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緊急事態宣言下で自粛中の特別企画1~3 そしてラスト4弾。ラストも島にしました。
本当なら緊急事態宣言解除前にアップする予定でしたが、簡単予定がちょっと懲りすぎて遅れてしまいました。
カプリ島 青の洞窟(Grotta Azzurra)
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マダガスカル島(Madagascar Island) 1 曲鼻亜目
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マダガスカル島(Madagascar Island) 2 カメレオン(Chameleon)の島
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エーゲ海のキクラデス諸島南部に位置するギリシャ領のサントリーニ島(Santorini)から
です。
こちらも以前一度紹介していますが、視点を変えての編纂になります。
地中海に浮かぶ島はアテネから飛行機で約1時間。あるいはクルーズ船での寄港でしか行けないので、なかなかアクセスの悪い島でもあります。
風光明媚なサントリーニ島はセレブのリゾート地としても有名
でしたが、自分のクルーザーで立ち寄るセレブはともかく、かつて一般の観光客は地中海のクルーズ船で日帰りに立ち寄るのがほとんど。
※ 近年は港や道路が整備され、船が着岸しやすくなったと同時に港への大型バスも入るように整備され大量のツアー客を誘致するようになったようです。
いずれにせよ、今回のコロナ騒動ではダイヤモンドプリンセスの感染拡大で船の危険性がクローズアップ。近年のクルーズブームに影を成したでき事となっただけに今後はクルーズ企画も減りそうな気がします。何よりワクチンが出来なければ世界旅行自体が危険故に難しいでしょう。日本でなら治るはずの病気が国の医療体制によっては死亡もあり得る訳ですから・・。
そう言えば、前々回ジャパン・パラドクス(Japan Paradox)について紹介していますが、世界の中で見ても日本のコロナ感染者と死亡者はすごく少ない。これも新たなジャパン・パラドクスです。
感染者が少ないか? はともかくとして、死亡者が少ない理由は何より日本の医療の素晴らしさ故にです。 それはまた 未知の病原体を相手に前線で身を挺して戦ってくれた医療従事者の方々の勇気と責任感
故です。
今ある平和は彼らのおかげだと言っても過言ではない。本当に私たちは感謝しなければならないのです。
今回の戦いにおいて、戦士であった医療従事者の方々。
あなた方は日本の英雄です。ありがとうございました。m(_ _)m
サントリーニ島(Santorini)カルデラの島&アトランティス伝説
キクラデス諸島
海に沈んだアトランティス(Atlantis)
なぜキクラデス諸島は沈下したのか?
伝説のアトランスティス大陸とは?
サントリーニ島(Santorini)
聖女イレーネ(Sant'Irene)
メトロポリタン正教会大聖堂(Orthodox Metropolitan Cathedral)
今回写真は2005年と2009年、クルーズ船でオールドポートからの上陸です。サントリーニ島は外輪山で形成されている。上ので写真で見える島は外輪山の中央にある火口を持つ島。下の写真、奥の島も外輪山です。
つまり ここは海の中にあるカルデラ島なのである
。詳しくは後から説明します。
キクラデス諸島(Kyklades)
サントリーニ島はキクラデス諸島の最南(ギリシャ本土からは東南へ約200km)にある島
。
エーゲ先史では、2万年前に旧石器時代が始まっている。
近年、ギリシャ各地からの遺跡が発掘されBC5500年~BC3500年新石器時代の遺構も発見されている。BC3000年~BC2200年ギリシャ本土ではヘラディック文明が花開く。
※ ペロポネソス半島のレルナ遺跡(Lerna)では初期ヘラディック文明の遺跡が出土。
クレタ島では初期ミノア文明。
キクラデスの島々では初期キクラデス文明が花開く。それはミノア文明にほぼ平行している。
因みにエジプトは古王国時代である。
BC2000年~BC1800年クレタ島は海上貿易で地中海の周辺国と交易して繁栄
。ミノア文明中期にさしかかりさまざまな用途の青銅器が普及。またクノッソス宮殿が建てられ栄えていた。
クレタ島のすぐ北のサントリーニ島にも遺跡が出土。キクラデス諸島も同じように繁栄していた。
しかし、 サントリーニ島は火山島。紀元前1628年頃爆発した
のである。
下の地図はギリシャ(Greece)の半島やエーゲ海の島々の位置確認に載せました
ピンクで囲った所がキクラデス諸島。
(最南に サントリーニ島)
。
キクラデス諸島の下に少し離れて クレタ島(Crete)
が位置します。
赤が ペロポネソス半島
で、星がBC5500年~BC3500年新石器時代の遺構の発見された レルナ遺跡(Lerna)
つまり、ここエーゲ海域一帯が紀元前6000年前に遡る古来進んだ文明のあった場所だと言う事です。
キクラデス諸島 主要な所だけ名前を入れました
サントリーニ島とミロス島が火山島です。
Kyklades は英語でCyclades。神聖な島デロス島を囲むCycleを成す島々と言う意味らしい。
※ デロス島はオリンポスの神々の生誕地であり古来ギリシャの聖地の島らしい。
海に沈んだアトランティス(Atlantis)
ところで、この地図で気づく事がある。
キクラデス諸島はかつてはギリシャから伸びる半島の一部を成していた形
なのである。
つまり、キクラデス諸島に点在する島々はかつての陸地の高台にあたる部分が海に突出して島となっている。
と、言う事は、相当な昔、ここには大きな陸があったと考えられる。
実際、今ある島々は海底に沈んだ残骸ようなのである。
クレタ島やサントリーニ島に幻の島アトランティス大陸伝説があるが、それぞれでなく、実はこの エーゲ海上のキクラデス諸島一帯が陸であった時、アトランティスであったのではないか? と考察できる のだ。
で、 なぜキクラデス諸島は沈下したのか?
考えてみた。
想定通りの事実が判明。
以前「クムラン洞窟と死海文書 & マサダ要塞(要塞)」「地の裂け目、地溝帯」のところでプレート・テクトニクス(plate tectonics)による大陸の割れ目の話しを紹介しているが、今回も まさにプレート・テクトニクスにより起きた天変地異だった
可能性がある。
リンク クムラン洞窟と死海文書 & マサダ要塞(要塞)
ペロポネソス半島から、トルコのバルカン半島を一部含み、南はクレタ島までを含む一帯がエーゲ海プレート(Aegeam Sea Plate)であり、ユーラシアプレート、アフリカプレートが交作する三角地帯なのである
キクラデス諸島をピンクで円しました。
アフリカプレートがエーゲ海プレートの下に沈み込み
北端にはコリンティアコス湾があり、ユーラシアプレートとの境界となっている。
当然ここでは度重なる地震が頻発。マントルに影響するので火山活動も頻発に。
コリンティアコス湾(ペロポネソス半島の上)はエーゲ海プレートとユーラシアプレートの境界でいわゆる地溝帯、リフトバレー(rift valley)なのである。どんどん離れて行っている事実も解った。
キクラデス諸島の沈下の 要因はクレタ島からキクラデス諸島の下まですべり込んでいたアフリカプレートが反発して戻ったから? と考えられる。
伝説のアトランスティス大陸とは?
※ 伝説のアトランティス(Atlantis)については、以前「サントリーニ島 2 (幻のアトランティス)」でも触れています。リンク サントリーニ島 2 (幻のアトランティス)
そもそも理想郷とされたアトランスティスの存在は古代ギリシア、アテナイ出身の哲学者プラトーン (Plato-on)(BC427年頃~347年頃)がその著述の中で記したお話
です。
実際、それは伝承であるので、現実を語った話しなのかも定かで無い。もしかしたらブラトーンは世俗に対する批判を寓話として理想郷を語っただけなのかもしれない。
プラトーンの著「テイマイオス(Timaeus)」は中世も知識人にも読まれたが、実際、新世界(大陸)が発見される時代にアトランティス伝説はあくまで伝説。しかし、 イギリスの哲学者ランシス・ベーコン(
Francis Bacon)(1561年~1626年)は太平洋上に存在する架空の理想国家を描いたユートピア小説「ニュー・アトランティス」において再び古代のアトランティスを紹介
。フランシス・ベーコンのSFチックな理想郷はともかく、一般大衆の幻のアトランティスへの興味はこれにより高まって行く。
そして1870年 フランスの作家ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne)1828年~1905年)がSF小説「海底二万里」で海中に没したアトランティスを描くと謎の大陸伝説は世界の不思議となるのである
。
「海底二万里」は映画にもなったが、私も小学生の頃に読みアトランティスはどこか? は今に続く興味の対象となった。
サントリーニ島(Santorini)
見えるのはサントリーニ火山島の外輪山一画。左がティラシア島である。島の港はカルデラ内部に位置するのでここからカルデラ湾内部に入る。
サントリーニ島は群島で構成されている。
本島が、現 、 ティーラ島(Thira)
ティラシア島(Therasia)
ネア・カメニ島(Nea Kameni)
パレア・カメニ島(Palaia Kameni)
アスプロニシ島(Aspronisi)
クルーズ船は早朝に島に到着。だからまだ周囲は暗く、写真を明るくしてもこれが限界です。
サントリーニ島(Santorini)の名は
カトリックの聖女サンタ・イレーネ(Santa Irene)に由来している。
それ故? ギリシャ政府は19世紀になって古代ローマ以前の呼名「ティーラ(Thira)」に戻したのである
。だから 正式名称
はティーラ島(Thira)
なのである。
でもやはりサントリーニの方が浸透してしまっているようです。
聖女イレーネ(Sant'Irene)(Santa Irene)
聖パウロ (san Paolo),の弟子Timoteoによって洗礼を受けイレーネ(Irene)の名をもらう。彼女の殉教については詳しくは解らないが、 カトリック教会のみならず正教会やコプト教会でも一時、崇敬されていた聖女らしい
。しかし、今も島の守護聖人になっているかは不明。
が、聖セバスティアヌス(Sebastianus)はローマ軍の指揮官で皇帝ディオクレティアヌス(Diocletianus)(在位:284年~305年)とマクシミヌス(Maximinus)(在位:308年~313年)の時代に生きた人。
黄金伝説によれば実際彼は矢では死なず、後に棍棒で打たれて殉教したとされている。 聖イレーネの名は出て来ないし時代も合わない気がする。聖人伝説は地域でも一貫していないのである。
サントリーニ島(Santorini)地図
右の大きいのが本島ティーラ島(Thira)であるがかつては左のティラシア島(Therasia)とは繋がっていたと言うので島が沈下したのかもしれない。
OP
・・旧港 Old Port(skala)
・・・大型客船など着岸できない船がテンダー・ボートで送迎
NP
・・新港 New Port(Athinios)
・・着岸できるフェリーなどの発着場。
Old Portの崖の上がサントリーニの中心の街ティーラ(Thira)orフィラ(Fira)上 の写真が旧港、Old Port(skala)と ティーラ(Thira)
客船の乗客を上陸させる為の送迎用テンダーボート(Tender boat)
外輪山の島はおそらく海中がすりばち式で大型船などは接岸できないのだろう。
度重なる噴火による素材の異なる堆積物の層。
白いのは軽石。ローマン・コンクリートの素材に使われたが、現在もサントリン土(santorin earth)と呼ばれ島にはセメント工業がある。
テレ・フェリック(Teleferik)
オールドポートに道路はないので崖の上にあるティーラ(Thira)orフィラ(Fira)の街まで、テレ・フェリック(Teleferik)に乗車。
テレ・フェリックはロープウェイである。
テレ・フェリックに乗らない場合は、徒歩、もしくはロバタクシーである。下りは良いが、行きの徒歩はキツイ。何しろ300m前後の断崖絶壁の島なのである。上まで587段の階段が待っている。
因みにニュー・ポートからは市バスやタクシーもある。
絶景である。サントリーニの湾には島に上陸するための観光船が続々やってきて停泊中。クルーズ船の場合は、朝入港して観光し、夕刻には船に戻り夜に出向するから長く停泊する船はいない。
それにしても、そこは火山の火口の内なのである。しかも現在も活動中らしい。
※ サントリーニ島の噴火は1950年1月以降記録されていない。 南北12km、東西7kmのカルデラを形成。外輪山に相当する周囲の島の高さ200mから300mで崖状に切り立っている。
火山の火口のあるネア・カメニ島(Nea Kameni)や、温泉が湧き出るパレア・カメニ島(Palaia Kameni)へは地元の旅行社によるツアーがある。
サントリーニ島が今のようなカルデラを形成するに至ったのは海底火山の爆発噴火
だったようだ。地中のマグマが噴き出してできた空洞状の陸地が陥没してカルデラを形成。
この爆発的噴火は、エーゲ海一帯に灰燼をまき散らし災いをもたらした
と言う。
BC1628年頃、ミノア文明期に起きたのでミノア噴火と呼ばれている。
エーゲ海プレートの影響もあり古来から噴火のみならず、地震による被害もしばしば。時に島を放棄しなければならない事もあったようだ。
近年では1950年1月10日に噴火があり、今ある街は 1956年の
大きな震災後に
再建されたものらしい。
先に写真で紹介しているが、岩肌は崩れやすそう。絶壁街区への居住が禁止されたらしいが、いずれにせよ活火山なのであれば危険は変わり無い。
街の向こうに見える山合はブドウ畑です。
その右手側奥の方面にアクロティリ遺跡があります。
アクロティリ遺跡はBC1628年頃に起きたサントリーニ島の火山爆発(ミノア噴火)により放棄され火山灰に埋もれた街ですが、そこからワインの絞りかすが発見されたそうです。つまりミノア期にはワインが作られていたと言うことに・・。
サントリーニは、ヨーロッパでも最も古いワイン産地と言われる所以です。
サントリーニ島はクレタ島に近くミノア文明(BC2000年頃)の影響を多大に受けていたと考えられ、高度な文明の痕跡もうかがえるそうです。またミノア文明では交易が盛んで港湾都市の繁栄がさらに街の発展に寄与していると思われます。おそらくサントリーニ島もクレタ島の交易の港湾都市の一つであり、主な輸出はサントリーニのワインと石灰。そして鉄や硫黄では無かったのか? と思います。
メトロポリタン正教会大聖堂(Orthodox Metropolitan Cathedral)1827年に献堂。
1956年にの地震では壊滅的な破壊を受け再建されたギリシャ正教の教会堂です。
堂は新しいのでシンプルですが、モザイク画やフレスコ画の絢爛さなどカトリックには無い豪華さを感じます。
聖域である至聖所(しせいじょ)との障壁に描かれたイコノスタシス(iconostasis)
下はドーム裏のキリストの図キリストの周囲を囲む天使の階位に興味があったが、セラフィムしか解らなかった。
夜のOld Port(skala)とティーラ(Thira)の街
次回、アジアと欧州を結ぶ交易路 に戻る予定です。
皆様、長い自粛ご苦労様でした。それぞれ家にこもっていたわけですが、肉体的、精神的、同じ苦労をしていたわけで、何となく皆が同士になっていた気がします。
コロナにより亡くなった方々にはお悔やみ申し上げますが、それでも世界よりも最少の人的被害に押さえた事に日本人の絆があった気がします。
まだワクチンが開発されない今、再び緊急事態宣言が発令される場合もあるかもしれません。気を抜かないよう日々を過ごして行きましょう。 p( ^ ^ )g
メドゥーサの目玉とメドゥーサ信仰 2 … 2009年05月26日
メドゥーサの目玉とメドゥーサ信仰 1 2009年05月26日