星とカワセミ好きのブログ

2019.04.24
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大和ミュージアムにある戦艦大和の資料を少し紹介します。


↑ 戦艦大和。














↑ 「ブロック工法・先行艤装」
従来の工法では、艤装(ぎそう)の大半は進水してから行われていたが、大和では船体の組立と平行して艤装を行う先行艤装が採用され、建造期間を短縮することができた。こうした技術は、戦後、造船業だけでなく高層ビルなどの建築にも活用されている。

「生産管理システム」
大和の工事では工数制御方式などの科学的管理方法を本格的に取り入れた。これにより問題の早期解決や工事の進行具合の把握が容易になり、これまでのどの艦船よりも、重量比で低工数、低コストで建造することができた。こうした技術は、戦後約10年で日本が世界一の造船国となる礎となった。





↑ 「球状艦首(バルバスバウ)」
艦首の水線下に球状の突起をつけることで、速力27ノットで約8%の造波抵抗を減らすことができ、有効馬力の節約と航続距離の増大につながった。戦後、この球状艦首は、世界の大型タンカーから漁船に至るまで幅広く利用されている。




↑ 「46センチ3連装主砲」
大和の主砲は重さ約1.5トンの砲弾を約40秒ごとに1弾発射できた。砲塔は1基あたりの重量が2,760トンもあり、これは駆逐艦1隻の重量に匹敵する巨大なものだった。主砲などを製造した工作機械は大型船のクランク軸製造に使用され、砲塔の組み立てとその性能を調査するためのピットは、現在、原子炉の圧力容器の漏れを調査する水圧試験などに利用されている。

「弱電技術」
大和では士官室と一部の兵員室に冷暖房が使用されており、夏でも27度くらいの気温が保たれ、他の艦からは「大和ホテル」と呼ばれていた。冷凍・冷蔵庫も223.4立方メートルという非常に巨大なもので、乗組員が約1か月無寄港で十分に食べられる量の食料を積んでいた。こうした技術は、戦後、弱電(家電)技術の基盤となっている。




↑ 「製鋼技術」
大和の特殊な装甲板は佐々木清技術大佐(のち技術少将)により開発された。従来の装甲板に比べ対弾効力が高く、製造期間は約半分という画期的なもので、製造原価の低減にも役立った。こうした技術は、戦後、特殊鋼の製造に活用されている。

「発電と配電技術」
大和の発電機は、225ボルト、600キロワットのディーゼル型4基、ターボ型4基の計8基で4,800キロワットの発電力があった。また、攻撃を受けたときの被害を最小限にするため、1基を1室に配置し、各室ができるだけ遠ざけられていた。こうした技術は戦後、大型発電機の発達を促した。

「主機(タービン)」
大和は4基の艦本式(かんほんしき)タービンを搭載し、出力150,000馬力を発揮した。




↑ 「精密光学機器」
目標まで距離を測る大和の15メートル測距儀は世界一の大きさと性能を持っていた。2組の上下像合致式とステレオ式の3連装式で構成され、目標を正確に測距できた。こうした技術は、戦後、カメラなどの精密光学機器に大きな影響を与え、日本の精密光学機器産業を世界有数のものに育て上げた。




↑ 「推進器」
大和の推進器(スクリュー)は3枚翼、直径5メートルという日本初の超大型推進器だった。広海軍工廠の鋳造鋳物技術の集大成と言えるもので、戦後の鋳物技術の基盤となっている。

「操縦性能(舵)」
従来の戦艦の2枚舵は左右に並べて装備されていたが、大和では約15メートル離して前後に装備し、同時に被害を受けにくいようにした。旋回性能も船体が大きいにも関わらず良好だった。



↑ 現存する戦艦大和の設計図面。














↑ 大和中央断面図。
現存する設計時の青焼き図面(縮尺1:25)を実際の大和の原寸大に拡大したもの。船体中央部の41センチ厚装甲板が読み取れる。











↑ 大和の生涯。


↑ 昭和16年(1941年)12月16日に竣工後、大和は連合艦隊の旗艦として海軍作戦の指揮全般にあたったが、時代はすでに航空機主体となり、支援任務が多くなる。戦争終局時には沖縄特攻作戦に出撃、最期を迎えた。


↑ 大和 公試。昭和16年(1941年)10月~12月。



↑ ミッドウェー海戦。 昭和17年(1942年)6月5~7日。






↑ トラック島。 昭和17年(1942年)8月。大和は連合艦隊旗艦としてトラック島に進出。



↑ マリアナ沖海戦。 昭和19年(1944年)6月19~20日。







↑ レイテ沖海戦。 昭和19年(1944年)10月24~26日。












↑ 沖縄特攻。 昭和20年(1945年)4月7日。
1945年4月6日、沖縄へ向け山口県徳山(周南市)を出港した大和以下の第ニ艦隊は翌7日、九州南西沖の海上においてアメリカ海軍空母機多数の攻撃を受けた。大和は応戦の末、多数の魚雷、爆弾の命中により、14時23分沈没した。









↑ 【沈没した艦船】大和、矢矧、朝霜、磯風、霞,濵風。
  【帰還した艦船】冬月、初霜、雪風、涼月。





↑ 冬月、初霜、雪風、涼月の4隻が佐世保へ帰還した。





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最終更新日  2019.04.24 06:37:08
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