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2023.12.06
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カテゴリ: 報徳記を読む
鷲山恭平著「報徳開拓者 安居院義道」の現代語訳復刻版クラウドファンディング
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【7】相馬候日光祭田再復の方法に献金す その1

野州日光祭田(さいでん)二萬石(まんごく)地形高山丘陵(きうりやう)多くして平地甚だ少し。
土地磽薄(かうはく)にして曾(かつ)て水田なし。
下民(かみん)雑穀を以て常食となす。
近年に至り水田を開くといへども十が一に至らず。
往昔以來(わうせきいらい)租税甚だ輕(かろ)しと雖も下民(かみん)貧苦を免れず。
天明凶荒以後多く戸口を減ず。
是を以て土地蕪莱(ぶらい)し、人民彌々(いよいよ)窮せり。
幕府之を憂ひ再復安民の事業を以て、二宮先生に命ず。
于時(ときに)嘉永(かえい)五癸丑(みづのとうし)年二月なり。

先生時に疾(やまひ)あり病苦を忍び登山し、周(あまね)く八十餘(よ)村を廻歩(くわいほ)して邑民(いふみん)を教諭し、勸農(くわんのう)に導き善を賞し貧を惠(めぐ)み、再興の仕法を施せり。
下民(かみん)大いに感歎して舊弊(きうへい)頗る革(あらたま)り、荒蕪(くわうぶ)を開き勤業に赴けり。
是より先き弘化元年日光村々再復の策を獻(けん)ずべしとの命あり。
先生三ヶ年日夜心力を盡(つく)し衰廢(すゐはい)再興の策を筆記し數(すう)十巻を奏す。
是の故に實業(じつげふ)廣施(くわうし)の命あるに至る。
相馬候池田大夫(たいふ)を召して曰く、
三郡再興安民の事を以て二宮に任ぜり。
此の仁術に由つて國弊(こくへい)大いに改まり再復の効驗(かうけん)既に顯然(けんぜん)たり。
大慶(たいけい)之に過ぐべからず。
今幕府先生に委(ゐ)するに大業(たいげふ)を以てせり。
未だ此の地の仕法半(なかば)に至らず、微力なりといへども報恩の道を行はざるべからず。
汝夫れ之を慮(おもんぱか)れ。
大夫(たいふ)命を受けて退き諸有司(しょいうし)と此の事を議す。
有司(いうし)曰く、
國家(こくか)の衰廢(すゐはい)極まり、上下の艱難既に六七十年、天下廣(ひろ)しといへども他の諸侯を察するに、我が國(くに)の甚だしきが如きを見ず。
此の故に具(つぶ)さに艱難の事情を以て幕府に歎願し、手重き公務を免じ玉ふ事既に數(すう)十年、專(もつぱ)ら三郡再復の道に上下力を盡(つく)すといへども未だ半途に至らず。
領地の荒田未だ復せず、借債數(すう)十萬(まん)尚(なほ)依然たり。
斯(かく)の如き時に當(あた)りて何を以て報恩を爲(な)さんや。
若し仕法を行ふこと多年にして舊復(きうふく)の時に至らば報恩の道も亦盡(つく)すことを得ん。
方今(ほうこん)の爲(な)し得べき所にあらずと。
大夫(たいふ)曰く、
然り各々の言の如し。
然りと雖も上下の道を以て論ぜば豈(あに)是至當(したう)の論ならんや。
天明以來六十年餘(よ)、國(くに)の廢衰(はいすゐ)するものは國(くに)の過(あやまち)にして他の故にあらず。
幕府之を憐み多年手重(ておも)の公務を免ずるものは、阜大(ふだい)の恩といふべし。
然るに艱難の故を以て永く報恩の道を思はずんば、豈(あに)是れ受恩者の道ならんや。
國(くに)盛んに民富む時に及びて報恩を爲す者、何の難(かた)きことか有らん。
艱苦の中に處して爲し難き事に力を盡(つく)すもの僻令(たとひ)其(そ)の事は小’せう)なりといへども報恩の志(こゝろざし)は厚しといふべし。
且(かつ)先生日光へ仕法開業の初めに當(あた)りて力を添(そ)ふる時は必ず其の事業成り易(やす)かるべし。
今之を能はずとして後年を待つは假令(たとひ)後に幾倍の力を盡(つく)すといふとも安民の事業遅々(ちゝ)に及ばんこと必(ひつ)せり。
報恩の道實(じつ)に此の時を失ふべからず。
必ず疑惑を生ずることなかれ と。
郡吏曰く、
理は宜(よろ)しく然るべし。
此の時に當(あた)りて恩を報ぜんこと大夫(たいふ)それ何を以てせんとするや。
大夫曰く、
我苟(いやしく)も其の道を得ずして此の言を發(はつ)せんや。
前年極窮(ごくきゆう)の時に當(あた)り幕府に歎願し、金八千五百兩(りやう)を恩借せり。
年々之を償ふに五百金を以てせり。
今年五百金を納る時は元金皆納なり。
明年より綿々として五百金を報恩として日光地再復安民の仕法に獻ぜば、十年にして五千金となる。
是れ難しといへども前々分度の中より納め來れり。
未だ皆納に至らずと見る時は納むるの道なしといふべからず。
是に由つて艱難中といへども十年に五千金を獻ぜば、日光の窮民恩澤(おんたく)に浴し興復の事業確立すと云ふ。
諸有司(しょいうし)皆之に同ぜり。
是に於て此の事を君に言上し、遂(つひ)に幕府に請願し許可を得て、年々五百金を納め之を日光邑々(むらむら)再復の用度(ようど)に下し玉ふ。





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最終更新日  2023.12.06 00:00:19


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