森へ行こう(心とからだと子育てと)

森へ行こう(心とからだと子育てと)

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

「本当に大切にした… New! かめおか ゆみこさん

Comments

森の声@ Re[1]:「思春期以降の育ちを支えるもの」(普遍的な世界と出会う)(10/17) フィービーさんへ >孤独🟰幸せではない…

Profile

森の声

森の声

2024.04.05
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
昔の子ども達は、家の中ではそれなりに管理されていたでしょうが、家の外では、ほぼ「野放し」状態でした。そして、子ども達は常に「家の外」で遊んでいました。

親の価値観によって野放しにしていたのではなく、家事を簡単にしてくれる便利な機械やインフラがなかったので、子どもを監視、管理するだけの時間的なゆとりがなかったからです。また、自営業や農業に従事している人は夫婦一緒に仕事もしていました。

子どもにしても、テレビも、オモチャも、スマホも、ゲーム機もなく、遊び相手もいない家の中にいても退屈です。でも、家の中で退屈そうにしていると「お手伝い」を求められました。だから外に出て行ったのです。

塾に行っている子もいましたが、今のように、ほぼ毎日、塾や習い事に行っている子はほとんどいなかったと思います。

そして、家の外に出ると同じような状態の子ども達がいっぱいいました。そして、子どもが自由に遊べるような路地や、境内や、野原や、自然がいっぱいありました。

結果として、自然に「異年齢の遊び仲間」が出来て、毎日その仲間と遊んでいました。
それは何十年、何百年とその地域で連続的に受け継がれてきた「群れ」なので、その群れの中で伝承されてきた遊びもありました。「わらべ歌」などはその典型です。

当然のことながら、その「群れ」には大人がいませんでした。完全に、「子どもによる、子どものための群れ」だったのです。
だから、子ども達だけで考え、子ども達だけで行動していました。ケンカが起きても仲間で処理しました。ルールを守らない子は排除されました。
大人がいたら「なんでそんなイジワルするの」と言われてしまうでしょうが、「子どもによる子どものための世界」はシビアです。でもだから、みんなと遊びたい子は自分の意志でルールを守ろうとしたのです。

当然、「危ない遊び」もいっぱいやりました。「行ってはいけないところ」にも行き、「入ってはいけないところ」にも入り、大人が見ていたら止めるような「危険な遊び」もいっぱいやりました。

でも、今の子がやったら「けが人が続出するような遊び」をしていても、昔の子は「危険な遊び」に慣れていたのでめったなことでは大きなケガはしませんでした。まれにそれで大けがをする子もいましたが、「ドジなやつだ」ぐらいの感覚で見ていました。

大人が見たら目をむくような「危ない遊び」や「困った遊び」をしていても、それなりに自分たちの経験知で抑制もしていたのです。ケガをしたいわけではないのですから。

木登りをしていて落ちてケガをしたら、それはその子が下手だったからに過ぎません。みんなそう思っていました。「木登り」という遊びが悪いわけでも、ましてやその木が悪いわけでもありません。

でも最近の大人達は、一度そういう事故があると「木登り」自体を禁止してしまいます。時には登りやすそうな木を切ってしまったりもします。その結果「経験知」が育たなくなってしまっています。

そのため、その経験知が育っていない最近の子ども達に、いきなり「昔の子どもの遊び」をやらせると、非常に危険な状態になります。コマや、けん玉や、竹とんぼや、弓矢という「昔の子なら普通に出来ていた遊び」でさえケガをする子がいます。

また、最近の子ども達には「昔の子どもの遊び」を支えていた身体感覚も身体能力もありません。
森の中で育った友人は、「子どもの頃は木から木へと飛び移って、木から下りないままズーッと遊んでいた」と言っていました。でも、それを「木登りすら満足に出来ない子」にやらせたら、間違いなく大きなケガをするでしょう。

だから、子どものケガを恐れる大人達は、子ども達に自由を与えずに、安全で安心な場所に閉じ込め、安全で安心な遊具やオモチャで遊ばせようとしています。
また、昔は身近なところに普通にあった「子どもが自由に遊ぶことが出来る場」や、「暇をもてあまして外に出てきている一緒に遊ぶ仲間」も消えました。さらに「塾や習い事に行く時間」が増えることで「自由に遊ぶ時間」自体が減りました。

そのため、最近の子は「何もない状況で、年齢も性別も多様な仲間と自由に遊ぶ能力」が非常に低いです。

昔の子ども達が「遊びによって学んでいた経験知」は、現代の「便利なオモチャ」には必要がありません。買ってきたらすぐに遊べます。
最近の遊びで楽しく遊ぶために必要なのは経験知ではなくお金です。

そして子ども達は親や大人の目の届くところだけで、大人が許してくれる遊びだけで遊ぶようになりました。
そんな最近の子ども達にとって唯一、大人の目の届かない遊び場所は「ゲームの中」だけです。子ども達は、ゲームの中では大人の監視と管理から自由に遊ぶことが出来ます。だから夢中になるのです。
でもだから「ゲームの中にしか遊び場がない子」から、安易にゲームを奪ってはいけないのです。問題は、いくらいっぱいゲームの中で遊んでも、社会性の育ちや精神的な成長は望めないということです。

そういう遊びの変化が、「精神的に幼い子どもの増加」の背景にはあるような気がします。また、発達障害と呼ばれるような状態の子の増加にも関係していると思います。
療育の現場でやっているのも「遊び」のようなものだからです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024.04.05 12:06:05
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X

Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: