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シャーリーン(Charlene) は、1950年生まれ。幼い頃は病弱。16歳で学校を退学して結婚し、子供を生みますが結婚生活は長続きせず、ドラッグに溺れるなど生活は荒み、離婚してしまいます。ようやく1974年に、デモテープがベリー・ゴーディ(Berry Gordy) の目に留まり彼が経営するモータウン(Motown Record) としては珍しい、白人女性ソロ歌手(しかもポップス)としてアルバム『I've Never Been To Me』(1976年)を発表します(ベリー・ゴーディ自らプロデュースを担当)。しかし、まったく反響はなく(シングル・カットされたタイトル曲の最高位は97位!)忘れられた存在になってしまいます。ところが1982年に、あるラジオ局で「I've Never Been To Me」を流したところ問い合わせが殺到。再録音する事なく、そのまま再発売されたシングルは全米で3位、全英では1位という大ヒットになります。確かに、この曲はきっかけさえあれば受け入れられる要素を数多く持っています。楽曲のすばらしさ、歌声の美しさ。そして英語圏の人なら当然聴き取れる、歌詞の内容。和訳は、こちら彼女の公式サイトで、フルサイズの試聴ができます。http://www.charlenesmusic.com/never.htmlこのページに書いてありますがもともと男性用に書いた詞を、シャーリンのために書き直してるんですよね。興味がある方は、訳してみて。日本では、椎名恵によって1986年にカバーされますがその際、曲の美しさだけを活かして歌詞の内容はまったく違うものに変えられ("日本語詞" は麻生圭子)タイトルも「LOVE IS ALL ~愛を聴かせて~」となり、ドラマの主題歌として使われ、ヒットしました。http://www.himekuri.net/d01/yossy/20031/12.html(下のほうに書いてある内容は、事実と異なります)
2005/10/10
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「高校教師」という邦題であのドラマを連想する人もいるでしょう。そうです。もちろん、野島伸司がこの曲から拝借したのです。3枚目のアルバム「ゼニヤッタ・モンダッタ(Zenyatta Mondatta)」(1980年、全英1位、全米でも初のTOP5入り)からのシングル・カット。しかし、スティング(Sting)さん。高校教師の経験ある人がこんな歌作っていいのかい(笑)歌詞の和訳は、こちらちなみに、インタビューで自分の歌唱力について訊かれて上手くはないけど、オリジナリティで悩む必要のない声だから、気に入っていると答えています。ビデオクリップ(約30秒)http://www.vh1.com/artists/az/police/videos.jhtml
2005/10/17
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追記和訳をした事を書き忘れていました。こちらに載せています。つたないですけど、よろしかったら読んでみて下さい。(2005.5.25 19:30)初めて歌詞の内容を理解した時に思わず泣いてしまいました。しかも、(当時)15歳でこんな曲を作詞・作曲するなんて。Janis Ian。1951年に生まれ、13歳でクラブでのギター弾き語りを始めます。1966年、この曲でデビュー。当時タブーだった黒人少年と白人少女の恋を描いた作品は波紋を呼び保守層の圧力で放送禁止となりながらも、全米14位、グラミー・ノミネートを果たします。それだけでも怖ろしい早熟の天才ですけどそれからが、またすごい。1968年、17歳で結婚しすぐに破局その時の体験を、後に「アット・セブンティーン」(1975年)として発表し収録アルバムはグラミー賞2部門受賞。日本でいちばん有名なのは山田太一脚本のドラマ「岸辺のアルバム」の主題歌になった「Will You Dance?」(1977年)でしょうか。僕も、このドラマ・この曲で「ジャニス・イアン」を知りました。(再放送で、ですよ。念のため)最近もCMで使われましたね。他にも日本のドラマで使われた曲が多く日本びいきのようです。(公式サイトに日の丸(「必勝」)のハチマキをした写真があります)ここまでは(離婚はともかく)順風満帆ですがここから、さらに波乱万丈。2度目の離婚(夫の暴力?)、マネージャーとの金銭トラブルのダメージからか80年代はずっと休業。90年代に入って、活動を再開します。その際にレズビアンである事をカミング・アウト。2003年に長年のパートナーと結婚します。椎名林檎がリスペクトしているのは、そうした生き方も含めてでしょうね。さて、僕が衝撃を受けた、15歳当時の音源を探しましたが廃盤になっているようですね。そのためなのか、彼女の公式サイト(http://www.janisian.com/)で無料ダウンロードできます(.mp3 形式)。ただ、現在の彼女のライブ音源なので同時代性(キング牧師の暗殺の2年前)と、15歳の少女がっという衝撃を感じる事は出来ませんでした。しかし、ここまで紹介してきたように五十何年間かの濃密な人生を経たひとりの人間の声として聴くとまた別の感動が生まれます。
2005/05/24
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この曲の歌詞は声色を変えて歌う一節を除くと大きく2つのパートに分かれます。タイトルの「As」で始まるヒラ歌と「Until」で始まるコーラス。「As」部分は永遠の法則を喩えに用いています。たとえば地球が太陽の周りをずっと回り続けるのと同じように、君をずっと愛するといった具合。「Until」部分は逆に、法則に反することを喩えに使い逆説的に愛の永遠を表現します。たとえば8×8×8が4になる日までは、ずっと君を愛する(8×8×8が4になる日なんて永遠に来ないから、つまり君を永遠に愛する)といった具合です。ちなみにこういう数式なのは、前後と韻を合わせるためですね。スティーヴィーは「As」の方をタイトルにしましたが「Until」でもよかったかも。サウンド的にはナチュラルな感じのヒラ歌よりもゴスペル風のコーラスの方が印象に残るのでむしろそっちの方がよかったかな?ん~、でも言葉の響きとしては「As」の方が「Until」よりもいいからなぁ。「永遠の誓い」は具体的すぎる面はあるけど(喩えが重要な曲だからね)内容を的確にとらえていて(結局はそういう事だからね)いい邦題だと思います。 試聴(amazon.com)http://www.amazon.com/Songs-Key-Life-Stevie-Wonder/dp/B00004SZWD/ref=m_art_li_1/002-1275551-6013668 歌詞の和訳http://plaza.rakuten.co.jp/miyajuryou/3016#asStevie Wonder のコンサートも、あと2回。というわけで、ラス前のこの曲をとりあげました。(僕が行った、さいたま2日目だけラストの曲を省略したけど)メガヒット・アルバム(ビルボード14週連続1位、現在までの累計1000万枚)『キー・オブ・ライフ』(1976年) からの4枚目のシングル。(「I Wish」「Sir Duke」「Another Star」「As」という順番)流麗なキーボードは、ハービー・ハンコックが担当。
2007/02/27
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東京ドーム、行ってきました。--------------------------------How terribly strange to be seventyどれほどすごく変な気持ちだろう 70になるって Old Friends / Simon & Garfunkelと1968年に夢想してから41年。ポール・サイモン(Paul Simon)---1941.10.13生まれアート・ガーファンクル(Art Garfunkel)---1941.11.5生まれあと2年ちょっとで70になる二人。自分のソロ・コーナーになると別人のように元気になるサイモンさすがに昔ほどは高音が伸びないガーファンクルそれでもやっぱり僕が生まれる前に(!!)解散した二人が距離を置いたり再結成したりを繰り返しながら今こうして「Old Friends ツアー」と銘打ってブックエンド(Bookends)のように並んで歌うのを目の当たりにすると感慨深いものがありますね。Preserve your memoriesThey're all that's left you思い出を保存しておきなさいそれら全てがあなたを残しておきます Bookends Theme / Simon & Garfunkel-------------------------------- Old Friends (旧友) ~ Bookends Theme (ブックエンドのテーマ) 試聴(ソニーミュージック)http://www.sonymusicshop.jp/detail.asp?goods=MHCP-2066 歌詞の和訳http://plaza.rakuten.co.jp/miyajuryou/3022#oldfriendshttp://plaza.rakuten.co.jp/miyajuryou/3022#bookends セットリスト(ウドー音楽事務所)http://www.udo.co.jp/News/index.html#090709今日も当日券がありましたし、明日以降もあるようです。情報はウドーのサイトでご確認ください。
2009/07/10
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君にアメリカ人の知り合いが出来て、こんな事を言われたとする。「ニッポンで一番売れたソングは、フィッシュの形をしたスウィーツが海で泳ぐ歌なんだって!? Ha, ha !!」そんな時には、こう反論しよう。「そういう君の国だって、"Purple People Eater"が1958年に6週連続で1位になったじゃないか。」「Purple People Eater」。邦題は「ロックを踊る宇宙人」。性格俳優 兼 カントリー・シンガーのSheb WooleyがTVのアニメーション番組の主題歌として吹き込んだ曲です。(作詞・作曲も彼自身)試聴はこちら。http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/B0000282PZ/ref=nosim/sunandgames-20/104-7241044-2796750?dev-t=1XTEJ0C6KM5SFHZZTSR2%26camp=2025%26link_code=xm2歌詞の和訳はこちら。http://plaza.rakuten.co.jp/miyajuryou/3009#purplepeopleeater(シェブ・ウーリーのアルバムは楽天では取り扱っていません。画像のアルバムはオムニバス盤です)
2006/01/13
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クリスマスに復活です。 (昨年も同じような事を言っていましたね) 毎年この時期にクリスマスソングをとりあげています。 今回は、Simon & Garfunkel。1966年の3rdアルバム『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム (Parsley, Sage, Rosemary and Thyme)』収録の「7 O'Clock News/Silent Night」です。クリスマス・キャロルの定番中の定番「きよしこの夜」(の英語版。原曲(ドイツ語版)、英語版、日本語版、すべて歌詞が異なる)が、ピアノだけのシンプルな伴奏と二人の美しいハーモニーによって唄われますがその背後では1966年8月3日に起きたニュースが読み上げられています。(レコーディングは8月22日。リリースはクリスマスを視野に入れた10月10日)これは実際のニュース音声のサンプリングではなくポール・サイモンが再構成し(ところどころケアレスミスがある)ラジオDJに読み上げさせた擬似ニュースですが難航する公民権運動、影響を受けた人物の訃報、連続殺人、ベトナム反戦への逆風。深刻なニュースばかりです。この対位法的表現を苦い皮肉と捉えることも可能でしょう。しかし、ポール・サイモンの切なる祈りだと思いたいですね。朝でも昼でも夜遅くでもない「イブニング・ニュース」にしたわけですからクリスマスの夜、せめてその一夜だけでも「Sleep in heavenly peace」であってほしいそういう意図ではないでしょうか。 試聴(Sony Music)http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Arch/SR/SimonAndGarfunkel/SICP-20142/index.html 歌詞の和訳http://plaza.rakuten.co.jp/miyajuryou/3022#silentnight今日の夜7時、どんなニュースが流れるのでしょうか。少しでも良いニュースでありますように。そして安らかな夜でありますように。
2009/12/24
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和訳は、こちら。リンク先で、スピーカのアイコンをクリックすると、ほぼ1コーラス試聴できます。http://delit.net/music/download.phtml?title_id=12688(ロシアのダウンロード販売サイトなので、[buy] は押さないでね)1985年から92年まではホイットニー・ヒューストンの時代だったと言っていいでしょう。で、僕も自分をホイットニー好きだと思っていましたが最近になって気付きました。マイケル・マッサーによる楽曲が好きだったんですね。(もちろん彼の曲のよさを引き出した、ホイットニーの素晴らしさを認めた上での話ですが)セカンド・シングルから7曲連続全米1位を記録しますが※Saving All My Love For You (すべてをあなたに)October 1985How Will I Know (恋は手さぐり)January 1986※Greatest Love Of All (グレイテスト・ラヴ・オブ・オール)March 1986(以上がファースト・アルバム「Whitney Houston」(1985) からのシングル・カット)I Wanna Dance With Somebody (Who Loves Me) (すてきなSomebody)May 1987※Didn't We Almost Have It All (恋のアドバイス)August 1987So Emotional (やさしくエモーション)November 1987Where Do Broken Hearts Go (ブロークン・ハーツ)February 1988(以上がセカンド・アルバム「Whitney」(1987) からのシングル・カット)そのうち※を付けた3曲がマイケル・マッサー作品です。2枚のアルバム21曲での提供曲は6曲なので、高い確率です。残りの3曲All At OnceHold Me(デビュー前に、テディ・ペンターグラスのアルバムにデュエットの相手役として参加し、前評判を高めるきっかけとなった曲の再録)そして、You're Still My Manも名曲ですよ。歌唱力が抜群で、しかも若くて美しいホイットニーを売り出すために「アリスタ」レーベルは総力を結集しプロデューサーには、ジャーメイン・ジャクソン(マイケルのお兄さん)やナラダ・マイケル・ウォルデン(もちろんマイケル・マッサーも)を起用し楽曲もカバーを含め、捨て曲なしのラインナップですがマイケル・マッサー作品が、ボーカルとのマッチングを含めて抜き出ていますね。彼女のキャリアの頂点は、中だるみのサード・アルバムをはさんだ後の映画「ボディーガード」(演技は下手ですが、一瞬の表情は、デビュー前にモデルに起用されただけあります)そのサントラ(全世界で3000万枚以上)主題歌の「I Will Always Love You」(全米14週連続1位)そしてボビー・ブラウンと結婚した1992年(から93年にかけて)だと思いますがそこからのホイットニーはドラッグや、夫からのドメスティック・バイオレンスといったスキャンダルばかり話題になって、悲しいですね。でも、ようやく最近になって、ドラッグから抜け出しつつあるようなのでhttp://notrax.jp/news/detail/0000001110.html40代を迎えたホイットニーの復活を期待したいです。彼女の前に最初に立ちふさがったマライア・キャリー(1990年デビュー)も一時の不調から「Mimi」で立ち直りましたしマライアやセリーヌ・ディオンといった女性ソロ歌手がショウビズの頂点に立てるようになったのはホイットニー(と彼女を売り出すためのプロジェクト)が道を切り開いたからですから。彼女のプロフィール等については、こちらhttp://www.beats21.com/ar/A01031402.html(こういう、思い入れのあるコラムって、いいですね)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3(ディオンヌ・ワーウィックは叔母です)イトコで合ってます。ごめんなさい。
2005/07/04
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先に書いたように(『McCartney』(1970年) 『McCartneyII』(1980年) はあるものの)アルバム『Tug Of War』(1982年) からポール・マッカートニー(Paul McCartney)はウイングスから飛び立ち本格的にソロ・ミュージシャンとして進み始めます。そして、スティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)をゲストに迎えた「Ebony And Ivory」が先行シングルとして発売され全米で7週連続1位。全英でも1位を獲得。スティーヴィーにとっては初の全英1位で(ジョン・レノン死後の沈黙を破った)ポール健在も強く印象付けました。ポール節全開の楽曲(単独で作詞・作曲)でありながらも明確なメッセージを持った歌を作ったという点でも彼の転換点を示すと言えます。プロデューサー(アルバム全曲)はビートルズ以来、久しぶりのジョージ・マーティン。(※追記 「Live And Let Die (007/死ぬのは奴らだ)」(1973年) がありましたね)ポールは翌83年にマイケル・ジャクソンとも共演しましたが(「Say Say Say」、もちろん1位)この時はデュエットというよりそれぞれの楽曲、それぞれのソロをつなぎ合わせたような感じでした。(マイケルは来日公演中の東京で、クインシー・ジョーンズ立会いの下レコーディング)「Ebony And Ivory」の時はスケジュールも合いテーマも Ebony(鍵盤の黒鍵、つまり黒人)と Ivory(白鍵、つまり白人)のハーモニー(調和)ということもあってか仲良く西インド諸島モントセラト島のスタジオ(ジョージ・マーティン所有)でレーコーディングを行い美しいハモりも聴かせてくれます。そして多才な2人ですから、ボーカル以外にもポール/ベース、ギター、シンセ、ヴォコーダー、パーカス、ピアノ、バック・ボーカルスティーヴィー/エレピ、シンセ、ドラム、パーカス、バック・ボーカルと、2人だけで全てのトラックを演奏しています。残念ながら、スケジュールの都合上ジャケット写真(ポールの前妻、故リンダさんが撮影)とPVは別々に撮影した物の合成です。 日本盤のジャケット写真はこちら。http://fiw.web.infoseek.co.jp/80s/data/003.html 試聴(ポールの公式サイト)http://www.mplcommunications.com/mccartney/discography_tracklist.asp?AlbumID=1012 歌詞の和訳http://plaza.rakuten.co.jp/miyajuryou/3014#ebonyandivory... Why don't we?
2006/12/28
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10日ほど前になるのですが、GyaOでビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)のドキュメンタリーを観ました。(観られない方、申し訳ありません...)ブライアン・ウィルソン(Brian Wilson)の誕生パーティーにポール・マッカートニーがいたりデニス・ウィルソンが「You Are So Beautiful」を歌う映像が元気な頃と死ぬ直前の両方あったりといろいろ見どころがありました。でも、一番印象に残ったのはブライアンがベッドにもぐってインタービューを受けていたこと!すでに精神的にもち直していた時期なので、こんな"引きこもり"の時期があったんだよという事なのでしょうがわざわざ再現して見せることも無いのに...内向的な天才の考えることは、凡人には分かりません。ただ、そういう内にこもる傾向は彼のもともとの性格ようで、「In My Room」(1963年10月)は開放的な「サーフィンUSA」(1963年3月)と同じ年なんですよね!そもそもブライアンはサーフィンをやらないそうで(というよりメンバーの中で実際にやってたのは、色男のデニスだけ)実体験ではなく心の中で描き出したパラダイスなわけです。だからこそ、ビーチ・ボーイズの振りまく西海岸のイメージに僕も含め、そんな物に縁のない世界中の人たちも惹かれるのでしょうね。ブライアンと、友人のゲイリー・アッシャーの共作。リード・ボーカルもブライアンが担当。試聴は、こちら。歌詞の和訳は、こちら。
2005/11/29
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