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2023.05.29
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カテゴリ: 日常雑事諸々
反面教師、人の振り見て我が振り直せ、他山の石、などという成句がある。
他人の批判ばかりしていないで、いつも棚上げしている自分の問題にちゃんと向き合ってみてはどうなのかという声が聞こえてきそうなんだが、ごもっともな話。
まぁ小生もそうとう自分を棚上げしているタイプなので耳が痛い。
ここのところ、「ITだのICTだのAIだのと、何でもかんでもデジタルに頼るのはどうなんだ」という年寄の声が目立つ(自分の周りの話)。
その意見はごもっともな話で、今我々に必要なのは、様々な手段をその場その場に応じて使い分けること、新しいことに対応していくことであって、全部が全部デジタルになれば良いわけではない。
ペーパーレス化もそうだが、ペーパーレスさえすれば無条件に環境に良いというわけでもない。
紙1枚刷るのと、デジタルファイルにしてタブレットで画面上に表示させるのと、どちらが環境資源を食っているのか。
これは 多面的に比較してみなければそのコスパは分からん


​​​とはいえ、どうも年寄り連中のICT嫌いは、理性的なものではなく、ただただ「新しいことに挑戦するのが面倒くさい」というアレルギーに過ぎないのではないかと思わされることが多い。

やれ「やっぱり紙の方がいい」だの、「全然分からへん」だのと繰り返すだけで、そもそも理解してみようとか、試してみようという意欲を全く感じさせないのが彼らの特徴。

試す前にさんざんケチだけつけておいて、何とか何も変えずに済ませられないかとあくせくしている。
見ていて腹が立つわけではないが、まぁ呆れてついため息がでてしまう。



ちょっと違うかもしれないが、こんな声も割りとよく聞く。

​​ ​​「最近の子どもはすぐにネットで調べよる。ネットの情報は間違ってるものばかりやし、そもそも自分で考えようともせんから応用がきかん。あれではいかん。」​

( ゚д゚)

あのね、おじさん。
Googleの使い方すらGoogleで検索して調べようともせず、何でも若いスタッフに訊ねては仕事の手を止めさせてさんざん残業させて自分たちは定時で帰ろうって輩が、いったい何を仰るのですか??

分からないことがあればまず調べるという人。
調べようともしない人間よりも、すぐググる人の方がずっとマシだと思うのは小生だけか?

ものによっては直接訊いた方が早くて確実なものもあるが、汎用製品やソフトウェアの使い方なら、調べればまずウェブ上で解決方法が見つかるでしょうに。

たしかに、自分で考えることは大切。そりゃ分かる。
しかし、ずっと黙って考えるのって、実際には思考が停止しとることが9割やからね。
たまに本当に考えとる人もおるけど(将棋の棋士とかはそうやね)、基本的に作業や動きを伴わない思考は、あって無いようなものに等しい。

それだったら、検索エンジンを使いながら考えた方がよほど有意義な時間の使い方や。

そして、ネットの情報が間違ったものばかりという話。
あのね、そもそも情報ソースがネットか否かに関わらず、世の中の話なんて間違いだらけやし、ええ加減なものの方が多いし、真実は人の数だけ存在するっての。

そういったものの中で、いかに上手く自分の納得のできる情報を引き出すか、もしくは様々な情報から自分なりの推論を導くか、ということが大事なんであって、ネットのデメリットの一面だけを曲解して駄目だ駄目だというのは思考停止に他ならない。

だいたいさ、あんたたちが若い時、子どもらに何て教えてた?

​「なんでもかんでも人に訊く前に、まず ​辞書​ を引きなさい!」​

こう教えてたんじゃないんか?
今は ​それが ​Google​ に変わっただけ​ やろうが。
まずお前らがググレカス。


ただただ、新しいものが認められない。
新しいものに対応するのが面倒くさい。
自分を変えたくない。

結局それでしょう。正直にそう言いなよと思ってしまう。
まぁ正直にそう言ったら、勝手にしてくださいと返すだけのことなんやけど。


まぁ、生活スタイルや思考スタイルを変えるということがいかにエネルギーを使うかということはよく分かるし同情する。

ただ、子どもには成長を強制するくせに、自分たちは成長しなくても良い、変わらなくても良いというのは、大人としてあまりに勝手で情けなく、説得力が無いわね。

完璧超人である必要なんて欠片もねえが、年少者を導くにあたって、まず自分自身が成長しようとする姿を見せるのが教育に携わる者の最低限の資質なんじゃねえのか。
自分にできないことを教え子に強要するのが教育者の本質だというなら、こんなにアホらしいことは無い。


「ネットは駄目。テレビも駄目。YoutubeやSNSばっかり見てるんじゃない!新聞を読め!」

今でもこんなことを言っとる人がおるけど、そうじゃねえだろ。
そういったものを全部ひっくるめて、それらをどう使いこなすか。

その技術を身につけるための手助けをするのが教育者の役割であって、結果として身につくものは各々違ったものに、各々に合ったスタイルになれば良いわけで。

それって教科書で教えられるものなんやろうか。

現実には、成績を出すために評価をせなあかんから、平等な評価をするために教える内容は一定の枠組みの中でのものとなり、画一化される。
そうした中で育てられた子どもは、もはやアレルギーのレベルで公平性や平等性に対して過敏になっている。詰め込み教育、知識偏重教育からの脱却を目標としながらも、実際に起こっとるのはその反対の結果ばかり。


大学も、企業も、親も、わしらも、みんな変わらなあかん。

他人から下される評価ばかりに囚われとったらあかん。

この世に平等や公平なんてものがあると思ったらあかん。





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最終更新日  2023.05.29 22:13:32
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