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皇居東御苑にたつケヤキの木、なんかいい形だったので撮影しました。そして、いよいよ大嘗宮(だいじょうきゅう)に近づいて来ました。沢山の人が大嘗宮の前で見学しています。この大嘗宮、木造で意外と質素な海の家みたいな建物でした。大嘗宮は大嘗祭(だいじょうさい)のために作られたもので、一般参観が終わった後に取り壊されるという仮設の建物なんですね。とはいえ、大嘗祭は、毎年11月にある五穀豊穣や国家安寧を祈る「新嘗祭(にいなめさい)」の中でも、即位後初めて行う儀式をいう。皇位継承に伴い一代に一度だけあり、重要な儀式だそうですから、立派な鳥居がある神社に近い建物でした。そして、大嘗祭の儀式は、平安時代から基本的に変わっておらず、今回もこれまでの伝統が踏襲されているそうです。一体どんな儀式だったのでしょうか。大嘗祭の「嘗」という字、臥薪嘗胆の嘗胆、つまり胆(きも)を嘗(な)めるということで、天皇陛下が全国からお取り寄せとなった名産品、特産品を、この大嘗宮の中で大いに嘗めていたということは、下衆の与太話ですね。この大嘗宮を囲んだ塀も興味深かったです。むしろのようなもので、桟木で固定され、一面にサカキが差し込まれていました。こういう細部まで設計図が保管されているのでしょうか。すぐに取り壊されるとはいえ、建築を請け負った宮大工さんも一世一代の大仕事だったのでしょう。こちらは大嘗宮の側面です。こちらは、裏手から撮影したものです。大変興味深い、また神聖なものを観ることができました。【つづく】人気ブログランキング大嘗宮一般参観に行ってきました(その3)大嘗宮です
2019年12月03日
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富士見櫓をよく見てましょう この櫓どこから見ても同じ形にみえるために、俗に八方正面の櫓とも呼ばれているそうです。 また、建物のすぐ下、石垣上にせり出している棚のようなものがありますが、ここが石落し仕掛けだそうです。やっぱりお城ですから、防御のことも考えていたのですね。 富士見櫓の下を抜けると、皇居東御苑というエリアになります。 そこで最初に見えたのが、この建物「百人番所」です。丁度ここは江戸城本丸の入り口となるところになります。 名前の通り「百人組(鉄砲百人組)」と呼ばれた根来組、伊賀組、甲賀組、二十五騎組(廿五騎組)の4組が交代で詰めていて、各組とも与力20人、同心100人が配置され、昼夜を問わず警護に当たっていたそうです。そして、同心100人ずつで警護していたので、百人番所と呼ばれています。 こちらは、江戸城本丸への最後の番所(警備の詰所)となる「大番所」です。最後の砦なので、百人番所よりも位の高い与力・同心によって警備されていたといわれています。 大番所から続く坂を登ると、大嘗宮が見えてきました。 その途中で売店があり、中で休憩を。 売店の中にある休憩所では、大嘗宮の模型が展示されていました。 こちらは雅楽を舞っている模型ですね。これも展示されていました。 この広々した芝生は江戸城本丸跡になります。 【つづく】 人気ブログランキング 大嘗宮一般参観に行ってきました(その2)富士見櫓から本丸跡
2019年12月02日
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皇居東御苑に作られた大嘗祭(だいじょうさい)の舞台である大嘗宮(だいじょうきゅう)が一般公開されているので、折角の機会なので参観させてもらいました。訪れたのは11月24日、雨模様の日曜日でしたが、すでに行列ができるくらいの参観者が集まっていました。行列を離れるわけにはいかなかったので、ちょっと写真のアングルは良くないですか、この石橋の奥にあるのが正門鉄橋、いわゆる二重橋です。警視庁の方も大集合ですね。皇居の中へは、この坂下門から入って行きます。皇居の中では自撮り棒での撮影は禁止。こちらは宮殿です。この中へは入れませんでした。MoMo太郎は文化勲章を授与される時に訪問する予定です(^_-)-☆。こちらは宮内庁の庁舎。宮内庁を過ぎると正面に見えるのが富士見櫓。江戸城の時代から残っている建物だそうです。そして、十月桜?と紅葉の競演です。春の桜より花はちょっと小ぶりでした。【つづく】人気ブログランキング大嘗宮一般参観に行ってきました(その1)坂下門と宮内庁
2019年12月01日
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笠間稲荷神社の奥にある門です。この門の先には笠間稲荷美術館があり菊人形展をやっていました。こちらが笠間稲荷美術館の入り口、奥に見える建物は「瑞鳳閣」という建物で、大正天皇御即位記念(大正6年)に建てられたものだそうです。屋根の上に飾られた鳳凰の飾り。顔ハメありました.ちなみに菊人形は入場料800円ということなので、遠慮させてもらいました。この番組、上白石萌恵さんが水泳選手の役で水着姿で登場した回だけ見ただけで、毎週見ているわけでもないし興味ないので。この建物が笠間稲荷美術館。笠間稲荷美術館のある通りには旅館が並んでいました。料亭旅館とか、割烹旅館とか、料理が売り物の旅館なんですね。お参りの後に宴会したり、七五三参りの後に家族で食事する、ちょっとリッチな上級国民のみなさんのための施設ということですね。【了】人気ブログランキング笠間の菊まつり(その5) 笠間稲荷美術館と料亭旅館
2019年11月17日
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笠間稲荷神社にはまだまだ菊の花が飾れていました。上段は、ポットマムという仕立て方でしょうか。下段に飾られた菊は管物という種類の菊で、菊花展の出展用に花だけを育てた切り花ですね。こちらは広物と呼ばれる種類で三本仕立てにしています。こちらは厚物の福助作りという仕立てですか。頭でっかちの姿が福助人形に似ているのでそう呼ばれるそうです。こちらの菊は賞をいただいようですね。厚物の花の下に袋状の真っ直ぐ長い走り弁が放射状に付いた厚走りという種類です。こちらは管状の花弁が長く真っ直ぐ伸びて、花弁の先は小さく固く玉巻き状となる管物という種類の三本仕立て。管物は管の大きさで「太管」、「間管」、「細管」に分けられるそうです。NHK大河ドラマの「いだてん」の菊人形展もやっていました。【つづく】人気ブログランキング笠間の菊まつり(その4) 菊の種類と仕立てを学ぶ
2019年11月16日
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折角、参拝に来たのですから、やはりお参りもしておきましょう。まず、この楼門を潜ります。この楼門は、「萬世泰平門」と言い、重層入母屋造で昭和36年に竣工の建物だそうです。この楼門の横に車祓所があります。こちらが拝殿。拝殿の扁額です「稲荷宮」と記されています。拝殿に掲げられた板絵です。彩りが鮮やかな板絵ですね。この笠間稲荷神社、江戸時代においては歴代の笠間藩主の篤い崇敬を受けていました。笠間藩の第五代藩主が忠臣蔵で有名な浅野内匠頭長矩公の曾祖父、浅野長重公で、第六代藩主が祖父、浅野長直公でしたが、寛永21年(1645)に赤穗藩に移りました。そして、大石内蔵助も笠間藩から笠間稲荷大神さまの御分霊をいただいて邸内にお祀りし、大石稲荷神社とし崇敬していたそうです。【つづく】人気ブログランキング笠間の菊まつり(その3) 笠間稲荷と赤穗浪士
2019年11月15日
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笠間稲荷神社の参道にある立派な懸崖です。懸崖(けんがい)というのは、菊の仕立て方のひとつで、摘芯をくり返して花の滝のように崖から垂れ下がった形に仕立てるもので、自然環境の中で断崖絶壁にしがみつくように生きる樹々を模したものだそうです。ちなみに、摘芯とは植物の茎の一番先端にある芽(頂芽)を摘み取ることで、脇芽に栄養が届くようすることで、脇芽が増えて枝ぶりが良くなります。こちらは地元の小中学校のお友達が、栽培してくれた菊です。こちらは三本仕立てと呼ばれる菊の仕立てです。大菊の最も基本的な仕立て方です。1本の苗を摘芯して3本の枝を伸ばし、後の1輪を花の2/3位高く、前の2輪は同じ高さに、三つの花を同時に、 同じ大きさに揃えて、出来るだけ巨大輪に咲かせ、茎・葉を含めた全体が調和を保つように育てるそうです。 こちらには品評会への出展された菊が展示されていました。こういう、数百枚の花弁が花芯の中央一点に向けて鱗状に整然と高く盛り上がったものを「厚物」というそうです。こちらは三輪とも同じ高さで、栽培している人にとっては、ちょっと不本意だったかも。後ろの一輪の高さがやや高く仕立てられています。こういう仕立てだと、結構いいかもしれませんが、写真がブレていますね(^_^;)【つづく】人気ブログランキング笠間の菊まつり(その2) 日本の華「キク」
2019年11月14日
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MoMo太郎は今まで通算すると7年間の茨城県民歴があります。そんなわけで、日本に9つはあるといわれる日本三大稲荷のひとつ茨城県笠間市にある笠間稲荷は、東京に住んでいる今でも時々お参りにいっています。門前にはお土産物屋さんや飲食店が並んでいますが、時間が早くて余り人も出ていませんでした。丁度、この時期、10月19日(土)~11月24日(日)は笠間の菊まつりが開かれていて、神社の中は菊の花で彩られていました。ところで、日本三大稲荷というと、次の9カ所が候補となるそうです。1.伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ・京都市伏見区)2.祐徳稲荷(ゆうとくいなり・佐賀県鹿島市)3.豊川稲荷(とよかわいなり・愛知県豊川市)4.笠間稲荷(かさまいなり・茨城県笠間市)5.最上稲荷(さいじょういなり・岡山県岡山市)6.竹駒神社(たけこまじんじゃ・宮城県岩沼市)7.千代保稲荷(ちよぼいなり・岐阜県海津市)8.瓢箪山稲荷(ひょうたんやまいなり・大阪府東大阪市)9.草戸稲荷(くさどいなり・広島県福山市)これらが全て稲荷神社というわけではなく、豊川稲荷の正式な名前は「豊川閣妙厳寺」で曹洞宗の寺院、最上稲荷の正式な名前は「龍王山神宮寺」で日蓮宗の寺院。というようです。また、伏見稲荷大社は、稲荷神社の総元締めで、唯一無二の存在ですから、自らは三大稲荷のメンバーだとは名乗っていないようです。MoMo太郎は、このうち7の千代保稲荷から9の草戸稲荷を除く、6カ所のお稲荷さんに参拝していますが、個人的には、竹駒神社、豊川稲荷、そしてこの笠間稲荷が三大稲荷にふさわしい雰囲気があるのではと思っています。ちなみに、祐徳稲荷は、願い事は神様に「ゆうとく」だけで願い事は実行はされないのだと、佐賀県民の方から言われたことがあります。【つづく】人気ブログランキング笠間の菊まつり(その1) 日本三大稲荷
2019年11月13日
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上野公園で見ておくべき必須のポイントといえば、やっぱり西郷さんの銅像ですね。西郷さんの銅像というと、むかしMoMo太郎が行っていた床屋さんのご主人の話を思い出します。この床屋さんのご主人、福島から集団就職で上京してきたそうですが、休みの日に同郷の友達と会おうという時に、本人も友達も田舎から出てきて、東京のこともよくわからず、お互いが知っている場所というと、この上野の西郷さんしかなかったので、いつもここで待ち合わせしていたそうです。そして、西郷さんほど有名ではないかもしれませんが、この上野大仏というのも外せないですね。もともとは像高約6メートルの釈迦如来坐像があったそうですが、関東大震災の時に、罹災により頭部が落下。再建を目指して、上野寛永寺で胴体と頭部を保管していたところ、再建もできず、第二次世界大戦とのときに胴体部は金属供出で失われたため、現在では顔面部のみがレリーフとしてここに安置されています。また、胴体を失った顔面は「これ以上落ちない」という意味で「合格大仏」とも呼ばれ、受験生らが合格祈願に訪れています。この場所には、仏塔パゴダが建立されました。パゴダの内部には、寛永寺の秘宝薬師如来像、左に月光菩薩、右に日光菩薩が安置されているそうです。即位礼正殿の儀の日、休日と言うこともあり、上野公園には、白いテントが沢山並べられていました。雨の中、このイベントは決行されたのでしょうかね。こちらは大道芸人の方の見事な演技が披露されていました。こんな感じで高かったのですね。バランスを崩さないように下に降りるのも怖いですね。【了】人気ブログランキング即位礼正殿の儀の日のこと(その7) 上野公園といえば
2019年11月09日
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国立西洋美術館では、内藤コレクション展「ゴシック写本の小宇宙――文字に棲まう絵、言葉を超えてゆく絵」 という展示がされており、なかなかのものだなと思って撮影しました。ゴシック写本とは、このサイズの紙に手書きで、文字が書き写されているだけではなく、挿絵や装飾が施されていました。このような完全な本の状態ではなく、一部のページだけのものを「零葉(れいよう)」と呼ぶそうです。おそらく完全な本だと非常に高価なものとなるので、愛好家が安価で入手しやすいものとしてこういうものが取引されているのでしょうね。さて、内藤コレクションとは、中毒学を専門する学者/医師として知られる内藤裕史氏(筑波大学・茨城県立医療大学名誉教授)が数十年にわたって一枚ものの写本零葉を蒐集してこられており。ご自身のコレクション約150点を、2016年春に一括で国立西洋美館に寄贈しものだそうです。こういう貴重なものを、学問の傍らコツコツと蒐集されてきたのでしょうが、1932年生まれということだそうなので、就活終活としてこのコレクションを美術館に寄贈されたのでしょうか?家族で、こういう美術品をいざ相続することになると、財産として高いと相続税が膨らむなどの問題があるかもしれませんしね。ところで、内藤裕史先生、札幌医大出身だそうで、1968年に札幌医大であった和田寿郎移植事件(→→→こちら)の時は、札幌医大に麻酔医として勤務していたようです。裁判で証言台に立ったかもしれませんね。ところで、もうひとつ、MoMo太郎が強く惹かれたものは、展示品ではなく、展示室の至る所に置かれていたこの計測器具。温度と湿度をドラムに巻き付けた紙に記録していくものです。結構アナログなものを使っているなと思いましたが、時間的な温度と湿度の変化を常時監視できるので、それなりに便利なのでまだ使われているのかもしれませんね。【つづく】人気ブログランキング即位礼正殿の儀の日のこと(その6) ゴシック写本、心臓移植、そして温度と湿度の管理
2019年11月08日
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天皇陛下の即位のお祝いですね。我々下々の者にも有り難いことにここも無料で観覧することができました。こちらは国立西洋美術館(→→→こちら)です。名前の通り、西洋の美術作品を専門とする美術館です。そして、この本館は「ル・コルビュジエ(→→→こちら)の建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」の構成資産として世界文化遺産に登録されているそうです。 世界文化遺産といえば、沖縄の赤い首里城のように焼失しないことを祈ります。美術館の前庭にあるロダンの考える人です。この西洋美術館、フラッシュを使わなければ写真撮影してもよいそうでしたので、館内の様子を殺意しました。こちらは絵画が展示されているゾーンです。不思議なことに、真面目そうな女子高校生が目につきました。雰囲気からして、高校の美術部の部員なんでしょうか。熱心に絵をみていました。【つづく】人気ブログランキング即位礼正殿の儀の日のこと(その5) 世界文化遺産の美術館
2019年11月07日
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即位礼正殿の儀の日には、ここ東京国立博物館も無料で公開されていました。 国立と名のつく博物館は他にも、京都国立博物館、奈良国立博物館、九州国立博物館があるそうです。こんなに博物館があって無駄な気もしますが、それぞれの博物館ごとに目的が違うようです。 例えば、東京国立博物館は、日本と東洋の文化財(美術品、考古遺物など)の収集保管、展示公開、調査研究、普及などが目的で、京都では、京都の文化を中心とした文化財を、奈良では、仏教美術を中心とした文化財を、九州では日本の文化の形成の歴史にまつわる文化財を、それぞれ展示しているそうです。 こちらは本館。この建物の鉄筋コンクリート造りの瓦屋根の和風建築風というのが、和洋折衷という日本の文化を体現しているのかも。 こちらは表慶館。こちらはヨーロッパの宮殿を思わせる建物で日本と東洋の文化財を西洋の入れ物にいれておくという、「和魂漢才」、「和魂洋才」という我が国の伝統を具現化しているのでしょうか。 こちらは本館裏にある庭園です。こういう日本庭園そのものも文化財かも。 午後になって、雨も止んできました。 さて即位礼正殿の儀の日には、こちらの国立科学博物館も無料公開されていました。こちらも行きたかったのですが、まだ見たいところがあって、今回はパスしました。 【つづく】 人気ブログランキング 即位礼正殿の儀の日のこと(その4) 東京国立博物館
2019年11月06日
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即位礼正殿の儀の日ということで、無料で入場できた上野動物園。折角きたのですから、動物も少し見ましたよ。上野動物園の東園と西園をつなぐ「いそっぷ橋」の上からみた「子ども動物園すてっぷ」です。雨の降る中、馬が見えました。こんな馬です。近くで見てみると、やや小型のウマでした。トカラ馬(→→→こちら)という種類の馬です。馬のつぶらな瞳を見てると、癒されますね。まさにホースセラピー(→→→こちら)になるかも。そっぽを向いているのはラマ、手前はアルパカです。こちらはコウノトリです。同じようにいそっぷ橋から見えたのは、建設中のパンダ展示施設「パンダのふるさとゾーン」(仮称)です。こちらがパンダ舎の紹介した案内板。 ジャイアントパンダをより生息地に近い環境で飼育しるそうです。また、希少動物であるジャイアントパンダの繁殖を推進することも目指しているそうです。パンダの世界も少子高齢化ということでしょうか。日本生まれのパンダが増えるといいですね。こちら動物園の敷地の中にある旧寛永寺五重塔。重要文化財だそうです。この五重塔は寛永寺から東京都に寄付したもので、そのため旧寛永寺五重塔と呼ばれているそうです。【つづく】人気ブログランキング即位礼正殿の儀の日のこと(その3) 動物園に来たので動物も見ましょう
2019年11月05日
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MoMo太郎の周囲の人に聞いてみると、上野動物園に来たことはあるけど、モノレールに乗ったことがないという人が意外と多かったです。 かく言うMoMo太郎も、モノレールに乗った記憶がなく、この機会に上野動物園モノレールに乗ってみることしました。 こちらが西園駅の券売機です。 料金は、大人150円、子供80円、地下鉄の乗車料金としては、営業キロ数に比べると高い感じもしますが、遊園地にある乗り物と考えると、お安い感じもしますね。 ちゃんと、乗車件を購入しました。 モノレールが駅に着きました。 子供たちが喜びそうな動物の姿が描かれ、また明るい色で塗装されていますね。 こちらが、モノレールの運転台。意外と今風の運転席まわりでした。 東園駅に到着したモノレール。 乗車記念スタンプが備えられていました。子供はこういうスタンプとか好きですね。でも、「スタンプのインクで手を汚さないようにね」。この子もお母さんからそう言われていましたが・・・。 MoMo太郎も記念スタンプを押印。 モノレール東園駅の出口あった表示です。 「またのってね!」とは書いてありますが、多分、「また」はないかも。 【つづく】 人気ブログランキング 即位礼正殿の儀の日のこと(その2) モノレールに乗ってみよう
2019年11月04日
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10月22日の「即位正殿の儀の日」には、上野動物公園が無料で公開されました。当日は雨模様にもかかわらず、パンダ舎の前には30分待ちの行列ができていました。しかし、今日の目的はパンダではなく、「上野動物園モノレール」。こちらがモノレールの東園駅です。上野動物園の東園駅と西園駅の間、0.3kmを約1分半で結ぶ上野動物園モノレール、残念なことに令和元年11月1日から運行が休止となりました。ということでこのモノレールを撮影&乗り納めに行ったわけです。ところで、上野動物園モノレールは、正式名称を「上野懸垂線」といい、1957年に日本で最初に開業したモノレールだそうです。そして、このモノレール、動物園のアトラクションではなく、鉄道事業法に基づく交通機関として東京都交通局の運営により営業運転を行っていました。なぜ日本初のモノレールが上野動物園に設置されたのかというと、1957年当時は、路面電車の都電が交通手段の主流だったところ、普及しはじめた自動車による交通渋滞で都電の定時運行が難しくなっていたため、地下鉄やモノレールといった新しい交通手段の導入が検討されていました。そのモノレールの実験線の設置場所として、この上野動物園が選ばれたとのことです。上野動物園だと、一定の運行距離を確保でき、高低差や小半径の曲線が作れて、利用者数も見込める場所だったいうのが理由のようです。今の山梨県にあるリニアモーターカーの実験線みたいなものだったんですかね。このモノレールは「片腕懸垂式」という形式なのですが、車両の経年劣化が進んでいる中で、この片腕懸垂式を採用するモノレールは国内にほかになく、車両の更新や部品交換などが難しくなったことから廃止の方向のようですね。輸送力に優れた地下鉄が都市交通の主流となり、モノレールについても多摩地区や千葉市内でも実用化され、更には「ゆりかもめ」のような新交通システムもあり、今更、モノレールの実験を続ける意味もないのでしょう。ちなみにモノレールは上野動物園のアトラクションとして人気だったようで、2017年度の経常損益は2400万円の黒字だったそうです。【つづく】人気ブログランキング即位礼正殿の儀の日のこと(その1) 上野動物園モノレール
2019年11月03日
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昨夜(13日)は中秋の名月、曇り空で見えなかったのですが、一日遅れで十六夜の月を撮影しました。人気ブログランキング十六夜の月
2019年09月15日
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日本橋浜町界隈をぶらりといっても、新大橋を渡ると江東区ですね。新大橋は、両国橋に続いて、隅田川に架けられた三番目の橋で、「大橋」と呼ばれていた両国橋に対して新しい橋という意味で付けられた名前だそうです。ちなみに隅田川に架けられた最初の橋は千住大橋だそうです。橋の中央の塔には、この橋の歴史を紹介するレリーフが飾られていました。このレリーフは、歌川広重が描いた名所江戸百景の中にある新大橋の絵で、「大はしあたけの夕立」という題名の絵です。「あたけ」というのは、河岸に係留されたままになっていた史上最大の安宅船でもある御座船安宅丸(あたけまる)に因んで呼ばれていた新大橋付近の地名だそうです。こちらは、今の橋になる前に架けられていた旧橋の絵だそうです。こちらには新大橋の歴史が記されていました。【了】人気ブログランキング日本橋浜町界隈(その4) 新大橋
2019年09月10日
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日本橋浜町から隅田川を渡って森下の方へ歩いて行きます。この黄色い塔が新大橋の目印です。橋の下を隅田川を走る水上バスが橋の下を通って行きます。この船は「ホタルナ」という名前の船のようです(→→→こちら)隅田川から見る空は広々と感じますね。こちらは東京水辺ラインの船ですね。こちらは公益財団法人東京都公園協会が運営しているので、東京オリンピックのマスコットが描かれているのですね。【つづく】人気ブログランキング日本橋浜町界隈(その3) 水上バス
2019年09月09日
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日本橋浜町界隈をぶらりとしています。そういえば、今日から九月場所が始まりますね。蒼国来という中国出身力士のいる荒汐部屋は日本橋浜町にあります。蒼国来、むかしは幕内でしたが、今は十両ですかね。荒汐部屋、正面がガラス窓になっていて稽古風景が見学できるようになっています。こちらは清洲橋通りに面したビルの看板です。以前はここに重量挙げのジムがあった時の名残で今は一階に、多分、中国の憲法みたいなものでしょうか、正体不明の団体が入っているようです。しかし、その他には入居者はいないようで、そのうち取り壊しになるのかも。【つづく】人気ブログランキング日本橋浜町界隈(その2) 荒汐部屋
2019年09月08日
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日本橋浜町界隈をブラっと散歩してみました。 日本橋浜町といえばこの建物ですね。 明治座です。 出演者ののぼりも飾られて、芝居やっているっていう雰囲気ですね。 【つづく】 人気ブログランキング 日本橋浜町界隈(その1) 明治座
2019年09月07日
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甲州街道です。この道が新宿区と渋谷区の境になっています。この甲州街道に面してそびえ立つ文化服飾学院です。この敷地は渋谷区になります。文化学園大学、文化外国語専門学校なども同じ敷地にあります。こんな立派な建物をみると、大学とか専門学校って儲かるのかなと思っちゃいました。【了】人気ブログランキング
2019年08月08日
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こちら新宿ワシントンホテルビル(新宿区西新宿3)正面玄関の右側に、健脚健康の神、韋駄天を奉った「新宿韋駄天尊」がありました。ビルの谷間にあって、目立ちませんがなかなか信仰を集めているようです。ご由緒も書いてありました(くわしくは→→→こちらを)。ところで、この神社の傍らに立つこの銅像。この神社建立に尽力された野村専太郎・ます夫妻の銅像です。この銅像の由緒も案内されていました。野村専太郎氏、建設業界で活躍された方のようで、このあたり西新宿(角筈)に本社のあった野村組→野村工事の社長を勤められていたそうです(→→→こちら)。【つづく】人気ブログランキング久しぶりiに新宿へ(その3) 韋駄天尊
2019年08月07日
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新宿といえば東京都庁ですね。なんかモダンな建物という感じですが、平成2年(1990年)12月竣工だそうですから、もう30年は経過しているわけですね。こちらは東京都議会の議事堂です。お昼ご飯は、こちらの都庁議事堂レストランでいただきました。いただいたのは、日替り定食780円(税込み)です。役所のレストランにしては、ちょっと高いかと思いましたが、都議会の議員先生方が食べる食堂とすれば、まあこんな値段でもいいのかも。【つづく】人気ブログランキング久しぶりiに新宿へ(その2) 都庁議事堂レストラン
2019年08月06日
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久しぶりに新宿へやってきました。今日は都庁に行くので、新宿西口の方を歩きます。昔からありますね。スバルビルの「新宿の芽」なぜかテープで補修されていました。そして、都庁に行く途中でやたら目に入ったポスター。来年はオリンピックですが、今年はラクビーワールドカップ日本大会です。「4年に一度じゃない。一生に一度だ。」というキャッチフレーズの意図は何なんでしょうかね。高校三年生の夏、18歳の夏は一度だけで、この試合で肩が壊れようが、肘が壊れようが、甲子園に行くチャンスはこの時しかないと、思い切って、その試合、この一戦に賭けるという意味でしょうね。岩手県のどこかの高校のエースのように大事な県大会の決勝戦で投げないで、高校卒業後にプロに入って長く活躍してお金を儲けようなんて思っちゃいけないという、お金儲けとスポーツは別なんですよと言う潔いメッセージでしょうか。【つづく】人気ブログランキング久しぶりiに新宿へ(その1) 「4年に一度じゃない。一生に一度だ。」
2019年08月05日
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麻布運動場から仙台坂の方向かっていくと、こんな建物がありました。「ウイローブルック・インターナショナルスクール」(→→→こちら)とありました。やはりこのあたり大使館が多かったりして、外国の方が多く住んでいるので、こういうインターナショナルスクールは多いのでしょう。ホームページを見ていると、スクールといいながら幼稚園に相当するようなところみたいですね。また、こちらの建物、ちょっと変わっていますね。お店なのか個人の住宅かちょっとわかりませんでした。東京にも色々な街がありますが、麻布・広尾あたりも雰囲気ありますね。【了】人気ブログランキング有栖川宮記念公園界隈(その6) インターナショナルスクール
2019年07月17日
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有栖川宮記念公園の中にあるこの大きな建物は東京都立中央図書館です。有栖川宮記念公園の敷地を出て道路をはさんで、隣接してあるのが「麻布運動場」です。スポーツセンターとかちょっと洒落た名前ではなく、「運動場」と名乗っているのが歴史ある施設という感じがしました。ちょっと意味不明のオブジェがありました。麻布という土地柄ですかね。テニスを嗜む人も多いのでしょう。テニスコートは4面ありました。ナイターもできるようです。また、やっぱり野球場。軟式用みたいですが立派な休場ですね。サッカーでは野球というのも昔からこの施設があるからなんでしょうね。少年野球大会で優勝すると、こんなフラッグも作るんですね。結構、野球というか、日本でスポーツするってお金かけないといけないもんですね。むかしは、グローブ、バットそしてボールだけ持って、そこらへんの空き地で好き勝手に、一本足打法の真似とかしてやってましたが、平成から令和の時代になると、ちゃんとした指導者の下で野球するようになったんですね。【つづく】人気ブログランキング有栖川宮記念公園界隈(その5) 麻布運動場
2019年07月16日
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有栖川宮記念公園には、有栖川宮熾仁親王騎馬像以外にも銅像がありました。これは、新聞少年の像です。「ぼくの名前を知ってるかい。朝刊太郎と言うんだぜ?♪」という昭和40年(1965)の歌謡曲「新聞少年」のヒットを記念して建立されたというのではなく、新聞の戸別配達制度を担い、国民生活の生活を支えてくれる新聞配達ことを顕彰するための銅像です。MoMo太郎も子供の頃、祖父から「新聞配達でもして、家にお金を入れろ」とよく言われたことを思い出しました。これが「新聞少年」の歌です。山田太郎とい芸名、なんかいいですね。こちらの芝生のある広場にも銅像がありました。笛吹き少年の像です。なぜか裸で笛を吹いています。しかし、笛を吹く少年というと、やっぱりこれですね。【つづく】人気ブログランキング有栖川宮記念公園界隈(その4) 新聞少年の像
2019年07月14日
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南部坂に面した公園の広場の入り口近くにあるのが、有栖川宮熾仁親王騎馬像です。有栖川宮記念公園という名前からして、有栖川宮と関係していることは想像できますが、この銅像となっている有栖川宮 熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう)とは、どのような方だったのでしょうか。詳しくは、Wikipedia(→→→こちら)などを参考していただければいいのですが、簡単にいうと、17歳のときに当時6歳の皇女和宮と婚約しましたが、のちに和宮は「公武合体」の目的で14代将軍家茂と結婚させられました、(それが原因かどうかは不明ですが、)明治政府の総裁となり、徳川幕府打倒の戊辰戦争では東征大総督に就任して、江戸城を無血開城させたということです。そんなわけで、こんな騎馬姿の銅像が建立されているのでしょうね。【つづく】人気ブログランキング有栖川宮記念公園界隈(その3) 有栖川宮熾仁親王騎馬像
2019年07月13日
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有栖川宮記念公園がある地形というのは、東側の高台から西南側の低地に向けて大きく傾斜した地形となっています。そして、公園の敷地は江戸時代に陸奥南部藩下屋敷があった場所だそうです。そのため有栖川宮記念公園の南外囲に沿って東に上る坂は南部坂と呼ばれています。この南部坂、結構勾配が急ですね。そして、この写真が南部坂を登りつめたところにある有栖川宮記念公園には入り口です。銘板の文字が右から書かれたいるので、かなり古くからあるのでしょうね。この入り口から入ると、公園の広場があります。広尾、麻布付近に住む子供たちにとっては格好の遊び場のようです。こちらは広場の奥に建立されている記念碑です。記念碑の前では子供たちがトレーニングしていました。この記念碑には、この公園の来歴が記されていました。【つづく】人気ブログランキング有栖川宮記念公園界隈(その2) 南部坂
2019年07月10日
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渋谷区広尾までやってきました。オシャレな町が似合わないMoMo太郎。港区南麻布エリアにも突入してみました。やってきたのは、30数年ぶりかも。ということで、標識にある「有栖川宮記念公園」(→→→こちら)へ行ってみることにしました。有栖川宮公園前にある「ナショナル麻布スーパーマーケット」です。1962年から営業しているスーパーマーケット。日本に住む外国人向けのスーパーマーケットとして有名です。だだし、外国人といっても、技能研修生として来日して技能の習得よりもの日本語の習得に励み、帰国してから日系企業に就職を考えている方や、東京福祉大学(→→→こちら)に入学して行方不明なった方はおそらくここへは買い物に来られないでしょうね。MoMo太郎も昔、祖父に頼まれて、ここへサーティワンアイスクリームを買いに来たことがあります。土地柄、外国の方も多く住んでいるようで、公園の案内図を金髪の子供が眺めていました。公園の中はこのような日本庭園の大きな池があり、都心にある公園とは思えない閑雅な佇まいです。この池に流れ込む渓流があり、自然を残した趣向が取り入れられていました。こういう木橋をありました。この木橋の上流は緑深い渓谷となっています。そして、その上流は滝となっていました。このような庭園が無料で楽しめるというのは、やっぱり港区ってすごいですね。【つづく】人気ブログランキング有栖川宮記念公園界隈(その1) 都心の中で渓谷を味わう
2019年07月09日
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広尾散歩通りを歩いてみました。向こうに見えるのは、広尾って、みんなが知っている東京タワーが見える町だったんですね。亀戸天神の前にあるくず餅で有名な船橋屋(→→→こちら)のお店もありました。こういう場所で食べるくず餅もいいかも。こちらには、銭湯が。広尾にも銭湯があったとは不思議な感じ。案外、庶民的な生活を送っている地元の人が多いのかも。外苑西通りに出たところ、明治屋ストアがあるあたりで広尾商店街は終わります。そして外苑西通りを渡ると、そこは港区麻布のエリアになります。ちなみに、この交差点、近くに川も流れていませんが、「広尾橋」という名前でした。おそらく、地形から見て、この外苑西通りは周囲に比べて低くなっているので、本当は川が流れていたのかもしれませんね。【了】人気ブログランキング恵比寿から広尾へ(その4)銭湯もありました
2019年07月04日
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明治通り沿いにある郵便局と一緒になったコンビニです。一階がセブンイレブン、地下が郵便局になっていました。そのコンビニの横の道が、広尾商店街です。愛称は「広尾散歩通り」だそうです。商店街ですが、ちょっとお洒落なものを扱っている店が多いですね。【つづく】人気ブログランキング恵比寿から広尾へ(その3)広尾散歩通り
2019年07月03日
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恵比寿から広尾に向かってブラブラと歩いています。このあたり、なかなかオシャレな建物が多いですね。いつも見慣れたセブンイレブンも、なんとなく目立たないような外観ですね。恵比寿社会教育観。公共施設も落ち着いた外観がいいですね。昭和9年(1934)3月に完成した橋がありました。新豊沢橋という名前です。新豊沢橋を下流側から見たところです。下を流れる川は渋谷川です。この橋を境に恵比寿と広尾に別れています。【つづく】人気ブログランキング恵比寿から広尾へ(その2)新豊沢橋
2019年07月02日
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恵比寿から広尾まで歩いてみました。ここは近くにあった加計塚(かけづか)小学校です。恵比寿にありながら加計塚というのは、恵比寿と言う地名は、ヱビスビールの工場があったことからついた地名で、それ以前は、この辺りは欠塚(かけづか)と呼ばれていたそうです。そして、それが転じて加計塚となったそうです。ちなみに「東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス」(→→→こちら)によると、この小学校の場所に加計塚古墳という円墳があったようです。フェンスにこんな注意書きがありました。帰宅困難者は、渋谷区立の小学校や中学校は利用できないそうです。帰宅困難者となったら会社にとどまるか、自力で自宅に帰らないといけないということですね。こんな会館もありました。日仏会館は下の写真のような建物です。日本とフランスの文化学術の交流と振興を図ることを目的に設置された施設だそうです。フランス料理店ではないようですね。【つづく】人気ブログランキング比寿から広尾へ(その1)帰宅困難者は小・中学校に避難できません
2019年07月01日
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恵比寿ガーデンプレイスに行ってサッポロビールの本社を見ましたが、サッポロビールというとお正月の定番スポーツ、箱根駅伝のスポンサーですね。そして箱根駅伝のスタート・ゴール地点といえば、大手町にある読売新聞社前。そのゴール地点に設置されている「絆の像」です。これは、90回目を迎える東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)を記念したモニュメントで、平成25年 (2013) 11月に除幕されたブロンズ像だそうです。この像の右側には歴代優勝校のプレートが一覧に飾られ、下側に「箱根駅伝の歴史」と「大手町と箱根駅伝」の説明が記されています。人気ブログランキング箱根駅伝 絆の像
2019年06月27日
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恵比寿という地名は、日本麦酒醸造(のちの日本麦酒→サッポロビール、現・サッポロホールディングス)が目黒村三田(現在の目黒区)、渋谷村(現在の渋谷区)にまたがる地帯に設立した工場で「ヱビスビール」を製造し始めたことから、「恵比寿」という地名になったそうです。もともと「えびす神社」があったというわけではないそうです。そして、この建物が、サッポロホールディングスの本社だそうです。また1959年(昭和34年)、ヱビスビールの名にあやかって西宮神社(兵庫県)の恵比寿様の分霊を勧請され、恵比寿神社が創建されたそうです。さて、ガーデンプレイスに設置されている銅像です。こちらは、凛々しい男性ですね。シンボルもなんとなくありました。こちらは、女性像?手にした玉は、性転換手術して抜き取った、あれではないかと、変な想像をしてしまいました。【了】人気ブログランキング恵比寿ガーデンプレイス(その5)ビールはサッポロのヱビスかな
2019年06月25日
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広場では、丁度、この日はレモネードスタンドの日(→→→こちら)というイベントが開催されてました。レモネードスタンドとは、レモネードを売って、それを小児がん対策ための寄付をもらうというイベントです。こちらの子供は、このイベントの主催者代表ということで、小児がんから回復し、この運動に取り組んでいるという健気な少年です。大人が、こういう健気な子供を利用してお金を集めるというのは、昔でいえば越後獅子、今ならば児童労働という図式ですね。また、こういうチャリティーの団体の収支報告なんて、公表されているのでしょうか? 寄付したお金はちゃんと小児がん治療の研究資金に回っているのでしょうか?そんな疑問もあって、こういうチャリティーには距離を置くようにしています。【つづく】人気ブログランキング恵比寿ガーデンプレイス(その4)レモネードスタンドの日
2019年06月24日
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折角、恵比寿ガーデンププレイスまで来たので、ガーデンブレイスを見て回りました。もともと、恵比寿ガーデンププレイスはサッポロビール工場があった跡地を再開発して1994年(平成6年)に開業したところです。その案内図これです。 サッポロビールの本社、オフィスビル、ホテル、百貨店、東京都写真美術館のほかタワーマンションなどの施設もあります。そして、この坂道を下って行くとガーデンプレイスの中央付近にある広場になります。広場には屋根もあって、風がなければ雨天でも濡れずに利用できるところです。 広場では、毎週日曜日にはマルシェが開かれているようです。結構な人出で賑わっていました。【つづく】人気ブログランキング恵比寿ガーデンプレイス(その3)マルシェ
2019年06月23日
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恵比寿ガーデン・プレイスにやってきたのは、ここでヱビスビールを飲みたかったわけではありません。また、三越でお買い物したかったわけではありません。ここ「東京都写真美術館」(→→→こちら)で上映されている。二宮金次郎の映画(→→→こちら)を観に行ったのです。6月1日~6月28日まで、上映されています。なかなか面白い映画だと思いますので、観ていただければ本当の二宮金次郎の業績が理解できると思います。こちらが、東京都写真美術館の入り口です。二宮金次郎の像は、むかしは全国の小学校にありましたね。それ以外にも農村復興に力を注いだ彼の姿は福岡県久留米市荒木町にある耕地整理事業記念にも飾れていました。耕地整理事業とは、農地の区画を長方形の形に整えるだけではなく、農地を開墾したり灌漑用水も整備したりするものでした。まさに農村を振興させるには必要不可欠な事業でした。【つづく】人気ブログランキング恵比寿ガーデンプレイス(その2)東京都写真美術館
2019年06月22日
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久しぶりにやってきました、「恵比寿」。東京メトロ日比谷線の恵比寿で降りて、JR恵比寿駅の西側に向かいます。この長いエスカレーターを登っていきます。そして、この動く歩道の「ヱビス・スカイ・ウォーカー」を進みます。そして、ここ「恵比寿ガーデン・プレイス」につきました。こんなタワーマンションに住んでみたいですね。恵比寿ガーデン・プレイスに行く前に、この橋があります。もともとはアメリカセントルイスで1904年に開催されたセントルイス万国博覧会に展示されていたものであった橋を、1906年(明治39年)にこの地に架設したことが由来だそうです。ちなみに橋は1970年(昭和45年)に改築されているそうです。 これがアメリカ橋です。アメリカ橋の下は、JRの線路です。【つづく】人気ブログランキング恵比寿で映画を観てきました(その1)
2019年06月21日
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御茶ノ水に行くとちょっと訪れてみたくなる場所が、ここ駿河台の高台にある「ニコライ堂」ですね。ニコライ堂と呼んでいますが、正式には「日本ハリストス正教会教団東京復活大聖堂」という名称だそうです。ニコライ堂と呼ばれるようになったのは、日本に正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭(のち大主教)聖ニコライに由来するのだとか。「正教」とは、「正しい讃美」「正しい教え」を意味するギリシャ語の「オルソドクシア」からきており、英語では"Orthodox"(オーソドックス)となるそうです。そして、正教会は一カ国に一つの教会組織であり、自身の歴史を1世紀の初代教会にさかのぼるとしているのだとか。また、ハリストスとは、中世以降のギリシア語の発音(フリストス)を基にした教会スラヴ語・ロシア語での発音に由来するそうで、日本ハリストス正教会において使われる表記だそうです。 正式名称は「東京復活大聖堂」は英語で" Holy Resurrection Cathedral in Tokyo"のことであり、イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の復活を記憶する大聖堂という意味になります。さて、教会の中に入ってみましょう。建築の様式は、ビザンチン式が基本で、壁が厚く窓が小さく、中央にドームがあり、外からみると壮大で堅牢です。細かい部分にイギリスのロマネスク風やルネッサンス式が巧みに取り入れられています。建物の大きさは、高さ約34.5メートル、鐘楼の高さは約37.7メートル、建坪は約1,050平方メートルだそうです。このニコライ堂は、1891年に竣工しました、また、関東大震災で大きな被害を受けた後、一部構成の変更と修復を経て現在に至るそうで、太平洋戦争の空襲でも焼けなかったそうです。そして、1962年6月21日、国の重要文化財に指定されています。聖堂内見学には300円の献金が必要で、 聖堂内の撮影は禁止となっていますので、外観だけしか紹介できませんでした。 あしからず。人気ブログランキングニコライ堂
2019年06月20日
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都バス早81系統で、飛ばしてやってきました。私立大学の雄、早稲田大学。ちなみに、MoMo太郎は早稲田大学とは全く関係がありません。そして早稲田と言えば、この大隈講堂ですね。むかし、受験雑誌なんかでよく見ました。早稲田大学校歌の石碑です。こちらは、創始者の大隈重信の銅像です。こちらは、早稲田大学歴史館というところに飾れたていた、正装した大隈重信像です。近所で息子さん達を早稲田にいれたおばさん、自慢していましたね。きっと、東京の人にとっては早稲田って特別な存在なのかな。人気ブログランキング早稲田の森
2019年06月15日
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中央線の千駄ヶ谷駅近くの外苑西通りにほど近い場所にある佐藤美術館(→→→こちら)で開催されている「日本画の多様性」という展覧会に行ってきました。新宿御苑などに近く、閑静な住宅街(といってもマンションが多いのですが)の中にある美術館で、ちょっと小規模な美術館でした。また、この展覧会で展示されている作品は、撮影OKとなっていました。この作品などは、日本画らしい題材を描いていると思いました。【作品名「桜月」 作者:石崎昭亜】 こちらの展示会場に飾られていた日本画は、こんな可愛い女性が描かれていました。【作品名「月の汀」 作者:北田克己】 芸術とは縁のないMoMo太郎には、日本画と洋画の定義はよくわかりませんが、日本画というのはさっぱりとした和食のような味わいで、洋画の脂ぎった絵よりももいいなと感じました。洋画って油絵具を使っているので脂ぎったみたいに感じるのでしょうか?【作品名「花結び」 作者:北田克己】佐藤美術館を出ると、丁度、早稲田大学正門前へ行く、都バスを見かけたので、これに乗ってぶらりと早稲田大学に行ってみることにしました。人気ブログランキング佐藤美術館で日本画を鑑賞
2019年06月14日
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都営地下鉄大江戸線の国立競技場駅です。大江戸線の駅って、こういう壁画があるのが多い気がしますね。また、壁面にはこんな装飾もありました。ちょっと文字みたいですが、ちょっとわかりにくいですね。ラーメンの丼にある模様みたいですね。これは、中国・周王朝時代の金石文だそうで、「投・打」「歩・走」「揚・泳」「跳・蹴」「射・飛」のペアになって装飾されているそうです。 というようなことが、下の写真の解説文にありました。スポーツをする場所である国立競技場にふさわしい装飾ですね。人気ブログランキング国立競技場駅
2019年06月13日
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湯島聖堂に行ったら、やはり、文京区湯島三丁目にあるここ湯島天満宮(通称は湯島天神)にもお参りしましょう。両方とも学問に関係する施設ですから、やはり文京区にふさわしいものですね。石柱には、府社湯島神社とあり、まだ東京都が東京府だった頃は、湯島神社と呼ばれていたのですね。古来より学問の神様として知られる菅原道真公を祀っている、江戸・東京における代表的な天満宮として、信仰を集めていた神社です。こうやって見ると、正面屋根の三角部分、いわゆる「妻」と呼ばれる部分が大きいですね。この建物は、社務所で、御朱印を貰いたい人は、ここに初穂料を添えて申し込むようです。御朱印が流行っているのか、結構な人が並んでいました。こちらは夫婦坂と呼ばれる坂で、春日通りから湯島天満宮へ行くときに使う、いわゆる裏参道のようですね。夫婦坂の脇にある湯島天満宮の石柱です。人気ブログランキング湯島天満宮
2019年05月18日
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湯島聖堂とは、文京区湯島一丁目にある史跡です(→→→こちら)。JRの御茶の水駅から聖橋を渡れば、すぐのところにあります。この門は「入徳門(にゅうとくもん)」。入徳とは、朱熹の「大学章句序」「子程子曰、大学、孔子之遺書而初学入徳之門也。」にちなむ名前だそうです。この門は「杏壇門(きょうだんもん)」。杏壇とは、山東省曲阜にある孔子の教授堂の遺跡のことだそうです。湯島聖堂は幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」のことで、この学問所では、数学や理科、医学などを教えるのではなく、孔子の打ち立てた儒学を学ぶところだったのですね。この建物が「大成殿(たいせいでん)」。大成とは、孔子廟の正殿の名称のことで、「孟子」万章下「孔子聖之時者也、孔子之謂集大成、集大成也者、金聲玉振之也。」に基づくものだそうです。大成殿の内部です、中央の神龕(厨子)に孔子像。左右には四配として孟子・顔子・曽子・子思の四賢人を祀っているそうです。人気ブログランキング湯島聖堂
2019年05月17日
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二年に一度の神田祭で賑わう神田明神。その神田明神の裏参道です。蔵前橋通りの方から神田明神に登っていく階段になっています。石柱で裏参道とありますが、ちょっと見落とすかも。ということで、判り易い立て看板もありました。この時期は神田祭ののぼりがあるので、ちょっとわかるかもしれませんね。こちらの馬は、神田明神の神馬(しんめ)、神幸 ( みゆき ) 号。ボニーで愛称は「あかりちゃん」だとか。神馬とは、神が騎乗する神聖な馬のことで、はるか昔から祈願の為に馬を奉納する習わしがあったらしいのですが、時代とともに等身大の馬の像や絵馬などに置き換わっているのですが、伊勢神宮をはじめ、日光東照宮など格式のある神社では、今でも神馬が飼育されているみたいです。人気ブログランキング神田明神 裏参道
2019年05月11日
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深川ギャザリアには、集まった人たちのために、四季折々の緑や花を楽しめる散歩道が造られています。というわけで、この季節にはやっぱり「ツツジ」ですね。そして、これは、札には「フクジュソウ」と書かれていましたが、どうみてもこの花の名前は「シラン」、つまり紫蘭ですね。名前はともかく、都会の真ん中で、花をみつけるとちょっと心が和むものですね。【了】人気ブログランキング深川ギャザリア(その2)
2019年05月05日
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東京メトロの木場駅近くにある「深川ギャザリア」は、先進の機能を持つオフィスビル群とショッピングセンター、そしてレストランなとが集まった、下町の中にあるオアシスみたいなエリアです。ギャザリアは、GATHER(集まる)+AREA(エリア)+IA(国や地方を表すラテン語由来の接尾語)からなる造語だそうです。そんな人が集まる場所だからこそ、花と緑の彩りと憩いの庭園がありました。そして、そんな人たちのために、移動販売の店も出ています。また、イベントも開催されていて、なんと東京消防庁からの地震体験車も来ていました。【つづく】人気ブログランキング深川ギャザリア(その1)
2019年05月04日
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両国にある安田庭園から見える東京スカイツリーです。人気ブログランキング安田庭園から見えた東京スカイツリー
2019年05月03日
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