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夜ドラ「VRおじさんの初恋」がいよいよ最終週です。◇当初は、VRのなかの2人だけの話だったのに、しだいに、穂波&飛鳥の父娘関係や、澤田&加藤&荒井の職場関係や、葵の中学生の友人関係など…いろんなリアル世界の人たちの問題を巻き込んでて、最終週では、穂波の死を前に、それらがすべて丸く収まりそうな感じ?いろいろ上手くいきすぎな気もするけど…(^^;◇ところで…今回のドラマでは、テーマ曲の「ハートビート」と「旅人」を、C&K(Clievy&Keen)というユニットが歌ってます。わたしは、近年のJ-POPに不案内なため、C&Kのことをまったく知らず、てっきり「旅人」を歌ってるのは女性だと!!…なんと男性デュオだったのですね。あらためてC&Kのことを調べてみたら、わりとソウル寄りの男性デュオのようです。一昔前ならCHEMISTRYみたいな感じ?もっと昔ならクリスタルキングとかの系統??男性デュオって頭文字「C」ではじまる決まりなの?(じつは狩人も「CARYUDO」だったりしてw)◇主題歌の「ハートビート」を歌ってるKEENも、けっこう高めの綺麗な声の人だと思うけど、とくに「旅人」を歌ってるCLIEVYのほうは、音域が完全に女声のように聞こえますよね。見た目も男女デュオ?? ところが!!写真や映像を見てみたら…わりと2人ともコワモテwwwそういえば、昔の黒人の甘茶ソウルなんかも、歌声は綺麗なのに見た目がコワモテだったりして、そのギャップが面白かったのを思い出します。たとえばホワットノウツとか。Whatnauts - Reaching for the Stars CD アルバム 【輸入盤】 楽天で購入 これって、NHKの確信犯かもしれないけど…ナオキとホナミの物語を、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に重ねたのも的確なら、それをC&Kの音楽に重ねたのも、じつに的確ですね。つまり、性の区別が幻惑される感じ。男か女か分からなくなって、性別そのものが無化していく…。◇だいぶ昔ですが、金子修介の「1999年の夏休み」という映画があって、あのときは、萩尾望都の「トーマの心臓」の少年愛の世界を、深津絵里をはじめとする少女たちが演じてた。今回のドラマでは、オジサンどうしの同性愛的な世界を、井桁弘恵と倉沢杏菜の女優が演じてて、なおかつ「銀河鉄道の夜」の少年愛に見立てながら、それを女声のような男性ボーカルの曲にのせて、二重にも三重にも性の区別を幻惑させてる。C&Kの「旅人」は、直樹のテーマとして作曲されたそうですが、ドラマを見てる印象では、どちらかというとホナミのテーマっぽく感じます。しかも、わたしのなかでは、ジョバンニとカムパネルラのイメージが、完全に倉沢杏菜と井桁弘恵になってしまったので、今回の「旅人」も、死に際にいるカムパネルラの曲に聞こえてしまいます。VRゴーグルって味まで分かるらしい。脳波的に味わうのかしら??!#夜ドラ【#VRおじさんの初恋】\第27回は今夜10:45放送!/第26回をプレイバック🎥「全部ひっくるめてホナミだから。」懐の深いナオキ(#倉沢杏菜)にホナミ(#井桁弘恵)は…?久々の二人きりのあま~いひとときです…😘💓#VRおじさん#野間口徹続きは配信で📱https://t.co/TF6tFbs2d1 pic.twitter.com/Gi0zZ7AKCM— NHKドラマ (@nhk_dramas) May 15, 2024
2024.05.18
NHK「燕は戻ってこない」第3話。第1話にも、ゆで卵や、お弁当のたらこや、ペットショップの子犬が出てきたけど、今回も、卵の割れる音ではじまり、卵焼きを食べさせるシーンがあり、春画の話をしながら子羊を食べまくる。なぜ「蘇州夜曲」が演奏されたのかは、いまいち分かりませんでしたが…。◇5月12日の読売新聞に、「卵子凍結」についての記事が出てました。しかし、ネットでは一部しか読めません。その代わりに、去年のNHKの記事から抜粋しておきます。卵子凍結では一度の採卵でなるべく多くの卵子を回収することを目指すため、卵子の発育と排卵を促す排卵誘発剤(錠剤や自己注射)を使用して、両方の卵巣で複数の卵子を育てます。一般的にホルモン剤は頭痛や倦怠感やむくみなどの副作用がある場合があります。採卵の前に細菌感染を防ぐために膣の消毒や洗浄を行い、それから卵巣内に細い針を刺して育った卵胞を回収します。麻酔から採卵までの時間は15分ほど。“社会的適応による卵子凍結”は保険適用ではなく自由診療のため、費用は各クリニックによって異なります。エリさん(仮名)が行ったクリニックではおよそ40万円かかりました。採卵した全ての卵子が胚移植に使用出来るわけではありません。採卵しても卵子が凍結に適さず変性したり融解する際に破損したりしてしまう可能性があるからです。凍結未受精卵子を用いた胚移植で子宮内に着床する確率は17~41%。さらにそこから流産や死産などの原因によって、卵子1個あたりの出産に至る確率は4.5~12%です。卵子凍結には限界があり、必ず妊娠や出産できるわけではありません。卵子凍結をしたことで「かえって出産が先送りになるのではないか」という懸念も日本産科婦人科学会は示しています。https://www.nhk.or.jp/minplus/0029/topic127.html要するに、卵子凍結には多額のコストがかかるだけでなく、確実に子供が作れるわけではないし、高齢妊娠における合併症などのリスクもある、ということ。◇第3話には、ロシアとウクライナの話も出てきました。代理出産は世界各地で広がっているのですが、全世界の4分の1以上を占めるまでに伸びているのがウクライナなのです。ヨーロッパ、特にドイツやイギリスの富裕層からの注文を受け、ウクライナの女性たちが出産のための代理母を務めているといいます。その報酬は赤ん坊1人を産むことで2万2,000ドル(約300万円)とのこと。こうしたクリニックを経営している側は政府や議会に対して相当な賄賂を配っており、「こんな美味しいビジネスは止められない」とうそぶいています。さらに、ウクライナでは赤ん坊や小児売買の闇市場も隆盛を極めている模様。ゼレンスキー大統領もウクライナへの資金援助を拡大するバイデン大統領も、戦争の裏側で広がる、こうした闇ビジネスには目をつぶったままです。https://www.mag2.com/p/money/1344838なぜロシアやウクライナで代理出産がおこなわれるのか?第一の理由は、「白人の卵子にしか需要がない」からだと思います。黒人やアジア人の卵子には需要が少ないのでしょう。その結果、最貧の白人国であるロシアやウクライナが搾取の対象になる。そのような国だからこそ戦争してるのだ…ともいえます。国が代理出産を合法化するということは、外貨や賄賂のために自国の女性の身体を売る、…ということなのだと思う。第三者の女性に産んでもらう「代理出産」。倫理面での課題から禁止する国が多い中、合法化した数少ない国にウクライナがある。世界中のカップルから依頼があり、生まれる子どもは年間約2000人と言われる。日本にもあっせんするエージェントが複数存在し、その話を総合するとウクライナで生まれた日本人の子どもは60人以上いる。https://toyokeizai.net/articles/-/612506売春や代理出産にかぎらず、あらゆる労働について言えることですが、いくら合意に基づく契約とはいえ、その背景にあるのは、つねに「富める者が貧しい者を搾取する」という構造です。貧しい国の貧しい家に生まれ、教育も受けられなければ、身体を売る以外にない。代理出産王国のロシアとウクライナ「女性搾取ビジネス」~高柳聡子・早稲田大非常勤講師(ロシア文学・フェミニズム論)の話~旧ソ連圏での代理出産は、女性の搾取や自己決定権といった複雑な問題を抱える。背後には貧富の格差があり、欧州の人々は、自国では法的・金銭的に難しくても、ウクライナなどでは驚くほど安い。スラブ系のウクライナ人などは同じ白人との感覚もある。ソ連崩壊後の混乱の中、旧ソ連圏では一部の女性が外国人らを相手に売春せざるを得なくなった。代理出産は売春とは違うが、人権侵害につながることも少なくない。https://www.tokyo-np.co.jp/article/307703燕は戻ってこない/桐野夏生【1000円以上送料無料】 楽天で購入
2024.05.15
2007年に、厚労相の柳沢伯夫が、「女性は子供を産む機械」と発言して批判されましたが、サロゲートマザーやホストマザーの仕組みは、まさに女性の身体を「出産マシン」として利用します。代理出産という意味では同じだけれど、本人の卵子を使えばサロゲートマザー、依頼者の妻の卵子を使えばホストマザーです。◇サロゲートマザーは卵子も子宮も提供する。自分のお腹をいためて、自分の血を引いた子を産むわけだから、その意味ではお妾さんと同じですが、旧来のお妾さんと違うのは、直接の性交渉はしないし、生まれた子供の母にもなれないってこと。…本妻から見れば、お妾さんの産んだ子を引き取って育てるような感じで、養子を迎えるのに近いと思う。もしサロゲートマザーが、夫婦と顔合わせをするなら、出産後も「産みの母」として、子供からも認識されるのかもしれない。子供にとっては、「育ての母」と「産みの母」が違うってことですね。授乳まで「産みの母」が受けもつのかもしれないけど、プロラクチンの分泌を促せば「育ての母」も授乳はできるらしい。◇ホストマザーは子宮だけを貸し出します。他人の受精卵を自分の子宮に受け入れるので、いわゆる「貸し腹」になる。留学先のホストファミリーを「受け入れ家族」と訳すように、ホストマザーのことを「受け入れ母」とも訳せるでしょうが、もっと露骨にいったら「子宮母」ですね。まさに「産む機械」ってこと。…子供との血のつながりはないし、どんなにお腹を痛めて出産しても、その子の母になることはできません。夫婦と顔合わせをするかも分からないけど、子供から「産みの母」と認識されることはないのかも。出産前後の時間の提供だけでなく、自分を命の危険にさらして痛みに耐えるわけだから、娼婦より過酷な仕事といえるかもしれません。◇日本の天皇制をふくめて、男系継承を必要とする海外の王室などが、こうした医療技術を利用する可能性もあると思う。国や宮内庁が、「皇太子のサロゲートマザーやホストマザーを公募する」みたいな未来もありえなくはない。その一方で、代理母を依頼した夫婦や、代理母から産まれた子供や、代理母になった女性が差別の対象になる、…みたいな問題も生じかねません。◇先日の「せかくら」でやってましたが、フランスでは、女性どうしの同性結婚の場合、人工授精にも保険が適用されるそうです。おそらく、一方の女性の卵子を、第三者の男性の精子と体外受精させて、他方の女性が出産するのではないかしら?さすがに男性の同性結婚の場合は、子供をもつことは難しいでしょうけれど。このドラマは全10回シリーズだそうですが、今後もぐいぐい視聴者を追い込んでくるでしょうね。見れば見るほど倫理的な判断に迷わされるだろうと思う。◇第1話のときから感じてましたが、生殖医療エージェントの《プランテ》は、どことなくアビゲイル教団っぽいです。ピカピカの施設が真っ白な内装だったりして。米国企業の日本支社という設定なのですね。…余談ですが、そうめんって、いちばん北海道らしからぬ食べ物じゃないかと思えました。夏にも冷たいそうめんで涼をとるのかしら?それとも温かいにゅうめんをよく食べるの??送料無料 そうめん お徳用 乾麺 北海道産地粉を使用した そうめん/ソーメン/素麺 北海道(ほっかいどう)ソーメン 500 g(5束入)×2袋 楽天で購入
2024.05.09
テレ朝「Destiny」第5話です。弁護士の悪だくみで、あえて冤罪に誘導させておいて、そこから検察の不当性を暴き立てるという、まるで「アンチヒーロー」的な内容。偶然の符合?TBSとテレ朝は裏で繋がってる?役者もかぶってるし!姫野検事と東議員。#馬場徹 #アンチヒーロー #Destiny pic.twitter.com/H6Y75d20Mk— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 7, 2024いまのところ、弁護士の陰謀だったのか、政治家の陰謀だったのか分からないけど、仲村トオルには、佐々木蔵之介への私怨があるようにも見えます。もしや石田ひかりをめぐる三角関係とか??でも、亀梨和也が実家を放火したってことは、もっと深い「野木家の闇」があるのかしら??野木家は先祖代々、政治の世界と結びついてそうな感じもする。ちなみに川島潤哉は、議員秘書のバッジをつけてるので、仲村トオルと政治家を繋ぐ存在なのでしょうね。◇ところで、今回の演出は、ふたたび新城毅彦に戻りましたが、妙にテイストが映画っぽすぎて、かえって見てて調子が狂いました。画面が薄いし、音声もアフレコくさいし、いまひとつテンポ感も悪いように感じます。へたに映画風を吹かせないほうがいいと思うけど。
2024.05.08
TBS「アンチヒーロー」第4話。前回までは、《長谷川博己の不正義に、北村匠海が疑念を抱く…》みたいな展開だったので、堀田真由の立ち位置が謎でしたが、ここにきて、《堀田真由の父=藤木直人は、長谷川博己の宿敵?》みたいな構図が見えてきました。事務所内が敵味方で入り乱れてますwでも、藤木直人は真の悪者じゃなさそう。やっぱり野村萬斎が最大の悪者なのでは?ちなみに、藤木直人は刑事部長で、野村萬斎は検事正という関係です。野村萬斎は、「検察と警察は仲間」なんて言ってるけど、藤木直人は野村萬斎を警戒しまくってる。かたや長谷川博己は、ヤメ検の弁護士なので、野村萬斎は昔の上司なのかもしれません。そんな野村萬斎は、長谷川博己の狙いが藤木直人だと察知してる。長谷川博己の狙いは、刑事部長の「倉田」&捜査一課長の「大西」。そして、長谷川博己も、野村萬斎も、堀田真由が藤木直人の娘だということを知ってる。◇12年前に、第一審で控訴もせずに死刑が確定した糸井一家殺人事件。死刑囚として収監されてるのは緒形直人。これがどうやら冤罪っぽい。このとき藤木直人が何かを隠蔽して、まだ検事だったころの長谷川博己は、その隠蔽を暴こうとしていたようです。北村匠海も、細田善彦の冤罪を晴らそうとしてますが、長谷川博己も、緒形直人の冤罪を晴らそうとしてるのね。◇今回のの連続レイプ事件でも、早見あかりの件は嘘くさいのだけど、やっぱり藤木直人が早見あかりに接触してます。その冤罪の背後には、捜査一課長の「大西」(松角洋平)と、人権派弁護士の「宇野」(和田聰宏)もからんでる。早見あかりと接触する藤木直人。ことごとく有罪にしてる無能な人権弁護士w◇もうひとつの謎は、近藤華が演じる「紗耶」と、吹石一恵が演じる「REIKO MOMOSE」ですね。紗耶は、保護犬施設で働いてる若い女性。長谷川博己とはタメ口で話す親しい間柄。たぶん緒形直人の娘なのでしょう。REIKO MOMOSEは、6年前(2018年)に40才で亡くなった女性。第2話では長谷川博己が彼女の墓参りをしてました。堀田真由が保護犬施設を訪ねると、かつて「REIKO MOMOSE」はそこで働いていた。幼いころの「紗耶」と一緒に映った写真も残ってる。しかし、紗耶の母親ではないっぽい。緒形直人と「REIKO MOMOSE」の関係は謎です。ちなみに堀田真由が、父を問い詰める長谷川博己を目撃したのも6年前。REIKO MOMOSEも、そのころに亡くなったのだと思います。明墨(長谷川博己)赤峰(北村匠海)紫ノ宮(堀田真由)白木(大島優子)青山(林泰文)志水(緒形直人)桃瀬(吹石一恵)紗耶(近藤華)伊達原(野村萬斎)倉田(藤木直人)宇野(和田聰宏)大西(松角洋平)絵里(早見あかり)松永(細田善彦)松田優作ばりの丸グラサン!黒ずくめの峰不二子ばりにバイクをのりこなす!
2024.05.06
ホナミがゲイだと確定したわけではありませんが…孫の男の子は、なんとなく祖父がゲイだと知ってる雰囲気。「恋愛は男女でするもの」という先入観がない。ゲイカルチャーが身近な現代の子供とはいえ、考え方がずいぶん柔軟だなあと思います。◇ところで、鉄人28号みたいなAIロボットくんは、ちゃんと相談に答えてくれるのに、どうしてそのあと攻撃してくるの??(笑)なお、NHKが、医者への「心付け」を肯定的に描くのは、コンプライアンス的に問題があるのでは…?VRおじさんの初恋 ー白色矮星ー【電子書籍】[ 暴力とも子 ] 楽天で購入
2024.05.05
ドラマイズム「滅相も無い」。萌歌の泣き演技w異様に滑舌わるいの面白すぎるんだけどw古舘寛治とは何度目かの共演だよね。◇TBSの「ペントレ」にも、タイムリープの穴が出てきましたが、今回もまた穴が出現する話です。それがどこに繋がってるのか分からないけれど、世界から姿を消したい人たちに利用されてる。謎の教祖様は、それを仲介しています。◇第2話の染谷将太は、妻と娘を残して穴の中へ消えたと見せかけ、じつは穴に入らなかったらしい。要するに、「初恋の彼女と駆け落ちしたのでは?」と思わせるようなオチでした。穴に入るにせよ入らないにせよ、世の中から姿を消したい人はたくさんいて、教祖様は彼らに手を貸しています。◇なお、仏教用語の「滅相」とは、文字どおり滅びるときの相です。人生にも、物事にも、栄枯盛衰の諸相があり、その最終段階にあたるのが「滅相」になります。しかし、現代社会にはまともな「滅相」がないので、教祖様はそれをコーディネートしてあげてるのでしょう。向こう側で誰かに会いたいと願う人もいる。向こう側へ行きたい人は行けばいいし、こちら側に残るとしても、人知れずどこかへ消えればいい。これは、昔でいえば「出家」に当たるのかもしれません。いわば、駆け込み寺への逃避ってこと。実際のところ、中世までの日本の寺社は、無縁の人々のアジールとして機能してた面がある。去年の大河「どうする家康」にも出てきましたが、戦国時代になると、そうした寺社は都市機能をもった自治体にまで発展し、朝廷や幕府や諸大名に拮抗するほどの勢力でした。いわゆる「一揆」とは、農民や衆徒の反乱の意味である前に、そのような自治機能をもった寺社勢力の意味です。オウム真理教のサティアンも、そのような寺社の現代的な縮小版だったといえる。『どうする家康』第7回 “家康”松本潤、一向宗の寺へ潜入 “空誓”市川右團次と出会う #どうする家康 #松本潤 #市川右團次 @nhk_ieyasuhttps://t.co/Oyum2V27ON— クランクイン! (@crank_in_net) February 18, 2023 寺社勢力の中世 無縁・有縁・移民 (ちくま新書) [ 伊藤正敏 ] 楽天で購入 寺社勢力 もう一つの中世社会 (岩波新書 黄版117) [ 黒田 俊雄 ] 楽天で購入 僧兵=祈りと暴力の力【電子書籍】[ 衣川仁 ] 楽天で購入
2024.05.04
…昨日の記事の続きです!他人から卵子提供を受けて出産した場合、「その子に愛情を注げるのか」って疑問はある。でも、そこに確たる答えはないですよね。そもそも我が子に対してさえ、まともな愛情を注げない親はたくさんいるのだし。逆に、血縁のない養子を引き取って愛情を注ぐ人もいれば、配偶者の連れ子にちゃんと愛情を注げる人もいます。もちろん、子供との相性の問題もあると思う。だから、一概には言えない。◇たとえばレズビアンの女性が、男性の配偶者の精子と、女性の恋人の卵子を使って、自分のお腹を痛めて出産したならば、たとえ自分との血縁がなくても、我が子のように愛情をもてるかもしれない…なんてことを考えてみたりもします。たぶん臓器提供の場合もそうでしょうが、顔の見える知り合いからのものか、顔の見えない他人からのものかによって、感情のありかたは変わってくるかもしれません。どちらがいいのかは分かりませんが。◇もうひとつ考えるべきテーマとしては、卵子や精子の「ドナー選別」の問題があります。これは、ほかならぬ「遺伝子選別」ということ。たとえばドイツの優生保護政策では、民族浄化と称してユダヤ人が殺されたり、日本でも身障者への不妊治療が強制されたりして、あきらかな人権侵害があったのですが、卵子や精子のドナー選別と同様に、たとえば天皇のお妃選びにおいても、ペットや競馬馬の品種改良においても、実質的な遺伝子選別はおこなわれています。そして現代における遺伝子選別の多くは、企業や学校が優秀な人材を選別するのと同様に、市場原理にもとづく経済行為としておこなわれる。政策的におこなわれるにせよ、経済行為としておこなわれるにせよ、それらが差別的な人為であることに変わりはない。◇けれど、逆に、医療や福祉の充実した先進国では、自然界で生きるのが困難だった弱い遺伝子も、生き残る確率を高めてきた、という側面があります。昔なら若くして亡くなったであろう、病弱な子供や身障者であっても、先進国でなら成人して子供が産めるようになってる。それもまた、自然選択に逆らった人為であるのに違いはないし、技術的にはあらゆる遺伝子のバリエーションを残すのも、可能になっていくのだろうと思います。◇そう考えたときに、自然選択に逆らった人為はどこまで許容されて、遺伝子選別はどのようになされるのが正しいのか。進化論的な自然選択と同じように、自由経済の市場原理に任せるべきなのか。それとも国家的な政策介入によって、遺伝子選別のありかたに規制をかけるべきなのか。それとも近視眼的な人間の判断を排除して、いっそのことAIのマッチング技術を駆使し、未来社会に適した人材養成と、持続可能な人口調整をはかっていくべきなのか。社会的な議論においては、そこまでの判断が必要になってくると思います。燕は戻ってこない/桐野夏生【1000円以上送料無料】 楽天で購入
2024.05.03
NHK「燕は戻ってこない」を見ました。女性の卵子売買の話です。原作は桐野夏生。脚本は長田育恵。石橋静河をひさしぶりに見ました。NHKはわりと彼女を積極的に起用しますが、民放だと坂元裕二ぐらいしか使ってないよね。◇タイトルの意味は、卵を産みっぱなしで戻ってこない母鳥?あるいは自分の巣を知らずに育った雛鳥?中絶や流産の話に加えて、ゆで卵、たらこ、ペットショップの子犬など、さまざまな命の売買の話が出てきて、主人公の友人は性の売買もしてるらしい。なお、NHKの「クローズアップ現代」でも取り上げてましたが、すでに女性の卵子売買は、国内にエージェントが存在して実際に行われてるそうです。https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4868/第一に考えねばならないのは、やっぱり安全上のリスクですよね。まるでニワトリみたいに、いちどに数十個の卵子を作ったりするらしいし、不自然なことを人為的にやるわけだから、女性や子供の身体に問題が生じないのか気になります。◇不妊治療のバリエーションとしては、夫婦の体外受精のほかにも、・女性の卵子の凍結保存・男性の精子の凍結保存・他人からの卵子の提供・他人からの精子の提供・自分の腹から他人の子を産んで育てる・他人の腹から自分の子を産ませて育てる・他人の腹から他人の子を産ませて育てる…などがあると思いますが、今回の物語では、「夫の精子」「他人の卵子」「他人のお腹」で産む、ということのようです。倫理面での考え方は人それぞれでしょうが、これって、結局のところ、男性中心主義か女性中心主義かの問題ですよね。要するに、妻の卵子を使うにせよ、他人の卵子を使うにせよ、妻の腹から産むにせよ、他人の腹から産むにせよ、あくまで「夫の精子を使う」という点では変わりないので、問題になるのは、他人の卵子やお腹やお乳を使った場合に、妻が「自分の子」として受け入れられるかってこと。そして卵子やお腹やお乳を提供した女性の身体が、ただの道具(もしくは商品)になってしまうってこと。夫にとっては自分の子でも、妻との血縁や身体的な結びつきが薄いとなれば、それは養子を引き取る感覚に近い気がする。あるいは夫の連れ子を引き受けるような感覚?◇かつての天皇家や将軍家と同じように、男系男子の後継を必要とする家であれば、女側の遺伝子が正妻のものである必要はなく、優れた遺伝子の女性なら誰の卵子でもいいのよね。あくまで重要なのは、夫にとって「自分の子」ということであり、妻にとって「自分の子」か「他人の子」かは問題じゃない。妻の卵子である必要もないし、妻のお腹から産まれる必要もないし、妻のお乳で育てる必要もないわけです。実際のところ、昔は「正妻」「妾」「乳母」の分担があって、それが男系男子を産むための合理的なシステムだった。それが少子化や貧困の問題も相まって、一夫一妻制の現代にも復活してるのだと思います。◇でも、そこまでして子供が欲しいというのは、やはり男系の後継を必要とするような家だと思うし、そういう家では、あくまで女性は道具でしかないのであって、とくに貧しい女性たちは、そういう家に卵子やお腹を提供するか、あるいは乳母になるといった立場に置かれる。たとえ正妻になれたとしても、自分の子をもてるとは限らないのよね。時代劇を見てても思うけれど、こういう家にとって正妻の存在意義って何なのかしら?どこぞの女性に卵子とお腹を提供してもらい、産まれた子は乳母に育てさせればいいのだから、はなから正妻なんて必要ないじゃん!と思ってしまう。ある意味、セフレと大差ないのでは?◇そんな男系嫡子製造システムとして、現代にも、「卵子の商品化」「お腹の商品化」「お乳の商品化」といった話が出てきてるわけだけど、たんに卵子を提供するだけなら、大奥に入ったり妾になったりするよりマシかな、…って気がしなくもありません。もちろん、実際は、けっこう身体的な負担があるようですが…。自分の知らないところに、自分の遺伝子を受け継いだ人間がいるってのは、女性の歴史のなかでは珍しいことだけど、男性の歴史のなかでは珍しいことじゃないよね。ただし、子供の側からすれば、「自分の出自」を知る権利は保障されるべきだし、そうした権利を無視して子供を製造してるとすれば、女性のみならず子供も道具(もしくは商品)にすぎないでしょう。◇ちなみに、もし「女系の子」を産むとなった場合には、精子は誰のものでも構わないけれど、卵子は絶対に妻のものでなければならない。もし夫が種なしだったら、別の優れた男性から精子の提供を受けて、さらには必要に応じて、他の女性のお腹やお乳も借りることになる。男子のいない場合に、娘に婿を取って家業を継がせることはあるし、そういう家でなら、「娘の卵子さえ使えばいい」という考え方も、ありえるのかもしれませんよね。燕は戻ってこない/桐野夏生【1000円以上送料無料】 楽天で購入
2024.05.02
もともとホナミはゲイだったのかな。坂東彌十郎が、長身(183cm!)でスタイルがいいのもあるけど、どことなく身だしなみにもゲイっぽさを感じます。◇あの大きな邸で、老いた病体なのに、家のことを全部一人でやってるのも不思議だけど、会社の経営者だっただけあって、几帳面かつ生活力がある人なのだなとは思う。一代で会社を築いたのか、先代から継いだ会社なのか分からないけど、女性と結婚して娘をもうけたわけよね。でも、もしかしたら、彼がゲイであることを妻や娘が知って、家族関係が崩壊してしまったのかも。ホナミにとっては、孫が女の子でなく男の子であることが、よけいに嬉しくて可愛いのかな?…って気もする。◇そもそも、ホナミが美少女アバターとして振る舞ったのは、男性との出会いを求める下心があったからでは??性同一性障害でもないかぎり、ゲイの人が女性の容姿になろうとはしない気もするし。ナオキの場合、女性への変身願望はあったでしょうが、自分が男性であることを隠していませんでした。しかし、ホナミのほうは、(名前が女性っぽいのもあるけど)自分が男性であることを隠してましたよね。ナオキは、ホナミに対して、あきらかに異性愛を感じてたけど、たぶんホナミのほうは、(いつナオキが男性だと気づいたか分からないけど)ナオキに同性愛的な感情で接してたと思う。だから、リアルで対面しても、ナオキが男性であることに狼狽えなかったし、それどころか、最初からウェルカムな感じでしたよね。でも、いまや、ナオキまで自分からキスしたいと言い出す始末(笑)。もちろん、アバターをとおしてではあるけれど…。ちょっとゲイのマインドが出てきたのかしら??それとも、リアルのホナミに対して、女性的なものを感じはじめてるとか?VRおじさんの初恋 ー白色矮星ー【電子書籍】[ 暴力とも子 ] 楽天で購入
2024.05.01
夜どら「VRおじさんの初恋」では、アバターでのバーチャルな恋愛が描かれてますが、高齢の男性どうしが、おたがいに性別や年齢や容姿を変え、どちらも少女の姿をしてるので、当然ながらリアルとのギャップに直面する形になる。◇でも、将来的に、アバターでの生活のほうがリアルよりも長くなれば、リアルとのギャップは気にしなくなるだろうなと思う。現段階でのバーチャルリアリティは、おもに視覚や聴覚の体験しかできないのだろうけど、近い将来には、嗅覚や味覚や触覚での疑似体験も可能になるだろうし、五感での体験が可能になれば、アバターをとおしたバーチャルな生活は、リアルな生活を上回ってしまう可能性があります。◇以前も書いたように、https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202403130000/わたしは、人間が《身体に縛られた存在》であるのに対して、AIは身体をもたず《純粋に精神的な存在》でありうる、…と思ってるわけだけど、じつは、人間も、アバターでの生活ができるようになれば、かなり身体の呪縛から解放されるんじゃないかしら?実際、アバターをとおした人間関係なら、容姿や年齢や性別で差別されることなく、純粋に互いの人格や能力を尊重しあう形で、コミュニケーションがとれるようになるはず。◇とくに仕事上の人間関係については、なるべく早くアバターへ移行すべきですよね。そのほうが、声がデカいだけのパワハラおやじや、容姿だけが優れたイケメンや美女ばかり出世するような、おかしな状況を終わらせることができるし、出勤する際の身だしなみに、ムダな時間的・経済的コストを費やす必要もなくなる。そして、なにより、外見にとらわれることなく、本当の意味での能力主義で人材を評価できるようになる。そのほうが社会のポテンシャルを正当に引き出せるし、ひいては国力を高めることにもなります。国や企業は、このイノベーションにおいて後れを取るべきではなく、むしろ一刻を争う課題じゃないでしょうか。VRおじさんの初恋 ー白色矮星ー【電子書籍】[ 暴力とも子 ] 楽天で購入
2024.04.28
テレ朝「Believe~君にかける橋~」を見ました。脚本は井上由美子です。建設事故をめぐる物語ですが、話の前提に無理があるんじゃないかしら?◇たしかに、たとえ業務上過失だとしても、多数の死傷者が出るような事故を起こしたら、わたしも実刑にするのが当然だと思うし、とても執行猶予で済まされる話ではありません。執行猶予で済む話じゃない!しかし、かりに事故原因として、A.自社の設計変更による過失B.下請け会社の意図的な手抜きの2つを仮定した場合、どちらも人災ではあるけれど、自社の責任が大きく問われるのは、どう考えてもBじゃなくてAのほうでしょ!!自社の設計ミスのせいで橋が崩落しました…なんて言ったら、企業の信用はガタ落ちです。それよりは、下請けの手抜き工事のせいにしたほうがまだマシ。まして、わざわざ下請けの手抜きを隠蔽するために、自社の設計ミスを装うなんてありえない。設計ミスのほうが、よほど自社の信用を損ねるはず。設計ミスは《不可抗力の事故》じゃなくて《人災》でしょ!悪徳業者に発注した責任よりも、安全な設計すら出来ない無能さのほうが問題でしょ。そんな企業に大規模事業を任せられない。まあ…おおかた小日向文世が、手抜きした下請け会社からキックバックを得てるとか、そういう裏があるのだろうとは思うけど、かりにそうだとしても、キムタクが小日向文世の要求を呑むこと自体が変。自分が罪を背負うばかりか、会社にとってもダメージにしかならないのだから。会社の罪を背負ったキムタクの立場は、財務省の罪を負った佐川宣寿にもちょっと似てますが、小日向文世が、会社の犯罪をキムタクに背負わせるなら、よほど彼の弱みを握って、餌をぶらさげて、従わざるを得ない状況へ追い込まなければ無理です。キムタクが、ただ会社を守るために罪を背負ったとしたら、あまりにお人好しがすぎてアホとしか言えません。…アホかなとは思うけど同情はしない。『Believe』初回 “狩山”木村拓哉、逮捕の理由にネット同情「これはエグい」(ネタバレあり) #びりーぶ #木村拓哉 @believe_tvasahihttps://t.co/sT4xd3aXyC— クランクイン! (@crank_in_net) April 25, 2024
2024.04.27
NHK「VRおじさんの初恋」。全32話のうちの第15話まで来ました。ちょうど半分の折り返しですが…ホナミの中の人の死期が迫ってる感じ。◇今回のドラマには、設定の新しさとインパクトにおいて、5年前の「腐女ゲイ」に匹敵するものを感じます。実際、内容にも「腐女ゲイ」との共通点があって、《本当の自分とは誰で、本当の相手とは誰か》…についての混乱がテーマなのよね。◇よるドラ「腐女子うっかりゲイに告る」は、女子高生の告った男子がゲイだった…という話。そして、そのゲイの男子高生は、ネットで交流するゲイの先輩に相談に乗ってもらってて、その人はエイズで亡くなってしまうのだけど、死後に彼の家を訪ねてみたら、じつは自分より若いローティーンの少年だった…という話。いずれにしても、リアルな正体が見た目とは違ってて、どちらが真実の姿なのか驚き混乱してしまう設定です。◇今回の「VRおじさん」は、いちばん純真で美しく見えるヒロインが、じつは死期の迫ったお爺さんだった…という話。それ以外の登場人物は、みんな心がねじけて一癖あるキャラばかり。なお、死期の迫っているヴァーチャルな美少女は、銀河鉄道の夜のカンパネルラにも重ねられており、宮沢賢治の物語と同じように、タイタニックのモチーフも取り入れられてます。フィルハーモニック・オーケストリオン《タイタニックモデル》#夜ドラ【#VRおじさんの初恋】第14回のご視聴ありがとうございました✨旅を再開したナオキ(#倉沢杏菜)とホナミ(#井桁弘恵)。新世界ホールでのオフショットをどうぞ📸自動演奏楽器の音色もステキでしたね…🎶#VRおじさん#野間口徹#坂東彌十郎本編は配信中📱https://t.co/NVfOJHwz3i pic.twitter.com/xvSQj0o4hG— NHKドラマ (@nhk_dramas) April 23, 2024そして、ヴァーチャルな世界では、少女どうしがハグやキスをする場面もあって、見た目には女性の同性愛に見えるのだけど、じつは双方ともに異性愛を感じてるはず。そして、リアルな姿になったとき、それが男性の同性愛だったことに気づく!しかも、高齢男性どうしの同性愛なのですね。これは、考えうるもっとも極端な例ではあるし、えげつないけれど、ありうる話だろうと思う。かりに性別が違わなくても、アバターの姿とリアルな姿とで、年齢や容姿が違うなんてのは、いくらでも起こりうる。…もっとも、このドラマの場合、死期の迫った高齢男性にとっては、若い命に対する憧憬のほうが上回って、相手が男なのか女なのかは、どっちでもよくなってるのかも。◇これは、ある意味で《入れ替わり》の物語ともいえます。すなわち、心が別の身体に乗り移ってしまう話。ただし、大林宣彦の「転校生」や、新海誠の「君の名は」の場合は、本人の意思で別の身体になるわけじゃないけど、アバターの場合は、あくまで本人の意思で別の身体になるわけなので、むしろアバターでいるときのほうが、その人の本性が現れてるともいえる。したがって、アバターのほうこそが真実の自分で、むしろリアルのほうが偽りの姿というべきかもしれません。◇とはいえ、アバターでいるときの関係が、リアルな関係への橋渡しだとすれば、どうしてもリアルに戻ったときの姿を意識せざるをえない。どちらを真実の自分と考えるか。どちらを真実の相手と考えるか。そのことに混乱してしまいますよね。たとえば、俳優さんなどの場合も、「恋人役の相手に恋愛感情を抱いてしまう」…みたいな話をよく聞きます。演じてるときの関係と、演じてないときの関係の境界が曖昧になって、どちらが真実なのかが分からなくなる。リアルのほうを真実と考えてしまったら、アバターでいるときの関係は宙に浮いてしまう。でも、アバターでいるときの関係が、お互いにとってかけがえのないものなら、たとえリアルな姿とのギャップがあったとしても、その関係を捨てる必要はないんじゃないかな…。◇そう遠くない近未来に、人間がアバターでいる時間のほうが長くなれば、リアルな姿に戻ることを意識しなくなるのかも。たとえ性別や年齢や容姿が、リアルなときとは大きく違ってても、そこへ戻ることを意識する必要がないなら、おたがいにアバターの姿のまま、友情や恋愛を育むことも可能なのかなと思います。◇◇◇ちなみに昨夜の第15話は、なんてことのない内容だったけど、それぞれの登場人物のセリフに、ちょっとずつ毒があったりして、やりとりがとても面白かったので、その一部を以下にメモしておきます。佐々木:クッキーどうぞ加藤 :もらうと返さなきゃいけないので要らないです佐々木:お返しなんて気にしないで、どうぞ加藤 :佐々木さんが気にするかどうかは気にしてません。自分が気になるのが嫌なんです佐々木:そうですか*堀 :お見舞い行くならスケジュール調整しますから、何なりと 飛鳥:要らない。どうしても必要なら葵に行かせる堀 :社長、家族にだけは優しくないっすよね 飛鳥:遺伝じゃない? *佐々木:澤田さんが見て来いって。もしものことがあったら寝覚めが悪いって直樹 :ひどい言い方だな 佐々木:優しさを素直に言えない人、多いですよね直樹 :澤田さんは違うでしょ*直樹:アイスコーヒー「L」ください荒井:今日は寒いですけど直樹:寒い時ほど飲みたくなります荒井:風邪ひかないように*荒井:若いのに現金って珍しいよね加藤:払う実感ないと美味しくないからちょっとしたセリフのやりとりに脚本のセンスを感じる。それとも原作どおりなのかしら?VRおじさんの初恋 ー白色矮星ー【電子書籍】[ 暴力とも子 ] 楽天で購入
2024.04.25
朝ドラ「虎に翼」on NHK。吉田恵里香の脚本の非凡さが、話が進むほどに際立ってきてる感じです…。前の記事にも書いたとおり、大森美香の手法に倣ってる面もあると思うけど、ただそれだけじゃないことが分かってきた。◇大森美香の手法というのは、簡単にいえば、ヒロインを不幸にしないこと。そのもっとも典型的な例が「あさが来た」です。周りに不幸なキャラは登場するけれど、ヒロインは基本的に幸福な家庭に生まれ育って、幸福な家庭に嫁いで、幸福なままに人生を終える。これが、朝ドラにもっとも適したスタイルであることを、2015年の「あさが来た」は強力に証明したと思う。いまのところ、今回の「虎に翼」も、その手法に倣ってるように見えます。しかし、吉田恵里香の脚本は、たんに大森美香の方法論を真似てるだけじゃない、…ってことが、だんだん見えてきました。◇第一に、この「虎に翼」は、たんなる伝記ドラマではない のですね。社会的なテーマを扱ってますが、それはけっして過去の話ではなく、きわめて現代的な内容になっています。朝ドラが、ここまでアクチュアルな問題に挑んだことは、過去に例がないんじゃないかと思う。◇これまでも吉田恵里香は、テレ東で「チェリまほ」を書き、NHKで「生理のおじさん」「恋せぬふたり」を書いており、果敢にジェンダーの問題に取り組んできてる。今回の「虎に翼」でも、現代社会におけるフェミ議論を挑発したりと、社会的なテーマをしたたかにエグってますし、それを朝のエンタメの枠組みのなかで巧く見せてます。こういう面においては、むしろ大森美香の「シッコウ」などを上回っている。◇わたしは、NHKの「恋せぬふたり」は見ましたが…残念ながら、テレ東の「チェリまほ」は見てなかったし、NHKの「生理のおじさん」は終盤部分を見ただけ。もともとNHKが、ジェンダーや月経の問題に取り組んでることに、ある程度の注目はしてたつもりだけど、脚本家の吉田恵里香のことは意識してませんでした。しかし、NHKは、彼女のポテンシャルを見抜いてたのでしょうね。この若い脚本家の能力をうまく引き出してると思います。◇第二に、失礼を承知で言いますが、今回の「虎に翼」には、美男も美女も登場していません。ヒロインは美女ではないし、そのお相手になる男性もイケメンではない。つまり、メインのキャラのなかに、典型的な美男や美女がひとりもいない。唯一「美女」と呼べるのは石田ゆり子だけだと思う。第4週には、いちおう岩田剛典が登場してますが、彼も一般的な「イケメン」の役回りとは違っていて、むしろ悪役になりそうな雰囲気を漂わせてます。こういうところも、従来の朝ドラのセオリーを大きく破ってますが、おそらく意図的なのでしょうね。◇すなわち、このドラマは、男性はもちろん、女性にさえも、「美」の役割=ジェンダーを求めてないのですね。そのこと自体がとても政治的だといえる。実際のところ、女に対して安易に「美」を求めるのは、本来ならポリコレに反するはずなのだけど、いまのところ、NHKにも、民放にも、その倫理規範にまともに向き合ったテレビ番組は、ほぼ存在していません。報道番組も含めて、あらゆるテレビ番組は、意識するとせざるとにかかわらず、ほぼ例外なく女に「美」を求めてしまっています。でも、今回の朝ドラは、そのことにすら抗ってるように見える。この公式ツイートはおそらく意図的なミスリード。🐯 #トラつばプレイバック 🪽寅子たちを温かく出迎えてくれたのは、クラスの中心的存在・花岡悟。花岡に「あなた方は開拓者。本当に尊敬している」と言われ、ほうけてしまう寅子たちです☺#朝ドラ #虎に翼#伊藤沙莉 #土居志央梨 #桜井ユキ #平岩紙 #ハ・ヨンス #岩田剛典 pic.twitter.com/Ehh0RqQBKy— 朝ドラ「虎に翼」公式 (@asadora_nhk) April 21, 2024 これもミスリードになってました。🐯 #トラつばオフショット 🪽無事に迎えた直道と花江の結婚式👰🏻♀️家族での記念写真&新婚夫婦2ショット!この二人ならずっとラブラブでいてくれる気がしますね…🥰#朝ドラ #虎に翼#伊藤沙莉 #石田ゆり子 #岡部たかし#上川周作 #森田望智 #永瀬矢紘#赤間麻里子 #横堀悦夫 #小須田康人 pic.twitter.com/7rPjvKERhn— 朝ドラ「虎に翼」公式 (@asadora_nhk) April 3, 2024
2024.04.23
テレ朝「警視庁捜査一課長」。今回でスペシャルは10回目。12年前のシリーズ第1作以来の、斉藤由貴×朝倉あき=東宝シンデレラ共演!宝塚の咲妃みゆは舞台千尋のリンですね。猫のビビちゃん(by 黒豆)は最後の出演だそうです。◇以下はネタバレ!別れた旦那から5000万円をせしめようと、狂言誘拐を偽装した母親(by 杉田かおる)。しかも、誘拐させようとしたのは実の娘じゃなく、両親を事故で亡くして引き取られた親戚の娘。血の繋がらない娘のために、別れた旦那が5000万円も用意するわけないでしょ!そんなに親切な旦那なら離婚しなきゃよかったのに!…と思ったら、あやまって実の娘のほうが誘拐されてしまった。◇ガチャ運がよすぎるのか、大福(by 斉藤由貴)みたいに、勘がよすぎる永井杏子(by 朝倉あき)。さすがは東宝シンデレラのファイナリスト!(またの名を準グランプリとも言いますが)注文も聞かずに、客好みのパフェを作ってしまう能力もさることながら、子供のころからアイスの棒も当てまくっていた。犬並みの嗅覚。わたしが子どもだったころ by NHK。とはいえ、「アイスの当たり棒をもってくる娘を誘拐しろ」って、そんな不確実な指示で大丈夫なのかしら?ほんとに当たるかどうか分からないし、そもそも、そんなに確実に当たりを出されたら、駄菓子屋のほうが商売あがったりでしょw案の定、当たっちゃったのは実の娘のほうで、マジで誘拐されたうえに5000万円も持ち逃げされた。◇偽装誘拐の実行犯の男は、持ち逃げした5000万円で会社を立ち上げ、令和の承認欲求モンスターに変貌!ちなみに承認欲求モンスターの名前なら、「飯根望いいねのぞむ」のほうが分かりやすいと思うけど、「飯吉望いいよしのぞむ」ってのは、微妙に分かりにくい。そんな令和の承認欲求モンスターも、昭和生まれのパワハラ体質がバレて、世間のキャンセルカルチャーにさいなまれ、ひたすらエゴサしまくる日々を送ってる。そして殺人のアリバイ工作に用いたのは、寝台特急「サンライズ出雲」の時刻表トリック(by 西村京太郎)?なお、演じていたのは、由貴ちゃんとライブで共演したばかりの橋本さとし。各事務所のOKが出たので昨日の立川バースデーライブの全員写真を。🎵#斉藤由貴#鈴木蘭々#ソニン#橋本さとし#立川智也#佳尚#草間信一#細田幸子#是永巧一 pic.twitter.com/vmiGrMMNB8— 是永巧一 (@KORE1225) March 18, 2024寝台特急「サンライズ出雲」の殺意 (新潮文庫) [ 西村 京太郎 ] 楽天で購入 ◇昭和生まれの姉が、生前に和菓子職人を目指してたので、平成生まれの血の繋がらない妹も、その遺志を継いで昭和レトロなパティシエに。しかし、SNSでの拡散を避けるべく店を移転しつづけ、人呼んで「さすらいのパティシエ」になってしまった。それを追っかけるAI男子も、デジタルデトックスの欲求が高じるあまり、令和の見守りストーカーになっちゃったのね。昭和の盗撮ストーカーよりはマシだけど。AIで偽画像を作ったり、なりすましSNSを立ち上げたりして、推しパティシエのアリバイ工作までやっていた。◇殺された押尾貴代の名は、「推しヲタかよ!」ってのが由来な気もするけど、とくに推しがいたようには見えません。むしろ彼女も承認欲求モンスターだった。パワハラされた腹いせに、偽造したアイスの当たり棒で、上司から5000万円を強請ろうとしたものの、万引きしたらしき昭和のおみくじ器からは、《認められたいと願うほど認められず》という大凶の結果が出ていたのですね。そして占いどおりに殺されてしまった。◇さらに名前ネタに言及すると…杉田琴音は過ぎたことね。今戸希菜子はイマドキな子。片石堅郎の名も由来が不明だけど、硬いし堅牢ってことかしら??永井多恵は自責の念に長いあいだ耐えてきた。そして「最後の昭和の子」だった昭子はともかく…血の繋がらない杏子の名前は、やっぱりネタ元がいまいち分からない。わたし的に思い浮かぶのは、ニコニコ日記の永井杏(by 大森美香)なのだけど。
2024.04.19
夜ドラ「VRおじさんの初恋」。第9~10話を見ました。特別列車のチケットで隠しワールドへ。そして約束の場所での祈りと別れ。◇たしかに宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」って、現代のVRの世界みたいだなと思いました。この世ならぬ世界。性別のない世界。この世で生きることを諦めた人たちの世界。井桁弘恵が、本当にファンタジックな美少女に見えます。#夜ドラ【#VRおじさんの初恋】\第10回は今夜10:45放送!/第9回をプレイバック🎥「好きで好きで、どうしようもないんだ!」直樹=ナオキの熱い告白が胸を打つ名場面です😌#VRおじさん#野間口徹#倉沢杏菜 #井桁弘恵続きは NHKプラスで配信中📱https://t.co/xEKx9dxfnR pic.twitter.com/x8cctyzJGU— NHKドラマ (@nhk_dramas) April 16, 2024 #夜ドラ【#VRおじさんの初恋】\第9回はあす夜10:45放送!/教えて!VRおじさん👀列車のシーンはどうやって撮影したの?Point💡➀巨大LEDモニターで動く風景を再生②列車の揺れは人力で!https://t.co/2I0dQC4RRe#VRおじさん #野間口徹 #倉沢杏菜 #井桁弘恵 pic.twitter.com/SvpRn7VAVG— NHKドラマ (@nhk_dramas) April 14, 2024 VRおじさんの初恋 (ZERO-SUMコミックス) [ 暴力 とも子 ] 楽天で購入
2024.04.17
NHK大河「光る君へ」第14話。貧しい女児に文字を教えようとした主人公。しかし、その意義は誰からの理解も得られぬまま、苦い挫折を味わうことになりました…。◇なぜ紫式部は、不倫男の官能小説「源氏物語」を書いたのか?!もしかして日本人の識字率を上げるためだった?!たしかに、どんなに「文字を覚えましょう♪」と呼びかけても、バカな貧乏人にはその意義が伝わりませんよね。貴族の学問など、平民が生きるうえでは何の役にも立たない!!…みたいな先入観もあったでしょうし。◇ならば、エロいポルノ小説を書いて世間にばらまこう!そうすればバカな貧乏人たちも、必死になって文字を学ぼうとするにちがいない!…みたいな発想があったのかしら?たしかに、その意味でなら、ポルノ小説にも社会的な効用はありますよね。いわば文字を学ばせるための「釣り」として。◇まあ、当時は著作権もないし、印税収入もないので、小説家などという職業もまだ存在しませんし、かといって、紫式部もただの余興で書いてたわけじゃなく、平民のためのボランティアで書いてたわけでもない。通説によれば、当時の文学作品は、お妃候補のサロンを盛り立てるための呼び物だったらしい。他の妃よりも、天皇が娘のもとを訪れてくれるよう、そのサロンを楽しく盛り立てる。彰子サロンを盤石にするため、『源氏物語』の作成から製本までがプロジェクトとして組まれたわけです。そのサロンを挙げての物語作りとPRのパトロンが、彰子とその父・道長であり、実質的な最高責任者が紫式部でした。https://diamond.jp/articles/-/336452?page=2◇でも、このドラマのなかでは、藤原道長も、紫式部も、清少納言も、もっと高い「志」をもってそうな感じがしますよね。もしかしたら、道長や倫子さんらがパトロンになって、日本人の教養と識字率を高めるための社会事業として、紫式部に王朝文学の制作を委託した…みたいな話かも。◇実際のところ、紫式部に、平民の識字率を上げようとの構想があったかは不明だし、そもそも書写された「源氏物語」が、ひろく平民にまで読まれたとの記録も存在しないはず。でも、もしかしたら平民だって読んでたかもしれない?!すくなくとも貴族の男女の教養を高めるうえで、紫式部の官能小説には社会的な効用もありましたよね。やっぱり学問って、楽しくなけりゃ広まらない。そういう発想は現代の教育行政にも必要だと思います。◆◇ #光る君へ ギャラリー◇◆【第十四回】星落ちてなお本日4月7日(日)[総合] 夜8時00分[BS・BSP4K] 午後6時00分[BSP4K] 午後0時40分▼あらすじhttps://t.co/4N5Ptdi9CQ▼相関図https://t.co/TynuXZrLUS#吉高由里子 #まひろ #紫式部 pic.twitter.com/pE8YEXfooO— 大河ドラマ「光る君へ」(2024年) (@nhk_hikarukimie) April 7, 2024
2024.04.14
遅ればせながら、朝ドラ「虎に翼」第1週を見ました。これってもしや「シッコウ‼」の続き??テレ朝のドラマでは、織田裕二から伊藤沙莉が「子ども六法」をもらい、本格的に法律を学びはじめるところで終わりましたが…NHKでは、石田ゆり子から戦前の「六法全書」を買ってもらって、そこから伊藤沙莉の法律家人生がスタートするっぽい。 目指すのは執行官じゃなく弁護士だけど!!ドラマのテイストも、どことなく大森美香が脚本を書いてる??と思わせるような雰囲気があって…そういえば、小林薫も「青天を衝け」の父親だったし、キャストの面子がなんとなく大森ドラマっぽいのよね。ってことで、かなりわたし好みな作風。◇なお、主人公が「梅丸少女歌劇に入りたい」と言ってたのは、たんに前作ブギウギをネタにしただけかと思いきや…ヒロインのモデルの三淵嘉子は、ほんとうに宝塚のファンだったようです。ブギウギ的にいえば、梅丸じゃなく花咲のファンだったのですね。嘉子は、男役の雪野富士子の大ファンでした。雪野は宝塚少女歌劇団雪組の男役でしたが、1934(昭和9)年に退団、若くして亡くなりました。https://news.yahoo.co.jp/articles/73500afd69bc299a8e79461519410f3d85c81a50?そして、母親の実家が四国の香川だったのも史実らしい。三淵嘉子の両親は香川出身なのですね。嘉子の父・武藤貞雄は四国・丸亀の出身で、地元の名家・武藤家に入婿して一人娘のノブと結婚した。ノブもまた当主・武藤直言の実子ではない。彼女の実父は若くして亡くなり、6人の子だくさんだった一家は生活に窮してしまう。そのため末っ子だった彼女は、伯父の直言に養女として引き取られた。https://news.yahoo.co.jp/articles/36935cc265b7af889bd8767ed68c7b80b2d411d8?ある意味で、ヒロインの母親の境遇は、笠置シヅ子にも重なる部分があるかもしれません。…かたやヒロインの父親は、香川から東京帝大へ進んだ超エリートなので、タダで銭湯に入るアホのおっちゃんではありません。【#ブギウギ 登場人物紹介💃】アホのおっちゃん:岡部たかしいつも薄汚い格好をして、よく酒に酔っているおっちゃん。大工仕事が得意。なぜか、おっちゃんだけはいつもタダで銭湯に入っている。#アホのおっちゃん pic.twitter.com/0wTKH1f3tu— 朝ドラ「ブギウギ」公式 (@asadora_bk_nhk) September 4, 2023 ◇それにしても、去年の卯年は、大河も朝ドラも「兎」だらけだったのに、なぜか今年は辰年にもかかわらず、タイトルが「虎に翼」でヒロインが「寅子」とは…これいかに??しかも苗字が「猪爪」で、初週のサブタイトルが「牛を売る」って、やたらと動物だらけだし!トラが、イノシシの爪と翼を生やしてウシを売ったら、辰年の龍になるってか??いまにも龍になりそうな虎。描いたのは北斎ではなく娘の応為だとわたしは思う。【展覧会情報】あべのハルカス美術館(大阪市阿倍野区)では、10/6~11/19、「北斎ー富士を超えてー」展を開催。北斎の晩年に特にスポットを当てる。イギリスの大英博物館では同様の展覧会が5/23~8/13に開催。詳しくはhttps://t.co/3Cd7mSZZ0P pic.twitter.com/HDLCB3tnkI— 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art (@ukiyoeota) March 29, 2017
2024.04.11
NHK大河「光る君へ」。毎週欠かさず見てます!だいたい4分の1が終わった感じ?◇正直、大石静には何の期待もしてなかったのだけど、想像を超える面白さにびっくりしてます。簡単にいったら、オジサンたちが権謀術数に明け暮れるかたわらで、女子たちが「ウフフ、オホホ」とお喋りしたり恋したり、…ってだけの話なんだけどwなんでこんなに面白いんでしょうね。◇柄本佑と吉高由里子は、けっして現代的な「美男美女」ではないけれど、2人とも目が切れ長で和風顔だから、あれこそ平安時代の「美男美女」だと信じたくなるし、いまさらながら絶妙な配役だと感心します。そして音楽の冬野ユミは、黒島結菜の「アシガール」のときにも、甘くてファンタジックな曲をつけてましたが、今回もまた、かなり自由自在に、平安ファンタジーっぽい甘美なテーマ音楽と、ジャズもまじえた現代的な劇伴をつけてるのが良い。◇若手のキャストたちが、毛筆草書を吹き替えなしでやってるのも凄いけど…馬を乗りこなして「打毬」をやってたのも凄かった。あの「打毬」という競技は、ハリポタの「クィディッチ」に似てましたが、紀元前6世紀ごろのペルシャの発祥で、日本の「打毬」のほうが英国の「ポロ」より古いのだと。たぶんハリポタの「クィディッチ」は、英国の「ポロ」をもとにしてるのだと思います。◇さて、前回の大河も「ファンタジーだ!」と叩かれましたが、今回はそれをも凌ぐ超絶ファンタジーwいちおう考証担当者は7人くらいいるらしいけど、資料が少なくて分からないことが多いのか、事実関係を考証してるのは倉本一宏ひとりだけ。紫式部と藤原道長 (講談社現代新書) [ 倉本 一宏 ] 楽天で購入 そのほかの担当者は、建築とか、芸能とか、和歌とか、料理とか、おもに社会風俗の考証をおこなってるようです。まあ、平安時代の社会風俗をドラマで再現するだけでも、歴史研究をうながす意義は十分にあると思う。そのほか、「下っ端の藤原氏より後ろ盾のある源氏のほうが身分が上」みたいな当時の事情を知れるのも面白い。◇ちなみに、ただひとり事実関係の考証を担う倉本一宏でさえ、「紫式部と道長が幼馴染みなんてことはありえない!!」と断言してますwここ最近は毎年3人くらいで分担している時代考証ですが、今年はどうも私1人しかいないらしい。紫式部と道長が幼なじみだという設定から出発しているのですが、実はそもそもこの設定自体が史実に反します。NHKが制作発表の段階で発表してしまったため変えられないので妥協することにしましたが、実際には、2人が幼なじみだったということも恋仲だったということもあり得ません。https://www.todaishimbun.org/drkuramoto_20231228/その前提からしてファンタジーだとしたら、「道長の兄が紫式部の母を道ばたで刺し殺した」なんて事実もありえないわけで…逆にいったら、ほんとうの史実はどこにあるの??って話。◇わたしが思うに、ここまでの4分の1の内容は、おもに《藤原兼家の権力闘争》の史実を中心に、フィクションをまじえて作ったのだと思います。とくに、花山天皇の退位(寛和の変)とか、そのあとの高御座「生首」事件とかは、それなりの資料にもとづいていたはずです。もちろん、当時の資料それ自体が捏造だったら、それすら史実じゃない可能性もありますがw◇前回の大河が「ファンタジーだ!」と叩かれたわりに、今回の大河にその類の批判が少ないのは、もともと大部分の視聴者が、過去の少女漫画や少女文学をとおして、いわゆる「王朝ファンタジー」に慣れてたからでしょう。大和和紀『あさきゆめみし』1979山岸凉子『日出処の天子』1980氷室冴子『ざ・ちぇんじ!』1983氷室冴子『なんて素敵にジャパネスク』1984逆にいうと、そういう「王朝ファンタジー」に慣れてない人たちは、そもそも今回のドラマを観てないよね。なので、視聴率は低いけど、そのぶんバッシングも相対的に少ないってこと。それをもって作品の優劣を論じても意味がありません。◇結局のところ、視聴者の多くは、慣れ親しんだイメージに近ければ納得するし、そうでなければ「史実と違う!」といって騒ぎ出す。たとえば司馬遼太郎を愛読してきた人たちは、それが「史実だ」と思い込んでるし、かたや大和和紀の漫画などを読んできた人は、そこに「歴史の実態がある」と思い込んでいる。そういう素人の視聴者が、ネットなどで繰り広げてる「史実論争」ってのは、ほとんどの場合、クソほどの価値もないバカ論争ではあるのだけど、かりにファンタジーであったとしても、凝り固まった歴史のイメージが変わっていくことは、それなりに意味のあることだと思います。すくなくとも、これまでのような、男性小説的な《戦国武将劇》への偏重から脱して、少女漫画的な《平安貴族劇》が増えることも、中世史への関心を高めるためには必要なことだし、今後は《江戸町人劇》なんかも増えたらいいと思う。◇なお、今作が「平安ファンタジー」であることは、安倍晴明の祈祷から始まったことに象徴されてますが、じつは、このドラマの中で、藤原兼家と道長の2人にかぎっては、陰陽術をぜんぜん信じてないという設定になってます。とくに藤原兼家は、安倍晴明のインチキを見破ったうえで利用してますね。実際、高御座「生首」事件が史実だったとすれば、兼家は《穢れ》に対する迷信をあざ笑いながら、血で汚れた高御座のうえに、平然と自分の孫を座らせたことになります。◇たしかに現代人から見ると、安倍晴明の陰陽術はインチキに見えるけれど、近代医学がまだ存在しなかった時代、つまり細菌やウィルスの知識がなかった時代に、不可解な伝染病で人がバタバタ死んだりすれば、たとえ荒唐無稽な迷信だとしても、《穢れ》や《清め》や《禁忌》などの概念には、たんに宗教的な意味合いだけでなく、おそらく衛生上の合理性があったはずなのよね。現代人でさえ、目に見えないコロナウィルスにおののき、デマを信じたり、差別的になったりするのだから、中世の人々が迷信に頼るのも至極当然の話。そう考えると、迷信を無視することはきわめて困難だったと思う。◇そんな怖れを知らぬ藤原兼家も、そろそろ死期が迫ってるっぽいので…今後の焦点は、やはり主人公の結婚?!(お相手はネタバレになるので触れません)そして、序盤にくらべれば、だいぶ史実に則した内容になるはずですが、倫子さん or 彰子さん付きの女房になるのでしょうね。(誰の女房だったかについて諸説あるようです)たとえ「紫式部と道長が幼馴染み」ってのがファンタジーとしても、その2人が藤原氏だったのは間違いないし、年齢が近かったのも事実だし、(道長が4才上との説や12才上との説あり)倫子さんと親しい間柄ってのも、それなりに根拠はあるようです。平安貴族とは何か 三つの日記で読む実像 (NHK出版新書 707 707) [ 倉本 一宏 ] 楽天で購入
2024.04.07
朝ドラ「ブギウギ」を見終わりました。世評は悪くないようだけど、個人的にはちょっと物足りなさが残りました。それは脚本のせいでもあるし、キャストのせいでもあるし、笠置シヅ子の生涯をドラマ化することの難しさのせいともいえる。◇笠置シヅ子は、日本のポップス史における最重要歌手なので、NHKが大々的に取り上げるにふさわしい人物にはちがいないけど、だからといって「朝ドラ」にふさわしいキャラクターかどうかは微妙だったのかも。不世出の歌手にもかかわらず、あっさり引退して美空ひばりにその座を明け渡してしまったので、全盛期はほんの数年間にすぎないし、それが敗戦直後の混乱期という異常な時代だったのも、ちょっと朝ドラ的には扱いにくい理由だと思う。さらには、出自が複雑だったり、未婚の母だったり、薬物中毒の疑い(←これはあくまで疑惑の域を出ないようです。しかも当時はまだ覚せい剤が違法じゃなかった)があったり、娼婦たちとの不思議な連帯があったり、自分の持ち歌を他人に歌わせなかったり、横領事件や誘拐事件に見舞われたり、いろいろとネガティブな面もあるので、それらを朝ドラ的なオブラートに包みながら脚本化するのは難しい作業だったでしょう。◇もっとも、最近の朝ドラは、たとえば「エール」の古関裕而や「スカーレット」の神山清子や「らんまん」の牧野富太郎みたいに、けっこうネガティブな面をもった人物でも果敢に取り上げてるし、あげくは「カムカム」の安子みたいに、わざわざネガティブな要素の強い架空の人物を作りあげたりもしてるから、その勢いで笠置シヅ子を取り上げるのも不可能ではなかったはずだけど、それでも今回のミッションが成功だったかどうかは微妙です。すくなくとも個人的には、これが笠置シヅ子の伝記ドラマの決定版というには物足りないし、ちょっと大胆さに欠けたと思う。主演の趣里は、東京出身にもかかわらず「コテコテの小柄な大阪人」というキャラをうまく演じてましたが、その歌唱パフォーマンスは迫力に欠けました。もちろん、趣里も、菊地凛子も、あくまで女優であって本業の歌手じゃないのだから、歌唱シーンが「なんちゃってパフォーマンス」になるのは仕方ないけど(その点でいえば李香蘭を演じた昆夏美の歌唱シーンは素晴らしかった!)、重要なのは歌唱力の問題ではなく表現のスタイルの問題なのです。おそらく演出上の方針として、笠置シヅ子の下品なまでの禍々しいパワーを再現しようという意志が最初からなかったんだと思う。趣里のパフォーマンスは、どちらかというとキャンディーズのランちゃんを彷彿とさせるような上品で可愛らしいパフォーマンスだったし、笠置シヅ子がスターだった時代の異常な雰囲気を体感させるような迫真性にはほど遠かった。…しつこいようですが、やはりわたしは「田村芽実が主演だったら…」ってことを考えてしまうのだけど。田村芽実がヒロインだったらこうだった!グルーヴ感が桁違い!歌唱シーン以外の部分でも、笠置シヅ子がスターだった時代の描写には物足りなさを感じました。曲がヒットして以降も、もっぱら家庭人としての面ばかりが強調され、およそスターらしさが見えなかったからです。端的にいって地味だった。たしかに、まだテレビもなかった時代だし、笠置シヅ子自身も庶民的なキャラの人だったから、のちの美空ひばりみたいな大スターっぷりとは違ったかもしれないけれど、すくなくとも映画や雑誌では顔が知られていたのだから、もっと一般のファンに熱狂される様子が描かれてもよかったと思う。戦後に「東京ブギウギ」で頂点に立った全盛期のスターっぷりが物足りなかったために、結局のところ、この主人公がいちばん輝いたのは、少女だった頃の《大阪の銭湯時代》だったんじゃないかしら?と思えてしまうし、そこから先の人生はすこしづつ尻すぼみだったように見えてしまうのです。◇最後の引退劇もいまいち納得感に欠けた。主人公が語った「羽鳥善一の歌にとって最高の人形ではなくなった」というセリフは、肥満を理由に引退した史実にもとづいてるのだろうけど、せっかくドラマ全体のエンディングにするのなら、もっとそれに見合うだけの物語を仕立てて欲しかったです。水城アユミを「大和礼子の娘」した設定は、とても素晴らしいアイディアなのよね。それでこそ平凡な引退劇を、ドラマのエンディングにふさわしい物語へと転換できるはずだった。つまり《大和礼子の娘にエンタメの未来を託す》という美談に仕立てれば、この物語は大団円のうちに終わったはずなのです。ちなみに水城アユミのモデルになったのは、美空ひばりよりもむしろ江利チエミだったらしい。江利チエミの母(谷崎歳子)は東京少女歌劇団を経て吉本興業で活躍したスター女優であり、父(久保益雄)はその吉本興業の専属ピアノ奏者で、両者ともに笠置シヅ子とは旧知の仲だった。なので、水城アユミを「大和礼子の娘」にした設定は、あながちフィクションではないのですね。しかしながら、美空ひばりと江利チエミを掛け合わせて「大和礼子の娘」に仕立てた設定は十分に活かされなかった。そもそも水城アユミとの出会いのシーンからして微妙な感じでした。せっかく大和礼子の娘に(赤ん坊のとき以来)再会したのだから、そこは母娘のように感動的なハグをすべきだったでしょ!たとえ「持ち歌」にかんする確執があったにせよ、それを乗り越えて水城アユミに未来を託す美談にすれば、きっと感動的なエンディングになっただろうと思う。物語的に考えたら、歌手の引退という突然の決断は、たんに羽鳥善一への恩義に報いて済む話ではないのです。東京へ送り出してくれた父と母の恩義にも報いねばならないし、幼馴染のタイ子ちゃんへの恩義にも報いねばならないし、大和礼子や歌劇団の盟友たちの恩義にも報いねばならない。さらには、自分に希望を託してくれた亡き弟や愛助の思いにも報いねばならない。それらをすべてひっくるめて納得感のある引退劇にするためには、やはり大和礼子の娘へとバトンを渡し、彼女にエンタメの未来を託す美談に仕立てるべきでした。へたに「さよならコンサート」みたいなフィクションをでっち上げるよりも、史実どおりに紅白を最後のステージにして、そこで水城あゆみにエンタメの未来を託すエンディングにしたほうがよかったと思う。ついでにいえば「義理と人情」をドラマの結論にしたメッセージも(スマイルカンパニーとジャニーズ事務所じゃあるまいし!)まったくの時代錯誤としか思えないので、むしろ終戦後の混乱期から復興期への転換を後押しするような、希望に満ちたメッセージで終わらせて欲しかったです。実際のところ、笠置シヅ子と美空ひばり(あるいは江利チエミや雪村いづみ)との違いは、その時代背景の違いでもあったのです。つまり、戦中・戦後の混乱期に禍々しいエネルギーを放った笠置シヅ子と、「もはや戦後ではない」といわれた復興期に明朗な希望を託された美空ひばりとでは、そもそも時代から求められたものが違っていた。笠置シヅ子の引退劇は、そのような時代の変わり目を象徴するものにしてほしかった。◇さらに苦言をいえば、2人体制による脚本も文句なしに成功したとは言いがたい。前々から言ってることだけど、シナリオ全体を共同で練りあげるならともかく、ただパートごとに分担するという手法はあまり感心できません。今回の「ブギウギ」の場合、脚本家の交代でテイストが損なわれるほどの問題は生じなかったけど、さすがに技量の差までは隠しきれませんでした。とくに戦時中のパートは脚本家の力量不足が顕著だった。笠置シヅ子は、戦時中の苦難よりも、戦後の「出産」「恋人との死別」というスキャンダルのほうが大きな苦難だったから、そちらをメインの脚本家が担当し、代わりにサブの脚本家が戦時中パートを担当する形になったのだろうけど、残念ながら、えなりかずきをはじめとするバンドメンバーのキャラ立ちは弱すぎたし、地方巡業のエピソードも心を動かすだけの要素には乏しかった。淡谷のり子と特攻隊のエピソードや、服部良一の上海でのエピソードについても、ただ史実の上っ面をなぞっただけで、十分にエモーショナルな物語とはなっていなかった。史実にもとづきながら、それをエモーショナルな物語に仕立てるのは難しいことだと思うけど、それこそが脚本家の腕の見せどころなのだし、もうちょっと脚色の技量を発揮してほしかったです。◇そして、笠置シヅ子の伝記ドラマを作るうえで、いちばん難しいのは生まれ故郷の四国・香川の問題だったかもしれません。おそらく香川には「実母の実家」「実父の実家」「養母の実家」「養父の実家」「実母の嫁ぎ先」の5つの家があるはずですが、それらの家との関係についてNHKがどれほど把握できていたのか分からないし、そのファミリーヒストリーをむやみにほじくり返すことの難しさもあったかもしれない。ドラマに登場したのは、法事のおこなわれた「実父の実家」と、葬儀のおこなわれた「養父の実家」と、異父兄弟のいる「実母の嫁ぎ先」だったのですが、それにかんしてさえ史実どおりではなく、おそらく何らかのフィクションに仕立てる必要性があったのではないかしら?実際、娘の愛子が実母と対面するシーンなどはフィクションだった可能性が高い。愛子のモデルになった娘の亀井ヱイ子さんは、放送前のイベントに柳葉敏郎と一緒に出てきたりしてたようだけど、あまり詳しい情報が出てこないせいもあり、いろんな出版物や情報番組などをとおして史実ネタに尽きなかった前作の「らんまん」に比べると、ちょっと煮え切らないようなモヤモヤした感じも残りました。とはいえ、フィクションを交えてでも、娘を捨てた笠置シヅ子の実母を描く意味はあったと思います。上白石萌音の「カムカム」を見たときは《娘を捨てる母親の物語》がかなり踏み込んだものに思えたけれど、むしろ今回の「ブギウギ」を見て思ったのは、昔も今も親子が離れ離れになるのは珍しいことじゃなく、それほど異端視すべきものでもないのだってことですね。今回のドラマでは、いちおう実母との再会が感動的に描かれてましたが、実際には疎遠なままの場合もあるだろうし、わだかまりが消えない場合もあるだろうと思います。笠置シヅ子 その言葉と人生 [ 亀井 ヱイ子 ] 楽天で購入 余談ですが…NHKは「名曲アルバム」や「クラシックTV」や「歴史探偵」などの番組でも、笠置シヅ子関連の内容を放送してました。それらを見てあらためて知ったのは《美空ひばりが横浜から誕生した必然性》もさることながら、《服部良一と笠置シヅ子が大阪から誕生した必然性》も確実にあるってこと。要するに、街が才能を育んだのですね。以下は、上記の番組からのメモです。・道頓堀には江戸時代から芝居小屋が並んでおり、そこで文楽も始まった。・笠置シヅ子は3才から日本舞踊や三味線を習い、芸事が身近にあった。・大阪松竹座が大正12年に現在と同じ場所に建てられた。・関東大震災によって人口移動が起こり、大阪が日本最大の都市になった(大大阪時代)。・道頓堀にダンスホールや劇場が林立し、道頓堀ジャズが隆盛した。・関東大震災から10年ほど経って大阪発の娯楽文化が東京へと逆流した。・松竹が東京に設立した楽劇団の副指揮者に服部良一が就任した。・服部良一が笠置シヅ子に求めたのはジャズのような地声唱法だった。・朝鮮特需に乗じた「買い物ブギ」は「東京ブギウギ」をも超える売上になった。ちなみに、わたしは「ラッパと娘」も三連符のリズムからなるブギウギだと思ってましたが、NHKの解説によれば、同じ三連符のシャッフルビートでも「4拍ならスイング」「8拍ならブギウギ」と分類するようです。そこからすると戦前の「ラッパと娘」はブギウギじゃなくてスイングなのですね。いずれにしてもシャッフルビートは日本の音頭と同じだから、服部良一と笠置シヅ子が作った「ご当地ブギ」の数々は、ある意味では「ご当地音頭」みたいなものだったと思います。やがて、このシャッフルする8ビートのブギウギは、均等な8ビートのロックンロールへと発展するわけですね。◇…ところで、このたびWikipediaを読んで知ったことですが、一般に使用されている「笠置シヅ子」という名前の表記は、歌手を引退したあとの女優時代のものであって、歌手時代の正式な表記は「笠置シズ子」なのだそうです。知らなかった!!わたしも慣例にならって「シヅ子」と書いてますが、歌手時代の彼女のことを書くならば、厳密には「シズ子」と表記するのが正しいのだろうと思います。
2024.04.05
だいぶ時間が経っちゃいましたが、テレ朝「アイのない恋人たち」が終了。◇近年の遊川和彦の作風とは違ってて興味をひかれました。遊川のドラマは、日テレの「女王の教室」や「家政婦のミタ」で成功して以降、だいぶワンパターンだったから飽きてたのよね。でも、今回はオーソドックスな作りが逆に新鮮だった。現代の若者の恋愛や親子関係のサンプルを、ありったけにぶち込んだような内容でしたが、さしずめ「男女7人」の現代版って感じ?ドラマだけに、いろんなエピソードが極端に詰め込まれてたけど、ひとつひとつの話は現代の若者のリアルなんだろうな、…と思いながら見てました。もはや恋愛することは労力でしかないのね。ほんの些細なことが相入れなくても上手くいかないし、上手くいったとしても、短い期間で終わってしまう。◇若手の演技派7人の組み合わせも面白かったです。福士蒼汰×前田公輝×本郷奏多岡崎紗絵×深川麻衣×成海璃子×佐々木希とくに福士くんは、わたしが見たなかではいちばん良かったと思うし、彼のキャラにも合ってました。ちなみに、なぜ脚本家の設定にしたのでしょうね。遊川が自分自身を投影するにはあまりに若すぎて青臭いし、だれか後輩の脚本家にモデルでもいたのかしら?◇しかし!!結末がいかにもテキトーなのは相変わらずのパターン(笑)。遊川のドラマは、収拾がつかないほど色んな問題をぶち込んでしまうので、最後はいつもテキトーな終わらせ方になる。さすがにバッドエンドじゃ希望がなさすぎるし、なんとかハッピーエンドにしたかったのは分かるけど、そうはいっても、あからさまに手の平を返すようなハッピーエンドは、強引すぎて失笑するしかありませんでした。
2024.04.04
クドカンの「ふてほど」最終話。寛容ソングはずいぶんと長尺でしたねwだいたい予想はしてましたが、最後は、震災の行方不明者が未来に生きる希望を残した形。もともとクドカンは、お決まりの《入れ替わり》とか《タイムリープ》とか、1980年代の大林宣彦が、「転校生」や「時かけ」で定式化したモチーフを、これまでも繰り返し使ってきたのですよね。…たまたま最近、その大林宣彦の「時をかける少女」を、U-NEXTで初めてちゃんと観たのだけど、あの物語は、ただのタイムリープの話ではなく、じつは《代理》をテーマにした話だと知りました。それがクドカンにも継承されてるなと感じます。◇大林版の「時かけ」における深町くんは、未来人として現代に存在してるのではなく、むしろ未来人であることを隠すために、他のだれかの《代理》として出現しています。ある部分では、すでに亡くなったはずの「深町家の孫」の代理として存在し、ある部分では、芳山和子の中の「吾郎ちゃん」の記憶をすり替えながら、やはり、その代理として存在してる。のちの角川版や細田版では、この《代理》というテーマが十分に追求されていません。◇これは、すでに下のシネマレビューにも書いたことだけど↓https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?SELECT=24063芳山和子が深町くんに抱いた恋心は、じつは吾郎ちゃんに抱いていた感情の《代理》なのです。それは、ちょうど、富田靖子の「さびしんぼう」で、主人公が白塗りの少女に抱いた恋心が、じつは主人公の母親への想いの《代理》だった、…という構造とほとんど同じです。それによって、もっとも身近な誰かへの想いに気づく物語になってる。◇そして、もうひとつ、すでに存在しないはずの「深町家の亡くなった孫」が、タイムパラドックスによって存在してる面があって、そこには「存在しえなかった死者」を現出させる意図も感じる。大林宣彦は、そういう物語を被爆地の広島で撮ったのです。タイムリープの物語というのは、たんに過去や未来へ時間旅行するだけの話じゃなく、「存在しないはずの誰かが存在すること」の意味を問う物語なのですよね。…今回のクドカンのドラマでも、「存在しないはずの誰かが存在すること」の意味を、かなり意識的に掘り下げたと思う。つまり、阪神大震災で亡くなった人々が、タイムマシンで未来に出現する設定になってて、仲里依紗が演じる渚は、すでに亡くなった若き母と姉妹のように接したり、すでに亡くなった若き祖父と恋人のように接したりします。これも、尾美としのりが富田靖子に恋したのと似ていて、本来は母や祖父に抱きがたい感情が生まれてる。その意味でも、クドカンは、大林と同様の《代理》の物語を追求してると思う。残念ながら、わたしは観てないけど、クドカンがもっとも意識したのは谷口正晃版なのかも。◇スピルバーグの「Back to the Future」もふくめ、その後の《タイムリープ》の多くの作品には、そういう視点が抜けていて、物語としての深みに欠けます。とくにスピルバーグの場合は、筒井康隆よりも藤子不二雄を模範にしてるのよね。人間関係が「ドラえもん」とまったく同じなのです↓https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?SELECT=24063なお、先月の「アストリッド&ラファエル」の記事にも書きましたが、この《タイムリープ》という和製英語は、筒井康隆が「時をかける少女」で発明した造語のようです。時をかける少女 [ 原田知世 ] 楽天で購入 さびしんぼう [ 富田靖子 ] 楽天で購入
2024.03.31
門脇麦×永瀬廉「厨房のありす」最終話。自閉症の女の子の人情ラブコメに、アストリッド風の謎解きサスペンスを加えたドラマ?…かと思いきや、最後はけっこうスゴい話で、実父がとんでもないサイコパスの極悪人だったのね。◇それまでの内容も、ゲイカップルの偽装結婚の話とか、いろいろ詰め込みすぎって感じもしたけど、まあまあ面白かったし、最後はしっかりしたメッセージ性もあって、なかなかちゃんとした結末でした。◇自閉症の問題もふくめて、マイノリティの立場を肯定するお話でしたが、それと同時に「非合理な家族神話」への批判でもあった。極悪人の実父は、「結局オレはお前の父親で、お前は人殺しの娘だけどな」という捨てゼリフを残しましたが、殺人犯でなくとも、悪い親って子供にこういうことを言いがちだよね。それは、親の傲慢さ以外の何ものでもない。◇ヘテロセクシャルな実父よりも、ホモセクシャルな養父のほうが良心的だったという結論。たとえ血縁であっても、悪人まで親と思う必要はないってこと。逆に、たとえ親が仇どうしであっても、その子供までが憎しみ合う必要はないってこと。これって、たんに個人の問題ではなく、社会全体のコンセンサスの問題でもあるし、もっといえば、民族間や国家間の問題でもあります。◇最後に主人公が言ってましたが、食べ合わせの悪い食材どうしでも、料理しだいでは調和させることができるのね!知らなかった!!ありすのレシピブックも出てました↓厨房のありす公式ガイド ありすのやさしいごはんレシピ (TVガイドMOOK) 楽天で購入
2024.03.31
二階堂ふみ×チェ・ジョンヒョプ「Eye Love You」の最終話です。そもそもミン・ハナさんは、どうやって侑里もテレパスだと知ったんだっけ?予知能力者だから?それとも遠隔テレパスなの?◇ミン・ハナさんが、「テレパスの恋人はかならず死ぬ」とか、「33秒見つめ合ったらテレパスは消える」とか、そういう法則を勝手に信じこみ、自作の絵本に描いたのはいいとしても…その迷信を、登場人物の全員が信じてしまう…ってのはどうなの??しかも、いちばん狂信してたのは、よりによって大学院の教授(=杉本哲太)だよねw生物学的な裏付けでもあったのかい!◇ちなみに、アイヌの「オハイヌ」(空聞き)ってのは、ほんとうに実在する習俗らしいのだけど、そのオハイヌの幻聴能力が、星空の下の「33秒」の見つめ合いで消える…みたいな伝承があるのかどうかは、ネットで調べてみても確認できません。…むしろ、この「33秒」とやらで思い出されるのは、ほかでもなく、あの統一教会の教義なのよねえ。◇どこかで聞いた話だけど、統一教会には妙な数的法則にこだわる教義があって、たとえば教祖たる文鮮明の再臨を、意味不明な周期的ロジックで説明するらしい。そして統一教会は、なぜかしら「3の倍数」を特別視するらしく、> 3は原理数> 三数は安定と調和の数> 三数は天の数、三数は完成数> 神は三数的存在…みたいな考え方があるようなのです。参考:統一教会において3は「原理数」、「三位基台(さんみきだい)」っていう重要な教義もあります→https://t.co/1LGcsubRQw silent hill 「サイレントヒル」はコナミ発売のゲームで映画化もされ、娘シャロンを宗教団体から救うために母が奔走するホラー映画 →wiki https://t.co/SZH0r1wEoc— 紀藤正樹 MasakiKito (@masaki_kito) July 17, 2022これはおそらく、キリスト教の「三位一体」から来てるのでしょうけど…こういう妙なロジックに疑念をもつ人は、たぶん統一教会の信者にはならないでしょうね。しかし、今回のドラマの登場人物みたいに、謎のロジックでもすんなり受け入れる人は、統一教会の信者になる資質があるかもしれないww3の倍数 その1。3の倍数 その2。3の倍数 その3。いかにもテキトーな数式。アイヌ伝承のでっちあげ?サブリミナル的な刷り込み?よりによって、このドラマの最後は、「日本人女性がソウルで韓国人男性に抱きつく」というクライマックスを迎えたので、もしや統一教会のメディア戦略なのでは?!…みたいな疑念が思わず頭をよぎったのでした。◇Twitterには「#eyeloveyouファンミ 」みたいなタグが見受けられますが、韓国系アーティストや韓国ドラマに関連して、そうしたファンミーティングが付きものだとすれば、そこが統一教会の勧誘の場になってる可能性は否定できません。かりに統一教会系の団体主催ではなく、一般のファンが主宰するイベントだとしても、そこに教団の勧誘員が潜り込む可能性は十分にありうる。TBSがどういう姿勢でいるのか知りませんが、すくなくとも報道部はそこまでを注視する必要があるし、必要に応じて注意喚起をする責任も負うはずです。ソウルにて日本人女性が韓国人男性に抱きつく。べつに、わたしは嫌韓なわけじゃないし、日本人と韓国人が恋愛するのも自由だし、統一教会にかんしても、基本的に信教は個人の自由だと思うけど、法外な献金をむしり取られるような顛末には、気をつけないといけませんよね。◇◇◇なお、中川大志くんは、今回も、大学時代からヒロインをずっと見守るだけの、なんだか可哀想な噛ませ犬の役どころ!でも、最後はミン・ハナさんとの恋を匂わせたので、こちらは日本人男性&韓国人女性のカップルに??ちなみに、そういう組み合わせって、統一教会でも認められるのかしら?
2024.03.27
カンテレ「春になったら」最終話を見ました。リアルに死期の迫った人の生前葬を、《旅立ちの祝福》というコンセプトで挙行するのは、ちょっとブラックな感じもするのだけど、実際に、そういう生前葬をする人はいるらしいし、死ぬことをポジティブな《旅立ち》と捉えるのも、ひとつの宗教観念なのかしら…?◇でも、まあ、基本的には上手くまとまって満足度の高い終わり方。脚本の構成としては、「出産/死」「結婚式/お葬式」…をめぐるドタバタな騒動を、シンメトリックに、かつコミカルに描く設定。それがとても上手く機能していたし、それぞれのキャラの位置づけも明解で、お手本のように整ったドラマだったといえる。◇現実には、こんな綺麗な死に方のできる人は少ないでしょう。しかも、父親から見て、これ以上ないほど理想的な娘だよね…ってのが大前提としてあるし、その意味では、一種のファンタジーだと思うけど、こういう希望のもてるドラマも必要でしょう(笑)。下町の父と娘のお話だったので、なんとなく「朝顔」の続きっぽくもありましたが、上野樹里&時任三郎の「朝顔」は、全体に暗いトーンの作品だったのと違い、今作は、つねに明るいトーンなのが救いでした。お天気には左右されるけど、野外ウェディングってのも洒落てますよね。神社の参道をバージンロードにしたのも素敵。◇式にはケイト・ベネットなる女性歌手が登場しました。毎回、劇中では、男性歌手と思しき英語の曲も使われてましたが、調べてみてもアーティスト名も曲名も分からないし、ドラマのオリジナルだったんでしょうか?https://t.co/gXQIhZGIVy pic.twitter.com/Na3CJoqqYL— BrooklynParlor OSAKA (@Brooklyn_Osaka) April 22, 2017最終回はTVerで無料配信中!#春になったら 🌸 メイキング❀┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈.*✿撮影前のひとコマ📹✨ウエディングドレス姿の瞳(#奈緒 )に初対面した雅彦さん(#木梨憲武 )本当に瞳ちゃんのウエディングドレス姿、素敵です👗💕最終回はTVerで無料見逃し配信中!… pic.twitter.com/8kPOYQwyEu— 『春になったら』奈緒×木梨憲武W主演【月曜よる10時 カンテレ・フジテレビ系】 (@haru_ktv) March 26, 2024
2024.03.26
TBS「さよならマエストロ」最終話を見ました。なんだか不思議な結末。娘がバイオリンをやめたエピソードもピンと来なかったけど、父と和解してバイオリンを再開する理由もピンと来なかった。とにかく、父と和解してオケのコンマスになったものの、両親の離婚が確定したので家族は崩壊。そのうえ、父をドイツへ送り出したので、素人同然の市長の娘が指揮者になったところで、オケの存続も絶望的だよね。指揮の演技についていえば、西島秀俊より當真あみちゃんのほうが上手だったけど!彼女は実際にピアノもバイオリンも弾けるらしい。どう考えてもバッドエンドなのに、雰囲気だけはハッピーエンドの体で終わってる(笑)。シューマンはライン川に身を投げて死んだのですが、そのシューマンの「ライン」を最後の希望の曲にするのもスゴイ。強引というべきか、究極の楽観主義というべきか。終わりよければすべてよしとは言うけれど、終わりが悪くてもすべてよしって感じ???視聴率は、今季の民放ドラマでダントツの1位!…いろんな意味で不思議なドラマでした。◇もともと地方オケの物語だったので、日テレ「リバーサルオーケストラ」の二番煎じでしたが、キャストはかなり豪華だったよね。リバーサルオーケストラは、キャストも物語も地味だったから…(^^;西島秀俊と芦田愛菜が主演で、新木優子や宮沢氷魚や當真あみが脇役で、西田敏行や石田ゆり子や満島真之介も出てくるって豪華すぎ!お話もそれなりには面白かった。でも、個人的にいうと、クラシック音楽の魅力は感じにくかったです。印象に残った曲も演奏シーンもなく、劇伴音楽もクラシックの要素には乏しかった。どちらかといえば、チェット・ベイカーのジャズとか、アマポーラみたいな軽音楽のほうが印象に残ってる。まあ、さすがにシューマンの「ライン」は耳に残りましたが。このドラマを見て、クラシック音楽に関心をもった人はいるのかしら?高校生から指揮者を目指そうとする人とか、娘にバイオリンを習わせようとする人はいるのかな。◇ところで、いちばん謎だったのが第5話なのよね。おばさまが歌謡曲を探していた話。ビゼーのカルメンに似てるようで違う…と言われ、「マエストロに訊いてみたら?」との助言も無視して、なぜか歌謡曲のCDの歌詞カードだけを探しまくり、金井克子の「他人の関係」だと突き止めるのだけど、あのエピソードって何だったの???あまりにも意味不明なので、もしや、あのおばさまが、オケ復活の鍵を握る伏線なのでは?!…みたいな深読みもしてみたけれど、ぜんぜん違いました (^^;クラシック音楽のドラマなのに、歌謡曲のエピソードって必要ですか?もしかしたら、「ハバネラ」のシンコペーションと、「他人の関係」のシンコペーションが似てる、みたいなことだったのかしら??でも、続編も噂されてるらしいので、もしも続編があるとしたら、コンマスを中心にオケのメンバーが奮闘して、市長の協力とか、あの歌謡曲のおばさまの協力も得て、地方オケが奇跡の復活を遂げ、ドイツで成功したマエストロを客演に迎える、…みたいな話になるのかも。それならそれで面白いとは思う。【楽天ブックス限定先着特典】さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~ DVD-BOX(マグカップ) [ 西島秀俊 ] 楽天で購入
2024.03.21
フジ月9「君ここ」が終了。お世辞にも、出来がいいとは言えなかったけど、主演の2人も好きだし、映像も綺麗だったので、なんとか我慢して見とおしました。今季は、月10の「春になったら」も、クドカンの「ふてほど」も、あらかじめ死ぬことが分かってる物語。このドラマの場合は、最後の最後に奇跡が起こってハッピーエンド!…って予想もなくはなかったけど、やはり死ぬのがデフォルトだったみたい。◇五感を失なった暗闇のなかで、何十年も生きていくと考えるだけでも怖い。その暗闇に耐えつづけるために出来るのは、唯一「希望の種」を植えつけること、…ってのは第9話だったかな。これはけっこう深い話だったかも。でも、最後はまた「逆の奇跡」が起こって、恋人の命と引き換えに五感を取り戻しました。◇五感を失なっても、運動神経は失われないから、声を出したり動くのは可能じゃないかと思ったけど、どうやら脳死状態になる設定だったようです。もしかしたら脚本家は、「五感を失えばおのずと運動神経も失われる」と考えたのかしら?まあ、実際のところ、「感覚神経だけ失なって運動神経が残る」なんて症例は存在しないだろうし、どうせファンタジーなんだから、いかようにでも設定できますけどね。◇今季は、TBSのドラマも、「ふてほど」がタイムリープで、「Eye Love You」がテレパシーだし、SFファンタジーの設定が多い。このドラマは、さしずめゲーテのファウストって感じ?メフィストフェレスみたいな黒服が出てきて、魂と引き換えに望みを叶えてやる…と。結果的には、「五感を失なう=心を失なう」ってことだったので、その意味でもファウスト的な設定でした。◇たまたま最近、1983年版の映画「時をかける少女」を見たのだけど、あれは舞台が広島で、主演が長崎出身の原田知世。このドラマも長崎が舞台だったから、ちょっと80年代のSFジュブナイル的なものを期待してた。荒唐無稽なファンタジーになるのも前提で。でも、あまりにも子供だましがすぎた感じ。クドカンの「ふてほど」の場合は、ファンタジー設定が笑いのネタになってるけど、「君ここ」や「Eye Love You」の場合は、ご都合主義的なファンタジー設定が、たんなる作品の欠点に見えてしまう。◇たとえば、母親だとバレたら月明かりに溶けるけど、たがいに分かってても口にしなければ大丈夫、…みたいな謎設定も、ご都合主義に見えました。母であることを隠し通すのが条件なら、太陽が千秋を母だと認識した時点ですでにアウトなのでは?と思いきや、太陽が千秋を「母さん」と呼ぶまでアウトにはならないよう。何だこのルールの既視感と思ったら、これ「ハリポタのヴォルデモートシステム」だわ。名前を呼んではいけないあの人の名を口に出すと、死喰い人に殺されてしまうアレです。https://woman.mynavi.jp/article/240311-18_1190537/それから、赤色が見えないという設定も、いまいち何の意味があったのか分からず。色覚障害の男性と、視力を失くした女性が、心のなかで同じ色彩を感じる、みたいな結末?…かとも思ったけど、最後に予備の花火を見る結末は、なんだか、かえってマヌケな感じもしましたね。どっちにしろ彼と同じ色は見れないわけで。◇長崎を舞台に選んだ理由もあまり分からなかった。とくに花火が有名ってことでもないっぽい。じつは1983年の「時かけ」には、死者を蘇らせるという裏のテーマがある気がしてて、そのことが被爆地を舞台にした理由かもしれないのだけど、このドラマはどうだったのでしょうね。ある意味、存在しないはずの死者が存在する話ではあったし、日下や千秋にかんしては、過去の死者が時空を超えて現代に蘇る話でもあった。太陽のセリフには、「長崎で鳴らされる爆竹は死者の魂を呼ぶためのもの」みたいなのもありました。そして、これはたぶん、クドカンの「ふてほど」にも関係する問題だと思う。◇それから、ずっと最初から気になってたけど、本来は「根暗」なはずの2人が、全然そういうキャラに見えなかったのよね。これは演技の問題というより、脚本と演出プランの問題だろうと思いますが。…山田くんは十分に演技派なのだから、前作の「ペントレ」にしろ今作の「君ここ」にしろ、こんな子供だましのファンタジーじゃなくて、もうちょっと作品を選んだほうがいいのでは?…と思ってしまいます。宇多田ヒカルも、なぜ今回の仕事を引き受けたのか不思議。まあ、脚本のコンセプトに惹かれたのでしょうけど。もっと長崎の情緒を味わいたかったな。
2024.03.19
フジ・カンテレ月10「春になったら」見てます。末期ガンの父と、嫁ぐ娘の話。物語のテーマはオーソドックスともいえる。俳優陣も演技派ぞろいで安定した内容。これは第4話ぐらいのシーン。1週おくれの第6話ですが…。父の雅彦(木梨憲武)をはじめ、ようやくみんながカズマル(濱田岳)の存在を受け入れました。予想どおりの展開ではあるけど、やっぱり泣いてしまう。忘れられないような幸福な時間。じんわりとした神回だった。龍ちゃん(石塚陸翔)の存在に救われる。子供がいるだけで救われることってあるよね。「ピザ食べたい」とか「おじい」とか言ってくれるだけで、老いることの寂しさが紛れます。たとえ血がつながってなくても。ふとした瞬間に死ぬのが寂しくなる…というのは、とてもリアル。
2024.02.27
セクシー田中さん問題。いろいろと議論が進展しています。まずはプレジデントオンライン。西山守の記事です。~芦原さんを苦しめたのは「原作改編」と「SNS炎上」のどちらか~これまでの関係者の発信を読み解くと、ドラマは最終的に全て芦原さんの監修が入っていた。「原作が尊重されなかった」と主張しているのは第三者だけではないか。https://news.yahoo.co.jp/articles/00423158fe0253207d329fbb4b63232794eb7741つまり、ドラマ版「セクシー田中さん」は、双方に想定以上の労力を強いたとはいえ、たえず原作者による修正が加えられたことで、結果的には「原作に忠実」な形で放送されてる…って話。たしかに、この事実は重要です。一部の漫画ヲタクは、「改変されまくりのドラマ版はつまらなかった!!」などと言ってるようですが、それは事実上、芦原妃名子の仕事を否定してることになる。◇最終的に、ドラマが「原作に忠実」な形で放送されたなら、プロデューサーは当初の約束を守ったことになります。…もちろん、いくつかの未解明な部分についての説明責任は残ってますが。それは大きく以下の7点です。1.なぜドラマ化は許諾されたのか。そもそもドラマ化に消極的だった芦原妃名子は、なぜ日テレによるドラマ化を許諾したのでしょうか?いちどは矢島弘一の脚本によるドラマ化を断り、まだ連載も途上だったのに、なぜ三上絵里子プロデュースのドラマ化には応じたのか?その時点で相沢友子の脚本起用は決まっていたのか?これについては、日テレよりも、許諾側の代理人たる小学館が説明すべきだと思います。2.なぜ木南晴夏は5月からダンスレッスンを始めたのか。原作者がドラマ化を許諾する1か月前から、木南晴夏はダンスレッスンを始めていたらしい。これについては日テレから説明するほうが早いでしょう。小学館と口裏を合わせていた可能性もありますが、たんに日テレやホリプロの勇み足だった可能性もあるし、これもまた業界の慣例だったかもしれません。3.プロデューサーは脚本家に何を伝えて何を伝えなかったのか。相沢友子は「初めて聞く事ばかり」とコメントしましたが、具体的に何を指してそう言ってるのかはハッキリしません。さすがに「原作に忠実に」という条件すら知らなかった、…とは考えにくいです。もし、そうなら、第1~8話も修正どころでは済まなかったはずだから。逆に「原作に忠実に」という条件が共有されていたなら、第1~8話の修正は想定内の作業だったといえます。実際、相沢友子も、第1~8話については「自分が書いた」と言ってるだけで、原作者による修正についてはとくに言及していません。一方、終盤の脚本を原作者に交代する可能性については、あらかじめ脚本家に伝えられていたのでしょうか?原作者側から、その可能性を通告されていたにもかかわらず、実際にそんな事態になるとは予想せずに、プロデューサーが相沢友子に伝えてなかった、…ってことも考えられる。その場合、相沢友子にとって脚本交代は青天の霹靂で、大きなショックになったろうと想像されます。そのあたりの事情は三上絵里子が説明したほうがいい。4.相沢友子のインスタ発信は妥当だったのか。相沢友子が、脚本交代の顛末をインスタで明かしたことが、騒動の発端になってしまったわけですが、わたしは、昨日の記事にも書いたとおり、暴露したその行為自体が悪いとは思いません。その種の「不満のぶちまけ」は、ほかの作家や脚本家もやってることだし、あくまで個人の表現行為の範疇であって、べつに日テレ側が制止すべきことでもないはずです。まあ、それについても、三上絵里子なりの見解を示せばいいと思いますが。5.なぜ脚本交代の経緯を小学館から説明しなかったのか。終盤の脚本交代に至るまでの経緯をくわしく説明したのは、小学館ではなく原作者自身だったわけですが、それは何故だったのか。日テレとの窓口は小学館だったのに、なぜか世間の矢面に立ったのは原作者自身だった。その理由については、代理人たる小学館が説明すればいい。6.なぜ芦原妃名子はSNSの文章を削除したのか。脚本交代に至る経緯について説明した文章を、芦原妃名子は亡くなる前に削除したのですが、これは本人の独断だったのか。それとも第三者による何らかの関与があったのか。それについて事情を知る人がいるなら説明すべきでしょうね。7.なぜ連載は休止になったのか。小学館によれば、今回の事態が起きる前から休載は決まっていたとのこと。これについても、自殺の動機を知る手掛かりの一つかもしれないし、代理人たる小学館が説明すればよいと思う。◇…ってことで、じつは三上絵里子が説明すべきことは、さほど多くありません。実際のところ、日テレのプロデューサー陣には、これといった契約違反もないし、目立った過失も義務違反もないのかもしれません。◇次に、Yahooの猿渡由紀の記事です。~原作ものの映像化と改変、最近のハリウッドの例を見る~小説やノンフィクション本、コミックが映像化されることは過去にも今にも数えきれないほどあるハリウッドでは、傑作の中にも、駄作の中にも、原作に沿ったものもあれば、大きく改変されたものもある。実際のところ、ある程度改変されることのほうが多い。https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/4f16e5b6d5bcb5bd82c97339e4057e5e105b08f9ハリウッドの優れた映画が、かならずしも原作に忠実なわけじゃない…という話です。まあ、常識的に考えて、オスカーにせよ、カンヌにせよ、原作をそのままトレースしただけの映画が高評価を得るわけがない。漫画ヲタクを喜ばせる映画と、映画ファンを唸らせる映画は、かならずしも同じではない、ってこと。◇次に、Yahooの徳力基彦の記事です。~「セクシー田中さん」と芦原先生の悲劇を繰り返さないために~おそらく重要な分岐点は、12月27日に一部メディアが、相沢氏のコメントを引用し「最終回で消化不良を起こした視聴者が続出」という内容の記事を掲載したことです。この記事は残念ながら、ライブドアなどのポータルサイトにも転載されており、それなりの人数に届いてしまったようです。https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/3ed6b751c16a1baee29f72a36e2de6bc79653899じつはSNSでの怒りの連鎖に着火したのは、ひとつのネット記事だったのではないか?…という話です。この問題については、明日以降に言及できれば、と思います。
2024.02.10
セクシー田中さん問題。まるで示し合わせたように、各所からコメントが出ましたね。おおむね全体の「すり合わせ」が終わった感じ?小学館編集部が「伝えた」と言い、脚本家が「聞いてない」と言ってるところを見ると、おそらく日テレがすべての責を負う形になるでしょう。まあ、実際のところは全体の共犯だったとしても、脚本家に仕事を依頼したのは日テレなのだし、小学館にドラマ化をもちかけたのも日テレだろうから、小学館や脚本家になすりつけるのではなく、やはり日テレが全責任を負うのが筋なのだろうし、そういう決着で、とくに異論もありません。1.原作者の軽視相沢友子の「聞いてない」という話が、ホントかウソかはもちろん分かりません。実際には聞いていながら、それを無視するのが業界のルーティンだった可能性もあるし、おおむね原作者の意向は把握していて、それなりに「忠実」に書く努力はしたものの、芦原妃名子の要求する「忠実」が予想以上だったために、最後までその齟齬を埋められなかった可能性もある。小学館のほうだって、日テレと共犯だった可能性は十分にあるけれど、とりあえず原作者に近しかった編集部にコメントさせることで、なんとか漫画ヲタ勢の信頼をつなぎとめた形でしょうか。わたし自身はひねくれ者なので、あの情緒的な文章がやや気持ち悪く思えましたが、あれで漫画ヲタ勢を感動させることが出来たなら、小学館としては御の字じゃないでしょうか。きっと不買運動にもならずに済むでしょう。◇なお、相沢友子が最初にインスタでトラブルを暴露したことは、芦原妃名子の死の《遠因》になったとも言えるのだから、そのことを後悔する気持ちは理解できるけど、わたし自身は、トラブルを暴露したこと自体が悪いとは思いません。それと同じことは、佐藤秀峰なども原作者の立場からやってるわけだし、他の作家たちも同様のことはやっています。一方の「暴露」が賞賛されるのに、他方の「暴露」が断罪されるというのは、たんに結果から見たジャッジに過ぎず、公平性を欠いています。実際のところ、暴露しなければ分からないこともあるのだし、組織の隠蔽体質を助長することにもなりかねない。そう考えれば暴露することが一概に悪いとは言えない。2.自殺の原因重要なことは、ドラマ制作部が原作者の意向を軽視したことにせよ、相沢友子がインスタでトラブルを暴露したことにせよ、それらは原作者の死の《遠因》ではあるけれど、けっして《直接的なトリガー》ではないということ。結果から物事を見ようとする人間は、死の責任までも安易に背負わせようとするけれど、それを事前に予測するのは不可能です。自分が同じ立場だったら、それを予測できるのかどうかを想像すればいい。結果の側から原因を想像することもできない人間が、原因の側から結果を想像することなどできるはずもありませんが。◇原作者を軽視してきた構造上の問題と、原作者が自殺してしまった個別の問題とは、別々に切り離して考えるべき話です。むしろ自殺の《直接的なトリガー》は、原作者を軽視したことでもなければ、、インスタでトラブルを暴露したことでもなく、おそらく、1.SNSで相沢友子へのバッシングが加熱したこと2.芦原妃名子のSNSの文章を削除させる圧力が働いたこと…のどちらかである可能性のほうが高い。もちろん、そのどちらかであるにせよ、芦原妃名子の死までを予測することはできないし、その行為者に責任を負わせることは不可能です。とはいえ、相沢友子が後悔を表明しているように、SNSでバッシングを加熱させた人たちも、その行為について後悔はあってしかるべきでしょう。後悔することもなく、なおもバッシングをやめないとすれば、それはもう人間としてどうかしている。◇たしかに、ドラマ制作部の二枚舌に気づけなかった段階なら、相沢友子の側から芦原妃名子の存在が「悪者」に見えたり、芦原妃名子の側から相沢友子の存在が「悪者」に見えたりしても、ある程度は仕方ないことと言えます。しかし、現在ではもう状況が違っている。さまざまなファクターが介在しただろうことが、一般の人たちにも推測できる状況に変わっています。それにもかかわらず、この期におよんで、相沢友子のことを、まるで「人殺し」であるかのようにバッシングするのは、いまや不法行為としての《名誉毀損》の度合いが強い、…と言わなければなりません。そもそも、書き直しを迫られるような脚本を、わざわざ好きこのんで書く人間などいるはずがないし、その労力をあらかじめ予測しながらも、あえて悪意をもって原作を改変するなどありえない話です。3.SNSのバッシング逆にいえば、「相沢友子は悪意をもって原作を改変したのだ」みたいな解釈を拡散させている人たちのほうに、今となっては強い悪意を指摘せざるをえない。しかも、その中には、相沢友子の書いた文面を意図的に書き換え、曲解に曲解を重ねながら印象操作をおこない、それを拡散させている人間がいるのです。わたしの確認できる範囲では、ヤフコメに以下のようなデマが書かれている。https://news.yahoo.co.jp/articles/029c2791d0b1ff4f91c9c066cae82ba1f4b42f31/commentshttps://news.yahoo.co.jp/articles/dc2d3ddc1815f33d770df8a190ac0d1dc0f12b05/comments相沢友子の実際の文面は以下のとおり。最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急きょ協力という形で携わることとなりました。私が脚本を書いたのは1~8話で、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。まったく違う文面が、まるで相沢友子の投稿/コメントであるかのように書かれ、そのデマに1万人前後の人々が「共感」する形で拡散し、いまだ訂正も削除もされていません。たとえリテラシーの欠如が背景にあるにせよ、かなり悪質と言わなければなりません。
2024.02.09
わたしは知らなかったのですが、2010年に、いわゆる「やわらかい生活裁判」ってのがあって、そこでは、《原作者の完全勝訴/脚本家の完全敗訴》…との司法判断が下されてるのね。https://ja.wikipedia.org/wiki/絲山秋子#映画脚本を巡る訴訟このときは、原作の二次使用の許諾を取ったのが、映画制作会社や脚本家でなく、出版社(文芸春秋)だった、…というテクニカルな面での失敗もあるのだけど、やはり最大の判決理由は、原作者の「著作権/著作者人格権」を重視したことだと思う。(この裁判での出版社の立ち位置はいまいち分かりません)ちなみに、この裁判は、シナリオの雑誌掲載をめぐる争いだったのだけれど、理屈のうえでいえば、映画公開の中止さえも可能にするような判例だと思う。つまり、原作者の一存さえあれば、あらゆるメディアミックスを中止に追い込める、…ってことではないかしら?◇そこで気になるのが、現在の東宝ミュージカル「ジョジョ」のことです。一部では、あの騒動も、「もしや原作者とのトラブルでは?」なんて噂されてますが、…どうなんでしょうね。実際のところは分からないけど、あくまで理屈のうえでいえば、原作者の一存で公演を中止させることは可能だと思う。◇芦原妃名子だって、法的な観点からいえば、自分の一存でドラマをやめさせることは出来たはず。でも、小学館との信頼関係を優先させたのでしょう。出版社とのあいだで、二次使用や代理人にかんする契約をすることが、一概に悪いとも言いきれませんが、あくまで著作権や著作者人格権は原作者にあるのだから、代理人に縛られる必要はなかったはずなのよね。出版社は、最終的には企業のロジックで動くだろうし、そういう出版社を信頼しすぎると、結果として原作者自身が苦しむことになると思う。◇まあ、セクシー田中さんの問題でいえば、表向きは味方のフリをしながら、実際は二枚舌で原作者の権利を搾取していた、出版社&テレビ局が悪いんだろうし、それを慢性化させた業界全体の責任でもあろうけど、ぶっちゃけていえば、メディアミックスをめぐる対立というのは、すぐれて権利上の争いなのであって、誰が正義で誰が悪か…みたいな話ではないと思います。今回は、原作者の死という結果から見てるがゆえに、どこかに犯人がいるかのごとく考えがちだけど、ほんとうはそうではない。この争いでは、二次使用をする側が負けることもありうるし、そちら側に被害者が出ることだって想定せねばならない。◇もし原作者の一存で、映画やドラマや演劇を中止させることが可能だとすれば、それはメディアミックス産業にとって恐怖です。原作者の多くは、あくまで忠実な二次使用を望むかもしれませんが、それが市場の評価に帰結するとは限らないし、そもそも、映画にしろ、ドラマにしろ、演劇にしろ、「完全に忠実な二次創作」などありえないのだから。いったい何をもって「忠実」と判断するのか。たとえば東宝の「ジョジョ」はミュージカルですが、原作漫画に忠実なミュージカルなんて本質的に不可能!物語やキャラのみならず、衣装や舞台セット、音楽や歌など、原作漫画の世界観を壊しかねない要素は枚挙に暇がない。◇相沢友子の脚本もそうだったかもしれないけど、たとえ制作側が「それなりに忠実」なつもりでも、原作者から見れば「ぜんぜん忠実じゃない」って判断になったり、たとえ制作側が「最大限に忠実」なつもりでも、原作者から見れば「まだ足りない」って判断になるかもしれない。そういう終わりのない「無限忠実地獄」に翻弄されかねない。まして、出版社が二枚舌を使って仲介していたなら、その齟齬は永遠に埋めようがありません。かといって、細かい条件までを事前に確認しようとすれば、それはそれで、とてつもなく膨大な作業になるはずです。◇従来のメディアミックスの世界で、その合意がうやむやにされてきたのは、ある意味で必然的なのだと思う。うやむやにして進めるしかなかったのでしょう。結論をいえば、「改変OK」の原作でなければメディアミックスは不可能。さもなくば、「最低限ここだけは譲れない」みたいな限定的な項目だけを列挙してもらって、それ以外は「改変OK」と容認してもらうしかありません。これは、二次使用の際に、「リスペクトする気持ちがあるかどうか」なんぞという生易しい抽象論ではありません。そんな精神主義などクソほどの意味もありません。◇何をもって「忠実」とみなすかは、おそらく原作者の主観によってそれぞれであり、それを客観的に判断したり規定したりはできないのです。世間の漫画ヲタは、「原作ファンが納得することがいちばん大事!」などと都合よく考えてるらしいけど、そんな話は二の次三の次のどうでもいいことであって、法的な意味の最重要事項は、やっぱり「原作者自身が納得するかどうか」になる。そして、それは、原作者によって重視するポイントが違っていて、内容面での納得かもしれないし、権限面での納得かもしれないし、待遇面での納得かもしれません。まあ、原作者といえども、映像や演劇のプロじゃないのだし、二次創作へ介入するにしても能力的な限界があるから、最後はやっぱり、「金銭的な待遇」で決着するしかないんじゃないかしら?その意味でいうと、もしかしたら今回の東宝ミュージカルは、原作者による事実上の《ストライキ》の可能性もあります。◇たとえば映画会社は、Youtubeの「ファスト映画」を権利侵害だと糾弾してきたけど、原作者から見れば、待遇面で折り合わない映画会社の二次創作は、ファスト映画と大差のない権利侵害ってことになるはずです。なお、「ジョジョ」は集英社の作品ですが、先の「やわらかい生活裁判」の場合と同じように、二次使用の許諾を取ったのが集英社なのか東宝なのか、そこらへんも重要なポイントになるのかもしれません。つまり、仲介をする出版社が許諾をとるのではなく、制作会社が直接原作者から許諾を取らなければ、つねに中止に追い込まれる危険性を避けられないのでは?◇もともと「ジョジョ」の荒木飛呂彦は、メディアミックスに寛容なイメージがあるのだけど、本当のところはどうなんでしょうね。NHKドラマの「岸辺露伴」などは、原作ファンも納得の出来だと言われてるけど、あのドラマだって、かならずしも原作に忠実なわけではありません。とくに飯豊まりえの演じた泉京香のキャラは、かなりドラマオリジナルの要素が強い。あのドラマの人気は、泉京香のキャラによるところも大きいけれど、案外、原作者にしてみれば、そこが「最大の不満ポイント」だった…なんてことだって、ありえなくはないのです。◇わたしは、ドラマ版の「岸辺露伴」も、ドラマ版の「セクシー田中さん」も、十分に楽しんでいたわけですが、三次元の住人(ドラマファン)と二次元の住人(漫画ヲタ)とでは、まったく見え方が違ってる可能性があり、原作ファンと原作者自身のあいだでさえ、ぜんぜん見え方が違ってる可能性があるのです。原作者が納得しても、原作ファンには大不評ってこともありえるし、その逆も十分にあり得るってこと。◇そういえば、漫画ヲタクどもは、TBSによる「砂時計」のドラマ化を評価してたらしいけど、文春の記事によると、じつは芦原妃名子は、あの映像化にさえ苦慮してたらしいじゃないですか。原作者と原作ファンの見解が一致するなんてのは幻想です。それは原作者と出版社の利害が一致しないのと同じ。求めるところはそれぞれに違っている。漫画ヲタクの人たちは、「原作に忠実に作るのが正義!」みたいに簡単に言うけど、《二次創作の忠実性》という概念は、きわめて主観的、かつ曖昧、かつ多様だと考えるべきです。◇メディアミックス産業の未来に暗雲が立ち込めている。二次元世界と三次元世界は、いよいよ全面戦争に入るかも。池田理代子の「ベルばら」などは、漫画と宝塚歌劇がどちらも大ヒットして、メディアミックスの先駆的な成功例になった。萩尾望都は、宝塚ファンだったにもかかわらず、自作の舞台化にはずっと消極的でしたが、30年余りの交渉を経て「ポーの一族」が宝塚歌劇になった際は、「感動で言葉になりません」と話してたから、これも最終的には成功裏に終わってる。漫画協会理事長の里中満智子も、「二次創作は原作とはまた別の世界」と話してて、わりとメディアミックスには寛容なようです。今回の「ジョジョ」は、宝塚と同系列の東宝ミュージカル。東宝は舞台「千と千尋」も成功させましたが…もしかしたら今回の「ジョジョ」ミュージカルは、過去に例がないほどの大きな躓きになってしまうかもしれない。ジョジョの奇妙な冒険 31 (ジャンプコミックス) [ 荒木 飛呂彦 ] 楽天で購入
2024.02.08
相沢友子のインスタの文章は、昨日の記事にまるまる引用したとおりですが、あの文章が、芦原妃名子を攻撃したものだったかどうかは、文面そのものからは読み取れないし、内心どう思っていたかも知りようがない。すくなくとも、あからさまに原作者を攻撃した文面ではありません。◇しかし、この相沢友子の文章を受けて、彼女の仲間やフォロワーの一部が、芦原妃名子をあからさまに「悪者」と見なした、…そういうフシはあるっぽい。たしかに、日テレや小学館の二枚舌に気づかなければ、芦原妃名子が悪者に見えてしまっても仕方ない面はある。とはいえ、もし相沢友子本人に攻撃の意図がなかったとすれば、こうした「援軍」の存在はかえって迷惑なのよね。意図せずして対立図式が出きあがり、そのうえ自分が矢面に立たされるのだから。でも、その「援軍」の人たちは、おそらく相沢友子のファンや仲間なのだろうし、当人たちはよかれと思って、つまりは「相沢友子のために」やってるわけなので、それをむげに諌めたり非難したりもできない。そういう板挟みに陥ってしまう。◇それと同じことは芦原妃名子の側でも起こります。本人は相沢友子を攻撃するつもりがなくても、取り巻きの「援軍」の人たちは、ここぞとばかりに芦原妃名子を守れ!といって、相沢友子の陣営へ一斉攻撃をはじめてしまう。その結果、他人を傷つけることをいちばん嫌った漫画家が、なぜか、その攻撃の最前線に立たされてしまう。これはかなり絶望的だったかもしれません。◇太平洋戦争のときの天皇が、それとほぼ同じ。本人はアメリカと戦うつもりなどなかったのに、愛国的な天皇主義者たちが「天皇万歳!」と叫び、勇ましくも鬼畜米英に立ち向かってしまう。そして天皇が、その矢面に立たされてしまう。勇ましい愛国主義者たちは、さぞかし天皇を崇拝していたのでしょうが、崇拝された側にとっては、はなはだしい迷惑。さいわい昭和天皇は戦犯にはなりませんでしたが、ひとつ間違えれば処刑されていました。◇これにそっくりなことはジャニヲタにも言える。ジャニヲタ軍団は、大好きなジャニタレを守ろうとするあまり、ジャニー喜多川の性犯罪まで擁護していたわけですが、それがかえって世間の反感を買って、ジャニーズもジャニタレも窮地に追いこまれてしまった。しかしながら、ジャニヲタの人たちはあくまで善意のつもりだから、ジャニタレたちは、それに対して怒りを向けるわけにもいかず、ひたすら出口の見えない板挟みに苛まれていく。◇わたしの知っている範囲でいえば、上白石萌音にも同じようなことがありましたね。一部のファンが、「なんで紅白司会は萌音ちゃんじゃなくて橋本環奈なの?!」と言って橋本環奈のことをディスりはじめた。しかし、それで迷惑するのは萌音本人なのです。なぜ友人の橋本環奈と対立しなければならないのか?萌音の場合はさすがに我慢がならなかったらしく、すかさず自分のファンに本気で怒っていましたが、実際、そうでもしなければ収まらないのです。本人たちは善意のつもりでやっている。競合相手を蹴落とすことが、大好きな「萌音ちゃんのため」だと信じてる。◇こういうことは何度も何度も繰り返される。そして、くりかえし死者を出すことになる。当人たちには悪気がないどころか、むしろ正義だと思ってるから、なおさら質が悪い。まよわず敵陣を攻撃することが、仲間や崇拝者に尽くすことだと信じて疑わないし、その過ちに気づく理性と想像力は決定的に足りていない。バカにつける薬が是非とも必要なのだけれど、それはなかなか見つからないのです。◇◇◇絶賛暴走中の漫画ヲタク軍団が、ネトウヨやジャニヲタとよく似てるのは、組織の隠蔽体質に加担してしまうところにもいえます。漫画ヲタクは、好きな漫画や漫画家を守ろうとするあまり、その媒体である小学館をも擁護しようとするのです。編集担当者は漫画家の味方にちがいない!…と信じて疑おうとしないし、小学館の企業風土に多少の疑念があっても、そこには蓋をして見ないようにする。とりわけ、ふだんから小学館の漫画や雑誌を愛読してる人たちは、できれば小学館が「悪」だとは思いたくないし、可能なら日テレと脚本家だけが悪いという図式に持ち込みたい。◇これはジャニヲタが、大好きなジャニタレを守ろうとするあまり、ジャニー喜多川の性犯罪に蓋をして、それを見ないようにしてたのとまったく同じだし、ネトウヨが、政権与党や自衛隊の不祥事や失態を擁護したり、その隠蔽に加担したりして、問題をうやむやにしようとする心理にも似ています。つまり、都合のよい面ばかりに目を向けて、不都合な真実からは目を背けようとする。◇ジャニーズの問題が改善されなかったのは、シャニヲタがその暗部に蓋をし続けてきたからでもある。日本が戦争に負けたのは、当時の自称愛国主義者の連中が、日本軍の失態や敗退に蓋をして目を向けず、勇ましい活躍や成果ばかりを称えつづけ、真実の隠蔽に手を貸してしまったからでもある。現在の漫画ヲタク軍団が、不都合な真実から目をそむけて小学館を擁護するかぎり、小学館の側もまた、みずからの暗部と隠蔽体質を変えようとはしないでしょう。
2024.02.05
漫画ヲタクの暴走がいっこうに止まらない。原作至上主義こそ「絶対正義」と思い込み、テレビ局と脚本家が「絶対悪」と思い込み、にもかかわらず、なぜか小学館のことは「漫画家の味方」と信じて疑わない。そのうえ今度は、木南晴夏やめるるや毎熊克哉にまで、そのルサンチマンの矛先を向けている。おそらく3次元世界のすべてが憎いんでしょうねw芦原妃名子が亡くなった直接の原因は、相沢友子のインスタなんぞではなく、ほかならぬ漫画ヲタクどもの暴走にあるのかもしれないのだけど、その可能性からはあくまで目を背けつづけ、あろうことか、ますます個人攻撃をエスカレートさせてます。◇このような漫画ヲタクの暴走は、かえって自分自身の首を絞めてもいる。漫画ヲタクの掲げる原作史上主義は、メディアミックスの選択肢を狭めるあまり、かえって漫画出版社を窮地に追い込み、漫画文化そのものの経済基盤をも揺るがしてるのだけど、その現実からも目を背けてる。べつに「大人になれ」とかいう話じゃなく、子供であろうと、大人であろうと、現実から目を背けることはできないだろって話なのですが、おそらく漫画ヲタクの人たちは、彼らの愛する2次元世界が、現実の3次元世界を凌駕するように望んでるのでしょう。しかし、シンギュラリティでも訪れないかぎり、そんな世界は実現しません。◇もちろん日テレと小学館は、原因究明と事情説明をする必要がありますが、その説明を聞くまでもなく、もはや野木亜紀子や佐藤秀峰の文章を読んだら、おおよその背景と事情は察しがついてしまった、…ってのが正直なところ。そして、原作者と脚本家にすり合わせをさせない手法は、三上絵里子や相沢友子にかぎった話ではなく、テレビ業界全体の悪習だったこともバレてしまった。もちろん再発防止策も改善策も必要なのですが、おそらく改善に向かうというよりは、たんに《漫画原作が忌避される方向》へ流れるだけでしょう。漫画原作はめんどくさい、との認識が共有されて終わる。◇テレビドラマが漫画原作を避けることで、いちばん損をするのは出版社ですが、メディアミックスの可能性が大幅に狭まる事態に対し、どんな方策を講じればいいかについては、昨日の記事に書いたとおりなので割愛します。いずれにしても、漫画ヲタクの暴走から得られるものなど何もなく、漫画を中心とするメディアミックスの経済を縮小させることで、かえって彼ら自身の首を絞めているにすぎません。◇あらためて相沢友子のインスタの文章は次のとおり。〔12月24日〕最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急きょ協力という形で携わることとなりました。〔12月28日〕私が脚本を書いたのは1~8話で、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします。今回の出来事はドラマ制作の在り方、脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています。どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように。この文章をどう読むかは人それぞれでしょう。脚本の書き直しをさせられたり、終盤の脚本がまるまるボツになったことについて、ショックを吐露してるのはたしかです。最初からボツになる可能性を知っていれば、わざわざ苦労して書くわけがないのだから、まともな意思疎通が出来てなかったのは想像に難くないし、原作をねじ曲げられた芦原妃名子がショックだったように、せっかく書いた脚本を反故にされた相沢友子が、同様にショックを受けたのも当然のことでしょう。◇そして最後の、「今後同じことが二度と繰り返されませんように」という一言は、十分な意思疎通を怠った自分への戒めとも取れるし、それを遮ったプロデューサーや出版社への苦言とも取れるし、構造的な問題が改善されることへの願いとも取れるのだから、それをあえて「原作者への嫌味」だと解釈するのは、ひとつのバイアスのかかった見方にすぎません。たしかに相沢友子の支持者のなかには、あからさまに原作者を "悪者" と見なす人もいたのだけど、それはちょうど、現在の芦原妃名子の自称支持者どもが、相沢友子を ”人殺し” 呼ばわりすることの裏返しであって、はたから見たら「どっちもどっち」でしかない。要は、双方の外野どうしが、> 自分たちが絶対正義で、> 相手がたは絶対悪である!と主張して互いに暴走してるだけ。さながら馬鹿なネトウヨが、> 日本人の愛国心は絶対正義だが、> 中国人の愛国心は絶対悪である!と主張してるのと同じで、はたから見たら「同じ穴のムジナ」なのです。◇ちなみに、ヤフコメには、この相沢友子の文章について、脚本家が「原作者のわがままのために酷い思いをしたけど、俳優さんたちやスタッフの皆様は素晴らしかった」という内容のコメントを誰の目にも触れる場所に発信…https://news.yahoo.co.jp/articles/dc2d3ddc1815f33d770df8a190ac0d1dc0f12b05などと、まったく違う文面に書き換えた人物が存在し、このデマ情報が、いまなおいちばん上位に表示されていて、1万人もの閲覧者が「共感」のボタンを押すなど、かなり悪質な拡散ぶりを見せています。◇芦原妃名子が亡くなったのは、相沢友子のインスタの文章のあとではなく、それから1ヶ月後のことです。つまり、芦原妃名子が、小学館に確認のうえでトラブルの経緯説明をし、それがSNSにおける騒動へと発展し、それを受けて当該文章を削除した直後なのだから、そこにこそ直接的なトリガーがあったと考えるのが普通。漫画ヲタクどもは絶対に認めたくないでしょうが、芦原妃名子の自称支持者の連中が、相沢友子への攻撃を激化させたことこそが、直接的な引き金だったのではないか?…と疑ってる人はかなり多いはずです。そうでなければ、「攻撃したかったわけじゃなくて」という最期の言葉にはなりようがない。◇もちろん、遺書の内容が公表されないかぎり、そのトリガーを特定することはできないし、わたし自身も、彼女が亡くなる前日に記事を書いてますから、それが本人の目に触れた可能性というのも、ずっと気になってるのは否めません。当時のアクセス数は300程度だったけれど、自分の記事がトリガーになった可能性が、絶対にないとまでは言い切れない。極論をいえば、この問題についてのネットの言葉のすべてが、何らかのトリガーになった可能性はあるわけで、その意味で、現在の状況というのは、たがいに責任のなすり合いをしてるとも言える。◇けれど、たとえ何がトリガーだったとしても、それが罪だとまではいえません。犯人探しをしたくなる気持ちは理解できますが、自殺の背景において、かならず犯人が存在するわけではない。にもかかわらず犯人を捕まえて断罪しようと暴走すれば、実質的な冤罪まがいのものを生み出すだけです。◇しかし、それでもなお、漫画ヲタクどもの暴走が止まることはないでしょう。わたしは今回の件で、日本で漫画ヲタクと呼ばれる人たちが、ネトウヨやジャニヲタと同じ種類の連中なのだ、…ということを完全に理解しました。
2024.02.04
芦原妃名子の自殺が今後どのような結果を生むか。大きく2つの方向性があります。1.原作に忠実なドラマが増える2.原作アリのドラマ自体が減るそして、おそらく正解は「2」のほうだと思います。◇野木亜紀子や佐藤秀峰がアップした文章を読むと、原作者と脚本家の意思疎通がいかに困難なのか分かるし、クリアすべき問題は脚本だけじゃないのだから、原作に忠実なドラマを作るのは途方もなく難しいと思える。脚本家と原作者が意志疎通をはかろうにも、時間的・距離的な制約があって難しい場合もあり、たとえ会ったところで、すり合わせの作業が円滑に進むともかぎらず、折り合いがつかなければ決裂する場合もありうる。なので、出版社側の担当者も、TV局側のプロデューサーも、なるべく両者を対面させずに乗り切ろうとしてきたわけです。それがなかば慣例化していた。その事情を知ると、出版社の担当者を責める気にもならないし、TV局のプロデューサーを責める気にもならないし、まして脚本家を責める気にもならない。原作者と本気で向き合おうとすれば、それはかなり手間のかかる作業になる、ということ。そこまでして原作に忠実なテレビドラマを作るというのは、まったくもって理想論としか思えない。◇以下は野木亜紀子のツイート。脚本家が好むと好まざるとに関わらず「会えない」が現実で、慣例だと言われています。私も脚本家になってからそれを知って驚きました。良くいえば「脚本家(あるいは原作者)を守っている」のであり、悪くいえば「コントロール下に置かれている」ことになります。慣例といっても、原作サイドから「事前に脚本家と会いたい」という要望があれば、プロデューサーも断れるはずがなく、そんな希望すら聞いてくれないのであれば作品を任せないほうがいいし、それを断る脚本家もいない……というか、会いたくないなんて断った時点で脚本家チェンジでしょう。原作がある作品において、脚本家の立場なんてその程度です。脚本家からしたら、プロデューサーが話す「原作サイドがこう言ってた」が全てになります。私自身も過去に、話がどうにも通じなくて「原作の先生は、正確にはどう言ってたんですか?」と詰め寄ったり、しまいには「私が直接会いに行って話していいですか!?」と言って、止められたことがあります。(後に解決に至りましたが)また、プロデューサーも、先生の意見を直接聞いているかというとそうでもない。半年以上に及ぶやり取りの中で、地方在住の方もいらっしゃいますし、ご自身の仕事が多忙でそんな暇ないということもある。そのため大抵は、出版社の担当者やライツを通した、伝言の伝言になります。https://twitter.com/nog_ak/status/1753260514329887140そして佐藤秀峰のnote。「映画は水ものだから企画段階では真剣に考えなくて良い」という編集者の言葉を真に受けていたら、ある日決まっていました。決まったと思ったら僕が口を挟める余地はありませんでした。漫画家は通常、出版社との間に著作権管理委託契約というものを締結しています。出版社は作品の運用を独占的に委託されているという論理で動いていました。契約書には都度都度、漫画家に報告し許諾を取ることが書かれていました。が、それは守られませんでした。すでに企画が進んでいることを理由に、映像化の契約書に判を押すことを要求されました。嫌だったけど、「映像化は名誉なこと」という固定観念がありました。映像化決定のプロセスが嫌なだけで、出版社もいろいろ動いてくれたんだろうなと。原作使用料は確か200万円弱でした。出版社への不信は募ります。何も言わないことと、何も不満がないことは違います。言えることは、出版社、テレビ局とも漫画家に何も言わせないほうが都合が良いということです。出版社とテレビ局は「映像化で一儲けしたい」という点で利害が一致していました。出版社はすみやかに映像化の契約を結んで本を売りたいのです。映像化は本の良い宣伝になります。だから、漫画家のために著作権使用料の引き上げ交渉などしません。漫画家の懐にいくら入ったところで彼らの懐は暖まらないのです。それより製作委員会に名を連ね、映画の利益を享受したい。とにかくすみやかに契約することが重要。著作権使用料で揉めて契約不成立などもっての外。テレビ局はできるだけ安く作品の権利を手にいれることができれば御の字。漫画家と直接会って映像化の条件を細かく出されると動きにくいので、積極的には会いたがりません。出版社も作家とテレビ局を引き合わせて日頃の言動の辻褄が合わなくなると困るので、テレビ局側の人間に会わせようとはしません。漫画家の中には出版社を通じて映像化に注文を付ける人もいますが、出版社がそれをテレビ局に伝えるかどうかは別問題です。面倒な注文をつけて話がややこしくなったら企画が頓挫する可能性があります。出版社は、テレビ局には「原作者は原作に忠実にやってほしいとは言っていますけど、漫画とテレビじゃ違いますから自由にやってください」と言います。そして、漫画家には「原作に忠実にやってほしいとは伝えているんだけど、漫画通りにやっちゃうと予算が足りないみたい」などと言いくるめます。https://note.com/shuho_sato/n/n37e9d6d4d8d9※佐藤秀峰のように出版社にまで喧嘩を売れるツワモノはかなり貴重だと思う(ちなみに「海猿」も小学館の作品です)。ふつうなら、安タケコのツイートのように「同じ思いの小学館、担当編集者、編集部も誠心誠意作家を守るために尽力してくれています」みたいに書くだろうから。べつに安タケコが嘘を書いてるとは言わないけど、とくに連載をもってる漫画家なら、公然と出版社に喧嘩を売るのはかなり難しいはずです。野木亜紀子がテレビ局を批判するのも、かなり勇気のいることだと思います。わたしは、そういう人たちのほうを圧倒的に信用する。◇今後のテレビドラマは、オリジナルの脚本が増える一方で、「改変OK!」のものでないかぎり、原作アリの作品は忌避されていくことになる。わざわざ原作者と折り合いをつけるために、時間と手間をかけるプロデューサーは少ないはずです。そもそも、原作に忠実なドラマは、漫画ヲタクには評判がいいかもしれませんが、一般層にまで広く遡及するとは限らないし、テレビドラマというのは、原作者以外にも配慮すべきことが多すぎます。話数や放送時間やCMのタイミングなど、様々なフォーマットに収めなければならないし、絶対に守るべき納期があるし、視聴率も取らなきゃいけないし、予算的な制約や撮影技術上の制約もあるし、スポンサーや出演陣のイメージにも合わせねばならないし、コンプラ違反をしてもいけない。おそらくドラマの脚本制作というのは、脚本家の自己表現を全開にできるような仕事ではなく、さまざまな要求や条件や制約に合わせていく作業だし、それを考えたら、原作者の要求に全面的に応じられるテレビドラマなど、ほとんど不可能だと考えたほうが正しい。◇なので、今後のテレビドラマは、「原作なしのオリジナル脚本」と、「改変OKな原作もの」に傾いていくはずだし、さらには「AI脚本」みたいなのが増える可能性もある。その結果、いちばん損をするのは誰かといえば、それは出版社です。これまで漫画出版社が、自社作品をTV局に売りわたすことによって、どのくらい儲けてきたのか知らないけど、今回の問題によって、テレビドラマはおろか、メディアミックス全般の可能性が大幅に狭まっていく。これは出版社側の自業自得ともいえますが、漫画雑誌の廃刊や、出版社の倒産を加速させることにもなりかねません。◇しかし、損をするのは出版社だけではありません。漫画ビジネスが日本の基幹産業になりつつある今、そのメディアミックスの可能性が狭まっていくことは、日本経済全体の巨大な損失になるからです。したがって、これは、ある意味、政治的な案件であり、経済界全体が注視すべき問題だというべき。◇では、漫画のメディアミックス産業を衰退させないために、いったいどうすればよいのか?ひとつの方策として考えられるのは、それを原作者にとっても「旨みのあるビジネス」に変えていくこと。たとえ原作の内容やイメージを変えられるのが苦痛だとしても、たとえ原作ファンの漫画ヲタク連合から袋叩きにされるとしても、「これだけ儲かるのなら仕方ないか…」と思わせるだけの経済的なメリットがあれば、その苦痛を我慢してくれる原作者はきっといると思います。◇そして、もうひとつの方策があるとすれば、漫画原作の売り先を、時間に追われてドラマを量産してる日本のテレビ局ではなく、Netflixのような国際映像メディアに移行させる、ということ。そのほうが、時間とお金をかけて、原作に忠実なドラマを作ってくれるかもしれないし、国内の漫画ヲタクだけでなく、世界中の漫画ヲタクの市場を相手にすれば、時間とお金をかけるだけの採算が合うかもしれません。
2024.02.03
いまだに多くの漫画ヲタクの人たちは、「小学館は芦原妃名子の味方だったはず!」と信じて疑わないようですが…何故そこまで出版社を信用できるのか、わたしには不思議でなりません。ネトウヨが自衛隊を批判しないのと同じく、漫画ヲタクは小学館を批判してはならない、…みたいな暗黙のルールでもあるのかしら?◇すくなくとも、わたしから見ると、小学館のふるまいには以下の4つの点で疑念があります。1.なぜ《原作クラッシャー》による企画を承認したか三上絵里子と相沢友子は、《原作クラッシャー》との不名誉な異名を与えられてますが、なぜ小学館は、もともとドラマ化に前向きでなく、さまざまな条件付けも多かった芦原妃名子の作品を、よりにもよって《原作クラッシャー》の2人に委ねたのでしょう?最初の段階では、まだ脚本家が未定だったかもしれませんが、三上絵里子がプロデューサーを務める時点で、原作が改変される恐れはあったわけだし、脚本家として相沢友子の名前が挙がった時点で、その起用を拒否することもできたはずです。かりに芦原妃名子が、2人のことをよく知らなかったとしても、小学館の担当者が知らなかったはずはない。三上絵里子が担当した「二月の勝者」や、相沢友子が担当した「ミステリと言う勿れ」は、いずれも小学館の作品だったのだから。もし小学館側が、2人を《原作クラッシャー》だと認識していたなら、芦原妃名子の作品を彼女たちに任せるはずがありません。にもかかわらず企画が止まらなかったのは、日テレの問題ではなく、むしろ小学館側の勇み足で原作者の意思を飛び越え、ドラマ化の流れを作っていったからだ、と思えます。そもそも、多くの漫画ヲタクの思い込みとは裏腹に、むしろ企業としての小学館は、この2人の仕事を高く評価していたのではないですか?2.なぜ日テレ側のスタッフと対面させなかったかこれについては、昨日の記事に書いたので割愛しますが、目下、小学館と日テレには、「なぜ原作者と脚本家に意思疎通をさせなかったのか」について説明することが求められています。一部の漫画ヲタクの人たちは、「小学館はあくまで原作者の味方であり、 原作者に代わって日テレ側に意向を伝えていたのだ!」と主張していますが、わたしに言わせれば、たんに原作者は小学館を頼るほかになく、小学館をとおして意思を伝える以外に手段がなかった、…というだけのことに見えます。3.なぜトラブルの経緯を説明したのは原作者だったかドラマ終盤の脚本を、原作者が書くことになった経緯について説明したのは、小学館ではなく、原作者自身でした。原作者が "小学館に確認しながら書いた" としているので、これをそのまま「小学館側の説明」と見なす漫画ヲタクもいますが、原作者と出版社の利害が同じではない以上、両者の言い分が同じである保証はどこにもありません。わたしに言わせれば、日テレとのあいだを仲介したのが小学館だったから、たんに小学館に確認するしかなかった、というだけに見える。そして、その説明は本来なら、仲介をしていた小学館が直接おこなうべきだったし、そのほうがはるかに正確だったはずです。…ところで、原作者は、亡くなる前にその文章を削除してしまいましたが、それは何故だったのでしょうか?相沢友子へのバッシングが加熱してしまったため、原作者が自分の意志で削除したとも考えられますが、もしかすると、日テレ側との関係が悪化するのを恐れた小学館が、原作者に削除要請をした可能性もあるのではないですか?もしそうだとすれば、それは原作者を激しく失望させたでしょう。4.なぜ小学館はいまだに経緯を説明しないのか繰り返しますが、脚本制作のトラブルについて説明したのは、原作者自身であって、小学館ではありませんでした。そして、原作者が亡くなった今もなお、小学館はその経緯について公に説明をしていません。それは何故でしょうか?小学館側に非があるからなのか。日テレとの事実上の「共犯」だからなのか。日テレとの関係悪化を恐れているからなのか。◇◇◇昨日の繰り返しになりますが、わたしは「小学館が悪い!」と言いたいのではありません。原作者と出版社の利害は同じではないのだし、たんにその立場の違いが顕在化しただけであって、企業としての小学館のふるまいは、むしろ当然だとさえいえる。企業は企業としての利益を優先するはずだからです。◇芦原妃名子は、残念ながら小学館を頼る以外になかったのだろうし、いまさら言っても遅いことですが、ほんとうは小学館を信用しすぎるべきではなかった。小学館を頼りすぎるべきでもありませんでした。そして、これは、芦原妃名子と小学館だけの話ではなく、あらゆる出版社に依存するあらゆる漫画家にいえることです。
2024.02.01
フジテレビのニュースによると、芦原さんがブログやXで投稿した条件や意向が日本テレビ側に伝わっていなかったという情報がある点について、小学館側に確認したところ「広報室として出したコメントとHPに出したコメント以上のことは答えることができない」との回答でした。https://news.yahoo.co.jp/articles/6ce0ad68b4582daee329fab93d99e911a37c6194…だそうです。なぜ芦原妃名子は、日テレ側のスタッフと対面しなかったのか。それは、小学館が「芦原妃名子を守ったから」ではなく、むしろ小学館と日テレが共謀して、原作者と脚本家を対面させないようにしていたから、…という疑いがもたれます。つまり、小学館は原作者の「代理人」の立場をよそおって、実際には原作者の意向をブロックしていた可能性がある。◇一部の短絡的な漫画ヲタは、「コナンを日テレから撤退させろ!」とか、「小学館は日テレと別れる英断を!」などと叫んでますが、小学館がそんな選択をするわけがありません。どう考えても、日テレと小学館はウィンウィンの関係であり、もっといえば共犯の関係にあるのです。たとえ青山剛昌がアニメをやめたいと言っても、日テレと小学館はアニメ制作をやめるはずがない。金づるなのだから!出版社を信用するのも大概にしろ!!ってこと。◇ドラえもんの同人誌問題のときに、小学館が「著作権の保護」を主張したのはなぜか?それは、藤子・F・不二雄の権利を守るためではなく、あくまでテレ朝と小学館の権利を守るためであり、そのためなら、作家個人の創造性など平気で踏みつぶすのです。あのとき、小学館の横田清や大亀哲郎は、さも藤子・F・不二雄の遺志を代弁するふりをしたけれど、実際は、たんに自社の利益を守ろうとしたにすぎない。故人の遺志を代弁できる根拠などどこにもないのだから。◇わたしは「小学館が悪い!」と言いたいのではなく、これはあくまで「構造的な問題だ」と言いたいのです。たとえば、ジブリの鈴木敏夫と宮崎駿の関係は、世間的にも "目に見える関係" ではあるけれど、あそこにも激しい緊張関係があります。鈴木敏夫は、予算を抑えて納期までに作品を完成させようとするし、メディアミックスにも非常に積極的です。それに対して、高畑勲や宮崎駿は、赤字になることも意に介さないし、納得いくまで制作に時間をかけようとするし、メディアミックスにもほとんど関心がありません。これは、どちらが正しいとか間違ってるとかではありません。経営者とクリエイターでは立場が違うということです。◇おそらく漫画家の人たちは、連載してくれた出版社に恩義があるだろうし、なるべく信頼関係を崩したくないだろうし、表立って批判もしにくいだろうし、敵対するのも憚られるだろうけれど、じつは、その信頼関係は、非常に脆いものだと思います。漫画家は ”身内” に裏切られる可能性がある。そのことを覚悟しなければなりません。ビジネスが大きくなればなるほど、原作者の思いは踏みにじられる可能性が高まるし、漫画やアニメが、日本の基幹産業として成長しているいま、今回のような問題にはいっそうの注意が必要です。漫画家の人たちは、出版社を過度に信頼しすぎることなく、不用意に依存しすぎることなく、自分たちで自分自身を守る術を考えなければなりません。
2024.01.31
日本テレビのコメントによれば、小学館が「原作代理人」だったようです。2023年10月期の日曜ドラマ『セクシー田中さん』につきまして日本テレビは映像化の提案に際し、原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております。しかし、一般的に考えれば、原作者がドラマ化に後ろ向きだとしても、出版社のほうはドラマ化に積極的になるはずだし、原作者と出版社の利害というのは、はじめから相反している可能性があります。そうだとすれば、原作者は、出版社から実質的に裏切られる可能性が高い。実際のところ、原作者の意向をないがしろにしていたのは、脚本家でもなければ、テレビ局でもなく、出版社だったかもしれない…ということです。◇欧米では、原作が出版される段階で、原作者と出版社のあいだをエージェントが仲介し、印税や、映像化の際の条件などを、あらかじめ文書で取り決めているようです。https://ja.wikipedia.org/wiki/著作権エージェントそうでもしなければ、原作者の主導で映像化の話を進めるのは本質的に不可能です。原作者の意向を無視して、出版社が勝手にメディアミックスなどを進めることもありうる。そもそも利害が一致していないのなら、出版社に「代理」を委ねる仕組みそのものに無理があります。◇一方、テレビの職業脚本家は、テレビ局側の依頼で書いてるにすぎないのだし、そもそも、原作者の意向などをどれほど知らされるのかも、それに従うべき立場にあるのかどうかも、現時点ではよく分かっていません。むしろ、原作者がいちいち内容に口出ししたり、脚本そのものの差し替えを要求してくることに、脚本家の立場として不愉快を感じたとしても不思議はない。◇そのあたりの事情も不明な段階で、むやみに脚本家の人格叩きなどをしても意味がない。まして、脚本家がインスタの文章を書く際に、原作者に「さん」づけをすべきだったかどうかなど、どうでもいい問題まであげつらっても仕方ありません。スピッツを「さん」づけで呼べ!!…などと騒いでいた短絡的な連中と同様に、まったくもって生産性のない議論であって、かえって問題解決の妨げになっているにすぎない。
2024.01.30
芦原妃名子が亡くなってしまいました。海外の事例も含めて、こういうことって過去にあるんだろうか?遺書の内容も明らかになってないし、そもそも人となりなども知らないので、なんのコメントしようもありませんが、ネット上の議論やらなんやら、いろんなことの板挟みになって、追い詰められてしまったのかもしれないし、わたしの一昨日の記事も、あながち例外とは言いきれない。ちなみにアクセスが急増したのは昨日なので、一昨日のアクセスは300弱でした。◇あくまで一般論としてだけど、わたなべ志穂が一昨日、「ドラマ制作時、作者には味方はあまりに少ない」とツイートしてたのは、その通りなんだろうな、と思った。そして、それは、テレビ局や脚本家だけでなく、出版社も含めての話じゃないかと思います。改めてですが芦原先生はとてもリスクを持ち発言されたと思います。俳優さんを傷つけるのではないか、ドラマを楽しんだ方から非難されるのではないか、自分はこれ以上傷付くのか。ドラマ制作時作者には味方はあまりに少ない。勿論大事にして下さる現場もありますが多くは違うはず→— わたなべ志穂 (@nabeshiho_enjoy) January 27, 2024テレビ局や脚本家を攻撃してる自称原作ファンが、ほんとうに「原作者の味方」だったとは思えないし、出版社が「原作者の味方」だったとも言い切れないのです。百歩ゆずって、担当編集者は味方になっていたとしても、企業としての出版社は、むしろドラマ化や映画化に積極的なはずだし、なんなら原作者をなだめてでも、自社の作品をどんどん売り込んで、ドラマ化や映画化を推し進めるのが普通だと思う。もっといえば、なんらかの炎上騒動を仕掛けてでも、作品の知名度を上げようと考えるかもしれません。…そんな味方のいない孤独な状況の中で、原作者だけが板挟みになる危険があるのかな…と想像します。◇商業芸術の世界において、作者の意思がねじ曲げられるのは普通の話です。むしろ、作者の意思が完全に尊重されるなんてことは、ありえない話だと考えるべきでしょう。これはなにも、ドラマ化や映画化だけの話じゃなく、たとえば、雑誌に掲載する段階でも、編集者からひたすらダメ出しされたり、内容を改変させられたり、容赦なく連載を打ち切られたりすることは、日常茶飯的にあるはずなのだから。…同人誌などに書くなら別ですが、作品を「商品」として市場に出す以上、作者の意思が完全に尊重される世界などというのは、まったくもって理想論でしかありません。商業芸術の現場で仕事をしてるクリエイターなら、そんなことは百も承知だろうけど、あまりの理想と現実とのギャップに直面したり、それに抗おうと奮闘するあまり、かえって過酷な状況に疲弊してしまい、追い詰められるケースはあるんだろうな、と思う。◇ケースバイケースだとは思いますが、たとえば、筒井康隆なんかは、人気作の「時をかける少女」のことを、"金を稼ぐ少女だ" などと言って野放しにしてますよね。それに対して、自分の作品に対する責任感が強く、多くを背負いすぎてしまうクリエイターは、かえってリスクが大きいのかな…という気もする。そんな原作者をサポートするのは、一義的には出版社なのだと思うけど、もちろん何から何までサポートするのは不可能でしょう。とはいえ、商業主義とのバランスには慎重であるべきだし、作家を過度に追い詰めない配慮は必要になるでしょう。
2024.01.30
わたしは去年の10月に、日テレ「セクシー田中さん」の最初の感想で、次のように書きました。日テレ「セクシー田中さん」面白い。もともと相沢友子の脚本って、正直、あまり信用してないのだけど、今作はかなり好感触。原作があるせいか、けっこう深みも感じます。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202310300000/もともと相沢友子が好きなわけでもないので、今回も、べつに彼女に味方する気はないのだけど、ただねえ…今回の件にかんしていえば、正直、どちらが悪いともいえない。なんなら個人的には、「相沢友子の書いた最終回が見たかったな…」って気持ちのほうが強い。ドラマの終盤はあきらかに尻すぼみだったから。◇いずれにせよ、こういう問題は、ドラマ化や映画化においては、つねにありうる話。プロデューサーも出版社もふくめ、あらかじめそれを弁えねばならないのだし、もし原作の改変を望まないのなら、最初から映像化を拒む以外にないでしょう。SNSなどでは、相沢友子への人格叩きのほうが優勢ですが、今回の件にかんしては、それに与する気になれません。一般に、経済的な力関係において、テレビ局のプロデューサーや脚本家のほうが、原作者や出版社よりも優位な立場にあるかもしれないし、その意味で、今回の問題はひとつの戒めにはなるでしょうが、今回の「セクシー田中さん」の場合は、けっしてスター俳優に依存した安易な企画ではなく、むしろ日テレにしちゃ意欲的で果敢な作品と思われただけに、かえってドラマ化の難しさを垣間見せられた感じ。◇ドラマ化・映画化・アニメ化によって、知名度や売り上げが増すことを期待する作家が多いなかで、芦原妃名子みたいに硬派な作家は稀有な存在だと思いますが、逆からいえば、今後、彼女の原作が映像化される見込みは薄くなりましたね。多くのプロデューサーは尻込みしてしまうだろうから。彼女の原作ファンの人たちも、むやみに映像化を望んだりはできなくなったでしょう。◇たぶん世間では、「ドラマや映画は原作に忠実であるべきだっ!」みたいな論調が強まるのでしょうね。しかし、はっきり言って、わたしの記憶するかぎり、原作に忠実に作られた映画やドラマで、名作と呼ばれるものはひとつも思い浮かびません。後世に「名作」として残ってる映像作品は、むしろ原作を大胆に脚色・改変したもののほうが多い。(もちろん駄作も多いだろうけど)なぜなら、自由な脚色が許されなければ、現場のクリエイティビティは十分に発揮されないからです。原作にリスペクトがあることと、たんに原作に忠実であることは、けっして同じではない。◇クリエイターである以上、原作者には原作者の思いがあり、脚本家には脚本家の思いがあろうし、それぞれに理念も信念もプライドもあるだろうから、それを調整すべきなのは、とりあえずプロデューサーや出版社だとしかいえない。◇◇まあ、ひとつの炎上商法として見れば、意外にウィンウィンだったりする気もしますが…。実際、小学館には、炎上商法の疑われる事例が過去に複数あるようだし。
2024.01.28
テレ朝「松本清張二夜連続ドラマスペシャル」を見ました。どちらも女性脚本家によるシスターフッド的な物語で、松本清張を意外な面から捉え直した形ではある。◇第1夜は「顔」。浅野妙子の脚本。後藤久美子&武井咲の主演。オスカー「国民的美少女」の先輩と後輩。顔を隠して生きてきた殺人犯の女性が、やっぱり最後はバレてしまうという話。なぜ逆光のシルエットを見て、顔まで思い出したのかは解せなかった。後藤久美子にかつての美少女の面影はなく、ただの色黒のオバサンかと思っちゃったw演技もあからさまにぶっきらぼうでしたが、なかば意図的なのかしら?なお、原作のほうは、女性じゃなくて男性の物語だったらしい。◇第2夜は「ガラスの城」。大森美香の脚本。木村佳乃&波瑠の主演。大森ドラマ常連女優の先輩と後輩。途中で語り手が失踪するのは面白かったけど、真犯人はまあ予想した通りだった。なお、原作では、波瑠の役どころのほうが年上の設定らしい。◇2作品とも、サスペンスとしての意外性には乏しく、ドラマとしての脚色も、可もなく不可もなしって感じでしたね。
2024.01.21
NHK土ドラ「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」。前半は、無駄のない脚本と重厚感のある演出に、かなりの手応えを感じたのだけど…後半の展開と結末にガッカリ。蓋を開ければ、社会派を装っただけの安直なサスペンスに過ぎなかった。◇結婚式の出席者を前にして殺人の過去を打ち明けたり、痴呆症の母親がとつぜん息子の名前を呼ぶエンディングは、なんのリアリティもない通俗ドラマのコケ脅しとしか思えず、NHKによる「社会派」の触れ込みがかえってアホらしい。これがテレ朝あたりのサスペンスドラマなら、べつに文句も言わないのだけど、公共放送たる天下のNHKが、あえて「社会派」を装って取り上げるべき物語じゃないでしょ。幼女に対する性的虐待というテーマも、「白夜行」や「三度目の殺人」などで変奏されてきたけど、もはや社会問題を告発してるというより、ただサスペンスのネタにしてるようにしか見えない。ろう者をネタにしただけの通俗ミステリー小説を、公共放送が「社会派」を装ってドラマ化するのはどうかと思う。◇脚本や、演出や、キャストの芝居そのものは、さすがはNHK!と思わせて上出来だったのだけどね…。手話通訳士にツヨポン。県警刑事にエンケン。いわくありげな元夫に和田正人。このあたりのキャスティングは、まあ誰でも思いつきそうな、よくもわるくも安定の配役でしたが、むしろ松本若菜と橋本愛のほうに新鮮味があって、あらたな一面を見れたかなという気はします。◇しかし、とにもかくにも、企画の意図それ自体に疑問を感じざるをえなかった。まだしも生方美久の「silent」のほうが誠実だと感じます。
2024.01.18
最終話。華ちゃんは誰と結婚したかと思いましたが、お相手は出てきませんでした。結局、メインの4人は誰ともくっつかず。ちょっと意外な結末ですね。朱里は、進吾との復縁も匂わせて終わった。◇そもそも愛子先生が登場したのは、田中さんを海外へ連れ出す伏線だったのねえ。会社も辞めて、海外に留学して、ついにベリーダンスが本業になったってこと?ベリーダンスの留学は、まさかイランやイラクじゃないと思うので、やっぱりトルコあたりでしょうか?◇留学帰りの田中さんは、2年間の海外生活を経て、ちょっと目がギラついてました…!(笑)もしや、日本社会の抑圧から解放されて、愛子先生ばりに人格が変わっちゃった??かたや、田中さんが進化する一方で、他の3人は何も変わってなかったですね…w目がギラギラしてる海外帰りの田中さん!すこし肉食系になった??
2023.12.26
昨日の記事で「たそがれ優作」のことに触れましたが、何気にずっと見てました。テレ東らしい、ゆるめのドラマ。寅さんよろしく、いつも女性にフラれてしまう、しがない役者稼業の話。そこに、テレ東ドラマお馴染みの、グルメ要素も加わっていました。◇主人公は地味なバイプレーヤー。といっても、昔の大部屋役者みたいな底辺の職業じゃない。それどころか、いつも夕方前には仕事が終わって、いいお店で、綺麗な女優さんとお酒飲んだりして、世間一般の哀れなサラリーマンやフリーターに比べたら、かなり羨まれる身分じゃないかと思える。そもそも若い女の子にフラれるのは当たり前なのだし、「何たそがれてんのよ」ってのが当初の率直な感想でした。坂井真紀のセリフと同じく。だから、はじめのうちは、このタイトルに違和感をおぼえていた。原作漫画の題名だから仕方ないけど。◇主演の北村有起哉は、最近よく目にするようになった俳優ですが、北村和夫の息子なんですねえ。知らなかった!ぜんぜん美形じゃないし、それこそ地味なバイプレーヤーですが、若い頃からずっとこういう世界を見てきた人なのだろうな。ダンスが出来たり、ギターが弾けたりして、いろいろな芸事が自然と身についてる感じ。◇かたや、昨日の記事にも、瀬戸さおりのことを書きましたが、ヘアメイクとスタイリストと3人一緒のときは、いつも楽しそうだったのよね。お菓子食べながら台本の練習したり、なんかお気楽で。でも、業界のことはよく知りませんが、さすがに優作の専属じゃ、あの2人は食べていけないよね。他のタレントの担当も掛け持ちしないと。◇そして、わたしがいちばん楽しみだったのは、毎朝のアパート前での浅田芭路ちゃんとの掛け合い!朝ドラ「舞いあがれ」の舞ちゃん役の子だけど、彼女はじつに芸達者だねえ…。お洒落をキメた優作を見るなり、「孫にも衣装」と言ったのも笑いましたが、いきなり流暢な英語を喋り始めたのもスゴかった。芭路ちゃんは、ほんとに英語が話せるのかしら?Helloちゃんだけに。最終回の葉山のシーンも綺麗だったな。お魚がめっちゃ美味しそうだった。羨ましい!お店のグルメもさることながら、優作が自分でつくる朝ごはんも美味しそうだったよね。
2023.12.24
毎年、12月の「グレかま」は、世界各地のクリスマスのお菓子を取り上げますが、今回は南仏プロバンスでした。◇それと同時にスピンオフドラマも放送され、ヘンゼル(瀬戸康史)が大正時代へタイムスリップしてた。朝ドラのことを意識したのか、少女歌劇団を舞台にした百合ネタがあったり、さらには、かまどの中の人(キムラ緑子)がTBSネタで、別班VIVANTならぬ「別嬪VEPPINT饅頭」を開発してたw怪しげな「VEPPINT饅頭」。百合っぽい2人。テレ東「たそがれ優作」じゃ大酒呑みだった北香那w和洋折衷のシュークリーム!https://www.tsuji.ac.jp/hotnews/cat621/cat709/post-836.htmlhttps://www.nhk.jp/g/blog/kki6ifv311昔の洋菓子って、バタークリームのイメージが強いけど、すでに大正時代に生クリームがあったんだね。朝ドラを見てても、大正時代の音楽やファッションは、とてもモダンだったと思うけれど、お菓子の文化もかなり先進的だったと感じる。◇一方、通常回で取りあげたのは、Xmasの南仏プロバンスで作られる、イエスと十二使徒をあらわす13種のデザート。このうちの4種は、四人の乞食(=4つの托鉢修道会)を意味し、フルーツの色でそれぞれの修道服を表すらしい。それぞれの修道服の色は、ドミニコ会:白色聖アウグスチノ会:濃紫色フランシスコ会:灰色カルメル会:茶褐色とのことなのだけど、どの色にどのフルーツが対応してるのか、ネットの情報はバラバラで一致していない。NHKの説明では、ドミニコ会:ドライいちじく聖アウグスチノ会:クルミとヘーゼルナッツフランシスコ会:レーズンカルメル会:アーモンドとなってましたが、英語のWikipediaによると、ドミニコ会:レーズン聖アウグスチノ会:クルミまたはヘーゼルナッツフランシスコ会:ドライいちじくカルメル会:アーモンドとなってて微妙に違います。さらに、ドミニコ会:アーモンド聖アウグスチノ会:レーズンフランシスコ会:いちじくカルメル会:ヘーゼルナッツと書いてるサイトも見受けられる。◇これらのフルーツを薄いチョコにのせた、マンディアン(托鉢修道士)というお菓子もあるそうです。上記の4種フルーツのほかには、イエスの故地・中東にちなんだナツメヤシの実デーツ、善悪を意味する白&黒のヌガー、さらにフリュイコンフィ、カリソン、フーガスなど。とにかくデザートを13種類そろえるわけですね。13種のデザート。粘土製のサントン人形も可愛い。https://www.tsuji.ac.jp/hotnews/cat621/cat709/post-834.htmlちなみに、13のデザートを食べ残しておくと、夜中に先祖の霊が来て食べていくそうです。ヨーロッパではハロウィンだけでなく、クリスマスにも先祖が来るんですね。◇まったくの余談ですが…テレ東の「たそがれ優作」に、瀬戸くんの妹の瀬戸さおりが出てました。瀬戸くんが童顔なせいもあって、妹のほうが、むしろ姉に見えます…(笑)いつも楽しそうだった3人。ヘンゼルも「弟」の設定ですが、見るからに瀬戸くん自身が弟キャラなのよね。でも、実際には2人の妹の「兄」なのだと。◇これまた余談ですが、いつもグレーテルが帰ったあと、お菓子の量がぜんぜん減ってませんよねえ。だから、わたしは、ヘンゼルが独り言をつぶやいてるだけで、じつはグレーテルも、かまども、すべて彼の妄想なんじゃないかと睨んでますwほんとは姉なんか存在してなくて、ひとりでヤバい幻覚を見てるだけじゃないかしら?
2023.12.23
月9「ONE DAY」に幻の最終話(第12話)があるのでは?…とのまことしやかな噂が(笑)。たしかにねえ。そうとでも考えないと、3種のエピソードゼロ(脚本家は違うけど)を作り、考察本まで出版しておいて、あんなザルみたいな最終回になる理由がわからないよ。榊原殺害や記憶喪失について未回収な部分も多いし、なによりも、フランちゃんがまったく物語に絡んでないのが不自然。もっと緻密に伏線を回収した最終話があっても不思議じゃない。もし幻の最終話があるなら、すべての真相がフランちゃんの視点で描かれるはず!フランちゃんは、神奈川県警の敷地内を走り抜け、ライバル店「キーファー(Kiefer)」にも侵入してました。だから、きっとフランちゃんが駆けめぐったさまざまな場所で、天樹勇太の父・悟の死の真相とか、天樹勇太が追及した警察内部の汚職の真相とか、先代シェフの娘(査子の母)の話とか、シェフと桔梗の5年前の出会いのエピソードなどが、誰かの記憶をもとに語られるんじゃないかしら?◇それ以外にも、スーシェフ若松のことや、横テレの社長の娘のことや、シェフが(ビーフシチューでなく)お弁当にこだわった理由など、明らかにしてほしいことはたくさんあるのよね。めっちゃ美味しそうなハンバーガー。めっちゃ美味しそうなビーフシチュー。めっちゃ美味しそうなショートケーキ。ちなみに来週の月9は「ぽかぽかゴールデン」です…┊✧🎄 ぽかぽかゴールデン ✨✧┊ 🌈出演者情報🆕火曜レギュラー #花澤香菜 さんも出演🌼▶︎新月9ドラマ#永野芽郁/#松本若菜▶︎新金9ドラマ#桐谷健太/#市村正親▶︎チーム群馬#中山秀征/#井森美幸/#関太#児嶋一哉(金曜レギュラー)#花澤香菜(火曜レギュラー)25日よる7時〜❣️ pic.twitter.com/3WYYreThLD— フジテレビ『ぽかぽか』 (@lets_pokapoka) December 20, 2023
2023.12.21
カンテレの「トキコイ」。マギー&キケロの活動がはじまるところで終わりました。髪型的にはアトム&メルモって感じでしたが…。◇まずは各話サブタイトルのおさらい。たぶん以下のタイムトラベル映画が元ネタですよね。第1話「アバウト・タイムパトロール」⇒『アバウト・タイム~愛おしい時間について~』(2013)第2話「10年先の彼女」⇒『1秒先の彼女』(2020)第3話「きみがぼくを見つけた夜」⇒『きみがぼくを見つけた日』(2009)第4話「ある日浅草のどこかで」⇒『ある日どこかで』(1980)第5話「バスクラッシュ・エフェクト」⇒『バタフライ・エフェクト』(2004)第6話「バック・トゥ・ザ・エイティーズ」⇒『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)第7話「私は明日、20年後のきみとデートしない」⇒『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(2016)第8話「サマータイムパトロール・ブルース」⇒『サマータイムマシン・ブルース』(2005)第9話「ミッドナイト・イン・オフィス」⇒『ミッドナイト・イン・パリ』(2011)第10話「恋は大デジャブ」⇒『恋はデジャ・ブ』(1993)第11話「時をかけろ、恋人たち」⇒『時をかける少女』(1983)最終話は自己パロディかと思いましたが、タイトルのロゴから察するに、やっぱり1983年の「時かけ」なのかなと思う。pic.twitter.com/QIWvRXLczo— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) December 20, 2023内容的には、「過去から来た男」とか「ARQ:時の牢獄」とかも、引用してた気がしなくはない。◇2人が全宇宙の運命を握ってるという意味では、セカイ系だったともいえます。なぜか今季は、「ONEDAY」「すべて忘れてしまうから」「たとえあなたを忘れても」など、記憶にかんするドラマが多かった。たとえあなたを忘れても? ちなみに《はがし》ってのは、「記憶はがし」のことだと思ってましたが、「カップルはがし」のことだったらしいw吉岡里帆はコメディのほうが合うね。王舟の音楽は、なんとなくコロンボに似てた。
2023.12.20
田中さんと笙野がくっつきそうな流れ?朝倉あきは、噛ませ犬としてはだいぶ強力ですよね。でも、笙野にフラれてしまいそうです。田中さんの存在を知って、彼女のほうから身を引くのかしら?父子家庭で古風な娘に育った…って設定が細かい!前クールで毎熊克哉との絡みはありませんでした(=彼女たちの犯罪)NHKは朝倉あき主演で何か作ったら?見るからにNHK向きでしょ!時代劇でも現代劇でも。#朝倉あき #孤独のグルメ https://t.co/Fg1Sswq2Y8 pic.twitter.com/CSTLbBgHYN— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) December 19, 2023◇田中さんも、笙野も、モテ期に入ってるのだなあと思う。田中さんは、ずっと三好に憧れてたはずだし、笙野は笙野で、朝倉あきみたいな古風な子が、ずっとタイプだったはずだから、はたから見ると、「田中さんは三好とくっつけばいいじゃん!」「笙野は朝倉あきとくっつけばいいじゃん!」と思うのだけど、人生は皮肉なもので、ずっと欲しかったものが手に入りそうになると、なぜか気持ちが冷めてしまってる。その結果、笙野の分際で朝倉あきをフるとか、田中さんの分際で三好をフるとか、そういう逆転現象が起きてしまう。◇視聴者のあいだでも意見が割れてる。わたし自身も、「田中さんは三好とくっつけばいいじゃん!」「笙野は朝倉あきとくっつけばいいじゃん!」と思うところはある。田中さんと笙野の関係は、男女の恋愛というよりも、人として尊重しあえる友情じゃないの?…と考えてしまう。◇朱里と小西についても評価が割れてますw小西肯定派の田中さん。断じて小西否定派の華ちゃんw
2023.12.19
最終回。ひねりが無さすぎてびっくりw先週までの考察の意味なし。衝撃的なほどの肩すかし。フランちゃんは何の奇跡も起こさずwただ走ってただけ。先代シェフにも存在意義なし。デミグラスソースは復活せず。犬見つける前に店に何しに来たの?横浜テレビの社長も、ただ報道に反対してただけで、これといった裏もなく。雰囲気はよかったけど。煽るだけ煽って何のオチもない話w意気込んで考察してた視聴者(=わたし)がバカを見ました。これがホントのから騒ぎ!まあ、それなりに楽しかったけど。莉子も可愛かったし。横浜の街並みも綺麗だったから。Xmasのイメージ映像としては良かったと思いますw中身は手袋とマフラー。これまたひねりなしw雪も降らなかったね。
2023.12.18
NHK大河の最終回。濃密で見応えがありました。寺島しのぶのナレによる神君家康の伝説は、天海がでっちあげた勝者の歴史であり、春日局が竹千代/家光に語った話だったのね。ほんとうの家康は、神の君/東照大権現でなく人間だったし、虎でもなく、狸でもなく、かよわい白兎だった。それを最後に示したエピソードが、信長に賜った鯉を家臣が食べてしまうドッキリ。(旭堂南斗「鈴木久三郎~鯉のご意見」の再解釈です)優しすぎる家康は家臣を手討ちにできなかった。◇脚本の古沢良太は、徳川体制が15代もの継承に成功した理由を、家康が「天才じゃなかったから」と考えたようです。信長も秀吉も信玄も義元も天才だったと想定すると、天才の作った天才にしか運営できない仕組みは、ほかの誰も継承できない。それに比べて、家康はふつうの人だったから、ふつうの人が運営できる体制を作り、それを秀忠に継がせ、その後、江戸幕府は260年続けられたのではないかな、と僕なりに解釈しました。https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/770995ea51314842c32e5415f4e38a18c8efa0e9つまり、天才による覇道じゃなく、凡人による王道ってこと。そして竹千代は、家康の正体が兎だと見抜いてたのね。後の徳川家光こと竹千代は実際に兎の絵を書いたおり、その「兎図」は2018年公開され、発見はその数年前京都にあったという最新の話。その他家光はユルイ動物の絵が発見されており、#どうする家康 では白兎にかけて歴史ネタを採用してのは凄い。 pic.twitter.com/sjWG7sLyik— 一二三 (@nunonofuku123) December 17, 2023そういえば大河も白兎だった。#どうする家康 pic.twitter.com/Cwqys39KEA— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 27, 2023◇その一方、古沢良太は、家康は平和と引き換えに、大事な個人の幸せを捨て、苦い苦いものを飲み込んで成し遂げたのだということを描きたかった。https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/770995ea51314842c32e5415f4e38a18c8efa0e9…とも話してます。ドラマでは、瀬名や信康や旧臣らの幻影があらわれ、家康が「幸せだった」と涙して終わりましたが…天下泰平を成し遂げたとはいえ、家康自身の人生は晩年まで戦いの連続だったわけで、はたして幸せだったのかしら?と思ってしまう。そういうところは、西南戦争の西郷隆盛にも重なってしまうのですが、乱世を終わらせるには、「自分がすべて引き受けて終わらせるしかない」…ってことかもしれません。本日のどうする家康、殿が書かれていた南無阿弥家康。岡崎の大樹寺で見ることができます。レプリカですが…本物は大切に保管されています。#どうする家康#南無阿弥家康#岡崎 #大樹寺 #大河ドラマ館 pic.twitter.com/n0TPpdDX6G— 【公式】岡崎でどうする家康 大河ドラマ館を作りたい人達 (@dousuru_okazaki) December 10, 2023 ◇茶々の捨て台詞もスゴかった…日の本か…つまらぬ国になるであろう!正々堂々と戦うこともせず、万事を長きものに巻かれ、人目ばかりを気にし、陰でのみ妬み嘲る、優しくて卑屈なかよわき者たちの国に!己の夢と野心のために、なりふりかまわず力のみを信じて戦い抜く…。かつて、この国の荒れ野を駆け巡った者たちは、もう現れまい。平和な日本の、一面の真実を言い当ててます。大坂の陣は、いわば「戦うための戦い」であり、およそ合理的な目的のない狂気の戦争でしたが、茶々の動機は、母を救わなかった家康への怨嗟ともいえるし、報われなかった片想いからの逆恨みともいえるし、あるいは、上のセリフにあるような、力だけを信じる乱世的野心だったともいえます。しかし、現実的には、「乱世でしか生きられない牢人は殺し合うしかない」みたいなことだったのかもしれないし、それもまた西南戦争の西郷隆盛に重なる気がする。◇老けメイクも凄かったァ。ただ肌がくすんでるとか、シミがあるとかだけじゃなく、表情を動かしたときに皺が寄ったりする感じも、とても自然でリアルで、本物の老人のようでした。◇今回の大河は、稲本響のテーマ曲も好きだった。歴代テーマ曲のなかでいちばん好きかも。大河ドラマのテーマ曲って、(女性が主人公の場合は別だけど)通常は勇ましい曲調のものが多い。でも、今回の曲は、最初に優美で女性的な曲想にはじまり、いったんは勇ましくなるものの、中盤はリズミカルで楽しい曲調に変わって、最後は、滑稽ともいうべきユーモラスな形に終わる。とてもユニークで、遊び心があって、知的なテーマ曲でした。背景のアニメーション映像も素晴らしかった。※クリックするとYoutubeで3種の背景アニメーションが見れる。稲本響は、阿部海太郎とともにNHKの仕事が多い音楽家ですが、葛飾応為の「眩」のころから気になってたのよね。◇ドラマの放送直後は、Nスペ「家康の世界地図〜知られざる開国の夢」も見ました。江戸幕府の禁教・鎖国令によって、日本の開国は300年近く遅れましたが、じつは家康にも開国の構想があった、という話。ここでも、秀吉の「大陸進出」と西郷の「征韓論」が重なるし、江戸の「禁教・鎖国令」と明治の「攘夷論」が重なります。結果的には、禁教令によって、スペイン国王との通商交渉が破談になりました。番組では触れられてなかったけど、遣欧使節団をスペインに送った伊達政宗は、キリスト教を受け入れて交易するつもりだったのよね。徳川と伊達の主導権争いも絡んでたのかしら?
2023.12.18
月9の「ONEDAY」も記憶を失くしてる話だし、上田誠の「トキコイ」も記憶を消される話だけど、ドラマの記憶喪失ネタって、たいていはファンタジーなのよね。…でも、このドラマは、リアルモードで見ればいいのか、ファンタジーモードで見ればいいのか、いまいちよく分からなかった。◇NHKの記事によると、記憶障害は、けっして珍しくないらしい。https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/852/だから、このドラマも、ただの悲恋ネタじゃなく、リアルな疾病として扱った作品といえなくもない。でも、自分の名前さえ忘れてしまうのに、車の運転や土地勘は失わず、キッチンカーの運営ができるのは不思議だったし、そもそも、空はどこで寝泊まりしてるのかも分からず、材料の仕入れとか、銀行の入金とか、そういう作業を自分で出来てるのかも謎でした。#たとえあなたを忘れても #堀田真由 #萩原利久 pic.twitter.com/UxiyLW93EE— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) December 18, 2023 そのほか、実家の場所は忘れてるのに、廃墟の場所は覚えてるとか、茜にしても、親友や恋人のことは忘れてて、デートした喫茶店のことも忘れてるのに、プリクラの撮り方は覚えてたりとか、どうもディテールに不可解なことが多かった。解離性健忘は、患者によって症状がさまざまで、何を覚えてて何を忘れるのかも、人それぞれなんだろうけど、もうちょっとディテールに説得力があれば、リアリティのある話として見ることも出来たと思う。映像は綺麗でしたけどね。まるでシチリア島みたいな、淡路島での質素な結婚式も、なんか狙いすましてる感じだったし。ゴッドファーザー的な?最後のシーンも、ちょっと神秘的で面白かったです。朝、空が目を覚まして、どうも記憶を失くしてるっぽいのだけど、部屋にたくさんの写真が貼ってあって、テレビには廃墟ピアノを弾く妻も映ってて、息子と妻は何も言わず寄り添ってくる。脳内の記憶が失われても、外側の記憶が覚えてるのね。◇まあ、健常者だって、すべてを記憶しながら生きてるわけじゃなく、じつはいろんなことを忘れながら生活してるのだし、たとえば老人性痴呆の場合も、いろんなことを忘れていながら、目の前の状況の連続性のなかで、とりあえず生活を続けてるだけなのかもしれません。
2023.12.18
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