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森の声@ Re[1]:「思春期以降の育ちを支えるもの」(普遍的な世界と出会う)(10/17) フィービーさんへ >孤独🟰幸せではない…

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森の声

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2024.04.06
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カテゴリ: カテゴリ未分類
人間は環境への適応能力に非常に優れています。ですから、暑いところ、寒いところ、山の上、海の上、森の中、砂漠などでも住むことが出来るわけです。

道具を作る能力、道具を使う能力もその適応能力の一部です。また、様々なことが出来る身体能力も適応能力の一部です。

そしてそれ故に、自分たちが住んでいる環境に適応するような形で、多様な文化や文明が生まれました。

何も知らない、何も出来ない状態で生まれてくる赤ちゃんが、周囲の大人たちとの関わりを通して人間らしい知性と、様々な能力を身につけることが出来るのもこの適応能力の現れです。


これは非常に簡単な原理です。


そして今、多くの子どもたちが、その「成長が必要がない環境」の中で暮らしています。
今、子どもたちに求められているのは「成長」ではなく「大人の要求に応えること」と「大人社会への適応」だけです。

実際に私が見聞きしている範囲でも、日常的に子どもと接しているお母さんや、学校の先生が子どもに望んでいるのもそのようなことです。それがうまく出来ない子どもは「問題児」として扱われてしまいます。

本来、成長という視点で見たら、幼稚園児に必要なものと、大人が必要なものは異なります。
小一に必要なものと小三に必要なものも、小学生に必要なものと大人が必要なものも違います。
お年寄りや身体に障害のある人たちにはエスカレーターは必要ですが、健康な子どもにはそのようなものは必要がないのです。むしろ害になります。

忙しいビジネスマンには携帯もスマホも必要ですが、幼稚園児や小学生には必要がないのです。また、そういうものを必要としないような生活をする必要があるのです。携帯やスマホが必要な社会は大人の価値観に基づく社会です。

昔の子どもたちは大人とは違う価値観、違う時間、違う情報、違う道具の中で生きていました。それは、子どもたちが「子どもたちの群れ」の中で成長していたからです。

昔は、大人たちと同じように子どもにも「子どもの社会」や、「子どもの時間」や、「子どもの生活圏」があったのです。

そして子どもたちはその中で成長していました。 異年齢の群れの中では子どもたちは成長を競い合うからです。それが「成長が必要な環境」ということです。

そのように、子どもが子どもの世界で生きていた時代には、子どもと大人の境目がはっきりとしていました。だから、子どもが大人になるときには特別な儀式が必要だったのです。

その儀式を済ませて大人にならないとやってはいけないこと、入ってはいけない場所、持つことが許されないものがあったのです。

これは何十万年も昔から変わらない成長の仕組みなのですから、たった数十年や100年程度の社会の変化に合わせて変化するわけがありません。

でも今では、そのような「子どもの世界」は失われ、子どもたちは大人たちの価値観が支配する環境の中で、大人たちに合わせて生活しています。

ですから、今時の子どもたちは「子どもらしいこと」には興味を示しません。水たまりに入って遊んでいる子を見ると、わざわざ注意してくれる子どもまでいます。私が裸足で遊んでいると「裸足はいけないんだよ」と子どもに叱られます。

そして、多くの子ども達が大人の価値観を自分の価値観として取り込み、大人の真似をすることだけに一生懸命になっています。大人たちもまた子どもに対して、大人と同じものを与え、大人と同じように振る舞うことを求めています。

そして、大人のまねをする子どもを見て「かわいい」と褒めます。でもそれは犬に洋服を着せ「かわいい」と言うのと同じです。それは大人の身勝手であり、人間の身勝手です。

そのため、子どもたちが自分らしさを失い、大人の要求に応えるために過適応状態になってしまっているのです。

その過適応状態に陥ってしまっている子どもは、大人に依存し、大人の顔色をうかがうことばかりに熱心です。そして、自分の頭で考えようとはしません。
子どもが「自分の頭」で考えようとしても、子どもには大人が求めていることが理解できないので、大人の顔色をうかがうことによってしか自分の行動の是非を判断することが出来ないからです。

また、大人は子どもが考えていることが分からないので、子どもが「自分の頭」でかんがえたことを、上から目線で簡単に否定してしまいます。

そんな状態の今時の子どもたちが一番苦手なのが「自由」です。粘土の固まりを与えて、「自由に遊んでいいよ」と言っても、みんなどうしたらいいのか分からず、手が出ません。

野原に連れ出して、「自由に遊んでいいよ」と言っても、ボールやゲーム機がないと遊べないと言います。大人が遊んでくれれば遊びますが、自分たちだけで遊びを発見し、みんなで遊ぶことはまれです。

子どもの周囲に「自由に生きることのお手本となるような生き方」をしている人がいっぱいいれば、子どももそのような人をお手本にして「自由に生きる能力」を育てることが出来るのでしょうが、そういう人は滅多にいません。

それでも、そのような子どもの状態に違和感を感じない大人もいっぱいいます。そのような人は「それが今時の子どもだから」、「それが今時の子どもの遊び方だから」、「そういう時代なんだからそれでいいんじゃないか」などと言います。

でも、自分の頭で考えることが出来ず、他の人の顔色をうかがうことによってしか自分の行動の是非を判断できないようでは自分の人生を「自分の人生」として生きることが出来ないのです。

会社に入っても指示命令に従って仕事をしているうちはいいですが、「自分の判断でやっていいよ」と仕事を任されたとたん、どうしていいのか分からずノイローゼになります。

結婚して、二人で相談して色々なことを決めなければならない時にも、話し合いが出来ません。 自分の頭で考えることが出来ない人は「話し合い」も出来ないのです。

そして何より、そのような状態では「子育て」が出来ないのです。幼い子どもは自由に考え、自由に行動します。ですから、そのような子どもと関わり、つながり、信頼関係を築くためには大人もまた自由に考え、自由に行動する能力が必要なのです。

ちなみに、この「自由に」というのは「自分勝手」とは違います。自分の感情や、価値観や、ブライドや、常識にこだわらず、その場の状況に応じて臨機応変に対応することです。
「自分勝手」という状態はそれとは反対に、「自分」にこだわり、「自分」を押し通すやり方です。
両方とも他の人の顔色を窺うことはしませんが、その中身は全く正反対です。





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Last updated  2024.04.06 07:43:37
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