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マウイへの 3日間の旅。オアフに戻り 今 全てが色褪せて見える。マウイフィーヴァーにかかったらしい。
2007年04月26日
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最近 アメリカ本土では 蜜蜂たちの 原因不明の死が 深刻な問題になりつつある。蜜蜂が 花粉を 運ばないと 畑の作物に 実がならない。全ての作物が 蜜蜂の 花粉の交配に 頼っているわけではないと思うが それにしても 死そのものの 原因が 判明しないので 今の所 手のうちようがない。検査による所では 一匹の 蜜蜂から 数種類の 病原菌が 発見されるのが 特徴らしい。どうして 一度に 数種類の 病原菌におかされるのだろう?これはあくまで 私のカンだけど 遺伝子組み替え操作による 作物の 花粉や 密と触れる機会の多い 蜜蜂たちの 免疫システムが ついに 異状を来したのでは?と思った。あんなに小さな身体だから 短時間で反応がでるのでは?とも思った。最近 ここオアフ島の ノースショアの 2,500エーカー(1,000ヘクタール)の土地が遺伝子組み換えプロジェクトによる 試験畑として 買い取られたというニュースを聞いた。実際のところは 小さく区画分けして 一般の農家へ 貸す方向だという話しも聞いた。つまり借りた人たちは そこで何が起こっても なにも言えなくなるし 反対運動にさえ 参加できなくなる。つまり お金の コントロールが そこにある。誰が そのプロジェクトに来て欲しいのだろう?土地を売った人(お金関係)と 税金を徴収できる ハワイ州(お金関係)だけが彼らが やってくる事に賛成だ。その 会社の目的は アメリカをあるいは 世界中を食糧難にし マーケットを独占したいのだろうか?私は この先 日本で 無農薬農家を 営む人たちの声が 世界に届く日が来る日は近いと思っている。チベットの お坊さん(お医者さんでもある)が 言っていた。食料は 薬でなければならない。薬は 食料でなければならない。そうして 私達の身体は 安全に 癒される事が出来る。医食同源。そんな言葉のある アジアの 人たちの知恵が 加速的に 世界を巻き込む事を 夢見ている。
2007年04月07日
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だった事さえ 忘れて 鼻水が流れ しゃがれ声の状態で 仕事してました。 耳の炎症から始まったこの症状 風邪のようですが 感染性の風邪とは また別のもの(と思っている)本来 完治するまで 仕事に 出ないのが プロなのですが 税金申告のこの時期 そうも行かず 訴えられたら 保険でカバーするということで 出勤。今回の 税金 何を思ったか 年度末に 割出された 税金金額を 今年度 分割で払うという かなり 大胆で 個人的な 大勘違いをしていたために 本来 年収を 見越して 概算を 数ヶ月おきに(経営者などの場合)おさめる システムを すっかり無視。思い起こせば それらしき 手紙が 税務署から 2度ほど来ていたのにも 関わらず それも 大勘違いで 前年の 支払い後の 行き違いの手紙だわと 破り捨てたのだけは 覚えている。ちなみに こちらでは 申告と言わず タックスリターンというのが 呼び名で それもそのはず 見越した 年収が 実際より 高ければ 当然 税金も 支払い過ぎという 処理をする事から タックスリターンなのだと 今の今になってわかった。仕方がない 自営業になってから まだ 一年半。亀の歩みで 学んでます。その税金の結果が エイプリルフールで あって欲しかった。来年は 戻って来る 申告をしたいと思う。なすが ぐんぐん育っている。花が次々と咲き ハイブリットと 名のつく 苗らしく 成長も早く けれども こんなに実をつけると 木がどこまで 持つのやら。花を 咲かせすぎる 木は 老いが 早いと 聞いた事がある。人間は それとは 逆の 構造かもしれないと 思った。テストで植えた イチゴも なんとか 実になって来た。トマトも この頃の日差しの強さに 赤く色づき始めた。しかし 今夜は また 冷え込んでいる。今年の ハワイは どうしたものか 寒い日が いまだに続く。夏が恋しい!
2007年04月02日
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ついに ノースショアで 無農薬農家を 始めました。せっかくまめに こちらのブログを 更新できると 思い気や畑に出ると 時間も忘れ ブログの更新は後回しです。またまた サボリ気味になります。そのうち 少し形になったら 畑のお話でもします。
2007年02月06日
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仕事で 疲れて 眠かったはずなのに 二時前に 目が覚めて 寝付けずパソコンを 開く。導かれるように smile windさんの ブログから 彼女の もうひとつのブログ 自然の写真集に たどり着いた。光が テーマの 美しい 写真の中に 天使を 見つけながらなぜだか 前の日記を たどっていた。11月11日の所に 六ヶ所村と 言う文字が見えて 手が止まる。ハワイへ 引っ越す前の数年。私は そこで 暮らしていた。一日に3回波乗りをし 冬には 白鳥がやって来る 尾駮沼の 近くに住み夜は 飲食店で 働いていた。 秋には サケが 川を上り 年に数度 イワシが 浜に 打ち上げられ近くには かなり質の良い(味も)ニンニクや 長芋を 日本中に 送り出す農家があり 米の産地でもある。私が住んでいた頃は 核廃棄物処理工場の建設が 間もなく終了すると言われていた。夜 お店に来る お客のほとんどは 工事現場で 働く人たちだった。北海道から 沖縄まで 日本中から かき集められた 労働者たち。その中には 銀行の金庫の扉を 専門に作る人、潜水工事士などもいた。その頃は 工場の排水、排煙のために 建設されていたと思っていたパイプや 煙突が 実は 廃棄物投棄の 目的だったと 彼女の 日記から 知った。煙突をどんなに高くした所で 海底のパイプをどんなに長くした所で 海流や気流に乗り 毒は循環して行く。どれだけの金額かは わからないけれど 建設費と人件費をかけた結果が 毒物廃棄工場として 世界へ向けて 毒を排出して行く。海底のパイプは 太平洋を向いてるはずで 北からのうねりは ここハワイにも来るのだから その毒だって ハワイへやってこないと 誰が保障できるのだろうか?原子力に 頼らなければ 本当に 日本の電気の生産量は 消費量に 追いつかないのだろうか?代替エネルギーと言われた 影には 実は そこから 一儲けしようとした人たちがこの工事を 途中で 終わらせることが出来ず ついには 毒物廃棄工場を完成させたのだろうか?どうして こんな大事なことが ニュースに取り上げられないのだろうか?一人の人間を 殺すと テレビでは 連日のように 同じ内容を 放送するのに大量の生物を じわじわと 弱らせ 殺して行く この工場の 運転開始がどうして ニュースに ならないのだろう?運転停止へ向けて 活動している人たちがいたら ぜひ連絡して 欲しい。
2007年01月31日
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ハワイ島で 10日間 キャンプや 乗馬を楽しんだ 友人が 昨夜 帰宅。冷蔵庫に 何もないと 電話が入り 遅めの ディナーに 招待。ズッキーニと トマトと バジルと マッシュルームの ガーリックソースパスタ。それと パパイヤシードドレッシングと ブルーチーズの サラダ。会話が 進むなり 一緒にいった 男友達の 愚痴が 始まる。今年の 私は もう そのモードを 単に 聞き流さない。その行為自体を 転換させることが 目標。それは 私のいる空間を 誰かの 吐き出す毒で 濁らせないためだ。で 友人に でもさ その人が 一緒じゃなかったら このトリップは 実現しなかったよね。じゃあさ ありがとうなんじゃないの?そこへ また 彼とは 特別な 関係には なれないと思うと 言いながら その理由を愚痴ろうとする。で だから そう思うんだったら そうしなくてもいいんじゃんと私。彼のことを 細かいことで 愚痴らなくても ただ単に 自分がどうしたいのか そのことは実行して 行けるはず。 問題は その彼にあるのではない。彼そのものを 受け入れられない 自分にあるのだから もう旅は 一緒にしないことだ。今年の 私は 波乗りも 違うけど この流れが 違う。通常なら 嫌だな~と思うことを 感謝しながら 見送れる。自分が 未来へと 向かって 歩いているのが 見える その未来は 明るい。 先日 急な 解雇の後で 私の人生に取って 最悪なことは なんだろうと 考えた。”8ftの パイプラインで ワイプアウトし 顔から リーフに 叩き付けられること”それが 答えだった。それ以外のことなど どうってことないと思える。自分の 泳いでいる 水の流れが 今年は 妙に 澄み渡っている。
2007年01月29日
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最近ハワイでは どの島も 遺伝子操作された作物を 作らない、買わないという動きが 一般に浸透しつつある。 日本では かなり以前からそうだし ヨーロッパもそう。 昨日 新しく出来た 農民による 作物の遺伝子操作反対の ためのDVDの試写会があり 以前サンタクルーズの パタゴニアに勤めていた 友人が指揮をとりながら 情報の反映に勤めていた。そもそも ハワイの農民には そのことに関しての知識が ほとんどなかった。 そこへ 本土から 大手の農薬会社が ハワイの土地で 農薬の 開発のための テストを始めた。 その後 その農薬会社は トウモロコシと 菜種の 遺伝子操作された タネを 売リ始め 代々引き継がれて来た 自然のタネを 持つ農家を 話しをでっち上げては 裁判にかけその人たちが 栽培 出来ないようにした。 その会社の関係者が 政治家になったり その会社に戻ったり した事実も 農民側の調査により 後になって 発覚した。 遺伝子操作された トウモロコシは 成長が早く どれも皆 同じ形をしている。そしてそれは 大量に 効率よく作れることから コストが下がりメキシコ市場を荒らしたこともある。 それで インドの たくさんの 農民が 生活して行けなくなり 集団で自殺するという事件さえ起こった。 ここハレイワにも 誰の所有かわからない土地に とうもろこしが 栽培されている。それらは どれも 同じ高さに伸び 成長が 著しい。サインには 飼料用とだけあるが 一体誰が 栽培しているのかは テロ行為を防ぐため 一般には 後悔しなくて良いように 決められているのだとか。 そこで どういう農薬が使われ どんなタネから 実を結ぶのか 住民の誰も知らない。 けれども そのトウモロコシの成長が以上なのは たくさんの 人が 話している。 日本では ラベルへの表示が 義務づけられているが ここアメリカでは そうではない。 つまり 消費者は 自分の口に入るものが 実は危険を潜んで いるかも知れないことを 知らずにいる。 ノースで 唯一 無農薬農業をしている人が コーンの栽培を 差し止められたことが 一番の打撃と言っていた。 日本でも 大々的に 減反政策が行われたことがある。 政府の倉庫に 米があまり過ぎているというのが 理由だった。家では 家族や親戚の分しか作っていなかったのに 面積から言って 減反するしかなく 親戚まで 米が回らなくなったことがある。産業のない 町に住む人たちにとって それは 田があるのに お金を出して米を買わなくては 行けないという 妙な結果となった。 何百年も 続いて来た タネは 生命力が 次の世代へと伝えられた証だ。それはそれだけでも 完璧だったのに どうして 遺伝子の操作をしなくては 行けないのかが 納得がいかない。 食物があり 人が生かされている。 人がタネを生かしているのではない。 それを勘違いすると とんでもないことになる。 これをきっかけに 少しずつハワイの農家に 関わって行こうと 思った。
2007年01月23日
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セロリ、人参、大根を 小さく角切り。皮をむいた ショウガをひとかけ 水に放り込んで湧かす。乾燥椎茸と 煮干しでだしを取り 野菜を煮込んで わかめをいれる。仕上げは みそで 味を付け 少しだけ 唐辛子を いれる。これが 最近の お気に入りの みそ汁。これを 炊きたての玄米に 納豆と一緒に 頂く。
2007年01月22日
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数ヶ月前から マッサージ学校の 経営者が 日本人に 変わったことを 何度かにわたって書いて来た。でも今回が最後。と言うのも 彼がついに 私の 解雇に 踏み切った。ハワイ州の マッサージセラピストや マッサージに 関する 経営の 法律の 中に個人契約において 解雇の 理由や 期限に 関しては 何の 表記もない。つまり いつ 理由もなしに 首に 出来るというもの。それでも 人と人のつながりの中で そういうことは まず起こらない。起こらない?それが起こった。休日に クリニックの 受付から どうして 来週から 2月末まで 仕事をしないのか?と問い合わせがきた。えっ?えっ?なに?詳しく 聞くと 私の予約表が 全て ばつ線で 埋まっているのだという。しかも 私に 連絡もなく。その彼女は すぐさま その線を 消した。その後 関係者に 電話を入れると オーナーのすぐ下で 校長の立場に ある人が翌朝 早めに ミーティングをしたいという。電話をくれた 彼女に 連絡して背後に 何か 大きな 問題が あるらしいから 元に 戻した方が いいよと言って そうしてもらった。もう だいだいの 見当は ついていたのだが オーナーが 私を 首に したいのだという。でも校長は 私が 生徒の時から 今まで ずーっと 私を 知っていて どうして オーナーが やめさせたいのか 正当な 理由が 全然 わからないという。オーナー曰く クリスマス前に 受付用に チョコレートの盛りつけをしているとき私が 00さんそんなことする人に 見えないですね~と言ったことが オーナーを尊重してないので それがいやで やめさせたいらしい。そのとき 私が 言ったことは これまで だれも そういうことを 思いつかなかったけどいいアイディアですねというものだった。 話しが 逆転している。つまり どういう理由であれ やめさせたいのに 私が その理由になるほどの 問題を 起こさないので ついには 話しをでっち上げて 追い出し作戦に 出た。学校を 買い取るほどの 大金持ちの 神経とは こう言うものだろうか?と疑問は多い。 しかも ここ数ヶ月 私に 何か 言うのに いつも 校長を 使って 電話をさせる。まるで 子どもだ。母親に 嫌いな子がいるから 行って何か言ってよ,僕のために~って言ってるみたい。本当に 経営というものに 真剣に 取り組んで来た人なのだろうか?言ってることは 全て 空回り。話しだけで 終わることが ほとんどで 形になっていかない。計画が 上手く 行かなかったことを 広告会社売上げNo.1の 女性を 呼び出して彼女が 泣くまで いびったり。マッサージビジネスは 何千万円の広告をうつのでなければ 広告によって 即利益を あげられるというのは 本当に稀。数ヶ月もまって 答えが 出始める。最初の頃 慌てず 時間をかけて やって下さいねと 言った 私の 言葉の 意味が 分かっていないらしい。 なんとか 私を キープしたい校長は オーナーに 頼み込みに 行った。それでもダメだった。そしてふと 2年も立って そのとき あ~彼女をやめさせるんじゃなかったと 彼が言っても もう遅いよねと 言って来た。クリニックの スタッフも 皆 ??????の羅列。誰一人 今回の 出来事を 理解できる人は いない。彼的に 嫌いな奴を 空間から 追い出すことに 成功した。 それは 彼が 収入を 失うことに つながっていることに 気付いていない。信頼は お金では 買えない。時間が 作って来たものだ。個人の つまらない感情も コントロールできずに その町の 住人と交流し 貢献して来た人を このような形で 解雇するのは 日本人の 経営者に ありがちなことなのだろうか? アメリカや ハワイの人が 経営者なら こういうことは 決して 起こらないと 私は 確信を 持って 言える。これも 何かの 縁なんでと言って 笑って オフィスを 立ち去った。言うことは 何もなかった。彼が 社長。彼の 決断は 絶対だ。誰の 胸にも わだかまりが 残ったのは 目に 見えた。数人の セラピストが 私の所にきて 自分たちは 安全だと思う?と聞いて来た。大丈夫だよと私は言った。あなたたちは 日本人じゃないから 問題にならない。数ヶ月前 もう一人の 日本人セラピストが 彼のオフィスで 頭を殴られたあげく解雇された。しまいには 裁判にもなった。私の前に 経理の 女性が 首になった。お金を 他人に 扱わせるのは もう信用できないらしい。 最初は 別の面をかぶり 手をすりあわせるかのように へらへらしていた。買い取りが決まったとたん 顔が 鬼になり 年配の 事務職を 解雇した。上手く 行かないことを 次々と 人のせいにしては 首にして 行く。憤りを 感じる周囲に(わたしのことなのに)昨日のことは そこに置いて 今を 生きるのが人生だよ。前に 向かって 歩くの 後には 歩いて 行かないよねと 言った。もしもこれが 日常の 日本に ありがちなことだとしたら 日本は 恐ろしい国だと思う。
2007年01月21日
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ぜんぜん 来てない間に 年が明けてしまいまいました。新着ないにも関わらず 立ち寄って下さった方々 大変ありがとうございます。新年 早々 部屋のカーテンを 縫いました。カーテンだけで 部屋の雰囲気が かなり変わり ハッピーです。そんな 些細なことに 気付かずにいたのだから よっぽど 別のことにエネルギー使ってたんだな~って 思いました。年が開け 仕事の流れも スムーズになってきました。元日以来 波乗りはそっちのけですが 仕事楽しんでます。この波が 少しおさまったら また 日記の更新したいと思います。皆さんの一年も ステキな日々の 連続でありますように。
2007年01月13日
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アップしてませんでした。掲示板書き込み、メール ありがとうございました。前回は 模様替の話しだったのですが 今月末に ビーチの家に 越す事が決まり 家具の色を変えたり ラップトップやプリンターにカバーを作ったりと 創作的な時間を 送ってます。毎日が キャンプのような 生活になると 思われますが 近所もほとんどいない 島の外れに近い場所での 日常は 今からは想像がつきません。潮の香りがして 波の音が聞こえて 夜空がきれいな事だけは わかります。家の前から パドルアウトして 波乗りできる事 釣りも 潜りも そこから エントリーできる事も わかる。でも どんなだろ?わくわく ドキドキの日々。
2006年11月09日
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もうすぐ 楽しみにしていた 机と本棚が 届く。これまで 何処に いつ 引っ越してもいいように 極力 モノを抱えることは避けながら やってきた。でも セラピールームを持ったことで 書類は 増えて行くし 欲しい情報をすぐに クライアントさんに伝えるためには 本の整理も必要。実際 この本棚と机は 私が借りてる ベッドルームに 設置予定。これで ホームオフィスもどきが 出来上がる。実際 仕事場スペースとベッドは 別々がいいのだけど そうも行かないんでそれなりにアレンジするつもり。色選びで 迷った、迷った。黒とマホガニーとアンティークホワイトから 選ぶのだけど無難は マホガニーでしょ?黒は 引き締まるし 粋だよね。なのに 最終決断で 久しぶりの 部屋へ戻ると 外から 入る光の強さと部屋の中のエネルギーが 眩しくて 白しかあわないと思った。まあ 最終的には 人魚の部屋になるんで 白でよかったのかも知れない。予定では あさって到着。ちょうど休みだから 組み立てて きれいにしといた所へ月末 戻ってきたいな~。ホームシックというより ルームシックね。あの部屋のエネルギー、気持ちいいんだよね。で 人魚の部屋だけど シダを置く。森の中の海がいいな~。(どんなだ~)で 壁にヒトデを くっつけて、、、、。後の飾り付けは 家具を組み立てて 実際に置くと 見えてくるね。人魚の部屋は 何かほかのものに 変わる気もしてきた。ダメだ、考えるとわくわくしてきて 眠れなくなる。 模様替えって 楽しい!
2006年07月18日
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脚はどこから 始まるのか。以前 ビーチで歩いている写真を 誰かが取ってくれたことがあるのだけれど一番下のあばらのあたりから 脚だね。で 昨日 泳いだときに ももの付け根のストレッチを 水の中でしばらくやった。ずーっと縮んでたんで 伸ばしてみました。そしたらね 陸に上がってから 足取りが軽かったです。風のように歩けました。もしかして 脚は はねにつながっているんですかね~?
2006年07月13日
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ことしの夏は 寒い。去年は 異常に 暑かったのに。朝一から 風の吹いてる日も多く うみは さざ波だっている。それでも 久しぶりに ワイメアベイへ 泳ぎに出かけた朝。水温の低さに からだ共々 驚きながらしばらく 潜行と浮上を 繰り返しながら 魚の群れを追いかけていた。太陽が なかなか出てこないので 今日はこの辺で帰ろうと思いながら かなりの浅瀬を はうように 水中移動していると横に ぬーっと現れて 一緒に動くものが 視界にはいってきたイーグルレイ。マンタの小ぶりなやつ。といっても私ぐらいのサイズ。まっすぐ伸びた 長~いしっぽ。ひらひらと ひれを動かしながら 私の はうスピードに合わせ 動いている。 あれっ? イルカに会うはずだったのに、、、、、、。ワイメアベイに来るたびに こんなおかしな出会いが必ずある。その場にいるはずのないものが どこからともなく現れて 私の視界にはいってくる。と こっちは勝手に 私に会いにきたんだと 判断する。で 私はしあわせになる。海の演出はいつもありがたい。私の毎日が ドラマティックに展開して行く。海へ 感謝の日々。
2006年07月11日
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最近は アンテナが 確実に 電波を キャッチしているのを 感じている。誰が 電話をくれるのか 誰が オフィスに たずねてくるのかそして だれが 私を 必要なのかが ヴィションに 飛び込んでくる。今朝早く オフィスへの道すがら ある人のことを考えていた。そして心がふと 彼女が 自分から やってくるまで 待ちましょうと言った。予約が入っていた 知人が 出かけてくるなり その“ある人”の話しを 始めた。 彼女は 最近痛みが ひどいらしいから マッサージに 来た方がいいよねと知人が言う。 私は “彼女から言ってくるまで 待っているんだよ”とだけ 答えた。早めに 家に戻る途中 交差点で 彼女を見かけた。後続車がいたので 止まれなかったが 彼女も手を振っていた。___________________________________________胸騒ぎに駆り立てられて 夕方 昨日のクライアントの家に電話をすると奥様が電話を取り 彼が 今朝 旅立ったと言った。朝方から 意識が そちらに向いていたのは そういうことだったのかとふと思った。生と死の間で 船を渡す 私がいるのだと いつも思う。まるでそれを 仕事とするために 生まれてきたのかと 思ったこともある。感傷に浸っているのでは無い。ただ あまりにも出来すぎた 人生の演出に 時々 はっとさせられる。昨日 たくさん 涙を流したから 今日は 少しだけで 止まった。絶妙なタイミングで 用意されてた わずか 1時間半の 出会い。そして 確かに 私は そこから たくさんのことを学んだ。 朝方 のどがいたいという彼に モルフィネを 服用させた 奥様。のどの痛みだけで 普通は モルフィネを 服用しない。その時が近いのであろうことを 今日になるか、明日なのかという気持ちで日々を迎えていたのだと思う。そういった 人の時間が 私の中で 経験として生きていく。昨日 彼が着ていた Tシャツには”魚釣りは 魚を釣ることが 楽しいというよりお父さんといられるということが もっと楽しい”と プリントしてあった。ファイルから クライアントフォームを 取り出す。日付と 電話した時間、会話を書きとり 旅立つと書き残して 再び ファイルに戻した。
2006年07月10日
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がんを患った 患者さんの マッサージを終えて 古くは サトウキビの町だったWaialua(ワイルアと発音するように、ワイアルアではありません)からWaikele(アウトレットで有名ね)のペットショップへ。Po'o hinaが トイレの後 激しく(彼女らしい)砂を引っ掻くんで 砂があちこちに散らばり ドーム型のトイレを買いに。ついでに 預かってる知人のサムくんの おやつも調達。同じ一角の ブックストアーで CD調達。ギフトカードがあったんで それで 5枚調達。夏は スタン ゲッツがいい。しかも アントニ オカルロス ジョビンのコラボ。そんでもって アストラド ジルベルト(カタカナ表記は難しい)が Desafinadoをポルトガル語で歌ってる。最近は このブックストアー、CDについてるバーコードをスキャンするだけでほとんど全てのCDを 視聴できるように システムを入れ替えた。(あれ?日本ではあたり前ですか?)チェット ベイカーは 先ず 視聴無しで 購入決定。というか にたような構成のCDを 日本においてきたんだよね。で どうしても Someone to watch over meを一緒に歌いたかったんでもちろん チェットくんと。はっはっは CDとデュエットです。それと Bill Evansの パリでのコンサート。拍手がはいってたら困るけど視聴した分には セラピールームでもながせそうな テンポです。後の二つは クリニック用に 癒し系の バッハとショパンの 演奏。Kevin Kernの ピアノ曲。スタンゲッツは しばらく視聴してました。で Corcovadoに曲が変わったとたん にやにやしてる自分に気づき思わず周囲を見渡した私。もうだめ、ブラジルなまりの 英語で "oh how lovely"なんて歌われると マジ” 全てがlovely ってな 気分になってくるから不思議。____________________________________________________マッサージが終わると クライアントは 目を開け 奥さんを 部屋に呼ぶ。奥さんが私に どうしましたか?と言いながら 部屋に はいってきたので旦那さんが 呼んでますって言ったの。そしたら クライアントは 奥さんに 彼女にお金をあげてというわけ。私は思わず笑いながら、”あれ?もしかして ずっと 支払いのこと考えたわけ? それじゃリラックスしてなかったってことでしょ?次回は 支払いは彼女に任せて マッサージを楽しんでと 冗談まじりに言った”ハグとキスをして 部屋を出て クライアントの奥さんと少しだけ話した。“彼はとても強いですね。リタイヤの前は何をされてたんですか”と私。奥さんは“コンストラクションと ハンティングを楽しんでた”と言いかけて少し涙目になった。私が 足のむくみに関して 今日は これと言って何をすることもできなかったことを伝えると、 “来てくれてありがとう。彼が気持ちよかったと言ってるのでそれで良かったです”と 笑顔で 言った。ハグと握手で その家を後にした。Waikeleにつくまで 私は泣きながら ドライブしていた。5月で 病院は 手をつくせるかぎり 全ての治療を終え ペースメーカを埋め込み お腹に貯まった水を 取り除く時以外は 家で過ごすことになったクライアント。つまりは 後どれぐらいという 人生の時間を 現在の身体のコンディションから 想定し 家族は その時を あくまで 目安として知る。ただ 彼の身体は それでも 深い呼吸を繰り返し パルスは ペースメーカーも手伝ってか とても力強かった。私は 彼の余命がどれぐらいかと言うことには 触れなかった。私は この先のことは どうでも良かった。今ここにいるこの瞬間。そこに存在する 命と向き合っていたかった。未来のことなど 知らずとも それを 見る日はやってくる。私の訪問を心待ちにしていたと 奥さんは 何度も言った。お腹に貯まった体液が 出口を探し 重力によって 足に貯まる。皮膚は張りつめ やがて破れた皮膚から 体液は 漏れだす。腕は いまだ 仕事をしていた 筋肉の名残を 残し やせた身体に 大きな手は 彼の これまでの 人生を語っている。涙が 止まらなかったのは そういうコンディションにある 彼のせいではない。それは クライアントと 奥さんの間で 愛がいまだ 強く続いているのが見えたから。Life is beautiful, because there is a love in between two people.キッチンに手を洗いに行くと 双子の3歳になる孫が(男の子)踏み台に上がってトースターにパン を入れている。もうお昼なの?自分で サンドイッチを作るの?と言ったら ”これはおじいちゃんのだよ”と言った。 みんなが 協力しあって 愛を注いでいる。Love is beautiful. それ以外 どんな言葉が ふさわしいだろう。そういうことが心からあふれてきて わたしの涙はとまらなかった。 ________________________________________________私は 確かに飛んだ。この 島の上空から見た景色は 細かいことはいろいろあれど美しいものだった。 そこには 静かに 愛を注ぎあう 家族の姿があった。そらには 真夏の雲が 浮かび 海の青がひときわ 輝いていた。Life is beautiful、 love is beautiful.私は 彼らとの出会いの中で たくさんのことを 学んでいると 思った。こころの中で 彼(クライアント)をよろしくと 彼の奥さんに言った。なぜなら 私達は この星にすむ 家族だから。
2006年07月09日
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昨日 久しぶりに 知り合いからマッサージしてもらう。かなり 疲れのたまってた 後だったんで 気持ちよかった。で 埃にまみれてた 羽も ダストオフして 今日は 大きく広がってます。今日は 休日だけど 朝一 がんを患った患者さんとのセッションで 出かけるほかは自由時間 なんで ちょっくら 羽を広げて 飛んできま~す。
2006年07月08日
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テレビも見ずに暮らして 一体どれだけの年月が流れたことか。それでも 毎日の暮らしに 支障はないし 余計な情報を 脳内に 垂れ流すこともないから 世情に 一喜一憂することもない。先日 久しぶりに 映画に行って (Broke up!) その中で ”どうして みんな Eーメールするかわかる?みんな 情報だけを得たいんだ。ほかの 面倒くさいことは抜きにして 素早く、答えだけ欲しいんだよ”という言葉が耳に残った。確かにそうかも知れない 部分もあるし 長距離電話するならメールの方が 読む時間も 送る時間も 選ばないから 便利だと言うのは私の場合ある。映画の流れから 言うと 人と人とのコミュニケーションについて 言いたいことがあったのだと思う。人の気持ちなど そうそう読めるものではないから 言葉にしていってもらわないと あるいは その表現も 遠回しではなく何についてそういってるのかということを 的確に 伝えるものでないと 勘違いから 気まずくなったりするということを 伝えたかったのだろう。私達は いまや 言葉抜きでは 生きられない 社会にいながらそういう問題が起こるのは 言葉あるいは 言葉の表現という教育が真剣になされてないからのような気もする。生まれて間もなく 聞くことによりそしてその後は読むことにより私達は 自然と言葉を憶えていくのだが そのプロセスが あまりに 自然に行われるために 表現するということに対しての方法論的なものを 両親も 学校も あえて 時間をかけて教育していない気がする。(今の 日本のことは あまりわからないから何とも言えないが、そんな気が、、、、)この表現ということが 実は 対人間と付き合う上ではかなり重要になってくると 思う。情報化の 流れの中で 流されてしまうのか あるいは言葉の表現ということに 関して 自分はどうであるかを 見つめ直すのは 大事なことだと思う。
2006年07月06日
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人間の体温は約36.5度を保つと言われている。この温度は体内の物質代謝に取って理想的なもので たとえ外部の気温が大幅に上下しても発汗や運動によって体温差は1~2度の幅に保ち続けられる。これをホメオスタシスと言うが この生命に特有の現象が地球レベルでも見られる。例をあげると、生命の生存に最も適した温度は 華氏60度から100度の間である。過去、大気の組成が急激に変化したり 太陽から受ける熱が大幅に変化したにもかかわらず、大部分の地球気温はつねにその範囲に収まって来た。(地域差はあったとしても)これは人体の体温調節を思わせる。現在の海水の塩分は、3.4%で それは、絶えず河川からの流入によって洗われているにも関わらず大幅な変化は見られない。仮にこの塩分が6%を超えれ ば、、海水中の生物は全て死滅する。しかもこの濃度は生命の血液中のそれときわめて近い。大気中の酸素の濃度は、生命の生存にとって最適の12パーセントに安定している。これが2~3%少なければ、大型動物や空を飛ぶ昆虫は活動に必要なエネルギーを獲得できなかったし、逆に2~3%多ければ 雷による火災で全ての植物が焼き尽くされていたと思える。 大気中には少量にアンモニアが存在し、これは硫黄や窒素の化合物と酸素との自然結合によって生み出される強力な硫酸や硝 酸(雷雨は大量の硝酸を生み出す)を中和するのに必要な量で その結果 雨や土壌は生命に取って最適なレベルの酸性度にとどまっている。 またよく知られるオゾン層は紫外線(とりわけ生きた細胞のDNAを破壊する)から地球の生命を守っているが これがまた身体の内部を保護する人間の皮膚にも見て取ることができる。以上はジェームス・ラヴロックのガイア仮説を引用したものですが そこから感じられるのは 私たち人間の身体と私たちの生きる地球という生命体がとても 似た働きをしているということ。命をつなげていくための調節を寝る間もなく行っているということ。私たちは毎日この大地の上に暮らし 幸せを感じたり笑ったり、けれども一体どれだけの人が地球という存在に思いを馳せているのだろうかと思います?最近の地球は私たち人間の作り出したとてつもない熱により 長期的に調節のための負担を強いられているような気がする。その反動が異常気象であったりす るのだと思う。私たちの暮らす空間がもしも受け入れがたいものに支配されるのだとするとその時あなたはどんな行動を起こすのだろう。もしもあなたの部屋が 毒の混じっ た空気によって支配され始めたとしたら? あなたの身体に度を超えた量のアルコールや身体が生産しないタイプのドラッグが入り込んで来たとしたら?それでも身体は なんとか生存して行くため、命をつなげて行くために 身体の全機能をフル回転させながら安定した状態へと調節して行くことでしょう。それは地球レベルにも見られることだと思います。この先は自分で例を挙げて見て下さい。そこには自己も意識していない 生命から(自分という存在も含めた)の愛を感じ取ることができるはずです。それは大きく私たち一人一人を包み込んでいます。そしてそれは常に私たちとともにいます。私はそれを愛と呼びます。それは生命の中心、 生命の誕生の原初にあるもの。地球と表現するとそれは遥か彼方にある何か遠い存在のように感じますが、裸足で大地に立つ時私たちは既に地球とコンタクトしているわけで それだけで はなく私たちはオゾン層という皮膚に覆われた地球と言う生命体の中の細胞かもしれないとふと思うこの頃です。
2006年06月29日
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自分の中に 海がある。小さな 水の粒子たちの 運動が 絶える事のない 流れを 繰り返している。私たちの 身体は 意識の中で 呼吸を繰り返し 心臓は 身体の隅々にまで血液を 送り出している。”Your body is a temple of God” ここハワイでは よく耳にする 言葉です。そういう意識が 自分の身体 あるいは他人の身体をも 尊重する事につながると私は思います。そして 自分の内側に 意識を向ける事が 自分の心と 身体に どれだけ良い影響を及ぼすのかは そこにいる自分が 既に知っているはずです。自分に取っての ”Quality Of Life”を 見つける旅を 始めませんか? ”真実のところ、悪は自分自身によって、なされるのである。 人は、自分自身によって、汚れる。 だが、自分自身によって、悪を避ける事もできるし、 真実のところ、人を清めるのも、自分自身なのである。 純粋であるかは不純であるかは、その人にかかっていて、 他人を清めることなど、自分以外の誰にもできない ” ブッダの言葉 マルク・ドゥ・スメト編
2006年06月29日
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犬は 道ばたに落ちている ほかの犬の 残した過去を 食べる。食べるというよりは 口のなかに 隠しているかのよう。”みたくないんだ、他人の(って犬だけど)残した 痕跡なんか。ここは 俺のテリトリー。誰もみてないよね。ここには 他犬の 過去など なかったんだよ~! パクっ”ってなことで 過去は見事に消され 他犬は そこに存在しなくなる。他犬の 過去と未来を 内包した Samは 自分のテリトリーを 拡大し何事もなかったように悠々と歩く。そして やがて 自分のそういう過去を 芝生の上に落とし 私に事後処理させ家路へと向かう。お願いだから しばらく 舐めないどいてくれる?私のこと。
2006年06月27日
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最近は よく歩く。友人の家に 友人の犬と 少しの間 同居しているので 彼を 散歩に 連れ出すのに 歩く。で そのとき 思った。うんちや おしっこは 過去なんだ。水に流そうという 発想も何だか ぴったりではないか?で キッチンで 目の前にある 食材は 未来。私達は 未来を 口にすることで その未来が 身体を 作り上げていく。 それも口にするものにより 身体表面の 感触に違いが見られたりする。だから 繊細な人には どんな未来を口にしたのか わかることもある。その食材自体も 調理によっては形を変えていくので 未来は 流動的だ。未来を 口にして 過去が でてくるのだから 順番としては 逆のように 見えるけど 人生だって もしかしたら 私達は 過去を たどって 未来に向かっているのかも 知れない と思うこともある。消化作用は 現在。消化酵素の働きなどにより 体内に 吸収されるものと 必要で ないものが排出されるのと。余計な物は 抱え込まない方が いいというのは こういうことかも 知れない。体に悪い。犬の散歩も 捨てたもんじゃ ないっす。
2006年06月26日
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タネをまく。待つ。芽が出るのを待つ。芽がでない時は 再びタネをまく。別の時期、別の時間、別の場所。あるいは 同じ時期、同じ時間、同じ場所。待つ。芽が出るのを待つ。タネをまく。まき続ける。
2006年06月24日
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海水で 隔てられているように 見える大陸も 実は 底の底では 一続きに つながっている。私が あなたへの距離を感じないのは そう言うことなのかも知れない。そして 私達は 水の子供。振動しながら 遥か彼方まで旅をする。生物が 陸化していく段階で 肺呼吸をするようになり 身体の表面は渇いていった。けれども 私達は 水なしでは 生きてはいけない。身体内の あらゆる所に 水は浸透している。それは細胞のひとつひとつにまで。酸素は 血液(水分)と共に 身体内を循環し 二酸化炭素は その流れに乗って体外へと 排出される。血中から漏れだした タンパク質が リンパ液(水分)によって かき集められ再び血液内に 戻らないと 身体は 腫上がり そして 毒素を排出できないまま24~48時間以内に 死に至る。水分を失った 身体は いとも簡単に 壊れていくだろう。外側から見た 私達の身体は 立派に 陸化へと 進化したように見える。けれども 内側からのぞく世界では 私達は いまだ水に包まれ 命をつないでいる。私達は 本当に陸化を 遂げたのか?私達は 永遠に 水の世界を 去ることはない 水の子供たち。
2006年06月20日
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知り合いのセラピストから ビーチにいた私に 朝早く電話がかかってきた。“ラジオのステーション あわせられる?””土曜日に自閉症児のサポートグループが アラモアナでイベントをやるよ”残念ながらラジオの電波はハレイワまで 届かなかったのだが 電話で 連絡先を突き止めた。メインランドの本部にメールをして マッサージ券50枚を 参加した子供たちにあげるようにと寄付した。オフィスも決まり 願っていた通り子供たちがやってくる。ハワイでは クラニオセイクラルセラピーを知らない人たちが まだまだ多い。これをきっかけに 子供たちがマッサージやクラニオセイクラルセラピーを通して タッチセラピーを楽しんでくれたらいいな~と思っている。いつもながら こうして願いはかなっていく。すぐに聞き届けられることもあれば、少し時間を置いてのこともある。生きてる事は 流れに乗ってることなんだとつくづく思う。
2006年06月18日
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知人の友人が 日中 ドライブしていると フェンスに体当たりした フクロウを発見。か細く 息をしていたらしいが 召されていったそう。それが どういうわけか 知人の家に フクロウの羽が 棒に生地で 固定されて 瓶に立っている。 しかも 片方だけ 広がった形で。冷凍庫には なくなった フクロウの 身体が ビニールの袋に入って 冷凍食品とともに保存されていた。 満月の夜 バースストーン(Wahiawaの町のはずれにある)でセレモニーをするらしい。で 来る?って言われたけど 断った。羽は 希望を象徴する。セレモニーはいいんだけど 羽をそのままにしてあげれなかったのかな?と思う。チベットでは 人が亡くなると 鳥葬する。魂はもう既にそこにはいないからという。それは理解できる。自然に落ちた羽なら 私も拾うだろう。ただ 死んだからだから どのように 羽を切り取ってもう片方は どうしたのかもう聞く気になれなかった。何でも手に入れようとする 人間たち。たかが はねでも ハワイのフクロウにはいわれがある。彼らは 導くのだ。羽を失った フクロウは 果たして どのように 彼女たちを導くのだろうか?
2006年06月12日
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新しい名刺のデザインも決まり、地元新聞への広告も なんとか締め切りに間に合って明日は 久しぶり(4日ぶりにってこと)に 波乗り。朝 早めに出かけ(5時起き) 昼寝の出来る ゴージャスな日を過ごす。クリニックに来る クライアントに 学校の先生が 数人おられるので新しいオフィスのことを話し、子供たちが そのトリートメントの中心になることを今から お知らせする。話しをしていくと ドラッグに汚染されている子供は 意外に多い。それと 子供の自閉症。集中力のない子供たち。不眠の子供たち。ダイエット(食生活)もかなり関係している。アメリカの子供たちは 既にパックになってる食べ物を 一日に1~2回は 口にしていると思う。 親がそう言う食材を 簡単に調理する。炭酸飲料や人工色素入りの飲み物を口にする回数も 日本やヨーロッパの子供たちに比べるとかなり多いと思う。(私の時代という意味。今の日本は どうなってるのか全くわからない)プロセスフードとこちらでは呼ぶ。自分たちで 切ったり剥いたりして 作った料理が 少ない。ピザだけの 晩ご飯という子供たち、子供だけでなく親もそう。(それも宅配の油こってりの)親が プロセスフードですませてしまう。あるいは ドラッグに汚染されている子供は 祖父母と暮らしたり 養父母のもとで暮らしていたりする。そう言う子供が あちこちにいるから 驚きだ。他国を攻めることに あれだけの費用と 労働力とを使えるこの国の ボトムの現状はこんなだったりする。男は いまだ戦争に駆り出されてる。その兵士たちが セラピストとして訓練を受けられれば ボトムで苦しむ子供たちは 救われるのだと思う。病院勤めの 友人がメインランドの ある地へ 毎年サマーキャンプに行く。今年は 彼女の家を6週間預かることになり、そのキャンプの様子を 本で見ることが出来た。血液製剤で HIVに感染した子供たち。あるいは AIDS, HIVの 母親から生まれた子供たち。あるいは 家族の誰かが その病気である子供たちが 夏そこに集まる。ナースやドクターが ボランティアで 子供たちに接する そのキャンプ。毎年同じ子供たちが 戻ってくるらしい。戻って来れないとしたら それは もうこの世に存在してないことなのだという。音楽好きの友人は ギターとウクレレを持って出かけた。この国には 医療の現場で 働く若者の中に そう言う 粋な若者が 多い。身につけた 技術や知識を お金の存在しない世界で 分かち合う。もっとも 普段のお給料がいいので、6週間のボランティアでもどうってことはない。それでも 6週間 無給で 働ける人が 一体どれだけいるのだろうか?そう言うことは抜きにしても ピュアを感じる。そこに来る子供たちも そこで 子供たちと接する大人たちもみんなピュアなんだ。だからひとつになる。友人の友人に 鍼の先生がいる。治療代を 米一袋とか ニワトリ一匹とか バナナ一房とかで 払う患者さんたちがいるそうだ。先生はそれで 良いそうだ。たまに現金で 払われる時は 宝くじに当たったような気持ちと言っていたらしい。オフィスが 見つかったとき 私も似たようなことを 考えていた。もし物で 払われてもそれはそれでよしなんだ。そうして暮らしていける この町は まだ人間のペースなのだと思った。
2006年06月11日
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知人が 屋根から堕ちた。 偶然電話をすると その話し。腰を 打ったとかで 声が落ち込んでいる。ビーチに 張り巡らされた チェーンに 両足が 引っかかって転んだのを その数週間前に 目撃している。歩き方を見て 地に足がついてないと思った。ヒザから腰までが 固く狭い範囲で 動くばかりで その動きにヒザ下が 連結していない。波乗りを見ていても 板の上に 体重が 乗っていないように見え(ヒザから上が 中に浮き上がり ヒザ下を 引き上げてるように見える)上半身がぐらつきすぎて ワイプアウト気味。ちゃんと地に足がついてないのでは?と言ったら君は 人をなおす パワーはあると 思うか?と 言われた。そんなことは わからない。癒えるひとは、癒えていく。もしも施術を受ける側が 外と内の世界に開いていればタッチをわずかなきっかけとして 癒えていく様子は何度も見てきた。それが 私のその時の答えだった。その人は 数日前 サイキックパワーのあるおばさんにあって ”気をつけなさい。あなたは 堕ちるよ”と言われたという。彼は それこそが パワーだと言ってきた。私は ふと心の中で 痛い所があると すぐその場で 受けた私からの 数度のマッサージで その人は 何を感じたのだろう?コンディションが 繰り返すことにいらだちを感じたのか?それも生活習慣を 全く変えられないことに もともとの原因はあるのではないか?それは サイキックに頼らずとも 目に見える現象でありそれに 気付きにくいのは 自分自身を 見つめることが(身体的に)鏡でも目の前にないかぎり 難しいことだからだと思う。ただ 彼の言うように それだけが パワーと認められるなら現象を事前に 具体的に 把握できなかったことあるいは 事の起こった後で 痛みを軽減させる事さえ出来なかった事に果たして どれだけのパワーがあったのかは 疑問が残る。彼は そのおばさんの 読み取る力についての 体験について ほかにも数例を 語ってくれた。人は そう言う力に 惑わされやすい。その力の存在を 私は否定しない。なぜなら 私自身 人に触れるだけで 経験の 奥底に潜む 記憶がヴィジョンとなって あるいは 音を伴って 見える事がある。そして 私は それを科学的に証明できると思っている。以前 仮説で言ったように 感情は 振動となり 体内に伝わりそこに横たわる。皮膚のすぐしたのときもあれば 内臓の裏側のときもある。そして身体の70%水分。それは 内と外からの振動により 少なからず揺れている。その揺れが 同じ水分構成を持つ 私の身体に 振動によって伝わるとその振動が 私に その人の 体験したものを見せる。私達は たくさんの ほんとうにたくさんの歌を 記憶する事が出来る。 違った感情の振動の構成を それぞれのパターンにそって 読み取る事は(聞く)集中する事によって可能な気がする。ただ 私が 日常ほとんどそこに行かないのは 肉体に起こる痛みを肉体からアプローチする事は 当然であり 肉体のリリースは 時に感情や 精神のリリースも伴うため そこに行く必要は ほとんどないと思う。過ぎた事は 今に凝縮されている。未来は 今が作っている。私は サイキックを 否定しない。私は それをセンシティビティーと呼ぶ。感じ取る集中力。魔法のように 説明のつかないものではないと思っている。なぜなら 私達は肉体を持っている。そして その肉体の持ちうる 能力を 一体どれだけ わかっているのだろう?私が最近になって 科学にはまっているのは 実は 魔法と呼ばれるような事が体内で 日常ベースで 起こっているのではないか?と思えるから。それよりも 科学という言葉を 私達は あまりにも 特別視し過ぎ神経質になっているだけのような気がする。あなたが恋に落ちる時 そこには ケミストリーで 証明できるケミカル反応が 体内で 起こっている。”なぜだかわからないけど 胸がときめくの”というのも 科学的に説明していくと 違った意味で 私を夢中にさせてくれる。感情のコントロールが 難しいと思っている人。是非 科学の世界に足を踏み入れてみては?身体内で 起こる ホルモンの変化などにより自分の行動が 左右されている事がわかると 感情的な自分を 客観視出来て 楽しめます。Powerは 誰もが 秘めている。それは 人体が それ自身で 常に 正常に機能する 方向へと働く メカニズムを持っている事。意気消沈しても やがてそこから解放されるのも こう言った肉体の働きのおかげなのだと思う。身体様々と言った所か。
2006年06月08日
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新しいテキストに 脳性麻痺の ページがあり 読んでいたら"no cure"という言葉が かなりの インパクトを 持って 目に飛び込んできた。クラスメートと そのことについて 少し会話をし それでも ケースによって どのように日常を過ごせるかは それぞれだと言う所で 授業が 始まった。クラスが 終わると 先日から 私のプロジェクトに 興味を持っているという クラスメートが 帰り道 途中まで一緒に来た。そして別れ際、あなたは会うべくして会った人だと言ってきた。クラスの始めに 近い将来 自閉症児や 集中力の弱いことが 精神的なものから来ていると 判断されている子供(アメリカでは 精神医学の発達から 子供にありがちなこういう状態も 一種の病気として見なされている)あるいは 薬物中毒の 母親から生まれた子供たち そしてアルツハイマー病の人たちを対象とし クラニオセイクラルセラピーが どれだけ 症状の改善につながるかということの 調査を 始めることを 話した。クラスメートは 過去10年にわたり 学校で 障害児の指導や 学校でのケアを してきた女性だ。彼女にCST のワークショップを受けるように進めた。これで 同じ目的を持つもの同士が チームとして やっていける。最近 そのプロジェクトを 漠然と抱えたまま 立ち止まっている所に オフィスをシェアしてもいいという話しを 鍼灸師の女性から 頂いた。あとは 地元紙に 広告を打って 調査に協力できる人たちを 募るだけ。一部 保険の対象になると聞いたので 早速 保険会社と連絡を取り私を対象リストに載せてもらうことで 調査後 その保険を持つ人が 私の所へ来ると保険適応となる。帰り 40マイルの道のりを ドライブしながら "no cure"という言葉が 再び心に浮かんだ。”なおしたいのか?”と問いかける。”なおすつもりはない。ただ 植物が 光の方向へ向かって 伸びていくように身体も 外側に向かって 開いていくことは可能なのではないか?それは自然なことなのではないか?”と答える。たくさんの言葉が 生まれては 流れていった。きっと生きる力は 放射状に 外側に 向かっているはず。閉じた身体は 光を求めている。芽を出す瞬間を 待っている。私は それを信じている。帰り際 クラスメートに もしも脳障害で 身体がままならないのだとしてそれが 脳の30%の ダメージから来るとして 通常 私達は一体 脳の何%を 活動させてると思う?多くの部分は 眠ったままかいまだ解明されてないのかも知れない。だとしたら 30%ダメージを受けた 残りの70%が 活動したとしたらどうだろう?そこに可能性が 秘められてると 思わない?全ては 私の仮想に過ぎない。彼女が言った。今まで 歩くことも出来ず 腕も 胸の辺りで組むように縮んでいた子供の腕が プールの中へ抱きかかえて 連れて行くと少しずつ 少しずつ、外側に開いていったんだよ。私のヴィジョンには タネが芽を出す様子が、木の枝が広がっていくのが見えた。光に 向かって 伸びるんだ。それが 生きる力だと思った。そしてふと これから会う 生まれながらにして 薬物中毒の 男の子のことを考える。もしも彼が 健康な母親の胎内に戻り そしてもう一度 生まれでてくることが出来れば それを意識のガイドにより 完結させることが出来ればそれだけでも ホルモン機能が 改善されるのではないかと思っている。何の根拠もない。ただ 何となくそう思う。身体の記憶を 0に戻す。これから 時間をかけて解明していきたい。
2006年06月08日
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幸せを求めるなら 不幸になる事さえ受け入れなくてはならない。なぜなら それらは 表裏一体ともにあるものだから。不幸であることにより 幸せとは何かという認識が生まれる。幸せになることをやめたとき 人は不幸からも 解放される。幸せになるための ツールを 売り物にしている人たちに不幸がおまけでついてくることを 消費者に伝えてほしい。でないと どうして不幸になったのか どうして不幸なのかと言うことに 皆 戸惑っている。_____________________________________高校進学のとき 姉が 一押しして 止まなかった 高校があった。英語教育が 充実していた 学校だった。選択権を 持たなかった 私は 希望にも関わらず そこには いかなった。(行けなかったとも言える)それが あれから 20年以上も経つ今 私は 英語の 授業に 参加し解剖学やら 人体構造やら その他 セラピーに 関することを 学んでいる。人生は 何が 障害と なるかはわからないけど その流れは 年月も 障害さえも 乗り越えて 本来の 目的地へと 流れていく。ふとそんな言葉が 心をよぎった。障害になったのは その時の 両親の考え。家族や知人の 誰も 想像のしてなかった 人生を 歩んでいる。ただ 自分の中に 燃えたぎる 情熱の 明かりを 照らしながら それが 導く 先へと 歩んでいる。幸せでも 不幸でも どちらでもかまわない。それらは 永遠に 逆転していく。どちらであっても どちらにでもなる。だから どうでもいいと 思う。_______________________________________年齢も 性別も 国籍も忘れて ひたすら 本と 向き合う 自分がいる。どうしても知りたいことがある。その姿勢は 2才の頃から変わっていないのかも知れない。
2006年06月06日
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~仮説~感情は ヴァイブレーションとして 肉体に 伝わる。人体の 70%は 水分だから 感情の ヴァイブは 水面を 揺らしながらセンターへと 伝わっていくだけではなく 粒子の 中心そのものにも影響を 与える。 水の 粒子は 感情の 種類によって 完全で あったり、不完全であったりそして 完全な場合 人は ポジティブになり 不完全な場合は ネガティブになる。たとえば 人体中に 10,000個の 水の粒子が 存在するとして その全部がネガティブな 感情の 影響を 受けていたとしたら 思考が それに 左右される事も納得がいく。そして その水分の 約1/3は 皮膚の すぐ下に 存在し 感情により 影響を受けているのだとすれば 全ての記憶が 皮膚下に ストアされる事は 当然に 思われる。そして 何らかの 理由(たとえば マッサージや ボディワーク)により それらの循環が活発化されるとき 皮膚下に ストアされた 記憶も 水分の 循環にのり 動き始める。そして それは やがて 体外に 排泄される。記憶が 水分の 循環に のるというよりは 水の粒子 そのものが 感情を 含んでいるとも考えられる。 マッサージや ボディワークが 時として 感情を 解き放つのは こう言った事が理由と 思われる。______________________________________________________悲しみは 海の底に 堆積していると 思っていた事がある。だから 海水は しょっぱいんだと 思っていた。でもある日 嬉しくても 涙が 出る事に 気付いた。それから 海の底には 悲しみと 喜びの両方が 堆積してると 思うようになった。それでも 時として 悲しみの 方が 少し 多いかもと 思うのは生まれでてしまった者の 胎内回帰への 憧れと 切なさなのかも 知れない。オイルのように まったりと動く 水の表面が 皮膚に まとわりつく。そして それは 皮膚と水の境を 感じさせないほどに 同化してくる。私達は 水から 生まれた 水の 子供たちなのかも 知れない。 _______________________________________________________ 卒業後 思考は 一時停止した。それが 今度は 逆の方向に スピンし始めた。8月には フロリダの 某大学の 研究所で人体の 解剖に 立ち会う 機会に 恵まれた。魂は どこに存在するのか?多くの 学者たちが それを 探し求め 今でも それは続いている。私は それが 身体内の 水分と 関係しているように 思えてならない。
2006年06月01日
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今日 ブログを卒業します。一ヶ月近く さぼっていたのも 自分の流れが 別の方向へ シフトしている最中で(今もその最中ですが)それを切り取って 言葉で表現するのがかなり困難だったからです。でも それは 2番めの 理由で 本当は スタンダップパドルサーフィンに はまっているというのが 1番の理由。それでブログの事も これまでやってた 普通のサーフィンも 興味がなくなってしまった。はまったら最後。どこまでも突っ走るわたしです。色んな意味 ハワイに来てからの 5年間、ここまで 私を 導いて 共に 来たものたちとさよならをする時が やってきました。 大潮がやってきて 引き波とともに 私を遠くへと 誘うようです。すうーっと さらーっと どんどん 遠くなっていきます。更新しないにも 関わらず アクセスして 下さった方 ありがとう。これまで 培ったものを 磨く時なのだと 思います。と 言う事で 今日が 卒業式。リンクして下さった方 あるいは こちらから 訪問し そのつど 私をうなずかせて下さった方々。出会いに 感謝です。素晴らしい ひとときを ありがとう。 それでは 海で 会いましょう。
2006年05月20日
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太陽光線と 潮の引き具合と 風との 絶妙な 組み合わせが今年一番の 海水の 透明度を 見せた今日。初めて 板の上に立ったまま オールで パドルしながら波を捕まえる 体験。沖に 戻る時も 立ったまま。波待ちも 立ったまま。バランスを取るために あちこちの筋肉が 緊張するのを なんとか 呼吸で リラックスさせながら 姿勢を 正しなおす。それでも さすが 立ったままのパドルから 波を捕まえるのは 難しい。何しろ オールを右へ左へと 入れ替えながら 漕がなくては 一方向へと 回転してしまい 前進できない。それでも なんとか 波をキャッチ。簡単には出来ない所が のめり込むきっかけを作ってしまう。波乗アディクション。腹這いでも 正座でも 立ち漕ぎでも 波を捕まえる事に変わりはなし。それでも この新しい遊びは しばらく続きそう。
2006年04月29日
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以前も 日記に書いた内容だけど きっと 大事な事だと思うので もう一度。クリニックへの 通路を歩いていると 生徒が一人 トイレから戻ったまま立ち尽くしている。クラスルームからは ロミロミの 授業に必ずある チャンティングの声が聞こえてくる。ふと『途中でもいいから チャントに 参加した方がいいよ』と 言うと宗教が違うので 参加できないという答えが 帰ってきた。まさか マッサージスクールの校内で 戒律の 話が 出るとは 思っても 見なかったので ちょっと驚いたが うちの ロミロミの 先生ならそれもありと 広い心で 受け止めると 思ったので あとはなにも言わなかった。ハワイの宗教の 歴史については 学んだ事がないので 何とも言えないが本来 そう言う所からも 解放された所で 人体と向き合うのでは?と思った。今日の午後 個別指導のための マッサージを する事になっていた 生徒が日程を 一ヶ月後に 引き延ばしたと 言ってきた。理由は あえて聞かなかったけど 彼女から 『その頃には マシな所を見せられる』と言ってきた。マシな所ね~。なんだろうな~?今 このとき この場所で いかに 自分を 殻にして 自分という 媒体を利用しクライアントの エネルギーの停滞を flowな状態へと 導くのか?ポイントは そこだと思うのだけど?マシね~。 今出来なければ 1ヶ月先も どうかな?It's not about me, about client だと 重ね重ね 授業でも 伝えているはず。競争社会で 育つと なんとかして 良い所を 見せなくては 上手くやらなくてはという意識に 自然となるのだろうなと思った。私に取って 個別指導の 結果報告なんて 何もしない動きに対して 評価をだす。あれも これもと 押し付けるような ボディーワークは問題外。授業で習った 全てのルーティンを 駆使しなくても 施術を受ける側の 身体から発せられる メッセージを 聞きながら それにそって行ける人こそセラピストの心得について 解っている人なのだと思う。それを 見つめる立場に 成長した 自分もまた そう言う道を 通ってきたものの1人なのかも知れない。
2006年04月28日
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誕生日の 昨日は 満月のはずが 山間部は 雨が降り とうとう見ずじまい。オアフへ戻る 今日は 朝から 早起きして ペレが住むと 言われるハレマウマウへ 数度目の ショートトレッキング。ヴォルケーノハウスから 噴火口を 一周する 道を ドライブしていると赤い 山肌の マウナロアが 朝日の中で 一段と 赤く 見え西側の 山裾に 真っ白な 満月が 頬笑んでいた。朝早く 部屋で いても立ってもいられずに 車を 走らせたのはこう言うことだったのねと 1人で 納得しながら その白い月が 山の向こうへ すっかりと 姿を 消すまでの 12分間研究所の 駐車場に 車を 止めて 呼び出してくれた 月を 拝んでいた。イースターの 連休で 火山地帯にある 施設は どこも人だらけ。シダの森でも ラヴァチューブ(マグマの抜けた道)でも 人の 会話する声が静けさを 突き破るかのように 響く。本館から 離れた場所に 部屋を 取って 良かったなと 思いながら(本館には 滞在客の 他に ツアーバスが 数分おきに 来ては たくさんの観光客を 買い物や 食事のために おろしにくるので 暖炉のある ロビーは とても 落ち着かない)雨の 降る 二日めは 係りの人に ロビーへと 薪を 運んでもらい 暖炉に 火を 入れて 本を 読んで 過ごした。夜は ナショナルパークに ほど近い Keawe(ケアヴェ)レストランで 食事。ジャズの 流れる イタリア料理の お店で、私が 注文したのは マヒマヒを 焼いたものを サラダの上に のせたものだったけど 次々と 目の 前を 通り過ぎる 手製の ピザがメイン料理よりも とても おいしそうに 見えた。レストランは こじんまりと していたけど 友達と出かけてきて その日の 終わりを 食事と おしゃべりで 過ごすには もってこいの スペース。 火山地帯は 2度目の 滞在になるが まだまだ 見つくしていない 気がする。 次回は 島の 北東をたずねながら もう一度 この場所に 滞在したいと 思った。
2006年04月15日
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ある日の午後 私は リフレクソロジーの 依頼を 受け 風通しの良い ホテルの ベランダで セッションを 始めた。間もなく その人から 白檀の 香りが したかと 思うと すぐに 死の香りが あたりを 包み それ以上続けても 死んで行くのだと その人の身体が 私に 語りかけてきた。私は そこでセッションをやめた。吐き出されるべきものが その人の のどまで 何度も上がってきた。けれども それは 何度も 飲み込まれた。それは まるで 抜け出したい 魂を 飲み込んで 命を つなぎ止めたかのように私には 感じられた。死の香りを 漂わせつつ その人の奥底では 生命が それを 遮るものと 戦ってもいるかのようだった。死の香りと言っても それは 肉体の 死のみを 意味するだけではなく 感情的な 死も また 同様の 香りを 漂わす。
2006年04月10日
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日記 さぼってます。なのに たびたび 訪問して 下さる方 ありがとうございます。飽きちゃってるんです。言葉の 世界。波乗りも 音楽も ”すること” 自体が 表現になってる。そして 同じ 表現は あまりない。即興。予期せぬ 流れに 瞬時 対応することが ひとつの ラインを 生んで行く。 それが 面白い。自分探しの 日記への コメントを 控えてるのも そう言うことから。自分とは 腹が減ったら 食べて、食べたら 出して 疲れたら 寝る、そう言う 日常を 地道に淡々と 生きているのだと 思う。言葉のブランドに 日常を 売り渡しても 新しい自分は 手に入らない。自分探しとは そこにいる 自分を 自覚しなければ 始まらない。そうなると 言葉のスピードは 自然のスピードに 追いつけない。表現する頃には 世界は 変わっている。で さぼってます。で たぶん さぼり続けると 思います。訪問して下さる方へ というわけで ブログさぼります。
2006年03月28日
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来る日も 来る日も 波に 乗る。でかい日は ピンクの板、小さい日は シングルフィン・レッド。水の 澄んだ 日も 雨で 川の 水が 氾濫し 臭い日も 毎日 毎日 波に 乗る。気圧配置が 例年とは 全く 違う 今年、ハワイでは もうかれこれ一ヶ月も 雨が 降り続いている。晴れ間が のぞくことも あるが その後に また 大雨 という状態。波待ちしながら ふと 心に 飛び来んだ 映像。快適に過ごすためのエアコンと この異常気象。人は エアコンを 手に入れて 快適に 過ごすことで 命を つないできた。熱さで 命を 落とすこともある 場所に 住む 人々の 話。ところが そのエアコンが 外に 放出する 熱量と 言ったら 外気のそれを しのぐものがある。それだけが 原因ではないけれど そうして 貯まった 熱により 異常気象が 発生する。そして 川の 氾濫が ダムの 欠壊が 別の形で 人の 命を 奪う。快適を 求めた所で 何の 解決にも なっていない。結局 何らかの形で 命は 淘汰されて 行く。毎日 毎日 波に 乗る。ビーチに 戻ると 0の 自分が いる。自分を 持て 余す 人たちが わがままに 矢を むけているのが 見える。どうにかしてくれと 矢を 解き放つ。 島の 東側では 海水が 茶緑に 汚れ、ラジオも テレビも 近づかないようにと呼びかける。しかし、海は まだ 生きている。来る日も 来る日も 潮の 流れが 水を 浄化して 行く。海を Mother nature と 呼ぶ 理由が なんだか わかった 気がした。
2006年03月22日
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今日 夕方、仕事の後で 新しいボードを ピックアップしにサーフィンシーへ。初めて 見た時から どうしても 欲しかった ジョエル・チューダーのサーフ ボード。サイドフィンがついてる つもりが シングルフィン。初めての 体験。シングルフィン・レッド。でも ここ 最近 雨続きで 川の 水が 氾濫し 水は ブラウン。今日も パイプラインで コンンテストの 最中、 サメがやってきて コンテストが 中止に なったのだとか。 水が 澄むまで 少し 待った方が いいのかも?でも 試したーい!どんなふうに 波に 乗せてくれるのか 早く 試してみたーい!きっと ノーズまで 楽に 歩けるはず。ドロップニー・ターンも かっこ良く きめたい。 今日は イメージ トレーニングでも してから 眠りにつこう。サメさん 私は まずいので どうか 食べないで 下さい。
2006年03月15日
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地中での 溶岩は 赤くどろどろと 煮え立っている。地表に 吹き出して 流れ出て 自分より 温度の低い 空気や 雨や 海水に 触れて黒く 固まって 行く。同じものが 出会った 環境で 形や 色を 変えて 行く。まるで 人間も 同じじゃないか。溶岩の 熱で 焼き尽くされた 大地。固まった 溶岩の 割れ目から 芽を出す シダや レフアの木。鳥が タネを 運んだのか、風が そうしたのか溶岩の その下の 大地の 奥深い所から 押し上げるように 伸び続けてきたのか。とにかく 生きたかったんだ。突き破ることで 始まる 生命の活動を 始めたかったんだ。そして 伸び続けて行く。伸びたい方向へ。空さえも 突き上げながら。 まるで 人間も 同じじゃないか。だから 同じ人の違う顔。見たからと言って どうってことはない。それは 同じ人の違う顔。あるがままの 本当。
2006年03月13日
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出発を 数時間後に 控えて 雨が 降り出した。 真夜中過ぎ。それは 雷を ともなう 豪雨へと 変わり、ぎりぎりまで ベッドで 過ごすつもりが予定より 早めに 出発することになった。ノースショアを 抜けると 思ったより 雨は 小降りで いつもなら 遮断されるハイウェイも 何ら 問題なく 通り過ぎ エアポートへ 到着。こんなこともあろうかと チェックインを 前日の夜に ウェブから 済ませておいて正解。エアポート周辺は 曇り空。フライトは 定刻通り ホノルルを 出発し 予定通りハワイ島 コナへ。朝早くから 晴れ間の のぞく空に オアフでの 嵐が 嘘のよう。コナから 南へと 続く コーストラインを 抜けて 東側にある 火山地帯へと 向かう。と 思いきや 南へ 向かうほどに 雨足が 強まる。サウスポイントを すぎて 東へと 向かい 残り15マイルで 終点という所で3フィートの水が 一本しかない 道を塞ぐ。残された 手段としては 来た道を 再び 北へと 向かい コナを すぎるあたりで ワイメアへ 向かう道を抜け そこから マウナケアとマウナロアの 間を 抜ける サドルロードと 言う名の 舗装も ままならない 牧場地帯から 火山地帯へと向かう道を ヒロ方面へと ひたすら 走り ヒロから再び 南へ降りる。朝から 走り続けて270マイル。8時半に コナに ついた時は、午後3時の チェックインなんか とても遅過ぎだと思っていたのに キラウエアの カルデラ周辺の 宿泊施設についたのは ちょうど午後3時過ぎ。6時間も 運転していたことになる。島と いえども ハワイ島は スケールが違う!!!!!!ということを 思い知らされた。2日め。朝から しとしとと 雨が降る。滞在先には どの部屋にも 暖炉が ある。施設内の 雑貨屋では 炭や薪を 売っている。電気ヒーターだけでは 部屋が 暖まらないほど 気温は 低い。部屋で じーっと しているわけにも行かず 車で 近くの シダの森へ。3mはある シダを見ながら 今にも 恐竜が 出て来そうと 思った。ゼンマイや ワラビを 摘みに 山へ行ったことはあるが 渦巻く その部分がわたしの顔より大きいのは ほんとうに 初めて見た。と そこに キジが ひょっこり 現れる。ハワイでも 絶滅の 危機に あるという 鳥の 種は 多い。キャプテンクックが 航海で 持ち込んだ 豚は ハワイでは ワイルドピッグと呼ばれ 野生に 生息するが、その豚が 地面を 掘った所に 雨水が 貯まり、鳥マラリアが 繁殖する。 それにより 相当の 数の 鳥が 消えて 行ったのだとか。その中の 貴重な キジが ひょっこりと 現れ 同じ道を 戻る時も 再び ひょっこりと わたしの 前を 横切り 森の中へ 消えて 行った。 3日め 少し 晴れ上がった 朝早く キラウエアより 15年 若い ハレマウマウという名の クレーターへと向かう。見晴し台が 設置されてる 場所へは 簡単な柵が まわしてあり その柵から中へは入れないことに なっている。いつ 地層が 崩れ落ちるかなど 誰にも わからない。地層の 切れ目から 立ち上がる蒸気は 硫黄の においを 漂わす。ふと 日本人の カップルらしき人たちが 柵の中 それもクレーターの ふち ぎりぎりの 所で 写真を 撮っている。もうすぐ タワーから 監視している 警備が やってくることだろう。それにしても クレーターからみる地層、表面の 固まった 溶岩、まるで この世の終わり、あるいは この世の始まりを 思わせる。地球は このようにして生まれてきたのか?そしてそんな 場所にも 生命は 芽吹く。シダと 数種の木は いまだ 蒸気の 立ち上る 岩の 切れ目近くからも芽吹いていた。そして鳥は 自由に 飛び回りながら 何もない大地に タネを 落として 行く。 こうして 生命は 生まれて 行くのだろう。 火山地帯を 訪れるまで ハワイ島の エネルギーは 痛いぐらいだった。ところが ハレマウマウ周辺を 歩きながら 自分が ゼロになるのを 感じていた。雨が 熱を 押さえているのか、柔らかい イメージさえ 受けた。昼過ぎ 翌日の フライトの 関係で コナへと 移動した。頭の中で シダの 森のことを ずーっと 考えていた。それと同時に 火山の 噴火で 出来た クレーターの 面積についても 考えていた。自然は 私達の 物差しを 持たない。静かなる 巨大な エネルギーの 流れの中に 生命が 息づいている。そしてその生命は 火山地帯という 環境にそって 自らの形態を 変化させて 行った。人間など ただの 生命の一種でしか ないじゃないかと 思った。帰ってきて数時間後、わたしは再び 火山地帯の 宿泊施設へと 電話をした。次の 予約を 入れるために。何か 見落としたものがある。そんな気がしてならない。
2006年03月13日
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月曜日は クリニックで キャンセルが 立て続けに 出た。とても 気持ちの いい朝。海も 静かで それでも 波があって ビーチを 去るのが 惜しいなと思っていた後の 出来事。クリニックディレクターが かわいそうに思ったのか ハグしてくれたけど当の本人は ガッツポーズで 車を 飛ばして 海へと 直行。週中から ハワイ島へ行くことだし、この際 1週間オフにして 遊ぶ。はっはっは、遊ぶときめたら 遊ぶ。偶然 仕事が 早く終わった Rくんも ランチタイムには すでに 海に。少しは 遊んでいたいんだよねと言ったら 笑っていた。ちょっと 遊んで ちょっと 働く。そういえば ハワイへ来た頃は こんな感じで 暮らしてた。目の前に 広がる風景も その頃と 同じ。かなり 遠回りして またもとの所へ 戻ってきた 感じ。雨続きの 後の 太陽の光が 身体に しみ込んでくる。こんなに 気持ちのいい 世界の中で 暮らしてたのにこの2年間 わたしは 何のために、何と戦っていたんだろう?影?自らが 作り出した 幻想?息詰る 空間からの解放?そして わたしは 自らを 解放して 行った。そして得たものは あのとき 目の前にあったもの。青い空と 青い海。ヤシの葉の 向こうに 見える月と 沈んで行く 太陽。はっはっは。わたしは ずっと ここに いた。思いだけが 巡っていった。何も得ず 何も失わず、全ては ここにあった。永遠のヴァケーション。
2006年03月08日
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ゆるりさんわたしたちは タネをまく人。あるいは そのタネは 既に それぞれの なかに 眠っていたかも しれません。 そのタネが 芽を出すこともあるし 出さないこともある。でもそこで 一喜一憂 せずとも ひたすら まき続けるのみです。それは 魚たちが 無数の 卵を 産卵するのにも 似ている。孵化することもあるし しないこともある。でも 産卵する側の 魚は それを 感情的に 判断しない。生み続けること それのみが 目的であるかのように。 伝えて下さい。あなたの中に あるものを。それが どのように 芽を出していくのかは 畑によって 違っていくでしょう。でも あなたの 目的は 変えることに あるのではなくて 伝えることにある。そうですよね。あなたのまま、そのままに まき続けて下さい。___________________________________________おかげさまでの すえちゃんへその後 おかげさまでは いかがですか?形を 変容させながら 心地よい音を 奏でていますか?そういえば カリフォルニアから 来た 人に “イマジン”(サーフムービー)出てたよねと 勤め先の サーフショップで 突然言われ10年も前の フィルムなのに わかりましたか?と聞いたら すぐわかったと 言われ その日は 驚きな 思いの中で 過ごした。つたない 英語で エンディングに 波について 語ってる ワンシーン。そのとき 言ってることは 今も変わらず わたしの 思いの中にある。 サーフィンムービーの中でも 異端の作品(私は好きなんだけど)“イマジン” 監督 マーシャル 服部きっとすえちゃんにも よくわかります。音の世界も 波の世界も 追求することに 変わりはないですよね。違いは 音の世界の方が よろこびを 伝播できる ということですか?これからも 音と詞というタネを まき続けて下さい。追伸 もうすぐU2が ハワイに来ます。人ごみは 飲み込まれるから 離れた所で 聞いていたい。Ultra Violetは 古いけど メロディーも歌詞も 気に入ってます。 ___________________________________________ロルファーSaito様&ばう犬様やっぱ ロルフィングって すごい。身体への 認識度を180度(ぐらい)変えますね。わたしの 身体は 痛みが 発生しそうになると 身体が 自分で 立ち止まりそこから 以前の 姿勢へ 戻ろうとする 身体に たいして ノーと 言います。ノーと 言われた 身体は そこから 先へは 行かずに 新しい(あるいは 本来あるべき)姿勢で なんとか やっていけるように 努力を 始めます。また 痛みが 発生する手前で どういう環境により その部位(筋肉など)が 緊張を 始めるのかという 手がかりも つかめるようになり そこで 緊張しない自分を認識し直させて いけるなど 施術後 約2か月経った 今でも 変化は 続いています。その素晴らしさを 伝えていける 知識と情報を ふんだんに 持つ お二人を あらためて 素晴らしいと 思いましたので この場を 借りて お伝えします。これからも どんどん 良いタネを まいてください。
2006年03月01日
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先日 サンゴで すりむいた 足の甲。傷口が 痒くなってきて もうじき 完治。あたらしい 皮膚は ピンク色で しわくちゃで てかっててその部分だけが ピンクの トカゲか ヘビのよう。足だけ 爬虫類。晩ご飯に サケの ステーキを 食べて 手も 顔も 洗い 歯も 磨いたのにどことなく 魚の 生臭さが 鼻につく。と 自分の顔が サケの顔に なったのかのように 感じる。手を かいだら 石鹸の匂い。そこは まだ 魚に なっていない。どうやら 顔だけみたい。きょうの わたしは 足が 爬虫類で 顔が 魚です。そんな日も ありね。
2006年03月01日
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朝から 曇り空。お昼前に 腰痛持ちの 友達を マッサージして それから シーツを洗う。空を 見上げると 雲の上に ぼんやりと 太陽の シルエット。はっはっは、隠れても 無駄だよ、君は 眩しすぎる。 洗濯ロープを 庭にはって シーツを 干す。ついでに 昨日 ヨガの ときに 着た Tシャツや ヨガパンツ、タオルも。昨日の ヨガインストラクターが 言った 言葉を 思い出す。 『 Good pain, bad pain, pain is pain』おっしゃる通り!と 思いながら インストラクターの 動きを 追っていた。 認識を 変えると 世界は 全く 変わっていく。吉田勧持さんの 構造医学を 読み始めた。小川隆之さん&斉藤瑞穂さんの ボディワーク入門と 同時進行で 読み進めている。構造医学の 生物モデルは 境界層(膜)により 外界と内界に わかれ 口から肛門までは 外界にあたる という所で ちょっと 立ち止まった。曲がりくねってはいるけど、1本のパイプ。そしてそれは 体内を 通り抜けては いるけど 明らかに 体外の代物。と 納得して 笑った。身体の 中に 外が ある。身体の 外にも 外が ある。 取り込み 排斥 していく 作業は そのどちらでも 行われている。ひとつは 食物との間に、そして もうひとつは 環境との間に。雲の上の 太陽は 雲の下の 太陽でも あり得る。逆さまで ほんとうの世界。
2006年03月01日
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ヒザ丈の 波。 干潮。浅い水底に ぶつかりながら シフトしていく 水の 動き。サーフボードの 底全体に 水の 動きを 感じる。左に 右に 深い所から 浅い所へと 水の動きに 運ばれていく。サーフボードの 上を 前へ 後ろへ 歩きながら 水の動きに 速度を 合わせていく。水の 粒子の 運動を 感じる 感性を 備えている 動物たち。
2006年02月26日
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あなたが 今 見ている 世界、あるいは あなたの 目の 前に 広がっている 世界はあなたの 心が あなたの目に 世界を そのように 映している。ネガティブな 思いを 心から 追い出す 訓練を する。(善悪と言った判断にはよらず)そこを ポジティブな 思いで 満たしてく。メディテーションとは そういうことだと 思う。
2006年02月25日
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昨日 ふられた 女が 電話してきた。お金や ものを 貢ぎ続けた あとの 出来事(長続き しないでしょ?)女は あんなに してやったのに どういうこと?と 言い彼は ひもじゃなくて 男で いたかったんだよと 私。同じ パターンを 繰り返す 女。ふと Rくんと 言い争いをした 日々を 思い出していた。もし ここが イタリアなら。あるいは メキシコなら。そんなことなど 日常茶飯事で 喧嘩の 直後に 愛を 語れるのが 当然。そこで 深刻になり 教会へ 通い始め あるいは 別れて 行くのが 日本人とアメリカ人なのかも 知れないと 思った。私達が とても 重要だと 思っていることでも、所変われば そんなものは 屁でも なかったり するのかも 知れない。深刻な 顔をして 時間を 無駄にしている間 アミーゴの 世界ではオリーヴの国では 人々が 街角で 愛を ささやくことに 時間を費やしているのだろう。人生の すべてを 楽しむ。所 変われば 愛は もっと 自由なのだ~!そういう視点で 生きていきたい。どんなことも たいしたことじゃないのよ 結局。それを 言葉で 難しくしちゃったり 難しい言葉に 酔っちゃってるのは アル中より 手に 負えないかも。所変われば そんなことは 何の 価値も 持たない。素のままの 自分で 生きていきたい。
2006年02月24日
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もうすぐ 布ナプキンが 届く。日本で 作ってる方と ブログで つながり ハワイまで 送って もらうことになった。 http://plaza.rakuten.co.jp/botam/ホノルル空港で マナテェーと 再会したときに 初めて 聞いた 布ナプキン。http://plaza.rakuten.co.jp/nonbirimanateeこんな 形で 購入できるとは 嬉しいかぎり。自分でも 作れるらしいのですが、まずは 現物を 見てみないことには。過去26年間 5~7日間×12ヶ月。一日の消費を 10枚としてもかなりの 使い捨てが 出ました。もう 使い捨てを 出さなくて 良くなる。既成の 素材で 肌が かぶれることもなくなる。洗った水は 栄養素として 植物に あげれるのだとか。身体から 排出されたものが 大地に 還って いきます。いいね~。循環。流れがあります。__________________________________________昨日 変化(脱皮)して 行くことについて 友人と 話しました。例えば 当人が 変化を 求めて 歩き出しても 周囲が その人を 以前のままの その人(固定概念、既成概念) という目でしか 見ないので そういう環境で 変化するのには 骨が 折れるね、という話。インドでは 話をしない 修行を する人がいて 周囲が その様子を 察するとその人を そーっとして おくそうです。私達の 世界なら、なんで無視してんの~?とか 愛想悪いとか!いろいろ 言われるんでしょうね。放っておけない心理 とでも 言いましょうか。成長を 妨げる 環境。___________________________________________映画 The new worldを 観ました。ポカホンタスの 3時間もの。アニメーションでは ありません。自然の中で 森や大地、川や風と ともに 生きてた ネイティブの 人たち。そこへ やってきた イギリス人。分け与えることを 惜しまない ネイティブと しまいには その人たちの 集落を 焼き払い 他の地へと 移動させてしまう イギリス人。侵略という 言葉より 無知という 言葉が 浮かんだ。文明は 決して 豊かさを 示すものではない。武器や 鎧で 身を 包んでも 彼らは 食べるものもなく 瀕死だった。やがて 洋服を 身にまとい 靴を履いて 生活を 始める ポカホンタス。それでも 最期には 自分は 大地と つながっていたことを 確認して消えて 行く。彼女を 揺り動かしたのは 愛だった。____________________________________________ Marvin gaye~Let's get it onブックレットに かなり小さい文字で マーヴィン・ゲイの セックスに 対する思いが 書いてある。たくさんの人が セックスを 何か 大それた 特別なもに してしまっていると言うことから始まり、セックスはセックス、愛は愛。でも その二つが 同じ パートナーとの 間で 交わされるなら それが ベストだねとも 言っている。モラルを基準に作られた 哲学は 信じないとも 書いてあった。話は 変わるが 先日 クライアントの 中に 黒人の 人がいて セッションが始まるとともに 大地が 揺れた 感覚が あった。特に 左右の 大臀筋に 触れたとき 大地が シェイクした。別に アフリカの血を 説くつもりもないし 先入観も なかったのだけど。__________________________________________
2006年02月23日
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数週間前、庭の マンゴーの 木が 花盛りだった。春一番のような 風が 吹いて 咲いた花は たくさん 散っていった。昨日 雨の 降る 庭を ふと 窓から のぞくと 小指の 爪にも 満たない赤ちゃんマンゴーが 散った 花の所に なっていた。小さくても 形は 既に マンゴーの そのものだった。昨日 降った たくさんの雨と 今日の 降り注ぐ太陽を 浴びてマンゴーは ひたすら 成長していく。どうして生きてるのかなど問わない。生きること それのみが 目的で あるかのように。風に 吹き飛ばされなかった 花たちだけが 実を結んでいく。吹き飛ばされても 決して 文句など 言わない。あるいは 全ての 花が 実を 結んでしまったら 実の 重みで 木が いたんでしまうし 木の 老いるのが 早まるだろう。誰を 手間取らせることもなく こうして マンゴーの木は 20年も実を 結び 続けている。ひたすら、時の 流れの 中にある。そして 季節と ともに 流れていく。命とは そういうもの なのかも知れない。
2006年02月23日
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