒かった。寒いといえば、留学生だった頃専門の先生に会いにはるばる内モンゴル大学を訪ねた時、泊めてもらった大学の招待所(宿泊施設)は留学生や外国人教師の宿舎を兼ねていて、よそ者の自分は余っていた北向きの部屋をあてがわれた。この部屋がまた寒いのなんのって、外は-20度、室内は日中は暖房が切られて0度、朝晩は暖房が入って最高8度。ありったけの服を全て重ね着していた。滞在6日間の間、たまたま外国人教師が風呂に入るチャンスについでに風呂に入る機会があったのでその時に下着と靴下を1度着替えたが、他の衣類は全く着替えなかった(笑暑いと体の弱っている人は死の危険性があるが、健康体の人は熱射病に注意していれば死ぬことは無い。しかし、寒いと人は結構簡単に死ぬ。中学生の頃、近所で若い人が家の中で凍死していたことがあった。酒を飲んで暖房を入れずに寝込んだのがいけなかったらしい。開拓当時、開拓小屋の中には隙間から雪が入り込んで室内に積もり、布団の襟元は霜が付いていた、と祖母が話していた。それでなくても道民は強迫的に必要以上に屋内を暖めたがるような、寒さに対する過剰なまでの恐怖がある。身近に寒さで死んだ人がいたり、年末年始に「飲んで外で寝て凍死」なんてニュースをしょっちゅう見たりしていると、寒さに対する恐怖が植えつけられるような気がする。ハルジさんの日記にあるように、保温が十分なら、氷点下30度でも人は死んだりしないと頭では分かっているが、しかし生理的にそれが受け付けられないというかどうしても抵抗がある。何というか、これって呪いみたいなものなのかもしれない。それにしてもいったい何の呪いだろう。
2011.01.31
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現在、首都圏には高校時代の女子の同級生のうち5人が住んでいる。今日、そのうち4人が集まってランチで女子クラス会となった。その場にいないメンバーの噂話も多少は出たが、内容はほぼ純粋な消息の情報交換。メインの話題は昨今の国際社会における日本の立場とか日本の未来とか、それぞれの仕事に関する面白おかしい話とか、高校時代のさまざまな出来事の記憶の掘り起し、そして年齢からして健康問題(笑それぞれに違う人生を送っているけれど、それがまた面白かったりする。配偶者とか子供の話も近況報告がちょっとあったぐらいで、ほとんど話題にならなかった。これってもしかして特異な状況かもしれない。同窓会では子供や夫の自慢話合戦になるとよく聞くのだが、少なくとも今回のメンツではそれは無かった。家庭のことじゃなくて、共通の話題で盛り上がる、という暗黙の合意があったとしか思えない。みんな年齢なりの外見ではあったが、それぞれの人格のコアは驚くほど変化がない。ランチどころではなく、河岸を変えて6時間半以上語りに語った。とにかくすっごく楽しかったのは間違いない。人は大人に変化するんじゃなくて、そう簡単に変わらない人格のコアの回りに大人の人格という化けの皮を張り付けていくだけなんだなあ、きっかけがあればあっという間に素が出るもんだ、とつくづく感じた今日のクラス会。
2011.01.22
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新しいPCが来てからずいぶん経つのに設定の一部が上手くいかず、新しいPCも時々ネット接続で挙動不審になるし、古い方のPCも突然恐ろしく動作が遅くなったかと思うとフリーズするし、落ち着いてネット環境に入れない。早く引っ越して新しいPC一本にしたいのだが。連休中に友人夫妻が遊びに来てくれた。以前から定点観測的に行っていた、中国人のオヤジが1人で切り盛りしている(常時ホール担当のパートアルバイト募集中、どうやらバイトが居つかないらしい)怪しい中国料理店に友人夫妻ともども久々に行ってみると、終末感は順当に以前より深くなっていてシブい。それよりもメニューだ。ここのメニューは異常に品数が多い割に味付けは単調で、材料や調理法は違えど味自体は多分5種類ぐらいしかバリエーションが無い上に美味くない(笑そして、価格設定が定まらない。日本的に奥ゆかしく恫喝する「時価」という価格表示は無い。だが、420円の小皿料理から60000円のツバメの巣のスープまでの価格帯ってどうよ。高級料理店なのか場末の飯屋なのか。予算設定が難しいったらありゃしない。ツバメの巣の料理って下ごしらえから始めると最低でも数日はかかるものだから、有体に言って場末の飯屋って感じのこの店で注文があってすぐ出せるはずも無いだろうが、そもそも材料のストックがあるのかどうかも怪しい。てか、仮に自分がビル・ゲイツ並みの資産家であったとしても、この店で60000円のツバメの巣をオーダーする気には到底なれない。中華街の高級料理店で60000円のツバメの巣料理をオーダーすれば確実に真っ当なものが食べられるのだし。今日から学校も塾も再開。冬休みでまったりした生活リズムになっていた息子は、急に日常に戻って忙しくなり、夜にはへろへろになっていたので、はよ寝ろすぐ寝ろとせかして速攻で寝かせた。今週はまだ息子も私もアイドリング中という感じだが、来週からは私も宅配便のバイト再開だし息子の学校も平常授業になる。自分自身どこか気分がたるんでるので、息子の尻を叩きつつ自分もペースを上げないとなあ、と思いはするもののそれにしてもどうしてこんなに1日中眠いのだろう。ツェツェバエにでも刺されたのだろうか。
2011.01.11
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ごぎょうはこべらほとけのざすずなすずしろ春の七草といいながら、新暦のこの時期、畑の大根と蕪以外に野原に七草なんぞ生えている訳が無かろう。それともハコベぐらいは生えているのだろうか。いくら晴天続きの関東とはいえ、近場では見当たらない。日本全国雪が積もってるところだってたくさんあるのだ。七草粥を本格的に食べようと思ったらスーパーで「七草セット」なるものを購入しなくてはならないとは本末転倒甚だしい。でまた結構いい値段するんだよねこれが。近所のスーパーで398円だったかな。春になれば勝手に生えてきて草むしりしなくちゃならないような雑草に、時期外れだから仕方ないがわざわざ金は払いたくないなあ、という気分になってしまう。それに正直言って、七草を実際に全部入れるとあんまり美味しくない。所詮大根と蕪以外は雑草だし、だったら最初から大根と蕪だけ入れるんで十分といえば十分、というかその方が絶対に美味しい(笑で、今年も七草完全ぶっちぎり。本気で七草やるんだったらやっぱ旧暦がいいな。その時期なら実際に雑草、もといハコベとかハハコグサとか生えてたりするもんねえ。ここまでくると正月気分もすっかり終了。注連飾りも14日のどんど焼きまで家の中にしまっておく。どんど焼きはうちの地区は曜日に関係なく絶対に14日に行われるのがシブい。最近の傾向として、どんど焼きは週末に行われる地区もかなり多いらしい。やっぱ14日だろうなあこれは。1月からの宅配便の再雇用の手続きにも行って、(たぶん)春までの間だが再来週からまた宅配便の仕事をすることになった。正月多少体重が増えた分をこれでまた帳消しにできると期待している。息子の学校は週明けの始業式だが、早い学校は今日始業式だった。長い休みを取っていた商店もさすがに今日は開いている。昔は七草粥を食べれば正月終了、って合図だったんだろうか。明日からもう正月じゃないと思うと、どういう訳か今年に限ってちょっとだけ残念に感じるのはいったいどうしてだろう。
2011.01.07
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今日から銀行も開いているとはいえ、まだ街中の交通量はちょっと少なめだし、個人経営の商店は休みのところもあって正月休みの名残は残っている。買い物にも行ったが、人出は少ない。やっぱり今日はまだ正月気分が濃厚なのかなあ。明日から夫は仕事。息子はこの冬休みは冬期講習をぶっちぎってうちでまったり正月を満喫していたが、明日から冬休み明けに備えて徐々に平常のスケジュールに戻す。宿題の書初めもまだやってないし。そういう自分も、今日は普通の夕食にしようと思ったもののいったい何を作ったらいいか分からなくなり、ちょっと途方に暮れてしまった(結局残りの雑煮とブロッコリサラダ、肉野菜炒めというまとまりのない献立)。買い物に行く時に他の用事も済まそうと思っていたのに肝心のものを完全に忘れて出かけてしまったり、スーパーに行っても何をどう買ってどんな料理に使ったらいいのかちゃんと考えないと上手く考えがまとまらなかったり、結構重要な用件なのにあとでいいや、とつい思ってしまったり、どうも脳味噌のネジが相当に緩くなっているような気がして仕方ない。明日果たして夫の弁当が作れる時間に起きられるだろうか。それ以前に弁当の作り方を覚えているだろうか。どうも心配。
2011.01.04
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朝はちょっとゆっくり起きる。多少平熱より高めではあったものの昨夜より体は楽だったので体調をみながら残っていた掃除や片付け、年末の洗濯。昼近くになっても熱の上がる気配は無く、買い物に出かけて午後は煮物となますを作る。夕食はスーパーで買ってきた寿司や男子勢が好きなハム・ソーセージ系を切って出すだけなので楽勝。今日は特別と久々にテレビをつけながらの夕食で、息子はドリフの特番を見ながら大喜び。無事大晦日が過ごせそうだ。1日晴れて乾燥した晴天。洗濯物がよく乾く。街中の車は少ないがスーパーの食品売り場だけは人でごった返していた。西日でシルエットになった富士山がかっきりと見える。足元の影が殊の外長く伸びていて、冬至が過ぎたばかりの冬の夕方を実感する。良いニュースもあったのに、いつにも増して先の暗さばかりが強調されるようなニュースが多く、寂しいような1年だった。来年はどんな年になるんだろう。そういや年女なんだよなあ。自分の体調も世の中もこれ以上悪くならないといいなあ。紅白の歌を聴きながらぼんやり思う。だだもれ堂常連の皆様、今年も毎度お付き合いいただきありがとうございました。日本国内外の皆様、どうぞ良いお年を。
2010.12.31
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今日は昨日と打って変わってどんより曇って寒かった。昼頃何となく喉が痛いのに気付いた。が、熱は無し。今まで放置していた年賀状を作りながら片付け物をする。夕方、咳が出始める。微熱。夕食は面倒なので簡単にパスタ。今現在、頭痛が始まった。これは早いところ寝た方が良さそうだ。PCの引越しも目処がついた(かもしれない)ので、あとは大晦日に勝負!(何の?
2010.12.30
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黄変するディスプレイ、発火の危険性のある本体からついに新しいPCに替えることになった。夫が自分のPC入替えの際の予行演習だと言って引越し作業をやってくれているので私はノータッチなのだが、どうも上手くいかないらしく明日サポセンに電話してみることになった。そんな訳でちょっと更新がしにくい状況。…てか、早くPC設定してくれないと年賀状作れないんだよね。年内に年賀状が書けるんだろうか。危うし年賀状。最悪の場合は古い方のPCで作るしかない。むしろその方が安全かも。そうだそうだそうしようっと。今年のお節は、何やかやと慌し過ぎるので作るのはなますと煮物だけ。年越しそばとかお雑煮とかも作るけど、ご馳走系は刺身とかカニだと簡単だな、と密かに計画中。大体お節って今はご馳走って感覚が無いよねえ。どっちかというと行事食っていう感じ。夫も息子も好物って訳じゃないからあまり喜ばないし、ごまめとか昆布巻なんて私しか食べないし(笑ほんとは黒豆なんかも作りたいんだけど、結局たくさんできちゃって持て余すからねえ。今年は市販品を食べてみて、納得いかなかったら来年は作ろう。こうして飽食ニッポンではお節が作られなくなっていくのかも。
2010.12.29
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宅配便のアルバイトを始めて約1か月。体重約2kg減。体脂肪率3%減。ダイエットしながらバイト代も入るし、最近肩から二の腕にかけて筋肉が付いてきている。これはすごい。宅配便ダイエット。ただし、残念ながら万人向けではないのがネック。
2010.12.24
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今日は祝日。だが、何の祝日だか分からず一瞬考える日本人は案外大勢いるのかも、と思ったのは、自分もちょっと考えてからじゃないと何の日だったか思い出せなかったからだ。国旗を掲げる人はそういうことはないだろうが、子供たちや若い人や小さい子を持つ親にとっては、今日は「クリスマスイブイブ」でしかないような気がする。スーパーのチラシは今日明日明後日の3日間「クリスマスのごちそう特集!」とプレゼントのおもちゃや衣類のセールがにぎやかに掲載されているし、街中ではクリスマスソングが流れ続けているし、ケーキ屋の前にはクリスマスケーキ特設販売ブースが出ていて忙しそうだ。今年は今日も明日も仕事なのでクリスマスどころではない。一応明後日は早めに仕事をあがってケーキとローストチキンを食べる予定だが。クリスマスに関係なく働いたり老人の介護をしたりしている人は世の中にたくさんいる。生活が厳しくてクリスマスどころじゃない人もまたたくさんいる。年配の人など、クリスマスなんて関係ない生活を淡々と送っている人もいる。若い人の多いマンションや住宅はリースやイルミネーションでがんばっているところもあるけれど、いろんなお宅を見ているとクリスマスだからと張り切ってるのって案外少数派なんだよなあ、と改めて気付かされた。
2010.12.23
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昼過ぎに帰宅途中、無理に右折してきた車(こっちが優先道路)との接触を回避しようと急ブレーキをかけて転倒。幸い多少余裕があったので、体を路面にたたきつけるには至らなかったもののバイクの重みでずっこけた。向こうの車は普通のオヤジ風。いったん止まったので、運転手が出てくるかと思いきやそのまま車を走らせて行ってしまった。瞬間湯沸かし器の私は一瞬でアドレナリンが大量に放出され、痛みを感じる暇もあらばこそ、バイクを起こして足回りに異常が無いことを確認するや車を追いかけた。もし向こうが黒のベンツとかなら無理にぼっかけたりせずその場で110番するのだろうが、敵は年式の古いセダンに乗った普通のオヤジ。中国人のオヤジと喧嘩して勝った自分としては、絶対に負ける気はしなかった(笑敵が観念するまで絶対にぼっかけてやる。住宅街なので交通量も少なく、向こうもスピードは出せないため見失う心配は無い。あっという間に車に追いつき、そのままぼいまわした。少し走って向こうも観念したのか車を停めた。運転席の真後ろにバイクを停めて「ちょっとおじさん、窓開けなよ」と大声で呼ぶと窓を開けた。おじさん完璧に目が泳いでる(笑「あのさ、さっきの道路どっちが優先か知ってる?」「そっちです」「そうだよね、それなのにおたくの車が無理矢理右折してきたからこっちは急ブレーキかけて転倒したんだけど」「はい」「そこで普通だったら車停めない?何で逃げるわけ?」「いや、滑って転んだのかと思って」「あのさ、あんなところで勝手に滑って転ぶわけ無いでしょ、あなたの車が出てきたから避けようとして転んだに決まってるでしょうが、何言ってるの」「はい、すみません」「とりあえず今はケガとかバイクの傷とかすぐ確認できないけど、何かあったら連絡させてもらうから、連絡先教えてもらえます?」という訳でこの完璧にびくびくしているオヤジから名刺をもらう。名前と住所から地元の人だというのがわかったので、とりあえず逃げられる心配は無い。ナンバーも覚えている。すぐさま馴染みのバイク屋に車体のチェックも兼ねてバイクを持ち込んで相談すると、「人身になるかもしれないしバイクの修理に向こうが保険使うってことになったら警察の検分が必要になるから、とりあえず警察に届けるのがいいですよ」ってことで今度は事故現場を管轄する派出所に行って事故の届出をした。そこで状況を細かく聞かれて警察の交通課の人たちとオヤジ(何故か奥さんの付き添い付き。笑)が呼ばれ、調書が作られて現場に行き、実況見分をした。ところがこのオヤジ往生際悪く、私がずっと手前で転倒したようなことを言うものの、路面に私のバイクが転倒した時に付けた傷ががっつり残っていて、オヤジの意見はあっさり却下されていた。逃げたくせに偉そうなこと言うなっての、とこっちは何だか知らないが余裕かましている。検分終了後もう一度バイク屋に行き、見積もりを頼んで帰宅すると今度はオヤジの加入している保険屋から電話。修理代金の見積もりはバイク屋に連絡するように伝える。と、そういえばうちの自動車保険って確かファミリーバイク特約に加入してたな、と思い出し、連絡してみたら担当してもらえることになった。今後はうちの保険屋と向こうの保険屋で交渉することになりそうだ。今回は左の膝を打撲したものの、冬場で着込んでいたことと転倒前に余裕があったのでまともに転ばずに済んだため、怪我らしい怪我はしていない。バイクの損傷も足回りに直接関わらないパーツの一部破損で済んだ。まあ運が良かったといえば良かったのだが、昨日の日記で今日の事故か、ほんとシャレにならんわい、と思ったりしている。それにしても血管ぶち切れるほど大量放出されたアドレナリンの影響が完全に無くなるまで自覚的には6時間ぐらいかかっているのだが、やっぱり事故ってかなり巨大なストレスなのだなあ。
2010.12.21
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今のバイト先は年内のお歳暮シーズンだけ、ということでやっているのだが、今日支所長から他の配送補助の人2人とともに年明けも続けてやらないか、と声をかけられた。年明けも年度末まではとりあえず当分バイトの当てはないので当面やることにしたが、年明けからは臨時のバイトからなし崩しの期間毎契約更新のパート扱いになるらしい。この会社、大手の割にはこういうところがかなりいい加減というか大雑把で、契約時間を過ぎて働いていてもそれが必要であれば何も言われないので、バイトでも稼ごうと思えば結構稼げる。一緒に声をかけられたうちの1人は大学生の男の子だが、支所長に「ドライバーならすぐ採用するよ、履歴書ももうもらっていて要らないから、大学卒業の時もし働きたかったら言ってよ」と言われていた。この就職難の時代にそんな簡単に就職できるとは、と思ったが、もちろん支所長も働きの良い青年だからそう言ったのだろう。ここはぼーっとしていて働きが悪いと数日で辞めざるを得ない雰囲気がある。当然だがこの業界はきつい。そもそも体が続くかが問題だったりするが、ただし支所長が言うように確かにペイは良い。ここで5年も働けば家が建つ、と彼は言っていたが、あながち嘘でもないだろう。たかが臨時のバイトにそこらのスーパーのパートさんよりも良い時給を出すぐらいだから、ドライバーさん、特に若手は同年代より給料はずっと良いはずだ。この配送補助のバイト、荷物が重かったりはするが個人的には嫌いじゃない。時間や休みも結構融通が利くし体脂肪も落ちたし(笑思いがけずもうちょっと働けることになり、新しいバイト探しをせずに済むのもちょっとありがたい。4月から元の仕事にうまく潜り込もうと思っていたのだが、この仕事に慣れちゃうと途中で仕事を変えるのがめんどくさくなって、ずっと配送補助を続けちゃったりして(笑
2010.12.15
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今朝はとんでもない雨の音で目が覚めた。息子が登校する頃には雨はだいぶ落ち着いたが、大小の用水路がすべて溢れ、田んぼは冠水し、そこを通る通学路も完全に水没していた。雨が止むかと思うとまたざっと降るような安定しない天気だったが、次第に風が強くなって昼前には晴天になり、今度は恐ろしく暑くなってきた(最高気温25度!!仕事では体を動かすので、ますます暑い。正直、半袖のTシャツで仕事をしたいところだが、少なくとも車を降りる時には身分証明代わりの会社のジャンパーを脱ぐ訳にもいかない。汗だくになるのでがぶがぶお茶を飲むがさっぱりトイレに行きたくならない。結局5時間で1リットルを飲み干した。仕事が終わって買い物に行ったが、汗が引かない。暑い。バイクに乗る時はさすがに上着を着るが、どうせ暖かいに決まっている店内に行くのに上着を着て行く気にはならない。なので、駐輪場で上着を脱いで置いておき、半袖のTシャツでスーパーに行った。しかし周囲はみんなダウンコートやフリースやセーター。なんか自分だけ異様に浮いてないか。でも暑いんだもん。店内も絶対25度はあるぞ。妙にいかついおじさんと日焼けした青年が半袖姿なのを目撃したが、女子の半そではいない。なんかやっぱり気が引けるというか肩身が狭いというか。でもさー、この気温だとやっぱ半袖じゃないのかねえ。「冬だからコートを着る」じゃなくて、「寒いから着る」と思っているので、12月だろうが暑けりゃ夏服で一向に構わないんじゃないかと思うんだけど。やっぱそれじゃいかんのだろうか。
2010.12.03
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小ぶりの紅玉が5個。焼きりんごにするかコンポートにするか。冷凍パイ生地を買ってきてアップルパイにでもするか。結局一番手間のかからないジャムに。皮を剥き芯を取りいちょう切りにする。三温糖とレモンのスライス、りんごの皮を入れて煮る。煮立つまでは強火、煮立ったら弱火。皮は色が抜けたら取り除く。冷ました時ジャムにちょうど良い硬さになるように煮詰める。三温糖とりんごの皮で茶色というかオレンジ色のジャム完成。結構たくさんある。ジャムをてんこ盛りにパンに塗りたくる息子が食べても大丈夫かも。いちごの季節まで持ちそうだ。おまけ。
2010.11.29
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いつの間にか私の頭には緊箍児がはめられていたらしい。ぎゅうぎゅう締め上げられていて、ちょっと辛抱たまらん。三蔵法師にたてついた記憶は無いのだが。寝ます。
2010.11.26
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ザリが死んだ。うちに来て1年半。金魚を食っていた頃は元気が良かったのだが、その後寒くなっていくにつれて次第に餌を食べなくなり、動きも鈍くなっていった。寒くなってきたせいか、と思っていたのだが、今日黒光りしていた目玉が薄く濁り、動かなくなっていることに気付いた。そう言えば元気だった頃はあれほど好きだった一輪挿しの隠れ家にもここ10日ほどは入ろうとせず、ずっと外にいた。どこか弱っていたのだろう。飼い始めて早々に脱皮して大事なはさみを失ってしまい、はさみの無いオスが自然の中で生き延びられるとは到底思えなかったので、最後まで飼うつもりではあった。この春に2回目の脱皮もして、2回目の冬も越せるかな、と思っていた矢先なのでちょっと寂しい。帰ってきた息子にザリが死んだことを伝えると、少し寂しそうにしていたが案外さばさばしていた。僕は一生懸命(←そうか?)ザリの世話をしていたから、残念だけど仕方ないかな、と言った。ザリとの間では感情の交流などというものが存在しないので、彼もザリが死ぬことにもあまり頓着しないのかもしれない。これで哺乳類だったりするとはるかに衝撃は大きいのだろう。それが良いのか悪いのかはよく分からない。玄関先には、空の水槽とポンプのモーターだけがぽつんと置いてある。
2010.11.24
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最近、まとまった夢を見ていない。いや、夢が記憶に残らない、というのが正しいか。体調が今ひとつなせいか、それとも眠りが深すぎる、あるいは足りないのか。理由は分からない。夢を見てはいるのだが、見ている段階で既に断片的でストーリーになっていない。短いエピソードのランダムな羅列。今朝起きる寸前に、珍しく筋書きがきちんとある夢を見ていた。目が覚めた時、この夢なら覚えていられる、と思った。しかし次の瞬間、夢はジグゾーパズルのような断片に粉々に砕かれ、何かの印象がちらりと閃いて夢の内容を仄めかし、そして記憶の彼方に融けていく。誰かと話をしていた、ような気がする。それすらもあやふやになっている。夢を記憶する装置、それを再現し見られる装置があったら手に入れたい。いや、実際にはもしかすると夢の内容はあまりにも奇怪でおぞましく、覚醒した状態で見ると気が狂うかもしれない、という予感もする。でも、自分の夢で脳味噌のネジがすっ飛んであっちの世界に行ってしまうというのも乙なものかもしれない。すごく自己充足的な世界で、永遠の鱒ターベーションみたいな感じだったりして。(楽天の猥褻コードに引っかかったので変換してみました)
2010.11.18
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おやつに自分でホットケーキを焼いてみたい、と息子が言う。ホットケーキミックスを出してやり、あとは自分でやってごらん、と全て任せてみた。見に行くとどうしても何か言いたくなったり手を出したくなってしまうので、全くタッチしない。がたがたと道具を出したり何か混ぜたりしている音がする。そのうちにホットケーキの焼ける匂いがしてくる。「お母さん、焦げちゃった」と息子がやってくる。「そうか、火が強過ぎたかもね。もう少し火を小さくして、作り方の時間通りにするんじゃなくて実際にホットケーキの焼け具合を確認しながらやってみ」しばらくがさごそやっていた。またやってくる。「お母さん、ホットケーキ焦げたり生焼けになったりして全然うまくできなかった」息子が半べそをかきながら言う。「いいんだよ、焦げた所はあんまり真っ黒だったらそこは剥がして食べれば良いし、生焼けでもチンすれば大丈夫。初めて全部自分でやったんだからうまくできなくて当たり前。心配しないで食べよう」3人で息子の焼いたホットケーキを食べた。焦げた所があったりうまく返せずに崩れたところもあったけど、ミックス粉を使っているのだから基本的に問題無く食べられる。生焼けの場所も電子レンジでちゃんと火が通っている。「大丈夫だよ美味しいよ」「でもまだ全然お母さんみたいにうまく作れないよ」「そりゃお母さんは2万回は料理作ってる(これを聞いて私ゃそんなに作ってるのか、と驚いたが確かにそれぐらいかも)んだから、まだ10回も料理したことがないのとは違うさ」「そうかあ」「でもねえ、ホットケーキの1枚目はお母さんもうまく焦げ色がつかないんだよね」「ふーん」自分も小学生の頃ホットケーキがやっぱりうまく焼けなかったことを思い出した。外側が焦げ気味に焼けているのに中が半分生で、生だと粉っぽくて味もイマイチだなあ、喫茶店にあるようなああいう分厚くて丸いホットケーキってどうやって焼くんだろう、などと思いながら食べていたっけなあ。またやりたいって言ったら、今度はちょっとだけ忠告(前回の失敗の原因は何だと思う?とか聞いてみようかな)してから作らせてみようっと。
2010.11.14
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電車に乗って、立っていようと思ったが昨日から膝に鈍い痛みがある。空いているので座り、本を読んでいた。いくつかの駅に停まり、乗客が増えてきた。私の周囲の空席もいつの間にか埋まっていた。臭うことに気付いた。この臭いは、そうだな、この時期だから2週間は風呂に入ってない臭い。もしくは1ヵ月同じ服を着ている臭い。本から目を上げ、周囲の人を見てみた。左隣のご老体はこざっぱりした身なりだし、臭いが来る方向ではない。正面に建っている腰パンの青年はいかにも小奇麗だ。その近くに立っている人たちも。では右隣か?でもさっき乗ってきてどっかり腰を下ろしたのをちらりと見た限りでは女だったと思うが。右隣に視線を移し、視界に入ってぎょっとしたのが恐ろしく汚れた靴。そして煮染まったブルーグレー、いやもしかして元はブルーだったのかもしれないが、見るからに、ののびのびジーンズ。視線を上げると真っ黒に汚れた茶系(元はえんじ色?)のトートバッグ、汚れが目立たないツイード風のニット、つやの無いばさばさの髪、とどめはどう見ても何日も洗ってない感じの、チベットの遊牧民風に煤けた感じの顔、だがリップカラーはちゃんと塗ってある。やっぱり女だった。座るやいなや携帯を開いてずっといじり続けているその手も、全く手入れされていない爪が伸びている。手入れしないなら短く切っておけば良いものを、半端に伸びているので爪に垢がたまっている。ということは、やっぱり臭いの元はここか。年の頃は40代前半(もっと若いのかもしれないがあまりにも汚くて老けて見えるのかも)、最初は女でもこういうのアリか、と信じられず、もしかして男っつーか単に不潔なオカマでは、とあごにヒゲが無いかとか喉元に喉仏が出っ張っていないかなど確認したが、至近距離で観察してもそういう形跡は見当たらない。それに、座る時に彼女がこちらに尻を向けた際にちらっと見た限りでは土偶的に腰の張った女性体型だった。さて、体から相当な臭いを発散させているおっさんというのは行く所に行けば普通に見かけるし、電車に乗っていたりすることもある。しかし、女性となると路上のホームレス以外にこういう人には今まで会ったことがないので正直かなり驚いた。彼女は携帯持ってるし、荷物も小さくてホームレスという感じでもない。この人、いったい何なんだろうなあ、風呂に入るとか清潔な服に興味がないからやってないのかなあ、それとも何かに対する復讐かなあ、そもそもどうして歩くゴミ屋敷みたいになっちゃったかなあ、とちょっと気になった電車内。
2010.11.10
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朝からすこーんと晴れて、空気も乾いて気持ちのいい休日。久しぶりに公園に行き、息子は遊具で遊び親はジョギングやらウォーキングと各自思い思いに過ごし、昼食を食べて帰ってきた。遊具で遊んだ息子がおにぎりを食べながら「僕、そろそろああいう遊具ではもう遊べないかなあ」と言う。確かに息子は遊んでいる子供たちの中ではかなり図体が大きくなり、うっかり小さい子にぶつかると怪我をさせかねないサイズになっている。今日行った公園の遊具ができたばかりの頃は息子はまだ2歳で、他の大きい子たちに混じって1人で遊ぶのはちょっと無理があるなあ、と思いながら息子に付き合って隅っこの地味な滑り台とか階段の上り下りを一緒にやるぐらいだった。それからだんだん大きくなって自分で遊具をよじ登り駆け回り走り下りることができるようになり、今は小さい子に気をつけなければいけないほど大きくなった。そうだねえ、残念だけど、ああいうのは幼稚園から小学校中学年ぐらいまでだろうね、高学年は体も大きくなっていて遊具が窮屈な感じになってきてちょっとまずそうだし、中学生になったら完璧にアウトだよねえ。公園の遊具で遊べる期間というのは思いの外短い。3歳から10歳というのが妥当なところだろう。小学校高学年になるとそういうところで遊ぶのはちょっとなあ、という感じになってしまうが、実は小学校高学年もたぶん中学生も、遊具で遊ぶのは吝かではない。小さい子がいるからめんどくさいしちょっと拙いかなと思うとか、遊具のサイズが体に合わないとか、さすがにこの年で遊ぶのは恥ずかしいとかいう理由で遊べないだけだ。公園で小さい子は遊具で遊べる、大人は散歩やジョギングができる、じゃあローティーンは何をすればいい?友達とフリスビーとかバドミントンも良かろうが、ちょっと大きい子や大人向けの気合の入ったアスレチック風みたいな遊具があると結構楽しいんじゃないかなあ。サイズも大きくて、ちょっと危ない仕掛けのある、10歳以下お断りの遊具。そんなのがあったら、自分も遊びたいかも。ただし、回転するとか逆さまになるのは、老化のせいでひどいめまいを起こすようになっている今の自分には無理だけど。
2010.11.03
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本日、仕事で一時帰国していたハルジ氏と東京でランチ。以前ハルジ氏のブログでたびたびお名前は伺っていたpinkoysterさんのお店で、ベジタリアンのプレートをいただいた。自分はベジタリアンではないが、基本的に豆腐や野菜は大好きだし、自分には真似できない味付け(ご本人も仰っていたが、これはまさしく天賦の才だと思う)やスパイスの使い方が新鮮で、とても美味しかった。たまにこういうものを食べると、何と言うか蒙が啓かれるような感じというか、自分の知らない味の世界を見られる。豆腐のキッシュと、かぼちゃとれんこんのグリーンカレー(でも辛くない)が個人的には大変好みだった。ごちそうさまでした。それにしてもあんな瀟洒な店でハルジ氏と規制物質に関する話をおおっぴらにしていたのはちょっと拙かったのでは、と後で思ったのだが後の祭り(笑ハルジ氏とは1年以上前に会って以来だが、そんなに間が空いていたという感覚が無いのはブログを通じて動静を知っているからだろう。相変わらず実物のハルジ氏は自称鬼畜らしからぬ頭の切れる好青年(しかもスーツ着用)であった。今回新たな発見だったのは、ハルジ氏の身のこなしが日本人らしくない、ということだった。上手く言えないのだが、彼と同年代の日本の男性のようなどこか硬くて切れの無い動きではなく、大きく滑らかでメリハリのある動き方をする。鉄人レースに出るような体の持ち主だからなのかもしれないが、それだけではなく、欧米人のような体の動かし方が身についている、という感じ。もうひとつ、ハルジ氏と話をする時、どうやら自分は少し緊張しているらしい、ということにも気付いた。緊張するからイヤだ、ということではない。ハルジ氏は聞き上手だし話し上手なので彼をがっかりさせるようなつまらない話をするのはイヤだなあ、と無意識に思っているようで、かなり脳味噌が活発に働いているのが自分でも面白い。脳の老化防止に良いかもしれない。今回ハルジ氏とはごく短時間昼食を一緒に取っただけだったが、ランチタイムだったおかげでpinkoysterさんのお店に行くこともでき、とても楽しかった。コンピュータの向こう側にいる生きている人と実際に出会う、などという友人の作り方は昔は想像もできなかった。こんなことがあると、面白い時代に生きられて実に運が良かったと思う。
2010.11.02
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日中割と暇で外出せずのんびり過ごしたような日は結構夜遅くまで起きていられるのだが、普段は自分の覚醒スイッチが切れる時間が決まっている。スイッチオフ時刻は23:30。この時刻になると、目は開かず気がつくとキーボードの上に手を置いたまま意識を失っていたり、書こうと思っていたネタが思い出せなかったり、せっかく書いた文章をうっかり消してしまったりというお定まりの症状が出る。ちょっと前まではこの症状が出るのは日付が変わる頃だった。最近時刻が早まったのは特に原因がある訳ではないと思う。あえて言うなら老化が進んでいる、ということか。今これを書いていて23:30を回ったところ。さっきから強烈な睡魔が波のように襲ってきて、翻弄されている。どうやら既にスイッチは切り替わっているらしい。強い北風の音が家の窓をかすかに震わせ、冷気が少し這い寄ってくる時だけははっとして目が一瞬覚めるが、また眠気がやってくる。スイッチが切り替わっているのだから、逆らわずさっさと寝るに越したことはなさそうだ。今夜は寒いという予報なので、1枚多くかけて寝ようっと。
2010.10.26
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中学受験業界では、秋は学校説明会や学校行事に積極的に参加しましょうシーズンということになっていて、確かにあちこちの学校で文化祭やオープンスクール、説明会が開かれている。来年のこの時期になれば当事者である息子は追い込みに入っていて、おそらく授業やらテストで忙しく、こういうものに参加するのは難しいだろう。来年行けるかどうかわからないから今のうちに行ってみよう、という訳で、息子とスポンサーの夫とともに受験の可能性が少しでもありそうな学校をいくつか回ってみた。実際見てみて、悪いことは絶対に書かない学校案内の本やきれいに作られたHPじゃ分からない、雰囲気というかその学校に流れている空気みたいなものを感じることは確かに重要だと思った。結構期待して行ったのにあまりにもイマイチ過ぎる、とか、迷いがあったけど吹っ切れてここは良い、とか、なんだか妙にこぢんまりまとまってる覇気の無い学校だな、とか、お坊ちゃん系かと思ってたら案外はじけてたり、何だか結局散漫な印象の学校だな、とか。実際見てみて、大まかな印象は親子でそれほど食い違いが無いので、志望校決めはそれほど難儀しなさそうだ。問題はそこを受けられるだけの実力があるかどうかだが、それはもう今後の成績の推移を見ていくしかない。しかし今回私学を見ていて思ったのだけど、私学の文化祭が外部向けに広報やイベント活動を盛んにやっているのに対し、公立中学校の文化祭の参加者は基本的に在校生とその保護者がメイン。その中学校に入学予定の小学生や他校の生徒もちらほら見かけるが、ほぼ内向きの学校行事で、外部に全然アピールしていない。もったいないと思うんだけどなあ。こういう公開学校行事は、その中学校の校区内の小学校や自治会、商店などにもプリントやパンフを配布するなどして、積極的にアピールすれば良いのに、と思うのだが。うちの校区の中学校も文化祭を予定しているようだが、開催日だけは知らされているものの、何をやるのかさっっっぱり分からない。それに学校説明会も、基本的に入学予定者のみ。これも私学みたいにオープンにしてしまえばとりあえずどんな学校か知りたい、という人に対してもアピールする手段になると思うのだが。公立中学校の問題点のひとつとして、先生がしょっちゅう入れ替わっているのでスクールカラーが継承されにくいということもあるかもしれない。公立育ちの自分としては、もう少し公立にしっかりしてもらいたいと思っているのだが。
2010.10.13
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今朝、ベランダの隅にベランダと同じような灰色になったカエルがちんまりと座っていた。「それにしてもどうしてカエルって周りの色と同じような色になれるんだろうねえ」「カエルの目って色が分かるような目じゃないような気がするんだけど」「だいたいカエルが自分で色を変えたい、って変えてる訳じゃないよね」「そうだなあ、カエルは変えるつもりが無くても勝手に変わっちゃうんだろうなあ」「今のダジャレ?それって本能ってこと?」「本能以前の、汗をかくとか呼吸するとかそういうレベルじゃないのか」「どういうことかカエルに訊いても答えてくれないよねえ」「いや、案外言葉を喋るかも。話しかけると『実は私は王子です』とか言って、突然王子に戻る」「王子かあ、出てきても始末に困るねえ、だいたい何で王子がうちのベランダにいる訳?」「それ、確か何かの童話にあったっけ」「でも、王子じゃなくて大伯父だったら大変かも」「死にかけている大伯父が突然出てきて、大伯父に戻ったとたん死ぬとか」「人間になってから死んじゃうと死体の後始末がすごく大変だねえ」「そうだなあ、かえるの段階なら話は簡単だけど、人間に戻っちゃうと病院に運ぶとか警察が来るとか、何かごたごたしそうだなあ、めんどくさそうだなあ」「実はカエルが大伯父に姿を変えていたりして」「大伯父に話しかけても、ぼーっとしてて人間らしい反応ができないんだよね」「何せ所詮カエルだからね」「んで突然虫を捕まえて食ったりするのかあ、嫌だねえ」「世界最大のカエルいるじゃん」「ああ、あれはほんとでかいねえ、人間の新生児ぐらいあるよね」「あれがうちの中飛び跳ねたりしたらテレビは倒すし網戸はぶっ壊しそうだし、被害甚大かも」「でも、あれって何か動き鈍くない?」「やっぱ大きすぎるからかねえ、世界最大のネズミのカピバラも何かぼーっとしてるし」「動きが鈍いから、あれを鉄アレイ代わりに両手に持ってトレーニングすると結構良かったりして」「ぬめっとしてて持っても落とすんじゃないのかね」「万が一足の上に落としてもあんまり痛くなさそうだけど」「そりゃそうかもしれないけど、あのカエル重くて身軽じゃなさそうだからカエルの方が死んじゃいそうで心配」「そうだねえ、見た感じ、でかいけどあんまりあつかましそうな生き物じゃなかったねえ」とカエル談義が延々続いた気持ちの良い天気の祝日の朝。
2010.10.11
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昨日今日と2日連続でのタイトな日程。今後も予定はあれこれはいっているものの、最大の山は越えたのでちょっと一息。昨日今日は夕食の準備に時間をかけていられないので、昨日は作り置きのドライカレー、今日は材料さえあればすぐに作れるキムチ鍋。忙しくても作り置き+鍋で何とかうちご飯にできてしのげるのは秋ならでは。夏だと鍋っていう選択肢はちょっとなあ。あ、でも今年は夏おでんやったけど。ドライカレーはひき肉(鶏、合挽き、豚、牛なんでも)と、ビーンズミックス(缶詰でも冷凍でも)+野菜(みじん切りに耐えうる野菜。玉ねぎ必須。今回は玉ねぎ、にんじん、ピーマン、ししとう、にんにく)が同量になるように準備し、全てみじん切りにする。ビーンズミックスがポイント。短時間で簡単に作れるので、暇な時にさっと作って保存できるのが良い。キムチ鍋の方は、売っていた白菜があまり良くなかったので、キムチを白菜の代わりに投入することにした。材料は豚こま、キムチ、キノコ類(なめこはおすすめしない)、豆もやし、ねぎ、にんじん、にら、豆腐。市販の鍋つゆの素は使わないが、キムチの素は使う。材料の扱いは神経質になる必要は無いが、どのタイミングで鍋に加えていくか考える方がうまく行く。ポイントはまずキムチをごま油で炒めること。今日のは結構美味しかった。大きな土鍋いっぱいに作ってあっさり無くなった。今更ながら、作り置きがあるというのは精神衛生上大変良い。鍋で良い、というのも。ああ、疲れてるのに帰ったらご飯作らなくちゃならないのか、と思うと正直言ってかなり凹む。作り置きがあるからご飯と味噌汁を準備するだけであとは作らなくて良い、あるいは1品か2品作れば良い、と思うと、自分でも予想できなかったほど気分が明るくなる。やっぱり食事の献立を考えたりあれこれ作るのって、好きなはずなのに日々の家事となるとやっぱりプレッシャーなんだなあ、と思ってしまった。
2010.10.09
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今朝ニュースを見るでもなく聞いていると、ノーベル化学賞を受賞した鈴木名誉教授は、鵡川町(現むかわ町)の出身だという。それならさぞやシシャモにはうるさかろうなあ、などと半ば冗談半分で思っていたら、鵡川在住の弟さんが経営している店でシシャモを扱っているというのでちょっとふふ、と笑ってしまった。知っている人は知っていると思うが、普通のスーパーで扱っている、特売でシシャモ10匹98円、なんてのはあれは本当のシシャモではない。よく「カラフトシシャモ」と小さく書いてあったりするが、カペリンという魚であって、シシャモとは違う。本当のシシャモは北海道の太平洋沿岸にしか生息しておらず、漁獲量は年1,000t前後とかなり少ない。鵡川がシシャモで有名だが、広報的には成功しているものの、実は日高沖のシシャモ漁獲量は全体の5%たらず。襟裳から東の十勝・釧路沖の方が漁獲量はずっと多いということはあまり知られていない。北海道産ししゃも(メス・オス各20尾 )【送料込】北海道太平洋沿岸の一部でしか獲れない希商品...価格:5,400円(税込、送料込)さすがに私の出身地はシシャモの漁場のすぐ近くなので大手のスーパーや魚屋では普通に売っている(季節によっては無いこともある)が、本州だと北海道物産展などでほんとにたまーに見かけるぐらい。関東で暮らすようになって、すっかりシシャモを食べる機会が減った、というかほとんど無い。カラフトシシャモに比べるとずんぐりした形で、色は黒っぽく黄色みを帯びている。価格は1匹100円ぐらい。子持ちが珍重されがちだが、本物のシシャモはオスのほうが美味いとされている。カラフトシシャモしか食べたことがない人はどう思うか分からないが、シシャモとカラフトシシャモは全然味が違う。やっぱシシャモの方がずっと美味いよ。シシャモの仲間にチカとかキュウリ(野菜じゃなくて、れっきとした魚の名前)がいるが、そういえば関東では見たことがない。北海道以外では食べられていないのだろうか。ワカサギ同様、から揚げや天ぷらなどにしてよく食べていた。ああ懐かしいなあ。ワカサギより海の魚のチカの方が美味しかったなあ。キュウリはチカより味は落ちるけど、から揚げは嫌いじゃなかったなあ。…と、ノーベル賞そっちのけでテレビ画面の奥に映っている、すだれ干しのシシャモを食い入るように眺めてしまった今朝。
2010.10.07
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11月に、高校時代の同級生首都圏在住女子会ランチが行われることになった。卒業した高校は当時男子2:女子1と人数が不均衡で、クラスは44人中女子13名。13人中未婚は1人。あとは全員結婚していて、1人は若い頃離婚したがすぐに再婚。こういうのって今時もしかして珍しいんじゃないのか。アラフィフの世代とはいえ、離婚や結婚してない人の話などいまや全然珍しくもないのに、私の出身クラスはたまたま離婚率も独身率も低い。地味で堅実な(=華が無いっつーか。笑)女子ばかりだったせいだろうか(私は華も無論のこと無かったが堅実さも無かった)。13人のうち5人が現在首都圏在住。うち2人は大学進学時に津軽海峡を渡った。5人中1人とは連絡が取れないので、4人が集まることになった。このメンバーのうち一番最近に会った同級生は10年前、息子がまだ赤ん坊の頃わざわざうちまで遊びに来てくれたことがある。同じ県内在住だが、だからといってしょっちゅう会うというものでもない。そういや首都圏在住メンバーの子供は全員一人っ子か子供無しだ。少子化に貢献しているメンバーといえよう。この年になると、人はそう変わらないものだということが分かってくる。そして、もし別人のように変わってしまっているとすれば、それは何かとても不幸なことや辛いことが起きたから、あるいは傍から見て何か痛々しいものに入れ込んでいるから、という場合が多いということも。今回集まる4人はたぶん、昔とそう変わっていないメンバーだと思う。そうあってほしい。願わくは、「ところで環境に良い洗剤があるんだけど、トモダチだから特別に割引でどう?」とか「すっごいパワー持ってる先生がいて、そこに行くと何でもうまくいくようになるから一緒に行かない?」とか「今度の選挙では(一応自粛)党に入れてね」とか誰かが言い出しませんように。そんなこと言う奴がいたら、「ところでさ、世界が変わる体験ができるから一緒にインド行ってバング決めない?」とか言ってやろうと思っているが。
2010.10.05
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昨日夜、日記を書いてアップしたはずなのよ。今日PC開いてみたらアップされてないじゃん(号泣せっかく書いた畢生の大作(どうせ消えちまってるから何とでも言える)が水の泡。この数日また暑さがぶり返していたから、また調子が悪いのかも。ああいったい私のどこがいけないの。つかいつまでも買い替えないのが悪いんだけどね。9月に入ってからPCはいかれるわ、息子の学校関係や塾関係や志望校行事なんかでやたら出かけざるをえないわ、雑徭の仕事は多いわ、その合間に息子の送り迎えやら何やらで、引きこもりたいぐうたらな私には正直同時進行でやることが多過ぎて、些か疲れている。10月は更に予定が目白押しで、専業主婦なのに手帳は埋まりまくり。こんなに盛りだくさんの予定がこなせるのか心配になってくる。さっき、今現在何がしたいか考えてたんだけど、山の中に行って、ひねもす虫の声を聞きながら木漏れ日の差す明るい林の中でのほほんと散歩したり本を読んだりしたいような気がする。山奥の一軒宿に宿を取って、ゆっくり温泉に浸かったりもしたいなあ。てことは、どうやら自分はのんびりまったりしたいらしい。時間とか予定を自分の意志と関係無しに埋められるのは世間と関わる以上致し方ないことではあるけど、こういう時にむらむらと片道チケットでバンコクとか香港に飛びたくなるんだよなあ。帰国予定は未定の1本勝負、資金は200万円、時間は2年なんてのが最高に望ましい。今日の夜は雨、と言いながら、今のところ中秋の名月がくっきりと空に浮かんでいる。幸い月は2つではなかった(微笑
2010.09.22
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全然奈良と関係ないのだが、この暑さの中で旅行中の数日間PCを放置していたせいかしらないがPCの挙動がすごく怪しくなっていた。操作のレスポンスが凄まじく遅かったりIEが突然フリーズしたり、ブログ更新や画像の整理どころではない。しばらくデフラグしてなかったので久々にやってみると、最適化するだけの空き領域が無い、とPCに断られてしまった(笑いや、笑っている場合ではない。当面不要な巨大ファイルを削除し、ディスクのクリーンアップをするとかなり空き領域ができたのでようやくデフラグできるようになった。考えてみれば7、8年前に購入したこのPC、CPUはCeleron1.70GHz、HDD40GB、RAM500MBという年代物の機種。たぶん最近のいろんなソフトウェアをほいほいインストールできるような代物ではないのだろう。Google日本語入力などホントは入れちゃいけないのかもしれない。クリーンアップとデフラグを数回繰り返し、ようやくレスポンスが普通になった。入力した文字が忘れた頃にのそのそと変換されたりIEがいきなり落ちたりすることも無くなったのだが、これもいつまで持つことやら。ディスプレイも相変わらず時々変色しているし、そろそろ買い替えの時期なんだろうなあ。
2010.08.29
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暑い。朝っぱらから蝉の声はやかましいし、東の窓から日差しが入る部屋は7時を過ぎると30度。これじゃ「午前中の涼しいうちに勉強しましょう」などと書いてある夏休みのしおり通りにしたところで、暑くて集中力が無くなり勉強する気になれないというもの。けれども、何日か前に台所の窓から空をふと眺めた時、秋の雲が空の片隅に浮いているのを見つけた。太陽光線が7月より傾いているせいか、空の色もどこか猛々しさに陰りが見える。日は確実に短くなり、蝉の死骸も目立つ。JAの直売所はキュウリやトマトが減り、茄子ばかりが山盛りになっている。秋の気配は確実に近付いている。陽極まれば陰に転じ、陰極まれば陽に転ず。夏は既に極まり、冬へと向かう舵を切った。夏の終わりがそろそろ見えてきた。暑さに弱い元道民にはありがたいことだけど、それはそれで寂しい。ちょっとセンチになったので、エグい画像で正気を取り戻しましょう。警告!精神的ブラクラになるかもしれません。深呼吸をしてクリックしましょう。
2010.08.07
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眠くない、とベッドに入ってから息子が文句を言う。よし分かった。じゃあ、問題を出すよ。560の約数を全て挙げなさい。えー、そんなの考えてたら目が覚めちゃう。いいからやってみ。ええと、1と560、2と280、…4と140、5と112、…(なるほど、掛け算の組み合わせで探すか。なかなかやるじゃん)7と80、8と70、10と56、……14と40、20と28!これで全部。ブッブーえ~、何?これで全部じゃないの?まだあるんだよーん。わかんないよ~、何?まあお母さんが風呂から上がったらまた聞くからそれまで考えていなさい。えー、目が覚めちゃうよ。大丈夫、じゃ後で。20分後。息子の部屋をのぞいてみると、がっつり爆睡中だった。
2010.08.02
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夕方麦茶を飲んでいてうっかりむせてしまったのだが、これが単にむせたに止まらず呼吸困難を起こして一瞬死ぬかと思った。いくらでも息を吐くことはできる。しかし、吸うことができない。むちゃくちゃ苦しいのでむりやり息を吸おうとするが、しかし空気が体に入ってこない。体が息を吸い込むことを拒否している。それに逆らい、全身の力を込めて悲鳴のような声とともに力尽くで何とか空気を吸い込む。しかしすぐにひどい咳き込みとともに吐き出されてしまう。そんなことを何度かやっているうちにくらくらして立っていられなくなる。息子はお母さんが死んじゃう、とパニックになっているが、とにもかくにも呼吸を確保するために何とか息を吸い込むのに必死な自分は、たぶん大丈夫だと彼に伝えることもできない。幸い夫が冷静なので、119番通報をしようとする息子を制止していた。かなりヤバい呼吸困難状態は10分ほどで治まり始めたが、しかし呼吸が上手くできない状態はしばらく続いた。うっかりすると吸うのを忘れて息が止まっている。深呼吸をする時のように意識しないと上手く空気が肺に入ってこない。今もまだ息を吸うのがちょっとしんどいし、渾身の力で空気を吸い込んでいたせいか何だか知らないが、ものすごく疲れている。よくお年寄りが喉に餅を詰まらせて亡くなるとか、誤嚥性肺炎で命を落とすとかいう話があるが、これってむせる力がなくなっているかららしい。むせることができなくなると、肺や気管から異物が出せず呼吸停止になったり感染症を起こしたりするのだそうだ。しかし、むせることができても今回自分がやらかしたように呼吸できない状態になるとそれはそれでかなり危険なような気がする。今はまだ体力があるからひどくむせただけで済んだが、80にもなったらこんな風に全身の力を使って空気を吸い込むなどという芸当はできそうもない。その時は救急車を呼ぶか死ぬしかないんだろうなあ。しかし、事故で呼吸ができなくなるってのはかなり苦しいので、できればそういう死に方はしたくないものだとつくづく思った。
2010.07.31
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