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こんにちは。根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。
古くから漁場として栄えた根室管内は色々な人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんな形で残っています。古代から近代までねむろの歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えしていきたいと思います。
わたしと一緒にちょっと昔に想いを馳せてみませんか?
第11回は明治公園から「 開拓使根室牧畜場
」をご紹介しましたが、今回は、前回書ききれなかった点を補足していこうと思います。
根室牧畜場は明治23年(西暦1890年)に民間に払い下げられます。
その後、短期間のうちに様々な方の手に移っていきます。その中のお一人に「 根室実業界の風雲児
」
とも呼ばれる 山縣
勇三郎
がいました。
山縣勇三郎は、安政7年(西暦1860年)、肥前国平戸(現、長崎県平戸市)に生まれました。
明治13年(西暦1880年)、上京中の彼は、同宿の根室出身の友人の勧めで、北海道に渡ります。
明治15年(西暦1882年)に海運業に進出、明治34年(西暦1901年)本店を根室から函館に移転します。
精力的に事業を発展させた彼は、国内に支店を9店設け、全国規模で事業展開していたようです。
海運業のほか、艀(はしけ)、缶詰、牧畜、新聞、金融、旅館など手がけていた業種も多岐にわたります。
旧根室牧場大金庫
「根室市歴史と自然の資料館」では、この頃使用された金庫が 「旧根室牧場大金庫」
として展示されています。 防火のために、扉などには砂が詰められ、総重量は2トンにも及ぶそうです。
私も何度か見学させてもらっていますが、いつ訪れても、扉が半開きになっていて、個人的に中身が気になるところです......。
さて、山縣勇三郎は、教育にも熱心でした。
明治28年(西暦1895年 ) 「根室実修学校」
の校主となります。
この学校は明示35年(西暦1902年)まで根室地方で唯一の中等教育機関として、その役割を担いました。
根室実習学校跡
学校は、現在の常磐町--根室振興局庁舎の裏に建てられていました。 建物は残っていませんが、往時を偲ばせる標柱が建てられています。
精力的に事業を展開していた山縣勇三郎ですが、明治40年(西暦1907年)、日露戦争後の不況の波を受け、倒産してしまいます。
しかし、それで諦めないのが彼らしいところです。
ブラジルへ移り、やはり精力的に事業を経営していたようです。
彼を見習って、私も活力あふれる人間を目指そうと思います。
参考文献:根室市史
参考文献:根室・千島歴史人名事典(根室・千島歴史人名事典編集委員会 編)
参考文献: 大人
たちのねむろ史(北海道中小企業同友会根室支部 編
)
■補足
開拓使根室出張所跡
根室市街地には、かつての根室の姿を伝えるため、標柱が建てられています。
根室牧畜場を運営していた 開拓使根室出張所
は、現在の本町の片隅に建てられていたようです。
・「根室市歴史と自然の博物館」は こちら
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