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オラ ブエノス タルデス (こんばんは)明日の予告・・・ 「ロシ・ナンチャッテ」です。 いよいよ明日、「ねぎブロ番外編」が最終回を迎えます「ふっかちゃん」も、ようやく帰国できるみたいですよ まったく、長かったねぇ~ 前回、セビリアの街を散策していた「ふっかちゃん」でしたがセビリア大聖堂をめざして、朝日の差し込む路地で一休みする「ふっかちゃん」なのです。 路地裏のパティオ(中庭)には、朝日があふれています 目の前に突然、現れた大聖堂の鐘楼と背くらべをする「ふっかちゃん」 さすがの「ふっかちゃん」も見上げた首が・・・ いよいよ大聖堂に入場です。行儀よく順番を待つ「ふっかちゃん」 中に入ると、なんと天井の高いこと・・・・ ステンドグラスから差し込む光があふれています 目を見張る光景に「ふっかちゃん」も感動してます。 そんな「ふっかちゃん」が出会ったのがこちら「コロンブスさんのお墓」だそうです。 あのコロンブスさんだそうですよ あのタマゴの・・・ あのアメリカ大陸をみつけたあのコロンブスさんのようです セビリア大聖堂でコロンブスさんのお墓をみつけた「ふっかちゃん」 は、おもわず・・・「ヨッ」って、あいさつしてました。 おそらくキラキラしているのは、みんな本物の金なんだろうなぁ・・・なんて、おもいをめぐらす「ロシ」でした。 セビリアを後にした「ふっかちゃん」たちは、次の街、コルドバをめざして爆走中 そんな車窓に光り輝く塔見つけました。 これは、反射鏡で太陽光を集めて発電する太陽光発電所なんだそうです。 面積は、185ヘクタール、2,569個の反射鏡建設費は、220億円、27,500世帯に電力を供給しているそうです。施設の名前は、「ヘマソール」・・・「太陽の宝石」という意味だそうです。素敵な名前ですね さすが、情熱の国スペインですね太陽光パネルもたくさん並んでいました。 まるで、うねる波のような丘陵地帯に流れる雲が、影を落として、とても綺麗です。 そんな中を高速道路が走ります。 もう間もなく、コルドバに着くみたいですよ続きは、また、明日それでは、明日の朝、お会いしましょう
2014年03月18日
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6月4日(水)歯と口の健康週間が始まりましたこんばんは、ヤン×イハンです。ここ数日の暑さには参りましたね関東地方の梅雨入りも間もなくのようです。しっかり体調管理をして、この夏を乗り切りましょう さて今日は、道の駅はなぞのへ立ち寄ったときに顔出しパネルを発見しました見出しは、ようこそ深谷市へお出迎えは今や、すっかり深谷の顔となった、ふっかちゃん買い物がてら、ぜひ記念に一枚、二枚、三枚くらいパチリと。。。写真の右下にある、埼玉ヤマト(株)さんは、深谷駅北口の階段アートも提供されている深谷市内の会社なんですよ。2013年09月21日 ふっかちゃんが駅に... (参考)そして、埼玉ヤマト(株)ホームページはこちらをご覧ください。ちゃーんと、深谷ねぎっこブログの文字がありますよ。また、ホームページ内では、ふっかちゃんはもちろんですが、各種ステッカー類を取扱いしているようです。こちらもぜひご利用くださいね。 埼玉ヤマト(株)さん、ご協力ありがとうございます ゆーっくり、まーったりしながら、丁寧に歯磨きしよーっとじゃあ、またね あーーっこのイベントのお知らせを忘れるところでした参加費は無料世界遺産登録勧告記念渋沢栄一関連施設と世界遺産を歩く詳しくは、ここをポチッとしていただき、みなさんのご参加よろしくお願いしまーす。
2014年06月04日
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こんにちは、ロス・どぅるせすです。 今回は悲しいお知らせです。 とんかつランチのメッカ!?我らのかつはな亭が深谷から撤退です 入口には、ランチメニューの垂れ幕が限定メニューでしたでもご安心をこちらがランチメニュー今回は、ヒレかつランチをレポートまずは、ごまのすりこぎがそこにソース2種類をブレンドキャベツサラダもたっぷりのおかわり自由とんかつソースと、特製ドレッシングたちおおとりのヒレかつ登場 とん汁もおかわり自由最強 かつはな ヒレかつ ランチお時間に余裕のあるかたは、プレミアムスイーツもな・な・なんと、あのなめらかプリンで”超”有名なパステルとコラボなデザートですよ手作りスイーツもこんどは、パステルのパフェですよアイスも充実ここまできて、最後に悲しいお知らせですこんなスペシャルなランチの かつはな亭 深谷店は明日5月10日で閉店とのこと、とてもとても残念です。またいつか深谷に戻ってきてね
2011年05月09日
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みなさんこんにちは。チェです。昨日、深谷上杉・郷土史研究会の会長さんから「深谷上杉・郷土史研究会 会報」の第131号をいただきました。毎号 楽しく読ませていただいていますが、今回は「渋沢栄一翁の祖先を訪ねて」という一文が掲載されていました。これによると、渋沢氏の祖先は、山梨に本拠をもつ、甲斐源氏だそうです。常陸の国にいた源義清・清光親子は国司との争いにより朝廷の命によって甲斐に流されたそうです。ここからが甲斐源氏です。清光の長男 光長は、逸見庄(現山梨県北杜市)に城を築き、逸見氏を名乗りました。その後、逸見氏の一族又三郎義継は、旧渋沢村に移住し、以後、渋沢姓を名乗ったそうです。武田家滅亡後、織田信長が侵攻してきたため、渋沢一族は北杜市から佐久市、富岡市を経て深谷市血洗島へ逃れ、武士を捨て農業に従事したとのことでした。これは、歴史学者の織田完之が明治33年発行の「青淵先生60年史」に書かれた説だそうですが、近年、これを裏付けるような資料が見つかりつつあるそうです。渋沢栄一翁に縁の深い富岡市ですが、ルーツも富岡経由とは驚きました。それではまた。
2013年01月23日
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