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松尾芭蕉(まつお・ばしょう)山中や菊は手折たをらぬ湯の匂ひ奥の細道(元禄15年・1702)山中の出湯(いでゆ)はまことに霊験あらたかで山の中の菊を手折って浮かべた酒を飲むまでもなく寿命が延びる心地がするいい香りだなあ。註山中や菊は:9月9日などの重陽(ちょうよう)の節句に、中国の故事に基づき、深山の野生の菊の花を杯に浮かべて長寿を祈祝する「山路の菊」と呼ばれる習わしがあった。その習俗と、能登(石川県北部)の山中温泉を掛けている。芭蕉と随行の河合曽良(かわい・そら)は、元禄2年(1689)7月27日(新暦換算9月10日)から8月5日(9月20日)まで10日間(8泊)山中温泉に逗留。謡曲(能)「俊寛」の台詞「濡れて干す山路の菊の露の間に我も千年(ちとせ)を経る心地」を踏まえる。すでにこの頃多数の門人を抱え、俳諧の大家として世に鳴っていた芭蕉による、地元の人々が泣いて喜んだであろう挨拶句。
2009年09月30日
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各務支考(かがみ・しこう)夜着よぎの香かもうれしき秋の宵寝哉かな江戸前期蒲団の真新しい綿とお天道様の香りがうれしい秋の宵寝だなあ。註夜着:かいまき、衾(ふすま)などの夜具。ほぼ、現在の蒲団に当たるもの。出典、調査中(「続猿蓑」あたりか?)。
2009年09月30日
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aikoおじけづいてた爪の先がありのままの文字をつづったミツメテ コワシテ ダキシメテ あなたの所へ・・・歌姫(1999)歌姫 ライヴver.(2008.2)
2009年09月30日
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奥田民生(おくだ・たみお)風の先の終わりを見ていたらこうなった雲の形を まにうけてしまったさすらい(1998)
2009年09月30日
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内藤丈草(ないとう・じょうそう)ねばりなき空にはしるや秋の雲さらさらと粘り気がない空に走るなあ、秋の片雲は。初秋はつあきやをのづととれし雲の角かど初秋が訪れて、おのずと雲から角が取れた。寝ころび草(江戸前期)
2009年09月29日
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松尾芭蕉(まつお・ばしょう)むざんやな甲かぶとの下のきりぎりす奥の細道痛ましいなあ。重い甲の下に、蟋蟀(こおろぎ)がか細い声で鳴いている。註加賀(石川)小松・多太神社にて、平家の武将・斎藤実盛(さいとう・さねもり)遺品の兜を実見した時の作。むざんやな:世阿弥の(能)謡曲「実盛」より、源(木曽)義仲家臣・樋口次郎の言う科白「あなむざんやな、斎藤別当実盛にて候ひけるぞや」の引用。■謡蹟めぐり「実盛」やな:この「やな」は、あるいは現在の関西弁の「やな」にも通じる語尾か。きりぎりす:現在のコオロギ。キリギリスのことは機織虫(はたをりむし)と呼んだ。
2009年09月29日
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松尾芭蕉(まつお・ばしょう)しをらしき名や小松吹く萩薄はぎすすき奥の細道なんと控えめでしおらしい名前だろうその小松にふく秋風が萩やススキを揺らしている。註加賀の国(石川県)小松にて。その地名と、古来和歌などで愛されてきた「姫小松」のイメージを重ね合わせ、秋の七草の季節感を取り合わせた、「国誉め(ご当地ソング?)」的な佳句。しをらし(しおらしい):美しい形容詞だ。決して死語にまではなっていないと思うが、現代日本から失われつつある美意識だ。・・・加賀・石川の森喜朗(もり・よしろう、シンキロウ)元首相は、しばらくの間、少し「しおらしく」している方がいいと思う
2009年09月29日
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松尾芭蕉(まつお・ばしょう)塚も動け我が泣く声は秋の風奥の細道塚も動け。我が慟哭の声は、蕭々たる秋の風の音となって吹きすさぶ。註金沢きっての俳人で、芭蕉旧知の葉茶商だった小杉一笑への追悼句。奥の細道の旅の年(元禄2年・1689)の前年に死去したと初めて聞いた驚愕と悲嘆が現われている。あまりにもストレート過ぎて俳句としての深みや捻りはないが、追悼詠の性格上、これで上々だろう。
2009年09月29日
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松尾芭蕉(まつお・ばしょう)秋涼し手毎てごとにむけや瓜茄子うりなすび奥の細道秋の涼しい風の中みんなてんでに皮を剥いて瓜や茄子を馳走になろう。
2009年09月28日
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松尾芭蕉(まつお・ばしょう)あかあかと日は難面つれなくも秋の風奥の細道眩(まばゆ)い陽射しはまだ容赦なく照りつけているが冷涼な秋の風が吹き始めて、寂しさをかき立てられる。
2009年09月28日
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くまんパパ 不穏なる夏夕立になれかしといふ不穏なる少年ありて長じてもなほ捻挫せし友を見舞ひし帰り道夏空を見き その紺の澄み猫じやらしいたく好める幼をさならに阿おもねるごとく十本も折る咲かぬまま蓮はちすの蕾立ち腐れ不穏を醸す長き五月雨さみだれ予あらかじめ夫つまは済はれたるらしとパウロ書翰を妻解釈す *1なりなりてなりたらざるをなりなりてなりあまるもてふたぎてめをと *2祭りの夜同窓会は開かれて神輿みこしの熱のさなかを急ぐ楽園のアダムとエヴァの失はれし時のごとくに夏の夜の夢早すぎしはた遅すぎし世代かないつも僕らは時代の谿間たにま小皺など増えたるほかは変はらざり同級生の関係性は何気なく触れてきたのでさりげなく同級女子に触りかへしたあらたしき妻を娶めとりて逝きし友皆ひとしきり関心を寄す現前プレゼンスに負けず劣らず非在アブセンスも同窓会の媒介なりき毀誉褒貶多きにいささ戸惑へり谷川俊太郎とふ詩人青きまま熟れたる林檎掴みをりかくのごとくにあらまほしきも*1 新約聖書・パウロ諸書翰。キリスト教の中心思想「予定調和説 predestination」を展開。*2 古事記上巻「イザナギ・イザナミ神話」著作権を有します。© 2009 Kumanpapa Daddy Bear All rights reserved.
2009年09月28日
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くまんパパ 「短歌人」10月号掲載作品夕立になれかしといふ不穏なる少年ありて長じてもなほ捻挫せし友を見舞ひし帰り道夏空を見き その紺の澄みなりなりてなりたらざるをなりなりてなりあまるもてふたぎてめをと *早すぎしはた遅すぎし世代かないつも僕らは時代の谿間小皺など増えたるほかは変はらざり同級生の関係性は現前プレゼンスに負けず劣らず非在アブセンスも同窓会の媒介なりき* 古事記上巻「イザナギ・イザナミ神話」より。〔旧仮名遣ひ〕【自註】長かった今年の梅雨末期の7月下旬から、盛夏真っ只中の8月初めにかけて詠んだもの。梅雨から真夏は全く苦手で、頭もオーバーヒート気味だった。1首目:生まれつき天邪鬼というか臍曲がりというか、野州(栃木)名物の夕立や雷の襲来が好きで、雨催いになるとワクワクする、ちょっと変わった微熱少年だった。それを素直に詠んでみた。好奇心の強さというか野次馬根性は、長じてもなお変わらず。2首目:友達は、実は虫垂炎(いわゆる「盲腸」)で入院したのだが、これだとちょっと詩にならないかなと思って、ちょいとスタイリッシュに(?)「捻挫」にしてみた。もう一歩進めて、「挫折」にしようかとも思ったが、さすがにちょっと観念的に作りすぎの感否めず、やめといた。・・・とはいうものの、今読んでみると「挫折」に踏み切っても良かったかも知んない。* なお、文語体「捻挫せし」にするか、口語体「捻挫した」にするか最後まで迷った挙句、「短歌人」誌には一応の決定稿「した」の形で掲載されましたが、その後熟慮の結果、やはり一首中の文体は統一すべきであると思うに至りましたので、ここに訂正し、こちらを最終決定稿といたします。・・・すみません、この場を借りまして、相変わらずの粗忽をお詫び申し上げます3首目:御存知、日本の宝・古事記の最初の方に出てくる有名な件(くだり)である。「あなにやし、えをとめを、えをとこを」である。4首目~6首目:夏祭りの夜に、毎年恒例で催されている母校中学のクラス会。いつもながら深夜まで盛り上がり、本当に楽しかった。同級生とは、理屈抜きにいいものですね。──さて今回は、僕としては全体的に、よく言えば端正というか、ちょっと表現がおとなしめだったかな~。もうちょっと破天荒でふざけてるな方が僕らしい気もするが、これは割と狙った線なので、まあいいとしよう。そのことよりも、平凡かつ常識的な理に落ちすぎている点は、明らかに物足りないと思う。もっと「理外の理」とか「詩」を目指さなくてはならないだろう。・・・「歌人の星」への道は険しいのだ著作権を有します。© 2009 Kumanpapa Daddy Bear All rights reserved.
2009年09月28日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)アララギはわが雑誌ゆゑ余所行よそいきのこころ要らずと云ひて可かなりや歌集「白き山」(昭和24年・1949)アララギはわが心の雑誌ゆえ、よそ行きに構えた心は要らないと言っていいだろうか?註短歌結社誌「アララギ」
2009年09月27日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)彼かの岸に到りしのちはまどかにて男女ををとこをみなのけぢめも無けむ歌集「暁紅」(昭和15年・1940)彼岸の極楽浄土に到達した後は、もう円満至極で男女のけじめさえも無いのだろう。
2009年09月27日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)街上に轢ひかれし猫はぼろ切きれか何かのごとく平たくなりぬ歌集「白桃」(昭和17年・1942)街路上で車に轢かれた猫の屍骸はぼろ切れか何かのように平べったくなってしまった。註昭和8~9年の作品。残酷なイメージではあるが独特の詩があり、写実(リアリズム)を突き抜けて、何らかの象徴的な表現に達しているような秀歌。・・・死んだ猫には気の毒だが、ある種の放胆でとぼけた諧謔味さえ漂わせている。一見して冷淡な感じを醸している「・・・か何かのごとく」が、近代短歌としての表現上の要諦/ツボであると言える。これが手練(てだれ)のさりげない技法である。cf.斉藤斎藤「雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁」(歌集「渡辺のわたし」平成16年・2004)
2009年09月26日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)もの冷ゆるころとはなりて朝々あさあさの薄明うすあかりより鳥は群れ立つ歌集「ともしび」(昭和25年・1950)いつしか何となく冷える季節となっていて朝ごとの薄明より鳥は群れて飛び立つ。
2009年09月26日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)二時間あまり机つくゑのまへにすわりしが混沌として階かいをくだりぬ歌集「白桃」(昭和17年・1942)二時間あまり机の前に坐っていたが混沌とした思いで階段を下りた。
2009年09月26日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)秋風の遠とほのひびきの聞こゆべき夜ごろとなれど早く寝いねにき歌集「小園」(昭和24年・1949)秋風に乗って遠い豊かな響きが聞こえるであろう夜の刻(とき)になったが疲れていたので早々に寝た。註遠とほの:古語「とをを」(たわわ、豊穣)を掛けているか。
2009年09月26日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)むらさきの葡萄ぶだうのたねはとほき世のアナクレオンの咽のどを塞ふさぎき歌集「寒雲」(昭和15年・1940)暗紫色の葡萄の種は遠き世のうたびとアナクレオンの咽喉(のみど)を塞いだ。註この世の春を謳歌し享楽に生きた詩人の、あっけない死の儚さ。アナクレオン:恋と酒を讃えた古代ギリシアの詩人。ウィキペディア「アナクレオン」アナクレオンの詩
2009年09月25日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)石の上に羽を平ひらめてとまりたる茜蜻蛉あかねあきつも物もふらむか歌集「小園」(昭和24年・1949)石の上に羽を平たくしてとまった赤蜻蛉ももののあわれを思っているのだろうか。
2009年09月25日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)この山のかなたの市へつらなめて馬は越えゆく嘶いななくもあり歌集「白桃」(昭和17年・1942)この山の彼方の馬市へ列(つら)なり並んで馬たちは越え行く。いななくのもいる。註ほんの一筆書き、もしくはスナップショットのようなデッサンが、格調高い名歌になってしまう“茂吉マジック”。その秘訣は、やはり何といっても万葉集への深い敬愛と造詣にあるのだろうと思わずにはいられない。つらなむ:列並む。列ね並ぶ意味の古語。
2009年09月25日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)万国の人来きたり見よ雲はるる蔵王の山のその全またけきを歌集「つきかげ」(昭和29年・1954、遺作)万国の人よ、来て見よ。今、雲が晴れる蔵王の山のその完全を。
2009年09月25日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)たましひを育はぐくみますと聳そびえたつ蔵王のやまの朝雪げむり歌集「小園」(昭和24年・1949)われらの魂を育まれるように聳え立つ蔵王の山の朝の雪煙。註ます:動詞・助動詞の連用形に接続して謙譲・丁寧の意を表わす助動詞。
2009年09月25日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)陸奥みちのくをふたわけざまに聳そびえたまふ蔵王ざわうの山の雲の中に立つ歌集「白桃」(昭和17年・1942)みちのくを二つに分けるさまに聳えていらっしゃる神々しい蔵王の山の雲海の中にわたしは佇(たたず)む。註昭和8~9年頃の作。ふたわけざまに:蔵王連峰は、分水嶺の剣が峰として、まさに奥羽地方を東西二つに分けているようだ。・・・それにしても、「ふたわけざま」なんて言い回し、読めばたちどころに意味は分かるが、こちとら逆立ちしても出てこない、簡潔にして雄渾強靭な表現だ。あるいは、優れた詩歌人にのみ許される造語が、比較的多いといわれる茂吉の造語か。茂吉の凄さに舌を巻くほかなし。聳え:古語動詞「聳ゆ」は、ヤ行の(下二段)活用だから、連用形の送り仮名は「(ヤ行の)え」になる。「見ゆ」に同じ。
2009年09月24日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)しろがねの雪ふる山に人かよふ細ほそほそとして路みち見ゆるかな第一歌集「赤光」(大正2年・1913)銀色の雪降る山に人が歩いてゆく。細々として心細くあの路が見えるなあ。註作者の故郷、山形・上山(かみのやま)にて。
2009年09月24日
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動き出した鳩山民主党新政権のさまざまな政策が波紋を広げているが、読売新聞ウェブサイトの「発言小町」でも、最近「子ども手当(仮称)」についての論議が盛んだ。このサイトは、主婦層など女性からのアクセスやレスポンス(コメント)が多いとされ、その本音が聞けて面白く勉強になるので、ご紹介する。→「子ども手当に所得制限をつけないで」 なお、所得制限を設けることは、言うは易く行うは難く、事務的負担・経費が厖大なものになると聞く。この問題は、僕にも育ち盛りの子供が3人いるので、人ごとではない。特に声高に言いたいってほどでもないが、結論から言うと、このトピック主の意見に賛成だ。民主党政権は、かねてマニフェストで謳った通り、粛々と一律支給を実施すればいいのではないかと思う。余計な制限を設けることは、厳密にいえば公約違反になるとも言えよう。評判の悪い高速道路料金の無料化政策と違い、世論の動向もおおむね好意的といわれる。・・・ただ、財源問題、とりわけ数年後には避けられないと見られる消費税の増税にもからんで、本当にこれが実現できるのかどうかは、また別の問題だけどね~。ところで、全く別の話だが、同じ「発言小町」で23日現在、アクセス・ランキングの堂々トップになっているトピック「身勝手な娘の友人」は、あれよあれよと思う間に、平凡なタイトルからは想像も付かない現在進行形のスリルとサスペンス、衝撃のホラー的な展開になってきており、唖然呆然だ~9月21日 11:33のレスなど、緊迫感に満ちたトピ主の書きこみから見ると、どうやら釣り(ウケ狙いの作り話)の類いではないように思われる。・・・こりゃ~、ちょっとした生き地獄になりつつある。あまりのことに、思わず全部のレスに読み耽ってしまった。あ~目が疲れた・・・これはもう、犯罪の域に迫っているのではあるまいか
2009年09月23日
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近所で、けさ写す。
2009年09月22日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)麓ふもとには雲の横たふありのまま月かげあかき比叡山ひえやまわれは歌集「白桃」(昭和17年・1942)麓には雲が横たわっているが、ありのままに見える山頂に皓々(こうこう)と射す月光が明き比叡山だ、わたしは。註昭和8年夏、京都・比叡山付近での「安居会」(短歌結社「アララギ」の夏季吟行会)にて。月光に映える比叡山を眺めて、我こそはあの比叡山なりと、何気なく物凄いことを言っている。・・・多少、その場の“受け狙い”もあったのかも知れないが、明治男にふさわしい、大真面目さを突き抜けた豪快なユーモアが滲み出る。それと同時に、観照する対象に没入してしまおうとする茂吉の感性と気魄の真骨頂。松尾芭蕉「荒海や佐渡に横たふ天の河」(奥の細道)パスティーシュ(本歌取り)とも取れる。比叡山ひえやま:もと「日吉山(ひえやま)」。「比叡山」は当て字。「二荒山(ふたらやま、にこうさん)」と「日光」の関係と似る。
2009年09月22日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)上野かみつけの谷川の瀬にまたたくま青き木この葉は流れて行ける歌集「白桃」(昭和17年・1942)上野の深山の渓流に瞬く間、青い木の葉は流れて行った(と見えた)。註昭和8年詠。上野(かみつけ):現・群馬県。「こうずけ」は、上古語「かみつけ(上つ毛)」(の国)の転訛。る:完了の助動詞「り」の連体形(の準体言用法)。「こと(見ゆ)」、「時(に遇う)」などが省略された形。茂吉短歌に時折散見される文法的破格。西洋詩でいう「詩的許容(ポエティカル・ライセンス)」の概念に近い。木こ(の葉):古くは名詞も活用したといわれる。「木(き)」「木(こ)」の葉(花)、「木(く)」だ物(果物、「木に生るもの」の意味。「だ」は古い格助詞)、「真木柱(まけはしら)」(神聖な柱)など。
2009年09月22日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)くれなゐの林檎りんごがひとつ をりにふれて畳たたみのうへにあるが清しも歌集「石泉」(昭和26年・1951)(子供が置き忘れたのだろうか)紅の林檎が一つ折に触れて畳の上にあるのがすがすがしいなあ。註山形出身の作者にとって、林檎は幼い砌(みぎり)より親しんだ果物であっただろう。ふれて:「折に触れて」と「触れて畳の上にある」が掛けてある。
2009年09月21日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)乳ちちの中になかば沈みし くれなゐの苺を見つつ食はむとぞする歌集「白桃」(昭和17年・1942)牛乳の中に半ば沈んだ紅の苺を見つつ食べようとしているんだ。
2009年09月20日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)つかれつつ汽車の長旅することもわれの一生ひとよのこころとぞおもふよるの汽車名寄なよろをすぎてひむがしの空黄きになるはあはれなりけり歌集「石泉」(昭和26年・1951)註昭和7年(1932)晩夏、北海道の車中にて。
2009年09月20日
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現在僕は、民主党新人に敗れた地元選出のクールな有力自民党議員の落選を心から悲しみつつも、地元のベテラン民主党議員の熱い人間性のファンでもあり、みんなの党を立ち上げた渡辺喜美派の末席に連なるとも見られているという、政治的にはグッチャラグッチャラな立場になっており、強いていうならば「保守的無党派層」とでも呼ぶしかない感じだろうか?・・・自分でも不分明。あれこれ浮世の義理で、今なお一応現役自民党員である僕にも、けさ律儀に自由民主党総裁選挙投票用紙が送られて来た。さ~て、どの名を書こうかな~?谷垣禎一? 河野太郎?・・・もう一人、誰だっけ?
2009年09月19日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)日本国の児童諸君はおしなべて辛抱づよくあれとしぞおもふ歌集「白桃」(昭和17年・1942)註昭和8年(1933)の詠。日本国の児童諸君は須(すべか)らく辛抱強くあるべしとおぢさんは本気で思ふのである。註し:上の語を強く指示してその意味を強め、また語調を整える間投序詞。現代語の「折りしも」「定めし」などに残滓的痕跡。「ぞ・・・おもふ」は係り結びで、この「おもふ」は連体形。「し」と合わせて、強意表現。
2009年09月19日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)とげとげしき心おとろへて わが妻としたしみゆくもあはれなりけり歌集「白桃」(昭和17年・1942)年寄って棘々しい心が衰えて自分の妻と仲良くなってゆくのも哀れなものだなあ。註昭和8年(1933)早春の詠。
2009年09月19日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)塩釜の神の社やしろにまうで来て妻とあらそふことさへもなし歌集「石泉」(昭和26年・1951)塩釜の神社に詣で来て(しょっちゅう喧嘩をしている)妻と争うことさえもなかった。註昭和6年11月、夫婦での東北旅行にて、宮城県塩釜で詠む。
2009年09月19日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)大沢禅寺あかつきの光やうやく見ゆるころ すゑたる甕かめのなかに糞ふんを垂る歌集「石泉」(昭和26年・1951)黎明のほのめきがようやく見える夏の一刻、禅寺の一隅に据えられた大甕の中に糞を垂るる爽快さ。註無人の荒野を行くごとき大胆不敵な秀歌。安居会(短歌結社「アララギ」の夏季合宿勉強会)で訪れた長野県信濃大町・大沢禅寺にて、昭和6年(1931)8月作歌。糞ふん:「ふん」のルビは、原文のまま。
2009年09月19日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)熱海小吟あたみせうぎんあまづたふ日はかくろへば海の色くろぐろとして物ぞ漂ふただひとり海のなぎさの石かげに すわりて居れば罪はふかきか歌集「石泉」(昭和26年・1951)註昭和6年(1931)静岡・熱海温泉にて詠む。あまづたふ:天を伝う。空を通る。また、「日」に掛かる枕詞(まくらことば)。かくろふ:「隠れる」の意味の古語。ここでは「くろぐろ」と掛けている。「石」は「いは(いわ)」と読むか。罪:茂吉の作品にしばしば現われるこうした「罪」の概念については解釈がなかなか難しいが、特定の犯罪などでないことは言うまでもなく、「生きてあることの罪」、いうなればキリスト教で言う「原罪(オリジナル・シン)」のようなものか。もちろん茂吉は基督者(クリスチャン)ではなく、マルクシズムも含めて西洋思想に対して冷笑的ですらあったといわれているが、近代思想の受容を通じて、西洋的な観念も当然知っていただろう。巨人・茂吉が、東洋と西洋、古代と近代の生ける架け橋とまでいわれるゆえんの一端がここにはある。
2009年09月18日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)救世観世音菩薩くぜかんぜおんぼさつとことはにくがねかがよふみ仏ほとけの 御足みあしのもとによみがへるものとこしえに絢爛たる黄金が耀(かがよ)う御仏の御足のもとに蘇って来るものがある。たわやめにいますみ仏ほとけもの恋こほしき心の乱れ救ひたまはね手弱女でいらっしゃる御仏がもの恋しいこの心の乱れをお救い下さい。みほとけの御手にもたせる炎にし わがよのつみももえて消えむぞ御仏の御手にお持ちになっている炎によって我が世の罪も燃えて消え去ってしまうだろう。歌集「石泉」(昭和26年・1951)註奈良斑鳩・法隆寺にて、昭和6年作歌。
2009年09月18日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)救世観世音菩薩くぜかんぜおんぼさつくちびるのあけのみほとけとおもひつつ けふの縁えにしにわれあふぎけり歌集「石泉」(昭和26年・1951)唇が朱の御仏と感じつつ今日一期一会のご縁に私は仰いだ。註奈良斑鳩・法隆寺にて、昭和6年作歌。救世観世音菩薩くぜかんぜおんぼさつ:いわゆる「観音様」。法隆寺の救世観音像(国宝)の唇は、実際には全く赤くなく、そこに永遠の女性・母性を見ている茂吉の感性が投影されたイメージ・幻想である。
2009年09月18日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)玉ゆらにほの触れにけれ延はふ蔦つたの別れて遠しかなし子等こらはも第一歌集「赤光しやくくわう(しゃっこう)」(大正2年・1913)束の間にほのかに触れたなあ。這う蔦の茎の先が分かれていくように今は別れて遠い愛しくかなしい少女(おとめ)たちなのだが。註後年には凛として一刻な歌風になる茂吉だが、初期にはこういう若々しい艶種(つやだね)の歌もあったのかと、やや意外な一首。万葉風の擬古的修辞を駆使しており、文法的にはやや難解晦渋。延はふ蔦つたの:「別れ」に掛かる枕詞。かなし:現代語「悲しい、哀しい」の語源だが、古文脈では「いとしい、切ない、かなしい」などの広汎な感情を一語で表わす。接続が、普通の「かなしき子等」ではなく「かなし子等」になっているのは、古事記・万葉集などの上古文に見られる用法(の擬古的援用)で、自ら優れた万葉読みだった茂吉の独壇場。も:不確実だが、何かに執着を持つ感情を表わす上古語終助詞。いわば「粘着性」な感情を示す語尾。短歌表現では、現代でも当たり前に用いられる。
2009年09月17日
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木俣修(きまた・おさむ)天そらに群星むらぼし草生くさふに虫のこゑみつる夜のいのり八万の霊たまにささげて歌集「天に群星」(昭和33年・1958)天空には群れなす星々地上の叢(くさむら)には虫の声が盈ちているこの秋の夜の祈りは八万の御霊(みたま)に奉(ささ)げて。註この歌が詠まれた状況は判然としないが、おそらく先の大戦の犠牲者への鎮魂歌か。全体に字余り破調だが、韻律の区切り方としては、「天そらに群星むらぼし/草生くさふに虫の/こゑみつる/夜のいのり八万の/霊たまにささげて」だろうか。
2009年09月17日
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関ヶ原の惨敗と下野で茫然自失、意気上がらないことおびただしい自民党の人事だが、どうやら谷垣禎一(たにがき・さだかず)氏(64)の総裁就任で、ほぼ決まったと見ていいだろう。敗戦処理“党首”の、総理にならない総裁なんて、誰がなっても同じだとも思う反面、そこはそれ、国会論戦などで民主党の政策の矛盾に果敢に切り込み、丁々発止、堂々と渡り合いつつ、自民党の立て直しを図っていく地道な意思を天下に示す重要な機会である。確かに、温厚な気配りの人・谷垣氏なら、四方八方丸く治めつつ、民主党にも堂々とモノが言えるだけの知力・政策力を備えているように思われる。しかも、思えば谷垣派といえば、かつての吉田茂、池田勇人、大平正芳派の流れを汲む「保守本流」である。その後、宮沢喜一氏、加藤紘一氏に受け継がれ、現在谷垣氏に禅譲されている。われわれ日本人が、歴代首相の中で真っ先に思い浮かべる「総理らしい総理」、いうなれば「瞼(まぶた)の総理大臣」のランキング上位3人は、衆目の一致するところ、大平首相、池田首相、吉田首相であると言われている。その3名全てを歴代トップに仰いできた有力派閥である。「お公家集団」とも揶揄される地味さとおとなしさ、上品さと知性、堅実な財政・政策通が揃っていることなどが特徴である。領袖は、年代を追うごとに小粒になっているようにも感じられ、宮沢氏の大政奉還以降、ここ15年間ぐらいは党内でも冷遇されてきた状況だったが、今なお腐っても鯛の趣きはある。今こそ彼らの出番なのかも知れない。小泉・竹中構造改革路線に対して、国民からノーが突きつけられた自民党は、現在、路線上の厳しい見直しと、解党的出直しの生みの苦しみに直面している。考えてみれば、こういう時こそ、谷垣氏の地味で人格円満な個性で、次代の政策の総路線を地道に模索、追求、構築していくのが、自民党にとって次善の選択かも知れない。自民党の新執行部は、遠くない将来本格政権を担う予定の石原伸晃氏(52)、石破茂氏(52)、舛添要一氏(60)らをこの際温存し、彼らには一層の勉強と充電の研鑽を積んでもらうとともに、橋下徹氏、東国原英夫氏などをはじめとする清新な地方の人材の取り込みにも目配りしていかなければならないだろう。こういったことが、自民党関係者と支持層のコンセンサス(総意)になりつつあるように見える。
2009年09月17日
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鳩山由紀夫新首相(62)による民主党新内閣の人事は、顔見世興行から見る限り、まずは安全運転の無難な船出になったともっぱらの評判である。首相・内閣にとって、人事と予算編成が最も大きな仕事である。大部分であるといっても過言ではないだろう。閣僚名簿を眺めながら、意外にも一定の安定感を感じ、いくらかホッとしているのは僕だけではないだろう。現在の民主党のほぼベストメンバーであり、サザン・オールスターズ・キャストである。人事面ではまずまず及第点といえるのではないか。そう簡単に官僚の抵抗にズブズブぐずぐず、なし崩しの自滅になることはないようにも思える。またそうなってもらっては困る。自民党には立て直しの時間が必要なのだから。さっそく先ほど、どこかの組の「若頭(わかがしら)」みたいな強気なご面相の前原誠司・新国土交通大臣(47)が口火を切って、マニフェストの目玉だった群馬「八ッ場(やんば)ダム」の建設中止と高速道路の段階的無料化の実施を改めて明言したことで、敵を作ってでも本気でやる気だということが鮮明になった。小沢一郎氏(67)とギクシャクしているといわれる前原氏が、新内閣で最も激務となることが明らかな国交相・沖縄北方担当相に就任したことは、体のいい“前原いじめ”であるという穿った見方もある。地方の意向と真っ向衝突する各地のダムや道路建設中止問題、必ずしも評判がいいとは言えない高速道路の無料化政策、対米外交にも影響する重大問題・沖縄普天間基地の移設、破綻した日本航空(JAL)の処理、北方領土問題などなど、襲い来る難問また難問に寧日なき有様となるだろう。ちなみに、僕は前原誠司という政治家は大好きである。将来的には、必ず日本の政治を委ねたい人である。気力・体力・知力ともに傑出している日本のエースの一人である。雨ニモマケズ風ニモマケズ、宮沢賢治の故郷・岩手の小沢一郎にもマケズ、健康に留意して頑張ってもらいたい。期待している。亀井静香氏(72)の郵政・金融問題担当相への起用も、小泉路線を清算できなかった自民党へのカウンターパンチであり、強烈な意趣返しとなった。論功行賞としても上出来であろう。これで、小泉・竹中構造改革路線も「中止」されることが確定した。また、先ほど川端達夫・文部科学大臣(64)が「アニメの殿堂」の建設計画中止を正式表明した。順当なところであろう。新内閣の閣僚は、ここぞとばかりに競い合って、これまでの自民党・官僚主導政治への“怨み晴らさでおくべきか”政策を打ち出して来そうである。ただ、新官房長官の平野博文氏(60)が、年行ってる割にはいかにも貫禄不足で、やや弱い感じがする。これは「お友達人事」と言われても仕方ないだろう。官房長官といえば、国民および官僚との“インターフェース(接触面)”であり“ウィンドウズ(窓口)”だ。菅直人・副総理兼国家戦略局担当大臣(62)が務めてもおかしくないほどの枢要なポストである。もうちょっと重量級の人物に出来なかったかと思う。初めての記者会見でも、どことなくオドオドしてるように見受けられた。「官僚のレクは受けさせない」とか言ってたが、「レク(レクチャー)」なんていっても爺さん婆さんには分からない。政治家は日本語で喋ってもらいたい。まあ、まだ重責に硬くなっているのだろうが、声が小さい。下っ腹に力を入れて、一語一語を堂々と喋ってもらいたい。感情的な軋轢による小沢一郎氏の私憤で外されかかっていたという藤井裕久・新財務大臣(77)が、何とか鳩山氏のイニシアティヴで突っ込めたのは慶賀に堪えない。余人を以って代えがたい人物である。一方、小沢氏にかねてから「態度がデカイ、生意気だ」と睨まれているという野田佳彦氏(52)とそのグループは、今回大臣人事では干し海老のようにホサれ、「小沢支配」の一端が垣間見えたが、先ほど野田氏の財務副大臣就任が決まり、藤井財務相の懐刀として最前線に送り込まれることになった。小沢氏が凄いことは分り切っているのだから、野田氏も少しは手揉み肩揉みでもして臨んだ方がいのではないか。厚生労働大臣になった長妻昭氏(49)は、「ミスター年金」で売り出した内閣の花であるが、厚生労働行政全般には明らかに経験不足で時期尚早、今回の人事最大のミステイクだと囁く声もあるといわれる。厚生労働官僚と渡り合い、怒鳴りつけてケンカが出来るのは、武闘派で鳴らす仙石由人・行政刷新担当大臣(63)をおいて他にないという。実際、こども手当や保育所の整備、配偶者・扶養控除の廃止をはじめ、医療、介護、セーフティネットの構築など雇用などまで多岐にわたる喫緊の課題が数多く、それら全部への対応は至難の業である。ただ、役人は長妻氏を本気で嫌がっているといわれるので、消えた年金問題の解決と、新たな年金制度の改革のワン・イシューに限って言えば、一定の手腕が期待されよう。まあ元・厚生大臣で「薬害エイズ」問題で名を上げた菅氏がバックにいるので、その辺から“院政”を布かせる手はずかも知れない。なお、福島瑞穂・社民党党首(53)が、消費者・少子化問題担当大臣という、誰がやってもだいたい同じような部署に置かれたのは、日本の未来のために良かった。変な色を出さずに、おとなしくしていてくれさえすればいいと思う。・・・なんだか、思いっきり上から目線な言い草になってしまいまして、すいませ~ん
2009年09月17日
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斉藤茂吉(さいとう・もきち)をさな妻こころにもちてあり経ふれば赤小蜻蛉あかこあきつの飛ぶもかなしき第一歌集「赤光しやくくわう(しゃっこう)」(大正2年・1913)身も心も幼い妻を心に思って時を過ごしていると赤い小さなとんぼの飛ぶ姿さえいとおしいなあ。註をさな妻:輝子夫人。「陰」と「陽」、「頑固」と「勝気」の軋轢などから、必ずしも円満ではなかったといわれるこの夫婦やその家族については、この夫婦の次男である作家・北杜夫(本名:斉藤宗吉)の自伝的大河小説で、現代日本文学不朽の名作「楡家の人びと」に鮮やかに描かれている。
2009年09月15日
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大松達知(おおまつ・たつはる)生徒の名あまた呼びたるいちにちを終りて闇に妻の名を呼ぶ妻とわれ入り組むやうに生きてゐてされどそれぞれ爪切りがある註うわ~、エロい(笑)とともに、ユーモラスでリアルな秀歌。巨匠・小池光氏は、「短歌ヴァーサス」第5号で、大松の歌集について「ざぶとん在庫なし」と評しているという。作者の経歴はよく知らないが、東京都内の私立中高一貫男子校の英語教師らしい。なんか、夏目漱石みたいなポジションだと思う。結社「コスモス」幹部。アスタリスク
2009年09月15日
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米有力紙ニューヨーク・タイムスに掲載された鳩山由紀夫次期首相の論文が、反米的・反グローバリズムとまで評され、アメリカの日本ロビーには大きな波紋が起こっていると伝えられている。有力経済紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」のこの記事も、そうしたアメリカ側の驚きと苛立ちを反映して、筆致は皮肉と辛辣を極め、ある種の敵意すら感じられるものになっている。ただ、文章は非常に上手くて面白く、読ませるものになっていると思うので、ここにご紹介する。「ニューヨーク・タイムズ」紙や、イギリス「フィナンシャル・タイムズ」紙も、社説などでほぼ同様の論評をしていると伝えられている。“宇宙人”鳩山氏に対する欧米側の当惑が察せられる。・・・まあ、われわれ多くの日本人も同様だが(笑)日本、無能な者らを放り出すウォール・ストリート・ジャーナル 8月31日付メアリー・キッセル記者いくら(辛抱強い)日本国民といえども、利益誘導型の“お友達”政治や失政、経済の変化への無策ぶりには劇的に匙を投げざるを得なかった。昨日の日本民主党とそのリーダー鳩山由紀夫氏の勝利は、決して些細な出来事ではない。54年近くにわたる自民党の支配を突き崩したものだ。最近では、1993年に同様のことが起こったが、この時は8つの党の寄せ集めに過ぎず、わずか11ヶ月しか力を保持することが出来なかった。対照的に、民主党は十年紀(ディケイド)を超えて党の結束を保ち続け、ついに今回、衆議院の4年の任期いっぱい居座ろうと願っている。鳩山氏はまた、衆議院での圧倒的な多数を勝ち得たことで、過去10年以上で最大の大衆的委任の力を振るうことになる。民主党とその友党の連合軍は、いまや両院をコントロールするに至った。このような政治的激震が最近目撃されたのは、2005年、小泉純一郎首相が経済の改革(リフォーム)の実行、および改革反対(アンチリフォーム)派の排除のための大衆の委任を得ようと、電撃的に打って出た選挙以来である。鳩山氏は、精彩を欠いた三つの自民党政権の後に登場した。彼は、ジョージ・W・ブッシュに対するバラク・オバマのように、「アンチ小泉」である。彼の政治的マントラ(呪文、真言)は「ユーアイ」、すなわち友情と愛情だ。小泉氏は(資本主義的)改革を唱えた。鳩山氏は反資本主義者だ。小泉氏は「競争」を抱きしめた。鳩山氏は「アジアと国連」を抱きしめたいと思っている。小泉氏はアメリカに接近した。鳩山氏は、中国の台頭は不可避であり、日本は過去に蓄積された繁栄の果実を以って、諦めてやっていくべきだと考えている。小泉氏は北京に対して強硬姿勢で臨み、日本が再び成長して強い防衛力を備えることを望んだ。これらは小さな差異ではなく、アジアにおけるアメリカの権益にとって些細なことでもない。鳩山氏のケインズ経済学への崇拝は、世界第2位の経済にとって第二の「失われた10年」を導くかも知れない。彼は、農業での保護主義、労働者の最低賃金の引き上げ、環境保護への責任という名目での高い関税障壁、高齢者・親・失業者へのさらなる直接給付などの政策の擁護者である。彼は、中小零細企業を競争から守りたいと思っている。彼の減税公約は、最小限(ミニマム)だ。彼の予算の無駄遣いカットの目標は、曖昧模糊(ヴェイグ)だ。彼の自由貿易協定(FTA)への関与は、ささやかだ。彼の政権公約の中に「経済成長」という言葉は、皆無だ。鳩山氏の大きな改革理念に、官僚主義(ビューロクラシー)への攻撃がある。これは価値あるゴールであり、有権者への大きな得点になる。しかし彼は、日本政界での合言葉となった「郵政」に触れようともしない。彼は「政治家(ポリティシャン)」が「政策(ポリシー)」を作ることを望んでいる。これは他の通常の民主主義国家では、陳腐なほど当然のことだ。だが、もし肝心の「政策」自体が良くなければ、そんなことが本当に問題だろうか?外交政策においてもまた、民主党は小泉時代からの変化(チェンジ)を特徴としている。鳩山氏は、アジア太平洋地域のアメリカのほかの同盟国と同様、ワシントンとの友好関係が日本の安全保障の礎(いしずえ)だという姿勢を維持している。彼はこの問題について大した選択肢を持っていない。日本は今なお軍事力を十分に「正常化」していないし、もしそれが出来たとしても、東京が中国のひたむきな軍備増強と未熟な政治経済的諸条件に与(くみ)し得ると考えるのは非合理だ。民主党は、自民党と同様、アメリカを必要としている。しかし鳩山氏は、まさに日本がこの同盟関係から距離を置くことを語って、国内で大衆迎合(ポピュリスト)的な得点を稼ごうと腐心している。まず手始めに彼がしようとしているのは、アメリカ主導のアフガニスタン国際駐留部隊への自衛隊の給油をストップさせることだ。もしそうなったとしても、実用的な影響はさほどないだろう。が、これは象徴的な事柄だ。民主党はまた、在日米軍の地位に関する基本的な協定についてのアメリカとの再交渉と、国連とのそれ以上の交渉を望んでいる。これは実戦部隊への影響が最も大きい問題だ。オバマ氏のように、日本の新しい指導者もまた、核兵器のない世界というユートピア的理想を好む。北朝鮮による最近の核実験とミサイル発射によって、こういった思考は純朴(ナイーヴ)に見えるようになった。注目すべきことは、オバマ政府が、北東アジアの枢軸的同盟国で起こっているこの反資本主義・反米主義的変化について、全く無頓着に見えることだ。これは誤りだ。鳩山氏はこれまでにわずかな統治の経験しかないので、日本にとって最良で最も親密な同盟国(アメリカ)からの、若干の“教育的指導(ガイダンス)”を受けるといいだろう。(拙訳)
2009年09月13日
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大伴家持(おおとものやかもち)鶉うづら鳴く故ふりにし郷さとゆ思へども何そも妹いもに逢ふ縁よしもなき万葉集 775ウズラが鳴く古い都の奈良にいた時から思っていたのだけれどもどうして君に逢う機会がないのだろうなあ。註鶉うづら鳴く:古語動詞「古(ふ)る」などに掛かる枕詞。寂しい秋の歌であることも暗示している。妹いも:現代語「妹」と異なり、親密な女性、恋人、妻に呼びかける言葉。現代語でいえば、「君」「お前」ぐらいのニュアンスか。「(何)そ」と「なき」が係り結びで、強意表現。
2009年09月12日
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きのう10日付の読売新聞に、今後数年間の中期的な政局に関する五百旗頭真(いおきべ・まこと)防衛大学校長の展望が載っており、鋭いと感服した。読売を購読していない方のために、要点を一部転載してご紹介する。(前略)これで民主党の長期政権になるとは思わない。小選挙区が中心の制度なので、2大政党によるかなり激しい政権交代が続く。民主党は、今の人材と政策で全力投球して、いくつかの課題を達成する。しかし、2~3年もすると弊害が目立つようになり、ぼろぼろになったところで堂々と選挙で負ける。それまでに自民党はしっかり政策と人材の準備をしておく──。2大政党制にはこれが必要だ。自民党は政権を早く奪い返そうと、スキャンダルを暴き立てるようなことばかりをすべきではない。(中略)心配なのは、外交・安全保障の分野だ。例えば、海上自衛隊によるインド洋での給油は、犠牲者を避けたい日本に天が与えてくれたような活動だ。費用は限られているが、関係国には本当に感謝されている。これを続けていれば、米国も「アフガニスタンに陸上自衛隊を」とは言わない。オバマ大統領は軍事も非軍事も評価できる人なので、鳩山代表が自分なりの世界観を持って「こういう世界をつくるために、こういう協力をしたい」と言えば、「ありがとう。さすがだ」となる。しかし、「給油はやめる。沖縄の米軍普天間飛行場は代替地なしで返せ」では、日米関係はもたない。組閣人事はとても大事だ。「お友達内閣」や「論功行賞内閣」では、あっという間に吹き飛ばされる。力のある中堅・若手を抜擢するべきだ。国民のための政治ができるベストメンバーを組まなければならない。読売新聞10日付朝刊1面・緊急連載コラム「民主に注文」より〔以下くまんパパ〕短文だが、さすがに論客の五百旗頭氏らしいきわめて示唆に富む見解で、はたと膝を打った。鳩山民主党新政権は、特に外交・安全保障・防衛分野などで、五百旗頭氏が懸念する最悪の方向性に突き進む危険性すら孕んでいると、僕も危惧している。政権が「2~3年」で行き詰まるという見立ても、おそらく節度ある穏健な表現であり、リアルには、早ければ1年半~2年ぐらいで問題点が噴出し、にっちもさっちも行かなくなる可能性がある。ただ、天下り・渡り天国、湯水のごとき無駄遣いなど、やりたい放題の官僚主義(ビューロクラシー)の打破と、国民の負託を受けた政治家主導の行政運営の確立という理想には大賛成であり、明治維新以来の大改革であるという民主党の謳い文句も、あながち誇大広告とは思わない。千載一遇の好機であり、今回出来なければ永久に無理だろうと思う。また、これが相当程度達成出来なければ、問題になっている巨大な財源も、おそらくほとんど出ないだろう。新しい国家戦略大臣・副首相に就任する菅直人氏は、短気ゆえに「イラ菅」などと揶揄されながら、けっこうやる時はやる男、結果を出せる男だとも言われる。いよいよ氏の真価が試される正念場を迎えた。小沢一郎氏と菅氏が、政界有数の碁敵(ごがたき)同士であることはよく知られている。僕も囲碁を嗜むせいか、力量ある碁打ちの脳髄は、ある程度信用に足るものがあると思っている。趣味だけで人物を判定するのもどうかとは思うが、囲碁は数手先までを深読みする能力と直観力が開発され、勝負勘と忍耐力が涵養されるゲームである。碁に長ずる才覚は、政治家や事業家に必要な資質とピッタリ重なり合うと思う。戦国武将たちが、例外なく囲碁の達人だったことは好例であろう。小沢氏と菅氏のタッグは、力量を発揮する方向性さえ間違わなければ、という前提条件が付くが、端倪すべからざる(計り知れない)ものがあると思う。たとえ火だるまになってでも、この喫緊の課題である公務員制度改革だけは是非とも成し遂げてもらいたいと強く期待する。・・・なお、ついでにいえば、僕は宇宙人・鳩山新首相にはあんまり期待していない。何を考えているのか、あのタカラジェンヌ出身の奥様ともども、よく分からない(笑)特に、外交・安全保障の方面では余計なことを一切せず、ただただおとなしくしていてくれればいいな~と思っているのが正直なところどす~とりあえず、ご紹介と寸評まで。
2009年09月11日
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磐姫皇后(いわのひめのおおきさき)秋の田の穂の上へに霧きらふ朝霞あさがすみいつへの方かたに我あが恋止やまむ万葉集 88 秋の田の稲穂の上に立ち込める朝霧のようにいつになったら私のあなたへの恋の思いは消えるのだろうか(・・・永劫に消えはしない)。註霧、霞:ほぼ似たような気象現象。ここでは無常観の象徴として用いられている。後世の文学的慣用では、主に春のものを霞(かすみ)、それ以外の季節のものを霧(きり)と言い分けるようになったが、上古では区別なく用いられた。「霧(き)る」「霧(き)らふ」という古語動詞があったことも知れる。
2009年09月11日
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