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森の声@ Re[3]:「体験格差」(子どもの育ちに必要な体験について)(11/04) めげぞうさんへ >これからどうなって行…

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森の声

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2024.10.11
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「創造的に生きる」ということは、「人と違う生き方をする」ということではありません。「創造的」ということは「個性的」ということでもありません。「創造性を育てる」ということは、「他の子とは違う特別なことが出来る能力を育てる」ということではありません。

(私の解釈では、ということですけどね)実は、 「創造的に生きる」ということは「能動的に生きる」ということと同じことなんです。

それはつまり、「能動的に取り組むこと」がそのまま「創造的な行為」であるということです。自分の意思で能動的に遊んでいる子は全て「創造的な行為をしている」ということでもあります。

ただし、ゲームのような「中毒性のある遊び」は、いくら夢中になって遊んでいても「創造的な行為」とは言いにくいです。あれは「依存」であって、「自分の意思に基ずく能動的な行為」ではないからです。依存状態になってしまっている子は、あの刺激がないと不安になってしまうのです。

実際、日常的にゲームのような中毒性のある遊びで遊んでいる子ほど、ゲーム以外の活動に対しては消極的です。能動的に取り組もうとしません。スマホ依存の子も同じです。「簡単便利」に依存している大人も同じです。当然、そういう状態の子は創造的な活動も苦手です。

そして今、そういう子が呆れるくらい多いのです。自分で出来る能力があるのに、自分ではやろうとせずに人にやってもらおうとするのです。

すでに知っていることや、やったことがあることなら取り組むのですが、ちょっとでも自分が知らない新しい要素が入ってくるとどうしていいのか分からないくなってしまうのです。

そんな時はちょっと考えて、工夫して、応用すれば、ほとんどの場合「すでに自分が持っている能力」で何とかなるのですが、「何かに依存した遊び」や「簡単で便利なものに依存した生活に浸っている子」ほど、その「ちょっと」が出来ないのです。

「考える能力」がないわけではないのです。「それをやる能力」がないわけでもないのです。でも、能動性が育っていないため、その能力を役に立てることが出来ないのです。そのため、前に進むことが出来ないのです。

子どもを追い立てて勉強させてどんなに成績がよくなっても、その結果どんなに良い学校に入れても、「自分の意思に基づく能動性の育ち」が阻害されてしまった子は、社会に出た後に困った状態になってしまうのです。

これは、子育ての場においても問題になってきます。子育ての場においては毎日が「新しいこと」の連続です。ですから、その「新しいこと」に能動的に取り組むことが出来る人は「子育て」を楽しむことが出来ます。そして創造的に子育てをすることが出来ます。
そういう意味では、「子育て」は芸術的な行為と同じなんです。

でも、能動的に取り組もうとしない人ほど、「子育て」が「困難で苦しいもの」になっていきます。そしてそういう人たちが増えています。





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Last updated  2024.10.11 06:46:13
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