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7月21日富士山頂にある通称富士山銀座の小屋の一つ山口屋本店(近くに支店もある)に宿泊した。この小屋には過去少なくとも7回位はお世話になっているが、今回は4年ぶりになる。スタッフがキビキビと対応してくれ、すぐ寝床に案内された。チェックインが早かったせいかもしれないが部屋は空いていた。大広間に二段ベッドが設置されているのだが、二段目は全く使用されてなかったし、一段目もかなり余裕があった。グループの隣接部は一人分づつ空けてくれているので私の両サイドも人がいなくて気楽だった。寝床は敷布団の上に個別のシュラフがあり、さらにその上に掛布団が掛けられていた。2段の棚があるのでザックや小物など片付けにも便利だった。ちなみに消灯は夜7時、チェックアウト朝6時。7時から床に就いたもののすることもなく眠ることもできず超退屈だったが、登山者のマナーは完璧で静か、布団も温かくて快適だった。 寝床夕食は持参していたので入口の大広間で食べた。小屋の夕食はカレーライスだった。天井にメニューが貼ってあるがカレーライス1200円、月見うどん1000円などかなりの高額だ。でも水もなくヘリも飛ばない富士山頂で食べ物を頂くのだから止むを得ない値段だろう。 小屋のメニュー 朝食に食べた月見うどん 温かくて美味しかった小屋の外には驚いたことに自販機がある。日本一高い場所にある自販機でペットボトルの水1本500円、おそらく値段も日本一高いだろう。でも富士山ではどこに行っても水はないので必需品。自販機でいつでも買えるのはかえって有難い。 富士山頂の自販機トイレの状況も目覚ましく改良されている。初めて富士山に登頂した45年ほど前のトイレは悪臭と不潔さ・不衛生で酷かったものだが、今ではどこもバイオトイレが設置されていてペーパー完備、無臭かつ清潔である。外部からの使用者にはチップ200円から300円を求められるが当然だろう。 大量の生活用品や登山者用の食べ物等はブルドーザーで下から運搬・搬入されている。富士山は独立峰でヘリでの物資搬入ができず、代わりに大活躍なのがブルドーザーである。昔昔、うら若き20歳代の頃、登山道を登る私を見て、ブルの運転手さんにプロポーズされたことがある。曰く「一人で黙々と地道に登っていてとても着実だ。結婚しないか。ブルの運転手だから収入もあるし、山も好きだ」。突然の話でさすがにイエスとも言えず、感謝して下山したのだった。 大活躍のブルドーザー頂上山口屋さんでもご来光登山の人が詰めかけ、朝は大賑わいだった。
2017年07月24日
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山頂に着くとすぐ左側に富士山頂上奥宮久須志神社という神社がある。これは富士宮口にある富士山山頂浅間大社奥宮の末社ということを初めて知った。 富士山頂上奥宮久須志神社(吉田口) 丁度ガスって暗い 内部これまで何気なく見ていたが、噂に聞くと高齢者記帳所にある「高齢者登拝者名簿」に記帳(資格は70歳以上)すると記念品が頂けるらしい。それで早速奥宮に行ってみた。白い着物に黒い羽織を着た若い神職の男性がいたのでその旨を告げると記帳する綴りを出された。数え年は?と聞かれ、昭和22年生まれと答えると即71歳ですねと返ってくる。生年月日、住所、氏名、電話番号などを記帳して、70歳以上という事実を確認。「健脚ですね」と言われて、お神酒をふるまわれ、さらに記念の末廣を頂いた。恭しく頂き、代金を払おうとすると無料だとのこと。ますます恐縮してしまった。この記帳は1960年から行われているもので奥宮と浅間大社末社の久須志神社で取り扱っており、累計では2010年時点で1243人に上るようだ。ちなみに、過去最高齢の登頂は101歳、五十嵐貞一翁さん(1998年)だとか。後に番付表というものが送られてくるらしい。貴重で有難い体験をした。 頂いたお神酒の 容器と國鎮末廣(字体が独特)
2017年07月22日
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5月31日金曜日。長かった5月も最後の日になった。今日は昨日より5度も気温が低く、千葉は21度だった。長袖ブラウスの上に上着を着て出勤した。この2,3日、午後になると頭がボーとして目がしっかり開かない感じでイマイチ不調だった。今日、何気なく血圧を測ってみたら何と上が150台、下も80台になっているではないか。不調の原因を考えてみるに食生活も気をつけてるし運動もしているし、夜も眠れている。さすればこのところの夫に関するストレスだろう。明日・明後日と休日なので静養するとともにクリニックに行って薬ももらってこよう。こんな不調の時には二匹の猫たちが最高の癒しである。3歳の若い猫であるがとても可愛くて可愛くて仕方がない。人間に話しかけると同じようにいろいろ話しているが、もちろんほとんど返事は返ってこない。この子たちは音楽がわかるかどうかはわからないけど、FM放送でクラシック音楽を流していると思い思いの姿で静かにじっと動かず聴いている(?)ので一段と可愛さが増す。頭や体をなでなでしてモフモフの毛並みの感触を楽しみ、無心に猫と戯れている時が一番の癒しタイムになっている。 ミチカツ(ミッチ) ヨリイチ(ヨーリー)
2024年05月31日
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5月29日から30日にかけて二日間、小川山にマルチクライミングにでかけた。ガイドはこれも数年ぶりにお願いするYガイド。集合地の小淵沢駅から車で小川山廻り目平まで入り、まず、テントを設営して今夜の宿を確保して出発。初日の今日はYガイドが新しく開拓したトリプルダイレクトという未公開のルートに行った。まだ公開されてないので詳細は書けないが既存の2ルートに新しく付け加えてできたワイルドなルートだった。ルート名もヨセミテのルート名からとってきたとのことだ。一か所、リーチがないと難しいと通告されていた部分があり、実際にそこに行ってみるとほんとに難しくてどうにもこうにも手が届かず、正に手も足もでない状態で時間がかかってしまった。でもそれ以外は頑張れば何とかなったのでよかった。超久しぶりのマルチで不慣れではあったがすごく解放されて精神的にリフレッシュできた。 トリプルダイレクトの開拓者 Yガイドのかっこいいリード 屋根岩2峰 頑張って昇る私 アケボノツツジと新緑が美しい 終了点で寛ぐ
2021年05月29日
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3月26日、陽射しは春の明るさだけど芯が冷たい一日でした。隠していた訳ではないのですが、日にちも迫ってきたのでここでお知らせです。3月31日からおよそ60日の予定でエベレスト登頂に向けて、成田からキャセイ航空で飛び立ちます。ここに至るまでには紆余曲折あって一言では言えないのですが、09年に登頂したチョー・オユー(8201m)の山頂から目の前500mに迫っているエベレストを見て以来、いつかはあの山頂に立ちたいと思うようになりました。昨年春に公募登山に参加したかったのですが、膝が悪くて諦め、半月板の手術をしました。術後1年目のこの春、一度は不可能な状況だったのですが予想しない展開があり、今回晴れて参加できる運びになりました。ガイドは前回の近藤健司さんではなく、倉岡裕之さんです。エベレストガイド5回、経験豊富で人間性豊か、頼りになるセブンサミッツガイドです。ネパール側から入山し、トレッキングしながら高度馴化におよそ1ヶ月かけて体をつくり、BCに入ってからもC1からC2,C3と馴化を繰り返し、最後にアタックです。ヒマラヤにいる一日一日を安全に健康に過ごせるよう節度ある生活をし、ベストを尽くせばそれでよいと考えています。アタック日が天気に左右されるため、帰国は早くて5月末から6月初めです。それまでこのブログはお休みします。2週間程度なら何か書いてでかけますが、2ヶ月分の穴埋めはちょっと無理だし、現地から送るような腕も技もないので残念ですが悪しからず。 エベレストルート図 BC→C1→C2→C3→C4 エベレストルート図 C4→バルコニー南峰→山頂毎日毎日装備を整えるために時間を取られ、やっとほぼ完了と言うところまできて、ほっとしている今日この頃です。
2012年03月26日
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4月14日日曜日。やっと自分の時間を取り戻した。中央線沿線滝子山を寂ショウ尾根から登り初狩駅に下山した。天気はものすごくよくて初夏の陽気だったがこのルートの厳しさでなかなかしんどい山行ではあったが、無事踏破できてとても安堵した。笹子駅から歩き始め、いつもの店で笹子餅を買い、吉久保を経て寂ショウ尾根分岐まで登る。笹子の街は桜が咲き乱れ、とても美しかった。分岐からは寂ショウ庵に咲くコブシを見ながら、ただひたすらの登りだ。とても苦しいが自分の意志で来てる訳だから頑張るしかない。ゆっくり休まず疲れすぎずと心掛けてじっくり登った。途中に東国三つ葉ツツジがピンク色に咲いていて山肌に彩りを作っていた。 山麓からみる滝子山 東国三つ葉ツツジ標高が上がるとツツジもなくなり、ひたすら登り続け、赤い看板を目指した。赤い看板までは急坂の直登でそれ以後は岩稜地帯になる。赤い看板をやっと通過し、岩稜をこなして遂に寂ショウ尾根を登りきった。ここで大いに安心したがそれは大間違いだった。尾根に出てから山頂までピークが何個も出ていてとても長かった。スタミナ切れしそうになったが、とにかくあと少しだと言い行かせて頑張り、遂に山頂へ到着。 岩稜地帯 寂ショウ尾根終了点 滝子山頂この山も富士山の眺望がすばらしいのだが天気が良過ぎて空がかすみ、富士山は見えるものの空が青くなかったのでうすぼんやりしていたのが残念ではあった。登山者は少なく、静かだった。山頂で一休みして、初狩駅方面に下山開始。この下りも中々長い。檜平までは急激な坂で今日は男坂を選んで下り、檜平からはそこそこの下り、尾根を下りきると分岐になって樹林帯に入って標高が下がるがとにかく長い。 檜平 青空に雑木林が広がる 一人シズカ最後に出てきた初狩の里山の風景が花に満ちてとにかく美しかった。いつもここを通ると日本の里山の豊かさを実感させられる。老化激しい私にとってはなかなかしんどい一日だったが無事下山できて普段からのトレーニングの成果と手ごたえを感じた。参考タイム 最寄り駅5:47⇒笹子8:40⇒寂ショウ尾根分岐9:20 9:35⇒鉄塔下9:55⇒ 尾根途中11:00 11:10⇒赤看板11:25⇒滝後山山頂12:55 13:30⇒ 檜平14:05 14:10⇒尾根分岐14:35 14:45⇒初狩駅16:20 16:54(電車)
2024年04月14日
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5月30日木曜日。今日はまだ良い天気でお日様が降り注いでいる。朝起きるとすぐ、昨日取ってきておいたアジサイを押し花に押した。ピンク、ブルー、シロの三食を準備して押したが花びら1枚1枚をはがして押すのでかなり時間がかかり、集中力を要した。おかげで朝から疲れた。 あじさいの押し花午後からは葛西のロックランズに出かけた。今日の田中さんの講習会は中国の10歳の少女、カナダの12歳の少年、パラクライマーのビーチくんと雅子さんに高齢者の私と多彩かつ国際色豊かなメンバーだった。10歳から77歳までの年齢差、日・中・カナダと三か国が混在し、障害のあるなしに関わらず同じ壁で昇る。スポーツの素晴らしさを感じるとともにとても勉強になった。人数が多かったせいか私もビーチ君のビレーを何度もし、雅子さんのビレーもさせてもらった。国際大会で活躍するお二人のビレーをさせてもらえるなんて光栄だし、稀にみる機会でとても良い経験になった。 雅子さんのクライミング私はいつものパターンでアップに2本昇ったあと、5.10aを2本、5.10bを3本ほど昇った。白の5.10bより青のそれのほうが昇りやすかった。最後の遠いホールドを取りにいくタイミングと呼吸法を何度もトライした。最後にうまくできたので気持ちよく終了した。 カナダの少年が撮ってくれた私の写真今日も頑張る皆さんの中に混ぜてもらって刺激と元気をもらえたロックランズだった。
2024年05月30日
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6月1日土曜日。今日から6月に入った。朝のうちは濃霧ではっきりしなかったが昼前から日が照り始めて午後は青空に白い雲と夏を思わせる天気になった。 緑は濃さを増し、夏空が広がる朝イチで美容院に行って髪を染め、カットもしてもらった。気分よくなったついでにクリニックに行って血圧の薬をもらった。午後は予定がなかったので菖蒲の花を観に実籾本郷公園に行ってみた。緑が濃くなり、もう夏の雰囲気だった。菖蒲田は広くはないが丁度見ごろでとても華麗に咲いていた。見物客もそこそこ多かった。紫やピンク、白を基調にした涼し気な菖蒲が一面に広がって最高に気持ちよかった。菖蒲田の周りの小径をゆるゆる歩いてのんびり花を観た。 花を観た後は鴇田家住宅を見て回り、あずまやの中で昼寝した。 鴇田家住宅外観 曲がりや様式 内部最近、心労とストレスが多く心が解放されない。心と体は一体と言うが、体まで影響が出て血圧が高くなり、いつもの柔軟性を失っている気がする。この緑の風がふく公園の中で何も考えずにしばし日常を忘れたかった。1時間ほど昼寝して、気持ちを切り替えて帰宅した。
2024年06月01日
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川村美術館のパンフレットには~野鳥や昆虫も多く棲息しています~と書かれていた。でもこれまで植物ばかり見て虫など無視していたが、今回は無視できないことが起こった。花の写真を撮ろうとするとトンボが寄って来るのである。人がいても逃げないし、そこにもここにもとんぼがいる。とんぼだらけである。ノシメトンボと言うらしい。 更には私の右人さし指に止まり、離れない。それも2回も。きっと私の指が丸々しておいしいと思ったか、丸い木の枝と判断したのだろう。止むを得ず左手だけで写真を撮った。私にしては上出来である。 森の中を歩いていると黒い虫たちが4匹きれいな形に集まって何か(みみずかな)を食べていた。もっと真っ黒に密集して食べていた虫たちも三箇所ほど見た。こんな豊かな森の中で食べるものはきっとおいしんだろうな。美術館のまた別の面を見た気がした。
2009年06月30日
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1月2日夜、NHKスペシャル エヴェレスト~世界の最高峰を撮る~を見た。 この番組は、エベレストの魅力を余すところなく伝えるNHK取材班の世界初の挑戦の記録である。第一の関心はエベレストに登頂するだけでも至難の業なのに一体どんな人達がこの取材班を構成しているのだろうということだった。しかしカメラマンの経歴を知って納得。皆さん一流の登山家で高所登山のプロ、エベレストも登頂済みだった。 登頂のルート図やテント場の様子、高所でのウエア類、酸素マスク、食事など実際のテント生活の具体的なことがありのまま描かれていてとても身近に感じた。クレバスに架けた梯子をアイゼンを履いて渡っていくアイスフォール、とてもしんどいと噂に聞くローツェフェースの氷壁、危険なヒラリーステップなど知識で知っている場面が出て来て目を皿にして見た。 アイスフォール/クレバスのハシゴを渡る 標高8750メートル 頂上への最後の難関 山麓からエベレストを望む 朝焼けのマカルー(左)とローツェ(右)驚いたのは8848mの山頂で酸素マスクをはずしていたり、素肌の顔を見せていたりしていたこと、山頂に1時間半も滞在して撮影をしたことなど、気象状況にも恵まれていたのだろうが屈強な人達だった。誰も凍傷にもならず高山病にもならなかった。それに高画質ハイビジョンカメラが零下30度以下の酷寒の場所で正常に機能するのかどうかもとても関心があったが、さすがその道の専門家だけあって工夫してあり、その辺りは何の問題も無さそうだった。 山頂で撮影する山村カメラマン 同 高橋カメラマンこの取材班と同じ時期に近藤健司隊長率いるアドベンチャー・ガイズ隊、今は亡き尾崎 隆さんも同じ場所に居た。エベレストでは死と生は隣同士で日常的にあると聞いたが、この取材班はシェルパも含め全員無事に生還し、偉業を成し遂げて素晴らしい。 登山の拠点になるベースキャンプから山頂まで、およそ1か月の長丁場。地元の山岳民族シェルパと共に頂を目指す。標高8,000m以上は、酸素が平地の3分の1、人間が生存できる限界を超えるため「デス・ゾーン:死の地帯」と呼ばれる。過酷な環境下で撮影された荘厳な映像、そして地球最高所から望む大展望。高画質ハイビジョン映像を通して、視聴者も共に世界最高峰の頂に立ったかのような追体験が体感できる。圧巻だった。
2012年01月03日
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7月23日2週間ぶりの押し花教室の日。今日はトルコ桔梗を押し花にする方法を学んだ。一言でいうと押すというよりアイロンワークだ。トルコ桔梗の花びらは薄くてとてもデリケート。八重咲きのものが多いので花を一度に押してしまうことができず、分解してアイロン処理をする。 ① 白地に紫色の縁取りのトルコ桔梗 1本550円 高価だ ②茎にカッターナイフを入れて半分に割き、愕の不要な部分を取り除く ③茎の付け根が厚いのでサンドペーパーの上で押して傷つけ乾燥しやすくする ④花びらを分解し、茎付き3枚程度とする 乾燥マットの上に花を乗せティッシュペーパーをかぶせてアイロン処理 中温ウールで30秒→中温シルクで10秒→一度アイロンを離して →シルクで10秒→アイロンを離して→シルクで10秒 乾燥状態を見ながらシルクで10秒を繰り返し、90%程度まで乾燥させる ここが核心部でじっくり待てず焦って温度が高いままやると失敗につながる!! 完成 白、紫、緑各色がきれいに残っているアイロン処理した花を1日だけ通常のマットで乾燥させて最後の仕上げにする。次に蕾と花びら一枚一枚をアイロン処理した。トルコ桔梗は手間のかかる花の代表のようだ。今日はやり方を学んだので自宅で残りの花を乾燥させなければならない。どれくらい時間がかかるか!?梅雨が明ける前にやっておかねば。
2019年07月23日
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5月26日日曜日。前夜から岩根山荘に泊まっていて一人部屋だったのですごくゆったりできた。朝はいつも山荘周りを散歩することにしている。今日も別荘地の中をのんびり歩いた。一面の新緑で肺の中まで緑に染まりそうな新鮮な空気に満ちている。いくつか花を見つけた。 ベニバナイチヤクソウ スズラン ツツジ レタス畑が広がる廻り目平では5月25日26日の両日、クライムオンというイベントを開催していた。友人がブースを出しているというので立ち寄ってみた。画家でクライミングインストラクターの成瀬洋平さんとお店を開店した北平さんのブースを訪ねた。成瀬さんとは久しぶりに会えて楽しかったし、北平さんも頑張っていた。 成瀬さんのブース 北平さんのブース 様々な展示他にも登山関係のメーカーはじめ沢山のブースが出ていて大賑わいしていた。
2024年05月27日
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8月13日ものすごく久しぶりに自分一人でハイキングに行ってきた。山は山梨県の大菩薩嶺(2056m)。暑い夏なのでできれば標高は高く、ウイズ コロナ対応も考慮するなら日帰り可能な山ということになる。この基準を満たす山となると大菩薩嶺だろう。一応2000mを超えているし、早発すれば日帰りもできる。朝3時半起床4時半出発で自宅から甲斐大和駅まで電車に揺られ、満員バスに乗って上日川峠まで上がる。登山客が大勢だったのには驚いた。若い皆さんと夏休み中で家族連れもいた。峠から25分ほどなだらかな道を登ると唐松尾根と大菩薩峠の分岐にある福ちゃん荘に着く。迷わず唐松尾根にルートを取り、急坂を登ること50分で雷岩に到着。ここまで来ると空気がひんやりしてとても涼しく気持ちよい。さらに大菩薩嶺まで足を延ばし、眺望のない山頂を確認してすぐ引き換えす。 大菩薩嶺山頂 眺望は全くない 大菩薩峠雷岩からは広々とした草原帯を楽しみながら大菩薩峠へ下った。鞍部に建つ介山荘でアイスコーヒーを飲んだら再び出発。今日は日帰りなので熊沢山まで登って石丸峠まで下り、そこから上日川峠に戻るルートを取った。穏やかな道が緑の中に続いていてとても爽やかだった。大菩薩湖がどんどん近くなり、大きく見えた。 石丸峠付近の穏やかで優しい風景途中、予想外に渡渉があって驚いたりしつつ、順調に下って13時35分、再び上日川峠に到着。14時のバスで下山した。久しぶりの歩き登山で足首が不安だったが、特に問題なく終わった。やはり大自然の中で過ごすのが嬉しい。参考タイム 最寄り駅 4:58→甲斐大和 8:02 8:10(バス)→上日川峠9:15 9:30 →福ちゃん荘9:55 10:00 →雷岩10:50 大菩薩嶺山頂11:00 11:05 →介山荘11:45 12:00→石丸峠12:25→上日川峠13:35
2020年08月13日
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5月21日今日は素晴らしく快適な一日だった。日差しは強く照り付けたが風があって湿度が低いので、からりとして爽快だった。帰宅後、森林公園方面にウォーキングに出かけた。ブラシの木が濃く赤い花を驚くほど無数に咲かせていた。思わず「すごい!!」と声が出た。ホントに凄い。花そのものはブラシ状で可憐とはいいがたいが何しろ色彩的なインパクト強い。そのあたりの視線をすべて集めている。 ブラシそのものです公園内に入ると湿地には菖蒲が紫色の涼やかな色で咲き始めていて、季節感たっぷりだった。池には緑色の藻が繁殖し、柳の緑色がしなだれて湖面に映り、一面緑色の世界になっていた。とても静かで落ち着いた風景が広がっていて自分の心も静かになった。家族連れやカメラマンなどの姿が全くなく、人が少なかったのも落ち着いた雰囲気の風景に役立っていた。ゆったり一周して帰宅した。平和で穏やかな月曜日が始まって嬉しい。 菖蒲の花も咲き始めて 涼やかな湖面にカモが泳ぐ
2018年05月21日
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今日は訳も無く朝からブルーになってしまった。ウォーキングもジョギングもヨガもせずじっと家に潜んで耐えていた。しかしこのままではますますブルーエンジェルになると思い、好きなシャガールでも観て気分転換しようと決心して佐倉の川村記念美術館に出かけた。 川村記念美術館エントランス フランク ステラ「リュネヴィル」 エントランス右手あった!!第一展示室にシャガールの大作「ダビデ王の夢」と「赤い太陽」を見つけた。「ダビデ王の夢」の題材はダビデ王とキリストの誕生にまつわるものらしい。私はそれにも関心はあるが、それよりこの絵全体の色彩と雰囲気が好きなのである。 マルク・シャガール ダビデ王の夢 1966年 油彩 カンヴァス207.0×275.0cmシャガールお決まりのバイオリン、チェロ、たて笛、ロバ、魚、恋人たち、殆どは衣服をまとわない人間およそ50人くらいが描かれている。右側に冠を頂いたダビデ王、中央に幼子キリストを抱いたマリアが見える。描かれているものが確かに存在しているというより何となく空間に浮かんで漂っている。赤、黄、紫と灰色の色調が主で、遠くから見るとマリアや人のいる中央部分が円形になっていて周辺の紫や赤の色濃い部分と色相が違うような気がする。その部分が夢の部分なのだろうか?この作品の前にたたずんで長い間じーと観ていた。特別な感情は浮かんでこないのだが、ここにいてこの絵を観ていたかった。これを見ていると体の内部が融解してくるような感覚になる。隣にある「赤い太陽」も似たような色彩と画材なのだが、こちらは物と物の間がクリアに描かれていて、この絵とは異なる意思や構成を感じる。40分ほどいて移動した。もう誰もいなかった。シャガール以外にもフジタ、レンブラント、ルノワール、ピカソなど好きな作品がけっこうあったので存分に時間をかけて観た。ブールデルとマイヨールの健康な女性の裸像も魅力的だった。触ってみたかったが人がいたので躊躇した。しかしこの美術館の特色はそのモダンアートの豊富さだろう。今回は「モーリスルイス~秘密の色層~」が特設展示されていた。でも私はモーリス ルイスの大柄な作品には魅力を感じなかったのでフランク ステラの方をゆっくり観た。 佐藤忠良 「緑」 インフォメーション右手 清水九兵衛 「朱甲面」 エントランス左手美術館の外は湖に白鳥が泳ぎ、ひろびろとした自然の中に散策路が広がっていた。散策路の小道に足を向けて一人いやいや歩くようにゆっくり歩いた。園芸種ではない自然の花がたくさんあって、いつの間にか心が少しほどけていた。
2008年10月19日
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9月8日、秋雨前線の長期停滞の上に台風まで来て、毎日雨・雨・雨・・・・。梅雨時よりも梅雨らしい気象でウォーキングも洗濯も何もできない。もう雨はいいですという気分。外で活動できないので久し振りに菊地 敏之・前之園多幸共著のこの本を出して読んでみた。最近クライミングの体つくりに関する基本を忘れてしまったような気がしていたのだ。改めで読んでみると以前読んだ時とはまた感じ方が違っている。年数がたって自分の体も心も老化しているし、クライミングに対するモティべーションも変化してきているから当然だろう。 著書とその時の講演会の菊地さん(若い!!)読んでいる内に思い出した。7年ほど前の10月頃、あるサプリの発売1周年を記念して菊地敏之さんを講師に迎え、「クライマーズ・ボディの造り方」というタイトルで講演があり、はるばるちよだプラットホームスクエアまで出かけたことがあった。ソフトなシャツをふわりと着た菊地さんは魅力的な万年青年だった。その時の話もこの本のメインも同じで特徴的なのは「筋肉より神経系を発達させよう」「粗形態の発生と定着、精形態の発生と定着 運動の自動化」という内容だ。実際の実技講習会でも彼は神経系という言葉をよく口にしている。一口で言うと易しいルートを何度も昇って正しく美しいムーブを神経系に染みこませていくということだ。私はこれには大いに共感してしまい、以後難度を上げることより繰り返し易しいルートを昇って自動化することに価値を見いだすようになった。彼の講習会はシビアさに定評がある。卓越した理論と実際の指導は両立しないようだ。一度ご指導を受けたいと思いつつ、怖くて未だに受講したことがない。彼も私もどんどん高齢化して体に故障が出てしまうので、そうならない前に実現してみたいものだ。
2015年09月08日
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5月27日月曜日。今日から三日間は雨予報が出ている。今日は降ったり止んだりの一日だった。仕事が終わってから幕張駅北口のくらげ整形外科に手のリハビリに出かけた。くらげ整形外はIT化が進んでいて受付から会計、予約まで全てIT処理である。私の担当は若い女性の理学療法士だった。まず右手のバネ指のストレッチの方法を説明された。2種類でこれまで習ったものと同じである。 その2種類を一日朝夕、5回ずつを一か月という。次に左手親指のリハビリ、これはマッサージがメインで固定する指サックのようなものを買わされた。 親指の固定同じ方法であるが、一日にどれだけすればよいかという目安が示され、道具ももらえたので大分やる気が出た。面倒臭いといえば面倒くさいが自分の指のためにはやるしかない。
2024年05月28日
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空木岳からの下山で避難小屋をルートに取ったのは稜線は人が多いというだけではない。あの達人さんを悩ませた避難小屋を実際に見たかったのである。昨日のブログにも書いたが避難小屋は明るい川原の中に建っていて、小さいながらも堅固なつくりである。到着した時は二人の男性がいた。昨夜ここに泊まって早朝に出発し、空木岳山頂を踏んで今下山したとのことである。室内は予想以上に明るく、オール木造でフックがたくさん付けられていて居心地よさそうな造りだった。 空木平避難小屋正面 同 内部尋ねてみた。「昨夜、不思議なことや不気味なことは起きませんでしたか?」二人はそれはどういう意味ですかというような怪訝そうな表情を見せた。ということは何もなかったということだろう。霊も人を選ぶのだろうか。いや、達人さんは一人で泊まったから霊も気を許して存在を顕したかったのだろう。きっとこの辺りで遭難した人の霊だろうから寂しかったに違いない。そんなことを全く予測させない明るい避難小屋だった。
2011年07月28日
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今日は朝から冷たい雨が降り、昨日までとうって変わった寒い一日だった。図書館から借りてた鈴木 晶著「ニジンスキー神の道化」をやっと読んだ。資料を綿密に検証しながら、ニジンスキーの生涯と彼に関わる人々の様子、バレー界・精神医学界を中心とした時代の様子がきっちりとした構成で書かれていた。驚くべきニジンスキーの生涯であった。おそらく世界一有名な伝説のバレエ・ダンサー、類まれな跳躍力を持つロシアバレーの寵児、その生き様とバレエの激しさと悲惨な最後でほとんど伝説化している。彼が踊る姿を現実に見た人はいない。もちろん私も見たことはないのだが、写真でその姿を見て著しく惹きつけられた。鬼気迫る才能を感じた。素人目にも感じたその中性的雰囲気の原因についても納得できた。 過酷ないじめにあっていたバレー学校時代、ディアギレフとの濃密な関係、結婚生活、そして精神病を病む。精神病は今でいう統合失調症なのであるが、彼を診たり関わりあった人たちがブロイラー、ビンスヴァンガー、フロイト、アドラーなど精神分析や心理学で今でも必ず名前が出てくる超一流のドクターや心理学者ばかりだったのでこれも別の意味で驚きだった。でもその症状は素人の私が読んでもかなりひどく悲惨だった。何が彼をこうしたのか?あの妖艶なバレエの天才はどこへ行ったのか?しかしこの悲劇的生涯こそが彼を伝説のバレエダンサーにしたのだろう。久々に内容のある本を読んだ。
2009年01月09日
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2月27日は城ヶ崎のシーサイドエリアに出かけた。天気はまずまずで岩の状態も悪くは無かった。民宿から少し歩いて、すぐ断崖の懸垂下降を1本して浜辺に降り立った。平日の月曜日だというのにもうクライマーが何人もポピュラーなルートに取り付いていた。まず大磯ロックの名探偵登場(5.8)、ハジノライン(5.10a)で肩慣らし。ついでサンライズエリアのイントロダクション(5.9)と腰痛(5.12b)を登った。ロッククライミングは11月後半からしてなかったので、散々だった。体が動かない、指に力が入らない、足で立ちこむことを忘れている。毎週やっている皆さんはとても上手だった。「腰痛」で敗退した。 イントロダクション スタート 々 中間部 々 上部クラックは苦手でいつも避けていたが、この頃は以前よりはやろうという気持ちは出てきている。最後にまたハジノラインと名探偵登場をおさらいして終了した。今日で帰る皆さんと別れて今夜の宿のある雲見に向かった。
2012年02月27日
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先日受講したまよ香さんの食養講座で行動食に炒り玄米がいいと教えてもらった。早速自宅で作ってみた。最初、玄米だけで作ったら、これがポリポリして香ばしく止められない美味しさだ。超いける!!次にハイキングとクライミング用に他の材料を加えて作ってみた。材料は手元にあった物を活用。玄米2合、アーモンド・くるみ・カシューナッツなどのナッツ類、乾燥小魚、ごま塩 適宜油を引かないフライパンで玄米をじっくり炒る。15分程度深炒りすると玄米は先端に白い花が咲いたような形になり香ばしい香りが漂う。これにミルサーで粗く挽いたその他の材料を加えて混ぜるだけで完成。ポリポリしてスナック感覚で食べられ、ものすごく噛みごたえがある上、玄米なのでGI値が低いから血糖値も上昇しにくい。ナルゲンボトルに入れてクライミングに持っていき、友人にお裾分けしたら好評だった。
2014年08月21日
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もう二日ほど前ではあるが、10月8日は日本人がエベレスト(8848m)に初めて無酸素登頂に成功した日である。 カラパタールから仰ぐ世界最高峰エベレストの雄姿(撮影 松尾京子)当時、酸素を使ったエベレスト登頂はヒラリー、テンジンはじめ16カ国141人が既に登頂に成功していた。しかし無酸素となるとメスナー、ハーべラーなど三カ国延べ6人にしか過ぎなかった。1983年10月エベレスト無酸素登頂をねらって日本からイエティ同人の吉野、かむろ、沢山、遠藤の各氏、山学同志会から川村、鈴木、岡野、木元、小西の各氏、またローツェをねらってネパール、チベット両側から高橋、今井を代表とするカモシカ同人の日本最強の3隊がその地に集結していた。その他にアメリカ隊も酸素を使用して登頂していたという。結果的には山学同志会の川村、鈴木両氏が無酸素で登頂に成功し、イエティ同人の吉野、かむろ両氏は滑落して遭難死という悲劇に見舞われた。この間の物語は長尾三郎著「精鋭たちの挽歌」~運命のエベレスト1983年10月8日~に詳しく記されている。 私はこの本を今年1月アコンカグア登頂のテントの中で隊長の大倉福富さんから紹介されたが、長らく入手できず、最近になってやっと読めたのであった。あの時代を代表するトップクライマーたちの青春とそれぞれの生き方が描かれ、その誰もが過酷なチャレンジに命を賭ける。明暗を分けた結果とその後の様々な人生には強く心を揺さぶられた。8500mを越えるとそこは「天国のにおい」と「死のにおい」と言われる。8848mの高所に自分の心肺だけで呼吸して登山する。いかにダメージが大きいかというより生存が危うい領域である。 ちなみに私はたかだか7000m弱にタッチしただけで、その後三ヶ月ほど心身両面で大きなダメージを受けた。何が彼らをそこまでして山に立ち向わせるのか?山への情熱としか表現しようが無いと思う。死を視野に入れつつも挑戦を選んでしまう精鋭たち」の山への焼けつく様な情熱には共感できる。しかし遭難死したイエティ同人吉野さんの奥様は当時身ごもっていて出産寸前だったという。女の立場からすると「それでも命を賭けていくの?」とも思うが、追いすがって夫を引き止めなかった奥様を尊敬する。その子「遥」さんはもう25歳になるはずである。命をかけてエベレスト無酸素登頂に挑んだ真の精鋭たちにただただ畏敬の念を抱くものである。10月8日忘れられない日になった。
2008年10月10日
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エベレスト街道では人も重労働をしていたが、人に負けず働いていたのは動物である。トレッカーや遠征隊の膨大な荷物を運搬するのはゾッキョ、ヤク、ウマである。私たちの荷物を運んでくれたのはヤクと牛の混血種であるゾッキョという動物である。 ゾッキョとゾッキョ使い タンボチェの広場に次々と荷物を運んでくる動物たち エベレストB.Cまで行くのだろうか街道をゆくゾッキョ おそるおそるヤクにタッチする私高度があがってくると毛がもっと濃密で垂れるように長く短足のヤクが使われる。みるからに運搬に適した体形をしている。ヤクは運搬だけでなく全身すべてヤクにたたないものは無いといわれるほど有益な動物である。輪廻転生して生まれ変わるとしたらヤクには生まれ変わりたくないという人がいるほど、高地で労働し最後は体の全てを人間のヤクにたてて死ぬらしい。さらに馬も使われている。馬はゾッキョやヤクに比べると足が長く細く運搬用にするには可愛そうな気がしたが、何回も目にした。きれいな飾り物を身につけ、大切にされていることを実感させられた。馬以外はこのような飾りは見なかった。 まだ小さい体に重そうな荷物を背負う馬 つり橋を延々と馬が渡るつり橋や山道は幅が狭い。トレッキング中にこれらの動物が来ると人間が山側に避難して道を譲るのが原則である。おとなしい動物たちであるが角を持っているので、ヤクやゾッキョ様を先にお通しするのである。これは急坂にあえいでいる時などゾッキョ休憩としてなかなかグッドタイミングではあった。厳しい自然の中で人も動物も働く究極のエコ生活である。当然のことながら街道はこれらの動物の落し物がかなりある。さらに山岳地帯ではヤクの糞を拾い集めている人も見た。あるものは何でも生かすのである。文化的生活とはいつでもどこでもお湯とペーパーが使える生活だと私は常日頃実感している。しかし無駄とわかっているものを生産し捨てている私たちって何だろう。
2009年04月17日
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今回の宮崎マルチの宿泊は庵・鹿川(いおりししがわ)に3泊お世話になった。クライマーズロッジと言ってもいいこの施設のオーナー様は三沢澄夫さんという77歳の男性で、当然クライマーであり、この付近の比叡山や鉾岳などのルート開拓や登山道の整備などもされている。自炊/素泊まりで1泊1,000円だが、広い室内、電気、キッチン、五右衛門風呂、冷蔵庫、食器類、調理器具などの設備が整い、お米・水・光熱費・調味料すべてただetc…、とても1,000円なんてものじゃない。更に清流流れる渓谷沿いに建っているので夜にはカジカの澄んだ鳴き声が響き、郷愁を駆り立てられた。私の故郷愛媛の山村にも清流が流れていて幼い頃は毎晩カジカの鳴き声を聞いて育った。 庵鹿川の入り口 隣は三沢さんご自宅 炉が切られた内部 夕食風景1日目の客は私たち3人だけだったので全館貸し切りで我がもの顔に寛げた。夕食は炉にかけてある網の上で焼き肉のパターンが多く、呑める人は果てしなく呑むようだ。土日ともなると九州のクライマーや登山者が多数訪れて、夜は大宴会になる。平日だったが3日目に地元の登山者が沢山見えた。女性軍が焼き肉の準備を進め、持ち寄った料理を食べながら大宴会になった。飲めない私はそのテンションについていけず途中で眠ってしまったが、相当遅くまで盛り上がっていた。この宿の本質を垣間見た。 地元の登山者で盛り上がる夜とにかく来た人がすぐ打ち解けて仲良くなり、山の話が共通話題になって話が弾む。とても楽しかった。三沢さんは日本のクライミングの歴史の生き字引のような方で故人になった著名なクライマーとの交流の話を沢山きかせて頂いた。貴重な4日間だった。 三沢さん(灰色のウエア)たちと
2017年04月22日
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富士山のトイレはこの数年間で大変よく改善された。すべての山小屋はバイオトイレであり、ペーパーも完備していて清潔である。掃除した時間を記載している小屋もある。 富士登山中は基本的にトイレで用足しをしなければならない。アフリカや南米のように登山道のその辺で放尿等はできない。実際こっそり用足しをしようにも、山の形状から6合目から上は樹木や岩陰が全くないから人目を避けようにも場所もない。トイレは有料である。維持管理のことを考えると当然である。五合目は50円、7合目あたりは100円、山頂は200円である。以前は有料であるという表示がでていただけだったような気がするが、昨年あたりから必ず入り口に管理者がいて料金を払わずにトイレを使用することはできない。 山頂山口屋さんのトイレ 山頂公衆トイレ 富士宮口の公衆トイレ通路 同 トイレ内部(清潔で落ち着ける)ご来光ツアーの登山者がご来光を拝んだ後はほっとするのかみんなトイレに行く。山頂公衆トイレの前には20m位の行列ができている。登山中どこでも清潔なトイレが使えるということは、登山のストレスが激減する。とても有り難いことである。私は思う。トイレは改善された。次の問題は雑魚寝という就寝スタイルではないか。このようなスタイルで登山者を寝させている山小屋をこれまで訪ねた海外で見たことがない。アフリカの奥地でも広くはなくても一人一人のベッドスペースが確保されていた。これがもう少し改善されない限り世界遺産には登録されないと思う。
2008年07月14日
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2月20日温かく穏やかな土曜日だった。朝は頑張って筋トレとジョギング5キロをこなして、その後は市の癌検診で乳ガンと子宮がん検診に出かけた。この二つは2年に一度しか受診できない。土曜日だったけどそう混雑しないで受診できてほっとした。午後は先日押した仏の座とデモルフォセカの花びらの色がすっかり色落ちしてくすんでしまっていたので思いきって赤花処理を試みた。赤花処理をするのはすごく久しぶりなのでまず用具を探すことから始める。スポンジ、オーガンジー、赤花処理液、アイロン紙などの用具と使用法・手順を確認して慎重に「仏の座」と「デモルフォセカ」の花を置く。 スポンジの上に花を置く 紫色がくすんだ仏の座 スポンジ オーガンジー 赤花スプレーその上から赤花処理液をしっかりスプレーし、アイロン用紙をかぶせてアイロン温度羊毛レベルで10秒置く。特有の酸を含んだ匂いが鼻を突いた。換気扇を回して排気する。オーガンジーを取ってみたらあ~ら不思議!!。仏の座の花が本来の濃いピンクによみがえっているではないか。やってよかった。赤花処理の効果てきめんだ。同じようにもう一度やってデモルフォセカも処理した。予想以上に美しく洗練された花の色が現れていて嬉しかった。これまで手間を惜しんで赤花処理をさぼっていたことを反省した。 蘇った花の色
2021年02月20日
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2月23日かねてより取り組んでいた押し花額絵「里山の風景」がやっと完成した。長かった。いや長すぎた!!。この里山の風景に着手したのは記録によれば11月4日だから三か月半以上かかっていることになる。なぜこんなに長期間に渡って仕上がらなかったのかというと、季節柄アイスクライミングと押し花の両立ができなかったからだ。押し花レッスンの日にアイスが入ってレッスンをキャンセルしたことがあったし、アイスの翌日で身も心も押し花体制になれなかったことも多かった。最初は民家造りに苦労し、次は前景に苦労した。自分のイメージする風景と先生から指導される風景が異なっていたので、どうやるのがよいのか戸惑うことが多かった。今日は何としてでも仕上げようと決心して出かけたのだった。今日も最前面の花の配置に苦労し、うまくできなかったけど、とにもかくにも完成させた。心からホットした。 原画 絵額に仕立てた作品 民家の細部
2021年02月23日
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翌日6月2日は小川山お殿様岩の「大貧民」というマルチルートを登攀した。今日は昨日にも勝る晴天だった。引き続きMガイドと初めてお会いした若いKさんの3人で朝、8時半廻り目平から樹林帯を登り始める。お殿様岩はアプローチが近いので楽だった。途中、このお殿様岩にあるクラックの名ルート「イムジン河」のすごみのあるラインを横目で見ながら取り付きに到着。狭い洞窟が売り物のルートなので膝あてに肘あてをプラスして身支度する。このルートは全4ピッチ、第1、第2ピッチがクラック、第3ピッチはスラブ、そして第4ピッチが洞窟の極狭チムニーだ。クラックもスラブもそれ自体が特別難しいものではなかったが、低身長の私はクラックに乗る離陸やスラブに入るまでがホールドに手が届かないため前哨戦で時間を要した。身長138㎝でクライミングする者の宿命だ。宿命を乗り越えて前進するしかない。 イムジン河 取り付き 第2ピッチのMガイドクラックを過ぎると余裕ができ、眼下を見下ろすと素晴らしい絶景が広がっていた。標高1500m以上でもう暑かった。夏日の中、塩タブレットを舐めながら昇り続けた。 輝く新緑の海を昇る最後がいよいよ洞窟だ。ここは太った人は無理だと言われている。狭いが短いし明るいのでヘッデンなしで行けるのが嬉しい。岩の表面がしっかり見えるのでムーブも考え易すかった。Mガイドの動きをよく観察して後に続く。途中、頭もギリギリの狭い部分があるのでヘルメットも脱いで荷揚げしてもらった。 比較的手が届くホールドがあったし、背中と膝を使ったチムニー昇りで比較的苦労せず頭を横に伸ばして上部まで這い上がったが最後が厳しかった。狭い岩の間に体が挟まって中々上に上がらない。ズリズリと少しづつ体と岩の間に隙間を作りながら何とか最上部まで這い上がった。 最後の難関 洞窟からの脱出明るい陽光が輝く終了点が待っていた。「やったね!!」思わず声が出て開放感に満たされた。小さい私がこれなら確かにガタイが良い人や太った人は脱出困難かもしれない。 光あふれる終了点にて参考タイム 廻り目平8:30→取り付き 登攀開始9:00→4ピッチ→下山 廻り目平 12:30
2022年06月05日
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5月25日土曜日。晴天に恵まれた土日二日間、先週に続き、また小川山にクライミングに出かけた。今回はクライミングインストラクターの庭野さんの講習会で参加者は女性ばかり3人だった。七賢の岩場は初めてだった。先週行った秘密のエリアに行く途中から急斜面を20分ほど登った所にこじんまりした岩場が現れた。先行クライマーが二人既に昇っていたが、その一パーティだけで、ゆったりと過ごせた。しかしルートはグレードが低いにも関わらず中々手強かった。特にクラックがうまく昇れず、苦労が多くて辛かった。 おまけに厳しいところを昇っている時、岩に膝の下をぶつけてしまった。クライミング中は痛みを忘れていたが、下山してよくぶつけた箇所を見るとかなり腫れ上がってとても痛い。全くこんなことは初めてだ、岩根山荘の順子さんに氷をもらって冷やした。明日までに何とか腫れが引いて欲しい。でも悪いことばかりでもなく、山道に入る日当たりの良い場所で蕨取りをした。誰も取らないので沢山ある。童心に帰って沢山取ってすごく楽しかった。
2024年05月25日
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5月23日に武甲山に登ったのだが、一の鳥居前にお決まりの狛犬が鎮座している。これがとても珍しくこれまで見たことのない姿だった。更に武甲山直下の大鳥居にも似たような形をした狛犬がいた。こちらがほうが更にワイルドな形相をしていてとても犬とは思えなかった。すごく興味が湧いてきたので調べてみたら武甲山の狛犬は犬ではなくて狼だという。 一の鳥居前の狛犬 2対 確かに犬ではなく狼である江戸時代秩父地方では狼を農作物を守る神使としてあがめ、お祀りする風習があったらしい。長瀞の宝登山神社、秩父の三峯神社では御眷属に大口真神と呼ばれるオイヌサマ(二ホンオオカミ)をまつり、狼の姿の狛犬が境内にいてオオカミのお札を配ったりしていると記されている。宝登山神社、秩父神社、三峯神社が狼信仰の三大神社として有名らしい。私は蝋梅の名所の宝登山、奥秩父の入り口三峰山には既に登っている。宝登山神社ではその狛狼の異形に接して大きな衝撃と感銘を受けたことは今でも忘れていない。ただその時点では秩父の狼信仰については全く知らなかったので今回、とても勉強になった。 武甲山頂直下 御嶽神社大鳥居前の狛狼
2021年05月26日
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