まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2020.07.19
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昭和12年ごろの日本人は、
どのぐらいジャズを聴いてたのでしょうか?

…と思ってたら、
13話のレコード屋さんの場面でヒントを見つけた。
店の入り口と壁に、
「淡谷のり子/ジャズソング」 と貼り紙がある!
よく見ると 「おしゃれ娘」 とも書いてあります。

ネットで調べてみたら、
たしかに昭和12年に淡谷のり子が歌った曲です。

この前の年に、
淡谷のり子はシャンソンをヒットさせたのですが、
ここではじめてジャズ風の歌謡曲に挑んだのですね。
作曲したのは、
コロムビア専属になったばかりの服部良一でした。
大ヒットした「別れのブルース」の前の年ですね。

ぜんぜん知りませんでした。



ここでもまた『エール』の内容に交差するわけですが、
両方のドラマに関連する流行歌を年代順にしてみると、

昭和7年   藤山一郎「酒は涙か溜息か」(古賀政男)
昭和10年 音丸「船頭可愛や」(古関裕而)
昭和11年 藤山一郎「東京ラプソディー」(古賀政男)
昭和12年 淡谷のり子「おしゃれ娘」(服部良一) ←ココ
      戦時歌謡「露営の歌」(古関裕而)
昭和13年 淡谷のり子「別れのブルース」(服部良一)

これらが、すべてコロンビアレコードから出てます。

つまり、昭和12年というのは、
「船頭可愛や」のヒットから2年後、
服部良一もいよいよコロンビアで作曲活動をはじめて、
ジャズが歌謡曲のなかにまで浸透してくる時代なんですね。

詳しくいうと、
服部良一と淡谷のり子がジャズに取り組むより先に、
川畑文子が「青空」(昭和8年)、
ディックミネが「ダイナ」(昭和9年)をヒットさせてるし、
そのあとエノケンも歌手デビューしてますから、
ジャズ歌謡の流れが徐々に出来ていたのだと思う。


ただし、昭和12年には、
古関裕而が作曲した「露営の歌」も発表されています。
自由なモダニズムと軍国主義が交錯しはじめる時代です。



ちなみに、ドラマのレコード屋の壁には、
「藤山一郎/男の純情」 という貼り紙もあります。
これは、昭和11年に古賀政男が作った曲です。

なにげに「純情」というキーワードが入ってますね(笑)。





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最終更新日  2020.09.19 12:03:50


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