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つぶやき150430警察に相談・依頼してきた、パクリ問題などで。以前書いたように警察(P)は友達のようなものだ。他にもそれに関連して強力な対策を実行している。心脳科学 超弦理論 超ひも理論 クオリア 質の科学 世界哲学やはり、かなり前、政府や政党sにメールした、あの濾過装置を設置しないといかん。ここにも記した。つぶやき04/30心脳科学(仮説)の連載は今日で185回目、alien:ありえん、ありうる、(JK)宇宙は神秘的でダイナミック、暴走する星・地球、ヒビだらけの地球、暴走する太陽系、呪われた星・地球、急速に老化していく地球、この先世界に流行るもの、ボケトルマン、ヘタレオン、発狂する人類、そう遠くない将来世界は、かなり前何度も書いた:昔読んだ「渚にて」、かなり前何度も書いた:そして、アガサ・クリスティの名作、そして、2020年11月17日、SF超絶大作事実写映画公開、ぐちゃぐちゃな地球、質時間回帰(SJK)、離れたつづき:そのチーズだが、ぼくが好きなのはオーストラリア産だ、謹賀新年 駄菓子うたシリーズみあげれば くものかなたに ほしぼしが すがたかくして めぐりあそぶいくとせか すぎしひびみる ほしのうえ そこにのこるは まぼろしとゆめたますだれ とわさくいのち たもちつつ たゆたうすがた かりそめのゆめながれゆく ひびのいとなみ つちだまの とどまるところ そのさきそこにくずれゆく よそらのしかけ まったきに あらたさらえる にいなるすがたおおみそか 空に浮かぶは 年の瀬の 人類世界 映す雲ぐも くる年は 人類の業 はらみつつ 未曾有の姿 世界・・K(さまざまな快)を貪った人類に残されているものは、第3なんとか、加筆:人工知性組織の着眼・発想は、大学時代の初期になした(大学時代の初めから、さまざまな発明などの独自研究もしていた)。コンピュータの理解をより深くしようと試みていたら、そういう発想がでてきた。つづき:同時に、発明が趣味だった(今も)から、ぼくならこういう人工知性をつくる、といった気持ちだった。その当時その人工知性組織の基本的骨組みはできた。だがそこでの理活(心脳におけるさまざまな情報処理活動の具体的論理に当たる)の研究が非常に難しい。つづき:理活をさらに深めて追究したのはそれから10年前後あとの二年間ぐらいだった。そこでの10年前後経つ間も、漠然と、それとその他いろいろについての研究の問題意識を持ちつづけていた(理活研究のノート二冊その他多数がある)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。さて、クオリア=質(質⊃クオリア)にかかわる、私の永年の、主に科学的研究の一部とその周辺などをここに書いてきたわけですが、ここで、それらをまとめて、あら筋として短く記してみます。年代関係も入れます。中学生時代から、意識について非常な興味をもっていたので、いつしかそれについて考えるようになっていった。高校時代に、同じ人間が二人いたら、いったいどうなるか、特にその意識や心はどうなるか、という問題意識がでてきたので、それを思考実験して一応結論がでてきた(どこかに記)。その後、高校生時代に、この世界には、さまざまな「質」がある、という着眼〜発想をもった(電子物性などという分野は、その30数年あとに知ったが今のところ「質」の参考にはならない)。「質」はなんらかの成分・要素たちに分解・解析できるだろう(予想・仮説)。人間にとって、「質」は結局、脳〜心的機能・能力、その他(本能や感情など。それらは前者のどこかに含めてもよい)によって扱われ情報処理される(心的情報処理)(注:ここに、心という言葉を活用して、「心」・「心器」についての定義なども入ってくる。それは、日常で用いる心と完全に一致することはない。心の部位=心器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)。そして、それら心的情報処理された「質」は「意識(意識の部位=意識器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)」に送り込まれ意識し味わわれることになる(注:ここに、「意識」・「意識器」の定義なども入ってくる。これも、すでにある意識という単語を活かしているのだが、普通に用いる意識と一致しないところが多くある)。そこらを発明のやり方・その他などで発想・推測し、ひとつの仮説体系、つまり、「心脳科学(仮説)」=「脳、心、意識、を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説の体系なる理論」(名づけ方はいろいろあるが、「意識の科学(脳を含めた)」、「心の科学(脳を含めた)」ともいえる)を組み上げてみた(その理論は世界初であり、唯一無二であって、その仮説体系にかかわる文献は皆無)。付記:心脳科学(仮説)では、物理的モデルのもと、「質⊃クオリア」自体を数学的に扱う。付記:大学時代の初めから、新しい人工知性組織についてや、さまざまな発明の独自研究もしていた。付記:結局、人間・意識の外の世界(肉体を含む)が、なんでできていようが、どうあろうが、なにが起こっていようが、人間・意識にとって、物質的であれ非物質的であれ、存在や現象のすべてと、それらと関わる人間の心の在り方や内容は、ここに述べたそういう在り方・形態でしか意識し味わうことはできない。つまり、人間にとってすべては、心器などで情報処理し(され)、意識器で質という形・形態で意識し味わわれることになる。そういう在り方しかない(例外はあるかもしれない。それはどこかに記した)。さて、大学生時代の初期に、「質⊃クオリア」を、「意識の部位=意識器」が意識し味わうと、「意識器」かその辺りに、意識し味わった「質⊃クオリア」に応じたなんらかの変化・痕跡が残るのではないか、という着眼・発想をもった(予想・仮説)。なぜなら、どんな存在・系もすべて、なんらかのエネルギーを受けたら、それに応じた変化を現すだろうし(原理、予想、仮説)(例外はあるかもしれんが)、「質⊃クオリア」もなんらかのエネルギーで成り立っているはずだからである(予想・仮説)。そこにおいて、同じ変化が付きつづけていくと、その存在・系の耐性の限界に達して、それは壊れてしまうだろう。「意識の部位=意識器」についてもそういえるだろう(原理、予想、仮説)。生物には、ホメオスタシス(変化を元に戻して恒常性を保つ働き)がある。それがないと、生体内のなんらかの変化が生存の限度を越えることがあり、生物は寿命をまっとうできない。生物にかかわる系である「意識の部位」かその辺りに付いた変化についても同様で、変化が限界に達しその系が壊れる前にそれら変化は元に戻されるだろう(予想、仮説、あるいは原理)(心器についても一応同じことがいえる)(それらのハードウェアとしての寿命については別な研究となる)。そこらを、確率、哲学的やり方、原理設定などいくつものやり方で、扱うと、いずれも、それら変化が元に戻される時刻が、とびとびに現れる、となる。それを解釈すると、いくつもの法則的命題がでてくる。それらをまとめて「質時間回帰則」と呼ぼう。(以上、「なんらかの変化・痕跡」〜ここら辺りまでは大学時代の中頃までに一応の結論)さらに、人間の意識における質時間回帰は、いつまで続いていくのかという研究もでてくる。そこでは、相対論からでてくる時間論以外の時間論(永遠にかかわる時間論など)もでてくる(それについて大学時代にもった、研究や希望からの予想は、とりあえず永遠だろう、であったが、この方面の研究の一応の完成が一番後になった)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。付記:以上の研究の始発や研究過程と一応の完成は、並べた順とは限らず、入り組んでいる。付記:仮に心脳科学(仮説)が反証されたとしても、そのことによって質の科学(仮説)が否定されるということはない。○誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)水が減ったら、捨てて入れなおす。○ぼくのツイッターは、フォローしてない人たちが、けっこうな多数、読んでおられるそうだ。ぼくのブログなどや他のサイトについても同じくそう。ぼくの親父の教え子(当時、高校生)はほんとに大人数で、弁護士や警察関係者、国会議員、検察関係者、その他、大勢おられる、親戚も多く、いろいろだ、データはすべて記録してある、「心脳科学(仮説)」は世界初:「心脳科学(仮説)」は、私の永年の研究による独自の成果であり、世界初であって、世界中で唯一無二です。その仮説体系そのものについての文献は皆無です。原稿「心脳科学(仮説)」を日本語で、しかも日本で発表しても、海外からパクリがでるだろう。そこで対策を立てた。かなり前、いちばん古くからやっているぼくのブログへのアクセス回数がもの凄く増え、それが一週間ぐらい続いたことがあった。パクリ野郎か、と思った。データは記録してある。つぶやき2011の1月「新ことわざシリーズ:人類のマイナスの質時間によって空が落ちてくる」。一方、「sky fall」というのがでてきている。そのタイトルの決定の方がずっと後のようだ。面白い。こういう偶然は楽しくて愉快だ。そのテーマソングも実にいい。気に入った。○心脳科学(仮説)からでてくる特許は抑えておく。○その先の社会状況を見越して家を完璧な防犯仕様にした、反応が悪いから再掲:金之助氏=モグモグ氏このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。著作権は日本国著作権法ならびに国際条約によって保護されています。 それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2015.04.30
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心脳科学(仮説)の連載は今日で185回目、誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)つづき:水が減ったら、捨てて入れなおす。
2015.04.30
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つぶやき150429警察に相談・依頼してきた、パクリ問題などで。以前書いたように警察(P)は友達のようなものだ。他にもそれに関連して強力な対策を実行している。心脳科学 超弦理論 超ひも理論 クオリア 質の科学 世界哲学やはり、かなり前、政府や政党sにメールした、あの濾過装置を設置しないといかん。ここにも記した。つぶやき04/29心脳科学(仮説)の連載は今日で184回目、alien:ありえん、ありうる、(JK)宇宙は神秘的でダイナミック、暴走する星・地球、ヒビだらけの地球、暴走する太陽系、呪われた星・地球、急速に老化していく地球、この先世界に流行るもの、ボケトルマン、ヘタレオン、発狂する人類、そう遠くない将来世界は、かなり前何度も書いた:昔読んだ「渚にて」、かなり前何度も書いた:そして、アガサ・クリスティの名作、そして、2020年11月17日、SF超絶大作事実写映画公開、ぐちゃぐちゃな地球、質時間回帰(SJK)、離れたつづき:そのチーズだが、ぼくが好きなのはオーストラリア産だ、謹賀新年 駄菓子うたシリーズみあげれば くものかなたに ほしぼしが すがたかくして めぐりあそぶいくとせか すぎしひびみる ほしのうえ そこにのこるは まぼろしとゆめたますだれ とわさくいのち たもちつつ たゆたうすがた かりそめのゆめながれゆく ひびのいとなみ つちだまの とどまるところ そのさきそこにくずれゆく よそらのしかけ まったきに あらたさらえる にいなるすがたおおみそか 空に浮かぶは 年の瀬の 人類世界 映す雲ぐも くる年は 人類の業 はらみつつ 未曾有の姿 世界・・K(さまざまな快)を貪った人類に残されているものは、第3なんとか、加筆:人工知性組織の着眼・発想は、大学時代の初期になした(大学時代の初めから、さまざまな発明などの独自研究もしていた)。コンピュータの理解をより深くしようと試みていたら、そういう発想がでてきた。つづき:同時に、発明が趣味だった(今も)から、ぼくならこういう人工知性をつくる、といった気持ちだった。その当時その人工知性組織の基本的骨組みはできた。だがそこでの理活(心脳におけるさまざまな情報処理活動の具体的論理に当たる)の研究が非常に難しい。つづき:理活をさらに深めて追究したのはそれから10年前後あとの二年間ぐらいだった。そこでの10年前後経つ間も、漠然と、それとその他いろいろについての研究の問題意識を持ちつづけていた(理活研究のノート二冊その他多数がある)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。さて、クオリア=質(質⊃クオリア)にかかわる、私の永年の、主に科学的研究の一部とその周辺などをここに書いてきたわけですが、ここで、それらをまとめて、あら筋として短く記してみます。年代関係も入れます。中学生時代から、意識について非常な興味をもっていたので、いつしかそれについて考えるようになっていった。高校時代に、同じ人間が二人いたら、いったいどうなるか、特にその意識や心はどうなるか、という問題意識がでてきたので、それを思考実験して一応結論がでてきた(どこかに記)。その後、高校生時代に、この世界には、さまざまな「質」がある、という着眼〜発想をもった(電子物性などという分野は、その30数年あとに知ったが今のところ「質」の参考にはならない)。「質」はなんらかの成分・要素たちに分解・解析できるだろう(予想・仮説)。人間にとって、「質」は結局、脳〜心的機能・能力、その他(本能や感情など。それらは前者のどこかに含めてもよい)によって扱われ情報処理される(心的情報処理)(注:ここに、心という言葉を活用して、「心」・「心器」についての定義なども入ってくる。それは、日常で用いる心と完全に一致することはない。心の部位=心器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)。そして、それら心的情報処理された「質」は「意識(意識の部位=意識器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)」に送り込まれ意識し味わわれることになる(注:ここに、「意識」・「意識器」の定義なども入ってくる。これも、すでにある意識という単語を活かしているのだが、普通に用いる意識と一致しないところが多くある)。そこらを発明のやり方・その他などで発想・推測し、ひとつの仮説体系、つまり、「心脳科学(仮説)」=「脳、心、意識、を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説の体系なる理論」(名づけ方はいろいろあるが、「意識の科学(脳を含めた)」、「心の科学(脳を含めた)」ともいえる)を組み上げてみた(その理論は世界初であり、唯一無二であって、その仮説体系にかかわる文献は皆無)。付記:心脳科学(仮説)では、物理的モデルのもと、「質⊃クオリア」自体を数学的に扱う。付記:大学時代の初めから、新しい人工知性組織についてや、さまざまな発明の独自研究もしていた。付記:結局、人間・意識の外の世界(肉体を含む)が、なんでできていようが、どうあろうが、なにが起こっていようが、人間・意識にとって、物質的であれ非物質的であれ、存在や現象のすべてと、それらと関わる人間の心の在り方や内容は、ここに述べたそういう在り方・形態でしか意識し味わうことはできない。つまり、人間にとってすべては、心器などで情報処理し(され)、意識器で質という形・形態で意識し味わわれることになる。そういう在り方しかない(例外はあるかもしれない。それはどこかに記した)。さて、大学生時代の初期に、「質⊃クオリア」を、「意識の部位=意識器」が意識し味わうと、「意識器」かその辺りに、意識し味わった「質⊃クオリア」に応じたなんらかの変化・痕跡が残るのではないか、という着眼・発想をもった(予想・仮説)。なぜなら、どんな存在・系もすべて、なんらかのエネルギーを受けたら、それに応じた変化を現すだろうし(原理、予想、仮説)(例外はあるかもしれんが)、「質⊃クオリア」もなんらかのエネルギーで成り立っているはずだからである(予想・仮説)。そこにおいて、同じ変化が付きつづけていくと、その存在・系の耐性の限界に達して、それは壊れてしまうだろう。「意識の部位=意識器」についてもそういえるだろう(原理、予想、仮説)。生物には、ホメオスタシス(変化を元に戻して恒常性を保つ働き)がある。それがないと、生体内のなんらかの変化が生存の限度を越えることがあり、生物は寿命をまっとうできない。生物にかかわる系である「意識の部位」かその辺りに付いた変化についても同様で、変化が限界に達しその系が壊れる前にそれら変化は元に戻されるだろう(予想、仮説、あるいは原理)(心器についても一応同じことがいえる)(それらのハードウェアとしての寿命については別な研究となる)。そこらを、確率、哲学的やり方、原理設定などいくつものやり方で、扱うと、いずれも、それら変化が元に戻される時刻が、とびとびに現れる、となる。それを解釈すると、いくつもの法則的命題がでてくる。それらをまとめて「質時間回帰則」と呼ぼう。(以上、「なんらかの変化・痕跡」〜ここら辺りまでは大学時代の中頃までに一応の結論)さらに、人間の意識における質時間回帰は、いつまで続いていくのかという研究もでてくる。そこでは、相対論からでてくる時間論以外の時間論(永遠にかかわる時間論など)もでてくる(それについて大学時代にもった、研究や希望からの予想は、とりあえず永遠だろう、であったが、この方面の研究の一応の完成が一番後になった)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。付記:以上の研究の始発や研究過程と一応の完成は、並べた順とは限らず、入り組んでいる。付記:仮に心脳科学(仮説)が反証されたとしても、そのことによって質の科学(仮説)が否定されるということはない。○誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)水が減ったら、捨てて入れなおす。○ぼくのツイッターは、フォローしてない人たちが、けっこうな多数、読んでおられるそうだ。ぼくのブログなどや他のサイトについても同じくそう。ぼくの親父の教え子(当時、高校生)はほんとに大人数で、弁護士や警察関係者、国会議員、検察関係者、その他、大勢おられる、親戚も多く、いろいろだ、データはすべて記録してある、「心脳科学(仮説)」は世界初:「心脳科学(仮説)」は、私の永年の研究による独自の成果であり、世界初であって、世界中で唯一無二です。その仮説体系そのものについての文献は皆無です。原稿「心脳科学(仮説)」を日本語で、しかも日本で発表しても、海外からパクリがでるだろう。そこで対策を立てた。かなり前、いちばん古くからやっているぼくのブログへのアクセス回数がもの凄く増え、それが一週間ぐらい続いたことがあった。パクリ野郎か、と思った。データは記録してある。つぶやき2011の1月「新ことわざシリーズ:人類のマイナスの質時間によって空が落ちてくる」。一方、「sky fall」というのがでてきている。そのタイトルの決定の方がずっと後のようだ。面白い。こういう偶然は楽しくて愉快だ。そのテーマソングも実にいい。気に入った。○心脳科学(仮説)からでてくる特許は抑えておく。○その先の社会状況を見越して家を完璧な防犯仕様にした、反応が悪いから再掲:金之助氏=モグモグ氏このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。著作権は日本国著作権法ならびに国際条約によって保護されています。 それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2015.04.29
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心脳科学(仮説)の連載は今日で184回目、誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)つづき:水が減ったら、捨てて入れなおす。
2015.04.29
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つぶやき150428警察に相談・依頼してきた、パクリ問題などで。以前書いたように警察(P)は友達のようなものだ。他にもそれに関連して強力な対策を実行している。心脳科学 超弦理論 超ひも理論 クオリア 質の科学 世界哲学やはり、かなり前、政府や政党sにメールした、あの濾過装置を設置しないといかん。ここにも記した。つぶやき04/28心脳科学(仮説)の連載は今日で183回目、alien:ありえん、ありうる、(JK)宇宙は神秘的でダイナミック、暴走する星・地球、ヒビだらけの地球、暴走する太陽系、呪われた星・地球、急速に老化していく地球、この先世界に流行るもの、ボケトルマン、ヘタレオン、発狂する人類、そう遠くない将来世界は、かなり前何度も書いた:昔読んだ「渚にて」、かなり前何度も書いた:そして、アガサ・クリスティの名作、そして、2020年11月17日、SF超絶大作事実写映画公開、ぐちゃぐちゃな地球、質時間回帰(SJK)、離れたつづき:そのチーズだが、ぼくが好きなのはオーストラリア産だ、謹賀新年 駄菓子うたシリーズみあげれば くものかなたに ほしぼしが すがたかくして めぐりあそぶいくとせか すぎしひびみる ほしのうえ そこにのこるは まぼろしとゆめたますだれ とわさくいのち たもちつつ たゆたうすがた かりそめのゆめながれゆく ひびのいとなみ つちだまの とどまるところ そのさきそこにくずれゆく よそらのしかけ まったきに あらたさらえる にいなるすがたおおみそか 空に浮かぶは 年の瀬の 人類世界 映す雲ぐも くる年は 人類の業 はらみつつ 未曾有の姿 世界・・K(さまざまな快)を貪った人類に残されているものは、第3なんとか、加筆:人工知性組織の着眼・発想は、大学時代の初期になした(大学時代の初めから、さまざまな発明などの独自研究もしていた)。コンピュータの理解をより深くしようと試みていたら、そういう発想がでてきた。つづき:同時に、発明が趣味だった(今も)から、ぼくならこういう人工知性をつくる、といった気持ちだった。その当時その人工知性組織の基本的骨組みはできた。だがそこでの理活(心脳におけるさまざまな情報処理活動の具体的論理に当たる)の研究が非常に難しい。つづき:理活をさらに深めて追究したのはそれから10年前後あとの二年間ぐらいだった。そこでの10年前後経つ間も、漠然と、それとその他いろいろについての研究の問題意識を持ちつづけていた(理活研究のノート二冊その他多数がある)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。さて、クオリア=質(質⊃クオリア)にかかわる、私の永年の、主に科学的研究の一部とその周辺などをここに書いてきたわけですが、ここで、それらをまとめて、あら筋として短く記してみます。年代関係も入れます。中学生時代から、意識について非常な興味をもっていたので、いつしかそれについて考えるようになっていった。高校時代に、同じ人間が二人いたら、いったいどうなるか、特にその意識や心はどうなるか、という問題意識がでてきたので、それを思考実験して一応結論がでてきた(どこかに記)。その後、高校生時代に、この世界には、さまざまな「質」がある、という着眼〜発想をもった(電子物性などという分野は、その30数年あとに知ったが今のところ「質」の参考にはならない)。「質」はなんらかの成分・要素たちに分解・解析できるだろう(予想・仮説)。人間にとって、「質」は結局、脳〜心的機能・能力、その他(本能や感情など。それらは前者のどこかに含めてもよい)によって扱われ情報処理される(心的情報処理)(注:ここに、心という言葉を活用して、「心」・「心器」についての定義なども入ってくる。それは、日常で用いる心と完全に一致することはない。心の部位=心器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)。そして、それら心的情報処理された「質」は「意識(意識の部位=意識器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)」に送り込まれ意識し味わわれることになる(注:ここに、「意識」・「意識器」の定義なども入ってくる。これも、すでにある意識という単語を活かしているのだが、普通に用いる意識と一致しないところが多くある)。そこらを発明のやり方・その他などで発想・推測し、ひとつの仮説体系、つまり、「心脳科学(仮説)」=「脳、心、意識、を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説の体系なる理論」(名づけ方はいろいろあるが、「意識の科学(脳を含めた)」、「心の科学(脳を含めた)」ともいえる)を組み上げてみた(その理論は世界初であり、唯一無二であって、その仮説体系にかかわる文献は皆無)。付記:心脳科学(仮説)では、物理的モデルのもと、「質⊃クオリア」自体を数学的に扱う。付記:大学時代の初めから、新しい人工知性組織についてや、さまざまな発明の独自研究もしていた。付記:結局、人間・意識の外の世界(肉体を含む)が、なんでできていようが、どうあろうが、なにが起こっていようが、人間・意識にとって、物質的であれ非物質的であれ、存在や現象のすべてと、それらと関わる人間の心の在り方や内容は、ここに述べたそういう在り方・形態でしか意識し味わうことはできない。つまり、人間にとってすべては、心器などで情報処理し(され)、意識器で質という形・形態で意識し味わわれることになる。そういう在り方しかない(例外はあるかもしれない。それはどこかに記した)。さて、大学生時代の初期に、「質⊃クオリア」を、「意識の部位=意識器」が意識し味わうと、「意識器」かその辺りに、意識し味わった「質⊃クオリア」に応じたなんらかの変化・痕跡が残るのではないか、という着眼・発想をもった(予想・仮説)。なぜなら、どんな存在・系もすべて、なんらかのエネルギーを受けたら、それに応じた変化を現すだろうし(原理、予想、仮説)(例外はあるかもしれんが)、「質⊃クオリア」もなんらかのエネルギーで成り立っているはずだからである(予想・仮説)。そこにおいて、同じ変化が付きつづけていくと、その存在・系の耐性の限界に達して、それは壊れてしまうだろう。「意識の部位=意識器」についてもそういえるだろう(原理、予想、仮説)。生物には、ホメオスタシス(変化を元に戻して恒常性を保つ働き)がある。それがないと、生体内のなんらかの変化が生存の限度を越えることがあり、生物は寿命をまっとうできない。生物にかかわる系である「意識の部位」かその辺りに付いた変化についても同様で、変化が限界に達しその系が壊れる前にそれら変化は元に戻されるだろう(予想、仮説、あるいは原理)(心器についても一応同じことがいえる)(それらのハードウェアとしての寿命については別な研究となる)。そこらを、確率、哲学的やり方、原理設定などいくつものやり方で、扱うと、いずれも、それら変化が元に戻される時刻が、とびとびに現れる、となる。それを解釈すると、いくつもの法則的命題がでてくる。それらをまとめて「質時間回帰則」と呼ぼう。(以上、「なんらかの変化・痕跡」〜ここら辺りまでは大学時代の中頃までに一応の結論)さらに、人間の意識における質時間回帰は、いつまで続いていくのかという研究もでてくる。そこでは、相対論からでてくる時間論以外の時間論(永遠にかかわる時間論など)もでてくる(それについて大学時代にもった、研究や希望からの予想は、とりあえず永遠だろう、であったが、この方面の研究の一応の完成が一番後になった)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。付記:以上の研究の始発や研究過程と一応の完成は、並べた順とは限らず、入り組んでいる。付記:仮に心脳科学(仮説)が反証されたとしても、そのことによって質の科学(仮説)が否定されるということはない。○誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)水が減ったら、捨てて入れなおす。○ぼくのツイッターは、フォローしてない人たちが、けっこうな多数、読んでおられるそうだ。ぼくのブログなどや他のサイトについても同じくそう。ぼくの親父の教え子(当時、高校生)はほんとに大人数で、弁護士や警察関係者、国会議員、検察関係者、その他、大勢おられる、親戚も多く、いろいろだ、データはすべて記録してある、「心脳科学(仮説)」は世界初:「心脳科学(仮説)」は、私の永年の研究による独自の成果であり、世界初であって、世界中で唯一無二です。その仮説体系そのものについての文献は皆無です。原稿「心脳科学(仮説)」を日本語で、しかも日本で発表しても、海外からパクリがでるだろう。そこで対策を立てた。かなり前、いちばん古くからやっているぼくのブログへのアクセス回数がもの凄く増え、それが一週間ぐらい続いたことがあった。パクリ野郎か、と思った。データは記録してある。つぶやき2011の1月「新ことわざシリーズ:人類のマイナスの質時間によって空が落ちてくる」。一方、「sky fall」というのがでてきている。そのタイトルの決定の方がずっと後のようだ。面白い。こういう偶然は楽しくて愉快だ。そのテーマソングも実にいい。気に入った。○心脳科学(仮説)からでてくる特許は抑えておく。○その先の社会状況を見越して家を完璧な防犯仕様にした、反応が悪いから再掲:金之助氏=モグモグ氏このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。著作権は日本国著作権法ならびに国際条約によって保護されています。 それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2015.04.28
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心脳科学(仮説)の連載は今日で183回目、誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)つづき:水が減ったら、捨てて入れなおす。
2015.04.28
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つぶやき150427警察に相談・依頼してきた、パクリ問題などで。以前書いたように警察(P)は友達のようなものだ。他にもそれに関連して強力な対策を実行している。心脳科学 超弦理論 超ひも理論 クオリア 質の科学 世界哲学やはり、かなり前、政府や政党sにメールした、あの濾過装置を設置しないといかん。ここにも記した。つぶやき04/27心脳科学(仮説)の連載は今日で182回目、alien:ありえん、ありうる、(JK)宇宙は神秘的でダイナミック、暴走する星・地球、ヒビだらけの地球、暴走する太陽系、呪われた星・地球、急速に老化していく地球、この先世界に流行るもの、ボケトルマン、ヘタレオン、発狂する人類、そう遠くない将来世界は、かなり前何度も書いた:昔読んだ「渚にて」、かなり前何度も書いた:そして、アガサ・クリスティの名作、そして、2020年11月17日、SF超絶大作事実写映画公開、ぐちゃぐちゃな地球、質時間回帰(SJK)、離れたつづき:そのチーズだが、ぼくが好きなのはオーストラリア産だ、謹賀新年 駄菓子うたシリーズみあげれば くものかなたに ほしぼしが すがたかくして めぐりあそぶいくとせか すぎしひびみる ほしのうえ そこにのこるは まぼろしとゆめたますだれ とわさくいのち たもちつつ たゆたうすがた かりそめのゆめながれゆく ひびのいとなみ つちだまの とどまるところ そのさきそこにくずれゆく よそらのしかけ まったきに あらたさらえる にいなるすがたおおみそか 空に浮かぶは 年の瀬の 人類世界 映す雲ぐも くる年は 人類の業 はらみつつ 未曾有の姿 世界・・K(さまざまな快)を貪った人類に残されているものは、第3なんとか、加筆:人工知性組織の着眼・発想は、大学時代の初期になした(大学時代の初めから、さまざまな発明などの独自研究もしていた)。コンピュータの理解をより深くしようと試みていたら、そういう発想がでてきた。つづき:同時に、発明が趣味だった(今も)から、ぼくならこういう人工知性をつくる、といった気持ちだった。その当時その人工知性組織の基本的骨組みはできた。だがそこでの理活(心脳におけるさまざまな情報処理活動の具体的論理に当たる)の研究が非常に難しい。つづき:理活をさらに深めて追究したのはそれから10年前後あとの二年間ぐらいだった。そこでの10年前後経つ間も、漠然と、それとその他いろいろについての研究の問題意識を持ちつづけていた(理活研究のノート二冊その他多数がある)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。さて、クオリア=質(質⊃クオリア)にかかわる、私の永年の、主に科学的研究の一部とその周辺などをここに書いてきたわけですが、ここで、それらをまとめて、あら筋として短く記してみます。年代関係も入れます。中学生時代から、意識について非常な興味をもっていたので、いつしかそれについて考えるようになっていった。高校時代に、同じ人間が二人いたら、いったいどうなるか、特にその意識や心はどうなるか、という問題意識がでてきたので、それを思考実験して一応結論がでてきた(どこかに記)。その後、高校生時代に、この世界には、さまざまな「質」がある、という着眼〜発想をもった(電子物性などという分野は、その30数年あとに知ったが今のところ「質」の参考にはならない)。「質」はなんらかの成分・要素たちに分解・解析できるだろう(予想・仮説)。人間にとって、「質」は結局、脳〜心的機能・能力、その他(本能や感情など。それらは前者のどこかに含めてもよい)によって扱われ情報処理される(心的情報処理)(注:ここに、心という言葉を活用して、「心」・「心器」についての定義なども入ってくる。それは、日常で用いる心と完全に一致することはない。心の部位=心器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)。そして、それら心的情報処理された「質」は「意識(意識の部位=意識器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)」に送り込まれ意識し味わわれることになる(注:ここに、「意識」・「意識器」の定義なども入ってくる。これも、すでにある意識という単語を活かしているのだが、普通に用いる意識と一致しないところが多くある)。そこらを発明のやり方・その他などで発想・推測し、ひとつの仮説体系、つまり、「心脳科学(仮説)」=「脳、心、意識、を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説の体系なる理論」(名づけ方はいろいろあるが、「意識の科学(脳を含めた)」、「心の科学(脳を含めた)」ともいえる)を組み上げてみた(その理論は世界初であり、唯一無二であって、その仮説体系にかかわる文献は皆無)。付記:心脳科学(仮説)では、物理的モデルのもと、「質⊃クオリア」自体を数学的に扱う。付記:大学時代の初めから、新しい人工知性組織についてや、さまざまな発明の独自研究もしていた。付記:結局、人間・意識の外の世界(肉体を含む)が、なんでできていようが、どうあろうが、なにが起こっていようが、人間・意識にとって、物質的であれ非物質的であれ、存在や現象のすべてと、それらと関わる人間の心の在り方や内容は、ここに述べたそういう在り方・形態でしか意識し味わうことはできない。つまり、人間にとってすべては、心器などで情報処理し(され)、意識器で質という形・形態で意識し味わわれることになる。そういう在り方しかない(例外はあるかもしれない。それはどこかに記した)。さて、大学生時代の初期に、「質⊃クオリア」を、「意識の部位=意識器」が意識し味わうと、「意識器」かその辺りに、意識し味わった「質⊃クオリア」に応じたなんらかの変化・痕跡が残るのではないか、という着眼・発想をもった(予想・仮説)。なぜなら、どんな存在・系もすべて、なんらかのエネルギーを受けたら、それに応じた変化を現すだろうし(原理、予想、仮説)(例外はあるかもしれんが)、「質⊃クオリア」もなんらかのエネルギーで成り立っているはずだからである(予想・仮説)。そこにおいて、同じ変化が付きつづけていくと、その存在・系の耐性の限界に達して、それは壊れてしまうだろう。「意識の部位=意識器」についてもそういえるだろう(原理、予想、仮説)。生物には、ホメオスタシス(変化を元に戻して恒常性を保つ働き)がある。それがないと、生体内のなんらかの変化が生存の限度を越えることがあり、生物は寿命をまっとうできない。生物にかかわる系である「意識の部位」かその辺りに付いた変化についても同様で、変化が限界に達しその系が壊れる前にそれら変化は元に戻されるだろう(予想、仮説、あるいは原理)(心器についても一応同じことがいえる)(それらのハードウェアとしての寿命については別な研究となる)。そこらを、確率、哲学的やり方、原理設定などいくつものやり方で、扱うと、いずれも、それら変化が元に戻される時刻が、とびとびに現れる、となる。それを解釈すると、いくつもの法則的命題がでてくる。それらをまとめて「質時間回帰則」と呼ぼう。(以上、「なんらかの変化・痕跡」〜ここら辺りまでは大学時代の中頃までに一応の結論)さらに、人間の意識における質時間回帰は、いつまで続いていくのかという研究もでてくる。そこでは、相対論からでてくる時間論以外の時間論(永遠にかかわる時間論など)もでてくる(それについて大学時代にもった、研究や希望からの予想は、とりあえず永遠だろう、であったが、この方面の研究の一応の完成が一番後になった)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。付記:以上の研究の始発や研究過程と一応の完成は、並べた順とは限らず、入り組んでいる。付記:仮に心脳科学(仮説)が反証されたとしても、そのことによって質の科学(仮説)が否定されるということはない。○誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)水が減ったら、捨てて入れなおす。○ぼくのツイッターは、フォローしてない人たちが、けっこうな多数、読んでおられるそうだ。ぼくのブログなどや他のサイトについても同じくそう。ぼくの親父の教え子(当時、高校生)はほんとに大人数で、弁護士や警察関係者、国会議員、検察関係者、その他、大勢おられる、親戚も多く、いろいろだ、データはすべて記録してある、「心脳科学(仮説)」は世界初:「心脳科学(仮説)」は、私の永年の研究による独自の成果であり、世界初であって、世界中で唯一無二です。その仮説体系そのものについての文献は皆無です。原稿「心脳科学(仮説)」を日本語で、しかも日本で発表しても、海外からパクリがでるだろう。そこで対策を立てた。かなり前、いちばん古くからやっているぼくのブログへのアクセス回数がもの凄く増え、それが一週間ぐらい続いたことがあった。パクリ野郎か、と思った。データは記録してある。つぶやき2011の1月「新ことわざシリーズ:人類のマイナスの質時間によって空が落ちてくる」。一方、「sky fall」というのがでてきている。そのタイトルの決定の方がずっと後のようだ。面白い。こういう偶然は楽しくて愉快だ。そのテーマソングも実にいい。気に入った。○心脳科学(仮説)からでてくる特許は抑えておく。○その先の社会状況を見越して家を完璧な防犯仕様にした、反応が悪いから再掲:金之助氏=モグモグ氏このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。著作権は日本国著作権法ならびに国際条約によって保護されています。 それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2015.04.27
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心脳科学(仮説)の連載は今日で182回目、誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)つづき:水が減ったら、捨てて入れなおす。
2015.04.27
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つぶやき150426警察に相談・依頼してきた、パクリ問題などで。以前書いたように警察(P)は友達のようなものだ。他にもそれに関連して強力な対策を実行している。心脳科学 超弦理論 超ひも理論 クオリア 質の科学 世界哲学やはり、かなり前、政府や政党sにメールした、あの濾過装置を設置しないといかん。ここにも記した。つぶやき04/26心脳科学(仮説)の連載は今日で181回目、alien:ありえん、ありうる、(JK)宇宙は神秘的でダイナミック、暴走する星・地球、ヒビだらけの地球、暴走する太陽系、呪われた星・地球、急速に老化していく地球、この先世界に流行るもの、ボケトルマン、ヘタレオン、発狂する人類、そう遠くない将来世界は、かなり前何度も書いた:昔読んだ「渚にて」、かなり前何度も書いた:そして、アガサ・クリスティの名作、そして、2020年11月17日、SF超絶大作事実写映画公開、ぐちゃぐちゃな地球、質時間回帰(SJK)、離れたつづき:そのチーズだが、ぼくが好きなのはオーストラリア産だ、謹賀新年 駄菓子うたシリーズみあげれば くものかなたに ほしぼしが すがたかくして めぐりあそぶいくとせか すぎしひびみる ほしのうえ そこにのこるは まぼろしとゆめたますだれ とわさくいのち たもちつつ たゆたうすがた かりそめのゆめながれゆく ひびのいとなみ つちだまの とどまるところ そのさきそこにくずれゆく よそらのしかけ まったきに あらたさらえる にいなるすがたおおみそか 空に浮かぶは 年の瀬の 人類世界 映す雲ぐも くる年は 人類の業 はらみつつ 未曾有の姿 世界・・K(さまざまな快)を貪った人類に残されているものは、第3なんとか、加筆:人工知性組織の着眼・発想は、大学時代の初期になした(大学時代の初めから、さまざまな発明などの独自研究もしていた)。コンピュータの理解をより深くしようと試みていたら、そういう発想がでてきた。つづき:同時に、発明が趣味だった(今も)から、ぼくならこういう人工知性をつくる、といった気持ちだった。その当時その人工知性組織の基本的骨組みはできた。だがそこでの理活(心脳におけるさまざまな情報処理活動の具体的論理に当たる)の研究が非常に難しい。つづき:理活をさらに深めて追究したのはそれから10年前後あとの二年間ぐらいだった。そこでの10年前後経つ間も、漠然と、それとその他いろいろについての研究の問題意識を持ちつづけていた(理活研究のノート二冊その他多数がある)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。さて、クオリア=質(質⊃クオリア)にかかわる、私の永年の、主に科学的研究の一部とその周辺などをここに書いてきたわけですが、ここで、それらをまとめて、あら筋として短く記してみます。年代関係も入れます。中学生時代から、意識について非常な興味をもっていたので、いつしかそれについて考えるようになっていった。高校時代に、同じ人間が二人いたら、いったいどうなるか、特にその意識や心はどうなるか、という問題意識がでてきたので、それを思考実験して一応結論がでてきた(どこかに記)。その後、高校生時代に、この世界には、さまざまな「質」がある、という着眼〜発想をもった(電子物性などという分野は、その30数年あとに知ったが今のところ「質」の参考にはならない)。「質」はなんらかの成分・要素たちに分解・解析できるだろう(予想・仮説)。人間にとって、「質」は結局、脳〜心的機能・能力、その他(本能や感情など。それらは前者のどこかに含めてもよい)によって扱われ情報処理される(心的情報処理)(注:ここに、心という言葉を活用して、「心」・「心器」についての定義なども入ってくる。それは、日常で用いる心と完全に一致することはない。心の部位=心器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)。そして、それら心的情報処理された「質」は「意識(意識の部位=意識器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)」に送り込まれ意識し味わわれることになる(注:ここに、「意識」・「意識器」の定義なども入ってくる。これも、すでにある意識という単語を活かしているのだが、普通に用いる意識と一致しないところが多くある)。そこらを発明のやり方・その他などで発想・推測し、ひとつの仮説体系、つまり、「心脳科学(仮説)」=「脳、心、意識、を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説の体系なる理論」(名づけ方はいろいろあるが、「意識の科学(脳を含めた)」、「心の科学(脳を含めた)」ともいえる)を組み上げてみた(その理論は世界初であり、唯一無二であって、その仮説体系にかかわる文献は皆無)。付記:心脳科学(仮説)では、物理的モデルのもと、「質⊃クオリア」自体を数学的に扱う。付記:大学時代の初めから、新しい人工知性組織についてや、さまざまな発明の独自研究もしていた。付記:結局、人間・意識の外の世界(肉体を含む)が、なんでできていようが、どうあろうが、なにが起こっていようが、人間・意識にとって、物質的であれ非物質的であれ、存在や現象のすべてと、それらと関わる人間の心の在り方や内容は、ここに述べたそういう在り方・形態でしか意識し味わうことはできない。つまり、人間にとってすべては、心器などで情報処理し(され)、意識器で質という形・形態で意識し味わわれることになる。そういう在り方しかない(例外はあるかもしれない。それはどこかに記した)。さて、大学生時代の初期に、「質⊃クオリア」を、「意識の部位=意識器」が意識し味わうと、「意識器」かその辺りに、意識し味わった「質⊃クオリア」に応じたなんらかの変化・痕跡が残るのではないか、という着眼・発想をもった(予想・仮説)。なぜなら、どんな存在・系もすべて、なんらかのエネルギーを受けたら、それに応じた変化を現すだろうし(原理、予想、仮説)(例外はあるかもしれんが)、「質⊃クオリア」もなんらかのエネルギーで成り立っているはずだからである(予想・仮説)。そこにおいて、同じ変化が付きつづけていくと、その存在・系の耐性の限界に達して、それは壊れてしまうだろう。「意識の部位=意識器」についてもそういえるだろう(原理、予想、仮説)。生物には、ホメオスタシス(変化を元に戻して恒常性を保つ働き)がある。それがないと、生体内のなんらかの変化が生存の限度を越えることがあり、生物は寿命をまっとうできない。生物にかかわる系である「意識の部位」かその辺りに付いた変化についても同様で、変化が限界に達しその系が壊れる前にそれら変化は元に戻されるだろう(予想、仮説、あるいは原理)(心器についても一応同じことがいえる)(それらのハードウェアとしての寿命については別な研究となる)。そこらを、確率、哲学的やり方、原理設定などいくつものやり方で、扱うと、いずれも、それら変化が元に戻される時刻が、とびとびに現れる、となる。それを解釈すると、いくつもの法則的命題がでてくる。それらをまとめて「質時間回帰則」と呼ぼう。(以上、「なんらかの変化・痕跡」〜ここら辺りまでは大学時代の中頃までに一応の結論)さらに、人間の意識における質時間回帰は、いつまで続いていくのかという研究もでてくる。そこでは、相対論からでてくる時間論以外の時間論(永遠にかかわる時間論など)もでてくる(それについて大学時代にもった、研究や希望からの予想は、とりあえず永遠だろう、であったが、この方面の研究の一応の完成が一番後になった)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。付記:以上の研究の始発や研究過程と一応の完成は、並べた順とは限らず、入り組んでいる。付記:仮に心脳科学(仮説)が反証されたとしても、そのことによって質の科学(仮説)が否定されるということはない。○誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)水が減ったら、捨てて入れなおす。○ぼくのツイッターは、フォローしてない人たちが、けっこうな多数、読んでおられるそうだ。ぼくのブログなどや他のサイトについても同じくそう。ぼくの親父の教え子(当時、高校生)はほんとに大人数で、弁護士や警察関係者、国会議員、検察関係者、その他、大勢おられる、親戚も多く、いろいろだ、データはすべて記録してある、「心脳科学(仮説)」は世界初:「心脳科学(仮説)」は、私の永年の研究による独自の成果であり、世界初であって、世界中で唯一無二です。その仮説体系そのものについての文献は皆無です。原稿「心脳科学(仮説)」を日本語で、しかも日本で発表しても、海外からパクリがでるだろう。そこで対策を立てた。かなり前、いちばん古くからやっているぼくのブログへのアクセス回数がもの凄く増え、それが一週間ぐらい続いたことがあった。パクリ野郎か、と思った。データは記録してある。つぶやき2011の1月「新ことわざシリーズ:人類のマイナスの質時間によって空が落ちてくる」。一方、「sky fall」というのがでてきている。そのタイトルの決定の方がずっと後のようだ。面白い。こういう偶然は楽しくて愉快だ。そのテーマソングも実にいい。気に入った。○心脳科学(仮説)からでてくる特許は抑えておく。○その先の社会状況を見越して家を完璧な防犯仕様にした、反応が悪いから再掲:金之助氏=モグモグ氏このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。著作権は日本国著作権法ならびに国際条約によって保護されています。 それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2015.04.26
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心脳科学(仮説)の連載は今日で181回目、誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)つづき:水が減ったら、捨てて入れなおす。
2015.04.26
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つぶやき150425警察に相談・依頼してきた、パクリ問題などで。以前書いたように警察(P)は友達のようなものだ。他にもそれに関連して強力な対策を実行している。心脳科学 超弦理論 超ひも理論 クオリア 質の科学 世界哲学やはり、かなり前、政府や政党sにメールした、あの濾過装置を設置しないといかん。ここにも記した。つぶやき04/25心脳科学(仮説)の連載は今日で180回目、alien:ありえん、ありうる、(JK)宇宙は神秘的でダイナミック、暴走する星・地球、ヒビだらけの地球、暴走する太陽系、呪われた星・地球、急速に老化していく地球、この先世界に流行るもの、ボケトルマン、ヘタレオン、発狂する人類、そう遠くない将来世界は、かなり前何度も書いた:昔読んだ「渚にて」、かなり前何度も書いた:そして、アガサ・クリスティの名作、そして、2020年11月17日、SF超絶大作事実写映画公開、ぐちゃぐちゃな地球、質時間回帰(SJK)、離れたつづき:そのチーズだが、ぼくが好きなのはオーストラリア産だ、謹賀新年 駄菓子うたシリーズみあげれば くものかなたに ほしぼしが すがたかくして めぐりあそぶいくとせか すぎしひびみる ほしのうえ そこにのこるは まぼろしとゆめたますだれ とわさくいのち たもちつつ たゆたうすがた かりそめのゆめながれゆく ひびのいとなみ つちだまの とどまるところ そのさきそこにくずれゆく よそらのしかけ まったきに あらたさらえる にいなるすがたおおみそか 空に浮かぶは 年の瀬の 人類世界 映す雲ぐも くる年は 人類の業 はらみつつ 未曾有の姿 世界・・K(さまざまな快)を貪った人類に残されているものは、第3なんとか、加筆:人工知性組織の着眼・発想は、大学時代の初期になした(大学時代の初めから、さまざまな発明などの独自研究もしていた)。コンピュータの理解をより深くしようと試みていたら、そういう発想がでてきた。つづき:同時に、発明が趣味だった(今も)から、ぼくならこういう人工知性をつくる、といった気持ちだった。その当時その人工知性組織の基本的骨組みはできた。だがそこでの理活(心脳におけるさまざまな情報処理活動の具体的論理に当たる)の研究が非常に難しい。つづき:理活をさらに深めて追究したのはそれから10年前後あとの二年間ぐらいだった。そこでの10年前後経つ間も、漠然と、それとその他いろいろについての研究の問題意識を持ちつづけていた(理活研究のノート二冊その他多数がある)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。さて、クオリア=質(質⊃クオリア)にかかわる、私の永年の、主に科学的研究の一部とその周辺などをここに書いてきたわけですが、ここで、それらをまとめて、あら筋として短く記してみます。年代関係も入れます。中学生時代から、意識について非常な興味をもっていたので、いつしかそれについて考えるようになっていった。高校時代に、同じ人間が二人いたら、いったいどうなるか、特にその意識や心はどうなるか、という問題意識がでてきたので、それを思考実験して一応結論がでてきた(どこかに記)。その後、高校生時代に、この世界には、さまざまな「質」がある、という着眼〜発想をもった(電子物性などという分野は、その30数年あとに知ったが今のところ「質」の参考にはならない)。「質」はなんらかの成分・要素たちに分解・解析できるだろう(予想・仮説)。人間にとって、「質」は結局、脳〜心的機能・能力、その他(本能や感情など。それらは前者のどこかに含めてもよい)によって扱われ情報処理される(心的情報処理)(注:ここに、心という言葉を活用して、「心」・「心器」についての定義なども入ってくる。それは、日常で用いる心と完全に一致することはない。心の部位=心器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)。そして、それら心的情報処理された「質」は「意識(意識の部位=意識器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)」に送り込まれ意識し味わわれることになる(注:ここに、「意識」・「意識器」の定義なども入ってくる。これも、すでにある意識という単語を活かしているのだが、普通に用いる意識と一致しないところが多くある)。そこらを発明のやり方・その他などで発想・推測し、ひとつの仮説体系、つまり、「心脳科学(仮説)」=「脳、心、意識、を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説の体系なる理論」(名づけ方はいろいろあるが、「意識の科学(脳を含めた)」、「心の科学(脳を含めた)」ともいえる)を組み上げてみた(その理論は世界初であり、唯一無二であって、その仮説体系にかかわる文献は皆無)。付記:心脳科学(仮説)では、物理的モデルのもと、「質⊃クオリア」自体を数学的に扱う。付記:大学時代の初めから、新しい人工知性組織についてや、さまざまな発明の独自研究もしていた。付記:結局、人間・意識の外の世界(肉体を含む)が、なんでできていようが、どうあろうが、なにが起こっていようが、人間・意識にとって、物質的であれ非物質的であれ、存在や現象のすべてと、それらと関わる人間の心の在り方や内容は、ここに述べたそういう在り方・形態でしか意識し味わうことはできない。つまり、人間にとってすべては、心器などで情報処理し(され)、意識器で質という形・形態で意識し味わわれることになる。そういう在り方しかない(例外はあるかもしれない。それはどこかに記した)。さて、大学生時代の初期に、「質⊃クオリア」を、「意識の部位=意識器」が意識し味わうと、「意識器」かその辺りに、意識し味わった「質⊃クオリア」に応じたなんらかの変化・痕跡が残るのではないか、という着眼・発想をもった(予想・仮説)。なぜなら、どんな存在・系もすべて、なんらかのエネルギーを受けたら、それに応じた変化を現すだろうし(原理、予想、仮説)(例外はあるかもしれんが)、「質⊃クオリア」もなんらかのエネルギーで成り立っているはずだからである(予想・仮説)。そこにおいて、同じ変化が付きつづけていくと、その存在・系の耐性の限界に達して、それは壊れてしまうだろう。「意識の部位=意識器」についてもそういえるだろう(原理、予想、仮説)。生物には、ホメオスタシス(変化を元に戻して恒常性を保つ働き)がある。それがないと、生体内のなんらかの変化が生存の限度を越えることがあり、生物は寿命をまっとうできない。生物にかかわる系である「意識の部位」かその辺りに付いた変化についても同様で、変化が限界に達しその系が壊れる前にそれら変化は元に戻されるだろう(予想、仮説、あるいは原理)(心器についても一応同じことがいえる)(それらのハードウェアとしての寿命については別な研究となる)。そこらを、確率、哲学的やり方、原理設定などいくつものやり方で、扱うと、いずれも、それら変化が元に戻される時刻が、とびとびに現れる、となる。それを解釈すると、いくつもの法則的命題がでてくる。それらをまとめて「質時間回帰則」と呼ぼう。(以上、「なんらかの変化・痕跡」〜ここら辺りまでは大学時代の中頃までに一応の結論)さらに、人間の意識における質時間回帰は、いつまで続いていくのかという研究もでてくる。そこでは、相対論からでてくる時間論以外の時間論(永遠にかかわる時間論など)もでてくる(それについて大学時代にもった、研究や希望からの予想は、とりあえず永遠だろう、であったが、この方面の研究の一応の完成が一番後になった)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。付記:以上の研究の始発や研究過程と一応の完成は、並べた順とは限らず、入り組んでいる。付記:仮に心脳科学(仮説)が反証されたとしても、そのことによって質の科学(仮説)が否定されるということはない。○誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)水が減ったら、捨てて入れなおす。○ぼくのツイッターは、フォローしてない人たちが、けっこうな多数、読んでおられるそうだ。ぼくのブログなどや他のサイトについても同じくそう。ぼくの親父の教え子(当時、高校生)はほんとに大人数で、弁護士や警察関係者、国会議員、検察関係者、その他、大勢おられる、親戚も多く、いろいろだ、データはすべて記録してある、「心脳科学(仮説)」は世界初:「心脳科学(仮説)」は、私の永年の研究による独自の成果であり、世界初であって、世界中で唯一無二です。その仮説体系そのものについての文献は皆無です。原稿「心脳科学(仮説)」を日本語で、しかも日本で発表しても、海外からパクリがでるだろう。そこで対策を立てた。かなり前、いちばん古くからやっているぼくのブログへのアクセス回数がもの凄く増え、それが一週間ぐらい続いたことがあった。パクリ野郎か、と思った。データは記録してある。つぶやき2011の1月「新ことわざシリーズ:人類のマイナスの質時間によって空が落ちてくる」。一方、「sky fall」というのがでてきている。そのタイトルの決定の方がずっと後のようだ。面白い。こういう偶然は楽しくて愉快だ。そのテーマソングも実にいい。気に入った。○心脳科学(仮説)からでてくる特許は抑えておく。○その先の社会状況を見越して家を完璧な防犯仕様にした、反応が悪いから再掲:金之助氏=モグモグ氏このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。著作権は日本国著作権法ならびに国際条約によって保護されています。 それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2015.04.25
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心脳科学(仮説)の連載は今日で180回目、誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)つづき:水が減ったら、捨てて入れなおす。
2015.04.25
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つぶやき150424警察に相談・依頼してきた、パクリ問題などで。以前書いたように警察(P)は友達のようなものだ。他にもそれに関連して強力な対策を実行している。心脳科学 超弦理論 超ひも理論 クオリア 質の科学 世界哲学やはり、かなり前、政府や政党sにメールした、あの濾過装置を設置しないといかん。ここにも記した。つぶやき04/23心脳科学(仮説)の連載は今日で179回目、alien:ありえん、ありうる、(JK)宇宙は神秘的でダイナミック、暴走する星・地球、ヒビだらけの地球、暴走する太陽系、呪われた星・地球、急速に老化していく地球、この先世界に流行るもの、ボケトルマン、ヘタレオン、発狂する人類、そう遠くない将来世界は、かなり前何度も書いた:昔読んだ「渚にて」、かなり前何度も書いた:そして、アガサ・クリスティの名作、そして、2020年11月17日、SF超絶大作事実写映画公開、ぐちゃぐちゃな地球、質時間回帰(SJK)、離れたつづき:そのチーズだが、ぼくが好きなのはオーストラリア産だ、謹賀新年 駄菓子うたシリーズみあげれば くものかなたに ほしぼしが すがたかくして めぐりあそぶいくとせか すぎしひびみる ほしのうえ そこにのこるは まぼろしとゆめたますだれ とわさくいのち たもちつつ たゆたうすがた かりそめのゆめながれゆく ひびのいとなみ つちだまの とどまるところ そのさきそこにくずれゆく よそらのしかけ まったきに あらたさらえる にいなるすがたおおみそか 空に浮かぶは 年の瀬の 人類世界 映す雲ぐも くる年は 人類の業 はらみつつ 未曾有の姿 世界・・K(さまざまな快)を貪った人類に残されているものは、第3なんとか、加筆:人工知性組織の着眼・発想は、大学時代の初期になした(大学時代の初めから、さまざまな発明などの独自研究もしていた)。コンピュータの理解をより深くしようと試みていたら、そういう発想がでてきた。つづき:同時に、発明が趣味だった(今も)から、ぼくならこういう人工知性をつくる、といった気持ちだった。その当時その人工知性組織の基本的骨組みはできた。だがそこでの理活(心脳におけるさまざまな情報処理活動の具体的論理に当たる)の研究が非常に難しい。つづき:理活をさらに深めて追究したのはそれから10年前後あとの二年間ぐらいだった。そこでの10年前後経つ間も、漠然と、それとその他いろいろについての研究の問題意識を持ちつづけていた(理活研究のノート二冊その他多数がある)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。さて、クオリア=質(質⊃クオリア)にかかわる、私の永年の、主に科学的研究の一部とその周辺などをここに書いてきたわけですが、ここで、それらをまとめて、あら筋として短く記してみます。年代関係も入れます。中学生時代から、意識について非常な興味をもっていたので、いつしかそれについて考えるようになっていった。高校時代に、同じ人間が二人いたら、いったいどうなるか、特にその意識や心はどうなるか、という問題意識がでてきたので、それを思考実験して一応結論がでてきた(どこかに記)。その後、高校生時代に、この世界には、さまざまな「質」がある、という着眼〜発想をもった(電子物性などという分野は、その30数年あとに知ったが今のところ「質」の参考にはならない)。「質」はなんらかの成分・要素たちに分解・解析できるだろう(予想・仮説)。人間にとって、「質」は結局、脳〜心的機能・能力、その他(本能や感情など。それらは前者のどこかに含めてもよい)によって扱われ情報処理される(心的情報処理)(注:ここに、心という言葉を活用して、「心」・「心器」についての定義なども入ってくる。それは、日常で用いる心と完全に一致することはない。心の部位=心器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)。そして、それら心的情報処理された「質」は「意識(意識の部位=意識器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)」に送り込まれ意識し味わわれることになる(注:ここに、「意識」・「意識器」の定義なども入ってくる。これも、すでにある意識という単語を活かしているのだが、普通に用いる意識と一致しないところが多くある)。そこらを発明のやり方・その他などで発想・推測し、ひとつの仮説体系、つまり、「心脳科学(仮説)」=「脳、心、意識、を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説の体系なる理論」(名づけ方はいろいろあるが、「意識の科学(脳を含めた)」、「心の科学(脳を含めた)」ともいえる)を組み上げてみた(その理論は世界初であり、唯一無二であって、その仮説体系にかかわる文献は皆無)。付記:心脳科学(仮説)では、物理的モデルのもと、「質⊃クオリア」自体を数学的に扱う。付記:大学時代の初めから、新しい人工知性組織についてや、さまざまな発明の独自研究もしていた。付記:結局、人間・意識の外の世界(肉体を含む)が、なんでできていようが、どうあろうが、なにが起こっていようが、人間・意識にとって、物質的であれ非物質的であれ、存在や現象のすべてと、それらと関わる人間の心の在り方や内容は、ここに述べたそういう在り方・形態でしか意識し味わうことはできない。つまり、人間にとってすべては、心器などで情報処理し(され)、意識器で質という形・形態で意識し味わわれることになる。そういう在り方しかない(例外はあるかもしれない。それはどこかに記した)。さて、大学生時代の初期に、「質⊃クオリア」を、「意識の部位=意識器」が意識し味わうと、「意識器」かその辺りに、意識し味わった「質⊃クオリア」に応じたなんらかの変化・痕跡が残るのではないか、という着眼・発想をもった(予想・仮説)。なぜなら、どんな存在・系もすべて、なんらかのエネルギーを受けたら、それに応じた変化を現すだろうし(原理、予想、仮説)(例外はあるかもしれんが)、「質⊃クオリア」もなんらかのエネルギーで成り立っているはずだからである(予想・仮説)。そこにおいて、同じ変化が付きつづけていくと、その存在・系の耐性の限界に達して、それは壊れてしまうだろう。「意識の部位=意識器」についてもそういえるだろう(原理、予想、仮説)。生物には、ホメオスタシス(変化を元に戻して恒常性を保つ働き)がある。それがないと、生体内のなんらかの変化が生存の限度を越えることがあり、生物は寿命をまっとうできない。生物にかかわる系である「意識の部位」かその辺りに付いた変化についても同様で、変化が限界に達しその系が壊れる前にそれら変化は元に戻されるだろう(予想、仮説、あるいは原理)(心器についても一応同じことがいえる)(それらのハードウェアとしての寿命については別な研究となる)。そこらを、確率、哲学的やり方、原理設定などいくつものやり方で、扱うと、いずれも、それら変化が元に戻される時刻が、とびとびに現れる、となる。それを解釈すると、いくつもの法則的命題がでてくる。それらをまとめて「質時間回帰則」と呼ぼう。(以上、「なんらかの変化・痕跡」〜ここら辺りまでは大学時代の中頃までに一応の結論)さらに、人間の意識における質時間回帰は、いつまで続いていくのかという研究もでてくる。そこでは、相対論からでてくる時間論以外の時間論(永遠にかかわる時間論など)もでてくる(それについて大学時代にもった、研究や希望からの予想は、とりあえず永遠だろう、であったが、この方面の研究の一応の完成が一番後になった)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。付記:以上の研究の始発や研究過程と一応の完成は、並べた順とは限らず、入り組んでいる。付記:仮に心脳科学(仮説)が反証されたとしても、そのことによって質の科学(仮説)が否定されるということはない。○誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)水が減ったら、捨てて入れなおす。○ぼくのツイッターは、フォローしてない人たちが、けっこうな多数、読んでおられるそうだ。ぼくのブログなどや他のサイトについても同じくそう。ぼくの親父の教え子(当時、高校生)はほんとに大人数で、弁護士や警察関係者、国会議員、検察関係者、その他、大勢おられる、親戚も多く、いろいろだ、データはすべて記録してある、「心脳科学(仮説)」は世界初:「心脳科学(仮説)」は、私の永年の研究による独自の成果であり、世界初であって、世界中で唯一無二です。その仮説体系そのものについての文献は皆無です。原稿「心脳科学(仮説)」を日本語で、しかも日本で発表しても、海外からパクリがでるだろう。そこで対策を立てた。かなり前、いちばん古くからやっているぼくのブログへのアクセス回数がもの凄く増え、それが一週間ぐらい続いたことがあった。パクリ野郎か、と思った。データは記録してある。つぶやき2011の1月「新ことわざシリーズ:人類のマイナスの質時間によって空が落ちてくる」。一方、「sky fall」というのがでてきている。そのタイトルの決定の方がずっと後のようだ。面白い。こういう偶然は楽しくて愉快だ。そのテーマソングも実にいい。気に入った。○心脳科学(仮説)からでてくる特許は抑えておく。○その先の社会状況を見越して家を完璧な防犯仕様にした、反応が悪いから再掲:金之助氏=モグモグ氏このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。著作権は日本国著作権法ならびに国際条約によって保護されています。 それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2015.04.24
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心脳科学(仮説)の連載は今日で179回目、誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)つづき:水が減ったら、捨てて入れなおす。
2015.04.24
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つぶやき150423警察に相談・依頼してきた、パクリ問題などで。以前書いたように警察(P)は友達のようなものだ。他にもそれに関連して強力な対策を実行している。心脳科学 超弦理論 超ひも理論 クオリア 質の科学 世界哲学やはり、かなり前、政府や政党sにメールした、あの濾過装置を設置しないといかん。ここにも記した。つぶやき04/23心脳科学(仮説)の連載は今日で178回目、alien:ありえん、ありうる、(JK)宇宙は神秘的でダイナミック、暴走する星・地球、ヒビだらけの地球、暴走する太陽系、呪われた星・地球、急速に老化していく地球、この先世界に流行るもの、ボケトルマン、ヘタレオン、発狂する人類、そう遠くない将来世界は、かなり前何度も書いた:昔読んだ「渚にて」、かなり前何度も書いた:そして、アガサ・クリスティの名作、そして、2020年11月17日、SF超絶大作事実写映画公開、ぐちゃぐちゃな地球、質時間回帰(SJK)、離れたつづき:そのチーズだが、ぼくが好きなのはオーストラリア産だ、謹賀新年 駄菓子うたシリーズみあげれば くものかなたに ほしぼしが すがたかくして めぐりあそぶいくとせか すぎしひびみる ほしのうえ そこにのこるは まぼろしとゆめたますだれ とわさくいのち たもちつつ たゆたうすがた かりそめのゆめながれゆく ひびのいとなみ つちだまの とどまるところ そのさきそこにくずれゆく よそらのしかけ まったきに あらたさらえる にいなるすがたおおみそか 空に浮かぶは 年の瀬の 人類世界 映す雲ぐも くる年は 人類の業 はらみつつ 未曾有の姿 世界・・K(さまざまな快)を貪った人類に残されているものは、第3なんとか、加筆:人工知性組織の着眼・発想は、大学時代の初期になした(大学時代の初めから、さまざまな発明などの独自研究もしていた)。コンピュータの理解をより深くしようと試みていたら、そういう発想がでてきた。つづき:同時に、発明が趣味だった(今も)から、ぼくならこういう人工知性をつくる、といった気持ちだった。その当時その人工知性組織の基本的骨組みはできた。だがそこでの理活(心脳におけるさまざまな情報処理活動の具体的論理に当たる)の研究が非常に難しい。つづき:理活をさらに深めて追究したのはそれから10年前後あとの二年間ぐらいだった。そこでの10年前後経つ間も、漠然と、それとその他いろいろについての研究の問題意識を持ちつづけていた(理活研究のノート二冊その他多数がある)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。さて、クオリア=質(質⊃クオリア)にかかわる、私の永年の、主に科学的研究の一部とその周辺などをここに書いてきたわけですが、ここで、それらをまとめて、あら筋として短く記してみます。年代関係も入れます。中学生時代から、意識について非常な興味をもっていたので、いつしかそれについて考えるようになっていった。高校時代に、同じ人間が二人いたら、いったいどうなるか、特にその意識や心はどうなるか、という問題意識がでてきたので、それを思考実験して一応結論がでてきた(どこかに記)。その後、高校生時代に、この世界には、さまざまな「質」がある、という着眼〜発想をもった(電子物性などという分野は、その30数年あとに知ったが今のところ「質」の参考にはならない)。「質」はなんらかの成分・要素たちに分解・解析できるだろう(予想・仮説)。人間にとって、「質」は結局、脳〜心的機能・能力、その他(本能や感情など。それらは前者のどこかに含めてもよい)によって扱われ情報処理される(心的情報処理)(注:ここに、心という言葉を活用して、「心」・「心器」についての定義なども入ってくる。それは、日常で用いる心と完全に一致することはない。心の部位=心器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)。そして、それら心的情報処理された「質」は「意識(意識の部位=意識器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)」に送り込まれ意識し味わわれることになる(注:ここに、「意識」・「意識器」の定義なども入ってくる。これも、すでにある意識という単語を活かしているのだが、普通に用いる意識と一致しないところが多くある)。そこらを発明のやり方・その他などで発想・推測し、ひとつの仮説体系、つまり、「心脳科学(仮説)」=「脳、心、意識、を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説の体系なる理論」(名づけ方はいろいろあるが、「意識の科学(脳を含めた)」、「心の科学(脳を含めた)」ともいえる)を組み上げてみた(その理論は世界初であり、唯一無二であって、その仮説体系にかかわる文献は皆無)。付記:心脳科学(仮説)では、物理的モデルのもと、「質⊃クオリア」自体を数学的に扱う。付記:大学時代の初めから、新しい人工知性組織についてや、さまざまな発明の独自研究もしていた。付記:結局、人間・意識の外の世界(肉体を含む)が、なんでできていようが、どうあろうが、なにが起こっていようが、人間・意識にとって、物質的であれ非物質的であれ、存在や現象のすべてと、それらと関わる人間の心の在り方や内容は、ここに述べたそういう在り方・形態でしか意識し味わうことはできない。つまり、人間にとってすべては、心器などで情報処理し(され)、意識器で質という形・形態で意識し味わわれることになる。そういう在り方しかない(例外はあるかもしれない。それはどこかに記した)。さて、大学生時代の初期に、「質⊃クオリア」を、「意識の部位=意識器」が意識し味わうと、「意識器」かその辺りに、意識し味わった「質⊃クオリア」に応じたなんらかの変化・痕跡が残るのではないか、という着眼・発想をもった(予想・仮説)。なぜなら、どんな存在・系もすべて、なんらかのエネルギーを受けたら、それに応じた変化を現すだろうし(原理、予想、仮説)(例外はあるかもしれんが)、「質⊃クオリア」もなんらかのエネルギーで成り立っているはずだからである(予想・仮説)。そこにおいて、同じ変化が付きつづけていくと、その存在・系の耐性の限界に達して、それは壊れてしまうだろう。「意識の部位=意識器」についてもそういえるだろう(原理、予想、仮説)。生物には、ホメオスタシス(変化を元に戻して恒常性を保つ働き)がある。それがないと、生体内のなんらかの変化が生存の限度を越えることがあり、生物は寿命をまっとうできない。生物にかかわる系である「意識の部位」かその辺りに付いた変化についても同様で、変化が限界に達しその系が壊れる前にそれら変化は元に戻されるだろう(予想、仮説、あるいは原理)(心器についても一応同じことがいえる)(それらのハードウェアとしての寿命については別な研究となる)。そこらを、確率、哲学的やり方、原理設定などいくつものやり方で、扱うと、いずれも、それら変化が元に戻される時刻が、とびとびに現れる、となる。それを解釈すると、いくつもの法則的命題がでてくる。それらをまとめて「質時間回帰則」と呼ぼう。(以上、「なんらかの変化・痕跡」〜ここら辺りまでは大学時代の中頃までに一応の結論)さらに、人間の意識における質時間回帰は、いつまで続いていくのかという研究もでてくる。そこでは、相対論からでてくる時間論以外の時間論(永遠にかかわる時間論など)もでてくる(それについて大学時代にもった、研究や希望からの予想は、とりあえず永遠だろう、であったが、この方面の研究の一応の完成が一番後になった)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。付記:以上の研究の始発や研究過程と一応の完成は、並べた順とは限らず、入り組んでいる。付記:仮に心脳科学(仮説)が反証されたとしても、そのことによって質の科学(仮説)が否定されるということはない。○誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)水が減ったら、捨てて入れなおす。○ぼくのツイッターは、フォローしてない人たちが、けっこうな多数、読んでおられるそうだ。ぼくのブログなどや他のサイトについても同じくそう。ぼくの親父の教え子(当時、高校生)はほんとに大人数で、弁護士や警察関係者、国会議員、検察関係者、その他、大勢おられる、親戚も多く、いろいろだ、データはすべて記録してある、「心脳科学(仮説)」は世界初:「心脳科学(仮説)」は、私の永年の研究による独自の成果であり、世界初であって、世界中で唯一無二です。その仮説体系そのものについての文献は皆無です。原稿「心脳科学(仮説)」を日本語で、しかも日本で発表しても、海外からパクリがでるだろう。そこで対策を立てた。かなり前、いちばん古くからやっているぼくのブログへのアクセス回数がもの凄く増え、それが一週間ぐらい続いたことがあった。パクリ野郎か、と思った。データは記録してある。つぶやき2011の1月「新ことわざシリーズ:人類のマイナスの質時間によって空が落ちてくる」。一方、「sky fall」というのがでてきている。そのタイトルの決定の方がずっと後のようだ。面白い。こういう偶然は楽しくて愉快だ。そのテーマソングも実にいい。気に入った。○心脳科学(仮説)からでてくる特許は抑えておく。○その先の社会状況を見越して家を完璧な防犯仕様にした、反応が悪いから再掲:金之助氏=モグモグ氏このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。著作権は日本国著作権法ならびに国際条約によって保護されています。 それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2015.04.23
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心脳科学(仮説)の連載は今日で178回目、誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)つづき:水が減ったら、捨てて入れなおす。
2015.04.23
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つぶやき150422警察に相談・依頼してきた、パクリ問題などで。以前書いたように警察(P)は友達のようなものだ。他にもそれに関連して強力な対策を実行している。心脳科学 超弦理論 超ひも理論 クオリア 質の科学 世界哲学やはり、かなり前、政府や政党sにメールした、あの濾過装置を設置しないといかん。ここにも記した。つぶやき04/22心脳科学(仮説)の連載は今日で177回目、alien:ありえん、ありうる、(JK)宇宙は神秘的でダイナミック、暴走する星・地球、ヒビだらけの地球、暴走する太陽系、呪われた星・地球、急速に老化していく地球、この先世界に流行るもの、ボケトルマン、ヘタレオン、発狂する人類、そう遠くない将来世界は、かなり前何度も書いた:昔読んだ「渚にて」、かなり前何度も書いた:そして、アガサ・クリスティの名作、そして、2020年11月17日、SF超絶大作事実写映画公開、ぐちゃぐちゃな地球、質時間回帰(SJK)、離れたつづき:そのチーズだが、ぼくが好きなのはオーストラリア産だ、謹賀新年 駄菓子うたシリーズみあげれば くものかなたに ほしぼしが すがたかくして めぐりあそぶいくとせか すぎしひびみる ほしのうえ そこにのこるは まぼろしとゆめたますだれ とわさくいのち たもちつつ たゆたうすがた かりそめのゆめながれゆく ひびのいとなみ つちだまの とどまるところ そのさきそこにくずれゆく よそらのしかけ まったきに あらたさらえる にいなるすがたおおみそか 空に浮かぶは 年の瀬の 人類世界 映す雲ぐも くる年は 人類の業 はらみつつ 未曾有の姿 世界・・K(さまざまな快)を貪った人類に残されているものは、第3なんとか、加筆:人工知性組織の着眼・発想は、大学時代の初期になした(大学時代の初めから、さまざまな発明などの独自研究もしていた)。コンピュータの理解をより深くしようと試みていたら、そういう発想がでてきた。つづき:同時に、発明が趣味だった(今も)から、ぼくならこういう人工知性をつくる、といった気持ちだった。その当時その人工知性組織の基本的骨組みはできた。だがそこでの理活(心脳におけるさまざまな情報処理活動の具体的論理に当たる)の研究が非常に難しい。つづき:理活をさらに深めて追究したのはそれから10年前後あとの二年間ぐらいだった。そこでの10年前後経つ間も、漠然と、それとその他いろいろについての研究の問題意識を持ちつづけていた(理活研究のノート二冊その他多数がある)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。さて、クオリア=質(質⊃クオリア)にかかわる、私の永年の、主に科学的研究の一部とその周辺などをここに書いてきたわけですが、ここで、それらをまとめて、あら筋として短く記してみます。年代関係も入れます。中学生時代から、意識について非常な興味をもっていたので、いつしかそれについて考えるようになっていった。高校時代に、同じ人間が二人いたら、いったいどうなるか、特にその意識や心はどうなるか、という問題意識がでてきたので、それを思考実験して一応結論がでてきた(どこかに記)。その後、高校生時代に、この世界には、さまざまな「質」がある、という着眼〜発想をもった(電子物性などという分野は、その30数年あとに知ったが今のところ「質」の参考にはならない)。「質」はなんらかの成分・要素たちに分解・解析できるだろう(予想・仮説)。人間にとって、「質」は結局、脳〜心的機能・能力、その他(本能や感情など。それらは前者のどこかに含めてもよい)によって扱われ情報処理される(心的情報処理)(注:ここに、心という言葉を活用して、「心」・「心器」についての定義なども入ってくる。それは、日常で用いる心と完全に一致することはない。心の部位=心器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)。そして、それら心的情報処理された「質」は「意識(意識の部位=意識器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)」に送り込まれ意識し味わわれることになる(注:ここに、「意識」・「意識器」の定義なども入ってくる。これも、すでにある意識という単語を活かしているのだが、普通に用いる意識と一致しないところが多くある)。そこらを発明のやり方・その他などで発想・推測し、ひとつの仮説体系、つまり、「心脳科学(仮説)」=「脳、心、意識、を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説の体系なる理論」(名づけ方はいろいろあるが、「意識の科学(脳を含めた)」、「心の科学(脳を含めた)」ともいえる)を組み上げてみた(その理論は世界初であり、唯一無二であって、その仮説体系にかかわる文献は皆無)。付記:心脳科学(仮説)では、物理的モデルのもと、「質⊃クオリア」自体を数学的に扱う。付記:大学時代の初めから、新しい人工知性組織についてや、さまざまな発明の独自研究もしていた。付記:結局、人間・意識の外の世界(肉体を含む)が、なんでできていようが、どうあろうが、なにが起こっていようが、人間・意識にとって、物質的であれ非物質的であれ、存在や現象のすべてと、それらと関わる人間の心の在り方や内容は、ここに述べたそういう在り方・形態でしか意識し味わうことはできない。つまり、人間にとってすべては、心器などで情報処理し(され)、意識器で質という形・形態で意識し味わわれることになる。そういう在り方しかない(例外はあるかもしれない。それはどこかに記した)。さて、大学生時代の初期に、「質⊃クオリア」を、「意識の部位=意識器」が意識し味わうと、「意識器」かその辺りに、意識し味わった「質⊃クオリア」に応じたなんらかの変化・痕跡が残るのではないか、という着眼・発想をもった(予想・仮説)。なぜなら、どんな存在・系もすべて、なんらかのエネルギーを受けたら、それに応じた変化を現すだろうし(原理、予想、仮説)(例外はあるかもしれんが)、「質⊃クオリア」もなんらかのエネルギーで成り立っているはずだからである(予想・仮説)。そこにおいて、同じ変化が付きつづけていくと、その存在・系の耐性の限界に達して、それは壊れてしまうだろう。「意識の部位=意識器」についてもそういえるだろう(原理、予想、仮説)。生物には、ホメオスタシス(変化を元に戻して恒常性を保つ働き)がある。それがないと、生体内のなんらかの変化が生存の限度を越えることがあり、生物は寿命をまっとうできない。生物にかかわる系である「意識の部位」かその辺りに付いた変化についても同様で、変化が限界に達しその系が壊れる前にそれら変化は元に戻されるだろう(予想、仮説、あるいは原理)(心器についても一応同じことがいえる)(それらのハードウェアとしての寿命については別な研究となる)。そこらを、確率、哲学的やり方、原理設定などいくつものやり方で、扱うと、いずれも、それら変化が元に戻される時刻が、とびとびに現れる、となる。それを解釈すると、いくつもの法則的命題がでてくる。それらをまとめて「質時間回帰則」と呼ぼう。(以上、「なんらかの変化・痕跡」〜ここら辺りまでは大学時代の中頃までに一応の結論)さらに、人間の意識における質時間回帰は、いつまで続いていくのかという研究もでてくる。そこでは、相対論からでてくる時間論以外の時間論(永遠にかかわる時間論など)もでてくる(それについて大学時代にもった、研究や希望からの予想は、とりあえず永遠だろう、であったが、この方面の研究の一応の完成が一番後になった)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。付記:以上の研究の始発や研究過程と一応の完成は、並べた順とは限らず、入り組んでいる。付記:仮に心脳科学(仮説)が反証されたとしても、そのことによって質の科学(仮説)が否定されるということはない。○誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)水が減ったら、捨てて入れなおす。○ぼくのツイッターは、フォローしてない人たちが、けっこうな多数、読んでおられるそうだ。ぼくのブログなどや他のサイトについても同じくそう。ぼくの親父の教え子(当時、高校生)はほんとに大人数で、弁護士や警察関係者、国会議員、検察関係者、その他、大勢おられる、親戚も多く、いろいろだ、データはすべて記録してある、「心脳科学(仮説)」は世界初:「心脳科学(仮説)」は、私の永年の研究による独自の成果であり、世界初であって、世界中で唯一無二です。その仮説体系そのものについての文献は皆無です。原稿「心脳科学(仮説)」を日本語で、しかも日本で発表しても、海外からパクリがでるだろう。そこで対策を立てた。かなり前、いちばん古くからやっているぼくのブログへのアクセス回数がもの凄く増え、それが一週間ぐらい続いたことがあった。パクリ野郎か、と思った。データは記録してある。つぶやき2011の1月「新ことわざシリーズ:人類のマイナスの質時間によって空が落ちてくる」。一方、「sky fall」というのがでてきている。そのタイトルの決定の方がずっと後のようだ。面白い。こういう偶然は楽しくて愉快だ。そのテーマソングも実にいい。気に入った。○心脳科学(仮説)からでてくる特許は抑えておく。○その先の社会状況を見越して家を完璧な防犯仕様にした、反応が悪いから再掲:金之助氏=モグモグ氏このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。著作権は日本国著作権法ならびに国際条約によって保護されています。 それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2015.04.22
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心脳科学(仮説)の連載は今日で177回目、誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)つづき:水が減ったら、捨てて入れなおす。
2015.04.22
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#103:しばらくはファンタスティックでエキサイティングな設問を(実際、ファンタスティックでエキサイティングなテーマについての設問であるが、筆者にとってはきわめて興味のある分野である。たぶん、多くの人にとってもそうなのではないだろうか。で、「ファンタスティック」と形容しないと、「トンデモ」な題材ということにされるかもしれないので、そう謳っている):さて、「質の科学・質時間回帰則(仮説)・科学的カルマ」から個人なり団体(団体は個人の集合である。団体の規模はさまざまであり、最も大きいそれは人類全体となる)なりの未来を仮説として予測することができるわけだが、それを名づけて「運命のノート」としよう:今回の分は「ファンタスティックでエキサイティングな設問」ではないが、手間を省くために、そのカテゴリーに「も」入れておこう:「運命のノート#12」:ここで、基本に立ち戻る再確認的設問をたてよう。なにごとも、基本が大事であるし、このところ「ファンタスティックでエキサイティングな設問」がつづいてきたので、本スレが「荒唐無稽なトンデモ系」だとカン違いされるのを避ける意味においても、そういう姿勢の維持が必要だろう。さらに、以前にも述べたとおり、「心脳科学(仮説)」と「質・クオリアの科学(仮説)」は、それぞれ独立しており(ほとんどが)、一方が反証されても、もう片方には基本的に影響はない。おまけに、反証といっても、部分的な反証にとどまる可能性がもっとも高いだろうから、そこだけを修正すればよい、ということになるだろう、と、筆者は展望している。さて、今回の設問は:質・クオリアの科学(仮説)の要点sと概略を述べること。(この設問の対象における内容について否定する意見の持ち主は、そういったテーマについての科学的研究能力のない者だろう。「そういうのは荒唐無稽だ、トンデモだ」などという意見も結構だが、それでは研究にならない。そういった見解は、思考停止状態そのものを示しているだけであって、それは、刷り込まれた思い込みのみに頼っている。ここでは考えられる可能性を前向きに追究しているので《なにごとであれそういう姿勢が望まれる》、このスレッドその他のここまでのすべての内容を理解した上での感想が求められるし、全部を理解した上でないと、反論する資格も権利もない《否定・反論するばあいはそうであるが、学びたいばあいは、すべてを理解していなくてもよいのは当然である》。ちなみに、検証・実証も今後進めていきたい)。(団体についてのそういった運命のノートにおける書き込みの中身は、そこの構成員のそれらの総和となる。そして、団体のばあい、質時間回帰が働くことにおいては、ほかにいくつかの要因もかかわってくるだろう。しかしそれでも個人個人についていえば、完璧に質時間回帰が続いていく)(注:こういう予測なり、予想を含んだ設問は、筆者自分に対しても放っているわけである。質時間回帰則について記すこと自体も同じくそうである。筆者がそういった内容を自分自身の課題としてどの程度生かすかどうかについては、また別次元の問題である。解答する立場の人も同じくそうである。そこらのところははっきりと分けておかないと、やりにくい)(参考:運命のノートの未来にマイナスを書き込んだと思ったら、それを打ち消す程度のプラスを書き込めばいい、ということがいえる(=マイナスの快を受けること)。それを自分でなさなかったら、将来それをなさせる強制力が働く。そこでは、積みあがった質時間のマイナスの総量が大きければ大きいほど、将来やってくるマイナスの快の総和は、それに応じて大きくなる)さらなる設問として:上のカッコ内の「マイナスの快(そこから、プラスの快という記述も当然でてくる)」、その他その前にある、プラスの質時間・マイナスの質時間(記述形態は変形しているが、まとめてこう記す)、などについて、解説すること。それを整理して記すと、「快」のプラスとマイナス、「質時間」のプラスとマイナスについて解説すること。そういう出題をなすことができる。
2015.04.21
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#102:しばらくはファンタスティックでエキサイティングな設問を(実際、ファンタスティックでエキサイティングなテーマについての設問であるが、筆者にとってはきわめて興味のある分野である。たぶん、多くの人にとってもそうなのではないだろうか。で、「ファンタスティック」と形容しないと、「トンデモ」な題材ということにされるかもしれないので、そう謳っている):さて、「質の科学・質時間回帰則(仮説)・科学的カルマ」から個人なり団体(団体は個人の集合である。団体の規模はさまざまであり、最も大きいそれは人類全体となる)なりの未来を仮説として予測することができるわけだが、それを名づけて「運命のノート」としよう:今回の分は「ファンタスティックでエキサイティングな設問」ではないが、手間を省くために、そのカテゴリーに「も」入れておこう:「運命のノート#11」:ここで、基本に立ち戻る再確認的設問をたてよう。なにごとも、基本が大事であるし、このところ「ファンタスティックでエキサイティングな設問」がつづいてきたので、本スレが「荒唐無稽なトンデモ系」だとカン違いされるのを避ける意味においても、そういう姿勢の維持が必要だろう。さらに、以前にも述べたとおり、「心脳科学(仮説)」と「質・クオリアの科学(仮説)」は、それぞれ独立しており(ほとんどが)、一方が反証されても、もう片方には基本的に影響はない。おまけに、反証といっても、部分的な反証にとどまる可能性がもっとも高いだろうから、そこだけを修正すればよい、ということになるだろう、と、筆者は展望している。さて、今回の設問は:心脳科学(仮説)の要点sと概略を述べること。(この設問の対象における内容について否定する意見の持ち主は、そういったテーマについての科学的研究能力のない者だろう。「そういうのは荒唐無稽だ、トンデモだ」などという意見も結構だが、それでは研究にならない。そういった見解は、思考停止状態そのものを示しているだけであって、それは、刷り込まれた思い込みのみに頼っている。ここでは考えられる可能性を前向きに追究しているので《なにごとであれそういう姿勢が望まれる》、このスレッドその他のここまでのすべての内容を理解した上での感想が求められるし、全部を理解した上でないと、反論する資格も権利もない《否定・反論するばあいはそうであるが、学びたいばあいは、すべてを理解していなくてもよいのは当然である》。ちなみに、検証・実証も今後進めていきたい)。(団体についてのそういった運命のノートにおける書き込みの中身は、そこの構成員のそれらの総和となる。そして、団体のばあい、質時間回帰が働くことにおいては、ほかにいくつかの要因もかかわってくるだろう。しかしそれでも個人個人についていえば、完璧に質時間回帰が続いていく)(注:こういう予測なり、予想を含んだ設問は、筆者自分に対しても放っているわけである。質時間回帰則について記すこと自体も同じくそうである。筆者がそういった内容を自分自身の課題としてどの程度生かすかどうかについては、また別次元の問題である。解答する立場の人も同じくそうである。そこらのところははっきりと分けておかないと、やりにくい)(参考:運命のノートの未来にマイナスを書き込んだと思ったら、それを打ち消す程度のプラスを書き込めばいい、ということがいえる(=マイナスの快を受けること)。それを自分でなさなかったら、将来それをなさせる強制力が働く。そこでは、積みあがった質時間のマイナスの総量が大きければ大きいほど、将来やってくるマイナスの快の総和は、それに応じて大きくなる)さらなる設問として:上のカッコ内の「マイナスの快(そこから、プラスの快という記述も当然でてくる)」、その他その前にある、プラスの質時間・マイナスの質時間(記述形態は変形しているが、まとめてこう記す)、などについて、解説すること。それを整理して記すと、「快」のプラスとマイナス、「質時間」のプラスとマイナスについて解説すること。そういう出題をなすことができる。
2015.04.21
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つぶやき150421警察に相談・依頼してきた、パクリ問題などで。以前書いたように警察(P)は友達のようなものだ。他にもそれに関連して強力な対策を実行している。心脳科学 超弦理論 超ひも理論 クオリア 質の科学 世界哲学やはり、かなり前、政府や政党sにメールした、あの濾過装置を設置しないといかん。ここにも記した。つぶやき04/21心脳科学(仮説)の連載は今日で176回目、alien:ありえん、ありうる、(JK)宇宙は神秘的でダイナミック、暴走する星・地球、ヒビだらけの地球、暴走する太陽系、呪われた星・地球、急速に老化していく地球、この先世界に流行るもの、ボケトルマン、ヘタレオン、発狂する人類、そう遠くない将来世界は、かなり前何度も書いた:昔読んだ「渚にて」、かなり前何度も書いた:そして、アガサ・クリスティの名作、そして、2020年11月17日、SF超絶大作事実写映画公開、ぐちゃぐちゃな地球、質時間回帰(SJK)、離れたつづき:そのチーズだが、ぼくが好きなのはオーストラリア産だ、謹賀新年 駄菓子うたシリーズみあげれば くものかなたに ほしぼしが すがたかくして めぐりあそぶいくとせか すぎしひびみる ほしのうえ そこにのこるは まぼろしとゆめたますだれ とわさくいのち たもちつつ たゆたうすがた かりそめのゆめながれゆく ひびのいとなみ つちだまの とどまるところ そのさきそこにくずれゆく よそらのしかけ まったきに あらたさらえる にいなるすがたおおみそか 空に浮かぶは 年の瀬の 人類世界 映す雲ぐも くる年は 人類の業 はらみつつ 未曾有の姿 世界・・K(さまざまな快)を貪った人類に残されているものは、第3なんとか、加筆:人工知性組織の着眼・発想は、大学時代の初期になした(大学時代の初めから、さまざまな発明などの独自研究もしていた)。コンピュータの理解をより深くしようと試みていたら、そういう発想がでてきた。つづき:同時に、発明が趣味だった(今も)から、ぼくならこういう人工知性をつくる、といった気持ちだった。その当時その人工知性組織の基本的骨組みはできた。だがそこでの理活(心脳におけるさまざまな情報処理活動の具体的論理に当たる)の研究が非常に難しい。つづき:理活をさらに深めて追究したのはそれから10年前後あとの二年間ぐらいだった。そこでの10年前後経つ間も、漠然と、それとその他いろいろについての研究の問題意識を持ちつづけていた(理活研究のノート二冊その他多数がある)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。さて、クオリア=質(質⊃クオリア)にかかわる、私の永年の、主に科学的研究の一部とその周辺などをここに書いてきたわけですが、ここで、それらをまとめて、あら筋として短く記してみます。年代関係も入れます。中学生時代から、意識について非常な興味をもっていたので、いつしかそれについて考えるようになっていった。高校時代に、同じ人間が二人いたら、いったいどうなるか、特にその意識や心はどうなるか、という問題意識がでてきたので、それを思考実験して一応結論がでてきた(どこかに記)。その後、高校生時代に、この世界には、さまざまな「質」がある、という着眼〜発想をもった(電子物性などという分野は、その30数年あとに知ったが今のところ「質」の参考にはならない)。「質」はなんらかの成分・要素たちに分解・解析できるだろう(予想・仮説)。人間にとって、「質」は結局、脳〜心的機能・能力、その他(本能や感情など。それらは前者のどこかに含めてもよい)によって扱われ情報処理される(心的情報処理)(注:ここに、心という言葉を活用して、「心」・「心器」についての定義なども入ってくる。それは、日常で用いる心と完全に一致することはない。心の部位=心器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)。そして、それら心的情報処理された「質」は「意識(意識の部位=意識器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)」に送り込まれ意識し味わわれることになる(注:ここに、「意識」・「意識器」の定義なども入ってくる。これも、すでにある意識という単語を活かしているのだが、普通に用いる意識と一致しないところが多くある)。そこらを発明のやり方・その他などで発想・推測し、ひとつの仮説体系、つまり、「心脳科学(仮説)」=「脳、心、意識、を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説の体系なる理論」(名づけ方はいろいろあるが、「意識の科学(脳を含めた)」、「心の科学(脳を含めた)」ともいえる)を組み上げてみた(その理論は世界初であり、唯一無二であって、その仮説体系にかかわる文献は皆無)。付記:心脳科学(仮説)では、物理的モデルのもと、「質⊃クオリア」自体を数学的に扱う。付記:大学時代の初めから、新しい人工知性組織についてや、さまざまな発明の独自研究もしていた。付記:結局、人間・意識の外の世界(肉体を含む)が、なんでできていようが、どうあろうが、なにが起こっていようが、人間・意識にとって、物質的であれ非物質的であれ、存在や現象のすべてと、それらと関わる人間の心の在り方や内容は、ここに述べたそういう在り方・形態でしか意識し味わうことはできない。つまり、人間にとってすべては、心器などで情報処理し(され)、意識器で質という形・形態で意識し味わわれることになる。そういう在り方しかない(例外はあるかもしれない。それはどこかに記した)。さて、大学生時代の初期に、「質⊃クオリア」を、「意識の部位=意識器」が意識し味わうと、「意識器」かその辺りに、意識し味わった「質⊃クオリア」に応じたなんらかの変化・痕跡が残るのではないか、という着眼・発想をもった(予想・仮説)。なぜなら、どんな存在・系もすべて、なんらかのエネルギーを受けたら、それに応じた変化を現すだろうし(原理、予想、仮説)(例外はあるかもしれんが)、「質⊃クオリア」もなんらかのエネルギーで成り立っているはずだからである(予想・仮説)。そこにおいて、同じ変化が付きつづけていくと、その存在・系の耐性の限界に達して、それは壊れてしまうだろう。「意識の部位=意識器」についてもそういえるだろう(原理、予想、仮説)。生物には、ホメオスタシス(変化を元に戻して恒常性を保つ働き)がある。それがないと、生体内のなんらかの変化が生存の限度を越えることがあり、生物は寿命をまっとうできない。生物にかかわる系である「意識の部位」かその辺りに付いた変化についても同様で、変化が限界に達しその系が壊れる前にそれら変化は元に戻されるだろう(予想、仮説、あるいは原理)(心器についても一応同じことがいえる)(それらのハードウェアとしての寿命については別な研究となる)。そこらを、確率、哲学的やり方、原理設定などいくつものやり方で、扱うと、いずれも、それら変化が元に戻される時刻が、とびとびに現れる、となる。それを解釈すると、いくつもの法則的命題がでてくる。それらをまとめて「質時間回帰則」と呼ぼう。(以上、「なんらかの変化・痕跡」〜ここら辺りまでは大学時代の中頃までに一応の結論)さらに、人間の意識における質時間回帰は、いつまで続いていくのかという研究もでてくる。そこでは、相対論からでてくる時間論以外の時間論(永遠にかかわる時間論など)もでてくる(それについて大学時代にもった、研究や希望からの予想は、とりあえず永遠だろう、であったが、この方面の研究の一応の完成が一番後になった)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。付記:以上の研究の始発や研究過程と一応の完成は、並べた順とは限らず、入り組んでいる。付記:仮に心脳科学(仮説)が反証されたとしても、そのことによって質の科学(仮説)が否定されるということはない。○誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)水が減ったら、捨てて入れなおす。○ぼくのツイッターは、フォローしてない人たちが、けっこうな多数、読んでおられるそうだ。ぼくのブログなどや他のサイトについても同じくそう。ぼくの親父の教え子(当時、高校生)はほんとに大人数で、弁護士や警察関係者、国会議員、検察関係者、その他、大勢おられる、親戚も多く、いろいろだ、データはすべて記録してある、「心脳科学(仮説)」は世界初:「心脳科学(仮説)」は、私の永年の研究による独自の成果であり、世界初であって、世界中で唯一無二です。その仮説体系そのものについての文献は皆無です。原稿「心脳科学(仮説)」を日本語で、しかも日本で発表しても、海外からパクリがでるだろう。そこで対策を立てた。かなり前、いちばん古くからやっているぼくのブログへのアクセス回数がもの凄く増え、それが一週間ぐらい続いたことがあった。パクリ野郎か、と思った。データは記録してある。つぶやき2011の1月「新ことわざシリーズ:人類のマイナスの質時間によって空が落ちてくる」。一方、「sky fall」というのがでてきている。そのタイトルの決定の方がずっと後のようだ。面白い。こういう偶然は楽しくて愉快だ。そのテーマソングも実にいい。気に入った。○心脳科学(仮説)からでてくる特許は抑えておく。○その先の社会状況を見越して家を完璧な防犯仕様にした、反応が悪いから再掲:金之助氏=モグモグ氏このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。著作権は日本国著作権法ならびに国際条約によって保護されています。 それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2015.04.21
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心脳科学(仮説)の連載は今日で176回目、誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)つづき:水が減ったら、捨てて入れなおす。
2015.04.21
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つぶやき150420警察に相談・依頼してきた、パクリ問題などで。以前書いたように警察(P)は友達のようなものだ。他にもそれに関連して強力な対策を実行している。心脳科学 超弦理論 超ひも理論 クオリア 質の科学 世界哲学やはり、かなり前、政府や政党sにメールした、あの濾過装置を設置しないといかん。ここにも記した。つぶやき04/20心脳科学(仮説)の連載は今日で175回目、alien:ありえん、ありうる、(JK)宇宙は神秘的でダイナミック、暴走する星・地球、ヒビだらけの地球、暴走する太陽系、呪われた星・地球、急速に老化していく地球、この先世界に流行るもの、ボケトルマン、ヘタレオン、発狂する人類、そう遠くない将来世界は、かなり前何度も書いた:昔読んだ「渚にて」、かなり前何度も書いた:そして、アガサ・クリスティの名作、そして、2020年11月17日、SF超絶大作事実写映画公開、ぐちゃぐちゃな地球、質時間回帰(SJK)、離れたつづき:そのチーズだが、ぼくが好きなのはオーストラリア産だ、謹賀新年 駄菓子うたシリーズみあげれば くものかなたに ほしぼしが すがたかくして めぐりあそぶいくとせか すぎしひびみる ほしのうえ そこにのこるは まぼろしとゆめたますだれ とわさくいのち たもちつつ たゆたうすがた かりそめのゆめながれゆく ひびのいとなみ つちだまの とどまるところ そのさきそこにくずれゆく よそらのしかけ まったきに あらたさらえる にいなるすがたおおみそか 空に浮かぶは 年の瀬の 人類世界 映す雲ぐも くる年は 人類の業 はらみつつ 未曾有の姿 世界・・K(さまざまな快)を貪った人類に残されているものは、第3なんとか、加筆:人工知性組織の着眼・発想は、大学時代の初期になした(大学時代の初めから、さまざまな発明などの独自研究もしていた)。コンピュータの理解をより深くしようと試みていたら、そういう発想がでてきた。つづき:同時に、発明が趣味だった(今も)から、ぼくならこういう人工知性をつくる、といった気持ちだった。その当時その人工知性組織の基本的骨組みはできた。だがそこでの理活(心脳におけるさまざまな情報処理活動の具体的論理に当たる)の研究が非常に難しい。つづき:理活をさらに深めて追究したのはそれから10年前後あとの二年間ぐらいだった。そこでの10年前後経つ間も、漠然と、それとその他いろいろについての研究の問題意識を持ちつづけていた(理活研究のノート二冊その他多数がある)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。さて、クオリア=質(質⊃クオリア)にかかわる、私の永年の、主に科学的研究の一部とその周辺などをここに書いてきたわけですが、ここで、それらをまとめて、あら筋として短く記してみます。年代関係も入れます。中学生時代から、意識について非常な興味をもっていたので、いつしかそれについて考えるようになっていった。高校時代に、同じ人間が二人いたら、いったいどうなるか、特にその意識や心はどうなるか、という問題意識がでてきたので、それを思考実験して一応結論がでてきた(どこかに記)。その後、高校生時代に、この世界には、さまざまな「質」がある、という着眼〜発想をもった(電子物性などという分野は、その30数年あとに知ったが今のところ「質」の参考にはならない)。「質」はなんらかの成分・要素たちに分解・解析できるだろう(予想・仮説)。人間にとって、「質」は結局、脳〜心的機能・能力、その他(本能や感情など。それらは前者のどこかに含めてもよい)によって扱われ情報処理される(心的情報処理)(注:ここに、心という言葉を活用して、「心」・「心器」についての定義なども入ってくる。それは、日常で用いる心と完全に一致することはない。心の部位=心器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)。そして、それら心的情報処理された「質」は「意識(意識の部位=意識器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)」に送り込まれ意識し味わわれることになる(注:ここに、「意識」・「意識器」の定義なども入ってくる。これも、すでにある意識という単語を活かしているのだが、普通に用いる意識と一致しないところが多くある)。そこらを発明のやり方・その他などで発想・推測し、ひとつの仮説体系、つまり、「心脳科学(仮説)」=「脳、心、意識、を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説の体系なる理論」(名づけ方はいろいろあるが、「意識の科学(脳を含めた)」、「心の科学(脳を含めた)」ともいえる)を組み上げてみた(その理論は世界初であり、唯一無二であって、その仮説体系にかかわる文献は皆無)。付記:心脳科学(仮説)では、物理的モデルのもと、「質⊃クオリア」自体を数学的に扱う。付記:大学時代の初めから、新しい人工知性組織についてや、さまざまな発明の独自研究もしていた。付記:結局、人間・意識の外の世界(肉体を含む)が、なんでできていようが、どうあろうが、なにが起こっていようが、人間・意識にとって、物質的であれ非物質的であれ、存在や現象のすべてと、それらと関わる人間の心の在り方や内容は、ここに述べたそういう在り方・形態でしか意識し味わうことはできない。つまり、人間にとってすべては、心器などで情報処理し(され)、意識器で質という形・形態で意識し味わわれることになる。そういう在り方しかない(例外はあるかもしれない。それはどこかに記した)。さて、大学生時代の初期に、「質⊃クオリア」を、「意識の部位=意識器」が意識し味わうと、「意識器」かその辺りに、意識し味わった「質⊃クオリア」に応じたなんらかの変化・痕跡が残るのではないか、という着眼・発想をもった(予想・仮説)。なぜなら、どんな存在・系もすべて、なんらかのエネルギーを受けたら、それに応じた変化を現すだろうし(原理、予想、仮説)(例外はあるかもしれんが)、「質⊃クオリア」もなんらかのエネルギーで成り立っているはずだからである(予想・仮説)。そこにおいて、同じ変化が付きつづけていくと、その存在・系の耐性の限界に達して、それは壊れてしまうだろう。「意識の部位=意識器」についてもそういえるだろう(原理、予想、仮説)。生物には、ホメオスタシス(変化を元に戻して恒常性を保つ働き)がある。それがないと、生体内のなんらかの変化が生存の限度を越えることがあり、生物は寿命をまっとうできない。生物にかかわる系である「意識の部位」かその辺りに付いた変化についても同様で、変化が限界に達しその系が壊れる前にそれら変化は元に戻されるだろう(予想、仮説、あるいは原理)(心器についても一応同じことがいえる)(それらのハードウェアとしての寿命については別な研究となる)。そこらを、確率、哲学的やり方、原理設定などいくつものやり方で、扱うと、いずれも、それら変化が元に戻される時刻が、とびとびに現れる、となる。それを解釈すると、いくつもの法則的命題がでてくる。それらをまとめて「質時間回帰則」と呼ぼう。(以上、「なんらかの変化・痕跡」〜ここら辺りまでは大学時代の中頃までに一応の結論)さらに、人間の意識における質時間回帰は、いつまで続いていくのかという研究もでてくる。そこでは、相対論からでてくる時間論以外の時間論(永遠にかかわる時間論など)もでてくる(それについて大学時代にもった、研究や希望からの予想は、とりあえず永遠だろう、であったが、この方面の研究の一応の完成が一番後になった)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。付記:以上の研究の始発や研究過程と一応の完成は、並べた順とは限らず、入り組んでいる。付記:仮に心脳科学(仮説)が反証されたとしても、そのことによって質の科学(仮説)が否定されるということはない。○誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)水が減ったら、捨てて入れなおす。○ぼくのツイッターは、フォローしてない人たちが、けっこうな多数、読んでおられるそうだ。ぼくのブログなどや他のサイトについても同じくそう。ぼくの親父の教え子(当時、高校生)はほんとに大人数で、弁護士や警察関係者、国会議員、検察関係者、その他、大勢おられる、親戚も多く、いろいろだ、データはすべて記録してある、「心脳科学(仮説)」は世界初:「心脳科学(仮説)」は、私の永年の研究による独自の成果であり、世界初であって、世界中で唯一無二です。その仮説体系そのものについての文献は皆無です。原稿「心脳科学(仮説)」を日本語で、しかも日本で発表しても、海外からパクリがでるだろう。そこで対策を立てた。かなり前、いちばん古くからやっているぼくのブログへのアクセス回数がもの凄く増え、それが一週間ぐらい続いたことがあった。パクリ野郎か、と思った。データは記録してある。つぶやき2011の1月「新ことわざシリーズ:人類のマイナスの質時間によって空が落ちてくる」。一方、「sky fall」というのがでてきている。そのタイトルの決定の方がずっと後のようだ。面白い。こういう偶然は楽しくて愉快だ。そのテーマソングも実にいい。気に入った。○心脳科学(仮説)からでてくる特許は抑えておく。○その先の社会状況を見越して家を完璧な防犯仕様にした、反応が悪いから再掲:金之助氏=モグモグ氏このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。著作権は日本国著作権法ならびに国際条約によって保護されています。 それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2015.04.20
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心脳科学(仮説)の連載は今日で175回目、誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)つづき:水が減ったら、捨てて入れなおす。
2015.04.20
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#101:しばらくはファンタスティックでエキサイティングな設問を(実際、ファンタスティックでエキサイティングなテーマについての設問であるが、筆者にとってはきわめて興味のある分野である。たぶん、多くの人にとってもそうなのではないだろうか。で、「ファンタスティック」と形容しないと、「トンデモ」な題材ということにされるかもしれないので、そう謳っている):さて、「質の科学・質時間回帰則(仮説)・科学的カルマ」から個人なり団体(団体は個人の集合である。団体の規模はさまざまであり、最も大きいそれは人類全体となる)なりの未来を仮説として予測することができるわけだが、それを名づけて「運命のノート」としよう:「運命のノート#10」:ここで、基本に立ち戻る再確認的設問をたてよう。なにごとも、基本が大事であるし、このところ「ファンタスティックでエキサイティングな設問」がつづいてきたので、本スレが「荒唐無稽なトンデモ系」だとカン違いされるのを避ける意味においても、そういう姿勢の維持が必要だろう。さらに、以前にも述べたとおり、「心脳科学(仮説)」と「質・クオリアの科学(仮説)」は、それぞれ独立しており(ほとんどが)、一方が反証されても、もう片方には基本的に影響はない。おまけに、反証といっても、部分的な反証にとどまる可能性がもっとも高いだろうから、そこだけを修正すればよい、ということになるだろう、と、筆者は展望している。さて、今回の設問は: 心脳科学(仮説)と質・クオリアの科学(仮説)において、「心器」と「意識器」を仮定する根拠を複数記し、そことその周辺の解説をなすこと。(この設問の対象における内容について否定する意見の持ち主は、そういったテーマについての科学的研究能力のない者だろう。「そういうのは荒唐無稽だ、トンデモだ」などという意見も結構だが、それでは研究にならない。そういった見解は、思考停止状態そのものを示しているだけであって、それは、刷り込まれた思い込みのみに頼っている。ここでは考えられる可能性を前向きに追究しているので《なにごとであれそういう姿勢が望まれる》、このスレッドその他のここまでのすべての内容を理解した上での感想が求められるし、全部を理解した上でないと、反論する資格も権利もない《否定・反論するばあいはそうであるが、学びたいばあいは、すべてを理解していなくてもよいのは当然である》。ちなみに、検証・実証も今後進めていきたい)。(団体についてのそういった運命のノートにおける書き込みの中身は、そこの構成員のそれらの総和となる。そして、団体のばあい、質時間回帰が働くことにおいては、ほかにいくつかの要因もかかわってくるだろう。しかしそれでも個人個人についていえば、完璧に質時間回帰が続いていく)(注:こういう予測なり、予想を含んだ設問は、筆者自分に対しても放っているわけである。質時間回帰則について記すこと自体も同じくそうである。筆者がそういった内容を自分自身の課題としてどの程度生かすかどうかについては、また別次元の問題である。解答する立場の人も同じくそうである。そこらのところははっきりと分けておかないと、やりにくい)(参考:運命のノートの未来にマイナスを書き込んだと思ったら、それを打ち消す程度のプラスを書き込めばいい、ということがいえる(=マイナスの快を受けること)。それを自分でなさなかったら、将来それをなさせる強制力が働く。そこでは、積みあがった質時間のマイナスの総量が大きければ大きいほど、将来やってくるマイナスの快の総和は、それに応じて大きくなる)さらなる設問として:上のカッコ内の「マイナスの快(そこから、プラスの快という記述も当然でてくる)」、その他その前にある、プラスの質時間・マイナスの質時間(記述形態は変形しているが、まとめてこう記す)、などについて、解説すること。それを整理して記すと、「快」のプラスとマイナス、「質時間」のプラスとマイナスについて解説すること。そういう出題をなすことができる。
2015.04.19
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#99:しばらくはファンタスティックでエキサイティングな設問を(実際、ファンタスティックでエキサイティングなテーマについての設問であるが、筆者にとってはきわめて興味のある分野である。たぶん、多くの人にとってもそうなのではないだろうか。で、「ファンタスティック」と形容しないと、「トンデモ」な題材ということにされるかもしれないので、そう謳っている):さて、「質の科学・質時間回帰則(仮説)・科学的カルマ」から個人なり団体(団体は個人の集合である。団体の規模はさまざまであり、最も大きいそれは人類全体となる)なりの未来を仮説として予測することができるわけだが、それを名づけて「運命のノート」としよう:「運命のノート#8」:さて、今回は、いままでの設問を参考にして、質の科学(仮説)・質時間回帰則をもとに、団体について考えてみよう。今回の設問:団体(団体は個人の集合である。団体の規模はさまざまであり、最も大きいそれは人類全体となる)の質時間回帰について考察し、ある程度の具体性をもってそれを述べること(そういうのは荒唐無稽だ、トンデモだ、などという意見も結構だが、それでは研究にならない。そういう見解は、思考停止状態そのものを示しているだけであって、刷り込まれた思い込みだけに頼っている。ここでは考えられる可能性を前向きに追究しているので、このスレッドその他のここまでのすべての内容を理解した上での感想が求められる。検証・実証も今後進めていきたい)。(団体についてのそういった運命のノートにおける書き込みの中身は、そこの構成員のそれらの総和となる。そして、団体のばあい、質時間回帰が働くことにおいては、ほかにいくつかの要因もかかわってくるだろう。しかしそれでも個人個人についていえば、完璧に質時間回帰が続いていく)(注:こういう予測なり、予想を含んだ設問は、筆者自分に対しても放っているわけである。質時間回帰則について記すこと自体も同じくそうである。筆者がそういった内容を自分自身の課題としてどの程度生かすかどうかについては、また別次元の問題である。解答する立場の人も同じくそうである。そこらのところははっきりと分けておかないと、やりにくい)(参考:運命のノートの未来にマイナスを書き込んだと思ったら、それを打ち消す程度のプラスを書き込めばいい、ということがいえる(=マイナスの快を受けること)。それを自分でなさなかったら、将来それをなさせる強制力が働く。そこでは、積みあがった質時間のマイナスの総量が大きければ大きいほど、将来やってくるマイナスの快の総和は、それに応じて大きくなる)さらなる設問として:上のカッコ内の「マイナスの快(そこから、プラスの快という記述も当然でてくる)」、その他その前にある、プラスの質時間・マイナスの質時間(記述形態は変形しているが、まとめてこう記す)、などについて、解説すること。それを整理して記すと、「快」のプラスとマイナス、「質時間」のプラスとマイナスについて解説すること。そういう出題をなすことができる。
2015.04.19
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つぶやき150419警察に相談・依頼してきた、パクリ問題などで。以前書いたように警察(P)は友達のようなものだ。他にもそれに関連して強力な対策を実行している。心脳科学 超弦理論 超ひも理論 クオリア 質の科学 世界哲学やはり、かなり前、政府や政党sにメールした、あの濾過装置を設置しないといかん。ここにも記した。つぶやき04/19心脳科学(仮説)の連載は今日で174回目、alien:ありえん、ありうる、(JK)宇宙は神秘的でダイナミック、暴走する星・地球、ヒビだらけの地球、暴走する太陽系、呪われた星・地球、急速に老化していく地球、この先世界に流行るもの、ボケトルマン、ヘタレオン、発狂する人類、そう遠くない将来世界は、かなり前何度も書いた:昔読んだ「渚にて」、かなり前何度も書いた:そして、アガサ・クリスティの名作、そして、2020年11月17日、SF超絶大作事実写映画公開、ぐちゃぐちゃな地球、質時間回帰(SJK)、離れたつづき:そのチーズだが、ぼくが好きなのはオーストラリア産だ、謹賀新年 駄菓子うたシリーズみあげれば くものかなたに ほしぼしが すがたかくして めぐりあそぶいくとせか すぎしひびみる ほしのうえ そこにのこるは まぼろしとゆめたますだれ とわさくいのち たもちつつ たゆたうすがた かりそめのゆめながれゆく ひびのいとなみ つちだまの とどまるところ そのさきそこにくずれゆく よそらのしかけ まったきに あらたさらえる にいなるすがたおおみそか 空に浮かぶは 年の瀬の 人類世界 映す雲ぐも くる年は 人類の業 はらみつつ 未曾有の姿 世界・・K(さまざまな快)を貪った人類に残されているものは、第3なんとか、加筆:人工知性組織の着眼・発想は、大学時代の初期になした(大学時代の初めから、さまざまな発明などの独自研究もしていた)。コンピュータの理解をより深くしようと試みていたら、そういう発想がでてきた。つづき:同時に、発明が趣味だった(今も)から、ぼくならこういう人工知性をつくる、といった気持ちだった。その当時その人工知性組織の基本的骨組みはできた。だがそこでの理活(心脳におけるさまざまな情報処理活動の具体的論理に当たる)の研究が非常に難しい。つづき:理活をさらに深めて追究したのはそれから10年前後あとの二年間ぐらいだった。そこでの10年前後経つ間も、漠然と、それとその他いろいろについての研究の問題意識を持ちつづけていた(理活研究のノート二冊その他多数がある)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。さて、クオリア=質(質⊃クオリア)にかかわる、私の永年の、主に科学的研究の一部とその周辺などをここに書いてきたわけですが、ここで、それらをまとめて、あら筋として短く記してみます。年代関係も入れます。中学生時代から、意識について非常な興味をもっていたので、いつしかそれについて考えるようになっていった。高校時代に、同じ人間が二人いたら、いったいどうなるか、特にその意識や心はどうなるか、という問題意識がでてきたので、それを思考実験して一応結論がでてきた(どこかに記)。その後、高校生時代に、この世界には、さまざまな「質」がある、という着眼〜発想をもった(電子物性などという分野は、その30数年あとに知ったが今のところ「質」の参考にはならない)。「質」はなんらかの成分・要素たちに分解・解析できるだろう(予想・仮説)。人間にとって、「質」は結局、脳〜心的機能・能力、その他(本能や感情など。それらは前者のどこかに含めてもよい)によって扱われ情報処理される(心的情報処理)(注:ここに、心という言葉を活用して、「心」・「心器」についての定義なども入ってくる。それは、日常で用いる心と完全に一致することはない。心の部位=心器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)。そして、それら心的情報処理された「質」は「意識(意識の部位=意識器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)」に送り込まれ意識し味わわれることになる(注:ここに、「意識」・「意識器」の定義なども入ってくる。これも、すでにある意識という単語を活かしているのだが、普通に用いる意識と一致しないところが多くある)。そこらを発明のやり方・その他などで発想・推測し、ひとつの仮説体系、つまり、「心脳科学(仮説)」=「脳、心、意識、を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説の体系なる理論」(名づけ方はいろいろあるが、「意識の科学(脳を含めた)」、「心の科学(脳を含めた)」ともいえる)を組み上げてみた(その理論は世界初であり、唯一無二であって、その仮説体系にかかわる文献は皆無)。付記:心脳科学(仮説)では、物理的モデルのもと、「質⊃クオリア」自体を数学的に扱う。付記:大学時代の初めから、新しい人工知性組織についてや、さまざまな発明の独自研究もしていた。付記:結局、人間・意識の外の世界(肉体を含む)が、なんでできていようが、どうあろうが、なにが起こっていようが、人間・意識にとって、物質的であれ非物質的であれ、存在や現象のすべてと、それらと関わる人間の心の在り方や内容は、ここに述べたそういう在り方・形態でしか意識し味わうことはできない。つまり、人間にとってすべては、心器などで情報処理し(され)、意識器で質という形・形態で意識し味わわれることになる。そういう在り方しかない(例外はあるかもしれない。それはどこかに記した)。さて、大学生時代の初期に、「質⊃クオリア」を、「意識の部位=意識器」が意識し味わうと、「意識器」かその辺りに、意識し味わった「質⊃クオリア」に応じたなんらかの変化・痕跡が残るのではないか、という着眼・発想をもった(予想・仮説)。なぜなら、どんな存在・系もすべて、なんらかのエネルギーを受けたら、それに応じた変化を現すだろうし(原理、予想、仮説)(例外はあるかもしれんが)、「質⊃クオリア」もなんらかのエネルギーで成り立っているはずだからである(予想・仮説)。そこにおいて、同じ変化が付きつづけていくと、その存在・系の耐性の限界に達して、それは壊れてしまうだろう。「意識の部位=意識器」についてもそういえるだろう(原理、予想、仮説)。生物には、ホメオスタシス(変化を元に戻して恒常性を保つ働き)がある。それがないと、生体内のなんらかの変化が生存の限度を越えることがあり、生物は寿命をまっとうできない。生物にかかわる系である「意識の部位」かその辺りに付いた変化についても同様で、変化が限界に達しその系が壊れる前にそれら変化は元に戻されるだろう(予想、仮説、あるいは原理)(心器についても一応同じことがいえる)(それらのハードウェアとしての寿命については別な研究となる)。そこらを、確率、哲学的やり方、原理設定などいくつものやり方で、扱うと、いずれも、それら変化が元に戻される時刻が、とびとびに現れる、となる。それを解釈すると、いくつもの法則的命題がでてくる。それらをまとめて「質時間回帰則」と呼ぼう。(以上、「なんらかの変化・痕跡」〜ここら辺りまでは大学時代の中頃までに一応の結論)さらに、人間の意識における質時間回帰は、いつまで続いていくのかという研究もでてくる。そこでは、相対論からでてくる時間論以外の時間論(永遠にかかわる時間論など)もでてくる(それについて大学時代にもった、研究や希望からの予想は、とりあえず永遠だろう、であったが、この方面の研究の一応の完成が一番後になった)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。付記:以上の研究の始発や研究過程と一応の完成は、並べた順とは限らず、入り組んでいる。付記:仮に心脳科学(仮説)が反証されたとしても、そのことによって質の科学(仮説)が否定されるということはない。○誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)水が減ったら、捨てて入れなおす。○ぼくのツイッターは、フォローしてない人たちが、けっこうな多数、読んでおられるそうだ。ぼくのブログなどや他のサイトについても同じくそう。ぼくの親父の教え子(当時、高校生)はほんとに大人数で、弁護士や警察関係者、国会議員、検察関係者、その他、大勢おられる、親戚も多く、いろいろだ、データはすべて記録してある、「心脳科学(仮説)」は世界初:「心脳科学(仮説)」は、私の永年の研究による独自の成果であり、世界初であって、世界中で唯一無二です。その仮説体系そのものについての文献は皆無です。原稿「心脳科学(仮説)」を日本語で、しかも日本で発表しても、海外からパクリがでるだろう。そこで対策を立てた。かなり前、いちばん古くからやっているぼくのブログへのアクセス回数がもの凄く増え、それが一週間ぐらい続いたことがあった。パクリ野郎か、と思った。データは記録してある。つぶやき2011の1月「新ことわざシリーズ:人類のマイナスの質時間によって空が落ちてくる」。一方、「sky fall」というのがでてきている。そのタイトルの決定の方がずっと後のようだ。面白い。こういう偶然は楽しくて愉快だ。そのテーマソングも実にいい。気に入った。○心脳科学(仮説)からでてくる特許は抑えておく。○その先の社会状況を見越して家を完璧な防犯仕様にした、反応が悪いから再掲:金之助氏=モグモグ氏このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。著作権は日本国著作権法ならびに国際条約によって保護されています。 それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2015.04.19
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心脳科学(仮説)の連載は今日で174回目、誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)つづき:水が減ったら、捨てて入れなおす。
2015.04.19
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#100:しばらくはファンタスティックでエキサイティングな設問を(実際、ファンタスティックでエキサイティングなテーマについての設問であるが、筆者にとってはきわめて興味のある分野である。たぶん、多くの人にとってもそうなのではないだろうか。で、「ファンタスティック」と形容しないと、「トンデモ」な題材ということにされるかもしれないので、そう謳っている):さて、「質の科学・質時間回帰則(仮説)・科学的カルマ」から個人なり団体(団体は個人の集合である。団体の規模はさまざまであり、最も大きいそれは人類全体となる)なりの未来を仮説として予測することができるわけだが、それを名づけて「運命のノート」としよう:「運命のノート#9」:さて、今回は、いままでの設問などを参考にして、質の科学(仮説)・質時間回帰則をもとに、仮説上の転生(転生の在り方の可能性もいくつかある)における「意識器」と「心器」について論じること(可能性におけるいくつかのばあい分けをしたうえで)。意識器と心器を定義した、その必然性・必須性をもそこに盛り込んで考察し述べること。(そういうのは荒唐無稽だ、トンデモだ、などという意見も結構だが、それでは研究にならない。そういう見解は、思考停止状態そのものを示しているだけであって、刷り込まれた思い込みだけに頼っている。ここでは考えられる可能性を前向きに追究しているので、このスレッドその他のここまでのすべての内容を理解した上での感想が求められる。検証・実証も今後進めていきたい)。(団体についてのそういった運命のノートにおける書き込みの中身は、そこの構成員のそれらの総和となる。そして、団体のばあい、質時間回帰が働くことにおいては、ほかにいくつかの要因もかかわってくるだろう。しかしそれでも個人個人についていえば、完璧に質時間回帰が続いていく)(注:こういう予測なり、予想を含んだ設問は、筆者自分に対しても放っているわけである。質時間回帰則について記すこと自体も同じくそうである。筆者がそういった内容を自分自身の課題としてどの程度生かすかどうかについては、また別次元の問題である。解答する立場の人も同じくそうである。そこらのところははっきりと分けておかないと、やりにくい)(参考:運命のノートの未来にマイナスを書き込んだと思ったら、それを打ち消す程度のプラスを書き込めばいい、ということがいえる(=マイナスの快を受けること)。それを自分でなさなかったら、将来それをなさせる強制力が働く。そこでは、積みあがった質時間のマイナスの総量が大きければ大きいほど、将来やってくるマイナスの快の総和は、それに応じて大きくなる)さらなる設問として:上のカッコ内の「マイナスの快(そこから、プラスの快という記述も当然でてくる)」、その他その前にある、プラスの質時間・マイナスの質時間(記述形態は変形しているが、まとめてこう記す)、などについて、解説すること。それを整理して記すと、「快」のプラスとマイナス、「質時間」のプラスとマイナスについて解説すること。そういう出題をなすことができる。
2015.04.19
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つぶやき150418警察に相談・依頼してきた、パクリ問題などで。以前書いたように警察(P)は友達のようなものだ。他にもそれに関連して強力な対策を実行している。心脳科学 超弦理論 超ひも理論 クオリア 質の科学 世界哲学やはり、かなり前、政府や政党sにメールした、あの濾過装置を設置しないといかん。ここにも記した。つぶやき04/18心脳科学(仮説)の連載は今日で173回目、alien:ありえん、ありうる、(JK)宇宙は神秘的でダイナミック、暴走する星・地球、ヒビだらけの地球、暴走する太陽系、呪われた星・地球、急速に老化していく地球、この先世界に流行るもの、ボケトルマン、ヘタレオン、発狂する人類、そう遠くない将来世界は、かなり前何度も書いた:昔読んだ「渚にて」、かなり前何度も書いた:そして、アガサ・クリスティの名作、そして、2020年11月17日、SF超絶大作事実写映画公開、ぐちゃぐちゃな地球、質時間回帰(SJK)、離れたつづき:そのチーズだが、ぼくが好きなのはオーストラリア産だ、謹賀新年 駄菓子うたシリーズみあげれば くものかなたに ほしぼしが すがたかくして めぐりあそぶいくとせか すぎしひびみる ほしのうえ そこにのこるは まぼろしとゆめたますだれ とわさくいのち たもちつつ たゆたうすがた かりそめのゆめながれゆく ひびのいとなみ つちだまの とどまるところ そのさきそこにくずれゆく よそらのしかけ まったきに あらたさらえる にいなるすがたおおみそか 空に浮かぶは 年の瀬の 人類世界 映す雲ぐも くる年は 人類の業 はらみつつ 未曾有の姿 世界・・K(さまざまな快)を貪った人類に残されているものは、第3なんとか、加筆:人工知性組織の着眼・発想は、大学時代の初期になした(大学時代の初めから、さまざまな発明などの独自研究もしていた)。コンピュータの理解をより深くしようと試みていたら、そういう発想がでてきた。つづき:同時に、発明が趣味だった(今も)から、ぼくならこういう人工知性をつくる、といった気持ちだった。その当時その人工知性組織の基本的骨組みはできた。だがそこでの理活(心脳におけるさまざまな情報処理活動の具体的論理に当たる)の研究が非常に難しい。つづき:理活をさらに深めて追究したのはそれから10年前後あとの二年間ぐらいだった。そこでの10年前後経つ間も、漠然と、それとその他いろいろについての研究の問題意識を持ちつづけていた(理活研究のノート二冊その他多数がある)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。さて、クオリア=質(質⊃クオリア)にかかわる、私の永年の、主に科学的研究の一部とその周辺などをここに書いてきたわけですが、ここで、それらをまとめて、あら筋として短く記してみます。年代関係も入れます。中学生時代から、意識について非常な興味をもっていたので、いつしかそれについて考えるようになっていった。高校時代に、同じ人間が二人いたら、いったいどうなるか、特にその意識や心はどうなるか、という問題意識がでてきたので、それを思考実験して一応結論がでてきた(どこかに記)。その後、高校生時代に、この世界には、さまざまな「質」がある、という着眼〜発想をもった(電子物性などという分野は、その30数年あとに知ったが今のところ「質」の参考にはならない)。「質」はなんらかの成分・要素たちに分解・解析できるだろう(予想・仮説)。人間にとって、「質」は結局、脳〜心的機能・能力、その他(本能や感情など。それらは前者のどこかに含めてもよい)によって扱われ情報処理される(心的情報処理)(注:ここに、心という言葉を活用して、「心」・「心器」についての定義なども入ってくる。それは、日常で用いる心と完全に一致することはない。心の部位=心器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)。そして、それら心的情報処理された「質」は「意識(意識の部位=意識器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)」に送り込まれ意識し味わわれることになる(注:ここに、「意識」・「意識器」の定義なども入ってくる。これも、すでにある意識という単語を活かしているのだが、普通に用いる意識と一致しないところが多くある)。そこらを発明のやり方・その他などで発想・推測し、ひとつの仮説体系、つまり、「心脳科学(仮説)」=「脳、心、意識、を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説の体系なる理論」(名づけ方はいろいろあるが、「意識の科学(脳を含めた)」、「心の科学(脳を含めた)」ともいえる)を組み上げてみた(その理論は世界初であり、唯一無二であって、その仮説体系にかかわる文献は皆無)。付記:心脳科学(仮説)では、物理的モデルのもと、「質⊃クオリア」自体を数学的に扱う。付記:大学時代の初めから、新しい人工知性組織についてや、さまざまな発明の独自研究もしていた。付記:結局、人間・意識の外の世界(肉体を含む)が、なんでできていようが、どうあろうが、なにが起こっていようが、人間・意識にとって、物質的であれ非物質的であれ、存在や現象のすべてと、それらと関わる人間の心の在り方や内容は、ここに述べたそういう在り方・形態でしか意識し味わうことはできない。つまり、人間にとってすべては、心器などで情報処理し(され)、意識器で質という形・形態で意識し味わわれることになる。そういう在り方しかない(例外はあるかもしれない。それはどこかに記した)。さて、大学生時代の初期に、「質⊃クオリア」を、「意識の部位=意識器」が意識し味わうと、「意識器」かその辺りに、意識し味わった「質⊃クオリア」に応じたなんらかの変化・痕跡が残るのではないか、という着眼・発想をもった(予想・仮説)。なぜなら、どんな存在・系もすべて、なんらかのエネルギーを受けたら、それに応じた変化を現すだろうし(原理、予想、仮説)(例外はあるかもしれんが)、「質⊃クオリア」もなんらかのエネルギーで成り立っているはずだからである(予想・仮説)。そこにおいて、同じ変化が付きつづけていくと、その存在・系の耐性の限界に達して、それは壊れてしまうだろう。「意識の部位=意識器」についてもそういえるだろう(原理、予想、仮説)。生物には、ホメオスタシス(変化を元に戻して恒常性を保つ働き)がある。それがないと、生体内のなんらかの変化が生存の限度を越えることがあり、生物は寿命をまっとうできない。生物にかかわる系である「意識の部位」かその辺りに付いた変化についても同様で、変化が限界に達しその系が壊れる前にそれら変化は元に戻されるだろう(予想、仮説、あるいは原理)(心器についても一応同じことがいえる)(それらのハードウェアとしての寿命については別な研究となる)。そこらを、確率、哲学的やり方、原理設定などいくつものやり方で、扱うと、いずれも、それら変化が元に戻される時刻が、とびとびに現れる、となる。それを解釈すると、いくつもの法則的命題がでてくる。それらをまとめて「質時間回帰則」と呼ぼう。(以上、「なんらかの変化・痕跡」〜ここら辺りまでは大学時代の中頃までに一応の結論)さらに、人間の意識における質時間回帰は、いつまで続いていくのかという研究もでてくる。そこでは、相対論からでてくる時間論以外の時間論(永遠にかかわる時間論など)もでてくる(それについて大学時代にもった、研究や希望からの予想は、とりあえず永遠だろう、であったが、この方面の研究の一応の完成が一番後になった)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。付記:以上の研究の始発や研究過程と一応の完成は、並べた順とは限らず、入り組んでいる。付記:仮に心脳科学(仮説)が反証されたとしても、そのことによって質の科学(仮説)が否定されるということはない。○誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)水が減ったら、捨てて入れなおす。○ぼくのツイッターは、フォローしてない人たちが、けっこうな多数、読んでおられるそうだ。ぼくのブログなどや他のサイトについても同じくそう。ぼくの親父の教え子(当時、高校生)はほんとに大人数で、弁護士や警察関係者、国会議員、検察関係者、その他、大勢おられる、親戚も多く、いろいろだ、データはすべて記録してある、「心脳科学(仮説)」は世界初:「心脳科学(仮説)」は、私の永年の研究による独自の成果であり、世界初であって、世界中で唯一無二です。その仮説体系そのものについての文献は皆無です。原稿「心脳科学(仮説)」を日本語で、しかも日本で発表しても、海外からパクリがでるだろう。そこで対策を立てた。かなり前、いちばん古くからやっているぼくのブログへのアクセス回数がもの凄く増え、それが一週間ぐらい続いたことがあった。パクリ野郎か、と思った。データは記録してある。つぶやき2011の1月「新ことわざシリーズ:人類のマイナスの質時間によって空が落ちてくる」。一方、「sky fall」というのがでてきている。そのタイトルの決定の方がずっと後のようだ。面白い。こういう偶然は楽しくて愉快だ。そのテーマソングも実にいい。気に入った。○心脳科学(仮説)からでてくる特許は抑えておく。○その先の社会状況を見越して家を完璧な防犯仕様にした、反応が悪いから再掲:金之助氏=モグモグ氏このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。著作権は日本国著作権法ならびに国際条約によって保護されています。 それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2015.04.18
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心脳科学(仮説)の連載は今日で173回目、誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)つづき:水が減ったら、捨てて入れなおす。
2015.04.18
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日本語のクオリアおよび性質などについて考えるXX:まず:日本語シリーズXX:今回は、助詞「は」と「が」についてわかりやすく解説しよう(注:私の書くものは、自分で考えたものである。常識的・慣用的な内容は除いて。こういう注を今までつけたことはほとんどないが、たまにはつけよう):「は」は、基本的に、「~についていえば、それは、○○である(ということをいいたい)」という内容をもつように用いられる。「が」は、基本的に、「ほかではなく、~is○○」という強調のはたらきをもつように用いられる。例:「像は鼻が長い」=「像についていえば、それは、ほかの部分sではなく、その鼻is長い、ということである(ということをいいたい)」(ここでは、isをもってこないで、「が」をあてるわけにはいかない。日本語では、『その鼻、長い(である)』、とするしかない)」=「Saying (speaking) about an elephant,it's (I want to say) that not other parts (others) but the nose is long」(ネイティブにみてもらうと、訂正があるかもしれんが意味はわかるだろう)。以上のように、「は」と「が」を用いると、短く効率的に表現できる。しかし、共にクセがあって、単純な表現がしにくい、という要素がでてくる(「が」についての解説でそれがよくわかる。そういうばあいは、「は」や「が」を省けばよい)。さらに、「は」でも「が」でもどちらでもいいケースもあらわれることがある。以前にも述べたことがあるが、ともかく、日本語はユニークな高級言語である。漢字語があることもあって、左右両方の脳を効果的に用い、特に、発想、新しいなにかの創造、にはうってつけである。以上の中の「漢字語があることもあって、左右両方の脳を効果的に用い、特に、発想、新しいなにかの創造、にはうってつけである」について、心脳科学(仮説)で解説をなすこと。そういう出題をなすことができる。
2015.04.17
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つぶやき150417警察に相談・依頼してきた、パクリ問題などで。以前書いたように警察(P)は友達のようなものだ。他にもそれに関連して強力な対策を実行している。心脳科学 超弦理論 超ひも理論 クオリア 質の科学 世界哲学やはり、かなり前、政府や政党sにメールした、あの濾過装置を設置しないといかん。ここにも記した。つぶやき04/17心脳科学(仮説)の連載は今日で172回目、alien:ありえん、ありうる、(JK)宇宙は神秘的でダイナミック、暴走する星・地球、ヒビだらけの地球、暴走する太陽系、呪われた星・地球、急速に老化していく地球、この先世界に流行るもの、ボケトルマン、ヘタレオン、発狂する人類、そう遠くない将来世界は、かなり前何度も書いた:昔読んだ「渚にて」、かなり前何度も書いた:そして、アガサ・クリスティの名作、そして、2020年11月17日、SF超絶大作事実写映画公開、ぐちゃぐちゃな地球、質時間回帰(SJK)、離れたつづき:そのチーズだが、ぼくが好きなのはオーストラリア産だ、謹賀新年 駄菓子うたシリーズみあげれば くものかなたに ほしぼしが すがたかくして めぐりあそぶいくとせか すぎしひびみる ほしのうえ そこにのこるは まぼろしとゆめたますだれ とわさくいのち たもちつつ たゆたうすがた かりそめのゆめながれゆく ひびのいとなみ つちだまの とどまるところ そのさきそこにくずれゆく よそらのしかけ まったきに あらたさらえる にいなるすがたおおみそか 空に浮かぶは 年の瀬の 人類世界 映す雲ぐも くる年は 人類の業 はらみつつ 未曾有の姿 世界・・K(さまざまな快)を貪った人類に残されているものは、第3なんとか、加筆:人工知性組織の着眼・発想は、大学時代の初期になした(大学時代の初めから、さまざまな発明などの独自研究もしていた)。コンピュータの理解をより深くしようと試みていたら、そういう発想がでてきた。つづき:同時に、発明が趣味だった(今も)から、ぼくならこういう人工知性をつくる、といった気持ちだった。その当時その人工知性組織の基本的骨組みはできた。だがそこでの理活(心脳におけるさまざまな情報処理活動の具体的論理に当たる)の研究が非常に難しい。つづき:理活をさらに深めて追究したのはそれから10年前後あとの二年間ぐらいだった。そこでの10年前後経つ間も、漠然と、それとその他いろいろについての研究の問題意識を持ちつづけていた(理活研究のノート二冊その他多数がある)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。さて、クオリア=質(質⊃クオリア)にかかわる、私の永年の、主に科学的研究の一部とその周辺などをここに書いてきたわけですが、ここで、それらをまとめて、あら筋として短く記してみます。年代関係も入れます。中学生時代から、意識について非常な興味をもっていたので、いつしかそれについて考えるようになっていった。高校時代に、同じ人間が二人いたら、いったいどうなるか、特にその意識や心はどうなるか、という問題意識がでてきたので、それを思考実験して一応結論がでてきた(どこかに記)。その後、高校生時代に、この世界には、さまざまな「質」がある、という着眼〜発想をもった(電子物性などという分野は、その30数年あとに知ったが今のところ「質」の参考にはならない)。「質」はなんらかの成分・要素たちに分解・解析できるだろう(予想・仮説)。人間にとって、「質」は結局、脳〜心的機能・能力、その他(本能や感情など。それらは前者のどこかに含めてもよい)によって扱われ情報処理される(心的情報処理)(注:ここに、心という言葉を活用して、「心」・「心器」についての定義なども入ってくる。それは、日常で用いる心と完全に一致することはない。心の部位=心器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)。そして、それら心的情報処理された「質」は「意識(意識の部位=意識器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)」に送り込まれ意識し味わわれることになる(注:ここに、「意識」・「意識器」の定義なども入ってくる。これも、すでにある意識という単語を活かしているのだが、普通に用いる意識と一致しないところが多くある)。そこらを発明のやり方・その他などで発想・推測し、ひとつの仮説体系、つまり、「心脳科学(仮説)」=「脳、心、意識、を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説の体系なる理論」(名づけ方はいろいろあるが、「意識の科学(脳を含めた)」、「心の科学(脳を含めた)」ともいえる)を組み上げてみた(その理論は世界初であり、唯一無二であって、その仮説体系にかかわる文献は皆無)。付記:心脳科学(仮説)では、物理的モデルのもと、「質⊃クオリア」自体を数学的に扱う。付記:大学時代の初めから、新しい人工知性組織についてや、さまざまな発明の独自研究もしていた。付記:結局、人間・意識の外の世界(肉体を含む)が、なんでできていようが、どうあろうが、なにが起こっていようが、人間・意識にとって、物質的であれ非物質的であれ、存在や現象のすべてと、それらと関わる人間の心の在り方や内容は、ここに述べたそういう在り方・形態でしか意識し味わうことはできない。つまり、人間にとってすべては、心器などで情報処理し(され)、意識器で質という形・形態で意識し味わわれることになる。そういう在り方しかない(例外はあるかもしれない。それはどこかに記した)。さて、大学生時代の初期に、「質⊃クオリア」を、「意識の部位=意識器」が意識し味わうと、「意識器」かその辺りに、意識し味わった「質⊃クオリア」に応じたなんらかの変化・痕跡が残るのではないか、という着眼・発想をもった(予想・仮説)。なぜなら、どんな存在・系もすべて、なんらかのエネルギーを受けたら、それに応じた変化を現すだろうし(原理、予想、仮説)(例外はあるかもしれんが)、「質⊃クオリア」もなんらかのエネルギーで成り立っているはずだからである(予想・仮説)。そこにおいて、同じ変化が付きつづけていくと、その存在・系の耐性の限界に達して、それは壊れてしまうだろう。「意識の部位=意識器」についてもそういえるだろう(原理、予想、仮説)。生物には、ホメオスタシス(変化を元に戻して恒常性を保つ働き)がある。それがないと、生体内のなんらかの変化が生存の限度を越えることがあり、生物は寿命をまっとうできない。生物にかかわる系である「意識の部位」かその辺りに付いた変化についても同様で、変化が限界に達しその系が壊れる前にそれら変化は元に戻されるだろう(予想、仮説、あるいは原理)(心器についても一応同じことがいえる)(それらのハードウェアとしての寿命については別な研究となる)。そこらを、確率、哲学的やり方、原理設定などいくつものやり方で、扱うと、いずれも、それら変化が元に戻される時刻が、とびとびに現れる、となる。それを解釈すると、いくつもの法則的命題がでてくる。それらをまとめて「質時間回帰則」と呼ぼう。(以上、「なんらかの変化・痕跡」〜ここら辺りまでは大学時代の中頃までに一応の結論)さらに、人間の意識における質時間回帰は、いつまで続いていくのかという研究もでてくる。そこでは、相対論からでてくる時間論以外の時間論(永遠にかかわる時間論など)もでてくる(それについて大学時代にもった、研究や希望からの予想は、とりあえず永遠だろう、であったが、この方面の研究の一応の完成が一番後になった)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。付記:以上の研究の始発や研究過程と一応の完成は、並べた順とは限らず、入り組んでいる。付記:仮に心脳科学(仮説)が反証されたとしても、そのことによって質の科学(仮説)が否定されるということはない。○誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)水が減ったら、捨てて入れなおす。○ぼくのツイッターは、フォローしてない人たちが、けっこうな多数、読んでおられるそうだ。ぼくのブログなどや他のサイトについても同じくそう。ぼくの親父の教え子(当時、高校生)はほんとに大人数で、弁護士や警察関係者、国会議員、検察関係者、その他、大勢おられる、親戚も多く、いろいろだ、データはすべて記録してある、「心脳科学(仮説)」は世界初:「心脳科学(仮説)」は、私の永年の研究による独自の成果であり、世界初であって、世界中で唯一無二です。その仮説体系そのものについての文献は皆無です。原稿「心脳科学(仮説)」を日本語で、しかも日本で発表しても、海外からパクリがでるだろう。そこで対策を立てた。かなり前、いちばん古くからやっているぼくのブログへのアクセス回数がもの凄く増え、それが一週間ぐらい続いたことがあった。パクリ野郎か、と思った。データは記録してある。つぶやき2011の1月「新ことわざシリーズ:人類のマイナスの質時間によって空が落ちてくる」。一方、「sky fall」というのがでてきている。そのタイトルの決定の方がずっと後のようだ。面白い。こういう偶然は楽しくて愉快だ。そのテーマソングも実にいい。気に入った。○心脳科学(仮説)からでてくる特許は抑えておく。○その先の社会状況を見越して家を完璧な防犯仕様にした、反応が悪いから再掲:金之助氏=モグモグ氏このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。著作権は日本国著作権法ならびに国際条約によって保護されています。 それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2015.04.17
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心脳科学(仮説)の連載は今日で172回目、誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)つづき:水が減ったら、捨てて入れなおす。
2015.04.17
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日本語のクオリアおよび性質などについて考えるXX:まず:日本語シリーズXX:今回は、助詞「は」と「が」についてわかりやすく解説しよう(注:私の書くものは、自分で考えたものである。常識的・慣用的な内容は除いて。こういう注を今までつけたことはほとんどないが、たまにはつけよう):「は」は、基本的に、「~についていえば、それは、○○である(ということをいいたい)」という内容をもつように用いられる。「が」は、基本的に、「ほかではなく、~is○○」という強調のはたらきをもつように用いられる。例:「像は鼻が長い」=「像についていえば、それは、ほかの部分sではなく、その鼻is長い、ということである(ということをいいたい)」(ここでは、isをもってこないで、「が」をあてるわけにはいかない。日本語では、『その鼻、長い(である)』、とするしかない)」=「Saying about an elephant,it's (I want to say) that not other parts but the nose is long」(ネイティブにみてもらうと、訂正があるかもしれんが意味はわかるだろう)。以上のように、「は」と「が」を用いると、短く効率的に表現できる。しかし、共にクセがあって、単純な表現がしにくい、という要素がでてくる(「が」についての解説でそれがよくわかる。そういうばあいは、「は」や「が」を省けばよい)。さらに、「は」でも「が」でもどちらでもいいケースもあらわれることがある。以前にも述べたことがあるが、ともかく、日本語はユニークな高級言語である。漢字語があることもあって、左右両方の脳を効果的に用い、特に、発想、新しいなにかの創造、にはうってつけである。以上の中の「漢字語があることもあって、左右両方の脳を効果的に用い、特に、発想、新しいなにかの創造、にはうってつけである」について、心脳科学(仮説)で解説をなすこと。そういう出題をなすことができる。
2015.04.17
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日本語シリーズXX:今回は、助詞「は」と「が」についてわかりやすく解説しよう(注:私の書くものは、自分で考えたものである。常識的・慣用的な内容は除いて。こういう注を今までつけたことはほとんどないが、たまにはつけよう):「は」は、基本的に、「~についていえば、それは、○○である(ということをいいたい)」という内容をもつように用いられる。「が」は、基本的に、「ほかではなく、~is○○」という強調のはたらきをもつように用いられる。例:「像は鼻が長い」=「像についていえば、それは、ほかの部分sではなく、その鼻is長い、ということである(ということをいいたい)」(ここでは、isをもってこないで、「が」をあてるわけにはいかない。日本語では、『その鼻、長い(である)』、とするしかない)」=「Saying about an elephant,it's (I want to say) that not other parts but the nose is long」(ネイティブにみてもらうと、訂正があるかもしれんが意味はわかるだろう)。以上のように、「は」と「が」を用いると、短く効率的に表現できる。しかし、共にクセがあって、単純な表現がしにくい、という要素がでてくる(「が」についての解説でそれがよくわかる。そういうばあいは、「は」や「が」を省けばよい)。さらに、「は」でも「が」でもどちらでもいいケースもあらわれることがある。以前にも述べたことがあるが、ともかく、日本語はユニークな高級言語である。漢字語があることもあって、左右両方の脳を効果的に用い、特に、発想、新しいなにかの創造にはうってつけである。
2015.04.17
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#98:しばらくはファンタスティックでエキサイティングな設問を(実際、ファンタスティックでエキサイティングなテーマについての設問であるが、筆者にとってはきわめて興味のある分野である。たぶん、多くの人にとってもそうなのではないだろうか。で、「ファンタスティック」と形容しないと、「トンデモ」な題材ということにされるかもしれないので、そう謳っている):さて、「質の科学・質時間回帰則(仮説)・科学的カルマ」から個人なり団体(団体は個人の集合である。団体の規模はさまざまであり、最も大きいそれは人類全体となる)なりの未来を仮説として予測することができるわけだが、それを名づけて「運命のノート」としよう:「運命のノート#7」:さて、この『運命のノート』にかかわる設問もいくらでも可能なんだが、マンネリ化を避けて、ここらで、総まとめの在り方としての問いをたてよう。で、まずは、前提条件を提示しよう。4月8日分の前書きと問い(後から加筆した。さらに今回も加筆)に:「今日は仏陀の聖誕祭である。偶然、この日に以下のような設問をなすことになった。その前に、ちなみに、仏陀は『人が死ぬにあたって、その心のあり方の中で、原因と結果の法則によって、霊魂のような存在が生じ、死後もそれが存続し、転生は永遠に続いていく(ただし、悟りをひらいて、死にあたって霊魂のような存在を生じさせなければ、転生しなくなる。悟りをひらく修行法は八正道やその他である)(原因と結果の法則というのはこうである。《これがあるとき、それがある。これがないとき、それはない。これが消滅すれば、それも消滅する》、といった論理による法則である』と説いておられる。さらに仏陀は『カルマはある。地獄もある。それらは非常に恐ろしい。よって、戒律を守るべし』と説いておられる。(注:以上、原始仏典、つまり、仏陀が説かれた教えに最も近いと考えられている仏教の基本書、から抽出した本質的内容をわかりやすく記した)かさねてちなみに、質時間回帰則(科学的カルマの法則)によれば、「快楽、安逸、快、楽しみ、など、プラスの快」を貪る人々の多い地域では、「戦乱、天変地異、混乱、飢饉、病気の多発、極端な苦しみ・恐ろしいまでの痛苦をもたらすなにか、など、人々に極度なマイナスの快をもたらす事態・事象」が発生するだろう、という予想がたつ。さて、今回は、心脳科学(仮説)と質の科学(仮説)を関係させてもよいし関係させなくてもよいが、「霊魂があってもなくても」、つまり、「意識と心」が「霊魂」という存在があってそこで発現しようとも、「霊魂」は存在せず「意識と心」が「脳の一部位あるいは脳の全体の機能・働き」によって生じようとも、「転生はある」という命題の証明(のようなもの)を論理だけで構築すること(検証・実証は別問題)。そういう出題をなすことができる。」4月8日分は以上である(今回も加筆した)。さてそこで、日本人の属する宗教は、仏教系が最も多いと思われるので、多くの日本人は、以上記した、原始仏教の教えを受け入れやすいはずである、という立場にたつとしよう。つまり今回の設問においては、仏陀が説かれた「転生はある」という命題を受け入れる立場にたつ、という条件をつけよう。その下で、今回の設問:この先、同じ人(同じ意識器)が一万回転生していったとしたら、どういう人間(容貌、身体的特徴、性別、人種、民族、などについて)に生まれるか、「どういった才能・能力、どんな性質・性格、どういう人間的属性s」をもつ人間に生まれつくか、さらに、どういう境遇を生きるか、などについて、質時間回帰則にもとづいて考察し、それを述べること。くわえて、今回の設問についての感想などを記すこと(荒唐無稽だ、トンデモだ、などという意見も結構だが、それでは研究にならない。そういう見解は、思考停止状態そのものを示しているのであって、刷り込まれた思い込みだけに頼っている。ここでは考えられる可能性を前向きに追究しているので、このスレッドその他のここまでのすべての内容を理解した上での感想が求められる。検証・実証も今後進めていきたい)。(注:この設問にかかわる文章は、質の科学・仮説と質時間回帰則などについての理解のための内容を表現している)(基本的に、プラスの質時間を積む在り方の実践の総量が、よくないそれの実践の総量を上回ればよい。ただし、同じ性質・質の範疇内のそれでなくてはならない。カテゴリーをはずれると代替は効かない)(自分の積み上げている、質時間のプラス・マイナスとそれらの総量、しかもそれらには、多くの質のカテゴリーがある、そういった多種類の質時間s、それらの総和がどのくらい自分の意識器にたまっているのか知ることができるのかどうか。一応は、今までの自分の境遇などに、ある程度現れて・表われているのかもしれない。さらに:転生があって、前の生までのそれらの積み上げを仮定しないと、納得のいかないことが非常に多い、といえるだろう)」(注:以上は、表現が難しいが、いってみれば、理論的に理想的な在り方《記述の在り方と個々人の幸福な在り方、というふたつの領域を併せていっている》と、それを目指す方向での記述である。「そんなことどうでもいい。私はやりたいようにやる」、といった立場も当然あるので、そういった立場は除くとする。:注:繰り返しになるが、この設問にかかわる内容は、質の科学・質時間回帰則などの理解のためのものである)(実は、このところの、質時間回帰にかかわる設問などには、まだ他に記すべきことがあるのだが、ややこしくなりすぎるので割愛している)」以上についての反論や感想、あるいは解説を記すこと。さらに上記「いい」、その反の「よくない」、の定義について考察し記すこと。上記「転生があって、前の生までのそれら質時間sの積み上げを仮定しないと、納得のいかないことが非常に多い、といえるだろう」について考察すること。(団体についてのそういった運命のノートにおける書き込みの中身は、そこの構成員のそれらの総和となる。そして、団体のばあい、質時間回帰が働くことにおいては、ほかにいくつかの要因もかかわってくるだろう。しかしそれでも個人個人についていえば、完璧に質時間回帰が続いていく)(注:こういう予測なり、予想を含んだ設問は、筆者自分に対しても放っているわけである。質時間回帰則について記すこと自体も同じくそうである。筆者がそういった内容を自分自身の課題としてどの程度生かすかどうかについては、また別次元の問題である。解答する立場の人も同じくそうである。そこらのところははっきりと分けておかないと、やりにくい)(参考:運命のノートの未来にマイナスを書き込んだと思ったら、それを打ち消す程度のプラスを書き込めばいい、ということがいえる(=マイナスの快を受けること)。それを自分でなさなかったら、将来それをなさせる強制力が働く。そこでは、積みあがった質時間のマイナスの総量が大きければ大きいほど、将来やってくるマイナスの快の総和は、それに応じて大きくなる)さらなる設問として:上のカッコ内の「マイナスの快(そこから、プラスの快という記述も当然でてくる)」、その他その前にある、プラスの質時間・マイナスの質時間(記述形態は変形しているが、まとめてこう記す)、などについて、解説すること。それを整理して記すと、「快」のプラスとマイナス、「質時間」のプラスとマイナスについて解説すること。そういう出題をなすことができる。
2015.04.16
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つぶやき150416警察に相談・依頼してきた、パクリ問題などで。以前書いたように警察(P)は友達のようなものだ。他にもそれに関連して強力な対策を実行している。心脳科学 超弦理論 超ひも理論 クオリア 質の科学 世界哲学やはり、かなり前、政府や政党sにメールした、あの濾過装置を設置しないといかん。ここにも記した。つぶやき04/16心脳科学(仮説)の連載は今日で171回目、alien:ありえん、ありうる、(JK)宇宙は神秘的でダイナミック、暴走する星・地球、ヒビだらけの地球、暴走する太陽系、呪われた星・地球、急速に老化していく地球、この先世界に流行るもの、ボケトルマン、ヘタレオン、発狂する人類、そう遠くない将来世界は、かなり前何度も書いた:昔読んだ「渚にて」、かなり前何度も書いた:そして、アガサ・クリスティの名作、そして、2020年11月17日、SF超絶大作事実写映画公開、ぐちゃぐちゃな地球、質時間回帰(SJK)、離れたつづき:そのチーズだが、ぼくが好きなのはオーストラリア産だ、謹賀新年 駄菓子うたシリーズみあげれば くものかなたに ほしぼしが すがたかくして めぐりあそぶいくとせか すぎしひびみる ほしのうえ そこにのこるは まぼろしとゆめたますだれ とわさくいのち たもちつつ たゆたうすがた かりそめのゆめながれゆく ひびのいとなみ つちだまの とどまるところ そのさきそこにくずれゆく よそらのしかけ まったきに あらたさらえる にいなるすがたおおみそか 空に浮かぶは 年の瀬の 人類世界 映す雲ぐも くる年は 人類の業 はらみつつ 未曾有の姿 世界・・K(さまざまな快)を貪った人類に残されているものは、第3なんとか、加筆:人工知性組織の着眼・発想は、大学時代の初期になした(大学時代の初めから、さまざまな発明などの独自研究もしていた)。コンピュータの理解をより深くしようと試みていたら、そういう発想がでてきた。つづき:同時に、発明が趣味だった(今も)から、ぼくならこういう人工知性をつくる、といった気持ちだった。その当時その人工知性組織の基本的骨組みはできた。だがそこでの理活(心脳におけるさまざまな情報処理活動の具体的論理に当たる)の研究が非常に難しい。つづき:理活をさらに深めて追究したのはそれから10年前後あとの二年間ぐらいだった。そこでの10年前後経つ間も、漠然と、それとその他いろいろについての研究の問題意識を持ちつづけていた(理活研究のノート二冊その他多数がある)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。さて、クオリア=質(質⊃クオリア)にかかわる、私の永年の、主に科学的研究の一部とその周辺などをここに書いてきたわけですが、ここで、それらをまとめて、あら筋として短く記してみます。年代関係も入れます。中学生時代から、意識について非常な興味をもっていたので、いつしかそれについて考えるようになっていった。高校時代に、同じ人間が二人いたら、いったいどうなるか、特にその意識や心はどうなるか、という問題意識がでてきたので、それを思考実験して一応結論がでてきた(どこかに記)。その後、高校生時代に、この世界には、さまざまな「質」がある、という着眼〜発想をもった(電子物性などという分野は、その30数年あとに知ったが今のところ「質」の参考にはならない)。「質」はなんらかの成分・要素たちに分解・解析できるだろう(予想・仮説)。人間にとって、「質」は結局、脳〜心的機能・能力、その他(本能や感情など。それらは前者のどこかに含めてもよい)によって扱われ情報処理される(心的情報処理)(注:ここに、心という言葉を活用して、「心」・「心器」についての定義なども入ってくる。それは、日常で用いる心と完全に一致することはない。心の部位=心器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)。そして、それら心的情報処理された「質」は「意識(意識の部位=意識器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)」に送り込まれ意識し味わわれることになる(注:ここに、「意識」・「意識器」の定義なども入ってくる。これも、すでにある意識という単語を活かしているのだが、普通に用いる意識と一致しないところが多くある)。そこらを発明のやり方・その他などで発想・推測し、ひとつの仮説体系、つまり、「心脳科学(仮説)」=「脳、心、意識、を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説の体系なる理論」(名づけ方はいろいろあるが、「意識の科学(脳を含めた)」、「心の科学(脳を含めた)」ともいえる)を組み上げてみた(その理論は世界初であり、唯一無二であって、その仮説体系にかかわる文献は皆無)。付記:心脳科学(仮説)では、物理的モデルのもと、「質⊃クオリア」自体を数学的に扱う。付記:大学時代の初めから、新しい人工知性組織についてや、さまざまな発明の独自研究もしていた。付記:結局、人間・意識の外の世界(肉体を含む)が、なんでできていようが、どうあろうが、なにが起こっていようが、人間・意識にとって、物質的であれ非物質的であれ、存在や現象のすべてと、それらと関わる人間の心の在り方や内容は、ここに述べたそういう在り方・形態でしか意識し味わうことはできない。つまり、人間にとってすべては、心器などで情報処理し(され)、意識器で質という形・形態で意識し味わわれることになる。そういう在り方しかない(例外はあるかもしれない。それはどこかに記した)。さて、大学生時代の初期に、「質⊃クオリア」を、「意識の部位=意識器」が意識し味わうと、「意識器」かその辺りに、意識し味わった「質⊃クオリア」に応じたなんらかの変化・痕跡が残るのではないか、という着眼・発想をもった(予想・仮説)。なぜなら、どんな存在・系もすべて、なんらかのエネルギーを受けたら、それに応じた変化を現すだろうし(原理、予想、仮説)(例外はあるかもしれんが)、「質⊃クオリア」もなんらかのエネルギーで成り立っているはずだからである(予想・仮説)。そこにおいて、同じ変化が付きつづけていくと、その存在・系の耐性の限界に達して、それは壊れてしまうだろう。「意識の部位=意識器」についてもそういえるだろう(原理、予想、仮説)。生物には、ホメオスタシス(変化を元に戻して恒常性を保つ働き)がある。それがないと、生体内のなんらかの変化が生存の限度を越えることがあり、生物は寿命をまっとうできない。生物にかかわる系である「意識の部位」かその辺りに付いた変化についても同様で、変化が限界に達しその系が壊れる前にそれら変化は元に戻されるだろう(予想、仮説、あるいは原理)(心器についても一応同じことがいえる)(それらのハードウェアとしての寿命については別な研究となる)。そこらを、確率、哲学的やり方、原理設定などいくつものやり方で、扱うと、いずれも、それら変化が元に戻される時刻が、とびとびに現れる、となる。それを解釈すると、いくつもの法則的命題がでてくる。それらをまとめて「質時間回帰則」と呼ぼう。(以上、「なんらかの変化・痕跡」〜ここら辺りまでは大学時代の中頃までに一応の結論)さらに、人間の意識における質時間回帰は、いつまで続いていくのかという研究もでてくる。そこでは、相対論からでてくる時間論以外の時間論(永遠にかかわる時間論など)もでてくる(それについて大学時代にもった、研究や希望からの予想は、とりあえず永遠だろう、であったが、この方面の研究の一応の完成が一番後になった)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。付記:以上の研究の始発や研究過程と一応の完成は、並べた順とは限らず、入り組んでいる。付記:仮に心脳科学(仮説)が反証されたとしても、そのことによって質の科学(仮説)が否定されるということはない。○誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)水が減ったら、捨てて入れなおす。○ぼくのツイッターは、フォローしてない人たちが、けっこうな多数、読んでおられるそうだ。ぼくのブログなどや他のサイトについても同じくそう。ぼくの親父の教え子(当時、高校生)はほんとに大人数で、弁護士や警察関係者、国会議員、検察関係者、その他、大勢おられる、親戚も多く、いろいろだ、データはすべて記録してある、「心脳科学(仮説)」は世界初:「心脳科学(仮説)」は、私の永年の研究による独自の成果であり、世界初であって、世界中で唯一無二です。その仮説体系そのものについての文献は皆無です。原稿「心脳科学(仮説)」を日本語で、しかも日本で発表しても、海外からパクリがでるだろう。そこで対策を立てた。かなり前、いちばん古くからやっているぼくのブログへのアクセス回数がもの凄く増え、それが一週間ぐらい続いたことがあった。パクリ野郎か、と思った。データは記録してある。つぶやき2011の1月「新ことわざシリーズ:人類のマイナスの質時間によって空が落ちてくる」。一方、「sky fall」というのがでてきている。そのタイトルの決定の方がずっと後のようだ。面白い。こういう偶然は楽しくて愉快だ。そのテーマソングも実にいい。気に入った。○心脳科学(仮説)からでてくる特許は抑えておく。○その先の社会状況を見越して家を完璧な防犯仕様にした、反応が悪いから再掲:金之助氏=モグモグ氏このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。著作権は日本国著作権法ならびに国際条約によって保護されています。 それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2015.04.16
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心脳科学(仮説)の連載は今日で171回目、誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)つづき:水が減ったら、捨てて入れなおす。
2015.04.16
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4月8日分:しばらくはファンタスティックでエキサイティングな設問を:今日は仏陀の聖誕祭である。偶然、この日に以下のような設問をなすことになった。ちなみに、仏陀は「霊魂のような存在が、原因と結果の法則によって生じ、転生は永遠に続いていく(ただし、悟りをひらいて、霊魂のような存在を生じさせなければ、転生しなくなる)」と説いておられる。さらに仏陀は「カルマはある。地獄もある。それらは非常に恐ろしい。よって、戒律を守るべし」と説いておられる。かさねてちなみに、質時間回帰則(科学的カルマの法則)によれば、「快楽、安逸、快、楽しみ、など、プラスの快」を貪る人々の多い地域では、「戦乱、天 災、混乱、飢饉、非常な苦しみをもたらすなにか、など、人々に極度なマイナスの快をもたらす事態」が発生するだろう、と予想できる。さて、今回は、心脳科学(仮説)と質の科学(仮説)を関係させてもよいし関係させなくてもよいが、「霊魂があってもなくても」、つまり、「意識と心」が「霊魂」という存在があってそこで発現しようとも、「霊魂」は存在せず「意識と心」が「脳の一部位あるいは脳の全体の機能・働き」によって生じようとも、「転生はある」という命題の証明(のようなもの)を論理だけで構築すること(検証・実証は別問題)。そういう出題をなすことができる。
2015.04.15
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何年か前に書いて何度も再掲:駄詩シリーズ:スペースファンタジア 世界は夢幻 果てしなき時の流れの中で 森羅万象 大宇宙という舞台 星の数ほどの文明が どこかの星の上に 生まれては消え 消えては生まれ 波打ち寄せる 砂浜に築かれた砂の城のように駄詩:スペースファンタジア 世界は夢幻 果てしなき時の流れの中で 森羅万象 大宇宙という舞台 星の数ほどの文明が どこかの星の上に 生まれては消え 消えては生まれ 波打ち寄せる 砂浜に築かれた砂の城のようにつづき(駄詩):永遠に繰り返し築かれる砂上の楼閣のように 栄枯盛衰 隆まっては替わり 長じては消え去り 栄落興亡 興っては廃たれ 浮いては沈み そして 世界は黄昏 惑う星テラは沈みゆく 神々の栄光を載せて その先始まろうとしている 永い永い静寂の季節がつづき(駄詩):続きに続く寂寞たる時空の世界が 世界は夢幻 果てしなき時の流れの中で 森羅万象 スペースファンタジア やがて くりかえされるふたたび 甦りのときが 惑う星テラに兆し また 新たな 時代が始まる 世界は夢幻 果てしなき時の流れの中で 森羅万象 スペースファンタジア駄詩:季節 季節は巡らず 今や気候はきまぐれ 冬に入道雲 夏に雪 大風は勢いを増し 渦巻く風も力を強くし 極端から極端へ 季節感が壊れていく 地球の叫び 大自然の雄たけび 地球から疎まれる人類 大自然から懲らしめられる人類駄詩:雨 雨が降る 世界中に雨が降る 人類に質時間のプラスを積ませる天からの雨 天の涙 雨が降る 世界中に雨が降る駄詩:世界 スペースファンタジア 世界は夢幻 果てしなき時の流れの中で 森羅万象 自在闊達に踊る 時を経て 今や人類が贅沢し果て奢りつくし 人類自身と世界を汚し 地球は怒る 大自然は怒り狂う 世界は怒髪天を衝き変怒妖天変難雑凶災乱地異襲 大風大雨黄色いイナビカリが世界を襲いつづき・駄詩:妖異摩訶不思議な雨が雪が世界を襲い 人類は黄昏 人類は縮み上がりヘタれ果て狂いまくり腐癌荒争廃破戦汚損敗変病腐壊死 惑う星テラは沈みゆく 神々の栄光を載せて その先始まろうとしている 永い永い静寂の季節が 続きに続く寂寞たる時空の世界がつづき・駄詩:世界は夢幻 果てしなき時の流れの中で 森羅万象 スペースファンタジア やがて くりかえされるふたたび 甦りのときが 惑う星テラに兆し また 新たな 時代が始まる 世界は夢幻 果てしなき時の流れの中で 森羅万象 スペースファンタジア
2015.04.15
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#97:しばらくはファンタスティックでエキサイティングな設問を(実際、ファンタスティックでエキサイティングなテーマについての設問であるが、筆者にとってはきわめて興味のある分野である。たぶん、多くの人にとってもそうなのではないだろうか。で、「ファンタスティック」と形容しないと、「トンデモ」な題材ということにされるかもしれないので、そう謳っている):さて、「質の科学・質時間回帰則(仮説)・科学的カルマ」から個人なり団体(団体は個人の集合である。団体の規模はさまざまであり、最も大きいそれは人類全体となる)なりの未来を仮説として予測することができるわけだが、それを名づけて「運命のノート」としよう:「運命のノート#6」:「努力(一応注:プラスな努力)することは運命のノートの未来にプラスを書き込む(=プラスの質時間が自分の意識器に溜まる=いい努力をしたことの総量に応じたプラスの質時間が自分の意識器に溜まる。それが将来質時間回帰をもたらす。このばあい、プラスの快がやってくるという質時間回帰である)。そうであるが、プラスの努力をなすことは、いくらか~かなり難しい。怠けることの方がかんたんである(怠けることは、マイナスの質時間を積むことになる)(注:この設問にかかわる文章は、質の科学・仮説と質時間回帰則などについての理解のための内容を表現している)(基本的に、プラスの質時間を積む在り方の実践の総量が、よくないそれの実践の総量を上回ればよい。ただし、同じ性質・質の範疇内のそれでなくてはならない。カテゴリーをはずれると代替は効かない)(自分の積み上げている、質時間のプラス・マイナスとそれらの総量、しかもそれらには、多くの質のカテゴリーがある、そういった多種類の質時間s、それらの総和がどのくらい自分の意識器にたまっているのか知ることができるのかどうか。一応は、今までの自分の境遇などに、ある程度現れて・表われているのかもしれない。さらに:転生があって、前の生までのそれらの積み上げを仮定しないと、納得のいかないことが非常に多い、といえるだろう)」(注:以上は、表現が難しいが、いってみれば、理論的に理想的な在り方《記述の在り方と個々人の幸福な在り方、というふたつの領域を併せていっている》と、それを目指す方向での記述である。「そんなことどうでもいい。私はやりたいようにやる」、といった立場も当然あるので、そういった立場は除くとする。:注:繰り返しになるが、この設問にかかわる内容は、質の科学・質時間回帰則などの理解のためのものである)(実は、このところの、質時間回帰にかかわる設問などには、まだ他に記すべきことがあるのだが、ややこしくなりすぎるので割愛している)」以上についての反論や感想、あるいは解説を記すこと。さらに上記「いい。プラスの」、その反の「よくない。マイナスの」、の定義について考察し記すこと。上記「転生があって、前の生までのそれら質時間sの積み上げを仮定しないと、納得のいかないことが非常に多い、といえるだろう」について考察すること。(団体についてのそういった運命のノートにおける書き込みの中身は、そこの構成員のそれらの総和となる。そして、団体のばあい、質時間回帰が働くことにおいては、ほかにいくつかの要因もかかわってくるだろう。しかしそれでも個人個人についていえば、完璧に質時間回帰が続いていく)(注:こういう予測なり、予想を含んだ設問は、筆者自分に対しても放っているわけである。質時間回帰則について記すこと自体も同じくそうである。筆者がそういった内容を自分自身の課題としてどの程度生かすかどうかについては、また別次元の問題である。解答する立場の人も同じくそうである。そこらのところははっきりと分けておかないと、やりにくい)(参考:運命のノートの未来にマイナスを書き込んだと思ったら、それを打ち消す程度のプラスを書き込めばいい、ということがいえる(=マイナスの快を受けること)。それを自分でなさなかったら、将来それをなさせる強制力が働く。そこでは、積みあがった質時間のマイナスの総量が大きければ大きいほど、将来やってくるマイナスの快の総和は、それに応じて大きくなる)さらなる設問として:上のカッコ内の「マイナスの快(そこから、プラスの快という記述も当然でてくる)」、その他その前にある、プラスの質時間・マイナスの質時間(記述形態は変形しているが、まとめてこう記す)、などについて、解説すること。それを整理して記すと、「快」のプラスとマイナス、「質時間」のプラスとマイナスについて解説すること。そういう出題をなすことができる。
2015.04.15
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つぶやき150415警察に相談・依頼してきた、パクリ問題などで。以前書いたように警察(P)は友達のようなものだ。他にもそれに関連して強力な対策を実行している。心脳科学 超弦理論 超ひも理論 クオリア 質の科学 世界哲学やはり、かなり前、政府や政党sにメールした、あの濾過装置を設置しないといかん。ここにも記した。つぶやき04/15心脳科学(仮説)の連載は今日で170回目、alien:ありえん、ありうる、(JK)宇宙は神秘的でダイナミック、暴走する星・地球、ヒビだらけの地球、暴走する太陽系、呪われた星・地球、急速に老化していく地球、この先世界に流行るもの、ボケトルマン、ヘタレオン、発狂する人類、そう遠くない将来世界は、かなり前何度も書いた:昔読んだ「渚にて」、かなり前何度も書いた:そして、アガサ・クリスティの名作、そして、2020年11月17日、SF超絶大作事実写映画公開、ぐちゃぐちゃな地球、質時間回帰(SJK)、離れたつづき:そのチーズだが、ぼくが好きなのはオーストラリア産だ、謹賀新年 駄菓子うたシリーズみあげれば くものかなたに ほしぼしが すがたかくして めぐりあそぶいくとせか すぎしひびみる ほしのうえ そこにのこるは まぼろしとゆめたますだれ とわさくいのち たもちつつ たゆたうすがた かりそめのゆめながれゆく ひびのいとなみ つちだまの とどまるところ そのさきそこにくずれゆく よそらのしかけ まったきに あらたさらえる にいなるすがたおおみそか 空に浮かぶは 年の瀬の 人類世界 映す雲ぐも くる年は 人類の業 はらみつつ 未曾有の姿 世界・・K(さまざまな快)を貪った人類に残されているものは、第3なんとか、加筆:人工知性組織の着眼・発想は、大学時代の初期になした(大学時代の初めから、さまざまな発明などの独自研究もしていた)。コンピュータの理解をより深くしようと試みていたら、そういう発想がでてきた。つづき:同時に、発明が趣味だった(今も)から、ぼくならこういう人工知性をつくる、といった気持ちだった。その当時その人工知性組織の基本的骨組みはできた。だがそこでの理活(心脳におけるさまざまな情報処理活動の具体的論理に当たる)の研究が非常に難しい。つづき:理活をさらに深めて追究したのはそれから10年前後あとの二年間ぐらいだった。そこでの10年前後経つ間も、漠然と、それとその他いろいろについての研究の問題意識を持ちつづけていた(理活研究のノート二冊その他多数がある)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。さて、クオリア=質(質⊃クオリア)にかかわる、私の永年の、主に科学的研究の一部とその周辺などをここに書いてきたわけですが、ここで、それらをまとめて、あら筋として短く記してみます。年代関係も入れます。中学生時代から、意識について非常な興味をもっていたので、いつしかそれについて考えるようになっていった。高校時代に、同じ人間が二人いたら、いったいどうなるか、特にその意識や心はどうなるか、という問題意識がでてきたので、それを思考実験して一応結論がでてきた(どこかに記)。その後、高校生時代に、この世界には、さまざまな「質」がある、という着眼〜発想をもった(電子物性などという分野は、その30数年あとに知ったが今のところ「質」の参考にはならない)。「質」はなんらかの成分・要素たちに分解・解析できるだろう(予想・仮説)。人間にとって、「質」は結局、脳〜心的機能・能力、その他(本能や感情など。それらは前者のどこかに含めてもよい)によって扱われ情報処理される(心的情報処理)(注:ここに、心という言葉を活用して、「心」・「心器」についての定義なども入ってくる。それは、日常で用いる心と完全に一致することはない。心の部位=心器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)。そして、それら心的情報処理された「質」は「意識(意識の部位=意識器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)」に送り込まれ意識し味わわれることになる(注:ここに、「意識」・「意識器」の定義なども入ってくる。これも、すでにある意識という単語を活かしているのだが、普通に用いる意識と一致しないところが多くある)。そこらを発明のやり方・その他などで発想・推測し、ひとつの仮説体系、つまり、「心脳科学(仮説)」=「脳、心、意識、を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説の体系なる理論」(名づけ方はいろいろあるが、「意識の科学(脳を含めた)」、「心の科学(脳を含めた)」ともいえる)を組み上げてみた(その理論は世界初であり、唯一無二であって、その仮説体系にかかわる文献は皆無)。付記:心脳科学(仮説)では、物理的モデルのもと、「質⊃クオリア」自体を数学的に扱う。付記:大学時代の初めから、新しい人工知性組織についてや、さまざまな発明の独自研究もしていた。付記:結局、人間・意識の外の世界(肉体を含む)が、なんでできていようが、どうあろうが、なにが起こっていようが、人間・意識にとって、物質的であれ非物質的であれ、存在や現象のすべてと、それらと関わる人間の心の在り方や内容は、ここに述べたそういう在り方・形態でしか意識し味わうことはできない。つまり、人間にとってすべては、心器などで情報処理し(され)、意識器で質という形・形態で意識し味わわれることになる。そういう在り方しかない(例外はあるかもしれない。それはどこかに記した)。さて、大学生時代の初期に、「質⊃クオリア」を、「意識の部位=意識器」が意識し味わうと、「意識器」かその辺りに、意識し味わった「質⊃クオリア」に応じたなんらかの変化・痕跡が残るのではないか、という着眼・発想をもった(予想・仮説)。なぜなら、どんな存在・系もすべて、なんらかのエネルギーを受けたら、それに応じた変化を現すだろうし(原理、予想、仮説)(例外はあるかもしれんが)、「質⊃クオリア」もなんらかのエネルギーで成り立っているはずだからである(予想・仮説)。そこにおいて、同じ変化が付きつづけていくと、その存在・系の耐性の限界に達して、それは壊れてしまうだろう。「意識の部位=意識器」についてもそういえるだろう(原理、予想、仮説)。生物には、ホメオスタシス(変化を元に戻して恒常性を保つ働き)がある。それがないと、生体内のなんらかの変化が生存の限度を越えることがあり、生物は寿命をまっとうできない。生物にかかわる系である「意識の部位」かその辺りに付いた変化についても同様で、変化が限界に達しその系が壊れる前にそれら変化は元に戻されるだろう(予想、仮説、あるいは原理)(心器についても一応同じことがいえる)(それらのハードウェアとしての寿命については別な研究となる)。そこらを、確率、哲学的やり方、原理設定などいくつものやり方で、扱うと、いずれも、それら変化が元に戻される時刻が、とびとびに現れる、となる。それを解釈すると、いくつもの法則的命題がでてくる。それらをまとめて「質時間回帰則」と呼ぼう。(以上、「なんらかの変化・痕跡」〜ここら辺りまでは大学時代の中頃までに一応の結論)さらに、人間の意識における質時間回帰は、いつまで続いていくのかという研究もでてくる。そこでは、相対論からでてくる時間論以外の時間論(永遠にかかわる時間論など)もでてくる(それについて大学時代にもった、研究や希望からの予想は、とりあえず永遠だろう、であったが、この方面の研究の一応の完成が一番後になった)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。付記:以上の研究の始発や研究過程と一応の完成は、並べた順とは限らず、入り組んでいる。付記:仮に心脳科学(仮説)が反証されたとしても、そのことによって質の科学(仮説)が否定されるということはない。○誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)水が減ったら、捨てて入れなおす。○ぼくのツイッターは、フォローしてない人たちが、けっこうな多数、読んでおられるそうだ。ぼくのブログなどや他のサイトについても同じくそう。ぼくの親父の教え子(当時、高校生)はほんとに大人数で、弁護士や警察関係者、国会議員、検察関係者、その他、大勢おられる、親戚も多く、いろいろだ、データはすべて記録してある、「心脳科学(仮説)」は世界初:「心脳科学(仮説)」は、私の永年の研究による独自の成果であり、世界初であって、世界中で唯一無二です。その仮説体系そのものについての文献は皆無です。原稿「心脳科学(仮説)」を日本語で、しかも日本で発表しても、海外からパクリがでるだろう。そこで対策を立てた。かなり前、いちばん古くからやっているぼくのブログへのアクセス回数がもの凄く増え、それが一週間ぐらい続いたことがあった。パクリ野郎か、と思った。データは記録してある。つぶやき2011の1月「新ことわざシリーズ:人類のマイナスの質時間によって空が落ちてくる」。一方、「sky fall」というのがでてきている。そのタイトルの決定の方がずっと後のようだ。面白い。こういう偶然は楽しくて愉快だ。そのテーマソングも実にいい。気に入った。○心脳科学(仮説)からでてくる特許は抑えておく。○その先の社会状況を見越して家を完璧な防犯仕様にした、反応が悪いから再掲:金之助氏=モグモグ氏このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。著作権は日本国著作権法ならびに国際条約によって保護されています。 それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2015.04.15
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心脳科学(仮説)の連載は今日で170回目、誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)つづき:水が減ったら、捨てて入れなおす。
2015.04.15
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#96:しばらくはファンタスティックでエキサイティングな設問を(実際、ファンタスティックでエキサイティングなテーマについての設問であるが、筆者にとってはきわめて興味のある分野である。たぶん、多くの人にとってもそうなのではないだろうか。で、「ファンタスティック」と形容しないと、「トンデモ」な題材ということにされるかもしれないので、そう謳っている):さて、「質の科学・質時間回帰則(仮説)・科学的カルマ」から個人なり団体(団体は個人の集合である。団体の規模はさまざまであり、最も大きいそれは人類全体となる)なりの未来を仮説として予測することができるわけだが、それを名づけて「運命のノート」としよう:「運命のノート#5」:「(前回は『いい気になるうんぬんだった:下に参考掲載』。今回の分はそれと少し似ている要素があるが基本的に異なる)いい思いをすることは運命のノートの未来にマイナスを書き込む(=マイナスの質時間が自分の意識器に溜まる=いい思いをしたことの総量に応じたマイナスの質時間が自分の意識器に溜まる。それが将来質時間回帰をもたらす。このばあい、マイナスの快がやってくるという質時間回帰である)。そうであるが、いい思いをする状況・立場になってそれを避けることは非常に難しい(ただしそれまでに積み上げたプラスの質時間があると思えるならば、あるいは、マイナスの質時間を積んでもいい、と思うならば、それを避ける必要はない《現実には、こんなややこしいことを考えることはないが。:注:この設問にかかわる文章は、質の科学・仮説と質時間回帰などの理解のための内容を表現している》。たとえば、以前苦しんだことにより質時間のプラスを積んでいることもあるので、そのプラス分を消費しても、その前後の間だけとれば収支は一応保たれるようにみえる、ということもある)(努力してそういう立場・状況に至ったのならば、当然それを享受すべきである、という立場は普通・一般的である)(基本的に、プラスの質時間を積む在り方の実践の総量が、よくないそれの実践の総量を上回ればよい。ただし、同じ性質・質の範疇内のそれでなくてはならない。カテゴリーをはずれると代替は効かない)(自分の積み上げている、質時間のプラス・マイナスとそれらの総量、しかもそれらには、多くの質のカテゴリーがある、そういった多種類の質時間s、それらの総和がどのくらい自分の意識器にたまっているのか知ることができるのかどうか。一応は、今までの自分の境遇などに、ある程度現れて・表われているのかもしれない。さらに:転生があって、前の生までのそれらの積み上げを想定しないと、納得のいかないことが非常に多い、といえるだろう)」(注:以上は、表現が難しいが、いってみれば、理論的に理想的な在り方《記述の在り方と個々人の幸福な在り方、というふたつの領域を併せていっている》と、それを目指す方向での記述である。「そんなことどうでもいい。私はやりたいようにやる」、といった立場も当然あるので、そういった立場は除くとする。:注:繰り返しになるが、この設問にかかわる内容は、質の科学・質時間回帰則などの理解のためのものである)(実は、このところの、質時間回帰にかかわる設問などには、まだ他に記すべきことがあるのだが、ややこしくなりすぎるので割愛している)」以上についての反論や感想、あるいは解説を記すこと。「その前後の間だけとれば収支は一応保たれるようにみえる、ということもある」という上記命題の解説をすること。さらに上記「いい」、その反の「よくない」、の定義について考察し記すこと。上記「転生があって、前の生までのそれら質時間sの積み上げを想定しないと、納得のいかないことが非常に多い、といえるだろう」について考察すること。(団体についてのそういった運命のノートにおける書き込みの中身は、そこの構成員のそれらの総和となる。そして、団体のばあい、質時間回帰が働くことにおいては、ほかにいくつかの要因もかかわってくるだろう。しかしそれでも個人個人についていえば、完璧に質時間回帰が続いていく)(注:こういう予測なり、予想を含んだ設問は、筆者自分に対しても放っているわけである。質時間回帰則について記すこと自体も同じくそうである。筆者がそういった内容を自分自身の課題としてどの程度生かすかどうかについては、また別次元の問題である。解答する立場の人も同じくそうである。そこらのところははっきりと分けておかないと、やりにくい)(参考:運命のノートの未来にマイナスを書き込んだと思ったら、それを打ち消す程度のプラスを書き込めばいい、ということがいえる(=マイナスの快を受けること)。それを自分でなさなかったら、将来それをなさせる強制力が働く。そこでは、積みあがった質時間のマイナスの総量が大きければ大きいほど、将来やってくるマイナスの快の総和は、それに応じて大きくなる)さらなる設問として:上のカッコ内の「マイナスの快(そこから、プラスの快という記述も当然でてくる)」、その他その前にある、プラスの質時間・マイナスの質時間(記述形態は変形しているが、まとめてこう記す)、などについて、解説すること。それを整理して記すと、「快」のプラスとマイナス、「質時間」のプラスとマイナスについて解説すること。そういう出題をなすことができる。
2015.04.14
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つぶやき150414警察に相談・依頼してきた、パクリ問題などで。以前書いたように警察(P)は友達のようなものだ。他にもそれに関連して強力な対策を実行している。心脳科学 超弦理論 超ひも理論 クオリア 質の科学 世界哲学やはり、かなり前、政府や政党sにメールした、あの濾過装置を設置しないといかん。ここにも記した。つぶやき04/14心脳科学(仮説)の連載は今日で169回目、alien:ありえん、ありうる、(JK)宇宙は神秘的でダイナミック、暴走する星・地球、ヒビだらけの地球、暴走する太陽系、呪われた星・地球、急速に老化していく地球、この先世界に流行るもの、ボケトルマン、ヘタレオン、発狂する人類、そう遠くない将来世界は、かなり前何度も書いた:昔読んだ「渚にて」、かなり前何度も書いた:そして、アガサ・クリスティの名作、そして、2020年11月17日、SF超絶大作事実写映画公開、ぐちゃぐちゃな地球、質時間回帰(SJK)、離れたつづき:そのチーズだが、ぼくが好きなのはオーストラリア産だ、謹賀新年 駄菓子うたシリーズみあげれば くものかなたに ほしぼしが すがたかくして めぐりあそぶいくとせか すぎしひびみる ほしのうえ そこにのこるは まぼろしとゆめたますだれ とわさくいのち たもちつつ たゆたうすがた かりそめのゆめながれゆく ひびのいとなみ つちだまの とどまるところ そのさきそこにくずれゆく よそらのしかけ まったきに あらたさらえる にいなるすがたおおみそか 空に浮かぶは 年の瀬の 人類世界 映す雲ぐも くる年は 人類の業 はらみつつ 未曾有の姿 世界・・K(さまざまな快)を貪った人類に残されているものは、第3なんとか、加筆:人工知性組織の着眼・発想は、大学時代の初期になした(大学時代の初めから、さまざまな発明などの独自研究もしていた)。コンピュータの理解をより深くしようと試みていたら、そういう発想がでてきた。つづき:同時に、発明が趣味だった(今も)から、ぼくならこういう人工知性をつくる、といった気持ちだった。その当時その人工知性組織の基本的骨組みはできた。だがそこでの理活(心脳におけるさまざまな情報処理活動の具体的論理に当たる)の研究が非常に難しい。つづき:理活をさらに深めて追究したのはそれから10年前後あとの二年間ぐらいだった。そこでの10年前後経つ間も、漠然と、それとその他いろいろについての研究の問題意識を持ちつづけていた(理活研究のノート二冊その他多数がある)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。さて、クオリア=質(質⊃クオリア)にかかわる、私の永年の、主に科学的研究の一部とその周辺などをここに書いてきたわけですが、ここで、それらをまとめて、あら筋として短く記してみます。年代関係も入れます。中学生時代から、意識について非常な興味をもっていたので、いつしかそれについて考えるようになっていった。高校時代に、同じ人間が二人いたら、いったいどうなるか、特にその意識や心はどうなるか、という問題意識がでてきたので、それを思考実験して一応結論がでてきた(どこかに記)。その後、高校生時代に、この世界には、さまざまな「質」がある、という着眼〜発想をもった(電子物性などという分野は、その30数年あとに知ったが今のところ「質」の参考にはならない)。「質」はなんらかの成分・要素たちに分解・解析できるだろう(予想・仮説)。人間にとって、「質」は結局、脳〜心的機能・能力、その他(本能や感情など。それらは前者のどこかに含めてもよい)によって扱われ情報処理される(心的情報処理)(注:ここに、心という言葉を活用して、「心」・「心器」についての定義なども入ってくる。それは、日常で用いる心と完全に一致することはない。心の部位=心器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)。そして、それら心的情報処理された「質」は「意識(意識の部位=意識器=なんらかのフィールド=なんらかのハードウェア)」に送り込まれ意識し味わわれることになる(注:ここに、「意識」・「意識器」の定義なども入ってくる。これも、すでにある意識という単語を活かしているのだが、普通に用いる意識と一致しないところが多くある)。そこらを発明のやり方・その他などで発想・推測し、ひとつの仮説体系、つまり、「心脳科学(仮説)」=「脳、心、意識、を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説の体系なる理論」(名づけ方はいろいろあるが、「意識の科学(脳を含めた)」、「心の科学(脳を含めた)」ともいえる)を組み上げてみた(その理論は世界初であり、唯一無二であって、その仮説体系にかかわる文献は皆無)。付記:心脳科学(仮説)では、物理的モデルのもと、「質⊃クオリア」自体を数学的に扱う。付記:大学時代の初めから、新しい人工知性組織についてや、さまざまな発明の独自研究もしていた。付記:結局、人間・意識の外の世界(肉体を含む)が、なんでできていようが、どうあろうが、なにが起こっていようが、人間・意識にとって、物質的であれ非物質的であれ、存在や現象のすべてと、それらと関わる人間の心の在り方や内容は、ここに述べたそういう在り方・形態でしか意識し味わうことはできない。つまり、人間にとってすべては、心器などで情報処理し(され)、意識器で質という形・形態で意識し味わわれることになる。そういう在り方しかない(例外はあるかもしれない。それはどこかに記した)。さて、大学生時代の初期に、「質⊃クオリア」を、「意識の部位=意識器」が意識し味わうと、「意識器」かその辺りに、意識し味わった「質⊃クオリア」に応じたなんらかの変化・痕跡が残るのではないか、という着眼・発想をもった(予想・仮説)。なぜなら、どんな存在・系もすべて、なんらかのエネルギーを受けたら、それに応じた変化を現すだろうし(原理、予想、仮説)(例外はあるかもしれんが)、「質⊃クオリア」もなんらかのエネルギーで成り立っているはずだからである(予想・仮説)。そこにおいて、同じ変化が付きつづけていくと、その存在・系の耐性の限界に達して、それは壊れてしまうだろう。「意識の部位=意識器」についてもそういえるだろう(原理、予想、仮説)。生物には、ホメオスタシス(変化を元に戻して恒常性を保つ働き)がある。それがないと、生体内のなんらかの変化が生存の限度を越えることがあり、生物は寿命をまっとうできない。生物にかかわる系である「意識の部位」かその辺りに付いた変化についても同様で、変化が限界に達しその系が壊れる前にそれら変化は元に戻されるだろう(予想、仮説、あるいは原理)(心器についても一応同じことがいえる)(それらのハードウェアとしての寿命については別な研究となる)。そこらを、確率、哲学的やり方、原理設定などいくつものやり方で、扱うと、いずれも、それら変化が元に戻される時刻が、とびとびに現れる、となる。それを解釈すると、いくつもの法則的命題がでてくる。それらをまとめて「質時間回帰則」と呼ぼう。(以上、「なんらかの変化・痕跡」〜ここら辺りまでは大学時代の中頃までに一応の結論)さらに、人間の意識における質時間回帰は、いつまで続いていくのかという研究もでてくる。そこでは、相対論からでてくる時間論以外の時間論(永遠にかかわる時間論など)もでてくる(それについて大学時代にもった、研究や希望からの予想は、とりあえず永遠だろう、であったが、この方面の研究の一応の完成が一番後になった)。付記:さて、人間は自然にしていると快(プラスの快)を多く受けようとする。その結果、人類の質時間の総和・総量は、大きくマイナスになる。それが今現在限界を越えている可能性がある。そこで、そう遠くない将来、人類を質時間回帰の激烈な波が襲うだろう(予想)。そこにおいて、人類の質時間の総量は今までのところ計測できないので、現在の世界の様子や歴史を見渡して、推測するしかない。今のところその予想(人類の質時間の総量が今現在限界を越えている可能性と質時間回帰の激烈な波がそう遠くない将来襲来)が当たるか外れるか、どうなのかわからない。付記:以上の研究の始発や研究過程と一応の完成は、並べた順とは限らず、入り組んでいる。付記:仮に心脳科学(仮説)が反証されたとしても、そのことによって質の科学(仮説)が否定されるということはない。○誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)水が減ったら、捨てて入れなおす。○ぼくのツイッターは、フォローしてない人たちが、けっこうな多数、読んでおられるそうだ。ぼくのブログなどや他のサイトについても同じくそう。ぼくの親父の教え子(当時、高校生)はほんとに大人数で、弁護士や警察関係者、国会議員、検察関係者、その他、大勢おられる、親戚も多く、いろいろだ、データはすべて記録してある、「心脳科学(仮説)」は世界初:「心脳科学(仮説)」は、私の永年の研究による独自の成果であり、世界初であって、世界中で唯一無二です。その仮説体系そのものについての文献は皆無です。原稿「心脳科学(仮説)」を日本語で、しかも日本で発表しても、海外からパクリがでるだろう。そこで対策を立てた。かなり前、いちばん古くからやっているぼくのブログへのアクセス回数がもの凄く増え、それが一週間ぐらい続いたことがあった。パクリ野郎か、と思った。データは記録してある。つぶやき2011の1月「新ことわざシリーズ:人類のマイナスの質時間によって空が落ちてくる」。一方、「sky fall」というのがでてきている。そのタイトルの決定の方がずっと後のようだ。面白い。こういう偶然は楽しくて愉快だ。そのテーマソングも実にいい。気に入った。○心脳科学(仮説)からでてくる特許は抑えておく。○その先の社会状況を見越して家を完璧な防犯仕様にした、反応が悪いから再掲:金之助氏=モグモグ氏このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。著作権は日本国著作権法ならびに国際条約によって保護されています。 それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2015.04.14
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心脳科学(仮説)の連載は今日で169回目、誰でも簡単にすぐ作れる空気清浄機:器(例・洗面器)に水を入れ洗剤を1・2滴たらし混ぜる。それを空気の流れ・風のあるところに置き、水面にそれが当たるようにする。それがないばあいは、小型~超小型扇風機で水面に風を当てる。(効果の程度は未確認。その装置を作って使うばあいは自己責任です)つづき:水が減ったら、捨てて入れなおす。
2015.04.14
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駄詩:スペースファンタジア 世界は夢幻 果てしなき時の流れの中で 森羅万象 大宇宙という舞台 星の数ほどの文明が どこかの星の上に 生まれては消え 消えては生まれ 波打ち寄せる 砂浜に築かれた砂の城のように:過去につづく
2015.04.14
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#95:しばらくはファンタスティックでエキサイティングな設問を:さて、「質の科学・質時間回帰則(仮説)・科学的カルマ」から個人なり団体(団体は個人の集合である。団体の規模はさまざまであり、最も大きいそれは人類全体となる)なりの未来を仮説として予測することができるわけだが、それを名づけて「運命のノート」としよう:「運命のノート#4」:「いい気になることは運命のノートの未来にマイナスを書き込む(=マイナスの質時間が自分の意識器に溜まる=いい気になったことの総量に応じたマイナスの質時間が自分の意識器に溜まる。それが将来質時間回帰をもたらす。このばあい、マイナスの快がやってくるという質時間回帰である)。そうであるが、いい気になることを抑えるのは非常に難しい(ただし、落ち込んでいるときなど、いろいろ想いだしたりして時にはほどよくいい気になってやる気をだすのも有効である。落ち込んだことにより質時間のプラスを積んでいることもあるので、そのプラス分を消費しても、その前後の間だけとれば収支は一応保たれるようにみえる)(基本的に、プラスの質時間を積む在り方の実践の総量が、よくないそれの実践の総量を上回ればよい。ただし、同じ性質・質の範疇内のそれでなくてはならない。カテゴリーをはずれると代替は効かない)」(注:以上は、表現が難しいが、いってみれば、理論的に理想的な在り方《記述の在り方と個々人の幸福な在り方、というふたつの領域を併せていっている》と、それを目指す方向での記述である。「そんなことどうでもいい。私はやりたいようにやる」、といった立場も当然あるので、そういった立場は除くとする)(実は、このところの、質時間回帰にかかわる設問などには、まだ他に記すべきことがあるのだが、ややこしくなりすぎるので割愛している)」以上についての反論や感想を記すこと。さらに上記「いい」、上記にはないがその反の「よくない」、の定義について考察し記すこと。(団体についてのそういった運命のノートにおける書き込みの中身は、そこの構成員のそれらの総和となる。そして、団体のばあい、質時間回帰が働くことにおいては、ほかにいくつかの要因もかかわってくるだろう。しかしそれでも個人個人についていえば、完璧に質時間回帰が続いていく)(注:こういう予測なり、予想を含んだ設問は、筆者自分に対しても放っているわけである。質時間回帰則について記すこと自体も同じくそうである。筆者がそういった内容を自分自身の課題としてどの程度生かすかどうかについては、また別次元の問題である。解答する立場の人も同じくそうである。そこらのところははっきりと分けておかないと、やりにくい)(参考:運命のノートの未来にマイナスを書き込んだと思ったら、それを打ち消す程度のプラスを書き込めばいい、ということがいえる(=マイナスの快を受けること)。それを自分でなさなかったら、将来それをなさせる強制力が働く。そこでは、積みあがった質時間のマイナスの総量が大きければ大きいほど、将来やってくるマイナスの快の総和は、それに応じて大きくなる)さらなる設問として:上のカッコ内の「マイナスの快(そこから、プラスの快という記述も当然でてくる)」、その他その前にある、プラスの質時間・マイナスの質時間(記述形態は変形しているが、まとめてこう記す)、などについて、解説すること。それを整理して記すと、「快」のプラスとマイナス、「質時間」のプラスとマイナスについて解説すること。そういう出題をなすことができる。
2015.04.13
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新ことわざシリーズ:世界は、無数の質の対生成と無数の質のもつれでできている。そしてそれらは質時間回帰の流れの中にある。悠久の大宇宙無限大河 久遠の質時間回帰の限りなき流れ
2015.04.13
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